316.魔女の弟子と新たな道筋
人類を繁栄させし新たなる統治機関、世界統一機構アド・アストラ。
三年前に巻き起こったとされる未曾有の危機を前にして、世界の指導者達が手を取り合い。人の手を以ってして世界を守る誓いを立て生まれたとされる一大組織。
そんな組織の成立の中心となった八人の英雄がいる事は知っているだろうか。今現在魔女大国内にて絶大な人気と支持を集めるその八人は、三年前起こったとされる『アジメクの決戦』にて世界を滅ぼす恐るべき敵と戦い、魔女に代わって打ちはらい新たなる救世の英雄として名を馳せた八人の存在を。
八人のリーダーとして、或いは至上の戦士として軍団を率いて戦ったされるのは。争乱の魔女アルクトゥルスの弟子にしてアルクカースの大王『ラグナ・アルクカース』。
圧倒的財力と技術力を天性のカリスマで纏め上げ天を穿つ槍となったのは。栄光の魔女フォーマルハウトの弟子にしてデルセクト国家同盟群が首長『メルクリウス・ヒュドラルギュルム』。
深遠なる叡智と連綿たる人の智慧を結集させ、破滅を前に一歩も引かなかったのは。友愛の魔女スピカの弟子にして魔術導国アジメクの導皇『デティフローア・クリサンセマム』。
今現在アド・アストラを牽引するこの三人もまた英雄であるとされ、彼らの絶大な支持基盤はこの伝説から来るものとされる。
ラグナ大王が如何に勇敢か、メルクリウス様が如何に聡明か、デティフローア導皇が如何に慈悲深いかはエトワールの吟遊詩人によって脚色された伝説によって各地に広まり、老若男女を問わず皆を沸かせた。
今の我らの指導者は如何に素晴らしいかを自覚した彼らは、同時に思うだろう。
英雄は全部で八人。ならば残りの五人は誰なのか…と。
表向きには公表されていないが、それでも大凡の予想はついているのが実態だ。何せ英雄は全員魔女の弟子…そして魔女の弟子は得てして目立つものだ。
剣の才覚と神算鬼謀なる立ち回りによって敵を翻弄したと伝えられるのは。探求の魔女アンタレスの弟子にして次期ディオスクロア大学園の理事長『アマルト・アリスタルコス』。
凄絶なる美と鮮烈なる麗により人々を魅了するスーパースター。閃光の魔女プロキオンの弟子にして現エトワール最高の女優『サトゥルナリア・ルシエンテス』。
究極と呼ばれる肉体に、極限と呼べる技を備え、神に選ばれし威容を誇るのは。夢見の魔女リゲルの弟子にしてオライオン最強の闘神将『ネレイド・イストミア』。
時に盛大に、時に静寂に、消えては現れる星の泡沫にしてアストラの暗部。無双の魔女カノープスの弟子にして現 冥土長 『メグ・ジャバウォック』。
彼ら彼女らはラグナ達のように目立つ地位にいるわけではない。中には軍やアストラそのものに所属していない者さえいるが、それでも有名人だ。一度見たことがあると口にする者は多くいる。
だが…、ただ一人だけ。その一切が謎に包まれた者がいる。
八人の英雄の中で、所在も詳細も経歴も地位も何もかもが不透明であり時として実在さえ疑われる『八人目の英雄』がいる。
ある者は『三年前の戦いで既に戦死している』と口にする者もいる。
ある者は『八人の魔女に合わせるため、存在しない人物をでっち上げて作られた架空の人物である』と結論づける者もいる。
ある者は『戦いの中で敵に寝返ったのでは』と邪推する者もいる。
そもそも八人の英雄の中にカウントしない人もいるし、話題にさえ上げない者もいる。
だが彼女を知る一部の者は口にする、彼女は確かにいる…と。彼女こそが八人の英雄を繋げし紡ぎの存在であると。
されどそんな小さな声も、三年という時に掻き消され誰も耳を傾けなくなりつつある。彼女を知るほんの少しの人間に比べれば八人の英雄の伝説だけを知る者は圧倒的に多い。
そんな者達の口から消え始めている者の名は…。
如何なる存在にも阻めず、如何なる存在さえ打ち倒して進む決意の化身。孤独の魔女レグルスの弟子にして…空虚なる存在『エリス』。
謎に包まれた彼女は一度として表舞台に現れることなく。ただただ時の風化を受け入れどこぞへと消えた。
アド・アストラの統治を手伝うわけでもなく、世界のどこかで何かに貢献するわけでもなく、ただ虚空の中へと姿を消している。そんなの…或いは忘れられて当然なのかもしれない。
ならば、今彼女は何処にいるのか。本当に戦死したのか?本当に裏切ったのか?本当に存在しないのか?。
そんなわけはない、彼女は確かにここにいる。
ここ…、ギアール王国の僻地。国境の寸前にある森…、『紅の衣装箪笥』との異名と呼ばれる広大な山岳地帯、正式名称を『メープルフォレスト』なる地点が存在する。
一年を通して木々の葉が赤く染まることで有名なこの山岳地帯は、山の標高こそ高くないものの細かな山が乱立し迷いやすく、その上でなおかつ降り積もった枯葉は滑落の危険性を跳ね上げる。
最寄りの街も馬車で数日かけて漸く辿り着けるくらい遠方にしか存在しない為ろくすっぽ開拓もされず遥か昔から残り続けている自然領域だ。
そんな山々を掻き分けた最奥…、山と山の間。ぽっかりと空いた窪地に降り積もった枯葉を蹴飛ばして。乱雑に歩く足は見え始めた景色を眺め口を開く。
「やっぱ、またここにいやがったな」
窪地の中に生まれた自然の楽園。流れる滝は風情を催し 風に乗る赤葉は空間を彩り、人の手が付いていないからこそ漂う世界本来の美しさが光るその楽園のど真ん中にて、揺らめく人影を見て笑う。やはりここにいたと。
「相変わらず森の中が好きだな。チンパンジーかお前は」
「喧嘩を売りに来たのか?」
焚き火を前に腰をかけ、背を向ける黒髪を煽るように口を開くのは赤髪の女、黒と金刺繍の軍服を着込んだ女…アルクトゥルスは邪魔な落ち葉を気迫のみで吹き飛ばし、図々しくも焚き火の下まで歩み寄り、腰を下ろす。
「テメェの顔を見に来たんだろうがよ、レグルス」
「フンッ…、見に来なくてもいい」
ぶっきらぼうに鼻で笑いながら、木の枝で焚き火を突くレグルスの相変わらずの無愛想さにアルクトゥルスは思わず嬉しくなる。やはりレグルスはこうでなくては…と。
アルクトゥルスは訪ねに来たのだ。今この森に居るであろう旧知の仲にして竹馬の友レグルスを。こうして顔を見に来るのも半年ぶりだというのに相変わらずこいつはいつも無愛想…友達に会えたんだからもっと楽しそうにしろよな。
「よう、ほら…。手土産に酒を持ってきてやったぜ?レグルス」
「ん、そこは感謝しよう」
焚き火を前にしアルクトゥルスは持参した酒瓶をレグルスに渡しつつ、周囲を見回す。
シリウスとの戦いを終えて三年。結局落ち着くことなく直ぐに旅に出たレグルスはあれから一度として家に帰ることなく毎度のことのように表舞台から姿を消した。とはいえ昔と違って今度は何処に居るか分かるからな。こうして都度都度会いに来て雑談をしに来ているのだ。
…特にこの赤い森はレグルスのお気に入りらしく、基本的にここに来りゃ会えるんだから、昔と違ってだいぶマシになった。
「おや?、変わった容器に入った酒だな」
「おう、三年も世捨て人やってるお前は知らないだろうが、そいつは最近都で流行ってる酒よ。麦じゃなくて米で作った大吟醸って名前の酒らしい。飲んでみろよ」
「ん…、…トツカの酒だな?まぁ悪くないものを持ってきたじゃないか。礼を言うぞ」
