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309.魔女の弟子と夜明け前が一番暗い


遥か古に巻き起こった大いなる厄災、正しく言うなればオフュークス帝国の『全世界侵略宣言』より始まった世界最悪にして最大の大戦争は、まるで出口の見えない迷路のように長く長く世界を蝕み続け、ただイタズラに死者だけを増やし続けた…



「神よ、この者の魂が正しき場所に導かれる事をここに祈り奉ります」


「おい、何やってんだよリゲル」


そんな荒れ果てた大地の只中に打ち立てられた木の杭や瓦礫の破片を立てただけのそれを前に祈るシスターを忌々しそうに見つめる目はなんとも苛立っており、目に入る者全てを破壊しそうな勢いで険しく 暗澹とした輝きを秘めている


「アルクトゥルスですか、見ての通り死した者達の冥福を祈っているのです」


「そんな事して何になるんだよ…」


「…なんですって?」


アルクトゥルスのふとした呟き、死した者に祈って何になる、その人間が感謝するのか?生き返るのか?、その祈りを聞いてくれる奴が何処にいる…少なくとも空の上にはいない筈だと唾を吐くように口にされ詰め寄るリゲルは過敏に反応しギラリとその視線を尖らせる


「お前はいつまで祈ってるつもりだって言ってんだよ!、…お前は…そうやって人が死ぬ都度祈るつもりか、もう数え切れねぇくらい死んでんだ、そろそろ気がつけよ!そんな事に意味がないってよ!」


「いいじゃないですか、祈るくらい…!彼等は死するべき罪もなく 殺される謂れもなくこの世を去った者達です!、その魂にせめてもの救いを与えようとして何が悪いというのです!」


「そんな祈りを捧げる暇があったら、まだ生きてる奴を救えってんだよ、あっちこっちに赴いて死んだ人間だけ数えている間に更に人が死ぬんだぞ!、オレ様達が羅睺とシリウスを止めなきゃ この世が空になるまで死に続けるんだぞ!、それが分かってんのか!?」


大いなる厄災に際して、オフュークス及びシリウス率いる羅睺十悪星と敵対する道を選んだ魔女達もまた長い戦いに疲弊していた、シリウス達の暴挙から少しでも多くの人を守ろうと足掻いても そんな願いも祈りも奴らは平気で踏み砕いてくる


なら戦うしかなかった、生き残った奴らを集めて保護して人が生きることが出来る世界を少しでも残さなければならないとはアルクトゥルスの意見だ


彼女は何処までも現実主義であり、しかもこの余裕のない戦いにおいては非常に無駄を嫌った、泣く暇があったら戦え 怯える暇があったら戦えと、多くの人間を鼓舞してきた


だからこそ、リゲルの行動は彼女にとって到底理解できないものだった


毎日のように世界中を行き来して、滅ぼされた村の亡骸を集めて埋葬し祈りを捧げてはまた別の村へ、そんな無駄な事をしている時間は魔女にはない リゲルも立派な戦力だ、それを遊ばせる暇ないのだ


だがリゲルの意見は違う、彼女は彼女なりの信念として死んだ人間も見捨てることが出来なかった、何かを見捨てることが出来なかった、親に見捨てられて生きた自分のように誰かを見捨てる事を嫌った彼女は誰もが目を背けている死者に目を向け その慈悲を分けていたのだ


自分達が戦っている理由を見失ってはいけないのだ、自分達は勝つ為に戦っているのではなく、人々の安寧の為に戦っているのだから…死者にもその慈悲を与えねばならない


そんな現実主義と理想主義の二人の意見は、厄災を前にして何度もぶつかり合った…何度も何度もぶつかり合った


特にこの時は酷かったとアルクトゥルスは記憶する、何せリゲルはアルクトゥルスが一番言われたくない事を口にしてしまったからだ


「第一、この村を襲ったのは貴方の妹のアミーですよ…、貴方と同じ技を使う同門ですよ、そこに対して思うことはないのですか…!」


「てめ…何だよそれ!、オレ様が悪いっていいてぇのかよ!」


アミーの事をアルクトゥルスに紐付けて話したのだ、アミーとアルクトゥルスは言わば従姉妹の間柄、幼い頃は共に暮らしたこともある仲だ…だからと言ってアルクトゥルスはアミーに対して情とか情けをかけるつもりはない


あれはアルクトゥルスにとって親や友人の仇なんだ、しかしリゲルは今 アミーの虐殺の責任の一端にアルクトゥルスがあるような口ぶりで話したのだから怒り心頭、頭の血管が切れる音を聞きながらアルクトゥルスはリゲルに詰め寄る


「いいえ、ただ因果はあると言っているだけです」


「一緒だ!!アイツとオレ様は関係ねぇって言ってんだろうがッ!!!」


続く戦いと死んでいく仲間、精神的に疲弊していた魔女達は諍い いつもはただの言い合いで終わるこの一幕がそれ以上の段階に発展してしまった


「テメェ!!」


「っ…!」


アルクトゥルスがリゲルに掴みかかったのだ、その手を伸ばして体ごと突っ込むようにリゲルの胸ぐらを掴もうとした…しかし


「ふっ…」


「ぐぅっ!?」


リゲルに手が触れた瞬間それは光の粒子となり消え、逆にアルクトゥルスがバランスを崩して大地に突っ込む形になってしまう、リゲルの幻惑魔術だ…近接戦の天敵とも言われるその力を前にいとも容易くアルクトゥルスの手は回避され逆に足をかけられてしまったのだ


「暴力は私に効きませんよ、アルクトゥルス」


「ぐっ、この…」


魔女の中でも随一の戦闘能力を持つはずのアルクトゥルスが、アミーやシリウスにさえ事実上の勝ち星を得てきたアルクトゥルスが生涯土をつけ続けられた相手こそが…リゲルなのだ


地面に突っ込み泥を被ったアルクトゥルスを冷たい視線で見下ろすリゲルは口にする、暴力は効かないと…


「オレ様のは暴力じゃねぇ、武術だ!」


「それこそ同じことですよ…」


「試してみるか…!、この野郎!」


土を払い立ち上がり、本格的にリゲルに拳を振るおうとアルクトゥルスが力を込めた瞬間…


「おい、何やっている…」


「っ!レグルス?」


「なっ!?れ…レグルス、こんな所で何やってんだよ」


いつの間にやら現れた孤独の魔女レグルスの呆れ返るような声に頭を冷やし、特にアルクトゥルスは即座に握った拳を解いて慌ててレグルスの方を振り向く、この頃のアルクトゥルスは青かったからな…


「ふぅん、なるほどな…」


しかしレグルスは聡い女だ、チラリチラリと二人の有様を見て状況の凡そを理解すると…


「フンッ!そぉいッ !!!」


「いたっ!?」


「いてぇっ!?」


殴りつけた、アルクトゥルスは疎か幻影で身を隠しているはずのリゲルの居場所を察知し殴りつける、それも結構な強さで拳を固めての拳骨、鍛えているアルクトゥルスでさえクラクラするような一撃だ


「何すんだよ!」


「喧嘩両成敗…、皆殺しだ」


「意味わかんねーよ!!」


「くだらない事で言い争うなら私が代わりにお前ら二人を叩きのめすという事だ、思うことはあるだろうが今は思想の違いで仲違いしてる場合か、飲み込め」


レグルスは乱暴で残虐で、時たまに『何でこいつ羅睺側じゃねぇんだ?』と思うくらい凶悪な女ではあるが、それでも彼女は聡くそれでいて皆を愛している


だからこそ、二人をなだめ 喧嘩を止めに来たのだと理解する、レグルスにここまで言われては冷静にならざるを得ないと 二人とも居た堪れなさそうに目を逸らす


「…チッ、殴られ損だぜ」


「それはこちらのセリフです」


「ああ?」


「何ですか…」


「貴様らッ!殺すぞッ !!!」


「テメェは乱暴すぎだ!」


ともかく、…アルクトゥルスは昔からリゲルが苦手だった


リゲルの語る理想論は小綺麗で立派なものばかりだったから、現実を見て汚いながらも生き抜く方法を模索するアルクトゥルスから見れば荒唐無稽に聴こえて仕方なかったたからだ


それ故に、リゲルのことが…苦手だった



───────────────────


「微睡む世界は瞼を閉じる、今 全ての目は閉ざされ 現世から背けられる、在るのは夢現 写すのは夢見、ここは楽土 幻の郷、それは正夢か逆夢か、刮目し 御堪能あれ『幻夢無限霧魘』」


神の城内部に響き渡る神言は世界歪め無数の刃を作り出す、現実には存在しない幻影の刃ながらその刃は人の神経を狂わせまるで本当に刃に切りつけられたかのような痛みを作り出す防御不可の絶刃である


それが石造りの部屋を埋め尽くす勢いで生まれた刃は刹那の輝きと共に地や空を埋め尽くし、逆立つ猫の毛のようにあっという間に敷き詰められる


こいつに当たるとすげぇ面倒な上すげぇ痛いんだ、当たってやる必要性は全くないな


「よっと!」


一般的な男性よりも更に一回り大きい巨体を持ちながら、隙間なく埋め尽くされている筈の幻刃のあるかないか分からないほどの隙間に身を入れるように刃の嵐を回避していく


刃を見切る眼力も 着実に刃の在り処を確認する空間認識能力も そこから回避法を即座に叩き出す思考能力も それを実現する実力も全てが桁外れの領域にある女戦士はリゲルの容赦のない攻撃から逃げ回るように回避し着実に接近し…そして


「そら!こいつ食らって目ェ覚ませや!リゲル!」


右手を軸にし逆立ちの姿勢でグルリと巨体を回転させ放つ変則型の回し蹴りが狙うは一人、未だ玉座の上に座る一人のシスター…否、教皇


「チッ!また外した!」


蹴り砕かれる玉座は一撃で粉砕し地面を転がるが、その上に座っていた筈のシスターは代わりに光の粒子になり消え失せ、いつのまにか砕けた玉座の後ろに回っている


またこれだ、何度攻撃を仕掛けても奴には攻撃が当たらない


「暴力は私に効きませんよ、アルクトゥルス」


「だからオレ様のは暴力じゃねぇつってんだろうが、リゲル」


向かい合うは二人の魔女、争乱の魔女アルクトゥルスと夢見の魔女リゲルの両名が互いに敵意を向けあい この臨界魔力覚醒『非想天処/夢朧随神』にて再現された空想上の神の城にて激突する


