320.魔女の弟子と初仕事
アド・アストラ内部に存在するであろう内通者とロストアーツを持ち去った新生アルカナを追うため、アド・アストラの新米兵士として潜り込んだエリスの新人軍人生活が今始まった。
初日はちょっとだけ問題はあったものの、それでも恙無く終了しエリスはアド・アストラの軍人として迎え入れられた。
これからはメリディアの率いる部隊として活動しつつ、裏切り者を探す日々が始まる。
とは言うものの、やはり簡単ではない。仕事をしながらアド・アストラに探りを入れると言うのは。
「…………あの、隊長」
「何?エリス」
エリスはアド・アストラの軍人となった、幼馴染のメリディアの部下になった、これから軍人としてやっていく、そこはいい。そこはいいんだが…。
何故、エリスは今馬車に乗って平原を進んでいるんだ。あれ?軍人では?それとも昨日の騒ぎが原因でエリス達まとめて更迭?んなバカな…。
「あの、何の説明もなく馬車に乗せられ、こうしてどこか分からない場所を走っているわけですが。これから我々はどこに向かうので?」
「あ、あれ?説明してなかった?」
「おいメリディア、新米に説明はしっかりしろとあれほど…」
「ちょ!ちょっと忘れただけだよ!クライヴ!」
ちなみに今エリスは馬車の中と思われる狭苦しい空間の中で身を丸めるようにして座っている、目の前には隊長メリディアと同じくムルク村出身のクライヴ、そして新米軍人とドヴェイン君とシーヌちゃんが乗っている。
五人で乗るサイズの馬車じゃないよこれ。
「おほん、えっと。今日は訓練ではなくアド・アストラの兵士としての仕事をしていくの。その場で説明するより現地で色々経験させた方がきっと覚えやすいだろうしね」
どうやら今日はアド・アストラの兵士としてしっかり仕事をしていくそうだ、まぁ兵士とはいえ年中訓練場で鍛錬してるわけじゃない。しっかり各々に仕事があるのだ。
だから朝早くから転移魔力機構を使って何処ぞに飛ばされて今に至るわけだが。
「それで、私達は今どこに向かっているんですか?」
「今日はアジメクの隣国シトゥラの農村だ」
隣国シトゥラ、確か非魔女国家のエラトスの隣ある非魔女国家だ。なるほど、エリスが飛ばされたのはアジメクの隣国だったのか。
しかし、隣国にわざわざ飛んで、小隊引き連れて軍人達が何の用なのだろうか。
「私達アド・アストラの仕事は多くあるけれど、私達小隊のメインの仕事になるのはこのマーキュリーズ・ギルドの商人の護衛だよ」
「商人の…護衛ですか?」
「そう、非魔女国家には魔獣も出るし、何よりマーキュリーズ・ギルドをよく思わない人たちもいるからね。そう言う人たちから商品と商人を守るのもアド・アストラの仕事だよ」
なるほど、マーキュリーズ・ギルドはアストラの下部組織故アストラを支援してくれる存在でもある。だが同時にアストラもギルドを守ると言う取り決めもある。
これはその一環なのかもしれないなとエリスが腕を組むと。話を聞いていたドヴェイン君が徐に狭い馬車の中で立ち上がり。
「それ…軍人の仕事なんですか?」
そう言うのだ、まぁ遠回しに言えばこんなの軍人の仕事ではないだろうと。そりゃそうだよな、軍は国家のために働く存在。決して商人や商会に肩入れして使いっ走りにされてやる義理はないし、そんなことしてる軍は何処にもない。
商人はみんな個人で傭兵を雇って護衛にするのが普通、つまり今エリス達は個人の傭兵と同程度の扱いを受けていると言うことだ。誇りあるアジメク軍の一員がだ。
納得は出来まいよ。
「うん、そうだね。仕事だよ」
「もっとこう…魔女排斥組織を倒したりとか!アド・アストラの敵や世界の脅威と戦ったりとか!、そう言う仕事は…ないんですか?」
「…そう言うのは、ウチの主力部隊…強者達の仕事。私達木っ端の仕事はそう言う足元を固めると言うことであり…」
「つまりそう言う栄えある仕事はアルクカース人が独占してるってことじゃないですか!」
何故そうなる…、と言いたいが彼は先日ライリーにぶちのめされた件を根に持っていると言うかなんというか。かなりアルクカースへの当たり険しくなっているのだ。
まぁ殴られて殺されかけて『自分が弱かっただけだから』で済ませられるほどの器を新人たる彼に要求するのはおかしかろう。
「そう言うわけじゃないけど…」
「僕は!誇りある軍人として!祖国のために働きたかったのに!こんな…こんな使いっ走りみたいな真似をさせられるなんて…!」
まぁそれ言ったらエリスだって今日はアド・アストラ内部で聞き込みとかしたかったですよ、けどそれを言ったらキリがありませんよね。
「ドヴェイン君」
「…なんだよ、エリス」
「座りなさい、そんなこと言っててもキリがないですよ」
「君はいいのかい!試験で優秀な成績を残した君がこんな扱いを…!」
「貴方の望む仕事は責任が伴う仕事です、…こう言う使いっ走り一つにさえ責任が持てないうちは任せられないんじゃないんですか?」
「うっ…くぅ」
エリスの言葉に押し黙らされ座り込むドヴェイン、あの後エリスがライリーを撃退したことを聞いているからか、これ以上食ってかかってこない…。
この狭い馬車の中で立たれたら余計狭苦しいったらないからね、それに今はもっと別のことに集中したい。
「エリスちゃん、ちょっと言い方きつくないかな…」
「いえ、それよりももっと話を聞かせてください」
「何かな…?」
「今、アド・アストラは困窮しているんですよね。内部もかなり荒れてるって聞きました、なんでそんなに荒れてるんですか?例の事件とやらが関係が?」
「ず、ずいぶん食いついて聞いてくるね。そんなに知りたい?」
「自分の職場になる組織ですからね、内情は早いところ知っておいたほうがいいです」
「それもそっか、そうだね…荒れてるね、今は特に」
するとメリディアさんは静かに膝に手を置き、隙間から見える外の景色に目を向ける。これから話す事を真正面から受け止める覚悟がないかのように。
「アド・アストラは例の魔女排斥組織の襲撃によってかなり大きな損害を被ってね」
「風の噂で聞きましたが、なんでも特大の兵器…ロストアーツが盗まれたとか?」
「もうそんなに広まってるの?箝口令が敷かれてるはずなんだけどな…、まぁそうだね。ただそのロストアーツの製造の責任者だったのが六王の一人メルクリウス様でね。その責任云々でゴタゴタしてるんだ」
