表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
396/835

354.魔女の弟子と最初の街フーミス


エリスと師匠はかつて帝国から渡されたあの馬車と再会し、新たに始まったマレウスでの旅路に出ることとなった。


しかし、ここで問題なのがあの馬車には馬が繋がれていない事。すごく当たり前のことを言うと馬車って実は馬が繋がれていないと走らないんですよ。つまり今のこの馬車はただ車輪が付いているだけの箱でしかない。


なら師匠はどう動かしてた?師匠にはそう言うの関係ないんだ。あの人は古式魔術で馬を作り出してそれに引かせていた。


なら同じことをすればいいって思うが、出来るわけがない。一応エリスも師匠と同じく動物を作り出す魔術は使えるが。師匠みたいに四六時中出せるわけじゃないし、ましてやこの重たい馬車を引かせられるほどの馬力は出せない。あれは師匠が尋常じゃない魔術の使い手だから可能だった事。


ならどうすればいいか。


そう悩んでいると…。


『何?馬がいない?なら俺にいい考えがあるぜ!え?不安?んなこたぁないって大丈夫大丈夫』


そう、アマルトさんが言ったんだ…その瞬間、エリスは本当に本当に嫌な予感がしたんですよ。本当にね。


…………………………………………………………


「わぁ〜!すごーい!草原を泳いでるみたーい!!」


風に薙ぐ草原の海を駆け抜ける馬車、そこから顔を覗かせてデティはキラキラと目を輝かせる。外出は疎かこんな風に旅に出ること自体稀有なデティにとってはこんななんでもない光景ですら絶景に見える。


「デティ様、あんまり身を乗り出すと危のうございます」


「大丈夫だよー!落ちないよー!」


「落ちる人はみんなそう言って落ちていきます」


「あぅー」


走り出した馬車から身を乗り出すデティをメグは馬車の中に引きずり込む。もし落ちたりしたら大変だからね。


そうやって引き摺り込まれた馬車、見かけよりも一回り大きくなるよう空間拡張にて広げられた室内の中、弟子達は地べたに座り込む。


「そう言えばデティはオライオンでの旅路には参加していなかったな」


「あはは…あの時は大変でしたねぇ」


「も〜、私が居ない時の話しないでよ〜」


馬車の中は大きく広がっている。とはいえ以前エリスとレグルスが二人で使っていた時とは根本的に話が違う。何せ今は弟子達が複数人で乗っているんだ。中にはラグナやアマルトのような体格のいい男やネレイドみたいな規格外なのも乗っているため…少々手狭に感じてしまう。


「デティ、私の膝…乗る?」


「わーい!乗るー!」


「うん、私おっきくて場所取ってるから…」


「気にしなくていいよ〜!ネレイドさんふわふわだもん!」


なんて他愛ない会話しながらも弟子達は馬車に乗りながら取り敢えずくつろぐように身を寄せ合って馬車に揺られる。


……そうだ、馬車は動いているんだ。馬が居ないにも関わらず馬車は動いている。なんでかって?そんなの決まってる。


「でも、よかったのかな…これで」


ラグナがやや申し訳なさそうに視線を馬車の先。ラグナが握る手綱の先に目を向ける…すると、そこには。


「ヒヒーン!」


「ブルル!」


そこには、二頭の馬が居るのだ。さっきまで居なかったはずの馬が二頭も…一体どこから湧いたのか、その疑問に答えるようにアマルトさんはニタリと笑い。


「いーんだよ、じゃんけん負けたんだから仕方ねーし?なぁ?エリス?ナリア」


「ヒヒーン!(覚えておいてくださいよアマルトさん!この借りは絶対返しますからね!)」


「ブルル!(わー!僕すごーい!足早ーい!スイスイ進めるー!)」


そう嘶く金色の馬と紫毛の馬。そう…この馬はアマルトの呪術によって姿を変えたエリスとナリアなのだ。


というのも、…いい考えがあると口を開いたアマルトさんが出した案は。


『俺の呪術でこの中の二人を馬に変えるから、そいつらに取り敢えず次の街まで馬車を引いて貰おう!というわけで誰が馬になるかじゃんけんで決めようぜ!』


そう言い出したのだ、当然エリスは言いましたよ。


『絶対エリス負けるから嫌です!』ってね。こういう勝負事ではエリスは絶対負ける、しかしそれ以外の案があるわけでもないので結局押し切られ…八人でじゃんけんをやってなんとグーを出したエリス以外全員パー…。初手で負けるという凄まじくも案の定な結果を残しこうなった。


次に負けたのはデティだったのだが…、デティを馬に変えたところとてもじゃないが馬車を引けるような馬ではなく、豆みたいなポニーに変わってしまったのでデティは除外。


次に負けたナリアさんを馬に変え、馬になったエリスとナリアさんでこうやって馬車を引いているんですが…。屈辱…!悔しい…!。


「なんか嘶いてるけど、もしかしてエリスとナリア…怒ってるのか?」


「エリスはな、ナリアは楽しんでるよ」


「そうか、悪いなエリス?次の街でちゃんと馬車馬を確保するからそれまで勘弁してくれ」


な?とラグナが優しく手綱を握る感覚が伝わってくる、彼の優しさが、エリスに染み渡る。


「ヒヒィーン!(ラグナ!ラグナ!ご主人様!馬車引く!引く!)」


「お?なんか気合入ってるな。なぁアマルト!エリスはなんて言ってるんだ?」


「あー…、まぁ…頑張るってよ」


頭の中まで馬になっているエリスにやや苦笑いするアマルトはちょっとだけ罪悪感を覚えてやや目を背ける。動物になるとその本能に意識が引っ張られるのだ、かつてアマルトがシリウスに乗っ取られかけた時のように。


元に戻れば多少は引くが、…絶対エリスこの事根に持つよなぁ…。


「しかし今はこれで急場凌ぎをするからいいとして、馬車馬を買うとなるとそれなりの街に向かう必要があるが…我々は今どこに向かっているんだ?」


「ああ、ルートはメグが決めてくれてるよ、な?メグ」


「はい、こちらにて現在地点を確認致しました…今我等はマレウスの西端のチクシュルーブ領のコールサック平原にいるようでございます」


コールサック平原、やや都市部からは離れているもののなだらかな地が続く土地であり、場所によって環境が大きく変わるマレウスの中では比較的過ごしやすい区画となっている。


メグは狭い場所の中でマレウス地図を広げて西端の地点を指差す、するとそこには緑一面の区画が描かれており、現在地点である事がよく分かる。


恐らく地図から見て最もわかりやすい地点としてカノープス様はここを選んだのだろう。


「ふーん、それで?ここから一番近い街はどこよ」


「ここから一番近く、かつ発展している街となると…煙の街フーミスでございますね」


「そこで馬買えるのか?」


「それは行ってみないとなんとも」


煙の街フーミス、それはコールサック平原に存在する村々や街々の中で最も大きく発展した街とも言えるだろう。


地図を覗き込むアマルトはちょっとだけ訝しげに首をひねりつつも、まあ目的地があるならそれでいいかと再びその場にねっ転がる。


「ヒヒーン!(フーミスならエリスも行ったことあります!そこそこに発展してるので馬も売ってるかと!)」


「アマルト、通訳頼む」


「俺だけしかエリスの言葉が分からないのはちょっと面倒だな…。えっと、フーミスなら馬も売ってるかもってさ」


呪術で動物に変えた人間の言葉は術者にしか伝わらない、恐らくこの場で最もマレウスに詳しいであろうエリスを馬にしてしまったのはちょっと間違いだったかなと今頃になってアマルトはため息を吐く。


