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293.魔女の弟子とそして終わる大いなる旅


世界最大の宗教テシュタル、その教えこそが全てとされる雪の国オライオンは遥か古に神が残したと伝えられる教えに従って今日も生きている


「神よ…神よ、我らを導き給え」


「今日はとてもよい魚が手に入りました、これも河の神の御恵みですね」


「今日は空が綺麗ですね、このまま澄み続ければテシュタル様のいる神座が見えそうです」


皆が皆、黒と白の信徒服に身を包み、雪の解けないこの街を歩み神に祈り神に感謝しながら生きている


この国は平和だ、至って平和だ…つい先日神聖軍が住民全員を突如として別の場所に移動させもしたが、その後『あれは避難訓練でした』との報告もあった、だからきっと平和なのだ


八千年間一度として変わらなかった空白平野の一部が完全に崩落し大きな穴が開いたりもしたが教会から『地下にあった空間の老朽化による崩落で害は特にない』との報告もあった、だから今日も平和なんだろう


平和 平和 平和、民達はその言葉を繰り返す…神に祈っている限り平和なんだと、その平和の影で全てを守る為に戦い続けた者達が居たことに目を向けることもなく


だけどいいんだ、戦いなんてのは見る必要はないんだから、民衆が何も知らず 何も心配せず生きて行けるなら、彼らはそれで幸せなのだから


そして今日も彼らは戦う、否…そんな平和をかけた戦いへと歩んでいく


「準備はいいな?お前ら」


エノシガリオスの郊外に停められた馬橇を囲むように集合する八人の男女は、空白平野を照らす輝かしい朝日をやや眠たそうな目でしぱしぱ受け止めコクリと頷く


「おいおい、大丈夫かよ…その間抜けな面、テメェらまさか夜も遊んでたんじゃねぇだろうな」


そんな皆の不甲斐ない顔を見てため息を吐くのはこの一団の指揮を取り仕切ることになった人物、八人の魔女の一人 アルクトゥルスである


アルクトゥルスはこの場に集ったエリス達七人の魔女の弟子に対して叱責するような言葉を投げかけるのだ、これから皆はアジメクに向かう…シリウスが決戦の地に指定したアジメクへと旅立つ為、今は一刻の猶予もない


しかし、エリス達は未だに疲労困憊…全員が眠たそうにしながら情けなくうなずくばかりだ、それもそうだ ここにいる七人はつい先日まで鎬を削って殺しあっていたのだから


三ヶ月にも及ぶ追って追われての大追走戦からの魔女の懺悔室での最終決戦、どちらも互いに全てを賭けて戦った死闘であったと言えるだろう、それこそ精魂尽き果てるまでみんな戦った…戦っている最中はハイになってたから特に感じなかったが


いざ終わってみるとこれがもう凄い疲労感、『あー終わったんだー』と思ってベッドに入り込むともうダメ、今まで騙し騙しなんとかやってきた体が遂にギブアップ宣言をしたのだ


出来るならもう二、三日目休みたい…、三ヶ月分の疲労は伊達ではないのだ、だがそんな事言っていられる時間はないことはわかっている、なんとしても一ヶ月以内にオライオンを抜けてアジメクに帰還しなければならないと言う地味に無理難題を押し付けられたエリス達は直ぐにでもこの国を そしてこの街を旅立たねばならない


「シャキッとしろ!、休むんならアジメク行きの船の中で休めばいいだろ、取り敢えず今は移動だ移動!」


「っ…うう、分かりました そろそろ気合い入れますか」


いつまでも寝ぼけてられない、これから移動だ 旅だ、それが気の抜けないものであることをエリスは知っている、だから無理矢理にでも目を覚ますため両頬を叩き、気合いを入れる


よし!、 行くぞ!


「よしっ!、…ところでアルクトゥルス様?」


「あ?なんだ?」


「これからアジメクに向かうんですよね、その為にはこのポルデューク最北端の街アルゲイコンテスに行く必要がある…ですよね」


「その通りだ、よく地図に目を通してるな」


勿論ですとも、この国に来る前からこの国の地図には目を通して地理は把握してある、そしてエリス達がこれから向かう街 アルゲイコンテスの存在自体はもっとずっと前から知っていた


アルゲイコンテスからはコルスコルピのように大陸と大陸を掛ける巨大船ジェミー号が出ている、そこからアジメクにいくことが出来るのだ、つまり…エリスと師匠にとってこの文明圏を巡る旅の終着点でもある、謂わば目的地だったからね…随分前から意識はしていた


「でもそのアルゲイコンテスはまでどうやっていくのですか?、ここからだと二、三ヶ月かかるそうですが…」


「そこはなんとかするって言ってるだろ、安心しろ」


まぁそう言われはしたが、てっきりカノープス様辺りが現れてアルゲイコンテスまで連れて行ってくれるかと思っていた、けどよくよく考えたらカノープス様がいるならアルゲイコンテスと言わずアジメクまで一直線に行けるな…


でも、今この瞬間になってもカノープス様は現れない、エリス達についてきてくれる魔女様はアルクトゥルス様だけという事になる


大丈夫だろうか、…まぁ大丈夫か、この人も魔女だし


「ともかくアルゲイコンテスまで向かったらそのままジェミー号に乗り込みアジメクに向かう、調べたら丁度今日ジェミー号が港から発つみたいだしな」


「なるほど、じゃあそのジェミー号に乗り込んだら…」


「一旦皇都に向かいデティフローアと合流する、アジメクの内情を一番知ってるのはデティだしな、ああ…あと言っておくと」


「?…」


「スピカは一週間前から姿を消してるみたいだ」


ラグナ達の眠たそうな目が見開かれる、知ってはいた 予感していた、だがやはり…スピカ様も操られていることが確定した衝撃は激しいものだ、奴の魔の手は…相当周到に回されているようだ


「…デティは無事なのか?」


「お?起きたかラグナ、安心しろデティフローアは無事だ、スピカの居なくなったアジメクを上手く纏めているようだぜ」


「そっか、まぁアイツは簡単にやられる女じゃねぇのは分かってたけどさ」


そうか、デティは無事どころか一人で強くアジメクを支えているのか、エリスと会ったばかりの頃はなんとも頼りなかったあの子が、今は一人でアジメクを…やっぱりデティは凄いなぁ


「だが流石のデティフローアも魔女二人引き連れたシリウスに襲撃を食らえば一溜まりもねぇ、シリウスの目的は依然として己の肉体だ、そしてその肉体があるのは…」


「白亜の城の地下、つまりデティの足元ですからね…、早く向かって合流しないと」


ここでのんびりしている間もデティは一人で強く立っているんだ、きっとエリス達の救援を待ちながら…、ならその期待に応えるのが友達ってもんだ


眠いのがなんだ、疲れたのがなんだ、そんなものに負けてたまるか!


「よし!、皆さん!アジメクに向かいましょう!」


「ああ、そうだな…で?、向かうって言っても…まさかこの馬橇に乗り込んで向かうんじゃないよな」


そうメルクさんがやや目元をヒクヒクさせながら呆れるのは、アルクトゥルス様がさっきから手で叩いている馬橇だ、ただしそれを引くブレイクエクウスはいない、本当に馬橇単品だ


「これ…神聖軍で使われてる奴だよね、それも大隊長以上に支給される高い奴…」


「え?ネレイド知ってるのか?」


「一応軍部の責任者だから…、それをいくつ買い付けるとかそういう話も良くする…、この馬橇は私が職人に直にコンタクトをとってデザインから性能まで詰めた奴、自信作…高いけど」


「ああそっか、丈夫そうだったからな、一つパクってきた、いいよな?ネレイド」


な?と笑うアルクトゥルス様といいわけないだろって顔で目を見開くネレイドさんの顔つきは対照的だ、どうやらこの馬橇…本当に高性能かつお高いものらしい


「まぁ、後で返却してくれるなら…」


「保証はしねぇ、おらとっとと乗れ!」


オラオラ!といい加減グダグダ言い合うのに飽きたアルクトゥルス様の乱暴が炸裂、エリス達を軽くつまみ上げ次々と馬橇に放り込んで押し込んでいく


軍用馬橇故か内部は広く断熱性にも長けている、流石はネレイドさんの一押しの一品と言えるだろう……


だが



「ごめん…」


「いや、いいんだ…むしろうちの師範がすまない」


「ぐぇー、狭い!メグ!俺の頭の上に尻乗せるな!」


「ぐぶぇぶぇ…」


いくら広いとはいえ七人も一気に乗ればまぁまぁ手狭、ラグナもアマルトさんもメルクさんも平均的な身長から見ればかなり大きい部類だ、そしてその上で超ビッグサイズのネレイドさんまでもが同じ空間に押し込められれば、差し詰めエリス達は箱に詰められた肉饅頭とも言える状態だろう


狭い、あまりに狭い…このままじゃ次外出る頃には体の形変わってるんじゃないかってくらい狭い


「め…メグしゃん、空間拡張の魔術を…」


「やっています…ですが、申し訳ございません…これが限界でございます」


空間拡張を使っているからこの程度で済んでいる、使ってなければそもそも入りきらなかっただろうとはメグさんの言葉、仕方ない 耐えられないほどじゃないし、アルゲイコンテスまでこのまま耐えるしかない


「よし、全員入ったな」


「入っただけです!」


「別にいいだろグダグダ言うな、…そろそろ出るぞ」


「…………」


もう出るのか、なんというかオライオンでの旅はあっという間だった気がする…いや事実この国での旅は三ヶ月とかなり短かったから当然ではあるんだけど、でももうオライオンから出発から


…名残惜しいと思う、だってエリス達はこの国で何かを見る暇さえなかったから、いつもみたいにいろんな人とも仲良くなってない、ただひたすら戦って戦って戦い尽くしただけだった、懐かしい顔には会ったけれど…


せめて、外の景色を見ようと仲間達の間をヌルヌルと通り向かう先は馬橇の最後尾、後方を確認する為の小さな枠にはめられたガラス板から後ろを見る


見えるのはエノシガリオスの荘厳なる佇まい、雪を被った黒岩の建物が軒を連ねるこの巨大な街からエリスは旅立つ、けど…今回は見送る人はいない、それはこの国でエリスが育んだ友情がほとんどないからだ


最後の最後でこれは些か寂しい…


「んっ、どうしたの?エリス」


「ネレイドさん?」


ふと、ネレイドさんが窮屈そうに体を歪めてこちらを見る、精一杯体を縮こまらせながらも器用にエリスを見てやや心配そうに眉をひそめる


「いえ、ただ…寂しいなって」


「見送りがないのが?…、まぁ 神将達には私から仕事を任せちゃったからね、それに流石にまだ和解の話が広まっても居ないのに神将が神敵だった人達を豪勢に送り出すのもね…」


「確かにそうですね…」


まぁ仕方ないことですね、こういうのは仕方ない、ワガママも言ってられないし何より迷惑もかけたくない、見送りがないからって不貞腐れるような事も無い、割り切ることはでき…お?おお?


「な なんですか?ネレイドさん」


「ん、寂しそうだったから」


いきなりネレイドさんが丸めた体を少し開け空間を作るなりエリスの体を優しく抱きとめたのだ、所謂抱擁 慰めのハグだ、ギューとエリスを抱き留めるそのネレイドさんの腕に包まれその優しさがエリスを温める


というか普通に暖かい、ネレイドさん…体温高いんだなぁ


「ふふふ、ありがとうございますネレイドさん」


「ん、寂しくなったらハグ…お母さんが教えてくれたことだから」


「優しいんですね、リゲル様って」


「うん、とっても…」


二人で後ろの窓からエノシガリオスを見渡す、エリス達からすれば長く求めた目的地にして決戦の地、だがネレイドさんからすれば生まれ育った故郷だ…、そしてネレイドさんは今日ここから旅立つことになる


「…必ずここに、お母さんと帰ってくるから…待ってて、私のエノシガリオス」


口を固く閉じて決意を露わにするネレイドさんはここを守る為にエリス達と戦ったんだな、ここにいるみんなとここでの思い出の為に彼女は戦う…


けど、その決意は少しだけ寂しそうだ、そりゃそうだよ 何かを守る為に戦うなんて守らなきゃいけない状況じゃなきゃ起こらない、平穏無事が一番なのだ…そりゃ寂しいよな


うん


「ネレイドさん、ギュー!」


「エリス?…何してるの?」


「寂しそうなので」


「…ふふ、ありがと」


抱きしめる、寂しいなら抱きしめる、寂しいから抱き合うし抱き合うならば寂しくない、きっとそうなんだとエリスとネレイドさんは互いに抱きしめ合う


確かにこの国でエリスは繋がりを作ることはできなかった、だが…それ以上に掛け替えのない物は手に入った、ならいいじゃないか、それで


「おーい!、そろそろでるぜ!しっかり捕まれ!」


「捕まれって…そういやこの馬橇、例の馬居なかったよな」


「はい、ブレイクエクウスでございますね」


ふと外からアルクトゥルス様の声が聞こえ弟子達がざわめく、そう言えば馬の姿がなかったと…、これから調達しに行くのかと思えばその気配もない、まさかアルクトゥルス様は馬橇を動かすのに馬が必要なのを知らないのか?