その話まではメグさんから聞いているから驚きはあまりないが、聞いておいてノーリアクションはあれなので『そんな…』と添えるようなリアクションだけを置いておく。
エリスが聞きたいのはその先…。
「ゴタゴタって、具体的には…」
「幹部の一人であるレイバンって言う人が主導でメルクリウス様や六王様を引き摺り下ろして、平等かつ公平な議会制にてアド・アストラを運営しようって言ってるの」
「議会制ですか…」
議会っていうと、選挙とか投票で代表者を複数人決めて、その会議によって運営していくスタイルになるのだろうか。まぁアド・アストラほど巨大な組織であれば或いはそういうのもありなのかもしれない。と言ってもエリスには組織運営の知識はないし、なんとも言えはしないが。
だがいいことが聞けた、メルクさんを引きずり降ろそうとしているのは『レイバン』という幹部だな。しっかり覚えておこう。
「ありがとうございます、レイバン…ですか」
「まぁ私達下っ端には全然関係ない話だけどね、正直指揮とってるのが一人になろうが百人になろうが変わりはないっていうか」
「そういうメリディアさんはレイバンの唱える議会制には賛成なんですか?」
「んー…そうだね、賛成か否かは難しいけど。…今のメルクリウス様には、無理なんじゃないかな、アド・アストラを束ねるのは」
「それはどういう意味ですか?」
思わず、語気が強くなってしまったのを恥じる。間髪をおかず聞いてしまう。それはどういう意味だと…、メルクさんには無理だって?あの人がどれほどの人間かメリディアは知ってるのか?。
「どういう意味って…そりゃ…」
「メリディアはメルクリウスの所為で屈辱を味合わされたからだ」
「ちょっ!クライヴ!新人に聞かせる話じゃないよ…」
「本人が聞いてるんだ、聞かせてやれ」
「……屈辱?」
屈辱ってなんだ、メルクさんがメリディアに何をしたっていうんだ…。
「エリス、お前はメリディアがアジメクの近衛隊長を務めていたのは知っているな?」
「ええそれは知って…、ん?務めて『いた』?」
そこまで口にしてふと思い出す、確かメリディアはエリスに挨拶するとき…。『元』近衛隊長と名乗っていた、その時はてっきりアド・アストラに所属するにあたってかつての階級や役職が消えたものとばかり思っていたが、それじゃあおかしいんだ。
アルクカースのライリーが今も第一戦士隊の隊長と名乗っているなら、メリディアも元近衛隊長だなどと名乗る必要はない、アストラの役職とその国での役職は据え置き…つまり別物なんだ。
じゃあ、メリディアは…。
「そうだ、メリディアはメルクリウスによって近衛隊長の座を解任されている」
「なっ!?なんでですか!」
「それは、メリディアがメルクリウスよりロストアーツを賜った者の一人であり、そのロストアーツを守り切れなかった唯一の人間でもあるからだ」
「…………」
ロストアーツを守りきれなかった?、てかメリディア凄いじゃん…いやそっちじゃなくて、ロストアーツを守りきれなかった事が由来でメリディアは近衛隊長をやめさせられている、しかもメルクさんが命じた所為で。
「そんなのまるで…」
「まるでじゃない、メルクリウスは自身の窮状をメリディアに転嫁しその責任を取らせたのだ、自身の作り出した兵器を勝手に押し付けておきながらいざそれを奪われたら自身の責任を棚上げしてメリディアに擦りつけた…、屈辱と言わずしてなんという」
「………………」
…い…いや、いや。まぁそうだよね、クライヴはそう言うが一度は預けられたものである以上メリディアに管理の責任はあるわけで、それを守りきれなかったならそれなりの責任は取るべきで、だからメルクさんは別に間違ったことは……。
(って違うだろ!そうじゃない!何メルクさんの擁護に頭を使ってるんだエリスは!問題はそこじゃない!)
拳を握り膝を叩く、違う違う!メルクさんが正しいかとかメリディアが可哀想とかそうじゃない!。
エリスの知るメルクさんはそんな事をする人間じゃない!例え任せたものであれ全面的にメリディアに責任を負わせるような人じゃない!ましてや自分の責任の追及から逃れるため!八つ当たり紛いの責任転嫁をするような人じゃない!。
だがクライヴの言う事をそのまま聞くなら、メルクさんはメリディアに責任転嫁し一人で激怒した挙句彼女から立場を奪ったことになる。
そんな…メルクさん、師匠の言う通り…本当にこの三年で変わってしまったんですか。
「お前が怒るのも無理はない、本来ならメリディアはライリーと同様か複数の小隊を率いる大隊長の地位にいてもおかしくはない…というか、以前はそういう立場にいた。だがメルクリウスが激怒したが故に…今じゃあ新人しか居ないこの隊を押し付けられ、半ば左遷という形でこんな仕事を押し付けられているんだ」
エリスが押し黙り膝を叩いたのをメリディアへの憐憫として受け取ったのかクライヴは腕を組み、彼もやや苛立ったようにため息を吐く。恐らく彼もそのとばっちりを食らってここにいるんだろう。
おかしいとは思ったんだ、メリディアほどの人間がこんな小隊を率いているなんて…。
「やめなよクライヴ、私はメルクリウス様が間違ってるとは思ってない。私が任された責任を全うできなかったから今はその責任を取ってるんだ」
「だがお前が守れなかったのはたったの一つ!、お前がロストアーツを守れていたとしてもメルクリウスの失態は免れなかった!だというのにお前一人を吊るし上げて!、あんな暴挙俺は許せん!」
「クライヴ…、メルクリウス『様』だよ。でも、確かに私を呼びつけて怒鳴り声をあげたメルクリウス様の様子はおかしかった、今のあの人にはもしかしたら組織を束ねるだけの余裕はないのかも…」
「怒鳴ったんですか?、メルク…リウス様が」
「うん、凄い事色々言われたよ」
……どうしてだよメルクさん、エリスの知ってるメルクさんはもっと責任感があってそれをまっとうする覚悟があって、何より正義に燃える人だったじゃないですか。
なんでそんな事を…。
「でもそう言えば。最近メルクリウス様の話聞かないね」
「え?、そうなんですか?」
「うん、騒動が起きてからも色々と動いてる話は聞いてたけど、ここ二、三日は音沙汰なしだよ。その間にレイバンはグングン勢力を伸ばしているのに」
