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295.魔女の弟子と流れた時間と変わる国


さざめく白波は桟橋にぶつかり弾けて散る、寄っては去りゆく波に踊る船体は上下に視界を揺らし、目の前に広がる風光明媚な情景を映す


ジェミー号での数週間に及ぶ船旅は今終わりを告げ、行き先たるアジメクの港町パルマエに辿り着く


雪の白に塗れたオライオンの寒々しい風景とは様変わりし、到着し最初に視界に入るのはなんとも色鮮やかな花と花と花


赤青黄色、紫ピンクに緑緑緑…色鮮やかに街を彩る植物の多いこと多いこと、これこそがアジメク…友愛の国、世界中全ての植生が彩る花の楽園がここアジメクなのだ


オライオンとアジメクを繋ぐ港町パルマエは所謂一つの大国の玄関口として客人をもてなす様に様々な花が植えられている、石造りの重厚な建造物には蔦が絡まり緑を宿し、通りには無数の花が咲き乱れる、街の中に花畑があると言うよりは花畑の中に街があるようだ


…最初はこれが普通だと思っていた、世界中何処もこんなもんだと思っていたし、多分アジメク人は今もそうだと思ってるだろう、だが違うんだ


旅に出て世界中を見終えたエリスには言える、これはこの国特有の美しさだと…


「着いたな、アジメクに」


船の上でラグナが腕を組む、錨は降ろされ帆は畳まれ桟橋から橋が架けられいつでも下船出来る体制が整い、エリス達以外の乗客や商人達が積荷を下ろし始める中…七人の魔女の弟子はその美しい光景に心を踊らせる


「すっげぇ、聞いてはいたけどアジメクってこんなに綺麗なのかぁ…」


「おや?、アマルトは来るのは初めてか?」


「コルスコルピとアジメクじゃカストリアの端と端だぞ、来たことあるわけねぇだろ…、メルクさんは?」


「一度だけな、デティと大国間の盟約を結ぶ時来たことがある、勿論ラグナもな」


「ああ、あん時と変わらずここは綺麗だ、おまけに空気も暖かいし なんかいいそこはかとなく匂いもするしなぁ〜」


ラグナ達三人は揃って深呼吸を行う、鼻で大きく息を吸えば…潮の香りに混じって花の芳しい香りが漂ってくる、ただいるだけで落ち着く国だと顔を綻ばせる


「ぼ…僕カストリアに来るの初めてですよ」


「そう言えばナリアはポルデューク出身だったな…の、割にゃ他のポルデューク組は落ち着いてるなぁ」


「うん、私は一回だけ来たことあるから…、神将としての社会見学としてアジメクに…その時はデティフローア様は国外に留学中だったから会えなかったけど…」


「ああ、あん時か…メグは?」


「あ、私出身は一応カストリアなので、在住がアガスティヤなだけで、なので初めてのカストリアってわけではないですね」


「あ、そうなのか…」


初めてのカストリアにガクブルと震えるナリアさんを他所に久々のカストリアにやや懐かしむ素振りを見せ見せるメグさんとネレイドさん、この花に溢れた光景は初めてにしろ初めてじゃないにせよ、与える高揚は同じものだろう


「で…お前はどうだ?エリス、久々の故郷はさ」


そしてとラグナがこちらを振り向く、それに伴いみんなこっちを見る、エリスの顔を 反応を見るように、そうだ…みんなからしてみればここはただのアジメクだ


だが、エリスにとっては違う


ここはエリスの生まれ故郷、世界を一周して戻ってきた故郷だ…けど


「な 何ですかみんなしてエリスを見て」


「いや、感動で泣くかなと」


「そう言う反応を期待してたんですね、ですがごめんなさい…、なんか現実感が無くて、まだイマイチ帰ってきた感がないんですよ、アジメクには来たことありますが…この街には来たことないですし」


「そっか、なら降りてみたらどうだ?、一番はエリスに譲るよ」


「いいんですか?、アルクトゥルス様も」


「あ?オレ様?オレ様別にアジメクに思い入れも何もないし、そもそも昔はしょっちゅう来てたしな、ってかオレ様に逃げるな、とっとと降りろ」


オラっ!と背中を押されてよたよたと歩く、掛けられた橋を降りて…自然と足が向かっていく、桟橋を渡って…近づいてくるアジメクの景色、それに吸い寄せられるように フラフラと歩いて



……あ、ここアジメクだ…


なんて当たり前のことに気がついたのは、アジメクの大地を踏みしめた瞬間だった


この柔らかで温かな土、長らく踏んでいないアジメクの優しい大地だ…、ここ エリスが旅立ったあの場所なんだ


「あ…帰ってきたんだ」


帰ってきた、旅が終わった…エリス帰って来ちゃった…、ここエリスの故郷だ…


そう思えば思うほど懐かしい心地が蘇ってくる、幼い頃の記憶 師匠と暮らしていた頃の記憶 まだ右も左も分からなかった頃の記憶、それがアジメクの『おかえり』と言わんばかりの温かな花の香りが思い出させてくれる


帰って来たのだ、エリスはここに


「…記憶にある頃よりも、幾分地面が遠いですね」


あれから十数年、色々あったが…それももう終わったと思えば、なんだか感慨深いな、泣かないけどさ


けど、これだけ言わせてください


「すぅー、ただ今帰りましたー!、エリスきかーん!」


両手を掲げて思い切り叫ぶ!やりきった!やりきったぞ!エリスはやりきった!、ディオスクロア文明圏の踏破!全ての魔女大国の踏破をやり切って一回り大きくなって帰って来ました!


エリスは修行の旅をやり遂げましたよ!アジメクーー!!、と大声で叫べば通行人がヒソヒソと怪訝そうな顔でこちらを見ている、変人扱いだな だがいい、これはアジメクに向けたものなのだから


「よっ!ほっ!やぁっ!」


トッ!と大地を蹴り上げ空中で一度 二度 三度と宙返りをして体の調子を確かめる、昔は出来なかったことが今は出来る、エリスは強くなったと言うところをアジメクに見せつける、ううん!なんかしみったれた空気が吹っ飛んだら元気がモリモリ湧いて来たぞ!


すげぇ〜!戦いて〜!、なんかと!何かしらと戦いたい!


「元気だな、エリス…」


「あ、ラグナ…」


「どう言うテンションなんだそれは…」


「いぇーい!、カストリア帰還〜!」


「は 初めましてー!アジメクさーん!、僕サトゥルナリアって言いまーす!」


「上陸すると花の匂いが凄いですね…、国全体が香水を振りかけているようです」


「あったかい…オライオンよりもずっとあったかい、むしろ…暑い」


「ガキ共がはしゃぐなよ、恥ずかしいじゃん一緒にいるオレ様までさぁ!」


次々と降りてくる仲間達とアルクトゥルス様、みんな揃ってアジメクに上陸したのだ…、しかしこうしてみると不思議な気分だ、旅の先々で出会った仲間たちが今アジメクにいる、旅終えて友達と一緒に帰ってくるなんて


あの頃のエリスじゃあとても想像出来ませんでしたね


「ようこそ!アジメクに!皆さん!、きっと皆さんもアジメクを好きになりますよ!」


「ほんと元気だな!」


「だって元気にもなりますよ!、だってだって!いつもはエリスが迎えられる側だったんですよ!、初めてなんです!自分の国に誰かを迎えるのは!、まぁここはエリスの国ではなくデティの国ですけどね!」


「それもそうか…、確かに新鮮だな…エリスが迎える側というのも」


「ええ!、そうですよメルクさん!ここは案内しましょうか!、まぁエリスも別にアジメクの地理には明るくないですがね!」


「取り敢えずテンション下げろ…」


高鳴る胸の鼓動が抑えられない、楽しくてしょうがない、自分の家に友達が初めて遊びに来た気分だ、どうしようかな!どうしようかな!何しようかな!帰って来たぞ帰って来たぞ!


「おい、エリス…お前気ィ抜いてないよな、オレ様達は遊びに来たんじゃねぇんだぞ」


「う…」


アルクトゥルス様の呆れた視線に冷静になる、そうだ…みんなは遊びに来たんじゃない、助けに来たんだ…師匠を、戦いに来たんだ シリウスと…、そうだ 落ち着かないと


「おほん、すみません…取り乱しました」


「いやいいさ、それよりこれからどうする?、皇都に向かうのはそうだけど…」


「またアルクトゥルス様の超特急で向かうのか…?」


ゲゲッ言った様子でアマルトさんがアルクトゥルス様を見る、だが…


「いや、今回はそうもいかねぇな…、馬橇は雪の上を滑ればいくらでも加速出来たが、ここじゃあ馬車を使わなきゃいけないからな、あんまりスピード出すと車輪が耐えきれねぇ、だからなるべくスピードを出しても途中で夜が来そうだし、どっか野宿する必要がありそうだ」


「雪の上、言うほど滑ってた…?」


「私達はみんな空中を滑っていたような気がしましたがね…」


とはいえ馬橇と馬車では勝手が違う、この街で馬車を購入してまたアルクトゥルス様が引いたとしてもオライオンの時のようなスピードを出せない、それを出せば車輪が途中で外れエリス達は地面に投げ出されることになる、それを避ける為ある程度スピードを抑えると何処かで休憩の為、野宿する必要が出てくるようだ


そうか、野宿か…今ならメグさんがいるから帝国に一休みにも戻れるが、あの屋敷に戻るって手はメグさんの消耗を考えるとなるべく使いたくない、と…なると


「でしたら、アルクトゥルス様…あちらに馬車を走らせてくれますか?」


「あ?あっちの方に?、なんでだ?」


「エリスの知っている村が彼処にあるからです、そこで一旦宿を借りましょう、…それにこんな時に言ってる場合じゃありませんが、一度顔を出しておきたいので」


「…つまり、彼処にあるんだな」


そうだ、エリスが指差す先はこの国最大の大山、ここからでも見えるくらい巨大な山脈、そちらの方を指差す…いや違うな、指差すのはその麓、つまり


彼処にあるのは…


「はい、彼処にあります…エリスの故郷、ムルク村が」


シリウスと決戦に挑む前にムルク村に顔を出しておきたい、こんな時に言ってる場合じゃないかもしれないがそれでも彼処はエリスにとって特別な村だし、何より回収しておきたいものもある