元来八人の魔女は皆固い絆で結ばれ、滅多な事では争うことさえしない…だというのに何故今二人は争っているのか?、それは単純 リゲルがシリウスに操られているからだ


(まんまと操られやがって、間抜けが…と言いたいがオレ様も洗脳の影響下にあったから偉そうなことは言えねぇよな)


今リゲルはシリウスの使う洗脳魔術の影響下にある、八千年間シリウスが大気中にごく少量散りばめ続けた洗脳魔術のせいでリゲルはおかしくなっちまったんだ


一般人ならその影響が出る前に寿命が来るレベルで微細な洗脳魔術を八千年間常に浴び続けた魔女達は、カノープスという例外を除いて全員がシリウスに魂を掌握されたのだ…、アルクトゥルスはレグルスが旅の最中に虚空魔術を使い助けてくれたから良いものの


旅の始点たるアジメクのスピカと終点たるオライオンのリゲルだけは、レグルスの虚空魔術が間に合わなかった、結局レグルズ自身も洗脳されちまいこうして自我を剥奪されてしまい 今もこうして手駒として働かされている


それを何とかするのが今のオレ様達の仕事だ、…仕事…何だけどなぁ


(やっぱリゲルの相手はきついなぁ)


アルクトゥルスは今、洗脳されたリゲルとの戦いに於いて かなりの苦戦を強いられている、魔女屈指の実力を持つ彼女が苦戦することなどそうそう無い、カノープスを相手にしてももうちょっと戦えるだろう


だがリゲルだけは違う、幻惑魔術を扱うリゲルはアルクトゥルスにとっての天敵、それは八千年前も今も変わらずそのままだ


「見せてやるよ、俺様の武術をな…!」


軽くステップを踏みながら飛んでくる幻刃を回避し、狙いを定めると共に


「万象穿通拳っ!」


突き出す拳に捻りを加え、そこに更に体全体のスイングも追加した絶技にてニタニタと佇むリゲルの右頬を殴り抜き…


「私はそこではありませんよ…」


「チッ、やりづらい…!」


拳が触れた瞬間リゲルの体が光の粒子となって消える、相手に幻覚を見せる幻惑魔術…その達人こそがリゲルなのだ、リゲルにかかればどんなものでも見せられるしどんな物でも隠せる


それは相手を睨んで拳を当てる武術という戦闘形態にとって最悪の相性を持つ、肉体自慢の存在は全てリゲルに翻弄され力を発揮出来ずに敗北する


あのホトオリだってリゲル相手に負けたくらいなんだ、こいつの近接攻撃への耐性は凄まじい、さしものオレ様も拳を当てずに殴る方法なんてのは両手で数えられる程度しか持ち合わせてねぇんだから苦戦は必至だ


おまけにやり辛い理由はもう一つある


「『ねじれの海槍』」


トン とリゲルの爪先が地面を叩けば、それだけで周囲の刃達が変形し軌道を変え 黄金の捩れ槍となりオレ様に迫る


「ッッ───」


回避した、このオレ様が全力でだ…、足で地面を弾きながら体重移動で加速しなるべく槍と面する部分を減らすように体を反らしてだ、シリウスの攻撃だって真正面から受け止めるオレ様も リゲルの攻撃だけは回避しなければならない、何故なら


「いっっ!?」


刹那足先に走る激痛、見れば回避し損ねた一本が足に深々と突き刺さり貫通している…ように見える幻覚が目に入る、こいつは幻覚だ…実体がない、だがそれでも刺されば神経に作用し本当に刺さったかのように体が誤認し脳に負担を掛けダメージまで再現してしまうのだ


鍛え抜いたオレ様の肉体でも実体がない槍は防げない、故に回避するしかないのだ


こちらの攻撃は全て当たらず、向こうの攻撃は防御出来ない、これがオレ様とリゲルの相性だ…正直言ってここまで不利なことあるかな?ってくらい不利だ、事実オレ様は八千年前からリゲル相手には一度も勝ててない


負けたことは何度かあるが、それでもオレ様を負かした相手には全員リベンジしてきた、だがリゲルだけはそれすらも弾き返し対オレ様戦に於いて百戦無敗を継続しているのだ


「いってぇ〜…」


「ふふふ、どうやら今回も私の勝ちのようですね…貴方は八千年前から成長していない」


「ッるせぇよ…」


まぁリゲルの言う通り、別にオレ様は成長しているわけでもない、これ以上体を鍛えても腕力は増えないところまで来ているし 魔力だってこれ以上増幅させる方法がない、オレ様と言う人間は既に限界まで鍛え抜かれているが故にこれ以上のパワーアップは望めないからな


…合理的に考えたら、リゲルのことはフォーマルハウトに任せるべきだった、フォーマルハウトの超絶した魔眼術ならリゲルの幻惑も打ち破れるし オレ様の攻撃力ならスピカの超回復を抜けるからだ


合理的に考えるなら、オレ様がここでリゲルと戦う必要性はまるでない…少し前までのオレ様なら遠慮なくリゲルをフォーマルハウトに押し付けただろう


だが、それでもオレ様をこの無茶な戦いに駆り立てた出来事が目の前で起こってしまった以上引くわけにはいかなかった


(ラグナの奴がリゲルの弟子に…ねぇ)


ラグナはオライオンでの決戦でネレイドに勝っている、ラグナは覚醒していてその時のネレイドは覚醒していなかったと言う差はあれど ラグナは確かにネレイドに勝ったのだ


オレ様の弟子がリゲルの弟子に勝ったのだ、幻惑魔術の不利を押し切って勝ったんだ…なら、ラグナの師匠がリゲルとの戦いを避けるわけにはいかねぇよなぁ!


「確かにオレ様は成長してねぇよ!、だがな!今までのオレ様と同じと思うんじゃねぇよ!、強さってのは魔力や腕力だけで決まる物じゃあねぇんだからよ!」


「それは楽しみです、本気の貴方を殺してこそ…意味がある、今日ばかりは容赦も手加減もしませんからね、アルクトゥルス!!」


踏み込む、リゲルを相手に距離を詰めるようにとにかく踏み込む、今回のリゲルは今までオレ様が戦ったどのリゲルよりも容赦がない


そもそもリゲルは優しい奴だ、幻惑魔術を攻撃に使う事さえ躊躇うくらいには甘ったれなんだ、実力だって魔女の中でも下から数えた方が速いくらい…、だがそんなリゲルが本気で相手を殺そうと幻惑魔術を使えば…その脅威度は一気に跳ね上がる


「うふふ、悪夢を見せましょう!、移ろい代わる一色を、象る幻『十元夢影』!」


刹那リゲルの姿がブレると共にその姿が数十もの幻影に分かたれる、このオレ様の感覚を持ってしてもその全てが本物に見えるほど 高められた幻惑術はあっという間にオレ様を取り囲み


「世は如幻、翻っては幻影こそが真となる、其方の瞳は今 醒めぬ夢へと堕ちていく『現泡沫之烏羽玉』」


「おっ!?」


刹那放たれた幻惑によりオレ様の足を支える地面が溶ける、いや違う これは自律神経が纏めて狂わされているんだ、視界がぐるぐる回りまるで天井に立ってるみたいに頭の先が地面へと吸い込まれる感覚を覚える


この嫌な毒草食っちまったみたいな感覚…、吐き気がするぜ


「『一郎兵衛殺』」


刹那目をグルグル回している隙に剣を携えたリゲルの幻覚が高速で飛来しアルクトゥルスの肉体を切り裂く、当然 肉体そのものには傷一つついていないのに…走る激痛はまるで両手足を切断されたが如く鋭敏にアルクトゥルスの全身を駆け抜ける


「ぐぅっ!?、ナメんな!」


されどその程度の痛み…腕だの足だのを切り落とされた程度の痛みで止まるアルクトゥルスではない、即座に体を入れ替え迫るリゲルに向けて拳を放ち…


「って、あれっ!?」


と思いきや殴りつけたのはリゲルではなくその遥か下の地面、石畳を自らの腕で砕き崩落する瓦礫に巻き込まれ下層まで落ちていく体、くそっ 自律神経が乱されているから体が思うように動かない


拳をまっすぐ放つどころか、こうして落ちている体を整える事も…


「いっ!?」


なんて目を回していれば下層に辿り着いたアルクトゥルスは頭から着地し、床にヒビを入れ倒れこむ…あの程度の高さから落ちて受け身も取れねぇ程に狂わされるなんて、情けねぇ


「ちぃっ、クソが…!」


下層に落ち倒れる体を起こすように己の顔面を叩き、狂った自律神経を整え立ち上がると…


「『福寿葬』」


頭上から降り注ぐギロチンにより首を刎ねられる……


幻覚を見る


「チッ!」


走る激痛に痛みを覚えながら咄嗟に体を回転させその場から飛び退く、首を刎ねられると言う最悪の感覚に顔を歪めるも それが幻覚であることを理解してとにかく体を動かす


リゲルを相手に立ち止まること程恐ろしいことはない!


「さぁさぁどうしましたアルクトゥルス、先程から防戦一方…いえ、防戦すら出来ていませんよ」


「テメェがさせてくれねぇんだろ!」


リゲルの声が響くと同時に其処彼処の壁からヌルリとリゲルの幻影が現れ銃や弓を乱射しアルクトゥルスに襲いかかる、最早リゲルが何処にいるかとか 本物がどれかとか、それ以前の問題だ


何もかもがアルクトゥルスを騙し蝕む、リゲルの手の中で踊らされるように、避けきれぬ回避に走るより他ない


まだリゲルは臨界魔力覚醒の真髄を使っていない、ただの幻惑魔術だけでこうも圧倒するのだ…それがアルクトゥルス的には非常に悔しい


相手に本気を出されない事以上に悔しいことはないだろう


「ぐぅっ!?」


右肩を銃弾で撃ち抜かれれば それだけでアルクトゥルスの肩がごっそり消滅し右腕が宙に舞う幻影が見える、見えるのは幻覚だが痛みは本物だ…魔女とは言え痛いもんは痛いんだよ!クソが!


