323.魔女の弟子と暗中模索で掴んだ真実
「ふぅ、さて…どうしますかね」
アルクカースに存在する兵器開発局『獣王の牙』、その本部よりポータルステーションに帰還し、エリスは転移魔力機構から手を離し、思考する。
久しい友ミーニャさんとの出会いの中エリスは新たな目的を得た、メルクさんへの道が途切れたなら今度は別の方面…つまり彼女の側近から当たってみるのが良さそうだと。
しかし最近はその側近の姿も見ないというし、もしかしたらその側近の人たちがメルクさんをアレキサンドリートの戦場から助け出してくれたのかもしれない。
それならそれでいいんだが、なら何で今の今まで姿を消しているのかが気になる。何よりエリスはメルクさんに一度会って聞きたいことがあるんだ、故に無事な可能性が高まっても捜索は続行するつもりなんだが。
何から手をつけたものか。
(取り敢えずシオさん達のポータル使用履歴から調べてみるかな。いやでもエリス一人じゃ難しいかな…、またルーカスさんと会えればいいんですけど)
なんて考えに耽りながらエリスはポータルステーションの広大な廊下を一人歩いている…と。
「…靴、磨きますか?」
「え?」
ふと、気がつくとエリスの目の前には薄ら汚い服を身に纏った少年が靴磨き用の道具を片手にエリスを見上げていた。
確かこの子はティムと言う名の少年だ。メルクさんに拾われてこのポータルステーションに住み込み遠征から帰ってきた隊員の靴を磨いて生計を立ててるとか言う。
何だかんだこうして声をかけられるのは初めてだな。
…お願いしてみるか。
「じゃあお願いできますか?」
「ん、じゃあ…どうぞ」
すると持っていた小さな木の台を置いて、その上に足を…と促されるままにエリスは靴をティムに向けるように台の上に置く。しかし、靴磨きか…やってもらうのは初めてだな。
エリスはあんまり身嗜みにはあんまり頓着する方でない。その件について文句を言われもするがおしゃれをしても直ぐにダメになるからやる意味があんまりないんだ。
エリスが全力で戦えば服はすぐダメになるし、蹴りが主体だから一戦毎に靴を買い換えなきゃいけなくなる。服とかもなんか破られることも多いし、頑丈な師匠製のコート以外はもう凄い回数買い換えているんだ。
この靴もそうだ、旅の道中や修行の激しさでいくつも履き潰したからその辺の街で買ってきた安物。だから実はあんまり古いものじゃないんだよな。
「お姉さん、これ…不思議な靴だね」
「え?そうですか?、その辺で買った安物ですけど」
「ううん、新品同然なのに靴底が磨り減ってる。いつも物凄く歩き回ってないとこうはならない」
「あー…」
まぁ、そうだな。なんだかんだエリスは常に歩いている。旅をやめてここに来てからも片時と休まることなく歩き回っている。だから靴自体は新しいのに靴底がすり減る変な靴が出来上がるんだ。
「よく見てますね」
「いろんな人の靴を見るから」
とティムは黙々とエリスの靴を磨いてくれる。アルクカースの砂塵が付着し汚れた靴を丹念に磨く。自慢の靴を彼に磨いてもらったならきっと気持ちいいんだろうが…。
「そういえばこの間会った時は随分急いでいたようですけど。どこに向かってたんですか?」
ところで、と話題に困りエリスはこの間彼と出会ったときのことを話す。あの時はやたらと忙しそうに何かを何処かに運んでいた。その時は忙しいからと靴磨きはしてもらえなかったが。
まぁ別にいいんだそれは、ただどこに行っていたのかな…ってのが気になっただけ。
「別に、お姉さんには関係ないでしょ」
「それはそうなんですけどね」
「はい、こっちは終わったから次の足出して」
「はーい」
なんだか愛想のない子だな。でもきっと彼なりに必死に生きているんだ。子供のそう言う面を受け止めてあげるのも大人の役目。何も言うまいよ。
「……ん?、ティム君。その指先どうしたんですか?」
「え?」
ふと、気がつくのはティムの指先だ。なんだかやけに赤くなっている…怪我?と言うよりこれは。
「霜焼けですか?」
「ッ……!」
多分だがこれは霜焼けだ、だが不思議だな。アド・アストラ内部は基本的に温度調整がされているから霜焼けなんか出来るほど寒くはないし、何よりここはアジメクだ。花が咲き乱れる程に温暖な気候の国。そんな国で、どうやったら霜焼けなんか。
「これは…冷え性なの」
「………………」
変な言い訳だな、少なくとも言い訳なのが透けて見える。何かを隠しているのか?以前クラブで見かけた時も妙な様子だったし。まさか彼何かを隠しているんじゃ…。
「そうでしたか、これは失礼」
「うん…」
いや、そもそもこんな小さな子相手に尋問しようなんてどうかしている。子供なんだから聞かれて嫌なことの一つや二つくらいあるだろう。
これ以上聞くのはやめておこう。
「……ん」
そうしてティム君は白い粉ワックスを使いエリスの靴を磨き終えるなり一礼し、作業終了を告げる。エリスは靴を磨いてもらったことがないから分からないけど…早い気がする。かなり手早く終わらせてくれた。
「ありがとうございます、お値段おいくらですか?」
「銀貨一枚」
「はい、ではこちらに」
「ん……」
それだけ言い残し、ティムはまた別のお客を探しに走って行ってしまう。ややぶっきらぼうだがやはり生きていくには一日に何人も靴を磨かないといけないから忙しいんだろうな。
幸いここはアド・アストラ本部。客は掃いて捨てるほどいるだろう。
しかし……。
「それにしたっても、この間はどこに行っていたんでしょうか」
足元に溢れた粉ワックスを足先で蹴って消し去りつつ考える。これだけ忙しいなら何処かに行っている暇とかはないだろうに、それとも他の仕事とかも兼任してるのかな…でもそれ隠す必要なくない?。隠す必要がある仕事なんて…そんなのまるで…。
「まぁいいか」
子供を疑うのは好きじゃない、それが不確かな勘繰りなら尚更だ。
綺麗にしてもらった靴で歩み出し、エリスはポータルステーションの出入り口…そしてそこで仕事をする受付の元へと向かう。
「お疲れ様でー…げっ、この間の新入り」
と、受付に顔を出しただけで嫌そうな顔をされる。そんなげっ!なんて言わなくてもいいじゃないか。エリスは貴方のおかげで前に進めたんですから。
「こんにちわぁ〜受付さぁ〜ん」
「な、なんですか?」
「いえぇ、また使用履歴を見せてもらえないかなぁって」
「ほら出た!そんなホイホイ見れるもんじゃないんです!。この間はルーカス大隊長も居たから特別に見せただけなんです!」
「えぇ、そこをなんとか。私と貴方の仲じゃないですかぁ」
「限りなく無関係に近い仲でしょう!!」
チッ、ダメか。結構真面目な人なんだな、こりゃエリスがここでいくらおねだりしても無駄かな?。出来ればメルクさんに関係のある人間がポータルで何処に向かったか分かればと思ったんですけど…。
「第一、…メルクリウス様は見つからなかったんでしょう?。もう有名ですよ、メルクリウス様はアレキサンドリートで行方不明になったって」
「それ箝口令が敷かれてる情報ですよね。誰が言ってたんですか?」
「アルクカース兵…特にライリーの部隊が噂話の根源だとは聞きます」
ライリー…、その部下っていうとあれか。エリスがボコボコにしたあいつ。まぁ、人の口に戸は立てられない。あの場で言ってしまった以上広まるのは時間の問題だったか。
「ええ、見つかりませんでした。だから今度は別の方向からメルクリウス様を探そうかと思いまして」
「そんなに必死になって見つけてどうするんですか」
「どうするも何も、貴方はこのままでいいんですか?六王の一人が行方不明なままでも」
「そりゃ…良くないですけど」
やはりエリスが思った通り真面目な人だ。自分達のトップが行方不明でも構わないとそっぽを向けるほどこの人は薄情じゃないようだ。
「なら見せてくださいよ、確実に見つけますから」
「いやいやそれでもダメです、捜索ならきちんとした部隊がやってくれますから」
やってくれるのかなぁ、レイバンが幅を利かせている以上メルクさんを見捨てたアルクカース兵みたいな連中が他にも居ないとは限らない。見つけるとか言っておきながら碌な捜索は行われない可能性は十分にある。
…だったら。
「じゃあ使用履歴は見せてくれないでいいです」
「え?本当ですか?」
「ええ、その代わりに貴方がその目で見た範囲でいいので教えてください。メルクリウス様の側近…シオ様とかが最近ここを利用したのを見た、とかそういうのはありませんか?」
使用履歴はもうこの際いい、だからこの人自身に聞く。それなら構わないんじゃないのか?。だって使用履歴が秘匿されるのはどこに遠征しに行ったかが作戦内容に関わるから。
どこで誰を見たかまでは抵触しないはずだ。
「う、それなら別に答えてもいい…のかな。でもうーん…シオ様も最近見てないですね」
「ではポータルは使用していない…と?」
「私が見ていた範囲でなないです、とは言え…」
と言いながら受付はクルリと周囲を流し見る。そこには無数のポータルが配置されており。
「この受付のシステム上、『外から入ってきて受付を通してポータルを使用した場合』は記録されます、ですがポータルステーションはこの広さです。もし『ポータルを使用して、そのまま外に出ず引き続き別のポータルを使用した場合』は記録されないんですよ」
たしかに、受付があるのはポータルステーションの出入り口、その外側だけだ。
例えばだが、もし『目的地A』に向かうと受付で登録しポータルステーションの内部に入り『目的地A』に向かった場合は『この人は目的地Aに行きました』という記録は残る。
だがもし、『目的地A』から帰還したその人がポータルステーションの外に出ず、すぐにまた別のポータルを使い『目的地B』に向かった場合は、受付の人にも目撃されず記録にも残らないのだ。