「…いいぜ、まだシリウスの言った日には時間もある、そのくらいの余裕はあるだろう」


「ありがとうございます!アルクトゥルス様!」


「それに、見ておきたい…レグルスがどんなところで八千年生きてたのかをな、つっーわけでテメェら!まずはムルク村に向かうぞ!」


「おお!、エリスの故郷か!」


「この目で見る日が来るのか、謎に包まれたエリスの幼少期の断片を」


「確かにエリスってどんなところで育ったか俺たちしらねぇな」


「もしかしたらエリスさんの小さい頃の話とか聞けるかもしれませんね」


「エリス様のあんな話やこんな話が!?これは楽しみでございますね、五十年は揶揄えそうです」


「……楽しみ」


「ちょっと皆さん!、もう……」


ざわめくみんなにやや恥ずかしさを覚えながらも、少し楽しみに思う…、あのムルク村にエリスの友達を招く、なんだかワクワクしてくるなぁ



………………………………………………………………


「よいっしょ!よいっしょ!…」


アジメクに於いて、大地とは親兄弟に並ぶほど大切な存在だ


家をその上に立て、作物を育ててくれて、花を実らせ我々に恵みを与えてくれる大地はアジメク人にとって大切な存在だ…


その大切な存在に刃を突き立てると言えば聞こえは悪いが、これは大地に対する願いでもある…、大地を鍬で掻き回し、一年間作物を育ててくれたことに対する礼を言いながら、また一年間新たな実りを育ててくれることをお願いする、大切な儀式だ


少なくとも、僕はそう教わった


「今日も精が出るなぁケビンは、流石若いだけあるよ」


「あ、ダントおじさん…!」


一人 畑に残って鍬を振るうくたびれた青年は近くを通りかかったおじさんに軽く挨拶をする、気がつけばもう日は暮れ始めて周りの農家の人達も徐々に帰り支度を始めているのを見て彼は一息つく


今日はもうこのくらいで終わりか…と


「まだ続けるのかい?」


「いえ、そろそろ帰ろうかと思いまして」


「そうかい、あんま無理すんなよ?ケビンはムルク村に残った大事な若者、村の宝なんだから」


「あはは…、ありがとうございます」


そう苦笑いをしながら青年は…ケビンは頬に着いた土を拭う、ここはアジメクの片田舎であるムルク村、その主要な産業は基本的に畑仕事であり村の人間は古来より畑仕事に従事してきた


事実ケビンも腰を悪くした父に代わってこの畑の管理をし始めたし、目の前のおじさんも父から受け継いだ畑を今も大事にしている、そうやってムルク村は発展してきた歴史がある


だと言うのに、今村で畑仕事をしている若者はケビンを入れて両手で数えられるくらいしかいない、子供がいないわけじゃない…ただ その子供達はみんな都会に出て行ってしまっただけだ


「それじゃあまた明日な、ケビン」


「はーい!、よいしょ…」


ダントおじさんに別れを告げ、相棒たる古びた農具を纏めて荷車に運び込み、黄昏時特有の静けさがケビンに襲いくる…、こうして静かにしているとケビンはいつも思ってしまう


村のみんなは僕を『村に残った宝物』だと言ってくれる、けれど…実際はそうじゃない、村に残ったんじゃなくて、僕は村に置いて行かれた臆病者だ


「メリディア達、元気かな…」


僕には幼馴染とも言える子達が数人いた、メリディア クライヴ ルーカスの三人だ、昔はいつも四人で集まって一緒に遊んでいたし、あの頃はきっとこの四人でなんとなくこの村で農業やったり結婚したりして生きていくものだと思っていた


けれど、実際は違った…


みんなはある日いきなり自分達を鍛える事に熱意を注ぎ始めた、少し前までみんなで遊んでいたのに、みんな目の色を変えてそれぞれの特訓をし始めたんだ


理由は簡単、十数年前村で起こった『偽魔女事件』が原因だ、村に現れた偽物の魔女にみんなが騙されて…みんなが偽物の魔女を担ぎ上げている間に、僕達村の子供はみんな攫われてしまった、僕もメリディアもクライヴもルーカスも怖い山賊に襲われて捕まって檻に入れられたんだ


その時は偶然助かったから良かったけど、みんなはそれを受けて心を変えたんだ、…次は自分を自分で守れるように、そしてあの日僕達を助けてくれた輝く少女のようになりたいと言う一心で…、血の滲むような特訓と勉強に打ち込み始めたんだ


そりゃ僕も最初は同じように思ったよ、けど元々運動神経も良くないし頭も良くない僕は…少しサボってしまった、特訓も勉強も攫われた時に抱いた感情を忘れてサボってしまった、そうしたらもう終わりだ


あっという間にみんなに置いていかれて縮まらない差を作られて、あれよあれよと言う間にみんな村を出て行って皇都で騎士になってしまった、試験に落ちて帰ってくる人間も挫折して戻ってくる人間も居ない、折れたのは僕だけだ


僕は友達に取り残されてここにいるだけなんだ


「バカだな、僕は…」


農具の中に埋もれた、土に汚れた本を手に取る…


エトワールで昔流行った騎士物語の本だ、偶然流れ着いたそれを僕は縋るように持ち続けている…騎士になったみんなに置いていかれたせめてもの未練がこの本だ、この本を読んでいる時だけが寂しさを薄れさせられる、この本の中にみんながいるような気がして


なんて、惨めだな…僕は


「ふぅ、ぅっくく…」


本を荷車に乗せて、力を込めての限り車を引っ張り帰路に着く、聞いた話じゃ皇都に行ったみんなは皇都で上手くやってるらしい、僕と殆ど変わらない年で何十人も部下を率いてる人もいれば領主様の屋敷みたいな家に住んでる人もいる、中には結婚した…なんて人もいる


対する僕はどうだ、ただ一人で畑を耕して寂れた小屋で両親と暮らして、恋人だって出来たこともない、この村には同年代の女子がいないから恋愛なんて出来っこない


結婚なんて夢のまた夢…、でも そんな僕にも初恋の人はいた、名前は…そう、確か


「エリス…」


あの日僕を助けてくれた少女の名前、僕達と変わらない小さな子供の身で魔術を操り大きな山賊も倒してしまった僕達ムルク村の子供達のヒーローだ


みんな躍起になって皇都に行ったのも、皇都で修行しているエリスに追いつくためだ、みんなエリスに憧れた 自分達もあの子のようになりたいと、なんせ同年代の子があそこまで戦えたんだから鍛えれば僕達もって思うだろ?


けど大人になって理解した、あれはあまりにも特別過ぎた…、あの歳で魔術を操るなんて異常だ、みんな特訓の最中で気がついただろう どれだけやってもあれには追いつけないと、僕が途中で折れた理由もそれだ、まぁ他の子達はそれでも諦めなかったけどね


…そして、そのエリスが僕の初恋の人だ、だってそうだろう?いきなり現れた美少女が僕達を輝くような闘いぶりで助けてくれたんだよ?、好きにもなるよ


僕だけじゃない、ルーカスもクライヴも口には出さなかったけどあれはエリスに惚れていた、メリディアも村の女の子達もみんな惚れていた、あわよくば…なんて思って皇都に向かったのさ


「っ…っ…!」


荷車を押しながら考える 夢想する、もし…エリスがまだ村にいて、それであのまま大きくなって僕の側にいて、それでもしも…もしもそう言う関係になれていたら、というあり得ない想像を


エリスはあの頃からぶっちぎりで可愛かったからきっと成長すれば村一番の美女になっただろう、それが僕の隣で一緒に畑仕事して一緒に並んで御昼ご飯食べたりして、子供とかも…出来たりして…


「はぁー、やめよう…今はそういう気分じゃないな、考えれば考えるだけ惨めだ」


だがそういう未来は訪れなかった、エリスは皇都に行った みんなも皇都に行った、きっと今頃皇都に行った誰かとエリスはいい関係になってるだろうな、ルーカスかクライヴ辺りと…


それで何年かしたらきっとこうなる、満足げなルーカスと美女に育ったエリスとその手に抱かれた二人に似た美しい赤子、その三人が戻ってきて村のみんなに結婚の報告をする、それを僕はなんとも言えない顔で言葉にならない返事をして、それを見たルーカスが勝ち誇って笑うんだ


そしてそのまま豪華な馬車に乗って二人で皇都に帰って、僕は一生一人で惨めに畑を耕して彼等が食べる麦を作り続ける、きっとそうなるに決まってる


「何処で人生間違えたのかな…」


ただひたすら思ってしまう、何かが違えばと…前に進んでさえいればと、差を開けられても諦めずに食らいついて皇都について行ってればと…、ただひたすら思う


来年僕は二十になる、何かを思うにはもう遅過ぎる…


「はぁ、…かあさーんとうさーん、ただいまー」


家に着くなり農具を片付け、今日一日の疲れを癒すように家に帰ってくる、出迎えてくれるのは料理を作って待ってくれている母と腰を悪くして杖をついている父だ


「あらおかえりケビン、ちょっと待っててね、直ぐに出来るから」


「んー」


「どうしたケビン、今日は随分凹んでるじゃないか、鍬で足でも打ったか?」


「そんなんじゃないよ父さん、ただ…みんなの事考えてたらね…」


椅子に座り込んでやや思う、こんな事両親に行っても仕方ないのに…


「なんだ惨めに思ってるのか?、自分だけ騎士にならなかったのを」


「…はっきり言えば」


「だがお前が残ってくれたおかげでこの村は安泰だ、麦を作る仕事だって騎士に負けないくらい大切だ、職に貴賎はない…どんな職も誰かの役に立つ立派な仕事だ」


「…………」


別に農業を悪いとは思ってないんだ、麦作りが大切なのは両親の姿を見て知っている、収穫した物が誰かのお腹を満たすというのは何にも変えがたい喜びだとも思ってる、農家という職自体は誇りにも思ってる


僕が惨めに思ってるのは僕自身だ、結局何も出来ない僕自身なのだ


「ありがとう、父さん 母さん」


「元気でたか?、なははは」


ただ、それでも思う…何か、特別な何かを…、僕にだけ起こる特別な何かを期待してしまう、ある日突然何もかもが全部変わるような出来事が起こるんじゃないかって


それこそ、あの日偽物の魔女が現れて僕たちが攫われたような何かが、そしてもしまたそれが起こったら…今度こそ僕は


「ん?、誰かお客様が来たみたいだな」


ふと、家の扉が数度ノックされる、もう日も沈み始めていると言うのに誰かが来たようだ


「ごめんケビン、今お母さん手が離せはないわ」


「俺も腰が悪いからな、ケビン 仕事帰りで悪いが頼めるか?」


「え?ああ…うん、分かったよ」


先程座ったばかりの椅子から腰を離して玄関に向かう、しかし誰がきたんだ?もしかして畑に何か忘れ物でもしたのを誰かが教えにきてくれたのかな…


なんて余所事を考えながら僕は玄関に向かい、その扉を開ける


「はーい、なんですかー?」


「あ、こんなに遅くにすみません、今いいですか?」


「……え?」


扉の前に立っていたのは、太陽の如き輝きを持った美女だった…


流れる金糸のような髪と彫刻のような整った目鼻立ち、そして磨き上げた宝石をはめ込んだかのような美しい双眸、この村じゃ手に入らないような上物のコートを着込んだ美女が立っていたんだ


(だ 誰だ、こんな綺麗な人この村には…)


こんな人この村にはいない、ましてや僕と同年代にも見える人間なんているわけがない…、それがいきなり家を訪ねて来た事に目を白黒させていると


ふと、その美しい顔立ちに…初恋のあの人が、エリスが被る…というかこれ、この人 エリスじゃないか?


