331.魔女の弟子と内通者
「ろ、ロストアーツを二つ取り戻しただとぉ!?」
「ああそうだレイバン、星魔銃カンケールと星魔槍アーリエスの二つを我が盟友エリスが取り戻してくれた」
「ぐ…ぅ、まだ一週間も経っていなというのに…もう結果を!?」
幹部達を集め行われた報告会議にて、メルクリウスが発したその言葉にレイバン及び彼に付き従う幹部達は顎が外れる程に口をあんぐりと開ける。
エリスがアド・アストラにやってきてまだ数日。その数日で今まで誰も挙げられなかった成果を上げ悠々と凱旋してきたのだ。
「ファーグスの街に潜伏していたアルカナをエリスが発見してくれたようでな、その時の詳細な報告を頼めるか?」
「ええ、分かりました」
と、やや自慢げなメルクリウスに話を振られ、会議室の壁にもたれていたエリスは姿勢を正し、戦慄する幹部達を一通り見回し。
「ファーグスの街にて大いなるアルカナ幹部のトーデストリープとボスのメムの両名と戦闘になりました。両者共に逃がしはしましたが手傷を与え撃退という形になりました、奴等の実力は今回で知れたので次は撃破も容易です。直ぐに連中を倒し簀巻きにしてこの場に連れてきましょう…勿論全てのロストアーツのと共に」
「ふ…ふざけるな!どう言うタネだ!、何をした!ありえないだろう普通!。今まで数千万のアド・アストラ軍が捜索していたアルカナを…そんな数日で見つけられるわけが…」
「その数千万の中に、いったい何人…魔女の弟子はいましたか?レイバン殿?」
「ぐっ…!」
魔女の弟子は魔女より凡ゆる叡智を受け取りし存在。次代の支配者として教育を受けた存在
凡百凡千の存在が束になろうとも同じ働きができるわけがない。
そう暗に語るようなエリスの言葉に思わずレイバンはいつもの平静さを失い、絶句したように口をパクパクと開け…席に座る。
「そう言うわけだ、我が失態の責任はエリスの働きを持って返す。諸君らは諸君らの仕事に励んでくれ、…特にレイバン」
「う……」
「君は、とても仕事熱心なようだ…マーキュリーズ・ギルドの件、感謝するよ」
テメェ覚えとけよ…、そんな感情が見え隠れするメルクリウスの言葉に思わずレイバンは歯を噛みしめる。ここに来てエリスの過大とも言える評価がその実、偽りでもなんでもなく正当な物である事が証明されてしまった。
それと同時にエリスを従える事ができ同じ魔女の弟子たるメルクリウスの評価も上がりつつある。レイバンの勢いもまた…挫かれつつある。
特にここ最近マーキュリーズ・ギルドがメルクさんのところに戻ったのも大きい、どういう風の吹き回しかは分からないが例のトリトンがレイバンを切ってメルクさんについた…この事実はレイバン派の幹部達を大いに揺るがせている。
形成逆転だな。
「アルカナはもう終わりだ、奴等の命運は直ぐに尽きる…だな?エリス」
「ええ、連中はかつてのアルカナ程の規模を持ちません。直ぐに…終わらせましょう」
「ぅ……」
レイバンが掴んだ千載一遇のチャンスは、今度こそ死んだと言えるだろう……。
………………………………………………
それから会議を終え…。エリスはソファに腰を落ち着け此度の任務報告を彼女の自室にてメルクさんに伝える。
「なるほど、ファーグスの街でアルカナと接敵…一応撃破はしたものの二人には逃亡されたと」
「すみません、エリスが至らないばかりに」
「いやいい、対アルカナの代表に選ばれ数日でロストアーツを二つも取り戻す大戦果だ。君のアストラ内部での立場も盤石たるものになりつつある…そうすれば私も動きやすいというものだ」
ファーグスの街での戦いから一日、星見都ステラウルブスに戻ってきたエリス達はその後一日の休息を置いてメルクさんの元へ報告にやってきていた。
と言ってもここ…メルクさんの私室にいるのはエリスとメルクさんだけ。メグさんはあれから面倒な事故処理とかを全部解決してくれているし、メリディアもそれから極秘ながらアルカナ捜索に加わる手続きを済ませている。
そして、エリスはこうしてメルクさんの部屋にやってきて、二人で机を挟んでコーヒーを飲みながらソファに腰を預け優雅に報告会だ。
「やはり君に任せて正解だった」
「いえいえ、そういうのは解決してからでお願いします」
「君なら解決も直ぐだろう?」
「あはは、プレッシャーですね」
なんてメルクさんの期待の眼差しを適当に受け流しながらエリスは手元のカップを啜りながらメルクさんから渡されていた資料を目にする。
資料の内容はロストアーツの種類とそれぞれの特製だ。前回の戦いでは手探りだった為少々遅れを取ったが…今度は万全に迎え打てるようにお勉強だ。
にしても。
「ロストアーツ…凄いですね」
「ああ、持つだけで魔力増強身体能力増加の両面を発揮し、オマケにそれぞれ特異な特性を持ち合わせる。今はまだ魔装の延長線上でしかないが私は今後これをさらに発展させ…あ」
「…………今後?」
メルクさんはやけにワクワクしているように見える。ロストアーツは確かに夢の武器だろう、あれを全軍が持てば多分だが世界征服も出来る。だが…そんな事すればシリウスの血が世界中にばらまかれることになるんだ。
どんな弊害が生まれるか分からないですよ?とエリスが諌めるような目を向けると。
「…すまない、忘れてくれ…」
「メルクさんはまだシリウスの血を使いたいんですか?」
「あれは…産業などの視点から見ればまさに夢のエネルギー源なんだ。シリウスの血は尽きる事なく止め処なく流れ続けるから枯渇の心配はなく、それでいて一度機構に埋め込めばそれだけで永久機関が完成する…、これをうまく使えれば人類は無尽蔵のエネルギーを手に入れることができる…のだが」
「ダメですよ、そこをシリウスが突かないとも限りません。もしかしたら血だけで独立し機構を乗っ取り動く…なんてこともしてくるかもしれません」
「そんなバカな…とは言い切れんのが奴の恐ろしいところだな。ああ、エリス…君のいう通りだ、この一件が終わり次第ロストアーツプロジェクトは永久に凍結することを約束しよう」
「そうしてくれると助かります」
因みにエリスが回収したカンケールとアーリエスだが、あれはまだ完全に破壊はしていないそうだ。というのも破壊した後取り出したシリウスの血をどう処理するかまだ決まっていないそうなのだ。
地面に産めるわけにもいかない、海に捨てるわけにもいかない、かと言って放置も出来ない。今は各分野の専門家を招いて知恵を集めているそうだが…多分これを完全に処理しきれるようになるのはメルクさんの立場が完全に回復してからになるだろう。