つまりポータルステーションの中は、確実に監視されているというわけではない。もしシオさんがデルセクトから本部に転移してきて、そのまま誰にも言わず即座に別のポータルを使用していた場合この受付さんは何も知らないことになるのだ。
「なるほど、じゃあここの記録も絶対ではないんですね。でもそれっていいんですか?ポータルのハシゴ使用って」
「ダメですよ!そもそも軍用ポータルの私的使用は絶対にダメです!ちゃんと任務目的じゃないと!。そういうのは民間のポータルを使ってください!。まぁ民間用ポータルは軍用ほど行き先に自由があるわけじゃないですしここ以上に審査は厳しいですから…こっそり使おうとするのは難しいですけどね」
なるほど、まぁ緊急事態ならシオさんも態々規律は守らないだろう。特にあの人メルクさんのためなら何してもいいと思ってる類の人だしな。
もしかしたらここではなく民間ポータルステーションを使ったのかと思いもしたが、それじゃあ人目につき過ぎる。もし使っていたなら話も広まっているはずだし、何より行き先の自由度と審査の軽さを考えたらやはり使用したのは軍用ポータルと考えるのが妥当か。
「はぁ、上層部に頼んで構造を根本的に変えてもらわないと…」
「そういえば、彼はいいんですか?ティム君。彼は既にポータルステーションの中に入っていますよね?。つまり彼が今ポータルを使っても誰にも分からないってことじゃないですか?」
ポータルステーションという施設は一度中に入ってしまえば規則的にはダメだがポータルは使いたい放題だ。つまり既にステーションの中に入っているティム君が何処かに飛んでいる事実を察知するにはポータルステーション内部をエリスみたいにたまたま歩いている人間がいなければ無理なのだ。
だが。
「彼はいいんです、私は彼を信頼していますから」
「えぇ…」
「そもそも彼はメルクリウス様の一存でここで働くことを許可されていますからね、私にはなんとも言えませんし、そもそも彼はもし何処かに転移する場合はきちんと私に一言かけてから行きます」
「彼も何処かに転移するんですか?どこに行ってるんですか?」
「転移した兵士の忘れ物を届けたりとかによく使っていますね、最近じゃあエラトスなんかにも行ってましたよ」
「エラトス…」
エラトスって言えば…あれか、アジメクの隣国でアルクカースの属国の。アスクさんの実家があるあの変な地形の国だ。あそこに行ったりしてたのか…ふむふむ。
「さ、もう満足ですか?どっか行ってください」
「じゃあじゃあ最後に!、ティム君みたいに私のことも信頼してくれません?ね?」
「嫌ですよ…!あなたに付き合ってたらいつか私すごい怒られそうなので!」
ダメか…、やっぱ一番最初に強引に詰め寄ったのがいけなかったかな。反省反省…。
でも聞きたいことは聞けた、シオさんがもしさっき言ったようにポータルステーション内部で不正に連続使用していた場合受付の記録にも記憶にも残らない。彼の行き先を知るには彼がポータルを使用する瞬間を目撃している人間からの証言が必要だ。
そんな人間いるかどうか分からないが、…少し早いがそろそろ切り上げてクラブに向かおうかな。もしかしたらグリシャさんなら何かそういう噂を仕入れてるかもしれないし。
そう信じてエリスは制服のポッケに手を突っ込んで地面を蹴飛ばすように歩く。
「難儀しているようだな、エリス」
「あ、師匠」
ふと気がつくと師匠が隣を歩いていた、普段はエリスにも分からないよう隠れているが…ちゃんと付いてきてたのかな。
「いつからいたんですか?」
「ずっとだ、お前があのミーニャとかいう女と絡んでいるのもちゃんと見ていたぞ」
「ミーニャとか言うって…会ったことあるでしょう?」
「覚えてるわけがないだろうが、何年まえだと思ってるんだ」
それはそうか、姿が変わっている以前に師匠からすれば十数年前に一度会っただけの人だしな。
「それで?進捗の方はどうだ?裏切り者の目星はついたか?」
「いえそれが全然…」
「まぁ、まだここにきて三日程度だしな。構わないが…一ヶ月以内には解決しろよ、あまり長い目で見るな」
一ヶ月以内とはまた急だな。エリスは少なくともこの一件に数ヶ月はかけるつもりでいるんだが…。
「あの、なんで一ヶ月以内なんですか?」
「ん、いや実はな…この間、カノープスから接触を受けとある約束をしていたのだ」
「この間っていつですか?」
「お前とメープルフォレストで修行していた頃だ。まぁ奴は時を止めてやってきたからお前は認知していないだろうがな」
時を止めてか。まぁアルクトゥルス様が時々遊びに来ていたようにカノープス様も訪ねに来るか。あの人師匠のこと大好きだし今はもう気兼ねなく会えるしな。
「それで?なんの約束したんですか師匠。もしかしてデートの約束とか?」
「師匠をからかうな、まぁデートには毎回誘われているが…少なくとも弟子を育てている間はそういう浮ついたことはせんときっぱり断っている」
つまりエリスがいなければデートをすると?…案外師匠もまだカノープス様のことを。
と考えていると師匠から睨まれた、そう言えばこの人目線である程度相手の考えが読めるんだった。変なこと考えるのはやめておこう。
「約束とはな、一ヶ月後に行われる魔女会議への出席だ」
「魔女会議?…ってなんですか」
「魔女達が集まって世界の行く末を会議にて決める。まぁ今の六王円卓会議のようなものだな」
「そんなのやってたんですね、知らなかったです」
「知らんのも仕方ない、最後に行われたのは五百年前だからな」
五百年も前…そりゃあ流石に知らないな。しかしそれに師匠が誘われたって…。
「そうだ、私は初めての出席になる」
五百年前っていうと、師匠はまだ隠居中。未だ星惑の森にて世間から身を隠していた頃だ、故に会議になんか出席出来ない…いや、今まで一度も出席したことがない。
だが今はもうそうはいかない、師匠は今再び表舞台に姿を現し魔女たちもシリウスの姦計を乗り越え再集結した。ならばもう一度八人揃っての会議が出来るのだろう。
まぁ、師匠の顔を見る限り乗り気ではなさそうだが…。
「はぁ、面倒だ…アルカナでもなんでもいいから会議をぶっ潰してくれないものか」
「師匠はそれに出たくないんですか?」
「まぁな、だが主催はカノープスだ。奴はこの手の面子をかなり気にする…もし一ヶ月経ってもこの問題が解決していなかった場合……」
もし、一ヶ月後の魔女会議までにアルカナなどの諸々の問題を解決出来ていなかったら、そりゃあ事だろう。
きっとアルカナ達はそこを攻めてくる。魔女が八人揃っているなら絶好の機会だとばかりに魔女様達を殺しにくる。もしそこで奴らの狙いが叶ったならば…一気に世界は反魔女を成し遂げることになる。危険だ…会議なんてとても出来ない。
故に、一ヶ月経っても解決できていない場合。
「解決出来ていない場合…魔女会議は中止、カノープス様の面子は丸潰れ…ですか」
「は?なんでそうなる」
「え?」
キョトンと師匠は目を丸くする、え?なんで?カノープス様は面子を気にするんじゃ…と思ったが、そこでエリスはようやく気がつく。気にするべきは『そこ』じゃない。
潰れる面子はカノープス様のではなく…。
「一ヶ月経っても問題が解決していない場合、カノープスや私…アルクトゥルスらが会議を前に軽く大掃除をする。邪魔なゴミが会議に紛れ込まんようにな…つまり我々がアルカナを殺し尽くす、だがそうなった場合…アド・アストラはどうなる?」
「魔女様の力を借りないという理念が…崩れます」
「そうだ、つまり潰れる面子はカノープスのではない…お前達の面子だ」
一ヶ月経ったら師匠達は会議の為に仕方なくアルカナを殺す。裏切り者も引っ張り出して殺す、ロストアーツも壊すか封印する。ありとあらゆる問題を全て魔女の力業で解決する。
師匠達にはそんなことあまりにも容易い。
だがそうなるとアド・アストラはどうなる?、いい笑い者だ。結局魔女なしでは何も出来ないではないかと民衆は思い、兵達はやっぱり何も変わってないんだと落胆する。
今アド・アストラを突き動かしている炎は新時代を切り開く高揚感から来る熱が原動力だ。だがもしアド・アストラが解決出来なかった問題を魔女があっけなく解決すれば…きっとその熱も冷める。
そうなれば後は衰退の一途を辿る。熱量を失った組織はただただ漠然と揺らぎごくごく自然な形で空中分解する、それは…いやそれが道理なのだ。
メルクさんやデティの頑張りは水泡に帰す。それだけは避けねばならない。
「つまり期限は…一ヶ月?」
「ああそうだ、それがアド・アストラの命運を分けると覚えておけ」
そんな重要なことならもっと早く言って欲しかった、じゃあエリスがしくって一ヶ月以内に解決出来なけりゃアド・アストラは終わりってことじゃないか!。
これは…悠長に構えている暇はないぞ。
「急げよ、さっきも言ったがカノープスは面子を気にする。一ヶ月…その期限を過ぎれば奴は容赦なく動くぞ。勿論、奴に命令されれば私も逆らえん。お前の願いとは言えど容赦することはない」
「う…!分かりました、でも今はメルクさんを探させてください!。あの人が心配である以上に!きっとこの問題の解決にはあの人の力が必要です!だから…」
「好きにしろ、全て任せているんだ。…カノープス達もお前達を信頼して後の世を任せている。だから好きにすればいい…そして今の世界の形を守るんだ、それに…」
と師匠はやや暗い面持ちのまま歩みを進め、エリスの方を見ることなく言葉を続け…。
「それに、もうまたあの魔女時代に逆行させてはならない。やはり…圧倒的な武力で人を抑えつけるやり方なんて、正しいわけがないのだから」
