312.独りの少女と孤独の魔女
アルクトゥルスは強欲な女だ、何もかもを持ちながらそれでも飽き足らぬと様々な物を求めていた
義理の妹アミーがもし改心してくれたなら…と、アミーは親の仇だし友達の仇だし嫌な奴だし嫌いだが、それでもかつては共に暮らした妹分だった、それを修羅道に落としてしまったのは自分なのだ
共に生きた学友アルデバランに生き残って欲しかった…と、アルデバランは嫌味な奴だったが自分たち魔女よりも強く未来を望んでいたし頼りになる奴だった、あいつには生きて欲しかった
師匠…シリウスにはまた元に戻って欲しかった、また元に戻って優しくオレ様達を導いて欲しかった、まだまだ教えて欲しいことが山ほどあった
そして何より、オレ様が唯一愛した女レグルスをモノにしたかった、美しく気高く一人で生きるアイツを温められる唯一の存在になりたかった、アイツを理解できる唯一無二になりたかった
どれもこれも叶わなかった夢だ、そしてオレ様が叶えた他のどんな夢よりも叶えたかった夢ばかりだ
誰も死んでほしくなかった敵にさえそう思った
誰も側から離れてほしくなかった、そんなことさえ言えなかった
オレ様自身の弱さが凡ゆる物を失わせた、オレ様自身の情けなさが今も胸を苛むのだ
「…………ラグナ」
「……?」
リゲルの作り出した幻覚の中、レグルスやシリウス アミーやアルデバランといった彼女が得られなかった全てが存在するその世界の中…過去の慚愧に囚われたアルクトゥルスは己の弟子ラグナの体を抱きしめる
師範のように守りたい物を守れる男になりたい、そう語る幻覚のラグナの言葉はアルクトゥルスに突き刺さる…いや、そうじゃないな
アルクトゥルスはラグナの今の一言でこの世界が幻覚である事を自覚した、理解出来たのだここにある全てが偽物であると
だって…ラグナは絶対にそんな事を言わない
ラグナはオレ様が見込んだ男で、オレ様が育てたオレ様の後継者だ、オレ様のように生きることは無いさ
愛する者も守りたい者も全てその手の中から零してしまったオレ様と違いラグナは全部守っている、エリスも仲間も全部全部守っている、それはラグナが『全部守れる男になりたい』と口にしているからじゃ無い、『全部守れる男になる』と決意しているからだ
そんなラグナがこんなこというわけねぇよな
「師範?どうしたんですか?」
「どうもしねぇよ、ただ…やるべき事が一つ見つかっただけだ」
ラグナの背中を軽く叩いて気合いを入れ立ち上がれば、この子は不思議そうにオレ様の顔を見上げる、可愛いやつだ
「おい、アルクトゥルス 大丈夫なのか?」
「ぬはは、無理はいかんぞ?ワシは無理と無茶が嫌いじゃからのう」
「そうですよアルクトゥルス、貴方は無理をしすぎる節がある」
「それとも、…何かしようっての?」
背後からレグルスやシリウス アルデバランやアミーの声が響く、ここにはオレ様が好きな全てがある、こんな世界を求めて戦っていたのは事実だし居心地がいいのも確かだ、だけど
「ああ、ここから出ていく」
「何故だ、…ここはお前の求めた物のはずだろうアルクトゥルス」
まぁなレグルス、だけどな…それでも
「それでもこれは手に入らなかった物なんだ、取り戻す事も出来なければ引き返す事も出来ない、オレ様達の夢は八千年前に終わっているんだよ」
「…………」
「今オレ様が守るべきは過去の幻影じゃねぇ、今を生きるオレ様の可愛い弟子の未来なんだよ」
オレ様が今ここでこうしている間もラグナは戦っている、シリウスを相手に戦ってる、なのに師匠が甘い夢の中で微睡んでる場合じゃねぇよな
弟子が踏ん張るなら師匠はその百倍は踏ん張る!、弟子が無理を通そうとしてるなら師匠も止まるわけにはいかねぇ、そうでなきゃ…オレはきっとアイツの師匠を名乗れねぇ
「……だよな、シリウス師匠」
そう確認するように幻影のシリウスの顔を見る、少なくとも…オレ様がまだ弟子だった頃、シリウスはそうやって虚勢を張って生きていた
オレ様に師匠としての生き方を示してくれたアンタのやり方で、オレ様はアンタを止めるぜシリウス
「よく分からんが、そうじゃのうアルクトゥルス、思うがままに行けば良い やりたいようにやれば良い、弟子に生き方を肯定するのが師匠の生き方じゃ、かましてやれ…アルクトゥルス」
「ああ、そうだな」
かつてオレ様に語った言葉と同じ事を口にするシリウスに、やや笑みが零れながらも踵を返し…
「そういうわけだ、ラグナ…かましてこい、背中はオレ様が押してやるからよ」
そう歩き出しながら、幻影ではなく現実のラグナに向けてオレ様は呟き歩き出す
この幻影の城の中を行きながらリゲルの元へ、現実へと向かう
この夢見の天獄はリゲルの持つ奥義の一つだ、脱出は不可能でありこの中でいくら暴れても外に出ることは叶わない、いくらオレ様がここが幻覚の世界だと理解しても抜け出すことは無理
魔女の技ってのはそういうもんだ、一度決まればそのまま相手に敗北を押し付ける理不尽の権化のような技や魔術を使うのが魔女なんだ
けど、そういうオレ様だって魔女なんだぜ?、反則技の一つくらい…持ってんだよなぁ
…………………………………………………………
「ふふふ、勝負アリですねアルクトゥルス」
崩れ去った神の城の中でリゲルは大の字になって意識を失ったアルクトゥルスを見下ろす、夢見の天獄が決まった時点で勝負も決している、この技から抜け出すのは不可能だ
もっと強力な技はあるし、もっと恐ろしい幻惑はある、だがアルクトゥルスにはこれが御誂え向きだろう、幸せな夢の中で己を壊すがいいと悪意に満ちた笑みを浮かべながら…
「さて、では私は外に出るとしましょう…、シリウス様の助けをしなければ」
踵を返し、アルクトゥルスに背を向けた……その瞬間であった
「永劫なりし問い、汝 魔道の極致を何と見るや」
トンっと軽い音を立ててその言葉が口にされる、リゲルの口がでは無い…これは
「アルクトゥルス!?!?」
「永劫の問いかけに、我が生涯、無限の探求と絶塵の求道を以ってして 今答えよう」
アルクトゥルスが立ち上がっている、夢に囚われているはずのアルクトゥルスが…立ち上がり口を聞きながらリゲルに一歩踏み込み懐に潜り込む
目が覚めたのか、あの夢世界から抜け出したのか、アルクトゥルスにそんな器用な真似が出来たのか?、いや違う…こいつ
「まさか、眠ったまま!?」
寝ているのだ、まだ意識を取り戻してないのだ、目を瞑り寝言のように口を開きながら最悪の寝相を披露するように起き上がり拳を構えている、一体どうやって…!?いや今はいい!それより
まずい!アルクトゥルスが臨界魔力覚醒を使おうとしている!、ダメだ!アルクトゥルスに臨界魔力覚醒を使わせては…!、だって彼女の臨界魔力覚醒は…!