「いや全部やるわけじゃねぇからな?ってか直飲みするなよ!コップに注げって!」
「断る」
陶器に入った酒をグビグビと飲み干すレグルスの乱雑さに、アルクトゥルスははやや呆れつつも思う。そう言えばこいつはこんなやつだったと。
シリウスに操られ、昔の荒々しいさを失ったしおらしいレグルスも可愛かったが。やっぱこいつはこう…無遠慮で無礼極まる方がらしいな。
「おい、酒の礼だ。食っていけ」
「食っていけって、まさかこれか?」
「ああ、今日の昼飯だ」
そう言いながらレグルスが指し示すのは焚き火の真上で丸焼きにされている大魚だ。人の体の数倍はあろう怪魚は今槍のような串に貫かれ焚き火でじっくり燻されている。
…まさかこいつ、いつもこんなもん食ってるんじゃねぇだろうな。
「まぁいいや、んじゃ頂くぜ」
「ああ、食え」
手刀で軽く魚を切り分け。皮の方からムシャムシャと食らう。やっぱ魚は皮の裏についた肉が一番ウメェな。
「はも…むしゃ、ウメェ」
「しかし随分暇そうだなアルクトゥルス」
「ん?ああ、まぁな。もう面倒な政治とかしなくて良くなったからな」
今こうしてアルクトゥルスが呑気にレグルスの所に遊びに来れるのは。もう昔みたいに国のことを心配する必要がなくなったからだ。
「今時代はアド・アストラよ。あれがある限りオレ様達魔女がもう何かする必要はねぇな」
三年前のシリウスとの戦いの後。オレ様達魔女は当初の宣言通り表舞台から一線を退くことになった。弟子達が育って来たのだから後のことは弟子達に任せるってわけよ。
事実オレ様達魔女がいなくなってもラグナ達の作ったアド・アストラが上手く機能してるからな。むしろ魔女が統治して来た時代よりも世界は良くなりつつある。
オレ様達はお役御免ってわけだ。
「なるほどな、で?お前は今何をしてるんだ」
「んー?、まぁ漸く暇になれたし、ラグナに修行つけたり、それ以外の時間はあっちこっちに飛び回って美味い肉食ったり美味い酒飲んだり。まぁ色々だ」
「随分気楽な生活だな」
「一度として治世に関わらなかったお前に言われるとはなぁ?」
「ぅ……」
あれから世界は大きく変わった。魔女が世界の統治から手を引き、本当の意味で人の世が到来しようとしている。…ここまで長かった、本来はこんな世の中を夢見てたはずなのにいつの日か忘れてマジで世界の支配者になりかけてたんだ。
世界が、本当の意味で厄災の前に戻った気がする…。そんな平和を前に八千年ぶりの自由を謳歌しアルクトゥルスは暇を持て余す。こんな感覚八千年ぶりだな。
「で?そう言うお前は何やってんだよ。こんな僻地も僻地のど僻地でよ」
「修行だ、ここは数千年前から人の手が加わっていない謂わば霊峰に近い空間だ。修行をするなら人のいない場所に限る」
「へぇ、確かにいい場所だ。枯葉がうざってぇのと人里から遠いのが気になるけどな」
「だがここはいいぞ、非魔女国家にしては自然の恵みも豊富だし、水も綺麗だし。何より温泉も湧いている」
そう語るレグルスは少し安らいだような顔で焚き火を眺める。この三年間…レグルスは各地を放浪している。南に行ったり北に行ったり東に行ったり、かと思えば南に戻ったりと各地を転々としている。だがそれでもこの森に戻ってくる頻度は多い。それだけ、この森が気に入っているんだろう。
「へぇ、よかったな」
「ああ、今ではすっかりここを拠点として扱っていてな。今はそこに小屋を建ててエリスと一緒に暮らしている」
「は?暮らしてるってお前…、アジメクの家は?」
「ああ、…あったな。そんなのも」
「お前なぁ、彼処はエリスにとっても帰るべき家だろうが。それにアジメクにはエリスを待っている奴だって…」
「他でもないエリスが言っているんだ。まだ帰るつもりがないと」
「ああ?」
顎をクイッと動かし指し示すのは、この窪地の象徴的な空間。冷厳たる大滝が落ちる湖、その中央に隆起した大岩の上だ。
その上に、背を向けた状態で胡座を…いや坐禅を組み静かに瞑想を続ける姿がある。あれは…。
「エリスか…」
「ああ、今も修行中だ」
エリスだ、最後に見た時よりも幾分髪が伸びているか?。いやそれ以上に…。
(へぇ、確かに強くなってらぁ)
以前見た時よりもやはり格段に強くなってやがる。漂う魔力の色からして既に違う、ありゃあもう第三段階も目の前じゃねぇか?。たった三年でここまで持ってくとはな。
「今も例の修行を続けてるのか?」
「ああ、本人が納得がいかないようでな…。奴が目指している領域はまだまだ早いと言うのに」
「へっ、じゃあちょいとオレ様が見てやるよ。どんなもんかをな」
魚の肉に齧り付き纏めて口に収め咀嚼しつつ、立ち上がり向かうのは湖のど真ん中で瞑想するエリスだ。このオレ様が出向いて来たのにケツ向けて座り込んでるとはいい度胸じゃねぇか。
湖の水面に足を置き、足の裏に魔力の壁を作ることで水面を歩き、エリスの背後に迫る。さて…どれくらいやるようになったかな。
「……プッ」
未だオレ様に気がつくことのないエリスに向けて、アルクトゥルスが放つのは魚の骨だ。先ほど食らった怪魚の小骨を唇だけで放てばそれは吹き矢の如く飛び。真っ直ぐエリスに向かっていく。
「………………」
迫る骨矢、されど反応を見せないエリス。瞬く間に骨はエリスの肩を射抜こうと加速した瞬間。
キン…と、甲高い音を立てて骨が弾かれた。いや、そもそもエリスに当たってすらいない。あれは…。
「魔力防御…、物にしたか」
魔力ってのはどこまでも万能なモンでな。詠唱を使えば火にも水にもなる、目に通せば魔眼となるし腕に通せばそれだけで身体能力の向上になる。誰だってある程度練習すりゃそう言うことは出来るようになる。
そんな中でも一際難易度が高いのが『魔力防御』。読んで字の如く魔力を体の周辺に展開し防御する技術…なんだが、これがまた難しい。魔力の扱いに卓越した腕を持ち尚且つ体全体を覆うだけの量の魔力を固定するのははっきり言って神業レベルの芸当だ。
熟練者でも目の前に壁として展開するのがやっとなそれをエリスは今背後にも展開してやがる。
やるじゃねぇの、まぁ魔女クラスはこれを常に何重も纏って生きてるわけだがな。オレ様達のそれより幾分薄いしかなり効率も悪い。だが確かに出来ている、おもしれぇ。
「…プップッ」
口の中を弄り次々と小骨を放ち続ける。魔力防御ってのは何かを防ぐ都度魔力を消費する
言っちまえば攻撃されてかけた分の魔力を直ぐに補充しなきゃならんのだ。故に一撃防いだからって完璧とは言えない。
故に何度も何度も小骨を放つが、一度…二度と防がれる。さぁ次は三度目だと次の骨を咥えたところで…。
「ッ…!」
「お、動くか」
飛んだ、目を閉じたまま飛び上がり水面に着地しオレ様と向かい合うエリス。…へぇ水面着地もやってみせるか。ちょっと不安定だがまぁレグルスなら及第点を与えるだろう出来だ。
「へっ、動いてどうする?オレ様を止めるか?殴るか?やってみろよ」
「…………!」
踏み込んだ。水面を確かに足の裏で捉えて踏み込み肉薄するエリスに小骨の弾丸を放ち牽制する。
ヒュンヒュンと空を裂きエリスの額や腹を狙った骨の弾丸はその皮膚に触れるよりも前に弾かれ湖の水面へと沈む。…ここまで防ぐか、なかなかやるな。
…いや違うな、なんか妙だな。
「プッ…!」
