340.魔女の弟子と最強の魔女の弟子
轟く破裂音、響く爆発音。
アジメクに面する非魔女国家の一つ。草原の国『スペードル』の一角を占める『耕しの大草原』と呼ばれる地は今、阿鼻叫喚の大戦場と化していた。
ヴァニタス・ヴァニタートゥムの幻月のグリシャから齎されたステラウルブスに秘密裏に潜入出来るルート。この値千金の情報を餌に彼等は七百五十の魔女排斥組織を集め連合部隊を形成していたのだ。
三年前のシリウスの演説により、反魔女感情は爆発し各地に幾多の魔女排斥組織が急増しマレフィカルムは爆発的に巨大化していた影響もあり、数はあっという間に揃った。
ここ最近魔女排斥を掲げた新規組織達は行き場のない魔女への怒りと憎悪に駆り立てられるようにこの戦いに参加したのだ。
今日この日を以てより魔女の下僕アド・アストラとの戦いの火蓋が切って落とされるのだ。我々人類勇士は魔女の手から世界を取り戻すのだ。
そんな燃え盛る闘争心と勇気は、…一夜にして挫かれることになった。
彼等が不当に耕しの大草原を占領し、ステラウルブスに攻め込む大軍団を編成する為の仮拠点として作り上げていた作戦本部が…ある日突然、なんの前触れもなく、襲撃を受けたのだ。
「ぎゃぁぁああああ!!!」
「ひぃいい!!逃げろぉぉぉおお!!!」
燃え盛るテント、魔女排斥組織達が集まり寝泊まりしていた巨大なテントやコテージが次々と炎に飲まれ破壊されていく。これから大決戦に臨もうと力を蓄えていた臨時のアジトが次々と破壊されているんだ。
気炎万丈に燃えていた反魔女の勇士達もこれにはすっかり意気消沈。悲鳴をあげ涙を流し逃げ惑うばかりだ。
「こんな話聞いてねぇよ!なんだよあいつら!!」
そんな中、流麗な金髪に漆黒のコートを纏った見た目だけ強そうな若者が炎から逃げるように草原を走る。彼の名は『新世界皇帝フィリンダー』…魔女排斥組織達『新時代到来』のボスとしてつい一年前に旗揚げを行った若者だ。
街の若者やアウトローを仲間にし、魔女時代ではない新たな世界を創生することを目的としていた彼は今、泣き喚き敗走していた。
「お前!アド・アストラの兵士と戦って倒したことあるって息巻いてただろ!行け!」
するとそこに、フィリンダーを捕まえる手が伸びる。髭面に眼帯の恐ろしい風貌の男…魔女排斥組織『サンダーファルコン』にて既に十年以上もボスとして戦っていたベテランの戦士ファルコンだ。
彼は逃げるフィリンダーの胸倉を掴み怒鳴りつける。
「今更逃げんじゃねぇよ!アド・アストラをぶっ潰してやるつってたよな!なら逃げずに戦え!お望みのアド・アストラが来てんだぞ!」
フィリンダーはファルコンに昨晩言っていた、『俺はアド・アストラの支部に襲撃をかけて兵士を倒したことがある、戦闘になったら俺が活躍するから足を引っ張るなよ』と…。
だが実際はどうだ。こうして今この臨時アジトが襲撃を受けているのにフィリンダーは泣いて喚いて逃げているんだ。
「バカ言うなよ!俺が倒した奴とレベルがまるで違うじゃねぇか!なんだよあの化け物!」
ふざけるなと返すフィリンダーに寧ろふざけるなと返してやりたいのはファルコンの方だ。彼とて十年以上反魔女を掲げていたからこそ分かる…。
「ハッ、それがお前が喧嘩を売った相手だよ。アド・アストラにゃあんなレベルの化け物がまだまだゴロゴロいるんだよ…!」
伊達じゃないんだ、八千年の治世は。
そしてそれに反旗を翻すと言うのは、伊達じゃないんだよ。
だと言うのにどうだこの有様は。確かにこの連合に集まった組織の数や人員の数は過去最大、三年前のアルカナ大連合よりも大規模だ…が。
その実、集まったのは大抵がこんなのばかり。
「くそっ!だから流行りに乗ったミーハーは信用ならないって言ったんだよ!」
ここ三年で魔女排斥組織の数は急増した、だがそれと同時に覚悟も伴わない半端なミーハーが大量に現れたんだ。
今なら流れに乗って暴れられるかも、と考えるチンピラもどきや。
今なら楽して稼げるかも、と考える山賊あがりのクズ。
今ならヒーローになれるかも、と考える頭でっかちのバカ。
今なら自分が世界を変えられる、と若気の至りで奇行に走る若者。
そんなのがイキってのさばってるのが今の魔女排斥組織の現状だ。こんなのが百人増えようが百万人増えようが戦力にもなりゃしない。
何せ今、マレフィカルムが相手にしているのは……。
「うぉおおおおおお!!死ね!魔女の下僕ぅぅうう!!」
「俺の必殺剣を受けてみろぉぉおおお!!」
「喰らえ!必殺『サンダーインパクト』!!!」
今もあそこで若者が戦ってる、確か元々学生だった連中だったか?学校で習った戦闘術で挑みかかる相手は…一人の女騎士。
否……。
「はぁ〜、なんか…気が抜けるわぁ…」
あくび混じりでその手の漆黒の大剣を一振りすれば。
「ぐぁぁああああ!?!?」
「なんだそれは!?」
「ひぃいいいい!!!」
突っ込んでいった剣士も戦士も魔術師も、みんな纏めて一撃で吹き飛ばされる。その光景から叩きつけられるのは確かな絶望…黒金の絶望。
「喧嘩売る相手、間違えてない?」
黒金の絶望。アジメクの最高戦力クレア・ウィスクムが今そこにいるんだ。
魔女大国最高戦力クラスが目の前にいる。十年魔女排斥組織をやってるファルコンの持論で言わせて貰えば、これはつまり死ぬってことだ。
あいつらはもう人間の領域にいない。しかもただでさえ強いのにこの三年で更に強くなってるってんだからもう手のつけようがないんだ。
「なんで…魔女大国最高戦力クラスがここにいるんだよ!!!」
「おかしい…話が違う…、俺達は…ステラウルブスを簡単に落とせるって聞いて!」
「はぁ〜〜?ステラウルブスを落とす?無理でしょこんな体たらくじゃ…。第一…あんたらが喧嘩吹っかけるなら、私はどこにでも行くわ!あんたらが全員ぶっ殺す為にね!!」
大きく大きく黒の大剣を振りかぶり…、クレアはその剛力を解き放ち。
「ちぇぇぇぇええりぉおおおおおお!!!」
ぶん回す、大剣をただただぶん回す。それだけで発生したサイクロンは愚かにも刃向かったバカども諸共設営されたコテージすらも吹き飛ばす。
レベルが違う…、それをまざまざと見せつけられた者達は次々と剣を捨てて逃走を始める。
いや、クレアだけじゃない。向こうは少数ながら戦力を揃えてきている。
「チッ、憂さ晴らしにもなりゃしねぇ…マシなのはいねぇのか!!」
「ご…がぁっ…」
「嘘だろ、巨漢のダーロドがやられた…!」
拳一つで戦い吠えるあの男。まるで餓える獣の如き戦いを見せるのはアルクカースのエリート集団『王牙戦士団』の総隊長ベオセルク・シャルンホルストだ。
国王ラグナを除けば国内最強…、世界規模で見てもあのレベルの戦士はどこにもいないと言われる程の男が次々と魔女排斥組織を潰しているんだ。悪夢と言われた方が現実味がある。
「相手にもならんな、これでは…」
「ですね、ラグナ大王の号令は完璧でした。あとはもう消化試合でしょう」
死屍累々、既に壊滅させられた一団を踏み越え燃え盛る炎を背にする二人なんかは特にやばい。