「あぁ!クソ!痛てぇだろうが!」


「あはははは、嬲り殺しです 死してシリウス様に詫びを入れなさい」


「っ…」


鳴り響くリゲルの声、狂気に蝕まれその死をもってシリウスに詫びろと語る友の声を聞き、寧ろアルクトゥルスの頭は途端に冷える


…リゲルが今、オレ様の死を望んでいる?…


「…………」


「おや?どうしました?アルクトゥルス、足掻くのを諦めましたか?」


「…………違う」


冷静になる、あれだけ荒れ狂っていた心が途端に冷えて萎える、回避をやめ 全身に幻の攻撃を受け入れながら棒立ちになり考えるアルクトゥルスは 静かに目を伏せる


…確かに、リゲルとオレ様の仲は最悪だ、大いなる厄災の最中 喧嘩をした回数ならレグルスの方が上だが、ガチでシャレにならないぶつかり合いをした回数ならリゲルの方が上だ


神を信じ奇跡を謳うリゲルと、神を信じず理屈に生きるオレ様とでは価値観は水と油…何度も気に食わないと口にしたし 気に食わないと言われもした


犬猿の仲とまでは行かないが、受け入れられないと感じたことは多々あると言える…だが


それでも…それでも昔は一緒に戦ってんだよ、オレ様たちは!


「違う、リゲルはな!そんな事言わねぇんだよ!」


「はぁ?、何を言ってるんですか?」


「リゲルは死んでも誰かが死んで欲しいとは言わねぇ!、誰かが死ぬなら自分が死ぬと口にするタイプだよ!、損得勘定も出来ずただ聞こえのいい言葉と綺麗事だけ並べんだよ!いつもな!」


「……だから何を…」


「そこが気に食わないところだが、…同時に尊敬するぜ、どんな時だってそれを貫いて生きてきたんだからよ!お前は!」


リゲルはバカだ、損得ではなく美徳悪徳で動く、故に誰かの死を決して容認しない…


時に誰とも知れぬ村人一人を生かすために自分が犠牲になろうとしたこともあった、どちらの命の方が有用かなんて言うまでもないのに、そんなことを簡単にやっちまうバカなんだ リゲルは


そんなアイツがオレ様の死を望むって!?、違うだろうよ!リゲル!そうじゃねぇだろ!


「今のお前はお前じゃねぇ、オレ様が元のお前に戻してやる…あのバカ真面目にアホみたいな綺麗事口にするお前にな!」


「…ふん、やれるものなら やってみなさい!、刃よ!」


再びオレ様を囲むのは黄金の刃、触れれば偽りの痛みが走る恐るべき幻影…だが


「…………」


「ッ!?そんなバカな!?」


揺らがない、刃に切りつけらながらもアルクトゥルスは揺らがない、腕を組み不動を貫き通し目を伏せ続ける


痛くないはずがない、魔女だってこの痛みは耐え難い、本来ならのたうつ程に痛いはず…なのにアルクトゥルスは動かないのだ


何故かってそりゃあ、痛みも気にならないほどにアルクトゥルスは今 集中しているからだ


「まさか、この状況下で…入ったと言うのですか、貴方は!?」


目を閉じ静かに佇むアルクトゥルスを前にリゲルはその記憶を刺激され想起する、アルクトゥルスという女が持つ武器の一つを


──リゲルが統べる国オライオンはスポーツ大国だ、当然リゲルもスポーツ観戦が大好きで数年に一度行われるスポーツの祭典には必ず顔を出していた、そんな中 時折目にすることがあるのは 選手達が見せる究極の状態…


民衆はその集中状態を『ゾーン』と呼んでいた、何かに打ち込む集中力が雑念を振り払う迄に高められた結果 競技に打ち込む力が劇的に増大するという代物、一部の限られた者にしか使えない絶技だ


レグルスの弟子エリスも似たようなものを使う、極限集中状態と本人は呼んでいるが実情はゾーンと同じ


アルクカース人の争心解放は少し特殊だ、自分の意識一つでこのゾーンを限定的ながら使用するちょっと反則気味の技


世界にはゾーンの使い手が山ほどいるが、リゲルは思う…そのどれもが『アルクトゥルスの使う物に比べれば子供の遊びに等しい』と


「こぉー…すぅー…」


アルクトゥルスが息を吐いて吸えばそれだけで時空が歪む、髪がぞわぞわと逆立ち 毛の一本一本に血液が通ったように更に赤く染まる…、まるでアルクカース人の争心解放のようだ、だが実際は違う アルクトゥルスはアルクカース人ではないから争心解放は使えないし、そもそも今のアルクトゥルスが争心解放のようなものを使っているのではなく


アルクカース人がアルクトゥルスの使う『無我の究天』を模倣した者が争心解放なのだ


「無我の…究天」


リゲルは恐れる、アルクトゥルスがそれこそ羅睺を相手取る時しか使ったことのない究極の戦闘形態を取ったことを、洗脳魔術を受けながらも色褪せない恐怖…あれを使ったアルクトゥルスの強さは


最早別次元なのだ


「フッ…」



「移ろい代わる一色を、象る幻『十元夢影』!」


「遅いッ !」


逃げるように自身の幻影をダース単位で映し出すも、今のアルクトゥルスには通じない 一瞬で拳が唸りを上げ、生み出された幻影全てを砕く、なんの技でもないただの連撃に幻影が潰される


そもそも、無我の究天とはアルクトゥルスが編み出した自身最強の奥義にして形態、ゾーンのように自己集中を行い 争心解放のように戦闘能力を劇的に向上させ、そのどちらをも上回る効果を発揮するというもの


内容は単純、極限と呼べる段階を更に超え 自己意識が消失するほどに集中することで、戦闘に必要な物以外全てを削ぎ落とす事で自身の枷を外し150%以上の力を発揮する状態だ、争心解放のように自我を失うのではなく意図的に無我となる事でその技の冴えは衰えるどころか寧ろ鋭さを増す


ただ、リゲルが驚いているのは 今この状況で無我の究天を発動させられたという事実に驚いているのだ


「いつの間にそれを戦闘中に発現させられるようになったのですか?…」


無我の究天は発動こそしてしまえばシリウスを相手に肉弾戦で圧倒出来るほど強力な物だが発動する寸前はなんとも脆い、少しの雑音で集中力が途切れてしまう為 戦闘中には発動出来ず、使うならカノープスが時間と空間を歪めた特殊な環境を用意しなけれな使えないやや難点のある切り札でもあった


故に、シリウスに操られ集中を欠いた状態では使えないし、勿論ながら激痛渦巻くこの状況でも使えるはずがない…、故にリゲルはタカを括っていた


半端にアルクトゥルスを知るが故に『この戦闘中にアルクトゥルスは無我の究天を使ってくることはないだろう』と…だが、それが誤りなのだ


もしリゲルが洗脳を受けておらず、正当にアルクトゥルスを評価していたならば 無我の究天への警戒は外さなかった、だって


アルクトゥルスが…いつまでも自分の欠点を残しておくはずがない、この八千年の修行で確実に無我の究天を物にして来ていると、どんな痛みにも負けず使えるようにしてくるだろうと


「くぅっ!、『うねりの海槍』!」


「───────」


リゲルは逃げる、今のアルクトゥルスを相手には撃ち合えないと理解しているから、だから幻覚の槍を高速で射出しながら飛翔し全力で逃げる、だが


同時に、即座に悟る…『あ、これは効いてないな』と、何せ槍が突き刺さっているのにアルクトゥルスは痛がる素振りを見せないんだ


…今のアルクトゥルスは無我の境地に至っている、故に目でも耳でも見ず第六感で物事を判断している、そもそも感覚を必要としていない為幻惑で惑わされることもない、偽りの痛みなど今のアルクトゥルスは感じない


これが、アルクトゥルスという人間が持つ最高の状態、激我の感情を武器にするアミーに対抗する為編み出した感情を必要としない無我の究天、彼女の全身全霊だ


「そこか…」


「なっ!?」


とリゲルが反応するよりも速くアルクトゥルスは幻影で隠れるリゲルの位置を特定し拳を叩き込み終える、彼女がようやく殴られたと理解してから…漸くその衝撃が腹を打つ


「ぅぐぅっ!?」


バキバキと音を立てて城の壁を砕き失速するリゲルは今、初めてアルクトゥルスの攻撃を受けた…、食らったのはたったの一発 されどリゲルが今までアルクトゥルスに与えた小賢しい攻撃などひっくり返す程のダメージが彼女を襲う


「侮っていました…アルクトゥルス、貴方という人間を」


「……違うな、リゲルはオレ様を侮らない、オレ様を侮るお前は偽りのリゲルだ」


不安定な瓦礫の上をまるで盤石の台地の上を歩むが如く威風堂々と歩くアルクトゥルスは目から光を放ちながらリゲルを見下ろす、その立ち姿に恐怖さえ覚える…


「何を言っているのか、さっぱりですよ…!、ですが!」


されどリゲルは戦うのをやめない、リゲルの頭には無我の究天の情報がある、故に彼女のこの絶対の奥義を破る方法も当然知り得ている…まだ勝ち目はあるのだ


「一色を写し 十形を象り 百影を伸す、千景は移ろい十万億土の兆しへといざ誘わん『無量大景極彩曼荼羅』!!」


リゲルの背後より現れるのまで金色の輝きを放つ巨大曼荼羅、これこそリゲルの持つ幻惑魔術の中でも最高峰の威力を持つ一撃


…ネレイドはオライオンにて『千景空掌』という魔術を使い エリスを一撃で昏倒させた、一度に相手の視覚に数千もの情景を送り込む事で脳の処理限界を超え一時的に意識を奪う魔術が存在する


この『無量大景極彩曼荼羅』はその千景空掌の最上位互換に当たる魔術だ、放つ光を目に入れた者はその視覚から数兆もの情景を叩き込まれ 直接脳に莫大な量の情報を送る魔術…、これを目にした者は脳がパンクするのだ


比喩ではない、本当に脳みそが爆裂し即死する…、そんな見ただけで即死する死の燐光が無我の究天を発動させるアルクトゥルスを包み込む、人という知的生命体である以上防ぐ術は無く 魔女であっても死を免れない光をその目で受け止めたアルクトゥルスは…


「────その三・白天玉鋼鑪蹄」


止まらない…!、数兆もの情景を目で見ながらにして受け止めず、無我であるが故にその目から入った情報は無意識の海へと落ちて消える


曼荼羅の光を打ち砕き、加えるのは鋼の蹄による一撃の如き鋭い掌底、それが影すら残させぬ連撃となりリゲルの体を打ち据え…


「ぅぐぅっ!?」


滅多打ちにされよろける、アルクトゥルスの全霊の一撃をこう何度も食らって無事でいられる存在はいない、少なくともシリウスとて無事では済まなかった…なら例え魔女とはいえリゲルでさえ負傷は免れず