だから、カンケールとアーリエスはまた別々に保管してあるようだ。
「…それともう一つ気になるんですけど」
「なんだ?」
「このロストアーツ…No.13星魔城オフュークスってなんですか?」
「ああ、それはな…我が軍の最終兵器だ」
星魔城オフュークス、その名の通り普通の王城と同じくらいのサイズがある巨大な魔力兵装だ。が…ここに書かれているスペックはまさに悪夢のようなものばかり。
高密度魔力粒子砲を二桁装備し、最新式の機関銃や自動追尾型の魔装爆弾も山盛りだ。その上常に五重の魔力防壁も展開しておりまさしく無敵。これだけでもやばいのにここから更に空に浮かび上がり何処にでもいけるというんだからもう手がつけられない。
これがあれば…どんな国でも三日で滅ぼせる。それが魔女大国であってもだ…。
「対シリウスを想定し今現在持てる全ての技術を注ぎ込んで作ってある」
「対シリウスなのにシリウスの血を使ったんですか?」
「言うな…私も必死だったんだ。いやすまん嘘だ…ちょっと興が乗りすぎた…」
乗りすぎて、やり過ぎたと。
「でもこいつをアルカナが狙っているんですよね」
「ああ、こいつを奪われたらまずい…とこの間まで散々言われたよ、事実そうだから私も焦りすぎた」
「メルクさんへの批判はこいつが原因ですか…なるほど」
まぁ確かに批判もされるか、この恐ろしい兵器がもしかしたら自分たちの方を向くかもしれないんだから…。
「だが星魔城の機能にはそれぞれ十二の制限がかけられていてな?完全開放して今そこに書かれている機能全てを使おうと思うと…その制限を解除するための鍵でもある他のロストアーツが必要になるのだ」
「つまり他のロストアーツはこの最終兵器の鍵にもなっている…ってわけですか」
だからロストアーツが奪われるのはまずかった、なるほど。アルカナがロストアーツを狙っているのはオフュークスを動かすために必要な鍵だからか。
……じゃあどの道アイツらはまた仕掛けて来ざるを得ないのか。エリス達の所有しているカンケールとアーリエスとスコルピウスを奪う為に。
「ああ、まぁ奴らの持っている七つを使うだけでも機能は半数以上解放されるから…脅威ではあるんだがな」
「この城って何処にあるんですか?」
「それは流石にエリスでも言えんな、アド・アストラの最重要機密だ。漏洩を避けるため出来る限りの口外は防ぎたい。いくらこの部屋とは言え…完璧に漏洩を防げているわけではないのだから」
「それもそうですね。ふぅ〜…」
「気を悪くしたらすまないな、ああそうだ。いい菓子があるんだ、食うか?」
「え?いいんですか?是非食べたいです」
なんて真面目な話をひと段落で終え、メルクさんは近くの棚から小綺麗に梱包された箱を取り出し…。
「最近デルセクトで流行りのチョコレートだ。そこの店主が律儀な奴でな?私への献上品として毎月いくつかのチョコレートを送ってくれるんだ」
「まぁ、いいですね」
「ああ、いくら食べても飽きない代物だ、君も食べてみるといい」
なんて言いながら箱の中で綺麗に梱包されたチョコレート達をエリスに差し出し満足げな顔のメルクさんを見て、エリスもまたなんだか嬉しくなる。
しかし高そうなチョコレートだ、エリス的にはチョコは簡単に糖分を摂取出来るエネルギー食でしかないのだが…ううむ、これはなんとも。
「パクっ…、んぉ!美味しい!」
「だろ?」
「ブラックコーヒーに合いますねぇ、無限に食べれそうです」
甘い、甘い、一口コーヒーを飲んで苦い、苦いからの甘いは美味い、幸せだ。
エリスが食べてる安物とは違いますね、多分素材とかが。これは確かに毎日でも食べたい…。
「チョコを食べてると、デティを思い出しますね」
お菓子と言えばデティ、デティと言えばお菓子だ。学生時代の頃はそりゃあもう毎日のように食べてましたからね、デティの部屋に行くと常にお菓子の食べかすが足の裏につきましたし。
なんていうとメルクさんが目を見開き。
「ん!そうだそうだ、エリス朗報だ」
「なんですか?」
「先日デティにお前が帰ってきたことを魔伝で伝えたんだ」
魔伝…ああ、魔術遠距離連絡機構の略…つまりエリスとデティが昔使ってた遠距離に手紙を届ける機械のことだろう。
「なんて返ってきました?」
「『すぐ帰るから逃げないように捕まえといて』だそうだ。向こうでの仕事も落ち着いたから…というか半ば強引に終わらせて直ぐにでも帰ると、そう言っていた」
「つまりデティが帰ってくるってことですか?、それはいいですね!」
魔術文化が芽生え始めた外大陸の人間と魔術的な協定を結ぶため、カストリアの極東へと向かっていたはずのデティが戻ってくる。なんだかエリスの都合に合わせてもらっているみたいで申し訳ないがそれはそれとしてデティと会えるのは凄く嬉しいな。
「と言っても?、向こうとの折り合いもあるから帰ってくるのは三日後だそうだ」
「三日後…、分かりました。それまでに今散らかってる問題を片付けたいですね」
「散らかっている問題…となるとレイバンか?」
「はい、…内通者の件と絡めてちょっと調べたいので」
「だからアイツに密告は無理だと言ったろう?、アイツは内通者じゃない」
レイバンは内通者じゃない、アルカナがロストアーツを盗んだあの事件の引き金となったのは内通者がロストアーツの保存場所を漏洩したからだ。だが今でこそ一大派閥を築いているレイバンだがその時はまだ精々勢いがある程度の男でしかなかった。ロストアーツの場所なんて知らない、知らなければ教えようがない、という事で彼は基本的に容疑者から外れているのだ。
だが事情が変わった。
「ですけど、どうやら内通者は一人じゃないみたいです。ファーグス支部の人間が脅されて利用されていたように…もしかしたらロストアーツの保存場所を知っている人間もそんな風にアルカナに脅されて…っていう風には考えられません?」
「個人情報をアルカナに脅迫材料を漏らし、アルカナに協力するよう促した人間こそが真の内通者ということか」
「そうです、そしてそれがレイバン…」
「その意見は厳しいな、それを言い出したらほぼ全ての人間が容疑者になるぞ」
「それは…そうですけど」
「慌てるな、エリス…お前が姿を現した事でアルカナが動き出したようにその真の内通者も何がしかのアクションを起こす筈だ、それを見逃さないことが肝要だ」
「そうですね…、焦り過ぎました」