帝国将軍ゴッドローブとデルセクト総司令グロリアーナ。アド・アストラでも五本の指に入る強者と呼ばれる二人まで居る。ここまで最悪な状況になった魔女排斥組織は逆に存在しないだろう。
「ああ、燃え盛る炎は我が涙を隠す。哀れにも叶わぬ夢を抱いた愚か者達の行く末を哀れむ我が慈悲の涙を」
「ああ、燃え盛る炎は我が涙を隠す。哀れにも叶わぬ夢を抱いた愚か者達の行く末を哀れむ我が慈悲の涙を」
「なんだこいつ、…なんか泣いてるぞ?」
「おお、おお!おおお!なんと悲しき事か!私の悲しみよ!天を穿て!」
水色の髪を揺らす長髪の男性剣士、このゴロツキの溜まり場に近い戦場には似つかわしくない人物が炎をスポットライト代わりに大袈裟に泣いているのだから当然視線を集める。
「悲しい!悲しい!こんなにも悲しいなんて!」
「まぁなんでもいいや、こいつも敵だろ?」
「へへへ、今のうちに斬り殺してやろう」
一人で涙を流す剣士を敵と見た魔女排斥組織達はギラリと剣を輝かせ、仰々しく肩で風を切りながら詰め寄り……。
そんな中、一人のチンピラが彼の耳元の落涙を模したイヤリングを目にし、ギョッと顔色を変える。
「あの涙のイヤリング…まさかそいつ。『落涙のハムレット』か!!??」
「あ?落涙のハムレット?…って言えば確かエトワールの…」
エトワールの未来を担う両翼。先代プルチネッラの意志を継いだ若き喜劇の騎士ステンテレッロ、そして現エトワール最強戦力たる悲劇の騎士マリアニール…の跡を継ぐと言われている悲劇の騎士団の副団長。
その男の名こそ、ハムレット…落涙のハムレット・オディロンである。
「嗚呼、悲しいね…勝てると踏んで寄ってくる、斬られの端役の…なんと悲しき事か」
目つきが変わる、ハムレットと呼ばれた騎士の目つきが。それは流麗に剣を構え、誰も彼もが反応するよりも早く…トン、と軽くドラムを叩いたような軽快な音を立て。
跳躍した。
「なぁっ!?」
「いつのまに…!?」
それは立てた板を流れる水のように、綺麗な跡を残してチンピラ達の間をすり抜けて…いつのまにか振り抜いていた剣を鞘へと収める。
斬ったのだ、斬ったはずなのだ。チンピラ達はみんな斬られたはず…なのに。
「あれ?傷がねぇ」
「外したのか?」
「いや、でも斬られた感触は…ええい!分からねえ!」
斬られたはずなのに男たちには傷跡一つ無いのだ。この不可解な現象の解決は後にして今はすぐにでもハムレットを斬り殺さねばならない…。
何せこの男は今、喜劇の騎士ステンテレッロとエトワール最強戦力の座を懸けて争っているほどの男なのだから────。
「あ?え?…っておい、お前なんで泣いてんだよ」
「へ?」
ふと、背を向けるハムレットに斬りかかったチンピラの一人が涙を流していることに気がつく……。
「ってお前も何泣いてんだ!」
「あ、あれ?なんだこれ?なんだこれは!?」
チンピラ達が全員泣いているんだ。ボロボロと涙を流しダラダラと目が充血するほどの勢いで涙を流しているんだ。泣いている感覚はない、悲しくもない、なのに…。
「な、涙が止まらねえよぉおおおお!!!」
止まらないのだ。
「悲しいな…嗚呼、悲しい」
「止めてくれ!止めてくれぇ!!目が!目が痛い!!目が流れ出ちまう!」
「しかもこの涙、俺たちの魔力使って作られて!」
「ひぃいいいいいい!!」
涙はチンピラ達の魔力を使って作られているのだ、彼らの魔力が続く限り永遠に泣き喚き続けるのだ。
これこそハムレットが自ら考案し作成した魔術陣…『落涙陣』の力。これを書き込まれた剣で触れられた物は目を介して水魔術が生成され続け、最後には魔力が空になり動けなくなると言う恐ろしい代物。
当てることが出来ればどんな存在だって泣かせ、継続的な魔力ダメージを与え続ける陰険極まる魔術こそが彼の力…、自分も泣き相手も泣かす、まさしく『落涙のハムレット』。
「…はぁ、劇作家たる私がこんな方法でしか泣かせることが出来ないなんて、それが一番の悲劇だ」
ただの一撃で敵に悲劇を与えるハムレットは悠々と歩き敵を殲滅する。
「どうする、バケモノだらけだぜ」
「逃げようにも…この炎の海じゃあな…」
あちこちに現れた絶対強者達から逃れようと隠れる魔女排斥組織達は物陰に隠れて様子を伺う。逃げようにもあちこちで上がる火の手は逃げ場を奪っているのだ…。
このままじゃ斬り殺されるか炎に巻かれて死ぬのが関の山。一体どうしたら…と思考を張り巡らせたところで…それは巻き起こる。
「…ん?これ」
「あ?雨か?」
ポツポツと水滴が天から落ちてきたのだ。天を見上げれば暗雲がいつのまにか頭上に立ち込めており、それが雨水を大地に与えているのが見える。
これはしめた、雨が降れば炎も消える。その隙に逃げ出しちまおう。
「おい!この雨に乗じてすぐに逃げて…」
「は?何言ってんだ?雨なんか降ってないぞ?」
「え?あ?」
ふと、振り返ると…すぐそこにいる仲間のところには雨が降っていなかった、自分達のところにはこんなに雨が降っているのに。
いや、よく見ると。自分達の周りにしか雨が降ってない…こんな局所的な雨雲なんて、あるわけが……。
「『黎明の雷鳴』〜…」
雨音に紛れるように聞こえる天の声が、チンピラ達の耳をついた…その瞬間であった。
彼らの頭の上にのし掛かる暗雲が光を放ち雷鳴を吐き出したのは。
「ぎゃぁぁあああああ!!!!?!?」
「ななな!?なんだこれ!?!?」
「雷?いやありえないだろ…この量」
いきなり暗雲から放たれた落雷の数、十や二十なんて数じゃない…数えきれない量の雷がいきなり起きる。それも不自然な形の暗雲から、どう考えても普通じゃない…そう戦慄していると天の暗雲はまるで嘘であったかのようにふわりと一瞬で消え…。
現れる、人影が。
「あれ?巻き込み損ねたのがいる感じですか。はぁ…怠い」
それは、クッション程の大きさの白雲の上に乗りプカプカと浮かび上がる一人の男だった。青黒い髪は顔にかかりなんとも陰険であり、怠そうに曲がった猫背は陰湿であり、しかも何故か彼の頭の上には常に小型の雨雲が湿気っていると言うなんとも奇妙奇天烈な姿をしているんだ。
それが、巨大な杖を肩に担いで大地の魔女排斥組織を見下ろす。
「なんだお前…いやその雨雲、『天流神のユピテル』か」
「ふぁあ…あ、ごめん聞いてなかった」
奴の名をユピテル…、本名を天流神のユピテル・クレオメデス。コルスコルピ出身の貴族にして世界最強の大剣豪タリアテッレを輩出したポセイドニオス家に並びアリスタルコス家の分家として知られる名族クレオメデス家のお坊ちゃんである。
と…言う評価は正しくないか。彼を正当に評価するなら『コルスコルピ王国宮廷魔術師団総団長』であろうか。齢を未だ十代にして国内最強のタリアテッレと魔女の弟子アマルトに次ぐと言われる大天才。
アリナ・プラタナスがいなければ彼が次期魔術王だったと称される程の天才魔術師こそが彼だ。
「はぁあ、憂鬱だ…僕は研究者なのにこんな戦場に駆り出されてしまうなんて、コルスコルピの戦力層の薄さは嘆かわしいよ…、まぁこんな雑魚相手なら僕でもいっか」
「ナメやがって、雲なんかに乗って見下ろしやがって!撃ち落として…」
