教伝その2.拙くも導く志
「へぇ〜、ここがアマルトさんの家ですか。なんていうか…案外いい家に住んでるんですね」
「どーいう意味だそりゃ」
コルスコルピの優雅な昼下がり、中央都市ヴィスペルティリオの一角を占める大屋敷にて、アマルトは料理を振る舞う。いつもは趣味と研究を兼ねて軽く何品か作るだけだが…今日はそうもいかない。
今日俺は自分の家に久し振りに客人を招いているのだ。それも三人もな。
「ご ごめんなさい、ただアマルトさんってなんかこう…質素なイメージがあったので」
「一応これでも貴族の端くれですよ俺は、まぁこの家はメルクから貰ったやつだけど」
一人はサトゥルナリア、カストリアを横断するツアーの最中立ち寄ったところ。まぁ色々あって再会して今こうして家に招いているんだ。
相変わらず役者としてストイックだからか あんまり脂気のあるものは食わないし量も食べないが、それでも美味しそうに食ってくれることに変わりはなくて俺は嬉しいよ。
「んっ、んっ、久し振りに食べるアマルトの料理…やっぱ美味しい」
反面ガツガツ食うのはネレイドだ。こいつもお仕事とか諸々の事情でコルスコルピに立ち寄って、行動を共にしているこいつも一緒に家に招いているわけだが…。
相変わらずすげー食うな、一応十人前近く作っておいたが…これなら飯が余る事はなさそうだ。
「まぁまぁ、美味しいですね。教義的にはあまり良くないですが…こんなにも芳しい匂いを醸されては誘惑には抗えませんね」
「すみませんリゲル様、こんなもんしか出せなくて…」
「いえいえ十分美味しいですよ、美味しすぎて肥えて太ってしまいそう」
うふふと美麗な微笑みで顔面にべっとりミートソースつけてすげー下手くそにパスタ食ってんのはあの夢見の魔女リゲル様だ。
この人に関してはなんでここにいるのかさっぱり分からないが招かないわけにもいかなくてこうして料理を振舞っているわけだが…。
少なくとも俺の料理の腕は魔女様を満足させられるだけの物はあるらしい。
そして…。
「上手いか?メルキオール」
「う うん、美味しい…美味しいよ先生。お城で食べるのより美味しい…どうなってんの?」
「へへへ、そりゃ良かった」
今日俺のディオスクロア小学園に転入して来た俺の生徒、聖王の一族メルキオール・ディアデ・ムエルトス君六歳だ。
気難しい性格と生い立ちで荒れてるもんだから色々連れ出して親睦を深めようとしている真っ最中。
今のところこれって手応えはないが、それでも最初みたいな拒絶反応も今の所ない。
上手く行っていると思いたいが…。はてさて如何にと言ったところだ。
「にしてもアマルトさんが教師ですか。理事長になりたいって言ってましたものね」
「まぁな、その勉強って意味合いも含めてやってるが…それでも俺は今の職を夢への踏み台だとは思ってねぇ。このまま理事長になれなくても悪くないって思えるくらいには楽しんでるよ」
「はぇ〜立派ですねぇ〜」
「俺から言わせりゃナリアも十分立派だよ、また演技の腕あげたんじゃないか?」
「まぁこの三年間コーチにみっちり扱かれましたからね。演技も魔術の腕もバッチリですよ?」
「そりゃ頼もしいや、なぁ?ネレイド」
「ナリアは三年前の時点で頼もしかったよ。けど…今はもっと凄そう」
「そんなぁ〜、でへへ照れちゃいますよう」
ナリアとネレイドと共に懐かしい話に花を咲かせる。ナリアはさっきも言ったがずっとプロキオン様と修行をしていたらしい。
三年前は殆ど修行を受けていなかったから 力不足を感じる場面も多かっただろうからな。余程修行に力を入れていたのか 心なしか今のナリアはやや強そうに見える。
そしてネレイドも同じく、リゲル様と修行を行い 時たまにアルクカースに向かい武術大会に出たりして修練を積んでいたらしい。
心なしか今のネレイドは…というか明らかに今のネレイドは三年前よりもガタイが良くなってる。こいつまだでかくなるのかよ。
「それでここがエリスさん達が学生時代に住んでた家ですか?」
「おう、ここにあの四人が一緒になって暮らしてたと思うと…今考えるとすげぇよなぁ」
「…私もみんなと一緒に学園生活したかった…、ねぇナリア君。メグも誘ってポルデューク組で一緒に入学しない?」
「面白そうですね!それ!」
「やめろ、それメグに言ったらマジで入学してきそうだから。それにネレイドもナリアももう二十歳超えてんだろ?もう入学出来ねぇよ」
全く、ナリアとメグとネレイドが今から入学したら…少なくとも確実に嵐の目になるのは目に見えている。
ナリアは今既に大スターとして魔女大国内で顔が売れてるしメグはあれでマジでなんでも出来る超人だしネレイドは言わずもがなだ。
まぁそんなこと言ったらエリス達も結構あれだったけどなぁ。
「…………」
「ん?どした?メルキオール」
ふと、メルキオールがぼーっと俺を見て口を開けているのが見えて思わず伺ってしまう。
しまった、家に帰ってきたとは言え生徒の前なら仕事中だ。この子を放って友人と談笑に耽っていいわけがなかったな。
そうやや反省しているとメルキオールはゴクリと固唾を飲み。
「ねぇ、先生って何者なの?」
「何者?俺は俺だよ、お前の先生だ」
「でも、おかしくない?ネレイドは一応うちの国で一番強くて偉い軍人で…サトゥルナリアさんはエトワールが誇る大スター。この二人と対等に話せる教師がいるわけないよ、それにさっき貴族って…」
「あー…そりゃ」
「いい?メルキオール君、よく聞いてね?何を隠そうここにいるアマルトさんはあの探求…」
「待てナリア、ちょっと待て」
咄嗟にナリアの言葉を止める。多分ナリアは俺を探求の魔女の弟子ってな感じで紹介してくれるのかもしれない。というかそもそもメルキオールは俺が何者か全く知らないのだろう。
この国随一の大貴族アリスタルコスの嫡男で、探求の魔女の弟子で、三年前結構すごい事した人間だって…多分知らないのだ、一度として外界と触れる事なく生きてきたから。
そんなメルキオールに俺の正体を明かしたら、きっとすげぇ尊敬してもらえると思う…だから。
「言わなくていいよ、俺は今は単なる教師だし。昔のことはいいさ」
だから、言わなくていい。俺は生徒から『偉大な人間』として尊敬されたいわけじゃない、一人の教師として尊敬されたいのだ。昔やったことを引き出して誇ってそれで尊敬されてもそんな憧れはノイズでしかない。
俺とメルキオールは教師と生徒、ただそれだけの関係でいいんだ。
「なんだよ…教えてくれないの?」
「別に教えることの程でもないのよ、生きてりゃこういう奴らとも知り合う機会があるってだけさ」
「そうなの?」
「そうだよ、実際お前は今日サトゥルナリアと知り合えただろ?そういうこともあるのさ」
「……まぁ、たしかに」
納得したか。…別に素性を隠したいわけじゃないんだが、やっぱり知る必要ないのないことまで教えてやる必要性はないよな。
「…ところでメルキオール」
と俺が話を切り出そうとすると、グッとメルキオールが身構えたのが見える。学校に行ってタルコット達と仲直りを…と言いたかったが。この感じはまだ早いかな。
「あー…、メルキオールは将来なりたいものとかあるのかな」
咄嗟に身を翻すような勢いで話題を変える。我ながら拙い話題だ…将来何になりたいか?ンなもん決まってる。
「聖王だけど」
だよな、その為に来てんだもんな。
「まぁそうなんだけどさ。もし聖王以外になりたいものがあるなら…何かあるか?」
「何その質問、ちょっと失礼じゃない?。でもそうだなぁ…なりたいものかぁ」
ムクッと頬を膨らませつつもメルキオールはやや俯いて、椅子に腰を落ち着けながら足を揺らす。俺の勘違いじゃなければやや楽しそうな気配さえ感じる。
「やれるなら…サトゥルナリアさんみたいな役者になってみたいな」
「むぐっ?」
バーニャカウダを頬張るナリアが咄嗟に顔を上げる。僕ですか?とばかりに、そうだよお前だよ。
