教伝その3.教え導く者の愛
「せんせーおはよー」
「おーう、おはよーさーん」
メルキオールが我が校にやってきてかれこれ一ヶ月が経った。一時は激動の種になるかと思われた彼だったが、天才カリスマ教師アマルトさんの華麗なる計略によりたった一日で解決。それ以降はなんとも穏やかな毎日を過ごしていた。
今日も今日とて俺は校門の前に立ち寮から歩いてやってくる生徒達達に手を振り迎え入れる。おはようおはようと繰り返せば生徒達はそれだけで笑顔になってくれる、笑顔になってくれるから今日一日頑張ろうと思える。
「せんせーおはよー、でっかい虫捕まえたー」
「おはよー、逃してきなさい」
「せんせーおはよー、宿題忘れたー」
「おはよう、授業始まる前にやりなさい」
「先生…おはよう」
「おお、おは…ってメルキオール、おはようさん」
他の生徒に混じって、件の元問題児 メルキオール君が挨拶をしてくれる。一応王族の家系という事もありやや生意気なところがあり 周りの生徒から嫌われていた彼はもうどこにもいない。
今ではタルコットという友を手に入れ、寮に住まい他の生徒達に勉強を教えてやれるいい兄貴分として他の生徒達からの信頼も勝ち得ている。やはり俺の見立て通りメルキオールは根はいい子なんだ、こうしてキッカケをあげるだけで周りに馴染めると信じていたよ。
「おはようアマルト」
「お…おう、ネレイド。お前いつまでいるんだよ」
そしてそんなメルキオールの護衛をするのは俺の友人ネレイドさんだ。オライオンでワガママを通した代償としてメルキオールの護衛を命じられ 今はコルスコルピに住んでいるという彼女は一ヶ月経った今もメルキオールの護衛を続行している。
とはいえ今のメルキオールは寮住まい。寮の中には入れないし学園の中にも入れないからこうしてメルキオールが通学するほんの短い時間だけ彼に同行し、後は一日街で暇を潰しているという。もう帰っても良いような気がするが…。
「まだ帰れない、どうせ今帰ってもまた教皇になれとかグチグチ言われるから。教皇代理のゲオルグおじさんが正式な二代目を決めるまでここにいようと思って」
「お前案外図太いよな…、まぁ俺もお前が近くにいてくれた方が楽しいし、別に良いけどよ」
つまりオライオンでの二代目教皇騒ぎが収まるまで、他国にいて白羽の矢が立たないようにしたいと…。ネレイドという女は優しさの権化みたいな面が目立つが、こういう面倒くさい事柄からは案外平気な顔して逃げる図太さも持ち合わせているのだ。
祖国でほとぼりが冷めるまでコルスコルピに、それがいつになるのか分からないがポータルで世界中が繋がっている今、無理にオライオンに留まり続ける必要はないのかもな。
「あはは、アマルトさんが居て ネレイドさんが居て、こうして魔女の弟子が揃ってるとか昔を思い出しますね」
「いやナリア、お前は本当にいつまでいるつもりなんだよ」
何よりネレイド以上に何故かここに留まっているナリアがいる。クリストキントのカストリア横断ツアーの最後の締めくくりとしてこの街を訪れたナリアは…何故か今もこの街に留まっている。ディオスクロア小学園の臨時美術講師という形で。
「クリストキントのみんなはもうエトワールに帰ったんだろ?なんでまだいるんだよ」
「いやぁ、ワールドツアーが終わったら暫く暇でして、せっかくなら友達のところにいたいなぁって」
「だからってうちの教師にならなくても…」
「そんな事言ってぇ、ここで働く許可を出してくれたのはアマルトさんじゃないですかぁ」
「お前の嘘泣きに騙されてな!」
あの迫真の嘘泣きを前にしたら誰だって頼みを断れない。結局ナリアに泣き落とされて働く事を許可してしまった自分が情けないと思う反面、正直助かっている。
ネレイドは休み時間に子供達の事を見ていてくれるし、ナリアも子供達の扱いは上手いから他の教師よりも授業を任せられる。捻くれた事ばかり言ってはいるが…正直クソありがたい。
「ささ、アマルトせーんせ!そろそろ授業ですよ!行きましょう!」
「はぁー…ああ、今日も頑張ろうか」
「ん、みんなそろそろ仕事だね、じゃあ私は街で美味しそうなレストラン見つけたから食べに行ってくるね」
「テシュタルの教義はいいのかよ」
「ここはオライオンじゃないから。それじゃあね」
平日はほぼ暇を持て余す身分とは羨ましいねぇ。まぁ護衛のあいつが暇を持て余すくらいが一番いいのだろうけども…と、マジでそろそろ時間だな。
「じゃ、今日も一日よろしくお願いしますよ、ナリア先生」
「はい、アマルト理事長」
にししといたずらに笑うナリアを見て、気合いを入れ直す。さて、今日もお仕事だ。
…………………………………………………………
「えーっと、みんなも知ってる通り 今現在世界はアド・アストラによる共同統治体系が築かれている。みんなの食べてるご飯も行きつけの店も住んでいる家の建材も全てアド・アストラの下部組織によって用意されたものだ」
今日の授業は世界史の授業。我がディオスクロア小学園では運動に並び人気の授業だ、なんたってここに通っている生徒はメルキオールを除いてその全てがコルスコルピ人。価値観が形成される前の子供であっても コルスコルピ人特有の歴史好きが滲み出る。
むしろ逆にメルキオールは引いていたな、『単なる歴史の授業なのになんでみんなそんなに前のめりなんだ』とな。まぁこればっかりは国民性だから仕方ない。
「今のアド・アストラによる世界統治の前に、世界を統べていた存在は何か知っているか?」
「はーい、魔女様でーす」
「ま、聞くまでもなかったな。そうだ、アド・アストラが出来るよりも前は魔女様達がそれぞれの国を治めていたんだ」
背後の黒板にチョークで文字を引きながら思う。まだこの子達はギリギリ魔女様の恩恵を受けて行きてきた世代としてその敬意は存在しているが。今の子達よりも後に学園に入学してくる子達は恐らく魔女による統治時代を知らない子たちになるだろう。
世界を魔女が統べていた時代が過去のものになるのはこんなにもあっという間なのか。八千年も世界を守り続けていても世界がそれを忘れるのはこんなにも早いのか。あの人達はそれをやるせなく感じないのかな。
今、殆どの魔女様は隠居状態にある。アルクトゥルス様はラグナの修行をつけながらその辺をほっつき歩き、スピカ様は毎日サロンに入り浸り、フォーマルハウト様は離宮を建ててそこで暮らしているという。うちの師匠は変わらないが…魔女様達の重荷が降りたと考えればそれもいいのかと思いもしないでもないが。
「アド・アストラが成立したのが三年前、我等がイオ・コペルニクス王とその他の王達の会談によりこの大組織は成立しており、そのおかげで世界の技術レベルは大幅に跳ね上がり…」
「せんせー!しつもーん!」
「ん、ペネロペ、何か分からないところでもあったか?」
すると生徒の一人、噂好きの少女ペネロペが何やらワクワクしながら手をあげる。これはあんまり真面目な話じゃなさそうだな。
「私聞きました!三年前アド・アストラが生まれたその時、物凄く大きな戦いがあったって!」
「ん?、それは教科書には書いてない筈だが?」
「私が調べました!、やっぱりあったんですよね!凄い戦い!」
キラキラした目で聞いてくるその大きな戦いってのはシリウスが攻めてきたあの激戦のことだ。そしてそれはあまり表向きには公表されていない、なんでってあんまり都合がよろしくないからだ。
何せ敵方の戦力には操られた魔女様が二人もいた、その先導者も仮にも魔女を名乗る者。アド・アストラの時代になっても魔女様が象徴であることは変わらない以上あんまりベラベラ言いふらしてもいい話ではないからだ。だからこの記録はいずれ抹消されるだろうが…今はまだ当時を知る者が多すぎて隠しきれていないのが現状だな。
「その戦いには世界を滅ぼそうとする魔王がいて、魔獣の軍勢を率いてアジメクに襲いかかってきた!、こんな大きな戦いがあったの…先生知ってますか?」
「え?」
あー、はいはい。なるほど ペネロペの魂胆が分かった。俺に知識マウントを取りたいんだ、教科書に書かれていないことだからきっと極秘情報か何かだと これを知っている人間はあんまりいないと…そう思って俺に聞いてきているんだろう。
だが残念、先生その戦いに参加してんだよなぁ…。
「そしてその魔王を倒したのは世界各地から集められた八人の精鋭!八人の勇者達です!、メンバーはアルクカースのラグナ大王、デルセクトのメルクリウス様、アジメクのデティフローア様。この三人だけしか分かっていない…他のメンバー達は公表されておらず、どこの誰なのか分からない…ですよね」
ふふんっと自慢げに語るペネロペは知らない、その正体不明の残りの五人のうちの一人が今目の前にいる俺であることを。当然こっちも公表してない…というか公表は個々人の自由ということにされた。
ラグナ達王様組はどうやっても隠せないからいっそ開き直って公表して自身の名声に変えているが。一教師として生きていくつもりの俺にはむしろ邪魔な称号だ、故に公表をするつもりはない。偶にどっから聞きつけたのか分からないやつが俺に取り入ろうとしてくるが、そういうのも全部跳ね除けているのが現状だ。
「私、この残りのメンバーについて推理しているんです」
「へぇ、残りのメンバーを…。それで誰か分かったのか?」
「はい!分かっているメンバーから考えるに残りも大国の盟主である可能性が高いです!つまり!我が国の王様イオ・コペルニクス様がそのメンバーの一人かと!」
イオが?違う違う、あいつはそもそもあの戦いに参加すらしてねぇよ…とは言わず軽い苦笑いで答えておく、ってかその推理だと魔女が盟主やってるアガスティヤはどうなるんだ?。
「だから他のメンバーもどこかしら王様である可能性が高く…」
「違うよ、みんながみんな王様じゃない」
「へ?メルキオール君?」
ふと、メルキオールが呆れたように口を開きペネロペの推理を否定すると。
「僕の護衛をやってるあのデカ女いるだろ。アイツもその八人の英雄うちの一人だ、アイツは祖国じゃ最強の神将と呼ばれてる女だ…けど、王様ではない」
「そうなの?、ってかあの女の人そんなに凄い人だったの!?」
「そうだよ、まぁ…なんでそんな凄いのが僕の護衛をやってるのかは、僕自身にも分からないけど」
アイツ…口滑らせて自分がそのうちの一人だと言いやがったな。まぁネレイドはおだてられると弱いからな、ってかネレイドの奴、俺がメンバーの一人とか言ってないよな!?。
「ねぇ先生、ネレイドの友人の貴方なら他のメンバーが誰か知ってるんじゃないの?」
と思ったりそこは言ってないか…よかった。
「知らないよ、興味もないし、そもそも知ってたからって何か得する話でもない。お前らもこの件についてはあんまり考えなくてもいいぞ。少なくともテストには出ないからな」
「えぇー、でもロマンありませんか?隠された英雄達!、全員に出来るなら会ってみたいなぁ」
ペネロペ…、会いたいなら今廊下でデッサン用の器材を運んで上機嫌なナリア先生の所に行きなさい。
「ほらほら、話が脇道に逸れちまったよ。本題に戻すぞ?このアド・アストラの成立した年は…」
「八人の英雄ってみんな強いのかな!」
「分からないけど、アルクカースのラグナ大王はメチャクチャ強いって聞くよ」
「ってかそれぞれの国に一人づつ英雄がいても八人なら一人余らない?」
あーくそ、ダメだな。子供達の関心は完全にペネロペの噂話の方に行っちまってる。こりゃ授業聞いてないな…、ったく今回の授業はテストに出るんだぜ?もっとタルコットを見習ってほしいね。
…にしても、英雄…か。気がついたら変な呼び名まで着いちまったな、別にあの時の戦いは有名になってやろうとかチヤホヤされたいとかそんな気持ちで挑んでいたわけじゃない。単に俺の守りたいものとダチの守りたいものをひっくるめて守る為に剣を取ってだだけなのに。
あの時一緒に戦ったラグナ達は今や世界の指導者、あれっきりずっと会えてないし…。
エリスに関しちゃ話も聞かねぇ、生きてるかどうかも分からない…いやあれは死んでも死なねぇか。
みんな元気かな…、ネレイドやナリアみたいにまた会いたいな。
「……先生が、英雄の一人かと思ったんだけどな」
無意識で黒板に字を連ねるアマルトの背を見ながらメルキオールは考え込む。八人の英雄…今や世界の指導者たるラグナ大王達と肩を並べる存在であるながら世にその名を出さない者達。そのうちの一人がアマルトなのではないかとメルキオールは考える。