うん、エリスだ…エリスだ!?エリス!?なんでここに!?


「……あれ?貴方」


「え…!?」


ジッとエリスがこちらを見ると思わず胸が高鳴る、想像していたエリスの成長した姿より何十倍も綺麗だ、なんで美人に育ったんだ…こ、こんな人とあれやこれやする想像をしていたのか僕は…!?


でも、なんで僕のところに…っていうか、僕のこと覚えて…るわけないか、だって僕は彼女にとってその他大勢の一人で…


「貴方もしかしてケビンですか?」


「えぇっ!?、覚えてるの!?」


「覚えてますよ、昔かけっこして遊びましたよね、大きくなってて一瞬気がつきませんでしたよ、懐かしいですねぇ」


嘘だろ…僕のこと覚えてるのかよ!?マジで!?、かけっこ…をした記憶はないが多分したんだろう、そんな出会い方をしたような気がするし!うん!


えぇ!?なんでエリスがここに!?なんで僕を訪ねて!?、…はっ!?まさか


「っ…ルーカスは!?」


「ルーカス?、ああこの村にいた人ですね、居ませんけど」


「クライヴは!?」


「居ませんよ…?」


「…ってことは…結婚したわけじゃない?子供も出来てない?」


「なっ!?何言ってんですか!もう!」


照れ隠しでパシンと叩かれた肩が脱臼するかと思うくらいの衝撃が走る、けどそれは僕の目を覚まさせるには十分すぎた


夢…じゃない、想像したようにエリスは結婚もしてない、一人でこの村に帰ってきたんだ、そして僕を訪ねてくれた…!


「そ そうだよね、あははは」


「もう…えへへ、それですみません、実は宿を探してまして、何処かに泊まれるようなところはありますか?」


「え?宿…?」


その瞬間走る衝撃は僕からいろんなものを奪った、なんでエリスがここに居るとか なんで皇都に居たはずのエリスがこの村で宿を探してるとかそういう思考は全てどうでもいいこととして処理された


問題はエリスが今一夜を過ごす場所を探しているということ、それはつまり…ここに泊まる事もできるという事、十年以上恋い焦がれ見違えるような美人に育った彼女を部屋に連れ込めてしまうという事


僕の家にエリスが来て一緒にご飯を食べて同じ屋根の下で一夜を過ごす、夢か?夢なのか?いや夢じゃないのはこの肩の痛みが証明している、夢ではない…夢ではないのだ


(や やばい、どうしよう)


もしかしたらもしかしたらがあるかもしれない、一夜を過ごすうちに何かこう特別な何か絆的なものが生まれてしまいそこからあれがあったりこれがあったりして想像していた未来が実現するかもしれない


見れば見るほど美しいエリスが、伺うようにこちらを見ている…う、うう…


よかった、あったんだ…特別な何かが、村に残っていた僕だけに訪れる何かが、皇都に行ったみんなにはない特別な体験が、村に残っていてよかった!


「な なら、僕の家はどうかな」


「え!?いいんですか!?」


「あ…ああ、狭いけれど」


「とてもありがたいです!危うく野宿だったので!」


にこりと微笑めば夜が一気に昼になったかと思う程に光り輝く、なんて美しいんだ…頭がクラクラしそうだ、…こ このチャンスは何が何でも物にしないと


ルーカス達にも成し遂げられなかった事を、もしかしたら皇都に行った誰も勝てるくらいの人生を歩めるかもしれないんだから…


そう意気込んだ瞬間の事だった、ふとエリスが何かに気がついたように口を開き


「でも大勢いますけど大丈夫ですか?」


「大丈夫大丈夫なんでも大丈夫遠慮なんて……え?、大勢?」


大勢?一人じゃないのか?、でもさっきルーカスもクライヴも居ないって


「あ、おーいラグナー!、宿を貸してくれるみたいですよー」


「え?え?誰?」


「お?、マジか ありがたいな」


「え?え?え?え?」


ふと、エリスが宵闇に呼びかけると…男が現れた、僕の知っている誰でもない、皇都に行った誰でもない知らない人間が僕よりもエリスの近くに立ち、僕よりも遥かに親密にエリスと並ぶ


…え?誰?


「あ、紹介しますねラグナ、この人はエリスの故郷の友人のケビンさんです」


「ケビン…?」


チラリとこちらを見る男のまぁなんて端正なこと、僕が見てきたどんな男性よりも男らしい、顔立ちは美しくそれでいて光る瞳は燃えるように赤く、紅の髪は夜風に揺れて煌めく

そして、その肉体はこの村で鍛えていた誰よりも頑強な肉体で僕なんかが殴りかかってもまるで敵わないような力強さを秘めている


一瞬で負けたと脳が叫ぶほど、非の打ち所がない男がエリスの隣に立ち、僕を見つめてこういうのだ


「そうか、俺はラグナ・アルクカース…君と同じエリスの友人だ、会えて嬉しいよ」


「ら ラグナ…アルクカース…って」


聞いたことがある、アジメクの隣にある魔女大国アルクカースの現国王、聡明で理知で勇猛で国民から歴代最高最強の国王と呼ばれている男だ…、それがエリスの隣に…


ああ、ルーカスやクライヴなんかより凄まじい男の人を連れてきている…、この二人ならまだチャンスはあったろうが…これはダメだ、勝ち目がない 勝ち目が無さすぎる


寂れた村の麦農家の男と今世界で舵取りを行なっている男とじゃ、何がどうあっても……


「…お…終わった……」


「え?、何がですか?」


こうして僕の再開した初恋は、エリスが隣国の国王を連れてくるというあまりに予想外の結末にて、呆気なく散ったのだった


………………………………………………


「では紹介しますね、ケビン」


「う…うん」


エリスの話を発端としてムルク村に立ち寄ることになったエリス達、久しく訪れるムルク村はまるで時が止まったように変わりがなく、あの頃と同じ畑と同じ家々で構成された農村へ到着するなりエリスは慣れた足取りで最初はエドヴィンさんの領主館に向かったのだ


あの人にただいまの挨拶をして部屋を貸して貰えないかと訪ねたのだが、何故屋敷には誰もおらずエドヴィンさんは留守のようだった、なので仕方ない ここは村の誰かに宿をと思ったら再会したのがケビンさんだ


メリディアやクライヴと一緒に居た気の弱そうなメガネ少年、それが今はなんとも立派そうな青年に成長しエリスを出迎えてくれた、話を聞く感じエリスのことも覚えていてくれたようなのでこれ幸いと取り敢えずみんなを連れて家に上がり込んだのだが…


「…………ぁー…」


なんか、ケビンが死んだ魚みたいな顔してるんだ…、出迎えてくれた時は元気だったのに、やっぱり夜に訪ねたのは迷惑だったかな、なんかケビンのお父さんとお母さんもやや困惑してるし…


「すみません、やっぱりお邪魔ですか?」


「いやそんなことはないよ、ただ…思ったより大勢だったというか…」


「あー、すみません」


とは言うがあんまり大勢でもない気がするのはエリスの感覚がずれているからなのか、或いはネレイドさんとアルクトゥルス様という際立って大きな体の人達がいるからか、分からない…


「と 取り敢えず紹介しますね」


「うん…」


「こちらはメルクさん、エリスの友達です」


「ん、紹介に預かったメルクリウス・ヒュドラルギュルムだ、エリスの故郷の友人に会えて嬉しいよ」


「め…メルクリウスって、あのメルクリウス様?」


「多分だがそうだな」


「うへぇ…」


「でこっちはアマルトさん」


「うぃー、アマルト・アリスタルコスでーす、取り敢えずケビン…だっけ?」


「はい…」


「ドンマイ」


「うぅ…」


「…?、でこちらがサトゥルナリアさん エトワール一の役者です、そしてこちらはメグさん…皇帝陛下直属のメイド長です、それでこちらの大きな方がネレイドさんと、オライオンで闘神将をされています」


「…本当に言ってるの?」


「おいケビン、お前さん…いつからこんな凄い人達と知り合いになったんだ…」


「今だけど」


ううむ、人数というよりメンツでビビらせてる感があるな…、安易に紹介したのは間違いだったか、でも…エリスの昔の知り合いに今の親友たちを紹介したい欲が止められないのだ


すると、ケビンとその両親の目が奥に偉そうに座るアルクトゥルス様に移る、国王や同盟首長がいる中で、一番偉そうに座ってるこの人は…という目だ


「それで…そちらの女性は何処の王女様で?」


「あ?オレ様?、…聞かない方が身の為だぜ」


「う…!」


まぁ確かにそうか、ここで争乱の魔女ですなんて名乗ったら話が先に進むのが大分遅れる、ましてやこの村は以前偽証の魔女レオナヒルドにめちゃくちゃにされた過去がある、下手に魔女と名乗らない方がいいか


「で でぇ!、この人がエリスの昔の知り合いのケビンです!、エリスがこの村にいた頃の知り合いです」


「昔…知り合い…」


「へぇ、マジでエリスこの村に居たんだなぁ…、そうなのか?ケビン」


「え?ええはい、エリスさんは昔この村に住んでいた時期がありました、と言っても顔を見せていた期間はとても短いですが、それでもとても印象に残る人だったので」


「印象?」


「はい、確か…いきなり現れてクライヴと喧嘩したような…」


「初っ端からか、今とあんまりかわらないな…」


「そんな事ありませんが!?」


今と全然違いますが!?そもそもあれはクライヴから言い寄って来ただけですが!?エリス応戦してませんが!?というか今のエリスなら殴られそうになる前に殴りますが!?、全然違いますが!?


