319.魔女の弟子と旧友
白銀塔ユグドラシル…地上にも地下にも伸びるこの塔は差し詰め世界に打ち立てられる杭だ、今の世の中と時代を打ち付け固定する杭だ。
星見の都ステラウルブスの中心に伸びる塔を眺め見上げるエリスは、ゴクリと固唾を呑む。
これからここに潜入して、数億は居るアストラ職員の中から何人いるかも分からない裏切り者を見つけ出さねばならないのだ。
正直今回の旅は異色にして未知数。上手く行く保証はどこにも無い…けど。
(待っててください、メルクさん)
エリスの友達が助けを求めているなら行くべきだ。
「よし…」
両頬をペシペシ叩き気合いを入れ直すと共にアド・アストラ本部に向けて歩みを進める。
出入り口と思われる巨大なガラスの扉から次々と外に出てくる人々は皆揃いの白と黒の制服を着込み忙しそうにあちこちに向かう、それを眺めながら流れを逆流するように真っ直ぐ歩いて…。
「エリス…」
「師匠?どうしました?」
ふと、師匠が小さくエリスの耳元で囁く。今エリスにしか目視出来ないようにしているためかこれだけ人がいると言うのに誰一人として師匠に気がつく人間はいない。
「改めて言っておくが私はこの一件に手を貸すつもりはない、どれだけ危なくなっても一切な」
「一切って…助言とかも無しですか?」
「度合いにもよるが基本的に解決に導くようなことはせん。例え私が先に裏切り者を見つけ、お前がそれを見つけ損ね、この世に甚大な被害がもたらされることになろうとも、或いは人死にが出ようとも私は何も言わん…私を頼りにするなよ」
思わずゾッとする、師匠は同行してくれるが一切何もしないと言うのだ。
それは全てエリス達を尊重しての事であるのは分かる、アド・アストラの組織理念『魔女に頼らぬ世界』を守るためなのだ。
「魔女に頼らない世界…それは我々八人の魔女が目指していた世界でもある。我々が必要ないと言うのならそれに越したことはない…故に余計なお節介は焼かない、分かったな?」
「はい、分かりました」
要は自分の行動には責任を持てと言う事だ。今回は師匠が後ろについてくれているから…なんて甘ったれた考えはやめるのだ。
まぁ、言ってもエリス師匠に頼れない状況下で色々やってきたことあるし、要はアレらと同じ状況って事だろう。
いつもと一緒なら、無理して緊張することもあるまいよ。
「さて、ではエリス…アド・アストラに行ってきます」
「ああ、初めての就職だな」
……ん、そう言うことになるのか?。冒険者や役者をエリスの『職』と捉えなければ確かにまぁ初めての就職になるのか。冒険者は職というより資格に近いし、役者はそもそも給料もらってなかったし。…うん、就職は初めてか。
うーんだとするとなんか情けないな、この歳まで働いたことすら無いとは…。
「うう、あれだけ小さかったエリスが遂に就職して社会人か。感慨深いな」
「師匠…、自分が無関係だと思って随分気楽ですね」
「ああ、存分に弟子の活躍を見させてもらうとするよ」
気楽にエリスの背後をついてくる師匠を背にして、大きなガラスの扉を潜る。すると内部に広がるのはこりゃあもう広大なエントランスホール…入り口からしてもう立派、流石世界のアド・アストラ、その本部だな。
「ほう、この塔…内部に空間拡張魔術が使われているな」
「え?そうなんですか?」
「ああ、これだけ巨大な塔を作っておきながら更に空間拡張まで行うとは…、なるほど。恐らくは街の人間も含めて全員収容出来るようにしてあるのだろうな」
ホールを歩きながら師匠の話を聞き、エリスはなんとなくこの塔を設計したラグナ達の意図を察する。シリウスとの戦いで街の住民達を皇都の外へ避難させたのを気にしていたんだろうな。
だから今度作る塔は街の人間全員中に入れるだけで解決するようにしてあるんだろう。
「しかし、こうも広くては迷いそうだな」
「ですね、現にエリスは今どこに向かったらいいか分かりません」
「そこは受付に聞いたらどうだ」
「それもそうですね」
ホールにはまぁ馬鹿でかいカウンターがグーンと伸びており、そこに二十人くらい受付係の方が立っており、その全員が全員忙しそうにワタワタと働いている。
そのうちの一人、一旦手の空いた係員の人をすかさず捕まえるように前に立ち。
「失礼します」
「はい、如何されましたか?」
「実は今日アド・アストラに仕官することになっている人間なんですけども、どちらに向かったらいいでしょうか」
「はい、少々お待ちを…」
と受付の方は手元の資料を確認し始める。メグさんがエリスに潜入を促す時点で既に色々と根回しをしてくれているという。この星証も仕官合格証も全て偽造してくれた物だ、きっとこっちにも根回しをしてくれてはいるだろう。
しかし、こんなものまで偽造出来てしまうとは…今のメグさんはどういう立ち位置になるのでしょうか。
一応カノープス様も魔女ではなく帝国の皇帝という立場でアド・アストラに参入しているらしいから、そのメイドたるメグさんもアド・アストラの一員ということになるんだろうが…。
(そう言えばメグさんの自慢話…聞きそびれてしまいましたね)
「はい、確認が取れました。エリス様ですね?地上五十七階のホールにて係の者がお待ちです」
「五十七!?、そりゃあ登るのに苦労しそうです」
なんてエリスが度肝を抜かれていると、受付の方は目を丸くして…。
「いえ、階段はございませんよ?そちらにあるポータルを使い任意の階で降りていただければそれで辿り着けます」
「え?そうなんですね」
「地上も地下も百数十階あるこの塔を、一々階段で上り下りしていてはそれだけで日が暮れるからな…、翡翠の塔で働いていたメルクリウスあたりの知恵だろう」
なんて師匠の補足も受けながらエリスは受付の人が手で案内してくれたポータル乗り場へとフラフラ歩いていく。
そこには水晶が設置された台座が複数機壁に減り込む不可思議なコーナーへと辿り着く。あの水晶…魔力機構だな、ということはこれがポータルか。
「懐かしいですね、転移魔力機構ですよ」
帝国にあったアッと言う間に彼方へと移動出来る凄いアイテム、そして今この世界に技術革新を与えている最大の技術…通称『ポータル』、アド・アストラが世界各地に支部を作りそこに一つ一つポータルを設置していった結果、世界中がポータルで繋がる時代が出来たわけだ。
メグさんの時界門ほど万能ではありませんが、こう言うちょっとした移動に使えるのは便利ですよねぇ。
「ええと、…これがアド・アストラの全体図ですね」
ポータルの隣に置かれたどでかい地図がこのアド・アストラ本部の全体図だ、一階から何があっても頂上までなんのフロアかが事細かに書き込まれている。
エリスが行くべきのは五十七階と分かってはいるが…、ふむ。
「この塔…地下にもすごい伸びてますね」
「ああ、まるで杭のようだな…」
ユグドラシルは地上二百階の大建造物であるにも関わらず、地下にも百五十階も階層を持つ。恐らくこれは三年前の戦いでシリウスが開けた大穴をそのまま利用しているんだろう、だからこの塔の最下層はそれこそシリウスの足が封印されていた地点まで伸びてるんだろうが…。
うん?そうなると今シリウスの足はどこに封印されてるんだ?っていうかあれからシリウスの足ってどうなったんだ。エリスその辺聞いてないな…、まさかそのままってことはないだろうしな。
「おやおやぁ?迷いましたかぁ〜?」
「へ?」
ふと、ポータルを前に迷っているとエリスを助けるかのように背後から現れるのは…、パッと第一印象を語るなら長い銀髪をたなびかせるハンサム…そして第二印象を述べるなら変な人。