この一ヶ月、彼はアマルトという人間について秘密裏に調べていた。と言っても街の人に聞き込んだり ネレイドを尋問してポロっと溢れた情報を繋ぎ合わせただけだが、それだけでも彼という人間が並々ならぬ存在であることが分かった。
アマルト先生、生徒のほとんどは知らぬそのフルネームは『アマルト・アリスタルコス』、先生はあの学園理事長の一族にして国王に次ぐと言われる大貴族アリスタルコス家の人間なのだ。
他国なら宰相クラスの役職に就いて当然の立ち位置にいながらこんな所で子供相手に教鞭を振るってるなんてどう考えてもおかしいレベルの人だ。
その上街の人やネレイドはアマルト先生は『この国でも随一の剣の達人』だとも言っていた。それに一度剣術の授業で少しだけ剣を握って振った時、信じられないくらい綺麗な動きで振るっていた。
城で僕に剣を教えていた剣術指南役が子供にも思える程の実力、そして英雄の一人であるネレイドとも友人…となれば、もしかしたらと考えるのも無理からぬ事。
元々底の知れない人だったんだ。今更英雄ですと言われても嘘とは思うまい。
(だけど分からないのは、なんでそれをひた隠しにするんだ)
もしアマルト先生がこの国の大貴族の嫡男で英雄の一人なら、彼は誰もが求めてやまない程の名声を放って雲隠れしているに等しい。
分からない、分からないけれど知ってみたい。あの底の知れない先生の…本当の顔を。
そう考えたメルキオールは、特に考えることもなく机の上に転がっている筆を手に取る。掌でガッシリ掴んで…、黒板に字を書きこちらに背を向けるアマルト先生向けて大きく振りかぶり。
「よっ…」
投げる、恩師に向けて失礼な事と分かっているがそれでもあの人が英雄ならきっと…。
「あて…」
「え?」
華麗に振り向いて筆をキャッチするアマルト先生の姿…それは幻視となって消える。現実はなんの反応も出来ずコツッと音を立てて筆がアマルト先生の頭を打ち、間抜けな声が響く。
キャッチ出来なかった?…。
「おい、誰だこんなことしたの」
「え?いやその…」
「お前かメルキオール、いやいくら授業がつまらないからってこりゃないだろ…先生ショックなんだけど」
「ち ちが!僕は先生がその英雄の一人だって…」
「はぁ、そんな与太話信じてるのか?、いいか?先生はな…」
と筆を拾い上げ怒るわけでもなく弁明の言葉を発しようと口を開くアマルト先生……。
その、…その瞬間であった。
「ッッ!!」
アマルト先生の目が鋭く煌めいた、見たこともないくらい鋭く…剣呑な目で僕を見ている。その視線はあまりに怖く、恐ろしく、あの優しい先生を怒らせてしまったと悟った僕は芯から震えて…。
「──────ッッ!!!!」
刹那、刹那だ。一秒にも満たぬその瞬間響き渡るのはガラスの割れる激しい高音、煌めく火花、一瞬にして平和だった教室に割れたガラスが散乱し…僕の目の前に何かが落ちる
「……え?」
そこで漸く僕は悟る。外から何かが投げ込まれた、それも悲鳴すらあげる暇もない程高速で。それを咄嗟に振り向いた先生が僕の投げた筆で弾いて防いだのだ…。
そして、視線を下に下ろせば、僕の目の前には投げ込まれたそれが 先生の防いだそれが…鋭いナイフが、机に深々と刺さっていて。
「え?え?」
「な…何が…?」
「窓が……」
「おい、先に聞いておく…これ、誰かのいたずらじゃねぇよな」
チラリと剣呑な先生の視線がこちらに向けば、全員が首を振る。知らない 分からない、何が起こっているのか、何がどうなっているのかも。
ただそれを見た先生は一つ、得心入ったが如く深く頷くと。
「テメェ、神聖な学び舎に物騒なもん投げ込みやがって…理由次第じゃただじゃおかねぇぞ」
先生は怒りに満ちた声で割れた窓の外に声を投げかける。ナイフを投げ入れた犯人であろうその影は 答えるようにヌルリと現れて…。
「ほう、今のを防ぐか…、流石はアマルト・アリスタルコス」
窓の縁に足をかけて、ズルリと現れたのはメイドだった。僕の城にもいるようななんの変哲も無い黒髪のメイド。それが両手に大振りのナイフを持って教室に踏み込んできた。
明らかに敵意に満ちた目、明確に殺意を帯びた佇まいに思わず臆病な生徒達は悲鳴をあげ…。
「お前がメルキオール・ディアデ・ムエルトスだな」
「え…」
状況も何も飲み込めないそんな状況の中、乗り込んできたメイドはまるで次のページを捲ったかのように瞬く間に僕の目の前に現れ…。
「その命、頂戴する」
「ヒィッ!?」
発露する殺意、身の毛も凍る殺意、それを目の当たりにした僕は喉を鳴らし身を仰け反るもすでに遅く、メイドはそのナイフを輝かせながら振りかぶり僕に向けて振り下ろし…。
「うちの生徒に手ェ出すんじゃねぇ!!!」
「ぐっ!?!」
しかし、それはメイドの動きに咄嗟に反応したアマルト先生の蹴りがメイドの脇腹を撃ち抜いたことにより不発に終わり、メイドの体は再び窓を抜けて外へと飛ばされていき…。
な、何が起きて…。
「メルキオール!!!」
「は はい!」
「全員を率いてここから離れろ!んでナリア先生の所に行け!今すぐ!」
「は…はいっ!」
有無を言わさぬ勢いで叫ぶ先生は僕に命令するなり懐に手を伸ばし、一本の無骨な短剣を引き抜き外に蹴り飛ばしたメイドを睨みつける。
恐ろしい状況だ、命を狙われたんだ。平和だった世界は瞬く間に鉄火場へと変わり泣き出す生徒もいる中僕は思う。
短剣を構え、勇敢にも構える先生の背中は…確かに英雄のものであった、と。
…………………………………………
俺の言った通り、メルキオールはすぐに動いて怯えきった生徒を纏めて教室を走って出て行った。この騒ぎならきっとナリアも動いてる、そしてナリアなら子供達の保護を優先するだろう。アイツに任せれば後は安心だ…。
なら俺がするべきことは、教師でありこの学園の理事長である俺がするべきことは一つ。…うちの学園に迫る魔の手を切り払うこと。
「何者だテメェ、いきなり乗り込んできてうちの大切な生徒に刃物向けるなんざ…死にてぇのか!」
「くくく…」
攻め込んできたのはメイドだ。ナイフを手に笑うメイドだ。いや見てくれはメイドだが多分中身は殺し屋だろう…さっきの投擲といいいきなりメルキオールを狙う動きと言い。あの判断力と実力は確実に裏社会で培われたものだ。
そんなのがいきなり攻め入ってくるなんて…どう考えてもおかしいだろ。
「名ァ名乗れや」
「…ふふ、お初にお目にかかる。八人の英雄が一人アマルト・アリスタルコス、私はハーシェルの影の二十五、ペルディータ・ハーシェルと申す」
ペルディータ・ハーシェル…そう名乗るメイドは雑な礼をしたまま手元で二本ナイフをくるりと回す。…ハーシェルの影?なんかどっかで聞いたことあるようなないような、なんだっけそれ…、なんて相手に聞くわけにもいかずナイフを向けられたらこっちも刃物向けるしかないよな。
「そちらを退いて頂けないだろうか、貴方も死にたくはないでしょう。ここで逃げれば見逃してあげます」
「そう言われて逃げる奴見たことあんのかよ」
「ですよね、分かってました…」
こいつの目的はメルキオールの暗殺か?、暗殺っていうにはチョイと傾奇過ぎな気もするが。それでも真っ先に狙いに行ったという事はそういう事だろう。
そのハーシェルがどうのというのも気になるし、ふん縛って聞くとするか。
「では…参りましょうか」
そう大胆にも一歩踏み出したペルディータの歩み。その歩みは一見すればただの歩行以上の何物でもない、だが俺には分かる…その余りに洗礼された一歩は…。
俺にペルディータの実力の高さを証明するにはあまりにも十分過ぎた。
「『空魔一式・絶影閃空』…ってあれ?」
「っ…!危ねぇ!」
たったの一歩で最高速度に至ったペルディータは次の瞬間俺の視界から消える。超高速の飛躍によって一瞬で相手の背後に回ったのだ、少なくとも俺はその瞬間そう判断し咄嗟に身を丸め首元を守るように立ち回れば、案の定背後から伸びてきたペルディータの手が俺の首を掴み損ねて弾かれる。
危ねぇ、マジで後ろだった…この俺がちょっとしか目で捉えることが出来なかった。なんてデタラメなスピード…そしてなんて躊躇いがないんだ。初手の一発で急所狙いに来るなんて。こいつガチでやべぇ…!。
「初見で絶影閃空を避けた?そんなバカな…。流石は英雄の一人」
「テメェ!何者だ!」
「何を異な事を。先程名乗ったはず」
クルリと振り向きながらマルンの短剣を振り抜けば同時に答えるようにペルディータも大型のナイフを振るい虚空に火花が散る。鋭く空気を引き裂く斬撃の応酬は超高速の早指しの如く綿密に攻め 精密に防ぐ。
そんな斬撃の雨と雨がぶつかり合う中、アマルトとペルディータの視線が交錯する。
「ハーシェルの影ってんだろ!それが何か聞いてんだ!固有名詞で自己紹介した気になるな!」
「おや、聞いていないか?私達の存在を」
「生憎なッ!!」
ペルディータが操る二本のナイフを瞬きの間に弾き、生まれた一瞬の隙を突き煌めくようなアマルトの横一閃がペルディータに襲いかかる。されどそれで影は捉えられぬとばかりに再び目にも留まらぬ跳躍で距離を取るペルディータによりその斬撃は空を切る。
「まぁ、身の丈話をベラベラする暗殺者は何処にもいない、分からなければ自分で察しろ」
「とりあえずおまえが暗殺者だって事は察してるよ」
「ならそれで十分だろう…」
「そうも行かねえな、誰に依頼されたかとか なんで依頼されたかと…まだまだ聞き足りないんでな!」
「依頼内容など死んでも答えるわけがないだろう」
すると、再びペルディータは深く腰を落とし…。
また来る、あの目にも止まらぬ跳躍が!また来る!。
「『空魔五式・絶技乱斬』」
その言葉だけを残し、足元の砂を巻き上げ消えるペルディータ。代わりに現れるのは四方八方から飛来する無数の斬撃。
先程の目にも留まらぬ跳躍を今度は完全に攻撃に転用してきた。獲物を襲う鷹の如く何度も何度も対象に向けて爪を振るうが如く、超高速で飛躍し敵目掛け斬撃の雨を浴びせかける…的な技なのだろう。
速い…ただひたすらに速い斬撃の雨を、一つ一つ丁寧に短剣で防ぎ変わる変わる身を入れ替えるように方向転換しながら全方位を狙うペルディータのナイフを防ぎ続ける。正直やばいがこれくらいなら何とかなる。
「絶技乱斬さえも見切るか!」
「チッ、何なんだよお前…!」
しかし、引っかかる。ペルディータの技と姿があまりにも友人に…メグに似ているからだ。いやアイツはペルディータと違ってメイドとしての所作も完璧で技ももっと洗練されているが…。
あいつ、元暗殺者とか言ってたよな。まさかこいつメグが元いた暗殺組織の人間とか言わないよな!。
「オラァッ!」
「グッ!貴様ァ!」
叩きつけるようなアマルトの一撃を受けナイフを一つ取り落としたたらを踏むペルディータはその神速を失い、代わりに激情を持って斬りかかり 再び刃と刃が火花を散らし合う。
「やはりやるな英雄アマルト!」
「その呼び方やめろ!俺はここで教師として生きてんだよッ!」
「ぐっ!」
アマルトとペルディータの鍔迫り合いはアマルトの裂帛の踏み込みによりペルディータの体を跳ね飛ばす事で終焉を迎える。
こいつ中々にやる。俺を相手にここまで斬り結ぶなんて…伊達じゃないぞ、こいつ。
「フゥ…、簡単には抜けないと考えてはいたが。ここまでか…、一線を退いて実力を落としていると考えていたぞ」
「バカ言え、これでも教師生活の傍ら修行は前以上に積んでんだ。三年前よか強いぜ俺は」
アンタレスの呪術の修行にタリアテッレの剣の修行、この双方を前以上に積みながら教師の仕事も両立させる。そのくらいやらないと俺のダチには肩を並べられないからな…今も死に物狂いで生きてんだよ俺は。
「なるほど、…ふむ。強ち法螺吹きでもなさそうだな、今の軽装ではお前を仕留めるのは難しそうだ」
「へぇ、今更負けた時の予防線張りか?意外にせせこましいんだな」
「言っていろ。お前なんぞ決戦兵装があれば一捻り…いや、あれを使うまでもない!!」
来るか…!再びナイフを構え直すペルディータにアマルトも些かの焦りを覚える。ペルディータは強い、師団長クラスではないが確実にその一つ下につけるくらいの実力だ。普通に生きててバッタリ会っていいレベルの奴じゃない。
おまけに所属も正体も目的も不明ときた。出来るなら力を温存して、なるべく手の内を探られないようにして終わらせたかったが。
(そうも言ってられないか…仕方ねえ、久々に呪術使うか?)
