361.魔女の弟子と生まれる前からの因縁
「やるデスねぇ!そこらの三ツ字とは格が違いますデス!貴方四ツ字デスかぁ!?」
「ぅぐっ…!」
無人の舞台裏。ケタケタと笑うスーツの男…悪魔の見えざる手の纏め役を名乗る男デッドマン。プリシーラさんを狙って現れたその男を前にエリスは一歩引く…。
プリシーラさんを守る為、護衛としてこの場にいるエリスは姿を見せた誘拐組織『悪魔の見えざる手』との交戦に入っていた。このままこいつを倒してしまえば一気に今回の依頼は達成と言ってもいい状態。
だが…。
(強い…!)
強いのだ、先程から数分間デッドマンと戦りあって理解した。こいつは間違いなく旧アルカナのアリエ以上。間違いなく星のヘエよりも強い…ともすれば近接戦の強さだけならレーシュさえ上回るかもしれない。
そんな強敵との邂逅に苦戦を強いられているのだ。いや…エリスを悩ませる事態はそれだけに留まらない。
「そこを退いてくれませんデスかね、私プリシーラサマに用があるのです」
デッドマンが指差すのはエリスの後ろ。プリシーラがいなくなったであろう方向だ、うん…『であろう』だ。エリスは護衛でありながらプリシーラさんを見失った。
というか、敵が出るなり護衛も置いていきなりプリシーラさんが消えたのだ。こんなバカな話がありますか?何のための護衛ですか!
…今のプリシーラさんには護衛が付いていない。このままデッドマンを向かわせればそのまま捕まる、もしかしたら外にいるかもしれない構成員に捕まっているかもしれない。
だから一刻も早くプリシーラさんを追いかけたいのだが、ああもう!
「貴方、ライブのチケットは買いました?」
「買ってませんデス」
「ならダメです!あの子に会いたきゃチケット買うかアポ取りなさい!!」
「アハハハハ、貴方面白いデスね、名前は?」
「エリスです!」
「エリス…フゥン」
「…なんですか」
ジロジロとエリスの顔を眺め顎を撫でるデッドマンはふと…何かに気がついたように指を指し。
「君、年齢はいくつ程デスか?」
「は?二十一ですけど…」
「フゥン…、なるほどネ」
フゥンフゥンと一人で納得するように歩くデッドマン。その視線の気味悪い事、…何を考えているのか。
「何ですか」
「いや、まだ子供ですね。売っ払うには歳若過ぎます、後五〜六年経ったら来てください。その時は奴隷として売ってあげますから」
「ッッ─────!!!」
その挑発するような言葉は、エリスの中の触れてはいけない部分を的確に刺激する。
奴隷として売ってやる?お前それ本気で言ってんのか。奴隷にされたものの苦しみを理解して言ってんのか。分かっていたならばクソだが分かってないなら無いで…許せない。
その苛立ちに応えるように風は荒れ狂い、吹き飛ばされるように滑空するエリスの蹴りがデッドマンに炸裂する。
岩さえ砕くエリスの一撃、されどデッドマンは微動だにせず…。
「おお、怖いデス!」
ステッキで受け止めるのだ。ただの木製のステッキでエリスの蹴りを軽々と受け止める…こいつは自身の魔力防壁をステッキに纏わせ攻撃と防御に転用しているのだ。魔力防壁の硬度をそのまま攻撃にも使う…魔力防壁術にそんな使い方があったのかと感心するほどの技量だ。
「アハハハハ!ほらほら!もっと頑張ってくださいデス!」
「チィッ!」
振るわれる魔力を纏った打撃の数々、それを籠手や脚甲で弾いて防げば虚空に火花が散り無音の舞台裏に轟音が鳴り響く。近接戦一つとってもこの技量…エリスが殴り合いで攻め切れない程卓越した練技を持つデッドマンの激しい攻勢にエリスの足が…一歩退く。
「ッ…そこデス!」
「ぬぉぁっ!?」
飛んでくるのは弾丸の如き突き、それはエリスの防御をすり抜け顔面に迫り…咄嗟に首を傾けなければ今頃エリスの頭は紐が通るようになっていただろうことが容易に想像出来るほどの威力。
あまりの威力にエリスが戦慄したその一瞬の隙をつき、デッドマンは…。
「はい、ここ」
蹴った、足を。足払いだ…エリスの意識が完全にステッキに移ったのを察知したんだ。間合いの中の事柄は魔力で肌で感知出来る…相手の機微もまた的確に。
この舞台裏は完全にデッドマンの領域内部、一縷の隙だって見せられないんだ。
「ぐぅっ!」
「おっと、リカバリー早ぁい…」
転かされた瞬間ゴロゴロと自らで転がり態勢を立て直す。あのまま悠長に寝っ転がってたら額にさっきの突きが飛んできてましたからね。
…しかし。
「貴方、やりますね」
「私なんかまだまだデス」
「謙遜を、貴方の杖術は間違いなく達人の域にある…それなのに人攫い稼業なんかに手を染めて。惜しいとは思わないのですか」
「達人の域…ね」
エリスの言葉を受けデッドマンは何やら虚しそうにクリクリとステッキをハンカチで拭いて見せる。誇るでもなく、凄むでもなく、ただただ空虚に微笑むと。
「私は力を高めることになんて意味を見出せないんデス。そりゃ私だって昔は自身の技術を高める為ならなんでもしましたデス。強者と戦い、己を研磨し、手の中にある武器全てを極限まで高めようと努力した…、なによりも憧れた人へ手を伸ばすために」
「過去形ですか…?」
「ええ、過去の話デスから。悟ったんデスよ…全部無駄だってね、私がかつて所属したマレウス・マレフィカルムで…私は見たんだ」
そう憎々しげに語る彼は杖を……ん?え?かつて所属したマレウス・マレフィカルムって。
悪魔の見えざる手ってマレウス・マレフィカルム所属の組織だったのか?なんて疑問を投げかけるまでもなく彼は杖を地面に叩きつけ怨嗟を口にする。
「私が!終生をかけて磨き上げた杖術を…片手間で超えたあの女!魔力も持たない癖に…!私を超えてセフィロトの大樹へ至ったあの女…!」
「セフィロトの大樹へ…?」
「あの女と出会い、そして手を合わせ、私は確信したデス。強さを求める事になんてなんの意味もない。私が憧れたあの人もあの女には勝てない、そしてあの女も魔女には手も足も出ない。こんな果ての見えない練磨の道に身を落としても何にも得られない、ならこの力で好き勝手した方が余程有意義デス」
「…思ったよりもアホらしい言い分でしたね。結局貴方は相手を超えるという途方も無い努力に怯えて修行をやめる言い訳に、誘拐組織を使ってるだけじゃないですか。そんな勝手…天が許してもエリスが許しません」
「ハッ、許さないってのはこっちのセリフだよ…。お前の顔見てると思い出すんだよ」
自らの顔を手で覆い、ギラついた瞳を向けるデッドマンの目から伝わるのは…確かな怒りだ。
「ムカつく顔しやがって、せっかく忘れかけてたのによぉ…!」
「はぁ?」
「テメェ見てると、二十年前の仕事…思い出すつってんだよッッ!!」
振るわれる杖、大上段の斬りかかり。前動作の一切無い振り下ろし…それを反射神経と直感の二つを駆使して後方にすっ飛び回避すれば、デッドマンの一撃で床が砕け仮説の舞台が倒壊を始める。
いや、それよりも…それよりも。
「二十年前の…仕事…!」
そこに関しては驚きはなかった。プリシーラさんから話を聞いた時…頭の片隅に『もしかしたら』という違和感があった。
三十年も前から活動している誘拐組織なら。
マレウスの外からやってきた旅人ばかり襲う組織なら。
これだけの組織力を持ち、他国にもパイプを持つ組織なら。
…もしかしたら、こいつら…!
