外伝その1.三年後の魔女世界
世界はあの日、一変した。
三年前、全ての魔女大国が一堂に会して敵を迎え撃ち、勝利し、そして世界統一機構アド・アストラが生まれた日。今では『星勝祭』と呼ばれるようになったあの日から…世界はまるで色を変えた。
非魔女国家が魔女への依存を解決しようと水面下で動き大国との確執を深めたり。
魔女排斥組織を名乗る烏合の衆が増えて、マレウス・マレフィカルムが公然の物になりその規模を増したり。
たったの三年でその他諸々色々変わったけれど、やはりなんと言っても世界を一変させたのはアド・アストラの存在だろう。
『世界統一機構アド・アストラ』
七つの魔女大国がその全てを共有して生まれた超巨大組織。それは設立と同時に世界中に手を伸ばし始めた。当初は軍備の共有だけに終わる予定だったそれはメルクリウス・ヒュドラルギュルムの提案で技術や財力など凡ゆる分野での共有までも行われるようになったのだ。
それはつまり、魔女大国の豊富な資源 その全てをアド・アストラは扱えるという事を意味しており、そこに加盟するデルセクトが一躍世界中の資源をほぼ独占する形になったのだ。
アジメクのポーション、アルクカースの武具、コルスコルピの書籍、エトワールの芸術品、アガスティヤの最先端技術、オライオンの資源…そしてデルセクトの財力を手に入れたアド・アストラ商業部門であるマーキュリーズ・ギルドはその規模を拡大し物の一年で非魔女国家全ての商業の大部分を占領してみせた。
お陰で、魔女大国にも非魔女国家にも莫大な恩恵が齎されることになった。
「皆さーん、こちらマーキュリーズ・ギルド移動販売店にございまーす!、今日もたんまり色々持ってきましたよー」
とある非魔女国家の小さな村に、巨大な馬車を引く一団が現れ 見目麗しい看板娘が村人達に呼びかける。
すると…
「おお、マーキュリーズ・ギルドだ!ありがてぇ!」
「お野菜売ってくださるかしら!」
「こっちは酒をくれ!、エトワールの酒!今日も持ってきてるんだろ!」
次々と村人達が家から飛び出してきて、懐に持った麻袋から金を取り出し商人に集りに行く。
「はいはい、押さない押さない、物はたくさんありますからね?我々マーキュリーズ・ギルドは皆さんに潤いを与える為にここにいるのですから!」
マーキュリーズ・ギルドがこうして辺境の村まで物を運んで売りにきてくれるからこの村は飢えることがなくなった。寧ろ遥かに豊かになったとも言えるだろう。
酒はたくさん運んでくるし持ってくる食材は鮮度も質も良いものばかり、もう肉を取りに行く為に危険な森に入る必要もないし遥か遠方の街に買い物に行く必要もない。
それにマーキュリーズ・ギルドの恩恵はそれにも留まらない。
「なぁおい、うちで野菜が取れたんだ、これも買ってくれ」
「はいはい、ではこちらの野菜は…このくらいの値段になりますかね」
この村で取れた野菜や木材と言った物を買ってもくれるのだ、マーキュリーズ・ギルドの信条は『適正価格での取引』。それをトップであるメルクリウスが徹底してくれているお陰で昔の商人みたいにがめつくボッタくる事もないし村は金銭面でも非常に潤う。
その上村の若いのや商人を目指す者はマーキュリーズ・ギルドに勤めることもでき、今もマーキュリーズ・ギルドで働きながら村に仕送りをしてくれる子達も大勢いる。
それ以外にも移動販売店は他の街への郵便物の配達や村を守る用心棒や弁護士の雇用、果ては金さえ払えばポータルでの他国への移動も融通してくれるサービスの充実ぶり。
お陰でこの村のように寂れていくだけだった集落も、必要な物品がいつでも手に入り、かつ適正価格で取引してくれる商売相手が生まれ、今じゃすっかり活力を取り戻している。
マーキュリーズ・ギルド様々、メルクリウス様々というのが現状、いくら非魔女国家の王政が魔女大国からの依存脱却を目指しても、足元の村々がこうでは遅々として進まないのが現状だ。
「いやぁありがとう商人さん、あんた達のおかげで村は大助かりですよ」
「それは良かった、我らが総帥メルクリウス様の願いはこの世から貧困をなくすことですので」
「あんた達の活躍を見てうちの子も将来商人になるんだって意気込んじゃって」
「でしたらこちらに数学の教本がございます、コルスコルピでも教科書として使われている物なので質は良いものかと」
「それはいいな!是非売ってくれ!」
「はいはーい、でしたらこちらの値段は…」
今、世界の中心には世界統一機構アド・アストラが存在している。魔女では手の届かなかった果ての果てまで手を伸ばす超巨大組織の存在により世界は一段上のステージに登ったと言える。
全て全て世界統一機構のおかげだ、何もかもが潤い人類文明はより一層素晴らしい物になった。
……そう言えるのは、やはりその恩恵に預かった人間だけだ。その恩恵からあぶれた者はやはり魔女に反発した者達のように存在するのだ。
「このォッ!!!出て行け!この盗人どもめ!」
「ちょっ!?なんですかあなた!」
突如、家屋の扉が蹴破られ中から斧を持った男が目を血走らせ商人達に迫り寄るのだ。その唐突な出来事に商人も村人も驚き慄き身を竦ませる。その間にも斧を持った男は……。
「出て行けって言っているだろ!殺されたいのか!」
「な 何を言ってるんですか、私はただこの村で商売を…」
「それは!祖父の代から俺の家の役目だったんだよ!、お前らがいきなり現れたせいで俺は…俺は親父から預かった店を畳むことになっちまったんだよ!」
マーキュリーズ・ギルドは恩恵ばかり与えるわけではない。その圧倒的商業力と資源力で他の商業組織を軒並み駆逐しているのだ。
そりゃそうだ、村の一角でせせこましく商売してるだけの小商人よりも、世界を相手に商売しているマーキュリーズ・ギルドの方がよほど品質も良くその上安全だ。品揃えでも敵わないし誰もが店を閉めることになる。
今、この村で生きていくには金を得るしかない、そしてその金を得る相手はマーキュリーズ・ギルドだけだ。店なんか開けないし商売も出来ない。金を得る為にはマーキュリーズ・ギルドに売るための作物や家畜の世話をするしかない。
故に今この世界は徐々に二種類の人間に分けられつつある…。マーキュリーズ・ギルド達商売人とそれ以外の第一生産者…つまり畑を耕し木を刈る肉体労働者の二種類にだ。
それ程までに世界への影響力は強いのだ、アド・アストラこそが第二の魔女であると宣う者もいるくらいには…。
「いいからもう出てってくれ!」
「ひぃ!、ちょ!た 助けてくださーい!」
「今更助けを求めても無駄だ!、俺は本気…ぐべっ!?」