「馬車馬ならなんでもいいってわけじゃない、俺達は三年間の移動をそいつらに任せるわけだし、出来ればしっかりした馬を買い付けたいな」


「うん…そうだね、出来るならちゃんと正規の案内所で馬を買っておきたいね。劣悪な馬を買ったらそれだけ時間のロスになるし」


「ああ、だからフーミスで馬買って…そこから、どうすっかなぁ」


ラグナは頭を悩ませる、目的は判然とはしているもののそこに至るまでの過程がすっぽ抜けている。何かプランがあるわけではないし何かアテがこの国にあるわけでもない。


チラリと視線を馬車の中に向ければぎゅうぎゅう詰めになったネレイドさんが身を縮こまらせながらメグが広げる地図を見ている。…一応この場で行軍経験があるのは俺とネレイドさんだけ、旅の経験があるエリスとナリアは今馬になっちまって口が利けない。


(この状態じゃプランもクソもないな、ともかく今は落ち着ける場所と情報が欲しい…マレフィカルムやマレウスそのものの情報が)


後は旅をしていく上での規律や各々が取り組む仕事のルーティン、決めなきゃいけない事は山ほどある。


なんだか地に足がついてないような感覚がして落ち着かないな。取り敢えず深く考えるのはフーミスの街についてからにするか。


「ヒヒーン!」


「んぁ?どうした?エリス」


ふと、エリスが嘶いてるのを感じアマルトに通訳を頼む…すると。何やらアマルトが怪訝そうな顔をしてムクリと起き上がり。


「どうした?」


「エリスが言ってる、近くに魔獣が居るって」


「魔獣?」


そう言えばマレウスには魔獣が出るんだったな、アルクカースほどじゃないにせよこの国は魔獣天国だ、魔女様の加護がないから魔獣ものびのび自生出来るんだった。


それに、最近マレウスの魔獣は増加傾向にあり冒険者も仕事に困ってないとか……。


…ふむ、冒険者か。


「どの辺にいるか分かるか?」


「待ってろ、…あそこだ!」


アマルトが指差すのは側面。小さな林とも取れるような木々の生い茂るその中から飛び出してくる一匹の魔獣。


森に擬態するような緑と茶色の体色をした巨大な蜘蛛。あれはエダークスアラネアか!


「ぐげぇっー!何あのでっかい蜘蛛ぉっー!?キモォー!!!」


「落ち着けデティ!チッ、早速どデカイ魔獣が出たな!」


「というかあの蜘蛛…こっちに向かって猛ダッシュしてません?」


メグの指摘通り、森から這い出たエダークスアラネアは猛然と俺たちに向かって走ってきている。狙いは俺達…いや馬か!?あのクソ蜘蛛ぉ!エリスとナリアの事食おうと狙ってやがんのか!?


「やべぇ!エリス達狙われてる!ラグナ!」


「分かってる!メルクさん!迎撃頼む!」


「ああ!任せろ!ちょっと退いてくれ!」


人でごった返した馬車の中を無理矢理歩いて外に出ようとするメルクさん、今俺が手綱を放つわけにはいかない…というのも、エリスとナリアが異様に興奮してるんだ。いつもならもっと落ち着いてられるだろうが…馬になって本能に引っ張られてるのかもしれない。


そんな荒れ狂うエリスとナリアを抑えるのに手一杯の俺は手綱を強く引き。


「落ち着け!二人とも!」


「ヒンッ!」


「ブルルッ!?」


手綱の制御によって我に帰った二人は咄嗟にスピードを落とす…と当然馬車も急激に速度が落ちるわけで、慣性の法則により俺達はぐんっと前に引っ張られる。


「よし!やっと出れた!後は私が…」


「おっと」


そして、引っ張られた拍子に一番バランスを崩しやすいのは馬車の奥で無理矢理体を折り畳んで座っていたネレイドさんなわけで、彼女はまるで玉が転がるようにゴロゴロと前面に向けて転がり…魔獣を迎撃しようとしたメルクさんを押し潰す。


「ぐぇっ!?」


「…あ!!メルクさん潰しちゃった!」


「え!?」


ギョッとして振り向けばそこにはネレイドに潰されてペラペラになって地面にへばりついているメルクさんの姿が!やべぇ!あれ意識無い感じだ!迎撃要員が…!


「ギギギギィィイイイ!!」


「ラグナ!蜘蛛が来る!」


「分かってる!エリス!ナリア!悪い!飛ばしてくれ!」


メルクさんがダメになった以上体制を整える時間が必要だ、もう一度二人に鞭を入れ馬車を加速させるが、迫るエダークスアラネアは槍のような八本の足を全力で動かしこちらに迫る。


あの程度の魔獣、本来なら訳もねぇのに!


「デティ!メルクさん大丈夫そうか!」


「ダメ!完全に気絶してる!」


「キュ〜…」


「ごめん…私大きいから……」


メルクさんは完全に目を回して気絶してしまっている。気絶は治癒じゃ直せない…となるとこの中で一番遠距離攻撃が得意なメルクさんが使えなくなっちまったということで、その次に得意なエリスは今馬…。


じゃあ…。


「メグさん!」


「かしこまりました!」


スルリと人の間を縫って馬車の外に出てそのまま屋根に移るメグさんはそのまま時界門を展開し、その内側から巨大なボウガンを取り出す。


「メグセレクションNo.73『遠距離攻城魔装ビックバンボウガン』!!」


魔力により起動する大弩を動かし、人の足ほどある巨大な矢をエダークスアラネア目掛け連射する…しかし。


効いてる空気はないな、エダークスアラネアの甲殻は剣をも弾き返す。唯一柔らかい腹部は自身の体の後ろに隠しており頑丈な体で矢を受けダメージを減らしてるんだ。あいつ魔獣の癖して小賢しいぞ!


「ラグナ様!ダメです!止められません!もっとスピードを上げられますか!?もっと距離が開けば強力な魔装も使えるのですが…」


「これ以上やったらエリス達が壊れる!…、こうなったら。ネレイドさん!手綱任せた!」


「え?あ…うん」


手綱をネレイドさんに手渡し、高速で走る馬車から咄嗟に飛び降りる。仕方ない、こうなったらこの手で終わらせてやる!


「間怠っこしい事抜きだ!来いや!虫ケラがぁっ!」


「ギギキィ!!」


馬車から転げ落ちた俺を狙ってエダークスアラネアが鋭い脚を振るう、本命はお前じゃなくて馬の方だよ!と言いたげなそれで俺を足蹴にしようとするが…遅えなぁ。


「オラァッ!」


「ギィッ!?」


逆に手で打ち据え弾き返せば、エダークスアラネアの足が体を離れて飛んでいく。剣をも弾き返す甲殻?んなもん俺からすりゃあスナック菓子も同然だよ!!


「喧嘩売る相手間違えたなッッ!!」


「グギュッ!?」


そのまま突っ込んでくるエダークスアラネアの顔面に拳を突き刺し、そのまま体の中に魔力防壁を作り出し内側から膨張させエダークスアラネアの体を風船のように膨らませ破裂させる。


師範から教わった魔力防壁術と武術を掛け合わせた一撃、それは魔獣の体ごとき紙のように切り裂きそいつの命ごとこの一連の騒動を終わらせる。


「チッ、体液で服が汚れた…」


「ラグナ様〜!大丈夫か〜?」


「ん?ああ、全然大丈夫」


ペッペッと蜘蛛の体液を払っているうちにネレイドさんが操る馬車がこっちに向かってくる。まぁこのくらいの魔獣なら本来ならなんて事ないんだが…苦戦したな。いや苦戦してしまったと言うべきか。


「悪いなネレイドさん」


「ううん、元はと言えば私がメルクさん潰しちゃったから」


「それを言い出したら俺も馬車をうまく操れなかったって話になるしさ、しかし…」


馬車から顔を覗かせるメンバーを見ていると思う。もし次の街で馬車馬を買えたとして…そうなるとこの中にさらにエリスとナリアも加わることになる。いくら内部の空間を拡張していたとしても流石にこの中に八人全員が入るには馬車が狭いな。