「ああ、テメェ…アジメクに売った旅役者にそっくりだよ。案外娘か何かデスか?」
「ッッッ!!!!」
こいつが…こいつらが、悪魔の見えざる手が…ハーメアを襲い捕まえた、賊なんだ。
エリスが生まれたのが二十一年前…彼のいう二十年前の仕事にも合致する。マレウスの外から来た旅人というのもハーメアと一致する。他国に奴隷を売るパイプを持つなりマレウスからアジメクへと売り飛ばす事もできる。
じゃあ…じゃあ、やっぱり…。
「お前がッッ!!」
「フハッ!ビンゴォッ!まさか巡り会えるとは思わなかったデス!…こっちもお前の母親にゃあ借りがあんだよ、生きてるなら引きずり出して…ってその反応はもう死んでるかぁ?」
「このッッ!!」
歯が割れるんじゃ無いかってくらい。エリスは今歯を噛み締めている。そうしないとこの口が奴の首元に牙を剥きそうだったから。
さっきまでの挑発によって得た苛立ちとか、こいつ自身の外道性とか、そんなのはもうどうでもいい。
ただ思うのは…あの暗闇の中、幼いエリスを抱いて謝罪を繰り返していたハーメアの顔…母の顔。あの人にあんな思いさせておいて何テメェがヘラヘラのうのうと生きてんだよ!!!
「この腐れ外道がッッ!!お前だけは!地獄に叩き落としてやる!!」
「やってみなさい!お前はもう血祭り確定ですがね!」
崩れる舞台の上で踏み込み、振り抜く右拳と。
腰を回し、遠心力を得て風を切り裂くステッキが激突し、再度生み出す地鳴りの衝撃。それはただでさえ倒壊の危機にある舞台にとっては決定的なトドメになり。
「死に去らせぇっ!!!」
エリスの咆哮とともに、木組みの舞台は弾け飛ぶように爆発四散するのであった。
…………………………………………………………
「フゥッ…、危ない危ない」
そして、崩れ去った舞台の瓦礫の中からデッドマンは這い出ると共に足元に転がる帽子を手に取り、パンパンっと埃をはたき落として頭の上に被る。
後に残るのは舞台の瓦礫とそこらに転がる冒険者達。空は既に夕暮れを迎え赤く染まっており…。
「ん?あの女は…?」
ふと、エリスの姿がないことに気がついたデッドマンは周囲を見回す。あれほどの使い手が今の崩落でやられるわけがない。デッドマンにとって許し難い相手…ハーメアの娘たるエリスは是が非でもこの手で殺したい。でなければ今も未練がましく誘拐組織を率いている意味がない。
そう思い間合いを広げエリスの気配を探ると。
「ッ……!」
「おや?どちらに向かわれるので?」
デッドマンは見つける。瓦礫を押し退け何処かへと走るエリスの背中を。
逃げた?いや逃げるならもっと上手くやるだろう…、考えが読めないエリスを前にデッドマンはため息を吐く。
「貴方にとって私は憎い仇でしょう?ほらほら殺さなくていいデスか?」
「ンなもん!殺したいくらい憎いに決まってます!貴方の所為でハーメアがどんな気持ちで生きたか!貴方は理解してるんですか!」
「さぁ?知ったこっちゃありませんが出来る限り苦しんでいてくれたら嬉しいデス、けど貴方の顔を見るにどうやら私の願いは叶っていそうで何よりデス!」
「ッ…!痰カス野郎…!」
舌を出して笑うデッドマンとは対照的にエリスは下唇を噛み締め怒りに悶える。ああそうだとも、苦しんださ…その苦しみは生涯癒えることがなかったほどだ。ハーメアはエトワールでみんなから慕われていた。
ナリアさんのご両親やマリアニールさん、多くの友が居ながら夢を持って彼女はカストリアに旅立った。その希望をぶち壊して絶望に塗り替えたあのクズの顔面は出来ればぐちゃぐちゃにしてやりたい。
だが、いやだからこそ同時に思う。…この怒りと悔しさはきっとデッドマンを倒すだけでは晴れやしない。ハーメアという人間の救済がもう出来ない以上どうしようもない。
なら、…もう同じ悲劇は繰り返させてはいけない。もう二度とアイツの思う通りにさせて、同じ思いをする人間を作ってはいけない。
つまり…。
(プリシーラさん、貴方の事は死んでも守り抜きます!絶対に!貴方の夢だけは壊させません!)
舞台の上で踊るプリシーラが、ハーメアと被るんだ。ハーメアが舞台に立っている時もきっとこうだったんだろう…そう思えば、またそれをぶち壊そうとするデッドマンの好きにさせられないんだ!
「プリシーラさん!どこですか!!」
故にプリシーラさんを探す、彼女は守る。これはもう依頼云々の話ではない!ハーメアの魂とエリスの尊厳を掛けた戦いなんだ!
絶対絶対絶対死んでも負けられない!譲れない!
「はぁ…はぁ!くそッ!あいつどこまで逃げたんだよ!」
脂汗を流しながら街を走る。見れば住民の殆どは何処かに消えており、街の各地から轟音や黒煙が上がっている。やはり悪魔の見えざる手がもうこの街に入り込んでいるんだ。
その危険性くらい分かるだろうに!勝手に一人で逃げるな!
「プリシーラッ!どこに行ったんですかッ!」
目を走らせる。鬼気迫る表情で周囲を見回し魔眼術を応用してその気配を探る。もう夕暮れだ…夜になったらいよいよ探しづらくなる。その前にプリシーラを…。
「ッ…!そこですか!?」
「えっ!?」
一つ、熱源を見つける。壁の向こう…裏路地の奥で無防備に立ち尽くすのは、プリシーラだ!こんなところにいたのか!ってそれで隠れてるつもりですか!
