352.魔女の弟子と英雄譚の幕開け
激動の八魔女会議が終わり早くも一週間。エリス達は休息にも似た日常を過ごしていた。
まぁとはいえ八魔女会議を機としてエリスの日常は色々変わったのですが…、そうですね。天番島から帰ってきてから色々あった事を纏めると。
まず、魔女の弟子達は皆それぞれの日常に戻っていった。アマルトさんは祖国に帰り教師の仕事に戻り、ナリアさんはエトワールにて演劇の準備へと戻り。その他のメンバー…アド・アストラに属する面々も役職へと戻った。
ラグナはアド・アストラ軍の元帥の座に戻り、軍内部に蔓延っていた差別意識の撤廃と更なる軍拡に従事している。彼曰く芽がでるのは数年後らしいがそれでもただでさえ強力なアド・アストラ軍が更に強くなるのは確かだとも言っていた。
ネレイドさんは聖王護衛の任務を終えて教皇になったベンテシキュメさんのところでまた神将として働いているらしい。元部下の配下になることに関しては『別にベンちゃんならいい』と言っているが、当のベンテシュキメさんはやり辛そうだ。
デティは…と言うまでもなく彼女はいつものように魔術導皇の仕事をしている。また外文明への干渉をしようとしているらしいが、これが全く効果がないらしく苦慮しているそうだ。
メルクさんは天番島での一件から物凄い責められたらしい。まぁあんな兵器作ってしまった事に関してはちょーっと言い逃れ出来ませんしね。とはいえ解任とかそう言う空気ではなく彼女をその座から引きづりおろそうとする者はなく相変わらず独裁は続くようだ。
そしてメグさんは冥土大隊としてメルクさんを全力でバックアップ。そう言えばなんでメルクさんの事ばかり手伝うのかと聞いたら『それが陛下の意思だから』との事。どうやらメルクさんの補佐をカノープス様から命じられていたようだ。
みんながみんな元の仕事に戻る中…エリスはどうしたか。エリスの元の日常と言えば流浪の旅だが…今更旅に出ようとは思わない、だってエリスが旅に出ていなければこんな事にはならなかったわけですしね。
だから修行の旅は一旦お休み。今はアド・アストラ軍の一員というか幹部というか…そういうポジションに座り、みんなのお仕事の一割くらいをお手伝いしている。エリスに出来るのは精々力仕事くらいですしね。
だからエリスの仕事は平時だとほぼ無いです、平和だと無用の長物になるのがエリスです。だから今日は……。
「メリディア〜!はいっ!ホットドッグ買ってました」
「あ、ありがとうエリス」
私服のコートを揺らしながら大通りの露店で売っていたホットドッグを同じく珍しく私服のメリディアへと手渡す。
今日は二人とも休みなので、思い切ってメリディアと街へ遊びに来ています。特にすることもないですが、二人で美味しいもの食べて眺めの良いところに行って、事件疲れを癒す為友達と一日を満喫する予定です。
「どこに座る?」
「せっかくなので食べながら歩きましょう?色々街を見て回りたいので」
「そっか、分かった」
事件を終えてから、メリディアはエリスに対して変に距離を取ることもなく等身大で接してくれている。やはりあの時腹を割って話したのが功を奏しているらしい。
エリス的にはこうやって二人で友達として話せるような結末を望んでいたので、今の状況は最高ですよ。
「んふふふ」
「なんか楽しそうだね、エリス」
「楽しそうじゃなくて楽しいんですよメリディア、貴方とこうして目的もなく共に歩けることがとても」
「そ、そっか…。でもまさか事件が終わってからこんな事になるなんて思ってなかったなぁ」
「んふふ、あの時死ななくて良かったでしょう?生きてればこういう事もあるんですよ」
「いや中々ないと思うけど…、でもそうだね。そう思うかな…」
あれからメリディアはロストアーツを持ち出した件を咎められて除名…ということはなく、メルクさんが全面的に責任を被りメリディアを今回の一件を解決した立役者の一人として猛烈にアピールしたのだ。
メリディアは『嘘は良くないよ!』と言っていたが残念ながら嘘ではない、メリディアが居なければエリスが危なかったのは事実なんだから。
だからその功績を称えて彼女を昇進、アジメクの大隊長に就任し今はアジメクの大規模部隊の指揮を執ってくれている。ラグナのおかげでアジメクの差別もなくなりつつあるし、後はメリディアの頑張り次第でアジメクの評判も変わっていく…というわけだ。
そんな大隊長様のお時間を頂いているわけだから、ありがたいと思わないとね。
「事件が終わって…か、色々あったけど解決出来て良かったね」
「メリディアのお陰ですよ」
「だからそんな事無いって、アルカナを倒したのもグリシャを見つけたのもエリスでしょ?」
そいつは過程でしかない、結局事件に幕を閉じられたどうかが重要なんだ。その点でいうならメリディアは間違いなく大金星ですよ。
…そうそう、事件解決と言えば捕らえられたアルカナ達ですが。メムはほとんどマレフィカルムに関する情報を持っていませんでした。当然それに従わされていたアドラヌス達も同じで有益なことを聞き出す事もなく彼らは牢獄送りとなった。
これを温情と呼んでいいのか分からないが、メムはタヴ達他のアルカナのいる牢獄へと送られた。その際タヴとも短時間ながら面会したメムは生きていたメンバー達に対して涙を流しながら謝罪してきたそうだ。
因みに事件の発端となったロストアーツですが…、破壊された星魔城とステュクスに奪われた星魔剣以外のロストアーツは全て回収出来た。アンさん主体でサルベージ作戦を行いその日のうちに全てのロストアーツを回収し、魔女様達の力を借りて厳重に保管しシリウスの肉体と共に封印することとなった。
ただ、やはり破壊された星魔城から流れ出たシリウスの血だけはどうしようもなく。海に混ざってしまったらしい。とは言えあの程度の量なら問題はないとカノープス様も語っていた、流石のシリウスも肉体も持たず血液だけの状態で水に混ざれば何も出来ないそうだ。
…あとはステュクスを捕まえて星魔剣を回収すればロストアーツは全てこの世から消えることになる。なので今度エリスはマレウスに行ってついでにステュクスもこの世から消すつもりだ。アイツは絶対許さない。
「でもメリディアのお陰です!むしゃむしゃ」
「その一点張りだね…っていうかさ」
「ん?なんです?」
「いや、こうして一緒に歩いて付き合ってみて思ったんだけどさ。エリスってご飯食べるんだね」
「え…?」
え?普通に食べますが?人間なので。ん?なに?エリスってサボテンか何かだと思われてる感じ?