んなアホな、と皆が首をかしげる中、この中で最もアルクトゥルスに詳しい男がドッと冷や汗をかく


「…ハッ!まさか!」


「お?どうした?ラグナ、何か知ってるのか?」


「知ってるというかなんとなくあの人の考えてることがわかるというか!、や…やばいかも」


要領を得ないラグナの言葉に皆が再び反対側に首をかしげる、だが尋常ではない怯えようと震えようにただならぬ何かは感じる、生憎エリスがいるのは最後方…アルクトゥルス様が何をしようとしているか分からない


だが


「あ!おい!それ!」


「ちょっ!ちょっと待ってくださいアルクトゥルス様!、それは無茶です!」


「え!?え!?嘘ですよね!、今僕が考えてること実際にやろうとしませんよね!?」


「ぎゃー!師範やめて!それは無理だって流石に!」


前の方にいる弟子達が一斉にやめろと叫ぶ、それは無理だと叫ぶ、何をしようとしているのか見えないが絶対ロクでもないことだ、だってあそこにいるのアルクトゥルス様だもん!


「うるせぇっ!舌噛むぞ!、このままこの馬橇引っ張ってアルゲイコンテスまで連れてってやる!それが一番早え!」


え?、今なんて言った?この馬橇を引っ張ってって行くって?誰が?馬が?、でも外にはアルクトゥルス様しか居ないはず…まさか


まさか、魔女アルクトゥルス様が馬橇を引っ張るっていうのか?、まぁあの人の怪力ならそれもできるでしょうね…


けど、逆にこの馬橇が耐えられないんじゃ…ないのか?、うん耐えられないだろ、いや耐えられないって!


「やめてー!アルクトゥルス様ー!もう少し冷静に!」


「この馬橇は人が引っ張る用に作っていない、アルクトゥルス様…もう少し考えを…」


「喧しい!、ッよい…しょっと!」


刹那、エリス達全員の腰の骨が浮く感覚がする、謎の浮遊感と共に脊髄の芯がブレて筆舌に尽くし難い程の不安定感がエリス達の不安を煽る、恐らくアルクトゥルス様が本来馬が立つべき位置に立ち馬橇を引っ張っているんだろう


そのあまりの力と速度に馬橇は雪ではなく空中を滑りエリス達は空を飛ぶ馬橇の中に貼り付けられている状態にあるのだ、この恐怖が分かるか…この言い知れないが分かるか、高速で動く箱の中に詰められ身動きができない状態で振り回される怖さが分かるか


「ぎゃぁぁぁぁぁああああ!!!」


「きゃぁぁぁぁぁぁぁああ!!」


「うぉっ…おっ、ぉっ!…怖い、けど…ちょっと楽しい」


「ぁぁぁああああああ!師範!死ぬ!死ぬ!」


みるみるうちにあんなに巨大だったエノシガリオスが遠ざかっていく、こんなおっかない旅立ちは初めてですよぅ!師匠!、あなたが居たらきっと止めてくれた筈ですよね!ね!、助けて師匠ぅ!


「はははははははは!風が気持ちいいなぁ!、な?お前ら!、気持ちいいって言えよオイ!」


「バカですか師範!」


全身にかかる凄まじい重量に更に押し潰されながらエリス達は向かう、超高速で空白平野を駆け抜けて次なる目的地アルゲイコンテスへ…、これなら二、三ヶ月かかる道のりも数分でたどり着けるだろうなぁ


その、代償には一旦目を向けるをやめるとしてだね…


……………………………………………………………………


「おーい、ついたぞーほら早く起きろよ!いつまで寝てんだよ!」


「寝てるんじゃありません、死んでるんです、みんな」


アルクトゥルス様は目の前で寝転ぶ弟子達に激昂し叫び散らす、けど…けどね?分かります?


寝てるんじゃないんですよ、みんな死んでるんです 或いは死んだように力尽きているんです、その辺の地面に雪に埋もれるように手足を投げ出し弟子達は青い顔をして白目を剥いている…その理由、分からないんですかアルクトゥルス様


「なんだよ、せっかくアルゲイコンテスについたってのによう」


そう、あれからエリス達は数分の移動を終えてこの国の中央から最北端にある港町 アルゲイコンテスに辿り着いたのだ、ただ…それでも未だに行動しない理由が一つある


単純に動けないのだ


「うう…死ぬ…」


そう、それは一分ほど前の事


凄まじい重力と圧迫感に押し潰され、謎の浮遊感が全身を襲う恐怖の時間に耐え馬橇にてアルゲイコンテスを目指していたエリス達だったが突如アルクトゥルス様が


『お、ここか』


と口を開き急ブレーキをかけたのだ、千里を一秒で踏破する神速に乗っていた馬橇がいきなり停止できるわけがないのにアルクトゥルス様はそんな物理法則を無視して一瞬で停止してみせた


そのあり得ない挙動の煽りを受けたのはエリス達と馬橇だ、アルクトゥルス様に引っ張られていた馬橇はアルクトゥルス様が立ち止まっても止まらない、そのまま空中を駆け抜け立ち止まったアルクトゥルス様に激突したのだ


それでアルクトゥルス様が受け止めてくれるならありがたかったが別にそんなこともなく、棒立ちで馬橇の突撃を放置、何故かアルクトゥルス様だけがその場に残り エリス達は砕けた馬橇と共に叫び声をあげ全員が空中にぶっ飛ばされて今ここに至るわけだ


エリス達は七人で旅に出て早速全滅の危機を迎えている


「情けねぇ、魔女の弟子ならあれくらい何とかして見せろよ自力でさ」


「無理ですよ…うう、全身が痛い…」


「死んでなかっただけでも褒めてくれないかなぁ…」


「ラグナ…、お前の師匠無茶苦茶だな」


「ようやく気がついたかアマルト、気を抜くなよ…アジメクまでの旅でこの人が同行するということの意味が、どれだけ危険か身に染みたろ」


「ああ…」


無茶苦茶もいいところだ、危うく死人が出るところだった…魔女の弟子として鍛え上げられて無ければ危なかったな


そう全員(ラグナ以外)が鍛えてくれた己の師匠に感謝しつつ体を起こす、未だに変な浮遊感が体に残っていて気持ち悪いが、立てないほどじゃない


さて、そろそろ動くか…


「さてと、んじゃあチケットとかなんとかの確保はお前らがやれ、オレ様が行くと色々面倒だしそもそもそこまで面倒見てやらなきゃいけないほどガキでもないだろう」


「えぇー!、俺達でですか?…仕方ない、じゃあメグとメルクさん 俺についてきてもらえるかな」


アルクトゥルス様が後は任せたとばかりに動かない姿勢を見せる、そこまで甲斐甲斐しく面倒を見てやる理由はないとばかりにチケット確保はエリス達に任せると


それを受けラグナはどうせここで抗議しても意味はないと即座に悟り、メルクさんとメグさんに声をかける


「別にいいが、何故私とメグなんだ?」


「一応アジメクという魔女大国に入国する為の書類云々があるからな、その辺はメグさんが得意そうだし手伝ってもらいたい、メルクさんは料金をお願いしたいのと最悪の場合金で黙らせる係として…、いいかな?」


「構いません、皆様の経歴などは私が代理で全て書き込めるでしょうしね」


「ん、金ならまだ沢山あるしな、行くとしよう」


と、ラグナはメグさんとメルクさんの二人を連れて港の方へと向かってしまう、え?いやそういうのは全員で行った方が良いのでは?


「じゃあこっちは買い出しに行きますかね、おいネレイド 荷物持ち手伝ってくれるか?」


「構わない」


「あ!、じゃあ僕も色々道具を買いに行きたいです、昨日の戦いで紙もインクも使い切ってしまったので」


「よっし、じゃあこっちはこっちで決まりだな…行くとしますかね」


え?え?、なんでみんなエリスを置いていくんですか!?


「ちょ ちょっと!エリスも行きますよ!アマルトさん!」


「…………」


そうエリスが買い出しに行こうとするアマルトさんとナリアさん ネレイドさんを引き止めると、何やら呆れたような顔でアマルトさんはこちらをジロリと見て


「エリス、俺やラグナが気ぃ効かせてんのが分からないか?」


「え?気を?」


「ここはお前にとって特別な街だろ?、そこに踏み入るのは…きっと俺達と一緒じゃダメだ、この最後の街くらいお前個人で決着をつけさせてやりたい…って考えだろ」


「あ…」


「お前が始めたお前の旅だ、お前が締めてこい」


なるほど、ラグナもアマルトさんもエリスの旅を尊重してくれているんだ…、アジメクに向かい魔女の弟子達と協力してシリウスを倒すという目的とエリスの旅は別、こんな流れるような形で慌ただしく旅の最後を迎えさせたくない…そんな思考が読み取れる視線を向けるアマルトさんに思わずはっとする


そうだよな、ここはエリスにとって最後の街なんだ、なら…ここでくらいエリスは一人になるべきなのかもしれない


「行ってこいよエリス、だがくれぐれも船には遅れるなよ」


「アルクトゥルス様も…、分かりました、ありがとうございます」


「ん、じゃあオレ様は一足先に港に向かってる、後から来い」


立ち去るアマルトさん達、ひとっ飛びで消えるアルクトゥルス様、そして馬橇の残骸が転がるエリスは一人 アルゲイコンテスの前に取り残される


…こうして一人になると、ふつふつと旅の感覚が戻ってくる


「行こうかな…」


そうしてエリスは一人でアルゲイコンテスへと、この旅の終着点へと向かうのであった


………………………………………………


神旅街アルゲイコンテス、極寒国家オライオンに於ける数少ない不凍港の一つでありアジメクからの輸入品が数多く舞い込むお陰で医療品やポーションなどが数多く仕入れられている別名『神の薬箱』の異名を持つ街だ


この街はオライオンの中でも比較的暖かい部類とされておりどこに行っても途切れることなく大地を包んでいた雪は他のところに比べれば浅く、エリスの感覚的な話にはなるが外気はエトワールと同じくらいと言える


やや露出した黒い石畳は少し濡れており、気をつけないと滑ってしまいそうになる、そんな通りをエリスは一人で歩く、一人で足を踏み入れる


ここはアルゲイコンテス、エリスにとって特別な街


「ここが、アルゲイコンテスですか」


街を歩けば見えてくる景色は他の街と変わらない、あちこちに信徒が居て みんなが神への感謝を口にしていて、首から十字架ぶら下げで歩いている


他と違うところがあるとするなら


「向こうに行っても元気でね…ロレイシア」


「はい、みんなも元気で…」


荷物をまとめたシスターが老婆や老父に見送られる場面がさっきからちらほら見えるのだ、見送られている人間たちの肩を見ればその光景の正体が分かる


その方には黄金の十字架の刺繍、あれは宣教師団の紋章…トリトンさんの部下にあたる人達だ、彼らの役目は他国に渡りテシュタル教を広めることにある、ともすれば二度と帰ってこれないかもしれない長い旅


