286.対決 ラグナVS闘神将ネレイド
オライオン最強戦力 通称四神将、歴代一名しか任命されてこなかった筈の神将が当代は四名も揃って就任することになるという異例の事態に加え、神将以下の戦士達も時代が時代なら神将になっていたと言われるほどの人材が揃っているという点を鑑みて…
今現在のテシュタル神聖軍は歴代最強と言ってもいい程に、強く ひたすらに強い
されどそんなテシュタル神聖軍にも頂点が存在する…、それこそが夢見の魔女の弟子にして闘神将としてオライオン国防将軍を任されているネレイド・イストミアその人である
体長は二メートル七十センチと常軌を逸した体格を持つ、その上で鍛え上げられた肉体を見たアジメクの学者は彼女を『人体の理想形』とまで称したと言われている
卓越した肉体と天性の腕力、それに加えオライオンレスリング界に不動の記録を打ち立てた技量、どれを取っても非常に高い水準に位置しているだろう
彼女が腕を振るえば大の男が四、五人は飛ぶ、掴みかかれば誰も振りほどけない、蹴り飛ばせば山の向こうまで一っ飛び、岩を砕き鉄を破砕する彼女はオライオン格闘技界及び実戦においても無敗だ
特に近接戦に持ち込んだときはもう無敵と言ってもいい程に強く、接近を許せばどんな力自慢も瞬く間に地面に沈めて来た実績がある
そんな彼女は今
「どぉぉぉぉぉりゃあぁぁぁぁあああ!!!」
「はぁぁぁぁあああああああ!!!!」
乱れ飛ぶ拳と拳、ぶつかり合う両者の打撃は虚空で激突し空気を弾いて衝撃を伝え岩盤の大地は砕けていく
殴り合いだ、それも編み物のように綿密で車輪のように高速で、ひたすらに技と力を尽くす究極のどつき合いが繰り広げられている
戦場は魔女の懺悔室、空白平野の凍結した湖面の奥底に作られた氷の街、その中央に存在する蒼輝の宮殿が城門前にて二つの剛力は激闘を繰り広げる
剛力無双、一騎当千のネレイドはそこでかつてないほど長くそして苦しい近接戦に喘いでいる、あのネレイドが…だ
並み居る強敵を倒しここまで鍛え抜き、神将の座まで勝ち取った夢見の魔女の弟子である彼女がよりにもよって得意の近接戦で苦しめられている
他の神将が見れば頬を抓って目を疑うだろう、ネレイドだって信じられないんだ、今目の前に立つ相手の強さを…未だに信じることが出来ない、何かの間違いだと思いたいくらいに強い
「緩んだな…!、ネレイドォッ!!」
「ごはぁっ!?」
ネレイドが伸ばした張り手を叩き弾いたその瞬間、ネレイドの懐に拳が突き刺さる、内臓の奥まで叩き揺らすような壊拳に思わず体をくの字に曲げる、胃液と肺の中の空気が溢れる…!
「そこォッ!」
「ぐぅっ!?」
くの字に曲がったネレイドの頬めがけ飛んでくるのは肘鉄砲、いやこれはもう鉄砲なんてレベルじゃない、大砲だ…それも城壁に穴を開ける特段強力な奴、何せどんな攻撃もはじき返して来たネレイドがその一撃だけで瞳孔を揺らしたのだから
「師範直伝!天目突き通しッ!!」
「ッッ〜〜〜!?!?」
飛んだ意識、無防備になる体、そこに飛んでくるのは空に穴を開けるような蹴り上げ、自身の体を浮かせるほどの蹴りはまるで破城槌の一撃が如くネレイドの巨体さえも空へと上げ、クルリとひっくり返し地面へと叩き倒す
今ネレイドが相対している相手はネレイドよりも小さいにも関わらず、ネレイドの巨体をまるで薄紙でも返すかのように易々とひっくり返してみせる、ネレイドさえも上回る怪力の持ち主…ネレイドが初めて見る類の人間
その名も
「オラッ!、そんなもんか!」
ラグナ・アルクカース…別名魔女の弟子最強の人物、夢見の魔女の弟子ネレイドと同様に争乱の魔女の弟子であるラグナが吼える
魔女の弟子と四神将の総力戦、魔女の懺悔室のあちこちで行われる激戦の中心で対峙する両陣営最強戦力の激突、それは他の神将の戦いとは違い…魔女の弟子側であるラグナが終始圧倒している
「ぐっ…まだまだ!」
ネレイドとラグナ、二人とも類似したインファイターである、故に必然ぶつかるとなれば殴り合いは必至、だがその殴り合いでネレイドは今敗北したのだ
ネレイドは正直驚愕を隠しきれないだろう、ガメデイラで戦った時はここまでじゃなかった、ネレイドの方が圧倒していた、だからラグナと戦うとなった時も直ぐに決着はつくと思っていた
だが、その予想は儚くも覆された
「そう来なくちゃ、お前だって倒れられねぇもんな」
それもそのはずだ、ガメデイラでの一戦は確かにネレイドはラグナに痛手を与え逃走を余儀なくさせるほどに圧倒しただろう
だが今は違うんだ
そもそもガメデイラでのラグナの目的はネレイドを倒すことではなかった、背中の仲間を守りながら一刻も早く離脱すること、故にその場での離脱を優先したからこそ本気でネレイドを倒しにかかる真似もしなかった
それはガメデイラだけに限った話ではない、彼はこのオライオンでの旅路で常に『相手を倒すために全霊を懸ける』事をしなかった、飽くまで移動と逃走をメインにしていた…戦っていてはタイムリミットに間に合わない可能性があったからだ
オマケに寒さと消耗でエネルギーも切れていたから殆ど魔術も使えないという足枷も嵌めた状態でだ…
そんな状態のラグナに勝ったとしても誇ることは出来まい、何せ今見せているこの力こそがラグナの真の力なのだから
最早逃走の必要は無くなり、ついさっき山程エネルギーを補充したラグナに、今 一切の後顧の憂い無し、全身全霊で目の前のネレイドを倒す事に専念できる、この状況でようやく彼は本気を出して来たのだから
「私は…闘神将ネレイド、この国を背負って立つ女…!」
