304.魔女の弟子と世界を守りし者達
シリウスと魔女大連合の戦いが始まり、年老いた魔女四本剣達は皆 皇都の奥に避難させられた、彼らにはもう戦う力がないのだから当然の話だ
そんな当然と事実を受け入れていたマグダレーナに、同じく帝国より現れた魔術王ヴォルフガングが 彼女に向けてこう言ったのだ
『もし、全盛期の力を取り戻せるのだとしたら、貴方はどうしますか?』
と…、曰くこいつは若返りの絶技を開発し一時的に全盛期の力を取り戻す法を確立しているのだと言う、あの魔術王の言うことを戯言だとはマグダレーナは捉えなかった
ヴォルフガングは羅睺の力は絶大で最高戦力達では手が回らなくなる可能性があると言っていた、事実羅睺達は強く 相手を出来る人間は世界中探しても両手の指で数えられるくらいのに人間しかいないだろう
最高戦力達も未だ発展途上だ、まだ羅睺の相手をするには些か早いとヴォルフガングは今の事態を重く見ている、だからことマグダレーナは突っぱねた
ふざけるなと、今の世を守るために今の子達は全力を尽くしている そこに老人がしゃしゃり出て何になる
それにマグダレーナにだってプライドはある、老いを理由にほいほい若返って調子良く戦場になんぞ立てるわけがない、故にヴォルフガングの提案を 彼女はずっと断っていた
だが、状況は悪くなる一方だ、最高戦力達は確かに苦戦し その上で数に勝る敵を相手に戦況は覆されつつある、このままでは若い子達が必死に作り上げた全てが台無しになる…それでも、若返ると言う選択は選ぶつもりはなかったのだが
ベンテシュキメやタリアテッレ、マリアニールという今を代表する子達がプライドも捨てて全力で戦っているのを見ていたら、自分のプライドを押し通そうとしている私が凄まじく愚かに見えてきたのだ
そうだよ、今この戦いは世界の未来がかかっている…今日この時生まれた命だって世界中には存在する、なのに老いぼれのプライド一つでそれを無に帰すのか?、それこそ愚かだろう
故にマグダレーナは決断した、ヴォルフガングの提案を受け入れて 一時的に全盛期の力を取り戻し、元帝国筆頭将軍として再び戦場に立つことを
帝国に戻りかけたヴォルフガングを呼び寄せ、使わせた魔術の名は『クロノス・オーバーホール』、一時的にその人間を肉体的な全盛期に戻すことが出来る絶技、時間遡行の領域に片足を突っ込んだ魔術界の極致たる奥義を使わせる
当然、代償は安くない…制限時間は三時間程と然程長くないし、魔術が切れた後の副作用は耐え難いものだ…ともすれば死ぬかもしれない程に
だが副作用なんぞ怖くも何ともなかった、死ぬことが思いとどまらせる程の代償になるとは思っていなかった、老いぼれの命とプライド…この二つを捨てるだけで若い芽を守ることが出来るなら、これ以上なく安い話だ
「ま…マグダレーナ様、こちらをどうぞ」
「ん、ありがとね」
陛下の魔術たる時界門を使えるメグからいくつかの物品を取り身支度を整える、危うくハツイに襲われるところだったこの子達を救えたのだから それだけでも若返った甲斐はあるね
受け取る物品はしょうもないモンばかりだ、老婆の時に来ていた軍服じゃあ今の私の体には合わないからね、背筋が伸びて筋肉も戻ってる…前の服はキツくてしょうがないよ
故に新品の軍服を身に纏い気合いを入れる、やっぱこれじゃないとね
「うん、十分だ ありがとね」
「いえ、…しかし 本当に若々しくなりましたね」
「一時的なもんさ、直ぐにまた老けるから安心しな…」
「今、肉体的には何才ほどなのでしょうか」
「うーん、この感じは…うん、多分二十代の後半くらいか、ループレヒトを生むよりも少し前…私の人生の絶頂期さね」
懐かしい、今から五十年も前の話だ…私の子供 ループレヒトを生む前の私はまさに心身共に負け無しの無敵だった、デニーロもカルステンも敵じゃなかった、けど…子供を産んで現場から少し離れてから私の実力は徐々に落ち始めたんだ
…世界最強の力と引き換えに産んだあの子も、人の道を外れるような事になって…、でもそれでも産まなきゃよかったとは絶対に思えないのが母の心かねぇ
「すげぇ、…これが魔女四本剣最強の将軍…、ルードヴィヒ将軍と同じ筆頭将軍だもんな、頼りになるぜ…」
ふと、ラグナが呟いた言葉が引っかかり 少し考える、そうか…今の私は全盛期か、なら
「違うよラグナ、ルードヴィヒだって老いている 全盛期の力はあんなもんじゃなかった、…それに引き換え今の私は全盛期の中の全盛期だよ?、今の私はルードヴィヒよりも強いから…あんま甘く見ちゃあいけないよ」
「え?、つまり…」
「一時的に、人類最強の名前を返してもらうだけさ」
「おお…!」
さて、準備も出来た ハツイの奴も今の蹴りを受けても特にダメージを食らってる素振りもない、だが…さっきまでと違い今の私なら羅睺十悪星にも太刀打ちできるはずだ
「そろそろ行くよ、…おい 魔女の弟子達」
「は はい」
「私は所詮老人だ、たとえ若返っても今の時代の人間じゃないのは確かだ、だから…結局最後に決めるのはあんた達だよ、今の時代と…次の世代、きちんと守りな!いいね!」
「はい!」
いい返事だ、老兵が手をかせるのは今回で最後なんだ…後のことは任せたよ
若く実り始めた萌芽達を背に、白亜の城から飛び降りる、きっとこの戦いが終わった後…その勝ち負けに関わらず若返りの代償を受けた私はもう動けないだろう、生きているかも怪しい筈だ
故にこそ、これが人生最後の戦いになることに変わりはない、…これが
「私の、マグダレーナ・ハルピュイアの…最後の大舞台だ!!」
大地に降り立ち、石畳を粉砕しながら着地して 決めるのは気炎万丈の名乗り、若い頃はこうやって己を高めていたのだ、何もかもが懐かしい…!
年老いてからは無茶を控えていたが、今の私なら多少の無茶も効く あんな高さから飛び降りてもビクともしない足腰にやや感動を覚えつつ、油断なく前を睨む…
浮かれるなよ私、ここは戦場…目の前にゃあ敵がいるんだ
「ぐぐぐぐぐ…お前かぁ〜〜、私の復讐の邪魔をするのはぁ〜〜…」
ギリギリと牙を擦り合わせるように歯軋りを繰り返す紅の女、羅睺十悪星ハツイはあの高さから蹴り落とされたというのに傷一つ見られない、そればかりか怒りで余計に力が増して 先程から感じたこともないような高密度の魔力が皮膚をビシビシ叩いてきやがる
いいねぇ、人生最後の相手が雑魚じゃあ締まらない、このくらいがちょうどいいってもんだ
「誰だテメェ…!、まだこんな奴がいたのか…」
「御託はいいだろう、かかってきなよ…こちとら時間が限られてんだ」
「言われずとも…、ぶっ殺してやるぅぅぅぅがぁぁあああああああ!!!」
ただでさえ悍ましい顔貌が歪み、もう龍か鬼のような形相となって飛んでくるハツイ、その速度は弓より速く 銃弾よりも速い、恐らく足の裏から魔力を噴出させ加速させているのだろう、原始的な加速法だが…それも高めればここまでのスピードが出るか
「死ねぇっ!!女ァッッ !!」
「ッ!!」
放たれる拳、これもまた魔力による加速を得て 撃鉄に弾かれた銃弾の如く飛ぶ、全身の加速のまま勢い任せに放たれる拳骨は合理性のかけらもない無様なもの、されどその速度と勢いたるや 空気の壁を打ち破り轟音を鳴らすほど
信じられないよ、これほどまでか…そんな感想さえ湧いてくる、こんなにも凄まじかったのかい
私の老いは…
「ぐぶぅっ!?」
吹き飛ぶ、痛みを堪える悲鳴をあげて血を吐き出しながら吹き飛ぶ…マグダレーナがではない、攻撃を仕掛けたはずのハツイが弾かれるように叩き落とされたのだ
タネは簡単、ただ見切ってカウンターを叩き込んだだけ、音の壁を破るほどの速度で突っ込んでくるハツイの攻撃タイミングを見極め、的確に回避し的確に掌底を打ち返しただけだ
こんな簡単なこともできないくらい、私は老いていたのか…歳ってのは凄まじいね
「この!ッザけんじゃねぇ!!」
顔に手形を残すハツイはすぐさま態勢を整え、獣の如き四足で駆け抜け再び飛びかかり…
「だから!」
「ぐっ!?」
迎撃する、その膝蹴りで飛んできたハツイの腹を貫くように蹴り穿つ
「そんな直線的な攻撃にゃあ…!」
「ぐげっ!?」
続けざまに飛ぶ拳 拳 拳、魔力も何も纏わない鉄拳が羅睺十悪星に悲鳴を上げさせる
「当たらねぇんだよ!!!」
「げはぁっっ!?!?」
ハツイの頭を掴み、叩きつけるように大地に打ち付ければ、それだけで敷き詰められた石タイルが宙に浮かび崩れる、一つの災害の如き一撃がハツイを襲い その血が宙に舞う
圧倒だ、他の誰もが止められなかった羅睺十悪星をマグダレーナは圧倒している、ハツイの攻撃は確かに合理的なものではないがそれを補って余りある速度がある 速度だけで見るならマグダレーナを優に超えるだろう、されど…それではマグダレーナは超えられない
「もっと訓練してから出直しな!」
「げうっ!?」
ハツイの頭を蹴り飛ばせば その体が空中で四回転、地上で六回バウンドして錐揉み飛ばされていく
今のマグダレーナはその長い人生において最強の状態にある、もし五十年前のマグダレーナと今のマグダレーナが戦えば、今のマグダレーナが圧勝するだろう
今の彼女の強さを支えるのはその歴戦の経験だ
十代の後半から軍人として戦い、凡そ七十年間戦い続け手に入れた経験…
その身体能力を失いながらも創意工夫により常に頂点を張り続けた知識
何より、今日この日まで立ち続け鍛え抜かれた鋼の精神
全盛期の肉体に老練の頭脳、今のマグダレーナは人生最強の状態にある
「ぐっ…げぇ、………あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!」
「元気だねぇ…」
蹴り飛ばされ 徒手空拳で圧倒され、倒れ伏したハツイは激怒し咆哮を響かせる、ただの声に紅の電撃が走り それそのものが一種の魔術のように響き渡り 大地を砕く
力が有り余っているようだね、けど…の割には戦い方が雑極まりないのが気になるところだが
(とっとと片付けちまうかい…!)