この港町はそんな別れが蔓延る街でもあるのだ


「ふぅ、…潮風が冷たいですね」


そんな別れの街にエリスは風に踊る髪の毛を抑えて空を見る、街中でも香る塩の匂いに少しだけワクワクしながらも胸を締める寂しさに、涙を流さないように上を見る


この街に到達した時点でエリスの旅は終わりだ、ここから先は帰路だ 旅路じゃない、旅は終わったんだ…長い長い旅が、あまりに長い…長過ぎる旅が


「ここから先には何があるんでしょうか」


旅が終わったらエリスは何をするんだろう


メルクさんが言ったみたいに住居を構えて仕事をするのかな?、まぁそれも出来る…こう言ってはなんだがエリスはもうアジメクにいた頃のひ弱な子供じゃない、やろうと思えば大概のことは出来るだろうし、出来なくとも選択することはできる


それともいつか目指したみたいにまた旅に出るのかな、それもいいかもしれない、まだ見ぬ土地は山とある…けど


(なるほど、シリウスが恐れたのはこの感覚ですか)


ただそれでも漠然とのしかかるのは旅を終えた達成感ではなく空虚感、ここから前に進んでも未知は無い、後ろに戻っても未知は無い、まだ見ぬ土地にワクワクすることはもう無い


エリスが一番楽しいと感じてきたそれはもうこのディオスクロア文明圏には無い、まだ見ぬ土地を目指して旅に出てもまたすぐこの感覚を味わうことになる、そしてシリウスの言ったように地上に残った未知を鼠のように貪り旅をすることになるだろう


それはなんとなく嫌だ、エリスは未知を探求するために旅をしているわけじゃ無い、ならなんの為に旅をしているんだろうか


「…………」


隣を見てもそれを教えてくれる師匠はいない、本当ならここに到達したその時 エリスに労いの言葉をかけてくれるはずだった師匠はいない、エリスは師匠と旅に出て一人で旅を終えてしまった


この胸の中の寂しさの何割かはきっとそこにあるのかもな


「はぁ、…なんだか寂しいですね」


終わってしまった旅と始まる旅の無い時間にちょっとセンチになってしまいつつエリスは街中を一人で歩く、移り変わり行く街並みは徐々に姿を変え街から港へと変化していく


オライオン最大の港の姿は、存外特別なものでも無く何処にでもある普通の港だった


船乗りが木箱を下ろして何処かに移動させて、乗客が船の近くで時間を潰し、強く吹く潮風が服を揺らし、その奥には広大な海が…そしてその上に浮かぶ超巨大な帆船がある


ジェミー号だ、エリスがかつて乗り込んだジェミニ号の兄弟船だけあり見た目はそっくり…、何百人下手すりゃ何千人と乗せられるだけの巨躯を持つ世界一の巨大帆船に歩み寄る、海に揺られギシギシと重厚な音を立てるその船に


「……ゴール、ですかね」


港の縁に立ち船を前にした、もうここから先はない、エリスはこれで成し遂げたのだ…史上数人と居ないディオスクロア文明圏の踏破、全魔女大国の踏破を、それ実現出来た人間は有史以来片手で数えるくらいしか記録されていない


そもそも挑もうとさえ思わない果てしない文明一周の旅、確実に大偉業とも言えるそれの達成は…思いの外静かで呆気なかった


「終わりかぁ、はぁ 疲れた…」


終わった、今ここに旅は終わった、エリスの人生に常について回った修行の旅は今終わった、長かった長かった長かった…けど楽しかった、やってよかった旅をしてよかった


だって


「ここまでいろんな人達に出会えましたから…」


アルクカースではラグナと出会った、テオドーラさんとサイラスさんと協力して仲間を集め、ラクレスさんやホリンさんと戦い ベオセルクさんと決着をつけて戦い抜いた


ここでの経験は今も生きている、いきなり最初がアルクカース人との戦いだったとは…昔はなんとも思わなかったが今ならそれがどんな無茶か大いに分かる、よくもあんな簡単に継承戦に飛び込めたなエリスは…、けど きっと今でもエリスはラグナのためならどんな無茶な戦いにでも飛び込めますよ


デルセクトではメルクリウスさんと出会った、ニコラスさんとザカライアさんが力を貸してくれて数多くの敵と戦った、メルカバ ヒルデブランド ソニア…そしてヘット


ここからエリスの長いアルカナとの戦いが始まったんだ、ヘットは強敵だ…だがあれを乗り越えられたのは大きかった、きっとあの時勝てたからエリスは今でも勝ち続けられる、そして勝てたのはきっとエリス一人の力じゃない、メルクさんが側に居てくれたからだ


コルスコルピではアマルトさんと出会った、ラグナとメルクさんとデティと協力してノーブルズと戦いアマルトさんを引き出し、オマケにアルカナ幹部も大勢倒しましたね


悪魔のアイン…あいつは今でも嫌いです、だからアイツをみんなで倒した時はスカッとしましたよ、最後にはアマルトさんも手を貸してくれましたしね


エトワールではナリアさんと出会った、非力ながらに夢を求めるその精神力は凄まじかった、彼の努力は多くの味方を作り 最後には無理難題と思えた夢そのものも叶えてみせた、今では立派な女優ですよ


そして、エリスはエトワールで漸く母との因縁にも決着をつけられた、憎悪から始まり憤怒に変わり いつしか苦手意識へと変貌していった母への感情に今は一変の曇りもない、彼女には彼女の事情と感情があったと割り切れるくらいには大人になれた


アガスティヤではメグさんと出会った、まぁ色々あったけど最後は手と手を取りあえたし多くの師団長とも知り合いになれた、アガスティヤでの経験はエリスの人生においてとても得難いものになったと断言できる


ああ、シンとも出会いましたね、彼女は怨敵ではありますが同時に先達でもあります、師匠とはまた違う位置でエリスに様々なものを与えてくれた彼女に…エリスは恨み切れない感情を抱いていると言える


そして、ここオライオンでエリスは旅を終えた、五歳で旅立ち今は十九歳、凡そ十四年かけ様々な人と出会いエリスはここにいる


当初の目的だった強くなるということに関しては言うまでもない、かつて一人では太刀打ちできなかったレオナヒルドを記憶の中の幻影とは言え軽く捻るくらいの実力は得た、あの時から考えれば信じられない事だよ


旅立った時は何者でもなかったエリスは各地で名を馳せた、エリスの偽物が現れたりすることもあったし名を言っただけで警戒されることもあった、エリスは孤独の魔女の弟子エリスになった


さぁ、次はどうなる…何処へ行く、旅を終えても道半ば、未だ修行に果てはなく一人前になれたかと言えばまるで違う


まだ強くなりたい、そして好きなことをしていたい、けど…行き先が分からない


エリスはどうすれば…


「何黄昏てんだ?エリス」


「え?、ああ ラグナ…」


ふと、後ろを振り向くとラグナが何やら紙の束片手に立っていた、ということはもう…


「ほらよ、乗船許可書」


「ありがとうございます、早いですね」


「ああ、いやな?実はメルクさんが入国審査官と顔見知りでさ、なんでもポルデュークとデルセクトの貿易を行う時丸め込んでたオライオンの役人が審査官になってたらしいんだよ、で…その縁で色々融通してくれた、書類とか面倒なのはいいってさ」


「いいんですか?それ…違法では」


「公的機関が決めてんだから合法だろ?、今メルクさんとメグさんは買い出し組に合流しに行ってるよ、予想以上に早く終わったしな」


「で、ラグナはエリスを見つけたからこちらに?」


「そうそう、一人で街は出歩けたか?旅の終わりは味わえたか?」


なんだ、ラグナもやっぱりそれを意識してくれてたんだ、優しくエリスの隣に立つラグナはチラッとはにかみながらエリスの旅の終わりを祝ってくれる


「お陰様で、ありがとうございます」


「いいって事さ、でも…その割にはあんまり嬉しそうじゃないな、ここを目指して旅してたんだろ?」


「そういうわけじゃありません、何処かを目指して旅をしていたわけじゃなく…単に一周しようと思った時 ここが最後の地点だっただけです」


「そっか、元々は修行の旅だもんな」


「はい、だから…これが終わったらどうなるのかが見えなくて」


「未来が不安ってか?、…なるほどねぇ」


分かってるんだか分かってないんだか、ラグナはのほほんと前に広がる海と船を見つめる、エリスもまたその横顔を見つめる


まさか、旅の終わりのこの景色を見るのが、ラグナとだなんて思いもしなかったな…


「見えないなら見に行けばいい、エリスは今までそうやって生きてきましたしそうやって旅をしてきました、けど…こればっかりはどうしたらいいか分からなくて」


「だな、自分探しなんて言いはするけど、手前の背中なんてどんだけ進んでも追いつけやしないんだ、追い求めても仕方ない…なら、立ち止まるのもいいんじゃないか?」


「立ち止まる?」


「ああ、メルクさんも言ってたけどさ…何処かに腰を落ち着けるのもいいと思う、アジメクでもデルセクトでも、それこそアルクカースでもな」


ううーん、今まではよく考えてこなかったけど…或いはそれもいいのかな、何処かの国に腰を落ち着け、そこでエリスの友達を助けるって生き方もありだ


アジメクに居着いたらエリスはどうなるだろう、きっとデティがエリスを雇ってくれるから魔術協会本部所属の魔術師として魔術の研究でもして生きるんだろうか、それともデティが何時ぞや目指していた生活に根差した民間魔術の開発とかに着手するのかな


思えば当初はそれを目的にしていた気がする、デティの手伝いが出来るくらいすごい魔術師にと…


アルクカースに居着いたらきっとラグナと一緒に居ることになるだろう、国民はラグナとエリスのコンビを受け入れてくれてるみたいだし、案外上手くやっていけるかもしれないな


何より、ラグナと一緒に暮らせるのは…とても嬉しい、ほんのり頬が赤くなる程度には嬉しいよ


デルセクトに居着いたらエリスはメルクさんの部下になるだろう、今や世界トップクラスの大富豪として世界各地と取引をする彼女にくっついて世界中を飛び回るのも楽しそうだ、ある種それも旅と言えるのかもしれないな


コルスコルピに行ったらエリスは多分学園の先生になるだろう、アマルトさんが理事長でエリスが教師、エリスが何を教えられるかは分からないけど少しいいと思ってる、師匠がエリスを育ててくれたみたいにエリスも誰かを育ててみたいと思ってるんだ


エトワールに行ってナリアさんと一緒にまたクリストキントで劇をやるのも楽しそうだ、またノクチュルヌの響光の再演をやったら盛り上がるだろうか、そうやって原作者であるリーシャさんの名前を広めて生きるというのも悪くない


アガスティヤを訪れればエリスは何時ぞや断った帝国軍士官の話を受けることになるだろう、もしあの時の誘い文句が嘘でなければエリスは第三十三師団の師団長様だ、そうやって帝国の一級の設備を使って己を磨き上げて生きていけば今よりずっと強くなれるだろう


またこのオライオンを訪れて、今度はしっかり各地を見て回るのもいいかもな、その時はネレイドさんと一緒にかつて敵だった人たちと共に巡るんだ、それも楽しそうだなぁ


…悪くない、悪くないな、エリスはこの旅で己の可能性を大いに広められた、きっとエリスはこれから何にでもなれる


何にでもなれるんだ、望めばエリスは何にでも…、なら何になりたい


エリスは何に…


「………………」


やっぱり、こういう風に目標を考えると…思い浮かぶ目標は一つしかない、見ている背中はずっと同じだ


うん


「ありがとうございます、ラグナ…でもエリスはやっぱり立ち止まりたくありません」


「って事は、旅を続けるのか?」


「それは分かりません、けど…なんとなく、何をしようかなってのは思い浮かびました」


「そっか、………なら良かったよ」


何やら気になる間があったが、でも彼なら応援してくれると思いましたよ


「ふふ、ありがとうございますラグナ、ラグナは本当に優しくて頼りになりますね」


「な なんだよ急に」


「いえ、…でも昔の事を思い出してるとどうしても思い浮かぶんですよね、昔のラグナの事が」


「昔の俺?、あー九歳だか十歳ぐらいの時の俺だろ?、あん時の俺はまだ全然弱くて、なのに口ばっかデカくて、お前に出会わなきゃどうなってたか不安なくらいだよ」


「別にそんな風に思った事はありませんが、でもエリス…ラグナの人生に影響与えてるんですか?」


「ナメんなよお前の影響力を、間違いなく俺の人生を変えた女だよお前は?」


そ そんなに?、でも…ちょっと嬉しいぞ?なんかすごく嬉しい、エゴかも知れないけどラグナの中にエリスが残ってると思うと背徳的なゾクゾクを感じます


「俺だけじゃない、メルクもアマルトもナリアもメグもネレイドもデティもそうだ…みんなお前と出会ったから変わったし変われた、そこを感謝してるからみんなここにいるのさ」


「そうですか…?、なら嬉しいです、旅をしてきた甲斐がありましたね」


「ああ、そうだとも…」


「…………」


そこから会話はなくなる、これ以上何かを話す事はない、ただただ二人で揺れる海を見つめ続ける、旅が終わっても続く人生に思いを馳せながら、その先で二人がどんな生き方をするのかを夢想しながら…


すると


「寂しいか?エリス」


「え?なんですか急に」


「寂しいかって聞いてるんだ」


寂しいかどうかと聞かれれば寂しいっちゃあ寂しいな、本当はここにいて欲しかった人がいないわけですしね


だからエリスは首を縦に振る


「はい、寂しいですけど…」


「なら…ん」


「へ…?」


ふと、腕が肩に抱き寄せられた、なんの前触れもなくいきなり突如として…


え?なんで!?