実戦で呪術使うなんてそれこそ三年ぶりだ…けど、一応新技も用意してあるし、やるか?。
「行くぞ、私がここにきた以上任務は遂行される」
「来な、返り討ちにしてやる…」
そう静かに…ベルトのバックルに手を当て…た。その瞬間だった。
「おーい、アマルトさーん」
「へ?はぁ?ナリア!?」
校舎の方から呑気な声を上げて駆け寄ってくるのは生徒達の安全を任せたはずのナリアだった。それが子供達の側から離れて、おいおい!。
「ナリア!子供達は!」
「ご安心を!教師も生徒も全員僕の結界魔術陣の中に保護しました!大砲持ってきても生徒達には傷一つつけられませんよ」
あ…もうやることやってくれたのか。確かに魔術陣は元々防戦特化の魔術体系…物を用意するだけで防衛は楽勝か。いや思ってたよりも頼りになるな。
「この人が襲撃者ですね!メルキオール君にナイフを向けたって聞きましたよ!許せません!」
「ほう、『千貌の書き手』サトゥルナリアか」
「え?今僕そんなかっこいい二つ名で呼ばれてるんですか?」
「ふむ、魔女の弟子二人が相手とは…これは腕が鳴る!」
益々滾って来た!とばかりにナイフを強く構えるペルディータ。その威圧は確かなもので三年前のナリアなら竦み上がって俺の後ろに隠れていただろうに、今は…。
「それはこっちのセリフです、子供達の平穏を崩す人は僕が許しません」
逆に腕まくりをして絵筆を構えて迎え撃つ姿勢を見せる。それは強くなったからと油断しているのではない…サトゥルナリアという男は三年前と違って本当の意味で魔女の弟子として成長しているのだ。
こいつ…、見ない間にデカくなりやがって。
「フッ、フハハハ!では行くぞ!魔女の弟子二人まとめてあの世に…」
「違うよ、二人じゃない…『三人』だ」
「へ…」
刹那、ペルディータの体が横に吹っ飛ぶ。まるで意思を持った大木がその幹を振るったかのような痛烈な一撃が奴の体を横薙ぎに叩きいとも容易く殴り飛ばしたのだ。
「ぐがぁっ!?…き 貴様、闘神将ネレイドか…!」
吹き飛び、近くの木に激突しへし折れる大木と添い寝しながらペルディータは血混じりの声で叫ぶ。見るのはその巨体そして影を帯びた顔から放たれる二つの眼光、怒りに満ちた表情を浮かべる鬼…否、神将ネレイドだ。
「お前か、メルキオール王子に刃を向けたという不埒者は」
街で飯食ってた筈なのに、騒ぎを聞きつけて突っ走っててここまで来たのだろう。激しい運動により発せられた汗は蒸気となって彼女の怒りを表し、ブチ切れ寸前と言った様子でペルディータを見下ろす。
俺くらいならなんとかなるだろう。そこにナリアが加わってもまぁやりようはあるだろう。だがネレイドはダメだ…こいつは魔女の弟子の中でも頭一つ飛び抜ける強者、それを知っているからかペルディータも苦々しく顔を歪め。
「くっ、離れていると聞いたのに…戻ってくるのが早すぎる」
「バカにするな、離れたと言っても直ぐに戻れる位置からは離れていない。我が友が時間を稼げるくらいの距離に私はいる…メルキオール王子がこの学園にいる限り暗殺するのは無理だと知れ」
「くっ、流石に今の武器で魔女大国最高戦力クラスの相手は無理か…、ここは引かせてもらう。だが …諦めていないからな、私は!」
「逃すかッッ!!!」
逃げようとするペルディータ、追いかけようとするネレイド、戦いはすぐさま追撃戦へと形を変えるが…ここではペルディータが一枚上手だった!。
「私を追いかけるか?これを無視して!」
「っ!」
逃げると同時に手投げ爆弾に火をつけ校舎に向かって投げたのだ。恐らくうちの校舎を爆破するには足るだけの爆弾…それが校舎に向かって飛ぶのをネレイドは目で追ってしまった。
「くっ!させない!」
一瞬たりとも迷うことなくネレイドは逃げるペルディータを差し置いて宙を舞う爆弾に追いすがり、それを握り潰し破壊し導火線の火さえ消してしまい…。
「……ほっ、火…消えた」
「ネレイドさん!」
「ん、ナリア…ごめん、逃しちゃった」
なんてしている間にペルディータは姿を消し、俺たちは恐ろしい相手を取り逃がしてしまったことになる。まぁネレイド的にはメルキオールの身柄を守る方が大切だしな…けど。
「ありがとよ、けど悪い。もうメルキオールはあの学園から離れてるんだ…、伝達し損ねた俺のミスだな」
最悪あの学園が吹っ飛んでもメルキオールは無傷だった、それを先に言っておけばペルディータを逃がすことも…。
「うん、二人ならメルキオールを逃してくれてるって信じてた…、今私が守りたかったのはあの校舎だから…」
「え?」
「だってあれはアマルトが夢を叶えるための場所でしょ。それが爆弾で吹っ飛んだらかわいそうだし。子供達にとっても思い出の学び舎だし…守らなきゃいけない理由は沢山あるよ」
「お前……」
本当いいやつだよなぁ…、ネレイドの優しさに触れてたら時たまに俺の捻くれ具合が情けなることがあるよ。例えば今とか。
「ありがとなぁネレイドぉ」
「うん、でも…色々考えなきゃいけなくなった。学園が襲撃された以上我々はなんらの対策を講じなければならない、現に奴は諦めていないと口にしていたし…」
「というかそもそもあれは何者なんでしょうか、なんかメグさんみたいな感じの人でしたね。あれと一緒にしたらメグさん怒りそうですけど」
「だな、アイツら自分の事をハーシェルの影って名乗ってたぜ?」
「ハーシェルの影……、なるほど 八大同盟の」
と、目を伏せ顎に指を当て考え込むネレイドは小さくため息を吐き。
「分かった、取り敢えず今後の事を話し合う為にも校舎の方へと移ろうか。生徒達が心配だし」
「だな、ったく…今日は授業どころじゃなさそうだ」
殺し屋ペルディータの出現、それは一撃で俺の平穏な生活を叩き壊し命の危機という久しい感覚を俺に思い出させる。っんとに面倒な事になりやがったぜ。
……………………………………………………………………
それから、俺達三人は揃って保護されている生徒達と合流。いきなりの殺し屋出現に怯えきった生徒達を宥める気満々で向かったというのに、ナリアの結界陣の中に保護された生徒達は全員なんだかワクワクしたようなソワソワしたような落ち着かない挙動で遊んでいた。
なんでもいきなり現れたナリア先生がなんだかすごい魔術を使ったり、俺が筆一本でいきなり現れた不審者を撃退したりと。非日常的な場面が見られて興奮しているらしい…、ほんと、子供ってのは凄いねぇ。
まぁ特に子供達の精神状況に影響はなそうだし、取り敢えず今日は学校は閉鎖。子供達はみんな揃って教師と共に集団下校で寮へと返し、俺達もまた子供達の住まう寮の職員室に集い…作戦会議を始める。
内容は勿論ペルディータについてだ。
「ペルディータは多分時間を置かず、今日の晩にでも攻めてくると思うよ」
職員室の床に膝を立てて窮屈そうに座るネレイドは、開口一番そう口にする。
「今日の晩?早急だな」
「警戒心は花と同じ、時間が経てば大きく育つ。警戒されればされるほど向こうは仕事がし難くなる。何よりアマルトがアド・アストラから戦力を引っ張ってこれる立場にいる事をあいつは知ってるだろうし…アストラから戦力が来る前に終わらせたいと思う」
なるほどね、確かに俺はアド・アストラに顔が効くから救援を頼めば明日の朝にはそれなりの一団が武装して我が校の周辺を警護出来る。というか既にアストラ支部には話を通してあるし、明日にはなんとかなるだろう。
「もうアストラには話を通してあるよ、アド・アストラ支部を通してイオとラグナに声かけた」
「なんて言ってた?」
「返事はまだない、だがイオなら確実に答えてくれるしラグナなら絶対なんとかしてくれる。けど…今日の晩に攻めてくるなら俺達だけでなんとかする事になりそうだな」
「だね、…ペルディータの狙いはメルキオールだったんだよね」
「ぽかったぜ?。あいつとっちめて聞いたわけじゃねぇからなんとも言えねぇが」
「ふーん、…なんでメルキオール君なんだろう」
これは当然の話ではあるが、殺し屋ってのは別に殺す相手をルーレットやくじ引きで決めてるわけじゃない。ちゃんと殺したがってる奴から依頼を受けてお金貰ってそして初めて仕事に出てくるのが殺し屋だ。つまりペルディータはメルキオールを殺そうとはしてるが殺したがってるわけじゃない。本当に死んで欲しいと思ってるのは何処か別にいる事になる。
さてここで問題になるのがメルキオールはそんな大層なことしてまで殺しとかなきゃいけない人間じゃないって事だ。
「なんでって、そりゃ魔女大国の王族だからでは?。メルキオール君って聖王の家系ですよね」
とは職員室の床に椅子に座りうーんと考え込むように腕を組むナリアはいう、確かにメルキオールは王族だ、タルコットみたいな一般生徒よりは狙われる謂れはある。だが…。
「だとしてもメルキオールを狙う理由は何処にもない。オライオンの政権を狙うなら聖王じゃなくて教皇を狙うし聖王を狙うならメルキオールじゃなくてアイツのオヤジを狙うだろ?。言っちゃなんだがメルキオールの生死は現状政治的な意味はない、かといって殺し屋を雇えるような奴と個人的な因縁があるようにも見えない」
「確かに…、それにあの人の口ぶり…まるでここに僕達が居ることを知っていたような口ぶりでした。ここで僕達と戦闘になるのを混み合いで受けるには、その…」
「達成した時の成果が薄い…でしょ、あんまり言いたくないけどメルキオール君をそうまでして殺さなきゃいけないメリットはない、私達魔女の弟子三人を相手取るというデメリットを背負ってでもやらなきゃいけないメリットはね」
「……そうですね」
ペルディータの雇い主が分からないってのは地味に怖いな、もしかしたらそいつは俺たちの近くに居て今も生徒の首を狙ってるかもしれないんだ。まぁつったっても…。
「まぁここで考えて答えが出る話でもない、今は目先のことだけ考えていようぜ」
「そうだね、何をどういってもペルディータをなんとかしない限り先に話は進まない。恐らく彼女は今夜仕掛けてくると思う…だからまずはその迎撃の準備をするべき」
こういう時、ネレイドは存外話を纏めてドンドン先に進めてくれる。要点だけを捉えてテキパキと手際よくだ、偶に忘れそうになるがネレイドは一国の軍事関係の頂点に立つ女。その手の話に関してはラグナ並みに頼りになる。
「本当ならコペルニクス城やアド・アストラからの支援物資を受け取りたいところはあるけれど…まぁ多分大丈夫」
「大丈夫って、楽観的だなぁ。ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫、ここにいる戦力だけでも過剰なレベルなんだから」
あー、…まぁそうか。魔女の弟子三人だもんな、オマケにウチには陣地防衛のプロたる魔術陣の使い手ナリアもいる。やりようはいくらでもあるってわけだ。
「というわけで差し当たって私が纏めた迎撃プランがある。出来れば生徒達にはあんまり悟られたくないから他の教師の力は借りずに私達だけでなんとかしたい…でいいかな?アマルト」
「ああ、そうしよう。だがその前に……」
フッと俺は気配を消し足音も殺し、クルリと振り向いて扉の方へと足を進め…。一切の物音を立てることなくドアノブを引けば…。
「わわっ!?」
「盗み聞きか?ペネロペ」
「あ…いや、そのぉ…」
噂好きのうちのクラスメイト、ペネロペちゃんが扉に張り付いてやがった。ったくこいつは…。
「な なんか…真面目なお話ししてるから、なんのお話してるのかな…って気になって」
「少なくともお前には関係ないことだ。部屋に戻っていなさい」
「でもぉあ!そこの人!」
「ん?、私?」
するとペネロペは床に座り込むネレイドを指差すなりカサカサと地面を這って…。
「貴方メルキオール君の護衛のネレイドさんですよね!」
「そうだけど…」
「アマルト先生とも友達なんですよね!」
「そうだけど…」
「それで三年前世界を救った英雄の一人…ですよね!ネレイドさん!」
「そうだけど…あ、言わない方が良かったかな」
「やっぱり!やっぱり噂は本当だっただ〜!!」
ポロっと溢しやがった…あんまり口は堅い方じゃねぇのか?。にしてもそんなどうでもいい事聞いて喜べるペネロペの純真さには感服するが、今はそういうこと言ってる場合じゃないんだがな。
「ね!ね!ネレイドさん!ネレイドさんと一緒に戦った残りの七人って…誰なんですか!」
「え?…え〜?」
見るな!こっちを!バレんだろうが!。
「…内緒、それより直ぐに部屋に戻って今日は休んで。ウロチョロされるとうっかり踏み潰しちゃうかも」
俺の心情を察してくれたのかネレイドはすっとぼけると共に降ろしていた腰を持ち上げ、その巨大な体躯を見せつけるように立ち上がり、天井にゴツンとぶつけペネロペを見下ろす。俺達にもでっかく見えるんだ…まだ子供のペネロペにはどういう風に映っているか…想像に難くないな。
「ふ 踏み!?、し 失礼します!」
「ん…」
目の前の巨人の威容に圧倒されたペネロペはスゴスゴと逃げるように部屋へと戻っていく。噂好きにも困ったもんだな。
しかし、呆れ果てる俺とは異なりネレイドは申し訳なさそうに頭を下げ。
「ごめんぬ、脅かしちゃった…ペネロペちゃん」
「いいんだよ、あれくらいがいい薬だ」
「そう?でも今の話聞かれてないかな」
「…………怪しいな」
正直ペネロペがどこからどこまでを聞いていたかは分からない、何をどこまで聞いていたか、そもそも聞けていないかも…分からないが。
「だが聞かれて困るような事は言ってないし大丈夫だろ。下手に口止めした方がアイツは他所でくっちゃべりそうだ」
「それもそうだね、じゃあ…」
ネレイドの発案でペルディータが来るって前提の迎撃作戦を講ずる。しかしこうして弟子同士で迫る敵について話し合ってると昔を思い出すな。
ラグナやエリスは今どこで何をしてるやら…。
……………………………………………………