「に、逃げろ…アイツが本当にユピテルなら勝ち目がない、アイツの二つ名…『天流神』、その由来は…」
プカプカと頭上を浮かぶユピテルを撃ち落そうと腹を立てたチンピラが手に持った剣を投げつけようとした、その瞬間…ユピテルは目つきを変え、その手の杖を掲げ。
「天罰覿面…」
「な!?雲がデカくなって…」
彼の座る白雲が瞬く間に巨大化し再び荒れ狂う暗雲…雷鳴轟かせる嵐へと変わったのだ。
これこそがユピテルが天才と言われる所以、十代にして彼は『最大の属性魔術』を扱えるのだ。その名も…。
「『レランパゴテンペスター』」
名を天候魔術、世界最大規模の属性と呼ばれる『天気』を彼は流れるように操ることが出来る。彼が一度杖を振るえば天は荒れ狂い雨が吹き荒れ稲妻が走る。
その力は大地を舐めるように発揮され虫のように大地を這うしか能のないゴミを掃除する。洪水に流されて天から落ちる光の槍に焼かれ、神の息吹に吹き飛ばされる。
「ぅぎゃぁあああああ!!!」
「たすけてくれぇぇえ!!!」
「僕って、結構強いと思うんだけどなぁ…」
天の玉座に座りながら杖を振るう姿はまさしく神、引き起こされる災害はまさしく神罰、だがそれでも疑問だとユピテルはため息を吐く。
こんなに強くても、まだコルスコルピ最強の座も魔術王の座も射止められないなんて…。
「はぁ、憂鬱だ…僕だけ何者でもないなんて」
はぁと彼が一つため息を吐けば彼の頭の上の雨雲より一層の雨を強く滴らせる。
打ち倒された死屍累々の敵を見下ろして、彼は憂鬱に濡れる。
「うぉぉぉお!!死ねぇぇぇええ!!!」
「死なん、死ぬのは、貴様だぁっ!!!」
「ごはぁっ!!!?」
そしてあそこで炎よりもなお激しく拳を振るい、既に数百人以上倒しているのは…アルクカースの第一戦士隊の隊長…ライリーだ。
「名誉挽回!迷惑をかけてしまった分!挽回!挽回!」
「なんかこいつすげぇ張り切ってるんだけど!?」
「やかましい!」
アルクカースの喧嘩番長と呼ばれアルクカースの次代を担うと称されるだけあり、その戦いは勇猛果敢。ロクな武器も防具も身につけず敵を一撃で倒して回りながら走り回る彼女は一瞬の災害だ。
『ふははははははは!!殲滅!壊滅!全滅!最強の武神が罷り通るぞ!其処退け其処退け!!』
更に現れるのは五十メートルを超える超巨大な人影。いや…巨大な鉄の人形に乗り込んだ帝国師団長だ。帝国第十一師団の師団長ユゼフィーネ・フレスベルグ、そして魔装作りの天才と呼ばれる彼女の作り上げた傑作超絶魔装神ビッグバンフレスヴェルグが目から光線を放ちながら暴れている。
敵は少数だ、こちらと比べればいないも同然の数だ。だが…手も足も出ていない、
見抜かれていたんだ、こちら側には経験が少ない新米しかいないことを。それ故の奇襲…これから攻め入ろうというタイミングでの奇襲。お陰で出鼻は挫かれ士気はへし折れ、一気に壊滅まで持っていかれたんだ。
「あんな怪物だらけなんて聞いてない…!俺はもう!帰る!」
「帰る?無駄だよ、お前知らないのか?」
「へ?何が」
ファルコンに胸倉を掴まれたフィリンダーは問う。帰る?逃げる?無理だそれは、ファルコンはもうわかっていた。
この襲撃がどう言う意味のものなのかを。この襲撃の指揮を執っている男が誰なのかを見た時から…半ば諦め腹を括っていた。
「この作戦の指揮を執ってる男は…アイツだ」
「アイツ…?」
燃え盛る火炎の奥を、ゆっくりと歩みながらこちらに向かってくる影がある。ゆっくりゆっくり歩いてくるだけなのに…まるで巨人がこちらに向かってきているかのような絶大な威圧が駆け抜ける。
それもそのはず、何せあそこに居る赤髪の男の正体は…。
「誰アイツ…」
「バカ、この活動してるなら敵の総大将くらい知っとけ。アイツはラグナ・アルクカース…アド・アストラ軍の大元帥だよ」
「ええ!?あんな子供が…」
ファルコンから言わせてもらえばフィリンダーの方が子供に見える。年齢的な意味合いではない、今目の前に立つラグナの方が幾分成熟して見えるのだ。経験…実績…そして立場、全てが常人のそれから逸脱している。
元帥であるラグナが指揮を執っていると言うことは、アド・アストラの威信にかけてここで俺たちを全滅させる気満々と言うことだ。故にどこに逃げても無駄だろう。
「逃げても無駄だ、最後まで戦え」
「でも…でもっ!勝てるわけが!」
「大変そうだな、そっちもさ」
するとラグナはこっちを確認したのか。にこやかに微笑みかけながら寄ってくる…バカが泣き喚くから見つかったじゃねぇか!
「ひぃいいい!」
「チッ、新米は使い物にならなくて困るぜ…!」
「そこがアド・アストラとマレウス・マレフィカルムの差だ。新米はいつまで経っても新米のまま、軍人と違って訓練機関がないからな。まぁそれ抜きにしても…そいつはロクに役に立たなさそうだが?」
チッ、言う通り過ぎて嫌になるぜ。…だからフィリンダーをラグナの前に投げ捨て。
「ほれ、フィリンダー。チャンスだぞ…目の前にお前が殺すって息巻いてた六王がいるぞ。こいつを殺せばお前は一躍魔女排斥組織の英雄だ」
「え…英雄、…ぅぅ」
腰を抜かしたフィリンダーはラグナの方にチラリと視線を向けると、ラグナは特に警戒する様子もなくニッコリと笑い。
「いいじゃねぇか、俺を殺して見てみるか?立身出世の夢を」
「…こいつ…!なめやがって…」
そこでようやくフィリンダーも覚悟を決めたのか。腰の剣を抜いて立ち上がり…ラグナ大王と相対する。
「やるか?」
「決まってんだろ…死ねぇ!!!」
斬りかかる、全身で飛びかかり剣を抜いて切り掛かり先手を取る…、対するラグナは相変わらず微動だにすることなくその先手を受け入れ…。
「なぁっ!?」
鈍い金属音を立て剣がへし折れる。ラグナに触れて…いや触れてすらいない、ラグナの周辺に漂う何かによって阻まれへし折られたのだ。
あれは…魔力防壁か?まさか防壁魔装を装備して…、いや違う…おいおいアイツ、自力で魔力防壁張れるのかよ!?反則だろそりゃ!?
「な…俺の剣が」
「浅い上に軽い剣だな、こんなんじゃあ俺は殺せないぜ…」
「ひ…ひぃぃ!!」
卓越した使い手は魔力を防壁として張る事が出来る。ってのは聞いた事があるが…まさか一国の国王がその段階まで行っているなんて思わないだろう。
「やりたいことがあるなら、守りたい物があるなら、それを押し通せるだけの力を得るんだな!でなくちゃあ俺の…俺たちの敵は務まらないぜ?」
お返しとばかりにラグナが拳を握る。ただそれだけで素人目にも分かるほど彼の拳に魔力が集約し、剰え彼の周囲に漂う防壁すらも揺らいで凝縮され一つの拳に乗る。
まずい…そうフィリンダーもファルコンも咄嗟に悟るが遅い。
「『熱拳…』!」
大地が揺れる、空が震える、世界が慄き、敵は恐怖する。ラグナの放つ威圧がグッと一つ大きくなると同時に…その天災の如き拳は振るわれ。
「『龍劾』ッ!!」
放たれた拳はフィリンダーに当たらずピタリと鼻先で止まる。と…同時に放たれたのは凄絶なる衝撃波、まるで爆発するかのように発生したそれはなんであるか?