刹那、斧を振り回していた男が唐突に悲鳴を上げで吹き飛ぶ。商人の荷車から伸びてきた巨大な拳に殴り飛ばされ地面へと押し倒されたのだ。
「な 何すんだ…よ…ぉ…」
「そいつはウチらのセリフですぜお客さん、あんまりウチの商人を脅かさねぇでいただきてぇ」
「ひ…ひぃ」
現れたのは斧を持つ男の二倍もの体躯を持った大男。いや 彼はマーキュリーズ・ギルドの用心棒だ、それもアルクカースで元々傭兵をやっていた戦闘のプロ。それがマーキュリーズ・ギルドの荷車と商人を守っているのだ。
マーキュリーズ・ギルドはアド・アストラの下部組織、つまり全魔女大国の人材が集結しているアド・アストラから戦闘員を引っ張ってこれるのだ。
「ありがとうございますモンタナさん」
「いやぁいいさ、それよりそっちは商売頑張りな、魔獣や山賊は俺が倒すからよ」
「はい!」
アルクカースが用心棒を出し、デルセクトがそれを連れて商売をする、その戸棚にはアジメクのポーションやオライオンの食材とコルスコルピの書籍が並び、時にはエトワールの芸術品を王族に売りつけ、アガスティヤの転移ゲートを使って世界各地を巡る。
それが可能になるのがアド・アストラなのだ。こんなのを相手に勝ち目なんかあるわけないのだ。
「くそっ…くそぉ…」
そしてそんなアド・アストラとマーキュリーズ・ギルドの足元には無数の敗者が転がる。魔女大国から依存脱却を目指すもその生活の中枢にまで手を伸ばされ。剰え国内の資源や金銭をマーキュリーズ・ギルドはどんどん国外に持ち出している。おまけに国特有の商売は全て潰えているし魔女と戦おうとする者達の力は次々と削がれつつある。
それがアド・アストラの開く新たな世界、徹底した大国統治…従う者には絶大な恩恵を逆らう者は取り残される。究極の統治がそこにはあるのだ。
それこそが魔女から世界を受け取った弟子達が作り出した新たなる世界、新たなる時代、それがどのような方向に向かっていくかなんてのは…まだ誰にも分からない。
…………………………………………………………………………
天には白色の幕がかかり、四六時中曇天が覆う街 『ヘリカル』。
地理的には魔女大国が一角デルセクト国家同盟群とマレウスの間に位置するとある非魔女国家『ギアール』の一区画に過ぎないこの街は、数年前は煉瓦造りの家々が連なるだけの小さな小さな辺境の街に過ぎなかった。
されど、それももう過去の話…今この街は既にギアール王国の盟主たる王の手綱さえ引きちぎるほど強靭な力を持つに至っている。
何故か?、そんなもの簡単だ…。
金を持っているから、その一点に尽きる。
「おーい、こっちに持ってきてくれー」
「鉄材の搬入まだかよー!」
「ったく納期が押してるってのに、ほらほら急げよ!今日中に終わらせるんだ!」
ヘリカルは常に金属音の鳴り響く街だ。かつてのような煉瓦街の風光明媚な風情はなくなり、今は錆びた鉄と蒸気の湿気が支配する工場街へと変貌してしまったのだ。
たったの二年でこんな姿に変わっちまったんだからアド・アストラってのは恐ろしいねぇ。
「今日は早めに仕事終わらせないと行けないんだ、もっと早く手を動かせ手を」
この街に住む六割はこの街一つ覆う巨大工場群の従業員。そんな形に変わってしまったのは二年前のある日アド・アストラの『六王円卓議席』の一つメルクリウス・ヒュドラルギュルムがこの街を訪れ、寂れているこの街に『働き先を提供する』と宣言し…こうなった。
元より辺境ということもありこの国の国王からも殆ど助けがなく、それでいて金もなく働き先もなく食いつなぐのでやっとなこの街はそんなメルクリウスの提案を受け入れ、徐々にその影響力を強め、気がついたらこの街はマーキュリーズ・ギルドの命令により鉄の製造を行う製鉄街へと変えられたのだ。
まぁ、お陰でデルセクトの商人が次々と入ってきて物も増えたし金もがっぽがっぽ入って町全体もウハウハだし、何より働き先に困らないから住人も大喜び。挙げ句の果てには隣町からも職場を求めてやってくる人間も出る始末だ。
かくいう俺もその一人、以前はこれでも冒険者としてマレウスを巡っていたんだが…これがまぁ儲からない。俺が冒険者になったタイミングが悪かったのかマレウス内には殆ど魔獣がおらず仕事が激減しており、バカみたいな仕事をバカみたいに安い金額でいくつも掛け持ちしてようやく生活が出来るレベルなんだ。
最近じゃあ魔獣もマレウス国内に戻りつつあるがそれでも冒険者という職にバカバカしさを感じ、転職を考えていたところに転がり込んできたヘリカルという街が警備兵を求めてるって話を聞き急いで駆けつけ無事転職…。
マーキュリーズ・ギルドは俺が元冒険者と聞いて結構な待遇で警備兵として雇い入れてくれた、お陰で生活レベルはグンと向上。
昔は毎日五つか六つ程依頼を掛け持ちして手に入れてた月収を遥かに上回る量の給料が毎月安定して入る。オマケに休日もあるし寮もあるし休み時間もある、安定した生活というのを一度経験してしまうと冒険者なんて仕事がスゲーバカバカしく思えてしまう。
「ふぁあ…」
大きなあくびを一つ響かせながら水蒸気で濡れた石畳を歩き、警備兵用の制服のポケットに手を突っ込みながらヘリカルの街の大通りを行く。
こうして昼休憩にあくびする余裕だってある、警備兵たっても毎日何か仕事があるわけじゃない。なのに給料は同じなんだぜ?最高だよ。
「おう、随分暇そうだなー!」
「俺が暇そうな方がみんないいでしょう」
「へっ!違いないや」
近くの従業兵が俺に声をかける。それに答えるように首を振れば目元に俺の金の髪が触れ…って髪も伸びてきたな。次の休日にでも理髪店に向かうかな。
理髪店で髪を切れるなんて昔じゃあ贅沢だったのに、いい暮らしになったもんだ。
「おばちゃん、おばちゃーん」
「あら、今日も来てくれたのねお兄さん」
そうして辿り着くのは街の一角にある『メイティーサンド』の看板の下、俺のお気に入りのサンドイッチ屋さんだ。
このメイティーサンドもマーキュリーズ・ギルド傘下の店舗であり、元はコルスコルピに存在していた老舗がアド・アストラ設立と同時にギルドに参入しその恩恵により各国に支店を持ち、材料の製法や味付けも統一してどこでも本店の味が楽しめるのが人気なんだとか。
まぁ俺は人気だから通ってるわけじゃねぇけどな。
「いつものかい?」
「うん、チーズハムレタスサンドを二つ、いつもみたいにハニーマスタードも大目に加えてくれよ、後コーヒーもくれ」
少し焼いたパンに名前の通りチーズとハムとレタスを挟んだサンドイッチだ、これにハニーマスタードを足して食うと美味い、コーヒーにも合うし俺のお気に入りで…。