「その一・風天 終壊烈神拳 颪の型」


振り下ろされた一撃により神の城が瓦のように真っ二つに割れる、叩き降ろされた拳の一撃はリゲルの体を地面深くへと押し飛ばし、発生した風圧は刃となり 数百階立ての超巨大な城が 一撃で両断されその形を崩す


デタラメな破壊力だ、昔はこれを遠慮無く四方八方に打ちまくってたんだから…今思えば異常としか言いようがない


「げぶぅ…、やり…ますね」


城は割れ 両断され生まれた瓦礫の山の上に横たわるリゲルは口から夥しい量の血を吐く、まさか幻惑術が通じないとは…、無我の究天…これほどだったとは誤算です と


「…………」


「…トドメでも刺しにきましたか」


倒れたままチラリと視線を移せば、いつ間にかアルクトゥルスがリゲルを見下ろすように立っている、最早リゲルを隠す幻影は通じず 溢れるように生み出すことが出来る幻刃も効かない


となればもうリゲルがアルクトゥルスに対抗する手段はない…、勝負ありだ 後はトドメを刺すだけ…


「ふふ…確かに貴方の技は私の想像を上回った…ですが、お忘れですか?アルクトゥルス、ここが何処かを」


「……!」


…だったろうな、ここが臨界魔力覚醒の内部でなければ


「ッ…!」


リゲルが何をしようとしているか、アルクトゥルスはその第六感で察知しすぐさま拳を握るが、遅い…あまりに遅い、これを阻止したければ この空間に誘われるべきではなかった


「もう…遅いです」


刹那、リゲルの体が虚空へ消え…代わりに現れるのはアルクトゥルスの目の前


…抱擁だ、敵意に反応し動くアルクトゥルスの虚をかき 一切の敵意を見せず攻撃ではなく抱擁行うリゲルに、アルクトゥルスは抵抗出来なかった


それが、戦いの分かれ目になるとも知らずに


「終わりです」


リゲルがアルクトゥルスの耳元に口を当て、甘く囁く


「『夢見の極楽』」


と…、幻惑魔術は通用しないだろう…だが、臨界魔力覚醒による攻撃ならばどうだ?、幻惑すら超越した世界の編纂ならば…貴方は


「…………ぐっ、リゲル…てめぇ…」


その囁きを受けアルクトゥルスの集中が掻き乱され強制的に無我の究天が解除される、リゲルの口元から溢れる桃色の吐息を耳へと流し込まれたアルクトゥルスは まるで脱力したかのように膝をつき、クラクラと頭を揺らす


「どれだけ貴方が強くなろうと…強かろうと、やはり私には勝てないのですよ」


「う…ぐっ」


「さぁ眠りなさい、…起きたその時 貴方が貴方のままでいられたなら、その時はまた相手をしてあげますから…ね?」


ぐにゃぐにゃと歪むアルクトゥルスの視界、受けてしまった最悪の技を前に彼女は悔しさを噛み締めながら…うっすらと瞳から光を消して


その場に、大の字になって倒れ 気絶した…………






…………………………………………………………


世界が歪む、己が歪む、何もかもが歪んでいく


暗く輝く闇に浮かび上がる感覚を覚えるアルクトゥルスは、微睡む意識の中後悔する


無我の究天まで使ったのに、防げなかった


リゲルの切り札を使うのを防げなかった、一手足りなかった…奴を倒すのに一手足りなかった、ただそれだけで一気に形成は巻き返されアルクトゥルスは今 敗北の窮地に立たされている


リゲルが使ったのは『夢見の極楽』だ、臨界魔力覚醒を用いた時だけ使用出来る三つの幻惑奥義の中の一つ…、あの聖人ホトオリさえも再起不能にした最悪の技


あまりの危険度の高さに奴自身も使用を戒めているこれが今オレ様に放たれたのだ、…ヤベェ マジでヤベェ…、どうするよ これどうすればいいんだ、どうすれば抜け出せるんだ


目の前に広がる闇は万華鏡のようにキラキラと形を変えている、これは恐らく臨界魔力覚醒の能力、奴の『悲想天処/夢朧随神』が持つ圧巻の力の一端…それは────






「おい、アルクトゥルス…何をボーッとしている」


「あ?え?」


ふと、気がつくと見慣れた景色が見えてくる、ここは…オレ様の国アルクカース…オレ様の城 フリードリス大砦、その玉座の間にてオレ様は不用心にも立っており、その事を注意するような声に目を覚ます


あれ?、オレ様は何をしていたんだ?


「う…頭が痛む」


「おいおい、…いや お前は最近無理をしすぎだ、弟子を取り 益々多忙を極めている!何処かで本格的な休息が必要だろう」


「ああ、悪いな けど大丈夫だぜレグルス、心配させちまった」


そう目の前で心配する『部下のレグルス』に声をかけてなるべく心配させないようにする、…そう 部下のレグルスに……何もおかしいところは無いよな


「我が主人ともあろう者が、過労で倒れたとあっては不甲斐なくて仕方ないからな」


「そう言いながらお前はずっとオレ様についてきてくれてるじゃねぇか」


「…気まぐれだ」


そうだ、レグルスは八千年前のシリウスとの決戦の後、オレ様と共に来る選択をしてくれたんだ…、オレ様と一緒に国を作って オレ様と一緒に民を育てて、オレ様と一緒に生きて…オレ様と一緒に来てくれた


こんな嬉しい事はねぇ、こんな幸せな事はない、だってオレ様はずっとこの景色を夢見て八千年も生きて…あれ?、なんでレグルスと一緒に生きてきたのに こんなにもレグルスに焦がれていたんだ?オレ様は


「…今が幸せな筈なのに、なんだろうな…この焦燥感は」


「本当に大丈夫か?、気分が悪いなら今日は私に任せてもいいんだぞ」


レグルスがオレ様の肩を撫でながらこの身を労わる、なんか…得体の知れない感覚で腹の底の方がゾワゾワする、なんだこれ なんの違和感だこれは…


ただそれでも、この状況がオレ様の求めたものであることに変わりはない、レグルスが側にいて…それで


「あれ?どうしたのアルク姉 顔色悪くしてさ」


「おや、粗暴さと無神経の塊みたいな貴方でも調子を崩すなんて事があるんですねぇ」


「あ アミー?、アルデバラン…?」


そんなレグルスに続いて現れるのは、綺麗に洗濯された純白の道着に身を包んだ羅睺十悪星と…豪奢な鎧に身を包んだ精錬なる騎士…王都での戦いで死んだ筈の女騎士アルデバランの二人が顔を見せ 益々オレ様の頭の中はぐちゃぐちゃになる


なんでこの二人がここにいるんだ、死んだ筈の二人が…


「て、テメェらなんでここに!」


「なんでって、酷いなぁ アルク姉の妹としてここにいるのは当然でしょうに」


「ええ、我々は今貴方の配下として いえ、永劫なる友として貴方を支えている…それは八千年前から変わらぬ関係でしょう」


「あ?…ああ、…そう…だったな」


クラクラと揺れる頭で考える、そうだ…アミーは最終決戦の時 オレ様の声が届いて改心してくれたんだ、それで罪を償うようにオレ様と一緒に世界の再建を…


アルデバランもだ、あの王都での戦いで シリウスに殺される直前、なんとか駆けつけるのに間に合って…死なずに済んで、それで…そのことを恩義に感じて…今も


何もおかしく無い筈なのに何かがおかしい、オレ様の中の直感が暴れ狂うもその矛先を見つけられない、何が起こっている…何が起こっている


何が起こっているにしても、何もおかしいところは無い…だって


「だって、オレ様はこうなることを望んで あの戦いを潜り抜けたんだから…」


「そうじゃ、これはお前が望んだ景色じゃ…それをなぜ拒む、アルクよ」


「ッッ!?」


その声は、今何よりも聞きたく無い声、聞いただけで身の毛がよだつ声、嫌悪し憎悪し恨み憎み抜いた声…そして、それでも捨てきれなかった憧憬を表す声


震える体で頭を支えながら振り向けば…、ああ そこには…


「シリウス…ッ!?」


「師匠をつけぬか、馬鹿者が」


シリウスだ、大いなる厄災の根源…世界の破壊者、魔女の敵が…穏やかな表情で立っている、いつもの顔で…オレ様達を育ててくれていた頃の顔で こっちを見ている、もうその瞳にあの狂気は無い…元に戻ったのか、シリウス


いやそうだ、そうだよ…シリウス師匠は最後の戦いで正気を取り戻して…それで


「グッ…!?」


ズキズキと痛む頭、何かがおかしいとオレ様を苦しめる、何がダメなんだ…何がおかしいんだよ!これがオレ様の望んだ世界の筈なのに


レグルスはオレ様に消えることなく付いてきてくれた、アミーは改心して武人として生きてくれた、アルデバランは非業の死を迎える事はなかった、そして…憧れのシリウス師匠は元に戻ってくれた


このどこがおかしいんだよ…クソ…


「これは本格的におかしいな、…姉様」


「ふむ、そうじゃのう…アルクよ、励む時と休むべき時を見誤ってはならぬぞ、ワシが一番最初に教えたことであろう、忘れたか?」


シリウスとレグルスが仲睦まじく並んで立ち、シリウスが昔のようにオレ様に指南をする、オレ様が憧れた唯一の人間にして今もなお求め続けるその優しい瞳が 今は辛い


大いなる厄災へ挑むように戦ったのも、最初は世界を守ろうなんて高尚な動機じゃなかった、ただみんなが大好きだったシリウス師匠を元に戻す為に八人で足掻いていただけなんだ、それがその内に事が大きくなり過ぎて…身内だけの話じゃなくなって 人が死に始めて…戦いになって…それで


その末に本来の目的だったシリウス師匠の奪還が成ったならそれでいいじゃ無いか、あの戦いにも意味が生まれるだろう、これでシリウス師匠も救えずただ闇雲に世界が破壊されて人が死んだだけでしたなんてオチになってたら…それこそ…耐えられ…


「ッ…!」


口元を押さえ喉から湧き上がる気色の悪さを抑える、ダメだ…ダメだ ダメなんだ、そんなことあってはならないんだ、なのに…なのに何故オレ様は今 バラバラになったシリウスの…、救うべく戦ってきた憧れの師匠の遺骸を引き裂いている瞬間を想起しているんだ