そうリゲルが焦るももう遅い、アルクトゥルスは口にする、極地の答えを…それは
「魔道の極致とは即ち『無窮の鍛錬』である」
アルクトゥルスが答えるに極致とは即ち 鍛錬にこそある、人は弱い生き物だ、誰しもが弱い だが同時に誰しもが極致へと至れる、それこそが鍛錬だ、鍛錬を積み続けることこそが極致へと至る唯一の道のりであり、鍛錬を積むことこそが 人類進歩の極致なのだ
「や やめ!!!」
魔女の臨界魔力覚醒は全てが同数である、全く同じ出力と威力と影響力を持つが故に発生すると両者の覚醒が混ざり合った異世界がこの場に生まれる、…が その例外がただ一人存在する
それが、アルクトゥルスなのだ
「『涅槃寂静/水鏡一滴』」
アルクトゥルスの臨界魔力覚醒『涅槃寂静/水鏡一滴』は別名全魔女最小の臨界の異名を持つ異質の覚醒だ、その発生範囲はアルクトゥルスの両手が届く範囲に限られる、極めて小さく極めて小規模な覚醒、故に相手に密着しなければ相手を中に引きずり込むことが出来ないのだ
だが、それを補って余りある利点がある…それは
「わ 私の世界が!」
リゲルの神の城が薄れて、アルクトゥルスの作り出す世界が景色を滲ませ作り変える、アルクトゥルスの覚醒がリゲルの覚醒を押し退けているのだ、確かに魔女の臨界魔力覚醒はその全てが互角…、されどアルクトゥルスの覚醒だけはそれが小さく凝縮されているが故に他の臨界魔力覚醒を押しのける事ができるのだ
開かれた手よりも、硬く握られた拳の方が強固なように、アルクトゥルスの覚醒は他の魔女の覚醒を無効化出来る力を持つ、それが小さくとも彼女が魔女最強格の覚醒を持つと言われる所以
…その両拳が届く範囲こそ、アルクトゥルスの世界なのだ
「うっ!?」
「終わりだぜ…リゲル、…ここに引き込まれた時点で お前はその力を失っている」
「アルクトゥルス!?」
その目が開かれる、リゲルの臨界魔力覚醒の力を無効化したことにより夢見の天獄から解放されたアルクトゥルスが開眼したのだ
初めからこれを狙っていた、リゲルが幻惑にてアルクトゥルスの意識を封じたとしても 打てる手を残していた、リゲルによって夢見の天獄に落とされるよりも遥か前から…アルクトゥルスは意識と肉体を切り離していた
そもそも無我の究天は無意識に体を動かせる技術なんだ、ならば例え意識が無くとも戦いを続けることはできる…、あの夢見の天獄の中でアルクトゥルスが目覚め 闘志を取り戻した時点で体も呼応し、勝利をもぎ取るために活動を開始したのだ
それを出来るようにずっと前から修行をしていた、最初の最初 その前からずっと前から、こうしてリゲルに勝とうと意識した時点で、この状況はアルクトゥルスの想定の範囲だったのだ
「くっ!?うっ!?動けない…」
「知ってるだろう、ここはオレ様の世界、もうお前にゃ何も出来んぜ」
世界が塗り変わり、アルクトゥルスの心象が景色として具現化する、それはまるで墨で描いた山河の如き静寂の世界、風もなく音も無く 動くことさえ出来ないリゲルと拳を静かに構え出すアルクトゥルスの姿だけがそこには存在する
この覚醒の内部では如何なる力さえ扱うことが出来ない、魔力も筋力も腕力も何もかも 如何なる力さえ存在しない、故にリゲルは強制的に脱力させられた状態に落とされる、無理矢理脱力させられ 今にも倒れそうな状態にリゲルはあるというのにアルクトゥルスだけが動けている
当然アルクトゥルスだってこの世界の影響を受けている、脱力している、だが…脱力しても動けるのさオレ様は、武の真髄とは脱力にある、真なる力に力は不要、究極の脱力こそが…至上の一撃となる
「奥義…」
「あ アルクトゥルスぅっ!!」
いくら叫んでももう遅い、脱力され辛うじて握ることが出来る拳をゆっくりとリゲルに押し当てるアルクトゥルスより発せられるのは、彼女だけが行き着いた究極の武…アミーを相手に辿り着いた武術の神域、その奥義
「『常寂無拳』」
力がなければ相手を殴ることができない、それは半端者の言葉だ
真なる武術に力は不要、ただただ力を抜くだけで無くそこに至高の技量が加わることにより、この一撃は…世界さえも砕く一撃と化す、それを叩き込まれたリゲルの体が
「ごはぁっ!??」
弾かれるように背後に絶大な衝撃波が飛ぶ、血の代わりに水墨が飛び散り彼女の体の中に存在する何もかもを打ち砕き そのままアルクトゥルスの臨界魔力覚醒も、いやそれどころかその上に存在するリゲルの臨界さえもヒビが入り砕けていく
最強の戦士たるアルクトゥルスの持つ最大の奥義『常寂無拳』、それは他の魔女が持つ最大奥義のような派手さはない、絶対性もない、…要らないのだ
人間を破壊するのに必要以上の破壊力もエフェクトも不要、ただただ人一人破壊し得るだけの破壊力を摺り切り一杯に用意して叩き込む、ただそれだけで人間は破壊される
それが例え魔女であれ、ともすればシリウスでさえ打ち砕き得る究極の拳は、当たりさえすれば倒せない人間はいない、相手が人である限り絶対に倒すことが出来る…それがアルクトゥルスの持つ覚醒の力だ
「が…あ…ぅ…!」
よろよろと崩れる覚醒内部でリゲルは倒れ伏す、意識を失い…アルクトゥルスを相手にはじめての敗北を…
「頼むぜ、リゲル」
崩れ行く世界の瓦礫の中、アルクトゥルスは祈る…神にでは無くリゲルにだ
「オレ様は神に祈れない、誰かの魂を救うことは出来ない、それが出来るのは…きっと、誰よりも優しいお前だけなんだからよ」
お前の祈りが、死者の冥福になることをアルクトゥルスとて信じたいのだ、多くの命を守れなかったオレ様に出来ず、真摯に祈ることが出来るリゲルの心が…きっと、今は必要なんだから
「終わったか?アルクトゥルス」
「お?、ってカノープス!?」
ふと、元の世界に戻り 現実世界の夜天の下に帰還すれば、出迎えてくれるのはカノープスだ、ウルキと戦っていたはずの…
「こちらももい終わっていますわ、あなたが最後ですわねアルク」
「フォーマルハウトまで、ってお前…」
見ればスピカと戦っていたはずのフォーマルハウトも体を休めていた、その身には凄まじい数の傷が刻まれており、その足元にはフォーマルハウト以上に傷を作っているスピカが倒れている
「臨界魔力覚醒を使って我慢比べをしましたの、…スピカの根性は相変わらず凄まじいですわね」
フォーマルハウトの臨界魔力覚醒『万物創造/大黄金郷』は、今現在この文明に存在する凡ゆる物を錬成しその上でそこに概念さえ付与することが出来る強力無比な覚醒だ、大規模な破壊能力だけで言えばレグルスを超えて最強格に躍り出る筈のそれを使って フォーマルハウトと互角の戦いを繰り広げられるだけの戦闘能力をスピカは持っていたのだ
「驚いた、スピカのやつそこまでやれたんだな」
「ええ、なんたってスピカですもの」
「そっか…で?、カノープス…テメェウルキは?」
リゲルは倒れ スピカも倒れている、しかしカノープスの近くにウルキは見当たらず…ってことは
「悪いな、逃げられた」
「んなこったろうと思ったぜ」
ウルキの恐ろしい点は逃げの一手を打つ時一切合切捨てて逃げに集中する点にある、自分の臨界魔力覚醒も置き去りにして、服だって脱ぎ捨てて尊厳も捨てシリウスさえ見捨てて逃げる、何が何でも死んでなるものかと本気で逃げてくる
その逃げ足の速さはアルクトゥルスも先日体験しているからよく分かる、アイツを倒すには『この場は絶対に退けない』と思えるような状況と相手でなければならない、ウルキにとって命を賭けるに値する相手でなければいくら強くてもウルキを倒す事は出来ないのだ
「面倒だな…」
「まぁ全力で手傷を負わせた、直ぐには回復出来ん奴をな、戻ってくる事はあるまい」
「何したんだよ…」
「全力で魔術を数十回叩き込んだ、そしてその場から離脱する隙に逃亡先を時界門で書き換えて宇宙空間に放り出してやった」
「それ生きてんのか?」
「さぁな」
まぁウルキなら生きてるだろうな、宇宙に放り出されても全力でこちらに戻ってくるだろう、まぁ…だとしてもしばらくは戻ってこれないし挑んでくることもないだろう
なにせ、ウルキにそれだけの手傷を負わせた当のカノープスは、全くの無傷なのだ、余程実力の差があったに違いなく、それを痛いほど痛感しただろう
「あとは、あちらが終わるのを待つだけだ」
そして、カノープスが見つめるのは皇都…、ラグナ達の魔力を感じる方角だ
ん?、シリウスのやつ…かなり弱ってやがる、やるじゃねぇか!ラグナ!、あそこまでシリウスを追い詰めるなんてよ!
「おっし!どうする?助けに行くか?最後の一押しくらい手伝おうぜ!」
「いや、不要だ…」
「はぁ?、でも…分かってんだろ?、シリウスのやつは…」
シリウスは追い詰められたその瞬間こそが恐ろしい、シリウスは自分が追い詰められることも想定して作戦を立てているし、何より…負けが決まった瞬間 形振り構わなくなったシリウスはせめて誰かを道連れにしてあの世に行こうとする
前回はそれでレグルスがやばかった、体を八つ裂きにされてもまだ動き出したシリウスの最後の一撃は天さえも焦がし、その後数年は曇天が晴れる事はなかったのだから
「それでもだ、…あそこまで戦ったのは弟子達だ、なら最後の最後も弟子たちに任せよう、きっとやってくれるさ」
「そうですわ、わたくし達が鍛えた弟子達なら…きっと」
「……わかったよ、信じるよ」
仕方ねぇとアルクトゥルスはその場に座り込み、戦いの趨勢を見守る、ここから先はもう祈るしか出来ない、ああ…こんな時リゲルがいりゃあ少しは安心できたのによ
「テメェらも早く目を覚ませよ、リゲル…スピカ」
戦いの終わりは、もう目の前なんだからな…
…………………………………………………………
「行きます!超極限集中!」
それはエリスにとっての最大の切り札、全てを識る識の力で何もかもを見通絶大な力を得るこの魔力覚醒こそが、この戦いを終わらせる鍵である
この状態ならば識確魔術を扱うことが出来る…、それを今の魔力防御を失ったシリウスに叩き込めば、それで終わりだ
「遂に使ってきたのう」
しかしそれを受けシリウスも笑う、この超極限集中こそがシリウスにとって正真正銘の最後の勝機である事を彼女は理解していたからだ
何せエリスが超極限集中を維持していられる時間は長くはない、一度使い切れば次に使えるのは次の日、無理をして再度使用してもシリウスを倒し切るだけの識確魔術を放つことは出来なくなる
ならシリウスはこの超極限集中の数分間を乗り切れば勝ちなのだ、エリス達はシリウスを倒す手段が無くなり手出しが出来なくなるのだから
故に彼女は待っていた、どんなに追い込まれても 逃亡が失敗しても、最後にこの超極限集中によるか一手間がある限りまだ負けはないと
当然待っていたのだから、シリウスとて行動する…最後の力を振り絞って
「ぬはは!それでどうする!識確魔術をワシに放つか!?、当てられる物なら当ててみるがいい!」
「ッ!」
何処にそれだけの力を残していたのか、シリウスは上に逃げると見せかけてフェイントをかけ、穴の中を駆け抜けるように全速力で走り抜ける、識確魔術にさえ当たらなければどうともないとばかりに
だが、…シリウスが識確魔術を読んで対処してくる事さえ読んでいたのだ エリスは…だって、シリウスならそれくらいしてくると理解していたから
「見えています!、ラグナ!ネレイドさん!シリウスを止めてください!」
「ああ!、最後の一踏ん張りだ!ネレイドさん!」
「うん!」
超極限集中により識の力を手に入れたエリスは凡ゆる物を見通す、故にシリウスの逃走を事前に読んでいたかのようにラグナとネレイドに指示を出す
するとラグナはネレイドの巨体を軽々とか片手で持ち上げ
「必殺!ネレイドアロー!!」
投げ飛ばす、エリスの指定した地点に全力でネレイドを投げ飛ばす、ネレイド一人では成し遂げない超高速の飛翔は即座にシリウスの逃走に追いつき
「むうぅん!」
「ぬっ!?」
シリウスの目の前に着地し両手を広げ壁となる、それを受けシリウスは思わず立ち止まる…、知っているからだ ネレイドの頑健さを、もしここで弾き飛ばそうとすればネレイドは全力で抵抗する…そうしている間に識確魔術が…
「チッ!」
即座に足の向きを変える、とにかくこちらはダメだと引き返そうとする…だがその先には
「行かせるかぁぁぁああ!!!」
「ぐぅっ!?」
ラグナだ、今度はラグナが自身を蹴り飛ばし引き返そうとするシリウスの体に組み付きその動きを止め…
「エリス!今のうち!」
「はい!」
即座にネレイドもその拘束に加わりラグナとネレイドの二人掛かりでシリウスの体にまとわりつき動きを止める、今のうちだと叫びをあげ エリスに合図を送る
今度こそ完全に捕まえた、もう識確魔術は避けられない!