立ち上がるネレイドはゆっくりと腰を下ろしたまま起き上がる、まだ勝負はついていない、勝負が始まってより十数分…未だ疲労も消耗も感じさせないラグナとネレイドの意地の張り合いは続く
「行くぞ…神敵」
「俺はお前の敵だぜネレイド」
「うっさいッッ!」
態勢を低く、相手の腰を意識して駆け出す、それは足元を駆け抜ける一陣の風のように鋭く吹くと共に一瞬にしてラグナとの距離を詰め…
「おッ!?」
掴んだ、ありえないぐらい長いネレイドの腕はラグナに反応さえ許さずがっしりと腰を掴むのだ
体を掴まれた瞬間ラグナは少し顔色を変える、ネレイドの戦法を知っているからだ
「ぅぐぉぉぉお!!」
「っっとと!?マジか!」
足元の雑草を引き抜くが如く、一瞬にしてラグナの体はネレイドによって持ち上げられる、いくらラグナの力が強くとも真上に持ち上げられるのを防ぐ手立てはないのだ、彼の体は一瞬にしてネレイドの頭の上まで掲げられる
「た たっけぇ〜〜!!??」
ネレイドの身長は常軌を逸している、腕の長さも相応のものだ、それをピィーンと張るように掲げればその高さは軽い一軒家の屋根くらいの高度に至る、もう空を飛んでいると錯覚できる程の高さに一瞬にして持ち上げられ思わずラグナはドン引きする
聞いてはいたが、高いにも程があると
そんなラグナの衝撃も他所に、ネレイドはそのまま張った体を今度は弓のように反り返ると共にラグナの体を持ち替える、上下を逆さに 頭を下に
そしてそのまま
「ポセイドン・バスターッ!!」
一気に振り下ろす、落下より速き急降下でラグナの体を一気に地面に叩きつける、腕の中のラグナを叩きつけると共に自らも一瞬軽く飛び跳ね脚を開いて尻で着地し、落下速度に自らの体重もかけてラグナの頭を岩盤に叩きつけようとするのだ
これぞネレイドの持つ八十八のフィニッシュホールドが一つ 『ポセイドン・バスター』、その壮絶なる身長と腕の長さを活かし相手を掲げると共に、軽く飛び跳ね体重をかけて相手を地面に叩きつける、単純極まりないながらもこの世でネレイドしか実現出来ない絶技
それはかつて、ガメデイラでアマルトさえも一撃で昏倒させる程の威力を発揮したそれである
今度はそれが、ラグナを襲う……しかし
「効くかッッ!!」
ラグナの頭が岩盤を砕く前に、ラグナの腕がそれを阻止した、圧倒的な落下速度にネレイドの体重が加わったポセイドン・バスターを受け止めるように地面を掴み逆立ちの姿勢で衝撃を全て吸収してみせたのだ
「うそぉっ!?」
ネレイドも思わず叫ぶ、かつて同じ方法でこの技を破ろうとしたものは逆に己の体を支えきれず腕がへし折れたというのに、ラグナは自分の体にかかる衝撃どころかネレイドの体もごと支えているんだ、二本の腕だけで…
「くっ、…ならッ!」
しかし、ネレイドの判断も早かった、技が不発に終わった瞬間ラグナから手を離し逆立ちの姿勢でガラ空きになったラグナの胴体めがけ砲弾の如き前蹴りを放ち、蹴り飛ばす
「ぅげぇっ!?」
巨木を振るったかのような剛脚を受け、ラグナの体がサッカーボールのようにスポーンと飛び、二、三度バウンドした後勢いをそのままに氷の家屋の中に砕いて突っ込み、轟音と共に砂埃があがる
「ッてぇな!、あんな高く蹴り飛ばされたのは師範以来だよ」
「…効いてない、か…」
効いているように見えない、本気で蹴ったのに普通に氷礫を蹴飛ばしながら砂埃から現れるラグナを見てネレイドは肩を落とす、どんだけ頑丈なんだと…
「硬いね、君」
「まぁ鍛えてるからな」
「私も鍛えてるんだけどな」
「そりゃ分かるよ、ここまで殴り合ってりゃあお前がなんとなくで鍛えて来たわけじゃないことくらい分かる」
ゴキリゴキリと肩の関節を回し鳴らしながらラグナがゆっくり歩み寄ってくる、まるで余裕ですって顔で軽く歯を見せ笑いながら
「さて…、攻められた分…今度は俺の番だ」
「これはチェスじゃない、手番は自分で取る物」
「それもそうだな…ッ!」
動いた、ゆっくりと歩むラグナの姿が急加速し、刹那の間にネレイドに肉薄する、仕掛けてきた…とネレイドが脳にて判断する前に、彼女の直感は既に口を動かしていた
「移ろう虚ろを写し映せ『一色幻光』…」
「ッ!?」
目を見開くのはラグナだ、一気に加速しその勢いのまま飛ぶような拳を放つも…その拳は、ネレイドに当たった筈の拳が空を切ったからだ、今そこに 目の前に立っていた筈のネレイドの姿が、まるでお湯の上に立つ湯気のようにフワリと揺れると共に虚空に消え拳が虚空を穿つてしまったのだ
「これは…!幻惑…」
「こっちだ!」
「ッ!?」
幻のネレイドを殴り抜いたラグナの隙を掴むように側面から飛んでくる巨大な掌に鷲掴みにされ、再び地面と離別する足の裏
「レウコトエ・スローッ!」
「ぅげっ!?」
一瞬の事だった、ラグナの体が持ち上げられ そのまま弧を描くような軌道で地面に叩きつけられたのは、今度ばかりは防げなかった 今度ばかりは反応出来なかった
「この…!」
ガラガラと崩れる大地の中、クルリと身を翻し起き上がるラグナはそのままバネのように体を跳ねさせネレイドに向けて飛び立つと共に足を薙ぎ払うように蹴りを放つ、だが…
「移ろう虚ろを写し映せ『一色幻光』」
「また…!」
ネレイドの姿が攻撃が当たる寸前で立ち消える、残るのは蹴りを受け煙のように揺らめくネレイドのような煙だけ…!、ラグナは再び何もいない場所を蹴って…
「カリアナッサ・スレッジハンマー!」
「グッ!」
刹那、ラグナの体をすっぽり覆うほどの影が生まれたかと思えば、そのまま降り注いできた拳の振り下ろしを受けラグナの体が沈む、岩盤が砕け踝辺りまでどっぷりと岩に浸かり思わず顔が苦痛に歪む
問答無用で相手の攻撃を空振りにする、それは近接戦における絶大なアドバンテージだ