「フンッ、レイバンの勢いに怖気付いて私財掻き集めて逃げたんじゃないのか」
「メ……!」
メルクさんはそんな人じゃない!そう言いそうになり堪える。少なくとも今はそんなこと言えない、もし本当に彼女が変わってしまっていたなら…そんな擁護なんと意味もなくなる。
…メルクさん、今どこで何をしてるんですか。お願いですから何事もなくいてくださいよ…、エリスは貴方を信じていますから。
「おーい、そろそろ目的地に着きますよー!、皆さんも準備してくださいね〜!」
「あ、はいニアームさん!」
するとそんな話題をぶった切り、ひょっこりと御者の席から顔を出す快活そうな少女がこちらに呼びかける。彼女はこの荷車の主人にしてエリス達が守るべき護衛対象。デルセクトの商人ニアームさんだ。
「見えてきましたよプラント村が、うへへ。彼処にはお宝の山が眠ってるんですよぉ〜」
「…そうなんですか?」
気を取り直すようにエリスは窓から顔を出してニアームさんに呼びかけると共に前方を見れば、確かに村が見える…、あれが目的地か?とてもお宝があるようには見えないが。
「ええそうですよ新入りさん、彼処にはね?大儲け出来る代物が眠ってるんですよぉ〜」
「大儲け出来る代物ですか」
「はいはい、彼処にあるとある物を買い取って売り捌くだけで莫大な利益を出せるんです、ボロい商売が出来るんです」
買い取って…か、なるほど。この商人は売るだけじゃなくて各地の物を買い取ってそれをまた他所で売り払うこともできるのか、効率よく出荷と仕入れをしているってわけかな。
そしてあのプラント村にあるとある物を売り払えば利益が出る。多分ニアームさんの目的はあの村で物を売るだけではなくその仕入れなのだろう、だが。
「そんないいものがあるならみんな彼処に殺到するんじゃないんですか?」
売れる物があるならみんなそれを手に入れたいのは道理だ。だから宝石は高いんだ。
「いやいやそういうわけにも行かんのですよ。我等が大将のメルクリウス様はそう言う『売れる物がある地域』に商人が殺到するのを避けるため商人達にそれぞれ『商売区画』を設定するように定めたんです」
ニアームさんが語るそれを要約するなら…。
マーキュリーズ・ギルドの商人達とて皆利益を出したいのは同じ、となればより良いものを仕入れることが出来る地域に出向き商売する方が効率が良い。だかそうなると良いものを仕入れることが出来る地域にだけ商人が集中しそうでない地域に物資が行き届かない事態が発生する。
だから商人一人一人に『お前はこの村とこの村とこの村でだけ商売をすることを許す、それ以外の村で商売をすることを禁ずる』と言う取り決めを作ったらしい。故に商人達は自分達が商売出来る村で良いものを探す為躍起になり商売にも身が入る…と言うことらしい。
商人達のやる気を引き出しつつ貧困にあえぐ村を助ける為の取り決めだ。…メルクさんらしい取り決めだ、なのに…今は変わってしまったのか?。
「あの村は金のなる木ってのはずっと有名だったんです。でもお上が許していない地域で商売したら二度とアド・アストラのポータルが使えなくなっちまうから誰もあの村に手を出せてなかったんですけど…、こいつがラッキーな事にあの村を担当していた前任者がどっかに消えましてね!」
「消えた…ですか?」
「大方儲け分の金を持ってどっかに逃げたんですよ、よくある事です。で!消えた前任者に代わって私が彼処の担当になったんです!いやいやラッキーですよぉ!これで私も大儲けのうはうはです!」
…なんか、妙な話だな。そんだけ儲けられるのに金を持って消えるか?普通。それとも儲け分をギルドに徴収されるのを嫌って逃げたとか…なのか?。
よく分からないが妙なキナ臭さを感じエリスは眉を顰める。
その胸の鼓動は妙な予感から来るものか、或いは…メルクさんの身に起こっている変化が由来なのか、分からない。
今はまだ何も分からない、ただ一つ言えるのは…。
エリスが旅に出ている間に、変わってしまったと言う事だろう。
世界も、人も、友達も…なにもかも。
そんな変化を前に鈍感であった己に、ただただ今は…情けなさを感じていた。
……………………
隣国シトゥラ、それはエリスがかつて居たギアール王国同様王政時代はアド・アストラを否定しつつも民衆は生きていくためにマーキュリーズ・ギルドの支援を受けているという歪な形の国だ。
マーキュリーズ・ギルドは手広くやってるからね、今じゃあ何処の村もギルドの運んでくる商品を買って生きている。
それはここ、農村プランタも同じだ。
エリス達を乗せたマーキュリーズ・ギルドの馬車が停まったのは一面草原と緑の木々が並ぶ平地に立てられた比較的大きな農村だった。エリスの経験から言わせて貰うとこの手の村は旅人の中継地点として使われていたりそもそもこの村特有の名産品があったりしてそれなりに村自体に稼ぎがある場合が多い。
そんな村にエリス達小隊とマーキュリーズ・ギルドの商人ニアームは馬車を停める、するとどうだ?。瞬く間に家の中から人々が現れ…。
「あらギルドさん、よく来てくれたわねぇ」
「丁度いい干し肉を切らしてたところだったんだ、助かったよ」
「こっちは食料が心許ないの、出来ればオライオン産がいいのだけれど今日はあるかしら」
「はいはーい!皆さん押さないでー!本部からたっっくさん物資を貰ってきましたからねぇ〜!」
そう言いながら銀貨袋を持って現れた住民達を前に満面の笑みで出迎えるニアームは一人で物を売りさばいていく。
マーキュリーズ・ギルドの商売はいつもこうだという。ポータルを使い非魔女国家に移動し、そこから最寄りの村まで馬車で移動。売り切ったら次の村へそしてまた次の村、商品が無くなったらまたポータルのある街まで移動しギルド本部に移動し倉庫から補充してまた出発。
ポータルがあるおかげで何処からでも仕入れが出来るし、何より特定の場所に依存せず何処からでも倉庫に移動出来るのは便利だ、メグさんと旅をしたことがあるからその利便性はよくよく理解している。
それを商売でやったら無敵だろう。
それに、ポータルがあるから本部からエリス達みたいな護衛をタダで連れてこれるし、エリス達もポータルで直ぐに本部に帰れる。転移魔力機構ってのは本当に便利だ…時代を変えてしまうくらいにね。