そうしてやがて太陽は沈み、月が頭上を照らし宵闇が世界を包む。夜になれば人は眠る、それは大人も子供も変わらない。学園のすぐ近くに併設された小学園寮も例外なく窓から差し込む光が消され寝息が響き渡る。
昼間あれだけの騒ぎがあっても夜は眠いもので、子供達はみんなみんな今は夢の中。そんな中一人、昼のペルディータの襲撃を受け警戒心を露わにする男が一人。
「……………………」
昼間とは異なり鉄剣を腰に装備したアマルトはメルキオールの眠る部屋の前に座り込みその扉を守る。またペルディータが現れたら迎撃するつもりで今回はしっかり武装を整えてきているのが見て取れる。
「………………」
静寂だけが残る寮、灯りはなく、総勢五十名近い生徒達が纏めて暮らしているとは思えないほど…、誰もいないのではと錯覚するほどの静寂の中。ただ一人アマルトだけがその部屋を守り続ける。
そして、その部屋の奥には。
「ん…んぅ」
ベッドの中で寝息を立てる少年メルキオールが寝返りを打つ。あれだけ生意気で、あれだけプライドが高くても寝顔は天使のようだ。
彼がこうして安心して眠れるのはある意味信頼する先生が部屋を守ってくれているからだ。メルキオールは正直に言えば自身の護衛以上にアマルト先生を信じているのだ。
このまま朝を迎えれば、明日にはアド・アストラから警護の兵団が到着するだろう。アマルトが自身の竹馬の友たる彼に…アド・アストラ全軍総司令を務めるラグナ・アルクカースに掛け合った以上ラグナは必ず答える。
アド・アストラ軍は精強だ。世界最強の軍と言っても差し障りはない、手に持つ武器も最新鋭、扱う兵士も超精鋭。いくらハーシェルの影と言えども任務の達成は難しくなるだろう。
故にペルディータは今夜仕掛けなければならない…、だが扉の前にはアマルト先生が…。
「フッ、他愛ない」
刹那、ヌルリと影より現れるメイド服はペルディータ。眠りにつくメルキオールの目の前に降り立ちペロリと舌なめずりする。
そう、他愛ないのだ。ペルディータにとって入口の前で見張る程度では警護にさえなりはしない、空魔の極意とは戦闘の中で相手を殺すことにあらず。如何にしても人の意識を掻い潜り誰にも気づかれる事なく侵入し…対象を屠殺するか、そこにこそ空魔の極意はある。
故に見張りがいる程度ではペルディータは止められない、まんまとアマルトの目を掻い潜り部屋へと侵入せしめたペルディータはゆっくりとナイフを抜き去り…。
「では、死んで頂こうか」
「…ん…んん、えっ!?」
「おや、起こしてしまったかな」
ナイフを抜き迫るペルディータに気がつくメルキオールはギョッとしたまま目を何度も擦り起き上がる。だが…もう遅い。
「せ せんせ…」
「フンッ!」
外にいる先生を呼ぶ為声を上げるメルキオールと同時に動くペルディータは、咄嗟にドアに向けてナイフを放つ、するとナイフはドアの隙間に突き刺さりその開閉機能を封じる。ナイフが閂となっている以上…もう外から侵入することは出来ない。
「諦めろ、もう助けは来ない」
「そ、そんな!何で僕を狙うんだ!」
「なんで?そんなの決まってる…都合がいいからだ、お前が一番」
「え?都合?…仕事じゃなくて」
「さぁてな、真相が知りたければあの世から地上を見下ろしていればいい…或いは本人に聞くかだな」
「う……く、来るな!」
煌めくナイフから逃げようとメルキオールは手をバタバタと振り回して抵抗する。枕を投げ、シーツを投げ、近くにあるものを手当たり次第に投げていく…しかし。
「無意味だ、死ね」
文字通り、無意味。微動だにしないペルディータはゆっくりとナイフを掲げメルキオールに振り下ろそうと力を込め…た。瞬間。
「え…?」
見る、メルキオールは見る。抵抗する為辺りのものを手当たり次第に投げていたメルキオールの手により彼が寝ていた寝具の上にはもう何もない…そう、何もないからベッドの上が真っさらになり…それが明らかになるのだ。
黒いインクでべっとりと書き記された…魔術陣が。
「何故、魔術陣が…」
「そりゃ、僕が書いたからですよ…」
怯えていた顔から一転、悪戯にチロリと舌を出すメルキオールは静かにベッドの魔術陣に手を当て…。
「風王怒陣『迦楼羅天』ッ!!」
「なぁっ!?」
手慣れた手つきで魔術陣に魔力を注ぎ込み、発生させるのは古式魔術陣による大突風。書き込まれた陣形を中心に発生する竜巻は部屋の中で荒れ狂いペルディータの体を大きく揺さぶり、遂には…。
「ぐぅっ!?」
地が足を離れ、水が溢れるようにその身は窓に叩きつけられ寮の外へと飛ばされ、更にグルグルと回転する体は寮の近くに存在する小学園の校庭へと吹き飛ばされる。
「っっ!!何故メルキオールがあれほどの魔術陣を!」
咄嗟に足をつき、校庭へと着地するペルディータ。風に流され回る目よりも頭が混乱している。
何故メルキオールが魔術陣を使った、陣形自体は別の誰かが用意すれば使える。だが使用自体はそれなりの練度がないと不可能だ、誰にでも使えるわけじゃない。ましてやあれは古式魔術陣…それを使えるのはそれこそ。
「おーっす、おそようさん。遅刻だぜ ペルディータ」
「ッ!?」
ハッと顔を上げる、無人の筈の学園、もう誰もいない筈の宵闇の中から現れるのは、…アマルトだ。片刃の短剣を持ってクルリと手元で回しながら不敵に笑う…何故奴がここに。
「待ちくたびれたぜ、もっと早く来るもんだと思ってたのに」
「何故…貴様がここにいる。貴様はメルキオールの部屋の前を…」
「守ってる…ように見えてただけさ。というかそもそもお前ちっとは疑わなかったのか?テメェが来るって分かってるのに俺がただメルキオールの部屋の前を守るだけに留めると思うか?」
「ッ…だ だが確かにあそこにはお前が!」
「幻覚だよ…、私がそこにアマルトの幻覚を見せていただけ、あれは偽物だよ」
「なっ!?ネレイド!?」
そして闇より現れアマルトの隣に立つのは敵方最高戦力たるネレイド・イストミア。レスリングの達人にして…幻惑魔術の達人である彼女が突きつけるのは『扉の前に立っていたアマルトは幻覚である』と言う事実。
「気がつかなかった?。アマルト君なら生徒の叫び声が聞こえた時点で扉を切り裂いてでも入室してたよ。例えドアを塞いでもね」
確かにその通りだ、だがあのアマルトはメルキオールの助けを求める声を聞いても声の一つもあげなかった…あげられなかった、幻覚だから。
ペルディータは思わず顔を覆う、ネレイドが幻惑魔術を使うと言う話は聞いていた…だがあれほどの物だとは想像だにしなかった。まるで本当に其処に居るかのような存在感を放つ幻惑など聞いたこともない。この私でさえ見抜けないほどの幻覚を見せるか…!古式幻惑魔術とは…!。
「んで、お前はまんまと俺を出し抜いたつもりでメルキオールの部屋に入ってきた。其処にメルキオールが居ないことにも気がつかずな」
「何!?あれも幻惑…いやあれは確かにメルキオールだったぞ!」
これでもプロだ、周りの見張りを見間違えてもターゲットだけは絶対に見間違えない。その挙動、息遣い、動き、発音の癖、何から何まで昼間のメルキオールと同じだった。それを他人が幻惑で生み出すなど不可能、ましてやあのメルキオールは私に物を投げつけて魔術陣を…。
魔術陣?…まさか!。
「アマルトさーん!大魔術陣の起動終わりましたよー!」
「おーうご苦労さー…っておい、いつまでその格好してるんだよ、ナリア」
「えへへ」
「……は?」
現れたのは、私を追って寮から現れたのは…メルキオールだ。メルキオールがナリアと呼ばれている。何故か?決まってる…あそこにいるメルキオールはメルキオールではないのだ。
「ペルディータさん、どうでした?僕の演技…迫真でしたか?」
メルキオールの金髪が微笑みと共に宵闇に溶ける紫に変わり、その小さな背がやや高くなり、顔つきはより一層美しさを増して…変わっていく、メルキオールが『千貌の役者』サトゥルナリアに…!。
「あれが…演技だと!?」
「俺の呪術の中には、対象を別の生き物に変えるって言うのがあるんだけどよぉ。その呪術とここにいるサトゥルナリアの相性ってのが抜群でな。こいつの演技力も合わされば…完全に別人に成り代る事もチョチョイのチョイなのよ」
「残念でしたねペルディータさん。仕事を焦って見間違えましたか?」
ペロリと舌を出すサトゥルナリアに思わず血がのぼる、頭に。騙された?この私が?空魔の教えを受けた私が役者の演技に?。…そんなバカな、あれは完全にメルキオールだった。
見た目だけじゃない、細かな仕草や声音まで何もかもがメルキオールだった。見た目だけでなく細かな仕草までも模倣したと言うのか!?。これが…千貌の役者 サトゥルナリア・ルシエンテスか!。
「くそッ!なんて事だ!私が…この私がターゲットを見間違えるなんて!。いや…ならメルキオールは何処に!」
「美食殿…俺の姉貴が運営してる宮殿に一時的にかくまってもらってる。メルキオールだけじゃねぇ、ウチの生徒全員彼処の寮にはいない。テメェみたいな子供の健全な知育に対する悪影響の権化みたいな奴がお邪魔しますしてくるってのに生徒を放置するわけねぇだろうが」
「ッ…なんだと」
「俺はな、教師なんだよ。子供の未来を守り、未来を育み、未来の為に戦う教師なんだよ、そんな俺が仮にだって生徒を囮に使うわけねぇだろうが、生徒の居るところに危険を持ち込むわけねぇだろうが」
全て、全て罠だった。寮には生徒が一人もいなかった、初めから迎え撃つ気丸々で其処までの準備をしてくるなんて…。流石にこれは分が悪い…ここは引いて。
と一歩下がろうとした瞬間。
「言っとくが逃げ場はねぇよ。今しがたナリアがこの学園全体を覆う結界魔術陣を起動させた。ナリアが解除しない限りお前はもう何処にも逃げられないのさ」
「結界だと…」
見れば空を薄っすらと青い光を放つ壁が覆っている。この学園全体を覆う魔術陣だと、そんなもの聞いたことがない…。存在感を持つ幻覚といい何処までデタラメなのだ…古式魔術は。
「終わりにしようぜペルディータ。いい加減お前は子供達の教育に悪過ぎる、ここで決着つけようや」
物の見事にハメられた、逃げ場を失い、殺し屋としての尊厳も踏みにじられ、今私は追い詰められている。
追い詰め…られ…、クククク。
「ククク…決着?。フッ…アハハハハハハハハ!」
「ゲッ、なんだよ薄気味悪い笑い方しやがって」
「滑稽滑稽!決着だと?なおの事都合がいい!。いいだろう!お前の言う通り決着をつけよう…今回は私も本気だ。殺し屋ではなく、空魔の影…屠殺者として!」
そう大いに笑いながらペルディータは自らのメイド服を掴み…引きちぎるように思い切り引っ張る。
──空魔の影、ハーシェルの名を持つ者達は父であるジズ・ハーシェルを除いて皆、全員が女性でありメイド服を着込んでいる。末端の末妹からエアリアルお姉様達ファイブナンバーも…そしてメイド長たる『母』に至るまで全員がメイド服を着込んでいる。
それは父の従僕たる証であり、父の支配欲求を満たすためであり、何より殺し屋としての装束であると我が家でそう定められているからだ。
つまりハーシェル達はメイド服を着る限り殺し屋である、どれだけ本気でも暗殺を主体とすることに変わりはない。
だが…殺し屋をやっていれば暗殺もままならず戦闘になる事もあるだろう。そう言う時は暗殺は諦めて、真っ向勝負で殺しに行こう。そう口にした父は一部の姉妹達に『これ』を授けている。
授かりしこれを暗殺しか能のない落ちこぼれのメイド達とは違う。闇に生きる最強の暗殺者たる父の暗殺技能の他に戦闘技能を授かった真なる継承の証とペルディータは呼ぶ。
それこそが。
「『決戦装束』…我らハーシェルの影の戦闘に特化したものにしか与えられぬ戦装束だ。今から私は殺し屋ではなく殺戮者として刃を振るう!」
「なんじゃそら」
メイド服の下に着込んだのは光沢を帯びるボディスーツ。それを拘束するように雁字搦めになった革のベルトに収められたのは幾多のナイフ、剣、銃などの武装類。これこそが決戦装束、メイド服を破り捨て殻を脱ぎ去り新たなる己へと変革する。
ただ着替えただけではない。この姿を露わにしたハーシェルはその意識を暗殺から戦闘にシフトする、『母』より与えられし暗示が…反転するのだ。
「ここで終わらせる?、それはこちらのセリフだ…皆殺しにしてやる!!」
ホルスターに収められた組み立て式の長剣を二本用意して構えを取るペルディータは言う。
これこそが決着をつけるための姿だと、それにふさわしい力と殺戮を見せつけると、アイツは言うのだ。なるほど、奴も本気らしい。
しかし、しかしよりにもよって選んだ武器が剣かぁ。見たところ槍とか弓とか色々持って来てるみたいだけど…最初に選ぶのが剣とはな。
よーし、そっちが本気の戦闘形態を取るならば、こっちも見せちゃおうかなぁ〜。
本気を。
「そっちが抜くならこっちも愛剣を抜かせてもらう…、人を呪わば穴二つ、この身敵を穿つ為ならば我が身穿つ事さえ厭わず」
そう口にしながら静かに短剣の刃で、指先を撫でる。プッツリと皮膚が切れ溢れる数滴の血液はみるみるうちに膨れ上がり俺の持つマルンの短剣を包み込み。新たな形を生み出していく。
「『呪装・黒呪ノ血剣』」
スラリと伸びる片刃の剣。血液を呪術にて固めて作り出した世界で俺だけにしか作れない剣。三年前の戦いで何度も振るった俺の相棒…教師になってからめっきり使うことはなくなって、こうして握るのも久しぶりだが。
やはり、この剣は俺に生き方を教えてくれる…。
『折れず曲がらず、道を切り開く。ただただ真っ直ぐと』…この剣のように生きる為、俺は引くわけにゃあ行かんのよ。
「血が固まった…それが古式呪術か?ようやく使う気になったか」
「そりゃお前が剣を抜いたからだ。相手が剣を抜いてるのにこっちは短剣ってのも失礼な話だしさ?」
「フッ、剣士の矜持か何かか?…アホらしい、私は使える物はなんでも使うぞ?」
「上等だ、やってみろ」
睨み合う決戦装束を身に纏ったペルディータと黒剣を握るアマルト、両者の間に吹く風はただただ静かに両者の闘志を受け流す。
「アマルト…助けは?」