「いてぇな、横から背中からチクチク突くんじゃねぇ!」
ラグナの連撃が火を噴くように放たれる、拳の波と蹴りの突風がネレイド目掛け次々と放たれる
そしてまた、それ答えるようにネレイドは口を開き
「移ろい代わる一色を、象る幻『十元夢影』」
「っ…!」
消える、ラグナが殴りつけたネレイドの姿が黄金の粒子と成り立ち消えると共にまた別の場所にその巨体が現れる…一つ二つじゃない 十や二十と取り囲むように現れるのだ
それを叩けばそれが消え これを叩けばこれが消え あれを叩けばあれが消える、その場にいるネレイドを全て叩いてもまた別の場所にネレイドが現れるだけ
無意味…そんな言葉ラグナの脳裏に宿る
「…これが幻惑魔術か」
「そう、私が師匠から授かった力、古式幻惑魔術…どう?、凄い?」
「凄いよ、かなり」
「……えへへ」
ラグナ褒めれば、周りにいるネレイドの群れが一斉に照れる、そこに一切の乱れはなく全員が全員同時に動く、或いは本物と差異が生まれるかと思ったが…そんな甘いもんでもないなとラグナは軽く後頭部を掻く
それもそうだ、幻惑魔術は手品じゃない、故に偽物と本物を見分けるのは非常に難易度が高い、声も全ての幻影が出る 匂いも同じ 影もあるし、目の前にした時の気配も全てが同じ…これが古式幻惑魔術の恐ろしいところなのだ
──幻惑魔術、それは現代では主に冒険者や傭兵などの戦闘職が用いることが多いと言われる生粋の戦闘補助魔術である
放てば相手に幻惑を見せる霧を放ち、視界を奪い隙を生み出す…、その間に逃走なり攻撃なりを行うのが一般的であり、大体は魔獣相手の撹乱や敵部隊からの離脱の際使われる
幻惑は長続きしない、出した霧が霧散すれば気がつかれるし乱用すれば通じなくなる、使い勝手はお世辞にもいいとは言えない…、それが世間の評価だ、幻惑魔術の印象だ
が、しかし…当然ながら違うもんさ、現代幻惑魔術と古式幻惑魔術は
まず現代幻惑魔術は幻を見せる霧を発生させる物を指すが、古式幻惑魔術は根っこから違う、古式幻惑魔術は霧などで視覚的に誤魔化すのではなくもっと奥…脳味噌から誤魔化す
恰もそこにいるかのように誤認識させる、どうやって見たって目で看破することは出来ない、何せ視覚を通じて脳味噌から相手の居場所を勘違いしているのだから、故に肉弾戦を旨とする存在にとっては最悪の相手と言える
感覚で相手を捉える争乱の魔女アルクトゥルスなんてその代表例みたいなもの、幻惑魔術に惑わされ彼女の最たる武器である拳はリゲルに掠りもしない、故に魔女達の中でもトップクラスの戦闘能力を持つはずのアルクトゥルスは未だ嘗て一度としてリゲルを相手に勝ったことがないのだ
この古式幻惑魔術はアルクトゥルスの天敵、ならばそれはその弟子であるラグナとネレイドにも通じるというもの
「知ってる?貴方の師匠って私の師匠に勝ったことないんだって」
「聞いたよ、友達としては好きだけど相手としては大っ嫌いだってさ」
「だろうね、私も今それを理解したよ…、貴方にとってこの魔術は相性最高みたい、もっと早く使っておけばよかった」
複数方向から声が聞こえる、師範からの話じゃあ幻惑魔術は基本的に視覚にしか作用しないって聞いたんだけどな、目ん玉ってのは脳味噌に直結だから安易に幻を見せることができるとかなんとか、それ以外の感覚に幻を見せようと思うとその分難易度が高くなるらしい
視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚 痛覚の順で幻を見せる難易度が倍々に跳ね上がる、つまりネレイドは少なくとも視覚と聴覚に作用させるくらいの腕があるってことか、まぁ二十年近くも魔女の弟子やってりゃそのくらいの事は出来るか
「もう貴方の拳は私に届かない、貴方の師匠が私の師匠に勝てなかったように、貴方も私には勝てない…、残念だったね、相性が悪いばっかりに」
「そんなもん言い訳にならないさ、相性がいいばっかじゃないからな」
「潔いいね、そういうところは嫌いじゃない…かな?」
「ッ…!」
周囲を取り囲むネレイドの幻影全てが一斉に動き出した、三百六十度全方位に存在するネレイドの影が一気に動いたんだ、それを受け一応構えは取るが
どれが本物か分からない、実質どこから来るかまるで分からない、いくらラグナとは言えいつどこから来るかも分からない攻撃に対応する事は出来ない
「さぁ…行くよぉ!」
「うっ、すげぇ迫力…」
手を伸ばすのは全てのネレイド、デッカい女が目を血走らせながら一気に腕を伸ばしてくる光景にラグナは一瞬竦む…、がしかし
しかしだ、竦みはするが 慌てはするが 彼の顔に焦りはない、自らが窮地に立っているとはまるで思っていない顔だ
そのラグナの顔に気がつかないネレイドは迂闊にも手を伸ばし
「っここだろッ!!」
「え!?」
ネレイドが伸ばした合計二十近くの内の一本の腕を掴む、右斜め後ろのネレイドの腕を、がっしりと掴んでも消えることのないネレイドの腕、つまりこれは
「ほら、本物」
「な…なん…」
「ッッと!」
「くうぅっ!?」
腕を引き寄せられると共に放たれた掌底がネレイドの鳩尾を貫けば、その衝撃は彼女の背後に垂れた髪も揺らす程の衝撃を生み出す
走る激痛にネレイドの顔が歪んだ瞬間幻影もまた消える、やはりこれを持続させるには集中が居るようだ
「なんで…なんで、私の幻影を見抜くなんて…どうして」
「アンタ、俺の師範に会ったことは?見た事はあるか?」
「あ…あるわけない」
「だよな、じゃあ知らねえだろ、…あの人が八千年前勝てなかった相手の分析をしないような人じゃねぇってさ」
「なに…!?」