「凄い売れ行きですね」
「内陸地の村でも海の魚が食べられる、魔獣のいる平原に旅に出ずとも魔女大国の有用な品を買える、村に居ながら何処のものでも手に入る、その便利さを知っちゃったら財布の紐も緩くなるんだろうね」
なんてエリス達はボヤきながら商人の持ってきた大型の馬車の一角に設けられた小さな一室から顔を覗かせ外の様子を伺う。エリス達の仕事は商人がトラブルに巻き込まれそうになったらそれを助けるってのが役目だそうだ。
故に暇だ、手持ち無沙汰だ。いつもならこんな時間に修行をしたりするんだが…メリディア達の目がある以上師匠から指導は受けられないしなぁ。
「肉をくれ肉を」
「はいはい」
「お野菜あるかしら」
「こちらに」
「本も売ってるって本当かい?」
「勿論ですとも」
しかしニアームはまだ若いのによく働く、彼女達はお金を稼ぐのが好きだからこうやって次々と物が売れていくのが楽しくてしょうがないんだろうなあ。
…でも、ちょっと気になることがあるな。
「ねぇメリディア隊長?」
「何かな?エリスくん」
「たくさん商品が売れてますけど、お酒は売れてないんですね」
すげーどうでもいいことかもしれないが、お酒が全く売れてない。棚には沢山エトワール美酒があるというのにそれには全く目もくれない。
これだけ大きな村なら酒場もあるだろうし、酒飲みの割合も大きくなりそうなのに。
「ああ、それはね?このプランタ村が…」
とメリディアの解答よりも早く、答案用紙が来たようだ。
物を売りさばく商人達の元に木箱を抱えた集団が現れ。
「ギルドさん!オラ達の村で作った酒を百本!今日も買い取ってくれるか?」
「あらまぁ〜プランタ産のお酒じゃあありませんか!、これ他の国でも好評なんですよ!是非とも買い取らせてくださいませ」
「へへへっ、オラ達の作ったお酒が世界中で売られて飲まれてるってなぁなんだがこそばゆいなぁ、だけども誇らしいだよ。是非!沢山のお客様に運んでやってくれ」
ああ、なるほど。この村自体が酒の名産地なのか。
しかし、いいもんだな。ここの美味しいお酒が世界中で飲まれてる、それはきっとお酒を作っている側のモチベーションにも繋がるだろう。この村で細々やってた仕事がいきなり世界デビューだもんなぁ。
酒職人のおじさん達の満面の笑顔を見てるとなんだかこっちまで嬉しくなる。
「では買取代はこのくらいでどうでしょうか」
「おお!、近隣の街に売ってた頃よりも高額だ!やっぱあんたら最高の商売相手だよ!」
「そりゃあ光栄です!、商売人冥利につきるってやつですよ!」
「エリスちゃん、あのお酒はね。『山の一滴』と呼ばれる名酒なんだ」
「名酒ですか、もしかしてそれがニアームさんの言っていた…」
「そう、金のなる木。その美味さはエトワールの美酒に次ぐ程…だけどエトワールと違ってあのお酒を作っているのはこの村だけだからね。当然流通数も限られる」
「だから、希少性が増してエトワールのお酒よりも高価で取引される…ってやつですか?」
「その通り、今のアド・アストラは世界中の食材やお酒が集まって飽食気味なんだ。だからただ美味いだけの物よりも珍しい物の方が人気なの」
なるほど、今酒職人達が持ってきたお酒、それが詰められた木箱の数から察するにザッと酒瓶の数は精々が百数十本程度。それを世界中で売ろうと思えば圧倒的に数が足りない。
きっと、味以上の値段で売っても通用するだろう。それこそ珍しいから多少ふっかけても罷り通るだろう。なるほど…彼女はあれをあちこちに高値で売るつもりなんだろう。
そりゃ金の成る木だ。…前任者もあれでかなり儲けただろうに、それを手放して何処かに消えてしまうとはややおかしな話だな。
「山の一滴は本当に各地で人気なんですよ、なんならこれに上乗せして料金をお支払いしてもいいくらいですよはい!」
「本当だか!?、いや…まさかこんな、オラ達の酒がそんなに高価だなんて知らなかっただよ」
「いやぁもったいない!こんないいお酒を浪費していたなんて!これなら世界取れますよ!エトワールから!」
「そいつはいい!金儲けの匂いがしますねぇ〜アハハハハハ!」
すると、喜び勇む酒職人達の間を縫って一人の男が現れ金儲けの匂いを感じ取ってニタニタと笑いながら現れる。
「…メリディア隊長、あの人は?」
「分かんないよ、私もここに来るの初めてだし」
それもそっか。
ただ、現れた男はどうにも他の酒職人や村人達とは一線を引くようないでたちをしている。
チョイとワイルドに生やした顎髭とオールバックで固めた黒髪、そしてトラ柄のコートを着込み手にはなんとも高そうな指輪をいくつも嵌め、目にはオレンジ色のレンズが取り付けられたサングラスをつけ、その様はまさしくリッチ…いや成金地味た出で立ちの兄さんって感じだ。
そんなゴージャスな格好の兄さんを見て反応するのはニアームさんだ。
「おお!貴方はもしかしてプランタ酒商会の新会長様で!?」
「そそ!、君とはお初にお目にかかるか?、僕はプランタ酒商会の会長ザッカリー・ホルティー!君の商売相手になる男さッ。よろしくね」
ザッカリーと名乗る男はオレンジのサングラスをクイッと上げて気障ったらしく微笑んで見せる。あれが山の一滴を作っている商会のトップか…、なんか嫌味な男だな。
「私はマーキュリーズ・ギルドより派遣された商人ニアームでございます」
「おお、ニアーム君かい!お世話になるねぇ!なんでも今回の買取料金に色をつけてくれるとか?」
「はい、ザッカリー様にはこれからもよしなにしていただくわけですし、これはそのお礼と言いますやらなんと言いますやら」
「よしなにも何も!いい暮らしをさせてもらっているのは僕も同じさ!、見てくれこの指輪の数々!どれもこれも本物の宝石!高級品の数々!、これを買えたのも君達のお陰!君達が運んできてくれるお金のおかげで僕の懐は温まりっぱなしでもうアチアチさ!」
「なるほどぉ!景気が良いようでして何よりです!」
「ああいいさ、僕は親父みたいにこの小さな村の小さな酒商店で終わるつもりはないのさ、君達と最高のビジネスを繰り広げて僕の商店を『世界のザッカリー大商店』に成長させて見せるさ!あーっはっはっはっ!」
「なんていうか、典型的な成金二世って感じだね」