と…誰もが思った瞬間、次にエリスが口を開いたのは 魔術の詠唱ではなく
「ッ!!ラグナ!ネレイドさん!離れて!」
「え…」
識の力で未来を読み取ったエリスの忠告だった
「侮るなと言っている…、ワシがこの程度のことで、負けるか…!!」
ギリリと牙を噛み締めたシリウスは 残った力を振り絞り頭上に腕を掲げ…
「この声を聞け!力を見よ!、天へと上りし神体は絶対なる力の具現、全てを見下ろし 万を焼き尽くす究極の光は 果てまで焼き尽くして尚飽き足らぬ瞋恚の炎!、人よ 恐怖せよ畏怖せよ 消え失せよ!『万界炎熱紅蓮地獄』ッッーー!!!」
ここに来て放たれるのは古式炎熱魔術最強の一角と謳われる最強の炎、大地に向けて叩きつけるように振るわれた腕からぶちかまされる大豪炎は組みつくネレイドとラグナの体を焼き飛ばすように周囲に向けて放たれる
「ッッッ!!がぁっっ!!??」
「うぅっ!?」
その威力は全盛の状態のシリウスから放たれる魔術と同レベルのもの、残った魔力を惜しみなく注ぎ込んだこの一撃はラグナとネレイドを吹き飛ばし炎に包みその拘束を振り払う
「ラグナ!ネレイドさん!」
即座に周囲は炎に包まれた地獄と化し、揺れる陽炎の中シリウスは動き出す、これ以上の抵抗は出来ないとばかりに…、踵を返し エリスから逃れるように足を前に進めた瞬間
「ぅぅぅぅうぅおおおおおおおおお!!!」
「っ!なんじゃ!?」
岩さえ焼き尽くす炎を突っ切って飛ぶ影がある、シリウスの退路を塞ぐように炎を切り裂き飛び込んでくる影が勇気の雄叫びをあげる
ラグナもネレイドも既に吹き飛ばした、もう道を塞げる奴はいないはず…ましてやこの炎の中に身を投じて無事なものなど一人も…
「絶対に逃さない!、お前を倒して!コーチを助けるんだぁぁぁあ!!!」
「さ サトゥルナリアっ!?」
ナリアだ、炎が放たれると同時に全くの迷いもなく突っ込んできたのはサトゥルナリアだ、それが手に持つのは赤い傘…、この戦いを前にメグから受け取っていたたった一つの魔装
彼でも扱えるほど簡素かつ軽量な魔装…、そう 『火除けの傘』だ
「ぅああああああああああ!!!」
しかし火除けの傘でも受け切れない炎の熱量に徐々に黒く焦げ焼け落ちる傘の羽の中に、ナリアは決死の覚悟で更に身を前へと飛ばし、傘の骨を引き抜き小さな針とすると共に…シリウスに突きつける
シリウスにとってはまるで蚊の一突きの如く矮小な一撃、足を止めるまでもない小さな小さなか弱いか弱い一撃…だが、そんな弱く脆い一撃を 立派な魔術にする方法をコーチは教えてくれた、僕でも 世界のために戦える方法を…仲間を守る方法を!コーチは!
「高速魔術式!『幻夢望愛陣』っ!!!」
「なぁっ!?」
速い あまりに速い、シリウスさえ反応出来ず ともすればプロキオンの剣技よりも…世界最速の剣よりも速いのではないかと思えるほどの速度でシリウスの腕に書き込まれるのは魔術陣…、それを書き込んだナリアはそのまま炎を突っ切り燃える海から抜け出すように転がっていく
…もう、目の前には誰もいない、もう目の前には道を塞ぐ者は誰もいない、今なら逃げられる…だというのにシリウスの足は動かない、まるで地面に縫いとめられたように動かない
書き込まれたのは、『幻夢望愛陣』…対象者の愛しく望む景色を見せて拘束する魔術陣、エリスやマリアニールの動きを止めたそれを 今度はシリウスに書き込んだのだ
「な…あ…」
魔術陣を書き込まれたシリウスは、瞳孔を広げ…見てしまう、愛しき景色を、それは
………………………………………………………………
『師匠…、師匠!今日はどんな魔術を教えてくれるんですか!』
『あ!ずりぃ!今日は付与魔術だよな、オレに特訓だよな!師匠』
『喧嘩は良くないです、ここは穏便に治癒魔術を…』
『我が師よ、どうされましたか?ボーッとして』
目の前に、火の海の向こうに子供達が見える、小さな小さな子供達がワシの手を掴む、師匠と呼び慕い、愛を隠そうともせず…憧れを見せながら、ワシの手を掴む
これは
(レグルス…達か…)
在りし日の光景、まだシリウスが師匠で魔女達が弟子で、あの森の小屋でみんなで生きていた頃の景色だ…
『ふえぇーん!、師匠!しっかりしてくださいー!』
(スピカ…お前は昔、泣き虫でしょうがなかったな…)
『師匠!どっか悪いのか!?お オレに出来ることならなんでもやるぜ!』
(アルク…お前は態度とは裏腹に優しい子じゃった…)
『師匠が苦しそうだとわたくし達も苦しいですわ…わたくし達は師弟なのですから』
(フォーマルハウト…お前はいつも思慮深いのう)
『ならボクが元気になる舞を見せるよ!、見てて!師匠!』
(プロキオン…お前は閃光のように明るく楽しい子じゃ)
『我が師の為に祈ります、ですから…どうか』
(リゲル…お前ほど慈悲深い子をワシは他に知らんよ)
『…師匠よ、どうされたのだ…』
(カノープス…お前は頼りになる子じゃ、ワシ亡き後も…しっかりと)
『姉様?姉様、…私姉様を愛しています、だから』
(おお…愛しのレグルスよ、そんな悲しそうな顔をしないでくれ…)
弟子達が、何よりも愛しい弟子達がワシを囲んでいる、嗚呼…なんと幸せなのだろう、こうしてこの子達といる限りワシは全てを忘れ一人の人間としてあれる、この時が…一番幸せじゃった
『師匠?』
「お…おお、すまんなんだな、ちょいとボーッとしておったわ」
『嗚呼!でしたら今日はなんの修行を?』
「そうじゃのう、なら今日は魔力操作のおさらいをしようかのう」
弟子達に手を引かれ、いつものように修行場として使ってる森の広場に向かうんだ、それで日がな日なこの子達の面倒を見て この子達の成長を見て、これ以上ないくらいの幸せを噛み締めて…
(嗚呼、ワシは何をしておったのだ…、そうか やはりワシが…)
そんな幸せな微睡みに身を任せようとした瞬間
「待て…何処に行く、阿呆が」
グイッと後ろから伸びた手に引き戻され シリウスは愛しい弟子達から引き剥がされる、この声は…
「ワシか…?」
「ああそうだ、貴様だシリウス…今更幸せな夢に逃げようなど都合がいいにも程があるぞ」
自分自身だった、狂気に満ちた目でこちらを睨み腕を引き寄せ現実に戻そうとする…ワシ自身だった
「嫌だ、嫌じゃ…ワシはあの子達の成長を見守りたい」
「何を腑抜けた事を!、これは貴様が選んだ道!貴様が望んだ世界だろう!」
「違う…違う、ワシは…」
「ダメじゃというておるのが分からぬか!、貴様の望みは真理に到達する事、それ以外な無かろう!」
牙を剥き本性を露わにする『ソレ』を見たシリウスは全てを悟る、どうやら本当に手遅れのようだ
「ワシは真理に到達せねばならぬ、ワシは真理に辿り着かねばならぬ、ワシは真理よりその座を強奪せねばならぬ、ワシこそが真理になる為にな!!!」
(嗚呼、ワシはもう手遅れのようだな…、だがせめて…我が教え子達に残さねば…、あれを…あの子達に…それまでワシは…ワシは…)
ヒビが入る幻覚、『望んだ景色を見せる』魔術陣にヒビが入る、ワシが望んだものにヒビが入る、泣きたくなるくらい悲しいが仕方ない事だ、もう失われた景色を取り戻すことは魔術を持ってしても叶わぬこと…人は前を見て歩く事の代償に過去に背中を向けて行くもの
だからこそ、ワシも今は前を見よう…、大丈夫…我が弟子…そしてその更に弟子達ならば
きっと
…………………………………………………………
「ぎぎぃっ!くだらぬ景色など見せよってからに!!」
即座に腕に刻まれた幻夢望愛陣に爪を立て抉る事で幻覚から脱却する、くだらないくだらないくだらない 今更あんな物を見せられて心揺らぐ程ワシは甘くはないわ!