「演技とか得意じゃないけど、ああいう風にキラキラした世界に憧れるなぁって…勿論キラキラしたばっかりじゃないのは分かってるけど、それでも…」
「んくっ、いいんじゃないかな。メルキオール君の言うように楽しいばかりじゃないのはそうだけどさ、それを上回るくらい一つの楽しいが大きな仕事だと僕は思ってるな」
「そ、そうなんですか?」
「うん、君がその道に進みたいなら僕は応援するけどなぁ」
「ッッ〜〜〜」
相変わらずナリアの事は大好きみたいで、応援すると言われれば目をキラキラと輝かせてコクコク頷いてみせる。王様になるのは当たり前として別の道があるなら役者に…か。
「後は!この本に書いてる少女みたいに旅がしたいみたいかな!」
すると徐々に興奮し始めたのか、先ほどの『国渡りの少女』を取り出し俺に見せてくる。この本に書いてあるみたいに?、そりゃちと難しい気もするが。
ってのもナリアからさっき聞いた話だが、やはりこの本に書いてある少女のモデルはエリスで本の内容はエリスの話を元に作られたというのだ。
つまりメルキオールがやりたい旅ってのはエリスがやったような旅ってことになる。そりゃ難しいだろ…アイツみたいに頭おかしくなけりゃ出来ないぜあんなの。
「そ そっかぁ…」
「…応援してくれないの?」
「いや、んー…まぁ。うちの学園を卒業した生徒の中にはそのまま冒険者になるような奴も大勢いるな」
「そうなの?」
「ああ、俺の先輩にも一人居たぜ?。卒業後マレウスで冒険者になってそのまま大成したやつがな」
「そうなんだ!じゃあ僕もあの学園を卒業したらなれる!?」
それは難しい。その先輩ってのはマレウスにおける魔術御三家の一つクルスデルスール家の次男坊だった男だ。扱う魔術は在学時からプロの魔術師レベルだったし何より幼い頃から強力な魔術を扱う訓練をしてきた。
メルキオールが憧れるその旅の少女もちっこい頃から修行をしてきたのを俺は知っている。
メルキオールもまだ若いが、小学園を卒業した程度じゃ冒険者には…。いや?待てよ。
「卒業したらかぁ、なら真面目に勉強しないとなぁ」
「う…」
学園を卒業したら…ってことは真面目に授業を受けないといけないよなぁ?、なれるかどうかは別にして授業はやっぱ受けてくれないと。
そう俺が話すとメルキオールはあからさまにバツの悪そうな顔をして。
「…読み書きも算術ももう出来るよ」
「だが彼処じゃ剣術や魔術も教えてる。そこらへんは勉強してないだろ?」
「まぁ…そうだけど」
「なら…」
「でも、アイツらがいるなら…行きたくない」
行きたくない…か、うん。そこを正直に言ってくれたのはありがたいかな。やっぱ行きたくないって思ってたか。
「タルコット達が居なければ、学園で勉強する気になれるか?」
「うん…」
とはいうが、基本無理だ。うちは教師の数に限りあるし俺がメルキオールに付きっきりになれることはない、だからみんなに混じって一緒に勉強することになるが。
授業の度またあんな騒ぎを起こされてたら今度は授業自体ままならない。
さて、どうするかねぇ…。
「学園での授業とは…」
「お?」
すると、メルキオールの話を聞いていたのか。リゲル様が徐にハンカチで口元を拭き、授業とは…と語り始める。
「学園の授業とは、読み書きや算術…生きる術以上に大切なことを学べます。自分が集団の中で生きる術です」
「リゲル様…?」
「例え喋りが拙くとも、人付き合いが苦手で協調性を欠く者だったとしても、自分が人の集団の中でどういう立ち位置に立てば良いかを明確に知ることが出来るのはやはり学園という集団の中に身を置くのが一番です。人は人の中でしか生きられない…避けては通れないのですから」
リゲル様の語る理屈は俺も共感できるものだった。人間ってのは自分一人で完結出来る生き物じゃない、生きていく以上誰かしらの干渉は避けられない。
それが嫌だったとしてもある程度の折り合いは必要になる、それを知る事が出来るのは学園っていう限定的な社会の中で学ぶのが一番だ。
上手くいかなくても卒業したらそこでの関係性はある程度チャラになるし、取り敢えずお試しで社会体験する為に人は学園に行く必要があるのだ。例え学園で教えられる学問全てを理解していたとしてもな。
「それに王族を名乗るのなら、下々の者との関わり方を理解するのは如何なる語学や数学よりも優先されるべき事項です。学園に王であるならば行っておくべきでしょう」
「なるほど…」
なんと為になる物の言い方だ、流石はテシュタル教の元教皇。伊達に八千年は生きてねぇぜ。この話を聞けばメルキオールだって…。
「と、メルキオール君に伝えてください」
「って聞こえてないのかよ」
そういやリゲル様の姿は俺達にしか見えないようにしてあるんだったな。ってことはこれ伝えるの俺の仕事なのかよ。
「ん?誰と話してるの?先生」
「え?リゲル様?リゲル様がそこにいるんですか?」
と思ったらナリアにも見えてないようだ。思いっきりそこに座ってパスタ食ってるのに認識出来ないとは、流石は幻惑魔術の超達人…ある意味恐ろしい。
見えてるのは本当に俺とネレイドだけなのか。
「あー、メルキオール?」
「何?先生」
「お前は聖王なんだろ?、王とは上に立つ者の事…だろ?」
「うん、当たり前じゃん 偉いんだから」
「だが、その立場と権力を保証してくれるのは誰だ?、他でもない民衆だ。その民衆との触れ合い方を学ぶのは…王として必須なんじゃないのか?」
「う…うん、そうだよね」
「次はさ、威張るんじゃなくてもっと王様の偉大さと寛大さってのをタルコット達に見せつけてやった方がいいんじゃないか?」
「…でも僕は特別な存在、聖王なんだよ?ナメられるのは嫌だよ」
「ナメられるねぇ…」
まぁ言わんとすることは分かる、ラグナも王族は見栄張ってナンボだと語っていたからな。
見栄張って城をでかく立てるし見栄張って豪華な服を着て見栄張って王冠を被るのだと。
だが同時にラグナは見栄を張るのは全て国民のため、自分のプライドなんかクソ食らえだとも言っていた…つまり王様の見栄ってのは自分のプライドとは別のところにあるのだ。
その点メルキオールの威張った態度は確実に自身の選民意識から来ているように思える。
そういう意識が根底にある以上無理にタルコット達に近づけても何処かで軋轢を生む。合わない者同士を無理に引き合わせてもいいことはないだろう。
「それもそうだな」
ここで懇々とメルキオールの意識を否定して何が正しいかを語ってやるのは簡単だ。これでもメルキオールよりも生きているから彼を黙らせる言葉のストックはそれなりにある。
だが、それじゃあダメだ…メルキオールが考えて正解に辿り着かないと意味がない。何かを感じ何かを考え何かを成す…それを助けてやるのが教師の仕事であり、どこまで行っても教師に出来るのはそれくらいなんだ。
だから今は取り敢えず無理にメルキオールの価値観を捻じ曲げるようなことを言うのはよそうか。
「なぁ、一つ聞かせてもらってもいいかな」
「何」
「そんな無愛想に返事するなよ。メルキオールはさ、オライオンでどんな勉強をしてきたんだ?読み書き算術…だけじゃないんだろ?」
権力者のお勉強ってのはこれが意外と手広い。読み書き算術は一般教養であり国王はその一般の上に立つ存在だ、持ち合わせていなくてはならないものは他よりも多い。それが例え実権の無いハリボテの王族だとしてもな。
その辺は俺もよく分かってるよ、なんせそういう英才教育を受ける側だった経験もあるし幼馴染には実際に王様やってるイオもいるしな。だから何をしてきたかは大体予想はつくが…。
「色々、帝王学も魔術理論学も…後は魔術薬学と地質学とか植物学とか心理学とか、経済に関する事も少し」
「いや思ってたより手広いな!?」
いや思ってたより手広い、手広過ぎる。王様の政務活動に植物学とか地質学の見識がいるとは到底思えない、三つぐらい学者兼任させるつもりか?
