325.対決 大隊長ライリー
世界最大クラスの大森林『ズギュアの森』の内部、森の中打ち立てられた世界統一機構アド・アストラの支部の前面にて向かい合う二つの影。
片やアルクカースの大隊長ライリー。漆黒の魔装鎧に身を包み正真正銘の全身全霊の姿に戦いに臨む彼女は雪を踏みしめ目の前のそれを睨みつける。
それに相対するのはアド・アストラの新入り隊員エリス……ではなく、偽りの顔を作り出していたメガネが破壊され半ばやけっぱち気味に開き直った孤独の魔女の弟子エリスだ。
三年ぶりとなる実戦にやや心を踊らせる彼女はライリーという実力者を前にしてニマニマと笑い、余裕そうに柔軟体操をしている。
「貴様、何者だ」
「エリスはエリスですよ、さっきから言ってるし貴方も知っているでしょう」
「そうではない、その魔力、そしてその威圧、並大抵のものではないぞ、何故それほどの実力者が、新入りの隊員なんて」
「はぁ、ライリーさん…今それ必要ですか?。それよりやるんでしょ?エリスを倒しに来たんでしょ?だったらベタベタ喋ってないで…かかってきてくださいよ」
「ッ…!この私を、挑発か、ナメた、真似を!」
挑発、エリスの言葉に怒りの形相を浮かべるライリーはもう一度踏み込む。今度はこの魔装鎧の真の力を解放して。
ライリーが着込むこの漆黒の鎧の名を『パウルム・ジャガーノート』。かつての第一王子ラクレスが秘密裏に建造を進めていた巨大ゴーレムを模して、その兵器構想をそのまま流用して作り出された小型の戦略兵装だ。
性能をそのままに、鎧という形に作り変えより柔軟な使用法を可能としたこの鎧は、内部に数多くの魔力機構を搭載する。しかもその魔力機構そのものを付与魔術で強化しているため…帝国に存在するどの鎧型魔装さえも上回る出力を発揮するのだ。
問題点として誰にでも使えるわけではない…という点があるものの、そんなものライリーには関係ない。これを扱えるだけの身体能力を持つ彼女には、関係ない。
「フンッッ!!」
踏み込んだ足から発せられたのは豪炎、足の裏に取り付けられたブースターによる超加速にてにライリーの体は放たれた矢の如く一瞬で消え去りエリスの顔目掛け拳を振り抜く。
これは避けられない、ライリーはそう分析する。彼女はこれでも戦闘民族アルクカースの一流戦士…何も考えず殴り合ったわけではない。
既にエリスの限界反応速度と瞬間的な移動範囲は見切っている。咄嗟にこの攻撃に反応出来たとしても回避するには0.5秒程足りない!。
(取った!)
そう確信する程に力のこもった拳は真っ直ぐ振り抜かれ…。
……エリスではなく、その背後の木々を撃ち抜いた。
「な!?消えた!?」
「ここです!」
いつのまにかライリーの懐に潜り込み拳を回避していたエリスの声がしたから響く。絶対に避けられないと確信していた一撃が何のこともなく避けられた…ありえないことだ。
エリスの身体能力では限界までそれを活用したとて回避は不可能なはずなのに。何故、そんな疑問が胸を占めるその瞬間。
「疾風韋駄天の型ッ!」
「ごはぁっ!?」
雨だ、まるで雨のように怒涛の速度で放たれる拳の連撃が何度も何度も鎧を打ち付け、本来の三倍以上の体重になっているはずのライリーの体が浮かび上がり…
(何が、起きて、いるんだ)
鎧を何度も拳で殴りつけられ自身が宙へ浮いている。そこに思考が追いつくまでに鎧は凹み鉄板は軋みライリーの防御にヒビが入り…
「まだまだァッ!」
「な!?」
浮かび上がったライリーの鎧を掴み引き寄せると共に、風を纏ったエリスの拳が何度も打ち付けられる。左手で胸倉を掴み、右手で殴り肘で打ちまた殴り、知性のかけらもない力尽くの連撃が何度も何度も殴りつけ無理矢理ライリーの兜を叩き割ろうと吠え立てるエリス。
このままでは本当に鋼の鎧が砕かれると青くなるライリーは咄嗟に鎧に搭載された鉄の鉤爪を展開し。
「寄るな!、『黒鉤連斬』!」
「おおっと危ない」
しかし、ライリーが攻撃に移った瞬間、エリスの体がフワリと浮かび上がり一瞬にして離脱するのを見る。
あれが先程の超速度の回避…その正体だ。見ればエリスの手足には小型の乱気流が纏わり付いておりそれが意のままに動きエリスを素早く運んでいるのだ。
あんな魔術見たことない。そんな感想をライリーの脳みそが弾き出すよりも前に。エリスの風は途端に向きを変える。
「だったらぁ、これならどうですか!『真風鑿拳』!!」
急転換しライリーに向かってくるエリスが放つのは、見たこともない魔術。まるでデルセクトに存在する機械、岩を削る鑿岩機の如く回転する風を右拳に乗せたエリスの大胆な振り下ろしがハンマーのようにライリーの頭を叩き、またも足が宙へと浮かび上がりその体が一回転する。
「ぅぐう!?」
「硬いですねその鎧!、感触的にカロケリの鉱石ですか?、それを丸々一つの鎧にするなんて、随分豪勢な鎧を与えられてるじゃないですか!」
「当たり…前だ」
ヨロリとよろけつつもライリーは笑う膝を叩いて体を持ち上げる。兜越しに伝わる衝撃で頭が弾け飛ぶかと思った、いや、兜があるからまだその程度で済んでいる。
また以前のように生身で戦っていれば、今頃ライリーの頭は腰あたりまで埋まっていただろう。
(何という馬力、何という怪力、何という魔力、全てが常軌を逸している)
そもそもがおかしいんだ、だってこの鎧は魔装だぞ。身体能力を向上させ凡ゆる物理攻撃をシャットアウトさせるこのパウルム・ジャガーノートを着込んだライリーと素手で殴り合うって時点で何かがおかしい。