「でもごめんなさいね、実はハムとレタスがの在庫が無くてねぇ…」
「えっ!?、マジで!?」
「そうなのよぉ、貴方が食べに来るってわかってたから一つ分は用意してあるけどそれ以上はねぇ」
マジかよ…、いやでもおかしいな。この店はマーキュリーズ・ギルドの傘下の店、オマケにここは実質ギルド管轄の街。そんな店で在庫切れなんて初めてだ。
「なんかあったんすか?」
「実は昨日倉庫に犬か猫か入り込んだみたいで…、他の食材も荒らされちゃってね、今デルセクトに掛け合って急いで材料を用意してるから今日は一つで我慢してね?」
「あ…ああはい、分かりました」
別にいいんだけどさ…ツイてないなーこれは。
「昨日は他の店もやられたみたいだから、また見つけたら退治しておいねぇ」
「俺がですか!?」
「だって警備兵でしょう?」
「まぁ、そうっすけど」
「じゃあよろしくね?、ステュクス」
そう俺の名を…、ステュクスの名を店員のおばちゃんに呼ばれ、俺はぶっきらぼうに答える。
俺に何をしろってんだよ。
…………………………………………………………
ステュクス・ディスパテル 年齢は十六歳、経歴を元冒険者。
マレウス出身でありその剣術を使い各地で魔獣を倒した実績アリ。
若年ながらやや達観した部分があるものの、職務には忠実でありギルド支部からの評価は高い。
それが彼の大まかな評価であり、マーキュリーズ・ギルド ヘリカル支部に保管されている書類の内容だった。
「あー…むしゃむしゃ」
今現在は警備兵として務めており、今日で半年になる。真面目に仕事を続けてきた甲斐もあり近々昇進の話も早くに出ている期待の若手である。
「なんだよ犬猫って、ハムはわかるけどレタスとかチーズも食うのか?アイツら」
メルティーサンドから受け取ったサンドイッチを一つだけ受け取って、やや文句を垂れて湿気った通りを歩く。どれだけ文句を言っても昼休憩は有限であり無いものは無いのだから今日はこれで我慢するしか無い。
そんな彼が向かうのは製鉄街ヘリカルの中央広場、マーキュリーズ・ギルド傘下の服屋や日用品を取り扱う店に囲まれ小さな噴水の立つそんな広場に向かえば
「あ、来た来た!スティクスー!こっちこっちー!」
「今日もそれかい?、って…どうしたんだ随分落ち込んで」
「ああ聞いてくれよカリナ、ウォルター」
一人は青毛の少女、ステュクスと同年齢と見られる背丈と顔に走るそばかすが特徴の警備員。名をカリナ・テバット。
もう一人はやや顔に皺が刻まれた落ち着いた壮年の男。口元をやや隠す口髭を揺らしながらステュクス同様制服を着込みサンドイッチを口にする彼の名はウォルター・ドナティ。
二人ともスティクスと長い付き合いの…というか、冒険者時代からチームを組んでいた面々だ。こうして金銭的に苦しみ抜いた挙句チーム揃って転職しても一緒に休憩時間を共にしてるんだ。
「サンドイッチ買いに行ったら、犬猫に材料食われてて在庫がなかった」
「なにそれ、それで落ち込んでたわけ?アホらしっ!」
「まぁいいじゃないか、サンドイッチが一つ少なくなっただけで落ち込めるくらい、我々の生活は良くなっているということなのだから」
村一番の天才魔術師として調子に乗り堂々と冒険者協会に乗り込んだだけある図々しさでステュクスを笑うカリナと、冒険者歴三十年の年季を感じさせる落ち着きでそれを諌めるウォルター。
思い返せばこいつらとの付き合いもまた長い物だ。元々はその性格からチームを組めなかったカリナと都会に出てきて間もない俺を久々に冒険者に復帰したウォルターが拾ってくれた事で結成された急拵えのチームだったはずなのに。
あれよあれよという間に今も一緒にいるんだから人生分からないもんだな。
「はぁ、んで店主のおばさんに犬猫の退治頼まれたよ、半分冗談だろうけどな」
「へぇ、で?受けるの?」
「受けないよ、もう俺は冒険者じゃないんだから、ってかもう依頼に頭悩ませてあっちこっち奔走するのはごめんだよ…」
村を出て、取り敢えず腕っ節が活かせて…それで各地を回れる職となると冒険者が適任だっただけで、そもそもそんなに冒険者には思い入れもないし今更復帰しようとは思えない。
「なーんだ、久々に依頼出来るかと思ったのに」
「なんだよカリナ、お前冒険者に戻りたいのか?言っとくが付き合わないぜ俺は」
「私は別にどーでもいいわ、私は楽しく冒険がしたかっただけだし」
「まあ警備員としての仕事は悪いものではないし、カリナもステュクスも若いのだから、まだまだ好きにしたらいいと私は思うけれどね」
まぁ、確かに世間的に見れば若いだろうけど、冒険者なんて無茶な仕事したせいでもう子供らしくなんて生きられない。自分で金勘定して自分で依頼人とやりあって自分で生きていくためのスケジュールを立てるなんて旅をしてれば誰だって精神的に老け込むもんだ。
俺はもうこのヘリカルの街を終の住処にしてもいいとさえ思ってる、それくらいくたびれちまったんだよ。
「だが、いいのかい?スティクス、君には冒険者になった理由があった筈だ」
「……よく覚えてるなウォルター」
「まぁ、仲間の事情は覚えておくに越したことはないからね」
…そうだな、俺には冒険者になった理由がある、そしてそれは未だに達成されてない。
「確か、いなくなった君の師匠を探してる…だったか?」
「ああ、あの元アジメク騎士団の騎士団長とか言う…、そんな凄いのがマレウスの田舎にいたなんて信じられないけど」
「居たんだよ、少なくとも四年前までは」
そう、四年前まで俺が住んでいたソレイユ村には元アジメク騎士団の団長ヴェルト師匠が住んでいた。俺はその人に剣を教わってそのおかげで冒険者になってもそこそこやれたし今もこうして職にありつけている。
当時はなんとも思ってなかったけど、今なら分かるよ異常な話だってな。
だってあのアジメクの騎士団長様だぜ?、魔女大国の最高戦力クラスがその辺をほっつき歩いているとは到底思えない。それが元であってもだ…けど、そんなことはいいんだよ、俺にとってはあの人は唯一の師匠であり恩師なんだ。そこは変わらない。
けど四年前のある日 ヴェルト師匠は忽然と姿を消した。俺に何か言葉を残すこともなく一緒にいたトリンキュローさんも一緒に…。俺はそれを探すために冒険者になってマレウスを駆けずり回り…そして今に至る。
結局ヴェルト師匠の足取りも掴めなかったし、何も成果を得ることが出来ずただ漠然と諦めだけが胸を占めて。いつしか俺はあの人を探すのを諦めてしまっていた。
「アジメクの騎士団長でしょ?、アジメクに帰ったんじゃない?」