向かってくるエリスから逃げるように一歩バックステップを踏んで置き土産に骨弾丸を放ち。相変わらず防がれるそれをよくよく観察する。
飛ぶ骨はエリスに触れる直前で弾かれる、そこは同じだ…だが。
(弾かれた骨が若干削れてる…。なるほど、魔力防御は魔力防御でも、流障壁の方か?またマニアックなのを…)
弾かれてクルクルと宙を舞う小骨の先端が若干削れて折れている。通常魔力防御ならこうはならない。
おそらくエリスが極めたのは魔力防御の亜種。『流障壁』の方だ、若干邪道だがまぁいいだろう。
「おもしれぇよ、ほらどんどん見せて…お?」
ふと、口の中を舌で舐めて…気がつく。ヤベェもう骨がない、弾切れだ…と気がついた瞬間には既に。
「あ」
「……フゥッ!!」
エリスがもうオレ様に追いついてやがった。目を閉じたままオレ様の気配を察知したエリスは思い切り拳を握り…、オレ様の脇腹をかちあげるように、抉りこむように殴り抜く。
いいパンチの打ち方だ、腰の動かし方も足の捻り方も絶妙、体重移動も機敏かつ鈍重。オレ様採点で言わせて貰えば四十五点の素晴らしい拳が真っ直ぐオレ様の肉体を打ち付け。
「ッ……」
ることはない、エリスの拳はオレ様に触れる寸前で轟音を立てて阻まれる。
言ったよな、オレ様達魔女は常に何重もの魔力防御を張り巡らせていると。だからこんな拳防ぐまでもねぇ。
ただ、…ふむ。エリスの拳に触れているオレ様の魔力防御がガリガリと音を立てて削られている。やはり流障壁を纏ってたか。
…流障壁。これは通常の魔力防御よりも消費魔力が少なくその代わり防御力の低い障壁の張り方だ。やり方は単純、極薄の障壁を展開しそれを高速で回転させ続けるだけだ。
回転によって生まれた流れに相手の攻撃は受け流され、弾かれ、削られる。大規模な攻撃には無力な反面さっきみたいな軽い攻撃くらいなら受け流して完全無効化できる代物だ。
ただ…習得はある意味魔力防御よりも難しいかもな。なんせただ生み出した防壁を更にそこから回転させ続けなきゃならねぇ、それも高速で。魔力操作技術が馬鹿みたいに高くないと出来ないなこりゃ。
「っ…ぬぬ〜っ!はぁ…。この防壁は抜けませんね」
「ッたりまえだ。オレ様の魔力防御がこんなひよっこ防壁に破られるかっての」
「あはは、ですよね」
パッと閉じていた目を開き、先程までの剣呑な雰囲気を消し去り人懐っこい笑みを見せるエリスに思わずこっちまで楽しくなる。こいつぅ〜、自分の修行にオレ様を使いやがったなぁ?。
「んっ…んん〜!、はぁ〜。長い事瞑想してたから体が固まっちゃいましたよ、お腹も減りましたし」
凝り固まった体を伸ばして解きほぐしながら水面の上を歩くエリスを目で追う。あれから三年…新たなる修行の旅に出たエリスはこの旅にてまた強く大きく成長しているように見受けられる。
三年…と言うことは齢は二十一ごろか、人間的に脂の乗り始める時期だ。
背丈はまぁ年齢的なこともあるからかさしたる程伸びてはいない、三年前から使っているコートを今も続けて着用し続けている事もあり年季の入った渋みはエリスのような麗しい乙女にはやや不釣り合いにも思える。
っていうか元々見た目には頓着がなかった事もあり髪は乱雑に伸ばしてそれを後ろでメンドくさそうに纏めて化粧も相変わらずしていない体たらく。オレ様だってこのくらいの頃は化粧の一つもしてたぜ?。
ただ、やはりそれでも麗しいと感じさせるだけの美貌をエリスは持っている。手弱女の艶やかさとはまた違う輝き、生命力に満ちた大輪の花の如き強い光…そんな美しさだ。
こりゃあラグナの奴も喜ぶだろうな、テメェが昔から惚れてる女はこの通り大当たりだぜ?。
「さて、修行もひと段落しましたし。一緒に休憩しますか?アルクトゥルス様」
そして、どれだけ成長しても変わらぬ強き瞳でオレ様を見上げるエリスは軽く微笑む。
全く、立派に育ったもんだぜ。
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メルクさんの治める富と栄光の大国『デルセクト国家同盟群』と世界最大の非魔女国家『マレウス』の丁度境目にある小国、名をギアール王国と呼ばれる国がある。
古くからある言い伝えや慣習を尊ぶ国であり、コルスコルピ程ではないが歴史とかそう言った物の重みをよく理解しているのがこのギアール王国と言う国です。
この国で作られる蓮臥は『ギアール蓮臥』なんて呼ばれ方もする程に丈夫で独特な深みのある色合いが特徴で、それを用いた家々が連なる真紅の街並みはを初めて見た時の圧巻さと言えば、言葉に出来ない程です。
そんなギアール王国に今、エリスとレグルス師匠は居ます。
シリウスとの激戦を終えて、ラグナ達と別れて改めて修行をやり直す為再び旅に出てより早三年。エリスは師匠と多くの地を巡り多くの事を経験して来ました。一度目の旅では立ち寄る必要のなかった国やエリスの実力的に立ち入れなかった秘境などを巡り巡る新たなる旅。
そんな旅の拠点として扱っているのがこのギアール王国の僻地、メープルフォレストと呼ばれる巨大山岳地帯です。師匠が大昔に世界を歩き回っている時に見つけた場所らしくて人がいないから修行に持ってこいだと紹介されたのがここなんですよ。
師匠の言う通り人が少ないから旅で手に入れた荷物とかを置いて出かけられるし、ここに留まって落ち着いて修行出来たりと重宝させてもらっています。
今じゃあもう二人で小屋を建てて第二の住まいとして利用させて頂いている程ですよ。
「いやぁ、改めまして久しぶりですねアルクトゥルス様」
そして今日、このメープルフォレストの住まいに珍しくお客様が参られた、と言ってもここを訪ねてくるのは一人だけ…争乱の魔女アルクトゥルス様だ。
「おう、久しぶりだな。また美人になったなエリス」
大体半年に一回くらいの周期でやってくるアルクトゥルス様は、やってくる都度エリスの体調を気にしてくれたりレグルス師匠のことを気にかけてくれたりと面倒見の良さが爆発している。なんでもラグナ達が正式な世界の統治を引き受けたことにより暇になったそうだ…が詳しくは知らない。
「それ食ったら帰れよ」
「そう言うなよレグルス、その酒美味いだろ?。ならその分はここに居ていいだろうが」
「まぁ…そうだが」
師匠は凄く煩わしそうだが、エリスは楽しいですよ?。今みたいにアルクトゥルス様と一緒にご飯を食べるのはいい気晴らしになります。エリスも師匠も饒舌な方ではないのでいつも食事中は無言なので。
「しかし、辺鄙な所に住んでるなぁ。不便じゃねぇか?人里も遠いし夜は魔獣も出るだろう?」
「そうですね、まぁ確かにその通りなんですけど…特に不便と感じたことはありませんね」
まぁ確かに不便と言えば不便だが暮らせないほどじゃあないと言うのがエリスの率直な感想だ。人里は確かに遠いが空を飛んでいけばあっという間だし、夜は魔獣も出るが今更そんなのにオタオタする程でもない。
逆に住めば都とでも言おうか、意外と住み心地は良い。魔獣が居るから肉も取れるし川に行けば魚も釣れるし山菜も豊富だから食べ物にも困らない。
エリスが間違えてぶっ放した魔術によって湧いた温泉のおかげでいつでもお風呂に入れるし、何より眺めも良い。旅の疲れを癒すにはもってこいだ。
「ふぅん、そうかい…修行の旅の方はどうだ?上手くいっているか?」