何だあの怪力は、何だあの速度は、何だこの破壊力は、全てがライリーの思考を上回っている。こんな力を持った奴がなんで今目の前にいるのかも分からない。
素の状態でもライリーを上回るその膂力が風の魔術により信じられないレベルにまで高められている。
こちら側から殴りかかっているのに、結果はいつもライリーが倒れることで終わる。
だが、だがそれで終わりにしていいわけがない。
「私は、アルクカースの、第一戦士隊だ!」
「知ってますよ」
「負ける、わけには、いかん、のだ!」
鉤爪を振るい必死にエリスを追いかけるが、彼女の揺れる金髪にさえ当たらない。
それでも追いかける、負けるわけには行かないと惨めにも追いすがる。たとえ惨めでももうライリーは引けないんだ。
既にライリーは『誇りをかけた戦い』という名の沼に片足まで突っ込んでいる。今引けばライリーはこの場で誇りを失う。だってそうだろう?、今目の前にいるエリスの事は何も分からないが一つはっきりしていることがある。
「アルクカースに、二度の負けは許されない!、本気を出して!この鎧を持ち出して!そこまでして私が!負けるわけには行かない!」
加速するライリーの攻撃は残像を残しエリスに叩き込まれるも、それは掠りもせず地面を耕す結果に終わる。
ライリーはアルクカースの第一戦士隊の隊長だ。末は討滅戦士団か王牙戦士団の団長かと持て囃されていたこともあったほどのエリートだ。そんなライリーが本気で戦い二回も負けたとなれば、それはもはやライリー個人の恥辱に留まらない。
「私が、二度も負ければ、アルクカースに!、何よりラグナ大王に恥をかかせる!」
「……やってることはあれですけど、ラグナにはちゃんとした忠義を誓っているんですね」
「当たり前だ!あのお方は!私の全てだ!!!」
「む…」
加速し燃え上がるライリーの瞳が兜の奥で赤く煌めく。アルクカース戦士のエリートの証たる『争心解放』を行なったのだ。それと同時に鎧の出力が劇的に上昇しその速度が段違いに跳ね上がる。
「私を!評価しくれた!あのお方に!恥をかかせるなんて!出来るわけがない!」
「くっ『争心解放』…やはり使えますか!」
「うぐぅぁああああああ!!、答えろ答えろ、パウルム・ジャガーノート!、限界まで絞り出せ!!」
刹那、ライリーの腕部装甲が一部変形し、大量の魔力をブースト代わりに吹き出しその拳を加速させ。
「ぐっ!危ねぇー!」
エリスの魔力障壁をぶち破りその胸を穿とうとと放たれる。されどエリスも流石の反応を見せ両手で挟み込みそれを受け止める。
(これも止めるか、こっちにも負担が掛かる程の、速度での、攻撃だぞ!)
鎧の性能と身体能力を限界まで引き出して、筋繊維を痛めるほどの力で殴りかかったのをなんでそんな簡単に止められるんだ。
だが…
「私は!私、はぁっ!!!」
次の瞬間地面が噴火したが如く勢いでエリスの顎を蹴り上げるライリー。その威力はエリスの体を木々を超え上空に叩き出すほどの勢いであり。
「ッッ!!いっっ!」
「アルクカースの誇りある戦士!、ラグナ様の忠実な下僕!」
「うぉっ!?尻尾生えた!?」
上空へ吹き飛ばされたエリスの体に即座に追いつき腰のあたりから伸びた副腕…尻尾を伸ばしエリスを捕まえると。
「それが!ロクに戦えもしない!アジメクのクソに!何度も敗れてたまるか!!!」
「なっ!?ごはっ!?」
グルリと体を回転させ地面に叩きつけると同時にバーニア全開でエリスの体の上へと突っ込み墜落するライリー。その威力は大地を揺らし鳴動させ一部変形させる程の破壊力を持ち、その爆心地に居たエリスの口からは鮮血が舞う。
「エリス!お前のような!アジメクのクソに!負けられないんだよ!私は!」
「ぐぶ…いったぁ…」
おまけとばかりに尻尾でエリスの体を大地に叩きつけ、大地に倒れ伏すエリスを見下ろす。
負けられない、よりにもよってアジメク人に何度も。
先日エリスに敗れた時ライリーが受けた恥辱は想像を絶する程だった。自分の恥辱ではない、この結果がラグナ大王の耳に入ればあのお方がどれだけ落胆するかを考えただけで冷や汗が止まらなかったのだ。
この恥辱は闘争を持ってより注ぐ他ない、故にレイバンに頼まれた仕事を放棄してでもエリスを狙ったのだ。
そして…今、その恥辱はエリスに返上した。
「お前がどれだけ!強くとも!アルクカースの誇りを持ち!王への絶対の忠誠を持つ!私には!勝てない!!」
「ッ…ご立派な忠誠心ですね……」
…だが、勝利を確信したライリーとは裏腹に、エリスはこのくらいの傷慣れたものとばかりによろめきながら立ち上がり、口元の血を拭いながらライリーを指差すと。
「でも、エリスがアジメクのクソなら。王の為と嘯きながらそのラグナ大王の友人たるメルクさんを…レイバン如きの口車に乗って殺そうとするあなたは豚の痰カスか何かですか?」
「何を…!」
「結局、忠義だなんだと口にしながら貴方がやってる事は王への裏切りに他ならないんですよ!こんなに馬鹿馬鹿しいことをやっておきながら良くもまぁそんなお題目を語れますね!他所でやりなさい!」
「減らず口を!なら黙るまで!叩きのめし!王への忠義を示し…」
「喧しい!!あんたなんかラグナの部下を名乗る資格もない!」
争心解放とパウルム・ジャガーノートを持つライリーに向けて啖呵を切ったエリスは深く深く息を吐き。腕をぐるりぐるりと回しと。
「もう少し、実戦に慣れる為に準備運動をしようかと思いましたがもうやめです!、アンタを今からズタボロのボロ雑巾にして口から謝罪しか出ない畜生にしてやります!」