「ならそれを言ってから消えればよかっただろ?、それも無しなんだ…それに」
「それに?」
「昔師匠が言ってた、アジメクには帰れない、帰ったら魔女に殺されるって」
師匠は友愛の魔女スピカと結構な喧嘩をしたみたいんなんだ、それがどう言う理由でどんな喧嘩かは分からないが師匠は頑なにアジメクには帰ろうとしてなかった。ならアジメクに帰ったとは思えないしなぁ。
「魔女に喧嘩って…、それやばいんじゃないの?魔女って強いんでしょ?」
「ああ強いよ、昔とある魔女の弟子と喧嘩したことあるけど…そいつもヤバイくらい強かったから、魔女は少なく見積もってもそれ以上だ」
…昔、ソレイユ村を訪れた『アイツ』の事は、今もなお根強く記憶に残っている。動きも構えもその力も何もかもだ。当時の未熟だった俺には分からなかったが…ありゃああの歳では異常なレベルの強さだ。
今の俺がやっても昔のアイツにゃ敵わない。きっと今はもっと強くなってるだろうし、次顔合わせたら殺されるかな。
「えぇっ!?魔女の弟子とあんた喧嘩したの!?、バカなやつバカなやつとは思ってたけどそこまでバカだったのね!、誰とやったの?ラグナ大王?デティフローア導皇?、まさかメルクリウス首長なんて言わないわよね!今の雇い主よ!」
「うるせぇな、大丈夫だよ…そいつはそう言う権力を持つタイプの奴じゃないからな」
アイツは何かに所属してるって話は聞かない。風の噂じゃあれからも旅を続けてディオスクロア文明圏一周なんてとんでもないことやらかしてその上でさらに旅にも出たんだとか。
…凄いやつだよ、その弟がこんなロクデナシってのはちょっと信じられない話だけどな。
「そうなんだ…、でももう喧嘩売らないでよ?」
「わかってるよ、俺も命は惜しい」
「そんなに強いの?」
「俺が知ってるのはまだガキの頃だったけど、少なくとも今の俺とお前が束になっても瞬殺だろうな」
「魔術の天才である私より!?、なんでそんなのに喧嘩売ったのよ!」
「襲われたの!半ば無理矢理」
「こわぁ…」
またアイツと喧嘩?考えるだに恐ろしい。アイツはまだ十歳行ってるかどうかの歳でガチの目をしてた女だ、人を殺せる目をしていた女だ。今会ったら本当に殺される…マジで。
もし、何処かで再会しても他人のふりするか、或いは手荷物全部差し出して詫び入れるよ。それで見逃してくれるかはわからねぇけどな、恨まれてるくさいし。
「ともかく俺は師匠探しは諦めたの、あの人だって迷子の子供じゃねぇんだ。俺よりかはよっぽど真っ当に生きられんだろ」
「そう、ならいいわ」
そうカリナは言うなり食事に戻る。こいつのこう言うさっぱりしたところはやり易くて好きだ。
いつもなら俺もここらで一つ目を食べ終わった二つ目をゆっくりと食べにかかるのだが、残念…今日は一つしかないんだからしょうがない。
なので口を紛らわせるためにコーヒーを口に入れながら通りに目を向ける。相変わらずこの町は常に慌ただしく何かがうごいている、忙しそうに鉄材を運んでいる者たちや喧々囂々と言い合う者たち。
住人の六割が製鉄所の職員なだけある慌ただしさだ。
「ん……」
そんな中、この鉄と湿気の臭いが立ち込める街に似つかわしくない豪奢な荷車が目の前を横切っていくのが見える。なんだあれは…あんなの見るの初めてだな。
「なんだあれ」
「バカ!昨日グレイソン隊長が言ってたでしょ、明日来る来賓を出迎える為の用意よ。その為の品を方々から取り寄せたって話よ」
え?来賓?、ヤバいな全然覚えてない…。
いや待てよ?そう言えば昨日警備隊長がグダグダ回りくどい事を長々と話していたな。いつまでたっても本題に入らないから軽くトイレに行ってる間に終わってた話。もしかしてあれか。
「ごめん、昨日トイレ行ってて聞いてなかった」
「聞いてなかったなら後からでも聞きなさいよ」
仰る通りです、まさしくその通り。
「で?来賓って?」
「私もよく分からないわ、ウォルターお願い」
お前それでよく偉そうな口聞けたな…。まぁそもそも話聞いてなかった俺にはそもそも何かを言える顔を持ち合わせていないのだが。
カリナに問われたウォルターは静かにコーヒーを一つ含むと。
「今、ヘリカル製鉄所はデルセクト主導のとあるプロジェクトを進行している最中だっていうのは知ってるかい?」
「ああ、確か『ロストアーツプロジェクト』だろ」
ヘリカル製鉄所は本来社長の親父さんがやってる造船業の補佐の為作られた謂わば親からの貰い物みたいな会社なんだ。だから作っているのは基本的に船甲板とかパーツとかそういうのがメインだった。
だが俺がここに来る一年ほど前からヘリカル製鉄所はメインの造船業とは他にもう一つの開発を任されるようになった。
それこそが『ロストアーツプロジェクト』。こいつはマーキュリーズ・ギルドどころかアド・アストラ上層部直々の発注だってんだから驚きだよ。
「コルスコルピが発掘した古代兵器の設計図をデルセクトと帝国の共同で開発するなんて凄い時代だよな」
ロストアーツは名前の通り古代に失われた筈の設計図達の事だ。探求の魔女アンタレスの弟子の手によって探求の蔵書より引き摺り出された十三の設計図はコルスコルピの軍拡のため利用されることとなったが。
どうやらこいつの復元というのがめちゃくちゃ難しいらしくコルスコルピ単体の力では不可能であり、今の今までこのプロジェクトは難航していたそうだ。
だが、それもまた過去の話。コルスコルピがアド・アストラに加入したお陰で同時にデルセクトと帝国の兵器開発局の力を借りる事に成功し三国の力で無事復元に成功したそうなのだ。
復元に成功した十三の兵器はそれぞれ様々な工場に運び込まれ着々と組み立てられていった。そしてそのうちの一つの最終段階…鋼鉄による外部装甲の装着段階を任されたのがこのヘリカル製鉄所だというのだから驚きだよ。
「そのロストアーツはデルセクトも帝国もアド・アストラ成立時から力を入れてきたプロジェクトだからね。その完成を目にしようとメルクリウス様がここを訪れる事になっているんだそうだ」
「へぇ、それって俺たちも見れるの?」
「まだ機密段階だからなんとも。ロストアーツの組み立てに携わった人間は機密保持の為一度も家に帰れていないそうだし…我々が目にするのは難しいんじゃないかな、まぁそのうち量産体制に入るだろうから、その時支給されるかもね」
「ふーん…まぁわかったよ、明日メルクリウス様がここに来る理由、そして今運び込まれた品の用途がさ」
つまりメルクリウス様に歓迎の意を示し、その覚えをよくしてより一層ヘリカルという街をデルセクトにとって重要な地位に押し上げたいのか。とは言うがデルセクトは国内にヘリカル以上の工場街をいくつも保有すると言うし…難しい気もするが。