「うぐ…ぐぐぐ、折角エリスを見つけたのに…ようやくエリスを見つけたのに、復讐の時間を邪魔するな…邪魔、すんじゃねぇ!!!」
瞬きの間に起き上がったハツイはそのまま大きく頭を持ち上げ髪をかきあげるように大きく仰け反ると
「燃やせ燃やせ燃やせ、我が血潮 我が手足 我が心、全てを薪とし万物を焦がす煉獄となれ『六道真朱』!」
ゴウッ!と音を立てて燃えるような赤い魔力がその四肢より溢れ 推進力となる、さっきまでの加速はこれが正体か、恐らくは魔力を大量放出して行う加速魔術…その原型となった古式加速魔術か
存外単純な魔術を使うんだな、こいつも
「ぅがああぁぁあああああ!!!」
「単調な攻めだ、さっきからなんの進展も見えないよ」
一種にして肉薄するハツイの拳の連打を上半身の動きだけで回避する、振るわれる薙刀のような蹴りも軽く足を上げて回避する、単調…短絡…単純、動きが速いだけでチンピラの戦い方だよこれは
「くぅぅううう!!当たらない!速度が出ない!、本来の私はもっと…もっと!!」
「それを言い訳にしちゃあおしまいだよ、どんな自分でも全力で戦い任務を遂行する…って、今の私が言えた話じゃないねぇ…けど」
それでもだ、私はもうプライドも命も捨てた…だからこそ、絶対に勝たなくてはいけないのだ
「行くよ、…元将軍の力 味わいな」
乱れ飛ぶ猛打の中マグダレーナはゆったりと余裕を持って構える、それはもう久しく構えた事のない全盛の構え…、彼女が人類最強と呼ばれていた頃のそれだ
五十年前にマグダレーナ・ハルピュイアが人類最強と呼ばれた所以は数多く存在する
あるものに聞けばその強さの根源は圧倒的身体能力にあるという
あるものに聞けばその強さは野獣のような勘の良さにあるともいう
あるものに聞けばその特異魔装が反則だとも言う
だが、彼女の真骨頂はそこにはない、老齢に至り魔力を失ってから使う事のなかった…もう失われた筈の魔術
フリードリヒ ルードヴィヒよりも前に授かった、特記魔術こそが…彼女を無敵足らしめる
その魔術の名を…
「『パラドックスワールド』…」
「ッ!?!?」
刹那、驚きと共に見開かれたハツイの瞳に映ったのは、拳が直撃するまさにその瞬間…、サラリと霧のように消えるマグダレーナの姿で…
「『八卦連弾』ッ!!」
「げごぉっ!?」
次の瞬間には既に拳を振り抜いていたハツイと同様に、その拳を回避しガラ空きの胴体に一撃を放つマグダレーナの姿があった
回避ではない、まるで最初からハツイが見当違いの場所に攻撃していたかのような空振り
カウンターではなく、まるで最初から攻撃行動を行ってきたかのようなモーションの無さ
理解不能な事態にハツイは胃液を吐きながらも悶え…
「っざけんなぁ!『狂々紅緋爪』!」
「無駄だよ、私に攻撃は当たらない…」
必死の抵抗と魔力を纏わせた爪を振るうも再びマグダレーナの姿は霧と消え、次にハツイが認識した瞬間には既にその顔面に蹴りを加えており…
「ぁがぁっ!?、…ど…どうなって…」
「久々に使ったけど、うん…やっぱ便利な魔術だねぇ、流石は陛下の作られた特記魔術」
地面を転がるハツイはもう何が何やら分からず駄々っ子のように暴れる…、攻撃しても当たらない なのに向こうの攻撃は必中…これは暴れたくもなるだろう
だがこれこそがマグダレーナが最強と呼ばれる所以の一つ、特記魔術『パラドックスワールド』だ、…その力は謂わば平行世界の再現だ
もしも 攻撃が外れていたら、もしも こちらの攻撃が当たっていたら、そんなもしもの世界が広がる、可能性ある限り無限に続く平行世界の存在を マグダレーナは自由に取り出すことが出来る
故に彼女に攻撃をしても『攻撃が当たらなかった世界線』に路線が強制的に変更されその攻撃は不発となる
故に彼女が攻撃すれば『攻撃が当たった世界線』に無理矢理書き換えられその攻撃は必中となる、あらゆる可能性を一方的に操作し決定する権利がマグダレーナには与えられている
神鳥マグダレーナの戦闘スタイルとはつまりそれだ、…強さを突き詰めた最強の戦法こそ
『相手に殴り返させず圧倒的な武力でひたすら殴り続ける』
これこそが彼女を最強にまで押し上げた彼女だけの答え、この力の前にデニーロもカルステンもプルチネッラもボコボコに打ち倒されたのだ
そして今、その名前に羅睺十悪星が加わろうとしている
「くそっ、ざけやがって…ならこっちも本気で…」
「バカだね、遅いよ こっちはもう本気だからね」
そしてもう一つ、マグダレーナが最強と呼ばれる所以がある…というより、彼女の必殺技とでも呼ぶべき 反則奥義がある、パラドックスワールドを使った 応用技
かつてマグダレーナは一人で万軍に匹敵する力を持つと呼ばれたことがある、それは彼女個人の力が圧倒的であるという以外にももう一つ…
「『異界流転流離譚』…」
「は?…あ?…え?」
起き上がったハツイは思わず目を開閉し、目の前のそれを見て目を擦る、古の戦いを知る彼女をしても理解不能な事態が広がっているのだ
なにせ、目の前にいるマグダレーナが…分身をしているように見えるのだ
「さて、いつものように頼むよ私」
「ああ任せな私」
「これも久しぶりだねぇ、どう甚振ろうか」
ワラワラと増えるマグダレーナ、その数を八人…同じ顔が横並びに揃い、それぞれが会話をしているのだ、人類最強の名を持った女が一気に八人になった、もしや幻惑魔術かと目を疑うが
残念、これは幻惑でも分身でもない…全員が本物、全員がマグダレーナ、全員が人類最強の力を持つ正真正銘のマグダレーナなのだ
これぞマグダレーナの持つ奥義『異界流転流離譚』、パラドックスワールドにて掴んだ平行世界 パラレルワールドより、別の自分を呼び寄せるという反則技
ただ一人でさえ絶大な武力を持つ己を一気に複数人揃えることが出来る、その数は理論上平行世界の数だけ揃えることが出来る…つまり無限に用意出来るのだ
さらに恐ろしい事実が一つある
「さぁいくよ!、『メテオフレア』!!」
「『アブソリュートアイスエイジ』!」
「『ライジングギガントマキア』!」
「『アネモイテンペスト』!!」
「は!な!え!?、ぐぎゃぁああああああ!?!?」