準備運動、そう口にしたエリスは手元に纏う風を…広く開放し。
「見せてやります、エリスの新技…」
それは軈て色を変え、紫の風となってエリスの周りを駆け抜ける。禍々しく…されど美しく流れる風を、エリスはこう呼ぶ。
「『魔風捷鬼の型』!」
と……。
………………………………………………
エリスがこの三年間続けてきた修行、その本懐は『魔力障壁の習得』。
ではない、いや…ぶっちゃけ魔力障壁の習得に三年かけたから間違っては居ないんだが、この三年間の修行の本来の意図は違う。
その意図は『第三段階の到達』、魔力障壁の習得はその前段階でしかない。
師匠は語った。
『無事、第二段階をモノにできたようだな。私が見込んだ通りお前には第四段階…魔女の領域に辿り着くだけの才能がある。が…その前にまずは第三段階『霧散掌握』の域に至らねばならない』
エリスは今第二段階『逆流覚醒』の段階にいる。その修行として魔力覚醒を使い続けてきた。この第二段階の修行に関しては師匠の下であまり学ぶことは出来なかったが幸い帝国、オライオン、アジメクの決戦と覚醒を使わねばどうにもならない状況に置かれまくったおかげでいつのまにか覚醒に関しては完璧と言えるだけの練度に到達していたようだ。
とはいえ、未だ第三段階には至れない。エリスはあくまで第二段階の中でそれなりの位置につけただけでまだ同じ第二段階のシンにも届かないのだ。
そして、あれだけの強さを持っていたシンでさえ、第三段階には至っていなかった。
『第三段階とは、今現行の文明において世界最強の段階にあると言っても過言ではない。つまりこの段階に至るということはお前は魔女を除いた人間たちの中で最高位にまで上り詰める必要がある』
今確認されている第三段階到達者は帝国のルードヴィヒさんアーデルトラウトさんゴッドローブさんの三人と師団長フリードリヒさん。デルセクトのグロリアーナさん、そしてアルカナ最強の宇宙のダヴだけ。
いずれも破格の実力者として世界に名を轟かせる強者たちばかり。今のエリスでも太刀打ち出来るか怪しい面々ばかりだ。彼らと同じ段階に行くということは即ち世界でも五本の指に入る必要がある。
なんとも果てしない話だ。この世に数多くいる人間の中から一握りしかなれない魔力覚醒者の中でも更に一つまみの第三段階に至るというのは。
『第三段階に至る条件は極めて単純、魔力障壁を越えた極・魔力覚醒に至ることだ。ん?見たことないか?』
実はエリス、極・魔力覚醒を見たことがない。将軍やフリードリヒさん宇宙のタヴがそれを使ったという話は聞くがその場に居合わせたことは一度もない。
聞いた話では周囲の空間をも巻き込んで覚醒するというバカみたいな凄まじさの覚醒だとは聞くが…と師匠に伝えると。
『極・魔力覚醒は魔力覚醒によって溢れ出る魂が肉体の壁を超えて空間にも作用する状態を指す、これを用いれば魔力覚醒よりもデタラメな事が出来るようになるのだ』
説明を聞いても分からなかった。魔力覚醒は魔力を送り込み肥大化した魂が肉体と同じ大きさになることで、物質的な肉体との境目を無くすことにより起こるのは知っている。
だが、そんな肥大化した魂がさらに肉体を超えて空間と混ざり合う?。そんなこと有り得るのか。
『有り得る、有り得るから起こる。そしてお前はこれからそれを会得する。その前段階として空間を魔力で覆い尽くす術…魔力障壁を会得するんだ』
魔力障壁とは自分の周辺に魔力を張り巡らせ障壁とすること、ならばそれはその領域を自分の陣地とするという事。そしてその陣地形成こそが極・魔力覚醒を行うための必要な工程となるのだ。
そうしてエリスは魔力障壁をやや我流気味ながらも会得した。ならば次は第三段階に入り込む為極・魔力覚醒の予行練習をしておこう。
と…言うわけで開発されたのが、この。
「魔風捷鬼の型ぁ?」
紫の風を吹かせ構えを取るエリスを見て、赤い眼光を兜の奥で光らせるライリーは首をかしげる。
しかしライリー…、エリスが思ってたよりも強いな。あのジャガーノート擬きの鎧も高性能だしそれを扱う彼女自身も争心解放でバカみたいなパワーを得ている。普通に強敵だ…故に生半可な戦い方では勝てないだろう。
昔ならここらで魔力覚醒を一発決めていたが、…まぁ今なら使うまでもないしこの魔風捷鬼の型の試しには丁度いいだろう。
「…さっきまでの、手足に纏う乱気流とは異なる、色のついたそよ風、それで、何が出来る」
確かに、さっきまで使っていた疾風韋駄天の型の方が見た目の威圧はあるだろう、何せこの型は言ってみれば紫色の風がそよそよと吹いているだけ…破壊力も威厳も何もない。
だからライリーは笑う、それで何が出来ると、そんなもの何も怖くないと。
「ならかかってきなさい、これが本当に怖くもなんともないか…貴方の身で確かめてみると良いでしょう」
「よかろう、ならば、望み通りに」
隆起するライリーの足、それは再び全力の踏み込みをしようと力を蓄えていることの証左。この力は足先のバーニアと共に一直線にエリスに向かって飛び込もうとし。
「はいっ!」
「むっ!?」
止まる、踏み込もうと足を出した瞬間…その一寸先の地面に、いつのまにか切れ込みが入ったからだ。
いや違う。エリスを中心として半径1メートル程の円が地面に刻み込まれたのだ。それが何か…いやそもそもどうやって刻み込まれたかも分からないライリーは考えるように目を細める。
「なんだ」
「いえ、先に教えておこうかと思いまして。この円がエリスの『陣地』です、そこに踏み込むなら…覚悟をしておいてくださいね」