こうしている間にもレイバンは勢力を伸ばしている。エリスがロストアーツを取り戻しているからメルクさんも勢いを取り戻しているけどさ…。
これでレイバンがアルカナと関わりがあったらすげー楽なんだけどなー。
「さて…じゃあちょっと仕事に行ってきます」
「ああ。…あ、待て」
「ん?なんですか?」
「これ、メグから預かってるぞ」
そう言いながらポンっと投げ渡してくるのは…黒色の小さな箱。なんだこれ…。
いや、メグさんから預かってるって言うことはもしや。
「メガネだ、例のな」
「おお、たくさん入ってます」
パカリと開けると例の正体隠しのメガネがダース単位で入ってる、こんなに作ってくれたんだ。
「それが無くなったら次は材料の関係で生産に時間がかかるそうだ。壊してもいいが全部は壊すな…だそうだ」
「そんな直ぐに壊さないですよ、エリスをなんだと思ってるんですか…」
でもこれがあればメリディアさんのところに戻れるな、丁度謹慎期間も終わるし…よし。
一旦孤独の魔女の弟子エリスはお休みだ。次は新入り隊員のエリスに戻りましょうか。
「それじゃあ行ってきます、しばらくエリスは正体を隠すのでなんとか話し合わせてください」
「ああ、お前はアルカナを追って単独任務に行ったことにする。…頼んだぞ?エリス」
「はい、では」
…それに、いち早くメリディアに会っておきたい、だって今のメリディアには……。
………………………………………………
クラブ『ウォルフラム』、兵士達の憩いの場として開かれている専用の酒場たるそこにエリスは足を踏み入れる。
メガネを着用しアド・アストラの隊員服を着込み、久しぶりに新入り隊員エリスに扮してクラブの喧騒の中を行けば…、いつものカウンターに彼女は座っている。
見たところマスターの姿は見えず、代わりに店員が慌ただしくお酒を運んでいる。
「……隊長」
「……エリス」
メリディアだ、こちらを見るとやや申し訳なさそうに眉を垂れさせる。今彼女の目には昨日まで会っていた幼馴染のエリスではなく新入りの隊員エリスに見えている事だろう。
だからかな、すごーく申し訳なさそうだ。
「お疲れ、今までずっと冥土大隊に拘束されてたんでしょ?」
「拘束と言っても別に縄で縛られてたわけじゃありませんから大丈夫ですよ」
「そっか…」
そう隣に座れば、彼女の机の上には既にカラにしたジョッキがいくつもいくつも…。やっぱり辛いか…。
「聞いたよね、ドヴェイン達のこと」
「はい、ドヴェインとシーヌが殉職。クライヴ副隊長も意識不明の重体だと…」
「うん、…その通り。ごめんね?エリスの同僚を…友達を守れなくて」
メリディアは割り切った、部下の死を割り切った。だが、だからと言って別に気にしなくなったわけじゃない。今も彼らの死に顔が頭に浮かんでいるのだろう、酒の力を借りないと忘れられないくらいには。
それでもこうして勇ましく立ってられるのは立派だと思うな。
「いえ、二人も軍人です。覚悟は出来てたはずですよ」
「覚悟をしてたって辛いものは辛いし、怖いものは怖いと思うよ」
「そりゃあそうかもしれませんけど、メリディア隊長が気にすることはありませんよ」
「………………」
「え?どうしました?」
ふと、酒で赤くなった頬をこちらに向け、ジッとエリスを見つめるメリディアの様子はややおかしい、…な、何?。
「ううん、たださ…エリスって名前だけじゃなくて言うことも私の幼馴染にそっくりだよね」
「え!?!?」
「実はこの間幼馴染に再会してさ。名前も同じエリス…それに口調や言うこともそっくり」
「そ…そんな事ないでヤンスよ!ぐへへ」
「貴方そんな口調だったっけ…?」
やっべぇ…うっかりしてた。メリディアは昨日本来のエリスに会ってるんだ。いくら顔を変えててもエリスの口調や癖ってのは嫌でも記憶に残ってる、いくら正体を隠しててもこれは流石に誤魔化しきれないか…?。
「まぁなんでもいいや、昨日からずっとエリスの言葉が脳裏に引っかかっててさ…気にしすぎだね」
と思ったが、メリディアは相当酔っているようであんまり気にしている様子はない。
でも次からは気をつけよう。
「それよりエリス、よく聞いて。私はこれからドヴェイン達の仇を追うつもりでいる、メルクリウス様と協力して極秘任務に就くつもりなの」
「それも聞いています、だから私も…」
「いえ、エリスは今日で別の小隊に移って。さっきも言ったけどうちの隊からはもう死人が二人も出ている、クライヴももうしばらく動けない…きっと私じゃ貴方を守り切れない、だからエリスはもう降りて」
あー…そう来るか、もう危ないから離れろ…か。確かにそうなるのか…でも。
それは困る、エリスとしてもアルカナを追うメリディアと一緒にいた方が都合がいい、非常によろしい、なので離れるわけにはいかない。
ここは何が何でもついていく意思を見せねばなるまい、…よし。
「何言ってるんですか!メリディア隊長!」
「え?え?」
「私はメリディア隊長の部下です!何があろうともそれは変わりません!」
「ちょっ…エリス」
「貴方が私を導いてくれたから私は軍人としてやってこれたんです!」
「やってこれたって、まだ入って一週間くらいじゃ…」
「私は貴方以外の指揮は受けません!、貴方と共に戦いたいです!これが私の忠義ですから!」
「わ…わわ、分かった分かった…そこまで言うなら覚悟は出来てるのよね」
「ン勿論!」
メリディアの手を取りグイグイと顔を寄せる。勢いで押したら行ける…酒の入ってるメリディアを言いくるめるなんてわけないことなのだ。
それに、彼女について行きたいのは捜査云々の打算もあるが…何より。
「何より、今はもうメリディア隊長一人じゃないですか。貴方を一人になんか出来ませんよ」
ドヴェインもシーヌももう居ない、クライヴもしばらく動けないし復帰出来るかも怪しい。第七百七十二小隊はエリスを除けばエリス一人…そんな人間を一人でアルカナの捜査になんか回せるか。
「一人…ああ、そう言えばこっちは言ってなかったわね」
「へ?」
「ほら、貴方が来た日に言ったの覚えてるでしょ?、貴方の他にもう一人入隊するのが遅れてる人がいるって」
「そういえば言ってましたね」
本当は第七百七十二小隊にはもう一人メンバーがいたんだ。ただアド・アストラに来るのが遅れてるとかで入隊時期が後ろに回ってしまったと。
「その遅れてた子が今日到着したの。その子と一緒だから一人ってわけじゃないのよ」
「その子も一緒って…、その人私と同じ新入り隊員ですよね!?なんでその子は良くて私はダメなんですか!?」