「いやごめんね、なんか私…エリスの事神様みたいに思ってたからさ。エリスはご飯も食べないしトイレにも行かないと思ってた」
「行きますよそりゃ、エリスだって人間ですもん!」
「ふふふ、だよね。だからこうして友達になって分かった。エリスって普通に年頃の女の子なんだね」
「がっかりしました?」
「ううん、私が勝手に完璧超人で気安く話しかけちゃいけない存在だと…思い込んでただけだからね。今の方が付き合いやすいよ」
完璧超人か、そんな凄い人だったらどれだけ良かったか…。それならもっときっと…上手くやれただろうからね。
「…エリスは完璧なんかじゃありません、守れないものだってあります」
「そうなの?」
「はい、例えば…ムルク村の幼馴染達とか」
「ああ…」
結局、メリディアだけになってしまった。ムルク村の子供達は他にもアジメクで騎士をやってるが、それでもエリスが知っているのはメリディアとクライヴとルーカス、後ケビンくらいだ。
だがクライヴは例の銃撃による後遺症が響いているらしく、治癒魔術で治癒したものの現役復帰は難しいらしく…傷が完治しリハビリを終え次第退役し故郷のムルク村に戻って農夫になることにしたらしい。
その際メリディアは『俺の分までこの国を頼んだぞ、しっかり時間と威厳は守れよ』とのお言葉をクライヴから貰っているらしく、今のところそれは継続出来ているらしい。
そして、ルーカスだが…。
「ルーカスに関しては…その」
「仕方ありませんよ、彼が望んだ結果ですから…命があっただけでも幸いです」
ルーカスは、命は助かった。だがシリウスの血が流れるロストアーツと同化した影響は凄まじく、銃撃されたクライヴ以上に後遺症が残り…今も目を覚まさず病院のベッドで寝たきりだ。
彼が裏切りを行い、星魔城を動かし魔女を襲撃したと既にアド・アストラ中に広がっているにも関わらず彼の病室には毎日人が訪れている。訪れるのは彼の取り巻き…後輩達だ。
『どうしてですかルーカス先輩、何か考えあったって言ってくださいよ…』
『僕達はみんな貴方に憧れてたんです、これからも導いてくださいよ…!』
『ルーカス先輩、僕達はずっと信じて待ちますから』
後輩達はみんな口を揃えてルーカスに語りかけていた、それはルーカスが意図して手に入れた名声かもしれないし、彼等はルーカスの自己顕示欲を満たすためだけの存在だったかもしれない。それでも…そうだったとしても彼らにとってはルーカスはヒーローだったんだ。
あんな事件なんか起こさなくても、あんな事しなくても、彼は誰かの英雄になれていた。そう思うと尚更遣る瀬無い…、エリスがもっと早く何かに気がついて彼と話し合っていたら…こうはならなかったのかな。
「ルーカスは嫌なやつだけどさ、アジメクにとっては間違いなく主力の一人だった。それがほぼ復帰不可能となると…アジメクにとっては大きな損失だよ」
「その主力にこれからメリディアがなるんですよ」
「なれるかな…」
なるさ、メリディアが就任した大隊長の椅子は元々ルーカスの物だった椅子だ。彼の仕事を引き継いだ彼女はきっとルーカスに負けないくらい凄い人になってくれる。
クライヴとルーカス…この二人の意思を受け継いだメリディアならきっとね。
「エリスも手伝いますよ!」
「あはは、そりゃ心強いかな」
「まぁエリスぶっ壊すことしか出来ませんが」
「そういえば砦に捕まった時もメチャクチャにぶっ壊して回ってたよね、あの頃から凄かったもんねエリス」
「メグさんからは最近破壊大王って呼ばれてます」
「なにそれ、ピッタリじゃん」
「ちょっとぉ!?」
なーんてくだらない話をしていると…。前から何やら一団が近寄ってくるのが見える。
あれは…。
「うっへっへっ、よーし!んじゃあ全員に酒を奢ってやるよ!俺について来なぁー!」
「流石剛戦士バードランドさん!太っ腹!」
「本当にそうですぅ!アルクースの英雄は言うことが違うわぁ!」
「逞しい筋肉…素敵です」
「へへへへ」
いつかの時のように沢山の美女を引き連れて鼻の下を緩ませているバードランドさんが向かいから歩いて来た。エリスがこの街に来た時も確かあんな風に大きな顔して女ひっ捕まえてたなぁ。
「ねぇバードランド様?武勇伝が聞きたいわ」
「おう、いいぜ。あれは俺が大活躍したアルクース継承戦の話で、俺は並み居る敵を一人で千切っては投げ千切っては…」
しかしまた武勇伝と言って継承戦の時の話をしてるのか?もうあれ何年前だと思ってるんですか。
あれからもう十年以上経ってるんですよ、なんか他に武勇伝はないんですか。それにその…その話だって嘘とは言いませんが少なくとも一人でやったわけじゃないでしょうに。
「そりゃあもう八面六臂の大活躍で…あ?」
「え?」
ふと、目の前から歩いて来たバードランドさんと目が合ってしまう。前はエリスの正体に気がつかずナンパして来たが、今回の彼の反応は違う。
だって今日エリスは例の幻惑メガネをかけていないからね。故にこれは改めて久々の再会と言えるのだろうが…バードランドさんはみるみるうちに顔を青くして。
「お、お前…エリスか?」
「はい、そうですよバードランドさん。久しぶりですね」
「お…おう」
明らかにバツが悪そうな顔をしている。目も合わせて来ない、悲しいじゃないか…とは言わないぞ。その顔と汗はやましい事がある人間がする物だ。そしてエリスはそのやましい事に覚えがあるぞ。
「どうしたのバードランド様、この女と知り合い?」
「いや…その、知り合いというかなんというか…ええっと…」
「知り合いというより戦友ですよ、ねえ?継承戦で大活躍した英雄のバードランドさん?」
「うっ…!」
彼が周りの人間に対して何を語っていたかとか、何を騙っていたとか、そんなのはどうでもいい。ただその事についてやましい思いエリスに対して何か思う事があるなら…それでいい。
「そ…その、すまねぇ」
「いえいいんですよ、でも…そういうのは程々に。いつか引けなくなって大変な目に合うのはバードランドさんですからね」
「う…、エリス。あんた本当に大人になったな…。あ!どうだ?これから一緒に酒でも…」
「エリスの事もナンパするつもりですか?ん?」
「……いえ、すみませんでした!!!」
ペコリと周りの後輩達や美女達の前で頭を下げてみせるバードランドさんを見て、ホッとする。そういう事が出来るなら…その方がいい。
英雄と持て囃される為に嘘をつき始めたらキリがない。いつか欲と嘘に殺されてしまう事になるからね。
「ちょっ!?バードランド様!?」
「いきなりどうしたんですか!?」
「うう!すまねえぇー!エリスー!」
「別にいいですって、さ?メリディア。行きましょう」
「う、うん」
謝り倒すバードランドさんを置いてエリス達は先を急ぐ。今日は行くべき場所があるんですから、些事は後で良いのです。
しかし、なーんでみんな英雄になりたいのかね。そんなにも英雄と持て囃されるのは楽しいか?そんなにも気持ちいいか?エリスには分からない。分からないのはエリスがルーカスの語ったように英雄だからか?