…あ、そうだ クライヴで思い出した


「おほん、えっと、それでケビン?クライヴやメリディアも居ますか?、出来るなら顔を見たいのですが?」


「え?、…エリス知らないの?」


「知らない?…何がですか?」


「クライヴもメリディアもルーカスも、他の子達もみんな皇都で騎士なったんだよ?、君を追いかけて」


「え…ええ!?」


みんな騎士になったの!?みんながみんな!?、じゃあ残ってるのはケビンだけ!?、しかもエリスを追いかけてって…うわぁ、まずい事したなぁ


「すみません知りませんでした、実はエリス皇都に行った後直ぐに旅に出て世界をちょっと一周してまして、今日帰ってきたんです」


「ちょっとで世界を一周するかな普通…、じゃあエドヴィン様が亡くなったのも知らない感じか」


「……へ?」


今、なんて言った?聞き間違いかな、だとしたらタチの悪い聞き間違いだ、あんまりにも…タチが悪い…


「亡くなったよ、二年ほど前に病でね、この村にはあんまり薬がないから治療薬が届く前にね…、元々高齢だったから仕方ないとは言え…」


「死んじゃったんですか!?エドヴィン様が!?、そんな…そんなの、嘘ですよね…」


「嘘じゃないよ、事実領主館はもぬけの殻だったろ?、今はクレア団長がエドヴィン様の遺言でこの地方の領主ってことになってるんだ」


「………………」


死んだのか、エドヴィンさんが…そんな、二年前に?…エリス達が旅に出ている間に…そんなの、それじゃあ…あれが最期の別れ?、あんまりだろ…それは


「ッ…うっ、う…」


「エリス?…大丈夫か?」


涙を流し崩れ落ちるエリスをいち早く支えてくれるラグナに縋り付く、あまりの事態にただ縋り付く事しか出来ない、そんな…そんな…エドヴィンさんが、あの優しくてエリスを甘やかしてくれたエドヴィンさんが…


「うぅ、ご…ごめんなさい」


「大事な人だったのか?」


「はい…、まだ小さかったエリスを可愛がってくれた領主様で…ムルク村を出る時以来会ってなくて、再会を…楽しみにしてきた一人だったんです…」


「そうか…」


「うぅ、っっ…」


必死に涙を咬み殺す、こんな時に限ってエドヴィンさんとの思い出が脳裏を過ってエリスの涙を誘ってくる、成長したエリスを見せたかった人の一人だっただけにその死はとても辛い


けど、これが時間なんだ…エリスが十四年居なかった間に起こった変化なのだ、この村は何も変わってないわけじゃないんだ、エリスが成長したように世界もまた形を変えているんだ


そういう、モンなんだ…悲しいけど、こればかりはどうしようもない…悲しいけど…ね


「泣くならもっと泣いてもいいんだぞ?」


「…ずずーっ、大丈夫です…エリスはこの村に成長した姿を見せにきたんです、泣いてたら…またエドヴィンさんに心配されちゃいますから、見せるのは強いエリスの姿だけでいいんです」


「お前が…、そういうのならそれでいい、でも無茶はするなよ」


「はい、ありがとうございます」


ラグナの体に最後に一回ギュッと抱きついた後、涙を拭いて体を離す、もう大丈夫だ 一頻り悲しんだから、もう一人で立てる…エリスは強くなったから


ラグナから離れ、再びケビンさんに向き合うと、何か言いたげな複雑な顔をしていた…


「あー、その…ごめん、もっとしっかり伝えるべきだった」


「いえいいんです、ありがとうございますケビン」


「う…うん」


「でも、この村にはエリスの知り合いはケビンしかいないんですね…、あ!あの子はいないんですか?」


「あの子?」


「ほら、ケビンの妹のアリナちゃんですよ」


ケビンには一人妹が居たはずだ、小さくて泣き虫で可愛かったアリナちゃんだ、あの子の姿がこの家には見えない、見たところケビンとその両親の三人暮らし、だとしたらアリナちゃんはどこだ?


まさかアリナちゃんも死んだとか言わないよな、なんて思ってると…意外なところから声が上がった


「え?エリス、アリナとも知り合いなのか?」


「へ?…ラグナ?どうして」


声をあげたのはラグナだ、いやメルクさんやメグさんも目を丸くしている、え?なんでみんなからアリナちゃんの名前が出るんだ?


「エリス…それも知らないのか?」


「え?え?なんですか?なんでみんなそんな顔するんですか?どういう事ですかケビン!」


「どういうこともこういう事も、アリナも皇都に向かったんだ」


「え?騎士になる為に?」


「いや…違う、アリナは…」


そうケビンさんがことの全てを離そうとした瞬間の事だった


「っっ〜〜!?な なんですか!?」


突如として轟音と共に大地が揺れた、外に何かが落下したのだ、それも岩とかなんとかそのレベルじゃない…砲弾レベルのなにかが


一瞬シリウスが攻めてきたのかと思ったが、多分シリウスが攻めてきたらこの程度じゃ済まない筈だ、ともあれ何かが起こったのは事実…!


「外ですね、確認してきます!」


「ああ!、行くぞエリス!」


「あ おい、ちょっと」


やや遅れて立ち上がるケビンが制止する頃には既にエリス達魔女の弟子は揃って玄関をぶち開け家の外に出て、なにが起こったかを確認しに行っていた


…外に出ると、そこには何かが墜落したかのように土煙が上がっており、確実にこちらを狙って何かが落ちてきたことがわかる


「なんですか!?、何事ですか!」


そうエリスが煙に向けて問いかける、居ることは分かっている…その土煙の向こうに何かがいることは、恐らく何かしらの魔術でここまですっ飛んできたのだろう


すわ敵襲か…、そう警戒して軽く構えを取ると


「やっっっっと見つけたわ!エリス!エリス!あんたエリスよね!」


「え?誰…」


土煙から現れたのは見慣れない少女だった、エリスよりも少しだけ小さい少女が土煙を引き裂いて現れる、エリスの名前を呼んでだ


だが、見覚えがない、恨まれる覚えは山ほどあるが白い髪に青い目 純白の法衣を身に纏って金属製の杖を片手に持った少女に恨まれる覚えはない、そもそも見たことも会った事もない人間にそんな睨まれるような謂れは…


うん?、いや待てよ?…この少女の顔、何処かで


「こりゃ驚いた、エリス本当にアイツと知り合いだったんだな」


「え?ラグナ知ってるんですか?」


あはははと呑気に笑うラグナは言うのだ、エリスと彼女が知り合いだと…、やっぱり知り合いなの?エリスとあの少女


「知ってるも何もアイツだろ?、エリスが言っているアリナって」


「え?」


「アジメク最強の宮廷魔術師にして護国六花の二大巨頭が一人、『白金の希望』アリナ・プラタナス…そんな大物とも知り合いとは恐れ入ったよ」


「え?…えぇっ!?アリナちゃんが…アジメク最強の魔術師ぃっ!?」


あれが…あの泣き虫のアリナちゃん?、今目の前で凄まじい魔力を放っている子があのアリナちゃん!?、いやいやいやいやいや結びつかないよ!?知らないよ!?、アリナちゃんが魔術師になっていた事もこの魔術師天国のアジメクで最強の座に上り詰めている事も!


「エリス!、ようやく見つけたわ!私と勝負しなさい!!」


「何言ってるんですかアリナちゃん!エリスですよエリス!覚えてますよね!」


「覚えてるに決まってんでしょエリスエリス言ってんでしょ私!、第一私はここにあんたをぶっ潰しに来たんだから!」


これがアリナちゃん…なんてスレた育ち方をしてしまったんだ…、しかしこの魔力…それにこの威力で飛んでくる加速魔術、どれも凄まじいものだ


本当に最強の魔術師になったのか?アリナちゃんが…、意外な才能もあったもんだな


「エリス…、気をつけてくれよ 多分君の知ってるアリナと今のアリナは別人だ」


するとおずおずとエリス達の背後に隠れるようにケビンが顔を出す、気をつけろと忠告するように


「いや同一人物では?」


「そう言う意味じゃない、アリナには凄まじい魔術の才能があったんだ…、あの偽物の魔女の真似をして魔術を体得してしまうくらいには凄まじい才能が…、八歳で魔術を会得してからはもう恐ろしい速度で強くなり、遂には白亜の城から直々に使徒が来て魔術師になるよう命令されて…彼女は皇都に行ったんだ」


「えぇ!?八歳で魔術を!?しかも見様見真似で…!」


なんて才能だ、エリスが居ない間に才能を開花させて王城から直々に使徒が来って、稀代の大天才じゃないですか、…なるほど だからラグナ達も知ってたのか、そのレベルの有名人ならラグナやメルクさん メグさんが知ってるのも頷けるが


…ううむ、にしても意外な上に結びつかないな


「ふふん、そうよ 私こそアジメク建国以来の超絶最強のウルトラ天才…、エリス!あんたなんかよりもずっと凄い魔術師なんだから!」


「確かに凄いですけどエリスは五歳で魔術使いましたし師匠が口にした詠唱を一回聞いただけで見様見真似出来ましたが」


「ッッ〜!何よ!自慢!?やな感じ!、…って言うかぁ?おいクソ兄貴!何女の後ろに隠れてヘコヘコしてんの?キモい上になっさけなぁ〜い」


「うっ…」


ジロリと今度はアリナちゃんの鋭い視線がエリスの後ろに隠れるケビンに向く、二人は兄妹だった筈だが…、罵るアリナちゃんと怯えるケビンの二人にそんな絆は感じない


「ちょっと本気でやめてよねぇ、この超絶天才であるアリナ様の兄貴がこんななんの才能も持たないカスだなんて周囲に知られたらいいスキャンダルだわ、一生私の兄貴ヅラしないでよ、それでアンタはこんなクソみたいな村でずーっと麦とかなんとか作って生きてなさいよ!、まぁ私はパンとか嫌いだからアンタの作った麦は死んでも食わないけどね!」


「わ…悪い…」


「悪いじゃなくて『すみませんでした』でしょ?、クソ麦農家と栄えある友愛宮廷魔術師団の団長様、どっちが偉いかも考えられないくらい才能が無かったっけ?、はぁ呆れた…ここまでなんの才能もないと寧ろそれが才能ね、グズの超天才!あんたのダメさ加減にだけは敵う気がしないわ!」


「くっ…うぅ」


こりゃあ…ちょっと行き過ぎじゃないか?、何もそこまで言う必要ないだろ、兄と妹の関係が劣悪で…なんてレベルじゃない、これは確実にアリナちゃんの方がスレ過ぎている、己の才能にあまりに胡座をかきすぎている、力を持ち立場を得た人間の言うセリフじゃない


「ちょっとアリナちゃん!いくらなんでも言い過ぎですよ!、エリスは他人の兄妹関係にあれこれ言える立場ではないですけど、あなたのはやり過ぎです!ケビンは貴方のお兄ちゃんでしょ!?、血を分けた兄妹でしょ!ならもう少し口を慎みなさい!」


「はぁ!?何!?偉そうに説教垂れる気!?そもそも私の家族関係に口出ししないで!ウザい!」


「他人に口出しされるような家族関係だからでしょうが!、と言うか今のは家族云々抜きにしても無礼は過ぎます!」


「私は宮廷魔術師の団長よ!?、偉いからいいのよこれくらい!」


「いいわけがないでしょう!、ロクでもないにも程があります!!、立場があるならそれこそ他人には敬意を払いなさい!」


「いーやーよー!ボケ!、誰があんたなんかの言う事も聞くもんか!、そもそもあんたに敬意を払うなんて絶対無理!そこのクソ兄貴同様ね!、殺されたくなきゃいい加減黙れよ!」


「あんまり生意気な口聞いてるとズボン引っぺがして内臓飛び出るくらい尻引っ叩いきますよ!」


「上等よ!、私はここにあんたと勝負しに来たって言ってるでしょ!、やるってんのなら受けて立つわ…、あんたの名前はもうウンザリなの、ここでぶっ潰して裸にひん剥いて路上にら晒してやるわぁっ!」


このクソガキ…、そんなに勝負したいならやってやろうじゃねぇか…!、…とは怒りはするもののだ、何故エリスはこの子にこんなに恨まれねばならんのか、彼女が生意気なのはそうだが…そもそもこの子はエリスに会うためにここまでやってきている


つまり最初から狙いはエリス?、何故…


「まぁまぁエリス、落ち着けって…」


「ふぅー…そうですね 、…アリナちゃん」


「何よクソエリス!」


「エリスなんでそんなに嫌われてるんですか?、エリス貴方に何かしましたか?」


「何かした?何かしたですって…、よくもそんな口が聞けたわね!」


えぇ、でも覚えないよ…、ううん強いて言うなれば山賊に囚われてる時怖がらせてしまったくらいか?でもそれをこんな…ここまで恨むか?