「貴方は…」
「おおっと、申し訳ありません。私はこの通りでございます」
「どの通り…?」
そう言いながら燦めくような美貌でウインクをかます男は、なんかもう全てを台無しにするような変な格好を見せつけるように両手を広げる。服は全体的にダボついているし、デザインもへったくれもないカラフルでめちゃくちゃな色合いはまるでこの服の上でペンキをぶちまけたかのよう。
顔つきはなんとも活かしているのに、その顔の良さそのものを活かそうともせず変わった格好で生きる傾奇者のような男の顔を見て…少々考える。
待てよ、この人見たことあるぞ…?。確かこの人。
「失礼、私はステンテレッロ。アド・アストラ所属の騎士の一人、と覚えていただければ」
ステンテレッロと名乗る彼をエリスは見たことがある、あまり関わったことはないがこの人はエトワール出てあった喜劇の騎士プルチネッラさん率いる劇団で副団長を務めていた人だ。
風の噂ではこの人、引退したプルチネッラさんの跡を継いで新しく喜劇の騎士に就任したとも言われている人だ。つまりエトワール最強でもある悲劇の騎士マリアニールさんと肩を並べる男…有り体に言えば大物だ。
「お困りのようだったのでお声かけさせて頂きましたが、もしかして迷っていたりしますか?」
「え?いや…ただこれから五十七階に向かおうかと思いまして」
「な〜るほどぉ、でしたら私がご案内しますよ。いくら地図があるとは言えユグドラシルは広大、迷ったら二度と出てこれませんから」
「そうなんですか!?」
「いえ、嘘です。ささこちらへ」
エリスが迷っているのかもと気にしてくれたのかニコニコと微笑んだステンテレッロさんはエリスの手を引きポータルを起動させる。やや強引ではあるがエリスのことを助けようとしてくれているのかな…。
うーん、一応顔見知りではあるけどエリスはこの人がどんな人か全然分からないんだよなぁ。
「貴方、新入りさんでしょう」
「え?あ…はい」
「見ない顔だからそうだと思いましたよ、まだ制服を着ていないあたり今日からですか?」
ポータルを起動させ、あっという間に景色が変わり。恐らくだろうが五十七階に着いたのだろう、ステンテレッロさんは特に何かを言うわけでもなく雑談を続けながらついて来いと言わんばかりに戯けた足取りで廊下を歩く。
「そうですね、今日からです」
「そ〜ですか、いやいや。最近は本部も忙しいですからね、人手はあればあるだけ嬉しいですね」
なんて会話をしながら廊下を歩く、廊下はこれまた綺麗な出来をしており白い壁に赤い絨毯が伸び、無数の扉がドンドンと続きそれぞれに名前が付いている。
こりゃあ一人で行ってたら迷ってたかもなぁ。
「ところで貴方は何人でしょうか、見たところオライオンやアルクカース人には見えませんが」
「え?えり…私ですか?、私はアジメクとエトワールのハーフです。国籍は…アジメクですね」
「ほう、アジメクとエトワール…なるほど、それはまた」
ハーフなんて別に珍しいことでもないし教えてもいいだろう、ただ国籍に関しては怪しいな。アジメクに昔住んでいたと言うだけでエリスがアジメクで生きてきたと言う何かしらの物的証拠があるわけではないから。
ただ、それを聞いたステンテレッロさんはやや顔を曇らせ…。
「まぁ、苦労するでしょうけど辛いことばっかりでもないので頑張ってください」
「え?はい」
「もし辛かったら私を訪ねてくださいね、特上の喜劇を見せますから」
ニッと微笑むと共にステンテレッロさんは述べるのだ。妙に引っかかる言い方だな。
アド・アストラの仕事は辛いだろう、アド・アストラ『の』と限定せずとも仕事とは得てして辛いものだろうとは思う、だが今この場で辛さをピックすることの意味があまり分からないな。
「さて、着きましたよ?ここですとも」
「ここですか?」
そう言いながら辿り着く扉は、『新任担当者第十七事務所』と簡素な看板のかけられた木製の扉の前であった。
ここが…と思っている間にステンテレッロさんは扉に手をかけ。
「では行きましょうか」
「え?ちょっ、ステンテレッロさんも着いてくるんですか?」
「ダメですか?」
「ダメじゃないんですか?」
「ダメですね」
「ダメじゃないですか!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
いいかどうかを決めるのはエリスではないだろうが、というか全然無関係なのに入ってもいいのかと問う前にステンテレッロさんは扉を容赦なくしまい…、あー…全然話聞かねぇ〜。
「お邪魔しまーす」
「へ?え!?ステンテレッロ!?なんで貴方が!」
「様子を見にきただけですよぉ〜」
「またそんな…、私は今から新人の教育をしなきゃいけなくて…あれ?」
事務所の中に居たのは、一人の女騎士だった。動きやすい軽装備に簡素な鉄剣を腰に差し、褐色の肌に生える黒い髪を邪魔にならないような切り揃えてた活発そうな印象を受ける女の子…。
これまた顔見知りだ、エリスはこの人を知っている。もしかしたらメグさんが気でも利かせたのかと考えてしまう偶然ぶり…。
「貴方が今日ここにくることになってた新人さん?」
「は…はい」
立ち上がり顔を覗く彼女の姿に、思わず緊張してしまう。流石にバレるかもという不安と前会ったときの気まずさを覚えているから…だからこその緊張。
何せ彼女は、新人教育係に選ばれていたのは。
「そっか、私はメリディア・フリージア。アジメクの近衛隊長兼アド・アストラの第七百七十二小隊の隊長よ?よろしくね」
メリディアだ、ムルク村の友達の彼女…そして、三年前の戦いの最中で再会しなんか気まずい空気のまま終ぞ会うことのなかった彼女が笑顔でエリスに握手を求めている。
なんでよりによって彼女なんですか…。
「よ…よろしくお願いします」
「緊張してるのかな、大丈夫だよ。特に何かするわけじゃないから」
「そーですよー、メリディアは優しいことで有名なんですから。余程のことをしない限り怒られませんよぉ〜」
「いや、ステンテレッロ…貴方はいつまでここにいるつもりなのよ。そろそろ仕事なの、いつもみたいに相手出来ないから帰りなさい」
「ん〜冷たい、ですけどいいですよぉ〜」
メリディアさんから他所へ行けと言われるとただそれだけでフラフラと扉の方へと向かっていく。エリスがあれだけ言ってもなんのかんの言って突入を敢行した癖に…。もしかしてメリディアさんと仲良いのかな。それこそ特に意味もなく仕事場に顔を見せるくらいには。
「それではメリディア〜!仕事頑張って!」
「はいはい」
「…ステンテレッロさんと仲良いんですね」
退出するステンテレッロさんの背中を見送る、彼がこの部屋に残していった笑顔の余韻を感じつつメリディアさんの方へ向け目を傾ければ、彼女はなんとも困ったように肩を竦め。
「別に仲良くはないわ、そもそもつい最近までお互い顔も知らない仲だったのに。一週間前くらいから急に関わってきたのよ…。なんの前触れも兆候もなく、思い当たる節もない。なんなのかしらね彼は」
仲が良いと思っていたのはエリスだけのようだ。仲が良いわけではなく単にステンテレッロさんが一方的に関わっているだけ、しかもここ最近で急にと来たもんだ。仲良くしてくれるのは嬉しいだろうが理由も分からない上にああも強引じゃあ逆に怖いだろうに。