拳により発生した衝撃波、ラグナの拳から放たれた風圧、どちらも違う…放たれたのは『魔力防壁』だ。
彼の正拳突きと共に放たれた魔力防壁が彼の拳状に変形し殴り飛ばされることにより爆裂し、目の前の何もかもを破壊するだけの威力を発生させたのだ、フィリンダーもファルコンも、その背後のコテージも周辺を囲む炎のカーテンも周囲の組織も全てを巻き込み吹き飛ばされる。
これぞまさしく魔女アルクトゥルスがラグナに示した『拳の極致』、即ち殴らずして殴る究極の一撃。その域に達した彼の拳は万里の先まで届くのだ。
「これで終わりか?」
彼の前に立つ者はいない、彼を前にして立っていられる者はいない。
最早人の領域に留まらない強さ。ベオセルクすら凌駕しアルクカース最強の名を受け、三年の修行で強くなった弟子達を前にして尚も魔女の弟子最強として立ち続ける男の強さこそがこれ…。
ラグナ達の圧倒的攻勢により、魔女排斥大連合は一夜にして悉く滅ぼされてしまったのだった。
………………………………………………
「ぁ……マジ?」
「嘘ぉ…」
アド・アストラの技術力により実現した最新技術。記録した映像を壁に投射する『投影魔装』によって、宿屋の壁に映し出されたのはラグナが少数を率いて集められた七百五十の組織を殲滅する様だった。
それをまざまざと見せつけられたエリス達魔女の弟子は言葉を失う。
「えぇー!なにこれ!?撮影されてたのかよ!恥ずかしー!俺髪跳ねてんじゃん!」
ただ一人、あの場にいた張本人であるラグナだけがやや照れ臭そうに頭を掻いているのだ。
ラグナが帰還し、彼と合流したエリスはそのまま彼と共にみんなの居る宿に戻って来ていた。一応倒したグリシャをアド・アストラの兵士に突き出しておいたからもう一安心なのだが…。
「おいメグ!いきなりこんなもんみんなに見せてどう言うつもりだよ!」
「いえラグナ様が戻られたので、皆様にラグナ様のご活躍をご覧いただこうと思い。秘密裏に部下が撮影したそれを見ていただいただけ…のつもりだったのですが。これは…」
メグさんはラグナが帰ってくるなり、見せたいものがあるとこうしてエリス達にさっきの映像を見せてくれたわけなのだが…。どうやらメグさん自身先程の映像を見るのは初めてらしい。
そりゃあそうだ、今の映像を見て衝撃を受けない者はいない。少なくとも魔女の弟子ならみんなさっきの戦いを見て感じるものはあるはずだ。
ラグナの隣でさっきの戦い…ラグナ達による魔女排斥連合掃討作戦の顛末報告を見たエリスもまた鉄のハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けていた。
理由は一つ…。
(つ…強い、ラグナ…こんなに強くなってたんですか)
ラグナが今しがた見せた強さは確実にエリスを上回っていたからだ。クレアさんやグロリアーナさん、ベオセルクさんやゴッドローブさん達のような魔女大国最高戦力達と並んでも遜色無い程の威容を見せていた。
何よりあの魔力防壁…、エリスがグリシャとの戦いでやっとの事で会得という形に持っていけた完全なる防壁をラグナはいとも容易く操っていた。いや、エリスが使っていたそれよりもずっと分厚く…濃い。
何より間合いの範囲、エリスが見たところ数メートルはあった。剰え防壁の形を変えて拳に纏わせ攻撃に転用する?どこまでデタラメなんですかラグナ!
「……ラグナは別格、そう思っていたがこれほどだったか。お前私達と同じ仕事を三年こなしながらここまで強くなっていたんだな」
「え?メルクさんには見せてなかったっけ?魔力防壁」
「私は前線にはいかないからな。それになんだあの攻撃…魔力防壁を利用した攻撃法?聞いたこともないぞ」
「ああ、あれは間合いと防壁の応用だ」
ラグナが見せた魔力防壁の使い方は、エリスが辿り着いた段階の更に上…どうやってやるのか今のエリスでは想像もつかない。分かることは一つ…エリスの全てを上回られている事、それだけだ。
「むはぁー、マジぃ?おいラグナお前ちょっと強くなりすぎだろ」
「僕も三年間修行してきたつもりだけど、ラグナさんはやっぱり凄いですね」
「ラグナ様は相変わらず規格外でございますね、負けるつもりはないですが…まぁ今はこの結果を受け入れましょう」
「……燃えてきた」
みんな衝撃は受けている。魔女の弟子はみんな仲良し…だけどそれはそれとして己の師の尊厳と威厳に掛けて『最強の魔女の弟子』の称号は誰にも譲るつもりはない。友であり好敵手、それがエリス達の関係性なのだが。
最強の魔女の弟子の称号は今もラグナの物らしい。みんな言ってるけどやっぱり彼は別格だ。
「でも…負けませんからね!ラグナ!」
「ん?…んー……」
負けられない…、そんなライバル意識に満ちた七人の魔女の弟子達の視線を一身に受ける最強の魔女の弟子ラグナは、やや呆気を取られたようにみんなの顔をそれぞれ見つめた後。
「へへっ、やっぱ俺。みんなの事大好きだよ」
「どんな感想…」
なにやら嬉しそうに笑う。挑戦上等、いつでも最強の名を賭けて戦ってやるよと言わんばかりに彼は深く椅子の上に腰を下ろす。まるでその座こそが最強の御座であると言わんばかりに。
まぁ…とはいえ、今エリスが彼と戦っても勝てるビジョンは見えないわけですが。と言うか普通にショックなんだけど?エリス三年修行だけに専念してたのにラグナは仕事の片手間ですよ?自身喪失しそうになるんだが?
「しかし、驚きだなぁ」
「ん?どうしました?ラグナ」
「いや、任務を終えて久々にステラウルブスに帰ってきたら。エリスもいるしアマルト達もいるし、魔女の弟子が勢揃いしていつぞやみたいに一緒に暮らしてるんだから…これならもっと早く帰って来ればよかったなぁ」
「まぁ揃ってたのは偶然なんだけどな」
たしかに偶然とはいえ、また魔女の弟子が勢揃いだ。ラグナが極秘任務から帰って来てこうして合流してくれたおかげでいつかの日が帰ってきたみたいな気がして、エリスは今とても楽しいですよ。
「偶然とは言え、また八人揃うとはな」
「ある意味、必然かもな」
「だぁな」
皆それぞれの顔を見合わせる、みんなここに来たのは偶然だ。ただ何かに呼応するようにみんながみんなここへ集った。それはもう偶然ではなく必然…運命と呼べる物なのかもしれないな。
「またみんなとこうして集まれて、エリス嬉しいです」
「俺もだよエリス、まさかまたエリスと会えるなんてな…三年間何処に居たか聞かせてくれるか?」
「え?ちょくちょくアルクトゥルス様遊びに来てましたけど、聞いてないんですか?」
「……聞いてないな、あの人俺にエリスの事黙ってやがったのか」
てっきりエリスはラグナだけは知っているものだと思っていた、それぐらいの頻度でアルクトゥルス様はエリス達の所に遊びに来ていたんだ。ここに来る時もアルクトゥルス様と会ってたし…。
なんで黙っていたんだろうか。
「待てラグナ、その前にお前が何処で何をしていたかの説明が先だ」
と椅子に座りながらラグナに厳しい視線を向けるのはメルクさんだ。…いや、何をしてたかの説明って。
「メルクさんは知らないんですか?」
「ああ、何も知らん。気がついたら居なかった…と言うのが正しいだろうな」
「あ!それ私もー!いきなりラグナ居なくなって大変だったんだからねー!」
どうやら同じ六王達もラグナが何をしていたか全く知らなかったようなのだ。と言うと…事の真相を知っているのはメグさんとラグナだけ、と言うことになるな。
「何してたって、さっき見た映像の通りだが?」
「あんな作戦が行われていること自体、私は初耳だ。いくら軍事部門はお前に一任しているとは言え…一言くらいあってもよかったんじゃないのか?」
「申し訳ありませんメルクリウス様、そちらの方を黙っていたのは…私が隠していたからなのです」
「メグ?お前が…」
「はい、そしてその作戦が終わりましたので…私の方から説明をしたいと思います」
不肖ながら私が、とメグさんは投影魔力機構を片付け。椅子に座る弟子達の前に立つ。
「いいのか?メグ」
「構いません、ここで内緒にするつもりなら先程の映像も見せていません」
ラグナが目配せをする。或いはここで黙っているのも一つの選択肢だ…と言わんばかりに。友達であるエリス達にさえ隠さなければいけない話…、それがグリシャの集めた魔女排斥連合…ってわけじゃなさそうだな。
「おほん、事の始まりは今から数ヶ月前…冥土大隊がスペードルの地に魔女排斥組織が集まっているのを確認したのがきっかけでございます」