一周回って激怒の感情が胸を占めるシリウス、…だが その景色に心を乱された時点でナリアの目的は達成されている、何せ 彼女は炎の中で
…確かに足を止めてしまった、それを見逃す程エリスは甘くない
「受想行識、世は色を得て絶えず変化し、人は肉を得て 根 境 識により苦楽不苦楽を受け入れ、心は形象を描き認識し、意識は動き心のままに有る、区別し認識し知り得て知り分け全を作り一へと確立する、我が手の中にありし五星五蘊は世を創り 解脱し乖離し、知識よ 今…」
「ハッ!?」
思わず振り返る、振り返ってしまう、脇目も振らずに逃げ出せばまだ助かる道があったかもしれないのに、シリウスはここで…悪癖『事象の確認』が出てしまう
それ故に振り向き、目に入った景色は…
炎を切り裂き、純白の光を放つ…エリスの
「第八識『神識之領域』ッ!!」
「しまっ───」
飛んで来た、シリウスとレグルスの魂の結合を根本から消し去る識確魔術最悪の奥義…、即ち『知識の焼却』が
あれを受けれた対象は、それが知識によって生まれた存在ならばそれに纏わる知識を根底から消し去ってしまえるのだ
それがどうやって生まれたのか、それがどうやって使われていたのか、どういう名前なのかも纏めて誰も思い出せなくなる、かろうじて存在していた事は思い出せるが…その再現は不可能になる
エリスがレグルスを助ける為に取っておいた最後の一手が何かもを消し去る極光となってシリウスに一直線に放たれた、最早回避も逃亡も不可能…
終わった…、誰もがそう思う、…シリウス以外は
「ッ!侮るなッッ!!!」
シリウスという女は傲慢不遜な性格と横暴極まる性格の割にその実慎重を極める性格を持ち得ている、そもそもここで決着をつけると覚悟した時点で 何通りも自分が負け得るルートという物を思考し備えていた
先程の逃亡もその際に考えついた一手である、そして当然逃亡が不可能になった場合…魔女の介入により我が体が拘束された場合を想定して、シリウスはずっと備えていた
アマルトが見抜いたシリウスの切り札、それは
「魔力展開っ!!」
突き出した手の先に発生する魔力乱気流による防壁、この戦いが始まった時からずっとシリウスは自らの体の一部に『識確魔術を確実に弾き返せる量』の魔力を残しておいたのだ
アンタレスの呪術に蝕まれた時も、アマルトに追い詰められた時も、ニビルによって魔力を食われた後も、今ここで逃亡する際も、ずっと手をつけず残しておいたそれに 遂にシリウスは手をつけたのだ
「なぁっ!?」
これにはさしものエリスも驚愕する、シリウスが魔力を隠していることに気がつけなかった 識の力を持ってしても見抜けなかった、先程の炎で『シリウスは戦闘用の魔力を使い切った』という情報を得て『シリウスにはもう魔力が残っていない』とエリス自身が誤認してしまった
それ以上に此の期に及んでもまだ識確魔術を防げるだけの魔力を残し続けているとは到底思えなかったからだ
「ぐ…ふふふ、勝負ありよな…エリス!」
「うっ…!」
青褪めるエリス、勝ち誇るシリウス、エリスの識確魔術はシリウスの魔力防壁に当たって砕けていく、そもそも識確魔術には攻撃力が存在しない 故に相手の防御を押し切る事が出来ないのだ
(防がれた!?まだそれだけの力を…!見誤った!シリウスという人間を!、ど どうする!どうしよう!、もう一度放つか!?いやダメだ!次は詠唱の最中に逃げられる!もうラグナもネレイドさんもナリアさんも動けない!、もうシリウスを止められる手がない!今しかないのに!)
迂闊だった、或いは若過ぎた、エリスは逸った 気を逃した、ここに来て天運を握り損ねた、頭のてっぺんから血が下に降りていくのを感じる程にエリスは己の失策を悔やむ
「終わりじゃ…エリス!」
ニタリと魔力防壁の向こうで笑うシリウスが口にする、終わるのはエリス達の方だと…切り札を潰されたエリス達には、もう 出来ることなんて
…………………………………………………………
アマルトは倒れた、それを治す為デティの手はそちらについている
ラグナとネレイドは炎により吹き飛ばされ負傷、再行動には些かの時間が必要
サトゥルナリアもなんとか炎から生還したがもう動ける気配はない
そして今、サトゥルナリアが命がけで作り出した一瞬の隙をついてエリスが叩き込んだ識確魔術がシリウスの手によって防がれた、もう後少しといところに来てのシリウスの奥の手、どこまでも狡猾で用意周到なあの女は我らの最後の一手だけでも潰せれば勝ちだとハナッから読んでいたのだ、その上での悪足掻きや逃走だったのだ…どちらも失敗しても 最後にはこの手があるから諦めなかったのだ
エリスの顔色は浮かない、顔色は青く瞳孔は震えるように彼方此方を見て逆転の一手を探している、この識確魔術を防がれたらまた奴に魔術を叩き込むところからやり直し
ラグナとネレイドとナリアの三人が命をかけてなんとか作り出した隙をもう一度作り出せる余力はもうない、逃げられれば終わり…
終わりだ、…けど きっとそうはならない
ガシャン と金属が組み付く音がする、キンと一つ甲高い金属音が鳴り響く、エリスとシリウスの魔術と魔力がぶつかり合う最後の意地の張り合いの最中に水を差すように構えを取るのは
「…………」
メルクリウスだ、…それが静かに銃を構えてシリウスに向けるのだ、エリスの援護をする為に
「ぬぅ?」
当然それにシリウスも気がつく、だが別に気にもしない、メルクリウスは銃をこちらに撃ってくるだろう、だがメルクリウスはワシを殺せない レグルスを殺すわけにはいかないからだ、それに今更銃弾の十発や百発食らったところでシリウスは止まる気は無かったからだ
あのような豆鉄砲食らったところで関係はないとシリウスはメルクリウスの危険度を過小評価した
そうだ、過小評価だ…今そこに立っているのはメルクリウスという一個人ではなく デルセクト国家連合群といえ巨大な組織が練り上げた技術の結晶体である事を…シリウスは見抜けなかった
「……私は眼中にすらないか、…だそれなら好都合だよシリウス、甘く見たな 我が国を、いや人の歴史を!」
裂帛の気合と共に放たれた一発の弾丸、発砲音よりも速く飛ぶ飛翔体は真っ直ぐにシリウスの元に向かい…
いや、些か語弊があったな、メルクリウスが狙ったのはシリウスではない…
シリウスの出す魔力が防壁の方だ
「む、むむ!?な なんじゃあ!?」
シリウスは見る、自分が展開した魔力防壁に命中した弾丸がそのまま防壁に食い込み、…内部から破壊しているのを
ピキピキと音を立てヒビが入り、ピシピシと亀裂を広げ、脆いガラスのようにシリウスの魔力防壁が崩れていく シリウスが作り出した渾身の防御が崩れていく
あり得ない、あまりにあり得ない、シリウスの防御がたった一発の弾丸に破壊されるわけがない…なのに
「なんじゃ…これは!」
「我がデルセクト国家連合群がその威信と誇りをかけて作り上げた…対天狼用兵装だよシリウス、お前のためだけに膨大な時間と莫大な金をかけて作ってやったデルセクトの…我々の最終兵器だよ」
「ワシの…いや、まさかこれは…」
───その昔、デルセクトを襲った大悪人 戦車のヘットは魔女を殺すための最終兵器として『戦艦ウィッチハント』を建造していた、それは魔女を殺し得るだけの火力を想定して作られた最悪の兵器…
内部に『ニグレド』と『アルベド』の力を装填し破壊と創造の相反するエネルギーを同時に放ち魔女に叩き込む事でフォーマルハウト様を殺そうとした、そんな最悪の兵器は当然ヘットの敗北後にデルセクトによって鹵獲されていた
今、メルクリウスが放ったのはその名も『魔壊弾』メルクリウス達は便宜上『器』と呼ぶそれはウィッチハントを鹵獲し手に入れた技術をデルセクト軍事局が解析し分析しメルクリウスの莫大な投資によって秘密裏に新たなる技術として作り上げていた新兵器だ
内容はウィッチハントと同じ、創造の力と破壊の力を装填し放つ点は変わらない、変わった点があるとすればそのサイズ…戦艦一つに搭載するほど巨大だった砲塔は弾丸一つ分にまで小さく収められ 持ち運びも可能になった
既にニグレドとアルベドはメルクリウスの手の中にある…ならば、ヘットが夢見た魔女を殺す一撃をメルクリウス個人で放てるようになったのだ
「壊し続ける力と治し続ける力、相反する二つの力の鬩ぎ合いにより生じるエネルギーは研究の結果『周囲の魔力を消費することにより発生』していることが分かっている、それを利用したが故に魔壊弾…お前の時代にはなかった技術だろう」
ヘットはなんとなく強そうという理由で構想していたようだがデルセクトの軍事局は破壊と創造のぶつかり合いの有用性を分析により理解している
破壊も創造も『魔力』というエネルギーを消費して行われる、普段はメルクリウスの魔力を消費して実行されるが このように弾丸として打てば周辺にある魔力を吸ってそれを使用することにより実現することが分かっているのだ
つまり、破壊も創造も一つの魔術で魔力を使用することに変わりはないということ、そして相反する破壊と創造は互いに拮抗し合い 周辺の魔力を勝手に消費する
この弾丸は魔女の魔力防壁を破壊出来る、純然な魔力の塊たる魔力防壁に食い込んだ弾丸は防壁を形成する魔力を勝手に使って弾丸内部で破壊と創造を繰り広げる、全く関係ないことに魔力が延々と使われ続けるのだ
「ニグレドとアルベドの力を入れても壊れぬ器…作るのに苦慮したぞ、だが それでも…」
魔壊弾は周囲の魔力を勝手に消費しシリウスの魔力防壁を破壊している、理論上の話にはなるがどんな魔女の魔力防壁も破壊することが出来るだろう事は実験段階から分かっていた
けど、本当ならこんなもの作りたくなかった…、魔壊弾は魔女の絶対性ほど否定そのもの、ヘットの試みの肯定、兵器で魔女を殺す事が叶うという事を実証してしまったに等しいのだ
我等魔女大国側からすれば…これは悪魔の発明だ、とても表沙汰には出来ない、だから使わないならそれで良かったが…
だが、それでも…今この場の勝利には変えられない!
