教伝その1.教え導く者の懊悩
燦々と照りつける太陽、ペンキをぶちまけたみたいな青空、雲を流す薫風の心地よき事。全てが素晴らしい朝に校門の前に立ち尽くし、今日も明日へ踏み出す若人を出迎える。
ここはコルスコルピ、学術国家の名の通り幾多の蔵書と世界一の学園を有するこの国は当然教育にも他一倍熱心である。そんな国の学園にて…。
「アマルトせんせー、おはよー」
「おーう、おはようさん」
小さな体でトテトテと鞄を抱えて登校する生徒達を一人一人出迎えて行く。眠そうな子 真面目な子 友達と話していて俺に挨拶しない子、みんな揃って校門をくぐって真新しい木組みの校舎へと向かっていく。
「あ!アマルトせんせー!」
「おはようさん、今日も元気だな」
「アマルトせんせー、おはようございます」
「お、丁寧だな。おはようございます」
子供達一人一人に合わせて 校門の前に立つ青年は手を挙げるだけの簡素な挨拶をしたり深々とお辞儀をしたりと忙しなく動いて回る。
彼こそがこの新設された学校の先生にして代表…。
「アマルトせんせー!」
「はいはい、おはよう」
アマルト・アリスタルコスである。
そう、俺だ。あのディオスクロア大学園の理事長を代々務めてきたって言う古臭い家系の一人息子で将来的に理事長を務めることを約束された人生勝ち組の俺は今 ヴィスペルティリオの一角にあるこの小さな学校で学園長をやっている。
ディオスクロア大学園が資金難の末縮小したのかといえば決してそんな事はない。第一ここはディオスクロア大学園じゃないしな。なら俺が勘当されて継承権を失ったかといえばそれも違う。
そもそもここで受け入れている生徒はみんな五歳とか六歳のちびっ子でディオスクロア大学園で受け入れている生徒達よりも何倍も小さい子達ばかり…、そんな子たちに俺は今勉強を教えている。
全ての始まりはそう…今から一年前の事だった。
シリウスとの戦いを終えた俺はコルスコルピに戻り、欠席していた分の勉強を鬼のような補習地獄で賄い 平穏無事な学園生活を送ることが出来たんだ。そして一年前にあの学園で学べる全てを学び終えて主席で卒業…、学園生徒と言う肩書きを取り上げられ野に放たれることになった俺にクソ親父から一つ話が舞い込んできた。
『君さ、学園卒業したわけだけども。まだ理事長を継ぐ気にはならないのかな』
相変わらずの無表情で責めるように口にする親父に、俺は昔みたいに突っかかったりすることなく穏やかに首を縦に振った。まだ学園を継ぐ気は無いと…。
いや昔みたいに『滅びろクソ学園!』って言ってるわけじゃ無い、ただ今の俺にはこの学園を導いていけるだけの力はないと自覚していたからだ。そもそもこないだまで生徒だった奴がその学園の学園長になるってどうよ。
『だけど代々学園を卒業したアリスタルコスの人間は、そのまま学園長になるのが伝統だ』
また出たよ伝統。だが事実アリスタルコスの人間はその生涯を学園に縛られて生きていく。目の前の親父だって学園卒業後は理事長の席に座って今日まで学園を守り続けてきた。だから俺もそうすべきと考えるのは 親父にとってそれが普通だったからだ。
だが俺は普通の理事長になるつもりはない。アリスタルコスの伝統なんかクソ食らえ的なスタンスは捨てたつもりはないし従うつもりもない。
だから立派に生徒を導ける人間になるまで 各地を旅して孤児院で子供達に勉強を教えて過ごそうと思う…ってな事を親父に伝えると。
親父は…。
『そう言えば、以前リリアーナ筆頭教授からそんな意見があったな。ディオスクロア大学園にも小等部を作ってはどうか…とね』
俺は思わず聞き返したね、小等部?ってな感じで。いや小等部が何かは分かるぜ?流石に。だがディオスクロア大学園にそんな物今の今まで一度として存在したことはなかった。
ディオスクロア大学園ってのは代々十歳から二十歳までの人間しか入学出来ない。それ以上はダメ…なら当然それ以下もダメ。理屈は知らん、学園創設以来そうだったからって理由しか今は残ってない。
しかし小等部となるとそれ以下、つまり十歳以下の子供を受け入れる施設を作る…と言うことになる。
『その時は伝統を崩すわけにはいかないと断ったが、君が孤児院で勉強を教えるって言うのなら…やってみるかい?小等部』
また聞き返したよ、さっきよりもでかい声で。だってあの親父が…伝統至上主義の親父が伝統にない小等部の設立に乗り気だったんだから。
一体どう言う風の吹きまわしだよと聞いたら。
『いや、君が力不足を感じるならそれを補う必要がある。私としても早く君に理事長を継いで貰いたいし ここに小等部を作ってしまったほうが手っ取り早く経験を積めるだろう』
机上の勉学は実地の経験に劣る。そう語る親父の姿を俺は初めて尊敬出来る年長者として敬ってしまった。確かに孤児院で勉強を教えるよりも実際の学園を運営した方が得られるものは大きいな…と。
とくればその話は願ったり叶ったりだ、是非ともやらせて欲しいと頷くと。
『だが条件がある。私はあくまで小等部設立には反対だ、そこは変わらない。だから伝統を破るなら君が勝手にやりなさい、一から十まで全部君の力と君の責任で。そして何事もなく受け入れた生徒を卒業させることが出来たら…その学園を正式にディオスクロア大学園の一部として認めることとする、というのはどうかな』
そう語る親父から提出された条件は一つ『今回の小等部設立にアリスタルコスは一切の手を貸さない』。校舎の建設も生徒集めも全部自分でやれと言うのだ、つまり丸投げだな。
むしろありがたかった。下手に介入されるよりよっぽどやり易かった、一から校舎を作る?ンなもん俺には楽勝だ。
親父から話を受けた後俺が急いで向かったのは…イオの所だ。アリスタルコスが力を貸してくれなくても俺には力を貸してくれる頼もしい友人がいるんだ。しかも国王のな?。
イオに小等部の件を話したら喜んで引き受けてくれた、そしてイオから話が流れてメルクリウスの耳にも届き…そこからは簡単だった。
メルクリウスは俺に莫大な資金と職人組合へのコネを与えてくれた。お陰で軽い校舎の一つくらいならチョチョイのチョイだった。オマケにイオが国中の孤児院に掛け合い 学びたいと言う子供達をみんな集めてくれたんた上に土地まで用意してくれた。
