337.魔女の弟子とロストアーツ強奪事件
「八魔女会議…、魔女様が八人揃って会議を行い次代の方向性を定めるこの世界最大級の会議…ですか」
「本来は『七魔女会議』ですがね、レグルス様が今回初参加なので八魔女会議ということになってますが」
大いなるアルカナによるスタジアムジャック事件。あの大事件から早一週間の時が経ってしまった。
あれからエリスはメルクさんよりもたらされた新たな情報、真なる内通者に関して調べる為方々を巡って色んな情報かき集めているがこれといって進展はなく、四苦八苦しながらこうして無駄に時間だけが過ぎてしまった。
「はい、エリス様」
「あ、ありがとうございますメグさん」
ちなみに今エリスが居るのはユグドラシル内部の兵舎ではなく、先日メルクさんと合流した思い出の宿だ。そこを貸し切って半ばエリスの家として使わせてもらっている。
何故、こんなことになったかと言いますと。なんでもメルクさんの元に苦情が入ったらしい。
『大幹部であるエリス様ともあろうお方が一般の兵舎に滞在しているのは兵士達に対して示しがつかないので是非特別扱いをして欲しいです』…だとさ、この苦情を出したほは一体何処の妹分なんだか。
まぁ、お陰で静かに考えられる空間が手に入ったからいいとしましょう。メグさんの入れたコーヒーを一飲みして頭を休ませる。
「何か、進展はありましたか?」
「特にないですね。アド・アストラが成立してからのこの三年のいろいろな記録を見てたんです」
「記録、ですか?」
「ポータル使用記録、人事異動記録、士官採用記録不採用記録、資金提供記録供与記録、兵器開発記録、物資移動記録、人の流れお金の流れ物の流れ全てを頭に叩き込んでました」
「ぇ…ええ」
机の上に広がるのはアド・アストラの全ての記録だ、幸いこの組織は出来てから日が浅い。だから全部頭に叩き込めば一週間くらいで丸暗記くらいなら出来る。
ただ、今記憶しようと頑張っている人員名簿にはちょっと苦戦している。何せ人の名前が数億個あるんだ、閲覧するだけで一苦労だ。
「なんていうか、力業ですね」
「それくらいしか今打てる手がないんです。ここまでやって怪しい点が一つとしてない…、アド・アストラに潜り込んでる内通者ってのは、どうやらかなりの強敵のようです」
「ええ、私達冥土大隊の力を持ってしても見つけ出せないほどですからね、最近では部下から本当に実在するのか…なんて情けない声が聞こえてくる始末で」
「…まるで霧そのものですね」
霧に紛れているなら探しようはある、だが霧の中に隠れた霧そのものは見つけようがない。…頭使い過ぎてなんかいい感じの例えも出てこない。
「はぁー…成果なさ過ぎて泣きそう」
「泣かないで、エリス様!ファイト!」
「そーだよ!エリスちゃんファイ!オー!」
「メグさん…デティ」
っていつの間にやらデティまで居る。いや居るか…エリスが貸してもらえたこの宿は一応『魔女の弟子の仮拠点』という扱いになっている、だからエリスだけでなくメグさんも居るし、本来なら塔上層部に居るはずのデティやメルクさんも居る。
なんなら師匠達に半ば無理矢理滞在を強要されたアマルトさん達も滞在している。図らずも魔女の弟子達の共同生活が復活したのだ。まぁエリスにそれを楽しむ余裕はないわけですが。
「エリスちゃん何調べてるの?」
「アド・アストラに所属する人間全員の情報です」
「えー?個人情報じゃん!よくその資料貸してもらえたね」
「レイバンが失脚してメルクさんの一強時代が戻ってきたのでね、このくらいの無茶なら通ります…」
個人情報…か、そういえばファーグス支部の面々も個人情報を握られて脅されて居たんだったな。そして…そうだ、彼らはこんな話もしていたな。
「そういえばメグさん、例の人物については調べは済んでいますか?」
「…はて??」
そんな可愛く誤魔化してもダメだぞぉ、そんなほっぺた膨らませて腰突き出すポーズしても誤魔化されないぞう、忘れてなぁ〜?