降り注ぐ炎の隕石、広がる絶対零度の冷気、覆い隠す雷撃の嵐、貫く巨大な風槍、そのどれもがハツイに致命傷を与える練度の威力、究極と言えるまで研ぎ澄まされた連携が襲いかかる
平行世界とは、即ちこの現実世界とは少し違う世界だ…つまり呼び寄せるマグダレーナも本来のそれとは少しだけ違う、主に違う点を挙げるとするなら 得意とする魔術が違う
…呼び寄せたのは『パラドックスワールド』とは別の魔術を極めた世界線のマグダレーナ達
『炎熱系を極め人類最強になった世界線のマグダレーナ』
『氷結系を極め人類最強になった世界線のマグダレーナ』
『雷撃系を極め人類最強になった世界線のマグダレーナ』
『嵐風系を極め人類最強になった世界線のマグダレーナ』
全員が得意とする魔術が違うが、全員が人類最強にまで上り詰めた実力者たち…様々な攻撃法を扱うマグダレーナを呼び出し同時に戦わせることが出来る、故にマグダレーナの攻撃法は事実上の無限
「ぐげぇっ!?、く くそ!」
「遅い!『万軍断烈剣』ッ !」
「かはぁっ!?」
様々な属性魔術の雨に吹き飛ばされるハツイに追い打ちをかけるのは、軍刀を片手に剣を振るう『剣術で人類最強になった世界線のマグダレーナ』、その頂点に上り詰めた剣撃がハツイの体を斬り裂き 鮮血を舞わせ…
「死に去らしな!イカれ女!」
「あんたはお呼びじゃないよ!」
「ぐぶうっ!?」
続けざまに『拳術で人類最強になった世界線のマグダレーナ』と『槍術で人類最強になった世界線のマグダレーナ』が反撃を許さずハツイの体を地面に叩きつけ…
「くそがぁっっっっ!!」
「覚えない子だね、無駄だよ…私達にも攻撃は当たんないのさ」
悪足掻きに腕を振り回すハツイだが、無駄だ…こうして呼び出された他のマグダレーナにもパラドックスワールドによる無敵の絶対回避は適用される、この場にいる全てのマグダレーナに攻撃を当てることは不可能なのだ
そうして暴れているうちに現れた『大型魔装を扱い人類最強になった世界線のマグダレーナ』がハツイの体を拘束し
「終わりだよ、人類最強…ナメない事だね、『界放之一滴』」
「お おま、なんなんだ!それ…!」
トドメとばかりにハツイの真上に立つのは『皇帝カノープスの指南を受け古式時空魔術と貯蓄詠唱を取得し無双の魔女の弟子になった世界線のマグダレーナ』による古式魔術による一撃
敵の体内と同一座標に魔力爆発を起こす古式時空魔術による究極の一滴が降り注ぎ 凄まじい衝撃と共に全身から血を吹き焼けていくハツイの体
羅睺十悪星達は皆人類最強を相手にいい戦いをしていると言える、善戦しているのだ…だがハツイは違う、それはハツイが弱いからか?いいや断じて違う
強すぎるのだ、全盛期のマグダレーナは…五十年分の経験を得て更なる可能性を広げた今のマグダレーナは あまりにも強すぎるのだ
「ぁ…が…ぁぁああ、がぁ…」
「呆気ないね、そんなもんかい…」
ただ一人になったマグダレーナは、焼け焦げたハツイの頭に足を乗せ軽く笑う、完全なる圧倒 絶望を思わせる実力、昔はこれが魔女大国を守っていたのだ…今なお伝説と語られる女の力こそがこれなのだ
「ぐ…ぞ、ぐぞ!…このわたじが…ごんな…」
「丈夫だねぇ、こういう時下手に頑丈だと損をするってのは…今も昔ほど変わらんねぇ」
パラドックスワールドにて『武器を持ち込んでいた世界線』を呼び出し、黄金の杖を手にしてハツイの顔を強く引っ叩き騙せる
全盛期の力を取り戻してみれば呆気なかったね、まぁ今の私は最高の状態かつ老齢の知識も持ち合わせている、正直に言えば反則に近い状態…これで圧倒できなきゃ嘘ってもんだよ
「わだし…は…わだじは!」
「ん?、まだ動くかい、まぁいいよ まだ時間もあるしね…寧ろもっと動いてくれ、まだまだ暴れ足りないんだよ」
「わだじは!!!!」
「おっ…」
刹那、体を持ち上げたハツイから咄嗟に足を退け、距離を取るマグダレーナが感じたのは久しく感じていなかった嫌な予感…なるほど、確かにこれだけで負けるような奴に魔女様が苦戦したとは思えない
まだこの先があるんなら、それはそれで歓迎するよ
「わだじはぁぁぁぁあああああ!!!、ああああああああ!!!」
そんな中、狂気の叫び声をあげるハツイの体がその絶叫と共に変化していく、その汚れた皮膚が赤く赤く変色し 瞳からは瞳孔が消え失せ、覗かせていた牙はますます鋭くなり…何より凄まじい変化はその長く伸びきった髪だ
まるで髪が意識を持ったかのようにぬらぬらと蠢き、水中で揺れる海藻の如く重力に逆らい浮かび上がり始める
突飛な姿に変化するハツイ、その変化にマグダレーナが今の時点である程度の当たりをつけるなら…恐らくあれは魔力暴走だ
『とある魔術』を用いて膨大な魔力を御しきれなくなった人間が起こす変化症状に非常に酷似しているようにも見える、しかし…おかしい点があるとするならその魔術が開発されたのはハツイが死してから何千年も経った未来の話、少なくともマグダレーナが知っているくらいには近代の話
何故、未来の技術をこいつが使うことが出来るのか分からないが…
「どの道放っておけないね、ここでぶっ殺すとするよ!『パラドックスワールド』!」
「うわぁぁあああああ!!!、エリス!エリスエリスエリス!エリスぅぅぅうっっ!!!」
暴走し 真の姿を露わにしたハツイはその膨大な魔力を纏ったまま、天に…エリスのいる空へと手を伸ばす
折角この世の戻ったのに、折角再びこの目に収めることが出来たのに、なんということか…何故こんな奴に邪魔をされねばならないのだ
何故、何故、何故…あの約束はどうしたんだ、エリス……
「エリスぅぅううううううう!!!!!」
「喧しいよ!!!」
悲しげな絶叫をあげるハツイに襲いかかるのは無数のマグダレーナ、羅睺さえも手も足も出ないほどの軍勢の波に飲まれ その絶叫はかき消され…、空へと届く事はない
……………………………………………………………………
時の絶技『クロノス・オーバーホール』により全盛期の力を取り戻したマグダレーナの絶対的な力により皇都内部に侵入したハツイはほぼ撃退同然の状態にある
これにて最悪の事態は防げたと言えよう
それでも皇都の門周辺に現れた羅睺は未だ健在であり、魔造兵も大挙して押し寄せている…そちらはどうなったのか?