場所はヴィスペルティリオの中心地。ディオスクロア大学園の側に併設されるように打ち立てられた木製二階建ての校舎と生徒が暮らす寮がものの数ヶ月で完成、孤児院から募った子供達は下が六歳上が九歳の総勢五十名程が集まった。
オマケにメルクやデティ達が気を利かせて教師まで用意してくれたんだ。
デティは元宮廷魔術師の爺さんを語学兼魔術学の教師として、メルクはとある地方豪商の三男坊を算術兼歴史の教師として、ヘレナさんはエトワールで高名な劇作家を美術の生徒として、ラグナは元教官のオヤジを剣術指南役としてそれぞれ寄越してくれた。
お陰で俺は何もすることなく半年で学校を一つ構えることが出来たのだ。やっぱ持つべきものは友達よな!。
そんなこんなで俺は親父から小等部を任された。その名も『ディオスクロア小学園』、六歳から十歳までを受け入れ、小学園卒業後はそのまま大学園へ移行できるシステムも作り…俺はその学園と理事長として仕事をすることになった。
「せんせー!」
「アマルトせんせー!」
「今日も語学教えてー!」
「遊んでよー」
「はいはい、授業が終わってからな」
小学園の学園長をやって今日で半年。やってみた感想としてはやはり得るものが大きいと言うことだろう。ってか普通に大変だ、始める前は盤石の姿勢だとも思ってたのにいざ始めてみると穴だらけ。
メルク達が寄越してくれた教師も人に教えた経験があるわけじゃないから悪戦苦闘。こいつらが慣れるまでは一応俺が全ての授業を受け持ち それそれを副教師に置くことで授業を進め、子供達が解く問題も自分で用意して 必要な経費の計算もして 資金繰りに頭悩ませて…。
オマケに子供ったっても一人の人間である生徒達の面倒を見るのは非常に大変だ。みんながみんないい子なわけじゃない、中には生意気な奴やいじめっ子気質の奴もいるし 何より多感な時期だ…扱いも難しい。対応を間違えてしまったこともある。
毎日が忙しく、毎日が神経をギリギリのギリまですり減らす毎日だった。正直思ってたのよりの大変だ。
けど…けど。
「じゃあせんせー!また後でねー!」
「えへへ、今日は何教えもらえるんだろう」
「おれ!将来商人になる!」
「私は騎士ー!」
「…おう」
けど、やっぱり楽しい。子供達の笑顔と日々成長する姿を見るのはとても楽しい、疲れなんか吹き飛ぶくらい楽しいんだ。やっぱり俺の夢は間違いじゃなかった…諦めなくてよかったと思えるくらいこの仕事は充実していた。
夢を叶えるってのはこんなに楽しいことなんだぜ?。この子達にもその楽しさを分けてやりたいくらいだ、…だから将来 なりたいものになれる位の事を教えてやらないとな。
「よーし!んじゃあ開校だ!。全員教室に行って教科書の準備しろよー!」
生徒全員が寮から出てきたのを確認して校門を閉じる、さて!今日も楽しい授業の始まりだ!。
………………………………………………
「うーし、全員席に着いたな?」
「はーい!」
小学園内部の教室の一つ。そこに手狭ながらに机を並べ 今俺の前には総勢二十五名の生徒が着席している。これが全校生徒の半数だ、もう半分は外で剣術指南の先生が見てくれている…最近じゃあの人も慣れてきて俺なしでも授業が出来るようになってきてるからな。末は全員が全員別々の授業を担当できるようになれば 俺も少しは楽になるんだが…それはいい。
最初の授業は数学だ、この年頃の子供は大人よりも学習能力が高い。今の時期にどれだけ勉強出来るかが重要なんだ、一日一時も無駄には使えない。
だが、その前に
「さて、まず最初の授業だが。昨日言ったとおりその前に一つみんなに重要な報告がある」
そして…危うく忘れそうになったが今日は大事な報告がある日なんだ。事前に昨日言っていたこともあり生徒達はややソワソワしたように体を揺らす。
なんだろうなんだろうってな。いいねぇ重要な報告があるって言われてワクワク出来るのは。俺だったらまたどんな面倒ごとが舞い込むのかとちょっと緊張しちまうってのに。
「おほん、今日は諸事情により入学が遅れていた子が中途編入してくるんだ」
「……?」
「分かりやすく言えば新しい子が入ってくる。みんなに新しい仲間が出来るんだ」
「おー!」
そう、今日は編入生が入ってくる日だ。ちょっと色々あって入学が遅れた子が今日からこの学校に入ってくる、それもこの子達みたいに孤児じゃなく他国から純粋にこの学園に学びに来た初めての子だ。
これから先 この学園が有名になり他国から入学生を募った時のいいモデルケースになる思い受け入れたんだが。
よかった、子供達の受けは上々だ。これで子供達が拒否反応を起こしたらちょっと編入受け入れを考えてたところだった。
「ねぇせんせー!その子どんな子!?」
「男!?女!?」
「何歳!?」
「強い!?」
「まぁまぁ落ち着けよ、今から入ってくるんだ 自分で確認しておくれ?。んじゃ入って来てくれメルキオール!」
そんな俺の呼び声に答えるように、教室の扉を乱雑に開けて その子は入ってくる。
ピシャリ!と叩きつけるような音、ドスドスと地面を叩くような音。まるで獣が自分を大きく見せるかのような動きと態度。それは態とらしく足を大きく広げ 肩肘を張り 金の髪を揺らしながらむすっとした顔で俺の所までやってくる。
その一連の動きを見ていた生徒達は思わずぽかんと口を開ける…一応、俺も。
「メルキオールだ、愚民ども」
とんだ挨拶をかますこの子の名前はメルキオール・ディアデ・ムエルトス。金の髪と翡翠の目 見目麗しい童顔と小柄な体躯に反した図々しい態度と物言いは場を静けさせるには十分だった。
この子が…俺の受け入れた生徒、メルキオール君…なんだが、話に聞いていた感じよりもこう…偉そうだな。
「言っておくけれど僕は君達よりも偉い、ずっとずーっと偉い、なんせ僕は魔女大国オライオンの王族!聖王の跡取りなんだからね!」
メルキオール・ディアデ・ムエルトスはオライオンに於ける王族…聖王の家系の嫡男で年齢を六歳。
聖王っていやあれだ、オライオンで殆ど実権を持たない居ないも同然の例の王族だ。テシュタル教が国を覆っているせいで王族は形だけの物となり、現状彼らが持つ特権は一つとしてない…って言うあの聖王だ。