「ですねぇ、ああいうのが商店をダメにするんですよ」
メリディアとコソコソと内緒話をする。なんていうか如何にもダメそうな感じだ…。儲かって金が転がり込んで気が大きくなっている、商いってのはそう簡単なもんじゃないだろうに…、なんて商売したことのないエリスが言えたことではないが。
「世界の!ザッカリー!大商店!いやぁ見事です見事です!、でしたらそのお手伝いをこのニアームにさせていただいても?」
「ああ結構だとも、君の態度は実に気分がいい!」
「ははぁ!このにアーム!ザッカリー様のような大志をお持ちのかたと出会えて光栄でございますとも!、故に何か新しい試みをする際はどうかこのニアームにお声掛けを?」
「勿論だ!あーっはっはっはっ!」
……こりゃ、ニアームの方が一枚か二枚上手だな。あっという間にニアームにイニシアチブを取られていることにザッカリーは気がついてさえいない。いや、デルセクト人っていうのはこういう商売的なセンスはピカイチだ、こうやって各地の商売を牛耳っているのかもしれないな。
「よし!じゃあこの酒瓶達は僕の部下に積み込ませておこう、村人への商売が終わったら僕の館に来たまえ!今日素晴らしいパートナーと出会えた記念にご馳走をしようじゃないか!、君の護衛も一緒に来たまえ」
「よろしいんですか!いやぁ流石は世界のザッカリー様!志しと同じくらい懐も大きい!」
「あっはっはっ!そうだろうそうだろう!おいお前達!積荷を積んでおけよ!」
「へい!若旦那!」
「それじゃ!アデュー?」
「アデュ〜〜!」
そう言うなりザッカリーは手をパタパタと振って村の奥へと消えていく。なんというか…色々と察しの付くタイプの人だな。
しかしご馳走か、エリスとしてはとっとと帰ってメルクさん周りの情報収集をしたいんだけど…。
「ご馳走かぁ。いいね、御相伴に預かる?」
「羽振りがいいですね!」
「何が出るんでしょうかぁ」
みんなご馳走を食べる気満々だな。ここで『いや、早く帰りたいんでやめにしましょう』とは言えないよなぁ。仕方ない…食べに行くか。
にしても、あのザッカリーと言う男の人。いくらなんでも羽振りが良すぎないか?…この町の前任者が消えた件と何か関わりがあったりしないよな。
…………………………………………………………
プランタ村の一番の豪邸、村長が住む家よりも尚も大きい大屋敷、その名もザッカリー・ホルティーの館。
アド・アストラとの取引により莫大な利益を出していたザッカリーは小さく質素だった実家を取り潰し、つい二ヶ月程前に館を新築したばかりのそんな出来立てホヤホヤの館にエリス達護衛と商人ニアームを招き入れて今回の取引の成功を祝しご馳走を振舞ってくれると言う。
なるべく早く帰りたいエリスを他所に乗り気のメリディア達と更なる商談を持ちかけたいニアームはその話を受け、エリスはなし崩し的にザッカリーの家へと招かれることになったのだが…。
「さぁ!これが僕が普段食べている馳走の数々!一緒に僕達が作った『山の一滴』も振舞いましょう!是非是非お楽しみください!」
「わぁ!凄いご馳走!」
「流石はザッカリー様!この大盤振る舞いっぷりはまさしく王者の気風!いよっ!世界のザッカリー!」
「あははははは!そうだろうそうだろう!」
ジャラジャラと指輪だらけの手で首の赤宝石のついたネックレスを揺らし高らかに笑うザッカリーはなんとも気分が良さそうだ。
招かれた館はまぁなんとも豪勢…そして悪趣味だ。無駄にコテコテしいというか…あざといというか、各地に掘られた彫刻も木の柱に打ち込まれた金の細工もどれもこれも権威欲バリバリだ。
まあ、別に自らの権威を誇るってのはいい、エリスそういうギリギリした感じ好きですけど…妙に得体が知れないんだよな、これ。
「いやぁしかしこの館は凄まじいですね、私も行商として各地の有力者の家に招かれましたが、いやはやこれほどの物は見たことがありません」
「君達アド・アストラとの取引が実に上手くいっているからね、おかげでこんなに豪勢な館も建てられたのさ」
とはいうが、高々酒を百数十本売るだけでこんなに儲かるか?、酒ったっても年に数回しか出荷出来ないし高級品として扱われているのは流通先での話。ここでの取引にはそこまで莫大な値段は支払われていないはず。
考えられるのは、…んー、そうだな。このドラ息子然としたこの男が店の金ちょろまかしているとかかな。
「モグモグ!この料理うまーい!、それにこの山の一滴…!」
「んくっ、んん!やはり高級酒として知られるだけあってなんとも味わい深い!」
みんなテーブルの上に乗せられている料理の数々に舌鼓を打ち、一緒に出されたグラスに注がれた山の一滴…果実酒らしい赤色の液体をクピクピと飲んでなんとも嬉しそうだ。
ここにある食材は全てがアド・アストラから仕入れた物ばかり、質の高いオライオンの食材やアジメクの食材だとかをふんだんに使っているだけあって…むぐむぐ、やはり味はいい。
「良い屋敷に住み、良い物を食べる。今の時代如何に上手く立ち回って金を稼ぐかですよ、僕はその真理にいち早く気がついたが故に…こうして他の人間よりも良い生活ができているわけです」
「なるほどぉ、流石はザッカリー様、聡明であらせられる」
「むふふ、そうだろう?」
…ザッカリーはずっと気分が良さそうだ、大方エリス達をここに招いたのも善意というよりはこの新築の館を見せつける相手が欲しかったから…とかなんだろうが。
にしてもどうしても引っかかるのはこの村を担当していた前任者が消えてしまったことだ。ザッカリーは扱いやすそうだし今ニアームがやっているように手綱を握ろうと思えばいくらでも握れるまさしく金のなる木。それを手放して消えるか?という印象がより一層強まる。
おまけにザッカリーは前任者が消えこの村の担当が変わったことに対して一切反応を見せていない、なんなら第一声から担当が変わったことを知っているような口ぶりだった。
まさかとは思うが…ザッカリー、こいつなんかやってないよな。
「…………」
どうして気になる、そうなるとやはり確かめずにはいられない。故にエリスは酒の注がれたグラスを手に取り…。
「師匠…」
「ん?どうした?」
誰にも聞こえないくらいの小声で師匠を呼ぶ、するとやはりついてきていた師匠はヌルリと闇から現れエリスの肩に顔を置く。
