318.魔女の弟子と星見観光
星見の都ステラウルブス、三年前の戦いの後傷ついた皇都を作りかえて誕生した世界最大の都市の名こそがそれだ。
中心に屹立天を支える白銀塔ユグドラシルの眼下に広がる街々は白一色に染められており、何も書かれていない真っ白なキャンパスの如き街並みは色がないにも関わらず絶妙な美しさを感じさせる。
この美しき街には全てがある。アド・アストラの統治こそ正道である事を主張するようにこの世の何もかもがある。この街の繁栄こそが…アド・アストラの思い描く世界の展望である。
「ここが、アド・アストラ本部のある街…星見の都ステラウルブス、かぁ」
「これは…また」
そんなステラウルブスの正面門に立つ二人は、…エリスとレグルスは目を丸くして圧倒される。
メグさんより伝えられし『アド・アストラの危機』、それを救う為今一度故郷アジメクへと帰還し、このステラウルブスの入口へと転移して来たエリス達は、一目入って来た光景のその余りの変貌ぶりに呆気を取られていた。
「聞くには聞いていました、アジメクの皇都が作り変えられ新しい街へと生まれ変わったことを」
「三年前シリウスによって破壊された白亜の城を新たに作り変える序でに街ごと…という話だったな。昔の街並みは見れないとは思っていたが…これほどまでに変わるか、たったの三年で」
目の前に広がるのは清潔感あふれる白の建造物達、一階二階三階と積み重なるように伸びる純白の街並みはその全てが美しく…それでいて荘厳だ。三年前のアジメクは古風で趣ある街並みだったというのに。
もうエリスの知ってる街じゃない…、そう慌ててエリスはメグさんから預かった『アド・アストラ潜入スターターキット』の中に入っている『星見の都ステラウルブスのススメ』をパラパラとめくり急いでこの街の情報収集を行う。
「…師匠、凄いですよこの街。デザインはエトワールで防衛的観点はアルクカース、出資はデルセクトでアドバイザーはコルスコルピ、技術供与はアガスティヤで素材はオライオン。そして人員はすべての国動かせる物全て動かして作り上げられたようです、それこそ魔女も総動員だったとか」
「私は協力していないから総動員ではないだろうが…。なるほど、それでこれだけの都市をな。規模という点だけで見ても世界最大…その上内に秘める力もまた世界最高と来たか、これはもうマルミドワズを超えたのではないか?」
「はい、エリスもそう思います。いろんな街を見て来ましたけど…これだけの街ははっきり言ってこの世にはありません」
七大国全てが協力し合うアド・アストラが誕生したからこそ生まれた七大国の全てを秘めた街、魔女時代魔女世界を象徴するような街がこのステラウルブスなのだ。
まさか皇都がここまで生まれ変わるとは。
「これほどの都市は八千年前にもなかった。オフュークス帝国すらも超える街がこの世に誕生しようとはな」
「…師匠、約束の時間までまだ少しありますし、この街を歩いてみますか?」
「ん?、フッ…。この街はお前の食指を動かすに足るだけの物らしいな。分かった、少し歩こうか」
「はいっ!」
一応ここは来たことのある街、だけど今やその全てが道に生まれ変わっている。なら歩きたい、探検したい、エリスの久しく鈍っていた冒険心が燃えて滾るのを感じ、師匠と共にステラウルブスの大通りを歩く。
「久々の魔女大国の冒険だなエリス」
「そうですね、前回行ったオライオンは冒険というよりは修行がメインでしたので」
「そうだな、どれ」
と、二人で並んで歩いていると、ふと師匠がこちらに手を差し伸べて…。ん?え?何?。
「…なんですか?」
「ん?、手は繋がないのか?昔は魔女大国を歩くときはいつも手を繋いでいただろう」
「あ…あー…」
そういえばそうですね、ここ最近の旅はどちらかというと修行という側面が大きかったから街中を歩くということすらあまりしなかった印象がある。そう思えば魔女大国のごった返した街は本当に久々だ。
だから逸れないように、三年前の旅同様手をつなごうと言うのだ…しかし。
「え、エリスはもう子供じゃありませんよ師匠」
今更手を繋ぐような歳でもない。というかだ…よくよく思い出してみたら手を繋いだのはエトワールが最後じゃないか?、それにそのエトワールも手を繋いでいるというよりは小さくなった師匠を守るような感じでしたし。
つまりもうめちゃくちゃ前だ。いつまでもエリスは子供じゃない。そう師匠に伝えると眉一つ動かさずみるみる青くなり。
「そ…そうか、そうだよな。よくよく見てみたらお前凄く大きくなってるな…もう大人だったな。すまない…今後は控える」
「あ!ちょっ!そんなに落ち込まないでくださいよぉ!分かりました!繋ぎましょう!手を!師匠!」
「エリスも気がつかない間に大きくなってたんだなぁ」
「もう師匠ってば!」
すげー落ち込むんだもん、エリスは別に師匠と手を繋ぎたいのではなくもう子供ではないと言いたかっただけなのだ。師匠を悲しませたい訳ではいいと一人でトボトボ歩いて行ってしまう師匠を追いかける…と。