「どうしたアルク、何が不満だ…」


「え?…」


「私では不満か?、私ではお前を満たせないか?、カノープスではなくお前を愛する…私では」


追い討ちをかけるようなレグルスの言葉に、耐えきれず瞳孔を揺らす…カノープスではなくオレ様を愛するレグルス、その言葉に 再び想起する地獄…



暗い部屋、静まり返った宿、誰もが寝静まった夜、寝苦しさを感じ開けた瞳、薄い壁の向こうから伝わる音


『んっ…やめろカノープス…っ、他の奴らに…ひゃっ、き 聞こえ…』


『我らの仲は公認だろう我が伴侶よ、それに…それを分かって我が褥に潜り込んだのだろう』


聞こえてくる艶かしい声、擦れる布の音さえ聞こえてくる部屋の中で、息を殺して…それを聞いて、情けなくも自らを慰めた夜、悔し涙で枕を濡らし 愛していた女が他の女の物になっていくのを聞きながら、眠れない日々を過ごした時


「あ…嗚呼…、ああああ…」


「カノープスではなくお前が…、シリウスを殺したあの時 『もっと強く手を引いて引き止めてくれていた』から、私はここにいるんだろう」


ゾワゾワと鳥肌が立つ、そんな筈がないと否定した過去が去来し頭を突き刺す、去っていくレグルスを前に半端に出された手は何も掴む事なく、その口は何も語る事なく…ただただ見送ったあの日が…


「そうだよアルク姉、『アルク姉が私の心をもっと早く理解して道を正してくれていた』から…私はこうして死ぬ事なくここにいるんじゃないか」


「あ…アミー」


「ええ、私もそうですよ…『貴方がもっと早く私の元に駆けつけてくれていたから、私は死なずに済んだ』んじゃないですか」


「アルデバラン…!、やめろ…もう誰も何も言うな…もう!」


やめろ、もう何も聞きたくない、外道に落ちたアミーや冷たくなったアルデバランの体など知らない何も、何も知らないんだ!






光が強ければ闇とはより一層濃く見える物、幸せで望んだ世界とは即ち裏を返せば望みながらも得ることが出来なかった後悔の象徴だ、時は決して戻らない 故に絶対に手に入らない


そんな未来をまざまざと見せつける、感覚を誤認させそれが現実であると記憶を改竄しながらも、意識の何処かに違和感を意図的に残すと言う酷い真似をしてみせる


それこそがリゲルの持つ臨界魔力覚醒の力の一つ、即ちは『地獄』の象徴…究極の幻覚を持ってして相手の魂を包み、その後悔を露わにする絶技


どんな人間も持ち得るその過去を暴き立て突きつける、単純明解ながらも強力無比なる手…


抜け出す手立てはこの世界を幻覚であると自覚する事だが、それを出来た人間はいない…、何せなまじ幸せな世界であるが故に本人が否定することを否定してしまうからだ、苦しくとも 違和感を感じていても、それでもあの人が側にいてこの人が生きている世界を否定することは誰も出来ない


魔女さえも乱すこの世界は盤石だ、アルクトゥルスは抜け出せない、その命を自分で絶つまで永遠に責め苦を味わい続けるのだ


「アルクよ、お前のおかげでワシは正気を取り戻せたのじゃ…」


「やめてくれ師匠…オレ様は…オレ様は」


望んだ師匠の優しい声にアルクトゥルスは苦しむ、心のどこかでそれがもう手に入らない物であると理解しているからこそ、まざまざと見せつけられ心が望んでしまう…今この瞬間を


「ふぅむ、なんともならんのう!これは!ぬははは!、この意地腐れめ!ぬははは!」


「罵倒してどうするんですか姉様!?」


「ぬははははは!、うっせぇっやい!」


「そして何故にキレる…」


「あははー、シリウス様おもしろーい」


「シリウス様は本当に愉快な方ですね、彼女は本当はこんなにも表情豊かな方だったとは驚きです」


みんなが仲良く話している、敵だった奴味方だった奴関係なくだ、それはアルクトゥルスが心の何処かで望んだ景色…そして絶対に実現しない世界


「グッ…う…」


体に痛みはない、なのに胸が痛い、八千年間悔い続けたそれが今になってアルクトゥルスの胸を突き刺しその精神を破壊していく、苦い後悔が甘い幸せによって際立ち鈍痛となってアルクトゥルスを蝕み続ける


最早どうすれば良いかも分からず、蹲り…苦しみから逃れ続けるアルクトゥルスは夢見の天国の中で消耗し、魂を擦り減らしていく


苦しいのに逃れられない、嫌なのに受け入れざるを得ない、打破する方法も理由も見つからない地獄の中で目を伏せたアルクトゥルスはそのまま…甘美なる苦痛の中で



「師範!」


「っ!?ラグナ!?」


体が一瞬震えた、次は何が来るのかと…、記憶よりも些か小さくなった弟子の姿にアルクトゥルスは警戒する


ラグナだ、今度はラグナが現れた…ラグナが…


「何してるんですか?、暇なら修行に付き合ってくださいよ」


「修行…?」


「はい、俺も師範みたいに色んな物を守りたいので」


そうやってラグナはレグルスやシリウス、アミーやアルデバランを眺め微笑む、アルクが守ったものを見て 俺も師範みたいに守りたいと


本当は守れなかったそれを見てだ、ある意味それはアルクトゥルスの心を砕くに足る言葉であっただろう、彼女が守れなかったそれを際立たせる言葉であっただろう


ある種の…トドメだっただろう




…………………………………………………………


「魔眼術 『光魔連閃』ッ!!」


「ふふふ……」


光を放つはその双眸、本来はありえない瞳による魔術詠唱によって輝く光線は虚空を貫き見つめる相手を穿ち背後に紅蓮の爆発が広がる


されど


「…効きませんか」


貫かれた筈の肉体が即座に治癒し流れ血さえ止まる、与えた筈のダメージが即座に消え去り 結局のところ無傷となる、この空間に迸る癒しの魔力が 彼女の体を守っているのだ


「貴方では私は倒せませんよフォーマルハウト」


「あら?それはどうかしら」


向かい合うは二人の魔女、栄光の魔女フォーマルハウトと友愛の魔女スピカ、二人は今戦場から離れスピカが作り出した心象異世界『普遍慈愛/無偏友愛』の内部にて渡り合う


広がる青い空、足元には色取り取りの花畑が広がり スピカの背後には城よりも巨大な大木が伸びる、生命力が生い茂るこの空間こそスピカの作り出した世界…、常に治癒の魔力が充満しスピカが望んだ存在に癒しを与えるこの空間はスピカの傷を即座に癒す


また、常に相手の魔力を増幅させ暴走させることで逆に魔術を暴発させる


味方には至上の加護を、敵には無限の苦痛を、それこそがスピカの大いなる力…かつてはこの力に幾度となく助けられたんですけどね


それが今は こうして牙を剥くとは…とフォーマルハウトは辟易する


(弟子達がシリウスに専念できる様に他の魔女を引き剝がさねばならない、その役目は理解しておりますが…はてさてどうしたものか)


フォーマルハウトがやっているのは謂わば囮、敵の最大戦力たる魔女を抑えるためのカウンターでしかない、故にその責務は重大ながらもスピカをこの場に留めさえすれば任務は成功だ


なのでそこまで本気で戦う必要はないのですが


(出来るなら、助けてあげたいですわ)


あんなにも優しかったスピカが浮かべる狂気と悪意の微笑み、それは見るに耐えない程に似合っていない、あの子はもっとほにゃっと笑ってぽへぽへ〜とした雰囲気を纏っている方が似合っている


だからこそこうして攻撃を仕掛けて術の解除を試みているが、その行動は未だ試みに終わっている、やはり生半な干渉では解除は不可能か…これはわたくしには洗脳の解除は無理と見ていいですわね


「どんな攻撃も私には意味がありません、私の治癒は如何なる傷さえ癒しますから」


知っている、わたくし達はそれを知っているから勇敢に戦えたんだから、…逆にひっくり返してみれば誰もスピカと敵対するなんて想像もしていなかったとも言える


一度、魔女達八人で誰が一番強いかを決めるため臨界魔力覚醒内部で本気で戦ったことがある、その時最も早く降伏したのはスピカで最後まで勝ち抜いたのがカノープスだった、故に八人の魔女最弱はスピカである


だが同時に、どんな窮地 どんな困難 どんな強敵を前にしても最後まで立っているのもスピカなのだ、彼女はその治癒魔術と不屈の根性で常に仁王立ちを続け、大いなる厄災の戦いにおいて 彼女は一度として倒れたことがないのだ


レグルス カノープス アルクトゥルスをして『撃破は不可能』とまで言わしめた女こそがスピカなのだ


それが今わたくしと戦っているとは…嘆かわしいですわ


「まぁ、やるしかないのならやりますがね、覚悟なさってくださいませ!スピカ!」


「我が師の邪魔はさせません、貴方こそここで散りなさい!!」


ぐるりとスピカがその錫杖を振り回せば周囲の花々が荒れる狂い、凶暴な龍の如く根を野太く伸ばし槍衾のように突き上げを行う


「『錬金』!」


だがその程度、詠唱するまでもないと瞳を向ければ迫る根の槍がフォーマルハウトの視界に入った瞬間灰へと朽ちてボロボロと消える


これこそフォーマルハウトの最大の武器、魔眼を利用して放つ魔術詠唱法 『魔眼術』


簡易的な錬金術ならばギロリと視線を動かしただけで彼女は発動させられる、故にその魔術発射速度は魔女の中でもプロキオンに次ぐ二番手となる


「これならばどうですか?」


しかしスピカの攻勢は止まらない、錫杖を手の中で回し大きく大地を打つように足踏めば 揺れる大地の底より姿を現した巨大な樹木達が木製の津波のように花の生い茂る地表を削って現れる


この空間の内部にはスピカの魂を分けた凡ゆる生命が存在する、特に意志を持たない木や花と言った面々はスピカの与える癒しの魔力に従順であり、彼女が軽く生命力を与え成長させればその形を意のままに変える


故にこの空間限定で本来はありえない生命を用いた魔術を行使することが出来るのだ


「『錬成・屏風炎』…っと、消しきれませんかこれは」


瞳から放つ錬金術は目の前の迫る壁と同規模の絶大な炎を作り出し食い止めようと燃え盛るも、樹木は焼けたその瞬間から成長を繰り返しその全てを焼き切るに至らず、フォーマルハウトを飲み込もうと荒れ狂う