「そりゃあ…しょうがないじゃない、だってその子強いもん」
エリスも強いが?多分だがその子より強いが?。だがどうやらその新入りはかなりの大型ルーキーらしい、メリディアが同行させて問題なしと見るほどに。
「その子は将来の幹部候補で、ゆくゆくはアド・アストラのアジメク軍の総指揮を執るかもって言われてるくらいの逸材なんだ」
「凄いですね…、そんな凄い人がなんでまた七百七十二小隊なんかに」
「あー…縁、かな?」
「縁?なんの…」
「ん、噂をすれば来たみたいよ」
その言葉共に勢いよく開かれるのはクラブの扉。まるで蹴破るような勢いで扉は弾かれ轟く轟音に思わず周囲の目を集める。がしかし、その注目を集めた本人は全く気にすることもなくズケズケと踏み入り。
「メリディア?メリディア!来てやったわよ!」
なんて不遜にも隊長の名を呼ぶのだ。とても新入りの態度とは思えない彼女は…またなんとも特異な格好をしている。
ややボロくさい黒いコートに腰まで届く銀の髪、そして揃いの銀の錫杖を持った美女…いやエリスより少し年下かな?。嫌でも目を引くくらい目立つ格好をした彼女はこちらを見て…って。
(嘘だろ……)
エリスはそこでようやく冷や汗が垂れていることに気がつく。あの銀髪の女が体から漂わせる魔力の量を感じて…戦慄したのだ。
強い、凄まじく強い。エリスが魔力覚醒を使って襲いかかっても勝てる確率は五分五分とさえ思えるほどに、つまり彼女は第二段階に至った人間の一人ということであり…ん?。
ちょっと待て、ちょっとちょっと待て。待てよ?あの銀髪…どっかで見たことあるぞ。
それにあの銀の錫杖をのデザイン…あれは、ま…まさか新入りって。
「ここよ、アリナ」
「ん?、何よ居るじゃない」
アリナ…そう呼ばれ銀の髪を持った彼女はムスッとしながらこちらに歩み寄るなり許可も取らず隣にどかりと座る。
この髪、この錫杖、この不遜な態度、間違いない…彼女は。
「紹介するわ、新入りのアリナ・プラタナス。アジメクの『白金の希望』と呼ばれてる次期魔術王よ」
アリナだ、ムルク村のケビンの妹にしてアジメク宮廷魔術師団の団長…そしてアジメクにおいてクレアさんと互角の力を持つ唯一の人物。
エリスとも縁のある彼女が、新入りとしてやってきたのだ。
嘘だろこれがアリナ?、信じられないくらい大人になってる…人間って三年もあるとここまで変わるのか。
「この子は三年前からずっとコルスコルピのヴィスペルティリオ大学園に留学しててね、昨日ようやく帰ってこれたようなの」
「何よメリディア、このメガネ」
「私の部下よ、貴方にとっては先輩になるから…仲良くね」
「ふーん……」
相変わらず基本的に他人を見下す癖は抜けてないようだが、そうか…ヴィスペルティリオに留学してたのか。今更アリナが学ぶことなんかなさそうだが…それでも真面目に三年間勉強してきたのか、偉いなぁ。
と微笑ましく見るエリスを他所に、当然ながらエリスの正体に気がつかないアリナはエリスの事を冷めた目でじろっと見る。
「あんた名前は」
「え、エリスです」
「エリス…ねぇ、貴方…いえ、まぁそんな事は今はいいわね。それよりメリディア?緊急事態って聞いたけど?」
「あの、私隊長なんだけど…」
「はいはい、で?状況は」
ホント相変わらずだな。エリスの事は好いてくれているような様子だったけどそれでも初対面の時は酷かった。いや昔に比べれたら今はマシか?昔ならメリディアの下に就くってだけで嫌がって駄々をこねただろうし。
「うう、まぁこんな感じでアリナは昔から結構な問題児でね?いきなり幹部にするのは怖いから私のところで面倒を見てってデティフローア様に頼まれたのよ」
「なるほど…」
「留学から帰ったそばから現役復帰。アド・アストラってのも余程人材不足なのね。でもねメリディア!勘違いしないでよ!私は仕方なく貴方の部下になるの!私に命令していいのはこの世に二人だけよ!」
「わかったわよ、…はぁ〜」
メリディアの顔つきはまぁなんとも心底面倒臭そうだ。けどアリナは確かに実力は一級品、三年前の戦いでは未だ経験不足の身でありながらクレアさんと組んで羅睺十悪星の一人を撃破したらしい、そこに更に経験が付与されているならばもうエリスでも勝てるかわからないレベルだ。
それを補って余りあるほどに面倒な人ではあるが。
「えーっと、それでね?アリナ。実は私達はこれからアルカナって組織を追うつもりで」
「それはここに来る途中聞いたわ、私が聞いてるのはどこまで掴めてるかよ。貴方部下二人も殺されてるんでしょ?私が連中に地獄見せてやるわ」
「ありがと…、と言ってもまだ何にも掴めてないんだけどね」
「今から開始ってこと?、…まぁ都合がいいか。なら私は明日から勝手にやらせてもらうね、一応報告はしてあげるけど事後承諾になったらごめんなさい」
「え!?単独行動って事!?危ないしそもそも貴方を一人で行動させたら貴方を預かった私の立つ瀬が…」
「関係ないわ」
「うっ!」
アリナを咄嗟に引き留めようとするも、メリディアは手を引っ込めてしまう。それだけアリナが凄まじい目で睨んだからだ。
『私はお前より強いから大丈夫だよ』…そんな不遜でありながら覆しようのない事実を叩きつける。実際メリディアとアリナではその実力に天と地ほども差がある、なんせアリナはこれでも覚醒を使えるんだから。
「……はぁ」
メリディアはグッタリと肩を落としてアリナの傍若無人っぷりに振り回されているようだ。さっきも言ったがアリナは強い、なまじ実力はあるから引き止めようにも引き止めきれない。あのデティでさえ手綱を握りあぐねていたこの子を今の余裕がないメリディアがどうこうできるかは微妙なところ。
仕方ない、ここは新人であり一応彼女の先輩である私が一肌脱ぎましょう。
「あの、アリナさん?」
「何よ新入り、言っとくけど先輩ヅラしないでね?私はアンタがアド・アストラに所属するよりも前からアジメク軍にいたの。だから実際は私の方が先輩だからね」
「それはそうですけど、メリディア隊長も困ってますし、言うことくらい聞いてあげたらどうですか?」
「………………」
え…えぇ、無視?。いや無視はしてないのか?だって視線がジッとエリスの方を向いているし、もしかしてガン飛ばされてる?…相変わらず怖いなこの子は。
「ちょっとアリナ!この子には喧嘩を売らないで!」
「喧嘩なんか売ってないわ、喧嘩になんかならないもの」