ってかそんだけばらけたモンを一度に詰め込むのはむしろ効率が悪いだろ…。
「これもディアデ・ムエルトス家の歪さの具現ですよアマルト君」
「え?」
リゲル様はいう、これは聖王一族ディアデ・ムエルトス家の歪な部分であると…。まぁかなり歪だとは思うが。
「あの手この手でテシュタル教から国の実権を握ろうとする内に四方八方に手を伸ばし続けていたのです、ある王は地質学の見識を用いて ある王は植物や薬学の見識を用いて、その時代の王が王権復興に必要だと思うものを時代の教育プログラムに加え続けていった結果…不必要なまでに教育を重ねる形態に変わってしまったのです」
「…………」
これには俺もしっかり口を閉じたぜ、だって口を開けりゃ『なんだそりゃあ馬鹿馬鹿しい』と口にしてしまう所だったから。
だってそれは、とっくの昔に死んだ祖父さんや曾祖父さんのエゴによって追加された重荷をメルキオールが一人で背負ってるって事じゃ無いか。
先代の背負わせた重荷を無思考無論理で次代に横流しをするという行為を伝統と言うアホらしい言い訳で継続し続けてきたツケを…なんでメルキオールが払わなきゃならねぇんだよ。
「どうしたの?先生…怖い顔してるけど」
「ん?いやなんでも無いんだ。…大変じゃ無いか?そんなにたくさん勉強して」
「ちょっと大変、でもお父様もお祖父様もやってきた事だから」
「……そうか」
ここで、伝統なんざ背負う必要はない!今を生きるお前が過去の亡霊に縛られてどうする!と叫んだら、それは俺の価値観の押し付けになる。
さっきも言ったが俺はメルキオールの価値観を捻じ曲げたくない。その伝統が必要か否かを判断出来るのはメルキオールだけなんだから…。
「さて、どうだ?もっと食うか?」
「ううん、いっぱい食べたし…何よりあれ見てたらお腹いっぱいになっちゃった」
「むしゃむしゃ」
とメルキオールが指差す先に居るのはネレイドだ。ピザをクルクルと巻いて二口で食べ ソーセージの盛り合わせを皿を傾け丸々口に放り込み、パスタを一吸いで飲み込みポタージュを一瞬で啜る。嵐のような食いっぷりにメルキオールは胸焼けしそうだとやや呆れているようだ。
「ネレイド、食いすぎだ」
「…あ、ごめん。美味しかったから」
「いいよ、ここに来る道中は全然食べさせてあげられなかったし。食べられる時にうんと食べれば」
「ん、ありがとメルキオール君」
「でも僕はご馳走さま、…先生 今日はありがとうね」
「おう、また一緒に演劇見にいこうな?」
「うん」
まぁ、課題はまだまだあるけれど。それでも着実に前へ進めている。そう感じさせるような穏やかな微笑みを浮かべるメルキオールを見て ちょっとだけホッとする。
この子が王様として将来振る舞えるか…とか、聖王一派がオライオンの覇権を取れるか…とか、そう言うことは今はどうでもいい。
今はただ、メルキオールという子供の将来の為に。少しでも出来ることをしよう、それが俺の…やりたかった事なんだから。
…………………………………………………………
「じゃあまたねー!先生〜」
「また明日、アマルト」
「おう、またな」
そうして我が家で飯を食って一服したメルキオールとネレイドの二人は今日は一旦帰路につく。本当はメルキオールも寮に入って欲しかったが今は無理そうなので近場の宿を二人でとって宿泊するらしい。
別にウチに泊まってもいいんだが、そこは流石に悪いと言うネレイドの言葉と先生の家に泊まるのは流石に嫌と言うメルキオールの言葉により却下された。
「ふぅー、取り敢えずひと段落か?」
気がつけば黄昏時。もう他の生徒も寮に帰っている頃だろうか、いつもならここから明日の授業の支度やらなんやらと忙しい時間が続くが…。
「どうにかして、メルキオールがみんなと馴染めるようにしてやりたいな」
「やっぱり考えてたんですね、メルキオール君の事」
未だ帰ることなくなんか自然な感じで俺の屋敷に残ったナリアは俺の悩みを察していたかのように苦笑いする。
「彼は些か王様としての意識が強過ぎるようにも思えますね。それは裏を返せば責任感や使命感の強さを表しているんでしょう…、でも」
「そうだ、でも…それが今 裏目に出ている」
メルキオールは自分こそがオライオンの頂点たるべしと親から教育を受け、俺みたいにねじ曲がる事なくきちんと育っている。彼の王族としての責任感は間違いなく良いところだ。
今はそれが悪い方に働いちまってるが、いい方に転がしちまえばなぁ。
「メルキオールの良いところをみんなに知ってもらえばきっとタルコット達も受け入れてくれる筈だ」
「なるほど、それで具体的にどうするんですか?」
「…………まぁ、まぁまぁまぁまぁ」
「ノープランなんですね…」
しょうがないだろそんなの、エリスじゃあるまいに。そう都合よく一瞬で思いつくわけないだろうに。と俺が頭を悩ませていると…。
「魚は水を泳ぎ、獅子は陸を駆け、鳥は空を飛ぶ…ですよ」
「へ?」
いつのまにか俺たちの背後に立ちにこやかに微笑むリゲル様が何やら言っている。と言うかこの人はなんでまだ残ってるんだ…?。
「あの、リゲル様?ネレイド達行っちゃいましたけど…」
「良いのです、ネレイドは仕事でここに来ているのですから母である私が同伴しては格好がつかないでしょう?、なので今日はここに泊めさせて頂こうかと」
「そんな無茶苦茶な…」
「それよりも、メルキオール君を他の生徒と仲良くさせる為の策を練っているのですよね?。ならば私に一計があります」
「一計って、さっきの魚がどうたらってやつですか?」
魚は水を泳いで、獅子は陸を駆け抜けて、鳥は空高く飛ぶ…なんて当たり前のことを言われても何が何やら。そう首を傾げていると。
「ええ、魚は水を泳ぎます、それは魚が泳ぎが得意だからです。獅子もまた陸を走るのが得意で鳥は空を飛ぶのが得意だからです」
「そりゃ知ってますけど…」
「ですが、逆に言えば魚は陸では無力です…陸は得意ではないから。どれだけ泳ぎが得意でも陸に上げられては得意分野は活かせない。差し詰め今のメルキオール君は陸に上げられた魚…、得意な所を発揮出来ずもがき苦しんでいる状態にあるのでしょう」
「お?…ああ、なるほど…」
「ええ、なので…もし陸に上げられ苦しむ魚がいたなら、水を用意してあげるのが心優しき教導者と言うものではないでしょうか」
「水を…つまり、メルキオールがその良さを発揮出来る場面を俺が用意してやったほうがいいってことですか?」
そう答えるとリゲル様は満足げにコクリと頷く。なるほどそうか…、メルキオールは今悪い所しかみんなに見せていない。
王様としての教養の深さや慈悲深さと言った場面をタルコット達に見せてないから 王様だと威張っても信じられないんだ。
なら、メルキオールが王様として良い振る舞いをできる場面を俺が用意できれば…。
「あの、本当にリゲル様がそこにいるんですか?僕には全く見えないんですが…」
「ああ、実際そこにいる…ってかそろそろナリアにも見えるようにしてやってくれませんか?」
「うふふ、嫌です。私がこうして姿を隠しているのはメルキオール君への気遣いともう一つ。アンタレスにバレない為ですので」
「お師匠に?」
「ええ、アンタレスは繊細ですので特に理由もなくヴィスペルティリオに立ち入られたと知ったら怒るでしょう。私が中途半端に幻惑を解いたら侵入に気がつき激怒したアンタレスに呪われて…私は蛙か芋虫に変えられてしまいそうなので」
「…………なるほど」
ありえそうな話だ。我が師匠ながらあの人の理不尽な癇癪はマジでどうかと思うくらいヤバい。リゲル様がなんとなくヴィスペルティリオに立ち入ったと知ったら…何するかわからねぇ。
だからこそナリアにも見えるようにするって言う形で半端に幻惑を解いたら危ないのか。
おっけー理解したぜ、リゲル様が身を隠す理由とうちの師匠の人格がマジでやばいってことがな。
「それで?どうしますか?アマルト君」
「そうですね…、魚には水を…なら王には」
リゲル様の試すような言葉を前に考える。メルキオールの特性は王たる出自と教育だ。ならそこを活かしてタルコット達にかっこいい所を見せてやればメルキオールも格好がつく…となると。
「一芝居打って、メルキオールの活躍の場を俺達が演出してやる…とかどうですか?」
「いいですね。王とは窮状にて輝く、その輝きは民を魅せることでしょう。その窮状を自ら作り出すのは良い考えだと思いますよ?」
「つっても、なんか生徒を騙すみたいで気がひけるし、何より…芝居ったってもなぁ。どうすりゃいいんだか俺にはさっぱりで…」
と、弱音を吐いていると。トントンと俺の肘が叩かれ…。
「あ?」