「ちょっ!?ラグナ!?」


「寂しい時はハグするんだろ…?」


「それはネレイドさんが…あ、もしかして…」


「…………」


「ラグナもやりたかったんですか?ハグ…」


「言うなって」


あの時馬橇の中でしてた会話…、ラグナも聞いてたんだ、それでラグナもやりたかったと…


なんでやりたかったのかは分かりませんけど、でもいいです、今は彼の温もりを感じていたいくらいには…エリスは寂しいので


「…………」


「エリス、立ち止まらないのはいい 迷わないのはいい 進み続けるのもいい、だけど偶には一休みもして欲しい…あんまり遠くには行かないでくれ、お前を縛りたくはないけれど…でも」


「分かってますよ、エリスはみんなから離れません…離れたくないから、進むんですから」


「……そっか、ならいいや」


そう…エリスは別に何処にも行きやしない、ただみんなと一緒に居たいから進むんだ、国王として国のトップとして各地で己を磨くみんなに比べてエリスにはそういう役目はないから、だからこそ置いていかれないためにもエリスはエリスとして己を磨く必要がある


ただそれだけのこと…


「ま、俺から言いたいのはそのくらいさ、君が旅を終えてその先どうするかは君次第だけど また変わらずいられたらいいなって、それくらいだから」


「エリスもですよ、エリスがこの旅で得た最高の宝物…手放すわけがありませんから」


ラグナ達はこの旅で得たものの中で一番と宝物だから、決して手放さないよ…ありがとうラグナ



若干の寂しさを感じていたエリスの旅の終幕は、ラグナによってなんだか温かなものに変わった気がする、前を向けた気がする


そうだよ、いくら迷っていても前を見て前に足を進める限りそれは前進だ、前進している限り何かには行き着くはずなんだ、エリスが得た友達がそれを教えてくれている


なら、そうやって生きようじゃないか



「おーおー、お二人さん お熱いねぇ」


「ああ?…、ってアマルトかよ、茶化すなって、今いい感じでエリスの旅の終わりを彩ってるんだから」


ふと、チンピラにでも声をかけられたかと思えば…アマルトさんだ、振り向けばアマルトさんやナリアさん、ネレイドさんにメルクさんとメグさん、みんなが居た


その手にはたくさんの紙袋が抱えられており、もう買い物が終わったことが予測出来る…が、顔!その顔!なんですかみんなでニヤニヤと!


「えぇ〜ずっけぇーなぁー、エリスの旅はエリス一人に感じさせるって言う配慮じゃなかったのかよ、それとも二人っきりになる口実だったのかぁ〜?」


「ちゃんとエリスの旅が終わるまで声をかけるの待ったよ!、偶然見かけたから声をかけただけだって…」


「それでエリス様の旅の終着点の景色を二人で楽しんでいたと、ズルイでございますずるいでございまーす!私もエリス様と旅の最後の思い出作りとうございまーす」


「いいなそれは、私も同伴出来るかな?」


「それ私も混ざっていいやつ?…」


「じゃあ僕もー!」


「俺もー!」


「くっついてくるなァーッ!落ちる落ちる!海に!」


私も僕も俺もと次々とエリスとラグナに抱きついてくるみんなから守るようにエリスを抱きしめるラグナは叫ぶ、いや海辺に立ってるんだから気を遣え!とだがそんなこと御構い無しにみんなエリスにくっつこうと折り重なるようにハグをしてくれる


暖かい、なんて暖かいんだ…、こんなにも暖かい物を手に入れることができたのか…エリスは



あの暗い屋敷で独りだったエリスは…もう、独りじゃないんだ


「あーもう、ムードも何もないなぁ…」


「ぎゅ〜…」


「エリスさんの旅の最後に立ち会えて僕凄く嬉しいです!」


「私もだ、君の長い旅が今日ここで終わったと思えばなんと感慨深い…」


「ディオスクロア文明圏完全踏破は地味に大偉業でございますよ、多分歴史の教科書に名前が乗るかと思われます、だって歴代七人しか居ないのですから、最後に踏破したのはええと…確か三十年前の…名前はなんと言いましたか、い いの…猪みたいな名前の…」


「じゃあディオスクロア大学園の教科書に載せるか!俺が理事長になったらお前のこと授業で生徒に教えてやるよ!」


「もうみんな!、やめてくださいよー!」


口ではそういうけど、やめて欲しくない、いや教科書に載せるのはやめてほしいけど、でもやめて欲しくない…ずっとこうしていたい、そう感じるほどに暖かな時間を記憶に焼き付ける


師匠と一緒じゃなくて少し寂しかったけど、この旅の終わりが師匠と一緒じゃないのは残念だけど


それでも、いいんだ…この瞬間を大好きな人たちと過ごせたという記憶は…


「ともあれ!今までの旅!お疲れ様!、そしておめでとう!エリス!」


「おめでとー!」


「おめでとう、凄い子だよ君は」


「おめでとうございますエリスさん!」


「目出度とうございます、今夜はパーティでございますね」


「よく分からないけどおめでとう、私もみんなが嬉しいと嬉しい」


「み みんなぁ…」


旅の象徴として…残り続けるから……



「よし!じゃあ今度はみんなで水平線に向けて叫ぼうぜ!」


「もう訳が分かりませんよアマルトさん」


「他人の夢が叶ってアマルトも嬉しいんだろう…」



「おいテメェら、何やってんだ」


「え?…あ」


そして最後に響くのは、呆れた声 大人びた声 アルクトゥルス様の声…、みんなの頭が一気に冷静になりパチクリとアルクトゥルス様の方を見る


「準備が終わったならとっとと船に乗り込めよっ!乗船時間だぞ!」


「え?うそ!もうですか!?」


「もうって…ずっとはしゃいでたろ…、いいから行けよエリス、帰るまでが旅だ、気を抜くんじゃねぇよ!」


「は はい!」


アルクトゥルス様に急かされ慌ててみんなで揃って桟橋を駆け抜け船からかけられた長い板を駆け上がる


揃う七つの足音、十四の爪先は皆前を目指し、向ける瞳は一つの未来を見つめている


未来を描く魔女の弟子達、その旅路はここで終わる、だが


「よっし!じゃあ行くぞ!アジメクに!、やってやろうぜ!みんなー!」


「おーっ!」


拳を天に掲げて勝利を誓う、彼らの友情は未だ終わらず…




「全く、馬鹿どもが…呆れるくらい子供だな」


橋を渡って船に乗り込む弟子達を呆れるような視線で見つめるアルクトゥルスは肩を竦める、なるべくオレ様が関与しないよう気を遣ってるのにほっといたら遊び始めやがる、仲がいいにも程があるだろ、ったくよ…


「…………でも」


はしゃぐように笑って駆け抜ける弟子達の後ろ姿に重ねるのは、未だ若き日の己達、魔女と呼ばれ世界の英雄となる前の自分達


まだ誰でもなかった頃のオレ様達を今の弟子達に見る、…あの頃と同じくアイツらもまた友との友情を育んでいる、きっとアイツらもいつかオレ様達のようになるだろう


…まぁまだ未熟極まりないが、いいだろう


今はまだオレ様達が守ってやれるんだ、オレ様達が守るんだ


あの、未来へ伸びる萌芽達を…!


そう決意しながらアルクトゥルスもまた歩み出す、弟子達の背中を支えるように、そして…囚われた己の朋友を助ける為に


向かうはアジメク、最終決戦の時は近い


…………………………………………………………………………


「ここがアジメクか、やはりポルデュークと違ってあったかくて良いのう…」


んふーと軽く伸びをする、木漏れ日に照らされる森の中とはなんとも心地が良いもの、生まれた場所がそうだったからか、やはりこういう緑に覆われた空間とは好ましいものである


そう笑うのは黒き髪を揺らし切株に腰を下ろす魔女 シリウスだ、エリス達に挑戦状を叩きつけた後 決着の舞台として選んだこのアジメクに到達したシリウスは、名も無き森の中で陽に当たり優雅に暇を持て余していた


ワシはこれより一ヶ月後にこのアジメクの中央都市 皇都を攻める、その時エリス達がワシの前に立ち塞がればそこでケリをつける、エリス達を殺し肉体を手に入れワシは今度こそ完全なる復活を遂げる…


ここアジメクはワシと魔女の弟子達との決戦の舞台となるのだ、お誂えじゃろう…ここはレグルスが八千年と過ごした地、なればここで復活を果たすのもまた良いかもしれない


少なくともザウラクのババアの墓標で生き返るよりうん倍マシじゃわい


「…師よ」


「ん?、おお…来たか スピカ」


「ええ、貴方の求めに応じて…馳せ参じました」


ふと、木の陰からヌルリと現れる影にくつくつと喜びの笑みが零れる、スピカじゃ…ワシの弟子の一人じゃったスピカが現れたのだ、その瞳に光は無く八千年かけて浸透させた洗脳がよく効いておるようだ、良き哉良き哉


「リゲルと合わせて二人、ワシの手元に魔女が入った…これで向こうの魔女を抑えるだけの戦力は手に入ったのう」


相変わらずワシの隣で立ち尽くすリゲルと我が前に跪くスピカの二人は完全にワシの掌握下にある、序でにウルキも動かすつもりだ


向こうはプロキオンが離脱しアンタレスは前線には出てこないだろうから…、うむ 魔女級の戦力を全て抑えるだけの戦力は手に入ったと言える


ここに長い年月をかけてワシがウルキに作らせた種子も加えれば魔女達が死ぬ気で足掻こうとも白亜の城を落とせるだけの数は揃う、後不確定因子と言えるのは魔女の弟子達だけじゃがそれもワシが殺すし


「うん、いけるのう!チェックメイトじゃ!、勝ったのうこれは!」


「はい、おめでとうございます、我が師よ」


「喜ばしいことです、師よ」


ぬはは 弟子達も祝福してくれている、まぁ当然じゃわい!何せ魔女級の戦力を抑えアジメク軍を殲滅出来るだけの下準備が整っている、これで勝確!ワシの復活は確定事項で世界は間違いなくか滅ぶのじゃから!今から祝勝会を開いてもええくらいじゃわい!