エリス本人はそんな気は全くしないんだけどなぁ…。
「分かりませんね、英雄って」
「英雄?」
ああ、…メリディアはもしかしてルーカスのアレを聞いてないのか。それは幸福なのか不幸なのか…。これもまた分かりませんね。
「それより急ぎましょう、展望台へ」
「そうね、でもなんだか気が引けるわ。休みなのに仕事場に行くなんて」
「いいじゃないですか、休みの特権として労働してる人間を笑ってやりましょう、さぞ痛快なはずです」
「エリス…すごい性格ね」
ともあれエリス達は手荷物を持って、目的地へと向かう…白銀塔ユグドラシルへと、向かう。
………………………………………………………………
白銀塔ユグドラシルは相変わらずその威容を誇り続けている…とはいえ、その頂点に乗っていた白部分は完全に崩落し、中に隠れていたオフュークスがどっかに飛んで行ったのと同時に完全に消失してしまった。
まぁ、頂点にあったのは六王の間くらいなのでアド・アストラの運営そのものにはあまり関わりはないのが幸いで、ラグナ曰く新しい六王の間はまたどっかに別に作ると言っていた。
じゃあオフュークスが乗っていた部分には今何があるか?当然ながら何もない。今から新しく作るには高すぎるし労力も時間もかかる。ということで要らない瓦礫を全て撤去し簡易的に柵を打ち込みステラウルブスを一望出来る展望台へと変えたのだ。
とはいえ…だ。
「相変わらずここ誰もいませんね」
「そりゃそうよ、ここ百数十階の超高層よ?特に何もないし寒いし一般開放されてないし、誰も来ないわよ」
エリス達は眺めのいい展望台へとやってきたが、誰もいない。理由はメリディアが述べた通り。
ここには何もない、仕事で必要なものもないし高層なので高いし危ないので一般開放はされていない、故にここに来るのはエリス達みたいにトチ狂った人間だけってわけだ。
なーんか、かなしーなー。
「チェ、この展望台エリスのアイデアなのに」
「え?そうなの?」
「はい、以前六王の間を見たとき思ったんです。窓が無くて外が見えないのはもったいないなぁって、せっかく高いところにあるから眺めのいい景色でも見られれば最高なのにって」
「………、イカしたアイデアね…」
あんまりメリディアにも受けが良くないな。ここを展望台にしたいと言った時みんなからも『正気か?』的なことを言われたのを思い出した。
でも良くないですか?見下ろせば街が見えて見上げればすぐそこに雲がある。まぁ確かに風は凄いしめちゃ寒いし空気も薄いですが、絶景とは得てしてそういうものでしょう?
「風凄いわね、せめて壁か何かあればいいのに…」
「それを作る時間はなかったので」
「そう、…でもまぁ、確かに眺めはいいわね」
「でしょう?」
一望するのはステラウルブスの景色。幸いな事に星魔城オフュークスが離陸した影響は街には全く無く、民間からもアド・アストラがなんかやってるくらいの感覚で捉えられていたらしく殆ど混乱はなかったそうだ。
故に街は無傷と言ってもいい。…いや、無傷で守り抜いたと言えるだろう。
「もし、何かのボタンを一つ掛け違えていたら。この景色はなかったんです」
「……そうね」
「メリディアが踏ん張ったからエリスはその後を追えた。そのおかげでこの景色とこの景色の中で生きる人々の命を守れたんです」
「そうね、それは誇らしいことね。騎士として…誇らしい」
ああそうだとも、だからエリスはここに誘ったんだ。エリスは戦いが終わった後の街を見るのが好きだ。
時として力が足りず街を壊してしまう時もある、時として力が足りず人を死なせてしまう事もある。だからこそ…こうして街を守れた時は街を見て回り、己の功績を確認するんだ。
それは如何なる賞賛や呼び名に勝る…最大の栄誉であると考える。英雄だなんて呼ばれなくても、自分のやったことはちゃんとここに残ってるんだから。
「お互い頑張りました、今日はそのお疲れの意味も込めて貴方をここに連れてきたんですよメリディア」
「……夢みたいだわ、貴方にそんなこと言ってもらえるなんてね」
くすくすと笑いながらエリスを見るメリディアに、思わずエリスも笑ってしまう。エリスなんかで喜んでもらえるなら幾らでも何処にでも連れて行きますよ。
エリスもこれからはアド・アストラに残り続けるんだ。つまりこれからはメリディアと一緒に居られるってことだ、今日みたいに休みを合わせて遊びに行くことだって出来るはずだ。
「またここに来ましょうね!メリディア!」
「え?また?」
え?嫌なの?軽くショックなんだけど。もう来たくない感じ?エリスと一緒になんか…うう、悲しいよ。
「いや変な意味じゃないよ?」
「あ、そうなんですね。軽くショックだったんでここから飛び降りるところでした」
「絶対やめてよ…、私が言いたかったのは。もう旅に出ないの?ってこと」
「…ああ」
「てっきり今日は旅に出る前の最後の挨拶かと思ってたの、だからちょっとびっくりしちゃって」
なんだ、そんなことか。なら安心してくださいよメリディア。エリスはもう友達を置いて行ったりなんかしません、それは今回の件で痛いほど思い知りましたからね。
「なら安心してください、エリスはもう旅には…」
「ううん、旅には出た方がいいよ」
「え?」
エリスの言葉を遮るように、そして読んだようにメリディアは語る。エリスは旅に出るべきだと…。それは全く予想していなかった一言でエリスの思考を真っ白にするには十分で。
エリスが驚き目を丸くしている間にもメリディアは語る、ステラウルブスを眺め風に髪を撫でさせながら語る。
「旅に出て、修行して、今より強くなるべきだよ…エリスはきっとそれが使命なんだ」
「使命…?」
「うん、私も一生懸命頑張って修行してここにいる。けどエリスが行き着く終わりはここなんかじゃない。もっともっと高みに行ってもっともっと色んなものを守らなきゃいけない。私じゃ手が届かない領域まで…貴方は守らなきゃいけないんだよ、エリス」
メリディアは手を伸ばす、その先に見据えるのはステラウルブスの外…遥か外、地平と空が曖昧になるくらいずっと向こうを見て手を伸ばす。
「だからエリス、立ち止まらないで。貴方が帰ってこれる場所は私が守る、貴方はもっと先に進んで」
「…メリディア、貴方は…その」
「ね?」
メリディアの視線は、あまりに明るい。旅に出てもっと強くなるべきだと、エリスはもっと修行するべきだと。
別に、修行ならここでも出来る。旅をしても進捗はない。なら…旅に出ずにここで修行しても……。
いや違う、違うな。そうじゃない、結果が出るかどうかの話じゃないんだ。どっちが効率がいいとかどっちがより良いかではないんだメリディアが言いたいことは。
結局のところメリディアが言いたいのは…『もっと強くなる事』、飽くまでその手段として旅を提示しているだけ。
今のエリスは…強くなろうとしているか?今のエリスの力はこれで事足りるのか?もう修行をしなくてもいい段階まで来てるのか?