「忘れてたんですか?」
「いえ、一応調べてはあったんです…イーサン・スフェーンのことですよね?」
「え?なに?兄さんスプーン?」
イーサン・スフェーン…人名だよデティ。ファーグス支部の人達が言っていたアルカナを追っているとかいう商人の話だ。もしかしたらこいつがアルカナに通じる鍵になるかもと思いメグさんに調べてもらっていたんだ。
まぁイーサンの情報を受け取る前にアルカナは殆ど解決してしまったんですが。
「調べてはくれてたんですね、…でもなんで教えてくれなかったんですか?」
「実は、このイーサン・スフェーンという男の正体を知って…報告するか悩んでいたんです」
「え?…」
急に、神妙な面持ちになるメグさんに思わず緩んでいた感覚が引き締まる。なんだ…イーサンと言う男がなんだと言うんだ。
「実は…イーサン・スフェーンは」
「…はい……」
目を閉じ、暫しの沈黙を持って場に静寂をもたらすメグさんは…その数秒後、カッと目を見開き…その言葉を口にする。
「びっっっっっくりするくらい!普通の商人でした!」
「……はぁ?」
「驚くほど何もなかったです、なんか特別な何かがあるとかアルカナに迫っていたとかそう言う情報もなく、この情報は完全なスカだと理解するほどに…見事なまでの凡庸商人でした」
それもったいぶって言うことか?、言うことか…メグさんだもんな。はぁ〜期待して損したぁ〜。
しかし、イーサンは普通の商人だったか。変わった点も怪しい点もないとメグさんが言うのなら事実なんだろう…はぁ。
「なるほど、分かりました。じゃあ一応調べた情報くれますか?そのイーサンについてはエリスも調べたんですけど、こっちの名簿には載ってなくて」
「載ってないでしょうね、その名簿今アド・アストラに所属している人間のリストですから。エリス様は退職者リストには目を通しました?」
「いえ?エリスが探してるのは今アド・アストラにいる人間ですから」
だって内通者はアド・アストラの中に居るんだろう?だったらやめた人間のことなんか調べても意味は…って。
「と言うことはイーサンはもう?」
「ええ、一ヶ月ほど前に退職しています。なんでも故郷の父が腰を悪くしたそうでその面倒を見るためにだとか」
「なるほど、それは大変ですね…………ん?」
ん、待てよ…なんか、引っかかるぞ。この感覚…久しぶりに味わう感覚。見えない闇の中に手を伸ばし、何かに指先が触れた…そんな感覚、これは。
「メグさん、イーサンの情報を」
「え?いやでも…」
「いいから!」
「は、はい!少々お待ちを」
エリスに急かされ大慌てで時界門を作り出し、その中に上半身を突っ込み何かを探すメグさんを尻目にエリスは考える。もし…今エリスが考えている仮定が正しい物だとするなら、イーサンと言う男は確かにただの商人だったかもしれない。
だが…きっと、彼の情報には『あの名前』が書かれているはずだ。だから頼むぞ…当たっててくれよ、エリスの直感!
「ありました!これです!」
そう言いながら粗雑な紙に書かれたイーサンの情報を受け取り、エリスは一も二もなく受け取り、中身を改める…。
イーサン・スフェーン…彼は、彼は……やはり。
「あった…!」
「え?何がですか?私何か見落として…」
「シッ、メグさん静かに…エリスちゃんがこの顔してる時は静かにしたほうがいいよ」
「この顔?…っ!まさか、これは…」
「うん、逆転のアイデアが浮かんだ時の顔だ…」
目を閉じて、今までの記憶を改める。イーサンと言う男の正体によりエリスが今まで手に入れていた断片的な情報が全て繋がっていく。パチリパチリとハマって形を作る、まるで複雑なジグソーパズルのようにそれ一つ一つでは何でもないピースかもしれない。
だが、これを組み合わせたら…見えてくるのは、一つの答え…。
(そうか、あれは…じゃああれも、だとするなら…なるほど、そう言うことだったんだ)
徐に立ち上がり、頭の中で出来上がっていく一つの答えを見ながらエリスは手に持ったイーサンの情報をメグさんへと手渡し。
「メグさん、一つ…用意してもらいたいものがあります」
「なんでしょうかエリス様、貴方が必要とするものならなんでも取り揃えましょう」
「なら…」
今必要なものは…一つ。
「とびっきり甘いパンケーキをお願いします」
「へぁ!?なんで!?」
「甘いものが食べたい気分なので」
「えー!?今からスイーツパーティやるの!?やりたーい!」
「やりましょー!」
はぁー、全部分かったらスッキリしたぁ〜!一週間悩み続けた悩みのタネが消えましたからねぇ〜!甘いもの食べてストレス発散するぞ〜!