「はい、お陰様で良好です。この間は…そうそう、オライオンの極北に行って来ましたよ」
今回の旅は以前と旅のように転々として旅をする形式ではなく、ここを拠点として世界各地を巡る形式となっている。
ここからスタートして、目的地に行って修行して、またここに帰って来て態勢を整えて次の目的地へ…と言った感じだな。昔と違って旋風圏跳の威力も上がったから何処へでも空を飛んでいけば一日以内には着けるからね。
前回行ったのはオライオンの極北。人類未踏領域と呼ばれる場所に行って修行をして来た。人類で初めてエリスはそこに踏み込んだわけだが…あそこは土地というより氷の上って感じだったな。
海が凍って出来た巨大な流氷の上だった、相変わらず死ぬほど寒かったが。お陰で良い修行にもなりましたよ。
ちなみに次の目的地はマレウスだ。この三年間で一度も立ち寄ってこなかったが…なんでもマレウスの南方には『灼熱の大地』なる場所があるらしい。気になるからちょっと見に行って来ようと思うんだ。
楽しみだな…。
「オライオンの極北に?あんななんもない所行って何が楽しいんだが…、だがそのお陰で手に入れたみたいだな、流障壁を」
「え?…ええ、まぁそうですね」
「魔力防御をあそこまでの練度で扱えるとは大したもんだ」
と、アルクトゥルス様はご機嫌に褒めてくれるが…実はエリス、あんまり納得してないのよね。
魔力防御とは三年前のシリウスとの戦いで散々苦しめられた魔力運用法の一つ。物理攻撃も魔術攻撃も九割以上カットする反則じみたあの技を会得する為にこの三年間はあったと言ってもいい。
だが師匠曰く魔力防御とはそれこそ魔術師の達人の限られた一部しか扱えぬ高等技術。おまけにシリウスレベルの物になると今のエリスには会得不可能と言われてしまった。
そこで代わりに会得したのが『流障壁』。薄い魔力防御を高速回転させて流れで相手の攻撃を受け流すという魔力防御法だ。確かにこれなら多少の攻撃は物ともしないようにはなったが…。
…まだまだだ、これを常に維持して更に強度を上げていかねばエリスの望む領域には達しない。師匠もアルクトゥルス様も今何食わぬ顔で魚を食べてるけど、今も二人の周囲には信じられないくらい強固な魔力防壁が張られてるんだ…、これを無意識で出せるようになるのが今の目的なんだが。
三年使っても、まだその領域には行けてない。修行はまだまだ続きそうだ。
「魔力防御も会得して、あっちこっちの旅も経験して、色々やったって感じだよなぁ」
「そうですね、一度目の旅の時はなんだかんだ常に忙しかったので…。またこうして師匠の濃密な時間を過ごせるのはとても嬉しいです」
「エリス…、フッ。可愛いやつだなお前は」
「師匠〜」
「……なぁエリス」
ふと、師匠とイチャイチャしていると。アルクトゥルス様が神妙な面持ちで口を開く。なんだろうか?そう首を傾げていると。
「旅もひと段落ついたって感じだし、そろそろ帰る気は無いのか?」
「帰る気ですか……」
帰る気…か、つまりアジメクに帰還する気はあるかと文字通り聞いているんだろう。
確かに旅もひと段落ついたのかもしれないし、ラグナ達には顔を出すと約束しておきながらエリスは一度としてラグナ達のところには行っていない。なら久しく会うのもいいのかもしれないが…。
「すみません、まだ帰る気はありません。納得が行ってないんです」
帰る気は無い、それがエリスの答えだ。別にみんなに会いたくないわけでは無いがそれでも帰らない。
理由は単純、エリス自身が旅の成果に納得していないからだ。
この三年間を魔力防御の会得に費やして、手に入れたのがイマイチ納得出来ないレベルの流障壁だけなのだ。
確かにこの三年間でエリスは師匠と組手をしまくって、近接格闘能力は格段に向上しただろう。だがそれでも三年前のラグナやネレイドさんには及ばない。
確かにこの三年でエリスは師匠から習えるだけの全ての古式魔術を会得しただろう。だがエリス達のいる領域は今更魔術の会得数が増えたからと言って格段に強くなれる段階では無い。
強くはなれた、強くはなれたがこんなのじゃ…。みんなに合わせる顔がないよ。
みんな世界の為に働いている、ラグナ達は世界の統治を行い人々を導いている。本当ならエリスもそこに加わるべきなのだろうけど…エリスはこうして好きにさせてもらっている。ラグナ達に諸々を押し付けて好きに生きさせてもらっている。
好きにさせてもらっておいて手に入れたのが納得のいかない流障壁だけです…とは言えないよ。
「納得だぁ?一体なんの…」
「聞いてやるなアルクトゥルス、今のエリスの心情は私にはよく分かるぞ…。私も同じような事で思い悩んだ時期もあった」
「…?」
不思議そうに首をかしげるアルクトゥルス様とよく分かるぞと共感してくれる師匠。そっか…そう言えば師匠も似たような境遇でしたね。友は世界を統べていると言うのに其れに引き換え自分は…と。
師匠も思い悩んだ時期があるのか。
「いや、でもよぉ。アイツらもエリスが帰って来たら喜ぶだろうし、何よりお前の力を必要としてるんじゃないのか?」
「別にエリスの力なんて必要としてないと思いますよ。だってラグナ達は今世界的な組織を率いてるんですよね?その構成員の中にはエリスより強い人もいますし賢い人もいます。そう言う人たちがいる以上別にエリスなんかに頼る必要はないと思いますけど」
「……なーるほど、レグルスよぉ。確かにエリスはお前の弟子だよ」
「あ?どう言う意味だ」
そんなエリスの答えを聞いて呆れたように顔を覆う、なんかエリス変なこと言ったかな。でも事実だよな?。アド・アストラは全ての魔女大国の人員を合わせた大組織。その中には帝国の将軍や討滅戦士団の面々やグロリアーナさんも含まれている。エリスより五百倍は頼りになる人たちだ。
エリスに解決出来ることはその人達に解決出来るだろうが、その人達が解決出来ることはエリスには解決出来ない可能性もある。所詮旅人でしかないエリスはさしたる事なんか出来ないと思うのだが。
「そのまま意味だよ、友達の気持ちも知らないで自分一人で得心入ったように信じてる風な顔をして、何年も何年も顔を見せないで一人で抱え込んで…そっくりだよお前ら」
「む、言われてみれば確かに…。今のエリスは星惑いの森で隠居してた頃の私にそっくりだな」
「え?そうなんですか?師匠、嬉しいです!」
「褒めてないぞ」
「褒めてねぇよ」
な…なんか怒られてしまった、何故だ…。
「ともかく、お前はごちゃごちゃ考えてみるみたいだが、言うほど世の中難しくはない。もうちっと軽く考えて顔を見せてやるくらいしてもいいんじゃないのか?」
「そ…そうですかねぇ、エリスなんかいなくてもなんとでもなると思いますよ。みんなの強さはエリスが一番知って…」
「だあーー!!!ごちゃごちゃ言うなァッ!」
「ピィッ!?怒鳴らないでくださいよぅ!」
「こうでも言わなきゃお前一生顔出さないだろうが!」
流石にそんな事はない、流障壁をマスターして第二段階の殻を破り第三段階に到達したら、顔を見せるつもりだ。それが何年先になるかは分からないけどちゃんと顔は見せる、そこは間違いないんだけどなぁ。
「ったく、お前がここまで面倒な奴だとは思わなかったぜ」
「私の弟子だからな、そこはそうだろう」