圧倒的な武力で抑えつける。それは魔女大国の本質だ、魔女大国の絶対性は魔女の圧倒的な力により成り立っていた…それはきっと、よくないことだと師匠は述べる。
世界はもっと別のあり方を模索出来る、そしてそれを体現するのは魔女ではなくアド・アストラ…いや次の時代の人間達の役目なのだから。
「師匠…」
「フッ、さぁ行くぞ?どうせクラブに向かうんだろう?」
「はい…って師匠もしかして」
すると師匠は何やらキラキラした目をこちらに向けるとともに親指を立て。
「今回は私が代わりに飲んでやるからジャンジャン美味い酒を頼め」
「……師匠が飲みたいだけでは?」
「勿論だ!さぁ!行くぞ!酒を飲みに!」
「違いますが?」
フンフンと鼻息荒くクラブへ向かう師匠の後を追いながらエリスはクラブへ向かう。
しかし、制限時間か…。まだまだ時間的余裕はあるにはあるがエリスは未だアルカナの影さえ踏めていないのが現状。
しかし、エリスがここに来てから一度もアルカナの話を聞かないが。奴らは今どこで何してるんだ?。嫌な予感がするなぁ。
…………………………………………………………
「なるほど、やはりメルクリウス様は発見できませんでしたか。いえ、あてにならない情報を掴ませてしまい申し訳ありませんでした」
その後エリス達はクラブへ向かう。夕暮れ頃に開店するアド・アストラ専用サロン『ウォルフラム』。一日の仕事を終えた兵士や幹部達が大挙して訪れるそのサロンは開店と同時に直ぐに兵士たちにより埋め尽くされる。
そんなクラブへとエリスが辿り着いた頃には既に休暇申請を終えたメリディアがクラブのマスターであるグリシャさんへの情報の共有を終えてくれていた。
故にこうして直ぐに今後の指標方針について話し合えているんだが。
「いえ、グリシャさんのおかげで随分事態は進展しました。けど…やはりメルクリウス様の足取りは依然として知れず。結局どこへ行ってしまったのかはまるで…」
「消えた人間を探すってのはこんなにも難しいんだね。そこはいくら文明が発展しても同じかぁ」
相変わらずエリスと並んで座るメリディアの手元にはビールが置かれており、かなり大きなジョッキの半分ほどまで飲み進めている。
「そうですね、私も飽くまで話の又聞き程度でしか事の真相は追えないのでどこまで役に立てるか」
「グリシャさんは十分役に立ってくれていますよ」
「そう言っていただけるとありがたいです、ところでエリス様?次は何を飲まれますか?」
……先も言ったがメリディアの手元にあるジョッキは既に中頃まで飲まれている。じゃあ対するエリスはどうかと言えば。
「あ…ははは、どうしようかな」
「エリス、次はあれが飲みたい。注文してくれ」
既に、大ジョッキ六つ飲み干している…ことになっている。当然飲んでいるのはエリスではなくエリスの隣に座るレグルス師匠だ。この人が姿を消してエリスの代わりにお酒を飲んでくれているんだが…まぁ飲むったら飲むのよ師匠は。
次から次へとジョッキを空にして、それをエリスの手元に置くもんだからグリシャさんもメリディアもエリスが凄い勢いで飲んでいると勘違いして…大変なんだ。
「ね、ねぇエリス?昼間のことでイラついてのも分かるけど…あんまりヤケ酒したら体に毒だよ?昨日お酒苦手って言ってたじゃん」
「そうなんですけど…そうもいかないと言うか。あ、グリシャさん…そこのボトルをジョッキでください」
「畏まりました」
「いやぁここは天国だなエリス。頼めば次から次へと名酒が湧いて出る、こんな事なら私も身分を偽ってアド・アストラに入ろうかな」
「師匠、加減してください。エリスがとんでもない酒豪って事になってます」
「ふっ、思うなら思わせておけ。お!来た来た…」
エリスに手渡されたジョッキを強奪し舌なめずりしつつゴクゴクと風情のかけらもなく飲んでいく姿には思わずため息も出る。本当にお酒好きなんだから…、まぁこの三年師匠はエリスの修行に付き合ってあまりお酒を飲めてなかったし、いいのかな?。
「さて、それでエリス様。今日この場に訪れたと言うことは…何か別の方法を思いついたのでございましょう」
「はい、メルクリウス様そのものを見つけらないなら、メルクリウス様に限りなく近い側近を見つけようかと思いまして」
「なるほど考えましたね。つまりメルクリウス様の側近たるシオ様やミレニア様を見つけたい…と言うことでございますね」
「はい」
シオさんは言わずもがな。ミレニアさんもメルクさん直属の部隊を率いている隊長なだけありその距離は近い、この二人のどちらかを見つけられれば或いは…と思ったが。それでもグリシャさんの顔は晴れない。
「しかし申し訳ないのですが、その二人に関する情報もまた無いのです」
「えぇ!?ってことは手がかりなし?」
「ええ、やはり二人ともメルクリウス様同様、同じ日にポータルを使ったと言う噂があるだけで、そこから先の話はありません」
「そうでしたかぁ…うーん、困りましたね」
この方角もダメか、そんなに簡単でも無いな…こりゃ。
「と言うことはさ、シオ様もミレニア様も同日にポータルを使用したってことは…二人はメルクリウス様を助けに行ったんじゃないの?」
「その可能性は高いかと。ですが…その末にどこに行ったか分からなければ…なんとも」
「ふむ、恐らくシオ様達はメルクリウス様を逢魔ヶ時旅団の手から救い出すことには成功したのでしょう。しかしその場で何かあり…帰るに帰れない状態に陥った。と考えるのが妥当では?」
とマスターが口にするその意見はなんだか正解な気がする、少なくとも今まで漠然と浮かんでいた不安を全て拭い去る程度にはそれらしい意見だ。
しかし帰れない状態ってなんだ。使ったポータルが壊れてしまって陸路で帰ってきてるってことか?。いやでも今の世の中アド・アストラ支部はそこら中にある。三日もあればそこらの支部にたどり着きポータルを使用することくらいはできる。
じゃあなんだ、まさか逃げた逢魔ヶ時旅団を追ったとかじゃないよな。メルクさんならあり得る話だが同時にメルクさんはそこまで馬鹿じゃないと言う話もある。追跡にひと段落ついたなら確実に連絡をよこす人だ、だが実際は音信不通。
「ダメです…何にも思いつきません」
「せめてなんで帰ってこれないか分かれば…、見つけようもあるんだけどね」
「ふぅむ、難しい話でございます」
三人は頭を抱える。掴んだと思えるヒントが悉く外れる、何か確実なヒントをそろそろ掴んでおきたいのに…。
師匠から伝えられた制限時間もそうだが…、あんまりメルクさんが行方不明の時間が長引くのは確実に良くない。
だって。
「…………また人が増えています」
「きゃ〜レイバン様〜!」
「流石レイバン様です!」
「あっはっはっ、上司をご機嫌にさせるのが上手い人たちですね。お望み通り酒を増やしましょう」
チラリとエリスが目をやるのは店の奥。そこにはやはり今日もいる…この店のオーナーであるレイバンの姿。
昨日見た時よりも連れている人が増えている。彼にとって競合相手たるメルクさんがいないこの状況は勢力を伸ばす絶好の機会だ。あんまり彼に手番を回し過ぎるといざメルクさんを見つけて連れ戻すことが出来てもその頃には既にメルクさんの椅子に彼が座ってる…なんてこともあり得るんだ。
だが…掴む手がかりが悉く外れる。これではいち早く見つけるどころかそもそも見つけることすら……。
「はぁ…」
「………………」
全員が中空を見つめながら考える、何かないものかと考える空気はどんよりとした重苦しいもので…。
そんな時だった。
「お困りですか?メリディア」
「え?げっあんた、ステンテレッロ…」
ニュッと差し込むような形でメリディアの隣の席に座り込んでくるのは…喜劇の騎士ステンテレッロさんだ、相変わらず美麗な顔つきに似合わぬ傾奇者地味た格好の変人。
それがいきなり話しかけてくるんだ。多少なりとも驚いてもおかしくはないだろう。
「何の用?今暇じゃないんだけど」
「ええ、何やら重苦しい顔をしていたので。どうしたのかなぁ〜って」
「心配してきてくれたってこと?」
「はい、その通りですよ」
「…………」
彼とメリディアの二人のやりとりを見たのは初めてではない、エリスがアド・アストラに来たばかりの頃二人が話すところを見たことがある。
だが、今こうしてメリディアの事をよく知ってみれば、メリディアがここまで困惑する理由がよくわかる。
ステンテレッロという男はメリディアとは全く接点がない。訓練場もエリア分けされてるから顔を合わさないし、仕事も部隊ごとで分けられてるから顔を合わさないし、じゃあ非番の時一緒にいるかといえばそうではない。
本当にふらりと現れ、何が何だかわかりないうちに絡んでくる。そんな印象を受けるのだ、昔から分からない人だとは思っていたけれど…なんなんだこの人。
「エリスさん、こんばんわ」
「ああ…こんばんわ、って…私あなたに名乗りましたか?」
「いいえ、でも貴女有名人ですよ?食堂でアルクカース人を殴り飛ばしたアジメク人ってね」
「あ〜…」
あれで名が轟いてしまったようだ、別に有名になってやろうとかアジメクの無念を晴らしてやろうとかそういうつもりは全くなく。ただただあいつらの言い分が気に食わなかったからその口黙らせてやっただけだ。
「見てくださいエリスさん」
「ん?…ってあれ」
ステンテレッロに促されるまま見るのは、この店の一角を占領する形で屯している集団。アルクカースの…いや、ライリー大隊長の部隊だ。
エリスがまとめて殴り倒した面々に囲まれるようにその中心にはライリーがいる。ボトルで酒を飲みながらジッとエリスを見つめガンを飛ばしている。
気がつかなかったな…そこまで熱心に睨んでくれていることに。お返ししようか?と視線を尖らせるが。
「こらエリスちゃん、メンチ切らない」
「すみません」