「な、何よ!」
「…………!」
「何、そんな怖い顔して!置いて逃げたのがそんなに悪い!?言ったでしょ!弾除けに使うって!弾除けは弾除けらしく敵の足止めを…!」
「ッ!」
何やらグダグダ言ってまた逃げ出そうとするプリシーラの腕を掴み上げ、拘束する。
「なに…よ、そんな…怖い顔して…!」
「…………」
「…わ、私は…」
今にも泣き出しそうなプリシーラの顔を一瞥した後、そのまま腕を引っ張り…抱きとめる。
抱きしめる、強く…強く。
「無事でよかった、本当に」
「え?…なん…で?私、貴方を置いて逃げたのに」
「関係ありません、無事でいてくれたならそれでいいです。…大丈夫、エリスが守りますから」
「…………!」
守る、守りきる。今更ハーメアを守ることなんか出来ない、けど…きっとその場にエリスが居たらエリスはハーメアを守っただろう。
エリスが生まれる前に、救いようのなくなってしまった彼女を…彼女の悲劇から産まれたエリスが、プリシーラを悲劇から守る。もうそれしか出来ないから。
だから、エリスはプリシーラを守る。
「なによ…そんな、心配したふりなんか…いらないわ」
「なんでもいいです、それよりこの街は危険です。直ぐにここから離脱しましょう」
「でも、あっちこっちから音が聞こえるわ。きっとあちこちに悪魔の見えざる手がいるのよ、もう何処にも逃げ場なんて…」
「エリスが切り開きます。だから…行きますよ!街の外に!」
「ッ……!」
とにかくここから離脱するんだ、この街に安全な場所はない。だから街の外に出て…それから。
「街の外、出れると思いますデスか?」
だが、その声はまるで影から湧き出るようぬるりとエリスの耳元で囁かれ…。逃がさないとばかりに殺気を放ち。
「ッエリス!危ない!」
「邪魔をするなッ!」
体を回し、足を振り上げ、装甲を纏った足で回し蹴りを放ち、エリスに向けて振り下ろされたステッキを弾く。
輝き煌めく火花の向こうに見えるのはデッドマンだ、…追いかけてきていたのか、あるいはこいつもプリシーラを見つけたのか。厄介なのが来たな。
「デッドマン!プリシーラさんは絶対に死んでも渡しませんよ!」
「それは困るデス、その子はどうしても必要なのデス。なのでここで貴方を殺しプリシーラも得る。一石二鳥デス!」
プリシーラを抱き寄せたまま、デッドマンと睨み合う。死んでも逃がしてみせる。
「プリシーラさん、下がって」
「ど、どうするの?」
「あいつ張り倒して先に進みます」
「でもあいつ、強いのよ。親衛隊の中には三ッツ字冒険者が何人もいた、それが瞬く間にやられちゃったの…あんたも元三ツ字でしょ?勝てないわ…」
ん?ああ、あの親衛隊やっぱそれだけ強かったんだ。デッドマンを相手に人数差があったとはいえあそこまで肉薄出来るのはそれなりにやれる証拠だ。
けどそれが一斉にやられたから逃げたのか…。にしてはなんか逃げ方に違和感があるが…まぁいいか。
「大丈夫!」
「ほんとにそうデスかぁ?私も本気出すデスよ」
するとデッドマンは刺青だらけの右手を差し出す。…さっきまでの戦いじゃ使わなかったが、色々使ってくるか。魔術を…!
不可解極まる魔術、エリスは旅の中で色んな魔術を見てきたがその中でもぶっちぎりで不可解な魔術、それをデッドマンは容易く扱う。
「デッドマンズハンド…」
それは詠唱ではない。魔術を扱うエリスには分かる。あれはただ『言った』だけ、『唱えた』わけじゃない。
けど、彼はその言葉と共に中指を一つ折り曲げる。ただそれだけで…彼の魔力は流動し、一つの形を成す。
「『四指・死者の業風』」
それはまるで風の洪水、一気に溢れるように吹き荒ぶ突風は周囲の家屋を薙ぎ倒しエリスへ襲いかかる。
あんなもの食らったらエリスはともかくプリシーラさんはイチコロだ、なんとしてでも守らねば!
「プリシーラさん!失礼!」
「え!?ちょっ!」
咄嗟に抱き寄せたプリシーラさんを持ち上げお姫様抱っこの姿勢でエリスは風を纏って飛び上がる。一瞬で何もかもを飛び越える程の高度まで上がれば下に見えるのは絨毯のように広げられる風が大地を蹂躙する様。
威力もそうだが何より不可解。指を曲げただけで詠唱もなく発動する魔術?聞いたこともないぞそんなの。
恐らくだが特殊詠唱の一つなんだろう。メグさんが使う貯蔵詠唱やアグニ族が使う逆流詠唱のような…、発動条件は指を曲げるだけ。
そんな詠唱法があるのか?だとしたら面倒だぞ。だって相手はそれこそ無言で魔術を発動させられるってことだろ?
卑怯だろ…それ。
「ひぎぃぃぃぃい!!!?!?高いぃぃぃいい!!」
「騒がない!落としますよ!」
「ひゃい!」
ともかくこのまま街の外まで連れ出して、デッドマンを撒かないと。プリシーラさんを抱えたままじゃ逆立ちしたって勝てない!
「このまま街の外まで飛びます!口を閉じて…」
「だから、無理だって言ってるんデスよ」
「ッ!?」
上から声がする。気がつけば赤らんだ空を舞うように跳躍したデッドマンが今度は小指を曲げて…。
「『一指・死神の狩り鎌』!」
小指を曲げた瞬間、溢れたデッドマンの黒いモヤがローブを纏った死神を作り出し、その手に持った狩り鎌を振るいながらエリスに向けてすっ飛んできた。また…詠唱もなくただ技名を言うだけで発動を…!
「チッ!プリシーラさん!目を閉じて!」
「はいっ!」
プリシーラさんを強く掴み、その場で全身を回転させ蹴りで鎌を弾きそのまま死神に向けて回し蹴りを放つが…、死神は触れると再び黒いモヤに変わり消えてしまう。こいつ実体がないタイプか!やらかした!弾くだけでいいんだ!
「『二指・死魔の閃光』」
消える黒いモヤの向こうで見えるのは、漆黒の光球を薬指を曲げながら放つデッドマンの姿で…。
「ッッ────!」
炸裂する漆黒の光球、それから逃げるように旋風圏跳で加速し離脱する。あれは爆発するタイプの光球か!見た感じそれぞれの指に対応する魔術があるのか?
今まで見たのは小指を曲げて死神を出す魔術、薬指を曲げて炸裂する光球を出す魔術、人差し指を曲げて突風を吹かす魔術。
ということは、まだ二つある…中指と親指が。
「おっと、逃がさないよ!『一指・死神の狩り鎌』!」
逃げるエリスの背後から聞こえる声、死神の狩り鎌?…ってことは死神を出す魔術か!
それならこのまま加速して鎌から逃げる!実体のない死神を相手する暇はエリスには……。
いや待てよ、なんでアイツ指を曲げるだけで魔術を出せるのに、態々ご丁寧に技名なんか言うんだ?必要ないのに。
…違う、違う!まさか!技名を口にしてたのって…!
「エリス!来る!」
デッドマンに背を向け滑空するエリスに向けて、腕の中のプリシーラが叫ぶ。その声に突き動かされ振り向く暇もなく…それは巻き起こる。
「ぁがぁっ!?」
突如吹いた突風に体を煽られ吹き飛ばざれ、砕いたガラスのように鋭利な旋風から必死にプリシーラを守る。
…鎌じゃない、風が来た。これは死神の狩り鎌じゃなくて死者の業風…。
それを放ったであろうデッドマンが曲げている指は中指、死神を出す小指ではない。中指だ…曲げた中指を見せつけながら舌を突き出すデッドマンの顔が見える。
つまり、今の技名はブラフ…!詠唱が必要ないから口にしたのとは別の魔術を発動させられるんだ!今までご丁寧に技名を口にしていのは…このための布石。まずった…やらかした!
「ゲハッ!」
「エリス!エリス!貴方…私を庇って、血…血が!」
プリシーラの必死の呼びかけも虚しく、エリスの風はどんどん弱々しくなる。…バランスが取れない、風に引き裂かれた皮膚から血が止まらない。プリシーラさんを守るために無理に体を丸めた所為で余計に食らってしまった。
「プリ…シーラさん、口閉じて…!」
「ッ!」
そのままプリシーラさんを守るように抱きかかえ込み、錐揉みながら地面へと墜落する。無人の大通りの上を転がりながら自分の上みも二の次にプリシーラさんを抱きしめ衝撃から守る。
「残念でしたデスね、私…こう言う引っ掛けも出来るデス」
「ぅぐ…!」
見ればデッドマンもすぐ近くに着地していたのか。ステッキをくるくる回しながら向こうからやってくる。エリスが着地したのは大通りの中腹…ここからじゃまだ街の外まで距離がある。
くそっ…!