「何、を分けの分からぬ、ことを…、言って」
そんな警告にも耳もくれずライリーは今再び踏み込み、エリスの陣地へと足を踏み込んだ瞬間…………。
「………………」
「………………?」
「………………」
「何も、…起こらないではないか」
何も起こらない、ただ紫の風に吹かれながらライリーは驚かせやがってと笑う、その声音は震えておりやはりどこかでこの力を恐れていたようだ。だが実際には何もない、ただの虚仮威しだったと自らを安心させるように笑う。
確かに何も起こらない、だってまだ何もしてないもん。
「では、お前の陣地を、侵略してやろう!」
もう怖がる必要は何もないとばかりにエリスの目の前で全身の鎧を激しく軋ませ獣の咆哮の如き駆動音と共に両手の鉤爪を展開するライリー。だが忘れてはならないのは…ここはエリスの陣地の中ということ。
「やれますかね…」
まずこの魔風捷鬼の型というものは、それそのものには一切の攻撃力はないし防御力もない。吹いている風もただ魔力を帯びた風というだけで激しいわけでもない優しいそよ風だ。
だけど唯一特筆する点があるとするならこの風だ、この風は限りなく魔力に近い状態の風なのだ。簡単にいうなら…そうだな。
エリスは魔力を使って風を作り攻撃している。それはつまり魔力を風に変化させているということなのだが、今吹いている紫の風は『魔力→風』のちょうど真ん中…→の部分に当たる物。風で有りながら魔力でもあるのがこの紫風。故にエリスは魔風と呼ぶ。
つまりこの風が吹いているエリスの領域の内部は、もう並々とエリスの魔力が満ち満ちているということで有り、それは即ち…この空間の中ならエリスは何でも出来る。例えば。
「死ねぇっッ !!!」
「『魔風・紫紺之絁』!」
刹那振り抜かれたライリーの拳は、エリスに向かい急速に放たれるも…その寸前でピタリと止まる、いや止められる。
止められた、即ちこの停止はエリスの力によるもの…されどエリスは彼女に触れていない。
何が起きたか?、単純だ…。
「どういう、事だ、風が、私の腕に絡みついて…」
まるで、紫の風が出来の悪い絹布のようにライリーの腕を包んで絡み、その動きを止めている。本来物理的な影響力の無いはずの風に拳を止められる…その経験はさしものライリーにも無いだろう。
これがエリスの魔風捷鬼の型。その真髄は…。
『極限まで旋風圏跳を活かし場の全てを支配する事』にある。
「ぐぐぐ!抜けん!」
「言ったでしょう、ここはエリスの領域、故にどんな事だって出来ます…例えば!」
「ぬ?ぬお!?」
風に腕を掴まれたライリーの体がフワリと浮かび上がると同時に地面に叩きつけられ大地が砕け、更に上から降りかかる風に押し潰されドンドン地面に埋もれていく。
「ど、どういう事だ…」
「この空間の中にある風は全てエリスの魔力そのものなんです。つまりエリスの風に包まれているということは…そのままエリスに全てを掴まれていることを意味する。今のあなたはエリスに首根っこ掴まれて持ち上げられているに等しいんです…攻撃も防御も出来るわけがないでしょう」
吹き荒ぶ紫の風はエリスの旋風圏跳が変化したものだ。普段体に纏うそれを極限まで膨張させたのがこれだ。エリスの半径1メートルはエリスの旋風圏跳の内部なのだ。
故にこの中にいる限り、如何なる攻撃も受け止められるし、如何なる攻撃も為す事が出来る。
簡単に言っちゃうと…無敵かな。
「なにを、バカな、有り得るわけが、ないだろう!」
力づくで立ち上がると同時にライリーの踵から生える刃を振るうように放たれる足払い、木を刈り取る斧の一撃のようなそれはまさしく不意打ちとしては一級品のものと言える。流石はアルクカースで中枢に位置するエリート戦士だ、人の不意を突くのが上手い。
だが、今のエリスに不意は存在しない。
「ふわ〜」
「は!?」
跳躍ではなく羽ようにフワリと浮かび上がり足払いを回避するエリスにライリーは思わず目を剥く。無駄だ、この風はエリスの魔力なんだぞ?それはエリスの感覚にもリンクしているからこの風の中で行われた行動は全てエリスに露見する。
エリスの周辺で起こる出来事は例え塵が転がるような瑣末な出来事でも感じられる。故に不意をつこうと隠れて動くのは無理だ。
攻撃、防御、回避、あらゆる面で今のエリスは無敵!例えライリーがどれだけ暴れても無駄なのだ。
「さぁ!準備運動は終わりです!こっから飛ばしていきますよ!」
「うっ、…なんと…なんと…!」
空中でくるりと回転し、紫の風を羽衣のように纏い、いざエリスは『攻勢』に出る。
「『魔風・紺藍水破』」
放たれる平手打ちは大きく刈り上げるように振り上げられライリーの兜を穿つ、その一撃は紫の風の後押しを受けまるで波濤の如く押し寄せただの一撃で有りながら大地もろともライリーを強く吹き飛ばす。
「ぐぅっ!?、この、アジメクのクソに、この私が!」
「だから!クソはどっちだって話ですよ!」
「貴様だ!『アーマーパージ』!」
吹き飛ばされてなお態勢を整え、それと共に肩口の鎧をパージする…すると内部から現れるのは二つの銃口。否…小型のガトリングガン。
「『デッドリーショット』!!」
肩から連続して炎を吹き出し雨の如く鉛玉を吐き出す姿は最早人間兵器、赤き吹雪の如く乱れ飛ぶ弾丸は瞬く間に目の前を制圧し次々と木々を乱雑に切り裂き薙ぎ倒すが、肝心のエリスには当たらない。
エリスの陣地の中に入った瞬間弾丸が風に軌道を逸らされあらぬ方向へと飛んでいってしまうのだ。風のヴェールの前には飛び道具など無意味であると断言するようにエリスは風をまとったままフワリと浮かび上がり。