と振り向けば、そこには 何故だか満面の笑みのナリアが…ってどうしたよ。
「どうした、ナリア」
「芝居がどうとか…言ってましたね」
「あ?え?ああ」
「話の流れはよく見えませんが、水臭いことは分かりますよアマルトさん。いやだなぁ…ここに芝居のプロがいるでしょうに」
「いるでしょうにって…お前まさか」
「ええ、お任せを?クリストキント劇団総出で僕プロデュースの一芝居…打って見せましょう」
ま…まじかよ、クリストキントとナリアが手を貸してくれるって?、そいつはちょっと…。
マジで助かるぜ。
「マジでありがたいけど、いいのかよ」
「いいですとも。アマルトさんにはお世話になってますしね!何より芝居と聞いたら黙ってられないのがクリストキントですから!必ずやアマルトさんの望みに答えて見せましょうとも!」
両手を広げ高らかに笑うナリア。こと演技や演劇という事に関してはこいつはマジで頼りになる。やってくれるならこれ以上ない味方だ…!。
「じゃあ、いくつか頼みたいことがあるんだけどいいかな」
「はい、ご要望は幾らでも?万全にこなしてみせますとも」
「うふふ、楽しみですねぇ…」
二人で話し合い、早速明日一芝居打つことを決めるアマルトとナリア。その二人の姿を見てリゲルは一瞬…笑みを解く。
(やはり、アマルト君に任せて正解でした。貴方ならばメルキオール君を救えるはずです…。もう『あんな不幸な子』が生まれるのは嫌ですからね)
………………………………………………………………
翌る日、ディオスクロア小学園に登校してきた生徒達は皆校舎ではなくヴィスペルティリオの外にあるとある小さな森へとやって来ていた。
当然ピクニックに来てるわけではない、これも立派な授業の一つ。
お外に出て体を動かしつつそこでしか学べない事柄を学ぶ、机の上で本を開いているだけでは見えてこない生の実感を生徒に味合わせる為理事長アマルトの発案で月に一回行われているのがこの『外実習』だ。
そして、それは堅苦しい教室に押し込められて一日椅子に座らされる事を苦とする子供達にとってはまさしくご褒美に近い娯楽になり得る。自分達だけでは行けない街の外にみんなと一緒に行けるんだから…。
前回はみんなで『ポータル』を使いデルフィーノ村の海岸に行った、その前はみんなでお城を見に行ったし、その前はギャラクシア運河を見に行って…だから今日の外実習も楽しみにしていたんだが…。
「せんせー、どうして今日は近くの森なの?」
「僕遺跡見に行きたかった〜」
「ははは、じゃあ次は遺跡だな。だから今日はこの森で木や植物についてお勉強しような?」
全校生徒五十人を他の教師達と共に引き連れての行脚は真っ直ぐ近くの名も無き森へと向かう。
森ってもほんの小さな一角に生えている比較的小型の森林地帯であり見る人が見れば森と呼ぶのも烏滸がましい程度のそれの中で今日行うのは植物の授業だとアマルトは言う。
「草の授業って事?それって必要なの?」
「必要かどうかは分からない、だけどもしかしたらみんなの将来に必要になるものかもしれない。覚えて損な知識はない…さ!授業を始めよう!、取り敢えず今日振り分けた班ごとに分かれて渡した植物の教本を開いてくれ!」
外実習の時は決まって五、六人で班を組むのがお決まりだ。配る教本の数とか見守る先生の人数の割合とか色々理由はあるが。
やっぱり外で授業をするにあたって子供を一人一人自由にさせると何をするか分からないというのが一番の理由だとアマルトは語る。
そんなアマルトの思惑の通り子供達はその言葉に従い事前に発表された班ごとにササッと別れる。
「よしよし、それじゃあ初めて行くか?まずは…」
と、外実習を始めるにあたってのルールの確認と教本の見方の確認し終えていく。あんまり遠くにはいかない事 変な草は食べない事 怪我をしたら大声で先生を呼ぶ事…といつも通りの内容を反復していく。
それを真面目な顔で聞いている生徒達の集りの外周に…彼はいる。
「………………」
生徒達からやや弾かれるような位置で少し面白くなさそうな顔をしているのはメルキオール少年だ。その脇に立つ護衛のネレイドってばその辺の若木よりも背が高いでやんの。
まぁそんな二人だからか、ほんの数歩分離れているだけなのに、集団からやけに浮いて見えた。
彼にも一応班がある、タルコットを含む生徒達の中でも比較的社交的かつリーダー色の強い面々だ。ただメルキオールもタルコット達も互いに互いを離し合い距離を取っている…それが今の現状だ。
双方共に受け入れる気無しといったところか。まぁ、或いはそれでもいいのかもしれないが、少なくともメルキオールの健全な学園生活のためにはここで一つ頑張ってもらわないといけないな。
そうアマルトは生徒に説明しつつもメルキオール達に目を配り…。
「というわけで、まずはみんなで森を見て回ろうか。みんなで教本を共有して近くの森にある草や木がどんなものか どんな名前なのかを確認してみよう」
「はーい!せんせー!」
「よーし!それじゃあ出発!さっき言ったルール守らない奴は宿題増やすからなぁ」
そうしてアマルトの先導の元森へと進んでいく生徒一同。当然それに倣いメルキオール達もまたおずおずとついてくる…よしよし、じゃあ外実習に加えてこちらも始めていきますか。
昨日即興でブッ立てた作戦。メルキオール仲良し作戦を…!
…………………………………………………………
「………………」
「う、木の枝が顔に当たる」
押し黙り歩き続ける。メルキオールの視線の先には群がる生徒達の背中が見える、授業の都合で今日は外で勉強をするらしい…。
みんなで班で集まって、みんなと一緒に協力して勉強する。それはメルキオールにとって煩わしい事この上ない話であった。
自分がここでは異物であることは分かっているし、オライオンの聖王であることを信じないアイツらに迎合されるつもりもない。
だから一緒になって何かをと言われても面倒なだけだった、本当なら行きたくはなかったけどネレイドから『勉強しに来てるんだから勉強するべき』との進言を食らってしまった以上行かねばならない…、逆らったら抱えてでも連れて行きそうだし、こいつ。
でも…。
「……はぁ」
よりにもよって組まされたのが昨日喧嘩したばかりのタルコットである事に辟易する。本当なら文句を言いたいが。
じゃあ誰と組みたいかと言われたら別に組みたい相手もいないから文句を言っても仕方ない。
いや…出来るなら、先生と一緒に勉強したいけど。
「せんせー!このキノコ美味しい?」
「それは本を開いて見てみな。それが食えるかどうかも含めて調べてみるのも勉強さ」
「せんせー!このお花きれー!」
「おお確かにな!あんま街じゃ見かけねぇ花だ」
「せんせー!こっち行こー!」
「後でな、今はみんなと行動だ」
アマルト先生はみんなから非常に人気だ。若くて生徒の目線に立って物事を見てくれてオマケに優しい。他にも教師はいるのにみんなアマルト先生のところに行く…、あそこに混ざる勇気はないし 何より恥ずかしい。
…やり辛い。そもそも僕がなんでこんな遠慮して後ろの方を歩かなきゃいけないんだよ。
「なぁ、ネレイド」
「ん、どうしたのメルキオール君」
ふと、寂しさを紛らわせる為ネレイドを見上げる。木の茂みの中に頭を突っ込む程の高身長であるためやや苦労しながら歩くネレイドは僕の声に反応してこちらを見るが…。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
寂しさを紛らわせる為ネレイドと談笑でもしようかと思ったが、それをしたらなんか負けな気がした。こいつらを相手に馴染めない…それを認めるような気がした。
アマルト先生は他の生徒と仲良くして欲しそうにしてた。だから昨日一日僕に付き合ってくれた。
仕事で忙しいだろうに一日つきっきりになってくれたんだ、演劇に付き合ってくれたり家に招いてご飯を振舞ってくれたり…あんなに優しくしてくれる人に出会ったのは正直初めてだ。
あんなに酷いこと言った僕に…、だから出来ればその願いくらいは叶えてあげたいけど。
「…………」
「……ぅ」
僕と同じ班のタルコットは振り向くことなくズシズシと歩いて行ってしまう。ここで僕が縋るように後ろから話しかけたら…きっと負けだ。
……お前から話しかけてこいよ、今度は仲良くしてやるから…。
「ねぇ?メルキオール君」
「何、ネレイド」
「みんなと仲良くしたほうがいいよ」
「分かってるよ、そんな事…」
「ん、わかってるんだね…なら余計なこと言ったね。ごめんね」
仲良く…か、わかってるのになぁ…。難しいなぁ。