「あれ?、ところでアルクトゥルス様は?」
「そもそもアイツは付いてきてないぞ、大方帝国に残ってカノープスでもからかうんだろう」
あんな大変そうな話を聞いておきながら友達と遊びに行くのか…。いや、アド・アストラ自体が助けの手を拒んでるから仕方ない…のか?。
「…………」
「っとと、師匠?どうしました?」
ふと、少し歩いただけで師匠は足を止めて険しい顔で周囲を見る。何かあったのかな?と同じく周りを見ると。
「ヒソヒソ…」
「…ヒソヒソ」
周囲を歩く人達がエリス達をみてソワソワしてる…もしかしてこれ。
「目立ってる感じですかね」
「のようだな、ふざけるのは後だ…まず目立たないところに行くぞ、一応潜入だろ?これ」
街の真ん中で師匠だなんだと騒ぐ人間がいれば注目される、そりゃそうだ。なによりそのうちの片方はエリスと名乗っているのだ、もしこれがアド・アストラの耳に着いたらエリスの潜入は瞬く間にパァ、一気にバカになる。
これはいけないとなるべく周囲に焦りを感じさせないようなそそくさとなるべく自然に人の目のない路地へと師匠と共に早足で駆け込む。
「ここなら大丈夫か?」
「人は居なさそうですね」
建物と建物の間、日の明かりさえ射さぬ暗い路地裏に駈け込めば当然ながら人は居ない。何匹か野良猫は居るけどあの子達がアド・アストラにエリスの正体をチクらない限りは大丈夫だろう。
「しかし、この街は生まれ変わったとはいえ元は皇都。我等が一年過ごした街だ、そんな街をなんの対策もなしに歩いて実は正体隠してますなんてのは通らんだろう」
「ですね、知り合いも大勢いますし、そういう人達全員に口止めして回るのも手間ですしね」
「なにより、お前が探している裏切り者がお前の知り合いではないという保証もないしな」
「ッ…」
そりゃない…と言いたいが、確定出来る材料を持ち合わせない。出来ればアド・アストラ内部にいる裏切り者とやらがエリスの顔見知りではないことを祈るばかりだ。
だがもし顔見知りが裏切り者だった場合ちょっと潜入はやりづらいなぁ。
「おいエリス、メグが持たせてくれた荷物の中に変装の道具か何かないのか?」
「え?、ちょっと待ってくださいね」
そういえばこの荷物…名前は『潜入スターターキット』だったな、潜入と銘打つのだからそういう変装出来る物か何か入っているのではないかとエリスは荷物の中を漁ると…。
「こんなの入ってました…」
粗方探して、色々吟味した結果、中に入っている物で一番変装に使えそうなのは…この黒縁の眼鏡くらいだろう。
っておいおい、眼鏡一つかけて変装してますって、そんなの余計間抜けじゃないか?。
「これで変装しろっていうんですかメグさん…」
「……む?おいエリス、この眼鏡…魔力機構を搭載しているぞ?」
「え?じゃあこれ魔装なんですか?」
師匠に指摘され今一度眼鏡を見るが、いややはり普通の眼鏡にしか見えないけど…、でももし魔力機構を搭載しているならこの眼鏡には何かしら特異な能力があるのだろうけど。
「これは…、ああ。これはどうやら幻惑魔術に近い物が込められているようだな」
「幻惑魔術って、リゲル様やネレイドさんが使うアレですか?」
「ああ、この眼鏡をかけた存在の顔立ちの記憶を誤認させる…、言ってみればこの眼鏡をかけた存在を見ても記憶にある人間と結びつかないのだろう」
やや難しい話だが、つまりこれをかけたら例え相手がエリスを知っていてもエリスを思い出すことはない、ということか。
顔とは記憶の呼び水だ、顔を見て記憶を思い出し相手が誰かを特定する。その行程の中にある『記憶を思い出す』の部分を阻害することにより相手が誰かを特定することができなくなるのだ。
もっと簡単に言うと別人に見える。と言うことだろう。面白そうだ…いいものを持たせてくれたなメグさん。
「どれ早速」
と黒縁を眼鏡をかけてクイっと中指で眼鏡を整え師匠に決め顔をしてみる。
「どうです?似合ってますか?」
「…………」
「師匠?」
しかし師匠は眼鏡をかけたエリスを見てもキョトンとしており…、ふと眉を顰めると。
「誰だお前は、気安く話しかけるな」
「えぇっ!?」
誰だって…エリスがわからないのか、いやそうか。これが眼鏡の効果なのか…、凄まじい効果だ。相手がエリスを知っていてもエリスをエリスと特定出来ない。これなら顔見知りにあっても平気だろう。
けど、…けど師匠にそんな冷たい目で見られると三年前の嫌な記憶を思い出して憂鬱になりますようぅ…。
「うぅ…」
「……フッ、冗談だエリス、似合っているぞ」
「って冗談だったんですか!」
「当たり前だ、魔力機構が発する幻惑如きに魔女の目が誤魔化されてたまるか、からかっただけだ、悲しむな」
「もう!」
「だが大凡の人間なら騙せるが、魔女級の実力を持つ者の目は誤魔化せないことは覚えておけ。そしてそれで誤魔化せるのは飽くまで顔だけ、お前の背格好や口調…仕草から正体を看破されることもある。注意しろ」