「行きますよ!」
急加速し雪を舞いあげながら空を飛び弾丸を放ち続けるライリーへと真正面から突っ込む。
「何故…何故私が、負けねば、ならぬのだ!」
銃などに頼った己がバカだったとばかりに自らの手で肩の砲塔をへし折ると共に腕に込めるのは『付与魔術二式・紅蓮凰拳』。吹き上がる炎を纏う籠手を的確に構えエリスを迎え打つ。
「国の誇りも!部下の名誉も!王の信頼も!何もかもを背負わない!お前に!」
「それは貴方がその誇りにも名誉にも信頼にも答えていないからですよ!」
ぶつかり合うライリーの炎拳とエリスの魔風の衝突と激突は、呆気なくエリスの勝利に終わる。互いに拳を交わらせるまでもなくエリスの風により腕を絡み取られ身動きの取れなくなったライリーに続けざまに叩き込まれるエリスの魔風拳。
風で保護し、風で加速し、風で相手を貫く一撃は如何に鋼の鎧を身に纏っていようとも平気な顔をしていられる威力ではなく。ライリーはくぐもった声で後ろへと引き下がるより他なかった。
「答えて…!いないと…!?」
「ラグナが貴方になにを期待してその座を任せたか!まだ理解できないんですか!」
「私は、我が王の、大成をこそ、望む!、故に!」
それでも負けられないとばかりにライリーが奥の手として放つのは拳。否…このパウルム・ジャガーノートに搭載された秘密兵器。その名も『ロケットフィンガー』。
籠手を強制的にパージし、ロケットの如く相手に飛ばし内蔵した魔力機構を爆裂させ腕部装甲と引き換えに相手に甚大なダメージを与える奥の手だ。
飛翔する腕部装甲はエリスの元まで駆け抜け、風に受け止められるもその瞬間爆裂しエリスを燃え盛る業火の中へと消し去る。
「故に!メルクリウスを消す必要がある!デティフローアも!イオも!ヘレナも!ベンテシキュメも!、六王などという括りの中にいていい存在ではないのだ!ラグナ様は!あの方こそが!唯一の王たるべき!存在だ!」
一気に蒸発し天に上がる水蒸気と木々を焼き焦がす火炎の中へライリーは手向けるように叫ぶ。これこそが我が忠義だと、これこそが我が臣としての在り方だと。
確かにラグナ大王は良い顔はすまい。だが、なによりあの方に使える己自身が六王などと言うくくりの中にな王を入れられていることに我慢がならないのだ。
だから、唯一の王にラグナを据えたい。そうしなければならないそうするべきなのだと。
しかし。
「くだらないッッ!!」
「なっ!?ぐぅっ!?」
火炎を引き裂き瞬く間に飛んでくるエリスは風によって炎を遠ざけライリーの顎先に飛び蹴りを食らわせる、その威力に遂にライリーは耐えきれず垂直に真横にすっ飛んでいく。
(つ…通じていない、いや、そもそも、何もさせてもらえない)
ライリーは戦慄する、エリスが展開した風の領域。あれはライリーの攻撃をそのまま受け止め、ライリーの足を引っ張り、ライリーの動きを封じた上で、ライリーを叩きのめす。
まるで全方位を敵で囲まれているような、いやもっと悪い、敵の手の中にいるかのような感覚に軽い絶望を覚える。
どうすればいいんだ。エリスが展開する風は平時はただのそよ風として漂っているから触れる事も防ぐことも出来ない、そのくせこちらがアクションを起こすと途端に形を変えて襲いかかってくる。
どうすればいいんだの答えは今の所一つ、どうしようもない…だ。
「魔風・楯無滅紫ッ!」
更にそこに畳み掛けられる連撃。エリスの操る魔風は周囲の瓦礫を掴みライリーへと叩きつけられ彼女を虚空で踊らせる。
「ぐぅっ!?ふ…防げ、ない!?」
「なにがラグナの為ですか!そりゃまるっきり貴方個人の価値観の話じゃないですか!。あんたが勝手に思って勝手に行動してその挙句をラグナになすりつけようなんて都合が良すぎるんですよ!」
そうしてエリスはゆっくりと何もない虚空を掴む。否、荒れ狂う魔風を掴みぐるりと引っ張るような動作で引き込むと…それはエリスの意思に呼応し形を変え、薄紫の羽衣へと姿を変える。
「『魔風・紫玉天衣』!」
「ぬぐっ!?なんだこれは!!動けん!」
形成した羽衣を投げつけるように吹き飛ばされるライリーに投げつければ、エリスの意思に則りその身を簀巻きにするが如く巻きつき。
「まだ話は終わってないでしょうが!こっち来なさいッッ!!」
「ぬぐおぉおおおお!?!?!?」
そしてライリーの体に巻きつく羽衣を思い切りか引っ張りその上で振り回す。羽衣自体は風だ、故に木や瓦礫を貫通しライリーの体を引き寄せる。引き寄せられる道中でそれらを砕きその上で振り回されればライリーの体はエリスの周辺の木々をなぎ倒す槌と化す。
「自分の行動を!誰かのせいにするな!自分の思考を!誰かになすりつけるな!、テメェが気に食わないからテメェでやりましたの方が余程好感が持てる!!」
「ぐぅっ!?ぅぐぅっ!?」
振り回される。振り回される。木へと叩きつけられ大地に叩き落とされ岩へとぶつけられ何より体に掛かる負荷がライリー自身を痛めつける。
続けざまに加えられ続ける衝撃に漆黒の鎧さえもひび割れ、内部から魔力が漏れ出し始め。
「故に!エリスもエリス自身が貴方の事が気に食わないので!これ以上なく!ボコボコにさせてもらいます!」
開かれるエリスの手、それと共にライリーの体により一層強く風の衣が巻きつき、ピンと…エリスから伸びる衣が線を張りライリーの体をゴムのように引き寄せる。
(これは、難しい、か)
これは大技が来る。それはライリーにも分かる、この戦いに勝つならばこの大技は防がねばならないだろう。