違う…なのになんでエリスは休みの日に遊びになんて来ているんだ。
「メリディア…」
「うん、大丈夫だよ」
彼女は、エリスの言葉を受け取らず、エリスの欲しい言葉をくれる。礼を言いたかったが…それは要らないらしい。
そうだ、そうだよ。エリスはもっと強くならないと…そしてその為に必要なのはきっと旅…ううん、普通の旅じゃダメだ。この三年間はただ漠然と彷徨くだけ…みたいなのじゃダメなんだ。
もっと目的意識を持って、もっとこの身を炎に投げ打つような、三年前やったディオスクロア一周みたいな旅をもう一回やる必要があるんだ…。
けど、…そんな目標エリス一人では立てられない。ディオスクロア一周は師匠が提示してくれた目標だった、ならば。
(…もう一度師匠を頼ろう、どうすればもっと強くなれるかを…もう一度路話し合うんだ)
「なんか決まったみたいだね、流石エリス。即断即決」
「えへへ、…でもすみません。エリスこれから…」
「うん、賢人様…レグルス様のところに行くんだよね。分かってる、大丈夫だよ…ドーンっと行ってきな!」
パンッ!とエリスの背中を押してエリスを先に向かわせてくれるメリディアは、いつになく…いや昔みたいに明るい笑顔を輝かせ、エリスに親指を立てる。
「例えどれだけ離れても、私達は友達だよ」
「…はいっ!」
そうだ、あの日あの時…ムルク村で別れて、お互い離れ離れになって時間も経って色々こじれても。こうして友達になれたんだから…きっと大丈夫だ。
エリスは強く、そして確かに頷いて…先に下へ降りようとする。すると。
「あれ?客人みたいですよ、メリディア」
「え?私に?」
「はい、あちらに…」
取り付けられた階段をゆっくりと上がってくるのは奇抜な格好の傾奇者…ステンテレッロさんだ。メリディアが一人で抱え込んでいることを察してずっと側にいようとしてくれた彼が…何やら心配そうな顔でこちらを見ている。
「何よステンテレッロ、何しに来たの?」
「い…いえ、大丈夫かなぁって…また落ち込んだりしないかなぁって」
「はぁ、エリス…彼最近ずっとこの調子なのよ。また私がエリス絡みで落ち込むんじゃないかって心配らしいの」
ふーん、彼は喜劇の騎士として憂いを帯びたメリディアの顔から悲しみを消し去る為孤立しかけていた彼女に付きまとう勢いで味方をしてくれていた…という経緯は天番島で聞いていた。
だが、ならもう付きまとう必要はないんじゃないのか?それとも…付きまとう理由は他にもあったり?
「まぁ、冗談はさておき。私はただ見に来ただけなんですよ、貴方の顔から本当に悲しみが消え去ったのかを」
「……で?どう?」
「それは言わなくとも良いでしょう、やはり貴方を笑わせられるのは…くだらないギャグや寒い冗談ではなく、エリスという友の存在だったというわけですね」
「そうでもないわ、…ステンテレッロ。貴方が側に居てくれたのは…まぁウザかったのも半分あったけど、もう半分はありがたいって感謝の気持ちもあった。貴方がくだらないギャグや寒い冗談を言っている間は…少なくとも私は私を嫌悪していなかったもの」
だからありがとね、嬉しかったわとステンテレッロさんに礼を述べれば、それが最大の報酬であるとばかりにステンテレッロさんも一礼をする。
或いは、ロストアーツが奪われエリスが到着するまでの一ヶ月間…、メリディアが壊れずたち続けることが出来たのは、ステンテレッロさんの奥ゆかしい献身のおかげだったのかもしれないな。
(とはいえ、そこら辺はエリスには関係ない話ですね)
まぁ飽くまでそれはエリスの想像、ステンテレッロという人間がどれだけメリディアに影響を与えていたのかなんてわかりっこない。この二人の関係はこの二人だけの物…、そして事件を乗り越え今度はただの友人として付き合っていけるかも二人次第だ。
「よしっ!じゃあエリスちょっと行くところができたので、ステンテレッロさん」
「はい?」
「エリスは今日一日メリディアを楽しませると約束していたので、後はステンテレッロさんがメリディアを楽しませてあげてください。後のことは頼みました」
「ええ!?いや私仕事の間に抜けてきただけで別に休みってわけでは!?」
「じゃあ!よーろーしーくー!」
というわけでエリスは全てステンテレッロさんに押し付けて階段へと降りていく、…ふと振り向くと。行ってこいとばかりにエリスに微笑むかけるメリディアと…、明るく微笑むメリディアの横顔に見惚れるように頬を赤らめるステンテレッロさんの姿が見え…。
これでよし!とエリスは階段を下っていく。向かうのは師匠のところだが…師匠のいる場所なら分かっている、きっとあそこだ。
………………………………………………………………
グリシャ・グリザイユは八大同盟の一角ヴァニタス・ヴァニタートゥムの構成員であった。今まで謎に包まれその組織の大まかな枠組みさえ判然としなかった組織から始めて捕縛者が出たという事は、アド・アストラにとって大きなプラスになるかと思われたが。
相手は八大同盟の一角にまで成り上がった大組織だ、情報の管理は徹底しており引き出せる情報は真偽が曖昧なものばかりでお世辞にも役に立つとは言えない幕切れであった。
彼が潜入先に選んでいたクラブ『ヴォルフラム』も元々はレイバンに対して彼が入れ知恵をして作らせた酒場だった、その事からも一時期は捜査の手が入ったものの…今や蛻の殻。一応現場を保存するという名目で中身はそのままにされているが、当然封鎖されており客の出入りはない。
そんな封鎖された酒場の扉を開く。一応見張りの警備兵は居たが他でもないこの場で事件を解決したエリスならば特別な許可はいらないだろうと入室を許可してくれた。
「…………」
扉を開ければ、そこにはエリスとグリシャが争った時のまま全てが残されていた。破壊された床 砕かれた机壁に空いた大穴、そしてグリシャが古今東西で集めた酒…その全てが残されていた。
エリスはその酒を、勝手に棚から取り出しカウンターに並べ一人で酒盛りをするその背中に声をかける。
「ここにいたんですね、師匠」
「ん、エリスか」
レグルス師匠だ、立ち入りが禁止されエリスでさえ物を動かすことを禁じられたこの空間で、なんと師匠は酒を飲んでいたのだ。一周回ってひっくり返りそうになるものの…まぁ師匠ならここにいるだろうなとは思っていた。
ここなら一人で酒が飲み放題だからね。
「師匠…その、ここは…」
「分かっている、魔女排斥組織が隠れ家として使っていたんだろう?私が先んじて改めて置いたが特に何もなかった、そもそも身一つで潜入してきた男が多くの兵士が立ち入るこの空間に何か情報を残すわけもない」
そりゃエリスもそう思いますけど、一応これはアド・アストラの決定なんだ。その一員たるエリスとしてはなんかこう…ねぇ?まぁ別にその事を師匠に対してどうこう言うつもりはない。ホントにダメならエリスの立ち入りだって許可されていない。
「そうでしたか、失礼しました」
「構わん、お前も飲むか?」
「師匠からの一杯なら、頂きます」
「ん」
エリスは師匠の隣に座り、師匠自ら注いでくれたお酒を軽く仰ぐ。美味しくはない、だがあまりキツい酒でもない。師匠なりに気を使ったチョイスということか。
「珍しいな、お前の方から私を探して接触してくるなんて」
「ここ最近忙しかったので師匠を探す暇がなかったのと、師匠ならいつもエリスを見てくれていると信じていたので」
「そうか、まぁ確かに…お前ももう組織に所属する大人。私にべっとりというわけにもいかないか」