そしてこの中に全員詰めているとさっきみたいにいざという時に咄嗟の行動が遅くなる。今回の戦闘の反省点はそこだな。


「次の街に到着するまでに、何か対策を考えないとな」


「でございますね、次の街に着くまでは私が馬車の屋根に乗って魔獣の迎撃を行いますね」


「ああ、頼むよ…っと」


馬車に乗り込みネレイドさんから手綱を受け取り席に着く。馬車の中を確認すればまだメルクさんは目を覚ましている様子はないし…うーん。


考えることが多そうだ、早いとこフーミスに到着して落ち着いて考えられる状況を整えちまおうか。


…………………………………………………………


それから、一時間程馬車を走らせ続けようやく見えてきた煙の街フーミスの郊外に馬車を止め、全員がともかく一息つく。


道中何度か魔獣に襲われ、その都度すったもんだを繰り返しつつもなんとかここまで来ることが出来た。…とはいえ、本来なら苦戦するはずもない奴等を相手にここまで振り回されるとは。


旅とはただ強ければ切り抜けられるわけじゃない、要求される技能や要素は各人が思っているよりも多いことを知らしめられる結果となった。


こんな事を三年間も繰り返していたら、マレフィカルムを探すどころの騒ぎではなくなってしまう。目的を達成するためにもまず足元を固めておかねばなるまい。


「はぁー…ついたぁ」


「ようやく人間に戻れました…」


街に着いた事によりエリスとナリアさんはようやく人間に戻してもらえた、一時間もあんな重たい馬車を引きずり回しながら全力疾走していたと言うのに驚くほど疲労感がない。馬の身体能力ってのは凄いんですね。


「お疲れ、エリス」


「あはは、ラグナ?エリス達を魔獣から守ってくれてありがとうございます」


「凄かったですよラグナさん、馬の扱いが上手いですね」


「いやいや、普通の馬よりも幾分も聞き分けが良くて寧ろやりやすかったよ」


お疲れと労ってくれるラグナに思わず胸が騒ぐ、ラグナに手綱を握られ自分の全てを支配される感覚が今も残っている。彼の為ならどこまででも走りたくて走りたくて堪らなくなる感覚…癖になりそうだ。


「いぇーい、お疲れ〜エリス〜、俺のナイスアイデアのおかげで街までたどり着けだろ?」


「フンッ!」


「ローキックはやめて!仕方ないじゃん!?あれしかなかったんだから!」


とは言うが屈辱は屈辱なのでアマルトさんにはローキックをかます。もう二度と馬はやりませんからね。


「まぁでも、アマルトさんのお陰で街までこれたのは確かですね」


「ここがフーミスの街?なんか…思ったよりもあれだね、汚いね」


「味がある、言うのだよこう言うのは」


目を覚ましたメルクさんと共にエリス達は辿り着いたフーミスの街を見る。そこには『煙の街』と異名の通り、赤煉瓦造りの家々から伸びる煙突からもうもうと煙が立つ様が目に入る。


この煙のおかげでエリス達は迷う事なくここまで来れたというのはあるが、それでもなんか…ちょっと入るのは気が引ける感じだ。街の中にも煙が充満しているし。


というか、エリス前にもこの街に来たことあるんだけど…こんな感じだったかな。前来た時は『煙の街』なんて呼ばれ方もしてなかった…普通の街だったのに。


「昔はもうちょっと落ち着いた街だったと思うんですけど」


「知らないのか?エリス、マレウスはな…ここ数年で爆発的な産業革命を迎え各地の街々が急速に発展しつつあるのだ」


「え?そうなんですか?」


「ああ、キッカケは国王バシレウス・ネビュラマキュラが玉座に座ってからだな。彼は宰相レナトゥスにこの国の全権を委任し改革を任せたんだ、そして全権を譲渡されたレナトゥスはこの国の根底から作り変えより強いマレウスを生み出す事に尽力したんだ」


メルクさんが語るに、マレウスはエリスが旅をしていた時とは違い凄まじい勢いで技術革新や地方改革が進んでいるようで国のシステムそのものも作り変えられてしまっているらしい。


元々政治的な辣腕と剛腕を持ち合わせるレナトゥスの政治的センスは凄まじいものだった、あっという間にマレウスは各地で飛躍的な進化を迎え、その街一つ一つに特色が生まれていった。


その例がこのフーミス。フーミスは国内の『煙草産業』を一手に引き受け莫大な利益を生み出し、町全体で煙草を製造し街人も殆どが喫煙者という凄まじい街に生まれ変わってしまった。


こんな感じで、各地の街々は個性とも言える特色を得ているのだという。


「元々マレウスは行き場のなくなった非魔女国家を街として受け入れている国だ、このフーミスも元々タバコが名産だった非魔女国家だしな。言ってみればこの街一つが一つの国とも言えるのだ」


「なるほど、街一つが国単位で違う…ってわけですね」


「ああ、だからきっと他の街もその街特有の価値観を持ち合わせている。それに合わせるのは大変だろうが…まぁ君なら大丈夫だろ?なんせ癖の強い魔女大国を全て渡り歩いてきたんだから」


「まぁ、そうですね…よし、じゃあ馬を買い付けに行きますか?」


ともかく今の目的である馬を買わなければ話は進まない、このまま三年間エリスがこの馬車を引いて回るのは嫌だしね。


「そうだな、よし…では支払いは私がするから私も買い付けに同行するとして、馬の目利きが出来る者は?」


「じゃあそれは俺がするよ、軍馬にはなるけど馬を見る目はあるはずだ」


「では街の案内はエリスがしますね、街の感じが変わっても構造はそこまで変わってないはずですから」


「よし、じゃあ他の者は…」


馬を買いに行くのはエリスとラグナとメルクさんの三人だ。態々馬を買いに行くのに八人でゾロゾロと行く必要はないだろう、それに馬車の見張りも必要だしね。


「じゃー私達はお留守番してるね、なんかあの街臭いし…立ち寄りたくない」


「僕達は馬車の中で荷物を整えてますね、移動中は色々あって出来ませんでしたし」


「ん、では頼んだぞ」


残りの五人はお留守番か、きっとこれからの街でも外に出る時は馬車に留守番を立てて行動することになるだろう。


取り敢えず留守番組に一旦馬車を任せて、エリス達三人で煙が漂うフーミスの街に向かう、そのためにエリスは一旦腰を下ろして前屈みになり。


「じゃあ行きましょうか」


「…え?何?エリス、そのポーズは」


「へ?」


ラグナとメルクさんが不思議そうに見てくる、前屈みになり腰を下ろすポーズのエリスをなんだか不思議そうな目で。なんだろう…おかしな事してるかな?


「いや、街に行くんならエリスに乗ってください、乗せていくん…で……ハッ!?」


「ぶふっ、お前いつまで馬のつもりなんだよ」


アマルトさんに笑われる、そうだ…エリス今人なんだった…!


これだ、これがあるんだ動物に変身する呪術ってのは。動物に変身すると変身を解除しても動物の感覚や本能が抜けないのだ。だからほら…見てください、ナリアさんを。


「んぁー…」


「ちょっ!?ナリア様!?何しようとしてるんですか!?」


「何って、お腹空いたのでご飯です」


「それ雑草でございます!」


「あ!?そうだった!」


ぶちぶちと地面の草を抜いてもしゃもしゃ食べようとしている。エリスも昔ネズミに変えられた時は何故か無性にチーズが美味しかったですし、オライオンで犬に変えられた時は…こう、木を見ると…マーキングとかしたくなりましたし。


もう!これがあるから動物になるのは嫌なんですよ!