「あんたの所為で私のエリートライフはメチャクチャよ!、どれだけ強くなってもみんな『エリスちゃんみたいぃ〜』だとか!『エリスちゃんも同じようなことしてたぁ〜』とかぁ!、果てはクレア団長まで『エリスちゃんはもっと凄かったわ』なんて褒めるしぃっ!、私の方が凄いのに!私の方が強いのに!、どいつもこいつも居ない人間ばっっっかり褒める!あんたが私より先に生まれて先に魔術師やってたってだけでね!、お陰で私はエリスに並ぶ魔術師が精々の評価よ…!、私はこんなに天才なのに世界一の魔術師なのに!正当に評価されないのはあんたの所為!、なのによくもそんな口が!」


「エリス何にもしてないじゃないですか!!!」


「うっさい!、あんたさえ居なければ私は堂々とアジメク一の魔術師を名乗れたの!あんたさえ居なければみんな私の評価を正当なものにするわ!、だからここでアンタを潰して私こそがアジメク最強の魔術師になるの!、そうすれば…デティフローア様だって私を認めてくれるわ!」


つまりはあれか、自己の評価が不当であると言い張り その原因がエリスにある、だからエリスを消して自分こそが最高の魔術師だと証明したいと


どんな理由があるのかと思えばこれはまた…


「呆れ果てたガキですね、そんな理由でエリスを付け回すとは…、貴方を宮廷魔術師団の団長にしたのはデティの判断ミスとしか言いようがありません」


「な…何ですって…」


「でも確かに評価は不当ですよ、エリスと並ぶ?ハッ、こんなのと並べられるなんてエリスの評価は随分低いんですね、そっちの方がショックですよ」


「なん…なん…なん、なんだとテメェェェ!!!もっぺん言ってみろやボケがぁっ!」


「何度だって言ってやりますよ!蒙古斑の抜けてないガキ一匹捻るのなんざ楽勝だって言ってんですよ!、かかってきなさい!地べたに這い蹲りせてケビンの靴舐めさせてやります!」


「このクソ女がぁぁぁあああぁぁあぁああ!!!」


雄叫びをあげて魔力を隆起させるアリナを相手にエリスはゆっくりと構えて…


「ハイストップ!」


「は?」


「へ?」


刹那、間に挟まるようにラグナが止めに入る…


「ちょっとラグナ!止めないでくださいよ」


「そうよ豚野郎!何間入ってんだよ!、チンコもぎ取るぞクソが!」


「おいテメェ!、ラグナに向けて何言ってんだオイ!」


「まぁ落ち着けってエリス、何も止めるつもりはない、ただやるなら広いとこでやれ、お前も…もう夜だ、ギャンギャン吠えるなら村の外に行け」


「うっ…な 何よこいつ」


ギロリとラグナに睨まれ怯むアリナと、そのアリナに飛びかかろうとしたエリスの体をラグナに受け止められ爆発するような激突は一旦防がれる、まぁ確かに…ここでおっぱじめるのは些か危険か


「分かりました、では村の外に行きましょうか、アリナちゃん」


「ちゃん付けするなよ!、じゃあ村の外で待ってるからな!逃げたら私の勝ちだからな!」


「はいはい…」


それだけ言い残し村と外まで駆け抜けるアリナちゃんを見送る…、と エリスはふとラグナの方から視線を感じて、そちらを向くと


「……感情的になりすぎだ」


怒られてしまった、というよりこれはお叱りの言葉か、まぁ相手の無礼に対して怒りすぎたか…


「こ ごめんなさい、ラグナ…売り言葉に買い言葉で決闘まで受けて」


「いやいいよ、あの手の手合いは一回性根までぶちのめさないとまた別の相手に似たようなことをするだろうからな」


「はい、そこはエリスも感じてます…、あれは一度も敗北を経験したことがないタイプの傲慢さです、あれは危険過ぎます」


よくない成長の仕方だ、あれでは取り返しのつかないことになるのは目に見えている、誰かがあの鼻っ柱叩き折らないと良くないことが起こる、誰かが灸を据えてやらねば…


と、村の外に飛んで行ったアリナを追いかけようとした瞬間


「すげぇ言い合いだったな」


「ん、師範」


家の奥からなんとも言えない表情のアルクトゥルス様が他の弟子達を押し退け表に出てくるのだ


「なんだ今の聞くに耐えない罵声の浴びせ合いは」


「すみません…」


「エリス、お前…ますます昔のレグルスに似てきたな」


「え?本当ですか?えへへ」


「褒めてねぇよ、はぁ〜最初見た時は礼儀正しい奴かと思ったが…やっぱり似た者師弟だったな」


昔の師匠に似てきたかぁ、嬉しいなぁ…そっか師匠も喧嘩っ早かったって本人も言っていたなぁ、それに近づけているというのなら嬉しい話じゃありませんか


「まぁ状況は何となく分かる、お前もいい歳だから喧嘩を止めるつもりもねぇ、だがやるならキッチリやれよ?レグルスは喧嘩が終わった後相手に二度と生意気な口を利かせなかった…、お前もレグルスの弟子なら地獄見せて来い!」


「はいっ!」


「ちょっと師範!煽らないでくださいよ!」



「結局戦うのか?、白金の希望と」


「のようだが…どうした?アマルト」


「いや、村に滞在してたらこの国の最高戦力が襲ってくるってシチュエーションにちょいと覚えがあってな…」


そうアマルトさんがちらりと申し訳なさそうに見るのはネレイドさんだ、確かに言われてみればガメデイラでの一幕に今回の一件はそっくりとも言える…つまり


「この決闘にシリウスの関与があるか…だね」


「まぁ、ネレイドの時に比べれば幾分スケールダウンするけどな」


「ああそうだ、アイツがシリウスに操られるか唆されてるのだとしたら、この決闘を安易に受けたのは失敗かもしれんぞ」


もしかしたら既にシリウスはこのアジメクの指揮系統を乗っ取り白金の希望たるアリナをこちらに刺客として差し向けた可能性があるのか…、そんな感じはしなかったけどな、なんとなくだけど


「まぁ大丈夫ですよ、エリスに考えがあります」


「え?マジ?」


「はい、軽くぶちのめして聞きます、シリウスを知ってるかどうか、とぼけたらミンチにします」


「…………ねぇアルクトゥルス様、レグルス様って昔本当にこんな感じだったんですか?」


「いや、これはまだ可愛い方だ」


「えぇ…」


呆然とするナリアさんに背を向けて、エリスはアリナ討伐に向かう、このまま逃げたと思われるのは癪だし急いで向かうとしよう、あ その前に


「あ、ケビン?貴方の妹叩きのめしていいですか?」


一応お兄ちゃんに聞いておこう、あんなに言われても兄妹だしね、後に禍根も残したくない


するとケビンはやや驚きながらも


「叩きのめすって…、アリナは本当に強いぞ、エリスも強いかもしれないがそれでも今のアリナはアジメクでも最高峰の魔術師であることは確かなんだ、下手に行ったら殺されるかも…」


「その辺は安心してください、で?いいんですか?ダメなんですか?」


「……構わない、今のアリナは正直 僕達も怖いと思っているんだ、自分は魔女にも匹敵する存在だって…脅すように村の中で魔術撃ったり、気にくわない事があったら力で脅してきたり…、今のアリナを矯正できるなら是非お願いしたい」


「分かりました」


姿勢だけでも庇ったりとかはしないんだな、彼等が彼女の教育を放棄した結果がアレだとエリスは思うんだが…別にいいか、彼等は魔術を使えない一般市民…それから見ればアリナちゃんは十分に怖いか


「じゃあ行ってきますね」


「いや俺らもついてくよ」


「援護は必要ありませんよラグナ」


「だがやり過ぎた時止める相手が必要だろう、今の君を見てたらそう思った」


「……う」


エリスのこと、なんだと思われてるのかな…


…………………………………………………………


「あら!逃げずに来たのね!、今頃村からどうやって逃げ出るか仲間内で算段してると思ってたわ!」


村の外に出るとそこにはアリナちゃんが白銀の杖を持って偉そうに待っていた、エリスが逃げ出すと思っていたらしい


「誰が格下相手に逃げますか、むしろここで待ってたことをエリスが褒めてあげたいくらいです」


「ど…どこまでも口の減らねークソ女だなぁてめぇはよう!」


さて、オライオン以来数週間ぶりの実戦だ、ネレイドさんから受けた傷は回復してるし、体は問題なさそうだ、籠手もしっかり嵌ってるし 靴も良し、一応最初に柔軟にやっておこうかな


「…あんた何やっての?」


「準備運動ですよ」


「バカねぇ、逃げ回る支度かしら?」


「貴方はしないんですか?」


「私はここから一歩も動かないからいいの、あんたと違ってね」


これは随分な自信だな、だがエリスとそんなに距離も開いてないけど大丈夫か?、まぁいいか 相手のことなんて


「さて、準備はいいかしら?…早速始めるわよ」


「構いませんよ、先手どうぞ」


「どこまでもナメて…、なら一撃で終わらせてあげるわよ!『カリエンテ』…」



………………………………………………………………


……戦闘における『先手譲られる』というのは、最初に攻撃してもいい…という話では無い、最初に攻撃の意思を表示して良い、ということになる


つまり剣士なら剣を抜いた瞬間、魔術師なら詠唱を口にした瞬間先手は取ったことになる…たったそれだけの時間でも戦闘では莫大なアドバンテージを得ることになるのだから


しかし、ここでは違ったろう…何せ、今目の前にいるアリナは思ってしまったからだ


『詠唱を終えた瞬間に戦いが始まる、最初に攻撃するのは私』と…、或いはそれも間違ってはいない、一度始まった現代魔術詠唱を止めるのは至難の業、ならばエリスはこの最初の一撃を甘んじて受けるしか無いだろう


だがそれでも、もう戦いは始まっている事を…明確にアリナは理解出来ていなかった


「ッ!…」


「『エスト…グブゥッ!?」


刹那、アリナは目を剥く…詠唱が止められたからだ


詠唱を始めた瞬間一気に距離を詰めたエリスの手によって口を塞がれ詠唱が止められた、それだけで魔術は不成立となる


(は!?な なにこいつ!?、何やってんの!?あんた魔術師でしょ!?なんでこんな接近して…)


「フッ!」


「げぼぉっ!?」


打ち上げられるエリスの拳がアリナの鳩尾を穿つ、叩き抜かれたその拳はあまりにも重く かつ機敏であり、何が何かもわからない内に肺の中の空気を叩き出される


「ぐっ…げぉ…、かひゅっ…こひゅっ」


ヨタヨタと半歩後ろに下がる…、息が乱れている、肺の空気を叩き出され鳩尾を叩かれ息が出来ない、必死に息を整えようと口を開くもそんな隙をエリスが認めてくれるはずもなく、容赦ない前蹴りが今度は腹打ち付けアリナを地面に転がす


「ぐぇっ!?」


「やはり、思った通りですね…」


(こ…こいつなんなんだよ!、魔術師の癖に初手で口塞ぎに突っ込んでくるとか…なんて下品な戦い方をするんだ!)