「まぁいいわ、それより貴方の教育を始めましょうか。貴方は今日からアド・アストラの一員として働いてもらう、貴方には一刻も早く『新入り』から一人前になってもらわないとね。さ!椅子に座って」
メリディアは見た目の通り快活な女の子だ。だからこうして白い歯を見せて笑うととても可愛い、なんて一応組織の先輩相手に言う訳にもいかずエリスは『ふぁいっ!』と間抜けな返事を繰り出し椅子に座り込む。
ちなみに、今はあまり関係ないが一応この場に師匠もいる。部屋の隅っこに立ってエリスの緊張っぷりを見て呆れたように手で顔を覆っている。
「さて、貴方の履歴書は既にもらっているわ」
そう言いながらメリディアは手元の書類を確認し始める。あれはエリスが書いたものではなくメグさんが用意してくれたもの。当然経歴や来歴は全て詐称、バレれば問題なること間違いなしの代物を見下ろしてメリディアは…。
「名前はエリス…ね、…良い名前ね」
エリスの名前を見て若干眉をひそめた物の、数秒の沈黙の後ニコッと微笑んでくれる。しかし彼女ってこんなにニコニコ笑ってくれる人だったんだな、大昔はよく笑っていたような気もするが、三年前再会した時には一度もエリスに笑顔を見せてくれなかったなぁ。
さっきの沈黙と言い、やっぱ嫌われてんのか?。
「経歴は…ふむ、ディオスクロア大学園を卒業し数年間冒険者として各地を放浪、その後アド・アストラのあり方に感銘を受けて士官…、試験結果はいずれも高水準か」
一応エリス自身も偽りの経歴については確認している、冒険者として活動していたのも事実だし仕官した理由なんて適当でいいから構わないが。
どうやらメグさん、士官試験の内容にかなり色をつけてくれたようで全て平均点以上に設定してくれたようなのだ。ややプレッシャーな気もするが…、まぁもうそれについて文句を言えるわけではないので何も言わないよ。
「冒険者時代は魔術師として活動していたらしいけど、治癒魔術は使える?」
「治癒魔術…は使えませんが、ポーションなら使えます。学園で習っているので」
「なるほど、十分ね」
師匠の前じゃ霞むような物しか作れないが、これでもディオスクロア大学園卒業者。かすり傷を治せるくらいのものならば、設備とか時間とかお金とかあれば作れますよ?。
「ふんふん…、経歴はいずれも完璧ね。流石は帝国の師団長様から口添えのあった新入りね、いきなり即戦力かも」
「え?師団長ですか?」
ふと、エリスの把握していない新情報が出てきて焦る。帝国の師団長から口添えって…なんだそれ?メグさんが師団長の誰かにエリスのサポートを頼んでくれたのか?。いやでも彼女はエリスの事を知ってるのはメグさんとその部下だけだって…。
「あら?聞いてない?帝国第四師団の団長様よ。貴方は優秀だからどんどんこき使ってくれって言われてるわ」
帝国第四師団…第四師団というと?、ああ。諜報隊!アルカナにスパイとして潜入していたという師団長ザスキアさんのところか、ということはエリスの事をプッシュしてくれたのはザスキアさんか。
なんでザスキアさんがエリスの事を後押ししてくれたのかは分からないが、まぁありがたく受けておこう。
「あ…あはは、師団長様は忙しいみたいなのでまさか私の後押しをしてくれるなんて思ってなくて」
「そうね、彼の方はいつも常軌を逸する忙しさの中で働いていると聞くわ。先の騒ぎでも大活躍みたいだったし…凄いわね、本当に」
そう語るメリディアの顔にやや不穏な影が入る。ザスキアさんの活躍をよく思っていないのかな…、うーん分からん。一応幼馴染のはずなのに関わりが薄すぎて何にも分からない。
「ともあれ、貴方の実力に関しては疑う余地がないわ、初任者訓練とかはあんまり必要なさそうね」
「ありがとうございます!」
「とは言え、…私達は前線で働くことはないだろうけどね」
そう困ったように微笑む彼女の言葉はやはり何処かに含みがあるような気がしてならない。というか前線で働くことはないとはどういう意味だろうか。いや…アド・アストラは確かに魔女排斥組織と戦う為の組織だがその仕事は多岐に渡る、別段戦うばかりが仕事ではない…ということだろうか。
「そうなんですね、私はてっきり毎日魔女排斥組織と戦うもんだとばかり」
「まぁ…一応そうなんだけどね、それよりも…だ!」
パタンと彼女は書類を閉じて立ち上がり…。
「早速新人教育を始めていくよ、こんな閉ざされた部屋の中で口頭だけで説明しても分からないだろうし今から現地に行ってあれこれ見学しながら説明させてもらうよ。きっとそっちの方が分かりやすいし、何より私がそういうのが好きだから」
なるほど、相変わらず行動派なのは変わらないらしい。エリスとしてもこんな部屋の中に長居したら息が詰まりそうだと思っていたんだ。なら、現地に行ってあれこれ見せてもらった方が嬉しいしやりやすい。
パンパンと太ももを払いながら立ち上がる彼女はそのまま資料を片付け現地へ向かう支度を始める。早速向かうらしい。
「はい、是非。お願いしますメリディア…さん」
「うん、よろしくねエリ…スちゃん」
ぎこちない、互いに交わす挨拶はとても固くぎこちない。エリスはともかくメリディアさんの方は『エリス』という名前そのものに抵抗があるようだ。
それでもこうして快活に振舞ってくれるのは『エリス』を『エリス』であると認識出来ていないから、同名の別人だと思ってくれているからだろう。
潜入云々抜きにしても、彼女の前では正体を偽った方が良さそうだなぁ。
…………………………………………………………
『ここがアド・アストラ本部の食堂だよ、コルスコルピの料理人が一流の食材を使って料理を振舞ってくれるからとっても美味しいんだ。でも有料な上高いから私としては外で食べた方が割安かなと思っている』
『ここが軍用ポータルステーションだよ。遠征に行く際は基本的にここから行くよ、出口はアド・アストラの支部になってるんだ。帰って来る時はどこでもいいから支部のポータルを使えばいいよ』
『ここが兵士の寮になってるんだ。リビングにダイニング、クローゼットもベッドもついてる上にシャワールームもあるんだ。ここ目当てで仕官する人もいるらしいけど…エリスちゃんは違うよね?』
『ここが事務所だよ、って言ってもエリスちゃんは基本的に戦闘員として扱うからここはあんまり関係ないかな。でも場所は覚えておくように』
『ここが備品倉庫だよ。空間拡張魔力機構を数千台使って空間を広げまくってるから下手に入り込むと本当に迷うからね?。昔ここで遭難した人もいたんだから…』
『ここが娯楽室。ビリアードにダーツ、ボードゲームにカードゲームとなんでもあるよ?、あとよく言われるけれどここは基本的にここでの飲食は禁止だからね?勿論お酒の持ち込みも禁止で…え?ゲームは苦手だから来ない?。あはは、私と一緒だね』
それからメリディアに連れられて本部内部に存在するありとあらゆる施設を巡る、食堂に移動用の転移魔力機構置き場、恐らくエリスの住処となるであろう寮とメガネのインテリさんがずらりと並んでカリカリペンを動かす事務所。
広大な塔内部もポータルを使えばあっという間に移動出来る。転移魔力機構の便利さを改めて感じながらエリスは取り敢えず話半分に聞きながら見聞きした全てを記憶に入れて整理する。
一応裏切り者を探してはいるが、そもそも裏切り者の尻尾さえ掴めていない現状では半ば意味のない作業と言えるだろう。
「そういえばエリスちゃんって今まで旅してたんだよね」
ふと、廊下を一緒に歩くメリディアが親しげにエリスに話しかけてくる。こうして二人で歩き回っている間にメリディアの方は随分エリスに慣れたようだ。