俺が聞いた話はそこから更にメルキオールは実家の方で王族らしく読み書き算術などの高等教育を受けているって言う事。当然受けた教育の中には礼儀作法もあるはずなのに…。
「言ってみれば僕はこの国の王様であるイオ国王と同格、なのでイオ国王に接するように僕に接すること。でなきゃ罰金だからな!」
なーんでこんな偉そうなんだ。少なくともオライオンのこいつにコルスコルピの子供達を罰する権限はない。と言うか聖王には自国民を罰する権限さえない…のに。どうなってんだ?もっと謙虚なもんだと思ってたのに。
「ふんっ、おい教師!」
「え?あ、俺?」
「そうだよグズ!僕の席は?見たところ特等席は無いようだけど?まさか忘れたの?グズだねほんと」
す すんげぇ言い草。グズってよぉ…っていうか。
「いや、ウチはそう言う特別扱いとか、誰か一人に別の対応とかをしてたりはしないんだが」
「嘘だ!聞いたよ!この学園にはノーブルズがあるんだろ!学園側はノーブルズを特別に扱いそして相応の権限も与えるとね。オライオンの王族たる僕がノーブルズに相応しくないわけないだろ!」
ノーブルズって…また懐かしい名前を、ってかいつの話してんだよ。ノーブルズはとっくに解体されてもう存在しない。今の学園を管理してるのは生徒の選挙により選ばれた生徒会だ。悪い王様をぶっ倒して民主制をとってんのよ今の学園は。
「その、メルキオール君?ウチにはノーブルズ制度は無いんだ。ここではみんなが平等で…」
「平等!?僕が!?嫌だ!!なんとかしろよー!!グズー!!!」
いきなり教室のど真ん中でジタバタと足を地面に叩きつけ駄々をこね始めるメルキオールに思わず困惑してしまう。ヤベェ…対応間違えたか?ここまで荒れる子だとは…。
というか、なんでこんなに偉そうなんだ?嫌な意味ではなく。オライオンで全く権限を持たないはずのディアデ・ムエルトスの人間がどうしてここまで偉ぶれるのか、俺は此の期に及んで全く関係ないことに思考を割いてしまった。
そしてその隙をつくように事態は進行する。
「お前!いい加減にしろよ!」
「ああ?」
「あ!おい!タルコット!」
机を叩いて立ち上がるのはウチのガキ大将タルコット君。
やや怒りっぽく溢れる元気がよく無い方向に向いたりすることもあるものの、孤児院時代からみんなの良きリーダーとして年少の子の面倒を見たりこの学園に来たのも商人になってお世話になった孤児院を支えるためだったりと、結構優しい子なんだが…。
どうやら、その正義感と優しさが今は裏目に出ているようだ。
「お前何様だよ!」
「聖王様だよ!」
「アマルトせんせーの事バカにしやがって!ワガママ言うなよ!」
「なんだとォッ!」
「ちょっ、ちょっとちょっと?喧嘩はやめようや、な?」
啀み合う二人の間に割って入ろうとするが。メルキオールもタルコットも俺のことなんか眼中に入らないのか 徐々に距離は詰まりギリギリと歯軋りしながら威嚇し合う。
おいおい転入初日からこれかよ、いや…もっとメルキオールの事を事前に調べておく必要があったか?いきなり顔合わせは早かったか?。くそっ、こう言う時どうすりゃいいんだ…まるで分からねぇ。
「お前いきなり現れて偉そうなんだよ!」
「偉そうなのはどっちだ!僕は聖王なんだぞ!」
「知らねぇよ!聞いたこともないね!聖王なんて!」
「それはお前が物を知らないだけだろ!。オライオンの支配者といえば僕で…」
「違うよ!オライオンの統治者は教皇様だろ!」
「なっ!?」
すると今度は別の子から声が上がる。メルキオールを排するのはこの教室の総意であるとばかりに生徒達は次々とメルキオールを睨みつけ。
「せんせーが言ってたもん!オライオンの統治者はテシュタル教の教皇様だって!」
「アド・アストラの偉い人達の集まりにも教皇様が出てるって言ってたよ!」
「聖王なんて名前授業のどこにも出てこなかった!、何がオライオンの王様だよ!この嘘つき!」
「は…はぁ!?」
「嘘つき!嘘つき!」
「この嘘つきー!」
「お…おいお前らやめろって!これから一緒にやってく仲じゃないか!もっと穏便に…」
やばい、これはやばい。教室中の嘘つきコールが鳴り止まない、メルキオールを責め立ててやまない。この構図はやばい…こんなの小さな子供が食らって平気な顔なんかしてられない。泣いてしまう…これは。
事実メルキオールは嘘つきコールを食らってワナワナと肩を揺らして…、張り裂けるような声を上げる。
「この愚民共!僕に逆らった事後悔させてやる!」
やや目に涙を溜めながらもメルキオールは気丈に振る舞う。泣かないのか…意外と強い子なのかな、いやこの場合はプライドが邪魔して泣くに泣けないってところか。
なんて冷静に分析している間にメルキオールはゆっくりと手を掲げて。
「僕の連れてきた従順な部下…護衛にお前らをボコボコにしてもらうことにする!もう泣いても遅いからな!」
「ご 護衛!?」
そいつは聞いてないぞ。護衛まで連れてきてるなんて…って連れてきてるよなそりゃ。
メルキオールは言う、自分の連れてきた従順な部下にこの教室の子供達をボコボコにしてもらうと。もしその言葉が本当ならば俺は子供達を守る為に戦わないといけない…危ないからマルンの短剣は置いてきているが、その程度で戦えなくなるくらい柔な鍛え方はしちゃいない。
「おーい!僕がいじめられてるぞ!来い!僕を守れ!」
そんな彼の言葉に従いマジで教室の外からドタドタと足音が聞こえてくる。その重厚な足音が近づくに連れて小さい子達はキュッと身を寄せ合い タルコットは震えながらも強く拳を握り…俺はそんな子達の前に立つ。
マジでやるのか、マジでやるならお前…俺容赦できないぜ?。そう目をを細めた瞬間、その護衛が教室の扉を開けて 中に頭を突っ込んでくる。
「虐められてる?」
「ああ!こいつらが僕を嘘つき呼ばわりしていじめてくるんだ!分からせてやれ!」
「…………」
入ってきたのはオライオン人特有の巨体と筋骨隆々の姿を晒す戦士だ。一度はオライオン軍とやり合った俺だから分かる…今入ってきた戦士はその中でも特上の物だと。なんせその体はデカイにも程があるんだ。
天井に頭をぶつけやや猫背になる程の巨体と威圧感を前に生徒達は怯えて怪物を見るよな瞳で喉を鳴らし、俺はあまりの威圧に身震いする…というか、トラウマが蘇る。
