外伝.決戦前夜の弟子達
アマルト・アリスタルコスは賢い男だ、自分がどういう存在なのかを達観視して考えることが出来る人間だ
自分には何が出来て、何が出来ないかを理解できる男だ
俺は、エリスのようにここぞという時に踏ん張れない、すぐ折れてしまう
俺は、ラグナのようにみんなを奮い立たせられない、誰かに寄りかかる男だ
俺は、メルクのように賢くなく、ナリアのように芸達者ではなく、ネレイドのように強くはなく、メグのように鋼の精神も持ってないし、あのチビみたいに出来ることも多くない
だから俺はこの危機的な状況下に於いて、やれることをやる…俺がやりたいことをやる、それは…
「はいよ、薬膳鍋一丁 お待ち」
「ん、ありがと」
草原にテントが立ち並び、その辺に無造作に置かれた机達に群がる兵士達、ここは臨時で作られた野外食堂だ
皇都に集まった大連合達が腹を満たすために作られた野外食堂にアマルトは足を運び、薬膳鍋を一つ頼む…、ここには今世界各地の料理人が集い兵士達の精気を養う為その腕を存分に振るっている、皆他国に居ながら自国の郷土料理が食べられると喜んでいるが…
アマルトは違う、態々世界中の料理人が集まっているのだから自国の料理なんて食べている暇はないとばかりに注文したのはアジメクの薬膳鍋、今日はこれで腹を満たし舌を楽しませる予定だ
「ん、頂きます」
そう大きな木製スプーンを手に取った瞬間去来するのはラグナ達の姿…、今 俺の友達であるラグナとエリスは防衛戦線構築のため最前線で指揮を執っている、ならその友達である俺も何かしらの仕事をするべきなのだろうが…
だが、アマルト・アリスタルコスは賢い男だ、自分に今出来ることが無い事を理解している、だから無理に出来ない仕事に首を突っ込むよりも明日の決戦に備えて英気を蓄えしっかりと体を休める事に専念するべきだと自分に言い聞かせたのだ
まぁ、俺が現場の指揮なんか執れないし、俺が出しゃばっても邪魔なだけだからね、だから今はこの機会を利用して遊ばせてもらう…明日は世界を巡って戦うんだからこのくらいの事は許されよう、それより今は目の前の料理だ
「ふむ…アジメクの薬膳鍋、ねぇ」
草原を撫でる風に吹かれて鍋の中から溢れる湯気もまた歪む、これはアジメクの伝統的な料理…鍋だ
アジメクは土製 或いは鉄製の背の低い鍋に具材を入れ、煮込んだものをそのまま机に運んで食べるという風習がある国、故にこの国のメインは基本的に煮込み料理である事はアマルトも知っていた、が そんな彼が特に興味を惹かれたのがこの薬膳鍋だ
この国には医食同源の考えが主流だ、食事面でも健康に気を使っており 体に良い物を好んで食べるのだが、その医食同源の真骨頂がこの薬膳鍋と言えるだろう、何せ食べる薬なんて呼ばれているくらいの代物で食べ続ければ凡そ体の不調の八割は治るとさえ言われているんだから驚きだ
コルスコルピには無い発想、あそこはひたすら味を追求してこちらは健康を追求している…、国ごとに違う食への考え方に思わず感心してしまうほどだ、食文化とはとても面白いな
「匂いは…悪くねぇな、寧ろいい…」
スプーンで汁を掬えばやや粘性のあるスープがトロリと音を立てる、見てくれはやや赤みのある鍋でその見た目に違わずやや刺激的な匂いはするものの不快感のあるものでは無い、いい言い方をするとスパイシーな匂いだ、メグあたりが好きそうだな
この鍋には多数の薬草が混ぜてあるらしいが、恐らくそれが香草の代わりになっているんだ、いいねぇ…薬草で味付けか、この世の調味料の殆どは植物から取れるし 薬草も同じ仲間と言えるのか、さて…そろそろ一口
「あー…ん、…んっ…美味い」
汁は匂いの通りやや辛いが、これがまたいい塩梅で次の一口が欲しくなる中毒性のある味わいだ、なるほどよく煮込んである アジメクの食文化もバカに出来ねぇな
「雑多に煮込んであるように見えて、具材もしっかり吟味されている…」
味を出す食材と味を吸う食材、これらがどちらもバランスよく配置されているあたり食材もかなり選んでいるんだろうな、きのこが出した味を根菜が吸う…これがまた美味い
パクパクと夢中になって食べているうちに、体から汗が吹き出ているのに気がつく、アジメクの気候は安定しているとはいえ外はやや寒い、なのにこうも内側から熱が出てくるとは…なるほど、この薬膳鍋の効果がこれか
辛味と熱で発汗させて血の巡りを良くしているのだろう、コルスコルピにゃスパイシーな料理はあるものの、こうも意図的に汗を吹かせる物は無いだろうな
流れる汗に若干の達成感を感じつつ拭い、食べ進めていると、何やら見慣れない具材に行き当たる
「なんじゃこりゃ…」
見たことない料理だ、入っていたのは白い袋のような肉、続けばプヨプヨと弾性を発揮しておりますます見当がつかない、これは一体なんだろうか…鍋に入っているのなら食べ物だろう、なら物怖じせず食べるべきか
そう覚悟を決めてスプーンで掬い上げ一口、白いプヨプヨを齧ると…
「んぉっ!、なるほど!」
溢れる汁、迸る旨味、なるほどこれは胃袋だ、羊の胃袋にひき肉と無数の薬草を混ぜ混み詰め込んだのがこの食材の正体だ、胃袋の中で滲み出た旨味が混ざってこうも芳しい味わいを実現しているんだろう
多分ソーセージみたいなものなのだろうが、なるほどこういう使い方もあるのか…勉強になるな
「んっ、うめぇ…」
この料理を真似して何か自分なりのやり方に活かせないか考えながらスプーンを進める、食べてるだけで健康になれるなんてお得な料理だなぁ…
なんて夢中になっていると…
「相席、よろしいですか?」
「ん?、ああ構わね…え?」
ふと、相席の受理を行いながら、目の前に座った存在の顔を見てややひきつる表情、なんせ目の前に座ったのはとびきりの美人だったからだ、まぁ俺がびっくりしたのはそいつが美人だったからではなくそいつの名前に覚えがあったからだ
「おや、アジメクの薬膳鍋を食べているのですか、本場の薬膳鍋はその辺の模造品とは違いとても美味であると聞きます、流石はタリアの弟ですね」
「あ…あんた、確かグロリアーナさん…だよなぁ」
特徴的な金の鎧、黒曜のような黒い髪、んでもっと目を惹く美貌、デルセクト連合軍の最高司令官を若くして務める天才…グロリアーナ・オブシディアンがなんの前触れもなく目の前に現れて驚かない胆力を俺は持ち合わせていない
故に、存分にびっくりさせてもらう、何故?何故ここに?