「本当なら、エリスは師匠と一緒に今回の事件を解決したかったんですがね」
「そうも言ってられんさ、我々魔女はもう表の世界にはあまり干渉しない事になっているんだ。昔みたいに一緒にあちこちを回ってその国の問題を解決して…というわけにもいかない」
「ですよね…」
何だかんだ、今回の事件においてエリスと師匠はあんまり一緒にいた気がしない。師匠が干渉を控えてエリスにあまり接触してこなかったというのもあるがそれでもちょっと寂しい話だ。せっかく今回は師匠と一緒だったのに。
「師匠は、ルーカスが真犯人だとどの段階で気がついていたんですか?」
「奴がお前と一緒にクリソベリアに向かった際だ、奴はお前と別れた後アルカナとの交信を行なっていた。新入り隊員の正体が魔女の弟子エリスである…というタレコミをしてな」
「え…、あの時ですか。って事はもう少しエリスもクリソベリアに長居してたら…」
メルクさんを探すためクリソベリアにルーカスと一緒に向かった時。彼は現場を改めつつ復興の手伝いをするためエリスを置いてその場に残っていた。あれは恐らく彼なりの印象操作と一人になる時間の確保の為だったんだろう。
どうしてエリスを一緒に連れて行ってくれたかのは不明だが、余程バレない自信があったんだろうな。
そして、師匠はその段階で理解していながらすっとぼけてエリスに何も教えてくれなかったと。本当に今回の一件をエリスに任せてくれていたんだな。
「想定していたよりもやや時間はかかったが、それでも無事お前は全ての謎を解き明かし真犯人を打倒するに至った。見事だったぞエリス」
「ありがとうございます、師匠」
「だが…お前は今回の一件の顛末に納得していない。そうだな」
師匠は何でもお見通しだな。その通りですよ、だってエリスがもっと強くて出来ることが多かったなら…死なせなくても良かった人もいたし、ルーカスだってあんな結末にはならなかったかもしれない。
結果として、メリディアは守れた。だが言い換えればそれだけしか守れなかった。何もかもと欲張るにはエリスはやはり力不足だった。不足だったなら補うのがエリスの生き方だ…つまり。
「はい、…エリスにはまだ力が足りません。やっぱりもっと強くなる必要がありそうです」
「それはそうだな、だからと言って一足跳びには強くなれんぞ」
「分かってます、けど…やはりエリス、また旅に出て鍛えなおそうと思うんです。でもエリスはこの三年の旅であまり進歩を見せることが出来ませんでした…、それはディオスクロア一周の時のような明確な目標がなかったからだと考えます。だから師匠…新たな道標をエリスに授けてはくれませんか」
師匠が指し示す道を行く、師匠の導きを得てエリスは進む。目的もなく歩き回った三年間と違いこれからは師匠の指示を受けて歩いていく。そうすればきっと更なる高みへと行けるはずだと。
そう思ったのだが、師匠の反応はあまりよろしくない。寧ろ露骨に機嫌を悪くし眉を顰め…。
「甘えるな」
「え…」
ピシャリと拒絶された、拒絶…それはちょっと…予想外だったかも。
「甘えるなって…え?」
「ディオスクロア一周の旅がお前の力になったのは、それはお前が成長を実感し易い段階に居たに過ぎない。言っただろう、今お前がいる段階は明確に強くなっている実感を得難い達人の領域だと」
「は…はい」
「私が指し示した道を行く?決断を他人に任せる人間が上に登れると…お前は私との修行の果てにそんな答えを見出したのか?」
「そんな事は…ありません…」
「この三年間、私がお前に付き合って各地を巡ったのは。それはお前の選んだ道だからだ、お前が道を選び選択し試行錯誤し鍛えていたから私も全霊でお前を鍛えた。だがその思考すら捨て私の教えのみ盲信して力を求めるのなら…それ以上の成長はない」
厳しいお叱りの言葉を受けて、反省する。確かに師匠の教えを信じると言えば聞こえはいいが結局は師匠に全てを任せている事に変わりはない。師匠は今エリスがいる段階は伸び辛く実感を得難い段階だとも言っていたのに…焦りからエリスは自身の選択を捨ててしまっていた。
この三年間でエリスの選択を師匠は見守ってくれていたんだ。今回任せてくれたのだってそうだ。
エリスはもうある程度自分で決めなきゃいけない段階に来ているんだ。
「…いつか、お前に語ったな」
すると師匠は視線を外し、酒を一つ仰ぎ飲む。
「我々の魔女のいる段階…第四段階に至るには、自身の答えが必要だと」
第四段階 …師匠達の使う臨界魔力覚醒を会得するには、『魔導の極致』とはなんぞやという答えを得なければならないと…師匠はいっていた。
「その答えは、他人から与えられる物ではダメだ。自分が選び自分が掴み自分で得た答えでなくてはダメだ、魔術や技術は私でも教えてやれるがその答えだけは教えてやれない…、その答えを得られない限りお前は上には行けない、だから…お前は自分で道を選ばなくてはならない」
「……………」
「そういう意味では、私はこの三年は全くの無意味であったとは言わないぞ。お前が…他ならぬ我が弟子が選んだ道に無駄などあるものか」
「…でも、エリスはもっと強くなりたいんです。今のままのスピードじゃダメなんです、どうにか…知恵をお貸しいただけないでしょうか、師匠」
師匠の言う事は分かる、エリスはもう自立の段階に来ている。自分で道を選び自分で決断するべき段階なのはそうなんだけどさ。でも、それでもエリスが経験不足であり事に変わりはなくこの経験を埋めるには時間がかかる。
師匠は十年二十年の長いスパンを見ているようだが、…エリスはそんなに悠長に構えている暇はないと思う。
だって、いるんだろう。マレフィカルムにはかつてフリードリヒ将軍と互角に打ち合った宇宙のタヴと同格以上の使い手が複数人も。それが動き出して、エリスがなんとかしなければならない状況になった時のために…エリスはエリスを鍛えたい。
「知恵を…か」
「はい、師匠だけが頼りなんです…何卒」
「まぁ、私とてお前の師匠だ。お前に決断を委ねるとはいえ修行そのものを投げ出すつもりは毛頭ない」
「なら…!」
「フッ、任せろ。一つだけ方法があるぞ?荒療治になるが方法がな」
「方法!?どんなですか!?どこに行けばいいですか!?」
「まぁ落ち着け」
師匠が言うならどこへでも行ってなんでもします!そう叫びながら師匠に縋り付くと師匠はやや嬉しそうにしつつ。再び酒に口をつける。
「そう言えばエリスには私がどうやって第四段階に至ったか…言ってあったか?」
「……いえ、それは聞いたことがないですね」
「そうだったか、…なら私たち八人の魔女たちが揃って旅をしていた事は言ったあったか?」
…明確にはない、八人を揃ってどこを目指してどう言う旅をしてましたと明言したことはない。だがそれでも旅の随所で聞かされた思い出話しはどう考えても師匠達八人がかつてのディオスクロア文明圏を歩き回っていたような話が散見出来た。
だがやはり師匠曰く魔女様達は旅をしていたようだ。その内容を知らないエリスは首を横に振ると師匠は『そうか』と軽い答えと共に語りの姿勢に入る。
「あれは、我々八人がディオスクロア大学院を卒業しシリウス…師匠の元に戻る前に師匠より言い渡された最後の試練、大陸縦断の旅が発端だった」
「大陸縦断…」
シリウス…と言っても当時は狂う前の人格者だった頃のシリウスだろう。それが学院を卒業した師匠達に向けて最後の試練として当時の大陸を縦断するという大業を課したのだという。
それが元となって旅に出たのか?