……と、、三下ならば思うんじゃろうが


「なんてのう、物事に確定した未来というものは無い、どれだけ入念に下準備をしようともそれは所詮準備でしかない、想定外のアクシデントは必ず起こる…必ずな」


八千年前に学んだ事じゃ、後一歩まで迫れど掴めないのが未来というものだ、故に油断はしない 八千年前と同じ失敗は絶対に繰り返さない、勝ちを得るまで今度は気を抜かん


「ワシを前と同じと思うで無いぞカノープス…」


この八千年の屈辱…恥辱、ワシは決して忘れんぞ…、決してお主らには分かるまい…この胸の内に渦巻く憎悪と憤怒がな、今まで必死に蓋をして隠していたそれが 決戦を前にまろび出そうじゃわい


「ククク…」


「それで、師よ」


「あん?なんじゃスピカ」


「いつ白亜の城を攻めるのですか?」


攻めるって、お前自分の城じゃろう、まぁそれを気にならないように洗脳し尽くしたのはワシじゃがな


「まぁ待て、まだエリス達がこの国に来ておらん、なのに先制攻撃を仕掛けても意味がないじゃろう」


「待つ必要があるのですか?」


「あるわボケ、よく考えぇ…世界中に散っている魔女と魔女の弟子が決戦に際して一堂に会するのじゃぞ?、それをお前集まる前に終わらせたら面倒なことになるじゃろうが」


若者とは面倒なものでどんなに絶望的な状況になっても諦めないものだ、ワシが仮に完全復活を果たしてもあの弟子達が健在では不安因子を残す結果になる、それを放置してまた真理到達を強行すれば…きっと失敗する気がする


だから出来るなら必要な物が揃うまではそういう強硬策は控えたい、ならば今回の決戦は非常に都合がいい…何せそういう不安な因子が向こうから集まってくれるんじゃからな


奴らはなんとしてもここで一掃しておきたい、あの新たな時代を作り出す萌芽達はワシにとって明確に脅威になり得る


「またあの樹を打ち立てても弟子達が健在なら切り倒される可能性がある、以前お前達がしたようにな」


「確かにそうですね、なら…一ヶ月ここで待つと?」


「ああ、じゃが…何もせんわけではない」


「というと、攻めるのですか?」


「だから攻めないって!お前そんなに血の気多かったかのう!?…、ワシもお主ら魔女の真似事をしようかと思うてのう」


「真似…?」


そう、真似だ…ワシは魔女達が弟子を取るのを見て最初は笑っておった


またウルキの二の舞を生み出すつもりかと、だが…成長した奴らをコルスコルピで見て気が変わった、あれらが育てておるのはウルキのような弟子ではない、ウルキの時のように己達に取って代わる戦力を育てているわけではないのだ


奴らが作ろうとしているのは新たなる時代そのもの、八千年続いた魔女時代を終わらせ 新たに世界を切り拓くつもりなのだ、その為の人材が揃いつつある


それはまずい、非常にまずい…世の中が平穏無事であってはワシも困る、故にその新たなる時代に一石を投じておきたいのだ


「魔女の弟子達が切り拓く新たなる世、それはこの戦いがワシの勝ちで終わるかはたまた残念ながら負けに終わるか…そのどちらに関わる事なく訪れる、時代が変わるのは最早確定事項じゃ」


「…………」


「勿論ワシが勝てばそこで終わりじゃしこれ以上何かを続けさせるつもりはないが、それでもワシは出来ることは全てやるタイプ故のう、打たせてもらう…その新たな世に布石をな!」


平和な時代など訪れさせん、安息の時など与えはせん!、ワシが勝とうが負けようがこれは関係ない!これから先に続く時代にワシは暗雲をもたらそう!混沌と混迷が渦巻く世界にこそ!破滅の種は伸びるのじゃからなぁ?


「ならば、何をすると…」


「ウルキが言っておった、この世には魔女排斥組織があるとな、知っておるか?スピカ リゲル」


「ええ、把握しています、ですが歯牙にもかけぬ存在です、矮小で短絡的で蒙昧…我ら魔女にとっては微風にも及びない物です」


「彼らを殲滅するのに労力は要りません、世の変革を成すだけの力がないから放置しているだけです」


「なるほどのう、まぁ邪魔にもならんから放置するのは分かるがそれはいかんぞ?リゲル スピカ、敵対者とは如何に弱くとも敵対者、どんなに小さな小石でも時として躓く障害になるのが世の常じゃ、故に敵対者は確実に殲滅せよ、よいな?」


「はい、師よ」


おっと、昔の癖でつい説教くさいことを言ってしまったわ…


「まぁともあれ、其奴らのやり方がなってないのは確かじゃ、ただただ己の憎悪を晴らすためだけに戦うなど鬱憤晴らし以外の何物でもないからのう、故にじゃ…ワシは其奴らに手本を見せようと思うわけじゃ」


「手本…?」


「ああ、……真に世界を覆すとはどうやるのかをな」


今の世のバカモノ共に見せてやる、世界を覆し己の望む世界を作り上げるとはどうやるのか、混沌の真骨頂とは暴力ではないことをな


故に


「リゲル、ワシの幻像を空に映し出せ、世界中に見えるほど巨大にな」


「かしこまりました、移ろう虚ろを写し映せ『一色幻光』」


リゲルの魔術が輝く、本来は目に見えないはずのそれを感じさせ まどわせ見せる幻惑魔術が天に輝き



見せる、世界に…悪夢の序章を



……………………………………………………


「ぅげげ…くそ、あの暴力女め…よくもまぁ私の可愛い顔をボコボコにしてくれちゃって…」


雪を這う、オライオンの空白平野に残る雪を引き裂くように足を引きずり必死に歩く、全身に打撲痕と切り傷、口からは止め処なく血が溢れ顔はもう蜂に刺されたみたいにボコボコに腫れ上がっている、その傷を摩り女は…ウルキは痛々しく嘆く


それもこれもアルクトゥルスのせいだとウルキは嘆く、プロキオンが急に離脱しアルクトゥルスと二人っきりになった私はあれからアルクトゥルスを排除しようとタイマンで戦いましたが


負けましたよ、こっちは消耗してるし本気も出せない状況下にありましたし、何よりアルクトゥルスの手の届く範囲で戦いが始まって勝てるわけがない、あいつと近接戦で勝てる奴なんてアミーくらいしかいないんだから


「ったく、あれから隙みてネブタ大山に向かったらもう細工されてて腕の回収は出来ないですし、踏んだり蹴ったりですよもう…」


完全敗北もいいところだよ、腹がたつことにねぇ…、せっかく堂々と戦える時が来たのにこのザマとは、いくら本気を出せなかったとはいえこれじゃああんまりだ


まぁいいです、逃げられたのでこっちの儲けですよ…私は諦めませんからね


「ふふふ、私を逃したこと後悔させてやります…」


そう捨て台詞を吐きながら私が目指すのは隠れ家だ、私が八千年間愛用した隠れ家…


その名も移動式家屋、魔力で音もなく姿もなく空を飛び回り自由に世界各地に移動できる、おまけに移動中はコーヒーを飲んでお菓子も食べられる優れモノ、これで不要な時は雲の上まで飛んで魔女の目を偲んで生きてきたのだ


それを今回は空白平野のど真ん中に止めてある、そこに移動しとっととこの国を離れてしまおう…


それで小屋に入って取り敢えずシリウス様がいるところに向かって、その間に棚に隠したクッキー食べてコーヒー飲んでお気にの小説をベッドで寝転がりながら読んで嫌なこと忘れちゃおうっと


「さてさてこの辺に隠して…って、ああ…あああ!!!?」


見つけた、空白平野のど真ん中にある木組みの小屋、愛するマイホームを…しかし


「なんですかこれぇっ!壁に大穴空いてるじゃないですか!おまけに窓も割られて…ええ!?空き巣!?、こんな平野のど真ん中で空き巣ですか!?やだぁこわい!、ちょっとですか私の家壊したのぉっ!」


見つけた木組みの小屋は酷い有様だった、壁には大穴が空いてるし窓は割られて中に雪入ってるし…もう最悪ですよぉ!直さなきゃいけないじゃないですか!


うわーん!、踏んだり蹴ったりの上に殴られた気分ですよー!最悪ー!


「誰ですかこれやったの…見つけ次第絶対殺してやりますからね、ったく…」


舌を打ちをしながら小屋に入り、侵入した雪を掻き出す作業に取り掛かったその時のことだった


「ん?、空が暗くなってる…」


さっきまで雲一つない天気だったくせに、いきなり空に暗雲がかかり始めたのだ、おいおいこんな時に雪まで降るとか…いや違う


これ、ただの暗雲じゃない…魔術で生み出された雲だ、そう勘付くと同時にそれは巻き起こった


『うはははははははーーーーーー!!!!』


「ぇげぇっ!?シリウス様ァーッ!?」


突如暗雲の中に超巨大なシリウス様が現れたのだ、それこそ世界中どこからでも見えるような程の巨大さを持ったシリウス様が大地から生えて笑い声をあげながら屹立した


それもあの姿はかつての…、白い髪と赤い髪を持つ本来の姿のシリウス様だ、もしや私の知らないところで復活なされた?見ない間に大きくなっちゃってまぁ、前会った時はこのくらいだったのに


「なんて、…あれリゲルの幻影を活かした幻像ですか、目立ちまくりじゃないですか…秘匿性はどうしたんですか」


恐らくリゲルの幻像を使ってこうして世界に姿をさらしているのだろう、その心はわからないが今シリウス様はその秘匿性を捨て衆人に姿をさらしている


一体何をするつもりなのやら…、全くあの人はどこまでもワクワクさせてくれる


『よう聞け!俗世の者どもよ!、我が名はシリウス!魔女に仇なす者である、八千年前魔女達に反旗を翻しこの世界の変革を成そうとした者の一人…シリウスである!』


自らを原初の魔女と名乗らず 魔女に仇なす者と名乗るシリウス様は世界中の人間に向けて声を発する、誰に向けてではない…何もかもに向けてだ


『ワシは今仮初めの肉体を得て復活し今再び魔女に反旗を翻す戦いを挑む、それが何故か分かるか?おおん?…、全ては貴様らが不甲斐ないからじゃ!』


演出か それともシリウス様の怒りが反映されているのか、背後に雷鳴が走り轟音の如くシリウス様の怒声が世界中に響き渡る、不甲斐ないと形なき集合意識を罵る


『貴様らはいつまで魔女の足元に平伏して生きるつもりじゃ、気に食わない気に食わないと内心で思いながら吐き出す唾を飲み込む人生をいつまで続けるつもりじゃ、圧倒的な武力と国力に屈して己の人生を魔女に搾取される生活をいつまで続ける…、その先に救済はないと知っているのはお前達自身じゃろう』


その声は響く、どこまでも響く、魔女を否定し世界を否定する言葉は続く


『魔女は神ではない、等しい救いは与えないし世を正しい形になど作り変えない…、ただただ己の賛同者と賞賛の声のみを守る、それ以外の存在を排斥することによってな、こんな勝手が罷り通るのは偏に今の世界が奴らにとって都合がいいからじゃ…』


そこでようやく気がつく、これは世界に向けて放たれているが語りかけているのは『魔女に反感を持つ者達全て』であることに


世界には魔女をよく思わない人間は数多くいる、魔女排斥組織になり得ない物の確かに魔女に不信感を持つ者は世界中にいる、その総数はきっと 全ての魔女大国の総人口と凡そ同数…


『都合が良かろう、賛同する者は魔女の祝福を浴び喝采をあげるが、それ以外の者は魔女に屈し下を向いて口を閉ざしているのだから、…賞賛する者だけが口を開き反対する者は口を閉ざされる、それが今の世の在り方だ…これは果たして正しいか?、聞くまでもなかろうよ』


…そしてこれは見たことがある、一度だけ見たことがある、きっとシリウス様が持つどんな魔術よりも強力なそれは、たった一度で世界を変えたことがある


『さて前置きはここまでじゃ、本題を話そう…魔女に排斥されし者よ 怯える必要はない、先も言ったが魔女は神ではない 人である、過ちもするし誤りもあるただの八人の人間だ、それに怯える必要があるか?…否である、再度言おうか?否である!!!』


雷鳴よりも大地を震わせる怒号が世界を覆う、シリウスの意思が世界へと伝播する


『望むものがあるのなら戦え!怯え竦む者に訪れるのは終焉のみである!、この世に生まれ人として生を授かりし者に等しく与えられる自由を謳歌するためにはこの世界に打破せねばならぬ障害があるのは全員分かっているであろう!、ならば譲るな!道を譲るな!歩け!大道を!上げよ!顔を!、開け!口を!、その喉に隠し持った魔女への怨嗟を叫ぶは今である!』


それはシリウスが持つ最たる力、圧倒的なカリスマ…絶対者たる彼女は得てして信仰される、彼女が口を開き人々を導けば意思なき者は彼女の意思に飲み込まれる、彼女が作る大いなる奔流の一部になる


そうして起こったのが大いなる厄災、人々を拐かし誑かし破滅へと誘う魔女の囁き


『今この時!ワシがそれを証明しよう!、魔女は絶対ではない!魔女大国は崩れる!崩せる!、己の反骨を隠す必要はない…!ワシが今!この時を持って新たな時代を切り開こう!、魔女ではない人の時代を!その為にお主らも戦え!戦え!戦え!、魔女を殺す薪木の支度をせえ!貼り付ける杭を研げ!何よりも熱き憤怒の炎によって魔女の体を焼き尽くせ!、この世界は古の魔女の物ではない?この世界は!今を生きるお主らのものじゃ!』