「あ、あの?エリス様?パンケーキはいいんですが…内通者は」
「まぁまぁ、エリスに任せてくださいよ。なんとかしますから」
「ですから、分かったんですか?教えてくださいよ、誰なんですか?」
「んん〜!エリスシャワー浴びたいです〜!」
「じゃあ一緒に浴びよう!エリスちゃん!」
「賛成〜!」
「エリス様!エリス様!教えて!気になります!気になりますぅ!」
教えて教えてとエリスの肩を揺するメグさんには教えてあげない、さっきからかわれた仕返しだ…と言うのともう一つ。今回の一件はエリスの預かりにしてもらった理由でもある『内通者に気取られない為』でもある。
今エリスが内通者だと睨んでいる相手は、恐らくだが逃げようと思えばいつでも逃げられる地位にいる。もしエリスが勘付いていると気取られた瞬間奴が何をするかエリスにも分からない。
下手をすれば…、うん。だからこの一件はエリスだけで終わらせたいんだ。
「うーす!ただいまー!」
「ただいま戻りました」
「ただい…ま」
「あ!アマルトさん!」
すると宿屋の扉をあけてアマルトさん達が帰ってくる。最初は半ば強引にここへの滞在を強要されたことに対して腹を立てていた彼も、今ではすっかりここでの生活に慣れ始めている。彼の順応力はエリスも見習わねばならないかも…ん?
「どうしたんですか?ずいぶん疲れてますね」
「あ?…ああ、まぁなぁ…」
なんだか帰ってきたアマルトさんはいつもより三割増しくらいで頼りない。帰ってくるなりヘロヘロと安楽椅子の上に座り、死んだ目でプラプラと体を揺すっているのだ。
「アマルトさん、今日は一日仕事してたんですよ」
「仕事?アマルトさんもアド・アストラに?」
ナリアさんが言うにアマルトさんは仕事をしていたらしい、とは言うが彼の仕事は教師でありこのステラウルブスには彼の立てる教壇はないはずだが。となると彼もまたアド・アストラに参入したことになるが…。
「ちげぇよ、今日イオと会ってさ…ステラウルブスにディオスクロア大学園並みの超大規模教育機関を作りたいんだって話をされてさ」
「へぇ、確かにこの街には小規模の学校はありますが…そこまで大きな学園はありませんね」
「ああ、いいんじゃねぇの?って半端に同調したらコレだよ、その学園のシステム作りの手伝いをさせられた、オマケにそこで働く予定の教員にも指導をして…自分とこの学園回すのに手一杯なのになんで他所の学園まで面倒見なきゃいけないんだよ!」
せっかく二週間休みだと思ったのにぃ〜…と空気が抜けて皮だけになってしまうアマルトさんを見て、なんだか微笑ましくなる。本当に面倒なら逃げればいいのに、彼は友達の為なら絶対に逃げないんだ。そんないい友達を持てた事が嬉しくてたまらない。
「先生やってるアマルト…かっこよかったよ、私は一日見てるだけだったけど…」
「はい!アマルトさん先生をやってる時は別人みたいにいつもニコニコしてるんですよ」
「えぇ〜?アマルトがニコニコぉ〜?、あははは!似合わな〜!」
「うっさいわチビ助!雑煮にするぞ!」
「なにおう!!」
デティと喧嘩をし始めた瞬間元気になり立ち上がるアマルトさんを一旦置いておくとして、エリスは机の上に散らばった資料を片付ける。内通者が見つかったならもうこれは必要ないな。
しかしまさか奴が裏でアルカナと通じていたとは……ん?いや待てよ?
(あれ?…おかしいな、あの人が内通者だとしても一つだけ説明出来ない部分がある。ここまで用意周到な人間が…あの部分を運任せにするか?)
完璧だと思われたエリスの推理に、一つ穴が見つかる。あの人だけじゃ…どうやっても実現出来ない部分が一つだけあるんだ。何もかもが合理的で一つの痕跡も残さない程完璧に仕事をしているのに…ここだけ何故か運任せ、そこに強烈な違和感を感じて…。
(まさか…)
エリスの片付ける資料から、一枚の紙が地面に落ちる。それは…ロストアーツの担い手として選ばれた十一人の使い手達の名簿。
まさかとは思うが…。もしかして、内通者は一人じゃない?