「このお酒飲みたいですか?」
「む、ああ。飲みたい、エトワールの酒に次ぐ高級酒だろう?飲ませてもらえなければここの酒蔵かお前達の積荷から拝借する予定だった」
「絶対やめてくださいよ…、これあげるんで我慢してください」
「ん…」
すると師匠はグラスを受け取りグビグビと飲み干していく、その飲みっぷりたるや飢えたハムスターのように貪欲だ。こんな豪快に飲んでさぞ目立つのでは…と思ったが。
エリスがこうしてグラスを師匠に渡しても誰も気がつく様子はない。師匠の魔力隠密術とはここまで凄まじいのか。
「ぷはっ…」
と、師匠は飲み終えるなり何やら思い込んだ様子で空いたグラスを覗き込んでいる。
「飲みましたか?」
「あ?ああ」
「毒とか入ってました?」
「お前…師匠を毒味役に使ったのか?」
「はい、師匠毒とか効かないでしょ?」
「そうだが…、結論から言えば毒の類は入っていない。そもそも毒が入っていれば私は飲むまでもなく看破できる」
「なるほど…」
毒とかは入っていないか、いやエリスはてっきりザッカリーが前任の商人を毒殺とかしてその売り上げを奪ったのかと思いましたよ。
けどそう考えてみるとこの推理は穴だらけだな。だって商人一人殺して手に入る金なんかそれこそ高が知れてるし、何よりギルドの商品に依存している村でそんなことをするにはリスクが高すぎる。
それに、…もし殺していたなら、もっとザッカリーはエリス達を前に取り乱してもいい。人を殺してここまでか平気な顔をしてられるのは余程の役者かイカレ殺人鬼だけ。それが無いならこの推理はやはり違うか…。
「だが、こんな酒二度と飲ませるなよ」
「え?もしかして毒味させたこと怒ってます?」
「そんな事では怒らん、だが…こんな駄酒を飲まされたことに関しては些かの怒りを覚えるな」
「駄酒?これ高級品ですよ?」
「ああ、私もそう聞いて期待していた。エトワールに次ぐ美味さ…ハッ、これのどこがそんな大層なものだというのだ。これは場末の酒場に置いてある三流品…いやそれにもある意味劣る味だ」
「でもみんな美味しい美味しいって…」
「こいつらが飲んでいるのは、ラベルに書かれた名前か或いはそれに書かれている値段の方だろう。酒そのものの味は見ていない」
なるほど、みんな高いお酒飲み慣れてないから分からないのか。と言ってもエリスも別に酒の味が分かるわけじゃ無いから何もなしに普通に飲んでたら『美味しい!流石高級品!』と言っていただろうからとやかく言えないが…。
そんなにまずいのか?、なのになんで高級品なんて言われてんだ?。
「むぅ、口の中が酒でモラモラする。水をくれ」
「どういう感覚ですかそれ…」
「モラモラはモラモラだ、最初は未完成品か失敗作でも押し付けられているのかと思ったぞ」
「それをこれから売る取引相手に出すのはやばく無いですか」
「やばいだろうな、事実見てみろ…ニアームは気がついている」
そう師匠が指し示すのはニアームさんの顔だ、彼女はお酒を一口含むとその瞬間眉を顰め小さく首を傾げている。どうやら商人たる彼女には目利きの力があるようでこれが三流品であることに気がついたようだ。
でも、これが失敗作とか未完成品とかならザッカリーは馬鹿としか言えないぞ。ニアームは取引相手…彼女がこの酒に見切りをつけたらザッカリーは破滅するだろうに。
「ザッカリー様?一つお聞きしてもよろしいですか?」
と思ったらいきなりニアームが仕掛けたぞ。
「何かなニアーム君」
「いえいえ〜、商才溢るるザッカリー様のことですからきっとお酒の製造ラインにも手を加えたのでしょう?なにかこう…革新的な変化とか、製造法を変えたとか、そういうのって教えてもらえたりしますか?」
「え?…あ…あー…」
その瞬間、ザッカリーの目が泳いだのをエリスは見逃さなかった、多分ニアームも見逃さなかったと思う。
妙だな、自己顕示欲をパンに塗り承認欲求で焼いて食ってるようなザッカリーが言い淀むのか?。この反応で何も無いことはない、だがもし手を加えていたなら『よく気がついたね!実は僕のアイデアでこことここをこう弄ってねぇ!』と鼻高々に言いそうなものを。
「変えたのですか?」
「い、いや?、何も変えてないさ。山の一滴の製法は僕の曾祖父からの伝統のものだよ?お酒の製法は少しでも変えれば味が数段落ちることくらい僕だってわかってる…、そのまま作ってるに決まってるだろう」
「おお、流石はザッカリー様。これならばザッカリー商会は安泰ですねぇ!」
「あ…ああ」
何かあったのは間違いない。消えた前任者、妙に羽振りのいいザッカリー、味の落ちた酒…。つまりここから導き出される答えは…。
答えは…なんだ?。
「師匠、何か分かりますか?」
「まぁな、だがそれを私が教えたら『魔女の手を借りる』ことになるがいいのか?」
「ぅぐぅ、意地悪ですね…」
「毒味の仕返しだ、まぁそれはそれとしてだ」
「なんですか?」
「いや、これは単純に気になったことだが」
と師匠は部屋の中をぐるりと見回すと。
「商人も護衛も…みんな纏めて積荷を置いてこんな所に来て良かったのか?」
「ッ……!!」
あ!間抜けだ!。内なるもう一人のエリスがエリス自身を指差してそう笑う。間抜けなことをした!何のためにエリスはこんな村まで来て…。
「大変だザッカリーの旦那!村人がギルドの積荷を襲ってる!」
刹那、屋敷の扉が弾かれるように開かれ血相を変えた職人が叫ぶ。エリス達が置いてきた積荷を襲う村人が現れたと──。
「何!?」
「クッソ!やらかした!」
立ち上がるザッカリーよりも早くエリスは椅子を跳ね飛ばし駆け抜ける。
やらかした、いくら平和な村だからと言ってもここは『非魔女国家シトゥラ』!アド・アストラへの非難や批判を行う非魔女国家のうちの一つ!。
非魔女国家の国民がアド・アストラに対してみんながみんな良い感情を抱いているわけではないことをエリスは知っていたはずなのに!。
「くそっ!」
やられてたまるか、潜入とは言え仕事で来てんだ。そうおめおめと護衛対象を潰されたら間抜けもいいところ!。目を尖らせる全力で無理を駆け抜けて馬車を停めた地点まで急行すれば…。
いる!集団が!それもさっき買い物に来ていた連中とは違う!斧を持ち武装したチンピラ紛いのゴロツキどもが!。
「壊しちまえ!こんな馬車!」