「…フンッ!」


「だからローはやめてって!」


取り敢えず恥ずかしかったのでもう一発アマルトさんに蹴りを入れて誤魔化すように早足でフーミスに向かう。もう!ラグナに恥ずかしいところ見られたじゃないですか!


…………………………………………………………


ともあれマレウスに着いてから初めての街だ。前も言った気がするがその国を訪れてから最初に訪問する街というのは重要だ。その国の空気感や価値観をなんとなく肌で感じ取って『ああ、この国ではこれが普通なんだ』と肝に銘じておけば要らない軋轢を産まずに済む。


そういう意味では別に初めてきた街ではないがこの煙の街フーミスはエリス達の旅における最初の街と言えるだろう。


以前来た時は蓮臥が綺麗なだけの街でしかなかったが。…今は違う、今この街は宰相レナトゥスの施策により生まれ変わってしまった。いや…元々のフーミスの形に戻ったというべきか。


マレウスという国は他の非魔女国家の難民受け入れを積極的に行なっており、この街に流れ着いた者達は亡国の面影をこの国に投影しているんだ。つまりこの街も元は非魔女国家フーミスという呼ばれ方をしていた。


だが国家運営が上手くいかず国政が破産。二進も三進も行かなくなって最後の手段として王都ごとマレウスにお引越し、マレウスの一部となることでなんとかフーミスという名前を残すことが出来たというわけだ。


だからこの街の町長も元はフーミス王族。ここに住んでいるのも元はフーミス国民。ということになるわけで……。


「うっ!くさっ!」


エリスの思考を遮るように鼻に突き刺さる激臭に思わず鼻を摘む。今しがたフーミスの街にラグナ達と踏み込み煙の中に入った瞬間これだ。…凄い街だな、こんな匂いの中生きてるのか?


ってかこの匂い、どっかで嗅いだことがあるんだよなぁ…リーシャさんのタバコとは違うし、ヘットは葉巻だからもっと匂いは甘ったるいし、ん〜?どこで嗅いだんだこの匂い。


「確かに凄い匂いだな…、こりゃタバコの煙か?」


「街に充満してる煙全部ですか!?体に悪そうですね」


ラグナは街の煙の匂いを嗅いでやや眉を顰める。確かにこの匂いは煙草の匂いだ、この視界をやんわりと覆う白い煙全部が煙草の煙だと思うと…うぅ、気分が悪くなってきた。


「煙の街フーミスは元々煙草をディオスクロア文明圏に煙草の文化を広めた国でもあるんだ」


そんな中メルクさんは平気そうな顔で煙を引き裂いて歩いていく。よく見れば街の住民と思われる人達も特に気にしている様子はない。


っていうか、煙草を広めたのってフーミス由来なんだ。知らなかったな。リーシャさんが帝国製の煙草を吸ってたからてっきり帝国のものかと思いましたよ。


「フーミス由来のものなんですか?」


「正確に言うなら外文明のパイプをモチーフとしてフーミスが作り直した紙巻煙草がこの国の由来だな。葉巻やパイプと違って火さえあれば楽しめるということで五十年程前はディオスクロア中で大ヒットしたらしい」


「へぇー、知りませんでした」


「アルクカースでも昔は流行ったらしいぜ、出来る男のマストアイテムってな」


なんじゃそりゃ…。


「お陰でフーミスは一時はデルセクトに迫ろうかと言えるほどの権勢を手に入れたとも聞く」


「そんなに儲けたのに、最後は破産ですか?」


「ああ、魔女大国がもっといい煙草を作ったからな。フーミス製の煙草は一気に売れなくなって大量の在庫を抱えて破産だ」


「えぇ…」


まぁ、そういう開発競争では絶対に魔女大国に勝てないからな。いいものを作ってもそのアイデアを魔女大国が真似すればもっといいものを爆発的な勢いで他国に売りつけられるラインを持つんだから、小国では相手になるまい。


恐らくそれで生まれたのがリーシャさんの吸ってた帝国製煙草だろう。…っていうかそれ、フーミスが滅んだ遠因って魔女大国じゃないですか。気まず…。


「だから一時は作るのをやめていたそうだが、レナトゥスより命じられ再び生産を始め、今はマレウス国内で取り扱われているらしい」


「マレウス国内で経済を回しているんだ、この国はマーキュリーズ・ギルドと取引してないからな。だからこの国じゃメルクさんの権威もあんまり通じないってことだ、覚えといてくれエリス」


これそういう話だったの?まぁマレウスでメルクさんの権威をアテにしようとは思ってない。いやメルクさんが頼りないって話ではなく、純粋にそういうのを頼りにして進むと本来は関わる必要のない面倒ごとを呼び寄せる可能性があるからだ。


権力とは人のいないところには発生しない。そして人が多く集まる所には面倒ごとも山ほど転がっているもんだからね。権力を使えばそれを掘り起こす可能性もあるんだ。


「…………」


しかし臭いなぁこの街、こんな街で育った馬が走るとは思えないぞ。こりゃこの街に立ち寄ったのは失敗だったかもな、ほらラグナもなんか薄々不安そうな顔してるし。


……ん?


「……あ」


「お?どうした?エリス」


「なんだ?何かあったのか?」


ふと、エリスが立ち止まり何かを凝視するのを見てラグナとメルクさんも足を止める。みんなから注目されているのは分かってるけど…あれから目が離せない。


エリスの視線の先にあるのは、煙の中にある八百屋…の戸棚に置かれている。


「人参…」


人参だ、なんか今あれが無性に食べたい…。


「エリス、欲しいのか?」


「馬気分が抜けないか?」


「ハッ!?い!いやいや!?別に欲しいとは言ってなくないですか!?」


「無理すんなってぇ〜」


「ぐぅっ…」


くそくそ!また恥ずかしいところを見られた〜!!でもしょうがないじゃん!ラグナもメルクさんも馬になってみれば分かりますよ!


「ちょっと、そこ行くお嬢ちゃん達…」


「え?」


「あ?」


「ん?」


ふと、道端ではしゃいでいるエリス達に向けて、煙の奥から声がする。しぱしぱする目を擦ってよーく目を凝らしてみると…何かいる。


「あんた達旅人だね…、おひとつどうだい?買っていかないかい?フーミスのタバコ」


「は?タバコ?」


煙の奥にいたのは黒いローブを羽織った老婆だった、皺くちゃの老婆はローブの中から綺麗に装飾された木の小箱を取り出しエリス達に勧めてみせる。煙草を一つどうだ…と、つまり彼女はこのフーミスの街のタバコ商人…といった所だろう。


「飲めば極楽、楽しいよ」


「悪いが煙草を嗜む趣味はないんだ、それにこの街には煙草を買いに来たわけではない」


「そうなのかい?この街にゃこのくらいしかないけどねぇ」


「…………」


一つ気になることがある、さっきも言ったがこの街の煙草の煙。これ何処かで嗅いだことがあるんだ。でもエリスの友達に紙巻煙草を吸う人はリーシャさんとフリードリヒさんしかいない。


しかし二人は帝国製煙草しか吸わないし、だとしたら何処でこの匂いを嗅いだのか…思い出せないのがちょっと悔しいのだ。


だから。


「おばあさん、一つ貸してもらえませんか?」


「ああいいよぉ」


「な!?エリス!?お前煙草飲むのか?」


「違いますよ」


装飾を取り外し小箱を開ければ中には綺麗に整った煙草が二十本程。それを一本だけ取り出して口に咥え…るのではなく、葉の方を鼻に近づけ。


「スンスン…」


「変わった楽しみ方だねぇ」


匂いを嗅ぐ、煙草の大元たる部分の匂いを…そしてそこから感じる匂いと類似する物をエリスの記憶の中から引きずり出す。


やはり嗅いだことがある匂い、それもあまり良い思い出のある匂いじゃない…確か、これは、そう…これを嗅いだのは随分前…。


あ、まさかこれって…。


「ッ!?」


匂いの正体に気がつき思わず掴んだ煙草を地面に落としてしまう。それほどの衝撃を与えるにたる物が見つかった…思い出せた、そうだ。この煙草から感じる匂い…これは一度嗅いだことがある。