「プリシーラさん、…守りますから…!」
「バカ!動いたら死ぬわよ!」
「優しいですね、弾除けが死んでも当然では?」
「うっ…!」
大丈夫、まだ立てる。まだいける…彼女を抱えて外に…。
「立てますか、プリシーラさん…」
「貴方は…立てるの?」
「エリスは頑丈ですから…」
「それは良かった、私もまだまだやり足りないデスよ」
「ッ …」
しかし、こいつが逃がしてくれない。血を流し未だ立ち上がれないエリスを見下ろすようにデッドマンがステッキを突きつけている。まずった…今の下手な着地でこっちは骨が折れてんだよ。
抵抗しようにも…ダメージが大き過ぎる。後数秒時間があれば…!
「ッ…私は!」
「なっ!?」
刹那、プリシーラがエリスの腕を突き飛ばし。未だダメージから立ち直れないエリスを置いて逃げ出したのだ。走り出し…エリスを置き去りにして。
それが、やはり被る。またしても被る。エリスを置いて逃げた…ハーメアと。
「おや、見捨てられちゃいましたね。所詮貴方はそれだけの存在だったって事デス」
「…………」
「アハハハハ、あんだけ必死に守って置いてかれるなんて間抜けな話デス」
プリシーラは走る、エリスを置いて街の外へと抜け出そうと走って逃げる。エリスの事を心配する素振りなど見せる事なく…。
しかし、一人で逃げたって無駄なのだ。プリシーラの足ではデッドマンから逃げられない。
「でも逃げられると面倒デスから…足の一つでも射抜いておきますか」
そう口にしながらデッドマンは右手を差し出し、まるで引き金を引くように薬指を曲げる。するとただそれだけで魔力が流動し、一つの形を生み出す。
それは鋭利に尖った黒々とした一筋の矢…。切っ先は当然…プリシーラを向いている。
「『三指・死絶の凶矢』」
「え!?」
放たれる漆黒の矢、それがプリシーラ目掛け飛ぶ。プリシーラは弱い、あの矢を防ぐ事も回避する事も出来ない…いきなり飛んできた矢を前に足をもつれさせたプリシーラはそのまま……。
「ぁがッッ!!!?」
ドスリと音を立てて鮮血が舞う。あまりの激痛に苦しみ悶える声が響き渡り、脇腹に突き刺さった矢から血が滴り足元に血溜まりを作っている。
「な、なんで…」
掠れるようなプリシーラさんの声が響き渡る…いや投げかけられる。
エリスに対して。
「なんで、…『守ったの』!」
「ぐっ…ぅ」
体を無理やり起こし、プリシーラさん前に大の字になって立ち尽くすエリスに向けて投げかけられる言葉。なぜ守ったのか…そんな答えるまでもない問いかけ。
そうだ、守ったさ。エリスを置いて逃げるプリシーラさんをデッドマンの放った凶矢から…エリスは庇うように立ち上がりこの身に矢を受けたのだ。
おかげさまで土手っ腹に風穴は開いたが、プリシーラさんは無傷…まぁ足をもつれさせて倒れてはいるが、まだ走れるだろう。
「行くなら…行きなさい」
「え…?」
「逃げるんでしょう?ならそれも…良いでしょう、それが貴方の選択ならば…良いでしょう」
エリスには出来なかった。エリスを置いて逃げていくプリシーラの背中がハーメアに被った以上、逃げる彼女を止めることが出来なかった。
そりゃハーメアに捨てられた事はショックだったが、じゃああのまま地獄に一緒にいて心中して欲しかったかといえば、今は違うと答えられる。
逃げるなら逃げるでいい、捕まって全て奪われるならそれでいい。生きていられるならそれでいい、死んでしまったらそこで終わりなんだ。恨むも何もなくなってしまうんだ。
だから、エリスは守りますよ。例えハーメアがエリスを置いて行ったとしても…守り続けます。今のエリスなら…そう言い切れます。
「…殺すにしても、逃すにしても、貴方は何処までも私の思い通りにならない奴デスねぇ」
「プリシーラさんには、指一本触れさせません…」
「そうデスか、…ならとっとと死んでくださいデス。『三指・死絶の凶矢』」
再度指を曲げる。今度は続けざまにいくつ物矢を生み出し次々とエリスに向けて撃ち放つ。プリシーラさんを守るために引くわけにも倒れるわけにも行かない。体のあちこちに矢が深々と突き刺さり血が噴き出る中、エリスは必死に苦悶の声を押し殺し、立ち続ける。
悲劇は繰り返させない。ハーメアのような人間はもう生まない。ただその一心で。
「や、やめて!死ぬわよ!なんでそこまで…!」
「ぅぐ…逃げるんじゃ…なかったんですか…」
「ぁ…うぅ…!なんで私なんかの…」
逃げずに戻ってくるプリシーラさんを見て、やはりこの人は冷徹になり切れないのだなと淡い感想を抱く。まぁここで本気でエリスを置いて逃げられるほどこの人も覚悟が決まっていないという事だろう…。
「ここまでやっても倒れませんか…、もういいデス。次はその眉間…打ち抜きますデス」
デッドマンの狙いが頭を向く。次で殺すとばかりに矢が生まれる。されどそれを弾く程の体力もなければ反応出来る程の意識もない。後ろにはプリシーラさん…引けない理由がある。
プリシーラさんは迷っている、どうすればいいか分からず口を開閉している。逃げる事も見殺しにする事も選べずエリスに対して涙を浮かべている。
着々と動き時が進む世界中、ただ一人エリスだけが静止している間にも…漆黒の矢は形を整え、鋭い穂先をエリスに向けて…。
空を駆け出した。
「死ね…忌まわしき過去。お前が死ねば…私は…!」
エリスを見つめるデッドマンの遠い目と、向かってくる矢を前にしたエリスは歯を食いしばり…それを迎え撃つ。何が何でも引くわけにはいかないと…。
そして、矢はエリスの目前まで迫り…。
「ッ……!!!」
エリスの額、そこに突き刺さる直前で…止まった。
「え?」
止まった、止められた、止めたのは…側面から伸びる白い腕。
否…時空に開いた穴から伸びる腕、それはまるで門を開くように内側からその姿を現し。
「バカ無茶しすぎです!」
「ッメグさん…!」
「さっきのメイド…?」
「新手デスか?」
メグさんだ、時界門を開いて矢を素手で受け止めたメグさんはエリスを責めるような視線を向けた後周囲の状況を確認する。
「酷い状況です、ですが…来てよかった」
「えへへ、どっかで来てくれるって信じてましたよ」
「だからって!…いえ、今は後です!エリス様!プリシーラ様!こちらへ!」
即座に手を伸ばし、動けないエリスの襟とプリシーラさんの手を掴み上げそのまま全身を使って二人を時界門の中へと引き込んでいく。
「おっと!それは予想外デス!『三指・死絶の凶矢』!」
当然、それを阻止しようとデッドマンも動こうとするが。メグさんの仕事の速さは世界一だ、一瞬のうちにエリス達は時界門の中へ引き込まれ、デッドマンが矢を放つ頃には既に時界門は縮小を始めており、矢は虚空をすり抜け奥の壁へと突き刺さるのであった。
「チッ、逃げられた…デスか」
後に残るのは逃げられたという事実だけ…だが。
この程度で諦めるなら彼らは世界最強の誘拐組織とは呼ばれていない。帽子の鍔を撫でながらデッドマンは即座に動き出す。