なんて事はない、アルクトゥルスはリゲルの攻略法を既に編み出し次やった時勝てるようずっと考えていたのだ、そして当然それは弟子であるラグナにも共有されている、まぁ?帝国で戦った時は不発に終わったが どうやらこっちには聞いたようだ
「確かに師範とリゲル様の戦いは師範の惜敗に終わっただろう、だけどな…こっちはその限りじゃねぇんだよ」
「嘘でしょ…っ、移ろい代わる一色を、象る幻『十元夢影』!」
再び自らを大量に増殖させる幻惑魔術を発動させると共に、ネレイドの姿が何重にもブレて見える…、気がつけば瞬く間にネレイドの群れに再び囲まれることになる、だが
「同じ手を三回も見せられれば、要領も掴めるモンだよ、なぁ…ネレイド」
ギロリとラグナが向けるのは左隣のネレイドだ、何十人も居るはずのネレイドの中から一瞬で一人を選ぶように見つめれば、瞬く間にネレイドの顔が青くなり始め…
「どうして…」
実はどうしてもこうしてもないんだなこれが とラグナは内心肩を竦める
アルクトゥルス師範がラグナに授けた『幻惑魔術打開法』は全部で三つ
一つは全ての感覚を一旦遮断し異常個所を自力で正して幻を見抜く方法、これはラグナには出来ないのでパス
二つ目は魔力感知を全開で行い幻覚と本物の差異を見抜く方法、案外なんとかなりそうだと最初の一二回で試したが結果は失敗に終わった、ネレイドは思いの外細かく魔力配分を行なっているようでこちらでは看破は出来なかった
そして三つ目、アルクトゥルス曰く最も難しく不確かと念押しした方法にて、ラグナはネレイドの居場所を感知したのだ
それは…『チェス』だ
「アンタ意外と考えて動いてんだな」
「え?…」
三つ目の方法とは即ち今自分がいる空間を『チェス盤に見立てて相手の動きを予測する方法』だ、幻惑魔術はあくまで幻惑魔術…本体の方は幻覚のように消えたり現れたり瞬間的に移動したりは出来ない
その足でトコトコ歩いて移動するしかない、故に幻惑魔術が発動した時間から逆算して相手の移動距離を計算し、かつ幻惑魔術で俺の注意を引いている方向とは別方向にネレイドはいる場合が多い
だってそうだろ?、せっかく幻惑魔術で相手を撹乱してるんだから、注意を向けている方向とは反対側に移動するのは当然のことだ、そこで博打を打てない辺りネレイドは意外にも堅実な人物なのだろう
アーデルトラウトの時間停止攻略の応用だな、あれは俺が注意誘導を行って攻略したが、こっちはその逆 相手の注意誘導を読んで其方を見るだけでいいんだ
(あの時間停止に比べれば、幾分可愛いモンだな…幻惑魔術ってのもよ)
「っ…通じてない…」
幻惑魔術をラグナに看破され青ざめた顔で後退りするネレイドと圧倒するラグナ、両者の間に存在するのは絶対的な実力差…ではない
二人の実力はそんなに離れてない、だがそれでもラグナが常にネレイドの一手先を行くのは…純粋に場数の差が出てしまっているのだ
ネレイドだって常に矢面に立ち邪教アストロラーベと戦い続けてきた、戦闘に関しては素人じゃない
だがラグナはここまでそれ以上の敵と戦ってきた、時に格上とだって戦ってきた、中には世界最強の将軍の一角だっている
違うのだ、戦ってきた敵の質と戦場の質が、ラグナの方が圧倒的に上なのだ、故に駆け引きの時点で負けている
もしラグナとネレイドの立場が逆だったなら、ラグナならば自分の居場所を感知されても答え合わせのように表情を変えたりはしなかっただろう、つまりはそういうところ…
スポーツで体を鍛えているオライオン人と生粋の戦闘狂であるアルクカース人の差なのだ
「さぁ、どんどん行くぜ!」
「ッ…!移ろう虚ろを写し映せ『一色幻光』!」
「そこだろっ!」
ラグナがネレイドに向けて突っ込めば、迎え撃つようにネレイドは再び幻影を生み出す、一色幻光は自らの幻影をその場に生み出し 自らは姿を消して移動する、それだけの魔術でしかない
故に目の前にいるのが幻覚で、本体が移動する場所が読めていればこの通り
「穿通拳!」
「げはぁっ!!??」
ラグナの脇を抜けて背後を取ろうとしたネレイドの脇腹にラグナの拳が突き刺さる、姿を消していた筈のネレイドの姿を 脇腹を的確に射抜く拳によってミシミシと音を立てるネレイドの肉体が揺れる、痛みによって幻影が解除される
通じていない、ラグナには幻惑が通じて…!
「このぉ…!アプセウデス・ヘッドバッド!」
痛みを堪え、逃げることもせずネレイドは寧ろラグナに体を向けて、全体重を乗せた頭突きを見舞う、が…
「師範直伝、大岩砕き!」
ラグナもまた頭突きで迎撃する、振り下ろされるネレイドの頭と飛び上がり迎え撃つラグナの頭突きがぶつかり合い、鐘の音の如き轟音が響き渡る
拮抗したかに見えた両者の頭突き…しかし
「ぐうぅ…」
一瞬の拮抗の後ネレイドがよろめく、最早近接戦でもラグナを上回ることが出来ない
そりゃあそうだ、ネレイドのこれは自らの才能と体格を活かして独学で学んだレスリングでしかないのだ
それに引き換えラグナは身体的な才能ではネレイドに一歩劣る物のその戦闘技術は世界一の武闘家にして戦士であるアルクトゥルスより賜った物なのだ
同じ魔女の弟子として、どつき合いじゃあ絶対に負けられないんだ、ラグナは
「まだまだぁ!!!」
「おっ!お前…!」
頭突きを受け反り返った体を無理矢理起こし鼻血を吹きながらラグナに突っ込むネレイド、この至近距離だ 掴みかかる方が早いと判断したのだろう
当然ラグナも抵抗する、拳で
しかしラグナが迫るネレイドを遠ざけようと拳を放つも、それが顔面に当たろうが体に当たろうがネレイドは止まらない、全てを無視してラグナに掴みかかるのだ
(こいつ!、すげぇ突破力!耐久力も俺より上か!?)