「どうした?エリス」


「…メルクさん、耳貸してください」


「ん?」


この煙草から感じた匂い、極々少量で一発では気がつかなかったが間違いない。エリスが感じた違和感の正体は恐らく…。故にエリスはこれを一番を伝えるべきと判断したメルクさんに耳打ちをする。


「メルクさんの、この煙草…極々少量ではありますが、中にカエルムが混ざってます」


「なにっ!?本当か!?エリス!!」


コクコクと頷けばメルクさんは咄嗟にハンカチで口元を覆う。それを見たラグナも首を傾げつつもハンカチを口元に当てる。


そうだ、この煙草から感じた匂いの正体はカエルム…デルセクトで溢れていた最悪の麻薬。強い快楽を生み出す代わりにそれ以上の中毒性を齎す副作用がある地獄の薬。エリスが知る中で最もヤバい代物が少量ながらもこのタバコには入っているんだ。


思えばカエルムも火で炙って煙を吸引するタイプの薬品だった、ならタバコにだって混ぜられる。


「おや、どうしたんだい」


「どうしたもこうしたも!この煙草の中に…その、あまり表沙汰には出来ない物が入っているんじゃないか?」


メルクさんが険しい視線で老婆に詰め寄る。メルクさんはあれからずっとカエルム中毒者の治療に専念して最近になってようやく完治の目処が立ったほどカエルムは恐ろしい薬なんだ。


カエルムに国をめちゃくちゃににされた経験から、メルクさんは必死になって問い詰めるんだ。だがその必死さは老婆には伝わらなかったのか、彼女はへらへらと笑い。


「あ〜…入ってるねぇ、なんか他国じゃ禁じられてる物質だとか」


「この国じゃカエルムは違法じゃないと!?というかこんなもの一体どこから仕入れた!」


「そう言われてもねえ、私達はただ作ってるだけだし材料の仕入れはどうなってるかなんて分からないよ。それにこれはマレウス王宮御用達の品だしねぇ」


「王宮御用達だと…、マレウスは合法的にカエルムの含まれた煙草を公然と国内に売り捌いているのか!?」


「二年ほど前にレナトゥス様から渡されたレシピの通り、私達は煙草を作ってるだけさね。それ以外のことは知らんよ」


宰相レナトゥスが命じて、この煙草を作らせ国内に循環させていると?そんな事をすれば国中がとんでもないことになってしまうぞ。


そりゃ、エリスでも最初は分からないくらいの極少量ではあるものの、継続的に吸い続ければどうなるかは分からない、その危険性をレナトゥスが理解していないとは思えない。


だが本気でやってるんだとしたら、相当イかれてるぞ。


「買わないんなら返しとくれ」


「ああ、すみません…」


「全く、私に文句は言わないどくれ。文句があるなら理想卿様に言いな、話を聞いてくれればだがね」


「理想卿…?」


なんだそれ、初めて聞く名前だな。なんか凄いお気楽そうな名前だが…しかし残念ながらその事について聞く前に老婆は再び煙の奥へと消えていってしまう。


…カエルムが入った煙草、それを売りつけておきながらあの老婆には罪悪感というものを感じない。というより悪い事という認識がエリスと老婆でズレているような気がする…。


「いきなりとんでもない街に来てしまった…」


「いや、そいつは違うぜメルクさん」


「何?どういう意味だラグナ」


「……見てみろよ」


ラグナは鋭い視線で老婆が消えた煙の奥、街の大通りに対して目を向ける。追従するようにエリスとメルクさんもそれをよく見てみると…煙の隙間から、街の全容が見て取れる。


そこには…この街の住人と街の実態が映っていた。


「…………すぅー…はぁ」


「ぁー…気だるい」


「煙草なくなっちゃった」



「なんだこれは…」


街人達が皆大通りで煙草を吹かしている。エリスが知っている喫煙者達のそれとは随分違う、リーシャさんやフリードリヒさんはそれでも健全に喫煙を嗜んでいたと言えるだろう。だがこの街の人間はどうだ?


まるで依存だ、全員が全員口に物を咥えている…異様な状態だ、全員から生気も正気も感じないんだから。


「なんて街だ…」


「確かにここまでおかしい街はこのフーミスくらいかもな、だがこの国じゃこれが罷り通っちまうって事だ。だから正しくいうなら…『なんて国だ』だろ」


この街はエリス達の目から見ればおかしい、だがこの国ではこれが受け入れられている。街人全員が煙草を吹かしているような生気のない街はここだけかもしれないが、それでもこれを受け入れられてしまう程にはこの国は混沌としている…という事だ。


ある意味、マレウスという国を象徴するような場面を目にしてエリス達はしかと知る事となる。今からエリス達が旅をする街や村では…このレベルの異常性を目にすることは『当たり前』になる事を。


「いきなりドはずれ引いた気がしないでもないが、…どうする?この街で馬を探すか?」


「うう〜む、やめておいた方がいい気が私はするが…」


「一応、牧場だけでも見に行きませんか?もしかしたら牧場周りはこんなに煙は濃くないかもですし」


「そうだな…、一応確かめるだけ確かめてみるか?メルクさん」


「まぁ、エリスが言うなら」


「なら早い所行こう、あんまりこの街に長居するのは良くない気がする」


一応牧場だけでも確かめる。そのつもりでエリス達は煙の街を歩き出す。


大通りを歩けば亡者のような街人達と何度もすれ違い、そのうちの何人かはエリス達に煙草を勧めてくる。それを一々断ることもせず無視をして三人で街を切り裂くように進む。


この街は煙草を作り、それを売って金を作り、それで煙草を買い、煙草を吸って行きている街。あんまり気分のいい話ではない、だがだからと言って『煙草をやめろ!それは麻薬が入っている!』と言って止めることは出来ない。


アルクカースで戦うのをやめさせられなかったように、デルセクトでお金に執着するのを止められなかったように、エトワールで演劇をやめさせられないように、この街で煙草を吸うことをやめさせることは出来ない。


ただ、エリスと彼らは違うだけなんだ。


「ここが牧場か?」


「…多分」


結局貸し馬屋に到着はしたけど。一目でやってないことが分かる。柵は壊れてるし、雑草は生え放題だし、普通に煙も濃い何より…。


「やってる雰囲気は…ないよな、管理人っぽい人があれだし」


近くに建てられた小屋の中で煙草を吹かしている男性が窓の向こうに見える。彼はこちらに背を向け煙を吹いている…あれと商売は出来なさそうだなぁ。


「はぁ、こりゃまた誰かが馬車を引かねばなるまいな」


「え、エリスは嫌ですよ!」


「大丈夫、次は俺とネレイドが引くよ。俺とネレイドなら魔獣も踏み潰せるような馬になるだろうし」


ラグナとネレイドさんが馬に…か、たしかに凄まじい馬になりそうだ。


「…………」


しかし、フーミスの街の現状はこれなのか。前にも言ったがエリスは以前この街にチラッと立ち寄ったかことがあった、仕事の前に本当にチラッと。その時はまだ普通の街だったんだけど…国王が代わり宰相が力を持っただけで、街とはこんなにも変わってしまう物なのか。


エリスがここを訪れるのは五年振り以上だ、たったの五年と見るか五年も離れていたと見るかは人それぞれだが、きっと…この国にとっての五年は凄まじく重かったのかもしれないな。