最初は、単なる美味い話だと思っていた。この依頼を受けた時『奴』が話した計画…リスクは無く、それでいて多大なメリットが得られるその計画の補助をする為この依頼を受けた。
冒険者協会側が何処まで自分達の計画に気がついているかは分からない、或いはケイトは気がついているだろうが奴は表立っては動けない。動けばケイトが今まで積み上げた何もかもを失うことになる。
「…しかし、不可解デス」
…だが此の期に及んでもケイトはともかくケイト直属の戦力である幹部達が一切姿を見せないのは不可解だ、あの戦力ならば悪魔の見えざる手如き歯牙にもかけないだろうに。
それともプリシーラの存在はケイトにとって然程大きく無いのか?字持ちの冒険者如きで我々は止められないのは分かっているだろう。
そう思っていたところに現れたエリスと名乗る古式魔術使い、恐らくだが奴は魔女の弟子だ。
何故、何がどうなってケイトと魔女の弟子が組んでいる。一体どんな因果で奴等は手を組んでいるのか…全く分からない。だってケイトは……。
「…なるほど、これがケイトの防衛策デスか。単なる木偶の坊かと思いましたが…面白い、ケイトが本気で動いたらどうなるか。見ものデス」
やはり実力一つであそこ迄上り詰める女は違うということか。今までヴェールに包まれていたケイトという存在の手腕を見るには最高の舞台だ。
……面白くなってきたデス。
……………………………………………………
時はほんの少し巻き戻る。エリスがプリシーラを追いかけて街を激走している頃…メグとメルクリウスは。
「蜷局を巻く巨巌 畝りをあげる朽野、その牙は創世の大地 その鱗は断空の岩肌、地にして意 岩にして心『錬成・蛇壊之坩堝』!!」
「クチャクチャ…!」
街の一角にて悪魔の見えざる手の幹部 人差し指のチクルと激突していた。カラフルなパーカーを着込み常にチューインガムを噛み続けるチクルはメルクリウスの錬金術にて作り上げられた巨大な岩の蛇を前に、その牙や鱗を的確に回避し…。
「プッ!」
吐き出す、口の中に留めていたガムを。それは虚空でムクムクと膨らみ巨大な岩の蛇を飲み込み押しつぶしていくのだ。
恐らく、あのガム自体がある種の魔術なのだろうと読んでいるメルクリウスだが…、チクルの的確かつ機敏な動きを前に苦戦を強いられていた。
…強いのだ、チクルという男は。メグが言うに悪魔の見えざる手は元八大同盟の一角だった大組織。もう二十年も前の話になるがその実力は未だ一線級。
つまり、こいつらはあの八大同盟の…逢魔ヶ時旅団と同格の力を持つと考えてもいいのだ。
「チッ…」
逢魔ヶ時旅団…メルクリウスにとって憎らしい存在。つい一ヶ月前も奴らの幹部達と戦い完膚なきまでに敗れた身としては、ある意味この戦いはその前哨戦に近い。
なのに、元八大同盟の幹部の一人如きにこれほど手を焼かされるとは…!
「中々にやるものだな…!」
「…そっちが使ってんの、古式魔術か?ただの冒険者の相手って聞かされてたんだけど…話違うじゃんよ」
飛び交う銃弾とチクルのガム。互いに互いの飛翔物を回避する乱射戦へと縺れ込みながら両者は動きを止めない。メルクリウスは錬金術で銃弾を直接砲塔に詰め、チクルもいつの間にやら口の中に入っているガムを吐き出し応戦する。
そんな激闘の最中…。
「メグセレクション・No.7 『万能汚れ取りクリーナー』!!」
時界門から取り出した洗剤とスポンジを両手に足元のガムを除去しようと全力を出すのはメグだ。メルクリウスと共に居ながら彼女は戦列に参加していない…出来ていない。
「くぅーっ!取れない!」
メルクリウスを庇って受けたガムが足にくっついて取れないのだ。足のくるぶしまで多くピンク色のネトネトしたガムは足を引いても押しても取れる気配はなく、洗剤で洗ってもナイフで切っても全くとれないのだ。
このままではメルクリウス様を一人で戦わせることになってしまう。そう焦りながらも…メグはその場に拘束され続ける。
「すみませんメルクリウス様!直ぐになんとかしますから!」
「焦らなくていい、着実に頼む」
今のメグは自慢の機動力が死んでいる。今メグを襲われたら確実にやられる。
メグの時界門はある種の切り札だ、それを守る為にも離脱は出来ない。かといって救出に向かうにはチクルが邪魔すぎる。
「ペッッ!」
「フッ…!」
弾丸のように飛んでくるガム…それを身を屈めて回避したメルクはこれはしめたと目を見開く。
拮抗していた戦況がメルクに傾いた、今まで弾丸や私の攻撃の処理に使っていたガムで攻めを行なったが故にチクルに隙が生まれたのだ。
「逃さん!」
「むっ…」
即座に銃を駆動させ、ガムを吐き出し隙だらけとなったチクルの肩めがけ銃弾を放つ。奴は攻撃にも防御にもガムを使う。つまりガムを吐き出し口の中が空になっている状態では奴は何も出来ない。
無防備なのだ、『とった!』そう確信を得た彼女の弾丸はチクルへと真っ直ぐに飛ぶ。しかし…チクルは焦る様子もなく何も入っていない口を開き。
「…『チューイングリード』!」
「なっ!?」
そこで初めて聞く、チクルの魔術詠唱。そしてその言葉と共にチクルは飛んでくる弾丸を…。
「パクッ!」
「はぁっ!?食った!?」
食ったのだ、口でキャッチしその中に収めたのだ。まるで餌を投げかけられた犬のように的確に銃弾を咥える…あり得ない出来事を前に呆然とするメルクリウスに、更なる衝撃が襲いかかる。
「クチャクチャ…」
「銃弾を食ってる…、いや」
咀嚼し始めたのだ。クチャクチャと…鉛で出来たそれを顎の力だけで噛み砕くなど不可能。それをまるでガムのようにクチャクチャと食べるなんて…いや。ガムのようにではない。
本当に、彼の口の中の鉛玉がガムのように粘性を得て伸びているのだ。
「まず…、やっぱ金属は美味くないな」
剰えガムのように口元で膨らませ風船のように膨張させている。その色はまさしく鉛玉と同じ色…まさかとは思ったが。
「やはり、それがお前の魔術だな…」
「ん、ご名答…俺の魔術にかかれば、どんな物でもガム同然」
咥えた物をなんでもガムのようにして噛んでしまう魔術。形質を変化させるところを見ると錬金術に近しい物か?
なるほど、さっきからガムがいつのまにか口に入っていたのは…どさくさに紛れて石ころや砂を食んでいたのか。あの魔術がある限りチクルはいつでも自身の武器となるガムを確保できると。
「だが、貴様の魔術の正体を見たならば!対処法もある!」
「何がだよ…プッッ!!」
飛んでくる元銃弾のガム。…銃弾を飛ばせば食われてガムに変えられてしまう、だが奴がそうやってガムを補充しているならやりようもある。
例えば。
「羽ばたく斜陽 飛び交う炎熱、意思を持つ火炎 敵を穿つ焔火、黒羽は今炎光滾らせ迸る、焼き付けせ 穿ち抜け、我が敵を撃滅せよ『錬成・乱鴉八咫御明灯』!!」
銃弾が撃ち放つのは紅蓮の炎。錬金術に生み出した火炎の鳥、それが羽ばたき飛んでくるガムを一瞬で焼き溶かしチクルに迫る。万物をガムに変えるなら食えないものならどうだ、実態のない火であるならばガムに変えることは出来ない!