「うーし、一先ず森の中は大体見て回ったな。回ってみて分かったと思うがさしたる程広い森でもない事が分かったと思う。だからこれからは自由時間にする、変な悪戯とか森の外に行こうとしたりする事以外なら何してもいいぜ?」
「やったー!」
クルリと一緒森を見て回った結果、そこまで危険のない森だという事が分かった。魔獣もいないし危険な植物も生えてない。
足場もしっかりしてるしこれなら子供に自由にさせても大丈夫だろうとアマルト先生は子供達に自由時間を与える。
特になんの変哲も無い森だけど、子供達からすればテーマパーク同然だ。自由時間を待ちわびていた生徒達は瞬く間に四方八方に散って行く…、それをメルキオールも遠目に眺める。
今なら…アマルト先生のところに行けるかな。
「わーい!きのみー!」
「あ!こら!木に登るな!」
「せんせートイレしたい…」
「え!?あ!じゃあそこに茂みに…」
「せんせー!向こうに行こー!」
「ま まずは班のみんなと一緒に行って何があるか見てきてくれないか?それを先生に教えてくれ」
……忙しそうだ。自由になったらますます先生のところには生徒が集まる出している、これじゃあ先生のところには…。
「おい、お前」
「あ?」
ふと、声をかけられる。タルコット達だ…それが植物図鑑を抱えて僕を睨んでいて…。
「な なんだよ」
「お前も俺達の班の一員だろ、一緒じゃ無いといけないんだからついてこいよ」
「何を…!」
タルコットの図々しい言い草に思わず頭がカッとなる。僕がお前の班の一員じゃなくてお前が僕の班の一員で!お前が僕についてくるんだよ!なんてどうでもいい訂正をしたくなって咄嗟に頭を振る。
ダメだダメだ、怒るな。怒ったら喧嘩になる、喧嘩になったらまたアマルト先生がこっちに来る。
そうしたら仕事を増やしてしまう、あの人には『手のかかる子供』だとは思われたく無い…だって僕は王族なんだから。
「んんんっ、…分かったよ 付いてってやる」
「偉そうに…、まぁいいけど」
「ん、行くぞネレイド」
「いや私はここでアマルトの手伝いしてるね」
「え?」
歩き出した足が止まる、え?なんで?付いてきてくれないの?。お前は僕の心の支えなのに…。
「なんで…」
「アマルト忙しそうだし、それにメルキオール君なら大丈夫でしょう?」
う…、そ それを言われたら…大丈夫としか答えられなくなる。それはずるいよ。
「わ…分かったよ、好きにしろ!」
「ありがと、…アマルト 手伝うよ」
「ありがてぇ!じゃあネレイドは木に登ったやつを降ろしてやってくれ!その後はこっちの子達を…」
行ってしまった…。
そう言えばアマルト先生とネレイドは友人同士だと言っていたな。どうやって知り合ってどうやって友達になったんだろう…。
せめてそれだけでも聞いておけばよかった。そうすれば今の状況の助けになったかもしれないのに。
「おーい、行くぞー!置いてくぞー!」
「あ!待てよ!僕を置いてくなよ!」
いつの間にやら遠く離れていたタルコット達に慌ててついていく。なんで僕がこんな追いすがるような真似しないと…。
「ん?…」
そうして追いつくと、そこには植物辞典を手に他の誰よりも真面目に植物を調べているタルコットの姿があった。
見れば他の生徒達はタルコット達の近くに居るもののその関心は勉強ではなく遊びに向いているらしく、虫を追いかけたり花を見たりしていて…。
「…………」
別に遊んでるのはこの班の連中だけじゃ無い。他の班の奴らも遊んでいた、木に登ったり 虫を捕まえた綺麗な草を手に入れて先生の気を引いたり。
そもそもがこの授業自体が生徒の息抜き目的である為か、真面目に勉強する奴は少ない。
なのに、タルコットは真面目に…。
「ん、呼んで悪かったな。班としての体裁を崩したら先生から怒られるから、近くにいてくれるなら何しててもいいぞ」
「…お前は他の奴みたいに遊ばないのかよ」
「あ?…まぁな」
目の前にある植物を見て、ページをめくるタルコットはこちらを見ることなく班としての体裁は崩すなどだけ言ってくる。他の奴らは遊んでても御構い無しなのに…お前は何してんだよ。
「王様には分からないかもだけど、俺達みたいな親のいない子供が生きていくには…必死に勉強するしか無いんだ」
「…そうなの?今はアド・アストラもあるし、さしたる程…」
「いいや、苦労する…俺達はいつまでも子供ではいられない。子供じゃなくなった孤児はただの身寄りの無い浮浪者だ、浮浪者が損をするのは今も変わらない。そうならないように勉強しないと」
…なんか、重なってしまう。嫌なのに重なる。汗水垂らして勉強する姿が城で勉強してた頃の僕に…。何かを夢見て周りが遊んでいる中一人だけ机と向かい合うその姿からは自分の人生に責任を持つ強い意志が感じられて…。
って、王族の僕と孤児のこいつが一緒なわけないか。
「俺は将来商人になって…物凄いいっぱいお金を稼いで、俺を拾ってくれた孤児院を支援するんだ。お前に構ってる暇はないんだよ」
「はっ、随分な言いよう…けど俺達孤児はなんて偉そうに言ってるけど、その孤児の大多数が遊んでますけど?」
「むっ…」
「結局お前一人馬鹿を見てるだけじゃないの?」
「いいんだよっ、俺が真面目にやってれば、その姿を見せ続ければいつかみんなわかってくれる…」
そんなわけあるわけないだろう、見せ続ければ?他人ってのは…自分が思ってるほど自分のことを見てないもんだ。みんな自分のことで手一杯なんだから。
分かってもらおうとする態度ってのは、好きじゃない。
「バカだなお前はどこまでも」
「何を…!」
「いいから見てろ。おい!お前ら!」
「っ……!」
刹那、メルキオールの怒号に同じ班の人間がギョッとしながら一斉にこちらを見る。腕を組み 偉そうに踏ん反り返るメルキオールはその視線すら軽く受け流し。
「いい身分だね君たちは、此の期に及んで遊び呆けて余程将来に自信があるようだ。まぁ僕は王族だから遊んでてもいいけど…まさか平民たる君たちも同じだったとは驚きだよ」
「な なんだよ!急に!」
「いや別に?、ただ遊ぶんならどうぞご自由に。学ぶ機会を与えられながらそれを棒に振る愚民の姿を見るってのもいい余興だからね」
「っ…!こ、これから勉強するところだったんだよ!」
「そうそう!タルコット!私にもそれ見せて!」
「お…おう」
メルキオールの太々しい態度にムッとした周囲の人間は瞬く間に遊びをやめタルコットの元へと集い出す。あれだけタルコットが勉強している姿を見てなんとも思わなかった奴らが…だ。
「いいかいタルコット、火ってのは待ってても燃え上がらない。人がこの手で着火しない限り燃えないんだ、それは人も同じだよ」
「お前…案外人を動かすの、得意なのか?」
「王だからね、当然だろ」
「…そうだったな」
タルコットに群がる生徒達の姿を見て得意満面のメルキオールは胸を張る、人を動かす帝王学や民衆を操作する経済学も学んでるんだ。このくらい楽勝だよ。
さぞ見直しただろうとちらりと目の端からタルコット達を見れば…。
「ねぇタルコット君…何調べてるの?」
「この草見てるの?」
…誰も見てない。まぁいいけどさ……
「ああ、ここに生えてる草…前なんかの店で売られてるのを見たことがある気がする。どういう意図で売られてて何に使えるのか見分けられるようになれば…将来売り物になるかと思ったんだけど。特定するのが難しくてさ」
「ふーん、あ これに似てない?」
「いや、葉の形は似てるけどこいつには花がないし…」
「じゃあこっちは?」
「これはそもそもコルスコルピに生えてない、別物だ」
と、僕をそっちのけで図鑑とにらめっこを始めるタルコット達。あの手の植物図鑑は見るのにコツがいるんだ。
基本的に書かれている絵とその特徴から見極めなきゃいけないから確かめるのにも知識が必要なんだ…僕も昔苦労したな。
「なぁタルコット」
「あ?なんだよメルキオール」
「ちょっと見せてみなよ」
「はあ?、偉い偉い王様になんか分かるわけ…」
「ん…、タルコット 見てるページが違う。これは薬草の分類じゃなくて魔草の分類だ」
「へ?」
タルコットが見ているであろ草には見覚えがある。これは…。
「これは魔草パウクムハーブだ。薬膳的な効果はないけど魔力を帯びた熱を与えるとキッと葉が硬くなる性質があるから魔力道具を作る際に重宝する。多分見たっていう店はそう言う道具を作る素材を売ってる店じゃないかな。ここは学園で道具を作成する授業もあるから売ってただけで…、商家は基本的に取引しないよ。こんな子供騙しの草なんかより安価で強力な物はこの世にたくさんあるからね」
「……本当だ。これだ…なんで分かったんだよ」