だが、エリスの持つ不可視の風の衣はその見た目とは裏腹に頑強であり、まるで巨人に掴まれたように身動きが取れない。一体どう言う魔術なのかも想像がつかないほどだ。
それにもう、装備も残っていない。手札もない。
何をしても無駄に終わる。何を試みても通じない。ダメージを与えることが出来ても平気な顔で起き上がってくる。
こんなにも差を痛感されられたのはいつ以来か、こんなにも力の差に絶望したのはいつ以来か。
…そんなもの明確に思い出せる、三年前だ。
まだ一兵卒でしかなかった私は、三年前のアジメクにてあの大決戦に尖兵として参加していた。迫り来る偉業を蹴散らしアルクカースの勇名を世界中に轟かせた。アルクカースこそが最高であり最強だと見せつけた。
兵器ばかりのデルセクトやプライドばかりのアガスティヤ、小細工しか出来ないエトワールや小賢しいコルスコルピ、頭の足りないオライオンと後方で治癒しかしないアジメクと違いアルクカースはなんて勇敢だったのか…今でも思い出せるほどに我々は力戦した。
だというとに。我が王ラグナが口にしたのはアルクカースへの賞賛の言葉ではなく『アド・アストラ設立に対して前向きな言葉』であり、当時の私はそれを受け入れられなかった。
何故だ?と心底疑問に思った。私以外の多くの兵士も思った。全ての軍を合併するということはいきなり私の頭の上にデルセクトやアジメクの臆病な指揮官が就くということだぞ?。アルクカースの最高の戦士が他国の小物に口で使われるのを王は容認するのか!。
そう我が王ラグナに多くの兵士と共に詰めかけたところ。
『文句があるなら俺を倒して王になってみろよ、俺の事を全員で袋叩きにして泣きつく俺を玉座から引きずり下ろしてテメェらの言い分通してみろ』
そうして我々は負けた。全員でラグナ大王にかかっていき、全員が格の違いを見せつけられ、やはり我が国の王は最高で最強である事を再確認させられ、絶対の忠誠を誓った。
あの時感じた感覚にも似ている。全てをくじかれる絶望とそして何処かに宿る憧憬。
ラグナ大王が放つ威圧にも似たそれを持つなど、本当に何者なのだ…こいつは、エリスは…。いや待て?エリス…?。
そういえば、三年前…ラグナ大王の隣で戦ったと言われる女の名前、普段滅多に聞かんから覚えてはいなかったが。
(私の、記憶が、正しければ、その名は…)
「ぶっ潰すッッ!!!」
引き寄せられる、引き寄せられる、一方的に吹く谷風の如くライリーの背中を押す風は一直線にエリスの元へ運び。それを迎え撃つように放たれるエリスの拳。
周囲に漂っていた紫の魔風をギュッと掌の中に収め作り出される圧縮された魔力球を分解し、今度は別の魔術へと変換する。それは……。
「炎を纏い 迸れ轟雷、我が令に応え燃え盛り眼前の敵を砕け蒼炎 払えよ紫電 、拳火一天!戦神降臨 殻破界征、その威とその意が在るが儘に、全てを叩き砕き 燃え盛る魂の真価を示せ」
詠唱だ、その言葉に伴いエリスの拳は火を噴き雷を燻らせ。ただただ添えるように、それでいてこの一撃で何もかもを砕くように放たれるは灼閃の煌めき。
「『煌王火雷掌』」
炎雷の拳が、ライリーの胸を叩く。それは爆裂などせず威力も火力も一点に集約し、ライリーの背後の木々を焼き尽くし雪を溶かし地形すら変える。いや…むしろこれは余計な力をライリーの背中へと逃しているとでも言おうか。
「ごはぁ……」
ただただ鎧だけを砕き、その余波だけでライリーの体を砕き、背後の森を更地へと変え…エリスは静かに倒れるライリーの体を受け止め、この戦いの終わりを悟る。
エリスはライリーという人間のやり方が気に食わなかった。ラグナの為と言いながら今のラグナのやり方が気に食わないから勝手にラグナの友達を殺そうとする。そんなのラグナ自身の侮辱であり、剰えそれで殺そうとしたのがメルクさんなんだ。
本当なら顔の形が変わるくらい殴ってやりたいが、殺してやりたいわけではない。故に今の一撃の九割近い威力は彼女の背中に逃がした。結果としてズュギアの森の一角が焦土になったが…まぁいいだろ。
それよりも。
「フゥーッ!、ライリー?生きてますか?」
「ぅ…ぁ…」
生きてはいるな、まぁ意識を取り戻すには少し時間がかかるだろうが……。
「はぁ」
戦いは終わりエリスは勝利した、だが手を叩いて喜ぶほどかというとそうでもない。
問題がある。…今さっき使った魔風捷鬼の型。第三段階の試金石的な意味合いを持つあの技を始めて実戦で使いましたけど、うーん。
「使い辛い…」
それがはっきりとした本音の感想だ。旋風圏跳と流障壁を掛け合わせ自分の領域を作るという発想で組み上げられたこの技だが…どうにも使い辛い。これなら普通に疾風韋駄天の型で煌王火雷掌をボカボカぶち当てまくった方が早く倒せただろう。
このやり方はどうにもエリスの戦い方に合わない。エリスのスタイルは高機動&高火力、陣地を作ってどっしり構えるのはあんまり得意じゃない。
もう少しブラッシュアップをするべきか、思い切ってやり方を根本から変えるか。
流障壁の時といい、ここ最近『これだ!』って手応えが感じられない。悩ましいなぁ。
「さて、メルクさんもそろそろ逃げたでしょうし。シオさん達を助けに行きますかね…まぁ、あの人達のことならもう終わってそうですけど」
包囲されているならいざ知れず、真っ向からやり合えばメルクさんの第一の側近たるシオさんや現喜劇の騎士のステンテレッロさんが負けるわけがない。ミレニアさんがどれくらいかは知らないがあの三人なら十分な時間があればなんとかなるだろう…。