「ええ、こうして顔を合わせるのは初めてですね、私はグロリアーナ・オブシディアンです、メルクリウス様のご学友様ですのでこうして挨拶を…と思いまして」
一応俺のダチ メルクの部下に当たる人物ではあるものの、とてもじゃないが気安く話しかけられる相手じゃねぇよ…、すげぇ強くてすげぇ賢くてすげぇ偉いで有名の人間だぜ?これを相手に『おう俺のダチの部下かよ』なんて言える根性があるなら俺はここまで捻くれてない
「そ…そうっすか、いやあメルクリウスさんには毎日お世話になりっぱなしで」
主に金銭面で
「そうですか、あまり気は使わなくても良いのですよ、何せ貴方は私にとっての母校 ディオスクロア大学園理事長のフーシュ先生のご子息なのですから」
そういやこの人、ディオスクロア大学園の生徒だったな、あのクソ親父の息子だからなんだって話ではあるが、律儀な人なんだろうな
「それに、貴方は私の親友の弟ですから」
「親友?まさかタリア姉の事?」
「ええ、聞いてませんか?、私とタリアは学生時代から深い付き合いでしたので」
タリア姉とグロリアーナさんが同じ時期に学園に通っていたのは知っている、既にデルセクトで立場を確立し 総司令官になるにあたり相応の教養を得るため学園に通っていた未来の総司令官とポセイドニオス家のご令嬢のコンビは当時から学園でも有名だったらしいしな、更にここにエトワール最強のマルアニールまで加わるってんだから 凄い一団だと思うよ
しかし…あのタリア姉と付き合えるなんて、余程の変人かよっぽど面倒見がいいかのどっちかだな
「タリア姉はあんまり学生時代の話をしないので…」
「そうですか、…タリアが居たから今の私があると言っても良いくらいには彼女には恩義があります、本人には言いませんが私は彼女の事をとても好いていますから」
「本人には言わないんすか?」
「言ったら調子に乗るので」
まぁ乗るだろうな…、その辺を分かってるってことは本当に友達だったんだ
「それで、タリアは元気ですか?」
「元気過ぎるくらいには」
「ならいいです、お互い立場を得てしまったので中々会えていませんからね、今回も久しぶりに再会しましたが…やっぱり忙しいので」
「だから、代わりに俺の顔を見に来たと?」
「ええ、貴方は昔のタリアに似ていますから…つい昔の癖で同じ席に座ってしまったのです、まぁあの頃のタリアに比べれば貴方は幾分賢そうに見えますが」
「賢いっすよ、俺はタリア姉より」
「そういうところもそっくりですね」
だろうよ、ったくいきなり話しかけて来てなんなんだこの人、というか今この手の人達は忙しいはずだろ?、何俺の目の前で悠長に定食突いてんだよ、タリアが懐かしいのは分かったから…一人で食ってくんねぇかな
「おや、これはこれは…グロリアーナ殿ではありませんか」
「む、…っ!貴方は」
(またかよ…)
目立つグロリアーナを目にしてさらに目立つ男がランチプレート片手に寄ってくるんだ、ただでさえ重かった空気が登場により一層重くなる、最早何かを食べようとさえ思えない重苦しい空気を作っている張本人であるグロリアーナもまたその人物を前に食器を置いて立ち上がる
デルセクトの総司令官が席を立つ相手ってのはそうもいない、だがそれでも納得してしまう…グロリアーナが自然と敬意を払うその男の凄さってやつを俺もよく知っていたから
「ああいや、お座りください…ここは由緒ある場ではありませんので、しかし…ふむ 隣よろしいですか?」
「ええ、しかし…こんな所で貴方に会えるとは驚きですよ、アガスティヤの筆頭将軍殿」
其奴はあのメタクソに強い帝国軍を率いるやたらめったらに強い帝国三十二師団を単騎で纏めてブチのめす事が出来る数少ない人物、世界最強の帝国軍の頂点は即ち人類最強…
隻眼の将軍ルードヴィヒが、今俺の目の前の席に座ってランチプレートを置くんだ、どういう状況…?