なんせ俺ぁこいつに一回負けてるんだぜ?しかも一発でさ。まぁでもその後和解して結構いい奴だってわかってからはそんなこともないんだが…って!。
「ネレイド!?!?」
「あれ、アマルト…?」
「あ?知り合い?」
ってネレイドじゃねぇか!?夢見の魔女の弟子でありオライオン最強の神将…そして俺のダチで三年前一緒に世界を救ったあのネレイド・イストミアがキョトンとした顔でこちらを見て。
……なんでこいつがここに。
…………………………………………………………
「久しぶり、アマルト」
「お前なんでそんなほんわかしてられるんだよ…」
あれから取り敢えず騒ぎを落ち着かせる為に子供達とメルキオールは隔離、ネレイドに言ってメルキオールを落ち着かせてもらい、一旦時間を置くことにしてから数時間。
午前中の授業を終えて昼の大休みの時間に入ってから俺は改めてネレイドと挨拶を行うことにした。生徒達は今外の運動場でわいきゃい言いながら遊んでおり本来ならこの時間に俺は午後の授業の準備をしておきたいんだが…。
そうもいかない、事の顛末とメルキオールの事を聞かなくてはおちおち授業も出来やしない。故にこの空き教室でネレイドと俺との二人きりで机を挟んで対面してる。メルキオールは…一応運動場にいるらしい。
「三年ぶりかな…、アマルトって今先生やってるんだ」
「まぁな、忙しいけど充実してるよ」
ネレイドとはかれこれ三年ぶりの再会になる。というかシリウスとの戦いを終えてからは他の魔女の弟子とも会えていない、メルク達もこの学園の援助はしてくれたが飽くまで手紙越し…向こうは向こうで忙しいみたいだしな。
俺は教師として忙しいのと同じようにみんな忙しいんだ。当然ネレイドも神将として忙しくやってる…と思ったんだが。
「でよ、なんでお前聖王のお付きの部下なんかやってんだよ。お前はテシュタル教所属の戦士で王族とは関わりがないだろ?」
ネレイドが所属するテシュタル神聖軍は名前の通りテシュタル教お抱えの軍隊。テシュタル教は王家とは独立した組織であるが故に国軍には入らない、ならばネレイドには聖王に従う義理はなく 命令を聞かなきゃいけない理由もない。だってネレイドは王家の配下じゃないからな。
「神将やめたのか?」
「そんな事は無いよ…?、私は今でも闘神将ネレイド…けど、色々あった」
「その色々を聞きたいんだよ、気になるし」
「いいけど…長くなるよ?」
「いいさ、お前が王家の命令を聞いて動いているって違和感を感じながら、悶々としたまま今日の晩に布団に入るよりはましだ」
「そっか、なら…言おうかな」
するとネレイドはやや言いづらそうに指をモジモジし始めて…。
「今、テシュタル教の教皇が不在なのは知ってる?」
「ん?ああ、リゲル様が教皇の座を降りたんだろ?」
三年前の戦いをキッカケに、魔女様達はみんなその地位から降りる事を決めた。アルクトゥルス様はアルクカース軍の大元帥を引退しスピカ様もアジメクの統治者を降りた。
今も相変わらず権力者の地位に立ってるのはカノープス様くらいなもんだな。え?ウチのお師匠さん?あいつは元々王国の御意見番みたいに気ままにやってたからあんまり変わりは無いよ。
まぁそれは良しとしてだ、例にも漏れずリゲル様は教皇の座を降りたのだ。教皇やめました…で済む話ならここで終わりだが、そうはならない。
「それで直ぐに次期教皇を決める話し合いが始まったんだよ」
「え?、話し合いなんかしたのか?」
俺は思わず呟いてしまう。だって話し合うまでもなく次期教皇なんか誰がやるか決まってんだろ。
「お前だろ?次期教皇」
夢見の魔女の弟子で義理とはいえその娘たるネレイドが第一候補に挙がるのは当然だろう。ネレイドなら知名度も威厳もバッチリ、敬虔な信徒だし頼りにもなる…最適だと思ったんだが。ネレイドの顔はみるみるうちに苦くなり。
「やりたくない」
「は?」
「教皇やりたくない」
「やりたくないって…お前、まさかそう言ったのか?そう言って断ったのか?教皇就任の話」
コクコクと頷くネレイドに思わずため息が出る。やりたくないってお前…、いや別にいいよ?王族と違って世襲制じゃないから。だけどもだよ?だけどもだけどもだよ?。
「お母さんも私を二代目教皇に選んでくれた」
「おう、だろうな」
「ベンちゃんやトリトンやローデ…カルステンおじさんも私を推薦してくれた」
「満場一致じゃねぇか」
「でもやりたくないって断った」
「俺も推薦するぞ?やれよ教皇」
「やだ、やりたくない」
頬を膨らませてプイッとそっぽを向くネレイドの姿に、ため息を吐くリゲル様やベンテシキュメ達の姿と心労が垣間見える。
ネレイドは従順なようでいてその実頑固だ…途方もなく頑固だ。自分が納得出来るまで死んでも道を変えない奴だ…それが頼りになる事も裏目にでる事もあるがな。
「それでどうしたんだよ、教皇は…まさか教皇不在だから今オライオンの統治権は聖王が握ってるなんて言わないよな?」
「ううん、どの道聖王一派にはテシュタルに指導者が居なくなっても国を統べるだけの力はないから…、それに今はゲオルグおじさんが教皇代理として国の統治とオライオン代表として六王円卓会議に参加してくれてる」
「ゲオルグおじさんってお前、あの人もう結構な高齢だろ?あんまり無理させてやるなよ」
「…………」
またそっぽ向きやがった、よほど教皇はやりたくないらしい。
「でも、ゲオルグおじさんに教皇代理を引き受けてもらう時…交換条件を出されたの」
「交換条件?」
「うん、ゲオルグおじさんが昔お世話になった聖王様のご子息が今度留学するから、一時的で良いから護衛として面倒を見て欲しいって」
「なるほど、そういうことか…」
確かゲオルグさんは元聖王派の人間。今はもう縁は切ってるとは言っても昔の知り合いが助けを求めてきたら受けざるを得ないだろう。で…ネレイドは体良く面倒ごとを押し付けられたのだろう。
聖王の部下になり外国に飛ばされてでも教皇を受けたくないって…そこまでするほどかよ。
「それでお前はここに、あの子の面倒を見てんだな」
「うん、でもまさか留学先の学校がアマルトの学校とは知らなかった…。ただ有名な学校とだけ聞いてたんだけど」