いやそうじゃないな。来るのはヘリカル製鉄会社のさらにその上、従業員達のお給料払ってくれてる人だ、なら諸々の欲を差し引いても盛大に出迎えるのは一種の礼儀か。
「なるほどねぇ、しかしメルクリウス本人が来るなんて余程なんだなぁ」
「それだけ彼の方自身も今回のプロジェクトに熱を入れていると言う事さ、六王円卓議席で最も精力的に動く王でもあるんだ、その行動力をナメてはいけないよ、ステュクス」
「んー」
世界統一機構アド・アストラとは幾多の組織が根っこのように連なるように存在している、例えば根っこの先端には俺たちみたいな雇われ労働者、その上にはマーキュリーズ・ギルドみたいな下部組織、そしてその上には七大国連合軍があって、さらにその上には各国のアストラ支部…その上にアジメクにあるアストラ本部がある。
役所も下部組織のトップよりも支部長の方が上でありその上には本部の幹部連中がいて、それを纏める本部長…の上にいるのがメルクリウス達各国の王、通称『六王円卓議席』と呼ばれる席に座る者達だ。
アジメク アルクカース デルセクト コルスコルピ エトワール オライオンの六国の王達がそれぞれ平等な円卓に座りアド・アストラ及び世界の全てを決めている。一応その六王の抑止力としてアガスティヤの皇帝が議長として座ってるらしいが、その立ち回りはオブザーバー…もう殆ど干渉はしていないと聞く。
つまり、メルクリウスはこの世界の情勢を言葉一つで変えられる地位に座る人間。俺達からすれば天上人だ、そんなのがいきなり辺境の街に訪れるとは…まぁびっくりだよな。
「魔女の弟子だけど喧嘩しちゃダメよステュクス」
「しないよ、むしろお前それ明日絶対口にするなよ」
メルクリウスも魔女の弟子だ、面識はないが恐れる理由はちゃんとある。
魔女の弟子達はみんな深い繋がりを持っていると言う。つまりアイツと繋がってるんだ…、オマケにメルクリウスは彼女が恩人であることを公言してる。
どうしよう、もしかしてここに来るのって…まさか。いやいや考え過ぎか?だってもし俺に何かするつもりならなんで今更、何かされるならもっと前にされてるよな…うん。
「どうしたの?ステュクス、顔が青いわよ」
「いやぁ、別になんでもないよ」
「そっか、じゃあご飯食べ終わったしそろそろ仕事に戻りましょ」
「仕事ったっても工場の前に突っ立ってるだけだけどな」
「いいじゃない、森に行っているかも分からない魔獣探すより」
「それもそうだな、はぁ…よし!」
自ら両頬を叩いて気合いを入れる、お給料貰うために仕事頑張りますかね!。
……………………………………………………………………
ヘリカル製鉄所ってのは錆臭い雰囲気とは裏腹に最新設備の集合体だ。錬金術や魔装技術 蒸気技術に魔導技術と凡ゆる技術や魔術を結集して作られた設備は日夜轟音を響かせながら鋼を相手に格闘を続ける。
正直俺には何が何やらさっぱり分からないが何となく凄いことをしてるのは分かる。だってこれからの時代はアド・アストラが次々と新しいものを作って世に広めていく時代なんだぜ?。
つまりこの工場は次の時代を作ってるんだ、冒険者なんて時代遅れの職業やってないでもっと勉強してりゃあよかったな。
なんてセンチな気持ちになってるステュクスこと俺はいつもの持ち場である工場の北側搬入口付近でボケーっと剣の刃を磨いて手入れをする。
師匠から貰った鋼剣だ。なんでも師匠の知り合いの鍛冶屋に頼んで特別に作ってもらった逸品とは言うが、結局俺には誰が作ったかどう言う銘の剣なのか教えてはくれなかった。
ただ、この剣はひたすらに頑丈で普通なら買い換えるような時期が来てもずっと俺の手元にあるくらいには頑丈だ。こいつは俺の為にずっと頑張ってくれてるんだから 俺も相応の労いをしなきゃな。
って事でこうして手入れは欠かさないようにはしてるんだが、ぶっちゃけこれを振るったのはもう随分前のことだ。少なくとも警備員になってからは一度しか振るってない。
「ようステュクス、やってんな」
「なんもやってねぇよ、お疲れさん」
「おーう」
ここを通るのは基本的に油臭い職人か、外部から鉄を搬入に来た商人くらいだ。警備員ったってもそう毎日なんかあるわけじゃない。
そりゃそうだろ、だってここは天下のマーキュリーズ・ギルドお抱えの工場だぜ?。つまりここはアド・アストラの拠点の一つ…ンなとこに喧嘩なんか売ったらどうなるか、誰でも分かる。
「世の中にバカが少ないおかげで、楽に仕事出来て助かるねぇ」
相棒を鞘に戻して壁に持たれて取り敢えず周囲を見回し警備員としての体裁を保つ。
別の持ち場にいるカリナとウォルターはしっかり仕事してるかなあ。
「……、…いっちにーさんしー」
つい手持ち無沙汰になってその場でトレーニングを始めてしまう。ソレイユ村にいた頃は常に師匠からしごかれまくってたからどうにも暇になると体を動かしてしまう悪癖がある。
別に体なんかもう鍛える必要はないんだけどな…。
「にーにーさんしー!」
「おい、ステュクス」
「いっち…うぉっ!?」
すると、体を動かす俺を訝しむような顔で見つめる警備員がいる。こいつは…あ。
「ぐ、グレイソン隊長」
「どうした。青い顔をして」
仏頂面に蛙のようなまん丸の目玉。気味の悪さを覚える顔面に対してその仕事ぶりは質実剛健で知られる真面目な警備隊長サマ…。その名もグレイソン隊長が俺をじろっと見て立っていた。
「いや、その…サボってたわけじゃないですよ」
「そうか。だが報告を求められた場合は私はありのまま上に報告するまでだ」
嫌味な言い方だ。表情は変わらず無表情で俺をただ見つめている。この人は何を考えてるか分からないから嫌いだ…。しかも目の前で部下を叱り飛ばさず後になってから上司に報告したらするし。
ただそれでもこの人自身の仕事ぶりは真面目極まりないからこうして立場のある地位に立ててるんだろうけど。
「そうですか。で…あー…えっと、なんすか?」
「持ち場の交代だ、お前は今日は終わっていいそうだ」
「え?、でもまだ勤務時間は終わってないっすよね」
「だが社長からのお達しだ、ダッシュで社長室に行け。態々お前を名指しで呼んでるんだから」
「社長が…?」
え?解雇?。な訳ないよね?だって俺特に何もしてないし…、いやメルクリウスが来るに当たって過去に魔女の弟子と問題を起こした俺は解雇しますってのも…。
いやいやいや、あの件は誰も知らないはずだし…。
ええい!、もうなんでもいい!とにかく社長から話を聞いてみないことには!