ぐははははは!と笑うシリウス様の弄ぶ詭弁に思わずこっちも笑ってしまう、魔女のものではないと言いながら己は原初の魔女で、世界の素晴らしさを説きながらその世界を破壊しようとする、誰かに寄り添う事を口走りながら己は誰も寄せ付けない


全く同じだ、大いなる厄災の序章となった世界的な大戦争…その発端となった演説と全く同じ、それによって世界中の人々はシリウスに夢を見て、事実シリウスは人々に夢を見せた


その結果世界が滅びかけ彼女の賛同者は皆悉く死に絶えた、物の真偽を見破ることの出来ない者達はその詭弁に縋り付き武器を持ったのだ


…起こすつもりだ、シリウス様は再びあの大戦争を…


『一ヶ月後アジメクで起こる大戦を刮目して見よ、ワシは持てる力を持って魔女へと反抗する、そしてそこで魔女の絶対性を否定する、その後どんな世界を作るかはお前たち次第である…、最後に言おう 魔女は無敵ではない、奴らは死ぬ、殺そうと思えば誰でもな』


クックックと笑いながらシリウス様は消えていく、この世界に植え付けられた魔女への絶対的な崇拝にヒビを入れて、この魔女世界が安寧であったのは誰もが魔女を敬い誰もが魔女を恐れたから


非魔女大国がその貧困に喘いだのは全て魔女を恐れていたから、そこにもし…魔女の絶対性を崩す存在が現れ、事実魔女の存在が揺らいだら、世界は再び立ち上がるだろう


魔女抹殺を掲げて世界中が動き出すだろう、その時生まれる勢いと数はマレウス・マレフィカルムを遥かに上回る、…人類対魔女の構図が出来上がる


魔女の時代が終わり、魔女狩りの時代が来る…


「アハハハハ、シリウス様ぁ…面白いことしてますねぇ、私も…同伴させていただきますよ」


これは大人しくしてられない、急いでシリウス様の元に急ぎ…世界が変わる瞬間をこの目で見なければなるまいよ


ああそうだ、世界が変わる…八千年間止まり続けた人々の意識は今を持って動き出したはずだ、今の言葉を聞き黙っていられる人間はいないはずだ


そう笑うウルキは魔力を滾らせ小屋を宙へと浮かべる、世界変革の渦中へと急ぐ為に…




…………………………………………………………


シリウスが残した言葉は確かに世界に響いていた、魔女大国だけでなく非魔女国家…果ては国に属さない者たちにまで伝播し、波紋のように広がり大きく大きく拡大していった


「な…なぁ、今のなんなんだ」


「分からない、けど…本当なのか、魔女を恐れなくていいって」


とある非魔女国家の貧しい村では村人達が空を見ていた、魔女を恐れ 魔女による統治に僅かな疑問を抱いていた人々はやや震えながら空を見る


「恐れなくていい?…そんなわけが…」


「そもそも八千年前の人間って…」


「でもあんな凄い現象見せられたら…」


「じゃあ本当に…終わるのか」


ワナワナと震える、魔女を憎んでいたわけではない、だが自分たちの生活が少しでも良くなれば…、そんな誰もが抱いていた願望が今シリウスの言葉により少しだけ変化していた


「そうだよ、魔女が死ねば…俺たちはこんな…、割りを食う生活なんかしなくてもいいんじゃないか」


「ああ、魔女達が限られた幸福を独占して自分の崇拝者に配っているんじゃないか」


「俺達が貧しいのは、魔女の所為だったのか…?」


「そうに決まってる…だって、こんなにどうしようもないんだから」


それが本当に魔女の所為なのか分からない、だがどこに向けていいか分からない漠然とした不幸感の矛先が徐々に定まり始める


「終わるんだ終わるんだ終わるんだ、魔女の統治が…!」


「終わらせるんだ終わらせるんだ、そうだよ…恐れる必要がないなら…!」


「新しい世界を作るのは…私たちなんだ」


長年薄々と溜まり始めていた魔女への鬱屈と世界への絶望が合わさり、人々は徐々に声を上げ始める、八千年間止め続けた己達の不幸全ての正体が分かったのだから…喜びで震えているんだ


「もしあの存在が言う通り、アジメクが揺らいだら…」


「ああ、もう魔女は恐れなくてもいいんだ…、殺せばいいんだ、魔女を!」


「俺たちで与えられるんだ!傲慢な魔女に鉄槌を!」


「魔女に鉄槌を!鉄槌を!」


燻り始めた火種は徐々に熱を持つ、根拠のない憎悪という消えることのない炎が世界各地の国々で広がり始める


それは国家に属さぬはぐれ者達も同じだ



それは森の奥にある寂れた邸にも…


「おうよお前ら!今の聞いたか!」


「ああ!、魔女大国を恐れなくていいなら…どんだけ生きやすいか!」


山賊達は剣を抱えてヨダレを垂らして笑う、魔女に排斥されてこんな賊に身をやつした彼らからすればそもそも魔女は憎い相手、それでも声を潜めてきたのは魔女が絶対だから


だが、もし 魔女が絶対でないなら


「恐れる必要なんかねぇじゃんか…、野郎ども!」


「ぎゃははははは!いい時代が来そうだ…、俺たちの時代かぁ!」


「俺たちはぐれ者の時代が来てくれるなら!なんだってするぜ!おい!」


自分たちの時代、自分たちに取って都合がいい世界と解釈した者達は魔女へと敵意を放ち始める、それだけ抑えられてきたのだ…ずっとずっと、それがようやく解き放たれただけなのだ



他にも、演説を聞いた者はいる、まだまだいる


善良な市民や村人、悪徳な賊達までもが魔女に静かな反感を覚えていたのだから…元々恨みを持っていた者達が感じ入る物はより一層大きいもので



「ボス!ボス!今の空に浮かび上がった巨人が…!」


「ああ、偉いこと口走りやがった…」


ホーラックの片隅にて事務所を構える魔女排斥組織『デスサーペント』のメンバーは慌てたように外に出て、消えていく幻像を目に焼き付ける…


まるで信じられないものを見たとでも言わんばかりに…


「魔女が絶対ではないことを…証明するだと…!」


デスサーペントのボスである髭面の男は眉間に皺を寄せる、彼はマレウス・マレフィカルムに属する極小の魔女排斥組織だ、極小ではあるが魔女排斥組織だ、この世から魔女を排斥するために戦っている


勿論デスサーペントだけじゃない、マレウス・マレフィカルムは数千の組織の集合体…それは上から下まで全部が全部魔女をこの世から消し去る為に活動していると言える


だが、その実態はただの鬱憤晴らしに近かったと言える、無意味に街を破壊して見せたり犯罪に手を染めてみたり、半ばマフィアと同一に見られる事もある彼らの目的は魔女であるにもかかわらず魔女の領域に立ち入ることはしない


何故か?、それは魔女は嫌いだがそれでもその強さは絶対だからだ、殺しても死なない神の如き存在、人では触れる事も出来ない至高の存在…、今の人類は八千年間世界を統治した魔女に対する恐怖が細胞レベルで染み付いているのだ


故に、いくら反感を持ってもその絶対性の前に道を譲るしかなかった


だが


「ボス、どうしますか…」


「どうするもこうするも、もし…アレが言っていることが本当だとしたら、もし魔女を打ち崩す光明を我らが見出せる時が来たら…、その時は本当に世界と時代が変わるかもしれない」


今まで何十年と日陰での生活を強いいて来た悪辣なる魔女達に対する恨みを晴らせるかもしれない、故郷であるホーラックを借金漬けにして歪めてしまったデルセクトに対して復讐が出来るかもしれない


もう魔女に怯えず、全ての人間が人間として生きることが出来る世の中を取り戻せるかもしれないのだ


「確実に流れがこちらに向いている、急ぎマレフィカルム本部と連携を取ろう!、もしかしたらこれから訪れるのはマレフィカルムが生まれてより数百年間で初めての『チャンス』かもしれないのだ」


この演説で動き出す人間は多いだろう、今まで踏ん切りがつかなかった層や曖昧かつ漠然とした疑問を世界に抱いていた層が纏めて魔女排斥派に加わる可能性がある


それだけじゃない、これから様々な奴らが魔女排斥派へと鞍替えするかもしれない、魔女に反旗を翻していいことを世界に示したシリウスのお陰で魔女の敵対者は爆発的に増える、そうなればマレフィカルムの組織力もまた今よりも更に増大するはずだ


未だ嘗てない程のチャンス、それを感じた魔女排斥組織達は各地で静かに動き始める



引き金が引かれたが如く世界が一気に変化する、シリウスの言葉は爆薬ではない 直ぐに効果は現れない、だがその戯言は毒薬の如く世界に浸透し徐々に全てを腐らせるだろう、何もかもが変わる 変わっていく


魔女時代八千年、その歴史の中で最も大きな渦の中で動くマレウス・マレフィカルム…


その伝搬は、中央にまで届いていた


………………………………………………………………


魔女無き大国マレウス…その近海に停泊する巨大な帆船 『海賊船キングメルビレイ』の甲板からも、シリウスの姿は確認できていた


甲板の上にてシリウスの言葉を聞いていた海賊達はやや訝しげに顔を歪める


「なんだァ?ありゃ」


「わかんねぇ、マレフィカルムのプロパガンダじゃねぇの?」


「にしちゃ、派手だな…まぁどうでもいいけどよぉ、俺達ぁ『ジャック海賊団』、魔女排斥派じゃねぇんだから」


シリウスの言ったことをケタケタと笑い飛ばす人相の悪い海賊達は特に相手にするでもなく腕を振るう、彼らは海賊だ マレフィカルムとは付き合いもあるがマレフィカルムのように魔女に喧嘩を売ってるわけじゃあない


時代が変わろうが世界が変わろうが、俺達がやることは変わらず略奪と航海だけなのだと…


しかし


「別にどうでもいいこたねぇよ、面白れぇ話じゃねぇか」


刹那、響いた声に海賊達が肩を揺らす、まるで海鳴りの如き低い声は七海さえも鳴動させる


それはこの海の王者の声だ、海を束ね 水平線を戴く最強の海賊の声…


「絶対性の否定か…」


「ジャック船長!?起きてたんですか!?、昨日あんなに酒飲んだのに!」


アイパッチで左目を隠し、岩礁の如き荒々しい筋肉を晒す大巨漢は平伏す海賊達を尻目に酒瓶を仰ぐ


彼の名はジャック、三魔人が一人 海魔ジャック・リヴァイア…世界最強の海賊と呼ばれ全ての海を統べるジャック海賊団が船長である、そんな彼が酒をグビグビと飲み干しながらシリウスが消えた空を見る


別にシリウスの言った魔女がうんたらかんたらには興味がない、ただ奴が口にした絶対性の否定にはやや興味がある


「どうしたんですか?船長」


「いや、もし魔女が揺らぐんなら…世が荒れると思ってな」


今の世の中は魔女の絶対性という柱の上に成り立っている、磐石と思われ数千年経っているというのに 今更その足元が揺らぐようなことがあれば、その混乱は果てしないものになるだろう


そして当然、世が荒れて得をするのは善良に生きている庶民じゃない事も確かだ


「これからは面白い世の中になりそうだ」


「これからは略奪し放題ってことですね!船長!」


「そりゃ今も同じだろ、俺達を止められる奴なんかこの世にいやしない、だが…世が荒れればもしかしたら道が開けるかもしれない」


彼は大海賊ジャック・リヴァイア…欲しいものは全て手に入れて来ている、今更世が荒れて略奪の機会が巡って来ても今とさして変わりはしないから興味はない、だが…


もしかしたら 彼がずっと追い求め続けてきた『海の秘宝』を手に入れることが出来るチャンスかもしれない、そう思えば彼は久しく感じていなかった胸の高鳴りを感じ、口角を残忍に引き上げ水平線の彼方を見る