(だとしたら…この中にも、いるのか?内通者が)
ロストアーツの担い手十一人…その中にも、裏切り者が…。
「なにすんのさアマルトー!!!」
「そりゃこっちのセリフだよいだだだだ!噛むなぁー!」
「さっっわがしいぞお前らァッ!外まで聞こえてるぞ!恥ずかしいったりゃありゃしない!」
「あ、メルク…おかえり」
バァーン!と扉を跳ね開けながら怒鳴り声を上げるのは耳まで真っ赤にしたメルクさんだ。どうやらさっきのアマルトさんとデティの子供じみた一騎打ちは外まで響いていたようでもうすんごい恥ずかしそうだ。
「全く!六王と学園長のやる喧嘩か!、この家に帰ってくる身にもなれ!」
「悪い悪い、そう怒んなって…」
「ごめんねぇメルクさん」
「フンッ!」
この宿にはメルクさんも宿泊している、当然デティもだがここに宿泊すると部下に言った時の止められようは凄まじかったらしい。お願いだから安全な所で暮らしてくれとシオさんに泣きつかれたらしい。
だが、『世界一信頼している者達が集う場以上に、安全な場所とは何処だ?』とシオさんの制止を振り切り無理にここに泊まってくれている。久しぶりに友達が集まってるんだから一緒に居たいと…思ってくれているんだ。
「はぁ、そろそろ飯の支度するか。メグ 付き合ってくれるか?」
「はい、あ…今日はデザートにパンケーキも作りたいのですが良いですか?」
「パンケーキ?、…なら丁度果実をいくつか買い込んできてるし、フルーツ増し増しで作ろうぜ、バカ可愛いヤツをさ」
「…ん?エリス、どうした?今日は随分スッキリした顔をしてるな」
ふと、椅子に座りくつろぎ始めたメルクさんがこちらを見て、エリスの顔色に気がつく。それだけエリスがスッキリした顔をしている…というよりここ数日のエリスがずっと便秘みたいな顔してただけだろう。
「ええまぁ、例の件に目処が立ったので」
「ほう、流石だな…だが任せた以上は手助けは控えるぞ」
「ありがとうございます、メルクさん」
エリスが任せてくれと言った理由を、彼女は分かってくれているんだな。もう完全に元の調子に戻ってる、これならもう大丈夫だろう。
「ああそうだ、君にも言っておくとしよう」
「ん?何かあります?」
「ロストアーツの廃棄方法と日取りが決まった」
「……なるほど」
ようやくアレをなんとかする方法が決まったか、というかなんとかする決心をつけてくれたか。メルクさん的にはロストアーツはそれこそ数年の努力の結晶、それを完全にゼロにするには相当な決心が必要だったろうに。
彼女の決意に感謝しなくては。
「それでどうやるんですか?」
「ロストアーツ一つ一つを分解し、内部の血液を取り出しそれらを圧縮。弾丸サイズにしてシリウスの肉片に埋め込み、今までと同じように封印する」
「なるほど、下手な所に捨てるより元の場所に戻した方がいいですね」
「ああ、悪用されたらたまらんしな。…こうしてロストアーツ廃棄の段階まで行けたのも君のお陰だ」
「え?エリス?なんで…」
「君がアルカナからロストアーツの半数を取り戻してくれた。今奴らの手元に残ってるロストアーツは三つ、対してこちらは六つ…数で勝る状況に持っていくことが出来たからな。お陰で星魔城オフュークス解体計画まで持っていくことができた」
なるほど、今まで最大の恐怖であった星魔城オフュークスの強奪。オフュークスの絶望とも言える力を解放するには十二の機能拘束を解く必要があり、拘束一つにつきロストアーツが一つ必要だった。
つまり敵が大量にロストアーツを持っている現状ではオフュークスの所在判明を防ぐ為手出し出来ない状況にあった。が…今敵が持っているロストアーツは三つ、これなら最悪敵がオフュークス強奪を試みても解放される機能はたったの三つ、本来の性能の四分の一しか発揮出来ない。
今なら、全てのロストアーツの解体を敢行出来る。最大の恐怖であるオフュークスごとこちらの持っているロストアーツも全て破棄してしまえば、敵は目的を見失うってわけだ。
「オフュークスさえこの世から消し去ってしまえば、こっちのもんだ」
「いいですね、解体はいつ頃?」
「既に編成を始めている。…が、誰が裏切り者か分からない状況ではどうにもな、エリス…君が内通者を倒してくれれば直ぐにでも始められる」
「分かりました、では数日以内に」
「……君は本当に仕事が出来るな、部下に欲しい」
「えへへ、それもいいかもしれませんねぇ」
「冗談だ、友を部下にするつもりはない」
すると、メルクさんは深く深く椅子に腰を落ち着け…、やや思い込むような顔つきで天井を見上げる。その顔は完全に安堵しきっている…わけではないな。
「とはいえ懸念点がないわけではない、いくら敵のロストアーツが少なく、メムしか残っていないとは言え、それでもオフュークスを奪われれば大痛手だ…それに」
「それに?」
「アド・アストラもアルカナも握っていないロストアーツがまだ二つある…これをアルカナが確保した場合、やや面倒な事になる」
二つの所在不明のロストアーツ。一つは行方不明のメリディアが持つ星魔槍アーリエス。