「よっと、肉体面での動きにはあまり自信がないのですが」


避けきれないと悟ったフォーマルハウトはむしろ逆に木の津波の中に身を投げ出す、いくら津波のように見えても木は木である、その枝葉の上に素足で舞い降りタカタカと駆け抜ける


(さて、この戦いをいち早く終わらせるには一刻も早くスピカを無力化するより他ありませんわね)


あっという間に樹林の只中に変わった世界の中でフォーマルハウトは木々を飛び越える、目的はスピカの奪還に他ならない、そしてその方法は残念ながらフォーマルハウトは持ち合わせない、弟子達がシリウスに勝利し魔女を狂わせる卑き悪法をこの世より完全に消し去らぬ限り洗脳の解除は難しいだろう


となると弟子達が勝利するまでの間スピカが何も出来ないように拘束する必要がある、幸い無力化する方法ならフォーマルハウトは山ほど持ち合わせる…、ならば洗脳の解除は諦めてこちらの方に目的をシフトした方がいいだろう


(そうと決まれば、行動あるのみですわ)


より一足強く枝を蹴りスピカのいる方角へと飛んだ瞬間、続く攻撃がフォーマルハウトを襲う


「『大森界・葉切』」


グラリと森全体が揺れる、スピカの魔力が浸透した木々は最早スピカの魔術の一つと言える、ならばその操作も思うがままだろう…


揺れた木々達はなんとその場でぐるりぐるりと幹を回し枝を鞭のように振るい回転し始める、木一本が回転してる程度ならまだ可愛いもんだが 問題はこの世界を覆い尽くす全ての木が高速で回転していることにある


振るわれる枝葉は遠心力を得て刃のように鋭く尖り、それが四方八方で回転する、まるでミキサーの只中に入れりれたかのように フォーマルハウトは全方位を刃の嵐で斬りつけられる


「くっ…」


されどそこは魔女、普通の人間なら二秒と経たず細切れになる大斬界の中を悠然と腕をクロスさせるだけで防いで見せる…というより魔力防御を高め全身を保護しているのだ


が…これは


(凄まじい勢いで魔力が削られている…!?)


スピカの魔力が浸透した枝葉がフォーマルハウトに叩きつけられる都度ゴリゴリとフォーマルハウトの魔力防御が削られる、もし削られる魔力が可視化されていたら火花が散っていただろう


このままでは魔力防御を抜かれる…、ならば


「『灼炎之眼光』ッ!!」


錬金術と魔眼術を合わせた絶技、視線を超高熱のエネルギーへと変換し紅蓮の光線を両目より放ちつつ首を横にぐるりとスライドさせる、ただそれだけで目の前の森林を焼き尽くす熱戦が横薙ぎに振るわれ一種の災害の如き威容を示す


再生するなら、元に戻るなら、それさえも上回る勢いと熱量で破壊し尽くすのみですわ


「くっ!?森が!?」


一瞬にして森を焼かれその燃えかすの奥でややたじろぐスピカの姿が見え フォーマルハウトはやはりと息を飲む、やはりスピカはスピカだ


いくら操られ凶暴性が増し、いつもよりも好戦的になっても…徹底してヒーラーとして生きてきた彼女には不足している、攻めに徹する経験が


「似合わないことはするものでは…ありませんわ!!」


「ッッ!!」


スピカは更に目を剥く、気がつけばあれほど遠くにいたフォーマルハウトがもう目の前に来ているのだから、アルクトゥルスやレグルス並みの急加速をフォーマルハウトが行える事を彼女は知らなかったのだ


いや、どちらかと言えばフォーマルハウト達がスピカに攻撃される経験がなかったように、スピカにもなかったのだ 他の魔女から攻撃される経験が…フォーマルハウトは元よりこれだけ速かった


「うぅ!樹木よ!」


「遅い!『紅光石化之魔眼』!」


「なぁっ!?」


煌めくは紅の燐光、フォーマルハウトの顔面から放たれる二つの眩い光は丁度眼前のスピカに浴びせかけられその全てを停止させる


フォーマルハウトの使う魔眼術の真髄、魔眼錬金…視線で見たものを強制的に他物質に変換するこの奥義は一瞥するだけで魔女の肉体さえ石に変える、一度始まった錬金変換は如何なる存在を持ってしても止めることが出来ない


視線と共に飛んでくる一撃必殺の錬金の数々、これを持つからこそフォーマルハウトは初見殺しの鬼と呼ばれ この魔術を知り得ていたとしても対策をしていなければ問答無用で無力化させられるのだ


「ぅっ!?くっ!?」


宙に浮かび上がるスピカの手足が乾いた音を立てて灰色に染まり、その体積を増していく、どうにかしなければ…、と足掻くか暇さえない速度で瞬く間にスピカの体は石化していき…そして


「しばらく、そこで大人しくしてなさいな」


やがて全身を石に変えられたスピカは、精巧な彫刻と化して力を失い ゴトリと音を立てて大地に落ちる、一瞬石になった体が崩れてしまうかとヒヤヒヤしたが…そこは魔女、そんじょそこらの石像とは訳が違いますわね


「ふぅ、…これでこちらは片付きましたわね」


「…………」


木々に受け止められる形で大地に落ちたスピカの石像を見下ろし、…嫌そうにため息をつく、出来ればこの手は使いたくなかったと


いや、眼光で相手を石化させるのはわたくしの主戦法ではあるものですが、つい先日この錬金術にてレグルスを石に変えてしまった一件を思い出すので…しばらくは使いたくなかったのですよね


シリウスに洗脳されレグルスを石化させたわたくしは石像となったレグルスを他のコレクションと同列に扱い悦に入っていました、今思えばなんと劣悪な趣味なのでしょうと笑えもしない


…恐らく、シリウスはわたくしにレグルスを石化させ その間に石化したレグルスの魂を塗り変えようと干渉を強めていたのでしょう、魂さえも石化したとはいえ肉体は肉体、別の魂が入れば器となりますからね


エリスの救出がもう少し遅ければこのシリウス復活の騒動が十年近くも前倒しになっていた可能性があったと考えれば、なんとも恐ろしい話…身を削ってでもレグルス救出に走ってくれたエリスには感謝が尽きな…


「ん?、待ってください…?、何かおかしくありませんこと?」


自分が操られていたという前提から考えると、何やら違和感を覚えてしまう…


何故、レグルスはわたくし達を助けたのか という一点がどうにも説明がつかないのだ、だってシリウスの計画はほぼ盤石に進んでいた


カノープス以外の魔女の掌握を完遂していたシリウスは、レグルスさえも操り復活に手をかけていた状態にあった、なのに何故旅に出て各国を回り他の魔女達を洗脳から解放して回ったんだ?


シリウスに操られ思考をある程度制御させれていたレグルスが、わたくし達を助けに赴く理由も、操っていた当人たるシリウスがそれを許した理由も分からない


シリウスは『レグルスに他の魔女達との戦いを経験させ精神を摩滅させるのが狙いだった』と語ったとカノープスより聞いたが、そこまで盤石の体制を整えていたのに何故危ない橋を渡ったんだ


何かの弾みや誤算で結果的にわたくし達を洗脳から解放してしまった?、そんな見通しの甘い計画を立てる女か?シリウスが…


「いやシリウスでないならナヴァグラハか?、でも奴はもう死んで…いや、それでも奴はエリスに一度干渉を図っていて…、でももしナヴァグラハの仕業だとするなら、なんでシリウスを出し抜くような真似を…」


ブツブツと顎に指を当て考える、目の前に積み重なった未回答の問題を前にフォーマルハウトは考え込む、そこは師匠譲りの気質とも言えるが…今回はそれが裏目に出たと言えるだろう


「……ッ────」


「…ん?、はっ!?スピカ!?」


チラリと目を向けた瞳が見開かれる、足元に転がっていたはずのスピカの石像がパキパキとヒビを作り出し割れ始めていたからだ


先程の衝撃で粉砕したか?、そんな割れ方ではない…これはもっと、そう まるで古くなった皮を捨てる脱皮の如く石の皮が脱ぎ捨てられている


「う…あ…」


石化が解除されている、あり得ない いくらスピカでも石にされたまま治癒魔術を使うなんて…


(いや、そうか 遅延治癒か!)


事前に治癒魔術を自らの体の中に固定し時間経過で発動する石化解除の治癒を展開したのだ、普通出来ない芸当だがスピカなら…


「ゔぁああああ!!」


「ッ!?」


石化を解除した腕を振るいフォーマルハウトの足に掴みかかるその手を、大袈裟なまでに高く飛んで回避に走るフォーマルハウトの頬を伝うのは冷や汗だ


まだ終わっていなかったか!


「フォーマルハウトぉっ!、許しませんよぉ!」


石化から解放されるなりスピカは身を大きく振るい、臨界魔力覚醒の力を解放する、治癒に特化したこの花の楽園から…、治癒魔術を用いた攻撃術 過剰治癒に適応した姿へと変じていく


「『地母マグナマーテル』!」


解放された力の余波が臨界魔力覚醒内部に広がる、高まりすぎたスピカの治癒の力により周囲の木々や花々は枯れ果て土へと還る、何もかもが腐食し爛れ 青天さえも赤く染まり禍々しく彩られる


これはスピカがイナミとの戦いの最中に編み出した唯一の攻撃法、彼女が始めて戦う意思を示した魔術…過剰治癒だ



『世の中にゃ丁度ええ塩梅ってもんがあるんじゃ、良いか?スピカ、くれぐれも治癒魔術を全開で使うでないぞ?、お前は治癒魔術の才能があり過ぎる…、もしお前の全力の治癒を人が受ければ 直すどころか、容易く壊れてしまうからのう』


そう語ったシリウス師匠の言葉通り、スピカの治癒魔術は異様なレベルで強力過ぎた、スピカが治癒魔術を使う時苦労するのは『人が治るラインと壊れるラインの見極めだ』と語ったようにスピカはいつも細心の注意を払って治癒を使っていたんだ