「じゃ、みんなを待たせるのもあれだし、とっとと帰ろうぜ」


そう言いながら踵を返すラグナの背中を思わず目で追ってしまう。帰ろうぜって…。


「この街、このままでいいんですかね。出来ることとかってないんですか?」


「無いだろうな、俺達が全員でこの街のタバコ全部をを処分してもこの街が国内のタバコ生産を担っている以上この街の収入源はタバコだ、きっとその後も作られ続ける。危険性を今更問うたところでこの街にとっての命綱である以上フーミスは煙草を手放せない」


「そりゃそうかもですけど…」


「何とか出来るとしたら、この国の国王だけだ。そして、なんとかする責任があるのも…国王なんだ」


ラグナの言葉は重かった。それは自身の国に責任を持ち続けてきた彼だからこそ意味合いを持つ言葉なのだと感じたから。


冷たい言い方をするなら、エリス達はこの街を救うには時間が無さすぎる。そりゃ一朝一夕で解決できるならそれでいいかもだけど…この街の問題は根深すぎる。だから何とかするのはこの国の王族ネビュラマキュラ家だけなんだ。


「この先もずっとこんな感じなのかなぁ…」


「さぁな、でも今んところ何とかしなきゃいけないのは手前らの事情だよな。あの馬車じゃ八人が乗るにしては少し手狭だ」


「かと言ってあれより大きいサイズとなると旅に向かんぞ」


「それはそうなんだがなぁ、んー…なんか妙案が浮かぶないもんかな」


取り敢えずみんなと合流するため一旦街を出て、煙を避けて大きく迂回して馬車を止めた郊外へ向かう。うーん…やっぱり外の空気は美味しいね!なんて話をしていると。


見えてくる、エリス達が乗っていたあの馬車が…って。


「ん?何やってんだあれ」


馬車で待機している組が何やら馬車の外と中を行ったり来たりして作業している様が見える。何かあったのだろうか?ここからじゃよく見えないが…。


もし何かあったのだとしたら急いだ方がいいだろう。そんな空気が三人の間に流れエリス達は駆け出しみんなと合流を果たす。


「おーい、何してんだ?」


「ん?おうラグナ…って馬は?」


「売ってなかった」


「マジかよ、じゃあまたあれやんのか?」


馬車の前で何やら大きめの木箱にエリス達の荷物を纏めているアマルトさんは『まぁ別にいいけどさ』とヘラヘラ笑う。というか何やってるんだ?そんな大きな木箱なんて馬車の中にあったか?というかそれを馬車の中に入れたら他の人が入れなくなるんじゃ。


「で?そっちは何を?」


「ああ、メグがちょっとな…まぁ俺が説明することじゃ無いから中入ってみな」


「中?馬車の中か?」


「ああ、凄いぞ」


疑問符が浮かぶ、馬車の中に入ってみろ。その言葉に従いエリス達三人は他のみんなが居るであろう馬車の中を垂れ幕を退けて覗き込んでみると、そこには……。



「メグ、このベッドはどこに置くの?」


「それはあちらですね」


「メグさーん!カーペットの用意終わりましたー!」


「ご苦労様です!でしたら次はこちらをお願いします」


「私も作業終わったよ〜って、エリスちゃん!ラグナ!メルクさん!おかえりー!」



「なんじゃこりゃ」


馬車の中で作業する弟子達…以上に目を引くのは、馬車の中がまるで一つの家のように飾られているという事実だろう。ただでさえ広かった馬車の中が三倍くらいに押し広がりネレイドさんが立って歩き回れるくらいの広さになっているんだ。


そこにカーペットが敷かれたり、ソファが置かれたり、調度品が置いてあったり、本が並べられていたり、本当に家の中みたいだ…。


「これは…まさかメグさんが?」


「おやエリス様、はい私がやりました。この馬車に取り付けられていた空間拡張魔力機構がかなり劣化していましたので修理するより新しいものに付け替えようかと思いましてね」


この馬車の内部を押し広げていた魔力機構は二十年以上も前のものだとメグさんは言っていた、普通なら博物館行きの骨董品だと。だから当然その性能も今の物に比べれば格段に劣る。


故に新しいものに取り替えた、ただそれだけで内部の空間はみんながギュウギュウ詰めになる状態から一転、くつろげる空間に変化したのだ。


「凄いですね…」


「はい、帝国から市場には流通していない最新式を取り寄せたので。これから三年間旅するのですからくつろげる方がモチベーションも維持出来るでしょう」


確かに、三年間エリス達はこの馬車で旅するんだからこのくらい広い方がいいんだろう。いくら友達ったっても三年間ずっと密着してたら苛立ちも生まれる。友達だからこそパーソナルスペースを重んじるべきだろうしね。


「なので空間を拡張し馬車を改造していたところです、ああ後他の部屋も作りましたよ」


「部屋!?ここ馬車の中だぞ!?」


「空間拡張魔装にかかればお茶の子さいさいでございます、ほらこちらに」


とメグさんが指差す先、馬車の壁面それぞれ三方向に扉が備えつけられているのが見える。試しに馬車に乗り込んで右側の扉を開けてみると…そこにはベッドが備え付けられた落ち着いた空間が用意されていた。


「右側は女性陣の寝室、ネレイド様が居るのでこちらは比較的大きめに。左側の扉は男性陣の寝室でございます」


「…これどういう仕組みになってるんですか?、扉を開けても外に出ないで別の部屋に通じてるとか…色々おかしく無いですか?」


寝室に繋がる扉をジッと見る。この扉は馬車の右壁面に取り付けられている。つまり馬車の外に通じていなければおかしいはずなのに…結構なサイズの部屋に通じている。これはもう空間の拡張とかそんなレベルじゃ無いだろ。


「この扉自体が魔力機構なのでございます、壁に取り付ければ壁と扉の僅かな隙間を部屋型に成形して外部からは見えない隠し部屋を一つ作る最新鋭魔力機構。まぁ少々危険な側面も持ち合わせるので一般流通はしない予定ですが」


「危険?どんな危険性が…」


「私のような専門家が正式な運用をしない場合どのような挙動をするか分からないって事です。今回は私が居るのでその心配はありませんよ」


確かに、メグさんはなんでも出来る人だがその中でも際立っているのが魔力機構の扱いだ。初見の魔力機構も分解してからもう一度組み立て直して修理することも出来るくらいの達人。ならばこそこういう難解な魔力機構も扱えるってわけか。


いやぁしかし、馬車の中に寝室が出来ちゃったよ。右側はエリス達女性陣の部屋で合計五個のベッドと恐らくデティ用と思われる長机が置かれている。左側の部屋は男子部屋だから合計三つのベッドと多分ラグナが使う用の四角い机が置かれてる。


ん?、左と右が寝室なのは分かったが。それなら真ん中の扉はなんなんだ?


「あの、真ん中は?」


「こちらはダイニングキッチンでございます」


「キッチン!?馬車の中に!?」


キッチン…そう聞かされ慌てて真ん中の壁に張り付いた扉を確認すれば。中には食事をとるための机と八つの椅子、そして綺麗に整頓されたキッチンにアマルトさんの持ってきた調理器具が並んでいる。


マジでキッチンがあるよ。


「スゲェだろ?エリス。まさか馬車にこのレベルのキッチンが備え付けられるなんて夢みたいだよ」


と、外で荷造りを終えたアマルトさんが戻ってきて、中央のキッチンへと足を運ぶ。新品のキッチンを前に何やらウキウキしている様子だ。


「こちらにも大量の魔力機構を搭載してあります、火を使わず熱を発する『発熱魔力機構』や、馬車の振動を軽減する『振動軽減機構』、後換気のための『空気清浄機構』も備え付けられ、これだけ積んでも馬車そのものの重量が変わらない『小型反重力機構』も搭載済みですので移動にはなんら影響は出ません」