そして二つ目が、そもそもこのロストアーツ争奪戦に最初から参加していない最後のロストアーツ…星魔剣ディオスクロア。この二つがアルカナの手に渡ればアルカナの持ちロストアーツは合計五つ、ちょっと無視出来ない量になる。
とはいえエリスはそう簡単にメリディアが捕まるとは思っていないし、彼女が簡単にロストアーツを渡すとも思えない。メルクさんはそう思ってないようだがエリスはメリディアを信じてる、ここで問題にすべきはアーリエスではなく。
「あの、メルクさん?そもそも星魔剣ディオスクロアは何処に行ったんですか?」
聞いた話ではアルカナによる強奪事件よりも前に、強盗によって盗み出されてしまったらしい。これが何処に行ったか、誰の手に渡ったか、どうなったかをエリスは知らない。
だからメルクさんに聞いてみようと思い、エリスもまた椅子に座る。
「そういえば言ってなかった、…もう二ヶ月くらい前になるか。あの苦々しい事件が起こったのは」
するとメルクさんは思い返すように天を見上げ。
「私の傘下の工場に最後の仕上げを託していたロストアーツ星魔剣だが、そこの警備兵を務めていた男に盗み出されたのだ」
「警備兵にですか?」
「ああ、聞き込みをしたところ。そいつは元冒険者の癖をして王国で教えるような列記とした剣術を扱うそれなりの使い手だったようだ」
「…………」
王国で教えるような…か、もしかして何処ぞの国が差し向けたスパイだったとか。そんなオチじゃないよな…。
「そしてもう一つ問題点があるなら、そいつは同時に子供も誘拐しているところにあるだろう」
「え?…」
「それも、ラグナの甥と姪…リオスとクレーをだ」
「なっ!?リオス君とクレーちゃんが!?誘拐されてたんですか!?なんで!」
リオス君とクレーちゃんと言えばベオセルクさんの子供の…あの二人じゃないか。二人はもう覚えてはいないらしいがエリスは覚えてる、あの二人がどれだけ可愛くどれだけ素直だったかを。
「二人は今何処に!」
「その誘拐犯に連れられ…今はマレウスにいる、引き渡しを命令しているがマレウスには拒否されている」
「…………んんんぅぅ!!許せない!あの二人を誘拐して剰えメルクさんのロストアーツまで盗むなんて!絶対許せない!!!」
思わず怒りが爆発して立ち上がってしまう、なんでこんな重要な話をエリスに黙っていたんですかメルクさん!ってこうなるか、エリスなら我慢ならん!ってマレウスまで飛んでいきかねないから。
けど…けどさぁ!
「どうしたの?エリス」
「エリスちゃん怒ってるー」
「何かありました?」
とエリスが激怒すればみんながどうしたどうしたと寄ってくる、…ちょっと迷惑かけちゃったかな。
「す…すみません、ちょっと許せない話を聞きまして」
「…リオスとクレーが誘拐された…って話?」
「ネレイドさん知ってるんですか?」
「うん…、一応ね 軍でもなんとかしようって動きがあるから」
なるほど、一応軍部所属だから知ってるのか。そして、軍の方でもなんとか取り返そうという動きはあると…。
……うん、決めた。
「メルクさん、エリス…アルカナとの戦いが終わったらマレウスに行きます」
「マレウスに?…だがいいのか?」
「構いません、どの道次の目的地はマレウスでしたし、何より其奴がロストアーツを持ってる限り危険な事に変わりはありません、リオス君とクレーちゃんの事を鑑みても放置は出来ない…なら、エリスが行きます」
その誘拐犯が盗み出していったもの全てを取り戻す必要がある。リオス君もクレーちゃんも取り戻さなきゃならない。マレウスは苦手だけど…旅の最中聞いた『あの噂』が本当なら……。
「じゃあ今度な私も同行する…」
「え?ネレイドさんもですか?」
「じゃあ僕も行きたいです!」
「わわ!ナリアさんまで」
「ぅわーん!ずるいー!私もエリスちゃんと旅したいよー!」
「デティ、お前には仕事があるだろ」
「そうだけどー!」
みんなと旅か、出来たらきっと楽しいんだろうなぁ…。
「…うん、メルクさん?その誘拐犯の名前だけでも教えておいてください、ネレイドさん達と行くにしても行かないにしても、其奴だけは生かしちゃおけんので!」
「いやいや殺すなよ?、…だがまぁ言うだけ言っておくか、ええと」
するとメルクさんは記憶を呼び起こすため懐からメモ帳を取り出しパラパラと捲ってその誘拐犯の名前を探し出す。
名前だけでも聞いておけば、いつか見つけた時に逃げられずに済む。にしてもふてぇ奴もいたもんだ、物も盗んで子供も攫ってそのまま逃亡?絶対に許せん、見つけ次第けちょんけちょんにしてやる。
そう、エリスが静かに決意を固めた瞬間、メルクさんは『おお、あったあった』とメモ帳の一ページを開き。
「ロストアーツ強盗犯、及びリオスとクレーを誘拐した犯人の名前は、元冒険者の…、ステュクスだ」
「え……?」
その瞬間、まるで時間が引き伸ばされたみたいに…周りのものがゆっくりに見えた。血の気が引いて…あの日ソレイユ村で出会った少年の顔が思い浮かぶ。
いや…いやいや、そんなまさか…まさか……。
「名をステュクス・ディスパテル、こいつが此度の事件の犯人で…ッエリス!?どうした!」
メルクさんが慌てて立ち上がる、みんなの顔もギョッと驚愕に彩られる。なんでそんな顔するんです、なんでそんな目で見るんですか?