そう…思ってたんだがな。見ればチクルは炎に向けて口を開けている…ってことはまさか。
「『チューイングリード』!」
その詠唱と共に飛んできた炎の鳥に食らいつき、ガブガブと頭から咀嚼し口の中に収めてしまう。…おいおい、いくらなんでもメチャクチャ過ぎるだろそれは。
「はふっはふっ、あっつぃ…けど温いガムも悪くない」
「なんでもありか、貴様…」
「クチャクチャ…んぁ、言ったろ。俺にかかればどんな物でもガムになる。それが石だろうが鉄だろうが、風だろうが火だろうがなんでもな。俺にはどんな攻撃も通用しない」
いかなる攻撃も口で咥えて無力化してしまう攻防一体の魔術。それがチューイングリード…見た目の割に厄介なものかもしれんぞ…!
炎だったガムを熱そうに咀嚼するチクルは…そのまま大きく息を吸い。
「そして!俺に喰われた物は!その性質を残したままガムとなる!『フレイムチューイング』!」
吹き出すのは炎のガム、火炎の鳥はぐちゃぐちゃに咀嚼され原型を留めず噛みかけのガムとして跳ね返すことも可能か。
一体どうすればいい。奴の言うことがその通りなら飛び道具しか持たない私には打つ手がないぞ…!
「チッ!なら食い切れない程物を用意すればいいだけだ!『錬成』!」
吐き出されガムとして飛翔する炎を側転で回避すれば、地面へばりつきその場で炎が燃え続ける。…あれに身を包まれていたらと思うとゾッとする。迂闊に魔術を使うのは危険だ、ここは物量で攻めるべきか。
そう思い今度は複数の火砲を錬成で作り出し…。
「おっと、それはヤバイかも…じゃあこっちも用意しないと」
向けられる幾多の砲塔を前にチクルは何かを探すように視線を走らせ…、そして見つけるのは。逃げ遅れた花屋の少女…それを見たチクルは笑い。
「い、いや…!」
「ッ!待て!何をするつもりだ!」
逃げ遅れた少女目掛け走るチクル、それを止める為銃の引き金に指をかけるが…銃弾さえ回避するチクルの健脚は即座に少女を捕まえるに至り。
「『チューイングリード』!」
「きゃぁぁぁあ!?!?」
「なっ…!」
絶句、絶句する。何せチクルが新たなガムとして選び口に入れたのは…その逃げ遅れた少女なのだから。頭に齧り付きモグモグと咀嚼しながら口の中に放り込むその姿は最早人には見えない…。
人が人を食う、そんな場面に唖然として徐々にか細くなる少女の悲鳴が途絶え、奴の口の中に新たなガムが一つ…クチャクチャと音を立て始める。
「撃つなよ、言っとくがこんな風になってもこの女は生きている。時間が経てば元にも戻る…まぁ、弾けちまったらどうかは分からないけど?」
そう口にしながら膨らませるのは元は人間だったガム。あれを撃てば…先程の少女は死ぬことになる。生きているようには見えないが錬金術師たる私には分かる…あれはまだ生きている。
石に変えられたレグルス様が生きていたように、あのガムも時間が経てば元に戻る…が、それは裏返せばあのガムは人そのものということ。人を銃で撃てば…どうなるかなど、言うまでもない。
「動くなよ、この女は吐き捨てて路傍のシミにするぞ?地面に落ちて砂と混ざれば…元に戻った時元の形に戻る保証はないぜ?」
「うぐっ…!外道が…!」
「外道じゃなきゃ人攫いなんてやらねーよ」
ガムを膨らませたまま、近づいてくるチクル。こいつは…人をなんだと思っているんだ、この街の人間がお前に何をした!何も関係のない人間を巻き込み街を破壊し…剰え人まで攫おうと言うのか!
だが、私にできるのは銃を退けることだけ。迂闊なことをすれば人質の身に危険が及ぶことになる。
「フッ、正義感が強いってのも大変だねぇ」
「喧しい…!」
…私なら元に戻せるか?錬金術を使えば再び人の姿に戻せるか?石化した人間を元に戻せるならガムになった人間も戻せるはずだ。だがチクルがどんな手段に出るか分からない。
そうこうしてる間にチクルは私の目の前まで歩み寄り、ガムを口にしたままニタリと笑う。
「お前にゃ死んでもらわにゃならん、それがデッドマンの命令なんでね」
「それは元魔女排斥派としての務めか?」
「はっ、今更魔女なんかどうだって…いや、ある意味この計画は魔女狩りの一端か?」
「なに…?」
魔女狩りの一端?この人攫いが根っこまで遡れば魔女を殺す計画に至ると?だがプリシーラは魔女となんの関係も…。
「甘いな、ガムよりも…!ほらよ!」
刹那、プッと少女だったガムを空めがけ吹き放つチクル、それを目で追い銃を構える…このまま地面に落ちれば砂と混ざってしまう。そうなれば人に戻ったとて元の姿に戻れなくなる可能性がある。
落ちる冷や汗と共に私は錬金銃アルベドと錬金銃ニグレドに力を込め、双銃を空高く向け…。
「Alchemic・Magnum opus!」
放つ光はかつてレグルス様を石から戻した変換の錬金術。そのものの形を変える魔術を取り払い真の姿へと戻す錬金術。一度やったことがあるからその工程は極めて楽だ。そもそもマスターが使う石化とこいつの使うガムへ変える魔術では形を変える強制力が違う。
故に戻すには戻せる。光に包まれ人の姿に戻った少女を見て安堵したのも束の間…。
「『チューイングリード』…!」
「くっ!」
口を開け、迫るチクル。今度の狙いは私自身だ…私が少女を助けると分かっていたからわざと囮にして私のワンアクションを消費させたのだ。分かっていた…分かっていたが私には人質を見殺しにすることなど…!