「ククク、よし…んじゃあそろそろ頂きに行こうぜ、海の秘宝…そして魔女さえも辿り着けなかった最果てへ!、野郎ども!錨を上げろ!出航の時間だ!」


「アイアイ船長!」


シリウスの言葉は世を動かす、今まで埋伏の時を過ごさせていた絶対者達の動きさえ引き起こし、世界に動乱を呼び起こす


……………………………………………………


「モース様、今のは…」


「ああ、聞いてたでごすよ?、面白いことが起ころうとしているでごすねぇ」


場所は変わりマレウスの険しき山の最奥にて、空を見上げる巨女が一人…、ボサボサピョンピョンと跳ね回る緑の髪は茂みの如く揺れ、土のように黒い体はぬるりと起き上がり、肩にかけるだけの上着が引きずられる


彼女こそ三魔人の一人にして世界最強の山賊の名を持つモース・ベヒーリア、海魔ジャック・リヴァイアと対を成すと言われる陸の王者はシリウスの言葉を聞いてニコニコとした笑みを崩さない


「アレがなんなのか、どういう存在なのか…そこはこの際置いておくとして、言えるのは一つでごす」


「それは?」


白いスーツに白いズボン、ぴっちり整えられた藍色のオールバックに銀のメガネと山奥には似合わない小綺麗な服装の男…山賊の王たるモースの右腕 カイムは伺うように主人の横顔を見つめる


その顔は…、これから起こるであろう出来事に何一つとして興味がない…と言った顔だ


いや、そもそも彼女はもう何かに興味を持つことが出来なくなってしまったのだ、あの日…なによりも大切な物を失った時より、彼女はこうも無気力になってしまった


「言えることは一つ、ジズの見立ては正しかった、世界は二分され世は大乱の時代に突入する、そこに至るまでまだまだ時間はかかるでごすが確実に訪れる大戦が今約束されたでごす」


「なるほど、魔女賛同派と魔女排斥派の争いですか、それはさぞ儲けられそうですね」


「そうでごすねぇ、子分達を飢えさせることはもう無さそうでごす」


ふへへと力無く笑うモースを見てやはりとカイムはため息を吐く、儲けられると聞いた山賊が口にするのが子分の腹の心配とは、山賊ならば酒をどれだけ飲めるか 何日宴会が出来るかを気にするべきだ…


そう、カイムは昔モースから教わったというのに、今はそのモースが無欲にも呟くのだから、これはもうやるしかないと覚悟を決める


「ならばその大乱が訪れる前にジズからの頼み事を済ませますか?」


「……ごすねぇ」


「確かに迷う気持ちは分かります、山賊の王たる貴方がマレフィカルムの足に口づけをするなんて私には耐えられません、ですが…奴等なら本当に見つけられるのではないですか?」


「…あーしの娘を…か」


モースは深く目を落とす、彼此十年以上も世界中を回って探しているモースの実の娘、山賊の王たるモースの血を継ぎし娘をモースは探しているのだ…二十年も昔に逸れてしまったあの赤子の居場所を


「奴等は交換条件として貴方の娘の居場所を教えると言っていました、…あれ程の組織力を持つマレフィカルムなら、世界を見下ろす目を持つジズなら 或いは本当に見つけられるのではないでしょうか」


「そうでごすねぇ」


モースはもう血眼になって世界中を探し回った、娘を探す為に態々プルトンディーズ大監獄に入り込んだりもした…が見つけられなかった


部下の中にはもう死んでいると影で言う奴もいるが、カイムは信じない…、あのモースの娘ならきっとモースに似て異常なまでの巨躯と怪力を持っているはずたとえ一人でも生きているはずなのだ


「団長…ご決断を」


「…分かりやした、これ以上部下をあーしの勝手には巻き込めないでごす、奴等の言う通りに動きやしょう」


これ以上団長が好きには出来ない、世が動き出す前に後顧の憂いは断つべきだとカイムに尻を突かれる形でモースはようやく重たい腰をあげる、マレフィカルムに協力するのは些か癪ではあるが最早背に腹は変えられぬのだ


娘を取り戻し、再び手元に置けばまたあの頃の苛烈な山魔が戻ってくるはずだ、その為ならばカイムはなんでもするだろう


「なら、行きやしょうか…おい!!野郎共!」


刹那、山彦が大地を揺らす、世界を打ち付けるようた大怒号を放つモースはコートをはためかせ背後に目を向け呼びかける…


彼女の背に控える数万人近い山賊の群れ、世界最大の略奪組織 『モース山賊団』へと号令をかけるのだ


「なげぇ事待たせたなっ!、テメェらの大好きな破壊と殺戮の時間だ!、酒は十分飲んだか!もうこの世に未練はねぇか!、楽しみ尽くした奴だけあーしについて来い!」


『うぉぉおおおおおおおお!』


森さえ埋め尽くす無限の山賊達がモースの呼びかけに応え雄叫びをあげる、遂に団長が動き出した 遂にモース山賊団が動き出すんだ、伝説の再来が今新たな世にその悪名を轟かせるのだと皆が剣を掲げて狂喜する


この時遂に、モース山賊団がマレウス・マレフィカルムに加入する決断をした…それは確実に二分された世界の勢力図を傾けるほどのものであった


…………………………………………………………


「止まっていた時計の針が動き出している、空回りしていた歯車が遂に噛み合ったんだ、どうやら世界は八千年と言う遠回りを得て答えを見つけて歩き出したらしい」


「ええ、貴方…とても喜ばしい事だわ」


暗く 灯りのない屋敷の中で『父』と『母』が玉座にも似た巨大な座椅子に座る二人は闇の中爛々と目を輝かせる


今しがた起こった世界の変革を前に、二人が見るのは動くべき時…如何にしても動き好機を見つけ、確実に殺すか それだけだ


「ああ、ようやく私の待ち望んだ世の中が…来るらしい」


男は頬杖をついて世の乱れを感じる…、ここは如何なる地図にも乗らぬ無明の館『空魔の館』…彼はこの館の主人にして、この家の唯一絶対なる王


「皆で祝おう、我ら空魔の時代の到来を…」


その名もジズ、三魔人の一人 世界最強の暗殺者…そしてマレウス・マレフィカルム八大同盟の一角を担う男、空魔ジズ・ハーシェルは暗い暗い闇の中モノクルを輝かせて立ち上がる


もうすでに八十年以上も生きていると言うのにその背は曲がらず 顔に皺はなく、真っ白な髪には色艶が輝く、どこぞの若領主の如き姿を晒して彼は祝う、世が乱れれば乱れるほどに良い、それは我ら魔女に反する者達の望むところだと


「はい、父よ…」


「父よ」


「父よ」


それに答えるように彼の影は手を叩く、総勢二十名近い影達は皆メイド服を着て光のない瞳で手を叩く、己が望むか望まないかは関係ない、ただただ…父の言うがままに祝う、彼女達『ハーシェルの影』に思考は許されないのだから


「ふふふ、君もそう思うだろう?、なぁ?トリンキュロー」


「…ええ、父よ」


目を向ける、部屋の中央に立つ女を、十年以上前に仕事を任せ屋敷から出したメイド、ジズの娘の一人であるトリンキュローに目を向ける


「久しい帰還、長旅ご苦労だったねトリンキュロー…お疲れ様」


「いえ…」


ジズの優しげな言葉から目を背ける、それが詭弁であることを知っているから ジズは何一つとして真実を語らない、この言葉もまた社交辞令にも劣る戯言なのだ


(出来るなら、またこの男の顔など見たくはなかった…)


トリンキュローはこの男の恐ろしさを知っている、この男の残忍さを知っている、優しい顔をしてどれだけ惨たらしい事が出来るかを知っている、もう二度と顔を見れなくても何の悲しみもない男…それがこのジズという男


だが、それでもトリンキュローがそんな嫌悪感を噛み殺して帰還命令に従ったのには理由がある、それは


「それよりも父よ、マーガレットは無事なのですか」


唯一の肉親 …愛すべき実の妹たるマーガレットの身柄、ただそれをだけを気にして戻ってきた、ジズの顔は見たくない…だが、たとえ殺されるとしても妹の顔を一目見たかった、姉としての愛故に彼女は戻ってきたのだ


「マーガレットか…ふふふ」


「…まさか」


「ああ、案じなくてもいい…彼女は生きている、それよりトリンキュロー…君は私の命令に背いてスピカから逃げ、マレウスまで落ち延びて来たそうだね」


「それは、あの場の戦力と私の力だけではとてもスピカを殺せないと判断したからです、故に一度撤退して…マレウス・マレフィカルムの救援を受けようかと」


「なるほど…、そうか」


別に魔女を前に逃げ出すことを責めるつもりはジズにはない、ジズもまたカノープスを前に敗れ逃げた事がある、だからトリンキュローの気持ちはよく分かる…いや、トリンキュローだけがジズの気持ちを理解できると言えよう


唯一、魔女を相手にして生還した影…、彼女は貴重だ


「まぁいい、君の気持ちはとてもよく分かるからね…、だからこそ私は君を尊重しよう」


「それは良いです、それよりマーガレットに合わせてください!彼女の顔を一度でも… ッ!?」


刹那、ジズに一歩トリンキュローが近寄ったその瞬間の事であった、首元に冷たい感触が走り…その身を恐怖で縫い付け食い止める


立たれている、今さっきまで誰もいなかったトリンキュローの背後に、何者かが立っている、それがスラリと腕を伸ばしなんでもないかのようにダガーを握り、トリンキュローの首に押し付けているのだ、いつでも殺せるとばかりに


「っ…!?」


動けなかった、トリンキュローとてそれなりの使い手、だというのにこの殺意の牢獄から抜け出す隙が一つとして見つけられなかった、そりゃあそうだ…もし後ろに立っている女が目隠しをして両手足を縛り体に鉄球を巻きつけていたとしても…トリンキュローは同じように動けなかったと断言出来るほどに実力がかけ離れているからだ


ジズの配下たる娘達は全部で二十人余りいる、それぞれに番号を振り分け『母』が管理しているが…その中でも際立って強いのが上位五名、通称『ファイブナンバー』


そして今、背後に立っているのはそのファイブナンバー最強の女、つまり この家でジズに次ぐ…この世界でジズに次ぐ殺し屋


ハーシェルの影…その一番


「エアリエルお姉様…!?」


「止まりなさいトリンキュロー、あなたに決められた『ライン』はそこまでです、それ以上進めば父を殺そうとしていると判断し私があなたを殺します」


ハーシェルの影最強と謳われるエアリエル・ハーシェルはまるでお面のようにピクリとも動かない顔でトリンキュローを見つめている、水色の髪と真っ赤な瞳はトリンキュローにとって恐怖の象徴でしかない


ジズより授けられた空魔殺式、その全てを会得したばかりか極限まで磨き抜き独自の技にまで進化させたこの人には、絶対に敵わない…


「くっ…」


「やめなさい、まだ第一段階の壁すら破れていない貴方では…私に敵わない、理解しているというのに止まる気がないと?」


「私は妹に会いに来たんです、マーガレットに!」


「愚かですね」


「ああいい、やめろエアリエル…いいんだ」


軽く ジズが手を挙げると次の瞬間にはその隣にエアリエルの姿が移る、トリンキュローの背後からそこまで飛んだのだ…それは分かる、だがその道中がまるで見えなかった


空魔の技を受け継ぎ一流の力を手に入れたトリンキュローでさえ、エアリエルの動きは読みきれない


「マーガレットに会いたいんだったね、だが直ぐに会わせることは出来ない」


「何故ですか!」


「彼女はここにはいないからね」


「なっ…!?、まさか魔女の下に!?約束が違うではないですか!私はマーガレットを守るために…」


「んー、エアリエル?」


「御意…」


そうジズが再び指示を下した瞬間、トリンキュローは腹部に激烈な鈍痛を感じつつ床を転がっていた


蹴られた…エアリエル姉様に蹴られた、そう理解する頃には既に壁に叩きつけられ血反吐を吐いていた、レベルが違いすぎる…格が違いすぎる、ここまで差があったのか…ハーシェルの影最強と私の間には!