「ああ…なるほど、分かりました」
確かにこれで誤魔化せるのは顔つきだけ、いくら眼鏡をしててもエリスが火雷招をぶっ放したりしたら流石にそこから正体がバレたりもするってわけか。あんまり眼鏡の効果を過信しないようにしないと。
「それに、これからアジメクで生きていくならその眼鏡は絶対に外せないぞ?」
「大丈夫ですよ、デルセクトにいる頃は四六時中執事服着てカツラ被って暮らしてたので、それに比べればないも同然です、それよりこれでもう街を歩けますね、早速探検に行きましょう!」
「全く、危機感がないな…だがそれでこそ我が弟子だ。いいぞ?行くか」
アド・アストラを訪ねるのは夕方頃と言うことになっているらしい、ならば急いで予定より早く現地に着くよりもまずは足元たるこの街に着いて知っておく方が今後の為になるだろう。
そう言うわけで幻惑の黒縁眼鏡をかけたままエリスは再び街中へと踏み込み流れる雑踏の中に紛れ込む。
しかし、こうして歩いていると感じるなあ、凄い街だと。
「店の数が凄まじいな、商人達の活気も凄まじい」
エリス達が今居るのはステラウルブスの商業区画とも呼べる大通りだ、正面門から入って街の中心に繋がる大きな大きな道、その両脇には大量の商店が立ち並び通行人に呼びかけている。
「よっらっしゃい見てらっしゃい!オライオンの取れ立ての野菜が入ったよ!」
「今朝コルスコルピの海で取れた魚だ、食うなら今日中!オススメだよ!」
「こちらエトワールのデザイナーの珠玉の新作、次の流行となるデザインになること間違いなし」
商人達の呼びかけは一昔前なら軽い詐欺になりそうなものばかり、このアジメクで別大陸であるオライオンの取れ立ての野菜が売っているわけがない。カストリアの端にあるコルスコルピの海で取れた魚が売ってるわけがない。
だか今はそれが叶うのだ。そう、アド・アストラならね。
「確か…、帝国が転移魔力機構をアド・アストラに持ち寄って一般でも使えるようにしたのだったな」
「はい、ロングミアドの塔のように世界中の商品を世界中で売ることができる…、転移魔力機構のお陰で商業に革新が起こったらしいですね」
今やポータルの名で一般に浸透した転移魔力機構を使って世界中が繋がっている。故にそこらの商人が他国の物をその日のうちに店頭に並べられるし、なんなら鞄一つで他国に出かけることもできるようになった。
エリスのやったディオスクロア文明圏一周なんて、今のポータル技術を使えば二日で出来ると言われている、悲しいやら誇らしいやら。
「ベーコン焼き立て!パンもちょうど焼きあがったところだよ!」
「アルクカース名物穿焼き!アルクカースから出張営業中だよ!気になったら食べてみて〜!」
「なにより、食い物系の店が多い…」
「そういう通りらしいですよ、アド・アストラ正面門付近は外から街に入った人達の空腹を癒す『食べ歩きストリート』と呼ばれているそうです」
この街を作るに当たってコルスコルピの学者から効率的な商店の配置の仕方をアドバイスしてもらった事もあり、この街の配置は実に合理的。
入り口付近には飯店が並び、宿屋の近くには武器屋など嵩張る物を売る店が並び、家具などの持ち運びが難しい物の近くには馬車乗り場があり…。すぐに金を使わせようとする作りだ…いやらし言い方になるけどね。
しかし、こうもあっちこっちで食べ物の宣伝をされるとなぁ。
「そう言えば、今はお昼頃でしたね…。何か買って食べていきますか?」
「いやさっき魚食ったばかりだろう…?」
「確かに、お昼ご飯に魚を食べたばかりでしたね…、なら」
「ああ、だから今はやめて…」
「では次はお肉をメインに食べましょう」
「どんだけ食うんだ…」
さっき魚を食べたばかりですからね、次は脂っこい物をいただくとしましょう。幸いここは食べ歩きの聖地、食べ物は選り取り見取りと来たもんだ。何食べようかなあ。
「だいたいエリス、今我々は買い出しを終えたばかりだからあまり持ち合わせがないぞ」
「む……」
確かに、メグさんに連れられる前に買い出しを終えてしまったからぶっちゃけエリス達は物品的には困ってないがお金に関してはやや心許ない額しか持ち合わせていない。だが…。
「フッフッフッ、実はメグさんがくれたメモの中に面白い事が書いてありましてね?」
「ん?なんだ?」
「まぁ見ててください、おじさんおじさん」
そう言いながらエリスが声をかけるのは小さな屋台のおじさん、アルクカース名物穿焼きを売ってる店だ。
穿焼きといえば一口サイズに切り分けた牛肉に細かく刻んだドライガーリックを塗し、槍を模した串で焼いた実にアルクカースらしい肉とニンニクの料理。アルクカースでラグナにご馳走してもらった思い出の品だ。
「お!へいらっしゃい御嬢さん!」
「あの、穿焼き五本ください!」
「あいよ!穿焼きは一本銀貨四枚だから…支払いは銀貨二十枚だよ」