「うぅ…、私不安になってきたよ…」
「何よ、だらしないわね」
体ばっかり大きくなって、態度はてんで変わってない。いやある意味正当に成長したとも言えるのか?。
何にせよこのままでは作戦行動なんて夢のまた夢、アリナという人間をなんとかしないと動くどころ騒ぎじゃない。下手すりゃ第七百七十二小隊が空中分解する…。
「う…、私お腹痛くなってきた…ちょっとトイレ借りてくるわ」
と席を立つと、メリディアは数歩進んだ後くるりと振り返り。
「喧嘩はしないでね?」
「しないつってんでしょ!くどいわよ!」
「……はぁ」
まるで反抗期の娘だな、メリディアはこれからの行く末を案じてキリキリと痛むお腹を抱えてトイレへと発ち。
そして…。
「……………………」
「……………………」
エリスとアリナは二人きりになった、最悪の空気だなこりゃ。
アリナはどこか遠くを見たままこちらに話しかけもしない。ここでエリスが迂闊に話しかけたらきっと喧嘩が始まる、そしてメリディアかまだお腹を痛める。
エリスは彼女の頭痛の種になりたいわけじゃないんだ、これからアルカナを追いかけるという場面で今みたいに纏まりのない行動をするのは逆に命取り、なんとかアリナには我々との集団行動を心がけて貰いたいが。
「……あの、アリナさん」
「…………」
今度は確実に無視だ、こちらを見ようともしない。取りつく島もないって感じか…参ったな。
「ねぇアンタ」
「え?」
と思いきや即座にアリナはこちらを向き顔を近づけ…。
「アンタ新入り隊員よね」
「え?あ、はい」
「いつ入ったの?」
「今月の始めあたりですけど…」
「……あっそう、つまりアンタド新人じゃない!何を私を宥めようとしてんのよ!腹立つったらないわ!一発殴らせなさい!」
と思いきや今度は怒りだしたぞ!?もうわけがわかんないよ!?。
なんで混乱している暇もなくアリナはいきなり立ち上がりエリスの胸倉を掴み上げギロリと睨む。
「ちょちょ!喧嘩はやめましょうよアリナさん!」
「新人が私に指図してんじゃないわよ!生意気よアンタ!」
「生意気も何も…」
「新入りが私に逆らったらどうなるか教えてあげようかしら!?」
メリディアが居なくなるなり激怒したアリナは静かに錫杖を手に持ち…そして。
「うっ!?」
鋭い目つきのまま一気にエリスの顔にその怖いお顔を近づけてきて…。
「ちょ!?やめてくださいよ!アリナ先輩!」
「シッ!静かに聞きなさい」
「へ?」
殴られる!と思いきやアリナは胸倉を掴んだままエリスの耳元で至極冷静に小声で語りかけ…あれ?怒ってない?。
「な、なんですか?」
「聞きたかっただけよ、ねぇ…アンタ、いえ。貴方もしかしてエリス姐じゃない?」
「え!?」
な、なんで…なんでバレて…?。
「やっぱり、漏れ出てる魔力がエリス姐と同じだと思ったら…貴方本物のエリス姐よね」
魔力を感じて正体を看破したってのか!?、凄いなアリナ…流石だ。
こりゃもう隠すのも無理か?。
「そ…そうですよ、よくわかりましたね」
「やっぱり、会いたかったです」
「でもなんで胸倉掴まれてるんですか?エリスは…」
「そんな風に顔を隠して、尚且つメリディアがエリス姐の正体に気がついてる様子がない…ってところから、エリス姐は他の人に正体がバレたくないのかなって思って。こうすれば小声でコソコソお話しできるかなって」
なるほど…他にやり方があったような気がしないでもないがアリナなりに気を使ってくれたのか。よく気遣いの出来る子になったじゃないか…。
「エリス姐エリス姐、私学園に行って立派になりましたよ、褒めてください」
「ええ、すごく立派になりました…、けど」
「けど?」
「ごめんなさい、貴方は嫌かもしれないけれどメリディアには従ってもらえませんか?、エリスの目的を果たすためには彼女の協力が必要なんです…そのためにこうして正体を隠して動いているんです」
「なるほど…そう言う、分かりました。私が命令を聞くのはデティフローア様とエリス姐の二人だけ、エリス姐が言うなら何でもします」
それは良かった、ある意味彼女が鋭くて助かった。これなら…。
「ぁぎゃー!!??、二人とも!?喧嘩やめてー!?」
「ん?」
「え?」
と、話がまとまった瞬間響き渡る悲鳴…、見ればトイレから帰ってきたメリディアが顔を青くし膝を震わせながらアワアワと駆け寄ってくる。喧嘩…ではないんだが他所から見ればどう見ても一触即発だもんな。
「アリナ!エリスを離して!この子は…」
「分かったわ」
「え?言うこと聞いてくれるの?」
「ええ、気分が変わったわ。単独行動も辞めるしエリスね…エリスとも仲良くしてあげる」
「きゅ…急に何ぃ?」
「別に?、ただこのエリスと少しお話しして心を入れ替えたの。やっぱり隊長には従わないとダメよね?うん。だから協力は惜しまないわ」
「………………」
突如として従順になったアリナを見てなんか凄い怖いものを見るような目でドン引きするメリディア。何?何が目的?と言わんばかりにアリナを見るけど…アリナに目的なんかない。
こっそりエリスの方を向いて『これでいいんですよね?』とウインクしてくれているんだ、彼女はもうメリディアには逆らいませんよ。
「なら…いいわ、うん」
「じゃ、そういうことで。作戦会議を始めましょう?ねぇ〜?エリス〜」
「は…はい」
ただエリスの横に座ってベタベタするのはやめてくれませんか?。もうアリナの体から喜びがビンビン伝わってきて本当にやばいんですけど。
「ま…まぁ、うん…そうね、ねぇエリス?アリナに何したの?」
「か…軽い世間話を」
「そうなの?、なら…別にいいけど…」
「それより、今後の指標を決めましょうメリディア隊長」
「う、うん。釈然としないけど…」
と、落ち着いたところで三人揃ってカウンター席に座り…。
「それで?何にも掴めてないけどこれから何をするの?」
「うん、一応…これは極秘情報だから伏せて欲しいんだけどね。メルクリウス様曰く…今このアド・アストラ内部に大いなるアルカナと通じている内通者が居るみたいなの」
コソコソと話すメリディアにアリナの顔つきが変わる。どうやら内通者云々の話はメリディアにもしたようだ、本格的に彼女も抱え込むつもりなのだろう。
だがある意味信用のできる二人だ、メリディアはメルクさんを助けた張本人として信頼度もあるしアリナに至っては新入りで内通者の可能性は皆無。この二人なら…。
「まぁ、いるでしょうね内通者くらい。アド・アストラの士官試験なんて多少能力があれば入れるしスパイが全くいない方が不自然よ」