メリディアに止められる、確かにこのまま続けてたらまた喧嘩になるな。そうなったら今度はこの店出禁になりそうだ、それは困るからやめておこう。
「アジメク人がアルクカース人を殴り倒した、それはアジメク人にとっては誇らしい出来事かもしれませんがアルクカース人にとっては最悪の出来事ですよ。だって見下してた人種に殴り倒された汚名を自分達が背負うことになったんですから」
「……だからその汚名を返上する為、エリスを狙ってる…ですか?」
「ええ、確実にリベンジに来るでしょうねぇ…怖い怖い、エリスさんも夜道には気をつけたほうがいいですよ」
「別にリベンジは構いませんが、…気に入らない理由ですね」
「え?」
「リベンジの理由が気に入りません、…アジメク人に殴り倒された事の汚名を返上する為?。彼女たちを殴り倒したのは『アジメク人』ではありません、私…エリスですよ?何故生まれた場所の名前でしか物を見れないんですか」
結局のところ、彼女達をぶっ倒したのはエリスだ、アジメク人ではあるがアジメク人と一緒くたにされる謂れはない。故にアルクカース人に『アジメク人』として復讐の対処にされるのも気に入らないし。
なんだったら、同じアジメク人に誇りに思われる必要もない。アルクカース人を倒したのはエリスだ、アジメク人の誰かじゃない。
「まぁ言わんとする理屈は分かりますがあの方達にとっては大切な事。何よりアルクカース人が負けをそのままにしておくことはあり得ない、いつかリベンジに来るでしょう…今度はきちんとした手順を踏んで」
「望むところですよ」
「望まないでよぉ…」
メリディアはやや嫌そうだが、このくらいの事覚悟の上だ。殴り飛ばした時点で殴り返される事も織り込み済みなんだ、それが喧嘩なんだ。この関係が続く以上エリスはライリーと張り合い続けるつもりですよ。
「まぁ何はともあれ、あんな熱烈な視線に気がつかないほどに悩むとは、何について悩んでいたのですか?」
「何にって…教えなきゃダメ?」
「メリディアの力になれるかもしれません!」
ニコォ〜ッ!と強烈な笑顔に思わず竦むメリディア、何故そこまでの笑みを向けられるのか…それが理解できなければどんな好意も恐ろしかろう、だが…。
「いいんじゃないですか?メリディアさん。彼に相談しても」
「いいの?まぁダメな理由もないけどさ」
考える頭ってのは一つでも多いほうがいい、二人で考えるより三人で考える方が効率がいいなんてわざわざ言うまでもない。
何よりステンテレッロさんは信用できる。付き合いは浅いが少なくとも彼は困っているエリスを見て態々案内しようとしてくれる程度にはいい人だ。だから…彼にも話してみるべきだと思う。
「では私も混ざってさいい…って事ですか?事ですよねぇ!」
「そうだからおっきい声出さない。実はね?」
とメリディアは一からエリス達の身の回りの事をステンテレッロさんに話す。メルクさんを捜索している事とその理由、そしてその進捗状況。それらを話せばステンテレッロさんは笑みを崩さず…視線を移し、虚空を見つめながらふむふむと考え。
「中々に厄介な状況ですね。ここまで困難な人探しは初めてです」
「だから私達も苦戦してるのよ、で…何か知ってない?メルクリウス様の行方とかそれに類する話」
「残念ですが何も、というかそもそもですよ?」
「何?」
ステンテレッロさんが指を一本立て、二本立て、三本立てる…それをなんとも難しそうな顔で見つめ。
「行方不明の人間を探すのに、たった三人は少なすぎじゃありません?」
それはそうなんだが仕方ないだろう、そりゃ大々的に人を率いて捜索できるならそれに越したことはないけれどもだ。
「あんまり人を多くしたくないんですよ」
「なんで?」
「メルクリウス様は今敵が多いですから、あんまり人を多くしてそういう人間が紛れるのを防ぎたいんですよ」
「なんで?」
「なんでって…、身内に裏切り者がいればそれだけで団体とは機能不全に陥るものですから」
「なんでですか?」
「なんでなんでっておちょくってるんですか?」
「そういうわけではありませんよ?、ただ…なんで『一緒に探す』のを前提にしてるのかなぁと」
「え?」
一緒に探すのを前提?、そりゃ探しているのがエリスなんだからエリスと一緒に探すだろ?、それとも別行動をしたいと言うのか?でもそれでも人を多くしたくない事に変わりはない。
大勢で手分けして、もし見つけた奴がアルクカースの戦士のようにメルクさんに敵意を持っていたら、エリス達に報告する前にレイバンに報告をするかもしれないんだ。
「私達にはレイバンという競争相手がいます、彼は表立ってはメルクリウス様を探してないですが…知れば確実に何かしらの干渉をして来るでしょう」
「でしょうね、表立って探していないと言うかレイバンは確実にメルクリウス様を探しています」
「あの、あんまり回りくどい言い方をしないでもらえます?クイズ大会をするほど今の私に余裕はありません」
「あらまぁそうでしたか、なら単刀直入に言いましょう…。こう言う時は強力な助っ人の存在が不可欠です」
「助っ人?誰です?、私には覚えが…」
「いるじゃないですか、一人…恐らく我々よりも早くからメルクリウス様を探し、かつ我々よりも大勢で探し、様々な情報を持っている可能性のある強力極まる助っ人の存在が」
…誰だ?そんな人いるのか?。エリス達より早くから探しているって…うーん?。
そう考えていると、答え合わせをするようにステンテレッロさんは指をさず
その先にいるのは…………店の奥で盛大に酒を飲む、レイバンの姿が。
「って…レイバンが助っ人何ですか!?」
「と言っても今からあちらに話を通して一緒に探させてくれ…と言うわけではありませんよ、ただ彼らを探れば或いは彼等だけしか持ち得ない情報を掠め取る事もできるのではないでしょうか」
「…………確かに」
確かにその通りだ、ポータルの使用履歴同様アド・アストラの情報を開示するには相応の身分が必要で、そしてエリスはそれを持たずレイバンは持っている。この時点で情報収集能力には確実な差が出ている。
エリス達はどうあってもレイバンに先を越されている。なら…先を行くなら、先を行くレイバン達に後乗りし情報を掠め取ってしまえばいいんだ。
「つまり、レイバンの動きを探っていけば新しい手がかりが手に入るかもって事?」
「ええ、十分ありえないでしょうか?ナイスアイデアだと思いますけど?どうです?」
ね?ね?と調子よく聞いてくるが、確かにナイスアイデアだ。レイバンは競争相手だと思っていたが…別にこれは競技でもなければ徒競走でもない、相手が先を行くなら相手に乗っかるのも全然アリなんだ。そう言う発想はエリスにはなかった…うん。
「そういえば」
と口を開くのはグリシャさんだ。
「最近、レイバン様の連れているご同行の方々…デルセクト人の方が多いようにも感じます」
「え?そうなんですか?」
「ええ、直接聞いたわけではありませんが。お酒の趣味がデルセクト人好みだなぁと感じていただけです。それが何を意味するのか…分かりませんがね」
ふふと微笑むグリシャさんが語るに、あそこにいるのはデルセクト人の軍人が多いらしい。そういえばグリシャさんは出身地からお酒を割り振るのが得意だったな。ならその地方のお酒を出す為に各地の人間の酒の趣味を知っていても不思議はない。
しかしなんでデルセクト人を急に連れ出して?レイバン自身がデルセクト出身だから今更デルセクトの支持集めなんかしなくてもいいだろうに。
「というかさ、マスター?もしかして私達がメルクリウス様を捜索してること…レイバン様に言ってないよね?」
「そこはご安心をメリディア様。私はお客様のプライバシーを守ります、誰がその噂の発端なのか…その人がどんな噂話を聞きたがっていたか、これらは決して言いません。レイバン様の周辺の件は今この場で探ればすぐにわかる事ですから秘密にする必要はありませんから」
エリス達が何を聞いたかは絶対に言わない、同時にレイバンが何を調べているかも絶対に言わない。そういう中立的な立場だからこそこの空間は兵士達にとって安心出来る場所になる。そう語るグリシャさんの姿勢はプロそのもの…彼からレイバンへの情報流出はないものと考えてもいいだろう。
「まぁ!そういうわけなので、早速明日からレイバンの周りを調べてみましょうか?」
「いえ、…違います」
「へ?」
と語るステンテレッロさんに…エリスは小さく首を振る。いやそこまで来たならいっそ。
「そこまでやるなら、周辺と言わず…レイバン本人を調べましょう。彼にとってメルクリウス様の捜索は小さいことではないはず。張り付いていれば必ず何か見えるはずです」
「本人って…どうやって?」
「明日、レイバンをとことん尾行します」
「尾行って…レイバンの本拠地はデルセクトだよ?デルセクトまで行くって事?」
「無論です、やるなら徹底的に…。レイバンがたとえ世界の裏側にいても私は彼に張り付きます」
「で…でも相手はアド・アストラの大幹部。バレたら懲戒免職どころじゃ済まないよ…」
「バレなきゃいいんです」
「そんな簡単に…」
簡単じゃないことは分かってる、けれどもうそこしか道がないならおどおどと進むより堂々と大股開いて渡る方が案外なんとかなるもんだ。まぁメリディア達を付き合わせるのも悪いしこればかりはエリス一人で…。
「あっはははは、面白い…面白いエリスさん!君エンターテイナーの才能があるよ!」
「な…なんですかステンテレッロさん、冗談で言ってませんよ私は」
「分かっている、酔狂とは現実味があるからこそ余興たり得る。ジョークはリアリティがあるから面白い。マジで言ってる無茶ならなおのこと面白い…それが私の先生の教えです。そして同時に面白いものには命をかけろとも言われています…つまり」