その注意を取っ払ったらどうなるかを彼女は理解していたから


これはその注意を意図的に無くした状態、全身全霊で魔力を滾らせた状態を『地母マグナマーテル』と彼女は呼ぶ


この状態になってもスピカは依然として弱いままだ、魔女最弱のままだ、だがそれは飽くまで強さと言う一点の話


敵を殺す…殺傷能力で見れば、結果はガラリと変わり スピカはその頂点に立つだろう


「ふぅ…ふぅ…」


メラメラと黒色の炎が燃えるようにスピカを包む魔力の奔流、過剰治癒は凡ゆる物のキャパシティを超える勢いで治癒を行う荒技、受ければ魔女とて腐り爛れるだろう


これは、少しまずいかもしれませんわね


「スピカ!お辞めなさい!、その技は貴方も忌避する殺人の技ですよ!」


「知っていますよ…フォーマルハウト、けどそれは八千年前の話でしょう?」


「え?…」


「残念ながら、私もあれから色々経験したのですよ?、国を治めると言うのは厄災の中で戦うのよりも…ずっと苛烈な事ばかりなのです、綺麗なままではいられないんですよ」


…そう語りながら己の手を見るスピカの言葉は、洗脳によって出てきたものとは思えない、本当に彼女の本心が口からまろび出た物だろう


国の運営と言うのは魔女にとっても難しいものだ、この八千年と言う長い道のりの中で それこそ綺麗事だけでは罷り通らない場面だって何度も経験してきた、フォーマルハウトもスピカも…みんなだ


その中で手を汚すこともあったろう、その手で忌避する武器を振るったこともあったろう、そうしている内にいつしか泣き虫だったスピカは涙と情けを捨てた


優しいままではいられなかったのだ


「スピカ…」


「この手で私はもう何人も殺しました、私が不甲斐ないばかりに剣を取った者達を私自身の手でね、…故に私はもうこの力を忌避しない」


「…………ッ!」


噛み締める、戦いの最中でありながらフォーマルハウトは拳を握り涙を滲ませる


わたくしはなんて事をしてしまったのだろうと…、だって 世界の再建を提案したのはわたくしだ、魔女を世界の支配者に仕立て上げたのはわたくしだ


魔女達に…スピカに、永遠の苦しみを約束させたのはわたくしなんだ、彼女がこんなにも苦しんで 悲しんでいく道を選ばせたのはわたくしなのだから


「悪かったですわね、スピカ…」


「ええ、ですがそれももう終わります…、私の手で終わらせますよ、この世界を…シリウス様の言う通りやはり世界はあの時終わるべきだったのですから」


「それは…本気で言っていますの?」


「はい、そうですよ」


すごいな、まるで本気で言っているように見える…レグルスはこんなわたくし達を相手して回ってたのか、操られていたわたくしは一体彼女に何を言ったか 何をしたか…


ですが


「ですがごめんなさいスピカ、やはりわたくしは貴方達に責め苦を強いたとしてもこの世界が誤りであったとは思えないのです…、苦しいこともありましたがそのお陰で今 力強い芽が八つも芽吹こうとしている、それまで否定することは出来ませんわ」


「…………」


「だから、貴方を正気に戻した後 もう一度問いますわ、…その時の答え如何によってはわたくしも考えを変えましょう、ですからまずは…」


自らを彩る法衣を脱ぎ捨てその下に着込んだ身軽な薄着のみとなり、深く構えを取る…八千年ぶりの構えを


「本気でやりましょう、貴方を倒し 正気に戻します」


「やれる物ならやってみてください、貴方に私かは倒せませんからっ!!」


その掛け声と共にスピカは大きく両手を挙げ…


「『滅亡のケルヌンノス』ッ!」


膨大な治癒の魔力を地面に叩きつけると同時に弾けさせる、あまりにも色の濃い治癒魔術は逆にドス黒く染まり何もかもを腐らせる、草を枯らせ 大地を朽ちさせ 空気さえも濁る死の旋風がスピカを中心に発生し 世界の破滅と共にわたくしに襲い掛かる


「『大錬成・八俣蛇崩之大蜷局』ッ!」


対抗するように生み出すのはわたくしを中心に地面より這い出る巨大な八首の岩大蛇、それがおろし金のような鱗を立てトグロを巻いて発生させる岩竜巻がスピカの漆黒の旋風とぶつかり合い犇めき合う


しかし


「無駄です!、我が過剰治癒は岩さえ腐らせる!」


スピカの言う通り送り込まれた治癒の魔力は岩大蛇に含まれるわたくしの魔力さえ過剰に増幅させる、芸術的な配分で完成した我が魔術が暴力的な過剰治癒により暴発し瓦解し崩れていく


スピカの過剰治癒は魔術にも有効なのだ、故に魔力でも肉体でも受けることは出来ない…そんな事は分かっていますわ


「分かっているからこそ、打った一手に無駄があるとは思わない事です!」


「何を…!?、まさか!」


そのまさかですわと答えるように両手を前に出し、迸る魔力が星屑のように宙に漂う…、貴方も本気ならわたくしも本気ですわ、出し惜しみはなし!大盤振る舞いのゴージャス仕様で行きますわ!


「永劫なりし問い、汝 魔道の極致を何と見るや」


そもそも過剰治癒による嵐で万物を崩壊させるなんて無茶な真似ができるのはここがスピカの臨界魔力覚醒の内部だから、その恩恵たる『治癒力の超絶強化』にある、この内部でならスピカは『死んでさえ居なければどんな傷も治せる』し『生きてさえいるならどんな物体も殺せる力』を手に入れる


そんな無茶を前にして、出し惜しみなんて馬鹿のする事…なればこその、臨界魔力覚醒での対抗!


「永劫の問いかけに、我が生涯、無限の探求と絶塵の求道を以ってして 今答えよう」


岩大蛇によって作り出した一瞬の隙に作り出すのは我が世界、至上の鍛錬で生み出した…最強の錬成、我が生涯で行き着いた答えを 今!


「魔道の極致とは即ち『終わり無き栄華』である」


極致とは即ち 人としての絶頂の時を指す、されど人は高みに登れば転げ落ちる物、それを維持続けることは難しい、だからこそ 終わり無き栄華とは人が求める領域の居中なのだ


「臨界魔力覚醒…!、対抗してきますか!」


臨界魔力覚醒は至上の力、並大抵の魔力覚醒では上塗り出来ず逆に封じられさえする、これに対抗するには同格かそれ以上の魔力覚醒でなければならない


より強力な臨界魔力覚醒を用意出来るなら、この世界を内側から塗り替えることも出来ましょう、ですが『魔女と魔女の戦い』ではそうはならない、実力云々は抜きにして『一人を除いて』魔女は皆対等な覚醒の力を持つ


故に臨界魔力覚醒の出力も全くの同数、奇跡的なまでに同じ威力の臨界魔力覚醒が発生した場合 何が起こるか、それは


「『万物創造/大黄金郷』!!!」


フォーマルハウトの覚醒に合わせ その周辺が塗り変わる、スピカによって破壊され尽くした土壌が瞬く間に輝きを取り戻し、朽ちた平原のど真ん中に誕生するのは…


「これは…黄金郷…!フォーマルハウトの覚醒ですか」


打ち立てられるのは超超巨大な黄金の宮殿 大城 遺跡 神殿、純金で形作られた様々な建造物が一気に地面を突き破り誕生する、人がその手を持ってしてのみ生み出すことが出来る城や遺跡こそ、人類の財力の象徴 進歩の象徴 栄華の象徴であると語るフォーマルハウトの価値観が反映された世界が スピカの臨界魔力覚醒を打ち破り生み出される


今、世界は二色に分離されている、スピカの黒とフォーマルハウトの金…二人の間に境界線を引いたように綺麗に二分される世界


そうだ、伯仲する臨界魔力覚醒が同時に生み出された場合、この異世界が溶け合い二つの力を内包した混沌の世界が生み出されるのだ


互いの臨界魔力覚醒を、完全にぶつけ合える世界が…生まれるのだ


「さぁスピカ!、参りますわよ!ゴージャスセレブな戦いを見せてあげます!」


「…なら、それさえも壊します!!」


創造の輝きと破壊の嵐が正面から衝突する、黄金の装束の如き魔力を纏うフォーマルハウトとスピカの全身全霊の咆哮が今…轟合う



……………………………………………………………………



「ぁぁああああああああ!!!邪魔じゃああああああ!!!」


「ごふぅっ!?」


「ぁがぁっ!?」


振るわれた腕に吹き飛ばされ遥か彼方まで飛ばされるラグナとネレイド、まるで壁さえぶち抜く勢いで大地を砕きながら疾駆するシリウスが目指すのは一つ 自らの肉体が封じられた祠 ただ一つ、あそこにたどり着けば…


「意味を持ち形を現し影を這い意義を為せ『蛇鞭戒鎖』!」


「待てやオイゴルァッ!!!」


「ぐっ!?」


されど先には進ませまいと走るシリウスの体を縛るの魔術縄、それを両端から引っ張るエリスとアマルトの奮戦によりシリウスの一歩が刹那の間止まり…


「ッッッッッって止まるか!、その程度でぇっ!」


「うぅぉっ!?」


「嘘だろっ!?」


されど止まったのは刹那の間だけ、続いて踏み出された剛力の一歩に逆に引っ張られたエリスとアマルトが大地を引きずりれ縄が千切れ飛ぶ


だが、目的は達した…エリス達は十分な仕事をした、何せこの行動の目的は


「『時界門』!」


「なぬぅっ!?」


祠に突っ込んだ瞬間シリウスの体が更に遠く離れた地点へと転移される、エリス達が稼いだ一瞬の時を使い展開したメグの時界門がシリウスを再び振り出しに戻すのだ


「がぁぁぁあぁあああ!!邪魔じゃ邪魔じゃ!目的を目の前にしてこうも阻まれるというのはほんっっっと腹立つのう!お預け食らってる犬の気分じゃわい!」


再び遠く離れた地点に戻されたシリウスはイライラと怒りを表し頭を掻き毟る、もう目的の物は目の前に見えているのだ、こう…少し手を伸ばせば届くところに待ちわびた完全復活が待っているというのに、その寸前で全力で阻止してくるエリス達にもはや怒りを隠せないのだ


「癒せ!我が手の中の小さな楽園を 、癒せ…我が眼下の王国を、治し 結び 直し 紡ぎ 冷たき傷害を 悪しき苦しみを、全てを遠ざけ永遠の安寧を施そう『命療平癒之極光』」


「はぁはぁ…サンキューデティ」


「ふぅー…まだまだやれるよ、私は…」


「エリスもです…!」


「向こうも大分焦ってるみたいだな!、いい気味だぜ!」


そんな祠を守るように立つ魔女の弟子達は顎を伝う血混じりの汗を拭いシリウスを迎え撃つように構える


…最終決戦の地がこの場に移ってより数時間も経った、花畑での戦いを大幅に上回る時間もエリス達はここでシリウスと激闘を繰り広げているのだ、一歩でもミスれば世界が終わるという緊張感はむしろエリス達をハイにし疲労感も焦りも超越したところへと導いてくれている


「生意気じゃのう生意気じゃのう!」


怒りに狂うシリウスが大地を踏み荒らす、いつまで経ってもエリス達を抜けない苛立ちからシリウスももう苛立ちを隠そうともせずギリギリと歯を剥き出しにしながらエリス達を殺そうと動いてくる


が…、同時にかなり繊細さを欠き始めている、油断はまだ出来ないが それでも確実にシリウスの思惑から外れているのは確かだ、このまま続けていけばきっと…


「…で、いつまで耐えりゃいいんだこれ…」


ふとポロリとアマルトさんが漏らす弱音はエリス達全員が抱いている感情だ、いつまでこれを続ければいい?と…


今のエリス達の目的はタマオノさんがもたらしてくれたシリウスの弱点 『天運の無さから来る重要な場面でのミス』、タマオノさんはエリス達が耐え続ければいずれシリウスは必ず隙を見せると言っていた、どこかでシリウスは重大なミスを犯すと


そこが即ち勝機であり、エリス達に残された唯一の勝ち筋だ、だが…もう数時間だぞ


一体そのミスとはいつ来るんだ?もしかしてもう見逃してしまっているのか?、それともタマオノさんの言ったことはただの憶測で真実ではないのか?、もしそれまで耐えきれなかったらどうなる?