「む?、君は探求の魔女の弟子…君も居たのか」
というか元々俺の席ですよ将軍さんよ、というかあんたも仕事はどうした
「しかし、意外ですね…帝国の将軍様がそのような物を食べるなんて、もっと豪華な物をお食べになる物とばかり…」
グロリアーナが向くのはルードヴィヒの食べている料理…というにはあまりに質素なメニュー、パンにベーコン あとはトウモロコシのスープと昼飯にしてはやや物足りなさそうなメニューだ
「ははは、そんないいものなんて食べてませんよ、普段は卓について食事する暇もないもので、こうして温かい食事を食べるのも久々です」
どんだけ多忙なんだこの人…
「なるほど、しかし今回は…」
「ええ、ラグナ大王が総指揮を執ってくださっているので、こうして食事を楽しむ時間も出来ているのです…彼の頭目としての才気は私以上なので」
なんてパンを齧りながら簡単に言うが…、世界最強の将軍が言うにしては些か褒めすぎな話ではないか?、ラグナの人を束ねる才能はルードヴィヒ以上?…すげぇ奴だとは思ってたけどそこまでなのかよアイツ
「それに、この場にはデルセクトの総司令官殿も居る、いざという時 私の出る幕などないでしょう」
「フッ、何を言いますやら…貴方に比べれば私など」
「そうですか?、貴方は名実共に間違いなくカストリア大陸最強、今の貴方の実力は将軍にも匹敵すると見ていますが…」
「それを人類最強言われても霞みましょう」
デルセクト最強のグロリアーナ、こいつはマジモンの化け物だ、なんせ魔術ありならあのタリア姉にさえ勝っちまうんだ、同じカストリア魔女大国最高戦力の中でも頭一つ飛び抜けている上…まだまだ強くなり続けている途中だとも聞く
タリア姉も強くなってるけど、この人に関しては今どのくらい強いのかさえ予想できない、もしかしたらマジで将軍に匹敵する強さなんじゃ…
「私が人類最強なんて呼ばれている期間も…もうあと僅かでしょうね」
「ほう、随分弱気ですね」
「ええまぁ、…実は最近世界の情勢を俯瞰で見ていて思うのです、ここ五十年程で世界のレベルが劇的に上がっていることに」
「…世界のレベルが上がっている?」
「ええ、今から百年ほど昔は第二段階に至るだけで世界最強の名を名乗る事が出来ました、ですがいつしか第二段階到達者が増え始めている、特にここ五十年は人類の強さの水準が飛躍的に向上し、一国が複数人の第二段階到達者を持つにまで至っています」
「なるほど、確かにそうですね…デルセクトでは私の他にあと数人程 第二段階に至りそうな子がいます、そして既にアジメクはクレア アリナ エリスの三人の第二段階到達者を要しています」
え!?アリナって第二段階到達者だったのかよ!じゃあ俺より強い!?、…しかし、確かに第二段階到達者が増えてるって印象は感じる
昔はこの第二段階到達者ってのはなかなか現れなかった、歴史を見ても第二段階到達者が世界に一人もいなかった時期ってのもあるくらいには希少だった、だがどうだ?最近は一国に一人は当たり前、マレウス・マレフィカルムにも複数人の第二段階到達者が在籍してるし
我が祖国コルスコルピもタリアテッレとリリアーナという二人の到達者を有している、昔じゃ考えられねぇ事だな
「マレウスのバシレウスも既に第二段階を遥かに上回る実力を持つと言いますし、マレウスの近衛隊長も第二段階到達者…あと数年もすれば第三段階なんて話もあります、アジメクのクレアとアリナも第三段階に至るのは時間の問題でしょう、そして…ここにいる魔女の弟子達もまた第三段階…果てはその先さえ見る可能性がある、デルセクトもアルクカースも第二段階に手をかけている人間が複数人の…、オライオンの四神将もまた全員兆しを持ち、帝国も第二段階到達の兆しを見せる者も多く中には一足跳びに第三段階に至った奴もいます」
「フリードリヒ師団長でしたか?、噂では彼が次期筆頭将軍だとか」
「ははは…その前にアーデルトラウトが務めるでしょうがね、ともあれ世界の水準は上がりつつある…それが何故かは分かりませんが、少なくとも我々前時代の人間は置いていかれるのは確かだと思っています、次なるステージで活躍するのは…若き力だと」
んー、そういやぁルードヴィヒ将軍も五十いくつで結構な歳だよな…、俺の親父と同じくらいの歳でそこまで動ける事自体スゲェと思うけどな
「この戦いの趨勢に関わらず世は荒れるでしょう、シリウスの呼びかけにより魔女に敵意を持つ者達は動き始めマレフィカルムも活動を活発にする、今まで曖昧に進んできた魔女を否定する者達と魔女大国の決戦は確実に始まる、そこの中心にいるのはきっと新たな時代の萌芽達であると思うのです」
「……ルードヴィヒ殿」
「どうやら帝国だけが全ての責務を負う時代も終わりそうなのでね、これからは頼みますよ グロリアーナ司令官」
「いえ、私はまだ…」
「まぁ私も直ぐに最強の座を譲るつもりはありませんがね、はははは」
と言うかそんな重たい話ここでしなくても良くない?、俺ここでご飯食べてただけなのになんでこんな話に巻き込まれてんの?、他所でやってくんないかな
全く…
「ふぅ、ご馳走さん…失礼しますよお二方」
「おや?アマルト殿、気を害されましたかな」
「いや?、ただまぁ一介の学生が混ざるにゃ総司令官と将軍の話は荷が重いと思ったんでね」
「そうですか、私としては貴方に用があったのですが」
「俺に?」
残念そうに首を振るうルードヴィヒ将軍に、やや疑問が吹き出る、なんせ俺とルードヴィヒ将軍の間にそこまでの関係はない、ましてや用事があるなんて…なんかやらかしたかな、俺
「えーっと、なんすかね」
「いえ一言でいいので聞いて欲しいんですよ」
「…何を?」
「メグは貴方を友達だと思っています、彼女は今まで対等な友達というものを作ってこれなかったからこそ、魔女の弟子達の一行に加われた事をとても喜んでいるように…私としては思うのです」
イマイチ分からない、何を話したいのか見えてこない、メグが俺達を友達と思い大切にしてくれているのは知っている、あいつはすげーいいやつだよ、ちょっと変わっててちょっと考えが読めないだけで…すげーいい奴だ、それは知っている 言われなくても