「有名?そんな事は…」
有名なわけあるか。なんせここは半年前に開校して…いや、まさか。
「そうなの?、でも聖王様はここを数多くの国王が卒業した名学園だって言ってたよ?ラグナ大王やメルクリウス首長が学んだ学園で勉強すれば他の魔女大国の王達と同じ威厳を手に入れられるって」
「やっぱり…間違えてやがるな。ラグナ達が卒業したのはディオスクロア『大』学園だ、ここはディオスクロア『小』学園。管轄は一緒だが別物だぜ…」
「そうなんだ、違うんだ」
ハッと口を開けるネレイドに合点がいく。なるほどな だからメルキオールはノーブルズ云々を口にしたのか。聖王達はここディオスクロア大学園だと思って入学させたんだ。
とは言っても、ディオスクロア大学園に入学出来るのは十歳から…あの子はどう見ても六歳かそこら、どの道入学出来ねぇよ。
「そっか、違うんだ…みんなが学んだ学園を私も見れるって…ワクワクしてたのにな」
「え?なんで」
「私もみんなと学園生活送りたかった」
「そりゃ…嬉しいけどよ」
想像してしまう。あの時 俺達が学園に在籍していた頃ネレイドがいた時のifを。
多分ネレイドはラグナ達と意気投合するよな?ってなったらノーブルズと敵対する。あの時点で別格の強さを持つであろうネレイドがラグナ達と組んで俺達に戦いを挑んでいたら…おっかねぇ。
「……ねぇアマルト」
「ん?なんだ?」
「聖王一派はまだオライオンで政権を取るのを諦めてない。だからメルキオールをこの学園に入学させて立派な王として教育するつもりでいる。ラグナ達と同じ箔がつけばオライオン国内での情勢が変わると心の底から信じてる」
「そうか?変わらない気はするけどな…」
いくらディオスクロア大学園で学びラグナ達と同じ箔を手に入れても、テシュタル数千年の歴史には勝てないだろうとは思うが。と伝えるとネレイドも同じ気持ちらしい。
「うん、言っちゃ悪いけど聖王達はオライオンの支配者になれない…けどそんな事実あの人達には関係ないんだ。数百年前からずっと…テシュタルから政権を奪う為だけに生きてきた彼らにはね」
「…………」
「メルキオール君もその聖王家の思惑に翻弄されて生きてきたの。あの子はあの歳になるまで一度として外界に出る事もなく 遮断された部屋の中で『オライオンの支配者は聖王である』っていう教育を受け続けて生きてきた。ただ聖王が頂点に立つためだけに」
「そいつは…また」
なんだか聞き覚えのある話だな。親と家の意向に従って詰め込まれるように勉強をして…か。どこにでも居るもんだね、そう言う親と子ってのはさ。
「だからさ、アマルト…せめてあの子を立派な聖王に育て上げてくれないかな」
「は!?お前がそれ言うの!?聖王が力をつけたら困るのはお前だろ!?」
「うん、困る。けどそれ以上に一時的とは言え面倒を見るって約束しちゃったから…だからそこには責任を持ちたい。私も手伝うから」
「お前ってやつは…つぐつぐあれだなぁ。損な性格というか 優しいというか」
「私が損するだけならいいかなって」
「はぁ…分かったよ、俺も教師だ。預かった子供を途中で投げ出すような真似はしないさ」
なんて決意を改めたような口ぶりで言ってみるが、そもそも最初からメルキオールを見捨てる選択肢はない。学ぶ気があり学園の門を叩いたならそれはもう俺の生徒だ、俺は俺の生徒を見捨てるような真似は絶対にしない。
「ありがとうアマルト」
「良いってことよ、と請け負ってみたが…。実際難しいことに変わりはないな、授業を受けさせるにしても他の生徒とああも折り合いが悪くちゃあな」
「そうだね…、メルキオール君は他の生徒に嫌われてるから」
「……問題はそこじゃない気がするがな」
小さく呟き窓の外を見る。確かにメルキオールとうちの生徒の折り合いが悪いはメルキオールの第一印象が悪くて嫌われたから…ってのもあるが、そこはまぁ別にどうとでもなるから問題じゃない。
問題とすべきはもっと根本的なところだ、そこをなんとかしないと授業もままならない。
「まずは俺自身がメルキオールと打ち解けるところからだな。ここに心許せる人間を一人作らない限りメルキオールにとってここはアウェーになる。そんな場所じゃあ勉学にも励めないからな」
「そっか、メルキオールと仲良くなるんだね…で?どうするの」
「どうするのってそりゃお前…どうすんだろうな」
そこに関してはノープランだ。どうやったらあの意地っ張りと仲良くなれんだ?分かんね〜。
なんて即興で打ち立てた目標に頭を抱えていると…。
「おい!ネレイド!ネレイド!おーい!」
「ん、呼んでる」
ドタドタと走りながら運動場に居たはずのメルキオールが校舎の中を走り回ってこちらに向かってくる。しかしオライオンの神将様を呼び捨てとは…。
「どうしたの、メルキオール君」
「外のガキ共!無礼にも程があるから全員踏み潰して来てよ!」
「えー…それはちょっと可哀想だよ…、何があったの?」
「あいつら!よりにもよって僕に不敬な口を聞いたんだ!僕に…僕に向かって…運動音痴って…」
「運動音痴…?」
コテンと首を傾げるネレイドと俺は告白するようなメルキオールの言葉に耳を傾ける。
「アイツ…タルコットが僕をサッカーに誘ってきたんだ」
「おお…」
タルコットの奴、アイツの方から歩み寄ったのか。多分運動場の隅で一人でいるメルキオールを不憫に思って誘ったんだろう。サッカーは今のうちの学校のマストだからな、それに。
「オライオン人だから上手いだろ…ってさ」
「ああ、そっか…」
とネレイドは沈痛な表情を見せる。オライオンはスポーツ大国 大人から子供までみんな何かしらのスポーツを得意としている国…ってのが俺も含め他国の新しいイメージだ。実際アジメクの新たな中央都市にて行われているスポーツリーグではいつもオライオンチームが決勝争いをしてるしな。
ただ、そこで引っかかるのが先程の『運動音痴』だ。オライオン人はみんなスポーツが上手いと…俺も含めて全員が思い込んでいた。けど…。
「み 民衆の遊びに付き合ってやったってのに!アイツら…僕に向かって下手くそだって言ったんだ!。…サッカーなんて初めてやるのに」
「サッカーやったことないのか?」
「無いよ!あんな野蛮なの!」