「いやいい、ここから先は俺一人にやらせてくれ…またペルディータが逃げないとも限らない。結界があるとはいえ…そっち方面に睨みを効かせておいてくれ」
「ん、分かった…頑張って」
「頑張ってくださいね!アマルトさん!」
ここから先はアマルトが一人でやる。そう答えれば仲間たちは身を引くように距離を置く。
相手は殺し屋、それもあのハーシェル家。それが本気でアマルトを殺そうとしている…この状況は確かに怖い。だがそれでもアマルトならなんとかすると二人は信じているのだ。
そんな二人の信頼をありがたいと感じつつ、剣を顔の横に寝かせるように…深く腰を落とすように構え、ペルディータとの決戦に備える。
「探求魔女の弟子アマルト・アリスタルコス…、ここでお前を殺せば私の名も売れそうだ」
「なんだ?存外俗っぽい事言うんだな、売名行為か?」
「ああ、そうだとも…私は貴様の死を、踏み台にして上へ行く!!!」
「言ってろよ!!」
校庭に吹き荒ぶ風を断ち切る鋏の如く。同時に踏み込むアマルトとペルディータ…、その踏み込みは二人に加速を与え 瞬速へ至り…そして。
「おお」
「うわぁ…」
遠目にて、二人の激突を観戦していたネレイドとナリアは思わず口をまん丸に開き唖然とする。
裂帛の気合いで踏み込みこの初撃で絶対に相手を倒すと言う無茶な覚悟さえ実現させ得るだけの覚悟で放たれた両者の剣撃は、この宵の闇にどこまでも残響する金属音を鳴らし激突の衝撃波で突風が生まれるほどだった。
が、二人の激突はそれに留まらなかった。その後も何度も何度も打ち合うのだ。
時に放たれ時に回り込み時に攻め時に守り、それを繰り返している…それも超高速で。
「み、見えない」
サトゥルナリアは呆然とする。速い…あまりにも速すぎるのだ、まるでパチパチと虚空に火花だけが散るように二人は今あちこちを飛び回り何度も激突を繰り返している。
三年前の時点でアマルトさんの素早さは弟子たちの中でもトップクラスだった。或いは速さだけならラグナさんも上回る程に。だが今はどうだ?その時の速度を優に上回る速度を見せているのだ。
「この三年でこんなにも強く…速くなったのですね。アマルトさん」
「うん、速いのもあるけど…それ以上に巧くなった」
「巧く?」
「うん」
そしてナリアとは違い二人の戦いを克明にその目で捉えるネレイドは感じる。確かにアマルトの速度は上がっている、この速度をオライオンでの戦いで出せていたら、きっとネレイドは捕まえられなかっただろうと感じるくらいには。
だがそれ以上に目を引くのは、剣の巧さだ。
「くっ!中々にやるな!空魔の速度についてくる事が出来るとはな!」
「お前より速いのを何度か見てるんでな!」
走る剣閃は瞬きの間に数十もの斬撃となって空を飛び交う。それをアマルトは巧みに剣を手元で回し必要最小限の力で斬撃を逸らし、こじ開けた穴に体を突っ込むように斬りかかる。
受け止める時は重厚に、攻める時は軽やかに。その切り替えがなんとも鮮やかだ。それを鍛錬で見せるのは簡単だがあの超高速の斬り合いの中、息を吐かせぬ至近距離での鬩ぎ合いの中でやって見せるんだから天晴れと言うより他ない。
(三年前より剣に迷いがない。流石…ベンちゃんに勝った人)
ネレイドには剣の心得がないから偉そうなことは言えないが、それでも分かる。アマルトは格段に強くなっている。相変わらず彼は…頼りになる。
「だぁぁぁあああああ!!!」
「んなろぉぉおおおおお!!」
そんな観戦の目さえ気にすることなく両者の斬り結び合い、互角の勝負を繰り広げる。互角だ…互角も互角のド均衡。互いの剣はお互いを切りつけることなくその全てが阻まれ続ける。このままいけば朝までこの均衡は続くだろう。
「チッ!剣では埒が明かん!」
そこで最初に動いたのがペルディータだ、即座に剣を捨て代わりに抜き放つのはデルセクト製のリボルバー式の拳銃だ。それを両手に構えるなり。
「死ね!」
「うぉっ!?危ねぇ!。お前斬り合いの最中に銃ぶっ放すなよ!」
連射に乱射、一瞬で装弾全て吐き出すが如く勢いでアマルトを狙い撃ちにする。こうしている間も高速で飛び回るこのやり取りの中、的確極まる精密射撃を行う離れ業を見せる。
だが、当たらない…剣が捨てられた瞬間動きを変えたアマルトは対銃撃戦用の回避重視の動きへシフトし、砂煙を残す勢いで逃げ回る。
「チッ、弾丸では遅すぎて当たらんか」
飛び道具は不利、そう察したペルディータの判断は早く、即座に銃を捨て取り出したるは鋭く尖る手斧を二本。叩きつけるような軌道で飛び掛かりその脳天をかち割ろうと全体重を掛ける。
「ゔっ!また武器変えやがって!」
「使える物はなんでも使うといった筈!」
剣同様斧の扱いも超一級のペルディータの攻めはどれも的確かつ痛烈だ。ある種の舞踊にも似た流れるような動きの数々ははっきり言って凄まじい。
昼間戦った時とはまるで違う。昼間は効率重視の速度重視、攻撃はどれも浅く軽いがどれもが急所を狙ってくる。対する今のペルディータは技量と腕力で無理矢理相手の守りこじ開けその上でストレートに殺しにくる。やりづらさは昼間のが上だが…手強さは今のが段違いだ。
睨んだ通りペルディータは普通の殺し屋じゃねぇ、そこらの殺し屋が剣も斧もここまで扱えるわけがない。
「テメェ!その腕…どこで磨いた!」
「どこで?、父より賜った物だ…世界最強の殺し屋より賜りし殺人武芸!それこそが我が武器だ!」
「父?おとーちゃんからこんなの習ったってのか!?どんな教育してんだか!」
「全ては我が父の跡を継ぐ為、父より繋いだ全てを継承する為!」
「継承だあ?」
父親の跡を継ぐ為ここまで頑張れるとはな!立派な姿勢だ!耳が痛いよ!。
「我等ハーシェル姉妹の生きる意味はそれだけだ、故に極めた!それまでだ!」
「継ぐことこそが、生きる意味ってか?。そりゃあ違うんじゃねぇの?お前はお前だろ、誰かの代替え品じゃない!」
ぶつかり合う剣と斧は激しく音を鳴らし合い一進一退の鬩ぎ合いを繰り返す。クルリとクルリと回転を続け加速を続けるペルディータの波状攻撃を前に強く強く剣をぶつけ防ぎように攻める。
誰かの何かを継ぐのは別にいい、人の文化ってのはそうやって繁栄してきたんだからな。けどそれは一つの選択であって人生の主題にはなり得ない。継いだ跡何をしたいかではなくただ漠然と継ぐことだけが目的であるなんてのは間違ってる…とは思うけどな。少なくとも俺は。
「くだらん道徳だ、説教のつもりか?」
「のつもりだったがやめとくよ、言って聞かない奴には言わない主義なんだ」
「フッ、何を言われても私の目的は変わらん。手柄を上げ腕を上げ…いつかファイブナンバー達とも取って変わる。忌々しいあの五人を引き摺り下ろし嬲り殺し!私こそが頂点となる!」
「その為に、メルキオールを殺そうってか!」
「違う!」
刹那、二本の斧を組み合わせ一本の巨大な戦斧を作り出したペルディータはその身を引っ張り上げるように大きく振りかぶり。
「殺すのは貴様ら全員!皆殺しだ!『ブラックフレアミスト』ッ !」
「魔術!?」
飛んでくるのは理外の魔術。武器しか使わぬものとばかり思っていたアマルトの虚をついたペルディータが放つのは漆黒の煙…否、この匂いは…。
「火薬!?」
「吹き飛べ!『黒色三昧』ッ!」
叩き降ろされた斧は大地を穿ち、撃鉄の如き火花を散らし引火させる。ブラックフレアミスト…周囲に黒色火薬を撒き散らす禁忌魔術の一つ。
かつてこれを用いてこれだけを習得させた使い捨て魔術師を敵方に突撃させ、魔術発動と共に火矢にて術者諸共敵を殺す『人間爆弾戦法』が戦地にて大流行したが為に、人道的観点から魔術導皇に禁忌指定を食らった禁じられた術。
それを用いた爆発は通常の爆破魔術の数倍の威力を発揮する。爆発の威力は咄嗟に後ろに飛んだアマルトさえ吹き飛ばしその体を焼き焦がす。
「ぅぐぅっ!?」
響き渡る轟音。もうもうと焼け立つ黒煙…、地面を転がり苦悶に喘ぐアマルト。そして…。
「使えるものはなんでも使う、と言ったはずだ」
耐熱性、耐火性に特化したスウェットスーツをやや焦がしながら煙を引き裂いて現れるペルディータは戦斧を片手に地面を打ち勝ちを誇る。
決戦装束を身に纏うとはそういうことだ。
この服は、この姿は、この戦いは、単にこの場でより戦闘に適した姿になって優位に戦う…なんて浅はかな考えでこの姿を取っていない。決戦装束とは文字通り決戦の為の装束なのだ。
『ここでこの戦いを終わらせる』、その覚悟がある時しか着用を認められないこの服を着れる数少ない影の一人たるペルディータは、メイド服を破り捨てた時点で殺し屋としての矜持も誇りも捨て去っている。
故に空魔の武器たるナイフだけでなくどんな武器も扱うし、空魔の技たる殺式だけでなく禁忌魔術も躊躇なく織り込んでくる。文字通りなんでもして殺しに来る、超一級の殺し屋が形振り構わず首を取りに来る事の本当の恐怖を知る者は…少なくとも今はこの世にはいない。
「いってぇ…、いきなり爆発とか…」
「あの量の火薬の爆発を受けてまだ立つか、見かけの割にタフだな」
「そりゃあまだ立てるから立つだけだよ、寝てていいなら寝てたいよ」
爆発を受けて無傷…と言えるほどアマルトの体は頑丈じゃない。正直痛みで悶えたいくらいには苦しいけどさ、立てちゃうし…立つしかないじゃん?。
「フッ、だが何度立っても同じ事。何度でもぶっ飛ばしてやろう、今度は貴様ごと、仲間ごとの校舎ごとな」
「それはやめてくれ」
とは言うが、まぁやるわな。…火薬を生み出して自爆覚悟で爆裂させる戦法か、お世辞にも殺し屋の戦い方のは思えねぇがこれがまぁ結構厄介だ。エリスみたいに風や水でも生み出せりゃ攻略は楽なんだろうが。
生憎と俺の呪術はそんな便利なことは出来やしねぇ。いや三年前に比べりゃ強力な呪術もたくさん教えてもらったが。…使いたくねーここで、職場ぶっ壊したくねぇよ俺。
というわけで、お手軽な方の切り札…使わせてもらいますか。
「はぁ…はぁ、くそ…いてぇ」
「フッ、もう動けんか?ならその首を刈り取ってやろう」
なんて痛がるフリをしつつ手を当てるのはベルトのバックル…の側面。実はこのベルトには一つ細工があってだな、この側面にある小さな出っ張りをカチリと押せば、内部に仕込まれている絡繰が作動し上部の蓋が開く仕組みになってんだ。
工業科の連中全員巻き込んで作らせた逸品だ、かっこいいだろ。
「ん、何を…」
と気がつくも既に遅い、上部から飛び出してきたそれを…数本のアンプルのうち一本を手に取り手の中に収める。
…こいつは、俺が強くなる為に試行錯誤した創意工夫の結果って奴だ。
これでも三年前のシリウスとの戦いは、苦々しく思ってんだぜ俺は。
前線組で唯一覚醒してないし、最後の最後で気絶して役に立たなかったし、もっと強くなりたいと心の底から願ったものだ。だけどいくら修行したって一足跳びには強くなれない、着実に強くなるだけじゃ追い付けない領域ってのはある。
故に、俺は三年前の戦いで切り札として使ったアイテム…『魔女の血の入ったアンプル』の実用化を目指した。そうだ、このアンプルはお師匠さんの血が入ったアンプルの模造品だ。
「行くぜ…、第二ラウンド…」
アンプルを握り潰し、内部に込められた赤黒い液体…血液を数滴舌の上に垂らし、飲み込む。これで呪術の発動条件は満たした、ならば…!。
「その四肢 今こそ刃の如き爪を宿し、その口よ牙を宿し 荒々しき獣の心を胸に宿せ、その身は変じ 今人の殻を破れ…」
「な、古式呪術だと…!、まだそんな体力が!」
曰くお師匠さんが言うに、俺は呪術の天才だそうだ。特に肉体変化系の呪術に関しては若き日のアンタレスを上回る才能があると珍しく褒められたもんだ。
対象の肉体を手に入れ、相手に化ける呪術ってのは俺が思うほど万能じゃない。対象に完全に化ける事が出来るのは相応の才能がないと無理らしい。ガニメデも結構な天才だったが…特に俺は凄まじいとのこと。なんせシリウスの血を飲んでもシリウスと同格の存在に化けられる奴なんて有史以来俺しかいないんだってさ。
だから、俺は呪術を使って化ければ相手の力を百パーセント引き出して手に入れる事ができるらしい。まぁあんまりにも俺本来の力と隔絶してるとその分跳ね返りの反動はやばいがな。
まぁ、つまりだ。修行じゃ手っ取り早く強くはなれねぇが、元々強いやつに化けちまえば…こりゃすげぇ楽ってもんだろ?。
「『獣躰転身変化』」
これを思いついた時、師匠は。
まず呆れた、『そんなバカなこと考えてないで修行しなさい』と。
その次驚いた、『でも確かにその考えは面白いですね』と。
そして…戦慄した、『もしそれが実現可能なら…貴方はいずれシリウスさえ超えるでしょう』と。
そうして実現したのがこのアンプルによる変化。今回選んだ血液は…『ビーストブレンド』。
「な…な…なぁっ!?」
みるみるうちに変化していく俺の体に、ペルディータは慄き恐れ、一歩…また一歩と引き下がる。恐ろしいか?恐ろしいよな…なんせ俺は今魔獣に化けつつあるのだから。
その様はさながら…。
「悪魔…いや、魔獣か?」
多分どっちもだ、差し詰め悪魔獣…いやその言い方はあいつみたいだから嫌だな。
だがこの背に生えた翼膜と手元に伸びる爪、何より変色し黒色に頭から伸びる捻じ曲がった紅の角…変わり果てたこの姿はまさしく悪魔、人型の獣だ。
見てくれは酷いがこれこそが俺の切り札、血液による変化、そして自己強化だ。
「ふぅ、初めてやったが案外上手く行くな」
「何を…したんだ」
「へへへ、血液を使って変身したのさ。俺がこの目と腕で直接吟味し寝る前にベッドの上でウンウン唸りながら考えた組み合わせ、複数体の魔獣の血液をブレンドしたこのアンプルで…計十数種類の魔獣のいいところ全部頂いたってわけよ」
魔獣ってのは本当に数が多くそれぞれがユニークだ。火を吹くやつも空を飛ぶ奴も色々いる。それらの血液をこの手で採取しいい塩梅にブレンドしそれら全ての力を扱えるよう変身したのがこの『ビーストブレンド』。