「掴んだ!」
顔面に五発体に十二発の打撃を受けてなお止まらないネレイドは再びラグナの体を掴み上げ、空へと掲げる
(まずいな、こいつの投げ技を防ぐの難しいんだよな!)
掴んで仕舞えばネレイドのもの、投げ技のエキスパートである彼女が掴めば大半の相手は地に足がつかず持ち上げられることになる、地面に足がついていなければどんな怪力の持ち主も出せる力は半分以下になる
故に、ここから先の抵抗は出来ない、掴まれた時点で投げられところまで確定してしまうのだ
「必殺技行くよ…」
「え?お?」
ポンっとラグナの体を上に向けて投げ 掴み直す、その手はラグナの腹を中心に掴まれ背後を向かされラグナは目を丸くする、今度はどういう風に投げるつもりか…
そう観察する暇もなく、ラグナの体は大地に堕ちる
「ネプチューン・ボム!」
「ッッーーー!?!?」
それは、所謂パワーボムと呼ばれるレスリングの投げ技の一つである、頭の高さまで持ち上げた相手を背面から地面に叩きつけ、そのまま体でのしかかり押し潰す大技
ネレイドのフィニッシュホールドの一つでもあるそれの正式名称は『ネプチューン・ホイップホールドボム』、彼女が一度目のチャンピオン防衛を成し遂げた際の決め技である
「ぐぅっ!?」
背面から落とされたんじゃ腕で受け止めることもできない、ロクに身動きが出来ない姿勢で叩きつけられたラグナの口の端から若干血が飛び出る、ネレイドのフィニッシュホールドはその名の通り決め技…他の雑多な技とは一線を画する威力を持つのだ
「このまま潰す!ぶっ潰す!」
体を曲げた状態で地面に叩きつけられるラグナの体をさらに曲げるようにネレイドは上からのしかかる、総体重二百キロ越えの筋肉の塊が全力でラグナの背骨と頸椎を圧し折りにかかるのだ
これを受けて抜け出せたものはいない、ネレイドの体を押しのけたものはいない、いないからフィニッシュホールドなのだ
「ぐっ…こ…のぉっ!!」
体がくの字に曲がりロクに力が入らないラグナはそれでも食いしばる!このまま力を抜いたらマジでぺしゃんこだからだ、故に…食いしばり 踏ん張り、全身の筋肉をフルに用いて一呼吸入れ…そして
「ぉぉぉぉおおおおおりゃぁぁぁぁぁああああ!!!」
「え?え?、嘘…嘘…」
持ち上がる、ラグナに全体重をかけるネレイドの体が徐々に持ち上がる、腕も足も使えない状態で、なんとラグナは背筋だけでネレイドの体を持ち上げたのだ、凄いとか強いとかそういう感想以前にこれは最早曲芸の領域であるとネレイドは目を丸くし…
「どっ…ぜぇいっ!」
「キャッ!?」
持ち上げられた上に弾かれた、まるでゴム製の物体を無理矢理押し潰していたかのようにネレイドが加えた力以上の力でラグナがネレイドの体を打ち上げたのだ、クルリと宙を舞うネレイドの体とそれを飛ばした勢いで立ち上がるラグナは勢いよく足を掲げ
「師範直伝奥義!、煌鳳閃ッ!」
「ッッーーー!?」
それはまるで閃光のように落ちてきたネレイドの顔面を射抜く、閃光の魔女アルクトゥルスが授けた奥義の一つ 煌鳳閃、それは所謂所のブチかまし…体当たりである、正確に言うなれば体当たりを応用した一撃とでも言おうか
一瞬で筋肉を前方に動かすことにより一瞬でトップスピードに至り、その勢いのまま放たれる拳は光の如く速く、相手の顔を射抜く
アルクトゥルス曰く『気に入らない相手の顔面を凹ませたいならこれ』とのこと
「ぐふぶぅっ!?」
山のような巨人 ネレイドの体が垂直に飛び血の軌道を残しながら氷の家屋に突っ込み轟音が響き渡る、ラグナも同じような飛び方をして砂煙の中に消え直ぐに中から飛び出きたが…
こちらはその時のようにはいかない
「かは…っ」
砂煙が晴れたその奥には…顔面に拳が入ったのか、鼻血をダラダラと流したネレイドが大の字になって倒れていた、起き上がる気配もない
体以上に心が打ちのめされていたのだ
(強過ぎる…、こんなに強いのか…ラグナ・アルクカース)
一度目にぶつかった時は『結構強いな』なんて感想を抱くだけだった
ここで最初ぶつかった時は『意外とやるのかも?』なんて安易に思っていた
しかしそれは次第に変わり始めた、もしかしたら強い?が確実に強いに変わり、明確に強いの文言に『私より』が追加されて、いつしかネレイドはラグナのことを格上としてみていた
ラグナはネレイドより強い、これは最早覆しようのない事実だとネレイド自身が認めてしまった
「ぅ…うう」
この肉体での攻撃もレスリングの技も幻惑魔術も通じない、ネレイドに出来る全てを試したけどラグナはそれを全て跳ね除け常にネレイドの想像の上をいく、実力でも経験でも頭脳でも負けている…勝ち目がないとはこのことだ
(こんな強い人と戦ったことがないよ…)
良くも悪くもネレイドは強すぎた、国内で生きた彼女は世界の強敵と戦ったラグナと違い自分を上回る相手との戦闘を経験したことがない、唯一先代神将カルステンはネレイドよりも経験豊富であったがそんな彼もネレイドと戦う頃には最盛期なんて微塵も残らぬほど老いていた
初めてだ、ここまで絶望的な戦いをするのは…
これは、負けたかな…
「おい、ネレイド!いつまで寝てんだよ、まだ起き上がれるだろ、お前の耐久力は俺以上だ、俺ならその程度の傷じゃ寝ない…ってことはお前ならまだまだいけんだろ」
「ぅ……」
ラグナの言う通りではある、ネレイドは耐久力という点では恐らくラグナを上回るだろう、だが立ったところでどうなる?、最早ネレイドに出せる力なんてどこにも無いし、一矢報いいる手札もない、ただボコボコにされるだけだ…
嗚呼、でも
「うぐぅ…うるさい」
立ってしまう、立ってしまった、立てたから 立ってしまった
ネレイドがもし新兵で、立場も何もない頃だったらもうここで寝てたかもしれない、けど今私は神将…みんなを率いて守る闘神将、例え何があっても負けるわけにはいかないのだ…
例え勝てなくても負けてはいけないんだ…
「よぉし、いいねぇ…じゃあそろそろ本気だそうか」
「え?…」
立ち上がったラグナを見てネレイドは血の気が引く、今何を言った?本気を出そう?私は本気だよ、でもラグナ果たして本気だったか?