「わかりました!直ぐに向かいます!」
「ああ、あ ちょっと待て」
「え?、なんすか」
慌てさせた癖にいざ走り出したら声をかけて止めてくる。そいつはどうなんだと思いながらも軽快に足を交差させるようにその場で足踏みをしてグレイソン隊長の言葉に耳を傾けると。
「お前の明日の持ち場は裏手の搬入口付近。メルクリウス様への献上物を乗せた馬車の付近だ、帰る前に確認しておくように」
「え?はぁ…分かりました」
変な指示だな、いや真っ当ではあるけど態々それを今ここで伝えるほどの事でもないし前日に持ち場の確認なんて今まで指示されたことないけど…。
まぁいいや、それだけ重要なの案件ってこったな。それより社長だ。
ちょっと冷や汗が背中を伝いながらも俺はクルリと踵を返し、グレイソン隊長に背を向けて工場内部に入り込み社長室を目指し走り進む。
「うっ、中はすげぇな…」
ただ内部の熱気は凄まじい。そりゃそうだよなんたって鉄を溶かしてるんだぜ?、むせ返る熱気とオイルの匂いにややタタラを踏みながらも鉄と鉄の間を潜るように奥へ奥へ進んでいく。
一体何の用なのか…。分からないがもし解雇なんてことになったら…。
解雇になんてなったら…
なったら……。
「…………」
ふと立ち止まる、もし解雇になったら…そんな嫌なことを考えてるはずなのに。どうして俺は今 そんなに慌ててないんだ?。
異様な程に落ち着いている心境。ぶっちゃけせっかく手に入れた職を失うのはめちゃまずい、けど…。
「……まさかな」
チラリと腰の剣に目が行く。いやいや まさかな…ありえねぇよな、そんな事より早く社長室に急がないと。これで遅刻が原因で解雇になったらそれこそ笑えないってもんよ。
「確か、こっちだったような」
工場の奥へと向かえば鉄と油の匂いは鳴りを潜め、やや小綺麗な廊下に辿り着く。
ここらはこの工場の経理とかなんかややこしい仕事を担当するエリア、そしてここに…社長室が…。
「あった…!」
探していた社長室の立派な黒木の扉を前にしてしがみつくようにドアノブを握ろうと手を伸ばし…。
一旦止まって襟を正し服装を整え、深呼吸してから数度ノックし…。
「社長!失礼します、警備兵のステュクス・ディスパテルです!」
「ん?ああ!、入ってくれ!」
そんな快活な声が響いて俺を招くのはこのヘリカル製鉄所を統べる社長の言葉、俺を雇ってくれてる方のお声だ。
それに答えるように扉をあけて一礼し入室すれば、まず見えるのは山積みの書類と綺麗に整えられた本棚。そしてその奥の長机の奥に座る一人の男性。
「思ったより早く来たねステュクス君、私は君のそう言う真面目な所が大好きだよ」
「社長の呼び出しと聞いたので飛んできました」
あははと笑うのはこれまた息を飲むような童顔の美男子だ。このむさ苦しい製鉄所の社長と聞いて俺は当初ビール腹のヒゲモジャ親父を想像してたもんだが…とんでもない。この人は若くしてこの製鉄所を任されメルクリウスから製鉄街ヘリカルの町長の座さえ与えられた才人。
名をジュリアン、ジュリアン・タイガーアイ。デルセクトでも有数の大商会プロスペール商会の会長プロスペール・タイガーアイの一人息子だ。
父から与えられた商才と圧倒的頭脳で自らの会社を大きく伸ばし、母から与えられた子供らしささえ感じる美貌でメルクリウスからの寵愛も賜ったとかもっぱらの噂の超イケメン。これが俺の雇い主だ。
神様ってのは不平等も好きだが、不平等に嘆く人間の顔を見るのも大好きなんだろう。こんな何もかも持ち合わせた同年代を俺の上司にしたんだからな。
「まぁまぁ座ってくれたまえ、長話になるだろうからね」
「は…はぁ」
「ん?、もしかして緊張している?」
俺がジュリアン社長に促され、それに返事をして椅子に座る。そんな短い動作の中で俺の心境を見抜きズバリ言い当てる社長の目に思わず顔が引き攣る。
これだよ、この人はこう言うのが得意なんだ。
「あ…はは、いきなり呼び出されたもんだから怒られるのかと思いまして」
「怒られる!?あはははは!、そんなことするわけないだろ?、事実君は別に何もしないじゃないか、そうだろ?」
「それはそうですけど…、えっと ならなんで俺ここに呼ばれて」
「安心したまえ、君にとって都合のいい話さ」
と言うことはどうやら魔女の弟子云々の話じゃあなさそうだ。なら…なんだ?