「え…いや、昔植物学を勉強してたから…」
「植物学ぅ?お前王様なんだろ?なんでそんなもん勉強してるんだよ」
「…何が将来の役に立つか、わからないからって…」
家の人間に無理矢理教えられた。世界で一番魔草薬草の生育数の少ないオライオンでこんな知識何に役に立つかさっぱりだったけど…、分かると案外楽しくて、これが一面に生えてるところを想像すると楽しくて、つい夢中になって勉強してた事があるんだ。
お陰で普通に分かったけど…。
「ふぅん、大変なんだな。王様も」
「う 敬う気になったか?」
「そう言う所さえなけりゃな、…なぁメルキオール こっちのはなんだ?分かるか?」
「え?そりゃ雑草だよ…、でも生命力がエグいから葉を一枚千切って家の近くに植えるだけで一気に広がるらしいよ。だから庭園を管理する庭師からは悪魔の草って呼ばれてって聞いた事がある」
「へぇ、じゃあ王様の城に植えたらいい嫌がらせになるな」
「残念、僕の城は年中雪まみれだから庭園はないよ」
「じゃあなんで知ってるんだよ」
「ね、それは僕もそう思うよ…なんでこんな草について詳しいんだろ」
「なんか、タルコットってあんなに人を頼りにする奴だったっけ」
「ううん、なんであんな偉そうな王様なんかと仲良くしようとしてるんだろう」
「さあ」
言い合うようにぐちぐちと互いに語り合いながら勉強を進めているタルコットとメルキオールが話す様を見る生徒達は考える。
タルコットはガキ大将だ。みんなのリーダーだ。そして責任感の強い男だ、自分が他の生徒や孤児達の前に立つべき男だと自覚している。
だからそう簡単には人を頼りにしない…誰かを助けることはあれど誰かに助けられることはほとんどない。
なのに、昨日やってきて本人も『認められない』と言っていたメルキオールを隣に置いて、教えを請うている…。それが酷く 異様な光景に思えて…。
「じゃあこっちのは?」
「……む、これは」
とメルキオールが目の前の一本の花を見て眉を動かした瞬間。
「え?何か物音が…」
「何かいるよ!タルコット!」
「何?他の生徒じゃないのか?」
「ううん、違う!これ…この人!知らない人だ!」
「え?」
知らない人…?。そう聞いたタルコットとメルキオールは静かに立ち上がり、生徒達の指差す方を目を凝らしてみる。鬱蒼と生えた茂み その奥が微かに揺れて。
「う…うう、た 助けて…」
「わっ!?なんだこの人!」
現れたのは赤面し冷や汗をかいた女の人だ。赤い顔をして地面を這うようにして茂みを割って現れた女性に思わず揃って駆け寄ると。
「どうしたんですか!」
「ど 毒…」
「毒?…毒にやられたんですか!?」
タルコットは倒れた女性に駆け寄り心配するようにその体を確認する。毒にやられたならば直ぐになんとかしないといけない…そう慌てるタルコットを他所に考えるのはメルキオールだ。
(毒?毒ってどこから?。この森には毒草はないし毒キノコもない。毒を持った危険な虫や魔獣がいるとも聞いてないし…どうやったら毒を浴びるんだ)
「おいメルキオール!」
「え?あ?」
「ど どうしたらいい!お前色々勉強してきてるんだろ!何をしたらいい!」
咄嗟にタルコットは頼る。メルキオールの知識を、自分にはその知識がないことを理解しており 唯一解決法を知っているであろうメルキオールを頼ったのだ。
「そんなの決まってるだろ!大人を呼んで…」
と、アマルト先生達がいた方を見ると…。
「え?」
振り向けば霧が立ち込めていた、気がつけばそこには誰も居なかった…。さっきまでそこに居たはずなのに。いやそもそもなんだこの霧…雨も降ってないのになんで霧が…。
「メルキオール!」
「くっ…」
大人がいない、なんとかするには大人の手を借りるのが一番手っ取り早く安全なのに。女性の体躯的に運び出すのも難しい…容体次第ではそれが負荷にもなり得る。
ここで、僕達がなんとかしないといけないのか…。
「た…助けて」
「ッ…!」
あ、助けないと。僕が助けないと。
この人が誰で、なんでここにいて、どうして毒なんか食らったのか。そんなもの今はどうでもいい…どうでもいいんだ。無辜の民が助けを求めているならそれを助けるのが、王様だから。
「ッタルコット!女性の体を確認して!何処かに異変がないかの確認を!」
「分かった!」
咄嗟に上着を脱いで女性に駆け寄り衣服を確認する。衣服に傷はない なら魔獣による毒ではない、なら恐らく毒虫か毒草による症状の可能性が高くであるならば露出している手足に…。
「わっ!太ももが赤く腫れ上がってる!」
「やっぱり、…多分露出のある服で森を歩いたから、茂みを歩いた拍子に毒虫に刺されたんだ」
女性は冷や汗をかいて顔を赤くしている、患部が腫れてるなら炎症してる…と思う、ならまだ間に合うかな。
「ね ねぇ、君は医者じゃないんだろう」
「ああ?」
状態の確認をしている最中に弱気そうな生徒が僕の方を揺する。医者じゃない?見りゃ分かるだろ!。
「そうだけど!?」
「ならやめようよ!変なことして悪くしちゃったら怖いよ!」
「何言って…」
「そうだよ!今からこの人運んで病院に連れて行こうよ!」
「そうだ!先生のところに行って…」
何言ってるんだこいつら…手を出さなくていい?手を出さなくていいならそれが一番だがそうも言ってられないだろ。
「この霧でどっちに行けば外に出られるか分かるならそうしよう」
「うっ」
「この霧で先生を見つけられたとして、またここに戻ってられる保証があり それまでにこの人に保証があるなら放置しよう」
「っ…でも君は医者じゃないんだろう!!、王様だって!昨日言ってたじゃん!」
「それにまだ子供だよ!大人じゃないんだよ!」
「そうだよ、王だよ…僕は」
そうだ、僕は王だ。医者じゃないし何かしらの技能を持つ大人でもない。子供だ…まだ何者でもない子供だ。だけど…だけど!。
「そうだよ!医者じゃない!王様だ!。王なんだよ僕は!助けを求める民がいるなら手を差し伸べるのが僕の仕事だ!誰であろうと助ける!なんであろうとも助ける!それが僕に課せられた使命なんだよ!」
「っ…メルキオール君」
「無理でも無茶でもやらなきゃ助けられないんだ!これでもし彼女に何かあったら…僕が責任を持って一生の懺悔を行う。だから黙っててくれ」
これ以上時間を無駄にできない。直ぐにでも出来ることを施して少しでも症状を和らげないと…。
でも何が出来る。何が…。
「メルキオールッ!」
「っ、タルコット…?」
「俺に出来る事は!何かあるか!。お前が王なら…一人じゃなんもできねぇだろ!助けがいるだろ!」
「…………でも」
「言えよ!助けがいるって!俺が…俺たちがお前の力になるから!」
「…………」
力になるから…か。そうか、そういうことか。王とは 王族とは…、助けてくれる人がいるから王たり得るんだったな。何を一人で威張ってたんだろうか、僕は…。
「分かった、助けてくれタルコット。僕はこの人を助けたい。他のみんなも!…いいかな」
「ああ、従うよ。今のお前になら任せられる」
「う…うん!僕も!」
「私も!」
次々名乗り出てくれる声は、何も出来ない子供の発した意味のない言葉だったのかもしれない。だけど…だけど僕にはそれが、何にも代え難い程に頼もしい鬨の声に聞こえた。
やれる、やれそうだ…今ならなんでも!。
「なら君はみんなの荷物を確認して水筒を出してくれ!清潔な水が欲しい!。そっちの君はなるべく大きな葉を見つけてきてくれ!そっちの君はなるべく大声で先生を呼んで!」
「分かった!」
「俺は!メルキオール!」
「タルコット。君は解毒草を取ってきてくれ、さっきそこにあった…君なら見分けられるはずだ。頼むよ」
「おう!任せろ!」
みんな僕の意見に従って動いてくれる。あのタルコットも僕に従ってくれる。それは僕が王様だからか?…。
少し前までは、僕が王様だから周りのみんなは従うべきだと思っていた。少し前までは僕の命令で動く人間を見てただただ愉快だとしか思ってなかった。
けど今は違う。あるのはただ一つ『重圧』だけだ。みんな僕を信じて僕に任せてくれているから僕に従うんだ。僕が任せるにたる人間だと信じてくれているから従ってくれるんだ。それは当然ではなくありがたいことなのだ。
同時に苦しい。人から信頼され従わせるという事のプレッシャーとはこれほどなのか。たった数人従わせるだけでこんなに重たいのに…世界の王は国丸ごと背負って仕事をしているのか。なんて凄まじい仕事なんだ…王様とは。
「…負けられるか!」
でももう引けない、逃げられない。僕はみんなに信じられているんだ!なら…出来る事以上のことをやらなくては!。民に顔向けができない!。