「付き合ってくれるんですね、ステンテレッロさん」
「ええ、いいネタになりそうです」
「ええぇ…二人とも行くの?、…いやまぁ私も行くんだけどさぁ、最後まで付き合うって決めたからね。今更日和っコは無し、覚悟決めるよ」
「ありがとうございますメリディアさん、…じゃあ明日決行しましょうか」
そう、明日だ…明日。エリス達はレイバンを張り込む、きっと奴を張り込んでいれば何か得られると信じて…。
……………………………………………………………………
そして。
後日、朝から再集結したエリスとメリディアとステンテレッロさんの三人は揃ってポータルステーションへ向かう。職務停止中でも一応ポータルは普通に使えるようで受付さんも特に何もいうことなく…。
『取り敢えず、向こうで問題は起こさないでくださいよ』
と、釘を刺された。これから問題行動をしようとしているエリス達は特に何か返事が出来るわけでもなくあははと誤魔化すような笑みを浮かべるとしか出来なかった。
さぁこれからデルセクトに踏み込もうと言ったその時。ふと、思い出した話題を誤魔化しがてらに聞いてみる。
『今日はティム君はいないんですか?』
と、すると受付の人は。
『今日はエラトスに行くとか挨拶してましたよ。まだ帰ってないようですが』
どうやらティム君はエラトスに行っているようだ。デルセクトでの調査がどれだけかかるかわからないが、帰ってきた頃にはまた靴を磨いてもらえるといいな。
……なんて無駄話を挟んでエリス達が転移するのはデルセクト…その中央都市ミールニアだ。
「ここがデルセクトかぁ、私初めて来たよぉ」
「ほほ〜これまた絢爛な街ですねぇ」
デルセクト支部のポータルステーションから出て、まず飛び込んでくるのはデルセクトの街並み。十数年前に見たあの景色と同じ…あちこちから蒸気が吹き出しあちこちから見える巨大な歯車が永遠に駆動を続ける蒸気機関の街。メルクさんと一時期住んだこの街に…エリスはまた戻ってきた。
「久しい街並みか?エリス」
「はい、師匠は…」
「私からしたら一週間も居たか怪しい街だ。思い入れもクソもない」
そういえば師匠は半年石になってましたものね、かといってエリスも半年くらい地下にいたので上の街並みにはあまり思い入れはないのですが。
「彼処に見えるのが翡翠の塔か、大きいね」
「ええ、あちらの塔は数千年もの間世界で最も高い建造物として有名だったのです、まぁ?それもユグドラシルに抜かれてしまったわけですが」
「やけに詳しいわねステンテレッロ」
「むふふ、そうでしょうか?まぁこの手の話は芸事には大切なので普段から勉強するようにしているだけですよ」
仲よさげに話すメリディアとステンテレッロさんの二人を横目に、エリスも眺めるのは翡翠の塔…。今や彼処もアド・アストラの一部として機能しているらしい。
そりゃそうか、翡翠の塔の下層はデルセクト連合軍の本部。そしてデルセクト連合軍はアド・アストラの一部、なら軍の所有する施設もアド・アストラということになる。
「本来ならあの塔にメルクリウス様のオフィスがあり、普段はそこで仕事をしていたそうですよ」
「でも…今はいない、と?」
「その通りですよメリディア。その代わりメルクリウス様の不在に託け勢力を伸ばし影響力を増したレイバンが彼処にオフィスを構えているそうです…つまり」
「今から私たちが行くのも彼処…か」
「ふふふ、我々息ぴったりですね。コンビ組んで舞台に出ますか?」
「嫌よ。ねぇエリス?あなたも準備はいい?」
「私も準備オッケーです、メリディア隊長…行きましょうか」
軽く覚悟を決めておく、ここからは変にしくじれば全部おじゃんになる可能性がある。ミスは許されない…ただその分きっと見返りも大きい。
そう信じて、エリス達はデルセクトの中心…翡翠の塔へと向かっていくのであった。
…………………………………………………………
潜入…とは言ったが、何も敵の本部に乗り込むわけじゃないよな?。翡翠の塔もアド・アストラの一部ならそのアド・アストラの職員たるエリス達が歩き回っても変なことはない。
むしろ堂々としていればいいんじゃないか?と提案したところ。メリディアとステンテレッロさんから否定の声が飛んできた。
二人が言うにそもそも幹部が居る空間というのは末端の兵士がちゃらんぽらんと歩いていい場所ではないと言う。
そりゃあそうだ、エリス達が言えたことではないが幹部に探りを入れに来る奴もいるかもしれないからね、簡単に立ち入りできるようにはしないはずだ。
故に幹部のいる上の階へ向かうには誰にも見られることなく翡翠の塔を駆け上がる必要がある。
そして、エリスの記憶が正しければ翡翠の塔の階段というのは非常に通路が細かったはず。今は転移魔力機構をあちこちに取り付けて多少は改善されているらしいがそれでも広大なこの塔を誰にも見られず登るのは至難の技…。
はてさてどうしたものかと悩んでいたら。
「でしたら、ここは私にお任せを?」
と…口にするのはステンテレッロさんだ。翡翠の塔の入り口を前にして彼はとある妙案を口にする。
「お任せをって…どうするつもり?」
「私の魔術を使います、私の先生プルチネッラより授かりし超レアな魔術…こいつを使えばあら不思議、皆さんを誰にも悟られずに上の階へと導くことが出来ます」
なんて言い出すのだ。思えばこの人…現喜劇の騎士だつたな、実力的にはエトワールでも五本の指に入る使い手。この人の力を借りれば或いはなんとかなるかもしれない。
「あんたの魔術って…あんた魔術使えたの?聞いたことないけど」
「誰にも聞かせていませんからね、と言うかメリディア?貴方私が舞台で何を披露しているか…知らないのですか?」
「え?知らない…」
そう言えばエリスも知らないな。この人とは一度同じ舞台で観客を沸かせたこともあったがあの時はエリス達もいっぱいいっぱいでこの人が何を披露しているかなんて気にする余裕がなかった。
でも、エトワールにてコモーディア楽劇団の一員として名を轟かせる彼が…なんの芸も持たないわけがない。
「私が得意とするのはトリック。人を欺き人を騙し、虚を突き実を隠し、皆様に驚きと感動を与える…それが私の仕事です」
「トリック…?」
「まぁご覧に入れましょう」
と指を一つ鳴らすといつのまにか彼の奇人の如き奇天烈な格好が、ポンっという破裂音と共に放たれた煙の中で瞬く間に変化し。まるで一端の貴族のような美しいタキシード姿に変わ、頭の上に乗せられたシルクハットを手に取り一礼をしてみせる。
「おお、凄い…一瞬で衣装が変わりました」
「ではでは、これよりお見せ致します私めの奇術を以ってして皆様方を誰にも悟られずレイバンの居る塔の上へと移動させて見せましょう」
どこからか取り出したステッキにて指し示すは塔の上層部、そしてエリスとメリディアという観客二人を前にして、魔術ならざる『奇術』を使い、見事奇跡の芸当を果たして見せると口にする。
「では参ります…我が至上の奇術!『トリックカムフラージュ』!」
「えっ!?ちょっと!?」
「こっちに向かって何を…」
ピッ!と向けられるステッキの先から発せられる光。ただの光じゃない…これは魔力が事象に変換される際放たれる光学現象、つまり魔術が放たれたのだ。
何をするかと注目していたエリスとメリディアにはとても反応出来る物でもなく、瞬く間に広がる閃光は有無を言わせず二人の体を包み…その意識さえもまどろませる。
「ほう、珍しい魔術を使うものだ」
意識さえも光に包まれ、朦朧とする中最初に聞いたのは師匠の驚いたような声だった。
「ん…うう、何?…なんか頭がモヤモヤするんだけど…」
「私もです…一体何が起こって…」
チカチカする頭、明滅する視界、時間が経つ都度取り戻すそれらを必死に掻き集め何をされたか確認する為エリスは周囲を確認し……。
(あれ、体が動かない…)
自分が今、とんでもなく不自由な状態にあることに気がつく。周囲を確認しようにも体が動かない。首も…なんなら手も足も動かない、まるで鎖に拘束されたように動かない体に混乱していると。
更に驚愕の事実を突きつけられることとなるのだ。
「お二人とも〜?意識はありますか〜?」
「意識はって…いきなり何を…、って!?えええ!?エリス!?貴方何それ!?」
「何それって何が…って!うぇえええ!!??」
そこでようやく気がつく。巨人のようにデカくなったステンテレッロさんと…メリディアの声を発する小さな小さな茶色のボールの存在に。
というか、よくよく確認するとエリスの体も同じように黄色のボールに変化しているのだ。な…なんだこれ!?なんでエリスがボールになっちゃってるんですか!。
「何!?何このボール!」
「それは私が芸に使うジャグリング用のボールでございます、今貴方達二人を私の奇術でそのボールに変えたんです…よっと」
そういうなり小さなボールと化したエリスとメリディアを片手で持ち上げるステンテレッロさんの言葉でようやく気がつく。ステンテレッロさんが大きくなったんじゃない、エリス達が小さくなったのだ…小さなボールに変えられたのだ。
「嘘!?何それ!」
「これが私の『トリックカムフラージュ』。対象を生物非生物問わず私の持つ物品へと変化させる魔術でございます」
「そんな魔術があるんですか……」
「ええ、と言ってもかなり古い書物…それこそ古文書にしか載っていないような極めて珍しい魔術ですがね。習得もかなり難しいようで私以外この魔術を会得出来た人間は先生曰く存在しないそうです」
人間二人をボールに変え、片手で両方持ち上げられる程度のサイズに変化させる魔術。ありえないとは言わない…エリスは似たような魔術をいくつか知っている。
アマルトさんも似たような魔術を使うから…。
「エリス、そいつの言う通りその魔術はかなり稀な物だ」
(師匠…?)