まぁもしもってことがあるし、とエリスはライリーを地面に寝かせシオさん達の元へ向かおうとすれば。
「ん……?」
ふと、足を掴まれる。地面に寝かせたライリーがエリスの足を掴み行かせまいと掴んでいる。この期に及んでまだ食ってかかるその根性は認めるが…。
「なんですか?まだやります?」
そうエリスが睨みつければライリーは薄く開いた瞳でフルフルと首を振る。戦意は無いようだ、なら手を離して欲しいんですが。
「じゃあ何でしょうか」
「…お前は、いや、貴方は、何者なのだ」
「言ったはずです、エリスはエリスだと」
「…そのエリス、とは、もしや、孤独の魔女の弟子、エリス様…ですか」
むっとエリスの表情が硬くなるのをエリス自身も感じる。もう幻惑のメガネは壊れてしまっている、隠す方法は無くなってしまった為今更取り繕うことは出来ないしエリスも半ばヤケになって開き直っていたが。
どうするよ、現実問題この状況。もうエリスは隠密も潜入も出来ないぞ。このままメルクさんのところに戻ればメリディアに顔を見られてややこしい状況になるのは間違いない。
かといってこのまま雲隠れも出来ない、もうライリーにはバレてしまっている。いや?いっそここでライリーの記憶が無くなるまで殴り散らかしてこいつの兜を奪ってこれからずっと兜を被るか?。ありな気がしてきた。
「金の髪、圧倒的強さ、属性を操る、古式魔術、何より、風の申し子、貴方は世界に伝わる八人の英雄の一人…、ですよね」
「そう、呼ばれてるらしいですね。そう褒められる事はしていませんが」
「やはり」
隠しても仕方ない、やるならやってやろう。取り敢えず記憶を無くす為の殴り方は知っている。こう…コメカミを拳と拳で挟むように、人差し指の第一関節でインパクトを……。
「申し訳、ありません、エリス様、正体を知らなかったとはいえ、なんといえご無礼を…!」
「は?」
するとライリーはズタボロの体を引きずりその場にひれ伏すと、エリスを相手に額を地面につけ謝罪をし。
「貴方は、未来の、アルクカース王妃」
「は?え?」
「つまり、我が、主君も同然、それを、そんな、嗚呼」
未来のアルクカース王妃…何言って、いやまさか!こいつ!ホリンズさんの流したデマまだ信じてんのか!?。
確かに一時期エリスはアルクカース国内でラグナとのこ…婚約…婚約説が、囁かれもしました。けどそれはラグナが払拭してくれたはず。まさかこいつそれをまだ信じて…どんだけ真面目なんだ。生真面目か馬鹿真面目かは知らないが…うーん。
「お許しを、お許しを!、エリス様!」
「いや別にエリスは…」
待てよ?なんか都合良くないか?、ラグナとの婚約話は正直顔が熱くなる話ではあるが。あのライリーがこうして頭を下げている状況は正直かなりありがたい。
もしかしたら、こいつ。引き込めるかも。
「おほん、えーっとライリー?」
「はいっ、エリス様!」
「様はやめてくださいよライリー大隊長。別にエリスは今のを無礼だとは思ってません。非礼を詫びるならラグナとメルクさんに対してだけでいいです。エリスはそんな大層な立場の人間ではないので」
「ですが!」
「でももしエリスに対して何かをしたいという感情があるなら。エリスに協力してくれませんか?」
エリスの事を黙っていて欲しい事。エリスのやりたい事に協力してくれる事。その二つさえ確約させられればエリスはかなり動きやすくなる。なんせライリーはアド・アストラの大隊長だし何よりレイバンの頼みで動いていた。
裏切り者探しにもレイバン対策にも役に立つ、故に彼女に対して協力を持ちかけると。
「はい!、勿論、我が女王よ、貴方に仕えます」
「いや仕える必要はなくて…」
「この生涯を、かけて、貴方とラグナ大王に、仕え、お二人のお子もまた、私が、守ります」
「ここここ子ォッ!?なな!何言ってんですか!そんな!エリスとラグナが!?」
な、何いってるんですかこの人はもう!そんな、エリスとラグナが結婚するどころかこ…子供までなんてそんな。ありえないでしょう。そんなことしたらエリス…エリス。
…………エリスとラグナの子供ってどんな感じになるのかな。って!何考えてるんですかー!もうー!エリスのばかー!。
「?、どうされ、ましたか、エリス様」
「ともかく!エリスは今素性を隠して軍に潜入しています。エリスの正体だけは誰にも言わないように!」
「なるほど、だからあんな小隊に潜り込んで…。流石、エリス様、私、全然、分かりませんでした」
「まあそうでしょうとも。ではエリスはシオさん達を助けに行くので…この兜貸してください」
「はい、どうぞ、私のものでよければ、使ってやって、ください」
「はい、どーも」
と兜に手をかけた瞬間…、エリスの手が止まる。
シオさん達を助けに行きたかったんだが。まだもう一波乱あるようだな。
「どう、されました?、エリス様、まさか、兜、汗臭い、ですか?」
「いえ、…誰かいます」
エリスが焼き払った森とは別の方角、未だ木々が生い茂るズギュアの森の最中から、気配を感じる。
視線を向けるが姿はない、おまけに気配もうまく掴めない。エリスでさえ『何か居る』という漠然とした感覚しか掴めないとは。
何者だ?、アルクカースの戦士にしては静か過ぎる。これはもっと鋭敏な…。
「誰ですか?そこに居るのは。エリスたった今一戦終えたばかりで気が立ってるんです。チェスみたいな読み合いは面倒なのでしたくないので…出てこないとこの森を燎原に変えますけど?」
「誰が、私には、さっぱり…」