無論、そちらもどうにかなったのだ、クロノス・オーバーホールにて戦線に復帰した老兵は一人ではなかったのだから
「ぐっ…!」
膝をつくのは聖人 ホトオリ、肉体の頂点にあるはずの彼が初めて傷つき膝をつく…あまりのダメージに耐えきれず、いや…的確に急所を突く一撃に肉体頼りの彼は堪らず視界を揺らしたのだ
「まず一回…ダウンだぜ、俺の可愛い後輩甚振ってくれたんだ…こんなもんで終わると思うなよ」
顎に滴る汗を拭う青年が一人、浅い灰の髪を短く切り揃え 刻むようなステップを踏む彼が構えるのは拳闘の構え、神父服を脱ぎ捨て薄着となった彼の名はカルステン…
かつて、拳神将カルステンとして名を轟かせた、オライオン史上最高のボクサーたる彼が 一時的にその力を取り戻し、後輩達を痛めつけたホトオリに手痛いカウンターを食らわせる
「油断するなよカルステン、お前の悪い癖はすぐに油断して相手に付け入る隙を与える事でそもそも神将というのは…」
「あーあー、…ゲオルグお前 若返って昔の口煩さも取り戻してんじゃねぇよ…」
そんなカルステンの背後にて杖を構えクドクドと説教を垂れる怜悧な顔つきの魔術師が一人、かつて神将の右腕として戦った神槍のゲオルグもまた在りし日の姿と七魔賢に相応しい魔力を取り戻す
彼らもまたマグダレーナ同様、ヴォルフガングのクロノス・オーバーホールによって全盛期の肉体へと一時的に回帰していた
全ては自分の跡取りたる四神将を守る為…いや、この命を懸けてでも次へと繋ぐためだ
「ボクシングか…私の知る物とは些か型が違うが、ふぅ…よく鍛えてある」
「へっ、そう来なくちゃ」
時計の振り子のように交錯するステップを踏みながらホトオリと対峙する若き姿のカルステンは勇ましくもホトオリ相手に譲ることもなく立ちふさがり続け 一人、想うように考える
マグダレーナから話を聞いた時は驚いた、帝国の魔術王が代償はあるものの一時的に若返る術を持ってるっていうんだからな
最初は喧嘩を売られているのかと思った、老いぼれたお前じゃなんの役にも立たないから昔の力で戦えってさ、伊達に何十年も生きてきたわけじゃねぇ…その時間丸々否定されりゃ誰だって切れるだろう、現にマグダレーナも直ぐにはその話を受け入れなかったようだしな
だが、結局どんだけ勇ましい事言っても…あの皺くちゃの手じゃ守れない、俺が後を託し オライオン最強の座を明け渡した四人の子供達を守れないんだ、羅睺に戦いを挑んでぶちのめされて痛感したね…
まぁそれでも戦って死ぬなら本望かなぁとも思っていたが
だけど、それでも俺達を守ろうと戦うベンテシュキメ達を前にして…そんなくだらない考えは捨てさせられたよ、何を一人で気持ちよくなってんだってな…
神将達は今も戦い続けている、そりゃあ後の事を託したんだからキチッと守ってもらわなきゃ困るが…それでも思っちまったんだよ
『ベンテシュキメ達が死ぬのを黙って見てられない』と…
だから俺は…意地を捨てた、それで守れる未来があるのなら 安いもんだと
「さぁ行くぞ、拳闘士!」
「ははっ、人生最後の対戦相手があのホトオリ様とは…なんて贅沢なんだ!」
両者共に踏み込む、ホトオリの踏み込みは鉄槌の如く大地を叩き砕き カルステンの踏み込みはまるで羽の如く軽く…彼の体を前へと進ませる
人生最後の相手の名はほとホトオリ、オライオンスポーツ協会のシンボルマークになっており、浅学な俺でも知ってるくらいの大物だ、ホトオリ様に祈りを捧げたこともある…そんな奴が今敵として前に立っているってのは少々受け入れ難い事実ではあるが
今はンなこと関係ねぇ、…今重要なのはコイツが…!!!
誰を!傷つけて!、誰に!喧嘩を売ったかだよ!
「『神羅風鐸掌』!」
ホトオリが振るう巨腕、ホトオリの行動は全てが災害クラスの威力を持つ…故にこうして腕を振るうだけで衝撃波が発生し周囲の物を跡形もなく破壊するのだ、だが
「甘いッ !!」
カルステンには当たらない、彼は数十年も繰り返してきたんだ、敵の顔が見える距離での殴り合いを、何度も何度も
故に見なくても分かる、見えなくとも分かる、ホトオリの腕を巧みに回避して懐に潜り込むことで衝撃波さえ掻い潜り…
「むっ…!」
「『拳打六衝』ッ !」
「ぅぐっ!?」
叩き込むカウンター、それを同時に六発も叩き込み ホトオリの体を揺らす
カルステンの拳はホトオリのように大振りではなく、アミーのように派手ではない、小さく細かくコンパクトに放たれる拳は速さこそあれど派手さは皆無だ、しかし それでもホトオリは苦痛に顔を歪める
何億という回数繰り返し練習し訓練し修行し鍛錬し、極限まで高められた拳打は、聖人さえも凌駕し 確実に神の領域に達しているのだ
「何ということだ…、この私が殴り合いで押されると?、技量だけで言えばアルクトゥルスにも迫る者が現代にもいようとはな…、だが」
しかし、今度は膝をつかない 、ホトオリは痛みに悶えるも未だ足の裏は地面についたままだ、カルステンのカウンターは六発も受けながらも立ち続ける彼は…大きく身震いし
「『神羅雷鼓掌』」
ホトオリの体は神より祝福を受けし特別な躯体である、故に身震い一つで発熱し炎を纏う事も こうして生体電気を作り出し両手に雷撃を纏う事も容易いのである
神なる雷を手中に収めたホトオリが狙うは自分に一矢報いた男の顔貌、相手の手が届くという事は自分の手もまた届くという事、ホトオリはある程度自分が殴られる事を折り合いで仕掛けたのだ
抱きかかえるように両手を広げ、カルステンの頭目掛け両拳を打ち付けるホトオリ。狙う頭はそんな彼の拳から逃れようと必死に身を引き何とか射程外に逃れようと足掻くが…
足掻きは、所詮足掻きである、成る事は無い
(よくぞ戦った拳雄よ、私に膝をつかせたのはザウラク アルクトゥルス リゲルに続いて君で四人目だ…、死した世界で神からの賞賛を賜るがいい)
「ッ…!!」
挟み込む雷拳、逃れるように身を屈めるカルステン…いや違うか
ホトオリはここで重要な見落としをしていた、故にここでカルステンが逃げていると錯覚してしまったのだ
ホトオリが見落とした物、それは…
「ゲオルグ!今だ!」
「言われずとも!『スティグマータ・グングニル』!」
「ッ…なっ!?」
咄嗟に身を屈めたカルステンの背後から飛んでくるのは神の槍、幾条もの光を束ねて放つ極光、七魔賢ゲオルグが編み出した複合魔術『スティグマータ・グングニル』が油断し切ったホトオリの胸を穿つ
…ホトオリは見落としていた、カルステンという絶対強者を前にして油断していた、カルステンという男はたった一人でオライオンを守っていたわけでは無い事を
彼には、生涯の友が付いている事を…
「ぐぅっ!?」
「よっし!、よくやった!ゲオルグ!」
「フンッ、反応が遅れたらお前ごと撃ち抜いてやるつもりだっただけだ、そしてお前が倒れたら…」
「神将になるって?、ばぁか…もうそういうのは終わったろ」
「…昔の癖だ」
オライオンの守護者とは即ち拳神将カルステンと神槍のゲオルグの二人を指す、この二人がオライオンを支え テシュタルを守り 現代があるのだ
時にいがみ合い、時に喧嘩をし、時に手と手を取り合うライバル二人の連携は…或いはマグダレーナにもその手が届いただろう事は言うまでもない
「よっしゃあ来いやホトオリ!、うちの可愛い子供達甚振ってくれた礼はまだ終わってねぇぜ!」
「これが聖人の正体とは呆れたものだ、…何故リゲル様はホトオリを聖人として今も名を残しているのやら」
「くっ、…なるほど…やるものだ」
神槍に胸を貫かれてなお駆動を続けるホトオリは笑う、そうか 彼等がリゲルの国を守っていた勇者達なのかと、私のような壊れた聖人に頼らずとも何かを守るだけの力は現代にはある…それを作り出したのが娘のリゲルだと思えば些か嬉しくはなるが
「だが…まだまだ、終わらんよ」
終わらない 終わらせないとホトオリは筋肉を隆起させ流血を塞ぎ、ドスンと腰を据える、 彼らになら本気を出せそうだと…静かに笑う
…………………………………………………………
「はぁぁぁぁぁあああああ!!!」
「ッと!、なんだか面倒な剣だな」
乱れ飛ぶ剣撃、轟く剣閃、煌めく火花…宵闇にて踊る二つの白刃は互いに譲る事なくぶつかり合う
史上最強の剣士と呼ばれた剣鬼スバルはやや意外そうに呟く、先程まで彼が戦っていたマリアニールとタリアテッレの二人の猛攻さえ凌いで見せた彼が今、たった一人の男に翻弄されている
技量で言えばタリアテッレ以下だ、力で言えばマリアニール以下だ、実力で言えばあの二人に劣るだろう
なのに
「ッ『幾条乱れ琴線』!」
「ッハハー!、無骨な剣より繰り出されるは銀細工にも勝る美麗なる奥義、瞬きと光り消える白刃の煌めきが夜空を彩り 美しいスポットライトを思わせる!、この戦場こそが僕の舞台!僕の劇!独壇場!」
スバルが振るう連撃はまるで乱れた琴線のように空間全域を切り刻む、しかし その中心にいるはずの男はクルクルと踊るように回転し 奇妙な詩を紡ぎ、スバルの剣撃を避けてみせる
読めない…そうスバルは不思議そうに首をかしげる、同じ剣士なのに 同じ剣を扱うのに、この男の思考と動きがまるで読めないのだ
「だが、一つ欠点を指摘するならば…!」
「む…」
ピクリとスバルの眉が揺れる、男が動いたのだ…乱れ飛ぶ剣撃の隙間を縫って仕掛けてきた、ならば丁度いい、その攻撃を弾き返して斬り伏せてやろう
そう静かに迎撃の構えを取った瞬間、男はその手を突き出し…!