「行け!エリス!魔力防壁は私が破壊する!」
「メルクさん…っ!!、はいっっ!!!」
「ぐっ!ぎぃっ!、よもや…よもや!」
ひび割れる魔力防壁、シリウスを守る壁が薄れて消えていく、識確魔術が迫ってくる…
(まさか、まさか…このワシが本当に負けるというのか?、このワシが?あり得ないじゃろ流石に…)
両手で必死に魔力防壁を安定させようとするが、亀裂から差し込む白い光は徐々に広がりシリウスの敗北を照らし出す
(何故じゃ…何故じゃ、八千年もかけて用意周到に準備した、なにもかも上手くいく筈じゃった、完璧な作戦のはずだった!なのに何故こうも崩れた!こうも上手くいかなかった!!)
事実シリウスの計画は絶望的な程に完璧だった、時間がかかるという難点以外は弱点がない計画だった
そしてその時間をかけて、シリウスは魔女七人を手中に収め、レグルスの魂さえも掌握し、その魂の支配権まで得た
完璧だった筈だ、シリウスの計画では今頃支配下に置いた七人の魔女でカノープスを抑え肉体を揃えて完全復活を果たしている予定だった!最初から弟子なんぞ思考すらしていなかった!決戦などするつもりもなかった!
なのに、その何もかもが上手く行かなかった、ある日を境に全てが崩れた…そうだ、そうだ!あの日から!全てが変わって────────
………………………………………………………………
「終わりだな、お前達も」
「そのようだね…」
魔女連合軍とシリウスの軍勢がぶつかり合っていた地上の戦地、そこから少し離れた地点で…静かに両陣営の最強戦力同士の戦いもまた終幕していた
「…………これで、羅睺は全滅だ」
立っているのは帝国…そして人類最強と名高き男、帝国筆頭将軍ルードヴィヒ
そして
「あはは、つまり私が最後か」
羅睺十悪星頭領にしてシリウスの右腕、識天ナヴァグラハが大地に倒れ伏す
ルードヴィヒとナヴァグラハの戦いは、ルードヴィヒの完勝という形で幕を閉じたのだ
「驚きだな、力が弱まっているとはいえこれでも羅睺最強の私が、こうも手も足も出ないとは」
「…フンッ」
「空間も時間も操る魔術を扱い、防御を許さず攻撃も許さず…徹底的に叩きのめすスタイル、けど何より恐ろしいのはその『テンプス・フギット』かな」
テンプス・フギット…ルードヴィヒが最も得意とする特記魔術がこの戦いの決め手となったと言っていい、この魔術はシリウスでさえ理解出来ずただ受ける事しか出来ず終ぞ攻略さえ出来なかった絶技だ
それを前にナヴァグラハもまた徹底的に叩きのめされた、恐ろしい魔術だ
「効果は『所要時間の短縮』…いや、それどころの騒ぎじゃないな、『過程の完全消失』か…すごいなぁ」
ナヴァグラハは感心する、彼が使うテンプス・フギットは言ってみれば『因果』と『結果』の間にある『過程』を完全に消し去るというものだ
つまり、ここからルードヴィヒが家に帰るという行動を取ったとする
家に帰ろうという一歩を踏み出し、帰路につく過程を取り、玄関の扉を開けるという結果に行き着くだろう、だが 彼がテンプスフギットを使えばその間にある『帰路につく過程』が完全に消える
家に帰ろうと一歩踏み出した瞬間家に着く、それが大陸の端から端に移動するなんて無茶な行軍でも一瞬で終わる…そんな感じの魔術だ、だからもし彼が私を殴ろうと動き出したらもうその瞬間には私は殴り倒されているんだ、速いとか遅いとかそういう話じゃないよね 凄いよ
だがナヴァグラハは思う、真に恐ろしいのは過程を消すところにあるのではない…、この魔術を用いてもしその行動が失敗に終わり 結果に行き着けなかった場合の挙動だ
なんと、この魔術はもしその行動が失敗し結果に行き着けなかった場合 発動しないのだ、凄くないかい?ずるくないかい?これが余りにも反則過ぎる
だって発動しないという事は、彼は行動を起こす前にその行動の結果を知る事ができる
もしテンプス・フギットが発動すれば万々歳、もし発動しなければ防がれるかカウンターを食らうんだろうなという事を無傷で知って行動をキャンセル出来る
だからルードヴィヒの行動は常に成功する、失敗を事前に知って行動できるから常に彼の攻撃だけが通る、一方的にボコボコにされる…この私でさえルードヴィヒには勝てないんだ
「おめでとうルードヴィヒ、君の活躍で羅睺は全滅だ」
「…解せないな」
「なにがだい?、私はもう直ぐ消滅するだろうから やられた悪役らしく真実はなんでも語るよ」
「お前のそのやる気のなさだ」
やる気のなさ…それはルードヴィヒが最初から感じていた事だ、ナヴァグラハという男からは最初からやる気を感じなかった、それが変に解せないのだ
そんな質問を投げかけられると…
「うん、そうだね…まず私は未来が分かるんだ」
「未来が分かる?、そんな魔術は存在しない筈だ」
「そうだね、未来予知の魔力はない…だから私のこれは単純な未来の予想さ、知識からくる予想…、そうだなあ 例えばだけど、君はコップを傾けて中の水を零した時水がどこにいくか…分かるかい?」
「…………」
「そう、下に落ちるんだ…水が下に落ちるよりも前に人は水が落ちることを理解している、それは水の性質と重力の法則を識っているから、だから見るまでもなく予測出来る…これも立派な未来予知だろ?、私のはそれと同じさ」
結この世の物事は全て知識で予測出来る、水はどこに落ちどこに流れるのか 木が風に吹かれたらどうなるか、知識があれば誰もが未来を予測出来る、ナヴァグラハは偶々その範囲が他の人よりも広いだけだ
人が動く法則と魔力の流れとこの世の理、それを識っているから未来を正確に予測出来る、だからこの戦いが起こる事をナヴァグラハは最初から知っていた、それこそ八千年前に魔女達に殺される瞬間から…、いや 恐らくは更にその前から
「最初から全ての結果が分かってるから…私はどうにも物事に本気になれなくてね、君もそうだろう?、何回も読み返して次にが起こるか分かっている本を…いつまでも新鮮な気持ちでは読めない筈さ」
「つまりお前はこの戦いは負けると分かっていたのか?」
「少し違う、この戦いがこの場で起こる事は識っていたが…私の予測では『ここまでの規模ではなかった』」
「何?」
「相手は帝国と少数のアジメク兵だけ…アルクカースや参陣は勿論 コルスコルピやエトワール オライオンの介入は絶対になかった、ましてや この戦いに私達羅睺十悪星が駆り出されることもなかったから 戦いはもう少し小規模だったんだ」
「…………」
「分かるかい?、私は呼び出された時点で全てを察していたのさ、シリウスの計画が上手くいかなかった事を、私が呼びされ戦わされる時点で当初の予定から大きく外れてしまっているのだからね、計画が上手くいかなかった以上勝ち目はないからね」
「だがそれでも足掻こうとは思わないのか?お前は」
「まぁ最初からレグルスの肉体を乗っ取るって作戦にはあんまり乗り気じゃなかったからね、それに…ここで足掻くよりも私は何故こうなったのか そちらの方が気になったね」
つまりナヴァグラハは自分達が劣勢にいると理解しながら、そこで仲間の為に戦うことよりも既に戦いを敗北と断じて自分一人で反省点の洗い直しをしていたのだ
やる気がなかったんじゃない、最初から彼の中で戦いは終わっていたのだ、だからそもそも戦う気がなかった…と、そこまで納得してルードヴィヒはナヴァグラハという男の認識を改める
なるほど、ここまでクレバーに動ける人間が敵方のブレインか、陛下が苦戦するのも頷ける…と
「どうして私達の計画は失敗したのだろう、やはり八千年という長期スパンが祟って粗が出たのかな、シリウスが何処かで勝手なことでもしたのかな、…色々考えたがそのどちらでもない、私の予測は完璧だったしシリウスの動きもまぁ失敗に導かれる程のものでもなかった、なら…私達は何故敗北したと思う」
「…知らん、だが心当たりならある」
「なら正解だ、…そうだよ 君の思う通り、我々が失敗した理由 そしてシリウスが敗北したのは、エリスという少女の出現 それが全てだ」
ナヴァグラハは目を閉じる、全て予測通りに進み 世界は着実に滅びに向かっていた、このままいけば世界はシリウスの計画通り滅びていただろう
シリウスの影響によりかつての情熱を失い魂の輝きを燻らせていたレグルスは、そのまま行けばいつかその意識をシリウスに乗っとられていた、そしてウルキが操るレオナヒルドによってレグルスはあの森の小屋から引き摺り出され皇都に向かう
そこでシリウスに操られたレグルスはスピカと出会い アルクカースとデルセクトの紛争を知り、スピカによってその紛争を収めるため戦いに赴かされる