「そうなんだけどね、だからその内通者を見つけるのが第一の目的かな。そいつを捕まえられればアルカナの隠れ家も分かるし」
「なるほどねぇ、尻尾掴んで引きずり出すってわけね…けど大変そうね、このクラブにいる数だって相当数なのに、全体はこれの比じゃないんでしょ?」
そう言いながらアリナはクラブの中を見回す、見たところアド・アストラの兵士はだいたい百二十人くらいかな?。ここにいる人間一人一人探るだけでも時間がかかると言うのにアド・アストラ数億人の構成員を探るのなんか無理だ。
「どうにかこうにか絞り込まないと無理ですねこれは」
「何かいい手はない?」
とアリナが目を向けるのは…当然エリスだ。エリス姐なら名案が出る筈という根拠のない期待感がエリスに突き刺さる。
しかし期待されたからには答えねば。内通者を絞り込む条件はいくつかあるが…一番重要視しなければならないのは。
アルカナにロストアーツを盗ませる為に『ロストアーツの保管場所を知る権利を持っていた人間でなければならない事』だ。こいつのせいでレイバンは容疑者から外れ疑われていない。
「ロストアーツの保管場所を事前に知ることが出来た人間…でしょうか、それなら幾分か絞られません?」
と言っても、それでもメグさん曰くロストアーツ保管場所を知っていた人間・知っていた可能性がある人間・知ることが出来た人間に条件を絞ったとしても数千人近くいるという。
数億が数千人近くに限られたと言えばすごい飛躍だが、それでも数千人は数千人だ、少ない数字ではない。
これが何のヒントに…思ったが。
「ああ、そう言えば私…ロストアーツの保管場所…事前に知ってたっけなぁ」
「え?本当ですか?メリディア隊長」
なんとメリディアもその知っていた人間のうちの一人だというのだ。そいつは初耳だな…。
「どこでどうやって…」
「担い手に選ばれた時、最初はその保管庫で授与式をやる予定だったんだよね。けどメルクリウス様の一存で民衆に開放した状態で授与式をやることになったの。だから私達授与式に参加する予定だった人間全員どこに保管されていたか知ってたはずよ」
「じゃあ担い手たちも?」
「そうね、知ってた可能性はあるわ…と言っても担い手はステンテレッロやアルクカースのガイランド様やデルセクトのイオ様みたいに立場ある方々ばかりだから普通じゃないかな」
確かに、ステンテレッロさんやイオさんを疑いたくはないな。顔見知りが裏切り者だったとなればエリスも少なからずショックを受けるだろうし。
「で?結局どこを調べるわけ?」
「うーん…何処だろう」
たははと笑うメリディアと呆れるアリナ。酒場の会議は平行線を辿る…すると。
「おや?、メリディア様にエリス様、いらしていたのですね」
「え?あ、マスター」
ふと、いつのまにかカウンターの奥にこの店のマスターであるグリシャさんが大量の木箱の乗った台車を押しており。
「それよりメリディア様、例の…部下が殉職された件についてですが…」
そう、やや言いづらそうにお酒の入った木箱を開けながら切り出す話題は…例のアレだ。
「ああ、…聞いたんですね」
「ええ、耳に入ってきます…凄惨な事件でしたからね」
どうやら、もうドヴェイン達の事も聞いているようだ。耳が早い…というよりはそれだけショッキングな事件だったのだ。任務先で突如として暗殺されるってのは…それだけのスクープなんだ。
「お気をしっかり持ってください、部下の二人も貴方を見ている事でしょうから」
「マスター…」
「エリス様も、新入りの貴方にとって凄惨な現場に居合わせるというのは辛い経験でしょうが…、仲間の分もしっかりと」
「マスターは優しいですね」
「…お二人はウチの顧客だから、という点を除いてもこうして話している人間が次の日には死んでいた…なんてのは、悲しいですから」
やや力なく、そして遣る瀬無く作業を続けるマスターの背中からは哀愁が感じられる。兵士専用の酒場…か、きっと日常茶飯事なんだろう…昨日ここで飲んでた人間が、次の日には殉職しているなんてのは。
「…それよりどこ行ってたんですか?グリシャさん」
「いえ、仕入れです」
「お酒のですか?」
「それもありますね、私は現地に行って直接お酒をテイスティングしてから買うようにしているのでどうしても時間がかかってしまいますし、何より外でないと仕入れられない『噂』もありますからね」
なるほど、この店の売りはお酒の他にもう一つ。グリシャさんが集めた噂や情報というのも頼りにここを訪れる人間もいる。それもまた仕入れているのだろう。
「先日アド・アストラを訪れた英雄エリスの情報もたくさん仕入れていますよ?聞きたいですか?」
「あ…ははは、また今度」
そいつは是非とも聞きたいが、出来れば個人的にここを訪れた時にしよう。どんな爆弾情報が飛び出るか分からないからね…。
「誰よこの人」
「ああ、アリナは初対面だったね。この人はグリシャさん、この店のマスター。情報通でいろんなことを知っているのよ」
「と言ってもせいぜい聞こえてくる噂話を纏めている程度ですがね。故に有名人の事は知り得ていますよアリナ様。あなたが帰ってきているという噂はやはり本当だったようだ」
「気に入らないわね、こっちは知らなくてそっちは知ってるってのは」
「まぁまぁそう言わず…」
なんて無駄話をしながらもグリシャさんはテキパキとした動きで木箱から酒瓶を取り出し棚に詰めていく。すると…取り出した酒瓶の中に見覚えのあるラベルが見える…あれは。
「『山の一滴』?」
「おや?エリス様、これを知っているので?」
知っているも何もそれはエリスが仕事先で見たプラント村の名産品。名酒として有名でありながら師匠曰く格段に味を落としているという例のお酒だ。
これも現地にテイスティングしに行って買ったのか?。
「それ、味見しました?」
「ええ、エリス様は?」
「一応飲みました」
嘘だけど。
「かなり味が落ちてましたよね」
「ええ、ですが山の一滴というだけで喜ぶお客様もいますので」
案外商売上手だな。酒ではなくブランドを飲ませるということか、まぁここにいる人間からしたらぶっちゃけ味なんかどうでもよくて、酔えればそれでいいって人たちばかりだしな。
「一杯飲みますか?エリス様の勾留開け記念に」
「そんなことまで知ってるんですね…」
どこまで耳敏いのこの人は…、ってか良く今の流れで山の一滴を勧められるなぁ、商売上手と言うより…単に図太いのか?