支払いは銀貨二十枚、一つ銀貨四枚…良質な肉を調理済みで貰えると考えるならかなりお手頃な値段だとは思う。だが普段から質素な生活をしているエリス達にとってはまた話が変わる。ましてや銀貨二十枚ともなればそれなりのお値段…だが?。
「あ、これって使えますか?」
そう言いながらエリスが取り出すのは星証…、メグさんが用意してくれた所謂『アド・アストラに所属する者だと証明する物』だ、真鍮製の星のバッジを取り出しておじさんに見せれば。
「なんだいあんたアド・アストラの人だったのかい!?制服じゃないから気がつかなかったよ、今日は非番か?」
「いえ、今から正式に仕官するところなんです」
「ってことは今日からだな、いやぁめでたいな。よしっ!なら割引して一本あたり銀貨一枚だから支払いは合計銀貨五枚、ついでに無料でもう一本つけてやるよ」
「わー!いいんですか!」
「いいってことよ、あんたの新しい門出の祝いでもあるし。なにより俺たちはアド・アストラのお陰で商売出来てんだ、このくらい安い安い」
そう言いながら焼き立ての串を六本エリスに手渡してくれるおじさん、その対価としてエリスが支払うのはたったの銀貨五枚、安い…安すぎる、そんな破格の取引を終え六本の串をホクホク顔で師匠の元に持ち帰れば。
「とまぁこんな感じです」
「一人で五、六本も肉焼きを食うのかという点については今は置いておくとして、そのアストラの証…割引券にでもなるのか?」
「はい、アド・アストラの職員は星証を見せて身分証明するだけで、マーキュリーズ・ギルド傘下の店ならどこでも破格の割引を受けられるんですよ」
マーキュリーズ・ギルドはアド・アストラの下部組織ですからね、アド・アストラによってギルドの仕入れルートは守られているしギルドの商人達はポータルも無料で使わせてもらっている。
その代わりにマーキュリーズ・ギルドはアド・アストラの活動を支援しなければならない取り決めがあるんだ。アストラの職員が出先で困らないように時に食事を提供し時に日用品を渡し時には無料で宿の部屋も確保してくれる。殆ど赤字同然の取引を受けてくれるほどにマーキュリー・ギルドはアド・アストラから莫大な利益を得ているのだ。
だから、こんな少ない額でもこんなに食べられるってわけですよ。
「なるほど、便利なもんだな」
「それだけマーキュリーズ・ギルドもウハウハってことですね、はむっ…うーん、お肉美味しいです」
久々に食べる良質な肉とアルクカース風味の濃厚な味付け、どちらも普段から僧侶もかくやと言うほど質素な食生活をしているエリスに染み渡る。
美味しいなぁ、こんな料理がここいる限り食べ放題なんて天国のようだ。
「師匠も一本食べます?」
「いらん、アルクカースの味付けは好みではない。と言うかお前これから人に会うのにそんなニンニクだらけの物食べてもいいのか?」
「……もぐもぐ」
もっと早く、言って欲しかった…。
「ま…まぁともかく!、こんな感じでここにいる限り物品には困らなさそうですね」
「そうだな、安さに勝る優越感はない、それを餌に人を集め楽な暮らしをさせつつ働かせる…か。人の動かし方に集め方をよくよく理解している…。この仕組みを組み立てた奴は相当なやり手だな」
「えへへ、それほどでも」
「お前が作ったわけじゃないだろうに、まぁいい。食いながらでも歩くぞ?いくら時間に余裕があるとはいえ遊んでいていいわけではない」
「あ!はい!師匠!」
と串を頬張りながらエリスと師匠は大通りの先にある白銀の塔を目指して歩く。以前は白亜の城が建っていたそこに、今は代わりに翡翠の塔みたいなすんごい塔が建っている。
あれが、アド・アストラの本部…通称『白銀塔ユグドラシル』だ。
「すごい塔ですよね、師匠。もぐもぐ」
「ああ、権力者というのはいつの時代もデカくて大きな建物で仕事をしたがるらしい、もはや人のサガだな」
「そんな事言わないでくださいよ、あれはエリスの友達が作った塔なんですから」
「そうだったな、いや悪い」
そう言いつつエリス達が眺める白銀塔…あれはアジメクの中心に聳える塔でありながら、実は『アジメクの物』ではない。
アド・アストラという組織の性質上その本部が特定の国にあってはならないのだ、アド・アストラは全ての国が平等にあるべき。アジメクに本部があるからアド・アストラもアジメクの物という風潮を防ぐ為、あの塔だけ七大国共有の土地という扱いになる。
故に、あの塔はアジメクの物でありアルクカースの物でありデルセクトの物であり…、全ての国の物であるが故にアド・アストラのトップでもある七大国の盟主達全員が常に控えているらしい。
だから…、彼処にはメルクさんもいる、ということになる。今の時代ならポータルで直ぐにデルセクトに戻れるしね。
「メルクさん…」
あの塔に今危機に瀕している友がいると思えば、今すぐ飛んでいって中に乗り込みたくなるが…グッと堪える。アド・アストラは敵じゃない、味方だ。この事件を解決するにあたってアド・アストラそのものに無用な混乱をもたらす訳にはいかない。