メグさんが語る、魔女排斥組織がスペードルの平原に臨時アジトを打ち立てているのを確認した…と。
当初は何故集まっているのか分からず、警戒しつつも対処は後回しにしていたそうだ。集まっているのは所詮新参者ばかりであり、なおかつ隣国とは言え他国の領土の中で集まっている事。アド・アストラが無理に踏み入って退治するほどのものではなかった。
「後から考えれば…アド・アストラ内部に潜んでいたグリシャ・グリザイユの手引きによるものだったとエリス様から聞いています。もしあのまま対処を遅らせていれば今頃大惨事になっていましたね」
「と言うことは、わざわざ極秘任務にしてラグナを向かせた理由にグリシャは関係ない…と?」
「ああ、裏切り者に関しては俺は何にも知らない。むしろ帰ってきてそんな話が上がっててびっくりしたくらいだ」
だから助かったよエリスとラグナはエリスを撫でてくれる。ありがたい限りですよ、エリスがみんなの役に立ったのならそれで。
でも気になるのは、魔女大国最高戦力クラスをあれだけ向かわせ、おまけに六王であるメルクさん達に一切の了承を得ずあれほどの事をした…というのは確かに気になる。
「何故、極秘任務に?」
「それは……、国際問題に発展しかねないからでございます」
国際問題、つまりアド・アストラたる魔女大国と…何処かの国の関係が悪化するという事だ。何処とだ?スペードル?、こう言っちゃあれだがスペードルは小国だ、あんなのが騒いだ程度じゃ瑣末な問題にしか…。
「一体何処と…」
「マレウスだ、あの一件…いやもしかすると他の件も全て、裏で糸引いてるのはマレウスかもしれない」
「ッ……!」
マレウス、魔女大国に属さずなおかつ魔女大国級の国力と領土を持つ唯一の国。あの大国が裏で糸を引いているとラグナは言うのだ。
驚きだよ、驚いたさ。けど否定はしない…何故ならエリス達は既にマレウスの関与と思わしき物を見つけている。
「…グリシャもマレウス製の魔導具を持っていました」
あの指輪だ、宝石型の念話魔導具。あれは帝国で作られたものではなくマレウスで生産されたものだった。つまりグリシャがあれを持っていたということは…つまり、マレウスから取り寄せたかマレウスから渡されたかのどちらかしかないんだ。
「我々冥土大隊はスペードルの地に集まった組織が何故集まっているかの調査をしている過程で、…スペードル国王に対してレナトゥス・メテオロリティスから平原に集まっている魔女排斥組織達の存在を黙認するよう働きかけがあったことが分かりました」
「レナトゥス?誰ですか?」
とナリアさんは首をかしげる。まぁこれについては他国の情勢に詳しくなければ聞かない名前だろう。エリスは一応奴に二度会ってるから知っている、レナトゥスは…。
「レナトゥスはマレウスの宰相。謂わばマレウスの王政のNo.2…いや、噂じゃ政治的な実権はあいつが握ってるって言われてるから、事実上のマレウスの王かな」
レナトゥスはマレウスの宰相、事実上の国のトップとしてマレウスを動かす人物だ。全身古傷だらけで義手と義足と義眼で人の形を保っているような怪物、それが奴だ。
そして、何よりレナトゥスはあのバシレウスを擁立した女でもある。魔女を超え魔女を打倒する存在『蠱毒の魔王』としてマレウス国王の座に走れ椅子を押し上げたのが…レナトゥスなんだ。
「え…なんで、そんな偉い人が魔女排斥組織に有利になるような事を、他国の王に吹き込んでいたんですか?」
「集まった魔女排斥組織達とグリシャが何をしようとしていたかはもう俺達だって知ってるだろ?」
グリシャはアド・アストラを滅ぼそうとしていた。ならそれに味方するってことは目的が一緒って事だ。つまりレナトゥスはアド・アストラを滅ぼそうとしていた…ということになる。
よりにもよってマレウスの宰相が魔女排斥組織と繋がっていたんだ。
「迂闊にアド・アストラが大手を振って集まった魔女排斥組織達をぶっ飛ばせば、その時はまぁ解決で済むだろう。だが下手をすりゃレナトゥスがアド・アストラにケチをつける絶好の材料を与えちまう、それがどういう風に作用するのか分からない…だが明確に敵対行動を取ってるやつの前で腹を晒せるほどの度胸は俺にはない」
「だから…秘密裏に?」
「ああ、…正直あん時のメルクさんはあんまりこう…、負担をかけられる状態じゃなかったしさ?だから秘密裏に秘密裏に、内緒で片付けてきたわけよ」
「……すまなかった」
「まぁいいってことよ。人間なんだ、浮く時もあれば沈む時もある。何よりもう本調子みたいだしよかったよかった」
かなりオブラートに言ってはいるが、あの時のメルクさんは相当あれだったようだ。エリスと再会した時点では精神的な傷の方が大きかったが…それでもロストアーツに見せていた執着心は異常だった。
それを置いていったラグナに対してちょっと言いたいことはあるが、だがそれでもラグナが独自に動く決断をしなければ今頃…という話になるわけで。
「まぁともあれよかったよ、エリスとラグナのお陰でアルカナは壊滅状態、内通者のグリシャは捕縛。頼みの綱の魔女大連合も撃破済み、これでなにもかも解決…だな?」
「……それはどうかな」
とメルクさんの言葉にやや厳しい意見を返すのはラグナだ、いや…ラグナだけじゃない。同じく軍の頂点に立った経験を持つネレイドさんもコクリと小さく頷く。
「え?どういうことだ?ラグナ、ネレイド」
「メルクさんが言った…壊滅状態…って、『壊滅に近い状態』であって、『壊滅』そのものでは…ない」
「そう、その通りだ。まだ抜本的な解決には至ってない、まだ一人残ってるだろ?」
まだ残っている、新生アルカナを組織した男…最後のアルカナ 刑死者のメムが残っている。彼がいる限りアルカナの事件は解決したとは言えないのだ。
「全てを失って…一から組織を作った男は、また…組織を作って這い上がってくるよ」
「地獄を経験した男ってのはそういうもんだ、ある意味なりふり構わなくて良くなった分メムも動きやすくなったと言える。一番厄介なのが最後に残ったな」
「…………まだ続くのか、もう魔女会議は目の前だというのに…」
メルクさんはがっくりと肩を落とす。もうロストアーツは殆ど確保し当初の目的だった内通者も捕まえ、大団円一歩手前なのに…と。
それにもうタイムリミットの八魔女会議は一週間後と目の前に迫っているのが現状、もう時間はかけられない。
「ああ、だから今すぐにでもみんなと対策の会議を…」
「ちょーっと待った!」
ラグナが立ち上がり、これからメムに対する会議を…と口にしたのを、アマルトさんは止める。ちょい待てちょい待てと手をくいくい動かし。
「なんだよアマルト」
「なんだよもなにも、もう何時だと思ってんだよ。エリスだって今ど突き合いを終わらせて帰ってきたばかり、ラグナも極秘任務から帰還したばっかり、おまけに俺たちはエリスの頼みで晩飯食うのを待ってたんだ」
「あ、…ごめんなさい」
そう、エリスはここを出る時すぐに終わるから待っててほしいとアマルトさん達に晩御飯を食べるのを待ってもらっていた。そうしたらエリスの目算以上にグリシャが強く、そのあとラグナも帰ってきてあれこれと話が立て込んでしまっていたんだ。
「もうみんな疲れてるし腹も減ってる、こんな状態で会議なんかしたって煮詰まるのは目に見えてる。今日は休もう」
休もう…そんな進言をくれるのは正直ありがたいけど。さっきも言ったが時間がないんだ、すぐに話を纏めてまた明日から動き出すくらいの気持ちでいないと…。
もし、魔女会議までにメムを倒せなかったら、魔女様が動き出してしまう。それは即ちアド・アストラには問題解決能力が無いと証明することになり、今後の治世に多大な影響を齎す。アド・アストラは完全無欠じゃ無いといけないんだ、その為にも魔女様達の手は借りないほうがいいんだ。
「…それもそうだな」
「え?ラグナ?でも時間が」
「いや、アマルトの言う通りだ。こういうのは急げばいいってもんでもない、疲れの抜けてない頭で考えた作戦と万全な状態で叩き出した答え。エリスならどっちに乗る?」
「……そうですね」
ラグナの言う通りだ。アマルトさんの提案した休息は問題を解決する上で必要な事。
エリスはどうやら焦り過ぎていたようだ。ここまで全力で走り抜けて来たんだ…そろそろ足を止める時間があってもいいだろう。それにせっかくラグナが帰って来たんだから…ちょっとくらい…ね?