「目的は当時から絶大な力を有していたシリウスを始末しようとしていたピスケス王国に行き文句を言ってこい…なんて簡単な内容だったが、旅の中身は凄絶極まったよ。当時オフュークスに次ぐ戦力を有していたピスケス王国が全力で殺しにくる中を突っ込んでいくわけだからな」
「そんなにやばい国だったんですか?」
「ああ、ピスケスの技術力は当時最高峰だった。簡単に言うなら今回メルクリウスが作り騒動となったロストアーツクラスの魔装を末端の兵士が全員装備し、時たまに星魔城クラスの兵器が隊列をなして襲ってくることもあったレベルだ」
いや強過ぎるだろ。…と言うかそもそもシリウスを始末しようとしていた国があったなんてな。師匠達はピスケス王国へ正面切って進みながらピスケスの最新技術による兵器の数々を退けて旅をしていたのだと言う。
「最終的にはピスケス王国の若き姫、レーヴァテイン姫と話をつけて此の旅は幕を閉じたわけだが…。はっきり言おう、我ら八人は全員この戦いの中で第四段階に至ったと」
「え!?そうなんですか!?」
「ああ、シリウスはこの旅を全ての結実と語った…。基礎を作るのは修行、身を結ぶのは実戦、故にシリウスは修行で基礎を作ったら後は我等を各地に飛ばしとにかく実戦経験を積ませたのだ」
修行でいくら基礎値を身につけても、それがそのまま実力として顕現する事はない。言ってみれば腕立て伏せをしてどれだけ腕力を鍛えても人生で一度も戦ったことがなければロクなパンチが打てないのと一緒だ。
実戦経験、シリウスはそれを積ませた。大国とそのまま戦わせる事で魔女達の中に芽生えた基礎値と潜在能力を爆発させて一気に八人も史上最高クラスの第四段階到達者を作ったのだ。
師匠達もよく語っていたが、シリウスは間違いなく指導者としても史上最強だな。
「当時は無茶な話だと笑いもしたが、今なら分かる…仲間と共に歩み、仲間と共に支え合い、戦って戦って戦い抜く事の大切さが。敵がどれだけ強力でも八人揃えば敵はない…そう断言出来るくらいの信頼が得られたのは、そう言った戦いの最中だった」
「…なんとなく分かります」
「だろう?もしお前に必要とされる物があるとするならそれは…我々魔女が行なったような旅だろう」
つまり師匠みたいなことをすればいいってことか?世界最高クラスの技術力を持つ国を相手に喧嘩を売るとか?今ならどこだ?デルセクト辺りか?
「えっと、つまりデルセクトを単独で滅ぼせってことですか?」
「何にも伝わってないなお前。まぁその事に関しては八魔女会議で話をしてあった」
「え?八魔女会議で?」
「ああ、やはりな…我々八人がの魔女も思っていたんだ。ここ最近の成長の遅さを」
「う……」
耳が痛い、エリスはもう師匠の弟子になって十五年以上も経っているのに未だに第二段階ですもんね。本当ならそろそろ師匠の領域に指がかかってないといけないのに…。
「だから我々魔女はお前達弟子達に、やや荒療治ながらも経験と実戦の場を提供する事にした」
「…………?」
ん?なんだ?自信満々に笑いながらニヒルに笑う師匠の顔を見てたら、むしょーに嫌な予感がしてきたぞ。いや無性にというか凄まじく嫌な予感がする、エリスが今までの旅と戦いで培った全てがレグルス師匠が今から口にする言葉を警戒しろと忠告してくる。
ゾゾゾと走る悪寒、みるみるうちに引いていく血の気、なんだ…なんなんだ。経験と実戦の場を提供?つまりどういう事なんだ。
「つまりだな、我々は…いや、説明は私の役目ではないか」
「へ?」
その言葉と共に、エリスの視界がグニャリと捻じ曲がる。いや捻じ曲がったのは視界ではなくエリスが見ている世界そのものか。まるでかき混ぜたコーヒーのように渦を巻いて姿を変えた世界が、パッと元に戻る頃には…。
エリスの視界は、まるで別の世界を映していた。
「え?あれ?」
エリスは今まで、ウォルフラムに居たはずだ。あの汚れた酒場の椅子に座って師匠と向かい合っていたはずだ。
なのに、今エリスは…全く別の場所に立たされている。フカフカの絨毯、荘厳な岩壁、絢爛な玉座、ここは…謁見の間だ。国王が来賓と話をする謁見の間だ、しかもここ…きたことあるぞ。
ここは多分…。
「え?大帝宮殿?」
アガスティヤ帝国首都マルミドワズの中心に存在する皇帝の空飛ぶ居城『大帝宮殿』、以前帝国に来た時同様いきなり帝国の謁見の間に飛ばされたエリスは何が何だか分からないまま唖然として…。
「え?あれ?エリス?」
「へ?えぇ!?ラグナ!?」
ふと、声をかけられ振り向くと。そこには今ユグドラシルの地下で軍の指揮を執る仕事をしているはずのラグナが居た。手にはペンを持っていることから事務作業をしている最中にエリスと同様にこの謁見の間に飛ばされたことが分かる。
というかよく見ると、エリスやラグナだけじゃない。
「な!?なんだ!?何が起こったんだ!?」
「これ…時空魔術、ってかここどこぉっ!?」
「えーつまりこの魔術式を応用してぇ…あ?あれ?ここどこ?俺授業中のはずなんですけど…」
「え!?皆さん!?なんでエトワールに…ってここどこですか!?」
「……ん?あれ?」
メルクさんはスコーンと驚きのあまり尻餅をつき、なんか大量に資料を持ったデティはワタワタと慌てふためき、アマルトさんは教科書片手に顔を青く染め、ナリアさんはギョッとエリス達の顔を見て驚き、ネレイドさんはパチクリと目を動かす。
魔女の弟子達だ、みんなそれぞれの場所で仕事をしているはずの弟子達がみんないる。みんなもまさかここにいきなり飛ばされたのか、エリス同様。
「これは…対象の座標と全く同じ視点に一瞬時界門を作り出し、強制的に転移させる絶技…こんな事出来るの、一人しか…」
そして、大帝宮殿の謁見の間にて、唯一のホームでありながら戦慄するメグさんは指を顎に当てて推理する。
なぜこんな事になったのか、誰がこんなことをしたのか。まぁなんのためにかは分からないが誰がやったかは明白だ。
この宮殿の持ち主にして、一瞬で他人を移動させられる時空魔術の達人?そんなの一人しかいない…。
「すまんな、急ぎであったが故に全員ここに強制召喚させてもらった」