「ただ…」
すると、ルードヴィヒ将軍の瞳が鋭く輝きこちらを射抜く、そのあまりの威圧にゴクリと固唾が喉を鳴らし…
「それが失われればあの子は悲しむ、八人の中の誰かが欠ければ…それだけでメグが大切にしているものが失われてしまう、だから それだけは避けてください」
「…………、あいよぉ」
なるほど、そう言うことかい、流石は将軍…お見通しか…
俺が今考えているコレが、如何に危険で自分の命をドブに捨てるような行為かさえも見抜いているとは、まぁ確かに俺だって死にたくはないから出来ればコレは使わないつもりだ
けど
悪いなぁ将軍、俺もみんなの事が大好きだから…もしシリウスとの戦いで負けそうになったら、使うつもりだ 今考えている奥の手の中の奥の手をな…
「分かりましたよ将軍、ってか俺 そんな殊勝な奴じゃないから、ほどほどにやって生き延びますよ」
「そうですか、ならそうしてくれ」
「はぁい」
その言葉だけを残し、アマルトは鍋を片付け食堂を後にする…、そんなアマルトの過ぎ去る背中を見送った後、グロリアーナはふと 問いかける
「どうしたのですか?将軍」
今の問いは些か不可解だとグロリアーナは問う、わざわざアマルトが立ち去ってから…
すると将軍は、やや重い面持ちで…
「いえ、ただ感じただけですよ…、もしかしたら彼は次の戦いで 死ぬつもりかもしれないと言う事を」
…………………………………………………………
「みんな、来てくれてありがとう…私とっても嬉しい…」
「ネレイド様の為なら何処へでも参りますよ、貴方は私達にとっての総大将なんですから」
皇都の一角に集まるのは信徒服を着込んだ一団、この安定した気候のアジメクでは些か厚着とも見れるそれらはオライオンにおける軍隊、テシュタル神聖軍の伝統的な装束である
そんな彼らが囲むのはただ一人、テシュタル神聖軍のトップにして彼ら全員の心の拠り所 夢見の魔女の弟子ネレイドその人だ、数週間振りとはいえもうしばらく会えないと思っていた祖国の仲間達を前にして ネレイドもまた彼らを慈しむように見つめ礼を述べる
彼らテシュタル神聖軍は他でもないネレイドを助ける為にアジメクまで馳せ参じてくれたんだ、夢見の魔女リゲルが敵に回っている 良からぬ存在に操られている…そんな信じられない事実を容易く飲み込み、ネレイド様の為ならばと魔女リゲルにさえ抗う覚悟でこんな遠くの土地まで来てくれた
みんなはとっても強いな…腕っ節もだけど 今は心の強さを感じる、私はこれを受け入れるのに物凄い遠回りをして色んな人に迷惑をかけたのに…
「アジメクの治癒術師達のおかげでテシュタル神聖軍も完全復活しています、今なら万全の戦いが出来るでしょう」
「死番衆も執行官も全員参加しています、我等が団結すれば勝てない戦いはないでしょう」
「うん…うん、そうだね…」
誇らしげに語るローデと勝利を信じてやまぬトリトンの背後には執行副官のサリーやジョーダン、スカルモルド達死番隊長もいる…、当然聖務教団のアクタイエやエウポンペ…私の部下も、まさにテシュタルオールスター
この戦力なら、誰にも負けないと確信出来る
「アクタイエとエウポンペもありがとう、今シーズン中でしょ?…試合に出なきゃ行けないはずなのに」
「そんなものどうでもいいんですよネレイド様、私達はベルトなんかよりももっと大切なものを防衛に来たんですから」
「その通り、しかし…魔女カノープス様から話を聞いた時は驚きましたね、まさか神聖堂の中を闊歩していたあの黒髪の女…テシュタルを名乗り女が、まさか全ての元凶だったとは」
「……うん、そこはとっても悔しいね」
「くっ、本当に倒すべき相手にまんまと上手く使われるとは…このアクタイエ!一生の不覚!」
エリス達との戦いの三ヶ月でテシュタル神聖堂に待機していた私やエウポンペ達聖務教団はシリウスの姿を確認している、なんなら目の前で会話をしたこともある…、全ての元凶 この世界を破壊しようとする最大の悪意を前にして…私達は呑気にもエリス達を敵として見定めてしまった、これは一生拭うことの出来ない不覚にして屈辱だ
「だとしても、あの場で戦いを挑んでいても…殺されていたでしょうな」
「あ、カルステンおじさん」
ホッホッホと髭を撫でながら笑い 神聖軍の群れを引き裂いて現れるのはなんとも柔和そうな笑みの老神父…元神将のカルステンおじさんだ、おじさんも来てくれていたんだ
あの三ヶ月ではラグナと真っ向から戦い 敗れ…以降戦いが終わるまで身を潜めていたおじさんもまたこの場に参加してくれたことを嬉しく思うと同時に、少し悲しくなる
カルステンおじさんの体からはかつての気力を感じない、どうやらラグナとの戦いで全てをやり切ってもう完全に燃え尽きてしまったようだ、元々現役引退を宣言していたからラグナとの戦いを最後の戦いと見定めていたんだろうな…
「テシュタル様を名乗る女…名前をシリウスと言いましたかな?、奴の体からは並々ならぬ力を感じました、それこそ『本当にテシュタル様なのでは…』と私に思わせるほどには、奴の力はそれこそ神にも匹敵しましょう…もしあの場で我ら神聖軍が奴の正体に気がついていても、結果は変わらなかったでしょうな」
「私達諸共皆殺しにして…シリウスは悠々とアジメクに向かってた…ってこと?」
「ええ、…悔しいことですが、今の私では奴に手も足も出ないでしょう、きっとこの場にいる誰もがそうでしょう、ですがネレイド…貴方やラグナ達他の魔女の弟子ならば、話は違うかもしれない」
おじさんはラグナの力を知っている、聞いた話じゃラグナは雪山で消耗して魔術も使えない状態でおじさん相手に殴り勝ったらしい、…彼の強さを知るからこそおじさんは信じてくれる、私とラグナ達ならもしかしたらシリウスにも勝てるかもしれないと
「ええ!ネレイド様なら絶対勝てます!」
「そうですよ、ネレイド様は無敵ですから!」