「なんでテメェが誇らしげなんだよ…」
「フッ、…それよりエリス。今日は買い出しに行く予定だっただろう?」
「ええ、これを食べ終わったら街に出ようかなと思ってます」
流石に予定の忘れはないよ。食糧や概ねの品々はこの森にあるもので賄える、けど人間生きていくには食い物と寝床だけではどうにも足りないのだ。火を灯す油や調味料や細かな日用品は逐一買い足さねばならない。
故に今日は久しぶりに街に出る予定なんだが…。
「どうですか?アルクトゥルス様も一緒に」
「ああ?オレ様も?…、まぁいいぜ?暇だからな」
「よし、やったなエリス。アルクに奢ってもらおう」
「ありがとうございます!アルクトゥルス様!」
「オレ様にタカるな!!」
…にしても、やはり知り合いと話すと楽しいな。…やっぱり一度みんなに顔を合わせるべきか?、でもロクな成果もなく顔を見せて失望されたら嫌だしなぁ…。
うーん、悩ましい。
………………………………………………………………
ギアール王国に於いて北西の街『トラス』、蓮臥作りの家々と其処彼処に植えられた楓の木が視界を彩るなんとも言えない美しさを秘めた風光明媚の街。
メープルフォレストから馬車で二日の距離に存在するこの街は所謂国境の街であり、世間一般的に『田舎』『辺境『辺鄙』と呼ばれる類の街である。
国境とは言え、肝心の国境にはメープルフォレストと言う近寄り難い壁がある以上商人はあまり訪れない寂れた街だが、エリスはいい雰囲気だと思いますよ?。
いつもここで日用品を買い足しているんですが、特にこの街のチーズは美味しくて。ついつい必要ないのに買っちゃうんですよね。
「すみませんおばさん、トラスチーズ一つください」
「はいよぉ」
「…なぁおい、レグルス。なんでオレ様が荷物持ちなんだよ、しかも料金も全部オレ様が持ちだし」
「いいだろ、偶にはその筋肉も有効活用しろ」
「来るんじゃなかった…」
トラスの街にて油とか紙とか日用品を粗方買い終え、最後の締めとして行きつけのお店でトラスチーズを買い付ける。この街のチーズは通常のそれよりやや赤みがかっていてそれ単体での味が濃いのが特徴だ。こいつをパンに乗せて焼くとまぁ美味い。
そいつを1ブロック丸々紙に包んで貰って受け取る。今回はアルクトゥルス様がお金を出してくれるからちょっと贅沢だ。
「はい、エリスちゃんどうぞ」
「あ、ありがとうございますおばさん。美味しく食べますね」
「いいのよぉ、最近じゃめっきりお客も来なくなっちゃったからねぇ…エリスちゃんくらいだよ。私の作るチーズを美味しいって言って食べてくれるのは」
「え?そうなんですか?こんなに美味しいのに」
ちょっと意外な話だな、この街のトラスチーズは有名で名産品にもなっているって話だったが…。いや確かにエリス以外にこのチーズを買ってる人を見たことがないな。売れてないのかな…。
「これでも昔はそれなりに繁盛してたんだよ?でも今はね…、アイツらがこの街に来たから」
「アイツら?」
「ほら、マーキュリーズ・ギルドの連中さね」
おばさんはやや表情を怖くして怨嗟を述べる。マーキュリーズ・ギルド…と。
「アイツらがこの街で売るものは全てこの近辺じゃ手に入らないくらい珍しく高品質なものばかり…、うちみたいな腰の重い小さな店じゃあ太刀打ちできなくてねぇ。アイツらのせいでうちは商売あがったりさ」
「なるほどぉ」
マーキュリーズ・ギルドってのはメルクさんが作ったデルセクトの商業組合だ。デルセクト内部に存在していた数百の商会を纏め上げ一つの組織として運営することにより莫大な利益を得ているって話だ。
それも最近じゃアド・アストラの支援を受けて辺境の街にまで手を伸ばしていると…その煽りを受けているのが、こういう地元に根ざした小売店ってわけだ。
まぁこればかりはエリスが何か出来る領域ではない。確かにメルクさんに言えばこの街からマーキュリーズ・ギルドを撤退させることくらいなら出来る。
だがマーキュリーズ・ギルドがこの街で商売してそれが繁盛してるってことはつまりマーキュリーズ・ギルドには需要があるということだ。それがいきなりなくなったらこの街の住人の大多数は困窮するだろう、ましてやマーキュリーズ・ギルドに依存した今なら尚更ね。
だから、出来ることはないんだ。
「チーズありがとうございました、また買いに来ますね」
「はいよ、まぁ私も歳だから近々店を畳むつもりだけどね」
「そうなんですね、じゃあその前にもう一回くらい買いに来ますよ」
「ありがとよエリスちゃん…。ああ、アド・アストラにもエリスちゃんくらいの慈悲の心があればね。全く悪魔だよアイツらは」
嫌だ嫌だと言いながら店の奥に引っ込むおばさんはきっと知らない。エリスがそのアド・アストラの中枢メンバーと親密な関係にあることを。
魔女大国ではどうかは知らないが、少なくともギルドは非魔女国家ではあまり受け入れられてないのが現実だ。
それが悲しいやら何やら、複雑な思いのままチーズを抱えてアルクトゥル様に渡す。
「これもお願いします」
「お前な、オレ様は召使いじゃねぇっての」
「そう言いながらも持ってくれるアルクトゥルス様大好きです」
「はぁ〜、嫌な子に育っちまったなぁ〜」
チーズ1ブロックをアルクトゥルス様に渡し、一つため息を吐く。ラグナ達…嫌われてんなぁ、みんな世界の為に頑張ってるのに受け入れてくれない人はこうも受け入れてくれないとは。
或いは…やり方が強硬的なのか?変化が一方的かつ急速的すぎるのか?、でも。
でもみんなの事だからやり方を間違えてるってことはないんだろう、というかそもそも今の今までみんなの手伝いもせず遊び歩いていたエリスにみんなの作る世界を否定する権利なんてのはどこにもないんだが。
「エリス」
「はい?、なんですか?師匠」
「…いや、お前の顔つきが益々私に似てきたと思ってな」
「…どう言う意味ですか?」
「そのままの意味だ。ほら行くぞエリスに召使い、買う物も買ったんだ。とっとと帰るぞ」
「お前後で覚えとけよな」
思い悩むエリスの顔を見て何やら楽しそうな師匠に若干の疑問を持ちながらもエリスは荷物持ちをしてくれているアルクトゥルス様と共に歩き出す。
帰りは勿論空を飛んで帰ることになるわけだが、エリスが思い切り飛び立ったらその風圧で街が壊れかねない。なので街の外に出てから飛ぶことになるのだが…。
「師匠…」
「ん、気がついたか」
二人で並んで歩く、トラスの街の大通りを歩いて街の外へと向かうその道中、エリスは何やら漂う異様な空気に気がつき声をかける。
何かおかしい、街が異様に静かなんだ。
「いつもならもっと人が歩いている筈なのに。今日は全然人が居ません」
いつもならそれなりに人が歩いている大通りに全く人が居ない。今日はたまたま人が少ない日…なんてレベルじゃない。『え?知らない間に世界滅びた?』と思うくらい街が静かなんだ。
前来た時はもうちょっと人気があったんだがなぁ?。
「人ってのも所詮は動物の一種さ、行動原理は野生動物とさして変わらねぇ」
「アルクトゥルス様?」
ふと、人の気配のない街を見てアルクトゥルス様が目を閉じ語り出す。
「動物が住処を空ける理由はいくつかあるが、…住み慣れた巣を空ける一番の理由は外敵の存在を感じた時だ」
「つまり、この街に外敵が迫っていると?」