「華がない!」
「……………」
突き出されたのは剣ではない、代わりに差し出されるのはその手に持った真っ赤な薔薇…
パチコリと放たれるウインクと理解不能な行動に、スバルは停止する…
これはどう言う攻撃なのだ、ここに反撃を加えたらどうなるんだ、相手は何がしたいのだ、ここからどう言う斬撃に繋がるんだ、手は出さない方がいいのか?、と言うかこいつはもしかしてバカなのか
真顔で停止するスバルと静かに花を差し出し続ける美男子の沈黙の時間が続く
「受け取ってもらえないのかい?」
「………………」
「残念だね、いや…受け取らないのならそれでいいのかもしれない、昔はこの薔薇を取り合って何人もの乙女が諍い悲しき争いが巻き起こったのだから…、この 美麗騎士プルチネッラの薔薇は悲劇を起こす、手に取らないと言うのならそれでもいいさ」
ね?と静かに薔薇の匂いを嗅いで再びウインクにて星を放つ、その美男子の名はエトワール史上最高のイケメン騎士 プルチネッラ・ドラクロア…かつてエトワール最強の名も序でに預かっていた騎士の中の騎士にして役者の中の名役者
フワリと揺れるピンクの髪と宝石のような翡翠の瞳、何より整いに整った美しい顔立ち、見る者が見れば美しくも可愛くも見える人の感性を刺激する顔貌は一時エトワールに存在するどの芸術品よりも美しいと呼ばれたこともある
幾多の女性を魅了し、マグダレーナでさえ惑わされた事もある彼の振る舞いを前に、嗅いだ事ない匂いを嗅いだ猫のようにキョトンとスバルは停止する
「へぇー、あれがエトワールの喜劇の騎士プルチネッラ?、なんか噂よりも美男子じゃない?」
「いえ…プルチネッラさんは既に老齢の筈、何故あんなにも若々しく…」
「おや、うら若き戦乙女達よ、もう羽を休める憩いの時は充分かな?」
「ひゃあ〜イケメン、腹立つくらいイケメンじゃん」
治癒魔術師より負傷の治療を受け終わったタリアテッレとマリアニールがプルチネッラの活躍を見て息を飲む、特に同じエトワール出身たるマリアニールは一層頭が混乱する
プルチネッラと言えば喜劇の騎士の異名を持つピエロおじさんだ、奇天烈な帽子と奇妙な髭、枝のように伸びた手足とふざけた言動を見せる老人という今のプルチネッラからは想像も出来ない姿しか見ていないから 何が起きているのか全く理解出来ないのだ
まぁそれもそうだろう、プルチネッラもまたマグダレーナ達と同じくクロノス・オーバーホールで一時的な若返りを果たしかつての美貌を取り戻したのだ、その経緯を知らなければ混乱するのも無理はない
…プルチネッラもカルステン同様、その若返りの話をマグダレーナから聞いていたし、当初はそれを断っていた、自分は既に舞台を降りた身…それが今更得意げになって壇上に上がる事以上に寒い事は無いと…
だがそれでもそれすら乗り越え若返ったのは…そうだな
役者として、許せぬものを見たからか
「さぁ美しい剣士達よ、共にあの悪しき剣士を打ち倒そう…あれは少し、受け入れられないよ、僕にはね」
プルチネッラが睨むのは剣鬼スバルだ…、『スバル・サクラ』はプルチネッラとしては懐かしい名であり自分の栄光を表す名だ
もし、今エトワールを生きる老父老婆に『スバル・サクラを演じた役者と言えば誰か』を聞いたら、それは今現在スバル・サクラを演じるマリアニールを押しのけてこの名があがる
『プルチネッラだ、彼が演じるスバル・サクラ以上に素晴らしい演技を見たことはこの長い生涯で一度もない』と
「プルチネッラさん…」
「悪いねマリアニール、私もかつてはスバル・サクラを演じた身として彼の暴挙は許し難い、スバルはもっと優しく 不器用で…美しくあるべきだ、解釈違いなのさあれは!」
凡そ四十年間連続でスバル・サクラを演じ続けたプルチネッラから言わせてもらえば、今目の前に立つあの男をスバルだと認めるわけにはいかないのだ、エトワール国民の夢であり憧れである剣士スバルがあのような殺人鬼であったなど…そんな寒いオチを認めるわけにはいかないからだ
もしあれが本物のスバル・サクラだとするなら、エリス姫の恋慕はどうなる?そこに想いを馳せたプロキオン様の心はどうなる、その劇を見て感動した者達の想いは!スバル役を演じる為に身を焦がした役者達の情熱は!
認めるわけにはいかなかった、役者として…命を投げ捨てでも目の前のスバルのあり方を許すわけにはいかないのだ
「…そうですね、プルチネッラさん…私も同じ気持ちです」
「ああ、だが私だけではあれを倒せそうにないのも事実…こうして時間を稼ぐので精一杯なんてマグダレーナ以来だよ、だから君達を頼らせてもらう…いいね子猫ちゃん達」
「う、確かに美男子なのですが…あのプルチネッラさんを知ってると複雑ですね、何をどうしたらこれがああなるのやら」
「そこは今はどうでもいいだろう、さ…行くよ、道は私が切り開く!、決めは君達に任せるよ!!」
故にプルチネッラは、今まで主演しか演じた事のない天才役者プルチネッラは人生で初めて脇役に徹する、若き芽達の力にて 目の前の悪鬼を打ち破る為に
「…フッ、腑抜けかと思ったけれど、なんだ 今まで攻める気がなかっただけか、上等だよ…向かってくるなら斬り殺す」
「スバル・サクラはそんな事言わない!」
「俺が何を言おうと俺の勝手だろうが…はぁ〜、良いから…来い!!!」
「言われずとも!」
……………………………………………………………………
「ぜぇ…ぜぇ…、くっそ寒ぃな…」
「はぁ…はぁ、はぁ〜!君タフだねえ」
アジメクの環境をぶち壊す大寒波、比較的温暖な気候であるはずのアジメクの只中で荒れ狂う吹雪は万物を凍らせる
天を白く染め、大地を白く染め、草も花も人さえも凍る絶対零度の極寒地獄にて、凍結した花々を踏み砕き、向かい合う拳闘士の血が滴る
「強いね…強いよ君、流石はアルク姉の育てた国、そこで生まれた戦士だ」
蒼の髪、蒼の瞳に白のコート、柔和な印象から放たれる吹雪の如き殺意、羅睺十悪星の一人にして争乱の魔女アルクトゥルスの従姉妹に当たる人間
拳天アミー・オルノトクラサイはその身にいくつもの打撲痕を作りながらも嬉々として揚々として笑う、まるでそれが唯一の楽しみであるかのように
「喧しい、ゴタゴタグタグタと…」
対するはアルクカース最強の戦士ベオセルク、武器としていた剣は折れ 腕には血が滴り氷柱となり、肩を上げて息をしなければ動くことさえままならないというのにこの冷気がそれさえも阻む
そんな絶体絶命にありながら彼の体から溢れる闘気は未だ衰えない、その強き姿が更にアミーを昂らせる
「あはは!、いいねぇ…まだまだ楽しめそうだなぁ」
(チッ、思ったより強いじゃないかコイツ…、この俺が一発入れるので精一杯とは…化け物かよ)
ベオセルクが戦う相手であるアミーの強さは異常である、数十分にも及ぶ激闘の末にベオセルクが出せた答えはそれだけだ
ただ一人で軍団に損害を与える相手を捨て置けないとベオセルク直々に相手を務めたこの戦いはベオセルクの想像を凌駕するほどに険しいものとなっていた
まるで底なしだ、アミーという女は…
(魔力覚醒を使っても倒し切れなかったのはまずいな、援軍を待とうにもこの冷気を乗り越えて来れるのはそうそういない…、助けは望み薄か)
既にベオセルクは魔力覚醒を使用し切り、それを維持出来なくなるまで戦い尽くした後なのだ、戦い尽くした後だというのにアミーは相変わらず余裕綽々といった様子で立っているのだ、こうなるとベオセルク側に決め手がない
されど、援軍を待てるかといえばそれも薄い話だ、アミーが作り出すこの正体不明の極寒は人の体を容易に凍結させる、現にベオセルクの姉であるホリンも討滅戦士団であるルイザも抵抗の隙も与えられず氷柱のような姿に変えられてしまっている
討滅戦士団クラスが戦闘不能にされるってことは、多分帝国師団長や四神将でもダメだ…、それこそ魔女大国最高戦力クラスでないとこの場に立つことさえ出来ないだろう
(いよいよヤベェか?、万事休すなんて柄じゃねぇんだけどな)
「んふふ、…君はつくづくアルク姉にそっくりだね、辛いって感情を表に出さない、そんな強さを感じるよ」
するとなんとか息を整えようとするベオセルクを前に、アミーは徐に構えを解き…、手の中で凍結した花を踊らせ遊び始める
「君はアルクトゥルスのなんなの?、もしかして君が弟子?」
「ちげぇよ、…弟子は俺の弟の方だ」
「ふーん、弟の方か…アルク姉そっくりの君の弟を弟子に、これは偶然なのかはたまた意図があってのことなのか…、まあなんでもいいや、ねえ?君の弟って強いの?」
「…………」
こいつ、何を考えてやがんだ?、戦いを楽しでいたと思ったら今度は雑談を楽しんでいる、オ 緊張感がないのか?、それとも…こいつにとっちゃさっきまでのやり合いは雑談と大差ないって事か?