一応他にもあるんだぜ?、『ブレイドブレンド』『ヒーローブレンド』『アイデアブレンド』…と、だけどもこのビーストブレンドは作るのが楽なんだわ、それにこいつにはこのくらいで良いだろう。
「今の俺の力は、俺自身を…そして人間そのものを上回る。殺し屋?殺戮者?人の範疇で留まってるようじゃ今の俺にとっちゃ等しく獲物さ」
「…ふん、姿を変えて気が大きくなったか?」
「ああ、悪いな…変身ってのは化ける相手に多少精神が引っ張られるんだ。だから…今の俺に慈悲は期待するなよ」
ペロリと蛇の如く細く長く伸びた舌を出し──。
大地を砕き、羽を広げ、飛び立ち…飛翔し。矢の如くペルディータに蹴りが炸裂する。
「ぐぅっ!?速い…!?」
「そりゃそうよ、この変身は身体能力の変化ではなく乗算。意味分かるか?俺の元来の身体能力に魔獣分がプラスされてんのさ!」
身体能力には大型の『ギカントボア』の筋肉を使い、それを人型に凝縮することでオリジナル以上のパワーとスピードを獲得することに成功している。
故に俺の蹴りを受け止めたペルディータの鉄斧は小麦菓子の如くひしゃげてへし折れ宙を舞う。
「くっ!この!」
咄嗟に残骸となった斧を捨て、大型のボウガンを取り出し至近距離でぶっ放す。もしこれで俺が元の人間のままだったなら土手っ腹に風穴が空いていただろうが。
放たれた鉄矢は俺の腹にあたるなりグニャリと曲がり明後日の方向へと弾かれていく。効かないのよなぁその程度の攻撃は、俺の皮膚は全身が青銅で出来た雄牛・チャリオットファラリス…の更に上位種、全身が黒金で出来た雌牛・カリュプスファラリスの物を使っている。
アルクカースの戦士だって苦戦する最上級魔獣の外殻が、そこらのボウガンに射抜かれて溜まるか。
「化け物めッッッ!!」
「同じだろ!テメェも!見てくれが人間なだけでテメェも怪物だろうが!」
刹那飛ぶのは俺の腰から生えた尻尾。これは…なんの尻尾だかよく分からん、気がついたら生えてた、尻尾生えてるやついっぱいいるし…多分その複合物だ。
ただ長く重いそれを思い切り振るい叩きつけるだけ、鋼鉄の外皮とぎっしり詰まった筋肉により鉄柱の一撃となる。
「ぐげぇっ!?」
「そら行くぜ!『業魔拳』ッ!」
「ごふぅっ!」
そうして叩きつける追い討ちは鉄の拳。拳で城を叩き割ったなんて逸話のあるフォートレスブレイカーなるゴリラ型の魔獣の拳を模倣したそれを叩き込めばペルディータの体はくの字に曲がりゴロゴロと泡吹きながら転がっていく。
通常時の俺よりも格段に鋭い拳による一撃、だが…これでもまだラグナのパンチ力には及ばないんだから、つくづくアイツが化け物であることを思い知らされるな。
「げはっ!くそっ!『ブラックフレアミスト』っ!」
「む、まだやるか」
「私は…私はファイブナンバーになり…空魔の座を戴く殺戮者だ!殺してやる…殺してやるぞ!」
それでも諦めぬペルディータは全身から再び黒色火薬を放ち取り出した剣を振るい、剣風と共に漆黒の旋風を発生させる…と、同時に。
「空魔三式・絶煙爆火ッ!!!」
剣を投げ、発生した火は何より漆黒の旋風は瞬く間に紅蓮の爆炎へと変化し、俺を包み込み吹き飛ばそうと荒れ狂う。
荒れ狂う…荒れ狂う、が…。
「効かねぇよ!小賢しい人間の武器なんざなぁ!」
翼の一振りで俺を包む爆炎は掻き消され吹き飛ぶ。あるんだよ俺の肉体には耐火性が、炎耐性を持つ『フレイムリザード』の血液も当然使っている。いやそれだけじゃない 地水火風に氷や雷と言った大凡の属性攻撃に対する耐性だって持っているんだ。
鋼鉄の体に全属性耐性、ぶっちゃけこの姿の最大の武器はそこだ。物理も魔術もほぼ完封するこの体を止められる物は何もない!。
「いい加減校庭でボカボカやられるのも腹立つし、そろそろ決めるか!」
「くっ!『ブラックフレアミスト!』」
そろそろ決める、そう決意し翼を大きく広げ 地を這うが如く低空で飛び、距離を取ろうとステップを踏んで後退するペルディータを追いかける。
迎え撃つは黒色火薬の嵐、もはや形振り構わぬとばかりに俺に向け火薬を飛ばし、それを銃撃にて起爆。俺の目の前でいくつもの爆炎が立ち上り 大爆発が道を阻むが。
「無駄だって言ってるだろうが…!」
突っ切る、爆裂を引き裂き爆炎を貫き、あちこちで発生する爆発を全て無視して真っ直ぐペルディータを追いかける。確かにペルディータは速いが…今の俺のが速いことは言うまでもない。
「効かない…何もかも、こんなのどうしたら…!」
「トドメにいいもん見せてやる、こいつ食らっておうちで自慢しな!」
翼を広げ、ペルディータに追いつくその寸前で取り出すのはマルンの短剣。そいつで己の皮膚をガリガリ削り血を吹き出させる…。
俺の血を使って剣を作る黒呪の血剣…、あれは術者の血を使うが故に当然ながら術者の肉体によってその威力は変わる。俺が使う血剣とイオの使う血槍は同じ魔術ではあるが、その切れ味も硬度も当然俺のが上だ。
と、くれば?今この悪魔の如き様相に変化した状態で血剣を使えば…複数の魔獣の血が流れる俺が、その血を剣に変換すればどうなるか?。
言うまでもない、終わりだよ!何もかも!。
「『呪装・紅呪の怪魔剣』…!」
ヌラヌラと気色の悪い動きで這い出た血は俺の短剣を覆い尽くし、伸びる伸びる…いつもの見慣れた黒剣よりもなお長く、なお太く、なお重く。生み出されるのは茨の絡まったやや気持ちの悪い威容を晒す紅の大剣。
魔獣の血も合わせ作ったまさしく怪魔の剣、邪険使いの俺にはお誂え向きの代物だ…。
「うちの生徒を狙った事、後悔しろや!」
「ヒッ!」
加速し加速し、遂にペルディータに追いつき、この魔獣の瞳でペルディータの顔を捉え…息がかかるほどに顔が近づきペルディータの肌から血の気が引き、恐怖に彩られる表情を垣間見る。
と、同時に再度羽を動かし、激突する寸前で進路を上へ…大空高く飛び上がり、そのまま勢いで巨大な怪魔剣を振り上げる。
「『怪魔…』」
月と重なる翼の人影は、闇夜にて紅く輝く剣を翳し、その腕を一層隆起させる。
人ならざる身に堕ちたこの身では、絶大な膂力と引き換えに精密な動きを失っている。謂わば習得した精密極まる奥義は使えない、故に今より行うのは誰でも出来る単純明解な基礎の技となる。
それは誰でも出来る、そして何よりの基礎。
単なる『振り下ろし』…だ。
「『ル・プルミエ…』」
急降下、翼を持つが故の空の特権にてただ落ちるよりも速く下へ下へと落ちると共に翳した剣に慣性及び重力を乗せる。
「んぐっ!?なんだ、体が…引き寄せられる!?」
共に生まれるのは引力。俺とペルディータをの間を紐で繋いだかのように互いの体が引き寄せられるのだ。
これが…俺が最も入手に苦労した魔獣の力。されど絶対に必要だと確信した力。
現状存在が明確に確認されている魔獣の中でも最大のサイズを誇りかつ最も希少と言われるドラゴン、深海龍アトランティスの万物を引き寄せる力だ。
普段は巨絶海テトラヴィブロスに住まい、その存在こそがテトラヴィブロスが立ち入れば二度と出られぬ海と呼ばれる理由の一つとされる。
あらゆる物体を引き寄せる力を持つ深海龍アトランティスはその引き寄せる力を使い数多くの無謀な船と船乗りを水底へと引きずり込んだと伝えられる…、そんな引力を力を使い俺は今ペルディータを引き寄せる。
空高く飛び上がった俺はともかく、それに引き寄せられまるで見えない手に掴まれ宙へ浮かび上がるペルディータはジタバタと手足を動かす。
だが。
「ぐっ!ぅぉおおおおお!?!?」
グングン上昇するペルディータの体は真っ直ぐ剣を構えこちらに向かうアマルトの方へと向かっていく。引力を振り払う方法も無ければ、引き寄せられる体では避ける手立てもない。
必中、不可避、即ち必殺。体を怪物に変じ理外の力を扱うとは…、これが…これこそが魔女の弟子か。そんな諦めにも似た感情を抱くペルディータに…容赦なく紅剣は振り下ろされ。
「『クロワッソン』ッ!」
…月を背後に交錯する影と影。上へ昇るはペルディータ、大地に降り立つアマルト。そして振り終えた紅剣が…ゆっくりとその姿を散らしていき。
「殺しゃあしねぇよ、俺は殺し屋じゃなくて…教師なんでな」
「ぐはぁっ!?」
天に打ち上げられたペルディータの体を一閃する縦の剣撃は、彼女の防具もスーツも何もかもを引き裂き痛烈極まる衝撃を与え…、やがて引力から解放されたその体はゆっくりと大地へと打ち付けられる。
「が…ぁが…」
墜落するペルディータの瞳は白く染まり、最早動く体力さえない。…つまりこいつは。
「俺の勝ち、だよな!」
振り向き笑うアマルトの姿が、一瞬光に包まれたかと思えば…その姿はいつもの人の物へと戻っている。戦いが終わったんだ、いつまでもあんな気色の悪い格好してる必要は…っとと。
「ぅ…ぷふぅー…、キッツ〜」
思わずバランスを崩しかけたたらを踏む、大丈夫大丈夫…前みたいに倒れるような事はしない。そうならないようにメリットとデメリットを計算に入れてこのブレンドを行ったんだ。
俺自身の実力が上がれば、いずれ負荷を感じることなくシームレスに他の変身に移行することだって出来るようになるはず…。
うん、行ける。この力は絶対今後の戦いの役に立つ…、もうあいつらの足は引っ張らない筈だ。
「アマルトさーん!、大丈夫ですかー!」
「おつかれ、アマルト」
「おう、見てたか?二人とも。俺強くなっただろ?」
気絶したペルディータと変身を解いた俺、その姿から戦いの終わりを察知したナリアとネレイドが慌てて駆け寄ってくれる。二人ともよく俺のワガママを聞いてくれたな…、三人がかりならこの戦いだってすぐに終わってただろう。
けど、それでも俺一人でやりたかったんだ。唸らせるような深い理由も納得させられるような真っ当な理由も無いけれど、俺は生徒を狙われた一人の教師としてアイツをぶっちめたかった。
「ん、見ない間に強くなった。何?あの技」
「そうですよ!、めちゃくちゃ強かったです!アマルトさん!」
「この三年間俺も遊んでたわけじゃないんだ。置いていかれないように必死で修行と研究をしたのさ。…今ならお前にも勝てるかな?ネレイド」
「さぁ、どうだろう」
なんて挑発してみるが、ネレイドは動じない。ただ挑むなら望むところだ…と。
まぁぶっちゃけまだネレイドには勝てるとは思ってない。ネレイドは三年前の時点で第二段階に入った覚醒者。対する俺は未だきっかけを掴めずに第一段階に留まっている、この時点で大勢は決している。ネレイドが覚醒を使わなければいい勝負は出来るとは思うがそんな手加減みたいな真似されて勝ってもな。
だから今はまだネレイドには上にいて貰う、その内飛び越えて俺の方が強くなるその日まで。俺だって師匠の名にかけて他の弟子には負けられないさ。
「にしても凄まじい強さでしたね、ペルディータ…」
「うん、魔女の弟子であるアマルトと互角にやれる殺し屋なんてのはそうはいない。…噂には聞いてたけどやはり空魔…、只者じゃない」
只者じゃない…そう口にするネレイドに些かの衝撃というか戦慄を受ける。仮にも魔女大国の最高戦力クラスがその名を覚えて、かつ只者ではないと評価する殺し屋なんざおいそれとは居ない。
よく分からないが、多分裏社会の大物的なそれだろう。だとするといよいよペルディータがメルキオール暗殺に駆り出されたのか分からない。そんな大物動かせるならそれこそ狙うのももっと大物であるべき。
ペルディータの依頼人は誰で…何を考えているのか。明らかにする必要があるな。
「うっし、じゃあ早速寝てるペルディータをふん縛って拷問するか」
「いや、それよりもアマルトの呪術でカエルかイモムシか…抵抗出来ない動物に変えた方がいい。ああいう殺し屋は縄抜けを心得てるから」
「ん、じゃあ…」
そうペルディータを拘束しようともう一息入れた瞬間…。
校庭に植えられた木の陰で、何かが蠢いたのが見えた。
「ッ!?誰だ!」
「ッう!?」
吠える、まさかまだ新手が居たのかと警戒しながら木の陰に向けて全霊で吼えたてる。するとその威圧に気圧されたのか…、陰はコテンと腰を抜かしてその姿を月光の下に晒して…って!。
「メルキオール?、お前なんでここに…」
「え?メルキオール君?」
「あれ?どうして彼がここに…」
「あ…いや、その…えっと」
陰から出てきたのはメルキオールだ、ワタワタと慌てて言い訳を用意しようと口を開閉していて…。なんであいつがここに?今タリア姉の別荘である美食殿に他の生徒と一緒に匿われてる筈なのに。
ってか結界はどうしたよ、外からも中からも行き来が出来ないようナリアが結界を張ってくれてる筈なのに。…まさか結界が張られるよりも前からここに?でもなんで。
尽きない疑問に唖然としたその瞬間…、俺の背後で一陣の風が吹き抜いて。
「僥倖…!」
「なっ!?ペルディータ!?テメェ!」
駆け抜けたのはペルディータだ、いつのまにか起きていたのか、或いは死んだフリをしていたのかは分からない。だがメルキオールが姿を現した瞬間、奴は俺達の隙をついて真っ直ぐにメルキオールの元へ向かう。手元には一本のナイフを持って。
「依頼達成のためだ!お前には手を貸してもらうぞ!メルキオール!」
「ヒッ!?」
「やべぇっ!…ぐっ」
やばい、止めないと。そう思えど足は動かない、さっきの変身の負荷が思ったよりも残っていたのか。足を前に出そうとした瞬間脱力して初速を出せぬまま一瞬無駄にする。
ペルディータの速度は一級だ、たとえ傷ついてもそこは変わらない。ネレイドも動くが…ナリアも動くが、ダメだ…間に合わない!。
「逃げろ!メルキオールッ!!」
「もう遅い!取った!」
煌めくナイフが向けられ、その手がメルキオールの胸倉を掴もうと伸ばされ…。今、メルキオールにその凶刃が襲いかか………。
ろうと、した、瞬間。
「ふふふ……」
虚空から、金の粒子が現れる。それはやがて人の手の形をとり、白く伸びる純白の指先がヌルリと何もないところから出現し…刹那よりも早く動くペルディータのこめかみに向かい。
「えいっ」