「トリンキュロー…妹に会いたくば私に従え、大丈夫…直ぐに再会の機会は訪れる」


「どういう、意味ですか…」


「そのままの意味さ、もう埋伏の時は終わった…そうだ、終わったんだよ」


コツコツと床を鳴らし、壁に叩きつけられたトリンキュローの目の前まで歩いてくるジズ、背後にはファイブナンバーも合わせた二重以上の影を侍らせながら、まるでハイエナの群れのように 眼光だけを煌めかせながら寄ってくる…


「これから魔女の時代は終わる、腰の重かった八大同盟もその地位を守る為に徐々に動き出すだろう、そうなればマレフィカルムという巨大な組織が始動することになる、…歯車が動き出したんだ、もう誰にも止められない」


「父様…?」


「クフッ!クハハ!、ようやく終わる全てが終わる、この手で終わらせることが出来る!、こんな体にまでなって生き長らえた甲斐があったというものだよ!」


破顔する、ジズがいきなり目の前で狂ったかのように破顔し抱腹し狂喜する、間近に迫る終わりを喜ぶそれは、魔女の終わりを喜ぶものか…或いは


「トリンキュロー…、君にはまた仕事をしてもらう、大丈夫…今度は魔女を殺すなんて無理難題じゃない」


「っ!?」


ぐいと近寄りトリンキュローの瞳孔を覗き込むジズは相変わらず笑っている、彼はずっとずっと笑っている、もう笑うしかないとばかりに…


そんな笑顔で、彼は言う…トリンキュローの新たなる仕事を


「今度は…誰を殺せと?」


「簡単さ、魔女の弟子だよ…?」


それを口にした時のジズの笑顔は、恐らくトリンキュローが今まで見たどの笑顔よりも


純粋だった


………………………………………………………………………


シリウスの言葉は民衆や族だけでなくマレウス・マレフィカルム…果てはその中核を担う八大同盟さえも動かし始める、その影響は果てしなく続き


遂には、ここにまで行き届いた


「くちゃくちゃ…あれがシリウスか、思ったよりも小汚い女だな、あんなもんを崇拝してんのか?あのクソ女は」


静かだ、あまりに静かな洞窟の中 男は一人で空を仰ぐ、洞窟の天井をぶち上げたかのような巨大な穴を見上げ、天から差し込む光と共にシリウスの幻像を見る


思うことはない、彼はシリウスの言葉には揺れ動かされない、ただシリウスという存在を初めてこの目で見たから…なんとなく思っただけだ


俺のご先祖様はあんなものを目指していたのかと、若干の失望を


「こらこらバシレウス坊ちゃん、我々のボスに向けてそんなこと言ってはいけませんよ」


「くちゃくちゃ…」


「全くこの人は…、レナトゥス宰相の苦労が如何程か少し分かった気がしますよ私は」


「…………」


無視をする、暗闇の只中天から注ぐ光を見上げ続ける怪物の名はバシレウス、マレウス・マレフィカルムの中心部を担う魔女排斥期間の王たる『セフィロトの大樹』の新たなる幹部…『王冠』のバシレウス・ネビュラマキュラはかけられる言葉を無視して口の中のそれをくちゃくちゃと舐る


御することが出来ないその男を前に、同じくセフィロトの大樹の幹部『栄光』のユースティティアは僅かに首を振る、この男を言語で制するのは不可能だ、何せバシレウスは人の形をしているだけで人ではないのだから


セフィロトの幹部たるユースティティアに対して無礼な態度、本来なら殺してやるところだが…彼女はそれをしない、何故か?それは単純だ


「…………」


「おい…おい!、ユースティティアァッ!話が違うぞ!おい!聞いてるのか!」


「おや生きていましたか、しぶといですねぇ 流石は元八大同盟 退廃のレグナシオンの大首領様です」


ふと、ユースティティアの足元に縋り付く男の声にパッと笑顔を向ける、ドクロのような顔つきと死神のような黒い外套を身に纏った足元の男はかつてマレウス・マレフィカルムで一時代を築いた八大同盟と一つ『退廃のレグナシオン」にて首領を務めていた男 アスピス・ブラックマンバ様だ


数多くの薬物や毒物を市場に流し裏社会を牛耳り、本人もまたマレフィカルムトップクラスの使い手でもあったアスピス、しかしそれも過去の話


今は逢魔ヶ時旅団にそのナワバリも部下も全てを破壊されかつての栄華を失い、今はここまで落ちぶれてしまったのだ


「何をとぼけている!、話が違うぞ!私は再び同盟の一角に引き立ててくれるという話では…なかったのか!?」


「ええ、ですからここにいるバシレウス様に勝てたら…という話でしたでしょう?、『こんな若造如きに俺が負けるか!』と勇んで挑んだのは貴方でしょう?」


「ふざけるな!、なんだこの化け物は…!、こんな怪物だとは聞いてないぞ!」


「まぁ、そりゃあ…彼はマレムィカルム最強になる予定、魔女にとって最強の敵対者になる予定の方ですからねぇ」


「くそ…くそ!嵌めたな!」


ああ嵌めたとも、都合のいい言葉でアスピスを誘い出してこの洞窟でバシレウスと戦わせたのだ、…全ては総帥からの指示、バシレウスに実戦的な修行をつけてやってほしいと言われたからやったまでのこと


本来なら私が相手してあげるべきなのでしょうが面倒だったのでアスピスを身代わりにしたのだ…けど


(これは些か想定外ですね、アスピスは落ちぶれたとはいえ元八大同盟の首領だった男、組織が力を失ってもこの男自体は未だに強い、というのに…まるで相手にならないなんて)


未だに八大同盟の首領達と同格の力を持つはずのアスピスとバシレウスを戦わせ、最悪死んでも仕方ないか〜くらいで済ませる予定だったというのに、結果はバシレウスの圧勝


アスピスが赤子扱いを受けバシレウスは終始戦いを支配していた、ユースティティアでさえ恐れるほどの圧倒的な力で…


(これでまだ殆ど総帥からの修行を受けていないにも関わらず、このレベル…とは、正直強すぎですよこの子)


今のバシレウスの力は確実にマレフィカルム全体から見ても抜きん出ている、同世代だけで見れば間違いなく世界最強だ、あの魔女の弟子達でさえ足元に及ばないだろう程の力をロクに修行をしていない状態で持ってるとは


これは本当かもしれない、ウルキ様が仰られた『彼は未来の魔王ですから』という言葉は…


「…………」


最早動けなくなったアスピスにカケラの興味も失いどこ吹く風と空を見上げるバシレウスにユースティティアは未来を見る、この男は本当に魔女殺しをやってのけるかもしれない


「なめやがって…新しい幹部だかなんだか知らないが、こんな世の中の苦労を何も知らなさそうな男に負けてたまるか!」


刹那、アスピスが立ち上がった…、体力は尽きていたはずだが立ち上がった、あまりにも予想外の動きにユースティティアでさえ『おっと…』と声を上げてしまう程想定外の動き、当然バシレウスは反応さえしない


「屈辱の泥の味も!同胞の血の匂いも知らない若造に負けてたまるかッ!、死ね!『ツインディスザスターブラスフェミー』!!」


蛇のようにうねるアスピスの両手から放たれる暗黒の衝撃波、あれは断刃魔術と呼ばれる第一級禁忌指定を受ける最悪の現代魔術の一つ、魔力を透明な刃に変換し放つその魔術はいかなるものであれ裁断する


しかも今回放たれたそれはアスピスが最も得意とし最大の威力を誇る『ディスザスターブラスフェミー』、刃の雨を相手に向けて放ち瞬く間にミンチに変えるそれを今 バシレウスの目の前で二つ同時に放ったのだ


受ければミンチどころか固形すら残らぬ程暴れ狂う刃の雨、マレフィカルムの頂点に一度は立った男の最強の奥義、それはバシレウスの肉体を切り裂いて───────







「なぁ、ユースティティア」


─────え?


「今日はこれで終わりか」


水音が鳴り響く、さっきまで視界を覆っていたはずの魔力の刃は虚空に消え去り、立ち上がった筈のアスピスが元の形に戻るように大地に倒れ、コップを倒したかのように…内側の血を大地にブチまけて、アスピスが倒れた


「え?……あ」


転がる、転がってくる…バシレウスの足元から、アスピスの頭が…


見れば先程倒れたアスピスの首から上が…綺麗にもぎ取られていたのだ、まるでワインボトルのコルクでも引き抜くみたいに、クルリと数周回った首が上が…


(殺したというのか…、あの一瞬でアスピスの魔術を見切り、その上で魔術を使うことなく…呆気なく、殺したというのか…!?)


「何もないならもう行くぞ」


「あ…いや」


底知れないのではない、私では手に負えないのだ、この男はそもそもこの場で戦いすらしていない、その辺のネズミを取って食うように ただ踏み潰しただけ、マレフィカルムトップクラスの男をしてこうなのだ


もし、この男が本気で私を殺そうとしたらどうなる?…いやそれ以上に


(この男がこのまま強くなり続けたら、どこまで行くんだ…)


もしかしたら自分が殺されるかもしれないという感情以上に、興味が勝る、バシレウスという男はまだまだ伸びる、伸び続ける…ひょっとしたら魔女の領域にさえ踏み込むほどに、いや…いや もしかしたその先にさえ


「待ちなさいバシレウス…」


「なんだよ、もう相手はいないんだろ…?それともお前が俺の相手をするか?、無駄だと思うが」


「さぁどうでしょう、こう見えて私…アスピスなんかよりもずっと強いですよ」


「…………へぇ」


見てみたい、この男の世界を限界を全てを、これほどまでに身が焦がれる程に興奮したのは初めてだ、ならば…ここで一つ、味見くらいは許されよう


「さっきのよりは…、楽しそうだ」


「ええ楽しませますよ、我等が王になりし者よ…『テンタネル…』」


「待て…」


「ッ!?」


さぁここで一つこの男の限界を試してみようかとユースティティアが構えを取った瞬間の事だ、この楽しい時間を止めようとする者の声が響く、私とバシレウスしかいない筈のこの洞窟に…いない筈の人間の声が


「ユースティティア、代われ…私が総帥から彼の教育係の任を正式に賜った」


「何?…って貴方、『知識』の…!」


かつかつと大地を叩く音が三つ、彼女が鳴らす足音と突かれる杖の音、それが私に近づいてくる…、私と同じ幹部の座に就く存在…特別な階位である 『知識』を継承せし者、それが徐に闇から現れる


「君では、荷が重いと判断されたようだ」


ボロい皮のコート、目元を隠す三角帽子…そして蒼銀の錫杖を片手に現れたそれに思わず口を塞ぐ、間違いない 『知識』だ、まさかこの女が動かされる程なのか…!


「お前が…教育係だ?、俺の教育係は一体何回変わるんだ?」


「さぁね、君はこれからセフィロトの大樹十人の幹部達から変わる変わる指南を受ける事になる、そうして実力をつけてから総帥の修行は始まる…強くなりたいのなら私の言うことを聞きなさい」


「嫌だね、俺はもう強いし…テメェの言うことを聞くつもりもない、俺はもう誰の指図も受けない」


「フゥ、やれやれ…」


いつのまにか私の立ち位置に取って代わった『知識』はバシレウスを前にしても怯むことなく肩を竦める、…まさか総帥の右腕であるこの女が動いてくるなんて、まさか教えるつもりなのか?バシレウスに『あの魔術』を…


「バシレウス、君には足りないものが一つあることが分からないのかい?」


「足りないもの…?」


「ああ、それは……」


「それは…?」


『知識』が笑う、バシレウスの顔を見て 唯一露出した口元を歪ませ…それを口にする


「『健康』だ…」


「はぁ?」


新たなる時代の幕開け、新たなる世界の創造、魔女を礼賛する者と魔女を排除する者との一大戦争、きっとその中心に立つであろう男 魔王バシレウスはその力を磨く


いずれ世界最強にさえ届き得るその力を今は静かに磨く


いずれ訪れる戦いを前に…、刻々と時は刻まれる



シリウスによって放たれた新たなる時代への一石は、確かに波紋を呼び…いずれは波乱となる、その因子達は既に揃いつつある


─────魔女時代の終わりは、もう…目の前だ







……………………第九章 終


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[良い点] 9章終了お疲れ様です! 知らない土地を巡るエリスの旅は一旦の終わりを迎えて始まりのアジメクに戻る、う~ん王道って感じです! 9章では色々と重要そうな伏線が張られていましたね。星とか宇宙とか…
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