操られたアルクトゥルスとフォーマルハウトによって再現されるのは大いなる厄災の時と同様の戦争だ、その中でレグルスはかつてのトラウマを刺激されより一層シリウスに支配される
その後はコルスコルピ、エトワールと周り操られた魔女達によって洗脳と同化を強め 帝国で完全にシリウスに乗っ取られると同時にカノープスを不意打ちで殺し、肉体を強奪することによってシリウスは地上に顕現する
…その頃には既にスピカもリゲルも手中にある、アルクトゥルスもフォーマルハウトもアンタレスもプロキオンも洗脳出来ている、邪魔する人間はいない 全ての肉体を揃えるため最後の国であるアジメクに赴き、スピカを失ったアジメク軍と帝国の残党を蹴散らし肉体を揃え レグルスと同化させることで完全なる復活を遂げようという計画だったんだ
全てが上手くいっていた、全てが…、だその全てが崩れたのがあの日…
レグルスとエリスが出会った瞬間だ
エリスとの出会いでレグルスは燻っていた魂の輝きをほんの少しだけ取り戻した、そのほんの少しが全ての狂いになった
エリスが無茶をしてレオナヒルドに食ってかかった所為でレグルスとレオナヒルドが激突する予定の日時が数ヶ月規模で早まった、そのせいで皇都に向かう日も早まり アルクカースとデルセクトの紛争が起こるよりも前にレグルスはエリスを連れて旅立ってしまった
その旅の最中もエリスによる誤差は続く、本来ならベオセルクが勝ち始まる筈の紛争が封じ込められ エリスを救う為に本来は戦う予定になかったアルクトゥルスを相手にレグルスが戦闘を始めてしまった
デルセクトでその狂いを正そうとしたが、それもエリスに邪魔されやはりエリスを助ける為にフォーマルハウトとレグルスが戦った
そのせいでアルクトゥルスとフォーマルハウトの洗脳が解けてしまったんだ、そうなったら後はもう総崩れ…何もかもが計画から外れていった、アルクトゥルスもフォーマルハウトも
レグルスとは戦わず洗脳されたままだった筈なのに
エリスがいたから、レグルスがそれを助けようと戦ってしまったんだ…
エリスがいたから、各地で進んでいた計画が全て崩れてしまった
エリスとレグルスが出会ったから、世界は破滅しなかった
エリスがレグルスと旅に出たから、魔女達は洗脳から解放された
エリスが…エリスがあの日、生を諦めず 己を諦めず、雨の中歩き 苦しみを堪えてレグルスの小屋を発見しなければ…何もかもが計画通りだったんだ
孤独の魔女と独りの少女の出会いが世界の命運を分けたのだ
「何一つとして狂いのなかった計画は、エリスの旅路によって挫かれた エリスの存在によって破壊された、エリスとレグルスの出会いによって…ね」
「…ふっ、そうか」
そんな話を聞いたルードヴィヒはやや安堵の笑みをこぼす、つまり…だ
エリス、君の努力 君の優しさ そして何より、君の旅路は…どうやら何一つとして無駄なものはなかったらしい、君が諦めず歩き続けたから世界は救われたようだ
チラリと皇都に目を向ける、…君の旅路はシリウスの全てを打ち砕くきっかけとなった、ならばそこでの戦いは、君の旅路の全ての結実となるだろう
「最後の大詰めだ、勝てよ…エリス」
………………………………………………………………
「ぅぅ…ぅぉおおおおあああああああああああ!!!!」
「ぐっ!ぎぃっ!やはり…貴様さえ、貴様さえ居なければ!」
ひび割れていく防壁の中シリウスが睨むのは、識の光を放ち シリウス八千年の計画を全て無に帰そうと吠えるエリスだ
(全て彼奴の到来で何もかもが崩れた!後一歩だったのに彼奴が現れたせいで何もかもがオシャカになった!、彼奴さえ居なければ…エリスさえ居なければ!)
エリスだ、シリウスの全てを破壊したのはエリスだ、エリスがしつこく追ってきたからここで戦わざるを得なかった、エリスが旅に出たから各地の魔女の洗脳が解かれせっかく分断した魔女大国が一つになってしまった、エリスが現れたせいで…何もかもを諦め我が傀儡となっていたレグルスがもう一度情熱を取り戻してしまった
後一歩のところで現れたエリスという存在こそが、シリウスを貶めようとする天運の権化だとするならば…
「くそ…が、ただで終わると…」
崩れていく魔力防壁、このままいけばシリウスの同化魔術も洗脳魔術も焼却されシリウスは再びあの幽世の前まで飛ばされ逆戻り、せっかく舞い戻ったというのに…
ならば と、シリウスは牙を剥く…最早これまでというのなら
「思うなよ!、エリスぅぅう!!!」
「ッッ!!!」
砕ける防壁、純白の光がシリウスを包みながらも シリウスは咆哮と共に光を引き裂いて真っ直ぐエリスに向かってくる、識確魔術に自身の同化を引き裂かれながらも、最後の最後 正真正銘の悪足掻きの為エリスに襲いかかる
(エリスさえ居なければ上手く行く言うのなら、この場でエリスを消すまでよ)
「シリウス…!、まだ諦めないんですか!」
「諦めんさ、ワシは…ワシはッッ!!!」
「ッ…!」
シリウスの体から滲み出る漆黒のオーラがその肉体全てを覆い尽くす、魔力じゃ無い…これは、全身全霊のシリウスが見せる本気の威圧、圧倒的威圧が視覚にまで及んでいるのだ
黒い煙を纏い咆哮を轟かせながらエリスの魔術を引き裂き その眼前まで肉薄するシリウス、それを収めるエリスの目には…
(か 怪物…)
「がぁぁぁあああああああああ!!!!」
この世のなによりも恐ろしい怪物が映っている、魔獣なんかよりも余程恐ろしい怪物が、ずっと暗く ずっと寒く ずっと恐ろしい…、言葉では形容することの出来ない八千年を生きる化け物…その本性を見たエリスは思わず竦む
シリウスは…人間じゃ無い、人の形をして人のフリをしている何かだ
「ワシは…終わらぬ!、ワシは永遠 ワシは永劫 ワシは永久 ワシは…ワシは、ワシは不滅じゃぁああああああ!!!!」
「なッッ!!?」
理性を超えた力の発露、シリウスの肉体から発せられる漆黒の煙は識確魔術を打ち砕き、エリスの体を包みその視界を黒に染めて行く…
呑み込まれる、シリウスの…中に…………
……………………………………………………
「っは!?ここは!?」
刹那、黒い煙が晴れ エリスの視界が戻ってくる…一瞬意識を失ったような気さえするほどに、荒れ狂う魔力の奔流に飲み込まれたエリスが辿り着いたのは
「ここは……」
一面真っ白な城郭、影もなくただ白だけが広がり輪郭さえもあやふやな楼閣…ここは、シリウスのいる幽世の門…その手前、いつもエリスが死に掛けた時に訪れるシリウスの城だ、と言うことは
「……シリウス」
「………………」
目の前には、シリウスがいた
師匠の姿では無い、白い髪を揺らす本来の姿…ただ、その表情は暗く 本来の姿を取り戻した喜びとかは感じない、多分…復活は出来なかったんだろう
「貴方の計画は、これで終わった…ですよね」
「…そうじゃのう、最後の力を振り絞って貴様を幽世に放り込んでやろうかと思うたが、どうやらそれは出来ぬようじゃ…なんと間が悪い 或いは運がいい」
するとシリウスは背後に視線を移す、するといつもは開いている幽世への門が閉まっていたのだ、あれが閉まっているのを見るのは初めてだな…なんで閉まってるんだろう
「はぁ〜つくづく運が向かぬものよ、何か一つ違えば勝てていたものを…、運の悪さで負けるとどうにも歯痒いのう」
あーやめやめとシリウスは軽く欠伸をしてその辺に座り込む、けど…油断はしない、こいつは卑怯者だ 好きを見せれば何をしてくるか分からない
「…………」
「フッ、大分ワシと言う人間のことを理解してきたようじゃのうエリス」
「当たり前です、あんなに貴方には手を焼かされたんですから」
「そりゃこっちのセリフじゃ、貴様さえいなければ…、よもやワシの最たる理解者が最たる難敵になろうとは…、お前があの時ワシの誘いを受けてくれていれば…そう思わぬことはないぞエリス」
あの時…ってのはオライオンでの誘いの事か、まぁシリウスの誘いは正直に言うと嬉しかった、新しい旅に出るってのも楽しいが、きっとそれが嬉しいと思ったのは…
「でも、エリスもあの誘い自体は嬉しかったですよ、貴方と旅に出れるのは楽しそうです」
「…ほう?、このワシと?敵なのに?」
「敵ですけど、そんなこと言ったらエリスは昔敵対した人とも一緒に旅もしましたしね、そう言う意味じゃ貴方も同じです、貴方は賢く色んなことを知っているのであちこちを巡って色んなことを教えてもらうのも良さそうだなって」
「………………」
「でもそれは叶わない、貴方が貴方である限り敵対以上にエリス達は相容れない、ですよね」
「…そうじゃのう、惜しいことにな」