「いや、人間ってのは動物の中で最も鈍感な生き物だ。外敵が迫ってる段階じゃ動かない、この場合はもう既に…」
そうアルクトゥルスがギロリと視線を向ける先は、大通りの奥。見れば既に師匠はそれに気がついていたのか、呆れたようにため息を吐く。
そんな二人の視線を追うようにエリスもまたそちらを見る、やや遠いが遠視を使うまでもない…そのくらいの距離に奴等はいた。
「…………」
「くちゃくちゃ」
エリス達の正面を歩くのは数十人の男達。揃いの黒い革コートを着込み手には鉄棍とか槍とかを持ち、誰もいないと言うのに威圧感ましましで歩いている。
なんというかガラの悪い連中だな、ギャングと言うより暴徒と言う感じだ。あんなのこの街にいたか?。
「あれだろうな、この街の連中はあれに怯えて巣の奥に引っ込んでんだ」
「末世も末世、いや…ロクでなしが湧くのは世の常ならばこの世もまだ捨てたものでもないのかもな」
「だぁな、ああいうのは何千年経っても消えやしねぇ」
鼻で笑う師匠とケタケタ笑うアルクトゥルス様は二人とも揃ってギャング達に背を向け引き返していく…って。
「え?退治しないんですか?あれ。こんな逃げるみたいに背を向けるなんて」
ギャングに背を向けて引き返すなんてまるで逃げてるみたいじゃないか。もしこの街の人たちが本当にあれに怯えているのだとしたらぶちのめしてやった方が世のためではないのか。と引き止めると。
「まだ明確に何かをしていると決まったわけでもないし、ただ歩いているだけなら構うこともあるまい、エリス…お前もあんまりアレを刺激するな」
「あんな連中を相手に喧嘩する方が格が落ちるってもんだ。ああいうのはな、無視に限るんだよ」
と二人は冷えたように別の道から街の外を目指す。まぁ…確かにアレらが明確にこの街を荒らしていると決まっているわけではない。もしかしたら見かけがアレなだけで中身は誠実な自警団の方々かもしれないしね、なら因縁つけるように突っかかる必要はないか。
「分かりました…」
「ん、お前はやや喧嘩っ早い気がある。それが短所であると自覚しているなら拳を握る前に一度熟考する癖をつけなさい」
「はい師匠」
「世界一喧嘩っ早い奴がよく言うぐげぇっ!?殴るなよ!」
「私が良い師匠ヅラをしている時に余計なこと言うな!」
「お前ホントどうかしてるよ!」
相変わらずの夫婦漫才っぷりを見せる二人を苦笑いで眺めつつエリスも二人に続く。
しかし、本当にあれだな。不思議な仲の良さだよな、この二人は。レグルス師匠もアルクトゥルス様のことを煩わしい煩わしいと言いながらも本気で突き放さないし、アルクトゥルス様もレグルス様に突っかかりはするものの離れようとはしない、何より都度都度様子まで見に来る。
何より、この二人は相手に気を使うような器用な真似は出来ない。本気で嫌なら本気で拒絶する、それが相手が誰であってもだ。ある意味…親友以上の関係とも言えるのだろうか。
(親友か…、この二人を見てるとエリスも…)
友情と言うものにやや恋しさを覚えつつ目を伏せる…と。
その瞬間の事だった、エリス達の背後から…背を向けたギャング達の方から何やら物騒な物音がし始めたのは。
「オイッ!テメェどこに行きやがる!」
「は、離してよ!僕ただ薬を買いに行くだけだよ!」
慌てて振り返るとそこにはギャング達に取り囲まれ、腕を乱雑に掴まれる少年の姿があった。
「薬だあ?ならその薬はどこに買いに行く…!」
「ま…マーキュリーズ・ギルド。あの人達が運んでくるアジメクの薬ならお母ちゃんの病気も治せるから…」
「やっぱりか!こいつッ!」
「キィーッ!この非国民が!よりにもよってアド・アストラに我が国の金を引き渡すと言うのか!」
「この馬鹿者が!お前のような奴がいるから魔女大国が俺たちの国ででかい顔をするんだ!」
「うわぁっ!?」
強引に引っ張った少年を平手で叩き、押し倒すギャング達は側から見ても異様なほどの剣幕で激怒し少年を取り囲み詰り始める。
「いいか!お前がやろうとしていることはこの国を!この街を!故郷を魔女に売り渡すに等しい行いだぞ!」
「ヘリカルの街を知らないわけないよな!、あそこは目先の金に目が眩んであっという間に街を作り変えられ住民全員が魔女に洗脳され奴隷にされてしまったんだぞ!」
「マーキュリーズ・ギルドはお前みたいな脳の弱い連中を食い物にして力を蓄えているんだ!」
「で…でも、お母さんの病気酷くて…でも薬があれば治るって!」
「敵国の薬なんぞ使って生き延びたいとお前の母は言ったのか!」
「ならその母もこの国にとって毒でしかないな」
「おい!お前何処の家の子供だ!」
異様だ、異様過ぎる。あまりの出来事にエリスは言葉を失う、まるで親でも殺されたかのような剣幕だ…、そんな剣幕であんな小さな子供を怒鳴り散らせるのか。アイツら…。
エリスはその場面を見て怒るだろう。だがそれを見た街の住人達は見て見ぬ振りをして家の窓を閉める。関わり合いになりたくないと…大通りを占拠する若者達の異常さを知っているからだ。
エリスは知らないが、彼等はギャングではない。ここ最近非魔女国家の地方の街をを中心に流行している運動、通称『祖国主義』と呼ばれる思想に感化された活動家達だ。非魔女国家周辺にて発布されているとある書物を中心に広められた啓蒙はこの街にも広がっているのだ。
彼等は魔女排斥を是とし、魔女大国の干渉を魔の手と呼び、アド・アストラの支部に石を投げ込んだりマーキュリーズ・ギルドの活動を妨害したりなどの活動を行う。当然それらの魔女に関する思想を肯定する住民にも牙は向けられる。
故に見て見ぬフリをする。魔女を肯定する街人を見つけては吊るし上げ時に殺すことさえある、そんな非人道的な行いも彼等は魔女の下僕を狩る『魔女狩り』と呼び肯定するのだ。
「こいつの母親を広場に連れて行く!、そこで魔女の下僕の見せしめをするんだ!」
「やめてよ!何するんだよ!、僕はただお母さんを助けたいだけで…」
「喧しい!このガキ!魔女を肯定する外道!、祖国を愛する心のない子はこの街には要らん!」
「祖国主義こそ至高!それをこの街の分からず屋達に知らしめてやるんだ!」
「うっ!?」
更に抵抗する子供を握り拳で叩き、容赦なく押し倒す。それでも少年は抵抗し暴れるが…。
「その金を寄越せ!魔女大国に渡るくらいなら俺たちが使う!」
「やめて!それはお母さんの…」
「いいから寄越せ!クソガキ!」
「うう…」
蹲り、通貨の入った麻袋を守る少年を上から蹴飛ばす祖国主義者達。まるで賊のような行いを見て止める者はいない、祖国主義者達の大多数は元自警団故そもそも止める者もいないし止められる者もいない。
国境を超え街を超え伝搬する狂気の炎に焼かれた者達の手によって、今新たな犠牲者が…若き命が散らされるその時であった。
「よいしょ、大丈夫ですか?」
「あ?」
祖国主義者達は目を剥く、いつのまにか自分達の足元に居たはずの少年が人混みから引っ張り出され救出されていたからだ。
少年を助けたのは女だ。金の髪とくたびれたコートが特徴の女だ…。
「オイ、お前…何してんだ」
「あーあー、こんなに蹴られて…跡が残っちゃいますよ。痛くないですか?痛いですよね、可哀想に」
「無視するんじゃねぇよ!」