それは事件の犯人がステュクスだから?…エリスの、実の弟だから…みんなエリスに失望して…。
「顔が真っ青だぞ!」
「どうしたの!?エリスちゃん!」
「…エリス!どうしよう!どうしよう!」
「落ち着いてくださいネレイドさん!!エリスさん!エリスさん聞こえますか!?」
「おい!どうした!何かあったのか!?」
「エリス様がどうかして…ってなんですか!?エリス様が真っ青じゃないですか!」
違う、みんな心配してくれているんだ。メルクさんはエリスを抱きとめデティは不安そうに手を掴み、ネレイドさんは右往左往しナリアさんはしっかりしてとエリスに呼びかける。キッチンに行っていたアマルトさんもメグさんも血相変えて戻ってきて…。
「何があったんだメルク!」
「わ…分からん、だが急にエリスが顔を真っ青にして呆然と…」
「あ…ぁぁ…ああ…」
「何言ったんだ?こいつがこんなショック受けるなんて相当だぞ」
「私はただ、事件の犯人の名前を、ステュクス・ディスパテルの名前を出しただけで…」
「…ん?、ステュクス…『ディスパテル』?」
そんな中ナリアさんだけが気がつく、『ディスパテル』の姓を知るナリアさんだけが…顔色を変えて、何かに気がつく。
「…まさかエリスさん、そのステュクスって」
「なんだナリア!?何か知っているのか!?、ステュクスはまさか…エリスの知り合いか?」
「いえ、…昔エリスさんと出会ったばかりの頃言われたことがあるんです。レグルス様から『弟というワードはエリスにとって禁句だ』と、そしてエリスさんのお母さんの名前は…ハーメア・ディスパテル…」
「なっ!?じゃ…じゃあ、まさかステュクスは…エリスの…」
「……弟」
みんなの目がエリスに注がれる。そうだ、そうだとも、ステュクスはこの世で唯一エリスと同じ血を持つ男。両親が死んだエリスにとってある意味家族と呼べる無二の弟。それがステュクス・ディスパテル…それが。
それが、犯罪を犯した上によりにもよってメルクさんに甚大な被害を与えた上にラグナの甥と姪を誘拐した?なんてことだ。
「…エリスは…エリスは、…ッ」
「お、落ち着けエリス。知らなかったんだ…ステュクスが君の弟だなんて、それに…」
「顔向け出来ませんよ!みんなに!メルクさんにもラグナにも迷惑をかけて!剰え罪を犯して逃げるなんて!アイツは…エリスの弟です、それがそんな事をしでかしたなんて…エリスには」
言葉が出てこなくなる、冷静に考えられなくなる。気がつけばエリスはその場にへたり込んで両手で顔を覆い涙を受け止めることしか出来なくなっていた。
情けない、ひたすらに情けない。
悲しい、ひたすらに悲しい。
申し訳ない、ひたすらに申し訳ない。
一応エリスの家族がそれほどまでの事をした事実に、エリスは何も言えず何も出来ず泣くしかできない。ぐちゃぐちゃになった感情の中ひたすら謝罪することしか出来ない。
「ごめんなさい、ごめんなさいメルクさん」
「い、いや別に君は何も…」
「とんでもねぇ弟だな、姉貴をここまで泣かすなんて弟失格だぜ」
「エリス様に…まさか血の繋がった弟がいたなんて、知りませんでした」
「……エリス、泣かないで。エリスは悪くない」
こんな事なら、ソレイユ村でアイツを二度と歩けないくらいボコボコにしておくべきだった。魔女を愚弄した上にエリスの友達にまで迷惑をかけるなんて…そんなのがエリスの弟だなんて、死にたくなるくらい情けないですよ…本当。
「エリスちゃん」
「ッ…デティ」
「落ち着いて」
そう言いながら、デティはエリスの頬に手を当て落ち着いてと…心底真面目そうな顔で言ってくれる。けれど…落ち着けるか、これが。
「落ち着けませんよ、アイツはエリスの弟なんですよ!血を分けた唯一の弟が…こんな、こんな事をするなんて」
「でもステュクスはエリスちゃんじゃないし、エリスちゃんはステュクスじゃないよ」
「…そうですけど、弟ですよ…」
「弟だよ、でも…それだけなの。その弟さんがどんな人でエリスちゃんにとってどう言う人かは分からないけれどさ、他人がやった事まで背負いこむ必要性は無いよ。ましてや…『アイツ』なんて呼んでる相手のためになんかなく必要はない」
「デティ…」
「よしよし、泣かないの。私達がそのくらいの事でエリスちゃんの事を嫌いになったりなんかしないよ」
デティは…こう言う時はいつもエリスより大人だ。泣いてるエリスを抱きしめて頭を撫でてエリスが欲しい言葉をくれる。
嫌いになる…とんでもない弟を持ったエリスを弟と同一視される。それが何よりも怖かった…嫌だった、そしてそれを否定して安堵させてくれる…本当に彼女は凄い人だ。