そんな考えればキリがない不安が常に頭の中を渦巻くのだ、それは確実に精神的な負担になっている、いくら肉体はデティに治してもらえるとは言え心ばっかりはどうにもならない


八人のうちの誰かが何処かでポッキリ心を折って仕舞えばそれだけで全てが終わる、そんな熾烈な状況は後どのくらい続くのか…


「分からない、だが今はこの状況を続けるより他ないだろう、もうここまで来てしまっているのだからな」


「シリウスの顔色は演技でもなんでもありません、奴は本気で怒っています…焦っているのは僕達だけじゃありませんよ」


それでもここまで来たらやり切るしかないと覚悟を決めるメルクさんと、肉体的負荷に慣れていないナリアさんも声を荒げる


そうだ、やるしかないんだどの道、諦めるなんて選択肢は元より何処にも無い!


「まぁそういうわけだ!悪いなシリウス!俺達まだまだやれそうだぜ!」


「のようじゃのう…、どうやら夜明けも近いようじゃしいい加減ワシも疲れたし、そろそろ決めたいのう」


シリウスは苛立つように貧乏揺りしながら上を見上げる、皇都の只中に空いた穴であるこの戦場は 見上げれば空が遠くに見えている、もう夜も開けそうな頃合いになるまでこの戦いが続くとは エリスもシリウスも思ってはいなかっただろう


「…のう、知っておるか?夜とはのう…夜明け前が一番暗いそうじゃ」


空を見上げるシリウスは、何やら思い詰めるようにそう呟くと…


「悪さをするにゃあ持ってこいの時間になったのう」


「吐かせよ、ここを乗り切りゃ明日が来るんだ」


「乗り切れるならな…、さて 先程も言ったがワシはもうそろそろ終わりにしたい、どうやら臨界魔力覚醒内で戦っている面々も決着がつき始めているようじゃし、ワシが用意した羅睺ももう殆ど壊滅状態じゃ…タマオノを殺してしまったから魔造兵ももう役には立たんし、大局を見るならば この戦いは既にお前達の勝ちじゃ」


もう夜明けが近い程にエリス達は長く長く戦い続けているんだ、そりゃあそうだろう…、表で戦っているみんなもどうやら上手くやって羅睺と魔造兵を退けたようだし、ウルキ達と戦っているカノープス様達ももうすぐその戦いを終わらせることができるようだ


となれば、シリウスが持ちかけたこの戦いは…広い目で見ればエリス達の勝ちということになる


「…だが、所詮外で行われている戦いなど座興よ、この場での決着が全てを決めることなど言うまでも無いよな?」


「ええ、当たり前です」


「なればこそ、…ワシは決着を急ぎたい、魔女がこの場に乱入してきても嫌じゃしのう、夜明け前の大闇に乗じて 悪さをさせてもらうとする」


焦りに焦ったシリウスは今 本当に追い詰められている、もし外の戦いが完全に決着したならその分の戦力がこの場での援護に回される、カノープス様達がウルキ達を倒したなら その力がエリス達の援護に向けられる


時間をかけたく無いのはシリウスも同じなんだ、だからこうして焦っているのだ…、だから エリス達の勝利と言う夜明けを目前にした今この瞬間こそ最も暗い時間と言えるだろう


シリウスにとって、恐らく最後の攻勢になり得るこの時間こそ、未だ嘗て無いほど 最も苛烈な攻撃が繰り出される瞬間になるのだから


「認める、お前達がよくやったことを…ワシに真の意味で手段を選ばせないほどに追い詰めたのは魔女に続きお前達が二番手じゃ」


「…………」


「故に覚悟せえよ、…簡単には死なさんからのう」


バキバキと顔に青筋を浮かべるシリウスは、大きく手を開き 力を蓄え始める、夜明け前の最大の闇がエリス達に襲いかかる準備を始める


「…みんな、よく聞いてくれ」


そんな中ラグナが呟く、小さく囁くような声だったのに、不思議とみんなの耳に届いたそれもまた、未だ嘗て無いほどに切迫した声色で


「シリウスがさっきも言った通り、この戦いの決着は近い、外での戦いが先に決着したなら外の軍勢や魔女様達がここの援護に入る…それは即ちシリウスにとって目的が最も遠のくことを意味するだろう、奴にとってもこれが最後のチャンスなんだ」


「…はい、そうですね ラグナ」


「だからこそ、これから始まる激突は正真正銘の最終決戦になる…きっとこの場の誰もが経験したことないくらい苦しいものになると思う」


シリウスがあそこまで焦っているとを見たことがない、目的を前にして迫るタイムリミットに焦燥感を覚えるのはエリス達だけでは無いのだ


故にシリウスはここで仕掛けてくる、もう逃げたり仕切り直したり策をじっくり弄する時間までシリウスには無いからだ、だから奴は最後の最後で全力の力押しに走る、…ただでさえ強かったシリウスの全力の力押しは きっと今までで一番苛烈なものだろう


だが…とラグナは続ける


「だが、それでも…みんなで頑張ろう、誰一人 欠けるなく、夜明けを俺達の手で掴むんだ」


勝つとか負けないとか、今はもうそんな事語るまでも無い、ここまで来たら望むのは全員の生存と、明日を共に生きることだけだ


だから誰一人欠けるな そう語るラグナの言葉は、命令や指示ではなく 祈りに近いものだった


「はぁあああああああああああ!!!!!」


「…来るぜ!ラグナ!」


「ああ、やってやろう!」


魔力を溜め 全身から溢れる絶大な魔力に瓦礫が宙に浮きシリウスの肉体が歪んで見えるほどに力が解き放たれる、まだこんなにも余力を残していたのかと驚くほどに莫大な量の魔力が


突如として消失する…


「あれ?魔力消えちゃったよ?」


ふと、突然消えた消えてしまったシリウスの魔力を前にナリアさんが不思議そうに呟く、メグさんやアマルトさんもまた何があるのかと警戒するが…


違う、違うんだ…あれは消えたんじゃ無い


「お、おいおい…まさか」


「嘘…そんなの、嘘だよね…」


この中で唯一、その現象を知るラグナは青ざめ歯を食いしばり、ネレイドさんはあまりの事態に嘘嘘と首を振るう…そして、エリスは今…


「最悪です…っ」


絶望する、今 シリウスがやろうとしていることに覚えがあるから、奴が最後の最後まで隠し持っていた真の意味のジョーカーが叩きつけられようとしている事実に…先程の決意さえも吹き飛びそうになる


シリウスの魔力は消えたんじゃ無い、これ…これは、これは…逆流したんだ!、魂から這い出る魔力の指向性を真逆に向け、逆に魂を膨張させているんだ


これによって発生する事象をエリスとラグナとネレイドさんは知っている…知っているから絶望する


よりにもよってシリウスが最後まで隠し持っていた切り札が、あんまりにも最悪過ぎたんだ


それは…


「『魔力覚醒』ッ!!!」


「えっ!?」


シリウスが叫んだのは魔力覚醒、ここまで言えば その感覚を知らぬ者達もその正体を悟る、シリウスが隠し持っていた切り札の正体を、そしてその恐ろしさを…


無い、とは断言出来なかった


あり得ない、とは思っていた


使わない、と…意味もなくどこかで思い込んでいた


その理由を上げればきりが無いだろうが、強いて言うなればエリス達の精神的な安全のためにそう思わざるを得なかった


シリウスに、魔力覚醒が…更なる力の解放段階が残っていたなんて…思いたくなかったんだ


「『イデアの影』…」


シリウスは口にする、『魔力覚醒 イデアの影』の名を


それと共に凝縮された魔力が魂を膨張させシリウスの肉体を包み込み、物質的な肉体と非物質的た魂の境界線が不確かになり、その身が一つの魔力事象となる


エリス達と同じ覚醒をシリウスが使った…されど、その異様はエリスが今まで見てきたどの魔力覚醒よりも…異質 異常 異形、


エリスは見たことがない、魔力覚醒をした結果…その肉体が完全に変容するのを


「ガキども 貴様らの使う魔力覚醒がどれだけチンケで、ワシとの差がどれくらいか、理解させてやろう」


カチカチと音を立てるシリウスの腕、その手足はこの世の如何なる金属にも部類されない 謎の漆黒の合金で形作られ肩口まで覆われており、まるでヒビ割れたかのように手足に走る複数の線から地獄の業火の如き紅い光と共に蒸気が放たれる


体にも首にも血管の如き紅い線が幾つも走り、その漆黒の髪はユラユラと揺れ漂い 真紅の瞳は今 凶悪な血紅へと変わる


まるで化け物だ、慣れ親しんだ師匠の肉体が変容し 理解不能な怪物へと変わり果て、エリス達の前に敵として立ちはだかる


これがシリウスの魔力覚醒…イデアの影


「さぁ始めるぞ、この世界の全てを賭けた最後の戦い…ワシを相手にやり抜けるならな」


八人の弟子を圧倒するシリウスの威圧が穴の中に迸る、今までとは何もかもが違い過ぎるその異常な魔力覚醒を解放したシリウスは、最後の攻勢へと動き出す


世界の破滅と存続を賭けた、最後の攻勢へと



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