「お前はどんな味がするんだろうなぁ?」
大口を開けるその姿、ヨダレを垂らし目を血走らせた姿は…魔獣よりもおぞましく、私の首元に迫り…。
「メルク様!」
「げえっ!?」
しかし、その口は私に食らいつくことなく、背後から飛んできた蹴りによってチクルはゴロゴロと地面を転がりのたうち回る。
「メグ!?」
「すみません、対処に遅れました!」
蹴りを放ったのはメグだ、見ればその足を拘束していたガムは綺麗に剥がれており…よく見るとメグは鼻水を垂らしながら震えているではないか。
「なにをしたんだ…?」
「最近帝国でもガムを取り扱っておりまして、その製菓商会からガムの剥がし方の資料を取り寄せ調べたのです。くっついたガムは冷やすと取れるらしいので氷水ぶっかけてなんとかしました、それより離脱しましょう!」
「離脱だと?何処に…どうやって」
「ここにこうやってです!『時界門』!」
「チッ、あ!おい!何処に行きやがる……」
…………………………………………
刹那作り出される時空の門、それが開くと同時にメグは私を穴の中へと投げ飛ばす。ドスンと音を立てて着地する頃には私の視界は街の大通りから見慣れた景色…我々の馬車の中へと移っている。
「ここは、馬車の中か…」
「我々の勝利条件はチクルを倒すことではありません。プリシーラ様を連れて離脱することです、…本当ならもっと早くこうする筈だったのですが…、不覚です、手間取りました」
スルリと自身も穴を通って馬車に降り立ち。チクルを置いて馬車の中に戻ってきたメグの表情は痛恨そのもの。ガムに拘束されてさえいなければ接敵した瞬間にも離脱するつもりだったのだろう。
だが実際、彼女の言う通りだ。悪魔の見えざる手が現れ、奴らが相当な手練れであると分かった以上このまま戦い続けるメリットはあまりない。離脱出来るならしてしまう方がいい。
だが。
「ここからどうする、他のみんなを態々呼びに行っていたらその間にも悪魔の見えざる手がこの馬車を襲うぞ」
「その心配はありません、メルク様 右ポケットを漁ってみてください」
「右ポケット?…ん?何か入っているな」
今の今まで気がつかなかったが、メグに言われて右ポケットを漁ると何かが入っている事に気がつく。手を突っ込んでそれを取り出してみれば、ポケットの中に入っていたのは。
…金貨?いや違う、デザインが違う、これはただの金色のコインだ。
「なんだこれは」
「それは小型化した私のセントエルモの楔でございます、もしもの時のために皆様の衣服に秘密裏に忍ばせておいたのでございます」
セントエルモの楔…、メグが転移する際目印代わりに使っているあれか。いつもは釘状だったが…ここまで小型化できるのか。それをみんなの衣服に取り付けていたと言うことは…。
「つまり、こう言うことも出来るのです!『班目時界門』!」
ポコポコと空中に開く時界門、その向こうからこれまた次々と影が現れ降ってくる。
「なんじゃそりゃぁぁぁぁあ!いてっ!」
「うぉっ!?地面が抜け…ってこれ時界門か!?」
「うわぁっ!?びっくりしたァ…ってあれ?僕何処に?」
叫び声を上げたまま勢いよく落ちてくるラグナ、剣を構えた姿勢でストンと着地するアマルトと勢い余って尻餅をつくナリア。
三人ともどう見ても戦いの最中と言った空気が伝わってくる。
「うひゃー!?あれ?ここ馬車?なんで??」
「おっと、あ…馬車だ」
スポーンと落ちてくるデティと落ちてきたはいいものの普通に足が着いてしまい自分で屈んで穴の中に入ってくるネレイド。こちらも二人とも切羽詰まっている事に変わりはない。
「全員無事か!」
「あれ?メルクさん?ってことはさっきの穴時界門?…なるほど、そういうことか。助かった!」
ラグナは一瞬混乱するものの目の前に転がる材料から一瞬で状況を判断すると…。
「俺が馬車を動かす!メグさん!時界門でエリスとプリシーラをここに!とっととこの街から離れるぞ!」
「あ!そうだ!ラグナ!街の外にも組織の構成員がいるんだ!気をつけろよ!」
「やっぱりか…、ってかあれじゃね?」
メグが時界門でエリスの救出を行っている隙にドタドタとジャーニーの手綱を握りに走るラグナとそれに追従するアマルト。二人が見るのは街の外壁をなぞるように走る武装集団。
『テメェら冒険者か!待てや!一匹も逃すかぁ!』
「チッ、すげぇ数…」
チクル同様、冒険者達を殺すことを念頭に置いているのかサーベルを振り回し周囲の茂みを切り裂く構成員達にラグナは舌を打つ、結構な数だと。
すると。
「っ…よいしょっ!エリス様とプリシーラ様の救出成功です!」
「おう、よくやっ…ってオイオイ!なんだよそれ!」
全身を使い馬車の中にエリスとプリシーラを引きずりこむ事に成功する。やはりプリシーラはエリスが守ってくれていたかとホッとしたのもつかの間。
目に飛び込んできたのは全身に矢を刺され血塗れとなったエリスと、半狂乱で絶句したプリシーラの二人だった。
「エリス!おい!エリス!生きてんのか!?」
「え…ええ、なんとか。ギリギリ」
「デティフローア様!治癒を!」
「うん!直ぐに!」
「…チッ…!」
凄まじい傷を受け力なく倒れるエリスを見て、皆動揺する中…ラグナは悔しそうに歯噛みし、即座に手綱を手放し馬車の中に戻ってくる。
「ど、どうした?ラグナ」
「悪いメルクさん、これ借りる」
「借りる?そんなものどうするんだ」
そう言ってラグナが手をかけるのはまだ何も入れていない空のタンスだ。それを軽々と持ち上げたままラグナは馬車の外に向かい…。
『死ねや!冒険者共!』
「死ねだ?死ぬのはテメェらの方だって…テメェのボスに伝えとけや!クソボケ共がァッ!」
投擲、外から迫り来る悪魔の見えざる手の構成員達に向けてタンスを砲弾の如き勢いで投擲しエリスを傷つけられたお礼参りとして叩きつけたのだ。
『ぐぎゃぁっ!?』
ラグナの膂力で投げられれば、どんな物でも兵器と化す。地鳴りを起こすほどの勢いで構成員達を吹き飛ばし、紙吹雪のように散るそれを見終えた後彼はそのまま御者として手綱を握り直して…。
「ジャーニー!全力で飛ばせ!この街を離れるぞ!」
「ヒヒーン!」
ジャーニーと共に吠え、烈火の如く加速してコンクルシオの街を離れる為馬車を駆け出す。街の外まで逃げても油断出来ない、悪魔の見えざる手の幹部達が未だ健在である以上その追撃の可能性も否めないからな。
「この矢…若干の毒性があるね」
「治せそう?」
「うん、私にかかれば無いも同然だから」
痛みと消耗から気を失ったエリス介抱するデティとネレイドの二人によって血塗れだったエリスの傷はみるみるうちに治っていく。流石は史上最高の治癒術師を師に持つ者…デティの治癒魔術の腕に限ればあの致命傷も難なく治せそうだ。
エリスはまぁ大丈夫だろう、…問題があるとするなら。
「あー、大丈夫かな?プリシーラ殿?」
「ぅ……」
怯えた視線で馬車の隅っこで膝を抱きしめ座るプリシーラに声をかける。かなり怯えている…余程怖い目にあったのか、或いは別の何かがあるのか…どちらかは分からないが、今の彼女の精神状態はかなり悪そうだ。
すると…、ギロリとアマルトが視線をプリシーラに向け。
「お前がくだらねぇ事言い出して俺達分断しなけりゃ事はこんなにややこしくならなかったんだぜ?よくもやってくれたもんだよ」
「ぅ…」
「おい!アマルト!」
棘のある言葉でプリシーラを責め立てる。確かにプリシーラのわがままのせいで初動が遅れたのは事実だが、それを彼女に擦りつけるのはまた違う。彼女とてこんな事態は予見できなかった筈だ。
「メルクリウス様…」
「なんだ、メグ」
「いえ、高速機動戦を得意とするエリス様がここまで正面から矢を受けるのは少々考え難いです。私がエリス様を救出した状況から考えて…恐らくエリス様は」
「プリシーラを庇っていたと?」
「……はい」
メグ、それを今言ってどうする。お前らしくもない…いや、メグもプリシーラの行動に対して思うところがあるのかもしれない。メグは仕事人だがそれ以上に友達思いだ、プリシーラの行動のせいでエリスが瀕死の重傷を負ったとなれば…やはり良い顔はしてられないか。