そう覚悟を決め上着を引き裂き即興の包帯を作り上げる。
「水筒あったよ!メルキオール君!」
「ありがとう!これで傷口を洗える!」
「こっちも!でっかい葉っぱ!でも何に使うの?」
「ガーゼ代わりに使うんだ!悪いが残りの水を使ってその葉も丹念に洗っておいてくれ!」
「メルキオール!これだろ!解毒草!」
「ああそうだタルコット!流石!」
次々と持って来られる物品を確かに受け取り、それを間違いなく使うことを心に誓う。
あとはこれを使って僕が処置するだけ。でも既に毒に侵された状態の彼女を救うだけの代物はここにはない。だから大人がここに到着して病院に行くまで生きていられるだけの応急処置を施すことになる。
まず患部を水で洗い、清潔にした葉にタルコットが持ってきた解毒草を丹念にすり潰して塗りつける。これで応急処置用のガーゼの出来上がりだ。解毒作用が傷口から沁みれば多少の痛み止めにはなるだろう。
「おお、手際がいいな…やったことあるのか?」
「初めてだから想像で補ってる部分も多いよ」
「それでこれなら大したもんだと思うぜ、流石だなメルキオール」
「褒めるのは全部が終わってからにしてくれ…」
解毒草をすり潰したガーゼを患部に押し当てて、そのまま包帯を巻けば…。
ん?、あれ?。
「ん?どうした?メルキオール」
動きを止めた僕に、タルコットの不思議そうな声が投げかけられる。…別にやり方が分からなくて止まったわけではない。僕が止まったのは…違和感からだ。
こうして患部を触って初めて気がついたけど、こんなにも赤く腫れ上がって炎症してるのに。…全く熱感がない、熱を帯びてない。至って普通だ…というかこの人冷や汗を拭った後から全く汗をかいてない。
なんだ、これどういう毒だ?いやそもそも毒なのか?。っていうか…この女の人何処かで見たことある気が。
「ええい!なんでもいい!」
考えるのは後だ、今は一刻を争うんだ!。思考を放棄し瞬く間に包帯を巻いてガーゼを固定し…これで応急処置は完了だ。
とはいえこれは飽くまで応急処置…ここから先は流石にプロに任せないといけない。だから早く先生に来てもらって…。
そうメルキオールが次の段階に思考を移した次の瞬間だった。
「ぅ…うう…、……あ!治った!」
「へ?」
さっきまで毒に苦しんでいた女性が急にパッと表情を明るくするなり腫れ上がった足で立ち上がり、呆気を取られたメルキオールを前に深々とお辞儀をして。
「いやぁおかげで助かりました、あなたのお陰で私は毒で命を落とさずに済みました、心優しき貴方達のおかげです。ありがとうございます」
「い いや、それは応急処置で別に治したわけでは…」
「全て貴方達のおかげです!貴方達に出会えて幸運でしたー!それではー!」
「ちょ!ちょっと待って!」
と、制止の言葉を無視して女性はさっきまで倒れていたとは思えないほどの健脚で森を疾駆し茂みの奥に消えていく。なんだったんだ…あの人。
「どういう事…?」
「治したのか?メルキオール」
「いや、そんなはずは…」
「あ!見て!メルキオール君!霧が晴れていくよ!」
「え!?そんな都合よく!?」
女性が立ち去った瞬間、あれほど重くのしかかっていた霧がサッ!と幕を引くように消えていき、奥からアマルト先生達が駆けてきて。
「いやー。メルキオール。タルコット。探したぜー」
…なんかすげー棒読みでなんか言ってる。
「急に霧が出てきてさーお前達の姿が見えなくなってさーすげー慌ててさー何もなくてよかったぜー」
「……先生?」
目まぐるしく変わる状況に何やら意図的なものを感じてしまう。なんか随分都合が良くないか?。もしかして…僕はめられた?。
よくよく思い出してみればさっき倒れてた人昨日のクリストキントの舞台で見た気がするぞ?それにさっきの霧もネレイドの幻惑によく似ている気が…。
そう勘繰る僕とは異なり、他の生徒達は先生に出会えた幸運と女性を助けられた安堵から泣き出して先生に抱きついて甘えている。お前らそれでいいのか…。
「ど どうした?メルキオール」
「……なんか釈然としない」
「いやそんなことはないだろ!お前は一人の女の命を救って…」
「まだ何も言ってないのになんでここで女性が死にかけてたことを知ってるの?」
「あ…いやぁそれは…勘かな、歴戦の教師としての勘」
「教師になって半年って言ってなかった?」
「………………」
なるほど、そういうことか…余計なことを。上手いことはめられた自分が情けないよ…あんな必死になって…。
「メルキオール」
「ん?どうしたの?タルコット」
「いや、よかったなって」
僕の肩を叩いて真相を知ってか知らずか立派だったぜと笑ってくれるタルコットの顔を見て、なんとなくハッとする。
いやいいじゃないか…死にそうな女性はいなかったってことは喜ぶべきことだ。
何より…、こうしてタルコットは僕を認めてくれて、僕は彼らを認める気になれた。威張るだけが王様じゃないと知ることが出来た。
なら、例えそれがまやかしでもいい。こうして手元に残ったものが確かなら、それで。
「そうだね、タルコット…。その 昨日は悪かったよ」
「いや俺もお前のことよく知らないで意地悪言ってごめんな。…出来たら聞かせてくれないか?お前の故郷の話」
「そうだね、僕も君の身の丈話を聞きたいよ…。王としてじゃなくて 学友としてさ」
「へへっ、任せろ」
ニッと笑う彼と同じ目線で目が合う。…それは今まで王になるためお城で勉強してきた何よりも実感の得られる経験だった。
王とは見下ろすものではなく見下すものでもなく。こうして視座を共にする誰かと一緒に何かを引っ張っていくものなのだと、そしてそれを成し遂げるには…王一人では何も出来ないということを。よく理解できた。
いい授業だったよ。アマルト先生…ありがとう、本当に。
…………………………………………………………
「せんせー!じゃあねー!」
「ああ!今日はゆっくり休めよー」
そうして、波乱の外実習を終えて学園に戻ってきたアマルトは夕暮れの中去っていく生徒達の背中に手を振る。今日もみんな仲良く寮に帰っていく。
その中には、タルコットと語り合うメルキオールの姿もある。ようやく気兼ねなく寮に通えるようになったようだ。例の小芝居が上手くいったのか?よく分からないが…全ては計画通りってことにしておこう。
…そう、計画通りだった。メルキオールが今日経験した全ては悪いことだけど俺がお膳立てしたことだ。
急遽日程をずらして奴らを森に連れ出し、そこで孤立させ問題を解決させる。忙しいフリをして徐にメルキオール達から離れ ネレイドもまた俺の言う通りメルキオールから離れ、完全に子供達だけの状態を作り出しネレイドの幻惑で遮断する。この為だけに魔力覚醒もしてもらったんだ。
そこに投入するのはナリアの書いた台本通り動くクリストキントの役者だ。水をかぶって冷や汗を演出し 特殊なメイクだかなんだかで足を腫れあがらせ、毒にやられたと演技をする…。
メルキオールが家で学んだ多数の学問の中には、植物学と医学があった。
あの森に解毒草が自生しているのは確認済みだし周りに大人がいないとなればあいつはきっと目の前の人間を助けようとする。王とはそう言うもんだとイオを見て知っていたからな。
…メルキオールにはちゃんと下地があった。民の為と思える王の心と無闇に山積させた知識群という実力が、それは例え闇雲に積み上げられた知識だとしてもキチンとメルキオールの中に残っている…いざとなればそれを使って危機を乗り越えてくれると信じていたんだ。
そうして作り出した危機をメルキオールが知識を使って乗り越えると言う状況は、ある意味困難を前にして民を導く王の構図にも似たる。
王が一番輝くのは危機を前にして民を先導する時だ…それがメルキオールにとっての『水』なんだ。
水を得たメルキオールの姿はきっと生意気なだけの男ではない事をタルコット達に教えてくれただろう。そうすれば タルコット達もきっと認めてくれる。あの子達だって意地悪なだけの子じゃないんだからな。
にしても…。
「はぁ〜、即興の計画だったけど上手くいってよかった〜」
正直上手くいく保証はなく、どっかしらに開いた穴からメルキオールがあれが芝居であることに気がつく可能性もあった。もしかしたら関係が悪化する可能性もあった。だから結果的にこうして上手くいったのは…。
「何が上手くいったですか!アマルトさん!あんな下手くそな演技しといて!」
「ゲェッ!?ナリア!?いたのか!?」
「見てましたよ!ずっと!、何ですかあの棒読み演技!ああ言う三流芝居を僕の国ではハムサンドって呼ぶんですよ!」