そういえば見たことがない、ラグナが魔術を使うところを…、彼も魔女の弟子だというのなら魔術だって使えるはずだ、なのに使ってないってことは
(まだあれより上があるのか…)
勇気を振り絞って立ち上がったところに降り注ぐ絶望に、ネレイドの膝は折れかける、すると
「お前も本気出せよ、じゃなきゃ俺も出せないから」
「…何言ってるの、私はずっと本気だよ」
「は?、いやいや本気出してないだろお前」
何か訳のわからないことを言ってる、もしかしたら彼からしたら私は口ほどにも無いレベルなのだろうか、だとするととても悔しいが…事実私はもう本気を出しきって…
「お前はまだ全力を出していない、戦ってりゃわかる…お前は俺に、いや相手に遠慮してるだろ」
「え?…」
ラグナの言葉にハッとする、本気は出している…だが遠慮をしていないかと言われれば分からなかったから
いや彼は敵だ、遠慮なく攻めていた…けど、けど遠慮しないで攻撃したかと言われれば…
「お前のやってるレスリングってのはいくら実践的とはいえスポーツだ、相手に跡が残るような傷を負わせちゃあまずい…だろ?、なのにお前はその図体だ、今までのレスリングの試合じゃどっかしらで力をセーブしてたんじゃないのか?」
怪我をさせないために…と、ラグナに言われ思う出すのは若き日の苦労
初めてレスリングという物をした時、ネレイドはあまりの怪力で相手に怪我をさせかけたことがあった、本気で攻撃をした時相手が紙切れのように吹き飛んだからだ…
それを見た観客の目が…小さい頃私を見つめる子供達の顔に似ていたのを思い出す
『お前は体が大きいから嫌だ』『力が強いからズルじゃん』そう言われ深く傷ついた幼少期、それと同じ目を全方位の観客が向けていたのだ…私に
また追い出される、体が大きくて強くてズルイからまた追い出されてしまう、せっかく見つけた居場所を失ってしまう、そう感じた私はその日から必死に訓練したのだ
『手加減して全力を出す方法』つまり、相手を殺さない力の使い方を…、その甲斐もありネレイドは不必要に相手を傷つけず全力を出す方法身につけて無意識的に使えるようになったのは事実だ、そのおかげで観客から恐怖の対象ではなく憧れのチャンピオンとして見られるようになったのは確かだ
でも…もしかして、今の私って…本気で戦うことは出来ても 手加減しないことが出来なくなってるんじゃ…
そう思えば、最後に手加減を一切しないで力を使ったのがいつだったか思い出せない、あの邪教アストロラーベと戦った時だってそんな事をした覚えがない…
(私…手加減しない方法、忘れちゃってる?…)
「なぁ、どうなんだよ、さっきののしかかりの時もお前俺が死ぬ寸前で体重かけるのやめたろ?…まさか、意識してないのか?」
「う…うるさい!」
図星だった、確かにネレイドはラグナにのしかかった時 全力ではあったが!手加減してなかったかといえば分からない、意識もしていない
ラグナは見抜いていたのだ、私が手加減しない方法を忘れて何処か寸前で手を抜いてしまっていることに
「お前が手加減抜きの本気で戦ってくれなきゃ決着をつけたなんて言えないぜ…」
「わ 私は本気だ!本気で戦っている!」
「マジか、こりゃあ重症だな…手加減が身に染み付いているって感じだな、優しすぎるが…それが今は仇か、…はぁ 仕方ない、乗り気にはなれないが…必要か」
ラグナは強い、手加減をして勝てる相手ではない、でも昔体に染みつかせた手加減が体から抜け切らない、これじゃあ勝てないのに…どうしたら本気を出せるのか忘れちゃった、みるみる冷や汗で顔を濡らすネレイドを見て、ラグナは仕方ないと頬を軽くかくと
「じゃあ俺の勝ちでいいな」
「へ?…」
「お前も運がなかったな、力の使い方もロクに教えてくれないダメな師匠を持ってよぉ、その教えがダメなせいでここ大一番で負けるんだ、恨むんなら弟子の育て方がド下手クソなお前の師匠を恨めよ」
「お…お前」
一瞬にして焦りが掻き消える、こいつは何を言ってるんだ、私が負けるのに師匠は関係ないだろうが、これは私が勝手にやって勝手に演じた不手際だ、私の師匠は何にも関係ないのに…なんでそんなこと言うんだ
やめてくれ、私はなんと言ってくれてもいい、どれだけ馬鹿にしてくれてもいい、木偶の坊だろうが役立たずだろうがなんとでも罵ってくれ…でも、師匠は…お母さんだけは…
「あ?、なんか文句でもあんのかよ、俺は最強の魔女であるアルクトゥルスの弟子だぜ?、ロクに戦果も挙げてねぇ夢見の魔女如きが育てた弟子なんぞが生意気な目ェくれてんじゃねぇよ」
「ち…違う…」
「何が違う、今のこの結果が全てだろう、俺が勝ちお前が負けた…それは師匠としての能力の違いが出たのさ、弟子が強くなるには師匠も強くないとな?ってことは…俺の師匠の方が強くて お前の師匠の方が劣ってる…ってことだろ?」
「違う…違う!」
「違わねぇ、はっきり言ってやるよ、お前の師匠である夢見の魔女は…八人の魔女の中で一番弱いってな」
ラグナが嫌らしく口を開いて発した言葉が耳に浸透する、何を言われたのか理解出来ない…理解することを拒んでしまう程に聞きたくない言葉だ、だけど…
彼の言葉に重なるように鳴ったこの音はなんだろう、…どっかで聞いたことがあるような気がするなぁ
…あ、思い出した、そうだ この音は
「ぁ……」
糸が、切れる音だ