にししと照れて笑うようにシリウスは膝の上で頬杖をついてエリスから視線を外す、エリスとシリウスは敵対関係以上に相容れない道を行く者同士だ、生半可に同じ価値観を持つが故に受け入れられない相手なんだ…だからこうしてぶつかり合うのも仕方ないと言える
「…はぁ、もう今回の一件からはワシは手を引こう、レグルスとの結合もこの通り解けた、もう一度同じことをしようにもその知識が失われておるから魔術を作り直す必要がある…となると、また同じ計画を始動するにはまた八千年かけねばならぬ、やってられんわそんなこと」
同じ計画を使おうと思うと洗脳魔術と同化魔術をまた作り直さないといけない、けど同じ魔術ではないからまた洗脳は掛け直しになりまた八千年使わなくてはならない、いや…同じ轍を踏むほど魔女様達も甘くない、今度はそれ以上の時間か 或いはそもそも不可能かのどちらかになるだろうな
「誇るがいいエリスよ、このワシの計画を努力と信念で堰き止めたその功績を、…お前はワシの道を阻んだ歴代の強者達の名の中に加わるのだ」
「多くの強者達?魔女様以外の人達にも計画を邪魔されてるんですか?」
「ああそうだとも、ワシの計画を邪魔するために多くの者たちが魔女に味方したからのう、中にはワシも手を焼くほどの者もおったし計画を根底から潰されたこともあった…ワシってば最強じゃが全能では無いしのう」
シリウスとて人間、失敗することもあるしヘマをすることもある、なんでも出来るがあらゆる事を可能とするわけではない、神に近づいた人間だが…神ではないのだ
「じゃが、分かるじゃろう?ワシは何度失敗しても挫けない、今回も同じじゃ!失敗したが次は上手くやる、何度も何度も地上に手を伸ばすぞ」
「望むところです、その手を全て払いのけてエリスはこの世界を守りますから」
「ぬははははは、言うのう…やっぱりええわあ、お主ワシの弟子にならんか?」
「だから言ってるでしょう、エリスと貴方は相容れないと…それにそもそも」
クルリと背を向ける、帰るべき場所 戻るべき所へ帰る為、シリウスに背中を見せて現世への道を行く…
エリスはシリウスの弟子にはなりませんよ、だってエリスは
「エリスはエリスです、孤独の魔女の弟子エリスなんですから」
「そのフレーズ気に入っておるのか?」
「はい、とても誇らしい気持ちになれますから」
「ほーかほーか…」
そうして白い景色の奥へとエリスの体は消えていく、何度も来ているから帰り道もわかる、そんなエリスの背中を見送るシリウスは…
「いい弟子を持ったな、レグルス」
歯を見せ笑う、あれは良い弟子じゃ レグルスにそっくりじゃからのう、レグルスにそっくりな彼奴にワシの計画を邪魔されたと言うのもある意味納得よ…、次からは魔女だけでなくエリスの対処も頭に入れねばのう
「ふぅ、…しかしまさか負けるとはのう、これはワシの不運か?それとも…」
「エリス達が強く育っていたからさ」
シリウスの背後より声がする、全く…何故姿を見せんのだ、ワシがこんなこと言うのもアレじゃが流石にエリスが可哀想じゃないかのう
「何故姿を隠しておった、レグルス…もうワシの束縛はないのじゃ、自由に動けるじゃろう」
「……フッ」
チラリと背後を見れば、先程まで居なかったレグルスが立っている、この魂だけの世界に於いて 此奴は先程まで態とワシの魂の中に隠れてエリスの目をやり過ごしておったのだ、姿を見せてやれば良いものを…
「エリスとの再会は現世でする、もう貴様の邪魔もないからな」
「ならとっとと行かんかい、ワシは今から反省会と次の復活計画を練るのに忙しいんじゃ」
「そう言うな、落ち着いている貴様と話すなど滅多にない機会だからな」
そう言うなりレグルスはワシの隣に座って見せる、落ち着いているワシとってワシそんなに普段ハイかのう、いやまぁ復活を前にして張り切っておったから多少はアレじゃったかもだが
その復活もおじゃんになって、今のワシはひっくり返ってかなりロー…落ち込んでおるのじゃ
「まぁ、話くらいなら付き合ってやらんでもない、お前を追い返すだけの元気もないわ」
「そうか、なら問わせてくれまいか?シリウス」
「何じゃ?答えられる範疇なら特別に答えてやらんでもないぞ?」
「そうか、なら聞かせてくれ…お前はシリウスではないな、誰なんだ」
「……………………」
レグルスの問いにシリウスの体が停止する、誰なのだと…シリウスに向かってシリウスではないと口にするレグルスの顔は、冗談やジョークで口にしているようにも見えず 当てずっぽうで口にしたとも思えない、確かな確信を秘めたものだった
「貴様はいきなり狂い出し世界を滅ぼすと口にしそれを実行し始めた、我々はそれを見て『師匠は魔力暴走で別人のようになってしまった』と結論づけた、私も思っていたよ別人のようになったと…だが、最近思うようになったのだ…別人の『ように』ではなく、本当に別人になってしまったのでは…とな」
「…………」
「もしお前がシリウスではないのなら、誰なんだ」
「……イケずじゃのうレグルス、それは質問ではなく尋問…既に答えがわかっているにも関わらずワシの口から答えを引き出そうとする意地汚いやり方じゃ」
「そうか、で?どうなんだ?」
「ちょっと違う、ワシはキチンとシリウスだぞ」
「……いや、そうか なるほど、そう言うことか」
暫く思考した後レグルスは事の真相に気がついたのかはたと顔歪ませる、残念じゃったのうワシはキチンとシリウスじゃ お前達と修行をしたシリウスじゃよ
「なるほどな、ずっと気になっていた…お前が我々魔女とウルキに不老の法を渡した理由が、…そう言う事だったんだな」
「分かってくれたか?…、そういうことじゃ」
「…………なら、結構だ 聞きたいことは聞けた」
すると、レグルスもまた立ち上がる、もう聞くことはないと…
「何じゃお前ももう行くんか?寂しいではないか」
「知るか、お前よりもずっと可愛い私の弟子が向こうで待っているんだ、帰って抱きしめてあげなくては」
「…はっ、好きにするがええわ」
「そうさせてもらう、ではな」
「…………」
レグルスの魂は我が手元を離れ、ただ一人シリウスだけがこの白の楼閣に取り残される
復活計画は失敗に終わった、エリスの活躍によりシリウスとレグルスの結合は断たれた、オマケに洗脳も同化も封じられシリウスが現世に干渉する方法の殆どが無くなった
エリス達の完全なる勝利である、シリウスは今を生きる人間達に敗れたのだ
「はぁ、悔しいのう…じゃが、これで終わりと思うなよ」
だがそれでもシリウスは絶望しない、未だワシはここにおり シリウスという存在は未だ諦めていない、まだまだ蘇る方法はある…
ならばまだ挑戦の時は終わらない、今度こそ 必ずや天に手をかけて地上に舞い戻ってか見せようぞとシリウスは楼閣の中で一人笑う
さて、次は何をしてくれようかな
……………………………………………………………………
「エリスちゃん!エリスちゃん!、大丈夫!?ねぇ起きてよー!」
「シリウスに何かされたのか?」
「分かりません、ただ以前同じ魔術を放った時も同じように気絶されていたので…その時は目覚めるのに三日かかりました」
「レグルス様もアマルトさんも目覚めないですし、エリスさんまで目覚めなかったら…僕…」
「大丈夫…、エリスを信じよう…」
「そうだな、ネレイドの言う通り…今我らに出来ることはエリスを信じるより他ない」
魔女の弟子達は大穴の中、倒れ伏すエリスを囲んで心配そうにその顔を覗き込む、体に傷はないが最後の最後でシリウスに何かされたようにも見えた為 皆一様に心配しているのだ
シリウスも動かなくなり、アマルトもまた気絶から目覚めない中…不安の真っ只中にいる弟子達、戦いが終わっても被害が出たのでは…と
静かに見つめ合った瞬間
「ッッ─────ぷはぁ!、あ 皆さんおはようございます!」
「ぅおっ!?びっくりした!?、ってかエリス!大丈夫なのか!?」
いきなり覚醒しそのまま跳ね上がるように起き上がったエリスはクルリと身を翻し起き上がる、うん…ちゃんと現世に帰ってこれたようですね、よかったよかった
「ええ、こう言う気絶には慣れてるので」
「そ そうか」
こんな風に無茶して気絶するのにも慣れましたからね、起き抜け一発 誰かと殴り合うくらいなら出来ますよ
しかし、先程の世界で見た話が本当なら…
「それより師匠は!」
「それなら…」
ラグナが視線で教えてくれる、エリスから少し離れた地点に倒れるのは傷だらけのシリウス…ではなく、レグルス師匠だ
まだ、目覚めてないのか?それとも肉体を傷つけ過ぎたか?、もしかして識確魔術でシリウスを切り離す際何かミスをしたか?