ヌルリと無人の校舎から現れ激怒するのは我らが監督のサトゥルナリア先生だ。今回の小芝居の脚本を担当された方なのだが…。
どうやら俺の芝居が余程気に食わなかったらしい。というか俺の猿芝居のせいでバレた可能性さえあったのだから当然か。
「いつもならもっと芝居上手いじゃないですか、平気な顔で嘘とかつけますし」
「褒められてんのかなそれは…。でもそれとこれとは違うの!生徒を前に嘘をついて隠し事しようと思うと…こう、変に上がっちゃってさ!」
「意外ですね…。でもまぁ結果的に上手くいきましたが…、いいんですか?」
「何が」
「いえ、アマルトさんはメルキオール君に学園に馴染んで欲しかったんですよね。でも今回の一件で評価を改めてくれたのはタルコット君と側にいた数人だけ、他の子達は切り離されていたから相変わらずメルキオール君への当たりは厳しいままですよ?それとも全員分やるんですか?」
「やらねぇよ、これで十分さ。例え他の全ての生徒から拒絶されてても 受け入れてくれる奴が四、五人いれば案外やっていけるもんだぜ」
本当の意味で受け入れてくれる人が四、五人もいる。それは本当に素晴らしい事なんだ。或いは全員から好かれるよりも素晴らしい事かもしないと俺は思う。
タルコットは真面目でしっかりしたやつだ。メルキオールがどんな奴か知れば無碍にはしないだろう。メルキオールも今回の一件でしっかり学べただろうから昨日みたいな事にはなるまい。
あの二人なら上手くやっていける。それはそう確信しているよ。
「よかったなぁ…メルキオールが居場所を見つけられて」
「そうですねぇアマルトさん」
「ええ、全く持って…素晴らしかったですよ。アマルト君…流石は私の娘が認めたお人。あなたに任せて正解でした」
「……いきなり出てくるのやめてもらえません?」
ナリアと一緒にさぁ、しみじみ成功を噛み締めてたのにさぁ。フッと気を抜いたらいきなり俺の隣にリゲル様が現れるんだもん、毎度の事ながらびっくりするよ。
「うふふ、ごめんなさい。でもどうしても感謝を述べたくて…、あなたのお陰でメルキオールという少年が救われたのですから」
「…………」
「貴方の教育の下でなら、彼は立派な人間になれるでしょう」
「立派…かぁ、あのリゲル様?メルキオールの件が落ち着いたのでそろそろ聞いてもいいですか?」
「はい?何でしょう」
もうこの一件はこれでおしまい。きっとこの件について分かりない部分を聞けるのは今が最後だ。ならちょうどいいから聞いておくとしようか…。
「なんで、リゲル様はここに来たんですか?」
「なんでとは、ネレイドの様子を見に来たと言ったはずです…なんて、言い訳は通じそうにありませんね」
「はい、貴方はネレイドの様子を見に来たと言いながら何度も俺の手助けをしてくれた…メルキオールを助ける為の助力をね。だからもしかして本当はメルキオールの方を助けに来たんじゃないかな〜と思った次第ですが如何に?」
「正解ですよ、なんなら彼がここに入学するように裏から手を回したのも私です。貴方ならメルキオール君を正しく導いてくれると信じてましたから」
「やっぱりか…、でもなんでなんですか?。メルキオールは聖王の一族ですよね?一応テシュタル教とは反目し合う関係のはず。そんなメルキオールが立派に育って力でも持ったらテシュタル教側であるリゲル様には損しかないはずですけど」
「ええ、損得で見れば多分損です。ですがそんな事はどうでもいい…と割り切れるほど小さな損でしかありません。だって聖王だテシュタルだと区切っても結局はどちらもオライオンの民…私からすればみんな我が子同然ですから」
まぁ…そりゃそっか。リゲル様は立場上教皇でありテシュタル教のトップで、それから権力を奪おうとする聖王はある意味敵かもしれない。
だがそれでも聖王の存在が今の今まで許されているのは リゲル様が聖王をオライオンの一部としてみているからだ。
リゲル様は教皇である前に、オライオンを建国し一から育て上げた偉人。なればこそその慈愛はテシュタルのみならずオライオン人全てに注がれていて然るべきだった。
「それにね、メルキオール君を見ていたら…彼の生い立ちがどうしても被るのですよ」
「被る?誰に?」
「羅睺十悪星の一人…皇天トミテに」
「トミテ?」
って…誰だっけ。いやいや思い出せよ俺、羅睺十悪星と言えば三年前の戦いで出てきたヤベェ連中じゃないか。その中の皇天ってぇと。
「ああ、あの玉座に乗ったガキ!」
「ま まぁあれを形容するならその言葉が最適なのでしょうが…、彼の恐ろしさを知る私からしたらちょっとびっくりな言葉ですね…、これも彼の威光が世から消え オフュークスの恐怖が消えた証拠か」
なんかやたらめったら偉そうな態度を取っていたという空飛ぶ玉座に乗ったガキンチョだ。
ただガキはガキだがその実力は大幅に衰えた状態にありながら将軍二人を相手に戦って見せるほどだったという。
羅睺の中でも別格と称されるウルキ ナヴァグラハに並ぶ存在の一人、それが皇天トミテ・ナハシュ・オフュークス…だがなぜその名前が今出てくるんだ。そう問いかけるような視線を受けリゲル様はフッと空を見て笑い。
「彼はどうしようもない外道です、恐らくシリウスの次に多くの人を殺したのは彼でしょう。ともすれば無邪気とも取れる暴虐の数々により人は苦しみ毎日のように数千人単位で死にました」
「うげぇ、あいつそんなにえげつないのかよ…」
「ええ、えげつないです。ですが同時に…同情もできる、と私は思えるのです」
ないだろ、同情の余地なんか。だって世界を滅ぼす寸前まで持っていったシリウスの次に人を殺してるなんて並大抵の話じゃない、それこそ人の命をなんとも思ってなけりゃ出来ない所業…それに同情なんて。
「彼は、幼い頃から皇帝として育てられてきました。当時最大の領地と兵力を持っていたオフュークスを束ねるに足る男に育て上げる為生まれ落ちると共に元老院にその身柄を拘束され …一切の自由を許されることなく育て上げられたのが彼です」
「一切の自由もなく…、まさかそれがその国の伝統…とか言わないっすよね」
なんて聞いたら、リゲル様は困ったように笑う。どうやらその通りのようだ、何千年経っても人ってのは愚かだね。こんなのに八千年も付き合ってた魔女様達の懐の深さに敬服するよ。
「そうして幼いながらに玉座に就いた彼の言い分は『皇帝になれば国を自由にして良いと言われたから自由にする』でした。
その虐殺も殺戮も暴虐も破壊も彼にとっては元老院から解放された自由の発露でしかなかった…、誰も彼に倫理を与えなかったのです」
「数学が出来ても歴史を知っていても、道徳が無けりゃ意味がないとはまさにこの事っすね」
「ええ、…もし誰かが彼に優しく道を教え、その手を取って導いていたなら、トミテという男は外道にはならず真っ当に生きる事が出来たと思うと…私は悲しいのです」
「……だから、メルキオールを?」
「ええ、ディアデ・ムエルトスは教育に熱心ですが…メルキオールに与えるべきものを与えていなかった。このままでは彼はトミテのような人間に育ってしまう、またあんな悲しい子供が生まれるのは避けたかったのです」
「……つまり、メルキオールがあのまま育ってたらトミテのようなヤベェ奴になってたってことですかい?」
「飽くまで彼にトミテ級の魔力と才能とオフュークスレベルの大国を意のままに操れるカリスマがあったら…の話です。まぁ残念ではありますが彼は大人になってもオライオンの王にはなれないでしょう…それでも、あなたのお陰で真っ当な人間には育てるはずですよ」
飽くまで人格面がトミテに似てるってだけか、まぁそれでも人の生き死にをなんとも思わない人間になるよかマシか。
ってかここまでやっておきながらオライオンの政権を渡すつもりはないんだな…。
将来、メルキオールがどういう風に生きることになるかは分からない。テシュタル教を相手にオライオンの政権を巡って力尽きるまで走り続けるか、或いは使命を捨てて自由に生きるか…。
どちらかは分からない、だが今のメルキオールは少なくとも『どちらか』を選べるようになった。あいつに選択肢を与えられたと思えば…まぁ、よかったと考えるべきか。
「結局…最後まで僕の前に現れてくれませんでしたね、リゲル様。嫌われてるんでしょうか…、アマルトさん ちょっと聞いてみてください」
「ふふふ、別に嫌ってませんよ。と伝えてください」
「俺越しで会話するをじゃねえよ!!」
こうして、俺とメルキオールを巡る事件はひと段落ついて、俺はまた…元の教師生活に戻っていく。
と、この時はまだ思えていた…。すぐ近くに忍び寄る白刃に気がつかぬまま。