すると姿を隠した師匠が珍しいそうにボールになったエリスをマジマジ見ながら観察している。
「それは所謂『偽装魔術』、物を別の物に変え持ち物を偽装する魔術だ。系統的には錬金術と呪術のちょいど中間に位置する、かつて試された試みである魔術同士の融合…その副産物的な存在…『混合魔術系統』と呼ばれた代物だ」
と師匠はまるで動じることなくエリスに色々と教えてくれる。
曰くこの偽装魔術は今から五百年程前に生まれた魔術であり、各地に存在する様々な魔術系統を合成し両方の特性を兼ね備えた夢の魔術を作ろうというプロジェクトにより生まれた魔術の一つであるらしい。
例えばこの偽装魔術もその一つ。錬金術のように相手の材質を変化させ呪術のように相手の体を変化させる、ある意味古式魔術にも不可能な芸当を可能とする魔術だそうだ。
「とは言え、混合魔術は必要とされる適性が数多く存在し、その上数多の才能をも必要とする…誰にでも使える物じゃない。魔術とは使用者が居なければ廃れていくもの、いつしか使い手のいない混合魔術は歴史の闇に埋もれて消えていったのだ」
(そんな珍しい魔術があったんですね)
「ああ、混合魔術に関しては私も注目していてな。中でもとびきり異質な『精霊魔術』なんかは私も習得を考えたほどで…ってあ!おい!」
(あ〜れ〜!師匠〜!)
「お二人はこのまま姿を隠しておいてください、あとは私が一人でうまく忍び混みますので」
師匠の姿が見えていないが故に、師匠を無視しボールになったエリスとメリディアを持ったまま翡翠の塔へと向かう。うう…なんだか変な気分だ、手に持たれる物ってのはみんなこんな気分なのかな…今後は色んなものをもう少し丁重に扱ってあげよう。
「ってちょっとちょっとステンテレッロ!」
「なんです?メリディアさん、ちなみに貴方の声は私以外にも聞こえるのでなるべく喋らない方が良いですよ?」
「それより貴方そのまま普通に入り込むつもり?、私達が見つからなくたって貴方が見つかったら同じでしょ!」
「それに今の私達は指一本動かせません、なんの縁故も出来ませんよ」
「そこはご安心を、ちゃあんと変装しますのでっと」
すると彼が懐から取り出すのは…お化粧セット?。
女性が使うようなごくありふれた普通のお化粧セットを片手で使うステンテレッロさん。
「これをこうしてあれをああして、ちょいちょいっとすると」
顔に粉をまぶし、アイラインを引いて、チークをちょいちょいと操り、口紅をさらりと流し、適当に髪型を変えるとあら不思議…。
「うそ、これだけで女性になっちゃった」
「変装…ですか」
ものの一分で完璧に女性へと変身するステンテレッロさん。元々整った中世的な顔立ちをしていることも相まって化粧をし髪型を変えるだけで普通に女性に見えるんだからまぁ凄い。
流石にその道のプロであるナリアさんほどじゃないがそれでもかなりの精度だ。少なくともぱっと見では男性とは気づかない。
エトワールの人はみんなこんなことができるのかな。
「これで着替えて…女性としてあの塔に忍び込みます、もし私の素性を怪しまれ後々調べられるようなことになっても、私という女性は存在しない架空の人物なので足もつきません」
「なるほど…でも体つきが男性のままですよ」
「そこはほら、こうすれば」
「ちょ!?何!?」
とアド・アストラの制服に着替え直したステンテレッロさんはそのまま流れるような動きでエリスとメリディアを胸へと納め…。
「巨大化!」
の一言と共に胸へ納められたエリスとメリディアの二つのボールはグンと巨大化し、見えないが…多分それなりの大きさの乳房のようにステンテレッロさんの胸にぶら下がっている事だろう。
「って私達をパッド扱いするなー!」
「これがおっぱいの気分…」
「あははは、さぁさぁ参りましょう!いざや行かん敵の寝ぐら!」
こうしてエリスはレイバンの居る翡翠の塔へと忍び込むこととなった…ステンテレッロさんのおっぱいとして。まぁ変な感覚だが得難い経験だ、幸い彼の服の隙間から外の様子は伺えるし耳は無くなっても何故か音を聞いたりすることは出来る。
後はステンテレッロさんがうまくやってくれることを祈ろう。
「……大丈夫か?それ」
なんて師匠の呟きは、今は聞かないことにしよう。
「…もうすぐ翡翠の塔へ入ります、合図をするまで喋らないでくださいね」
なんて言ってる間に翡翠の塔はもう目の前だ、ここから先は本当にやばいとばかりにステンテレッロさんの声音も自然と低くなる。初めて聞く彼の真面目な声にエリスもメリディアも押し黙る。
「あのぉ、失礼しますぅ」
「ん?なんだ…ってうぉ!、すげぇ美人…」
と、ステンテレッロさんは翡翠の塔に入るなり見張りの衛兵に裏声で声をかける。男性の裏声…というにはあまりに美しいその声に思わず衛兵も目を見開く。
本当に芸達者だなこの人。
「実は私、レイバン様にご用があってきたのですけど…この塔の何処らへんにいるかってぇ、分かりますかぁ?」
「レイバン様に?」
「はいぃ、先日クラブで大変お世話になりまして。何かお礼でもと思いまして…」
「クラブで…ふむ、だがあの人は幹部フロアにいる。そこへの立ち入りはできない」
「ならその前まででいいので案内してください。そこから先はちゃんと手続きをして登りますので」
「そうか?、まぁ…分かった。アド・アストラの制服を着ているし星証もつけているし。怪しい人間ではあるまい、幹部フロアの手前までなら案内する。そこからは係の者に従って正式なアポを取れ、まぁ…あのお方は忙しいから会えるのは何時間後になるかわからんがな」
と見事に兵士を手玉に取り幹部フロアの前までの案内を確約させる。しかし手続きなんて出来るのか?そんなことしたら色々マズそうだけど…。
なんて言っている間に翡翠の塔内部へと案内されるステンテレッロさん。廊下を少し渡るとそこに用意された転移魔力機構を使い、あっという間に上層へと招かれる。
昔はクソ長い階段をえっちらおっちら登っていかねばならなかったのに…進歩するもんだなぁ文明ってのは。
「ここが翡翠の塔三十階だ、ここから上がレイバン様のいる幹部フロアだ」
「なるほどぉ」
「では、これより面会アポの手続きをする、ここに座って待っていろ。今係の人間を呼んでくるから」
とステンテレッロさんが招かれたのは幹部フロアの一つ下の階層、そこの小さな個室に通され室内に置かれた簡素なテーブルに座るように指示される。
このまま行けばアポを取る為手続きをしなくてはならなくなるが、そうなると身分証明だの謁見理由だのを証明しなくては行けなくなる…そうなっては潜入どころではない。
「分かりました、では…」
とステンテレッロさんはちらりと机の上のペン立て確認するなり、机の前の椅子に座り……。
「少々失礼」
「え?」
と見せかけてくるりと反転、係の人間を呼びに行こうとした兵士のうなじをがっしりと掴み。
「『トリックカモフラージュ』…」
「なっ!?」
兵士に向けて例の偽装魔術を使うのだ。すると兵士は瞬く間に光に包まれ…後に残ったのは彼の手に握りれた小さな一本のペンだけだった。
変えてしまった…兵士をペンに。
「失礼、暫くここで大人しくしていてください」
「ちょっと!?そんなことして大丈夫!?」
「ええ、今回は意識も消しましたのでこの兵士さんは暫くペンとして振舞ってくれるでしょう、それに時間が経てば勝手に元に戻ります」
そう言いながら兵士だったペンを、そのまま机の上のペン立ての中に紛れ込ませる。なるほど考えたな。
もしこのまま兵士が元に戻り、襲撃を受けたと…自分が襲われたと言う話を報告したとしても、きっと兵士は『正体不明の女に襲われた』と報告する。
しかし実際はそんな女なんてこの世にはいない、襲ったのは女に見えるステンテレッロなのだから。故にその線で探してもエリス達には決して辿り着かない。
辿り着かないから疑われない、疑われないならバレない。バレないと言うことは完全な隠密である…と言うことだ。
兵士が襲われたと言う事実こそ残るが、それでもエリス達に到達しなければ良いし…。
何よりこの一回で終わらせるつもりだから、警戒されようが何しようが構うまい。
「では失礼して」
兵士をペンに変えたことでこの場は無人となった、係の人間も近くにいないし居たとしても同じ手順で消して仕舞えば良いだけだ。
故に彼は堂々と階段を登り上のフロアへ、レイバンのいる幹部フロアへと徒歩で向かう。
「フンフン……」
もはやここまでくれば鼻歌を歌う余裕もあるようだ、その理由はさっき兵が言っていた。
ここには用もなく一般の兵士は立ち寄れない。見張りは基本下のフロアにいて幹部フロアにはあまり人はいない。
事実今エリスが見る限り幹部フロアには人がいるようには見えない。外側の警備は厳重だが一度中に入ってしまえば…というよくある奴だ。
「さて、レイバン様はどちらにいらっしゃるのでしょうか」
「普通に考えれば自分の仕事部屋じゃないの?…って、その仕事部屋の場所が分からないのか」
「これは一つ一つ部屋を改めていくしかありませんね」
ここは総当たりしかない、あんまり時間をかけると先ほどペンに変えた兵士が元に戻ってエリス達の潜入が露見する恐れがある。だがだからと言って変に横着すれば逆に時間がかかる。
こういう時は、落ち着いて比較的確実性の高い選択を取るべきで……。
「む、話し声が聞こえます」
「え?」
ふと、ステンテレッロさんが何かを感じてとって首を曲げる、何かの話し声が聞こえるというんだ。それと同時に実はエリスも感じ取ってんだな。
エリスの魔力感知能力にとある存在が引っかかった、その魔力は遠く離れていても分かる程濃密でありエリスの記憶に刻まれた数多の魔力達の中でも一層強力な気配。
そして、それが放たれる方向とステンテレッロさんが向いた方角は同じ…。つまりあっちにいるんだ。あの人が…。
「ステンテレッロさん、そちらに行ってみてください」
「ええ、恐らくですが居ますね」
「え?え?二人とも何?私分からないんだけど」
「シッ、静かに」
そう言うなりステンテレッロさんは動き出し…ってすごぉっ!?、こんなに早く駆け抜けてるのに足音がまるで出ない。おまけに動きそのものに無駄が一切ない…、なるほど。元魔女四本剣の一人プルチネッラさんの教え子は伊達じゃないか。
「……こちらです」
限りなく小さな声で伝えると共に張り付く扉、幹部フロアの中でも最奥に位置するその扉は…実はエリスは知っている。エリスは一度この扉を潜ったことがあるしこの奥にも行ったことがある。
部屋の名前は『連合軍総司令官室』。つまり…デルセクト最強の軍人グロリアーナ・オブシディアンの居室なのだ。
つまりエリスが感じ取った気配とは即ちグロリアーナさんの魔力、そしてステンテレッロさんが聞いたのも恐らくグロリアーナさんの声…いや彼は『話し声』と言ったな。
人間一人では話は出来ない、とするとこの部屋にはもう一人…誰かがいることを意味しており。
『そろそろ、ご理解頂けませんかな。グロリアーナ総司令官殿?』
(っ!レイバンの声!)