何を言われても無視をする女に若者達は腹を立てる。この女が誰かは知らないが自分たちの崇高な目的を邪魔をし魔女大国に金を渡そうとする裏切り者の味方をするという事はつまりそういう事だと、言葉もなく全員が女を敵と見てゾロゾロと取り囲み始める。
「あ…あ…、お姉さん。囲まれちゃったよ…」
「こんなに怯えて…、かわいそうに。大丈夫ですよ?きっとアジメク製のポーションならこの傷も治せますから」
「おい女、お前も魔女大国の味方をするか?つまりこの国を大国に売り渡そうとする売国奴か?」
「俺たちはこの国を守るんだ、邪魔するんなら女子供でも容赦しねぇぞ」
「…………。さ、お姉さんと一緒に行きましょうか」
徹頭徹尾無視を決め込む。それは言葉無き罵倒に等しく女取り囲む全員が目を血走らせ瞳孔を狭め激怒する。もはや我慢ならん、もはや容赦せん、もはや許す事はできない。そんな言葉が渦巻き手に持った鉄の棒を深く握り込み立ち去ろうとする女の進路を阻み。
「…退いてください」
「おい女、世間知らずのお前に一ついい事教えてやるよ。この街のルールについてだ。この街じゃあマーキュリーズ・ギルド運ぶ製品の使用は禁じられてるんだ、他でもない祖国の守護者たる俺たちが決めた」
「そのルールを破る奴には罰を与えないとな」
「わかってんのか?おい」
「…………、退いてください」
深く、深く溜息を吐きもう一度女は言う。そこを退けと。その言葉に辛うじて理性を繋ぎとめていた細い糸が頭の中で切れる音を聞いた祖国主義の若者は思い切り鉄棍を振り被り。
「ならここで死ねや!!このクソボケがぁっ!!」
一切の躊躇無き振り下ろしは一撃で女の頭を捉え甲高い音を立て殴打する。鉄の棒で頭を殴られれば死ぬ、そんな事分かっている…彼等は殺すつもりで女を殴ったのだ。祖国を守ると言う崇高な目的の為殺人さえ肯定する彼らは血を吹き倒れる女の姿を幻視し…。
そして絶望する。
「え?あ?鉄棍が…折れてる?」
折れているのだ、女を殴りつけた鉄棍がポッキリと枯れ枝のようにへし折れている。その癖殴られた女は微動だにせず…ギロリと視線を輝かせている。
…確かに当たった、今の一撃は女の頭を捉えていた。この場にいた誰もが見た、だと言うのに女は痛がるどころか血の一滴さえ零さない、そんなイカれた事象を前に混乱する彼等に…言葉が投げかけられる。
「今、殴りましたよね」
「は?」
それは確認だった、自分の頭を指差して、殴ったよな?と…。
「今確かに貴方はエリスの頭殴りましたよね、殴りましたよね?ね?」
「な…何言って」
「エリスは荒事にはしたくなかったんです、ただこの子を助けたかっただけで怒りに身を任せて暴れるのは良くないとたった今言われたばかりなのでここは穏便に済ませようと思っていました」
目を見開き、瞳孔をガン開き、どこをどうみても穏便に済ませようとする気配のない女は…否エリスは自分を殴った男にズカズカと詰め寄り。
「穏便に済ませようとは思っていたんですけど、殴られちゃったからには仕方ないですよね。貴方はエリスを攻撃したんですから」
「あ…ぅ…」
「だから代わりに良い事を教えてあげましょうか?、この世のルールについてです」
…ニコッと微笑むエリス、冷や汗を流す男、暫しの沈黙の後…それは巻き起こる。
刹那、まるで弾丸の如く放たれたエリスの拳が男の顔面を歪ませ、空高く打ち上げる。
「ごはぁっ!?」
「子供を殴る無法者は全員死ぬ!それがこの世のルールです!唯一不変のルールです!それを守らないクソ共はここで全員エリスが殺す!」
「こ、この女!やりやがった!?」
「先にやったのは貴方達でしょう!子供を殴って蹴って!ただで済むと思ってんなら尚のこと許せません!全員ぶっ飛ばす!」
まるで風が薙ぐような速度で放たれるエリスの拳は次々と男達の体に叩き込まれ、そしてただの一撃で男を卒倒させる。
元々自警団をしていたような男達が、こんな女の一撃で泡を吹いて倒れるのだ。
「この!やっちまえ!こいつは魔女の下僕だ!」
「フンッ!」
「げぼぉっ!?」
蹴りは一撃で男の肋骨を蹴り砕き、拳は顔を歪ませゴキンと異音を鳴らし、この人数を相手に一歩も引くことなく次々と地面に叩きつけるエリスの強さに若者達はたじろぐ。
強すぎる、あまりにも強すぎるのだ。
「このクソ共がぁッッ!!子供を傷つける奴は一人として許さん!!!」
「ぐぎゃぁっ!?」
「なんなんだこいつ!なんなんだこいつ!」
「クソぉっ!死に去らせやァッ!」
いきなり現れ圧倒的暴力で蹂躙を開始するエリスにようやく抵抗を開始するが、抵抗にすらならない。
鉄棍を振り被り再びエリスに殴りかかるが、鉄の棒はエリスに当たる寸前で形を歪め弾かれるように捻り飛び攻撃にすらならない。だと言うのにエリスの一撃は男達の反応速度を超えて叩き込まれる。
拳で殴り飛ばし、頭を掴み石畳が砕けるほどの勢いで叩きつけ、蹴りで意識を刈り取る。祖国防衛の為鍛えてきた彼等の今までの修練を嘲笑うほど鮮烈なまでの強さを見つけるエリスを前に…彼等はすっかり意気消沈してしまう。
「こ、こんなの勝てるわけねぇよ!」
「ひぃぃ!助けてぇぇ!!」
「貴方達が暴力を振るう相手は勝てそうなやつだけですか?、自分達の暴力で屈服させられそうな相手だけですか?、そんなもの祖国防衛とは呼ばない…あなた達がやってるのは立派な賊!公然と追い剥ぎをするだけの立派な盗賊ですよ!」
「ヒッ!許してぇっ!」
「嫌です、地獄に落ちなさい」
逃げようとする男の裾を掴みそのまま投げ飛ばし地面に叩きつけながら逃げる若者達を追いかけるエリス、その姿は最早修羅…怒り狂う修羅そのものだ。
「助けて!助けてぇ!」
「待ちなさい!」
自分達では勝てないと知るや否や一目散に逃げていく男達は大通りを通ってひたすらエリスから逃れようとする。
すると、そんな彼らの道を阻むようにいつの間にか別の女が立っているでは無いか、黒髪赤目の長身の女…それが丁度逃げるのに邪魔な位置に立っていると見るや否や。
「そこを退けやクソババア!」
自慢の暴力で退かせようとする、そこに大義はなく『祖国守護』の薄いメッキが剥がれた純然たる暴力だけが滲み出る。
一切の容赦なく鉄棍を振り目の前の女を退かせようと叫び散らすも。
「ひへぇっ!?また折れた!?」
「こっちもかよぉっ!?」
呆気なくへし折れた鉄棍が宙を舞い、男達の恐怖が涙となって流れ落ちる…、そんな様を見ていた黒髪の女…レグルスはピキリと目元に青筋を浮かべ。
「お前ら、誰の弟子に手ェ出してんだ?」
「あ?え?」
「私のだよ…、生きて帰れると思うなよッッ!!」
刹那、レグルスは男達の首根っこを掴み、軽々と持ち上げたまま振り回しエリスから逃げる男達を次々とぶちのめしていく。その様は修羅を超えて悪魔か何かだ、次々と地面に叩き落される男達が死屍累々と重なっていくの様を見て恐怖しないものはいないのだ。
「あ、師匠!」
「エリス!やるなら半端にやるな!二度と逆らおうと言う気さえ浮かばないほど徹底的に叩き潰せ!一人も逃すな!」
「はい!、オラァッ!!」
「死に去らすのは貴様らの方だッッ!!」
「ぐぎゃぁぁぁぁ!?!?」
「うっわー…、地獄絵図」
師弟揃って大乱闘を始めるその様を見て、アルクトゥルスは半目する。もうめちゃくちゃだよ、助けた筈の男の子にさえ怯えられ逃げられてることにも気がつかないのかよ。