「テメェ、そんな事聞いてどうするつもりだよ」
「いや?、別に?ただ…妬ましいなぁってさ」
「妬ましい?」
「そう、妬ましいの…アルク姉から技を授かり、教えを授かり、直々に鍛えてもらえるなんて幸せな事だからね」
「…テメェ、アルクトゥルスの敵なんだよな、なのに姉って呼んでみたり妬ましいなんていってみたり、ふざけてんのか?」
「ふざけてないさ、事実アルク姉は私の全てなんだ…、私にとって彼女は憧れであり 尊敬の対象であり 目指すべき目標であり 姉であり 従姉妹であり 恋愛対象であり 親であり 神であり…、生きる意味なんだ」
うっとり と顔を綻ばせるアミーを中心に、あれほど荒れ狂っていた冷気が消え去り 逆に仄かな熱が生まれ始める、まるで彼女の心に答えるように その心の熱が外へと這い出るように、ゆっくりと周囲の氷は溶け始める
「私はアルクトゥルスの妹として生きたかった、同じ屋根の下で生きて時にくだらないことで喧嘩して仲直りして笑い合って、なんでもない日常を生きたかった」
「はぁ?」
「私はアルクトゥルスの弟子になりたかった、彼女の弟子として毎日教えを受けて研鑽を積んで彼女の全てを受け取りそれを私のものにしたかった、アルクトゥルスと言う名の海に溺れたかった」
「…あのな、お前…」
「私はアルクトゥルスの妻であり夫になりたかった、純白のドレスに身を包み頬を赤らめ私だけを見るアルクトゥルスの頬に口づけをしたかった、アルクトゥルスと言う女をモノにしたかった」
「おい、聞けって」
「私はアルクトゥルスの娘になりたかった、彼女の寵愛を受けて彼女からの愛で育ってその体を構成する全てをアルクトゥルスで満たし、アルクトゥルスの何もかもを堪能したかった!」
「ちょ…お前」
「私はアルクトゥルスの敬虔なる信徒になりたかった!、彼女を前にひれ伏してその靴底にキスをしていつまでもいつまでも祈りの言葉を口にして彼女の全てを肯定したかった!」
「……こいつ」
聞いちゃいねぇとベオセルクがドン引きする間もアミーは体を抱きながらゾワゾワと己の願望を語り始める、つらつら つらつらとよくもまぁそんなに沢山の夢を語れるものだと一周回って感心してしまうほどアルクトゥルスへの欲望を語り続ける
「友になりたかった、相棒になりたかった、家になりたかった空気になりたかったなんなら全く関係のない人間にもなりたかった!、彼女を中心としたありとあらゆる存在に私はなりたかった!なりたかったんだよ!!、私に武術という全てを与えてくれた彼女の!全てになりたかった!ああ!、愛おしいぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!」
刹那、アミーの体が発火する、桃色の炎を放ち氷を焼き尽くし ベオセルクでさえ一歩退くほどの業火を身に纏い発狂する、聞いてもいないのに勝手に発狂する、これ以上ないくらい幸せそうな顔で叫び全身から炎を放つアミーは ベオセルクが見た中で最も感情的だ
…アルクトゥルスのやつ、こんな奴に付きまとわれてたのか…、初めてあいつに同情したぜ
「アルクトゥルス!アルクトゥルス!、ああ!叶うなら今からでも彼女の味方になりたい!、彼女に頼りにされて仲直りして一緒に住んで一緒に暮らして永遠なる時間を共にしたいぃぃ!!!」
「勝手にそうすりゃいいだろうが!、けど敵対してんだろうお前、なんでそんな発狂するほどにアルクトゥルスに執心してるのに敵対なんか…」
「は?、そんなの決まってるだろ、…友よりも 弟子よりも娘よりも妻や夫や信徒や妹よりも…彼女の敵と言う立場の方が魅力的だったからにさあ」
「は?」
咄嗟にぶつけられた意味不明な情報に目を丸くしてしまう、…何言ってんだこいつ、あれだけ好きだと言っておきながら…敵になる方を選んだのか?、ただ魅力的だったからと言う理由だけで
「考えても見てくれ!、アルクトゥルスが…私のために強くなるんだ、私を倒すために技を磨き体を磨き 相対するなり他の何もかもを無視して私のところに飛んできてくれる、私が人を殺そうとすれば全力で止めに来る、私に敗れれば悔しそうに歯を食いしばってさ!地面を叩いて泣くんだよ!あのアルクトゥルスが!、ぁはぁ…たまらない、彼女に勝利も敗北も与えられる立場に私は今いるんだ…」
「…その為だけに、敵対を…?」
「うん!、彼女に恨まれる為ならなんでもした!、彼女が親しくしていた村も消しとばしたし友達の魔女も何度も半殺しにした!他の友達も殺したし友達の友達も殺した!、ああ…彼女の親も殺したなぁ!彼女の居場所も奪ったし彼女の大切なものは努めて何もかも壊すようにした!全ては私の方を見てもらうためにね!」
「…………」
思わず絶句してしまう、狂っている…こいつは、完全に狂っているとベオセルクは顔を痙攣らせる
ただただアルクトゥルスと言う人間の人生を彩る最も重要な位置に自分を置く為だけに、彼女との因縁を自分の願望の為だけに作り上げたのだ、友も親も何もかもを奪その視線を自分に向けさせるように動いたのだ
事実アルクトゥルスは彼女を仇敵と恨み 宿敵と見定め その生涯をかけて倒すべき怨敵としてアミーを見ていた、だがその実…そんな真っ当な感情を抱いていたのはアルクトゥルスだけで、実態はアミーによってそう思わされていただけなのだ
「はぁ〜〜、お陰で八千年も経っていると言うのに、未だにアルクトゥルスは私を見てくれる、彼女の人生を構成する最大の要因に私はなれたんだ…幸せだ、幸せだよ私は」
「どうやって生まれたらそんなにトチ狂って生きられんだお前」
「あは…あはは、けど…そっか、アルクトゥルスにも弟子が出来たんだ…、ふーん…羨ましいなあ、私も弟子になりたかったなぁ」
こいつの行動原理は一つだけ、如何にしてもアルクトゥルスと接点を持つか…それだけだ、その為ならばアルクトゥルスにとって最も頼りになる味方にもなるし最も深い理解者にもなるし最も従順な弟子にもなる
…ただ その数ある選択肢の中でアルクトゥルスから向けられる意識が最も大きかったのが アルクトゥルスにとって絶対に許せない敵だっただけ
その為だけに世界を滅ぼす一団に加わり、悪逆と殺戮の限りを尽くす事ができる、ただただアルクトゥルスに自分を見てもらう為だけに…
「呆れるぜ…ほんと」
「私にとっては大切な事さ、私に夢を見せてくれた恩人だからね彼女は、私にとって価値がある唯一の存在…だから他の全てはどうでもいいしどうなってもいい、それだけだよ?簡単だろ?、まぁ?純粋にどうでもいい存在を踏み潰すのが好きだったってのもあるかもだけど」
「はっ、だとしたらお前どの道アルクトゥルスから嫌われてたぜ」
「あはは!そうかも!、…でぇ?最後にもう一つ聞くけど、君 アルクトゥルスの国の人間なんだよね」
そう 彼女が小さく問いかけた瞬間、今の今まで溶けきっていた氷が…再び凝固し凍結する、アルクトゥルスへの愛情から消えていた彼女の殺意が再び…場を満たす
「っ!?」
「君を殺したらアルクトゥルスは悲しむかな、私に対して何を言うかな、…何でもいいや、君がアルクトゥルスと関係がある…それだけで殺す理由になる!」
刹那、大地が崩落したのかと錯覚するほどの地鳴りがベオセルクの足を取る、いや錯覚ではない…事実地面が割れたのだ、アミーがただこちらに向けて移動しただけで、地面を軽く蹴って跳躍しただけで、純白の大地が氷の粒子となって宙を舞い…
「化身無縫流…外道之巻」
「ぐ…!」
氷煙を切り裂いて現れたアミーは既に拳を握り 態勢を崩すベオセルクの懐に潜り込んでいる、そこに至るまでのロスの無さ 無駄の無さ から繰り出される流れるような技の美しさは彼女が武術家としてどれほどの地位にいるかを知らしめ…
「『闇冥』…!」
「ごぁっ!?」
青い筆を使って一本線を引いたかのような軌道で放たれた拳はベオセルクの腹を打ち付け衝撃が背中まで行き渡る、アミーの使う武術の練度に比べれば ラグナの武術など子供の遊びに思えるほどの威力・技量・練度…
「『何何奚』、『髪火流』!」
続けざまに放たれる技は果たして別々の技なのか、元々一つの技なのか、それさえも分からないほど隙間無くか突き詰められた連撃はベオセルクから反撃の機会を奪う
まるで天を破るような蹴り上げと髪を振り回すようなぶちかまし、続くようにアミーはベオセルクの胸ぐらを掴み…
「『金剛嘴鳥』!」
「ぅぐっ…テメェ、いてぇじゃねぇか!」
繰り出される頭突きに怯まず殴り返すベオセルク、不規則に揺れ動くような拳は鞭のようにしなり逃げる相手も避けようとする相手も追撃し噛み砕く牙となる、それは羅睺にさえ届く刃となりアミーの頬を殴り抜く
「うっ!?、…えへへ殴り合いが所望かい、じゃあ受けて立とうかなぁ!」
「ちょっとくらい、痛がれよ!」
狂気の笑みを浮かべるアミーの恐ろしさを一つ挙げるとするならば、ベオセルクがあげるのはその技量ではなく…彼女が未だその冷気を武器として使用していない事だろう
アミーは感情によって事象を生み出す事ができる力を持つ、それが発露し暴走することはあれど…未だ一度として、その武術と併用していないのだ
こいつにはまだ上がある、こっちはもうボコボコだってのに…!