「昇進さ」
「昇進!?俺まだ入って半年っすよ!?それにまだ若造で…」
「会社に入った時間や生まれ落ちた年月は関係ないさ、私は私にとって有用な者を重宝する、仕事を任せられると思えたのなら たとえ昨日入った子供にだろうがうちの経理全てを任せてもいいと私は思っている」
大胆不敵と呼ぼうか、若さ故の勢いと言おうか。自らもまた若いながらに父より小さな会社を与えられ成功してきた経緯があるが故に社長はそう言う『時間』と言うものに囚われない。
入社した時間も、生まれてからの時間も関係ない。ただ有用なら使う…当然の話だと彼は常々語っていたのを思い出したが。まさか俺が…。
「でも俺なんかでいいんすか?、俺…冒険者上がりだし学校も行ってないし、字だって辛うじて読めるくらいで」
「知識なんか後から勉強すれば身につくからいいんだ、だが私は君の…なんだろう、直感の鋭さ?と言うやつに惚れたのさ」
「直感の鋭さって…」
「覚えているかい?、君が入社して二週間目のあの日、魔女排斥組織の魔の手から我が社を救ったのを」
そいつは大袈裟に言い過ぎだ。でも確かに俺は一度魔女排斥組織からこの会社を守ってる。
あれは確かまだこの会社に入って間もない頃、なーんか妙な奴が工場の周りをうろついてたんだ。
見てくれは普通の通行人、怪しいところは殆ど無かったし当日は古くなった機材を纏めて地下から外に運び出すなんて大掛かりな作業をしてたもんだから、警備兵達は殆ど見逃していたんだ。そんな中…ただ一人、新人警備員のステュクス君だけがその男の異様さに気がついた。
怪しいのはまず歩法、踵から踏み込みスライドさせるような鋭い歩き方。
そして背筋を伸ばした礼儀正しそうな振る舞いと、鏡で髪を整える動き。
その全てからステュクスは男が『工場に入り込み何者かを暗殺しようとしている』事に気がついた。
「よくアレが私を暗殺に来た刺客だと気がつけたね、後から聞いた話じゃ他の警備兵は全く気がつけなかったと言うよ?、ベテランのグレイソン警備隊長でさえだ」
「アレは…、まず歩き方が剣士のそれだった 踵から踏み込み相手の懐に踏み込む歩法と同一の物、多分鍛錬で体に染み込ませた奴が抜けてなかったんだと思います。それが背筋を伸ばして目の前で鏡いじってりゃ怪しみますよ」
「ほう?、何故だい?」
「背筋を伸ばしていたのは背中に剣を隠し持ってたから、鏡を弄ってたのは視線を誤魔化しながら工場の中を伺っていたから、そしてそんな事を当然のようにやってのける奴はそう言う事を生業としている奴だけですから」
素晴らしいとジュリアン社長は喜んで手を叩く、けどこの洞察力はどちらも剣の道に精通した俺の師匠と何故か殺し屋の知識を豊富に持ち合わせていたトリンキュローさんに教わった物の応用だ。
ともあれそいつが殺し屋である事に気がつきた俺はそのままそいつに声をかけて、色々あって殺し屋である事を看破し、戦闘になり 、ぶっ倒した。
そこそこのやり手だったが、こっちは既に剣を抜いてて向こうは服を脱いで背中の剣を取り出さなきゃいけないなんて場面から始まりゃ素人だって勝てる。
「奴はアド・アストラ及びマーキュリーズ・ギルドの要たるこの街を狙った魔女排斥組織の一員だった、君が奴を倒してくれたおかげで私も命拾いしたのさ」
「それは良かったです、けどそれが俺の仕事なので」
「ううん!いいね!、そういうところが好きだ!、私が君を気に入った理由の一つがそれさ!、直感とは別にもう一つ…君の人間性という奴がね」
「どんな人間性ですか?」
「うーん、言語化するなら…」
そうジュリアン社長は小さく息を吐きトントンと額を叩いて言葉を取り出すと…。
「無欲なところ…いや、夢や冒険心を下手に持たないところかな」
「夢…?」
「ああそうだとも、人間ってのはね 下手な夢を見て身を滅ぼすくだらない冒険心で損をする、どれだけ安定していても堅実な生活を捨てて博打に出てしまう…そんな人間はいくら有能でも信用が出来ない」
「つまり、俺からはそういうのを感じない…と?」
「君の目は夢を見ていない、冒険心も持たない、私の理想の人間だよ」
喜んでいいのかそれは、夢もないし冒険心もない…それは随分面白みのない人間のようにも感じるが。
まぁ確かに、俺も特に夢があるわけでもない…冒険心もとっくに枯れ果ててる、…枯れ果ててる筈だ。
「夢や希望なんてものを持つ必要はない アド・アストラこそが人類の夢であり希望なんだ、それを作り上げる我々が個別にそれを持つ必要はないんだよ」
「そう…ですね」
「そうだとも、体細胞が一つ一つ別の目的で動いていたら人体もままならないのと同じさ、そういう意味では君は私の会社とマーキュリーズ・ギルドから見て非常に都合がいい、なので昇進させようって話さ」
「なるほど…」
つまり社長が必要としているのは、俺みたいな情熱のない人間ってことかな。なんて言い方をするのは失礼だろうか。
でも、社長の妥当な筈の評価を聞いてどこか面白く思わない自分がいるのも事実だ。社長は何一つ間違ったことは言っていない筈なのにな。
「差し当たって君は私の近辺警備を担当する特別警備主任に押し上げようと思っている、けどそれをグレイソン警備隊長に話したら君はまだ若いから信用できないと言われてね」
「まぁ、事実かと」
「だね、だけどさっきも言ったけど私は年齢で評価を改めるのは嫌いだ、だから君には隊長を黙らせるだけの実績を作ってもらう」
「実績ですか?、でもそんな簡単に…」
「明日、メルクリウス様がこちらに視察に来るのは知っているね、君はその場に私と共に赴き最も近い位置で警備を担当してもらう、メルクリウス様の警備を担当するなんて栄誉を賜ればグレイソン隊長だって文句は言わない筈だ」
「め…メルクリウス同盟首長の…!?、でも俺 明日は別の場所の警備を頼まれてたはずなんですけど…」
丁度ここに来る寸前でグレイソンから言われた裏搬入口の警備…あれはどうなるんだ?。
「そんなもの無視してもいい、それよりメルクリウス様だ。頼むよステュクス」
いやいや…そいつは重荷が過ぎないかね社長さん!、もしも何かがあって俺がメルクリウス同盟首長を守れなかったらお前…どんな事になるか想像も出来ないぞオイ!?その辺の責任を取れないのはアンタも同じのはずじゃ…!?。
「ははは、安心しろよ メルクリウス様はメルクリウス様でご自身の精鋭部隊を連れているし、何よりメルクリウス様自身も非常にお強い、自ら連れている精鋭部隊を纏めて捩伏せられる程にね」
「あ…ああ、魔女の弟子ですもんね、三年前世界を救ったとかいう」
あまりの出来事に失念していたがメルクリウス同盟首長は魔女の弟子だ。その強さは大国でも指折り、なんなら警備員なんか一人も連れずとも刺客を返り討ちにするくらいには強い。
なんでも三年前起こったデカイ戦いで世界を救ったと言う。詳細は伏せられているからよく分からないが世界は救ったんだから多分強くて凄いんだろう。
「というわけさ、君はそこにいるだけでいい、何かあってもメルクリウス様の精鋭がなんとかする、だから安心してくれ」
「わ 分かりました」
「明日の会談はとても重要なんだ。私にとって転機になると言ってもいいくらいにはね」
「そんなに重要なんですか?、ただ作ってるもの見に来るだけでしょう?」
「ああ、メルクリウス様の目的はそうだ。けど私からしてみれば組織のトップと直に会話出来る数少ないチャンスなんだ。その為の準備もちゃんとしてある」