「あはは…、でもオライオンで二回も負けてるから、無敵かは分からないけれど、でも…みんなを守る為なら、私頑張るよ」
私に出来ることはひたすらに耐え抜くことだけ、せっかく大きな体を持って生まれてこられたんだから、せめてみんなの壁になるくらいの役には立とう
私がみんなを守れば、みんなの背中にいる更に大勢の人たちを守れるんだ、こんなに光栄な話は無いよ
「うーし!、御大将の気合にあたい達も応えるぜ!、総員!指示に従って合戦の支度だ!」
「応!!!」
そんな雄叫びと共に各自仕事に向かおうと踵を返した瞬間…
「ぎゃっ!?」
いの一番に振り向いた兵卒の何人かが恐れ上がるような声を…悲鳴を発したのを聞き、ネレイドは即座に立ち上がる
「どうしたの?」
オライオンの人間は世界で一番勇猛だ、そんなオライオンの益荒男が悲鳴をあげるなんて余程のこと、もし何かあるならば私がなんとかしないと…そうネレイドは目の前のテシュタル軍を掻き分け悲鳴のした方に向かうとそこには
「で で 出たー!」
ひええ!と腰を抜かし目の前の人物を指差す新兵と
「出たって…、そんなに怖がらなくてもいいじゃないですか」
そんな新兵に指差されやや不服そうな顔をしているエリスの姿が…ってあれ
「エリス?」
「ああ、ネレイドさん」
「どうしたの?、何かあった?」
「いえ…、どうしたも何も、ただ近くを通りすがっただけなのですが」
チラリとエリスが新兵に視線を向けるとそれだけで新兵は震え上がり恐怖に満ちた表情を見せる、何をそんなに怖がって…ってああ
「ねぇ君、もしかしてエリスの事怖いの?」
「こ 怖いって、そりゃ…ついこの間我々を相手に戦っていた相手、しかもその中で一番容赦の無かった女じゃないですか!」
なるほど、どうやら彼は先日の戦いでエリス達の追撃に参加していた子のようだ、そこでエリスと戦い敗れた、その時のトラウマが今も残ってる そんな感じか
まぁ、その事についてエリス達を責めるつもりはない、今こうしてエリス達と行動を共にしているからこそ、シリウスを追っているエリス達の余裕のなさは理解出来るし、そこに立ち塞がった我々と話をする余裕なんてなかったろう、というか私がその話をなかったというのもあるしね
「貴方、確かプルトンディースでエリス達の邪魔をした兵士の一人ですね、プルトンディースの門の外に配置されていた」
「ひぃ!、顔も覚えられてる!殺されるぅ!」
「違うよ、エリスは一度見た些細なことも記憶してるだけ、それにエリスは今は味方だよ?怖がる必要はないよ」
大丈夫大丈夫と宥めて新兵を軍団の奥の方へと隠す、ベンちゃん達がエリス達への誤解を解いてくれたとは言っていたが、それでも怖いものは怖いか…
「すみませんネレイドさん、エリスここにいない方がいいですね」
「大丈夫だよ、と言いたけれど…まだ確執はあるかもね…」
「すみません、やり過ぎてしまって…」
「それはお互い様だよ、私達もやり過ぎたから…」
出来ればみんなとは仲良くして欲しい、エリス達はとてもいい人達だしとても優しい、本当は怖い人達じゃないって分かれば…仲良く出来るのにな
うーん、どうすれば仲良くしてくれるかな…
「あ、そうだ ネレイドさん」
「ん?なあに?」
「この後予定はありますか?」
「この後?、一応外周付近の防衛設備の点検や設営を手伝いに行くつもりだけど…」
「ではそれが終わり次第でいいので、またこちらに来てください、今日の夜は作業をせず明日に備えて休むようにと、ラグナが言っていました」
そう言いながらエリスは手元の紙を綺麗に折りたたんで渡してくれる、…ん?中には地図が、なるほど 今日はここで休めばいいんだね
「分かったよ、あとで向かうね」
「はい、みんなで料理作って待ってます」
「ん、楽しみ…」
みんなってことはアマルトやメグもいるのかな、あの子達の料理はテシュタル教的にはアウトだけどとっても美味しいから好きだ、元々大食漢のラグナも居るからものすごく大量に作ってくれるし私も満足できるボリュームだし…楽しみだな
「じゃあまた後で、エリスももう少し仕事をしていきますね」
「うん、お互い頑張ろう」
チラチラと手を振ってエリスと別れる、こうして挨拶をして別れられる仲になれて嬉しいな…、以前馬小屋の前で会った時から彼女の事は優しい人だと思ってたから…
「さて、それじゃあみんなも仕事を…」
「ネレイド様…流石です」
「へ?」
ふと、振り向くとテシュタルの兵士達が何やら尊敬の瞳を向けているのだ、…なんだろう 尊敬されるようなことしたかな、ただエリスと世間話しただけなのに
「あの恐ろしいエリスと面を向かって話せるなんて」
「聞けば奴とは互角の戦いを繰り広げたと聞きます、流石は我らの護国将軍」
「奴など恐るるに足らずという事ですね」
「…………あー…」
なんか、やっぱり凄くエリス達のことを誤解してるみたいだなぁみんな、エリスはそんな怖い子じゃない、ただ何事も全霊なだけだ…、それを敵対者として受け止めた時その熱量を恐ろしいと感じる事もあるが味方にすればこれ以上ないくらい頼りになる人なのになぁ
…やっぱりどうにかしてみんなの誤解を解きたいな、どうすれば…
「…あ……」
ああ、そうだ いい事思いついたかも、これならみんなもエリス達が怖い人達じゃないって誤解も解けるかも、うん…うん、いけるかも
そうと決まれば仕事が終わり次第ラグナ達に相談しよう
きっとラグナなら『面白い!』って乗ってくれるだろう、楽しいことが好きなメグも乗ってくれるはずだ、アマルトも口では面倒臭がりながらも付き合ってくれるだろうし メルクも準備に本気を出してくれるはずだ、きっとナリアも楽しんでくれると思うし みんながやるならエリスも来てくれるだろう、デティのこともよく知れるかもしれない
うん…楽しみだな、楽しみだ
楽しみだから…だからこそ、勝たないと
……………………………………………………………………
「メルクウリス様、兵器の運び込みは順調に進んでおります、この分ならば明日の戦いにも間に合いましょう」
「ん、ご苦労だミレニア 流石の手腕だ」