それを理解すると共に、私の意識は…湧き上がる怒りの血潮の中に呑まれ、消えた
「ぐっ…がぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!!!貴様…貴様ァッ!!!」
吠える、吼えて咆えて轟かせるは怒りの絶叫、魔女の懺悔室全域が震えるほどの怒号と共にネレイドの目が見開かれ全身から凄まじい量の魔力が止めどなく吹き出る
キレたのだ、ネレイドは今 人生で初めてと言っていい程にブチ切れた、己の師を母親代わりとなってくれた大恩人を馬鹿にされ、意識を手放すほどに激怒した
「…効いたかな」
そんな中ラグナは一息つく、今の一言は効くだろう、魔女の弟子ならみんな己の師匠を馬鹿にされたらブチ切れる、俺もエリスもみんな切れる…それを分かってきたからこそ彼は不遜にも彼女の師匠を貶すような真似をしてみせたのだ
アルクトゥルス直伝・『席巻舌撃』、相手の言われたくない事を的確について挑発し冷静さを奪う戦闘の基本となる技、まぁ言って見れば悪口を言いまくるだけなのだが…、一応国王を務め弁舌に長けるラグナが使えばこの通り…、あの温厚で優しいネレイドが信じられないくらいブッチ切れてる
全ては彼女の中にある枷を外すため、手加減が染み付き解くことが出来ないなら、俺が手加減する必要のない外道になればいい、そうすればネレイドだって心置きなく俺を殴れる
(怒れ、ネレイド…怒ってくれ、俺は手加減抜きの本気のアンタに勝たなきゃ意味がねぇんだ、折角お誂えな舞台が用意されてんだから…後腐れないように決着つけようぜ)
「絶対に許さない!絶対に!絶対にぃぃッッ!!母を愚弄した貴様だけはぶっ殺してやるぅぅぁぁあああ!!!」
口から蒸気を放ちながらネレイドが突っ込んできた、態勢を低く持った上での全力ダッシュ、しかし今までとは速度が段違いだ…やっぱりかかってたんだな、リミッターが
無意識でリミッターをかけて戦っちまうほど優しいアンタを怒らせるのは心苦しいが、それでも必要な工程なんだ!
「だったらしい証明してみせろや!、アンタも弟子なら師匠の誇りは勝利で守れ!」
「貴様に言われることじゃないッッ!!」
ただでさえ長い足を思い切り回転させ駆け抜けるネレイドの接近は一瞬にして終わる、瞬きの間にラグナに肉迫するネレイド、されどラグナとて既に構えている…真っ直ぐ突っ込んでくるならそれを迎え撃つまでとこちらも踏み込み拳を握り
「煌鳳閃ッ!!」
全力の体重移動と共に放つのは先程ネレイドを吹き飛ばした奥義 煌鳳閃、それは真っ直ぐ突撃してくるネレイドの顔面に吸い込まれるように激突し
「ぐがぁぁぁぁぁあああああ!!!」
「なっ!?、き 効いてねぇ感じか!?」
ラグナのブチかましを顔面に食らっても痛がらないばかりか一切止まらない、顔に微風でも触れたかのようにラグナの一撃を弾き飛ばしたネレイドは返す刀とばかりにその巨腕を振り回し…
「ぎっ!?」
ラグナの側面を叩く、両手をクロスさせて受け止めたものの…ラグナは悟る
全然違う、さっきまでとまるで違う…!、馬力が根底から押し上げられている、これ…俺でも受け止め切れねぇ!?
「ぐるるるぁぁあ!!」
「うぉぉっ!?」
そのまま引きずるような軌道でラグナを押し飛ばせば、力負けしたラグナは空中に叩き飛ばされぶっ飛ばされる、真っ向から受け止め真っ向から負けた…
切れただけであのパワーアップ、どんだけ手加減して戦ってたんだよ…ネレイド
「くぅっ、痛えぇ〜…けど、その意気だ!そうこなくっちゃあな!」
「ぐるるるるっ!」
「ウォーミングアップは終わりだ!、本番と行こうぜ!ネレイド!」
「ぐがぁぁぁぁああああ!!!」
砂埃をあげ再びラグナを追いかけるように走るネレイドに向けラグナも駆け出す、こっからが本番だ…、まずは力比べと行こうじゃねぇか!
「ぅぉぉおおおおお!!」
「がぁぁぁぁあああああ!!」
そして、激突するラグナとネレイド…両者の腕が、勢いのまま衝突するように重なり合い……
……………………………………………………………………
「…………ぁー……」
魔女の懺悔室の大通り、周囲の建造物は既に水に戻り床に飛び散り水溜りとなり何もかもが消え去ったその空間
そんな惨憺たる戦場のど真ん中で眠るように倒れ込むアマルト、神将ベンテシキュメとの戦いでの消耗が祟り、最早意識も保てぬ程に傷つき戦闘不能に陥っていたのだ
彼の腕や体には痛々しい傷があちこちに散見される、このまま意識を失ったままでいれば彼は失血多量で死んでしまうだろう…、されど周囲に助けの手はなく
刻一刻と彼の命の灯火が消え去りつつあった、その時であった
『……ぃ……ぁ……し…起きなさい!バカ弟子!』
声が響いた、アマルトの耳元に…
聞き覚えのある声、ああ 師匠の声だと心の何処かで悟った彼はまぶたを若干揺らし
「師匠か…」
朧げながら意識を少し取り戻し、自分を呼ぶ探求の魔女アンタレスの名を呼ぶ
『バカ弟子!?早く起きなさい!』
「学園の時間はまだだろ、…もう少し寝かせてくれ
『何バカな寝ぼけ方してるの!このままじゃ本当に死ぬわよ!いくらバカ弟子でも私の弟子がそんなバカな死に方しないで!』
「大袈裟な…寝坊したくらいで死んでたま…あ?」
フッと降りかかる様にアマルトの意識が覚醒する、あれ?俺今何してたっけ?、学園の時間?そんなバカな、俺は今オライオンにいるはずじゃ…って!