「その上、ここの蛇口を使えば帝国から清潔な水が流れて、ここの排水溝から帝国の下水施設に流れるようになってるんだと。至れり尽くせり過ぎて逆に引くぜ」


「そんなにですか…でも食材は…」


とエリスが疑問を述べることをわかっていたようにメグさんはキッチンの横に備え付けられた小型の扉の元に向かい、そちらをノックしてから開けると…。


「こちらの小扉は私の保有する無限倉庫に繋がっています、なのでここを開ければ…」


「はい、アリスでございます」


ニュッと小さな扉から顔を見せるのはメグさんの部下にして無限倉庫内部で物品の整理を行っているメイドのアリスさんだ。なるほど、この扉はメグさんの所有する倉庫に繋がってるんだ、確かあの倉庫には一個師団を一週間養えるだけの食品が保管されていると聞く。


それなら選り取り見取りだな。


「こちらから幾らでも食材は取り出せますので、食料には困らないかと」


「私に言っていただければ、このアリスがマーキュリーズ・ギルドに掛け合ってどんなものでも仕入れます」


「じゃーケーキ持ってきて!甘いやつ」


「デティ、くだらない事に使わないでください」


しかし、これで衣食住が完璧に用意されたというわけだ。このレベルならむしろ宿を取らない方が良好な生活が送れるだろう。旅に於ける最大の悩みの種である食料問題もこれで解決。


っていうか。


「アド・アストラの力を借りちゃダメなんですよね、これってありなんですか?」


師匠達から出された条件の中には『アド・アストラの力を借りない』というものがあったはずだが、これってありなの?思いっきり帝国領のもの使ってるけど。


「一応陛下には先ほど確認を取りましたがオーケーだそうです。これを無しにされたら私戦えなくなるので」


「ああ、メグさんの戦闘スタイルって倉庫から武器を取り出す奴ですもんね」


「はい、直接マレフィカルム捜索にアド・アストラの力を用いないなら良いそうです」


「なるほど…」


納得してキッチンの椅子に座ってしまう。いつのまにか弟子達全員がキッチンに集まっており今日初めて落ち着ける空間に入れたということもあり、皆ちょっと脱力気味だ。


「なぁメグ」


「はい?どうされましたラグナ様」


「いや、…これは『大丈夫なやつ』か?」


すると、椅子に座ったラグナが問う。大丈夫なやつか?とは即ち…メグさんに負担はないか?という意味。


オライオンを旅した時も同様のことをやってメグさんは疲労の末倒れてしまった。ラグナはその事を当時から危惧していたからこそ、今回もまた無理をしてないかと聞いているんだ。前回は三ヶ月程度だったが…今回は三年だ、三年も前みたいな無茶をやったらどうなるか、計り知れない。


だがエリスはそこについては心配してない、だって。


「はい、前回の反省を生かし、今回は大量の魔力機構を取り付ける形にしたので私自身に負担はありません。ご心配をお掛けすることはないかと」


メグさんは出来る人だ、前回の失敗をそのまま繰り返す人ではない。前回失敗したからこそ今回はより一層突き詰めてやってくれる人だとエリスは信じている。


「そっか、ならよかった!今日は美味い飯が食べられそうだぜ!」


ニッ!と安心したように笑うラグナは背もたれに背中を預ける。これで馬車の問題は解決したと言ってもいい、馬車の中に余裕が出来たからいつでも滞りなく人が外に出れる。さっきみたいに魔獣が出ても問題なく迎撃出来るだろう。


「これから三年間生活面では不自由しなさそうだな、いやぁよかったよかった」


「流石に三年ギュッとしたままだと体の形変わりそうですもんね」


「私も仕事部屋貰えて満足だよ。ってか私だけ旅先でも魔術導皇としての仕事があるってなんか違くない?」


「皆様休憩モードですね、ではお茶を入れますので少々お待ちを」


皆気がついたらダイニングの椅子に座り足を伸ばし始める。とても馬車の中とは思えない快適さだ、三年間の間ここに八人で住んだとしてもなんら不自由はなさそうだ。


なんて話している間にメグさんはキッチンに向かい、そこで手早く紅茶を入れてたりコーヒーを作ったりと作業を終わらせる。って…キッチンにサイフォンまで置いてあるのか…あれ個人的に使いたいかも。


「で?馬車の方は進展があったが、馬の方はダメだったみたいだな」


と、談笑に水をぶっかけるようにアマルトさんが現実を突きつける。馬はダメだった…と。


「うう、すみません」


「だが貸し馬屋は殆ど廃業状態だった、どのみちこの街じゃ馬は買えなかったよ」


「そっか、じゃあまた誰かが馬役やる感じ?」


「次は俺とネレイドさんがやるよ、って勝手に決めちゃったけどいいかな?ネレイドさん」


「大丈夫、やってみたかったから楽しみ」


「こりゃ心強い、…で次の目的地だが」


最初の目的地と呼ぶにはあまりに何もなかったが、ここで得られるものがない以上次に行かざるを得ない。故にラグナは再びマレウスの地図を開き…。


「次、この近くで馬を買えそうな街となると…ここになる」


そう言って指差すのは、マレウスでも有数の巨大な街…エリスもよく知るあの街だ。


「始点の街アマデトワールか」


アマルトさんが顎を撫でながらなるほどねぇと納得する。


始点の街アマデトワール。別名冒険者の街と呼ばれるあの街ならば馬は売っているだろう…というか確実に売っている。冒険者の為の街であるアマデトワールは冒険者に必要なものは全て置いてある。なら冒険者にとっての足である馬も当然取り扱っているだろう。


「おっきい街だねぇ〜、でもちょっと遠くない?」


「うーん、この距離だと…丸一日かかっちゃうんじゃないんですか?」


「俺とネレイドさんなら一時間でつくだろ」


どういう計算ですか…。


「で、ここで相談なんだけどさ。みんなで冒険者にならないか?」


「は?なんで」


「だってここマレウスは冒険者の国だろ?確か冒険者ってだけで各地で融通を利かせてもらえた筈だ、だよな?エリス」


よく知ってますねラグナ。確かにその通りだ、冒険者なら物品を安く買えたり宿屋で融通してもらえたり…アド・アストラの人間ならマーキュリーズ・ギルドのサービスを受けられるようにこの国では冒険者なら各地で色々なメリットがあるんだ。


以前師匠と来た時もそのサービス目的で冒険者になったし、マレウスで活動するなら冒険者にならない理由はない。


「はい、正直冒険者にならない理由が思いつかないくらいにはなっておいた方がいいかと」


「だろ?それに…このアマデトワールには、冒険者協会最高幹部ケイト・バルベーロウがいる」


ケイト・バルベーロウ…三年前エリスを冒険者アイドルにするとか息巻いて現れた人たちの一人。既に老齢に差し掛かろう年齢のはずなのに擬似的な不老の法の再現により、見た目だけ若い姿を保っている在野の大魔術師。


アマデトワールはそんなケイトさんが作り上げた街でもある。ならば当然彼女もいる…ってことになるな。


「何故ケイトさんに会いたいんですか?ラグナ」


「別に会うならケイト・バルベーロウじゃなくてもいい。ただ俺たちの目的であるマレフィカルムの捜索を敢行しようと思うと、当然だが情報提供者が必要だ。一朝一夕でこの国の全てを知れないなら最初から知ってる人間にあれこれ聞くに限る」


ああなるほど、冒険者協会のトップならこの国の裏事情まで把握している可能性は高い。何も知らないなら知らないである意味捜索範囲も絞れる。ともかく今は情報を提供してくれる人間を得ることが重要だ。