皇帝カノープスが開いた巨大な時界門を高台から見下ろすメルクリウスとその側近ミレニアは共に穴から運び出される物品の数々を見下ろし、その物量にやや機嫌が良くなる
「アルクカース人やオライオン人の皆様のお陰で運び出しのスピードは格段に上がりました、やはり彼等の筋肉量には敵いませんねぇ」
「強くなければこれから強くなればいい、我らデルセクトならそれも敵うはずだ」
そしてそんなメルクリウスの背後に立つのは同じくメルクリウスの側近シオと側近にしてマーキュリーズギルドの代表に抜擢された狐顔のトリスタンが付き従うように背筋を伸ばしデルセクトの誇りを口にする
彼等こそメルクリウスが創設した新たなる特殊部隊、凡ゆる分野のエキスパート達を身分や家柄を問わず掻き集め作り上げた通称『混成隊アマルガム』の幹部メンバー達だ
「フッ、かつてのデルセクトであったならば…こうも上手くはいかなかったろうな」
我が軍は圧倒的な武力を得た、メルクリウスが同盟首長に就く前のデルセクトは権力によって腐敗し軍部さえも家柄と財力によって左右され、その体裁を成していなかった
当時のデルセクトは、技術ばかり発達しそれを手繰る力など皆無であったと言えるだろう、もし今もあのままだったなら この窮地を前にしてもくだらない利権争いを繰り返し、とてもじゃないがアジメクに駆けつける事など出来なかっただろう
「それもこれもメルクリウス様が絶大なる統治者として強くデルセクトを引っ張ってくれたおかげでございます」
「そうですそうです、メルクリウス様が実力を重用する傾向を示してくれたおかげで才能を腐らせていた者達が次々と対等し始めてきた、お陰で兵器開発も軍拡もグングンですよ!」
ミレニアとトリスタンはそう言ってくれる、確かに私も頑張ったと自負している、来たるべき時 いつ来るかも分からない世界の窮地の為、それに抗える力を作り出すため努力も時間も金も惜しまず注ぎ込んだ決断がが今のデルセクトを作り上げた
だが、私は私だけの手柄とは思わない、ここまでついてきてくれた混成隊や誇りを取り戻してくれたデルセクト国民達のおかげ
そして、何よりエリスのおかげだ
「……今こそ恩義を返す時だな」
一人 誰に言うまでもなく呟く、エリスには返しきれない恩義がある、私と手を組みデルセクトの腐敗と戦い それを打ち払ってくれた恩義と私を助けてくれた恩義だ
そのおかげでデルセクトは過つ事なく今も存続し、私を助けてくれたから私は同盟首長になりこうしてデルセクトを発展させられた、…全部エリスがいなければ成し遂げられなかった事だ
彼女への恩義は、デルセクトが発展し大きくなればなるほど肥大化する、故に私は彼女への恩義を返しきる事は生涯ないだろうと確信しているのだ
エリスが望むなら我が多大な財産の九割をも渡してもいい、立場を望むなら一国を買い取って彼女に与えよう、いつぞやも言ったが彼女がもしこれからタスク・クスピディータ家の貴族としてやっていくというのなら私はその後ろ盾になろう
財力で彼女の敵を潰し、権力で彼女の利権を肥大化させ、全てを彼女の前に跪かせる気さえある…だが
(あの子はそんな事望むはずもない…か)
エリスは権力にも財力にも下げられた頭にも興味がない、彼女が求めるのは果てしない自由だ…それは私の手から与えられないしいくら払っても渡すことが出来ない
もどかしいな、いくら稼いでも彼女が望む物を手に入れる事はできないのだから…、だからかな 私自身も金や名声に興味を持てないのは
「だがそれでもできる事はあるな…」
「メルクウリス様?どうされたのですか?独り言など…らしくもない」
「ん、なんでもないよシオ、それより『アレ』は完成したか?」
「…器ですね、ええ 一応完成はしています」
私が一声かければ、シオは部下から受け取ったスーツケースを私に寄越す、どうやら間に合ったようだな…
私がこの口で命じた、最悪の兵器が…
「出来るなら、これを陽の目に当てることはしたくなかった、これは今の世を存続させる為には絶対的に不必要な兵器だ、…それが今こうして必要とされる日が来るとはな」
「本当に使うのですか?メルクリウス様、それは貴方自身の身にも危険が…」
「そこについては構わん、この命さえも机の上に乗せて賭けに出なければ…勝てない相手だからな」
これは、恐ろしい兵器であると同時にデルセクトにとっての希望にもなり得る存在だ、使うべきか使わないべきかで言えば使わないほうがいいが、使わずして勝てるか勝てないかで言えば、勝利には必須となるだろう
それだけ相手は強力だ、あのエリスが足元にも及ばない存在…魔女レグルスの肉体を操る史上最強の存在シリウスなのだからな
「…必ずや、デルセクトの宝であるこの技術力が、世界を救う一助になる事を…私自らの体で証明してくる、だから」
「はい、貴方の道は私達で切り開きます、大型錬金機構も鉄人駆動も万全の状態です」
「そうか…、なら 頼んだぞ、シオ ミレニア トリトン」
私の指示に従うように三人は敬礼を示し、私の道を切り開く覚悟を表す、故にこそ私も彼らに示さねばならない、…皆に後を託された者としての覚悟をな
「さて、では私もそろそろ向かうとするよ」
「はて、どちらに向かわれるのですか?、まだメルクリウス様がしなくてはいけない仕事は無いはずですが…」
「ん?、いや…何、仕事でないさ ただ先程エリスから連絡をもらってな、仕事がひと段落したら帰ってくるようにと」
見せるのは先程エリスから受け取った連絡用の紙だ、私達には明日大仕事が待っている、故に今日はゆっくり休んで英気を養うようにと エリスとラグナから言伝をもらったのだ、紙には集合場所らしきものが書かれているので こちらに向かうつもりだ
「なるほど、メルクウリス様には世界を救う戦いに望むという大役がありますからね」
「我々の指導者でありながら世界の先頭に立ち戦うとは、流石メルクリウス様です」
「貴方ほど勇猛な指導者は他にはいないでしょう」
「や やめてくれみんな…」
「いえ、我々は皆誇りに思っているのです、歴史に名を残す貴方の側に使える光栄を賜った事を」