「速さ勝負なら負けないよ!、奥義…『吒々々嚌』!」
「ッ…!、がっ…」
殴られる、殴られ尽くす、真っ向から挑んでここまでボコボコにされたのは生まれて初めてだ…、一撃一撃がしっかり殺しに来る、無闇矢鱈に打ってない…
一つ殴られる都度確実に死に近づく、一つ打たれる都度確実に死んでいく、打ちのめされ叩き潰され…ベオセルクという男が揺らいでいく
苦しい、苦しい…苦しい、苦しいけど…ダメだ倒れられない、俺が倒れたら一体…
(一体、誰が…アスクを守るんだ、子供達を…守るんだ)
目に浮かぶのは大好きな妻とその手に抱えられる息子と娘の姿、獣と呼ばれ恐れられた俺が掴んだ唯一の幸せ…唯一の宝物、俺が負けたら それが踏み躙られる、子供達の未来が奪われる
俺は不器用で、頑固で、戦うことくらいしか能が無いダメな親父だ、子供の夢も応援してやれず 怒らせて泣かせて…、そんなダメな俺が出来る唯一の事が、体張る事くらいしかねぇのに
「ふぅ〜、…しこたま殴ったのに、倒れねぇなぁ〜」
「ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…」
子供達の未来を守る為、その一心が今ベオセルクの体を立たせている、自分の背中が地に着いた時がリオスとクレーの未来が奪われる時だと思えば、死んでも倒れられない…
霞む瞳でアミーを睨み、力の入らない手で拳を構え、戦おうとする…守ろうとする、そんなベオセルクの必死な姿を見てアミーもまた表情を変える
「…アルク姉も似たような顔をした事があったな…、友達を守る為に戦った時だったか、君も同じ顔をするということは似たように守りたいものがあるんだね」
「っ…ゔぅ、げほっ…ぜぇ…」
「なるほど、いいね それも」
にこりと微笑む、ベオセルクの姿に大好きなアルクトゥルスの面影を見た彼女はフッと体から力を抜き
「でもお前がアルクトゥルスと同じ顔をするな」
冷気が濃くなる、最早世界すら凍らせるほどの殺意を向けるアミーの顔に笑みはない、ただただその握った拳を開き、刀のように鋭く尖らせ…放つ貫手は動けぬベオセルクの心臓を狙う
「『雨縷鬘抖擻掌』…!」
アルクトゥルスに近づいていいのは己だけ、そのアルクトゥルスと同じ顔をする存在は消さねばならない、そんな身勝手な振る舞いから放たれる殺戮の奥義は、阻むものもなくベオセルクの心臓を……
「待った」
「あれ?」
いや、阻むものはある
この極寒を乗り越え、吹雪を切り裂き伸びてきた手は…静かにアミーの手を掴み、それ以上先へと行かせまいと握り締め その剛力でアミーの動きさえ封じている
この極寒を超えられる人間が他にいたか?、というか私の手を止められる人間がアルク姉以外に?、なんて混乱しているのはアミーだけでは無い
助けられた当のベオセルクもまた、血で滲む瞳を開き…
「誰…だ…」
「悪いなベオセルク、お前の戦いに手を出す気は無かったんだ…、アルクカース人にとってこれ以上の屈辱はないだろう、…俺も同じことをされたらキレる自信がある、だけど頼む、ここは俺にお前を助けさせてくれ…、今ここでお前を死なせるわけにはいかないんだ」
吹雪の中 現れる影は、見覚えのない顔をしていた
浅黒い肌、腰のあたりまで伸びた髪、何より目を引くのは…
「誰このチビ」
信じられないほど小柄な体躯、見たところ十代にも入らないような小さな子供が、アミーの腕を止めていたのだから…
「誰と聞かれて名乗るのも好きじゃない、けど…名乗るよ、俺はデニーロ 討滅戦士団の団長で、こいつの前に最強名乗ってた男だ」
「は?デニーロ?」
デニーロ…そう名乗る少年の姿を二度見どころか三度見するベオセルクの脳裏に浮かぶのは、あの豪気豪胆を体現する巨漢のジジイだ 確かにあれは討滅戦士団の団長だし俺の前に最強も名乗ってたけど
…こんなチビなわけがねぇ、というよりこんなに若いわけが
「お前…なんだ、遂に若返る技とか手に入れた感じか…」
「んなわけあるか、色々あって全盛期に戻っただけだよ…はぁ、まさかこんなに若返るとは思わなかったけどな」
そう溜息を吐く少年は正真正銘のデニーロ・ドレッドノート…クロノス・オーバーホールにてプライドを捨て若返ったアルクカースの元最強だ、彼もまたマグダレーナ同様肉体の全盛期に戻ってたのだが
その年齢は九歳、成長期で体長が馬鹿みたいに伸びるよりも前…彼がかつて継承戦に参加したその時の年齢にまで遡ってしまったのだ、つまり デニーロという男は九歳という年齢にして既に肉体の絶頂期を迎えていたということになる
この事実に一番驚いているのがデニーロだ、まさかあの時が一番強かったなんて…と
「おいおいチビ助、手ェ離せよ…私こいつ殺すんだから」
「ダメだ、ベオセルクはアルクカースの希望だ…きっと俺よりも何倍も強くなる男だ、アルクカースの繁栄に必ず必要になる男だ、そんな男をこんなところでみすみす死なせるわけにはいかねぇよ」
「はぁ?、…じゃあお前も殺すけど」
「いいよ、やればいい…どうせもうすぐ死ぬ命、これ一つで満足するなら好きに殺せ、だけど…」
クロノス・オーバーホールが代償ありの代物であることは覚悟の上、戦士として国の為に死ぬ覚悟はとっくの昔に出来ている、この命一つで未来のアルクカースの礎となれるなら本望だ
だが、それはそれとして…と、デニーロは静かにアミーの手を離すと
「ただでやられるつもりは毛頭ない…、道連れにしてでもお前には死んでもらう」
「ふぅん…そう」
突き出される拳、少年デニーロの小さな拳がアミーに炸裂し轟音を立てる、その小さな体軀からは想像もできないほどの振動で周囲の氷を叩き砕きながら デニーロは静かに燃える
そんな拳を受け止めやや靴を後ろに滑らせながらアミーは冷めた目を向ける、最早何が何でもどうでもいい…いや、ハナっから全てに興味がないかのように
「ベオセルク、これ使って一旦休んでろ」
「ああ?、ポーション…?」
「どうせお前も引き下がるつもりはないんだろ、だったら時間は稼ぐ…残された俺の時間全て使ってでも、お前は死なせやしないさ…」
「…あんた、若い頃は案外殊勝な奴なんだな、ありがとよ…」
「うるせえよ」
アミーが強いのは先ほどの一撃を受け止めた時点でデニーロも察していた、得物たるハンマー抜きで仕留めるのは難しいだろう…、となるとアミーを倒すにはベオセルクの力が必要になる だからこうしてポーションを手渡したのだ
「ふ…、それじゃあ始めるか、羅睺…」
もう一度、戦場に立てたことに万感の思いを感じ入りながらデニーロは静かに両拳を構える、もう一度 こうして戦えるとは夢にも思わなかったから…、もう一度 国の為に戦えるとは夢にも思わなかったから
若き日の体は彼の心さえも若返らせていく、…そうだ とっととアミー倒してまたマグダレーナに挑むのもいいかもしれない、そして今度こそ世界最強の座を手に入れて…
「よし…!、やるか!」
「気合い入ってるね、…上等だよ!」
「疾ッ…!!!」
交錯する二つの影、武器を持たず拳を交える二つの道、古き力を取り戻したアミーとデニーロが 互いに譲らぬ一進一退の攻防を繰り広げる