怒鳴られた、ないのか。意外だな…なんて思っているとネレイドがこっそり耳元に顔を寄せ小声で。
「アマルト…、メルキオールは小さい頃から王様になる為の教育だけを受けて来たの、その中には…スポーツはないんだよ」
「ああ…なるほどね、確か聖王一派はテシュタル教ではないんだっけな」
聖王一派も一応形だけテシュタル教の体裁を振舞っているが一応対立する立場としてテシュタルの教えは守っていないと聞く。ならば『外で体を動かすべし』というオライオン人がスポーツ大好きになる源流たる教えも守る必要がないんだ。
ならば、聖王一派たる彼はオライオン人でありながらスポーツはやらないのか。まぁそんな事情タルコット達には分からないよなぁ、どんだけ言ってもあの子達は子供だ…揶揄うつもりがなくてもつい口を割る言葉は時として他人を傷つけることもある。
今回みたいな最悪た形でな。
「もう我慢ならない!アイツら何とかしてよネレイド!僕の部下なんだろ!」
「そうだけど、子供に手を上げるような事はしたくないなぁ…、それにテシュタル様の教えにもあるよ?『恐怖と嫌悪は無知の友、理解と共感は貴方の友となるだろう』って…」
「テシュタルの教えなんかどうでもいいだろ!馬鹿馬鹿しい!」
メルキオールが地面を一つ強く踏んでネレイドを怒鳴り飛ばす…が、だめだぜそりゃ。
「……馬鹿馬鹿しい?何が?」
「ヒッ…!」
ネレイドは温厚な性格だ、殴られても貶されても怒らないしむしろ相手のフォローをする。
だがそれでも彼女はテシュタルの敬虔な信徒だ。テシュタルを守る為に神敵と命をかけて戦う姿を目の前で見せられた俺たちは知っている。
テシュタルを馬鹿にされた彼女がどんな顔をするかを…。
「ネレイド!落ち着け!メルキオールが怯えてる!」
「あ…ごめん」
「ひ…ひぐ、うぅ…き 嫌いだ。みんな嫌いだ!」
空間が歪む程の威圧を見せるネレイド、それを咄嗟に止めるが…もう遅い。メルキオールはすっかりネレイドの威圧に腰を抜かして教室の隅っこに座り込んでしまった。
「う うわぁーん!お父様ー!お母様ー!怖いよー!帰りたいよー!もう学校なんて行きたくないよー!うへぇーん!!」
ギャン泣きだ。もうなんもかんも受け付けないって泣き方だこれは。まぁ…そうだよなぁ、だってメルキオールはまだ子供だ。
親の意向で他国に飛ばされて、近くにいるのは気心知れた相手ではない護衛だけ、そして現地の人間からはみんな拒絶されて…こんなの大人でも泣きたくもなる。
「なぁ、メルキオール?大丈夫だ、誰もお前を傷つけないから」
「寄るなよグズ教師!お前なんか知らない!」
「あ!ちょっ!!」
近づこうとするだけで近く置いてある本とかなんとかをポイポイこちらに投げつけ拒絶するメルキオールの勢いに近づけない。ダメか…。
「参ったな…どうすりゃいいんだ」
こういう時に、俺にもっと経験と知識があったらいいんだが…、もっとスムーズな形でメルキオールをみんなの中に受け入れさせてやれればよかったのに、自分の無力さと無経験さが情けない。
「…ああ、誰かにアドバイスが聞けりゃいいんだが…」
「うう、ごめんね…アマルト」
「いや、いいんだ…いいんだが」
参った、心底参ったぞ。これ以上変にちょっかいかけてメルキオールを刺激するよりも時間をおいて落ち着かせたほうがいいか?。
いやそれでメルキオールが落ち着けるならいいが…この調子じゃこの子は寮にも入れない。
そうなるともう…家に返すしか…ダメだ。それじゃあせっかく学びに来てくれたこの子の意思と覚悟が台無しになる。
俺は将来大学園の理事長になる為に頑張ってんだろ?なら目の前の子供一人見捨ててどうする…!。
どうにかしたい、そう思い腕を組んで考え込む。
「どうするべきか」
「どうしようか…」
「どうしましょうね…」
「ん、どうする…ん?」
ふと、俺の声に反応した人間が一人多いことに気がついて、振り向いてみる。するとそこには…俺の座っていたはずの席には別の人間が座っていて。
「あらあら、困ったわね…どうしたら良いのかしら」
「ん…ん〜?、なぁネレイド…そこに誰かいるように見えるんだけど?」
「え?…あ!?お母さん!?」
「あらあら」
お母さん…ネレイドのお母さん、つまりそこに座っているシスター服を着込んだ水色の髪をした女性は。
この世を統べる七人の魔女のうちの一人、オライオンを建国せしめた夢見の魔女…リゲル様だ。
「え!?ええ!?リゲル様!?、リゲル様も来てたのかよネレイド!先に言ってくれよ!」
「い いや知らない、知らないよ私、なんでいるのお母さん?」
「うふふ」
ワタワタと慌てる俺とバタバタとキョどるネレイドを尻目に微笑むリゲル様、いや…いやわっかんねぇ!?
え?ネレイドも知らないの?じゃあなんでいるんだよ!
「ネレイドが他国に行くって言うから、心配でついて来ちゃった。教皇やめて暇だし」
「暇だから…ついて来ちゃった…ってことですか」
「ええ、幻惑魔術を使えば誰にも見られないようにするのも楽なものよ」
「ってことはさっきからずっと側にいたってことっすね、了解」
「き 気がつかなかった。お母さんが来てるのに…気がつかなかった」
幻惑魔術の達人たるネレイドにさえ看破できない程の幻惑魔術でずっと俺たちのことを近くで見てたと…。
いやしかし、なんて言うか…違和感がすげぇ。だって俺の知ってるリゲル様はシリウスに操られて凶暴化してる時が最後だ、それが…こんな。平常時はこんな優しそうな感じの人なんだな。
「それより、苦戦してるみたいねネレイド、アマルトくん」
「え?、ああ…はい、自分の経験不足が嘆かわしいです」
見てたってことはさっきの一連のやりとりも俺たちの頭を悩ませる物も知っているらしく。リゲル様はやや困ったように眉を下げながら笑う。
「分かるわアマルトくん。私もこの子を育てる時苦労したもの」
「…恥ずかしい」
「だからこそ、アドバイスさせて?こういう時はその子の好きな物を探るの、嫌いな話をするより好きなことについて話をするほうが楽しいでしょう?楽しければきっと自然と心は開いていくわ」
「おお…なるほど」
なんで具体的なアドバイス。その上分かりやすく役にも立つ。これが夢見の魔女リゲル様…うちのお師匠様も見習って欲しいねぇ!