エリスはまだちょっと慣れませんけどね…、知り合いを相手に初対面のフリをするなんて。一人の人間に対して二つの関係性を持つというのは意外と面倒だ。
「ええ、と言っても特定の居住地を持たず放浪していただけですが」
「それを旅って言うんじゃないかな…。でもなんで旅してたの?何か目的があったの?」
「さぁ、よく覚えてません」
「そっか、よく覚えてなくても今まで一人旅を続けてこれたのは凄いと思うな。一歩も踏み出せない私なんかよりもずっと」
随分な言い草だな、相手を煽てるのは構わないけどその比較対象に自分を持ってくるのはよろしくない。そういうのを卑屈と呼び嫌う人もいるしね。
少なくとも言われたエリスはそれでご機嫌にはなれないよ。
「そんなことないですよ、私から見ればメリディアさんも凄いですよ。だってアジメクの近衛士隊長ですよね?エリートじゃないですか」
「あはは…一昔前まではそう思ってたんだけどな、なんて新入りの君にいうことじゃなかったね」
それはそうだが。
「それよりも…だ、案内する場所は次で最後だよ?」
そう語りながらメリディアが連れてくるのは白銀塔ユグドラシルの根元…地下二階。この本部の案内の大トリを務める場所とは如何なる場所か。
なんて考えるまでもない、察しはついている。何せまだあそこが紹介されていない、一応は軍事組織たるアド・アストラに於いて必須とも呼べる空間…それはやや湿気った廊下の最奥、無骨な鈍色の扉を開けた先にある。
「ここが、我等がアド・アストラが誇る史上最大の軍事施設。『ニーズヘッグ地下要塞』だよ」
扉を開けたら外に出た。
かと思うくらい広大な空間に出た、そう錯覚してしまうくらいこの地下二階は広い。空を仰げば天井に設置された光源機構が宵の太陽の如く輝き、大地を見れば向こう側が見えず、そしてその視界を遮るように城が建っている。
塔の中に城が立ってる、それもかなりのビッグサイズ…少なくともエリスがこの三年で見てきた非魔女国家の王城よりもデカイのが部屋の中に収まってる。鍋を開けたら同じサイズの鍋が出てきた気分だ。
「凄いですね、塔の中に城…それもこのサイズ」
「だよね、この地下二階は三百以上あるユグドラシルの階層で最も広大なエリアと言われていて、その広さは小国と同程度…。このフロアだけ無双の魔女であるカノープス様の特別な空間拡張で押し広げてあるんだってさ」
「へぇ、カノープス様が」
ん?それって魔女の助けを借りてる事にならないのかと思ったが、確かこのステラウルブスの街そのものの建造には魔女様は携わっているんだったな。ってことは塔の設計にも魔女様は関わっていて然るべきか、この辺はノーカンなのかな。
「このニーズヘッグ地下要塞は勿論要塞としての役目を担っているのと同時に、アド・アストラ軍の本部でもあるんだ」
「へぇ〜」
「ここでは主に兵の修練なども行なっているよ、後は軍事作戦の確認とかもここで行えるかな」
なんて話を半分聞き流しながらエリスはニーズヘッグ地下要塞を見上げる。無骨な黒岩を積み上げて作り上げたこのフォルム、利便性と防衛性を突き詰めて作られた形、防御用の要塞でありながらどこか攻撃性も感じさせる姿…。
そっくりだ、アルクカースの中央都市にある砦兼王城のフリードリス大要塞に。もしかしてここを設計したのって…。
「あの、ここを設計した人ってもしかして…」
「え?ラグナ大王だよ?。知ってるでしょ?アルクカースの英雄、あのお方がこの砦の建設に一から関わっていて普段はここでお仕事をされてるらしいよ」
「え!?居るんですか!?ここに!?」
やはりラグナが!、まさかここに!?と気が逸るが…。
メリディアは静かに首を横に振り。
「残念、今は何処かに出てるらしくて最近姿を見かけないらしいんだよね」
だ…そうだ、気が逸って頭からすっぽ抜けていたがメグさんは確か『ラグナはラグナで忙しい』と口にしていた、それこそメグさんの窮状に駆けつけられないほどに…。
もしかしたらアルカナ関連か或いは別の危機に対して対応しているのかもしない。じゃあここに来ても彼には会えないか…。
って!何を落ち込んでるんですかエリスは!、会ったって正体はバラせないでしょう!、いやでも一人くらいはエリスの正体を知る協力者はほしいし…その点で言うならラグナほど信用できる人間はそうそういませんし…。
「第一、ここにいたとしても会えないよ?ラグナ大王はアド・アストラ軍の総司令官。立場的にはアガスティヤの四将軍の上に立つ天井人、私達みたいな兵卒じゃ式典の時くらいしかお目にかかれないよ」
「そ、それもそうですね、すみません…有名人を前にしてちょっと興奮しちゃって…」
「ふふふ、思いの外ミーハーなんだね。大丈夫、他にも有名な人に会えるよきっと」
さ!どんどん行くよとメリディアは歩みを進め部屋の中に存在するニーズヘッグ地下要塞へと歩みを進める。
しかし、…地下要塞か。うーん…。
「城の中はまた今度紹介するとして、今はもっと他の物を紹介しようか」
「他の物?」
「うん、きっと今日紹介する何よりも重要なもの…、『仲間』さ」
「仲間…私のですか?」
「そうそう、エリスちゃんは今日から私の七百七十二小隊の一員として働いてもらう事になる。だから今後は小隊のメンバーと共に行動することも多いだろうからね、今のうちにしっかり挨拶しておこう」
そっか、メリディアがエリスの教育係に命じられたのはエリスが所属する事になる小隊の隊長がメリディアだからだ。
今後はその小隊と共に仕事をする事になるのか。潜入する身としては出来れば最も身近な人間となる小隊のメンバーとは良好な関係を築いて置きたい。不仲になって『こいつさては…』という目で見られては本来の活動もままならなくなる。
「みんな外部訓練場で待ってるはずだけど…」
と、通されるのはニーズヘッグ地下要塞の裏手。これまた広大な平地だ、そこで兵士達が剣を振ったり行進の練習をしたりと色々やってる。
世界各地の訓練場を見てきた訓練場ソムリエ一級の資格を持つと自称するエリスから言わせてもらえば、ここの訓練場はある意味最も手が込んでいてかつ最も簡素なものと言えるだろう。
形としては場所を提供して兵士たちに自由にやらせるスタンス、平地だからこそどんな訓練も出来るが同時に綿密に訓練システムを組み上げねばただの運動場に成りかねない。…この感じはやはりアルクカースのそれに近しい物を感じるな。
「ええと、アジメクの訓練場は…こっちこっち」
「アジメクの訓練場?国で分けられてるんですか?」
「うん、というより軍自体が国ごとに分けられてるっていうか…、説明するとね?」
とメリディアがアド・アストラ軍の解説をするに…。
いくら七つの国が兵士を持ち寄り一緒くたにしたとしてもやはり所属は七つの軍団であることに変わりはない。指揮系統とか軍ごとの規則とかそれぞれの国で少しづつ違うから一緒にするとかなり面倒らしい。故に軍ごとにある程度の境界線はあるとのこと。
数千ある小隊もそれぞれ国籍ごとに分けられておりなるべく国籍混合の部隊が出来ないように心掛けられている、そして当然訓練を行う場所も区分分けされている。
その説明を受けてエリスは内心『まぁ、だろうよ』と頷く。アルクカースみたいな加減が効かないのやオライオンみたいな体がデカいのに挟まれてアジメク人みたいな比較的背の小さな人達が訓練したら危ないったらありゃしないしね。
国によって訓練の仕方も違うし、分けるのは良いことかもしれない。