「…師匠」
「あ エリスさ…」
「待てナリア、行かなくていい」
「でも…」
師匠に駆け寄るエリスを心配してくれるナリアさんを引き止めるラグナは静かに首を振る、行かなくても良い…と、そうしている間にエリスは師匠の元に辿り着く
今さっきまでシリウスとしてエリス達と戦っていた顔がそこにある、今は力なく意識を失うその瞳が今一度開かれた時…エリスの戦いの全てを分ける
シリウスを撃退出来ても…レグルス師匠が戻らなければ、エリスは…エリスは…
「師匠…」
その顔を静かに撫でて、師匠の意識が戻るのを祈る
…すると
「ぬは…ぬはははは、ワシを誰じゃと思うておる、この程度で消えて無くなるか…戯け共がぁ!」
「ッッ…!?」
響く声、囀る口調、この喋り方はシリウス!?…いや待て 師匠じゃない、師匠はまだ目覚めてない!、なら…誰が
まさか!
「ぬはははははは!肉体を取り戻させてもらったぞ!」
「アマルト!?」
アマルトさんだ、目覚めるなりシリウスの肉体を掴みシリウスの口調で下卑た笑みを浮かべている、まさか…間に合わなかったのか
シリウスの肉体を使ったが為に、その意識に…自らの意識を上書きされて、…シリウスになってしまったと言うのか!?
まずい、だとしたらまずい…止めないと、でも…
「何してるのアマルト!目ぇ覚ましてよう!」
「ぬはは、喧しいわ…ワシを誰じゃと思うておる!ワシは…!」
と シリウスの肉体を天に掲げるアマルトさんは高らかに叫び…
「ワシは…!」
叫び…
「ワシは…あれ、そういえば俺シリウスじゃねぇじゃん、悪いちょっと寝ぼけてた」
「アマルトーッ!」
飛ぶ、紛らわしい寝ぼけ方をしたアマルトさんにデティのミサイルキックが、…なんだ 寝ぼけてただけですか
「ぐぇっ!?何々!?ごめん起き抜けで状況が理解出来ない!、ってあれ!?シリウスは!?」
「もう終わったよ!ばかー!」
「終わったの?、じゃあ俺終わるまで寝てたの!?」
「そうだよー!ばかー!」
「なんでチビ助はさっきから泣きながら俺のこと殴ってんの!」
「知らない!バカ!」
ギャーン!と泣きながら頭をポカポカ殴るデティの拳を甘んじて受け入れるアマルトさんは静かに首を傾げる、けど…治癒魔術師としてアマルトさんの傷の酷さを最も理解していたデティだからこそ 心配の度合いは人一倍だったろう
もしかしたらスピカ様のポーションを使っても、危ない賭けだったのかもしれない…、そこをモノにして無事生還してくれるとは、よかった アマルトさんも無事で
「悪い!みんな!肝心な所で気絶してて!」
「いやいいよ、アマルトの力がなければ…今頃全滅してた、けど」
「そうだよ!アマルト!無茶しすぎ!せめてあんな無茶するなら事前に言ってよ!ばかー!」
「でも言ったら止めるじゃん!」
「当たり前だろ、けどそんな選択をさせちまった時点で…情けないのは俺達の方だよな…」
「ごめんね、ありがとうアマルト…」
「うう、なんか居た堪れねぇ…もう無茶しねぇよう」
周囲の弟子達から無茶を咎められたり寧ろ申し訳なさそうにされたりと様々な感情が飛んできて思わず辟易してしまうアマルトさん、彼は褒められるのが好きなのであって注目されるのは好きではないようだ
「バカアマルト!」
「でなんでチビはいつまでも怒ってんだよ!」
「チビ言うなー!」
しかし、ああ言うか騒がしいのを見てると…こう、戦いが終わったんだなって気が…
「…騒がしいな」
「ッ……!」
ふと聞こえた声が、全身を貫く、まるで脳みそが痺れるような感覚がする声…さっきまで聞いてた声 けれどそれとは違う声、エリスが求め続けた声…
「師匠…?」
「ん、エリス…おはよう」
優しい瞳 慈愛に満ちた目線、シリウスが向けるものとは全く違う心からエリスを想ってくれる師匠の目…、師匠だ 師匠だ
レグルス師匠だ!、帝国からずっとずっと求めてきた師匠が…ようやく
「ししょ…っ」
抱きつこうとして、咄嗟に手が引っ込む…覚えているからだ、シリウスの事じゃない
ラインハルトさんから言われた言葉、師匠はエリスと出会った時からシリウスの影響下にあった…つまり、エリスを弟子にしたのは師匠の意志ではなかった可能性がある
いや、そもそも師匠の洗脳が解けて…正気に戻ったら『やっぱり弟子なんて要らない、あれは気の迷いだった』と言われたらどうしよう、元に戻った結果 師匠がエリスの知ってる師匠とは別人になってたら…どうしよう
怖い、ここに来て何にも勝る恐怖が襲う、師匠に拒絶されたらどうしようと言う恐怖が…
こんな所で怖がっても何にもならないのはわかってるけどさ…でも、でもエリスは…
「……ふぅ」
すると師匠は気怠そうに立ち上がると共にエリスの方に向かって来て…え
「こっちに来い」
「え?…え?」
「いいから」
すると師匠の温かい手はエリスをそっと抱き寄せ…抱きしめ、耳元に口を当て
「お前の考えている事は大方分かる、だが安心しろ…私はお前の師匠で お前は私の唯一の弟子だ、そこに変わりはないよ…私がこの世で一番愛する弟子はお前だけだ、エリス」
「し…ししょうぉ…」
「苦労をかけさせたな、だが…シリウスの中から見ていた、…立派になったな 強くなったな 逞しくなったな、私は師匠としてお前を誇りに思う、ありがとうエリス 助かったよ」
耳元で囁かれた言葉は、ある意味エリスが一番欲しかった言葉、エリスにとってのゴールライン
『エリスを助けてくれた師匠の助けになれるくらい、立派な人間になろう』…、そんな荒唐無稽にも思える願いの終着点…、エリスは師匠を助けられたんだ 愛する師匠を助けられたんだ
長い長い旅路、辛く苦しい戦い、何度も負けて何度も挫けそうになったエリスの人生…その始まりが去来する
そう、あの時のことは今でも覚えている………………
幾重に時を重ねても、幾星霜時を重ねても 未だ鮮明に思い浮かぶのは…
身を包むような温かな温もりと抱き留める優しさ、そして胸を焦がすような師への羨望
共に生きたいと願ったあの日のことを
『我が弟子として ここに住む気はあるか?』
独りだったわたしを拾って弟子にしてくれたあの人、わたしをエリスにしてくれたあの人
『エリス…』
そう呼びかけながら導いてくれる声があったから、エリスはここまで来れました、貴方がいたからエリスはここまで来れました
戦いの国を超え
権威の国を超え
歴史の国を超え
美術の国を超え
最強の国を超え
神威の国を超え
いくつもの苦難を乗り越えられたのは貴方がいたからです、エリスは貴方を求めてここまで歩いてきたんです、例えばまた一人になろうとも貴方との思い出がある限りエリスはもう独りではないんです
だから、師匠…見ていてください、エリスの直ぐそばで
ね?、エリスの大好きなレグルス師匠
「うぅ…あぁ、あぁ…師匠」
「ああ、エリス…」
「大好きです…師匠!大好きです!!」
「私もだよ」
頬を伝う涙、自然と抱きしめる師匠の体、伝わってくる温もり…そして
「…よかったな、エリス」
「うむ、無事師弟が再会できて何よりだ」
「うぅ、うわーん!エリスちゃーん!よかったねー!!」
「泣きながら殴るなよ、けど…めでたしだなこれで」
「はい!ハッピーエンドです!」
「ホッ、私も一安心でございます…思えば帝国からの戦いは長かった」
「…うん、よかった…」
みんなもまたエリスと師匠の再会を祝福してくれる
愛する師匠がいて、大切な友達がいて、一緒に戦ってくれる仲間がいて、喜んでくれる人達がいる
そんな人達の温かな声と温もりはエリスを包み込み、…長い長い戦いは終幕を迎える
其れは、名も無き独りの少女が得た一つの結末
孤独の魔女と出会い、幾多の苦難を乗り越え、災厄の権化と戦い…手に入れた未来
独りの少女は、もう独りじゃないんだ