「よーし!じゃあご飯にしようぜー!アマルト!」
「いやお前の分はないんだけどな?」
「はぁっ!?なんで!」
「だってお前が帰ってくるって知らなかったしさぁ、七人分しか用意してない」
「そんな…!俺頑張ったのに!バレないように一人ぼっちで平原に張り込んでミミズとか食って餓え凌いでたのにぃー!」
ミミズって、そんなモグラじゃないんですから…。
それにアマルトさんが料理を用意してないのはある意味仕方ない事。なんせラグナが帰ってくることを知ったのは今さっき。誰も彼が帰ってくることを知らなかったんだからご飯の用意なんか出来るわけない。
それに、ラグナは分かってないかもしれないが。ラグナを食べさせるってのは難しい事なんですよ?エリスも昔学園にいた頃、ラグナの食べる分のご飯を用意するのに苦労しました。だって彼…平気な顔で十人前と食べるんですもん。
「わーったわーった!、追加で軽く作る。エリス?次はお前も手伝ってくれや」
「分かりました!」
「いや、エリス…君傷は大丈夫なのか?聞いた話では骨折してたと…」
「もうデティから治してもらいましたから!それより早くご飯にしましょう!エリスお腹空きました!」
ともあれ、内通者は見つけたしアルカナももう組織としての体裁は保っていない。後はメムを倒すだけ…なんですけど。
……やはり、メリディアは帰ってこないな。彼女は一体どこに行って何をしているのだろうか。
迫る魔女会議の日程を前に、エリスはただただは漠然とした不安だけを抱えていた。
……………………………………………………………………
それからエリス達は真面目なお話を終えて。食事を終え、また明日からの仕事に身を割くため、そしてエリス自身の傷の具合を鑑みて今日はみんな早仕舞いで寝ることにした。
「それではお休みなさい」
「わかってると思うが女性部屋には立ち入り厳禁だぞ男子陣」
「覗きも盗み聞きも厳禁ね!」
「もし確認された場合は即刻冥土大隊で拘束いたしますので悪しからず」
「みんなならそんなことしないって信じてるけど…ダメ、ね?」
宿に新しく設置されたシャワーを浴びて、やや水気を帯びた髪のまま寝巻きに着替えた女性陣に何故か責め立てられるような口調で追い立てられるのはラグナ達男子陣だ。
「しないよ覗きなんて」
「全くだ、特にそこのチビ助のなんか覗いて何になるってんだ」
「大丈夫ですよ、僕達男子陣は男子部屋使いますので皆さんは安心して大部屋を使ってください」
この宿は今貸切状態だ。とはいえ部屋数には限りがあるから取り敢えず男子と女子で部屋を分けて使うことになった。男子に信用がないとか女子が疑り深いとかではなく、これは魔女の弟子同士の間でいつの間にか決められた暗黙の了解みたいなもんだ。
それを今更破ろうと思えるほどラグナやアマルトは冒険家ではないし、ナリアもそんなことするような人間でもない。
「わかっていますよ、ラグナ…それではまた明日。明日も…会えるんですよね?」
「お…おう」
珍しく伺うような目線を向けるエリスに、ラグナは…俺は思わず上擦った声を上げてしまう。
いつもはコートとズボンでキッチリ決めて、さっきみたいな大胆な発言をしつつ男勝りな度胸を見せるエリスが、今はデティやメグさんが用意したピンクと白のストライプ柄の…なんかふわふわした寝巻きを着ているんだ。
普段とのギャップが物凄い、良い意味で。
「ではまた明日、ラグナ?明日はお前にも会議に出席してもらうぞ?八魔女会議に向けた調整や今まで不在だったことの説明をしなくては」
「分かってるよ、俺達ももうちょっとここで話ししたらすぐに寝る」
「ん、ではな」
そう言いながら女性陣はみんな揃ってこの宿最大の大部屋へと向かっていく、そんな様をリビングに残った俺とアマルトとナリアで見送り…俺は。
「ふぅ〜〜」
ソファの上に座って、溶けるように姿勢を崩す。久々にゆっくりする時間を取れてようやく疲れが巡ってきたようだ。
一ヶ月、一ヶ月だ。俺はたった一人でスペードルの地に潜伏し攻め時を見定めていた。冥土大隊を配置してもよかったが、彼女達は隠密のプロであって戦のプロじゃない。攻め時の見極めは俺にしか出来ない。
攻め込むなら集められた組織が全部集結してから、それがいつになるか分からない以上…持ち場を離れるわけにはいかなかったんだ。
お陰で何もない平原に一ヶ月の間微動だにせず潜伏する事になっちまった。もうちょい上手いやり方があったな…と今は反省している。
(もう少しうまくやってりゃ、もうちょっと早くエリスと再会できたのにな)
任務を終えて帰還し、この一ヶ月の報告をシャワーを浴びながら聞いた時。俺は度肝を抜いた。
エリスがアド・アストラに帰って来ている。そんな報告を聞けば誰だってひっくり返るだろう、だから俺は慌てて服を着てエリスがいる場所を調べて現場に急行した…ってわけだ。
久し振りに会ったエリスの顔を見た時。俺はにやけてなかったか…それだけが不安だったな。
「………………」
「難しい顔してるな?ラグナ」
「ん?ってお前酒飲んでるのかよ」
いつの間にか隠していたボトルを開けて、ややはしたなくボトルのまま酒を飲むアマルトは椅子を引きずって俺の前に座る。
「まぁな、今日は喜ばしい日だ。高い酒を飲んでもいいだろ?」
「俺も酒飲みたいんだけど」
「お前はダメだ、変な酔い方するからな」
「ちぇ…」
曰く、俺は酒癖が非常に悪いらしい。それは昔からみんなに言われている。家族や部下…みんな俺は酒を飲むな、飲んだら手がつけられなくなるといって俺から酒を取り上げる。
別にお酒が好きなわけじゃないが俺だって子供じゃないんだ。宴会の席で王がジュース飲んでるってのは格好がつかないんだよ。
「まぁまぁいいじゃないですかラグナさん、僕達はこれ飲みましょう?」
「グレープエードか…、ありがとうな?ナリア」
「えへへ」
そう言いながらナリアはコップに注いだグレープエードを俺に手渡してくれる。幸い口寂しかったところだ。こいつを楽しむとしよう。
にしても、アマルトもナリアも三年で成長しているな…と感じられる。もうガキンチョじゃないから見た目的な変化は程々だが、一番変わってるのは中身か?みんな大人になっている。
「二人とも変わったな、いい意味でさ」
「ん?どういうこと?」
「アマルトは大人になってるし、ナリアもどっしりしてる。頼り甲斐のある男になってるよ」
聞いた話じゃアマルトは今学園で先生やってるらしい。ナリアは相変わらずスター街道真っしぐらだし。久しく会ってそれを如実に感じるよ。
「何言ってんだか…」
「あはは、ラグナさんったら」
「え?俺なんか変なこと言った?」
素直に褒めたつもりだったんだが、なんか冗談か何かだと思われたのか二人に笑われる。俺は本気で言ってるつもりなんだがな、お世辞でもなんでもなく。
「そりゃ俺達も成長したけどさ、お前には負けるよラグナ」
「ラグナさん、昔も頼りになりましたけど…今は特にすごいですよ。もう立派に王様って感じです」
「そ…そうかぁ?」
王様って感じと言われてもその王様って感じが分からないからなんとも言えないがなぁ。
しかし、アマルトやナリアだけじゃない。近くに居たからあんまり意識することはなかったけどメグもメルクさんもあのデティだってキチンと成長している。ネレイドも三年前とは比較にならないくらい強くなってる。
それに……。
「でぇ?どうだったぁ?久々に会ったエリスはさぁ!」
「エリスさん、三年で大人びましたよねぇ!」
アマルトとナリアが何やら態とらしい笑みを浮かべて俺に振ってくる。どういうコメント期待してる顔だそれは…。
でも、確かに大人びていた。あの子ももう二十を超えた、立派な大人の女性の仲間を入りを果たしている。だからかは分からないが纏う雰囲気にこう…艶やかさのようなものを感じてさ。一目見た時『うぉっ!美人!』って内心思ってにやけそうになったくらいだ。
…凄く、綺麗になっていた。
「まぁ、そうだな。綺麗…だったよ」
ただそれを口にするのは小っ恥ずかしくて、やや小声で口にすると共に俺は慌ててコップに口をつける。っていうかなんで俺はこんな事言わされてるんだ。
「だよなだよなぁ!、学園にいる頃から美人で知られてはいたけどさぁ…まさかああも化けるとはな」
「エリスさんはそもそも逸材でしたよ。だからこそ僕的にはもっとおしゃれして欲しいんですけどね」
「……昔に比べれば、今のエリスはかなりおしゃれに気を使ってる方だよ」
何故だか補足したくなって口を挟んでしまった。この中で幼少期と呼べる頃のエリスを知ってるのは俺だけだ。その特別感を意識したかったからかは分からないけれど、そう言いたくなった。
昔のエリスは、頑丈なだけのコートを着ていつもあっちこっちに行ってるから何処かしらが泥で汚れてて。でもそれでも汚さを感じさせないくらい快活に笑って、いざって時は頼りになって。俺の手を取ってくれる…そんな女の子だった。
それに比べれば、今はヘアオイルで髪を整えたり戦いが終わったら肌についた汚れを落とすような素振りも見せたり、色々なことに気を使ってる。
「そうか?あんまり変わらない気がするけど」
「美人になったっていうならメルクさんやメグさんもそうですよね!」
「ナリア…あの二人は元々美人だったろ」
「じゃあデティさんは?」
「不老か?ってくらい変わってねぇ」
「ネレイドさんは?」
「あいつは…、ってラグナ?どうした?黙り込んで」
ふと、二人が恋話めいた話をしていて。意識してしまった事がある。
エリスはもう二十を超えた年齢だ、このまま旅をするのかそれともアド・アストラで働くのかは分からないが。それでも…もう大人なんだ。
まだ早いが、『結婚』という事柄を意識してもおかしくない年齢に差し掛かった訳で。
「……エリスって、結婚すんのかな」
気になった。メルクさんは今も熱烈なアプローチを各地から受けているからいつかするかもしれない。あの人もそろそろ跡取りの事を考える頃だしな。
メグは仕事人だ、結婚しませんって言っても不思議はない。
ネレイドは…分からない、あの子はあれで純情なところがあるから、ある日コロッと婿かなんかを連れてきてもおかしくはない。
デティは確実に結婚する、というかあいつはしなきゃダメだ。クリサンセマム家は八千年前から続く家系、一度として直系が途切れたことのない数少ない一族だから…きっとそれを絶やさぬ為あいつもいつになるかは分からないが結婚は確実にする。デティは責任感が強いからな。
ただエリスは分からない、あの子が結婚するって言う場面も結婚しないって言う絵面も想像出来ない。どうなるんだろうか。
「は?結婚?…どうだろうな。すんのかな」
「しますよ!絶対!」
「なんでそんなに言い切れるんだよ」
「勘です!でもロマンチックじゃありませんか?旅の果てが愛する人との出会いとか」
「俺は逆だな、しないかもしれないぜ?あいつが旅やめてまで誰かと結婚するとは思えない…まぁそれもこれも」
チラリ、とアマルトとナリアがこちらを見る。え?なんで俺を見るの?