この場には二人のアルクカース最強が揃っている、それはアルクトゥルスが必死に積み上げた歴史の証左、それが今 アミーという狂気を打ち砕かんと猛り吠えるのだ
………………………………………………………………………………
羅睺十悪星、シリウスが集めた最強の光達は各地で猛進を続けたものの…今その歩みは止まりつつある
魔女大国を守護せし最高戦力達、そしてかつての力を取り戻した魔女四本剣によって、羅睺だけでなく操った魔女も魔獣も文字通り全ての力を用いてシリウス側の戦力は今完全に停滞した…このまま長引かせても、恐らく趨勢は変わらない
だが、結局のところ 彼らの奮戦により魔造兵や羅睺十悪星を倒すことが出来ても、勝敗そのものは決しない
この戦いにおける勝利条件 敗北条件は未だ姿さえ表していないのだから
「なんということか、ワシの立てた計画が全部おじゃんになっておる…」
そんな姿をくらまして居た勝利条件が、戦場全域を見渡し嘆く、計画が全て破綻していることを
シリウスは当初の予定では混乱に乗じて皇都に入る予定だった
具体的に言うと、意外なところからワシ登場からのワッ!と驚く皆の衆を相手にキャッキャと笑うワシ、てな感じで具体的なヴィジョンまで見ておったのだが
意外な事がいくつか起こった、まず魔女大国最高戦力達が存外にやるのだ、ワシの見立てでは第二段階が数人 第三段階も片手で数えられる数と大した戦力ではないように感じた
だが実際はどうだ、第二段階のままで渡り合う猛者や打ち倒されても食らいつく執念や、どこからともなく現れた強者…爪を隠していた天才、ワラワラと出てくるもんだからもう計画も何もない
…おかしいのう、確実におかしい…、ワシが見立てを誤る事などなかったと言うのに、それとも何かがあるのか?、ワシの知覚し得ない部分に何か…
「まぁええか」
ま えーかえーか、別にええか そうシリウスはただ一人で笑う、まぁ確かに戦場を見渡せば酷いもんじゃよ、ワシが八千年かけて作り上げた一大戦争がこうも簡単にひっくり返され、虎の子として出した羅睺十悪星のレプリカも受け止められ身動きが出来ない
お陰でシリウスが考えた復活計画は台無しになった、だが別にいいのだ
飽くまで理想としていた型から外れただけ、アドリブでの方向転換はワシ大得意じゃからのう
「というわけでチェックな訳じゃが、どうするね」
シリウスの手が小突くのは、魔術導皇の玉座…そう 今シリウスは白亜の城にいる
ラグナやエリス達が白亜の城の展望エリアでワシのことを探しているのは知っている、ワシが姿を見せた時点でワシに向かってくる予定じゃったのじゃろうが…甘い甘い
隠密などお手の物、弟子達の目を欺くのなど容易い事、誰の目にも移らずここまでくる事自体ワシにとっては訳もない事なのじゃよ
そう、当初の計画…『大々的に登場して肉体を掻っ攫う派手な復活計画』から外れたから 仕方なし、『羅睺を囮に陽動し誰にも気取られずこっそり復活する』方向にシフトしただけ、ワシはそういう手段とか選ぶ感じではない
それに…
「決着をつけるとは言ったが、ワシが復活する前に決着をつけるとは一言も言うておらんよな、完全復活してから決着をつけようや…ククク」
大人気ないか?子供を相手に本気を出すのは、ククク アホめ…ワシは相手がミジンコでも逆らうなら本気で潰すのが信条じゃ、いい加減全て目障りなのでな…とっとと終わりにしてくれる
「フンッ…」
目の前に存在する石造りの玉座をベリベリと片手で引き剥がす、一度ここに来て肉体の在り処は確認している…ワシの肉体はこの玉座の真下にある
「あったあった、階段じゃ、全くどいつもこいつもジメジメした地下にワシの体隠しおってからに、カビ生えとったらどうするつもりなんじゃ」
階段だ、玉座に埋め込まれる形で存在していた地下への階段を発見する、本来は魔術導皇の持つ黄金の錫杖が必要じゃが…そういう謎解き系の要素は今回はスキップじゃ
「くふふふ、間抜けな奴ら、目の前の惨事に目を取らされ 真なる大惨事を見過ごすとはのう」
最早シリウスを止める者はいない、誰もシリウスの接近を知覚できていない、皇都を守る軍勢も城の外で戦うマグダレーナも、それを見張るエリス達も…ワシの接近に気がついていない
故にワシがこの階段を下り、地下にある肉体を取りに行くのを邪魔出来るものは今の所いないし、今更気がついてももう遅い…、悪く思うでないぞガキどもが 大人は汚いんじゃ
これで、全て終わらせてくれるとばかりにシリウスが階段を一歩降りた
その瞬間の事であった
「おっ!?」
刹那煌めく光にシリウスが声を上げる、光は闇より出ずる、シリウスが降った階段の奥に広がる闇を切り裂き、一条の紅の光がシリウスに向けて放たれた
咄嗟のことではあったが、そこは史上最強の存在…即座に腕を前に出して光を防ぐが
「む…これは」
違う、飛んできたのは槍だ…赤く光る槍、違う 血液で出来た槍だ、攻撃?何故?誰が?というかこれ…ただの血の槍じゃない、まさか
(これは…呪術か!?、しもうた!受けたのは迂闊であった!)
すぐさまレジストする為魔力を体に張り巡らせるが、それが無駄であることを一番よく知っているのはシリウス自身だ、発動条件を満たした呪術を防ぐことは実質不可能、ましてやその血の槍は…血の槍を放ったのは
「『呪界 八十禍津日神血膿』」
「ぐっ!?」
僅かに傷つけられたシリウスの腕の傷から血の槍が入り込み、シリウスの肉体の内部で呪術として構築される
これは『呪界 八十禍津日神血膿』、古式呪術系統の中で奥義に部類される呪い、世界ごとを呪うその力を一個人の内部で形成するなんて無茶が出来る存在はそうはいない、少なくとも魔女の弟子アマルトには無理だ
ならば出来るのは…その師匠だけ
「まさか、アンタレスか!?貴様何故…!」
「颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を」
「な……」
シリウスが呪いの存在に気を取られた、その僅かな瞬間だ
玉座の奥に繋がる秘密の通路の奥から、詠唱が響き渡る、貫ぬくような敵意と貫き通した覚悟がシリウスの瞳に映る、それは…ここにいるはずのない女の声
舞い踊る金の髪、レグルスと揃いの黒のコート、風を纏い風となる一人の少女が歯を食いしばりながら…今
「エリス…!?」
「『旋風圏跳』ッッ!!!」
「ぅがっっ!!??」
まるで弾かれた矢の如く飛んでくるエリスの、風を纏った神速の蹴りがシリウスの顎を蹴り穿ち 吹き飛ばす
エリスだ、レグルスの弟子エリスが居る、何故!上にいるはずのお前が!ワシの存在に気がついていなくはずのお前が…ここに、ワシに!戦いを挑んでいるのだ!
「追いつきましたよ、シリウス…今度こそ 今日こそ、決着をつけましょう!」
「ぐっ、テメェ〜…」
蹴り飛ばされ、受け身を取るシリウスの前に立つエリスは 静かに燃え立つように構える
帝国より始まりオライオンを超え、間に跨るいくつもの障害を乗り越え、今…エリスの手が遂にシリウスに届いた
エリスの旅、長い長い旅の最後の戦い…全てに決着をつけるための最後の戦い、その幕が今 強引に開かれたのである