「な!?カノープス様!?」
「陛下!?何故!?」
謁見の間の最奥に存在する玉座に座ることを許された唯一の人物…無双の魔女カノープス様は、頬杖をつきながらエリスを見下ろしている。
この人だ、エリス達をいきなりここに呼び出し強制的に弟子達を集結させた人物は。それにカノープス様の両脇を固めるように他の七人の魔女様達が揃い踏みしている。
…ただならぬ状況、エリスの嫌な予感が結実しつつある。
「ちょっ!?カノープス様!俺仕事中なんですが!」
「私もだ!今魔女通貨に変わる新たな紙幣制作に関わる大事な会議の途中で!」
「私も私も!まだ仕事山ほどあるー!」
「俺も授業中なんですけど!!」
「喧しい!」
非難轟々の弟子達の言葉を一喝で消しとばすカノープス様、相変わらずの理不尽っぷりだがせめてこの状況の説明が欲しい。さっきまでエリスの側にいたレグルス師匠もなんかカノープス様の側に立ってるし…なんなんだこれ。
「今日お前達をここに集めたのは、他でもない八魔女会議での決まったとある決定事項を言い渡すためだ」
「決定事項?」
師匠も言っていた、八魔女会議で決まったとある事柄と…。それを今から教えてくれるのか?でもその割にはなんか空気が物々しいというかなんというか。
流れる冷や汗と共になんだか居ても立っても居られなくて左右を見回すと、みんなも同じ気分なようで。慌てふためくエリス達を見て愉快に思ったかそうでないかは分からないがカノープス様はそのまま静かに口を開きそれを伝える。
「ああ、先日の会議で決まったことだが…八人の魔女の弟子、お前達全員を『国外追放』に処す事になった」
「は?」
「へ?」
「な…なんて?」
「今、…なんと…」
今カノープス様はなんて言った?ん?国外追放?国外追放って国の外に追われて放り出されるってこと?…なんで。
「うむ、やはり会議の日に嘘をつかれたのが腹が立ったのでな。罰する事にした」
「はぁっ!?いやいやいや!あの時納得した空気だったじゃないですか!」
「だが嘘はつかれたしな、これは魔女会議により決まった事柄。魔女十八法に則り絶対の決定権を持つ」
魔女十八法、魔女裁判などに代表される魔女様が持つ絶対権限の一つ。これを用いて決定された事柄は魔女大国内部では絶対の決定権を持つ。それは例え時の国王であれ逆らえない。
いくらアド・アストラが魔女様と同列の存在になろうとも、そもそもの土台が魔女大国である以上この決定もまた覆すことは出来ない、つまり…。
「え…エリスの所為で、みんなが…国外追放に…」
改めて反芻し、口に出すことで一気に血の気が引く。エリスの所為で…と…とんでもないことに。
「ああ…」
「ちょっ!エリス!」
思わず貧血になりくらりと倒れるところをラグナに甲斐甲斐しく受け止めてもらえるが、ダメだ…もうダメだ、エリスはもうみんなの友達を名乗れない。責任は取るつもりだったけどまさかこんなことになるなんて…。
「ごめんなさいラグナ、みんな。エリス舌噛んで自殺しますのでお許しを」
「バカ!やめろ!」
「まぁ落ち着け弟子達よ、狼狽えるな。先程言った嘘をついたから国外追放というのは冗談で…いや国外追放自体は嘘じゃなくて…、というかまさかそこまで気にするのは思わなかった、すまんなエリス。軽率なことを言った」
ポカリと師匠に頭を叩かれるカノープス様はすまんますまんと会釈する。つまり何か?冗談?いやでも冗談を言うためだけにこのメンツを集めるか?…。
「国外追放という言い方が悪かった、…お前達八人の弟子はこれより魔女大国を出て出奔してもらう」
「出奔?色々聞きたいことはありますけど…色々順を追って説明してくれるんですよね」
エリスを相変わらず抱きとめたままラグナが一団のリーダーとしてカノープス様との話し合いに応じる。未だカノープス様と言いたいことは判然としない、国外追放ではないがそれでも八人には国を出てもらいたいと…一体如何なる要件があるのか、それを聞き出さねば話は進まない。
「ああ、…我々八人の魔女はお前達弟子の育成が遅々として進まない件について些かの焦りを感じていてな」
「それは…不甲斐ない限りです」
「いや良い、育成を前に進めるは師の役目。故に我等は考えた…お前達を更に強く鍛えるためにはこれまで続けてきた方法ではあまり意味がないとな」
「つまり、やり方を変えるために…国外へ?いつぞやの留学のように?」
「少し違う、この八人の弟子の中で『最も弟子入り時の状態から今現在への成長度合いが大きい』弟子はエリスだ、そこは分かるな」
「まぁ…そうっすね」
ラグナがチラリとこちらを見る、確かに弟子入りした時の実力から今の実力までの乖離が最も激しいのはエリスだ。ラグナはそもそも弟子入り前から強かったしメルクさんやアマルトさんもそれなりに戦えた、ネレイドさんは赤ん坊の頃からだからなんとも言えないが…。
エリスはなんでもない少女の状態から歴戦の戦士に勝る程の技能を手に入れている、成長度合いではエリスがダントツなのだろう。
「故にレグルスの育成法をモデルケースとして…お前達八人の弟子達に我等魔女から『最後の試練』を与える事とした」
「最後の…試練」
その言葉には聞き覚えがある。それは魔女様達が魔女様になった試練…シリウスより与えられ達成と共に第四段階に至った謂わば最後の修行…。
それと同じものが今、エリス達に与えられるというのか…。
「それは、一体?」
「うむ、…丁度御誂え向きの敵がいるのでな。其奴らを利用させてもらうこととした、つまり…」
そして、カノープス様は立ち上がり、魔女様達はエリス達を見下ろすように横並びに立ち、これが八人の魔女の総意である事を言外に語る。
魔女の総意によって与えられる最後の修練、それは……。
「お前達八人の弟子達はこれより国外へ出てマレウス・マレフィカルム本部を壊滅させて来い!猶予は三年!これ超過した場合お前達八人全員破門!その時は本当に国外追放に処す!」
「え…えぇっ!?」
マレウス・マレフィカルム本部をって…今まで数百年間魔女大国とやりあってきた大機関を壊滅させて来いって!?しかも猶予は三年って!?無茶にもほどがあるだろ!?