「帝国やデルセクトは兵器を使って訓練するから専用の設備で訓練、アルクカースやオライオンは要塞内部に作られたトレーニングセンターで訓練、それ以外はこの外訓練場の指定された区画で訓練することが定められているんだ」
「それはラグナが決めたんですか?」
「そうだよ、あの人は特に兵達の訓練に心血を注いでくれていてね?他国の兵士達の面倒まで見てくれているんだ」
なるほど、彼らしい。ラグナは他国を他国だからと区別するような男ではない、自身の旗下にいるなら全て我が軍として扱う…そういう器量のある人ですからね。
彼が軍の面倒を見ているなら、アド・アストラはまだまだ強く…。
「でもねエリスちゃん」
「へ?」
ふと、メリディアに呼び止められて足を止める。その顔はやや険しく…ともすれば起こっているようにも見えて…、え?何?。
「『ラグナ』じゃなくて、『ラグナ大王』又は『ラグナ様』って呼ばなきゃダメだよ。あのお方は六王円卓議席の一人でアルクカースの大王様、総司令という立場も加えれば私達の上司だよ。呼び捨てにはしちゃいけないからね?」
「あ…、す すみません!」
そこでエリスが失言していたことに気がつく。いつもの調子で『ラグナ』なんて呼んでたけど側から見たらいきなり入ってきた新入りが軍のトップを呼び捨てで呼んでいるどえらい光景の出来上がりだ。
呼び捨てにするのは良くなかった。そう改めて頭を深く下げて謝ると…。
「ううん、いいの。ただ軍で働くならその辺のケジメはしっかりつけたほうがいいよ。それにアルクカースの人たちはラグナ様を心底尊敬してるからね、下手な口聞いてるのがバレたら殺されちゃうよ」
「そ…そうですね、気をつけます」
「うんうん、よろしい。さ!こっちだよ!私達アジメクの訓練場は」
「はいっ!」
注意することを注意したら後はサッパリ、そう言わんばかりに彼女は今再び微笑んでアジメク軍が集まるエリアへと案内してくれる。
エリアと言っても衝立があるわけでもなく、ただなんとなく漠然とここら辺がどこの国のものとあやふやに決めているだけのようだ。まぁ国で分けられているとはいえそれでも彼等は『アド・アストラ』という巨大な枠組みの中の存在、謂わば味方同士だからね。
そうして歩けば見えてくる、アジメク人が使っていると思われるエリア。そこでは昔ながらの導国軍の鎧を着込みアジメク式の耐久鍛錬を行う騎士達の姿が見える。
どうやらあそこが目的地らしい。
「あそこですか?」
「うん、そうだね…そして、彼処に見えるのが。私の小隊…七百七十二小隊だよ」
他の騎士達に混じって訓練をしている四、五人の隊員達。まさしく大なり小なりの見てくれで統一感のない彼らを七百七十二小隊…、メリディアが率いている小隊にしてエリスの同僚達だ。
「クライヴ〜、お待たせ〜」
「ん?、ああメリディア。ようやく来たか」
とメリディアが真っ先に挨拶をするあの大柄の男。恰幅の良さと手足についた岩のような筋肉、それを丸みを帯びた鎧で包み隠す様は巨岩の如き峻厳さを感じさせるが、反面その顔つきはなんとも誠実。真四角に刈られた髪と丸い鼻と落ち着いた声音から感じるのはまさしく精錬なる騎士の姿。
そんな大柄の騎士をメリディアは今クライヴと呼んだ、そうだ…クライヴだ。
ムルク村にいたガキ大将、エリスの人生最初の喧嘩相手。あの大柄さだけが取り柄だった子供が今はこんなにも落ち着いた雰囲気に…。
「そちらの子が例の新人か?」
「そう、ちょうどいいから紹介するよ?みんな集まって!」
そうメリディアが手を叩くと同時に、クライヴを始めとした面々が次々と集まってきて…。
「前々から言っていたウチの小隊の追加メンバーが彼女。名前をエリス、元冒険者の魔術師だ、軍人としての活動は初めてらしいからみんな面倒を見てあげてね」
「エリスです、よろしくお願いします」
集められた小隊のメンバーはクライヴを入れてたったの三人。ここにエリスが追加メンバーとして入り隊長のメリディアが率いても五人。近衛士隊長のメリディアが率いるには些か少なくないか?という疑問を押し殺してエリスは深く頭を下げる。
「うーん、エリスか。これはまた…って名前だなメリディア」
「あはは…、あ!エリスちゃんにも紹介するね?彼はクライヴ・カサブランカ、この小隊の副隊長になる人だよ?、彼とは幼馴染で…まぁ一番長い付き合いかな」
そう紹介されたクライヴは胸に手を当て綺麗な動作で一礼をする。あの粗雑で乱暴だったクライヴが一端の騎士みたいだ…。エリスが旅に出ている間彼もまた必死に強くなってんだなぁ。
「そして、こちらが…」
「はいっ!僕はドウェイン・グラナトゥムです!」
と威勢良く返事をするのは黒髪紫目の青年。としか言いようがないほどに平凡極まりない見てくれの兵士だ。強いて言うなればメリディアやエリス達より少しだけ若い…と言ったところか?。
なんて分析しているとドウェインはグイグイエリスに近づいてきて。
「貴方も新兵なんですね!、僕も先日の士官試験に合格したばかりの新入りなんです!」
げっ!こいつ新入りかよ!、やばい…もし試験会場の事を克明に覚えていたらバレるかもしれない。エリスがその場にいなかったことが…つまり不正で潜入したことが。
なんて焦りをなるべく顔に出さないように、求められた握手に応じて微笑んで見せる類。
「せ…先日はどうも」
「はいっ!あの試験を乗り越えた者同士これから頑張りましょう!」
……気がついてないくさいか?、大丈夫っぽそうだな。よしよし。
「どうもエリスさん、私はフランシーヌ・キスツスアルビドゥスです。私も同じく新入りの魔術師です。よろしく」
ニコッと微笑み手を振ってくれるのは茶髪に翡翠のような瞳の女性。柔和な印象を受ける表情がどうのと言う前に目を引くのがその名前の長さ。
フランシーヌ・キスツスアルビドゥス…長い、長過ぎる。だがこれもアジメクらしさと言うかなんと言うか、アジメクには偶に居るんだ…すごく長い名前の女の子が。とある地方の伝統で女の子には長い名前をつけるのがいいとされてる的な話を聞いたことがある。
かつて近衛副隊長を務めていた魔術師フアラビオラ・オステリオスペルマムさんのようにエリスの記憶力でなければどっかで名前を間違えそうな人がアジメクには居るんだよ、偶にね。
「あはは、私名前長いですよね…、略してシーヌでいいですよ」
「じゃあ…シーヌさん、よろしくお願いします」
「はい、よろしくです」
そっちで略すのか。普通フランじゃないのか…ちょっと変わった人なのかも。
「私、クライヴ、ドウェイン、フランシーヌ、エリス…、本当は後からもう一人入ってくる予定だけどそっちはもう少し遅れそうかな。ともあれこれが私の小隊…第七百七十二小隊、これから一緒にやっていく仲間達だ」
「なるほど…」
隊長のメリディアはともかく、クライヴの方は比較的実力者とはいえ未だ若手の部類。ドヴェインとシーヌさんに至ってはエリスと同じ新人。
はっきり言おう、このメンバーは僥倖とも言えるほどに良いメンバーだ。あまりエリスの邪魔になりそうな人間はいない。この部隊としての名前を使いつつ早速明日から情報収集していこう。
別に今後もこの小隊でやっていくわけではない、彼らには多少の仲間意識的な物を既に抱いては居るが…それでも本当の仲間とは比べるまでもない。
「さて、じゃあ今日は軽く流すだけにして終わりにしようか」
「はい!隊長!」
「いつもみたいに型の確認ですね」
と部下達に体を動かすように命じ始めるメリディアを見て、少し考える。