「なあラグナ?」
「な、なんだよ」
「お前想像してみたことあるか?エリスのウエディング姿をさ」
「想像ったって、俺あんまりウエディングドレス見たことないから分からないよ」
「へ?無いの?お前の兄貴確か結婚してたよな?出席してないの?」
「アルクカース式の婚姻の儀ではウエディングドレスは着ないんだよ」
「じゃあ…何着るの?」
「鎧とか?全身を甲冑で覆うんだ。新郎新婦が」
「どんな結婚式だよ…」
「それで新郎新婦が決闘を行い、勝った方が負かした方の兜を剥ぎ取り、その剥ぎ取った兜を相手に差し出し…婚姻成立」
「どんな結婚式だよ…」
「ロマンチックじゃ無いか?」
「……たまーに忘れそうになるけど、お前もきっちりアルクカースの人間なんだよな。そんな物騒なのにロマンなんか感じるか?なぁナリア」
「何言ってるんですかアマルトさん!!めちゃくちゃロマンチックじゃ無いですか!!」
「え…ええ…」
どうやらナリアはアルクカース式の婚姻の儀の良さを分かってくれるようだ。
確かにアルクカースの婚姻のやり方が変なのは俺も分かってる、というかそもそもあの国は普通じゃ無いからな。
本来のアルクカースの婚姻は男女どちらでもいいから戦場に出て、敵将の首を切り落とし首級を挙げ、その手柄首で相手に求婚するってやり方が正しいものとされていた。
が、今から百年くらい前かな…。その婚姻の儀が原因で戦争が起こり新郎が殺した敵将が新婦側の親族だったらしく。婚姻がお流れになった挙句もう凄惨な内乱に発展したのがきっかけで今の形に変わったと聞いている。新郎新婦は戦争を、剥いだ兜は手柄首をそれぞれ模しているんだと。
俺の親父も俺の母親にそうやって求婚したらしい。互いに兜を被って睨み合い、全身全霊でぶつかり合う。その果てに兜を取った瞬間見える…この世で最も愛した人間の顔。ロマンチックじゃ無いか。
ちなみにベオセルク兄様とアスク義姉さんの婚姻の儀は茶番だったらしい。アスク義姉さんが木の棒でポカリとベオセルク兄様を殴ったら、あの兄様がやられたふりをして自分で兜を取ったとか。儀式でも真似事でもアスク義姉様には手を上げたくなかったらしい。
「剣で互いに互いの強さを示し合い!決着をつけた後互いに兜を取って強さを讃え合うと共に愛を育む!凄くロマンチックだと思います!僕そういうの大好きです!」
「わかってくれるか!ナリア!」
「変なの俺だけ?俺だけなの?結婚式で斬り合うって…やばく無い?」
「まぁやばいかもな、勢いあまって怪我させることもあるらしいし。でも…それくらいじゃ無いと相手を守れないんだ」
だって、結婚する相手…守りたい相手を脅かす存在とは得てして相手よりも強靭である場合が多い。そう言う奴の魔の手から愛する存在を守ろうと思うと。その愛する存在よりも強い力が必要だ。これはその力を示すための儀式でもあるんだ。
「ふぅーん、そんなもんか?まぁいいや。ならウエディングドレス姿のエリスじゃなくて…その、ウエディングアーマー?ウエディング甲冑?姿のエリス…想像してみろよ、もちろん相手はお前だ」
「お…俺?俺とエリスが…結婚」
鎧を身に纏うエリスか…。エリスはポリシーなのかなんなのかは分からないが基本的に武器も防具も身につけない。鎧なんて着たことないんじゃないかって思うくらいいつも軽装だ。
そんなエリスが身につける唯一の防具にして武具…宝天輪ディスコルディア。俺が送ったあの籠手をエリスはずっと身につけている。あれを身につける彼女を見る都度…俺の中の謎の満足感が疼いて…。
結婚するとなったらきっと鎧は俺が選ぶ、エリスはそういうの分からないとかなんとか言ってきっと俺に任せてくれる。俺が選び俺が送った俺の鎧でエリスは体を包む。
そんな彼女を打ち負かし、兜を取って彼女に送る…そんな婚姻の儀を想像し、俺は……。
「……フッ」
言い知れぬ充足感で胸が満たされる。思わず笑みが溢れてしまう。
「…どんな想像したらそんな笑いが出てくるんだよ」
「え?変だったか?」
「まるでウサギを前にしたライオンみたいな顔だったぜ?」
「…………」
口元を触る、確かに俺は笑っている。エリスを娶る想像をして…小っ恥ずかしいが、これ以上なく嬉しいものとして、俺は受け取っている。
やはり俺はエリスの事を愛しているんだろうな。こんな想像をする相手なんてエリスくらいしかいない。
あの日彼女に幻想を抱いた日より、彼女以上に愛した人間など一人としていない。それくらいに俺は彼女を愛している…けど。
「…はぁ、やめだ」
「何が?」
「この話だよ、俺達も明日早いんだしそろそろ寝ようぜ」
強引に話を閉じて立ち上がる。
エリスとの結婚、それは出来れば嬉しいし望むものでもある。だがこれ以上その事について論ずるつもりは全くない。
俺は彼女を縛るつもりはないのだ。それが結婚という形にせよ、どんな形にせよ、俺はエリスの足枷になるつもりはない。旅立つ彼女をアルクカースから見送ったあの日からそう決めているんだ。
「えー、…からかったら面白い反応が返ってくるかと思ったけど。殊の外ガチだなラグナの奴」
「ガチ?」
「ガチでエリスの事好きって事だ、三年で…アイツの恋心も煮詰まって来てるってわけさ」
「詳しいですねアマルトさん」
「俺も昔恋したことあるからな、フラれたけど」
何やらコソコソと話し合うアマルト達の話を努めて聞かないようにして、俺は大部屋の扉を閉める。
……エリス、君が将来どんな選択をしようとも。俺は君を祝福し、君を守り続ける事を誓うよ。
……………………………………………………
「な、なんですか?デティ。と言うかなんですかみんなエリスを囲んで!」
この宿で一番の大部屋にベッドを五つ置いて女性陣が寝るための空間に改造された『女子部屋』。そこでエリスは明日に備えるためにベッドの上に座った瞬間…囲まれた。
デティに、メルクさんに、ネレイドさんに、メグさんに、囲まれたんだ…一体何事ですか。しかも全員なーんかニヤニヤして。
「ううん、エリスちゃんなんか凄く嬉しそうだなぁ〜ってね」
「う、嬉しそう?何がですか」
「ラグナと会えてよかったなエリス」
「うっ、ま…まぁ、嬉しいですよ。彼は大切な友達ですから」
「うふふ、エリス様ほっぺ真っ赤っか」
「むぁー!突かないでくださいぃっ!」
つまるところ、からかっているのだ。魔女の弟子達はエリスがラグナに、そしてラグナがエリスに恋心を抱いているのを知っている。それを邪魔するつもりもないが変に応援するつもりもない、人の恋路は娯楽として消費するのが一番なのだから。
ラグナと再会したエリスは明らかにしおらしくなっていたことにラグナ以外の全員が気がついていた。いつもは乱れた服を直さないしズボンの上からボリボリ尻もかくのにラグナの前ではそう言うことをしない。
本人にはそう言う気がないかもしれないが、エリスの本能がそうさせるのだ。彼にはほんの少しでも女の子らしく見てほしいと。
「みんな何言ってるんですか!、明日も早いんでしょ!もう寝ましょうよ!」