そりゃあタブーだろうとアリナは唇を噛む、少なくともアリナが経験した戦いではこんなことする奴は一人もいなかった


導皇陛下にお見せする御前試合で向かい合った魔術師達はみんな正々堂々真正面から魔術をぶっ放して立ち向かってきたというのに…、こいつはそれすらしない


大前提としてそもそも魔術師は口を塞がれたら何も出来ないだろうが…、剣士で言い換えれば初手で剣を落としにかかるようなもの、卑怯にも程がある


「ぐぅ…のォ、卑怯モンがぁ…!」


「よりにもよって卑怯ですか、…貴方実は戦った事ないんじゃないですか?」


「あるわァッ!、導皇陛下御前試合に百戦無敗!私は一度だって…」


「殺し合いは?」


「ころ…あ、あるわけねぇだろ!」


「でしょうね…、未熟な貴方を相手に本気を出した事を謝ります、ごめんなさいね」


倒れるアリナに目を下ろし詫びを入れるエリスの目の色が明確に変わった


さっきまで怒り狂って私に挑みかかってきていた目が、まるで子供でも哀れむかのような…そんな視線に変わったのだ


「てめ…その目ぇ!やめろォッ!」


振るう、銀の魔杖を思い切り振るう、魔術師として魔術を撃つことにしか使わない筈のそれを鈍器として初めてアリナは振るう、しかし


「でも今は戦いの最中なので手は抜きません」


「ぐぅっ!?」


振るった杖がエリスに触れる前に放たれた蹴りに顎を蹴り飛ばされ地面を転がる……


ゴロゴロと転がり、髪が土で汚れて口の中に砂利が入りようやくアリナは状況を理解し始める、もしかして私今負けてんじゃねぇのか?と


思い描いていた形とはかけ離れた構図、魔術を撃って魔力を比べ合う魔術師同士の決闘…それとはまるで違う泥臭い戦い、まるで路地裏でチンピラが喧嘩してみるみたいじゃないか、これじゃあ


「テメェ…、魔術師なら魔術くらい使いやがれ!」


「それもそうですね、いいですよ…使ってあげます、アリナちゃん」


「だから…ちゃんはやめろや!『サンライトフラッシュオーバー』!!!」


立ち上がると同時に杖を振るい放つのは破壊の光、撃てた!今度は撃てた!なら勝て…


「フッ…」


刹那の事であった、それはほんの瞬きの間に起こった、こちらが光を放つと同時にエリスの目前に大量の水が現れたのだ、それもアリナが知っているどの水魔術よりも大量に虚空に湧き出した


それは間欠泉の如く壁を形成し、放たれた光が水の中で散らされると同時に蒸発し霧散する、相殺されたのだ アリナの魔術が、生まれて初めて…


「なっ…」


「凄まじい魔術の威力ですね、確かに破壊力だけならアジメク最強格と言えるでしょう」


「え!?」


湧き上がる水蒸気の霧に覆われ視界を失う、何も見えない白の世界の中、ただエリスの声だけが響く…


「どこだ!何処にいる!」


「ですが些か経験不足です、実戦経験の無さが貴方の実力を殺しているのですね、貴方のような実力者が戦いを知らないというのはある意味この国が十年余りもの間平和であった事を意味するのでしょう、そこはアジメクを故郷とするエリスとしても喜ばしいです…、ですが」


「…何処に、何処……ッ!?」


感じる、背後から気配を…今エリスは真後ろにいる、私の背中を見ている、後ろに…後ろ


「このッ!」


「売った喧嘩には責任を持ちましょう」


勢いに任せ振り向いた瞬間、背後に立っていたエリスの手元から何か飛んでくる、魔術ではない もっと単純な何か…これは


「『ディリュージ…カッ!?ペッペッ!」


土だ、アジメクの柔らかな土が口の中に入り咄嗟に詠唱をやめて吐き出してしまう、敵の前で…エリスの真ん前でだ…


その間にもエリスは…


「ひび割れ叩き 空を裂き 下される裁き、この手の先に齎される剛天の一撃よ、その一切を許さず与え衝き砕き終わらせよ全てを…」


詠唱を行なっていた、デティフローア様のそれを見たことがあるからわかる、これは古式詠唱…通常の現代魔術よりも扱いが難しく、されど比べものにもならない威力のそれをエリスは手元に集めている


デティフローア様のそれは治癒魔術だった、治癒魔術でさえ破格とも言える性能だった、だが…今目の前で行われているそれはなんだ


確実に、絶対に、攻撃魔術─────


「『震天 阿良波々岐』」


刹那、放たれたエリスの掌底から凄絶なる衝撃波が生み出される


アリナも魔術師の端くれ、見ただけで魔術の威力は分かる 破壊力は分かる 恐ろしさは分かる、エリスの放ったそれは激烈なまでに強力だ、少なくとも人に撃っていい類のものではない


直撃すれば私の体は弾け飛びバラバラになるだろう、断末魔さえあげることも許されず、ただの一撃で土に還ることになるだろう…、つまり 死ぬ…!


「ヒッ!?」


咄嗟に目を瞑る、それしかできないからだ、こちらの魔術は封じられた もう防御も回避も出来ない、入念に準備ししっかり罠に嵌めこうなる事を予測して動いていたのだ


こんなのありかよ!こんな戦い方がありなのかよ!、これが魔術師の戦い方かよ!?、なのに…なのに!結局手も足も出てないんじゃ卑怯だろうが正々堂々だろうが同じじゃねぇか!…これは、負けて─────







「勝負ありかな?」


「ヒッ…ッ、ぁ…うっ…!?」


ラグナの言葉が響く、煙が晴れる、突き出されたエリスの拳が見える、次いで私の体が見える、傷がない…無事?魔術が不発…


「あ……」


ではない、エリスの魔術は私を避けて左右に割れて両側の地面を深々と抉っていた、意図的に…外され


「あぁ…」


力が抜ける、パタリと膝をつく…死ぬかと思った、殺されるかと思った、事実私の左右の地面を抉った魔術の威力は十分人一人殺すに足り得る威力だった…、エリスが温情をかけなければ死んで…


助けてくれたのか?こいつ…


「た 助けたつもり…?」


「何勘違いしてんですか」


「え?ちょっ!?」


刹那エリスの体が動く、私の首を掴みそのまま地面に押し倒し馬乗りになると共に突きつける、さっきの魔術を放った手を私の顔に


「貴方には聞きたいことがあったから口が利けるようにしただけですよ」


「ヒッ!?いぃっ!?」


こいつまだやる気だ!?こ 殺される!目がマジだ!私のこと殺す気だ!


「エリスの言うことには素直に答えなさい」


「は…はい」


「まず一つ、シリウスという名前に聞き覚えは」


「し…しり?、それってちょっと前に空に現れた巨人の名前…よね、アジメクを攻めるとかなんとか言ってた…」


知っていることをありのまま話す、私はそれくらいしか知らない、もしかしてその名前にはまだ別の意味が?なんて考える暇もなくエリスの目がより一層鋭くなり


「惚けてるんですか?」


「え?え?何が…」


「この場面でも知らないふりが出来るとは凄い胆力ですね、認めますよ あの世で誇りなさい」


「ちょっ!違う!本当に知らない!知らない知らない!私嘘ついてない!」


強くなるエリスの手の力に殺意を感じて思わずみっともなく暴れる、怖い…怖い怖い怖い!こいつ本当に私のこと殺すんだ!ヤダヤダヤダ!


そう泣きながら暴れてもそもそも腕力が違いすぎて抵抗にもならない…


「エリス、多分そいつマジで知らないぜ」


「みたいですね、もしかしたらシリウスが裏にいるかと思ったんですが…じゃあ次です…貴方は誰かの命令でここに来たんですか?」


「命令?…う 受けてない、本当!本当よ!私は自分の意思でここに来たの!」


「本当ですか?」


「嘘ついてない!本当!」


ボロボロと溢れる涙を見てエリスは真偽を悟ったのか…、しかしそれでも手は緩めず


「では他にも、貴方の髪色はなんですか、貴方昔そんな髪色じゃなかったですよね」


「こ…コッれは、染めました…、白金の希望って異名…貰ったのが嬉しくて…衣装と合わせて…杖も…銀に」


「ではあの言葉遣いはなんですか?、いつからあんな風に?」


「それは…その、私が…何言っても…誰も逆らわないし、逆らっても…私なら倒せるし…」


「ではエリスの事は覚えてますか?昔会ったんですけど」


「お 覚えて…ないです、話には聞いてるけど…小さかったから…」


「そうですか、…では聞きたい話も聞けましたし、そろそろ…」


「え?…ど どうするの、その拳どうするの?、なんで振り上げてるの?私答えたよ?答えたよ!!??」


聞きたい事は聞き終えた、そう口にしながら拳を振り上げるエリスの理不尽さに最早涙しか出ない、私はなんて存在に喧嘩を売ってしまったのだ…、あ…ああ…あああああ!


「死にたくない死にたくない!私家にハムスターのハムちゃん残して来てるの!死にたくないよぉぉぉ!!」


「みんなそう思って生きているんですよ?、恨むなら負けた貴方を恨みなさい!」


「ひぎぃぃぃいぃぃぃ!?!?」


刹那振り下ろされる拳、こんなところで死ぬなんて こんな負け方して死ぬなんて、ここまで来るのに頑張ったのに!もうあんな怖い思いをしないように誰にも負けないように頑張ったのに!、こんなの…こんなのあんまりだよぉ!ひどいよぉ!