ギロリと周囲に視線を走らせ睨みを効かせる、…すると。
出てきた、右から三番目の木の陰からこっそりと、そしてヌルリと現れるのは。
銃身、つまり軍銃だ。
「む…!?」
ふと気がつくと、木の陰の至る所から覗く銃がエリス達の方を向いている。包囲されているんだ、こんなにたくさん居たのか…。
ってかやばいな、この数の銃は宝天輪無しには防ぎきれるかどうか…。
「なんですか、これ、貴方の部下ですか?ライリー」
「いえ、アルクカースは、銃は好みません」
「さっき使ってませんでした、肩から飛び出た奴」
「はい、そこで再確認しました、アルクカースは、銃を使えない」
なるほど、なんて感心していると…木の陰からひょっこりと顔を刺客が一人覗かせる。それに釣られて次々と他の者達も姿を表すのだが。
問題はその格好だ、全員が女、そして全員が…見たこともない軍服を着ている。
漆黒の闇に紛れるような軍服に煌めき金のボタン。あんなデザインの軍服は見たことが…。
「ッ!?エリス様!アイツら!帝国第四師団の連中です!」
「帝国第四師団?確かザスキアさんの国防諜報隊…」
アルカナを相手に諜報活動を行っていた、あのスパイ部隊か…。世界を影から支えてきたあの組織の人間ならまぁこの気配の無さも頷けますが…。
でも待てよ?、こんな制服だったか?。なんてエリスが首を傾げているとライリーも同じく首を傾げ。
「諜報隊?ザスキア?、何を言って、いるのです、帝国第四師団は、諜報隊では、ないです」
「え?」
「諜報隊、だったのは、三年前まで、今は、師団長ザスキアの、勇退により、新たな師団に、変わっています」
そうなの!?全然知らなかった…ええ、ザスキアさん辞めちゃったんだ。ん?じゃあ今第四師団は何の部隊になってるんだ?。
確か第四師団はエリスがこのアド・アストラに入隊する際の後ろ盾になってくれたり、エリスが問題を起こした時の尻拭いをしてくれたりと色々してくれていたが…。
というかこの状況は一体?もう何もわからん!。
「気をつけてください、この、第四師団の、師団長は、危険です!」
「危険?…、というか!貴方達!いつまで銃を向けてるんですか!味方でしょ!?、それとも…やるってんですか!」
やるなら受けて立つぞ!と怒鳴るも第四師団はビクともしない、銃を下げることなくエリスを睨んで黙ったまま警戒している、この野郎…エリスもいつまでも我慢できませんよ。
そう軽くファイティングポーズをとった瞬間、響き渡る声。
「構え辞め!、これ以上この人を刺激するのは危険ですよ。彼女は相手の数とか関係なく食らいついて来ますからね」
「ハッ!師団長!」
その声は、第四師団達を一言で引き下がらせ、それは森の奥から師団長の証たる白コートを羽織りはためかせ、軽く手を掲げながら現れる。
この三年で新たに第四師団の師団長に就任し、新たな師団を率いることになった人物。
その顔は…まさしく。
「来ました、あれが、第四師団の、師団長…」
その顔は…その顔は、見覚えが……。
「別名…、『無影』のメグ、第四師団『冥土大隊』が隊長メグ・ジャバウォックです」
第四師団、その師団長としての名と共に現れたのは。
「メグさん?」
「はい、こんにちわ?エリス様」
優雅なカテーシーと共にメイド服と白コートを揺らすメグさんだった。メグさんが師団長…え?そうなの?聞いてないんだけど。
あ、いや、そういえば前会った時自慢したいことがあるって聞いてたけど、もしかして師団長就任が自慢したいこと?。
「あの、メグさんが…今第四師団の師団長なんですか?」
「はい、陛下より勇退したザスキア様と船頭を失った諜報隊に代わる新たな特殊な部隊とその隊長を任されまして、こちら私が鍛え上げた特殊部隊『冥土大隊』の子達でございます」
「なるほどぉ、で?エリスはその可愛い部下達に何で銃向けられてたんですか?」
「エリス様が戦闘中と聞いたので、その援護に参ったのです。ああ、メルクリウス様は勿論保護いたしました」
「なるほど、いや助かりましたよメグさん」
「いえいえ、まぁこちらとしても色々聞きたいので」
「ん?なんですか?聞きたいことって」
エリスにも色々あるが、まぁメグさんも聞きたいことは山ほどあるだろうと微笑みかければ彼女は表情に影を落とし威圧するような眼光で。
「例えば何故潜入中のエリス様がいきなり乱闘騒ぎを起こしたのか、とか。何故潜入中のエリス様がこんな大立ち回りをしてるのか、とかですかね」
あ、やべ。これ怒ってるわ、めちゃくちゃ怒ってるわ。今まで見たことないくらい怒ってる。
そりゃそうか、あれだけお膳立てされた上でエリスはもうそりゃあメチャクチャやったもんな。乱闘騒ぎを起こした時のもみ消してくれたのもメグさんだし…。あれ多分すげー怒りながらもやってくれたんだろうなぁ。
「あ…ははは、ええと…面目ないです」
「お願いですから潜入はもう少し…いえ、今はそれよりも場所を移しましょう。オライオンは寒いので風を引いてしまいます」
するとメグさんは指を一つ鳴らし慣れた手つきで時界門を作り出し。
「さぁエリス様、参りましょう。色々と伺いたいので」
「了解です、メグさん」
ともあれ、今回の一件は無事収められた。メルクさんは助けられたし居場所も分かり連れ戻せた。メグさんには迷惑かけたけど…今はメルクさんを助けられたことを喜ぶとしよう。
そうエリスは頭を切り替え、なんか拘束されてるライリーと共にメグさんの時界門にて時空を渡る。
さて、これからエリスはどうなるんだろうなぁ、あんまり怒られない事を祈ろうかなぁ。