「まぁまぁ、それよりラグナかっこよくなってたと思う?どう?エリスちゃん」
「え?!ラグナですか?…ラグナは元々かっこいいと思いますが…」
そこでエリスはふと考える。ラグナがかっこよくなっていたかどうかを。
確かに三年前の彼は元々童顔と言うか…昔の可愛らしさの面影がある顔つきだった、今はもう立派な青年…いや大人の顔つきだ。落ち着いてたしどっしりしてたし立派に大将って感じの顔だ。
とエリスは一人で考えているが、エリスは知らない。ラグナもまたエリスの前では若干格好をつけていたことに。
「確かに、カッコよくなってました…前より数段」
「そっかそっか、…っていうかさエリスちゃん」
「はい?」
「ぶっちゃけさ、ラグナと結婚する気ある?好きだよねラグナの事」
「なぁっ!?はぁっ!?ななななななに言ってるんですか!?」
っていうかもうぶっちゃけ飽きたよ。デティは辟易しながら口にする、こうやって乙女な反応をするエリスをからかって娯楽としていたが。今こうしてエリスがモジモジし出したのを見てデティだけでなく全員が危機感を覚えた。
こいつら背中押さないと一生くっつかないわ…と。
「何言ってるんですか!そんなわけないじゃないですか!」
「じゃあ嫌い?」
「あぇ!?い…き…え?嫌いとは言いませんよ。彼は…立派な人ですから」
モジモジナヨナヨ、敵を前にしたら一目散に突っ込んでいく癖をして何故どうして、恋愛ごとになるとこんなにも奥手なのか。これがいつもの調子なら。
『エリスはラグナのことが好きです!ぶちゅー!』
と突っ込んでいって唇奪うくらいのことはやるのに。エリスはそれくらい雄々しい人なのに…と、デティだけでなくメルク達全員が認識している。
「エリスよ」
「な、なんですかメルクさん。貴方もデティみたいになんかいうつもりですか?
「別に揶揄うつもりはない、ただ伝えておくべきことがある」
「なんですか?」
「忘れてないだろうがラグナは王族だ、彼には血族を残すという役目がある。つまり子供は必ず作らねばならないのだ」
「ッ……!!」
そこでエリスはハッ!と何かに気がついた様子…は見せず。カァーッと顔を赤くして照れてしまう、子供を作ると聞いて赤面?今更そんな乙女な反応はいいから。
「冗談で言ってないぞ?なぁメグ」
「はい、ラグナ様の家系であるアルクカース一族は有史以来続いているクリサンセマム家やネビュラマキュラ家のような例外を除けば千年近くアルクカースの王族をやっている一族です。そこには子孫を残すという役目があります、千年の歴史とアルクカース王朝を継続するために」
「それは…そうかもしれませんが」
「それにアルクカースの家は代々複数の子供を作り、争わせ王座を継承する王位継承戦を行なっている…ってのは知ってますよね」
「はい、参加しましたので」
「それと同じようにラグナ様も複数人の子供を作らねばならないのです、だからもうすぐ彼は子供を作るため正室を迎え入れねばならない年齢にさしかかります」
「…………」
「そこで一つ思い描いてください」
「……?」
スクッと立ち上がるメグは、そのまま仰々しく両手を広げ夢想しろと唱える。すると…。
「ラグナ様が結婚し!よく分からない女の人を迎え!子供を十三人産みました!エリス様はその子供を抱けますか!」
「ッッーー!!」
ピシャーンとまるでガラスでも割れたかのような衝撃を受け呆気を取られるエリスは想像してしまう。
よく分からない女性…顔がぼやけて見えないけど縦ロールのドレスの女性がラグナの腕を抱いて、ラグナ嬉しそうに笑っていて、そして彼らの手にはラグナに似た子供。それをラグナが抱いて欲しいという…友として。
そんな場面を想像したエリスは…、両手で顔を覆い肩を震わせる。
数秒の沈黙、その後エリスは徐に顔を上げ…。
「…………、その…その」
「はい?」
「その女性は、エリスより強いですか?」
そんな質問するもんだからメグは自分の額を手で叩く。そうじゃないんだよなぁ…と。
「問題そこですか?」
「エリスより強いなら、諦めます…彼はアルクカース人ですから強い人と結婚したいでしょうし。何よりエリスより強いならきっとエリスも文句言えないと思いますから」
「……これは、なんというか」
メルクリウスはそんなエリスを見て思う。これは奥手とかウブとかそんな話じゃないな、そもそもエリスは恋愛の経験が一切ない。失恋したこともないし恋というものをよく分かっていない。
エリスは間違いなくラグナが好きだ、だが…彼女が好意を好意として認識していない。友情と愛情を同一視している限り彼女はラグナへの愛の言葉なんか吐くわけがないんだ。
「メルクリウス様、これは…」
「ああ、エリスがここまでとは思わなかった」
「エリスちゃん…なんかここまでくると童貞臭いね」
「ちょっとなんかみんなさっきから酷くありませんか!」
まぁメルクリウス達も分かっている。ラグナがエリスに恋心を抱いている以上ラグナはエリス以外と一緒になるつもりもエリスを手放すつもりもないだろう。けど危機感は持って欲しい、この先何がどうなるか分からないんだから…エリスとラグナの恋路がバッドエンドには終わってほしくないんだ。
そうメルクリウスが深く思慮していると。
「このままエリス様をからかっても面白くないので」
「失敬!」
「なのでここからはメルクリウス様を揶揄いましょう」
「は?」
デティとメグの視線がこちらを向いていることに気がつくメルクリウスは、まずい…とばかりに顔を赤くしたり青くしたり顔色を豊かに変える。
「メルクリウス様、例の熱愛発覚の噂は本当ですか?裏で秘密結婚をされているという噂は本当ですか?」
「えー!?メルクさん人妻なの!?」
「はぁ!?そんなわけないだろ!なんだその噂!それを言うならデティ!お前はどうなんだ!お前はこの中で一番子供作らなきゃならん立場だろうが!クリサンセマム家八千年の歴史をお前で潰えさせるつもりか!」
「なぁー!?い いや私はあれですから!お見合いしてますから!」
「で?結果は?」
「ロリコンオヤジしか集まってこねぇーよー!コンチクショー!死に絶えろペドフィリアー!」
「メグさんは恋とかしないんですか?」
「してますよ、陛下と」
喧々囂々、結局何を話してたのか何を聞きたかったのかどうしたかったのか。目的も方向性も失った魔女の弟子達は気分の思うがままに全員が全く経験のない恋バナに花を咲かせる。とはいえ全員男っ気は全くなく、それが本当に恋バナなのかも分からないままノリと気分で言い合うように話を繰り広げる。
「………………」
そんな粗雑な会話に混ざることなく、ジッと弟子達を見つめる唯一の女…ネレイドは、特に何か言うこともなく、会話に入ることもなく、ボケーっとそんな様を眺め。
(これが恋バナ…面白い)
なんかみんなよく分からないけど必死になってるなぁ…と言う程度の感覚でこれはこれとして楽しむのであった。
(みんなと一緒だと、楽しいな)
地蔵のように動かないネレイドは、深くなっていく夜の闇の中久しく集まった弟子達の他愛ない話に耳を傾け続けるのであった