酷い 酷い 酷い、みんな酷い どこまでも酷い、いつも私を認めない…いつも私を…


そうだ、いつだってみんな…私を虐めるんだ


─────────────────────


白金の希望 アリナ・プラタナスの人生は花々しいものである


幼い頃から才能に溢れ、その才気を魔術導皇より認められ態々使者を寄越して城に招き、数多くの魔術を授けられ様々な功績を残した


導皇陛下の御前にて行われる天覧試合に於いて百戦無敗を達成したのは未だに語り草だ、アジメク黄金期を象徴する人間のうちの一人…今後未来が楽しみにされる若者の筆頭


そう呼ばれ周囲から凄まじい期待を寄せられる彼女の人生を誰もが羨む、自分もああやって生まれられたらと


だがそれとは裏腹に、アリナが抱いていた感情は薄暗く彼女の性根を捻じ曲げさせるほどのものであった



アリナが魔術の才能に気がついたのは、幼い頃のトラウマが原因だ


山賊に攫われ脅かされるという過去を持ち、運良く救出されてからも数年…その時のトラウマに毎夜魘された


怖かった、目を閉じたらまたあの髭面の男達が私を攫いに来ると思うと眠れなかった、だから毎日偽物の魔女から私を守ってくれなかった母にしがみついて布団にくるまって震えて気絶するように眠ったのだ


そんな自分と同じ過去を持ちながら強く体を鍛える兄の姿は…当時はアリナにとって救いでもあった、兄だけではない メリディアもクライヴもルーカスもみんな負けずに体を鍛えていた、次は自分の手でなんとか出来るようにする為に鍛えていた


あんな風に強くなれたらな、私も自分で自分を守れたら…あんな怖い思いをしなくて済んだのかな、そう思えば思うほど魘される夜に怯え続け…、そしてある日のことだ


恐怖の夜に耐えきれなくなった彼女は蓋をした記憶の中からあの偽物の魔女が使っていた魔術の詠唱を真似してみたのだ、あれと同じことができたらと…、朧げで思い出すだけでも恐怖してしまう記憶の中に手を突っ込んで詠唱を口にした


その時だった、本来は訓練をして魔力を操る力を会得しなければ使えないはずの魔術が…発動してしまったのだ、最初は小さな風だった


だがそこに光明を得た彼女は必死に努力した、兄達の見様見真似で努力した、それがあの惨劇を乗り越えた者の義務だと信じて…


そして数年が経ったある日、彼女の手から溢れるそよ風は…いつしか颶風となって森に放たれたのだ


幼いながらに理解した、倒れる木々と音を聞きつけて集まってくる大人達の顔色を見てアリナは理解した


『これは特別な力なのだ』と…、これなら守れる、己の身を 悪夢から己を守れる、兄さん達と同じように……





そう思ったのもつかの間だった、悪夢を乗り越えた少女が見たのはまた悪夢だった


少女の力は異常だ、偽物の魔女の魔術を見て魔女と勘違いしてしまうような辺鄙な村に於いては異常極まる力であった、少女が魔術の練習をすればその都度木々が倒れ森が傷つく様を見て大人達は少女に恐れ抱き始めていった


大人…そこには当然、両親も含まれた


『ねぇお母さん』と母に手を伸ばした瞬間、喉からか細い音を立てて手を払われた時の少女の気持ちが理解できるか


『ねぇお父さん』と父に声をかけただけで青い顔をして振り向かれた時の少女の気持ちを考えたことがあるか


『ねぇお兄ちゃん』と呼びかけた兄が私を羨ましげな目で睨みつけた時の少女の気持ちを察することは出来るか


父も母も私を恐れた、その声があの破壊を生み出すと信じていたから この手が殺戮を生むと信じていたから、だから私が手を伸ばして呼びかけただけで恐怖した


そして兄は私を羨んだ、特別な力を羨んだ、僕もその力が欲しいと囁かれた…、自分は力を得るための努力を何もしてないのに、私はこれを得るために努力したのに、周りの努力を見ないふりして自分が怠けた癖をして、一足跳びに私が兄より強くなったからと兄は勝手に諦めただけなのに


父と母から恐れられる謂れはなかった、この力を生み出したあのトラウマは両親が守ってくれなかったから目覚めた物なのに


兄から恨まれる謂われなかった、お前が弱いままなのはお前が弱いからだろうが、簡単に折れて周りから置いていかれたことを理由に歩かなかったからだろうが、僕が諦めたのはお前が原因?ふざけるな…クソが



家族も私を疎んだ、村も私を遠ざけた、同じ苦しみを持つ筈のメリディア達もいつしか『あの偽物の魔女と同じ力…』と鋭い視線を向けてきた


私は一人だった、独りぼっちだった


だから皇都から召還命令が来た時は喜んで受けたよ、こんなクソみてぇな村になんかいたら体が腐ると唾を吐きかけて、兄にしこたま恨み言を残して私は皇都に向かった


皇都は私を歓迎するという言葉を妄信的に信じて…



けど、どこに行っても人は人だ、村も皇都も変わらない


煌びやかな城の中にいた魔術師はどいつもこいつも凡愚ばかりだ、私をまだ歳下だからという理由で頭を押さえつけようとする、私が魔術の勉強をして強くなろうとすると妨害してくる、無理矢理私を部下にしようとしてくる


年上の魔術師達は全員何処かで聞いたようなセリフを判子で押したように繰り返す、『歳上には敬意を』とか『お前のため』とか『未来の為に今は我慢して…』とか、くだらないったらありゃしない


透けて見える!その腹の底が!、私を制御して悦に入りたいという下劣な欲求が!、天才の私を下に置きたい 置いておきたいその心が果てしなく邪魔だった、私に強くなられたら困るとばかりに顔を歪める皇都の魔術師達の顔は村の連中と同じだ!


特に気に入らなかったのは私が活躍する都度出てくる名前!『エリス殿の方が幼く才能に満ちていた』と!『エリス殿は今頃更に強くなっているだろうな』と!『エリス殿は』『エリスは』『エリスちゃんは』と!


自分がエリスでもないくせにエリスの名前を出して私を下にしようとする大人達の言葉によって私はよく知らないエリスという人間を『大人の悪意の象徴』に知らず知らずのうちに押し上げていた


でもしょうがないだろ、だって誰も私を認めてくれないから…、ただ才能があるというだけで敵視される苛立ちだけが募る毎日…


だけど、尊敬出来ない年上ばかりの中…一人だけ私は崇拝出来る人物に出会えた、それが私が皇都を捨てなかった理由だ


ある日、魔術の練習をしてたら


『凄い魔術だね、貴方の努力が滲み出てる…貴方きっとすごい魔術師になるわ』


そう声をかけて来たチビがいた、最初はなんだこのチビと思いもしたが…すぐに悟った


この人は魔術導皇デティフローア様だ、一度だけ玉座に座るその姿を見たことがあったから


デティフローア様は私の魔術の腕を聞きつけて態々会いに来てくれたんだ、でも当時私は荒んでたから『別にこのくらいなんでもない』とそっぽを向いたと思う


すると


『へぇ!凄い!、やっぱ魔術師たる者勝気じゃないとね!、うんうん!やっぱ貴方素養があるよ!』


そう言って私を褒めてくれた、それから何度か私の魔術の練習に顔を出して、その都度褒めたりダメな点を的確に指摘したり、私を認めてくれた


この人は私を邪険にしない、この人だけは尊敬できる…そう思ってたのに


『貴方みたいな才能溢れる子を見るとエリスちゃんを思い出すなぁ、あ!エリスちゃん知ってる?とっっっても凄い子なんだ!』


エリスを褒めた、大人の悪意の象徴たるその名前を口にした、あのデティフローア様もエリスを褒めた…、私に向けるお褒めの言葉よりも何倍も純粋に褒めちぎった


聞けばエリスはデティフローア様と親友らしいのだ、かつて命を救われたこともあるとか、…そういう縁で今も彼女のことは尊敬していると…、このままいけば貴方もエリスちゃんみたいになれるかもね…と


まるで、比べられているようだった


デティフローア様は私を褒めるがダメな点も指摘する、だがエリスにはそれをしない、エリスは完全無欠の人物だと言ってのけた…エリスが上で私が下だと言わんばかりのその顔に、私は失望した


他の大人よりもマシだけど、結局この人も私を正当に評価してくれないのだと


そこを理解してからはもうどうでもよくなった、私が特別でみんな私を嫌うなら、私もみんなを嫌って特別な力を振るう、宮廷魔術師団の団長になってからはそれに更に拍車がかかった


私を遠ざけようとした魔術師全員を見下して立場を利用して罵ったり、村にいたずらに押し掛けて魔術をぶっ放して脅かしたり


愉快だったなぁ、逃げ惑う人間の顔は…非常に愉快だった、痛快だった


痛快だった…けど……



怯え竦む村のみんなを見て、なんか…違うなぁと思ったのは何故だろう


あの怖がる顔、どこかで見た気がするけど…どこでだったかなぁ、そんな違和感だけが


私を苛立たせていた




─────────────────────


迫る拳、光る殺意を前にアリナは叫ぶ


「私だって…私だって認められる為に頑張ったのにぃっ!、どうしてよぉ!!!!!」


そんな悲鳴にも似た泣きの言葉も無視してエリスの拳は容赦なく、音を立てて叩き砕く


「ッ…ッ…」


私の顔の隣にあった石を…拳で叩き砕く、また…温情をかけられて…、いや 油断するな、今度は何をするつもりだ、どうやって私を虐めるつもりだ…


「ヒック…ヒック…」


「喧しい!」


「ひぃぃー!」


再び手が振るわれ私の頬を叩くかに思われたエリスの手は空振り、当たる事無く空を切る…こ…怖い、傷一つつけられてないのに怖くて怖くて手出しができない、なんて怖い人なんだ…この人


怖い 恐ろしい、その二つの感情に支配された私はすっかりエリスへの反抗心を失い、最早暴れることもせず、諦めて…


「…分かりましたか?」


「え?…」


「無用に力を振るい誰かを脅かす…その怖さ、貴方がこの村の人達やお兄さんにしたことがこれです、それがどんなに恐ろしいか…分かりましたか?」


「へ……」


これが…力を振るわれる怖さ?、私はさっきみたいな事をこの村のみんなや兄さん達に?、でも…、当てる気は無かったし ただちょっとびっくりさせようとしてただけで…


いや違う、当てる気がなかったのはこの人も同じだ、なのにあんなに怖かったじゃないか…、それを私は力を持ってる事をいいことにそんな横柄な真似を…


それは、あの偽物の魔女と同じだ


怯え竦むみんなの顔は…、悪夢に怯える私と…



「アリナちゃん、貴方はもっと沢山のことを知るべきです、貴方はとても才能に溢れその上で努力もしている…なのに、そうやって手に入れた力をそんな風に使っていては貴方の頑張りに泥がついてしまう」


するとエリスは私の顔に優しく触れ、頬についた土汚れを拭い、綻ぶように微笑む


「貴方は文字通りアジメクの希望となれる子です、今はまだ未熟でもいつかきっとこの国を守るようになる人です、だからもっと大きくなるんです人として、その為ならエリスは貴方に色んなことを教えてあげられるし…色んなこともしてあげられます」