部屋の奥からレイバンの声がした。エリス達が探しているアド・アストラ幹部のレイバンが今グロリアーナさんの部屋にいるんだ。
何を話しているのかはまだ分からない、だが彼が出している声音は酒場で発している豪放磊落とした朗らかな声ではなく、ネットリとベタつく油汚れのように嫌悪感を催す猫なで声…楽しく談笑はしていないようだ。
『理解?、何度も申している通り私は貴方の仲間になどなりませんよレイバン。よりにもよって私にまでメルクリウス様を裏切れなどと…。些か調子に乗りすぎではありませんか?』
『いやいや、調子になど。ただちゃんと未来を見据えているだけですよ?私は。マーキュリーズ・ギルドを掌握しつつある私はいずれこの権利を使ってラグナ大王からも軍の実権を奪うつもりです。そうなった時…貴方が今と同じ総司令の座に就いていられるか、私の顔色を伺いながら酌をするだけの女になるか、ただそれだけの話です』
『くだらない、平等な議会制をお題目として謳っておきながら目的は軍の掌握?結局貴方がひとり勝ちするだけではないですか』
『ええ、そうですとも。デルセクトの男として生まれた以上…誰しも夢に見るでしょう?下克上を』
『レイバン……!』
グロリアーナさんの声からは明らかに怒気が伝わってくる。対するレイバンはまるで挑発するように滲み出る野心を隠そうともしない。
結局のところ、レイバンの目的とはそれなのだろう。みんな平等な議会制は飽くまでお題目、六王を引き摺り下ろす建前であり引き摺り下ろし議会を作った後誰も自分に逆らえない状況を作り、事実上の一強状態へと持ち込むこと。
まぁ今更驚きはない、そのくらい考えてそうだなとは思っていたから。…まぁグロリアーナさんからすれば受け入れ難いだろうが。
『最近の貴方の行動は目に余ります。メルクリウス様の配下誑し込み、メルクリウス様が手をつけてきた事業に唾をつけ、剰え彼女の部屋にまで踏み入った…許されないことですよ』
『私はただこの場にはいない彼女の代わりになろうと頑張っているだけですよ。今アド・アストラは強い指導者を必要としている…なのにそれを担える人間は不在。誰かがやらねばならないのです』
『詭弁ですね、どこまでも』
レイバンはどんどんメルクさんの領域を侵害しているようだ、それはつまり彼女に取って代わろうとすると行動に他ならず未だメルクさんに忠誠を誓うグロリアーナさんからすれば到底受け入れ難いものだ。
『フッ、ですがねレイバン。貴方の夢も直ぐに醒めます、メルクリウス様がお戻りになれば…貴方のただ闇雲に膨張しただけの勢力など一瞬にして切り崩される』
『それは怖い、ですが…あまり都合のいい希望は持たない方が良いかと思われますよ』
『何ですって?どう言う意味ですか』
『いえ、これは単なる私の想像でしかないのですが…。メルクリウス様が戻られる可能性もあれば、そう…無残な死体となって何処かからひょっこり見つかる…なんてことも十二分にありえるわけですからな』
『貴様…ッ!メルクリウス様に何を!』
『何も、今はね。ただ私はここに貴方を誘いに来ただけです…その時が来るまで別の答えを用意しておいてください』
『待て!レイバン!まだ話は…』
「む…」
刹那、レイバンがこちらに引き返してくる足音が聞こえステンテレッロさんが眉を顰める。やばい…見つかる。
「フッ、強情なお方だ…」
扉をあけて総司令官室を出て行くレイバンを、エリス達は下に見送る。咄嗟に扉から離れ天井に張り付いたステンテレッロさんの機転で露見は免れた…だが。
「あいつ、もしかしてメルクリウス様を殺す気じゃ…」
メリディアが静かに呟く。今の話の内容を聞くに…まぁそうだろうな。レイバンはメルクさんが行方不明なのにかこつけて秘密裏に殺す気なんだ。そして、奴は既にチェックメイトの段階に差し掛かっている。
思ったよりも時間がなさそうだぞ。
「どうするの?エリス、ステンテレッロ。このままレイバンを追う?」
「いえ、このままレイバンを追いかけレイバンの周りを探るのは難しいでしょう」
「なんで…」
「もう奴は『メルクリウス様を探す』段階にいない。今彼に張り付いても確実に後手に回るからです」
エリス達はレイバンがまだメルクさんを探していると言う前提でここに来ていたが、どうやら奴は既にメルクさんの居場所の確たる情報を握っているようだ。
となったらレイバンはこれからどうする?、メルクさんを殺すために自分で剣を持ってその場に赴くか?、そんなことするはずがない。
レイバンは既に部下を動かし奴はその報告を待つ段階にいるんだ、今レイバンに張り付いても得られるのはきっとその報告の内容だけ…そして最悪それはエリスにとって最も聞きたくない話である可能性が高い。
レイバンを探るには一歩遅かった。
「じゃ…じゃあどうすんの、悉く狙いが外れまくって今回もハズレで…。そしてタイムリミットが目の前だけど」
メリディアさんが声を震わせ言う。それは真実であり今は見たくない現実だ。
いや待て、待て待て。違う。
「いえ、落ち着いてくださいメリディアン隊長。今回ばかりはハズレじゃありませんでしたよ」
「え?どう言うこと?」
「収穫はあったということです」
「え?え?あった?」
ありましたよ、特大級の収穫…それは。
「レイバンはメルクさんの居場所を知っている…これが今回の確かな収穫です」
グロリアーナさんもエリスも知らないけれど、レイバンは知っている…メルクさんの居場所を知っている。これを知れたのははっきり言って特大の収穫だ。
「え?ってことは今からレイバンを尋問するとか?」
「そんなことする必要はありません、それよりステンテレッロさん!エリスを元に戻してください!時間がありません!」
「はいはい、ではお二人とも!元にお戻りなさい!」
その言葉と共に投げ出された二つのボールは中空にて光を放ち、瞬く間に人の姿に戻り…。
「よっと!、急ぎましょうメリディア隊長」
「ど、何処へ?」
着地すると同時に再び戻った両手足の感覚を再確認し、エリスは顔を上げる。
どこへ行くって?決まっている。
「メルクさんの部屋です!」
「メルクリウス様の部屋?…っ!何でそんなとこに!」
そのまま地面を蹴り上げ記憶を辿りメルクさんが仕事をしていた部屋を思い出し全力で走る。そんな全霊で走るエリスに軽々と並走するメリディアは未だに首を傾げている。
何が何だかわからないと。
「そもそもレイバンを追わなくてもいいの?」
「今からレイバンを追っても間に合いません、それよりもエリス達は今一つの確信を得ましたよね?それを確認しに行かねばなりません」
「だからその確信って…」
「レイバンはメルクさんの居場所を知っている。だけどあの口ぶりで行動からしてそれを知ったのはつい最近、つまり彼がメルクさんの居場所を知るに至った何かが最近あったという事です」
「あ…ああ、確かに。グロリアーナ総司令官への関与を始めたのは最近っぽい口ぶりだったね、それはメルクリウス様の居場所を見つけたから…ってことか、でもどうやってそれを知ったかは分からなくない?」
「彼は慎重な性格です、肝心なことは自分の目で確認しなければ気が済まない…つまり最近の彼の行動の中にメルクさんへの道がある、そして最近行った行動と言えば…」
「メルクリウス様の自室に踏み入った…ってことか」
「そう、きっとそこになにかのヒントがあったんです。それを元に彼はメルクさんの居場所を割り出し…そして発見した。ならこれからメルクさんの部屋に向かえば!」
「なるほど!一気にレイバンと同じ段階に立てる可能性があるってことか!ようやく理解出来た!」
そうだ!、全体像を未だ把握していないエリス達が一気に全てを知っているレイバンと同じ段階に立つにはレイバンと同じ情報を得るより他ないのだ。エリス達はレイバンと同じ段階に立ちその時点でようやくメルクさんの捕縛に動き出したレイバンとメルクさんの争奪戦に参加することが出来る。
もう一刻の猶予もない、レイバンはメルクさんを殺すつもりだ…ならどんな戦力を突っ込んできているか分からない。今のメルクさんがどういう状態にあるかは分からないが…最悪の可能性とはどんな状態でも付きまとう。
それが嫌なら走るしかない、一刻も早く。
「おっけー!分かったよ!なら!」
「お?おお!?」
「急ぐよ!こっちだよね!」
エリスを追い抜いてさらに加速するメリディアはエリスの前を走ると共にエリスの手を引き更に更に加速する。魔術抜きでこのスピードが出せるのか!?ちょっと信じられない脚力ですよ!。
「は…速いですね!メリディア隊長!」
「足の速さには昔から自信があるんだ。この足が役に立つならいくらでも使うよ!エリス!!」
「あああありがとうございます!!!」
ぐんぐん加速していく足は残像を残し土煙を上げながら真っ直ぐに廊下を駆け抜ける。このスピードをエリスを引っ張りながら出してるんだから驚きだ。出来る限り身軽にしてやれば水の上も走るんじゃないのかなこの人。
なんて余計なことを思っている間にエリスとメリディアは二人ともメルクさんの仕事部屋の前へと到着し。…ってやべ!ステンテレッロさん置いてきちゃった!。