コツン、と軽くペルディータのこめかみを突く…。すると。
「アッ!?イッ!?、オッ!?ぁがァッ!?」
「な…なんだ?なんだなんだ?」
虚空より現れた白い指先に突かれたペルディータはただそれだけで足を止め、動きを止め。その場で頭を抱えて全身を痙攣させワナワナと苦しみ始める。一体何が起こってるってんだよ…そう口にするよりも早く、指先の持ち主は金の粒子を纏いながらその姿を現し。
「うふふ、危ないところでしたね」
「お母さん!?」
「リゲル様!」
金の粒子はやがて漆黒のシスター服を現し、神々しくも輝く美貌と慈愛に満ちた微笑みを映し出す。他でもない…指先の正体は夢見の魔女リゲル様だ。あの人…帰ったんじゃなかったのか?。
「なんでここにお母さんが!」
「不穏な気配がずっと貴方達の周りをうろついていたので、対処は出来るだろうと思っていましたがやはり心配なので」
「心配なので…、ずっと姿を隠して見ていたと?」
「ずっとじゃありませんよ?週三くらいの間隔で」
ずっとじゃねぇか。なるほど…リゲル様はペルディータの存在に気がついていたのか。で?俺達に対処は任せていたけどやっぱり心配で姿を消してずっと見ていたと。
頼もしいんだか心配性なんだか。少なくともうちの師匠にはない行動力とバイタリティだな。
「ぁ…ああ…ぁ」
「あの〜、それでその。こいつに何したンすか?」
「特に何も?、ただ神の幻影を見せているのです。序でにその他諸々の感覚や感情…記憶を惑わせて」
「あぁ!神よ!神よ!我が偉大な神よ!」
「敬虔な信徒にしました」
「…………」
つまり洗脳したってことじゃねぇか。流石魔女…おっかねぇ、指先一つで洗脳しちまうなんて。
あれだけ哮り狂ってたペルディータは今や虚空に向かって跪き、神の幻影に向けて礼賛を述べている。まぁいいや、無力化出来たならそれで。
「今のこいつから情報引き出せたりとかって、出来ます?」
「容易いですよ、…聞きなさい信徒よ」
「神!神からの啓示!」
虚ろな目をしたペルディータに、リゲル様がコソコソと耳元で囁く。それに対して抵抗するような素振りも見せずペルディータは元気よくハキハキとお返事をして。
「貴方は何をしにここに来たですか?、神の名の下に嘘偽り無く真実を述べなさい」
「わ…私は、わた…私は」
ガクガクと震え、リゲル様の言葉に一瞬反応を見せると。
「依頼を受け、聖王の子息メルキオールの暗殺に来ました」
まぁそうだろう、そこはわかって…。
「と見せかけて、本当はその教師である探求の魔女の弟子アマルト・アリスタルコスを殺しに来ました」
「って俺かよ!?」
こ…こいつ、本当は俺を殺しに来てたのか?。そういや俺とタイマン張る時都合がいいとかどうとか…。
「ふむ、相手に目的を誤認させ守ろうと足掻くターゲットの不意を突いて殺す…ってところですかね?」
「はい、それはそれとしてメルキオールを殺せば魔女大国に混乱をもたらせるからと、メルキオールも殺せば追加の報酬が出る話になっていました」
あ、それはそれとしてメルキオールの事もちゃんと狙ってたんだな。まぁ飽くまでオマケ、俺を殺そうとする最中に序でとばかりに殺してもいいし俺を殺してか始末してもいいと。
だが飽くまで主題は俺。初邂逅の時点でメルキオールを狙ったのは俺に『ターゲットはメルキオールと誤認させる』為、だがよくよく考えてみたらペルディータがナイフの投擲で一番最初に狙ったのは俺だった。
本当にメルキオールが狙いなら、その時点でメルキオールに向けてナイフを投げてれば全て終わってたからな。
「ふむ、魔女大国に混乱を…つまり、貴方の依頼人は魔女大国に敵意を持つ者という事ですね?」
「それ…は、それは…そそ…それ…は」
依頼人について聞けば抵抗するようにガクガクと痙攣を始める。いくら幻惑に惑わされても流石は殺し屋…依頼人の名前は吐かないか。そういう面では流石はプロと感心していると、その隣で小さく小首を傾げるリゲル様は。
「あれ?おかしいですね、調子が悪いのでしょうか」
「がが…ががが…がが」
「仕方ありません。…すやすや健やか寝息を立てて、夜の帳に眠って寝こけて『夢見魔掌』…えいっ!」
幻惑魔術を帯びた掌でペシリとペルディータの頭を叩けば、即座に震えは収まり…って。今度は洗脳の重ねがけかよ、エゲツないというより案外脳筋なのかこの人。
「ぁ…が、ハイ…依頼人…依頼人は、個人名を名乗らず、ただ一つの名称を自身の名前の代わりとして用いていました」
洗脳を重ねられ遂に瓦解したペルディータは、つらつらと口を開いて依頼人の名を俺達に告げる。
一体なんて名前なのか、誰にせよ直ぐにアド・アストラに報告して捕まえてもらうつもりではあるが…。
なんて、甘く考えていたんだ。この時は…その名前を聞く前は。
「依頼人の名は…」
「名は?」
「『大いなるアルカナ』と、名乗っていました」
『大いなるアルカナ』…その言葉を聞いた瞬間目を尖らせたのはその脅威を知っている俺とナリアだけだ、ネレイドはよく分からないとばかりに首を傾げリゲル様は相変わらずの微笑みで…。
「大いなるアルカナだと…!?」
「あ アマルトさん!大いなるアルカナって!」
「ああ、…多分そのアルカナだ、だが何故今その名前が?何故俺を?」
「ねぇアマルト、何?その大いなるアルカナって…私分からない」
「ん?ああネレイドは大いなるアルカナと会ってない…って、いやいやお前もアルカナの幹部は倒してるはずなんだがな…。まぁいいや、大いなるアルカナってのはな?」
アルカナ…正式名称を魔女排斥組織大いなるアルカナ。数年前まで世界で大手を切って裏社会で幅利かせてた一大魔女排斥組織の名だ。構成員数十万に加え第二段階到達者を五人も擁し、二十人近い幹部の中には第二段階に及ばずとも凄まじい使い手ばかりが所属してた超ヤベェ組織の名だ。
俺も昔その幹部とやらにはお世話になってな。危うく殺されるところまで行ったもんだ、ここにいるナリアもまた直接会いはしなかったがアルカナの大幹部の脅威に晒された経験がある。…一応ネレイドもその幹部を三人ほどぶちのめし監獄送りにしてるんだが、そこは覚えては…?。
「覚えてない」
だそうだ。まぁ別にいいんだ、何せもうアルカナは滅びた組織。もうこの世には無い組織の名だからな。
「三年前の戦いでエリスが組織を壊滅させたって話だったんだが…、どういうわけかそのアルカナとやらがペルディータに依頼を出して俺を殺そうと襲いかかってきやがった」
「もしかしてアルカナが復活したんでしょうか」
「さぁな、もしかしたら残党が残ってたか、或いはアルカナの名を騙ってる奴が活動してるだけなのかもしれない。まぁ何にしても言えることは一つ…俺は──」
そう、口にしようとした瞬間。突如…異変が起こる。
「ぁが…ががが…がががが」
「ん?」
幻惑に惑わされているはずのペルディータがガタガタと震え始めたのだ。もしかしたまた何か異常がと確認しようとした瞬間…。
「アマルト!ナリア!メルキオールを守りなさい!」
「へ?」
「ネレイド!」
「うんっ!」
「ぁが…がが、がぁ……ぁーーー…───────」
轟くリゲル様の怒号に反応し、咄嗟に近場で呆然と突っ立っていたメルキオールを庇うように跳ぶ、そしてそんな俺を庇うようにナリアが目の前に魔術陣を展開したところで。
大地が揺れた、否…轟く爆音にて大地が叩かれたのだ。
「な…んだよ!くそっ!」
「アマルトさん!爆発しました…ペルディータが!自爆です!」
「なにっ!?」
慌てて顔を上げれば、そこには抉れた地面とむせ返る焦げ付いた匂いと火薬の匂い…そしてほんのちょっぴりの異臭。さっきまでペルディータが立っていた地点には何もなく、ペルディータも含めて全てが吹き飛んでいた。
自爆…、自爆だ。自分で自分を爆破させて俺たちもろとも消そうとしやがった。どうなってんだ?無力化出来てたんじゃ…。
「ふぅむ、どうやら彼女を操っていた存在は相当用意周到な存在のようですね」
ふむと顎に指を当てネレイドに守られるように立つリゲル様は考え込むように口にする。
「私の魔術は完璧でした。ですが、恐らく彼女の体内には事前に任意で起爆可能な爆薬が仕掛けられていたようです…それも相当数の爆薬が。任務失敗を見計らって情報漏洩と…あとワンチャン狙いで私達を吹き飛ばそうとしたのでしょう、ですが…」
「大丈夫?お母さん」
「ええ、ネレイド。貴方のおかげで無傷です、いいこいいこ」
つまり何か?俺たちを吹き飛ばそうとしたのはペルディータの上にいる殺し屋の親玉で、ペルディータがしくじった瞬間容赦なく切り捨てて爆殺させたってのか?。
そいつは…なんというか…。
「なんて酷い…、こんなの人がすることじゃ無いですよ。いくらペルディータが殺し屋だからって…こんな使われ方」
「…………」
思わず言葉を失う。爆散したペルディータは跡形も残らなかった、最初から痕跡すら残す気が感じられない暴力的な爆発からは殺意や悪意が漂って来ない。感じるのはただの『惰性』。
ダメだったから捨てた。インクを零してダメになった紙を丸めて捨てるように…ペルディータは捨てられたのだ。こんな事を平気でやる奴がこの世にはいるのかをこんな事を平然とやってのうのうと生きてる奴がこの世にはいるってのかよ。
「…クソだな」
それ以外かける言葉が見つからない。呆気なく死んだペルディータの末路には同情さえ湧いてこない、あるのはただただ無常なる哀れみ…。そんな事をする奴の手足として働いていた奴の人生への憐憫、それだけだ。
「ヒッ…クッ…先生…」
チラリと姿勢を崩さず泣き声のする方を見る。俺の腕の中で泣いているメルキオールは先ほどの爆発を前にしてすっかり怯えきっているようだ…可哀想に。
だが。
「メルキオール…お前なんでここに来た」
「そ、それは…ペネロペが先生がもしかしたら英雄かもしれないって。今日昼間の殺し屋と戦うかもしれないって。…だから、先生が本当に英雄かどうか調べたくて…」
つまり好奇心か。昼間盗み聞きしてたペネロペの話を聞いて…いやそれよりも前か、俺が世界を救った英雄どうのという話に焚きつけられて、その真意を確かめる為に美食殿を抜け出してここに…ねぇ。
曖昧に流して、生徒達に秘密を作った俺も悪い。だが…だがな?メルキオール。
「馬鹿野郎…、馬鹿野郎!メルキオール!」
「ヒッ…!」
「お前なら!昼間のアレを見たなら危険なことくらい想像がついたはずだ!。それを興味だけで首を突っ込んで!死ぬところだったんだぞ!」
「あぅ…」
俺は怒らなきゃならない。勝手に抜け出したことよりも、言うことを聞かなかったことよりも、自分から危険な所に飛び込んだ事を俺は怒らなきゃいけないんだ。
危うく死ぬ所だった。もしリゲル様がいなければ、もし自爆に気がつくのがほんの少しでも遅れていれば、戦いの最中ペルディータがメルキオールに気がついていたら。何か一つ歯車が違えていれば死んでいた。
「で でも先生が守ってくれるって…」
「今回は偶然だ。いいか?人ってのはな、呆気なく死ぬんだよ。お前が想像してるよりもずっと呆気なく死ぬ…、今しがたペルディータがそうだったように死ぬ時はあっという間なんだ。それを守れる保証も守られる保証も何処にもない、危険な所になんて立ち寄る必要がなければ一生立ち入らなくてもいいんだ…!」
俺は神様じゃない、いくら強くなってもこの手の大きさは変わらないし守れる物の数だって一生限られたままだ。それを必死に伸ばして動かして、日に日に増えていく守りたいものを一つとして取りこぼさないように足掻いてるんだ。
そのうちの一つなんだよお前は、今回俺が戦ったのもペルディータ相手にタイマン張ったのも、全部お前のためなんだよメルキオール。
「勝手はするなとは言わない。やりたいようにやればいいの俺は思う。けど自分の事は大切にしてくれ…、俺にとってお前は大事な生徒の一人なんだ。お前を守る為なら何とだって戦ってやる…だから」
「先生…」
抱きしめる、この胸の想いが少しでも伝わるように押し付ける。俺がお前をどれだけ守りたかったか、それが少しでも伝わるように。
頼むから、もうこんな無茶はしてくれるな。こんなところで死んだら…お前の今までの努力も苦しみも全部無駄になっちまう。お前の頑張りを知る身としては、それは耐え難い。
「…ごめんなさい、先生」
「ああ、もう二度とするなよ…。しばらくお前の側に居れそうにないからな」
「え?、側にって…どう言う」
そりゃそのままの意味さ。実は世の中ってのはそう簡単じゃ無いんだよ、やってきた敵を倒したからハッピーエンド。明日から元の日常が…というわけには行かんのだ。
敵がここに現れた以上、その根を断たなければまた同じようなことが起こる。今回は偶々なんとかなったが次同じようなことがあった時…今度は偶々なんとかならないかもしれない。
そんな不安定な日常を生徒達に送らせるわけには行かない。
「…なぁ、ナリア」
「はい、分かってますよアマルトさん」
「ん、…悪いネレイド」
「いやいいよ、これは私のワガママだし」
「ありがとよ」
俺が何を言うでもなく二人は俺の考えを分かってくれる。ならばもう迷う必要はないな。
「ね…ねぇ先生、どこに行くの?何処かに行っちゃうの?」
立ち上がる俺に縋るようにメルキオールは問う、いやこれは何処にも行くなと行っているんだろう…だが、そうも行かない。
「悪いなメルキオール、どうやらまた世界が動き出したみたいなんだ。呑気に暮らしてる場合じゃなくなったんだ…。大いなるアルカナを名乗る者が魔女の弟子を狙っている、これを俺はアイツらに伝えなきゃならねぇ」
「アイツら…、じゃあまさか」
「おう、ちっとアド・アストラの本部に行って…、ダチと一緒に今回の事件の首謀者ぶっ潰してくる。なぁに、すぐ終わらせて帰ってくるさ」
大いなるアルカナが動き出した、滅びたはずの組織が蘇ったか或いはその亡霊か。どちらにせよ今回の一件はただの小競り合いで終わらない可能性が高い。