「無事でいてくださいね、メルクさん…。エリスが直ぐに行きますから」
「…………、む?待て。エリス」
「はい?」
ふと、塔を見上げながら歩いているエリスを師匠がそっと手で止める。何事だと視線を下に戻してみれば…気がつく。エリス達の前に何やらソワソワと体を揺らす人集りが出来ていることに。
なんだありゃ。
「ねぇ、あれアド・アストラの『剛戦士』様じゃない?」
「ほんとだ、すげー…有名人じゃん、本物じゃん」
「あれがこの世界を守る戦士の風格か…、並大抵の兵士とは訳が違うぜ」
剛戦士…そう呼ばれる存在を見かけ集まってきた野次馬なのだろう、彼等はまるで有名人にでもあったかのようにソワソワと道の真ん中をいくとある集団を見つめ羨望の眼差しを向ける。
その視線の先にいる集団は…おや?あれは。
「剛戦士バードランド…、アルクカースの一流の戦士。噂じゃああの一隊で魔女排斥組織を一つ壊滅させたみたいだぜ?」
「嘘、めっちゃ強いじゃん…流石はアルクカースの戦士ね」
「むふふふ、いやぁ。久々に街に繰り出してみたが…なんか俺目立っちまってるなぁ」
(あれは……)
羨望の眼差しを向けられ歩く一団、十数名の体格のいい戦士達を率いて歩くのは更に一際体格の良い巨漢。白と黒のお洒落な制服を着崩し背中に大斧を担いで歩くあの巨漢には見覚えがある。
あれはバードランドさんだ、アルクカースで行われた継承戦でエリスと一緒に戦った落ちこぼれ戦士隊の隊長がアルクカースのエリート戦士として羨望の眼差しを向けられている。
…やばい、いきなり知り合いと出くわしてしまった。
「あの!バードランド様!」
なんて道行くバードランドさんの前を…エリスの見立てになるがかなりの美人であろう街娘が遮るように声をかける、しかし。
「おい!やめときな!、バードランドさんは今日は滅多にない非番の日なんだ。いつもいつもこの街や国の平和を守る為に戦ってるこの人の僅かな休息を邪魔するんじゃあねぇよ」
とバードランドさんの取り巻きらしき戦士が前に出て街娘の道を阻む。なるほど、今はバードランドさんもかなり忙しくやってるらしい。
かつてはやることもなくて、仕事もなくて、訓練場の端っこで丸くなるように修練をしていた人とは思えない大出世ぶりだなぁ。
なんて、しみじみと見ていると。
「まぁ待てよ、いいって」
「で、ですがバードランドさん…」
「俺を好いて声をかけてくれた娘を無碍に扱うんじゃあねぇよ、俺はこの子達の笑顔を守る為に戦ってるんだ。それをこんなところで奪っちまったら今までの働きがパァだろ?」
「それは…」
「ささ、退いた退いた!でぇ!?お嬢ちゃんどうしたんだい!」
「嗚呼、バードランド様!なんてお優しい!」
鼻の下を伸ばしながら寄ってきた街娘を受け入れると、今度はそれを見た野次馬達もやいのやいのと寄ってくる。しかも寄ってくるのはどいつもこいつも美人の娘ばかり…モテモテだ。
あのバードランドさんがモテている。
「私、バードランド様の事が気になっていて…」
「私も!バードランド様の逞しい筋肉が好きで…」
「是非お話を聞かせて頂けたらと思いまして」
「ダハハハハ!なあんだそんな事かぁ。いいぜ?俺達これから『クラブ』に行くんだげどよぉ、一緒にどうだい?」
「嘘!やったー!」
「喜んで!バードランド様とご一緒出来るなんて幸せですぅ!」
「おっほほ!そうかいそうかい!だははははは!」
若い女の子からキャーキャー言われて、幸せそうだなぁ。だがどうやらこれは別段珍しい話ってわけでもなさそうだ。街人達もそれを受け入れているし、なんなら我々もと混ざろうとさえしている。
好かれているんだ、純粋に。アド・アストラという平和を守る戦士達が民衆に。
非魔女国家では悪鬼外道のような言われ様だったのに、翻って魔女大国ではこうなのか…。なんというか両者の価値観の乖離具合の酷さを感じるというかなんというか。
「よーし!なら今日は俺の奢りだ!付いてきたい奴は付いてきなぁ!俺は女の子には優しいからよぉ!俺の武勇伝が聞きたい娘は俺に付いて来な!」
「やった!バードランド様の武勇伝が生で聞けるわ!」
「それも『クラブ』に入ってだなんて夢見たい!」
「お供しますわバードランド様!」
「でへへへ、おう。あんたもあんたもこっちに付いて来な。それで…」
自分と近くに寄ってくる女の子はみんな連れて行くとばかりに豪快に丸太の様な腕を掲げるバードランドさんはふと…。
こちらを見る。
「え?」
「そこのお嬢ちゃん」
ギョッとする、きっとエリスはびっくりするくらい顔に出て焦っていただろう。何せ隠れなきゃいけないのに知り合いに声をかけられているのだから…。
反射的にどう取り繕おうと考えるや否やバードランドさんはエリスに寄って来て。
「おう!あんたもどうだい?ここらじゃ見ない顔だがあんたも俺の武勇伝聞きたいだろ?」
「え?あ…いや、その…」
…そこでようやく気がつく。この眼鏡のおかげでエリスだと気づかれていない事に。いや知識では分かっていたがこうして効果を実感するとまた違う。何せエリスの知り合いである筈のバードランドさんがまるで初対面のように振舞っているのだから。