まぁいいか!後で来るだろ、今はそれより。
「ここがメルクリウス様の仕事部屋…、六王の…部屋。なんか緊張してきた…」
「躊躇っている場合じゃありませんよ、早くこの中にあるだろう手かがりを見つけてメルクさんを助けに────。」
思い切り扉を開けて、メルクさんの豪奢な仕事部屋へと飛び込むと…そこには。
「あ……これ」
「…………」
飛び込んで見たその景色を前に、エリスとメリディアは目を見開く。六王メルクリウスの仕事部屋…行方不明の彼女がどこにいるか、そのヒントが隠されているであろその部屋…。
そこにあったものは……。
「まぁ…まぁ、だよね…そりゃあそうだよ。そうだけどさ…こりゃああんまりじゃないか」
そこにあったものは、何もなかった。
本棚は空、机の上は真っさら、引っ越し初日のように何もない真っさらの部屋を前にしてメリディアが項垂れる。
ここに来て、この場に及んで、またハズレか…と。
「もう時間ないんでしょ、ここが最後の頼みの綱なんだよね、それが…また空振りって」
「………………」
「でも考えてみりゃあそうだよね、あのレイバンが…メルクリウス様に繋がる物をそのままにしておくわけがない」
そうだ、きっとこの部屋から多くのものが持ち出されたのはきっとレイバンの仕業だ。エリス達のようにメルクさんの行き先を探そうとする者を妨害する為か、或いは何かしらの用心のためか…部屋にあった物品は全て持ち出されていたのだ。
何か手がかりになりそうな書類は一枚もない、何かを指し示すような特別なものは何もない、棚も机も何もかも綺麗に掃除されている。
上手く先手を打たれたのだ。
「……最初から、無理だったんじゃないかな。私達で六王を見つけ剰え助けようなんてさ」
「………………」
「そもそも今の今まで全ての手かがりが無駄になってきていたのに、ここに都合よくあるわけがなかったんだ、私達は…夢を見てたんだ」
項垂れ膝をつくメリディアの心はもうボッキリ折れている。いや或いは彼女は何処かで無理だと思っていたのだろう、押し殺していた諦めの心が…遂に表に出てきたのだ。
それを咎めることはしない、仕方のないことだ。
「ねぇ、もう諦めよう。早く帰って…それで何食わぬ顔をしていよう。でないと私達ここに無断で立ち入ったってレイバンに敵視されて…」
「…………」
「そうなったら今度こそエリスは終わりだよ…、エリス?ねぇ聞いてる?」
「…………」
だが、エリスはその言葉に耳を貸すことなく…ただ一人で何も残っていない部屋の中に入り込み、あちらを見てこちらを見て…何かないかを探す。
未だ諦めず、未だ折れず、何かを探すエリスの姿を見たメリディアはわなわなと震え。
「もしかしてまだ諦めてないの?」
「…はい」
「いや、だってここには何も残ってないんだよ?。まだ探すの?」
「はい」
「無駄だよ、何も見つからないよ、だって何もないんだもん…いい加減諦めなよ、エリス」
「無理です」
確かに何もないよ、確かに先手を打たれてるよ。
だけど、だけど…。
「諦めるって、まだここで何もしているじゃないですか。無駄だって切って捨てるには早すぎます」
まだ早い、諦めるってのは行動の果てにある終止符のことを言うんだ。行動する前から諦めるってのはただの逃げだ…エリスは逃げたくない、少なくとも友達の命がかかっているこの場面では。
「嘘でしょ…本気なの」
「はい、…ふむ。確かに物は取られてますけど、何か妙な取られ方ですね」
エリスは部屋を探ってこの部屋に真の意味でこの部屋には何もないわけではないことを知る。
よく見るといくつか残されている物がある。例えば…。
「メリディア隊長、いくつか物が残ってます。机の上に数本のペンがありますし戸棚の中にはティーカップもあります。何にもないわけではないんですね…これ」
「何もないも同然だよそんなの、なんのヒントになるっての!それでメルクリウス様の居場所が分かるの!?」
「この場合、ペンやティーカップが残っている理由を考えるより何故それら以外が持ち去られたかを考えたほうがよさそうですね。例えばほらこの小物入れ…恐らく金品が入っていただろうに中身だけが持ち去られています」
「それが何?大方レイバンの部下がドサクサに紛れて持ち去ったんでしょう?」
「何故小物入れだけを残したんですかね、…あ。見てくださいこの戸棚。多分本棚だったと思うんですけど中の本も持ち去られてます、娯楽小説とかもあったでしょうにそれらもレイバンは持ち去ったんですかね?」
「知らないよそんなの…」
「…あ見てください、このティーカップよく見ると新品です、一度も使われてません。なら持ち去られたはよく使われている方?売ってしまうなら新しい方を持ち去りませんか?普通」
「……あのね、エリスちゃん」
ぬるりと立ち上がるメリディアはヨタヨタと歩き、あちこちを見て回るエリスに近くなりその腕を掴み。
「いい加減…諦めようよ。諦めるのがそんなに嫌?でも世の中どれだけ切望しても叶わないことはあるんだよ?それを前にジタバタ暴れても苦しいだけ…、ならもういっそ諦めて…!」
「諦めて…どうするんですか?」
「え?」
悲痛な叫び、諦めろと語るメリディアさんはあまりにも痛々しい。あんなに胸を叩いて助けてくれるって言ったのに無責任なやつだなんて想いやしないけど、それでも何故そうも諦めることを推奨するのか。
それは彼女が何かを諦めてきたからか?なら今はそんなことどうでもいい。何より…。
「諦めて、その後どうするんですか?」
「そんなの…出来る限りそのことについて考えないようにして、努めて忘れるようにして…なかったことにして…」
「そうして忘却という土を被せて…心の底から願った想いをなかったことにする、ってことですか?」
「そうだよ、それが一番…」
「無駄ですよ、何したって心に残るのが願いなんです。見ないフリしても忘れたフリしても意味はない…だから命尽きるまで付き合い続けるしかないんです、願いというのはそういうものでしょう」
「あんた…強すぎるよ…」
強いかどうかは今関係ない気がするが、しかしこれ以上時間を無駄に出来ない…何か微かなものでもいいから見つけないと。
エリスから手を離し項垂れるメリディアさんは…。
「そりゃ私も精一杯助けるつもりだったよ?こんな私でも役に立てるならって思ってるよ?、けどどうしようもなくない?これは。本棚は空…机の上も綺麗さっぱり。金庫まで開けられてるんじゃもう何も残ってないよ」
「それはそうかもしれませんが…ん?」
金庫が開けられている、そう言われエリスは部屋の奥に置いてある小さな金庫が開けられていることに気がつく。当然開けられた金庫の中には何も残ってないが…問題はそこじゃない。
この金庫、壊されていない…正規の方法で開けられている。
「この金庫…ダイヤル式の鍵が取り付けられているんですね」
「まだ、何かあるの?」
「何かも何も、これは絶対におかしいですよ…。だってなんでレイバン達がメルクリウス様の金庫の番号を知ってるんですか」
「それは…あー…んー?、なんでだ?」
「その答えは一つ…この金庫を開けたのは、レイバン達じゃないから」
メルクさんの金庫の番号を知っている、それはメルクさん本人か…或いはメルクさんに番号を聞いた人間でなければならない。
レイバン達では開けられない、とするとこれは…。
そう感じ金庫の取っ手に手をかけると…、取ってから伝わる妙な感触に眉をひそめる。
「ん?これ」
「どうしたの?、なにか…あったの?」
「ええ、これ見てください。金庫の取っ手に白い粉が付着しています」
「え?あ、本当だ」
何か流れの変化のようなものを感じたのか、ゆっくりと起き上がるメリディアはエリスの指先についた白い粉を見て首を傾げる。
「なにこれ」
「これは……」
この粉は何か、エリスも分からない。だが最近似たようなのを見た…指先を白い粉で汚しながら仕事をする少年の姿を。
これは……。
「これは、恐らく粉末ワックスです」
「粉末…ワックス?」
「ティム君が靴磨きに使っている物です。そして彼はそれを素手で掴んで仕事をしている…ならそんな手で掴んだ物にもワックスが付着していてもおかしくないです」
「ちょ!ちょっと待って?じゃあ何?…ここにティム君が居たってこと?そんなバカな…」
「…………」
考える。もう手がかり探しは終わっているはずなんだ、今まで無駄に終わったと思われるありとあらゆる情報収集も…実はきっと正解に通じているはず。
そう信じて全ての証拠を頭の中で組み立てる、そうしていけば自然とその中心にやってくるのは靴磨きのティム。そして彼を拾ったのは……。
「全て分かりました」
「え?分かった?」
「はい、ティム君がここにいた理由も、今メルクリウス様が何をしているかもどういう状況かも、それを見つけ出す方法も…全て分かりました」
「嘘…なんで」
「真相は簡単ですよ、けどその前に…会いに行きましょうか。メルクリウス様に」
指先についたワックスを払い、エリスは動き出す。
遂に見つけた…メルクさん、あなたが今どこで何をしているか…ようやく掴めました。