「テメェの所為でウチの仲間が死にかけてんだぞ、なんか言うこともねぇのかよ!」
「やめろアマルト、彼女を責めても仕方ない」
「ぅ…うぅ…」
「メルク!お前はいいのかよ!別に使いっぱしりとして使われる件に関してはもう構わない!けどその所為で仲間が…エリスがこのザマなんだぞ!」
「彼女がやったわけじゃ無いだろ!」
「同じだろ!俺はダチが傷つけられるなら、言うことは言わせてもらうぜ…」
アマルトはかなり怒っているようだ、ナリアもネレイドも口を挟まない。二人はプリシーラに対してそこまでの怒りを覚えているわけでは無いが…それでも状況が状況だ。
「…とりあえず、アマデトワールまで送る。ケイトに突き出しゃあの組織の連中も手出しは…」
「っ!アマデトワールはダメよ!まだライブツアーが残ってる!」
「はぁ?」
ふと、アマルトが口にしたアマデトワールへ帰る…と言う意見を否定するのはプリシーラだった。それはダメだ、まだライブが残ってる、私はそちらに向かいたいと…。
だが…そんなもの許容出来ようはずもない。
「お前、状況分かってるか?敵の規模見ただろう、街一つ襲撃されてんだぞ。次の街に行けばその街も襲われる。ライブどころじゃないし…もしかしたら次は本当に攫われるかもしれねぇんだぞ」
「そんなの…分かってるけど…」
アマルトの言葉は至極真っ当かつ常識的な意見だ。もう此の期に及んでライブに掛けた費用がとか冒険者協会の信用がとか言ってられる状況じゃない。敵の規模は我々の想像を絶するほど大きく想像を絶するほどに形振り構っていなかった。
あれはもう誘拐組織じゃない、イかれた賊だ。そいつらが狙うプリシーラを連れて次の街に向かうくらいなら安全なアマデトワールに連れて行って…それから悪魔の見えざる手に対処するべきだ。
そんな事、プリシーラも分かっているのか拳を握り…。
「っ…あ」
そして、見る…己の手についた血。自分の為にエリスが流した血がべっとりとついた手。自分が流させた血…それを見たプリシーラは瞳孔を震わせ呼吸を荒く吐きながらフラリと尻餅をついてしまう。
「……っ」
アマルトも『それはお前がエリスに流させた血なんだよ!よく見やがれ!』と言いたかったようだが、流石の彼も今のプリシーラにそこまで追い討ちをかけられるほど意地悪な男ではないようだ。
「…とにかく行き先はアマデトワール、文句はねえな」
「…………」
「んじゃ、ラグナに…」
そう御者を務めるラグナの元へアマルトが向かおうとした瞬間だった。ヌルリと足元から伸びた手がアマルトの足をがっしり掴み。
「うぉっ!?」
「ま、待ってください、アマルトさん…」
「エリス!?気がついたのか!」
エリスだ、デティから治癒を受け未だに冷や汗を流しながら苦しそうに喘ぐエリスはアマルトの足に必死に縋り付く。まだ完全に傷は塞がってないだろうに。
「ちょっとエリスちゃん!動かないで!」
「アマルトさん、待ってください。アマデトワールには向かわないでください」
「…さっきの話、聞いてたのか?」
「はい、聞いてました…。お願いします、プリシーラさんにライブをさせてくだ…ぐぶっ!」
口元から血を流し蹲るエリスを見てアマルトは顔を青くする。エリスがなぜそれだけ本気なのか…問題はここじゃない、問題はエリスがそれだけ本気である事実だ。傷を厭わず動き目的を完全に見据えているエリスを止めるのは…困難だ。
「おいっ!無茶するなって!」
「頼みます、頼みます、プリシーラさんから舞台を奪わないであげて、彼女に踊らせて、彼女歌わせてあげてください」
「わかった!わかったから!おいネレイド!頼むからエリスを大人しくさせてくれ」
「ん、わかった。エリス…無茶ダメ。デティがすごい顔してる」
「ンフー!ンフー!動いたらダメって言ってんじゃん!!後遺症残るよ!!」
「ご、ごめんなさい」
「…………」
一連の流れを見たメルクリウスは、参ったなとばかりに額に手を当てる。私自身プリシーラをアマデトワール送ることには賛成だった。だがそこにエリスの鶴の一声だ…。
エリスが言ったら言うことを聞かなきゃいけない…と言うことはない。だが彼女は意味もなく無茶を通そうとするタイプではない。そこにはキチンと合理がある…つまり我々にはプリシーラのツアーを最後まで敢行する理由があると言うことでもある。
(いきなり、大した仕事を受けてしまったな)
とにかく今はラグナも加えて弟子達で話し合いをしたい。今御者をしている彼が話し合いに混ざれるのは…取り敢えずの移動が終わってから、だな。
……………………………………………………
「ふむ、逃げられたデスか。厄介な魔術を使うです」
「すんません!ボス!アイツらすげぇ強くて…」
コンクルシオの街、開き切った正面門にてやや苛立った様子でステッキをつくデッドマンはエリス達が消えたであろう方向を見る。
馬車のタイヤ跡はコンクルシオの近辺に広がる森林の方へ真っ直ぐ進んでいる。見晴らしのいい丘の方を避けて走っていった辺りある程度は考えて動ける連中ということだろう。
「ふふふ、面白いデスね」
「あ、ボス。ごめんさっき冒険者に逃げられちゃった」
「あらぁ?みんなここに集まってどうしたのぉ?うふふふ」
「ァゥグゥンッ!もうこの街には私の筋肉を震えさせてくれる者はおらんようだぞ?」
「…しまらねえ伝説になっちまった」
たった五人でコンクルシオの街を一つ、壊滅状態へと追いやった悪魔の見えざる手…その幹部達が一堂に会する。
ガムを噛むチクル、勝利の舞を一人踊るラクス、フロントラットプレッドを決めるムスクルス、悔しそうにあご髭を撫でるロダキーノ。
元八大同盟にまで至った悪魔の見えざる手の五人の幹部。それが見据えるのはプリシーラを連れて消えたエリス達の残した痕跡。
彼らとてプロの人攫い屋、ターゲットに逃げられたからと言って諦めるような生半可な生き方はしていない。
それに、せっかく掴んだチャンスなんだ物にしないわけにはいかない。
「しかし、何者だったんだ?あの冒険者達…古式魔術を使ってたぞ」
チクルがやや訝しげに首を傾げる。古式魔術を使える人間など世の中には限られる…が、その限られた人間の中に冒険者になりそうなのは一人としていない。
「簡単なことデス、彼女達は魔女の弟子なのデス」
「魔女の弟子?プリシーラの護衛は全員ケイトの手の者だろ?なんで魔女の弟子がケイトと繋がってんだよ」
「ハゥァッンッ!?まさか!まさかまさか!奴等は裏で繋がっていたと言うことか!?もしそうなら世界がひっくり返るぞっ!?」
「落ち着くデス、まだそうと決まったわけじゃないデス。…でもケイトが魔女の弟子を動かしたと言うことは、つまりそう言うことデス」
「ケイト直属の配下は動かない…ってことか」
ケイトには直属の配下がいる。うち自由に動かせるのは五人程度、残りは各地で使命に殉じて居る。そして『依頼主』の話ではその自由に動ける者のうち三人は今別件で動いて居るから対応出来ない。
残る二人…特に使命を持たない『第三』と『第六』。警戒していたのはこの二人だったが…まさか別のカードを切ってくるとはデッドマンも予想外だった。
まぁ、今自由に動ける直属の配下はどれも表向きには冒険者ではないからこいつらを動かした時点でケイトは退路を失い裸になるから、迂闊に動かすわけには行かないのだろう。
「アハハハハハ、まぁでもいいじゃない!ケイトの直属の配下達に比べれば彼ら随分弱かったわ。あれなら私達でもどうにかなりそうじゃないの舞!」
「ンムゥハァンッ!確かに!ケイトの尖兵が顔を出したらどのようにして逃げるかそればかり考えて私の筋肉もプルプル震えていたが、あれなら確かになんとかなりそうだ!」
「まだ油断しちゃダメデスよ。このままプリシーラに逃げられても事デス…だから追いますデスよ」
するとデッドマンは近くに咲く桃色の花を指で摘み一輪摘み取り、その匂いを嗅いで薄暗く微笑む。
「何が何でも、プリシーラは手に入れる…絶対諦めないからな。エリス…」
悪魔の見えざる手…その魔の手は未だ伸び続ける。その先に掴み取るのは、栄華以外ありえないのだ。
彼を見返すため、デッドマンは動き出す。