本当にわかんないもんなんだなあ。これなら安心してアド・アストラに行けそうだ。
「いえ、私はこれから行くところがあるので」
「そうかい?、そりゃ残念だ!俺の武勇伝の中でもとっておきの話を…アルクカース王位継承戦の時の話をしてやろうかと思ったんだがなぁ〜」
とまるで誘う様に言ってくるが、残念。エリスその継承戦の内容は知っているんですよ。貴方がどれだけ勇敢に戦ったかもね。
だがそれを言うわけにもいかず、こう…なんとも言えないような、肯定とも否定とも取れないような微妙な愛想笑いで流していると、バードランドさんは取り巻きと漁果たる街娘達を引き連れて何処かへと去っていく。
「えぇー!継承戦の話聞かせてもらえるんですか!?」
「継承戦ってあのラグナ大王様が王座に就いたときのですかぁ!?」
「おうよ、俺ぁあの時ラグナ様の味方としてそりゃあ勇猛果敢に戦ってよぉ。まぁあの継承戦に勝てたのは八割がた俺のおかげっても過言じゃねぇ」
「キャー!すごーい!」
「でへへ、いやぁラグナ様にも手を取って礼を言われてよぉ!あれから重用されて参っちまってるんだよぉ〜」
「…………」
女の子の肩を抱いて街の雑踏へと消えていくバードランドさん達を見送って軽くため息をつく。何だかんだ幸せそうに暮らしているようで何よりだ。
「バードランドの奴、ノリに乗ってるな…」
「ですね、まぁ。彼はそれだけの働きをしてくれたとエリスは思ってますよ?彼がいなければそもそも継承戦にも挑めなかったわけですし…って」
ふと、エリスの隣に立つ師匠を見上げて違和感に首をかしげる。そういやバードランドさん師匠には無反応だったな、一応この人達顔見知りの筈だよな?忘れちゃったのかな。
だとしたらそれはそれで許せんな、師匠の顔を忘れるなんて。
「何を不思議そうな顔をしている」
「いや、何でバードランドさんが師匠に反応しなかったのかなって」
「単純な話だ、奴には見えないようにしていたからな。私の魔力隠密術は魔女を相手に八千年隠れ通すだけのレベルにある…バードランド如きには私の影すら見えんだろうな」
なるほど、どう言う理屈かはわからないが師匠の姿はエリスにしか見えないようにしてくれているらしい。
「しかし幸運にもこれで立証されたな。我々は顔見知りに会っても特に何かに気を使う必要はなさそうだ」
「ですね、じゃあボチボチこの街の見学を始めますか?」
「ああ、良い酒が売っていたらお前の星証を使って買ってくれ」
「流石にあんまり大量には買えませんよ?」
「ケチ臭いことを言うな」
だって師匠樽で飲むんですもん、それを個人で買うって業者か。
なんて苦笑いで誤魔化しつつ、エリスはステラウルブス観光を始める。
………………………………………………………………
それからエリスと師匠は二人で向かうのはアド・アストラ本部…ではなく、夕頃まで時間を潰すためにこの街の遊興を堪能する事にした。
とはいえ、エリスはあまり娯楽に明るい方ではない。快楽といえば飯の旨味しか知らぬこの身では何が楽しいか分からない。
あと知っている遊びといえばカジノくらいだが、エリスは…その、カジノにはもう二度と立ち寄らないと決めているので行く場所と言えば限られる。
故に選んだのが…。
『ご来場の皆皆様ァ〜〜!大変!たいへーん!長らくお待たせ致しましたァ〜〜!これより『ステラウルブスカップ』の開会を宣言させて頂きまァ〜〜すッ!」
エリスと師匠が居るとはステラウルブス切っての娯楽エリアと呼ばれる地点の、その中でも代表的とされる施設…その名も『ステラウルブススタジアム』。
え?城?って思うくらい巨大なドーム状の施設の名こそがそれだ。三年前のシリウスとの戦いの後魔女大連合軍の勝利の宴会の中で行われたスポーツ大会を覚えているだろうか。
あのスポーツ大会がエリスの思っていた以上に影響力を持っていたらしく、スポーツに馴染みの無かった国々にもスポーツが広まり一般にも浸透し観戦が一つの娯楽として確立したことにより生まれたのがこのスタジアム。
世界初にして世界一のスタジアムたるこの場では毎日のように色んなスポーツ大会が開かれており、一般人もチケットを買ってそれを観戦する事を生き甲斐にする者がいるくらいには熱狂的に支持されているらしいのだ。
「すごい熱気ですねぇ〜」
「それに凄まじい設備だ、最早私の理解の範疇を超えているぞ」
エリス達が座っているのは一番安い席、そこを星証を見せて超絶格安で席を取り観戦することとした。ちなみにちゃんと席は二人分買いましたよ?。
師匠の姿は誰にも見えなくてもだからと言ってお金を払わなくてもいいと言うわけではないので、まぁどう見ても一人のエリスが席を二つ買うと言い出した時は店員さんもやや訝しげな顔をしていましたがね。
そんな格安の席から見えるのは緑色の広大なコート。そしてそれを彩るは…。