まず情報収集するなら彼女から色々聞く方がいいだろう。彼女は近衛隊長という立場に立つ女、他の兵士よりは色々知って……。
ん?、メリディア近衛隊長なんだよな?なのになんで『小隊の隊長』なのだ?それも新人が大多数を占めるこんな小さな部隊の。何かあったのかな…。
(まぁ何にしてもエリスは何も知らなさすぎる。取りあえず今はアド・アストラの内情を調べて行こうかな)
「じゃあ取り敢えずランニングで」
「ら…ランニングか…」
「よーし!、やるぞー!エリス!シーヌ!」
「はい!ドウェイン」
「…………」
しめた、ランニングか。なら話を聞き出す暇があるかもしれないと鎧を身につけたまま走り出したメリディアの隣まで駆け抜けピタリと隣で並走を始める。
「あれ?エリスちゃん私の隣で走るの?」
「はい、まだ聞きたいお話があるので」
「まぁいいけど、喋りながらだと舌噛むよ?」
走り込み程度で怪我をしたりバテたりするようなレベルでもない。それにこのくらい軽いランニングなら並走しながらでも色々聞き出せるはずだ。
そう確信し、走るメリディアについていくように隣を走る。
さて、何から聞こうかな。…まずは。
「そういえばあの城にラグナ様は居ないと言っていましたが、何かあったんですか?彼…じゃなくてあのお方が城に帰れないくらいの事態が今起こっているのですか?」
「フッフッ…あー、あれね。今アド・アストラが追ってる魔女排斥組織があってね。あ!魔女排斥組織は分かる?」
「はい、一応」
昔散々やりあったし、この三年でもぶっ潰して回ったから流石に知ってる。
「そっか、フッ…フッ。この間、その魔女排斥組織が引き起こした大事件があってね…ラグナ様は多分それを追って外に出てるんだと思う」
大事件というのは恐らく新生アルカナがロストアーツを盗んだ事件だろう。メグさんは詳しく言わなかったけどやはりラグナはアルカナを追ってるのかな。
しかし、気になるものいいだな。
「『多分』?詳しく知らないのですか?」
「フッフッ…うん、何も言わずに居なくなってね。アルクカース側の戦士も知らないみたいで、もしかしたら何かあったんじゃないかって今アルクカースもピリピリしてるんだ」
ラグナほどの男に何かあったとは思えない、だが帰ってこないと言うことはそれなりに大きな案件であることに変わりはないだろう。しかし、部下も知らないか…だとすると調べるのは…。
いや、もしかしたらサイラスさんやベオセルクさんみたいな側近は何か知ってるかもな。もしラグナがアルカナを追っているのだとしたら、彼の動向を探ればある程度の状況は分かるかと思ったが、やはり簡単には行かないか。
「フッフッ…」
「あのぉ、じゃあ今アルクカース側の指揮を執ってるのは誰なんですか?」
「フッフッ、ライリー大隊長だよ。アルクカース本国では第一戦士隊の隊長やってる人」
ライリー…?知らない人だな。今はその人がアルクカース側の指揮を執っているのか?ベオセルクさんやサイラスさんでもなく、第一戦士隊の隊長が?。妙だな…。
「フッフッ…」
「それじゃあ次は…」
と、次なる情報を聞き出そうとしたその時だった。
「おーい!メリディア!お前部下を置いて何処に行くんだ!」
「へ?」
ふと、背後から声が聞こえる。見れば一緒にランニングを始めた筈のクライヴやドヴェイン達が遥か後方でチンタラ走って…。
あ!違う!やべ!確かメリディアって!。
「ごめーん!置いてくつもりはなかったんだ。けどランニングが楽しくてさ」
「俊足騎士と呼ばれるお前が形振り構わず走って新兵が付いてこれる筈ないだろう!」
メリディアは足が速い、それはムルク村にいた頃から変わらない。いや騎士として鍛錬を積んだ彼女の足はそれこそ俊足に部類される程だろう。それこそ鍛錬不足の新兵を置いていってしまうくらいのスピードは出るのだ…。
「ひぃ…ひぃ、全力で走ったのに…全然追いつけない…」
「これが…アド・アストラの…アジメクの騎士…」
そしてその新兵二人も必死でついていこうと全力疾走を繰り出したものの、途中でスタミナ切れって感じか。ようやく立ち止まったエリス達の目の前でごろりと倒れ息を整える姿を見て思うのは…。
やっちまったかもしれん…、そんな慚愧の念だ。
「しかし全力で走ったメリディアについていくとは…、エリスと言ったか?なかなかやるな」
「そうだね、私の走りについてきた人間なんて…一人しかいないよ」
「あは…あはは、冒険者として足腰を鍛えていましたから、でも私も疲れちゃったなぁ〜倒れそうだな〜」
冷や汗ダラダラで今更ながらに地面に倒れ込み態とらしく疲労をアピールする。…あんまり目立つはやばいよなぁやっぱり。
「はぁ…はぁ、エリス。君はすごいね、魔術師なのにメリディア隊長のダッシュについていくなんて」
「ぐ…偶然ですよドヴェインさん」
「いや、偶然なもんか。やっぱりあれかな?君もあの英雄エリスと同じ名を持つだけあって相当強いのかな」
英雄エリス…、へぇエリスと同じ名前の凄い人がいるんだと思えるほどに鈍感ではない。それはきっとエリスのことだ。出来ればやめてほしい呼び名だがそれ以上にエリスは咄嗟にメリディアの方を見れば…。
「…………」
やっぱり…、酷い顔をしている。握りしめた紙みたいに皺だらけの顔だけ、そんなにエリスの話を聞くのが嫌なのか。出来るなら彼女にもエリスの事を聞いてみたい気もするけど…今じゃないよな。
「メリディア…、お前やっぱり最近おかしいぞ。やはり例の件を…」
「そんなわけないじゃんクライヴ。ちょっと失敗しただけで心配し過ぎ」
「だが…」
「いいから!、次はきちんとやるよ。新人の子達に合わせて…次こそちゃんと」
「…………」
いや、メリディアが顔を歪めているのはエリスの話を聞いたからだけじゃなくて、他にも要因がありそうだぞ。クライヴ曰くおかしいと言われるメリディアの様子…一体彼女に何があったというのだ。
「じゃあ最初はみんなの基礎身体能力と適性を見るために…」
とメリディアが改めてちゃんとした訓練を始めようとしたその時だった。
「ぐぁああああああ!!」
「っ!?」
「な!何事!?」
突如として響いた悲鳴にその場にいる誰もが戦慄する。普通に生きていたら一生あげないだろうか悲痛な叫びが聞こえたのはアジメクが訓練場として使っているエリアの端、そこにはこれまたただならぬ人混みが見えて…。
「ぐぉぉ…」
「おいおい、小突いただけで大袈裟だな。アジメク人は貧弱すぎるぜ」
「へっへっへっ、そんな小ちゃな手で剣持って遊んでもこの程度じゃあな」
「謝罪する、されど、我らが要求、飲む事だ」
倒れているのはアジメクの兵士だ、そしてそれを見下すのは全身に古傷が刻まれている巨漢やマッチョマンの群れ…それと巨漢達を率いる長身の女の姿だった。
アイツらアジメク兵じゃない、あの鎧のデザインと全身からムンムン飛び交う闘志は…。
「アルクカース兵!?ちょっと!何しに来たのよ!、それにうちの兵士に怪我までさせて!」
倒れるアジメク兵を庇うようにメリディアが走り…って足速ッ!?、さっきのランニングじゃ本気を出してなかったのか?あれに追いつこうと思ったらエリスでも魔術を使わないといけないぞ。
「怪我?アジメクではそれを怪我として扱うのか?、我が国ではその程度で涙を流す者には逆に体罰が加えられるぞ?」
「度合いの話じゃないでしょ、こんなに苦しんで…何したの」
「小突いた、私が、この手で、こうやって」