言ってみれば、現地の協力者だ。


「ほう、考えたなラグナ。冒険者になりその恩恵を受けつつケイト・バルベーロウに近づく口実も作るというわけか」


「ああ、ただまぁ問題があるとすると…冒険者になりたての俺たちに協会の最高幹部が会って話をしてくれるかってところだが…」


「それならエリスに任せてください、ケイトさんはエリスの事を知ってますし…多分エリスの名前を出したら無碍には扱われないと思います」


知っている…といっても向こうが持ちかけた話をエリスが蹴ったって縁しかないが。でももしまだ向こうにエリスに対する未練があるならきっと無視はされないだろう。


「よーし、ならそれで方向性は決まりだな。取り敢えず昼飯食ったら出よう」


「ん、私馬頑張るね」


取り敢えずの方向性は決まった、マレウスに来てまだ初日だけれど早速足場の固めは終わりそうだ。


とりあえず、次の目的地はアマデトワール…これまた懐かしい街に向かうことになる。そしてもう二度とやることはないと思っていた冒険者に今度はみんなで…か。人生分からないもんだなぁ…。


「冒険者かぁ、どんなのかな!エリスちゃん知ってるよね!お話聞かせて?」


「いいですよデティ、ご飯食べながらで良ければ」


「しかし大王や魔術導皇が冒険者か…表沙汰になれば世界がひっくり返るな」


「楽しみ…」


いきなり飛ばされて、いきなり始まって、実感が湧かなかったけど。こうして足元が固まり実感がようやく湧き始める。


エリス達は今新しい生活の最中にいるんだ、新しい冒険が始まっているんだ…そんな確かなワクワクと、仄かな不安感を元にエリスは静かに微笑む。


この先には、何が待っているんだろうな。



……………………………………………………………………


「今…なんつった」


暗く、ただ闇に閉ざされた空間。青白く光る奇妙な水が足元を満たす…そんな居るだけで気分が悪くなりそうな闇の中男は不機嫌そうに牙を剥く。


白い髪と赤い瞳を持った狼の様な男…名をバシレウス・ネビュラマキュラ。セフィロトの大樹に於ける十人の幹部の一人たる彼は目の前に聳え立つ漆黒の大樹に語り掛ける。


「おい、答えろよ…ガオケレナ」


「………………」


否、語りかけたのは漆黒の大樹の中頃から垂れ下がる白い肌の女だ。漆黒の大樹と一体化した怪物の如き…いや事実として怪物である彼女こそ、今世界に影を落とす魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムの頂点。


魔女排斥の総帥…生命の魔女ガオケレナ・フィロソフィア、バシレウスの師である。自らの師である彼女に対してバシレウスは不遜にも牙を剥く、今…聞き捨てならないことをこの女は言ったからだ。


「この国に、エリスが来てるだと?」


「…………」


無言の肯定、この国にエリスが居る。


エリス…以前マレウスにて出会ったあの金髪の女の子。路地裏で出会ったあの少女をバシレウスは求め続けてきた。その執着はある種の愛であり恋であるとも言えるかもしれない。


奴は他とは違う。エリスは他の人間とは違う。この国の誰もがバシレウスを見ない、その恐ろしさを前に目を背け その強さを前に力を求める。誰もがバシレウスを直視しない…そんな中あの女は違った。


俺を見た、あの女は俺を見た、恐れながらも目を背けなかった…執着する理由はそれだけで十分だ。アイツも俺ほど生まれた時から人間性に傷を作って産まれた者同士、きっとあの目は俺の全てを理解してくれるだろう。


だから…ここでバシレウスが取るべき行動は一つ。


「迎えに行ってくる」


その全てを奪う。抵抗し嫌がるエリスを叩きのめしその髪を掴み上げ無理矢理唇を奪う…それでもきっとエリスは俺から目を離さないだろう。それを思えば身が滾る。


バシレウスは生まれながらにして道徳心も人間性も持ち合わせない怪物だ、故にその欲求は何よりも獣的。獣の情愛の如きそれをエリスに向け…今 あの日の約束を、婚姻の約束を果たしに行く。


アレは俺の物だと。誰にも渡さない。


そうバシレウスが踵を返そうとしたら…その瞬間だった。


「待った」


立ち塞がる、踵を返したバシレウスの目の前に現れた女がバシレウスの道を阻む。


黒い外套に黒い三角帽、そして白銀の直杖を持つ女がバシレウスにさえ気配を悟らせずその歩みを止めさせたのだ。


バシレウスは他人に忖度する人間ではない、『待て』と言われても待たないし、目の前に人が居ても跳ね除けて進む。


だが、この女を前にしては其れもなりを潜める。待っているのではない 言うことを聞いているのではない。バシレウスでさえこの女を退けられないから足を止めざるを得ないのだ。


「なんだぁ、知識の…」


「失礼、王を前に道を行きを阻む無礼をお許しを」


帽子の鍔を掴み軽く一礼するこの女、王冠の異名を持つバシレウスや栄光の異名を持つホドと同じセフィロトの大樹 十人の幹部の一人。知識の異名を持つ女は堅苦しい言葉遣いでバシレウスの気分を害する。


何より腹ただしいのは、今もバシレウスはこの女の気配を掴めなていない事だ。こうして目の前にしているというのにその女はまるでそこに居ないかのように気配も魔力も感じない。全くだ…全く感じない。まるで全てが零であるかのようにだ。


この女の『特異体質』の凄まじさをまざまざと感じ、余計に苛立つ。


「退けよ、俺はエリスの所に行く」


「以前口にされていた花嫁の件ですか、ですがまだ総帥は貴方が魔女の弟子とぶつかる事を望んでいない」


「もう修行は終わったろ、この薄汚い木から学べることはこの三年で全て学んだ。こいつが得意とする魔術もお前達が必要だと述べた魔術も何もかもな…これ以上強くなる必要があるか?」


「無いですね、今の貴方より強い人間はこのマレフィカルムには居ない。あの五本指や五凶獣も、我らセフィロトの幹部でさえ貴方には敵わない」


「なら…」


「だがまだ不完全だ、今魔女の弟子達は全員がマレウスにやってきている。其れは魔女達に最後の試練を与えられたからに他ならない」


「は?お前なんでそんな事を知って…ああ、そう言う事か」


魔女が弟子達に最後の試練を与えた…なんて情報、マレウス・マレフィカルムの人間ではどうやっても知りようが無い情報のはずだ。其れをなぜこの女が知っているのか問いかけようとして…やめた。


『知識』の異名を持つように、この女は何もかもを識って居る。其れがたとえ世界の裏側の出来事であれこの女は事前に識る事が出来るのだ。


「魔女の弟子達はその修行を終える段階に居る。しかし貴方は未だその試練をクリアしていない…その意味が分かりますか?」


「グダグダ必要のない話をしてんじゃねぇ…、言え」


「では言いましょう、『生命の魔女ガオケレナの弟子』バシレウスよ。貴方にもこれから最後の試練を行ってもらう。其れを終えてからだ、貴方が好きに出来るのは」


「…………」


面倒…、そんな感情を前面に出しつつもバシレウスは拒否しない。ここで拒否をしても無意味である事を理解しているから。


それに、まだ強くなれると言うのならなんでもしよう。俺は最強でなくてはならないのだから、この世の何よりもバシレウスは強くなくてはならない。だから…。


「分かった、早くしろよ」


「畏まりました、では一旦外に出ましょう。試練の前に軽いジョギングで汗を流し氷魔術で筋肉を冷却し、水分とミネラルの摂取も忘れず…そして」


「早くしろ!」


「日々の健康のために必要な物は日々の継続…強くなるには何よりまず健康でなくてはなりません。さぁバシレウス様も、陽の光を浴びて木と風の声を聞き小鳥の囀りの中健康になりましょう」


「チッ…」


「あ、その前に私用事があるので待ってる間健康体操を終わらせておいてくださいね、この前私が教えたやつ」


「死んでもやるか…、はぁ」


思わず顔を叩き天を仰ぐ、これならまだホドの方がやりやすかった…。



エリスを迎えに行きたい気持ちはあるが、それにはまずこのクソ面倒臭い女の試練をクリアする必要がありそうだ…。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