「わぁ、綺麗…虹のカーテンです」
「水を高速で噴射しているのか?、いや下に巨大な用水路があるのか…それを魔力機構で操り水の芸術を作り出していると…なるほどな」
コートを彩るようにあちこちから噴射される水が空を舞い、虹の幕を演出として作り上げている。それもこれも魔力機構を使って制御してやっていると言うのだから技術の進歩とは凄まじいな。
このスタジアムは謂わば最新技術の結晶…このスタジアム自体が巨大な一つの魔力機構なのだ。ライトから演出用の噴水まで全て魔力で動かし、有事には外壁に魔力障壁を張り臨時の砦にも変貌する特別製。
そんなのをスポーツに使えるなんて、平和な時代だ。
『今日行われるのは国対抗のフットボール最強決定戦!、魔術アリのこの険しいスポーツに魂を賭けるは七大国の代表選手達!。各々が国の名を背負って世界最強を祖国に持ち帰るため!今日!鎬を削る!!』
ゴウンゴウンと響く実況の声と共に虹で彩られたコートに入場してくるのは七大国の代表チーム達。普段はそれぞれの国で戦っているチームが国境という垣根を超えて一堂に会してぶつかり合う熱い試合が今日行われる…ともらったパンフレットに書いてあった。
エリスも師匠も暇を潰すためにここに来たので別に詳しくないのでただボーッとそれを眺め続ける。
『まず紹介するのはこのチーム!圧倒的なデータ分析能力で相手を追い詰める!コルスコルピ代表!『チーム・アクラブ』!そしてそれに続くのはリベンジに燃える美しき獣!エトワール代表!『メランポーズ』!、おおっと!前回から大幅にメンバーを変えてきたぞ!デルセクト代表『マーキュリーズ』!』
次々と入場してくるコルスコルピ人、エトワール人、デルセクト人の選手達。しかし…こんないろんな国の人達がただフットボールする為だけにこのアジメクにやってくるような、そんな呑気な時代が来るとは些か驚きだな。
なぁんてどうでもいいことを考えながらエリスはさっき出店で買ったかフランクフルトを咥える。師匠が『まだ食うのか…』とドン引きしているが今は知らないフリをしよう。
『あーっと!最強王者『ステルラゼニス』を破り前年の覇者へと上り詰めた現最強チームのお出ましだ!、無敵の暴力みんなの大本命!アルクカース代表『紅蓮大隊』の登場だーっ!』
『ォォォオオオ!!!』
会場が一気に沸き立つ。どうやら今入場してきた赤いユニフォームを着たアルクカースのチームは大人気らしい。気になってパラパラとパンフレットを捲ると。
流石前年の覇者だけありかなり大々的に宣伝されていた。アルクカース代表チーム『紅蓮大隊』、前々年の大会ではオライオン代表の『ステルラゼニス』を相手に決勝で負け惜しくも準優勝に甘んじた強豪チーム。
だが、銀メダルを片手に祖国に帰ったところアルクカースの国王ラグナに。
『銀メダル?敗北の証を誇るな。次は絶対に勝て…いや勝たせる!!』
と激励を入れられ、ラグナ考案のアホみたいなトレーニングを課せられ見事前年の覇者に上り詰めたと言うのだ。
……何やってんですかラグナ、全くもう。
『そして今度こそ最強の座を取り戻しにやってきたオライオン代表『ステルラゼニス』もやってきたぞ!。それに今度は帝国代表の『グングニル』も登場だ!年々実力を上げているこのチーム!私は『グングニル』が今年の優勝候補と睨んでおります!』
次から次へとチームが入場してる、どれもこれも自信に満ちていて今日は絶対に勝つという気概にあふれていて……おや?。
『そして、最後にアジメク代表の『グラジオラス』が入場し、全チーム揃いました!』
実況の呆気ない紹介と共に入場してきた我らがアジメクのチームは…なんというかすごく小さく見える。他が自信に溢れているのにアジメクだけ物凄く場違い感が溢れている。
…なんだ?なんであんなに縮こまっているんだ?、そう気になってパンフレットを見てみれば、アジメクの項目はアルクカースと違い小さく小さく書き込まれていた。
まぁ簡単に言えば、七大国全チームの中で最弱のチーム…ということらしい。なんでも一勝もしたことがなく毎回一回戦に大差で負けるのを繰り返している弱小チームだと言うのだ。
故に観客もアジメクの応援はしない、アジメクの相手はもう殆どシードみたいなもんだから是非とも応援するチームがアジメクと当たりますようにと祈るくらいだ。
なんというか…、一応アジメク人のエリスからしたら面白くない話だな。
「なんだか面白くないですね、アジメクがナメられてる感じがします」
「どうでもいい、奴らが弱いのは奴らの問題だ。そこに腹を立てても意味がない」
「そりゃそうですけど…、あ!試合が始まりますよ!、第一試合は…ゲッ!アルクカース対アジメク…」
簡易的な挨拶と儀礼的な口頭をお偉いさんが交わした後、直ぐに試合は始まる。コートに並ぶのはアジメクのチームとアルクカースのチーム。
肝心の試合内容だが…。
エリスはフットボールについて明るくないからなんともいけないが、少なくとも試合が一方的なものであることはわかる。