メルクリウスの側近たちは皆確信している、メルクリウス・ヒュドラルギュルムの名は確実に歴史に名を刻み、百年先も二百年先も学園で学ぶ子供達は尊敬と敬愛を込めてその名を学ぶことになるであろう事を
そんな偉人の側に、こうして立ち 生涯を捧げるなんてなんと光栄な事なのだろうか
「そうか、ではな…後は任せた」
軽く手を挙げ凛々しくも立ち去るメルクリウスの背を部下たちは見続ける、きっと…魔女の弟子達の中でもこうして尊敬を集めているに違いないと…
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アジメクの一角には、結構有名な宿がある
なんでも少し前にあの孤独の魔女レグルスがアジメクに滞在していた時使っていたと言われる宿だ、魔女の太鼓判を押されたも同然のその宿はレグルスが立ち去った後その名をアジメク中に轟かせた
魔女様が踏んだ床、魔女様が利用した椅子、魔女様が体を休めたベッド、普通なら手の届かないところにいるはずの魔女様を身近に感じられるそこはある意味聖地化し瞬く間にアジメク一の名宿として名を馳せたという
が…それも今は違う、この緊急事態を前に住人達は纏めて町の外に避難し皇都自体が無人になってしまったせいで客足もクソもない状態にある
故に、この無人になった宿を魔術導皇様の権限で一時間借りしようという事で、揃ってこの宿に身を寄せた一団がいる…それこそが
「おいデティ!テメェ台所にある果物食ったろ!!」
「んんっー!?んんっー!?」
「いやなんで否定できる気でいるの!?、おもっくそ口の中に入ってるだろうが!」
「んくっ、…食べてないよ!」
「嘘つけー!、待てやこの野郎!折角アジメクから持ってきたとっておきの奴だったのに!こいつ!」
「通りで!美味しかった!」
ドタドタと廊下を走り回る乱雑な音に、埃が舞い散る
「ん…案外やるなネレイドさん」
「ラグナも…、いい手を指す…」
「いやぁ、ここまで俺を相手に打ち合えるだけ大したもんだ、これでも最近は負けなしなんだぜ?」
「じゃあ、その記録…今日まで」
「へぇ!いいねぇ!、ワクワクして来た!」
そんな喧騒を無視して小さな机に向かい合いチェスを差し合う音が響く
「どうだろうかエリス、デルセクトから君のために取り寄せた服だ、決戦に際して相応しい衣装だとは思わないか?」
「そんなピエロみたいな格好で行ったらエリスがシリウスに笑われますよ…」
「え?、メルクさん冗談だよね…本気でその服かっこいいと思ってないよね…」
「そ そんなに悪いか?メグ」
「はっきり言えば…そうでございますね、………………あの 言葉が見つかりません」
「そんなにか!?」
ピンクと黄色のマダラ模様の服を前にあれこれ話し合う声…
取り留めの無い会話と喧騒、それなりに大きな宿が小さく見えるほど ぎっしりと広間に集まった八人の男女は、夜の帳が下りた静寂の世界を明るく照らす
エリスとレグルスがかつてアジメクに滞在した際使った大宿を、今回弟子達の休息場所として選んだエリス達は皆揃ってこの宿に集合し明日の戦いに備え英気を養っていた…筈だった
しかし
「待てー!デティー!」
「やだよ!捕まったら何されるか分からないし!」
「二度とつまみ食いできねぇ体にする!」
「やだー!こわーい!」
折角用意した晩のスイーツの材料をつまみ食いされ激怒したアマルトが追い回すデティは、タカタカと走り回りながら彼の手から逃げ回り…
「あ…!」
スコーンと転けてバランスを崩し、咄嗟に手をついた机の上に置いてあったチェス盤が宙を舞う…
「ん、チェス盤が…これは…」
「突如災害が起こって両軍全滅ってところか、戦争は長引かせるもんじゃねぇな」
「うん、神の怒りかも」
「ごめんなさーい!ラグナ!ネレイドさーん!!」
デティによって散乱したチェス盤と駒を見て何やら二人で苦笑いを浮かべるのは二人でチェスを楽しんでいたラグナとネレイドだ
「いいですかメルクさん、かっこいいっていうのはこういう服のことで…」
「そうなのか?、私にはよく分からないが…」
「諦めましょうナリアさん、メルクさんは昔からこういう美的センスに関してはガチものなので」
「はらりら、どうでございましょう」
帝国から取り寄せた服の数々を着こなすメグを見つめファッションショーを楽しむエリスとメルクとナリアの三人も含めて、この場にいる全員が明日に決戦を備え休息を取っているようにはとても見えないのが現状だ
まるで友達の家に遊びに来た子供同然…、だがこれでも最初はみんな明日の戦いに備えて休もうねと大人しく椅子に座ったり寝そべったりして大人しくはしていたのだ
けど、その内静かにしているのが嫌いなデティやメグ辺りがちょっかいをかけ始め、それに呼応してアマルトが動き メルクリウスが察し、ラグナとネレイドもいつのまにかチェス盤を広げ、ナリアのエリスが呆れつつもそれに付き合い…今に至る
短絡的に言えば、暇を持て余してしまったのだ
「というかみんな!、ちょっと聞いてくださいよー!」
バッ!と何かに気がついたエリスが立ち上がれば、デティを何故か肩車しているアマルトやチェスを片付けるラグナとネレイド、そしてナリアにピエロ服を着せようとしているメルクと傍観しているメグが一斉にエリスの方を見る
「エリス達明日決戦なんですよ!?、もっとちゃんと休みませんか!?」
明日は決戦なんだよ、休まないと流石にやばいよ!そんな迫真のエリスの叫びは無情にも空に響き
「まぁまぁエリス、別にいいじゃ無いか」
「いいじゃ無いかって…」
まぁ落ち着けよとラグナはエリスの肩を持ち、取り敢えずその場に座ってもらう、別に何も考えがなくこうして遊んでいるわけでは無いんだと
「肩肘張って緊張して床に寝そべっても、体なんか休まらないだろ?」
「まぁ、それはそうですね…」
「だろ?、だからある意味 俺はこれでいいと思っている」
「ラグナ…そこまで考えて…」