リーダー格と思われる女は語る、私はこうやって軽く小突きましたと再現するように手を前に出す。…が、エリスが見るにあれは『小突いた』ではないな、名前をつけるなら『コークスクリュー』だ。
拳を抉り込むような速度で叩き込む一撃だ、事実それを受けたアジメク兵は軽装とはいえ鎧を凹ませている。メチャクチャにもほどがあるだろうアイツ。
(っていうか、アルクカースの兵士がなぜここに。ここはアジメクのエリアの筈…)
せっかくラグナが国ごとに場所分けしてくれているのに、今アルクカース兵は数十人規模でアジメクのエリアに踏み込んできて問題を起こしている。これじゃあ訓練どころではないぞ。
「すみません、クライヴさん」
「ん?どうしたエリスくん」
「あの人誰なんですか?何しに来てるんですか?」
「何をしに来ているかは分からないが、あれはライリー大隊長だ。アルクカースの第一戦士隊の女隊長にしてアド・アストラではアルクカース側のリーダーと呼ばれている」
あれがライリー…、今ラグナに代わってアド・アストラにおけるアルクカースチームを率いている人物。
長くすらりと伸びた手足と一見すればスレンダーにも見えるその体を、鉄の軽装で多い隠す。肩口まで伸びた濃赤の髪と怜悧なる目を開く彼女の顔からは感情を感じない。
…エリスが知っている第一戦士隊と言えば、アルクカースの戦士達の中でもエリートと呼ばれる存在だ。昔はテオドーラさんの父親たるジョージさんが率いていた筈だが、この三年で頭角を現したタイプか?アルクカースは若手の突き上げが凄まじい国だとは聞くが…。
たった三年で知らない人間が中枢にまで潜り込める国なのか。
「それは立派な暴力よ、何よりここはアジメクの訓練場!貴方達が踏み込んで好きにしていい空間じゃないの!」
「その件で、話に来た。諸君らには、即刻ここを立ち退いて、我々に明け渡して、頂きたい」
独特なイントネーションの語り口でライリーが語るのははっきり言って暴論とも呼べる提案。簡単に言えば『そこを退け』と言っているのだ。
当然。メリディアは隊長として、何よりアジメクの騎士としてその不当に果敢に立ち向かう。
「は!?なんで!、まだ訓練中よ!」
「訓練中…、そこに疑問がある」
「は?何が…」
「必要か?、諸君らに、訓練が」
「ひ…必要に決まって…」
「だが実際に戦闘が始まれば、前線に出るのは、我らアルクカース、お前達アジメクは、精々が後方支援、お前達に期待されているのは、治癒魔術だけ、ならば、剣の訓練は必要ない」
「…………はぁ?」
「お前達に、これほどの土地を与えたのは、我王痛恨の誤り、それを私が正す、お前達にこれほどの場所は必要ない、私達が有効に使う、だから退去せよ」
絶句するメリディアにライリーは太々しく口にする。雑魚は退け、訓練とかしても意味ないんだからと。
アルクカースの良くないところが出ている。アルクカースは力の国だ、力を見せれば誰でも尊敬されるし尊重される、だが力がなければその逆となる。弱者には徹底的に当たりの厳しい国がアルクカースなのだ。
だがそれが受け入れられるのはアルクカースのアルクカース人だけ、アジメク人には到底受け入れられる価値観ではない。
「いきなりやってきて無茶苦茶言うんじゃないわよ!私達には騎士として鍛錬が必要なの!私達だって戦える!」
「って言っても、その結果がこれじゃあなぁ?」
ライリーの隣に立つ戦士が嘲るように目にするのはライリーに押し倒された兵士の姿。確かにライリーからしたらただそこを退けと小突いただけなのかもしれない…そんな一撃に押し倒されるアジメク人はさぞかし弱く見えるだろうな。
「ッ…こ、これは」
「それに、お前が矢面に立ちながら、文句を言ってくるのはお前だけ、他の兵士は、隊長だけを戦わせ、一人として前に出ない、こんな臆病者に剣を取る資格はない、今からでも全員、治癒魔術師に転向しろ、我等が効率的に、使ってやる」
「この…ッ!」
「ふざけるなーっ!」
「え!?」
刹那声をあげたドヴェインの姿に思わず驚愕の声が漏れる、ライリーの物言いにブチ切れたのか。新兵たる彼は自らの祖国と祖国の名を汚され拳を握りしめてライリーに殴りかかりに向かったのだ。
ダメだ、ダメだドヴェイン!それだけは…!。
「ダメよ!ドヴェイン!」
「向かってくるか、…だが」
「僕の祖国をバカにするな!アジメクは強き国───」
ドヴェインは飛びかかった、ライリーに怒りをぶつけようとした、拳は確かに振るわれライリーの頬を打ち抜く予定だっただろう。だがそれは阻まれた…。
エリスは思わず『上手い!』と叫んでしまいそうになったよ、迎え撃つようにライリーが放った裏拳はドヴェインの拳をよりも早く動き、的確かつ精密に逆に頬を殴り抜いたのだ。
速度、技術、威力、攻撃という行動に対して必要とされる要素を全て高水準で再現したライリーの動きは間違いなく達人のそれ。エリスがアルクカースを訪ねた時の隊長ジョージよりも明らかに強い!。
「ぅげぇ!?」
「虚弱すぎる、脆弱すぎる、惰弱すぎる、貧弱、闇弱、薄弱!、この程度かアジメク!」
「ドヴェイン!」
逆に返り討ちにあいその場でくるりと回転し腰を抜かすドヴェイン、足元には歯が数本転がり鼻からは血が溢れる、たったの一撃でこれだ。
アルクカースは戦いというものを崇拝している。故に挑んでくる人間の事は尊重するが基本的に手加減とかはしてくれない。たとえ相手が新兵でも拳を握ったら挑戦者なんだから…ラグナはいつもそう語っていた。
「これで分かったろう、無駄だ、我等にこそ訓練場は必要だ、そこを退くんだアジメク、それとも、されたいか?、……侵略を」
「うっ」
侵略の言葉を聞いた瞬間、アルクカースは嬉々として剣に手を当てアジメクはその様を見てオドオドと足を下げる。もしここにクレアさんでもいたら食ってかかったんだろう、護国六花の誰かがいたら違ったのかもしれない。
だがここにはメリディアさんくらいしか有力な人間はいない、もし戦いになれば…いや戦いにもならないか、蹂躙されるだろうな。
「さて、では…」
「ちょ、ちょっと!何しようとしてんの!」
「何を?、トドメだが?、挑んできた人間はこうなると、見せしめが必要だ、アルクカースでは常識だ」
手を開くライリーが見据えているのは目を回しているドヴェインだ、それは見せしめであり他でもないドヴェイン自身に我々に挑んだらどうなるかを教えるため、半端を嫌うアルクカース人たるライリーはトドメを誘うと手を伸ばす。
まぁ言っても殺す気は無いだろう。精々が死ぬほど痛い目を見て、それを見たアジメク兵達は竦み上がって蜘蛛の子散らして逃げていき、アルクカース兵達は大手を振ってこの訓練場も手に入れ大々的に修練に励めるんだろう。
「やめなさい!」
「やめん、我々に、挑みし蛮勇、どうなるかを、刮目しろ」
ビキビキと青筋の立つ手は容赦なく進む、メリディアンの制止も突き破りその手は今ドヴェインの胸倉に迫る。
目立つ必要はない、ヒーローになるつもりはない、別段怒りを感じているわけでもない、ライリーの言う事はまぁ一応筋は通っている。言い方や思考は少し受け入れがたいがそれでも根っから間違った事は言ってない。
だが、だがそれでもそれを見たエリスは静かに。
「待った」
「ん?、お前、いつのまに」
ドヴェインの胸倉を掴もうとするライリーの手を掴んで止める。エリスの接近に一切気がつくことがなかったライリーはギロリとエリスの方を見る、怖いなぁ。
「お前も、私に、文句があると?」