「エリス…さん……」


少し前に私より年上の魔術師に似たようなことを言われたことがある、『お前は才能があるんだからもっと色々勉強しろ』と、その時は私より弱い奴が何を言ってるんだと刃向かった


クレア団長みたいな私より強い人からも言われた、『生意気な口を改めろ、希望の名が泣く』と、その時は勝手にそんなもの押し付けるな、自分がもっと立派になってから言えと心の中で刃向かった


けど、今ここに…もしかしたら人生で初めて出会ったかもしれない『私より強くて尊敬出来る年上』から助言を受けた、何もかもを叩き潰され何もかもを認めその上で私に高みを目指せと微笑んでくれる大人の存在は、初めて私に刃向かう気を失せさせた


「エリスと違って貴方は立派な魔術師です、もっと精進しなさい」


「あ……」


そして終ぞエリスさんは私にトドメを刺すことなく、私の上から退いて背を向け去っていく、今ここで私が魔術を撃ってもエリスさんには効かないだろうとやる前から結果が分かってしまう…


それだけ、この人は強くて…私は……


「おい、勘違いすんなよ?」


「う?、あんたは…」


確かラグナと呼ばれていた男だ、彼が倒れる私の側に座り込み、私と共にエリスの背中を見つめている


「お前が弱いわけじゃない、寧ろエリスに魔術を使わせる時点で相当なモンだ」


「そうなの…?、でも手も足も出なかった…」


「そりゃあアイツは五歳でここを旅立ってから十数年間ずっと戦場や修羅場に身を置いていたからな、ルールの決められた試合とは違う本物の鉄火場でアイツは育って来た、時には遥か格上に勝たなきゃいけない場面もあったし悪党に後ろから銃をつけられもした、手の届かないところから嬲られもしたし…時には大国の軍を丸々一つ相手取ったこともある、アイツの戦闘経験は世界中見渡しても相当なレベルにある…それを相手にいきなり勝つってのは余程のことじゃないと無理さ」


聞いただけでは信じられない壮絶な人生だ、五歳で…というと私はまだ魔術も使えない、まだ弱く母に甘えていた頃だ…その頃から既に戦場で戦いを


「ッ…!」


思えば…、あの時もそうだった気がする…


朧げながらも確実に私の心に突き刺さっているトラウマ、山賊に攫われたあの時…みんなが泣き喚く中ただ一人戦い私を虐める山賊を倒してくれた、金髪のお姉ちゃんの姿…


今までただ恐ろしい場面しか思い出せなかったけれど、今なら鮮明に思い出せる


そうだ、エリスさんだ…エリスさんがあの時私を助けてくれたんだ!、一撃で砦を吹き飛ばし山賊も偽物の魔女も倒したんだ!うん!思い出した!


つまり…つまりだ、あの人はあんな小さな頃から今日までずっと…、白亜の城に篭って宮廷魔術師団の団長の立場で満足している間も、ずっと…


「…………」


首をあげて見るのはエリスさんの大きな背中、草原に吹く風を受けたなびく黒のコートと金の髪…、あの時と同じで…また私を導いてくれるというのか


「…アリナちゃん立てますか?」


「え?あ…はい」


「なら行きますよ、今ので怖さが分かったのならケビンにも謝れるはずですからね、キチッと謝ってこれから前に進みましょう、ね?」


「………………」


私は私以外の人間がクソだと思っている、私の才能に嫉妬する奴も才能を恐れる奴も才能を利用しようとする奴もみんなクソだ、見上げる相手はデティフローア様しかいないと思っていた…けど


「わかっ…た…わ」


「ん、いいこ」


もしかしたら…


…………………………………………………………


エリスとアリナちゃんの戦いはかなり一方的な物に終わった、エリスが強くてアリナちゃんが弱かった…なんて話ではない、事実アリナちゃんは強かった、詠唱速度も使用する魔術の練度もその年齢からは考えられないくらい高かった


けど、その実力に経験があまりに伴っていない…かなり歪な戦術を使ってきたのだ、なんていうかこう…磨けば光るのに原石のままで勝負しているような変なもどかしさを感じましたよ


ただただ大火力をぶつけて戦う、幼い頃のエリスが使っていたような戦い方で通用するのは雑多なチンピラかルールの決められた試合でだけだ、アルカナみたいな勝つ為ならなんでもしてくるような手合いには通用しない、そして当然アルカナとの戦いで磨き上げられたエリスの戦法にも通用しない…ただそれだけだ


普通に魔術を浴びせ合う試合方式なら、案外いい勝負はしたかもしれませんね?


それくらいアリナちゃんの力は本物だった、デティがあの年齢で宮廷魔術師団の団長に任命した気持ちもちょっと分かります、相応の立場で自覚と責任を身につければ確実に化ける人材ですからね…、でもデティはアリナちゃんの勝気さと傲慢さを見誤った、だからあんなロクでもない育ち方をしてしまったのですね


もっと誰かが矯正してれば…、いやもしかして、デティがここに送り込んでエリスにアリナちゃんの矯正をさせようとしてたとか、そういうオチじゃないよな


まぁ、デティにはお世話になってますからそのくらいは構いませんが…


「おいエリス、あんな小さな子相手に容赦なさすぎだろお前」


「うるさいですねアマルトさん…、しょうがないでしょ…」


「しかしエリスは怒ると怖いな、君だけは敵に回さないようにせんとな」


「メルクさんまで…」


そしてエリスは今、ムルク村への帰路についている途中だ、本当はここに宿を取りにきただけだったんだが…変なことになってしまった上にやり過ぎてしまった所為で、絶賛仲間から揶揄いを受けている最中だ


エリスももう少しいい勝負になると思ってたんですよ、アリナちゃんの纏う魔力は凄まじかったですし…


…ああそれで、当のアリナちゃんといえば


「…………」


「大丈夫ですか?、どこも痛みませんか?」


「痛いの…我慢する必要ない、…歩けなかったら…私がおんぶするから…、体大きいから…安心して?」


「必要ない!…です…」


「エリス様のパンチは岩を砕き、エリス様のキックは木をへし折ります、それを受けて無事とはアリナ様は頑丈でございますね」


「…………クッ」


一応、ついてきてはくれているしさっきみたいに毒も吐かない、みんなも心配して集まってるけど…、言っとくけどそんな思いっきり殴ってないし蹴ってないですからね?、力加減間違えて殺しちゃう程エリス弱くないですから…とは言えない空気


年下の子を一方的に殴るのはマズかったか…


「甘いなエリス、レグルスなら一ヶ月は固形の飯が食えない体にしてたぜ…」


「師匠ガラ悪すぎませんか、流石に」


「アイツはガラが悪いし優しくもない、いつもオレ様が止めに入ってたもんさ」


そして先程の戦いを見てやや安心しているのはアルクトゥルス様だ、やっぱりレグルスほど危険人物に育ったわけじゃねぇんだなとちょっと嬉しそうだ、だが相手がもし小さい頃を知っているアリナちゃんではなくチンピラだったら話は違ったよ


どつき回して蹴り飛ばして地面に押し付けながら遺言状書かせるところまではいってたと思う、それをしなかったのはアリナちゃんにただやり直して欲しかったからだ


あの子はまだ若い、傲慢さでその才能を棒に振るのはあまりに惜しい、デティでさえ目をかける天才なんだから…


「さて、着きましたね」


そうしてこうしてたどり着くのはムルク村内部のケビンの家の前だ、彼だけは戦場についてくることもなくただただ家の前で呆然と立っていた、妹が傷つく姿を見たくないのか或いは妹が怖いのかは分からない


ただ、妹が戦っているのに自分だけ家にいるのはエリスポイント低いですよ、まぁ…妹や弟を大切にしろ…なんてエリスは口が裂けても言えませんがね、寧ろどの口がって話ですよ


それはそれとして


「戻りましたよ、ケビン」


「ま…マジでアリナを倒したのか…、それも…傷一つもなく…」


「ええまぁ、エリス強いので」


「強過ぎるだろ…」


彼女はただ経験不足なだけですよ、それはいいんだ別に…ここにわざわざ戻ってきたのは


「さ、アリナちゃん…お兄ちゃんに謝れますか?」


「…………」


彼女を兄であるケビンに謝らせることつもりだ、彼女に何があったのかは知らないし彼女の言った通り他人の家の家庭事情に首突っ込むのは無粋かもしれない、だけどもだ…やっぱり謝った方がよくない?


そんな考えから彼女にケビンへの謝罪をさせるよう要求する、きっとこれでやり直せる、謝ればきっと 拗れた姉弟関係も修繕出来る、そう願ってしまうのはエリスのエゴかワガママか…


「兄さん…」


「は…反省したのか?」


「…………」


「お前のせいで、みんな怯えてた…父さんも母さんも、だから謝るならみんなに…」


「兄さん…兄さん…兄さん」


ん?、何か様子がおかしい、ケビンも受け入れる様子がない というかそれ以前にアリナちゃんの様子が…、まさかまた暴れて…


「兄さん兄さん兄さん…兄さんぅ??」


「な なんだよ」


「兄さん…あんたなんか兄さんじゃない!私の兄じゃない!!」


「な!?」


「ちょっ!?アリナちゃん!?」


叫ぶ、アリナちゃんは激昂し叫ぶ、怒りと憎悪をぶつけるように兄に向けて決別するような…、エリスにとっては痛い言葉を叫ぶ


「私がこうなったのはあんたのせいでしょ!、くだらないやっかみぶつけて何が反省したよ!、まずはあんたが先に反省しなさいよ!」


「何言って…」


「でももう関係ない!私はあんたの妹じゃない!、私は…」


刹那アリナちゃんは振り向きエリスを睨みつけ…


「私はエリスさんの妹になるから!」


「はぁっ!?」


「は?え?ちょっ!?何言ってぇぇぇ!!??」


いやいや何言ってんの何エリスの手に腕絡めてんの何キラキラした目でエリスのこと見上げてるのどうなってるの!!???


「エリスさんは私を認めてくれる、私を導いてくれる、妬みも嫉みもしない!この人はあんたと違って尊敬出来る年上なんだ!、だから妹になる!」


「何故!?」


「何故!?」


「というわけでこれからよろしくお願いしますね!エリスさん!…いや、エリス姉さん!」


…仲直りするんじゃないのか、謝れば解決する問題じゃないのか、血の繋がった者同士の溝ってのは深いのか…そんなにも


キラキラと目を輝かせこちらを見るアリナちゃんの顔に、エリスはマレウスにはもう行けないなという…全く関係ない感想を抱くのであった


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[一言] プッツンしやすいの反省したけど母が二人ともプッツンしやすいし、師匠に似てきた方のが嬉しいから仕方ないね!
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