「ディアデ・ムエルトス家の子は昔から気難しい子ばかりなの、けど根っこはいい子だから、見捨てないであげて?」
「勿論です、任せてくださいリゲル様…よし」
リゲル様から貰ったアドバイスを胸に、もう一度メルキオールに向かい合う…。
「…あんた達誰と話してるの?」
「え?そこにいるリゲル様…」
「ダメよアマルトくん、彼には見えないし聞こえないようにしてるの…私が姿を見せたらもっと面倒になるでしょう?」
「たしかに…」
なんて気遣いが出来る人なんだ。うちの師匠にも…ってそれはもういいか、それより。
「なぁメルキオール、今日は学校に来たばかりだろ?だから授業を受けるよりも前にこの街の案内をしたいんだが。どっか行きたいところはあるか?」
努めて優しい声音を出しながら跪き彼の目線に合わせながら問いかけると。
「なんでお前と一緒に行かなきゃいけないんだよ」
ま まぁそうなんだけどさ、寂しいこと言うなよ。
「えーっと…あ!この街にはさ!すげぇ古い遺跡とかあるんだよ!どうだ?先生と見に行かないか?」
「そんなもん見て何が楽しいんだよ!」
「だよな、じゃあ…えっと、あ!今日剣術科の連中が街で御前試合を開くんだった。見に行くか?」
「行かない、興味ない」
「そっかぁ、じゃあ…あー、ヴィスペルティリオ大図書館…これはどうだ?、世界中の本がある図書館だ。どんな本もあそこにはあるし どこにも置いてない本でもあそこにはある、見に行くか?」
「……本?」
お!食いついた!ここかっ!!
「ああ!本だ!どんな本もあるぞ!。アルクカースの戦術書とかデルセクトの算術書…アジメクの薬学書にアガスティヤの近代文学、オライオンの聖典もあるしエトワールの…」
「エトワール…」
「エトワールの…どんな本もあるぞ?。今じゃ店にも置いてない奴もたくさんある、俺なら君を案内出来る…一緒に行かないかい?」
食いついて来た、本とエトワール…つまり美術方面に興味があるってことだな。
ヴィスペルティリオ大図書館ならお前!俺にとっちゃ庭みたいなもんだよ!すぐに案内出来るぜ!とアピールすると。
「いやだ、行きたくない」
ダメか…頑固だな。いやいや諦めるなよ俺。
「そ そっかぁ、いやぁにしてもエトワールの美術品はどれも素晴らしいよなぁ。俺も一回エトワールに行ったことがあるが、あそこはまさしく花の都って感じでさ。彫刻や絵画と言った形ある美術品から歌や演劇と言った表現に至るまで全てが美しく…」
「お前にエトワール演劇の良さが分かるのかよ…」
演劇か?演劇だな!それが好きなんだな!
「いやぁ悪い悪い、メルキオールは演劇に詳しいのか?先生も先生として色々なことを知っておきたいし、教えてくれるとありがたいなぁ」
「……演劇は、あれこれ言って知るよりも、一回観劇した方が良さが分かると思う」
「そっか、じゃあ先生も今日見に行ってみようかなぁ。ここらで一番いい演劇はどこで見れるんだろうか…メルキオールは分かるかな」
「……今、エトワールから歌劇団が出張して来てるから、それを見れば本場の良さが分かるんじゃない?知らないけど」
食いついてくる食いついてくる。しかし、この街に劇団が来てたのか…仕事で忙しくて全然知らなかったな。でもいいぞ?ここを突けば…。
「そっか、有名なのか じゃあ先生もそれを見てるよ」
「無理だよ、その劇団物凄く有名なんだよ、今からじゃ絶対にチケットも取れない…聖王である僕にも無理だったんだから」
「そ そうなのか?端っこの方とかも取れない感じ?」
「取れるわけないだろ!知らないのか!?、あのクリストキント劇団だぞ!世界一の劇団だ!満席に決まってる!」
「…クリスト…キント、それが見たい劇団の名前なのか?」
「そうだよ!世界一有名なのにそんなのも知らないなんて」
…すぅー…、ん?。クリストキントって聞いたことあるぞ?有名と言うより…もしかしてそれって。
とネレイドの方を見てみるとアイツもコクコクと頷いてる。だよな…だよな!クリストキントってあのクリストキントだよな!
ははーん、見えて来たぞ…光明が。
「じゃあ今から見に行くか?そのクリストキント劇団の公演をさ」
「え?、だから無理って…」
「先生なら、それなんとか出来るかもだぜ?」
「ほ…本当?」
「ああ、本当だとも」
何せその劇団は…………。
………………………………………………
「すごーーーーいっっ!!!」
ヴィスペルティリオの街の一角に作られた急拵えの劇場の中にて行われた公演。エトワール一の劇団と歌われるクリストキント劇団によって行われた『魔女大国カストリア横断ツアー』。
アド・アストラが魔女大国中に作ったポータルのお陰で移動も格段に楽になった為に実現したこの夢のツアーの締めを飾るヴィスペルティリオでの公演は大盛況の後幕を閉じた。
「本物のクリストキントだ!本物の歌劇『君に届ける 我が声と歌』だぁ〜!すごいぃーー!!」
熱心なクリストキントファンによって瞬く間に埋められたその席とは別の席…。
舞台に最も近い地点に急遽設けられた席に座る少年…メルキオールは幕が閉じ。他の客達がみんな帰った後も興奮しきりで腕をブンブン振り回しながら喜び尽くしていた。
「すごい劇だったなぁ、メルキオール」
「うんっ!クリストキントの演出面のこだわりは凄いって聞いてたけど噂に違わない高レベルな演出!劇場の裏に直に演奏団を置いて演技と寸分違わないタイミングで演奏してるから迫力も凄い!何より締めを飾る歌とダンスが…!…あ」
そこでようやくメルキオールは俺のニヤケ顔を見て口を塞ぎ、みるみるうちに赤面していく。
そうかそうか そんなに良かったか、いやぁ先生もメルキオールが満足してくれて嬉しいなぁ。
「お、おほん!…礼を言うよ、まさか本当に席を用意してもらえるなんて思わなかったよ。しかもこんな特等席で…。エトワールの芸術家は決して権力に靡かない、一体どうやって」
「この劇団には知り合いがいるのさ、俺とネレイドの知り合いがな」
「知り合い…?」
な?とネレイドに視線を向ければネレイドも気概よく答え…ってことはなく、普通にこいつもクリストキントの劇場に圧倒されて放心してやがる。
リゲル様も笑ってるばっかだし…ってかリゲル様はどこまでついてくるんだ。
なんて、一応同伴して来た夢見組に呆れていると、閉じた劇場の幕が勢いよく開かれ…。
「あ!本当にアマルトさんだ!ネレイドさんもいるー!」