「準備…。ああ 裏搬入口に置いてある荷車ですか?」
荷車とは名ばかりの馬車みたいなあの車のことだ。なんでも社長が方々から手に入れた品々が積載されており、それでメルクリウス様を迎え撃つ算段なんだとか。
「おや?もう見たのかい?。あれには近づけないように警備を置いてあるはずだが」
「通りを走っているのを見かけたんですよ。なんか豪華な車だなぁって」
「なんだ、そっか。まぁね?ただ中にはそれなりの高級品が入っているから警備も厳重にしてある。君もあんまり近づかないようにね」
そこまで好奇心旺盛でも無いし近くつもりはないとばかりに首を振れば、社長も『利口だね』と褒めてくれる。こういう所が冒険心のなさってやつなのかね。
「ただ今晩メルクリウス様第一の側近たる方がここを訪れる事になっているから、出来れば君もそこに顔は出して欲しい、今は一旦寮に帰宅して日が変わる頃くらいにまたここに来てくれ、手間だろうけどね」
「いえ、社長の命令なら従いますので」
「そう言ってくれると嬉しい、さ!話は終わりだ、怖がらせて悪かったね」
こちらこそ貴重なお時間を割いて頂いてありがとうございますと一礼して、俺は一旦社長室を出る事になる。
話の内容は昇進と嬉しいものだった。明日の仕事をやり遂げれば俺は昇進して給料も上がり、寮じゃなくて戸建てのマイホームを持てるくらいにはなれるかもしれない。
だというのに、そんな嬉しい報告を聞いた俺にそれを喜ぶ余裕はなかった。
あったのは変な違和感、奥歯の裏側に昼に食った肉が挟まっているかのような気持ちの悪さ。…社長の言葉の引っ掛かり。
無欲で冒険心が無い…かぁ。
昔はあれだけ冒険に出てたがってたのに…、今はこうなのか…と。
ステュクスはその気持ち悪さを紛らわすように頭を数回掻いて一旦寮へと帰宅する。やはり取れない引っ掛かりを心に抱いたまま。
…………………………………………………………
「冒険心…冒険心ねぇ」
ぶつくさ言いつつ帰路についているうちに空には帳がかかり星が頭の上で輝き始める。もうすっかり夜中だな、周りの家々からは暖かい灯りが漏れているのが目に入る。
見えるのは多分家族のシルエット。父が居て母がいて姉がいて三人が弟の誕生日を祝っている幸せそうな光景、俺がいつぞや夢見ていた光景によく似た構図。
俺は昔は家族みんなで揃ってたら幸せだと…当時は漠然と思っていた。
けど結果的に母は病で死んで、姉はそんな母を恨み何処かへ消えて、俺自身も故郷に父を置いて旅立っている。
家族が一緒にいる必要なんて…あるのかな、なんて思うことさえある。結局姉のように自分のしたい事をしたい場所でするのが一番なのかな。
あの人はおっかないしめちゃくちゃだけど、少なくとも俺よりかは立派で社会に貢献している。どっちが正しい人間かと聞けば多分姉の方が正しいという人が世の中には多いだろう。
姉は偉い人を沢山救って、偉くない人も沢山助けて、国を救って世界を救って、今もどこかで何かを成し遂げてる。
何も成せてない俺と違ってな。
「なんなんだろうな、家族って…姉弟って」
欲ってなんだ、夢ってなんだ、冒険ってなんだ、どう生きるのが素晴らしいんだ、どう在るのが幸せなんだ、俺は一体どう生きてどう在りたいんだ。
分からない、さっぱり分からない…。
「はぁ、考えてても埒があかねぇや、早く帰って飯食って、んで偉い人のところに顔出すかね」
自分が何を求めているのかも分からず、ただ足早に帰路についていると。今度は工場の裏口がふと目に入る。夜道は暗く何もないが故に色々なものが目に入ってしまうな。
ボケーっと歩きながら通り過ぎる裏口の中には昼間見た豪華な荷車が置いてある。あれはメルクリウス同盟首長を出迎えるための品々だ、ジュリアン社長が歓迎の意を示すためにこの日のために用意した品々。
もうなくなったけど、明日俺が本来担当するはずだった持ち場だ。
多分俺なんかじゃ一生目にかかれない高級品が一杯入ってんだろうなぁ。そんなのを平気な顔で受け取る人を俺は明日警備するのか…緊張するなぁ。
「なんもなけりゃいいけど…ん?」
足が止まる、通り過ぎていく裏口の隙間から、何かが動くのを見てしまったから。
工場の職員は全員帰宅してる、夜間を担当してる警備員じゃないのはあの機敏な動きで分かる。まるで闇に紛れてコソコソ動く影はとても人とは思えない動きで豪華な荷車に…。
「まさか!」
まさかあれか!、最近街に出てるっていう犬猫?。昼間俺のサンドイッチを奪った…というかその材料を夜中のうちに食い荒らしてたっていう!。
そういえば最近他の店も被害に遭って困ってるって…って!。
「おいおい勘弁してくれよ、それに手ェ出されたらマジで困るんだって!、って言うか警備兵はどこに行ったんだよ!厳重なんじゃ…。」
いや、夜間は流石に警備の人間も少ないしもしかして穴があったのか?。いやなんでもいい。問題は今目の前で起こっている事だ。
影は荷車の中に入っていった、つまり今日の獲物はあの荷車って事だ。あの中に食材が入っているかは分からないがそれを荒らされたらヘリカルの街は大損害だ。下手すりゃメルクリウス同盟首長の不興を買ってプロジェクトを下ろされるかもしれない!。
ったく!夜間の警備員は何やってんだよ!、みすみす忍び込まれてるんじゃねぇよ!。
「くそっ!、仕方ねぇ!」
周りにゃ誰もいない、誰かを呼びに行ってる間に食い荒らされたら意味もない。となればもう俺が止めに行くしかない。
ちょうどいい昼間の借りを返してやると腰の剣に手を当てて裏口へと飛び込み、荷車を目指して走り込む。
「どんなドブ犬だ?それともドラ猫か?、なんでもいい…おい!出てこい!」
剣を抜いたまま荷車を外からトントン叩く、これで出てきてくれればいいが…ダメだな。出てくる気配がねぇ。
いくら昼飯の借りがあるからって犬とか猫を切りたくないけど…、仕方ない仕方ないと自分に言い訳をして辟易しながら荷車の中へと入り込むため手を伸ばし中へと足を踏み入れる。
「おい、居るのは分かってんだよ…」
暖簾を掻き分け中に顔を突っ込めば…、香ってくるのは香ばしい匂い。やはり食材を積んでいたか。
既に荷車の中には食材が散乱している。積載されている木箱のいくつかがこじ開けられ、うち一つの中から肉とか野菜とかのカスが飛び出て、木箱の中に居る存在がガツガツとそれを食べているんだ。
よりにもよって無視かよ。獣ならもうちょい警戒しろっての!。
「おい、いい加減に…」
そう木箱の中を覗き込もうと木箱に手を掛け、その中に視線を入れると…。
「な!?」
その中にいた存在と目が合い、思わず驚愕に口を割ってしまう。
そこに居たのは小さな獣が二匹。泥やゴミで汚れてとても衛生的とは言えない小さな獣が揃って食材を奪い合うように食っていた…。
が、問題はそこじゃねぇ…、これは…これは……。
「人間の子供…?」
「ぅ…?」
「え?…」
人間だった。獣に見紛う程に品性のない小さな子供が居た。
恐らく男と女と思われる小さな子供は布の切れ端みたいな服を着込み、二人揃って燻んだ赤い髪を揺らし、爛々と輝く紅の瞳を向けて首を傾げている。
まさか…こいつらが、街に出ている食材泥棒の正体?。
なんなんだ、こいつら…。
─────この時俺は知る由もなかった。
この時の出会いが、この出会いが、ステュクスと謎多き姉弟、リオスとクレーとの出会いが。
俺の人生を一変させることになるなんて。