もしかしたら、平穏な三年間に終止符が打たれる可能性が高い。となれば…やっぱ俺が必要だろう。俺たち三人がアイツらには必要だろう。
だから、ラグナ達の所に行って事件を本当の意味で解決してくる。
「な…なら僕も連れて行って!先生!必ず役に立つから!」
「お前を連れてく?、そうだな…ならもっと勉強して大人になってからだな。それまでは大人しく学校に居ろよ。…信用できる奴を連れてくるつもりだから」
「信用できる奴?」
「ああ、…だからその為にもまず最初に行かなきゃいけないところがある。ちょっと待っててくれや」
アド・アストラ本部に行っている間、この学校をほっぽり出すわけには行かない。生徒達の貴重な学習時間をこんなくだらない事で浪費したくない。だから俺に代わる先生が必要だ。
しかし、今あの学園に俺の代わりが務まる奴はいない。…だから連れてくる。俺の代わりが務まる奴がな。
……はぁ、気が重い。
そうして、戦いが終わったにも関わらずアマルトはただ一人、校庭を歩き向かう。生徒達の未来を守る為、まだやることが残っているそれを片付けに行く為に。
月光に背を預け、ただ一人で。
……………………………………………………………
そして翌日……。
「せんせー!おはよー!」
「おはようせんせー!」
「せんせー!」
昨晩の戦いから夜が明け、また生徒達にはまたいつもの生活が戻ってきた。一晩だけと背景寮ではない別の施設でのお泊まりを堪能した生徒達はいつも通りの笑顔で校門を潜り教師に挨拶をして教室へと通される。
昨日の事を知っているのはメルキオールだけ、そしてそのメルキオールも口を閉ざしている以上結果として昨晩の事件が大々的に伝わる事はなく、こうして元の日常が戻ってきたわけだが…。
「よう、みんなおはよう」
「アマルトせんせーおはよー!」
「おはようございますー!」
壇上に立ち、数少ない全校生徒を集めたこの場にてアマルトは努めて気安く挨拶をする。元の生活が戻ってきたのは生徒達だけ、俺はこれからやるべき事を片付ける為ネレイド達と一緒にアド・アストラ本部に行かなくては行けなくなったのだ。
「さて、今日みんなをこうして集めたのは、授業の前に報告があるからだ」
「えー、なんだろ〜」
「なにかななにかな」
多分、アド・アストラに行けば明日明後日には帰ってこれる…ってことにはならなさそうな雰囲気がある。恐らくしばらく俺はここを離れることになる。
ネレイドはメルキオールの護衛を全うしたから後は何処へ行ってもいい。ナリアも次の公演まで時間があるからその間は自由だと言う。
だが俺はそうも行かない。教師は二十四時間三百六十五日六十余年ずっと教師のままなのだ。ここを放り出している間にも生徒達は成長していく…その成長を俺の不在で台無しにしたくはない。
「実は、先生ちょっとの間学校を離れることになったんだ。ああ!やめるわけじゃねえよ?ただ外で仕事が出来ちまってな」
「えぇー!アマルト先生居なくなっちゃうの!」
「嫌だよ!先生!行かないでよ!」
「せんせー!」
俺がここを離れるって言っただけで阿鼻叫喚の大騒ぎだ。教室中は地獄みたいな騒ぎになってやがる。嬉しいねぇ…愛しいなぁ、こんなにも俺を必要としてれるかい?こんな捻くれ者の俺をさぁ。
愛しいからこそ、大好きだからこそ、離れたくないからこそ、俺は俺の事情にこの子達を巻き込めない。もう昨日みたいなことに巻き込めない。
「だけど安心してくれ!俺の代わりに頼りになる先生を連れてきた!。俺みたいに賢くて立派な奴だ。優しくて頼りになるかは分からないが…信用のなる人だ。この人ならお前たちを任せてもいいと俺が判断した。だから信じてやってほしい」
「新しい先生?…誰なの?」
「誰ぇ?」
その間、俺が離れている間、ここを任せられる人間を俺は昨日見繕ってきた。まだ教えるのに不慣れな他の先生たちに代わり俺がやっていた業務も熟せる人間なんてのはなかなかいないが、丁度一人思い当たる人間がいたんでね…無理言って引っ張ってきたんだ。
だから、俺の不在はこの人に任せようと思う。
「じゃあ早速挨拶してもらおうか、…入ってきてください?先生」
無意識に声が硬くなる。知れた仲だというのに緊張して、やや気恥ずかしくて…でもこの小学園の理事長として、堂々と教室の外に声をかければ…。俺が声をかけた新任の先生は扉をゆっくりと開け。
「…ふむ、思ったよりもしっかりとした教室だね」
「そりゃ…どーも」
そいつは相変わらずの無表情で扉を開けるなり教室を見回し、値踏みするような視線を見せる。相変わらずの上から目線だなぁオイ。
「ねぇ先生、このおじさん誰ぇ?」
「ああ、紹介しよう。この人が今日から俺の代わりにみんなに授業をつけてくれる…フーシュ・アリスタルコス先生だ」
俺が呼んだのは、フーシュ・アリスタルコス…現ディオスクロア大学園の理事長にして、俺の親父だ。
…昨日、ペルディータとの戦いの傷も癒えないまま俺が向かったのは親父のところだ。結構な夜だってのにまだ学園に残って仕事をしていた親父のところに行って、俺が不在の間学園を任せたいと話をしたんだ。
当然、返ってきた答えは『NO』だった。
学園の運営には一切手助けはしないという約束だった、俺一人で全部やる約束だった、それをたったの半年で投げ出して親に泣きつくなんて死ぬほど情けない。なぁんて手酷く呆れられたものだ。
だがそれでも言い返したり言い訳をしたりはしなかった。全て事実だったから。だがそれでも今学園を任せられるのはこの人しかいないと…俺はその場で土下座をして頼み込んだ。
断られても頼み込んだ。罵倒されても飲み込んで頼み込んだ。仕事を終えて帰ろうとする親父に向けて頼み込んだ。
そして、しばらくの沈黙の後…親父はこう言った。
『君は僕が嫌いだろう。いつもそう言っていただろう、なのに何故こうも強く頼み込む』
足元で頭を下げたままの俺に向けて、そう言った。
確かに嫌いだ、この人の考え方は俺とは違う。だけどそれでもこの人は理事長だ…俺が目指している座に座り続けている男だ。教師として働いてよく分かった…この人が家を顧みずどの教師よりも遅くまで学園に残って仕事をしていたことの意味が。
今なら親父がどれだけ必死に学園の為に働いてきたかがよく分かる。親父は誰よりも必死に戦い続けてきたんだ…、そんな親父が真摯でないなんて俺には絶対に言えない。
そんな親父への、少なからずの敬意を込めて、俺はこうして恥も外聞も捨てて頼んでいる。何より…俺の命より大切な生徒を任せられるのは、結局この人しかいないから。
そう語ると親父は何かを考えた後…。
『分かった、だが私は理事長しかしたことがない。教師の経験はないからね』
そう言い残し、去って行った。そして今日…忙しい合間を縫ってこうして小学園に来てくれた、それが全てだ。
「君が珍しく必死に頼み込む物だから、引き受けてしまったよ。だがいいのかい?任せても」
「ああ、構わねぇよ。あんたは学園を存続させるプロだろ」
「それは嫌味かな?、だがまぁいいだろう…。思ったよりもしっかり先生をしているというのは、生徒たちの顔を見れば分かる」
フッ と珍しく髭を揺らして笑うと、親父は俺の肩を叩いて代わりに壇上に上がり。
「そこまでして守りたい生徒の元を離れてでも、やらなくちゃいけないことがあるんだろ?。なら早く終わらせてきなさい、私は忙しい」
「…親父……」
ただそれだけを言い残し、こちらの方を見るでもなく壇上にて生徒達を見下ろし、俺の代わりの教師として立つ親父の姿を見せる。
「さて、紹介に預かったフーシュ・アリタルコスだ、うん。言われた通り優しくはないかも知れないし頼りにはならないかも知れないが。アマルト先生より賢くして立派なつもりだ、よろしく頼むよ?みんな」
「フーシュ先生?」
「はい?何かね?」
「よろしくお願いします!」
生徒達は思ったよりもあっさり親父を受け入れる。いや…俺に心配をかけさせない為か、ただ俺が教えた通り初対面の人への挨拶を欠かすことなく、皆が立ち上がって親父に頭を下げる生徒達。
その姿を見て親父は…。
「……なるほど」
いつもの無表情で、いつもの無機質な声で、ただ見たことのない程に落ち着いた雰囲気で生徒達の姿を見下ろす。
…多分、これなら大丈夫だろう。そう思える一幕を見て満足した俺は壇上の親父に軽く礼をして、教室の扉を閉めて外へと向かう。
すると、教室の外には…。
「ん?あれ?」
「よっす、アマルト…噂には聞いてたけど本当に先生やってるんだ」
教室の前で待ち構えていたのは、タリア姉だ…。なんでこの人まで。
「あんたここで何してんだよ」
「なんでも何も、フーシュ様に頼まれたからだよ。『息子から頼みごとを受けたが、しっかりやれる自信がないから補佐を頼む』ってさ。あんたの前では随分強がってたみたいだけど…あの人あれでかなり緊張してたみたいだよ」
…タリア姉まで動かしてたのか、親父。俺の頼みごとをしっかりとやり遂げる為だけに…。そっか…そっか。
「もうちっと親父さんに感謝しなよ?、あんたの為だけにアド・アストラの仕事で忙しー私ちゃんを補佐にして、学園の先生方をどんどんこっちの助っ人に呼ぶつもりでいるんだから。あんたの為だけ…ね」
「…ああ、十分感謝してるよ」
「ほんとにぃ?、あんたが思ってる以上にあの人本気だよ?。だって…あんな人まで呼んでんだから」
「あんな人?…ってうぉっ!?」
タリア姉が指し示す廊下の奥、そちらに視線を向けそこに立つ存在を目に入れ、誰がそこに立っているのかを理解した瞬間ぶったまげる。確かに親父は本気だと度肝抜く…。
何せそこにいたのは、多分この国で最も動かすのが大変な人物なのだから。
「そうですよバカ弟子ィあんたのせいで私まで駆り出されてんですから」
「お…お師匠さん、あんたまで来てんのかよ」
ダルそうな隈とだらしなく足元まで伸びた髪、そしてその隙間から見えるメガネとピアスバチバチの耳が特徴のディオスクロア大学園の名物先生。魔獣科の専門教師兼ヴィスペルティリオ大図書館の司書…メアリー先生。
又の名を探求の魔女アンタレス様、つまり俺の師匠が片手でネズミを摘みながら世を偲ぶメアリーという仮の姿を取りながらダルそうにフケまみれの髪をかきながら俺に悪態を吐く。
親父…この人動かしたのか?どうやって。
「はぁ〜久々に地上に出てみれば小煩い餓鬼の子守を任されるなんて私の地位も地に落ちたものですね魔女の名が聞いて呆れますよ本当に」
「わ…悪い、まさかあんたまで動いてくれるとは…」
「まぁ弟子が困ってるって言われたら動かざるを得ないので特にお礼とかは要りませんからとっとと用事済ませて帰ってきてくださいね」
…嗚呼嫌だな。俺この人と付き合い長いからこれは分かる。この人は今完全なる善意で動いてくれてる、俺の為に動いてくれてる。日光を浴びると溶けるとか普段から言ってる癖に…こんな時は躊躇うことなく出てくるから、その…尊敬出来るんだよなぁ。
「ヂューヂュー」
「ってか、そのネズミなんだよ」
なんて感動というか、感極まっている最中もお師匠さんの手の中では尻尾を握られ宙吊りにされたネズミが騒いでいる。助けに来てくれた事については感謝するけど…あんまり不潔なものは持ち込まないで欲しいんだが。
「ああこれ?これはリゲルですよ挨拶しておきなさい」
「ってリゲル様かよ!?」
「私に無断で何度も何度も何度も何度も自分の家みたいにこの国に上がり込んで我が物顔で歩き回っていい加減腹たったので…今日はこれ使って解剖の授業をします」
「ヂューー!!」
なるほど、リゲル様が身を隠すように国に入り込んでいたのはこうなる事が分かっていたからか。だが残念かな…『何度も』と口にしている以上最初からバレていてたのだろう。
ウチの師匠は自室の本が一ミリ動いただけでも機敏に察知する繊細さを持つ。それを相手にいくら幻惑を使ってもバレないなんてのは無理だろう。昨日の一件で遂に堪忍袋の尾が切れて…リゲル様はお師匠さんに捕まったようだ。
いくら同じ魔女同士とはいえ、ここは呪術使いアンタレスのテリトリー…、呪術からは半ば逃げることは不可能なのだ。
「ま…まぁ、程々にしてやってくれよ?」
「知らないわ」
ネレイドにバレたらどうなるかわからねぇから出来れば過激なことはしないで欲しいんだが…。ま まぁ流石にウチの師匠も友達であるリゲル様を解体するような真似はしないだろう。
多分、恐らく、きっと。
「じゃ じゃあ俺行ってきますね?、留守の間をたのんます」
「ん…早めに頼みますよ」
「いってらさっいアマルト、ここは私ちゃん達に任せときな」
「うーい!」
取り上げずその場から逃げるように俺は事前に用意しておいた荷物を抱えて、そのままダッシュで学園を抜け出て校門へと走る。ここには頼りになる人ばかり集まってくれた、ならもう心配することはないだろう。ウチの師匠とタリア姉がいる限りまた似たような刺客が攻めてきても返り討ちに出来る。
後顧の憂いは断った。なら後は…目の前にある問題をぶった斬るだけだ。
「悪い!待たせた!」
「んん、いいよ」
「大丈夫ですよアマルトさん、もういけますか?」
なんて校門で待っているネレイドとナリアも既に荷物を纏めてある。もうアド・アストラの本部まで直行出来るだろう。
アド・アストラの本部に行ったらラグナ達に接触して、それでアルカナのことを伝えて、あいつらの手伝いをしながらアルカナの根っこまで叩き潰して…全て終わらせる。
「よーし、じゃあ行くか?」
「なんか弟子達だけで旅って言うと昔を思い出しますね」
「ん、そうだね…ちょっと楽しみ」
「お気楽だなお前ら…、まぁいいか。せっかくなら楽しんで行こう!」
三年前の戦いのように、魔女の弟子達で揃って旅に出る。この戦いがどれだけ続くかは分からないが、まぁこいつらと一緒ならなんとかなるだろう。
そんな楽観を覚えながら、俺達は目指す…。世界を統べる大組織の総本山、世界統一機構アド・アストラの本部が存在する街、星見街ステラウルブスを…、ラグナ達が待つアジメクを目指して、歩き出す。