「ちょっとエリス、無駄話はやめましょうよ。それよりこいつ情報通なら…こいつの力を借りるってのは?」
そこで入るアリナの提案は最もな物だった。情報通なら何か知っているかもしれない…この間みたいにある程度の指標を絞ることくらいはできるかもしれない。
が…。
(ストレートに聞くのは怖いな、一応この人レイバン側だし)
どれだけ公平性を謳ってもこの人の雇い主はレイバンだ。このウォルフラム自体レイバンが作ったんだ、もしかしたらエリス達があんまりレイバンに敵対するとこの人が敵に回る可能性が…って、そう言えば。
「グリシャさん、怒ってないんですか?」
「ん?何がです?」
「エリス達がメルクリウス様を助けた件です、あれって…」
「ああ、あれですか。別になんとも…私はただの酒場のマスターでしかないので彼の方の計画とか目的とかとは関わりがないんですよ」
それもそうか、まぁ怒ってないならいいや。一応エリス達がメルクリウス様を助けに行ってしまったことは彼の耳にも届いているだろうし、それでも客として扱ってくれる時点でこの人はある意味信用できるのか。
「それより私に何か聞きたいことがあるのですか?知っていることならなんでも答えますが」
さて、どうする。ここで『実はアストラ内部の内通者を探しててぇ』なんて聞こうもんならエリスはバカ確定になる。内通者云々はそもそも機密事項、それを酒場のマスターに漏らしていいはずがない。
となると本質を伏せたまま内通者に関する話を聞き出す必要があるが…どうやって聞くべきか。
メリディアとアリナはエリスに任せてくれるように静かに両脇からエリスを見つめ、グリシャさんは意識してるのかしてないのか分からぬ憮然とした態度でグラスを拭いている。
そしてエリスが見つめるのはカラのグラス、エリスが飲んだものではなくメリディアが飲んだ麦芽の匂い漂う空っぽのグラス。やや水滴の残るそれをジッと見つめ。
「ぶっちゃけレイバンの事どう思ってます?」
「いい雇い主だと思いますが?」
ダメだ、バカみたいな話しか出てこない。そんなこと聞いてどうするんだエリスは。
「あのお方は私を拾ってくれた恩人なのです、場末の酒場で腐っていた私を彼の方は拾い上げ新たに打ち建てるクラブのマスターになってみないか…と誘ってくれたのです、なんでもどうしても成功させたい酒場があるだとかで」
「…グリシャさん?」
「レイバン様からすれば適当な経験者を探していただけなのでしょうが…、私からすればあれはまさしく渡りに船…救いの手だったのです。だからですかね、こうして何もかもをこの酒場の運営に注ぎ込もうと思えたのは…」
グラスを磨く手に力がこもる。人に歴史ありとはよく言ったもので、グリシャさんという人間にもここに至るまでの話があるのだ。
そしてその話の転機となったのがレイバン。今こうして栄えある酒場のマスターとしてよくやれているのはレイバンのおかげ…というわけか。レイバンにもいいところがあるな…ん?。
「そう言えばなんでレイバンはこの酒場を作ったんでしょうか」
「あれ?前言わなかった?、兵士の慰安も兼ねて無償酒場を作って兵士達の支持を集めるためだよ」
「それは聞きましたよ、けど…『なんで酒場』なんですか?」
なんだか、そこに妙な引っ掛かりを覚えた。兵士たちの支持を集めるために酒場?まぁ確かにその効果はあるだろうが…本当にそれだけの為ならもっとやりようはある。
この酒場は場を提供しているだけだ。豪勢なご馳走が出るわけでもいい女がいるわけじゃない。雰囲気がいいだけの酒場…だがレイバンはそれをグリシャさんに『どうしても成功させたい酒場』と説明した。
そこが引っかかるんだ、なんだ…何が引っかかっているんだ。このクラブには…他にどんな顔がある。
「いやぁ今日も疲れましたな」
「しかし久々にやり甲斐のある仕事だ。やはり私はメルクリウス様のような苛烈なまでの情熱に任せた仕事ぶりの方が性に合っている。世の為にこき使われている感覚は出世よりも甘美だ」
「それは確かにそうだな、ではここで会議の続きでもしますかな?」
「いいですねぇ、なら非魔女国家の流通ルートの見直しについてですが…」
ふと、酒場の一角でお酒を片手にほんのり酔いどれ気分で会議を始める一団が目に入る。あれは確かアド・アストラの幹部達だ、前の集会の時に顔を見たから覚えている。
しかしここで会議って、無用心極まるだろ。誰かに聞かれたらどうするんだよ…いやここにはアド・アストラの人間しか入れないからいいのか………あ。
「そうか…!」
思わず手を打ってしまう。思い出したからだ、エリスはこの酒場の話をメリディアに聞いた時どんな感想を抱いた?。
『コーヒーハウス』だ。
商人達が情報を交換し合ってより良い商売を行うためのコミュニティ。つまりこの酒場は常に情報に満ちている、酒を飲んで滑りやすくなった口が身内しか入れないこの空間に油断して本来はしてはいけない話をしだす。
そこに居るのは毎日のように足繁く通うレイバンだ。元商人たる彼もまたコーヒーハウスのことは知っていたはずだ、そこから着想を得て…彼はをここを。
ここを、本来は知り得ない情報を得るための情報源として利用していたとしたら…どうだ?。
「すみません、グリシャさんいくつか聞きたいんですけど」
「なんでしょうか?」
「今あそこで幹部達が話してる内容、あれをレイバンが聞きたいと言ったら…答えますか?」
「ええ、あそこで話されている幹部の方々が情報を欲しがった時答えるように私はレイバン様にもその情報を与えます、私はあくまで中立なので」
「なら、…ロストアーツの担い手達の中にこの店の常連は居ますか?」
「担い手、……ええ、いますよ。誰かは伏せますが」
やはり…やはりそういうことだ。これが事実なら…レイバンは容疑者に入る、彼は意図的にこの空間を自らの情報収集の場として用意したのだ、兵士も幹部も油断して情報を漏らしそれを掻き集め自らの力に変えていたんだ。
そして、もしロストアーツの担い手から保管場所を聞き出していたのなら…レイバンは十分内通者としての条件を満たせる。