「どう言う風に見えますか?許しを請いに来た女の顔か、一言物申しに来た女の子顔か。貴方なら分かるでしょう」
「やめて!貴方までやられるわよ!」
今この場ではメリディアの制止は無視する、言いたいことがあるんだよ。エリスはこいつに…言ってやりたいことがある。ドヴェインをぶっ殺すのはその後にしてもらえませんかね?と睨みつける眼光に同じくらいの威圧で答える。
「なんだ、何が、言いたい」
「…私が知っているアルクカースは、力が強く戦いが大好きで乱暴な人ですが、粗暴ではありませんでした。いきなり相手を殴りつけて悦に至るような…そんな賊まがいの人間ではありませんでした」
「なんだと…」
アルクカースは戦争大好きだ、時に相手に凄絶なる戦力を行使する。だが不当な暴力を嫌う彼らはキチンと『宣戦布告』と『戦争をする理由』を用意する。いきなりやってきて相手を殴りつけるような真似はしない。
今みたいなね。
「これは暴力ではない、アルクカース式の交渉だ、それを過剰に騒ぎ立てているのは、お前達の方」
「ですがこれはアジメクでは暴力と呼ぶんです」
「何を異な事を、ここは、アジメクではない、アド・アストラは、アジメクにあって、アジメクにあらず、その法は適用されない」
「ならここはアルクカースでもありませんよ、貴方たちの常識をエリ…私達に押し付けないでください」
「むっ…」
確かにここはアジメクじゃない、アド・アストラ内部は各国の共有領地、ならばアルクカースでもない。なのにアルクカースの言い分だ押し付けられるのは違うだろう。
そう伝えればライリーはむっと眉を強張らせる、まさかその事に今気がついたのか?。
「それにね、アジメク兵は貴方達の敵じゃないはずです、それを無用に迫害すれば…それは軍そのものの規律を乱す結果に繋がるのでは?」
「…………」
「アルクカース人の貴方なら分かるはずです、軍の足並みを乱し不必要に規律を破壊する存在が…軍でどのように扱いを受けるか」
「……私なら、切って捨てる」
「ならラグナもそうするかもしれませんね」
「………………」
ライリーの手を掴んだまま、諭すように述べれば彼女は返す言葉もないとばかりに口を閉ざす。話の分からない奴ではなさそうだな。
「おい!テメェ!ウチの隊長の邪魔するんじゃねぇよ!」
「弱虫のアジメク人のくせしてよぉ!生意気なんだよ!」
「やってやろうぜ!ライリー隊長!」
まぁ他のアルクカース人はそうでもないみたいだな、こいつら血気盛んすぎるだろう。まぁ、向かってくるならやるつもりだが…、それでいいのか?ライリーと彼女を再度見つめると。
「やめろ、お前達、こいつの言うことは、筋が通っている」
「隊長?」
「理屈も通っている、整然と、ならば、襲いかかる必要は、ない」
グッ!と手を引きエリスの拘束を振り払うライリーはやや不機嫌そうにしながらも部下達を止め、自らも背を向ける…。
「お前の言うことは、わかった、此度の一件、我らの浅慮かつ、無遠慮な行いであったことを、認め、後日正式に、謝罪の時間と責任を、取る」
「ありがとうございます、ライリー大隊長」
「……お前、名は」
「私はエリスです、今日この軍に士官してきました」
「つまり、新兵か?」
するとライリーは殊更不機嫌そうに眉を下げ…。
「つまり、お前は上官に、逆らったと、言うことか?」
「え?」
…あー、そうなるな。だってエリスは今日ここに入った新入りの中の新入り…そう考えるとやばいことしたかも。
「上官に対して、利いていい口の利き方では、なかったな」
「う…そうですね」
「此度は見逃す、だが、次は厳罰を加える、でなければ、示しがつかず、規律が乱れるからな、覚えておけよ、新兵エリス」
「うひぃ…」
「行くぞ、お前達」
「た、隊長!ちょっと!どうするんすか!」
立ち去っていくライリーはエリスの顔を確かに覚えたとばかりに険しい視線を向けると共に、部下達を引き連れて去っていく。
やっちまったかな、まぁ覚悟の上だったけどね。そもそもエリスだって故郷の名を貶められれば腹立って立ちますよ。
「エリス…あんた」
「あ、すみません、メリディア隊長。なんか目ぇつけられちゃったみたいです」
「みたいですって…、悪かったわね。新人の貴方に解決させて」
「話せば分かる人でしたしね、それに…私はライリー隊長の言うこと、一から十まで間違ってるのは思いませんよ」
「え?」
ライリー隊長には腹が立っていない、エリスがキレているのは…どちらかというとアジメク兵の方だ。
「敵が詰めてきてんのに隊長一人に押し付けて、自分の後輩が殴られて怪我してんのに素知らぬ振りして、当事者なのに無関係の顔して声一つあげない…これが一般市民ならまぁ許されるでしょうね、けど貴方達一応アジメクの軍人でしょう。誇りある友愛の国の守護者でしょう」
「う…」
「軟弱と蔑まれても今のままじゃ受け入れるしかないですよ、誰か一人でも根性出してればあんなにナメられることはなかったんでじゃないんですか」
結局のところアルクカースは傲慢な人間ではない、意味もなく相手を見下したりしない。そこに意味があるから見下していたのだ、アジメクの兵士達が如何に根性無しかを理解していたから訓練なんかしても意味がないと…。
実戦に出てもどうせアジメクの兵は前線には出てこないと思われているからこうなったんじゃないのかと、訴えかければ兵士達は…。
「し、仕方ないだろ、アルクカースの人間はガタイも良くて力も強い。アジメク人じゃ歯が立たないんだよ」
「スポーツでもそうだろ…、アルクカースは常勝でアジメクは無勝。一緒くたにされても勝ち目なんかないんだよ」
「……つまり?」
「エリス、良く聞いて」
すると声を上げる兵士たちを援護するようにメリディアは立ち上がる。
「旅をしていた貴方は分からないでしょうけど、これは普通のことなのよ」
「普通ですか?」
「ええ、アド・アストラとして七大国が合同で動くようになった時、アジメクの軍人は半ばお払い箱になったようなものなの。アルクカースのように強靭でもないしデルセクトのように最新鋭の兵器を持つわけでもない。そんな私達の軍内でのカーストは最弱…、アジメク人は軟弱だと言う風潮が既にアド・アストラには広まっているの」
「…なるほど」
「差別…と言ってもいいわ、これは」
あのスタジアムで見た、アジメク人への当たりは確かにきつかった。それはアジメク人が身体的に他国に劣るからだろう。ライリーの言う通り治癒魔術くらいしか期待されていない…それが今のアジメクだろう。
そんな差別に則って、ライリー達はアジメクから訓練場を巻き上げようとした…と言いたいのか。まぁ、分からんでもない。
「なるほど、分かりました、そうだったんですね」
「そうよ、他国もアジメクを見下して…。いくら強いからって…横暴よ」
強いから…か、確かにアジメクは相当見下されているな。
けど、それはアルクカースが強いから見下されているのか?、違うだろう。アジメクが強くないからだ、強くないなら強くなる努力をすれば良いだけだ…が。
「くそっ…」
「アルクカースめ…」
うーん、思ったよりも…軍内部もドロドロしてるみたいだ、これじゃあ各国が協力して云々とは言ってられないぞ。
或いはラグナが帰って来ればこの問題も解決してくれるんだろうが、今彼はこの場にいない。アルクカースと言いアジメクと言い…どうやら問題ってのは少なくなさそうだな。
そう感じたエリスは一つため息をつき、閉ざされた空を見上げる。
…裏切り者云々だけを探せば良い、と言うわけではなさそうだ。