しかも…出来なかった時には本当に国外追放だって…。
「無茶苦茶ですよ!」
「せめて猶予は無くしてよー!」
「というか…まさか行くのは我々八人だけですか!?アド・アストラは動かせないのですか!?一応あれ魔女排斥機関を相手にする用に作ったのですが!?」
「出たよー!無茶振りー!」
「うるせぇっ!!!」
今度はアルクトゥルス様の一喝で弟子達の非難は消し飛ばされる。そもそもの話、問答無用なんです。
「猶予は変えねえ、アド・アストラにはどの道魔女排斥組織から世界を守る役目があるからお前達には同伴させねえ、何より…無茶だあ?バカ吐かすんじゃねぇぞテメェら」
「しかし師範!いくらなんでも無茶過ぎますよ!マレフィカルムは構成員の単位が億に差し掛かる大規模組織!それをたった八人でなんて…しかもクリア出来なきゃ破門なんて厳し過ぎます!」
「だとしてもだ、これくらいの無茶じゃねぇとお前らは進化出来ねえ。分かるか?これは魔女からの最後の試練なんだ…つまり、これより先に修行はない。これをクリアすれば免許皆伝…そんな大事な試練を通過出来ない出来損ないに魔女の弟子を名乗る資格はハナからねえだろ」
「それは……」
「オレ様達は無茶を言い渡したつもりはない、お前達はもう十分育っている。なら出来るだろ…このくらい」
このくらいとは言ってくれるが、正直無茶も無茶…大無茶だ。数百年間帝国が手を焼き続け、魔女様達でさえ本部の在り処を把握していないマレフィカルムをエリス達の手で叩き潰すなんて…出来るのか?
…ようやく分かった、師匠の荒療治の意味。これがエリス達に課された新たなる…そして最後の試練。無茶苦茶もいいところだが…魔女の弟子であるなら超えなくてはならない。
「アルクトゥルスの言う通りだ、我等はすでにお前達にはそれだけの基礎を詰め込んだ。後は無謀とも言える戦いの中でそれらを開花させていくしかない」
「開花?もう俺達には…それだけの基礎があると?」
「ある、もう既に第三段階に至ってもおかしくないだけの…いや、ともすれば我等と同じ第四段階に至れるだけの物は入れてある。後はお前達次第だ」
師匠達はこの戦いの中で第四段階に至り今の力を得た、ならばエリス達もこの無理難題をクリアしたら…もしかしたら行けるのではないか?
だからこその最後の試練、だからこその免許皆伝、この試練を終えたその時…エリス達はもしかしたら師匠達に並び立つだけの存在になっているかもしれないんだから。
「…………なぁ、みんな」
チラリとラグナが弟子達を見る。その視線は…覚悟を問う視線だ。正直みんな仕事があるしたった三年でマレフィカルムを潰せるとは思えていない、だがそれでも…もうジタバタしてもしょうがないところまで来ているのは確かだ。
エリス達にはやるかやらないかの選択肢しかない。やるならば茨道、やらなければ安寧。されど安寧の先にエリス達の求めるものはない…だってエリス達は全員。
「俺達は魔女の弟子だ、…全員目指している場所はあそこだろ?」
ラグナが親指で後ろを指差す。そこには勢揃いした八人の魔女。そうだ、エリス達はみんな魔女様に憧れ魔女様を目指し修行を積んできた。もしこの試練をクリアした時あそこまで行けると言うのなら…それがどれだけ無茶でも、乗らない理由はないんだ。
「正直これは茨の道だ。凄まじく困難で苦難の連続だろう。だがそれでも…俺達が求めるものはその道の先にしかない、なら行こう。あの高みに」
頷く、全員迷いなく首を縦に振る、全員覚悟は出来ているんだ。最初から安易な道を進んでいると言う自覚はない、苦しいことなんか最初から分かってた。それでも弟子になったんだ…だったらやってやろうじゃないか。
「全員覚悟はいいな!」
「無論だ、正直三年も国を離れるのは不安だが…それでも私は栄光の魔女の弟子。栄光を前に背を向ける者に座れる玉座はない」
「私もー!私も覚悟出来てるよ!ってかこのメンバーなら三年と言わず三日でいけるんじゃね?」
「今は俺たちだって立場がある、すげー忙しい立場がな。だがその立場を得られたのは魔女の弟子だからだ、だったらそこには真摯であるべきだろ?覚悟は出来てるよ」
「コーチは僕達を信じてくれているんです、乗り越えられると信じてくれているんです。僕はその期待に応えたい」
「陛下が望むならこのメグ、マレフィカルムを潰すことも魔女様に並ぶことも厭わないです」
「うん…やろうか」
「…ラグナ!みんな!やりましょう!この試練!」
「ああ…!」
覚悟は同じだ、逃げ出そうとする者も誤魔化そうとする者もいません。エリス達は行きますよ…この八人で新たなる旅路に。マレフィカルムと戦う試練の旅路へ!
そんな覚悟を見たカノープス様は深く深く頷き微笑むと。
「ならば決まりだな!試練の開始は今から三日後!そこから数えて三年以内にマレフィカルム本部を突き止め魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムを壊滅させよ!出来なければお前達には魔女の弟子の資質がない者と判断し全員破門とする!良いな!」
「はい!やります!」
「うむ!、では備えよ!新たなる旅路に!」
提示されるのは新たな戦いと新たな冒険、三年前師匠と巡った旅から一転…今度は魔女の弟子八人で新しい旅へと向かうことになる。
立ちはだかる敵や無理難題は三年前の比ではない、信じられないくらい強大な敵や何もかもをへし折る難題が立ちふさがるだろうが。
それでも、この八人とならば…何処へでも、何処まででも行けるはずだ。
だから、さぁ…行こう。新たな旅に、八人で!
……………………………………………………
時代は今転換点にある。魔女の時代からアド・アストラの時代へ。
しかし今までそこに明確な転換点があったわけではない、後世において今の時代が確立された明確な線引き…つまり『魔女の時代の終焉』が訪れるのはまだもう少し先だ。
そして、その魔女の時代を終わらせるに至る世紀の大事件…大いなる厄災以上の戦力がぶつかり合う史上最悪の決戦は着々と近づきつつある。
八人の魔女の時代を終わらせる『十人の英雄達』が、時代に節目を作る日。エリス達の八人の新たな旅立ちはその序章であることに、今はまだ誰も気がつかないのであった。
……………………第十一章 終