この情報を元にメルクさんを失脚させ自らの天下を作り出そうとしていたというのなら動機の点でも納得がいく。
「…………」
「ど、どうしたの?エリス」
「調べる先が決まりました、レイバンです」
「でもレイバンは…ううん、違うんだね。分かった」
「……ンフフ、流石」
エリスを信じてくれるメリディアとエリスを信じてくれているアリナは黙ってエリスに従う道を選んでくれる。そして何よりエリスが気になるのは…。
「………………」
黙ったまま何も言わずにグラスを磨き続けるグリシャさんの顔だ。余裕…というか底の知れない笑顔で淡々と仕事をしている。この人だってエリスがやろうとしていることに気がついているだろうに。
「いいんですか?エリスを止めなくて」
「はて、なんの事ですか?」
「エリスはレイバンのところに行きます」
「そうですか…」
「止めないんですか?」
「私には止められません、私はただの酒場のマスターですから」
…この人の価値観はいまいちわからないな。中立の立場を守る為に恩人たるレイバンの危機さえ手出ししないか、或いはそれもプロ意識か?。
まぁいい、とにかくレイバンだ。奴が内通者だという証拠が出れば…と思ったが、どうやら今日はレイバンはクラブに顔を出していないようだ。珍しいな…。
「レイバンはどこでしょうか」
「レイバン様は今デルセクトにいますよ、メルクリウス様が勢いを取り戻した事で作戦会議でもするつもりなのでしょう」
「教えるんですか?エリスに」
「ええ、私は中立ですので」
「……そうですか」
「ねぇエリス、レイバンがデルセクトにいるなら詳しい場所は分かるわ、多分彼の商店があった古巣…岩都ランメルスに居るはずよ」
岩都ランメルス…、確かデルセクト国家同盟群の辺境に位置する街の名前の筈だ。冷厳な岩山が続くと言われるあの街でレイバンは成り上がったのか。行ったことはないがあまり人の往来はない街と聞いたが…商人としての腕前は本当らしい。
「分かりました、行きましょう」
「行きましょうって…今から?夜になっちゃうよ?」
「時間を置けば置くほどレイバンの居場所が分からなくなります、ここは即座に動くべきです、だから…」
「面白い話をしているな」
「お?」
まるで、背筋に氷の刃でも突きつけられたかのような。そんな薄ら寒い感覚に思わず警戒し振り返ると…、そこに立っていた彼は軽く、そして陽気に手を上げて挨拶する。その背中に仰々しい大鎌を携えて。
「ルーカス大隊長…」
「ルーカス?」
ルーカスだ。ニヒルに笑うこちらを侮るような、そんな嫌な視線でこちらを睨め付けると。
「なんだアリナ、お前帰って来ていたのか?俺に一言くらい言ったらどうだ」
「あんたに報告する義理ある?」
「少なくともメリディアの部下になったのならな。俺はメリディアのさらに上…俺もお前の上司だぞ」
「ハッ、知ったことか」
「ちょっといきなり喧嘩しないでよ」
ルーカス、アリナ、メリディアの三人が何やら気安い?感覚で話しているのを見て…そう言えばこのメンツが全員ムルク村出身であることを思い出す。
全員知らない仲ではないが、少なくともエリスが知っていた頃とはかなり様子も関係も変わってしまっている。繋ぐのはただ故郷が同じというだけの関係性。
同郷とは言え仲がいいかはまた別なのだろうな。
「というか、何の用?今から私達用がいるんだけど」
「その用に俺を同行させろ、行くんだろう?レイバンのところに」
「ッ…盗み聞きしてたの?」
「レイバンの所に行くって声が聞こえたからな。俺もちょうどあいつに用があった、そして恐らくだが俺の用件とお前らの用件は同じ…レイバンを調べるんだろう?」
「ッ!?な…なんの事ですか?」
「惚けても無駄だ、俺をあまりナメるな。ほれ行くぞ」
いつのまにかこの一団のリーダーのように振る舞い彼は踵を返し酒場の外へと出て行ってしまう。いやまぁリーダーというかこの中では一番階級も上ですが…。
ルーカスはレイバンに用があると言う、そしてその用はエリス達と同じ…つまり内通者である証拠を探すことにあると言う。メルクさんから直々に命令を受けたメリディア達ならいざ知れず何故ルーカスがそれを探っているんだ。
何か知っているのか?。
「癪、ついて行くの嫌だから後五分待ってから行きましょ」
「いえ、ルーカスについていきましょう。正直彼が同行してくれるならありがたいですし」
ルーカスが何故内通者のことを知っているのか聞きたいって言うのともう一つ。
ルーカスはあれで経験もあるしかなり冴えた男だし頼りにもなる。向こうで何があるか分からない以上精神的に余裕のないメリディアと正体を隠して動きづらいエリスと未知数のアリナの三人では不足かもしれない。
「まぁそうだね、ルーカスはガチで強いし向こうで荒事になった時あいつが居れば片付くし」
「何よ!、ルーカスよりも私の方が強いわ!」
「けど加減出来ないでしょ」
「できらぁ!」
出来ないな、これは。この子はエリスと同じで広範囲に大火力を叩きつけるタイプの魔術師だ、戦闘になればまず間違いなく始末書だ。エリスが時計塔を木っ端微塵にしたように洒落にならない結果を生むかもしれない。
「おい、早くしろ!夜が明けるぞ!エリス!」
「え!?私!?」
「そうだ、早くついてこいエリス!」
酒場の入り口から顔を覗かせたルーカスは名指しでエリスを呼びつける。なんでエリス単体なの…。
「なんか好かれてるね、エリス」
「好かれてるんですかね…あれ」
この間、正体を現して顔を合わせた時は敵意ムンムンだったことから考えても…まぁ、好かれてはいるのかな。
ルーカスは態度はあれだが何だかんだ気を回してくれるし話は聞いてくれる。こうやって親しくしていればいい兄貴分として頼りに出来る男なんだ。
ただ、エリスの事が嫌いなだけだ。
「まぁいいか、行きましょう」
ともかく、今エリスは光明を得ている。もしレイバンが内通者だと言うのなら…全部丸く収まる、そしてここでエリスがその証拠を掴めれば…。
うん、頑張ろう。