「悪魔の馬車め!天罰を受けろ!」
そう今にも振り下ろされそうな斧を前にエリスは一層足に力を入れ…。
「やめろぉーーっっ!!」
「え?げぶふぅっ!?」
突っ込む、空を飛び、斧ごと悪漢を蹴り砕く。
しかし、悪漢を蹴り飛ばしたのは……エリスじゃない。
「お前達!この馬車が何処の誰の所有物かわかってんだろうな!」
「メリディア!?」
メリディアだ、全力で走るエリスを追い抜いて目にも留まらぬ速度で空を飛び悪漢に蹴りを加えたのだ。
これがメリディアの全速力!?旋風圏跳を使っていないとは言えエリスの脚力に追いつき追い越すなんて!?。
「何処の誰の?分かってるよ!マーキュリーズ・ギルドだろ!」
「お前らがこの村に来てから俺たちの商売はメチャクチャ!俺達の暮らしを返せ!」
「そんな事私に言うな!、何かを訴えたいなら破壊ではなく正当な手続きを取れ!」
「お前達が俺たちみたいなのに耳を貸してくれるのかよっっ!!」
斧を持った悪漢は全部で十人、そのうちの一人が怒りの雄叫びとともに鋭く斧を振り回しメリディアに迫る…が。
「せおりゃっ!」
「ぐげぇっ!??」
「え、エリスちゃん!?もう来たの!?」
メリディアを守るように悪漢の前に躍り出て肘打ちを加え吹き飛ばす、もう来たの?そりゃこっちのセリフだっての。
「高尚な理由や同情に値する理屈があれど、刃を持って破壊に走った以上貴方達は破壊者であり犯罪者、その時点で容赦する理由は無くなるんですよ」
「ぐっ、もう来やがったな…これがアド・アストラの兵士だと。この間来たのより強そうじゃねぇかよ!」
「メリディア隊長!こいつらやっちゃっていいんですよね!」
「一人殴り飛ばしてから聞かないでよ…、でもまぁ私も一人やっちゃったし…全員叩きのめそうか」
「よし来たっ!」
こいつらが何者かは関係ない。重要なのは…何をしようとしていたか。斧を持って馬車に向かって振り下ろそうとしていて、実はこの人達はなんの罪もない人達でした…はないだろ。
故にやる、だから倒す。拳を握り腰を落とし悪漢達を前に飛びかかり…。
…………………………………………………………
「ふむ、まぁこうなるわな」
プランタの村のとある家屋の屋根の上に腰を下ろしたレグルスは、眼下で繰り広げられる戦いを見下ろしため息を一つ吐く。
レグルスは早い段階からエリス達が馬車を空けるのを悪漢達が待っていたのを知っていた。それはレグルスの超常の力によるものではない、単なる注意深い観察と経験則から来る直感による看破だ。
やろうと思えばエリスにだって出来た。もっと深く観察してよくよく考えてみれば直ぐに分かった事。そこに気がつかず間抜けにもザッカリーの誘いに乗るとはエリスもまだまだだな。
「まぁ、このくらいの手助けならばラインは超えていないはずだ」
本来なら一切手助けをするべきではないのだろうが、まぁこのくらいならオッケーだろうと言う独断による助言。何せあの悪漢達はただただこの村で燻っていただけの悪意。事の本質とはあまり関係ない…。
しかしエリスが疑っている通りザッカリーが一つ腹に抱えたものがあるのは事実、それが何かはレグルスは分かっている。だが…エリスが手に入れる『ヒント』としては些か早いものだったかもな、ザッカリーの『とある不自然な点』に気がつくにはまだ材料が足りない。故に疑うことも出来ないだろう。
「ここから少しずつ進んでいくしかないな…」
事態は当初レグルスが想像していたそれよりもかなり根深そうだ。が、それを解決してやることはできない、エリスが頑張るしかないのだ。
「ぅおおおおりゃぁぁあああ!!」
「はぁぁあああああ!!」
「ぐぁあああ!?」
「おっ、やってるな」
屋根の下で戦うエリス達と悪漢達。だが勝負になっているかなんて言う必要があるか?。流障壁を習得した時点でエリスはもう生半可な敵では相手にならない段階まで来ている。魔術なんぞ使わずとも圧倒することくらいわけない。
だが、特筆すべきはメリディアの実力だろう。レグルスの目をもってしても中々光るものを感じる。
「はぁっ!やぁっ!」
「ぐげ!?つ…強え!なんだこいつ!」
腰に差した剣を引き抜き、蹴り技も含めて敵の次々と無力化するその手際は鮮やかで相当鍛錬を積んできたことがわかる。何より速い…、あれを独学の修行で習得し制御しているとは驚きだ。
乱世の只中に生まれ、戦場と良き師に巡り合っていれば確実に第二段階に至れて居ただろう器だ。あのムルク村にいた小さな子供がここまで強くなるとは驚きだ。
「よっと!、こんなもんですか!まだまだやりたりませんよ!オイ!」
「ちょっ!エリス!その人気絶してる!」
「…………」
それに引き換えエリスはなんと凶暴なことか。倒れた敵の胸倉を掴み牙を剥きながら揺さぶっている様はまさしく獣…いや、あれは私か?。
そう言えば私も若い頃似たようなことをしたことがあったな。倒れた敵の頭を掴んで握り潰そうとしたら、あんな風にアルクトゥルスに羽交い締めにされて止められた覚えがある。
この三年の旅でエリスはますます私に似てきていると最近実感してばかりだな。私は…。
「誇らしいぞエリス、敵には容赦するなよ」
しかし、ここでこんな事をしていて果たして大丈夫なのだろうか。
エリスにはまだ伝えていないが、今回の事件…実は制限時間があるんだぞ?。
…………………………………………………………
「一丁上がり!」
「うぅ…」
ウチの馬車を襲おうとした不届きモンはこの通り、殴り倒して簀巻きにしてやった。この程度の相手では相変わらず勝負にならない。むしろここ最近まともな勝負をしていない気さえする。
「エリス強いねぇ、昨日の訓練の時から思ってたけど…」
「まぁ、それなりに修羅場は潜ってるので」
「いや魔術師なのに私のスピードについてくるなんて中々やるよ!、でも全然魔術使わなかったね。基本グーパンチでだったし」
「これで事足りると判断しただけです」
「なるほど、こりゃ頼もしいや」
えへへとはにかむメリディアにやや鼻頭が痒くなる。褒められるとむず痒いってもんだい。
まぁそれはそれとして。
「さて、貴方達…何者ですか?」
「う…」
問題はこいつらだ、こいつらは馬車を襲おうとしていたしギルドにも敵意を持っていた…なら、前任者が消えた事件にも何か関わりがあるんじゃないのか?。