レグルスはシリウスの洗脳を受け、その気力を失い一時的にその気性が穏やかになった時期もあった。そんな腑抜けたレグルスを見てアルクトゥルスはやや悲しくもなったりしたものだが…。
いざ、その洗脳から解き放たれていつもの調子に戻ったレグルスはこんな感じだ。行く先々で普通に喧嘩する。
チンピラがエリスの肩にぶつかっただけで街の外まで投げ飛ばすし、悪徳商人がエリスの身なりを貶しただけで商店燃やすし、魔女排斥組織がエリスの噂を聞きつけて現れれば全然容赦なく潰す。
しかもエリスも普通にそれを受け入れるばかりか一緒になって暴れるもんだから手に負えないのだ。昔はあんなに丁寧で優しかった少女が今では立派に喧嘩師の顔つきをして荒くれ師匠と共に街のチンピラぶっ潰してる。
…しかもさっきのエリスの物の言い方、ありゃあ…。
「はぁ、おい。程々にしろよな」
「いや、もう終わったからいい」
「口ほどにもないですね、こいつら」
瞬く間に男達は地面に伏して気を失っている。あれだけ暴れて死者を一人も出していないあたりタチが悪い。
でもま、いっか。レグルスってば昔っからこんな感じだったし、それに似たエリスを止めるのはオレ様じゃなくてエリスと同じ魔女の弟子達の仕事だし。
そうアルクトゥルスはやや呆れつつも、二人が元気でやっていることに安堵し手元の荷物を掴み直す。
………………………………………………………………
「師匠、取り敢えずこいつら全員縛って近くの森に宙づりにしません?丸一日」
「甘いなエリス、こんな奴らは纏めて縛って湖に沈めてしまえばいい」
「いい加減にしろよお前ら、こいつらももう懲りただろうからいいだろ?ってかこれじゃあどっちが悪人か分からんぜ?」
子供を殴った悪漢共を師匠と共に伸ばして一息つく。彼等にどんな大義名分があり、如何に高尚な目的があったとしても、子供を殴る奴はエリスは許しません。
大人から殴られる子供の恐怖というのは、大人には分からないほどに恐ろしいものなんです。それこそ一生モノのトラウマになるくらいには恐ろしいものなのです。
それを理解しない愚者共は拳と足で分からせる。それがエリスの信条です。怒り狂って殴りかかるのとはまた別の話なんですよこれは。
そう鼻息荒く気絶した男達を見下ろすエリスは、未だ治らぬ胸の怒りに蓋をして気を落ち着かせる。
「ったく派手にやりやがって、お前ら進路変えられないタイプの台風か?それとも急斜面を転がる岩か?鉄砲玉でも何かに当たったら止まるぞ」
「すみませんアルクトゥルス様、でもこれはエリスの信念に関わる話なのです」
「ああ、私とて弟子を傷つけられて黙ってはいられん」
「エリス傷一つ付いてないけどな」
ええそうですとも、流障壁がある以上街のゴロツキくらいの一撃なら無効化出来る。あんなの傷一つ作らず全滅させるくらいわけないのだ。
それに一応手加減しましたからね?魔力覚醒も魔術も使わなかったんですから。
「はぁ、まぁいいや。騒ぎになる前に帰るぞ、お前らと一緒にいると疲れる」
「はぁい」
こいつらもこれで懲りただろう、無用に暴力を振るい続ければいつか不当な暴力によって蹂躙される側に回ることもある。それが理解出来ればあんなイカれた真似ももうしない…の…だろうか。
…ふと気になる、彼等の熱意は…祖国防衛を謳う彼等には覚悟が伴っていなかったが熱意は本物だった。少なくとも彼等は本気で魔女大国を恨んでいた、アド・アストラを恨んでいた。
今、アド・アストラの治世は確かに上手くいっているが…、それでも非魔女国家で燻る種火は確かにそこにあり続けるのではないか。
それを取り除く事は、出来るのか?なんどうしようもないことを気にして足を止めた瞬間。
「……ッッ!!」
キュッと音を立てて足先を軸に回転し、背後を向くと同時に流障壁を完全展開し突如飛んできた刃を防ぐ。
そうだ、いきなり刃が飛んできた。男達が気絶している方角から飛んできたんだ。それもさっきまでの素人同然の攻撃じゃない、『達人』と呼べるまでに研ぎ澄まされた一撃だ…エリスでさえ意識して防ごうと思わねば防げなかった。
まさか連中に隠し玉か切り札が居たのか?、何にしてもこれ程の達人がいるとは…。
「何者ですかッ!!」
構えを取り、裂帛の絶叫にて威嚇すればそれだけで石畳が揺れ砂利が転がる。それ程の威圧をもってして今目の前に立つ存在を睨みつける…、しかしそいつはそんな威圧も軽く受け流し飄々とした態度で自らのスカートの端を摘み。
優雅に、カテーシーを披露する。
「失礼、久々でしたのでどれ程強くなっているかを不敬にも試してしまいました。この無礼…我が顔に免じて許して頂けますか?」
「……ん?あれ?」
気絶した男達を踏みしめ、いつのまにかそこに現れていたのは…メイドだ。クリーム色の髪と純白のメイド服、エリスの記憶にあるよりも幾分研ぎ澄まされた気配と…懐かしい気配。これは…まさか
「メグさん?」
「はい、お久しぶりでございます、エリス様」
顔を上げニコッと微笑むのは、メグさんだ…帝国のメイドの、無双の魔女の弟子の、エリスの友達の…メグさんだ。お…おお!。
「おお!メグさん!久しぶりですね!ええ!?いつこっちにきてたんですか!」
思わず駆け寄る、思わぬところで再会した友達に嬉しさを隠せずピョンピョン飛び跳ねその手を取れば彼女も嬉しそうにニコニコと微笑み。
「エリス様が約束通りセントエルモの楔を持ち続けてくれていたから、居場所が分かったのです」
「なるほど!それで時界門で飛んできたんですね!もー!いきなりナイフ投げるなんて酷いじゃないですか!」
「サプライズでございます、それに刃は潰してあるので安心ですよ」
「いやそれでもですよ!」
相変わらずだなこの人は、相変わらず無表情で突拍子もないことをやってのける。けどそういうところも大好きですよメグさん!。
「でもあれ?、…なんでメグさんがここに来たんですか?まさか遊びに来た…とかではないですよね」
メグさんは享楽主義がメイド服を着て踊ってるような人間だ。或いはいきなり遊びに来たという可能性もないわけではない。だがそれならこの三年の間に顔を見せに来ているだろう。
事実彼女は三年間一度としてエリスの元を訪れなかった、それは忙しかったからかエリスの事を尊重してくれていたからかは分からないが訪れなかった。だというのに三年経ってようやく顔を見せに来る…というのは些か違和感がある。
「ええ遊びに来たわけではありません、私は出来る限りエリス様の旅に茶々を入れたくないので…、出来るならこうして時界門にて訪れるような事が無いように祈っていました」
「と…言うことは、まさか」
「ええ、緊急事態です…至急私とアジメクに戻って頂けますか?、今再び世界が貴方を必要としています」
そうエリスの手を握り返すメグさんの手の温もりとエリスを見つめるその瞳からは、確かな誠実さを感じた。
こればかりは冗談ではなさそうだ。
緊急事態、そう告げられたエリスは。一も二もなく一つ頷く。何が起きているか分からないがエリスの助けが必要というのなら応じよう…。
三年ぶりに帰還することとなるアジメク、突如として助けを求めに来た友人、仄かに感じる新たな戦いの気配。
これが、新たな旅と長い長い戦いの始まりになる事を、エリスはこの時まだ…知らなかったのだ。