「うわぁ、アジメクとアルクカースの点差えぐぅ、まだ数分しか経ってないのに」
最強のチームと最弱のチームの戦いに観客が期待するとは一つだけ、この試合でアルクカースが何点入れて勝つか、それだけだ。
アジメクの選手達がいくら足掻いても圧倒的フィジカルを持つアルクカースの選手に弾かれそもそも話にすらならない。応援する気力も失せるというものだ。
「…っていうか、なんかさっきからアジメクの選手達やる気ないように見えるんですけど。師匠はどう思います?」
「………………」
「師匠?」
ふと、師匠が腕を組んで上の空であることに気がつく。視線はコートを見ているがその目は何も見ていない。ただ内側の思考に目を向けて熟考している。
最早目の前試合は見るまでもないということだろうか。
「どうしたんですか?師匠」
「…考え事をしていた、観戦をしながらでいいからお前も聞け、エリス」
「はい、なんでしょうか師匠」
「さっきのバードランドを見て、思ったことが一つあってな」
エリス達の目の前ではアジメクの公開処刑ショーが着々と進みながら、師匠はエリスにチラリと視線を向ける。
「バードランドの奴、前会った時とは別人のように自信に満ち溢れていたな」
「そうですね、まぁ三年も経てばそんなもんじゃありません?」
「そうだな、人は時の流れと共に価値観も物の捉え方も変わる。極論を言えば明日になれば少なからず物の考え方が変わったりもする。人とはそう言った一貫性のない生き物だ」
「…あの、それで話しって…」
「いや、お前のこの状況がつくづく三年前の私に似ているなと思ってな」
三年前の状況というと、あの旅にか。
確かに、師匠のように久しく友人に再会するという点では似てるかもしれないが…。
「あの、具体的にはどの辺が」
「友は世界の支配者として身を粉にして働き…お前はその務めから逃げた、言い方は悪いが私に当て込めるとこうなる、そしてお前はそこに罪悪感を感じている」
「…そうですね、そう言われればそうかもしれません」
「なればこそ、思うのだ…この旅の先に待つ『友との再会』も、私の時と同じようになるのかもしれん…とな」
「ッ…」
つまり、師匠は言いたいのだ。師匠が変わり果てた魔女様達と戦ったように…エリスもまた再会したメルクさんと争うことになるかもしれない、と言うことを。
「ありえませんよ、エリスとメルクさんが戦うなんて」
「私も三年前はそう思っていた、あの時は洗脳と言う要因はあったものの…それでも三年という時間は人を変えるに余りある時間だ」
「つまり、師匠はメルクさんがエリスが成敗しないといけないくらいの人間になってるって…そう言いたいんですか?」
「さぁな、だがどうにも腑に落ちんのだ、確かにメルクがやった失態は大きなものだ…だが。それによって立場を追われたり零落するような女には思えん。メルクリウスは強かな女だ、奴がこの程度でへこたれるとは思えない…フォーマルハウトがそんな柔な子を育てるわけがない」
確かに…そうだな。確かにメルクさんがやらかした『ロストアーツ強奪事件』はかなりの失態だ、だがそれだけでメルクさんが崩れるとは考え難い。
いくら失態を演じても、いくら弱みを見せても、折れず曲がらず立ち上がりその全てを迎え打てるだけの胆力を持った人のはず。それが今…窮地に陥っているのはちょっと考え難い。
「この三年で、奴の心情にも変化があったのかもしれない。もし再会してもそれはお前の知るメルクリウスではない可能性もある…と言うことだ」
「…………」
「友を信じるのは良い、だが…最悪の事態は覚悟しておけよ」
メルクさんがそんな風になるわけがない!メルクさんは強い人だ!そう反論したいが師匠は現にそれを乗り越えてきた人だ…、その言葉には重みが含まれている。少なくともエリスには弾き返せないくらいの重さが。
気がつけば既にスポーツ観戦なんかしてられるほどの心境にはなく、ただただ漠然とした焦りと恐怖が心を占める。まるで燃え盛る火炎を背にしたかのような焦燥は目の前のことさえ眩ませる。
『ここでタイムアップ!アジメク代表!全く歯が立たない!試合にすらならなーい!!』
「やはりダメだったか、まぁアジメク人は体格も小さいし筋肉のつきも弱い。ああ言う肉体勝負では最初から結果が見えていたな。さて?エリス…そろそろ行くか」
「そうですね…」
「この様子ならどうせアルクカースが優勝する、奴等だけ身体能力が別格だ」
もう見る必要がないと悟ったか、あるいはエリスの焦りを察してくれたか、師匠は徐に席を立ちスタジアムの外へと向かっていく。そんな中エリスは…ただただ自分の愚かさを呪い。
「なーんだ、やっぱりアジメクなんかダメじゃん」
「所詮はアジメク人だよ、アルクカース人には敵わないさ」
「…………」
目の前の客のなんか嫌な言葉を聞きながら、エリスは席を立つ。もう遊ぶのはやめよう、何をしても身が入りそうにもない。一刻も早くアド・アストラに向かう…そうしよう。