流石はラグナだ、いつもエリス達のことを考えてエリス以上にみんなを慮ってくれているのだ、みんなが戦いに集中出来るならむしろここで遊ぶべきだと 語ってみせるラグナの横顔に見惚れていると
「戦いを意識するのはいいけど、やっぱりさ こうしてみんな集まったんだし、パァーッと遊んで過ごしたほうが楽しいしさ」
「そっちが本音では?」
「というかここ最近ずっと真面目だったから俺もそろそろ息を抜きたい」
「ラグナ…」
「はいはーい!、私さっきまでバチクソ寝てたので全然眠くありませーん!」
「デティまで!…もう」
まぁ、結局どこまでいっても皆まだまだ若人、こうしてみんなが集まっていると楽しくなってしまうのだ、そしてそれは当然 エリスも同じこと…
「というわけで取り敢えず今日はみんな眠くなるまで遊んで過ごしましょー!」
「おおー!、いいぞラグナー!」
「では枕投げしますか?、不肖このメグ 枕投げの資格も取得しております」
「い いや、ラグナとネレイドがいるこのメンバーでそれはやりたく無いな、それよりどうだろうか?、こんな事に備えて私もトランプを持ち歩いているが…」
「エリス負けるからやりたくありません!、エリスが勝てるやつがいいです!」
「わぁー面白そう!、僕もやりたいです!」
「私も…ルールわかんないけど」
「やだー!エリス負けるからやだー!」
明日に戦いが備えているにも関わらず、若者達は衰えることもなく身を寄せ合う、騒ぎ 叫び 暴れ 楽しむ、それこそが最大の休息とばかりに笑い合う
「よし、じゃあ外出てサッカーやりましょう、エリスそれなら勝てるので」
「もう真夜中だよエリスちゃん!」
「まぁまぁエリス、もしかしたら勝てるかもだろ?ネレイドも初心者みたいだしさ」
「そう言うんじゃありませんよアマルトさーん!、エリスはそういう星の下に生まれた悲しき存在なんですよーっ!」
暗い ただ暗い夜の闇の中、煌々と照る宿の窓、奥から聞こえる喧騒は賑やかに続く、時に歌い 時に喧嘩し 時に分かり合う、明日になればこれも出来なくなる 誰もがそれを理解しながらも、明日も明後日も一年先も十年先も、いつまでもこうしていたいと思えるように
今を楽しむ、今だから楽しむ、未来への願いを強めるように、戦いの覚悟を強めていくように
「よーし、準備いいな…ビリは罰ゲーム、それでいいよな」
「フフフ、みんな今のうちにエリスにさせたいこと考えておいてください」
「エリスちゃん…なんでそんなに自信満々に弱気なの…」
八人の結束を、強くするように馬鹿馬鹿しくも騒々しい夜は…弟子達の夜は続いていく
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「馬鹿じゃねぇの、アイツら明日決戦だってわかってんのかね」
そんな宿を屋根から見下ろす影は…魔女アルクトゥルスはため息を吐く、幾ら何でも呑気すぎるだろ、なんのために集まってるからわかってんのか?、遊ぶためじゃねぇってのに
「まぁまぁ良いではありませのアルク、ああやって遊べるのも若い特権ですわ」
「フォーマルハウト…お前弟子に甘すぎだろ」
「フッ、そういうお前も 止めに行こうとしないあたり、弟子達を微笑ましく見守っているのではないか?」
そんなアルクトゥルスを笑うフォーマルハウトとカノープスもまた、宿から見える騒がしいシルエット達を見て くすりと微笑みをこぼす、本当ならば師匠として早く寝ろ!と注意に行くべきなのだろうが…
「我等も昔はああやって遊んでいたでは無いか、それと同じだアルク」
「…少なくともオレ様はもっと冷静だったね」
「あら?、そうかしら?貴方率先してレグルスに絡みに行っていたではありませんの、まるで盛り立った犬みたいに」
「うっせえ!!」
魔女達も昔はああだった、明日になれば激しい戦いが待っていると知りながら 友達と一緒にいるとどうしても遊びたくなるのだ
カノープスがレグルスを口説き、レグルスも満更でもなさそうにそれを受け止め、それを見たアルクトゥルスが激怒し、面倒そうにしながらもその場を離れないアンタレスと微笑ましいと笑うリゲルがそれを見て、プロキオンが慌てて止めに入り スピカが何故か泣く…そんな日々を思い出し、もう戻らない過去に想いを馳せる
「懐かしいな、…戻れるならば…またあの頃に戻りたいと、我でさえ思わぬ日はない」
「そうですわね、何も背負っていなかったあの頃だからこそ、わたくし達は無邪気に遊べて…」
「そうじゃねぇだろ」
響く、アルクトゥルスの苛立たしい声
否定する、カノープスとフォーマルハウトの去来を、…目も向けず低い声を上げるアルクトゥルスにはたと瞳を向ければ…
「この戦いが終わって、シリウスをぶちのめして レグルス取り戻してリゲルもスピカも元に戻せば、また元通りだ…八人が揃う、そうなりゃ全部昔の通りになる…そうだろ」
「アルク…お前」
そうだ、オレ様達は世界の為に戦うわけじゃねぇ、世界を救うのは今回は弟子達の役目だ、ならオレ様達は友達の為に戦うべきなんだ
敵の手に囚われた友達を、レグルスとスピカとリゲルを…あの弟子達がお互いを大切にしているように、魔女達もまた友を想っているのだ
シリウスの洗脳により引き裂かれていた絆が今元に戻りつつある、世界も魔女の手から離れつつある、ならばもう 魔女達が今までのような統治者としてある必要はない、なら この戦いが終われば前みたいな関係に戻れるのだとアルクトゥルスは本気で信じているのだ
「…………そうだな」
「ああ、そうだとも…」
故にカノープスも深くは問い詰めない、それが無理だとも言わないし 肯定もしない、ただ彼女自身もそうなれば良いなと祈りながら、巡る星々に目を向ける
また明日、星がこうして昇る刻…その全てが決まる
弟子達の未来、世界の行く末、そして魔女の友情を掛けた戦いが始まるのだ
全てを得るには勝つしかない、今はただ弟子達の奮戦と自分たちの教えがそれに足るものであると信じるより他ないと、魔女達は皆密かに祈る
弟子達よ、世界を救ってくれ…そして願わくば、その友情が魔女達のように永遠のものであることを心より望む…と