「お、来たな?俺の知り合い」
そう、幕を開いたのは俺の友人にして今回の観劇の席を用意してほしいと言う無理を叶えてくれた俺の知り合い…いや。
「知り合いなんて水臭いじゃないですか!僕達友達でしょ!?」
「そうだったな、ナリア」
俺の友達…今やクリストキントの大スターとなったサトゥルナリア・ルシエンテスだ。
相変わらず可憐な笑顔と三年前よりちょっとだけ伸びた背丈と黒紫の髪を揺らし劇場から降りて来てこっちに駆け寄ってくる。
「わー!久し振りですねー!」
「本当にな、にしても悪いないきなり押し掛けて席を用意しろなんて無理言って」
「いいんですよう!アマルトさんは僕の恩人でもあるんですからー!」
「ナリア君…久し振り」
「ネレイドさんもお久しぶりですね、でもなんでコルスコルピに…ってあれ?」
「わ…わ…わぁ!」
俺達に向かってくるなり手を握ったり抱きついたりしてくるナリアは気がつく。俺の隣でヒクヒクと体を揺らしている少年…メルキオールの存在に。
「あの、この子は…」
「サッと説明すると、俺の生徒のメルキオールだ」
「生徒?」
「サトゥルナリアさんだぁっー!?!!」
ピョーンと席から飛び上がると同時にサトゥルナリアに駆け寄るメルキオールはそのまま目を輝かせて…。
「さ サトゥルナリアさん!僕!サトゥルナリアさんの大ファンなんです!世界一の役者にして大スターのサトゥルナリアさんに是非とも一度会いたいと思っててぇ!」
「わわ、そっか!ファンなんだね、ありがとー」
「今回の劇!もう最高でした!演技も踊りも歌も僕が今まで見た中で一番で!想像してたよりずっと綺麗で!なんかもう凄かったです!凄い…凄かったです!」
俺に見せていた敵意ムンムンの視線ではなく、もうキラッキラの笑顔でナリアの手を握って溢れてくる言葉はどれもこれも年相応の可愛らしいモンばっかりだ。
やっぱりリゲル様の言う通り いきなりよくわからない場所に連れてこられて勉強しろって方が難しかったんだ。
読み書きや算術を教えるよりも前に、学校が楽しい場所だって教えるのが先だったか、反省しないとな。
「今日会えて嬉しいです!ずっとずっとこの日を夢見て…あ!ごめんなさいいきなり手を握っちゃって…」
「ううん、大丈夫だよメルキオール君。僕達の劇をそこまで楽しんでくれるなんて幸せだなぁ」
「っ〜〜!、サトゥルナリアさんっ!僕!今日が一番幸せです!」
笑顔はひっくり返って涙になって、ナリアに握られた手を見つめながらボロボロと落涙するメルキオールはナリアに縋るように跪き。
「僕…運動も出来なくて、勉強ばっかりで外の事も知らなくて、本ばっかり読んできて…!そんな僕の救いが貴方達クリストキントだったんです」
「そうなの?」
「はいっ…、お父様が買って来てくれた沢山の本の中にあったこの本…『国渡りの少女』で…、これがクリストキント劇団名義で出版されてるって知って…」
「国渡りの少女?」
ふと、泣きながら告解するメルキオールが持っていたカバンから取り出したのは一冊のボロボロの本。出版名義は…クリストキント劇団、作者は…リーシャ・ドビュッシー?
なんだこの本…、クリストキントの歌劇にこんな名前の劇なんかあったか?。
「僕ッ!この本の大ファンでして!これを通じて演劇にハマって!いつか…いつかクリストキント劇団とこの本の作者さんに会ってみたくて!」
「この本…リーシャさんの…。メルキオール君はこの本の事好きなの?」
「はい!、現実の大国をモチーフにした国々を巡って!その先々で悪い奴を倒して旅をしていく…そんなあり方が、城から出られない僕からは…とっても眩しくて」
現実の大国をモチーフに各国の悪い奴を?なんかエリスの旅路みたいな話だな。まさかエリスがモデルとか言わないよな?
エリスがモデルならコルスコルピで成敗される悪者って…俺じゃね?。
「この本…帝国をモチーフにした国に行くところで終わってて、僕のいるオライオンにまで主人公は来てくれてなくて…、続編を出すって話も聞かなくて…だから。せめてこの主人公がオライオンでどんな冒険をするのかだけでも聞きたくて…、この本の作者さんは今クリストキントに居るんですか?、居たら…会いたくて」
「…………、残念だけどリーシャさんはもう…。もうクリストキントから退団しててね?今は故郷に帰ってゆっくり休んでるんだ」
「そう…でしたか」
ナリアの沈痛な顔つきと会いたかった人に会えず肩を落とすメルキオール…、なんとか会わせられるなら会わせてやりたいけど、ナリアの顔を見るに…無理そうだなこれは。
「でも、メルキオール君がこんなにこの本を大切しててくれてリーシャさんも嬉しいと思うな。ありがとうねメルキオール君」
「ッッ〜〜〜!サトゥルナリアさん!こちらこそ今日はありがとうございます!」
「うんうん、ところでアマルトさん。生徒ってどう言う事ですか?僕には何が何やら、なんでネレイドさんと一緒に?」
「まぁそのへんも含めてさ、積もる話もあるわけだし。この後暇か?ちょいとウチで飯も食ってかないか?」
「あ、はい!是非!この街に来る時からアマルトさんのところに行こうと思ってましたし、公演が終わったら暇ですし。お世話になります」
「よしっ!メルキオールも来るか?ウチに、ナリアと一緒に飯食ってくか?」
「いいの!?先生!」
「お?…おう!」
目を輝かせこちらを見るメルキオール…今確かに先生って。…少なくともグズ教師から出世は出来たみたいだな。
順調順調、このまま恙無い学園生活に誘導できりゃ万々歳だな。
………………………………………………
「よーし!じゃあ俺の家にレッツゴー!」
「アマルト…仕事はいいの?」
「いいんだよ、他の奴らに任せてある。たまには俺抜きでやってもらわないとな」
「アマルトさんの料理は絶品なんですよ?メルキオール君」
「本当?先生料理も上手いの?…何者?」
無人となった劇場の中で、一団となって歩くアマルト達。そんな人気のない空間の中…。
「あれが、今回のターゲットか…」
影に潜んで様子を伺う影が眼光を光らせる。闇に潜むにはあまりに向いていないメイド服で褐色肌を包む黒髪の女は、静かにナイフに手を当て…。
「必ずや。任務は達成しましょう…ハーシェルの影の名にかけて」
その殺意は、誰の目にも触れる事なく…静かに静かに、闇へと溶けていくのであった。