「貴方達、以前ここに来ていた商人が行方不明になったって話は知ってますか?、もしかして貴方達が何かしたんじゃないんですか?。ウチの商人に対して…ね」
なんでエリスが言うとみるみるうちに顔が青くなり弁明するためワタワタと口を開き始める男達、もうその時点で答えを聞かなくてもこいつらが白だって分かる。
「そ、そんな!俺たちは人殺しなんかやってねぇ!ただ商人が離れた隙に馬車に嫌がらせをして…それで鬱憤を晴らしたかったんだよ!俺達から職を奪ったギルドに…仕返しを!」
「ほう」
「大丈夫かい!何があって…!」
すると遠くの方からザッカリーとニアーム、そしてそれを警護するクライヴ達が現れる。なるほど、クライヴ達がいつまで経っても現れなかったのは馬車をエリス達に任せ商人達の方の護衛に回ったからか。恐らく指示はクライヴが出してんだろうな…中々いい判断だ。
「こいつらが馬車を破壊しようとしてたんですよ」
「なんと!ウチの馬車を!」
「でも無事ですよ、何かされる前にぶちのめしましたから」
「ホッ…、修理費で赤字になるところでしたよ」
心配するところそこか?まぁそこか、デルセクトは命の次に金が好きだからな。
すると縛られた男たちに向かってザッカリーが怒りを滲ませ歩み寄り。
「お前達!なんて事をしてくれたんだ!」
「ひ…ザッカリーさん」
「マーキュリーズ・ギルドに手を出すなんて…こんな…!この愚か者共が!」
その様はまさしく怒髪天、顔は真っ赤で息は荒く、被害者たるエリス達以上に激怒し怒りのままに手を振り上げ…。
「っと、ザッカリーさん。貴方が手を出す必要はありませんよ」
「っ…護衛の人、いや…これはその、なんて弁明したら」
「いいんです、でもこの人達が何者かは教えてもらえますか?」
「何者も何も、村の商店を営んでた人達ですよ。ギルドが来てから売り上げが落ちて…そのやっかみです、よくある話でしょう?」
「そうですね、って事は彼は普通の村人って事ですか?」
「ええ、我が村の住人ですよ… !」
「ひっ…」
このまま放っておいたらナイフとか撮り出すんじゃないかって勢いのザッカリーともしかしたらおしっこ漏らしてるかもしれない村人達。怒り方も怯え方も尋常じゃないい。
…こう言うのはあり得ないか?、元々破壊を指示したのはザッカリー。ザッカリーがエリス達を惹きつけている間に部下達が馬車を破壊し行き場のなくなったエリス達を…って、それじゃあなんでザッカリーの部下が報告に来たんだ。そう言う作戦なら馬車が襲われてるなんて報告が飛んでくるわけがない。
と考えると、あー分からん。なんだこの村…、
「ともかく彼らの沙汰は我等がします故、どうか今日のところはお引き取り願えますか」
「ええ、私達もそのつもりでしたよ」
「はぁ、気分良く帰ってもらうつもりだったのに…ブツブツ」
そうしてザッカリーは部下の職人達に簀巻きにされた悪漢達を連れさせ、エリス達に背を向けるなりそそくさと家に帰ってしまう。今日はもうお開きだそうだ。
「さてと、ありがとうございましたメリディア隊長と新入り隊員くん、お陰で我が商品が守られました…が、はぁ…これは思ったよりも利益が望めないですね」
エリス達に礼を言うなりニアームは積荷の中の『山の一滴』を眺め大きくため息をつく。利益にはならない…というのはきっとあの味を知ってしまったからだろう。
「え?なんで利益にならないんですか?あんなに美味しかったのに。まさか一人で飲む気じゃ…」
「もしかして味が劣化していたから…ですか」
「おや、新入り隊員くんの方は気がついていましたか。ええ、先程振舞われた山の一滴は私が昔飲んだそれより数段劣りました。正直言って支払った額と釣り合わないくらいの駄酒です」
え?そうなの?と目を丸くするメリディアを置いてやはりと首肯する。やはり師匠の見立ては正しかった。ザッカリー商会は何故か数段酒の味を落としていたのだ。
それをいつもと同じ値段で買ったんだから大損もいいところだろう。が、流石にそこまではエリス達も守れないよ。
「もしかして前任者はこの事に気がついたから消えた…とかですか?」
「うーん、どうでしょう。彼なら消えるくらいなら逆にここでの商売利権を売りに出して金に換えそうなもんですけど…。でも昔からやたらと情報通でしたからもしかしたら酒商会に何かあったのを知ってたのかもしれません。まぁもう行方知れずなので聞きようがありませんが…」
「そうですね…」
「あーそれにしても大損…、いや待てよ?もしザッカリー達が昔の山の一滴をもう作れないとしたら、今市場に出回っている山の一滴が最後の『真なる山の一滴』って事になりますね
。…ザッカリー商会の零落が知れ渡れば山の一滴の価値は高騰する事になる。なら知れ渡る前にそれを先にかき集めれば…大儲けできますね!、よし!皆さん!今日あったことは他言無用でお願いします!今日のことは私が然るべき時に公表しますので!」
本当に美味しい山の一滴は今市場に出回ってる分しかない。もうこれ以上それを作る事はザッカリー達にはできない。ならせめて本物の山の一滴を先に掻き集めて価値が高騰したあたりで売りに出せば…確かに大儲けできるな。
もうザッカリー達は切り捨てる気満々なのが恐ろしい、こんなんだから各地で恨まれるんじゃないのか?。
「むふふ、山の一滴。その最後の一滴まで私が搾り尽くして金に換えてやります。今日のところはこの情報が手に入っただけでよしとしましょうか。よし!そうと決まれば今日はもう帰ります!貴方達ももう終わりでいいですよ」
「え?いいんですか?」
「私はこれから市場に出回っている山の一滴を集めなきゃいけないんで」
「じゃあ今日仕入れた山の一滴は…」
「あー、もうそれ要らないんで適当に破棄しちゃいますね」
なんて口にしながらニアームさんはテキパキと帰りの支度を始めてしまう。何が何やら分からないが、今日は早めに帰れそうだ…よし。帰ったら直ぐに情報収集を…。
「そっか、もう終わりか。ならエリス?帰ったら私と一杯どう?貴方事よく知りたいし、ね?」
「え?」
と、思ったがこれは…。
「この後私と一緒に行かない?クラブにさ」
俗に聞く、飲み会の誘い…というやつなのだろうか。何にせよエリスは情報収集は…まだ出来そうにない。