「落ち着いた?」
「少し…」
「なら後は大丈夫だね、エリスちゃんは強いから」
「…はい」
「よければ聞かせてくれる?エリスちゃんとステュクスの関係をさ、私達何にも知らないから」
「………………」
たしかに、以前エリスの生い立ちを語った時ステュクスの話はしなかったな。だから…知らなくて当然だ。いやあるいはエリスが敢えて語るのを避けていたとでも言おうか。
苦手意識はあった、ステュクスという相手には苦い思い出しかないから。エリスを置いていったハーメアが代わりに愛した男、エリスが受けるべきだった母の愛を独占し、その上でエリスに同情を行けていた男。
今の人生に不満なんかない、けどそれでも…エリスが立っていたかもしれない場所に代わりに立って、全てを受け取った奴がエリスに哀れみを向けると言うことに、エリスは耐えられず彼に悪感情を持ち続けたのは事実だ…苦手だったんだ、アイツの話をする時のエリスはきっと…怖い顔をするから。
でも話すべきなのだろう…みんなには。
「分かりました、今更になりますけど…聞いてくれますか?」
「ああ、当たり前だ」
「勿論ですよ」
「ああ俺も聞く…あ!待って!今鍋に火をかけてるんだった!」
「急いで消してきてアマルト!今いい雰囲気なんだから!」
「わかった!ちょっと待ってろ!まだ話し始めるなよ!俺が来るまで待ってね!」
「はい……」
みんな、変わることはないんだな。エリスの弟がとんでもない犯罪をした奴でも…、エリスとステュクスを分けて考えてくれる…有難い、なんてありがたいんだ。
みんなの存在が、エリスの救いですよ。
…………………………………………………………
それからアマルトさんが戻ってきて、エリスはステュクスについて知っている事を全部話した。とはいえエリス目線になるからきっと独断的な主張や誇張が混じっていたかもしれない。
ただ、そういうのも含めてエリスがステュクスをどう見ていたか…それを話した。
すると。
「前さ、エリスの家に行った時エリスの幼少期の話聞いたじゃん」
アマルトさんが椅子に座ってエリスの話がひと段落したと悟り話し始め。
「そん時から思ってたけど、エリスの人生ってハードだなぁ」
「そうだな、…マレウスで弟に出会ってか。ならデルセクトで私と別れた後に出会ったのだな」
「んで!学園にいる時はもう知ってたと。話してくれたのは嬉しいけどこんなにも思い詰める事ならもっと早く言って欲しかったなぁ〜!」
「ご、ごめんなさいデティ。ただあの時は今ほど割り切れてなくて…」
「まぁまぁ…デティ、話してくれただけ…いいじゃないの」
「そうだけどさー、にしてもステュクスめぇー!うちのエリスちゃん泣かすなんて弟だったとしても許せーん!」
悲喜交々、エリスの話にそれぞれ反応を見せる友達の中…。
「…ハーメアはマレウスの村で家族を作って亡くなってた…か」
ナリアさんだけが、深く考えるように顎に手を当て深々と目を閉じていた。この中で一番ハーメア…いやディスパテルと因縁のある彼は、一体何を思うのか。
「辛かったですね、エリスさん」
「いえ…、んん。辛かったです」
「この件について今詳しく問い詰めるのはやめるよ」
「ありがとうございます…」
「にしても、困ったねメルクさん」
「ん?何がだ?」
「……ステュクス君、捕まえてどうするの?」
「ッ……、そりゃ…その…」
ナリアさんの問いかけにモゴモゴと言いごもり目を逸らすメルクさん。言い切れない、『処罰する』とは。
サトゥルナリアは理解していた、メルクリウスにとって大恩人であるエリスの唯一の血族をその手で罰する事が出来ないと、そしてそれがエリスにとって一番嫌なことを。
「出来ませんよね、アルカナみたいに扱うの」
「まぁ…いやだが…、うう…」
「メルクさん、エリスの事は気にしないでください…いいえ違いますね、違います」
そんなメルクリウスの迷いを見て、エリスは立ち上がる。友の助けになりたい、友の足枷にはなりたくない、ならばここで取るべき行動は一つしかなかったから。
「エリスさん?」
「ど…どうしたエリス」
「エリス、やっぱりこれが終わったら…マレウスに行きます…弟のケジメはエリスがつけさせます」
殺す、ステュクス・ディスパテルはエリスが殺す。ロストアーツを盗み友の親族を二人も攫いマレウスに逃げた愚弟を最早家族と見ることはない。やはり奴はマレウスの穢れた思想に染まり切った魔女大国の敵でしかなかったのだ。
草の根分けて探し出し、抵抗するなら腕を折り、逃げるならば足を砕き、言い訳を述べるならば舌を潰し、確実に殺す。最早懺悔をするには遅過ぎる…、彼と和解するには遅過ぎる。
(今日この日、エリスとステュクスは完全に分かたれた。あれはもう…エリスの弟じゃない)
「っ……」
冷たい目をするエリスに思わず全員が生唾を飲む。エリスがこう言う顔をするのは初めてじゃない、なんなら結構な頻度で見せている…見せてはいるがそれは敵に対してだ。
エリスが完全にステュクスを敵として見てしまった。その事実に全員が言い知れぬ不安のようなものを感じる…が。
同時に思う、これは自分たちには止められないと。
(こんな時…ラグナがいりゃあな…)
アマルトは苦々しく思う。エリスは別に友人に優劣をつけているわけじゃないがそれでもラグナに対して向ける信頼はちょっと違う。ラグナが言うならカラスは実は白いと言ってもエリスは信じそうなほどラグナの言葉を信じている。
それはラグナが今の今までエリスに対して真摯に接してきたからこそのもの。言ったことを実現し、尚且つ心底努力して実現しようとする様をエリスが見ているからこそのもの。
そんなラグナがこの場にいて『おいおいエリス、それは違うんじゃないか?』と言えばなんとなく場も治っただろうが…生憎アイツはここにいない。
(どこで何やってんだよラグナ、今お前が必要なんだよ…)
魔女の弟子達のリーダー…ラグナ・アルクカースがこの場にいないことを、アマルトは心底悔やむのであった。
「じゃあ…行ってきます」
「っておい!どこにいくんだよ」
「……あ!すみません!紛らわしいことして!、別に今からマレウスに行くつもりじゃありませんよ?」
「ほんとに?なら何処に行くんだよ」
ジトッと見つめる仲間の目にエリスはやや申し訳なさそうに頭を掻く、別にそんな空気にするつもりはなかった。ただマレウスに行くにしてもステュクスをどうにかするにしても、エリスには先にやらなきゃいけないことがある。
「ちょっと調べごとです、確かめたいことがあるので」
「ああ、例の内通者の件か…、なら早めに帰って来いよ?もうすぐ晩飯出来るんだ」
「あ、ほんとですか?ならすぐ終わると思うんで待っててください」
「そうか、なら待っていよう」
「こんな時間から出掛けるなんて…エリスは勤勉だね」
「と言うより、この時間からじゃないと会えない人がいるんですよ」
そう言いながら見遣る窓の外は、既に夕暮れを指している。…夕方からじゃないと会えない人がいる。
その人に会いに行く、…クラブ『ウォルフラム』へ。
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多くの兵士や職員の勤務が終わる時間に合わせてこのクラブはオープンする。元はレイバンが作り出した情報収集の場でしかなかった酒場も今や幹部も利用する憩いの場となっていた。
オーナーたるレイバンが居なくなっても経営は続く。相変わらず大盛況なあたりしばらくこの店が閉じることはないだろうと感じつつ、エリスは久しく…そして初めて一人でクラブへ訪れる。
「だはははは…ぁ、おい、あれ」
「んぁ?えっ!?あれ…魔女の弟子エリスじゃね?」
「あの人で…ウチの大幹部だよな」
「しかも、たった数週間でアルカナ倒しまくってロストアーツ回収して回ったって言うやり手の…」
そして、エリスは今…メガネをしていない。魔女の弟子エリスとして初めてこの店を訪れるのだ。
目指すのは店の奥、カウンター席だ。
「失礼、ここいいですか?」
「おっと、これは…大物が参られましたね」
いつものようにカウンター席に座れば、この店のマスターであるグリシャさんがやや冷や汗を流しながらエリスの接客につく。知らない仲じゃない…のはエリスにとってだけ。彼からしてみれば初めての…それもアド・アストラの大幹部だ。反応も変わるか。
「今日は、どう言ったご用件で?」
「この店は良い酒と共に…面白い話を聞かせると、友人から聞きました」
「それはそれは、恐縮な限りです」
今日エリスはここに確認をしにきた。エリスの推理の確認を。
「貴方なら、この人のことを知っているかな…と思いまして」
「これは…?」
「エリスはその人物のことを探しています、何か知っていたら教えてもらえますか?」
そう言って差し出した紙を見てグリシャさんは難しい顔をして、エリスの探している紙をジッと見つめて。
「このお方は───────。」
その答えを、エリスは…目を据わらせて、聞き入るのであった。