「ッっぶねぇ!、ガチで気絶しかけてた!」
『しかけてたじゃなくてしてたのよバカ弟子!私の呼びかけがなかったら危なかったわよ!…本当に…もう』
「あれ?師匠じゃん、どうしたのよ急に念話なんざ飛ばしてきて…てて、いてて」
ガバリと起き上がり突如として聞こえてきた師匠の声に反応するも、思い出す…そーいえば俺それどころじゃなかった…、全身傷だらけ…このまま死ぬ
「師匠悪い、俺死んだかも…」
『貴方ポーション持ってたでしょ、それ飲みなさい』
「え?あ、そう言えばそうだった…よく知ってんな師匠」
『貴方の肉体にかけた呪術を基盤として声を飛ばしているのよ?貴方の持ってる物くらい把握できて当然よ』
「ふーん」
理屈は分からんけども確かに俺はポーションを持っている、懐から取り出すのは革製の水筒…これの中にポーション入れてんだ、瓶だと嵩張るからな
キュッキュッと蓋を開けて中身を乱雑に飲み干す、こいつはメグが取り出して寄越してきたポーションだ、軍用に使われている高品質なやつらしく、一本銀貨十五枚で取引してくれた、なぜ金を取ったのかは知らない
そいつを二本分込めた水筒をひっくり返し、半分を飲み干しもう半分を頭から被れば、傷の大部分が治癒されていくのを感じる…、かなりの重傷だったから全回復とはいかないが、動けるようになった!元気になった!
「よし、サンキュー師匠」
『いいってことよ…それより貴方何処にいるのよ…』
「ん?、ああここが魔女の懺悔室らしいぜ?、俺の視界も奪えるだろ?それで見ろよ」
師匠は今俺の聴覚を呪いで乗っ取って声を飛ばしてきている状態にある、ってことは視覚も奪えるだろうと師匠に見せつけるように周り見回す
『魔女の懺悔室…リゲルが大切にしてるっていう最大秘匿領域よね』
「そうだけど?」
『初めて見たわ…これが懺悔室…嫌な見た目ね』
「嫌?」
『ええここは私達の…いえそれよりも先に聞きたいことがあるの』
「なんだよぉ、聞きたいことって…」
起こしてくれたことはありがたいが、それでも状況が切迫しているのは師匠だって分かってるはずだ、動けるようになったのなら出来れば他の仲間と合流しておきたい気持ちが思わず滲み出てせっつくように聞くと
師匠は、とても疑問そう…見えないけどそれこそ首をかしげるように俺に問いかける
『貴方なんで私の連絡を待たずに突入したの?』
「へ?何言ってんだよ…」
『カノープスさぁんから聞いている筈よ…私から連絡が行くから待てって…状況が変わったから取り敢えず私が状況整理をしてあげるから念話を待てって言った筈…なのになんで』
「…………いや、したよな?連絡、俺話したぜ?アンタと」
『…………してないわよ?連絡…さっきまでシリウスが国内に魔力嵐を巻き起こしてて上手く念話出来なかった…の…よ……』
「…………」
血の気が引く、師匠の話を聞いて顔面蒼白になる、きっと師匠も気がついたから言葉が途切れてしまったのだろう
俺は確かに師匠からの連絡があることをカノープス様から聞いていたし、事実それを待った…そして話した、あの小屋で師匠と…話した筈なんだ!けど!
「まさか…!」
念話のタイミングでシリウスは国内に魔力の嵐を起こし師匠の連絡を遮っていたらしい、呪術は相手に伸びる魔力のパスを通じて成立させるもの…間に膨大な魔力の乱流があっては正常に作用しないだろう
問題は何故シリウスがそんなことをしたか?だ、シリウスが魔力嵐を起こしたのは十中八九師匠の呪術の妨害の為だろう、元を正せば師匠の使う呪術はシリウスの物だ 妨害法くらい心得ていて然るべきだ
そして妨害した理由は…、明白じゃないか!なんで呪術が妨害されてるのに師匠から連絡が来たんだよ!、師匠が覚えがないと言っているなら あの時話したあいつは誰なんだ!
『やられたわ…!シリウスよ!』
「まさかあん時話したの…、シリウスが師匠のフリをして俺達に話しかけてきてたのか!?」
あれはシリウスだったんだ!、思い返してみりゃおかしいとは思ったんだ、俺が師匠に突っかかったのにまるで手応えがなかったし、おまけになんかいつもの話し方が違うようにも感じた!のに!、なんで気がつけなかったんだ俺はぁ…
「完璧な偽装だったぞ、声も魔力もなにもかも完璧に師匠だった…そんな事出来るのかよ」
『不可能よ…シリウスは今レグルスの肉体を使っているしレグルスはそこまで呪術が得意ではないから』
「なら…!」
『でも問題はシリウスという女が不可能を可能にする女だということ…!流石にこれは出来ないだろうっていうこっちの予想を軽々超えてくるのがシリウスなのよ それが私達が苦戦した史上最悪の存在シリウスなの』
「ッ〜…マジかぁ」
シリウスとは史上最悪の存在である、この世で最も魔女達を追い詰めた厄災そのものである、その一端を俺は今目前に感じている
ここまでデタラメなことをしてくるのか、ここまで大胆に攻めてくるのか、これが…原初の魔女シリウスか!
「確か魔女様達が助けに来てくれるって話だったよな、まだ来ねえのか!?」
『それが出れない状況になっちゃったの…だから突入はもう少し待てって言いたかったのだけれど 多分シリウスはそれを見越して貴方達を誘い込んだのね』
「誘い込んだって…何のために」
『それはそのままシリウスが言ってるんじゃない?』
「え?…」
シリウスは確か、後で魔女達が助けに行くからエリスだけでも先に向かわせろって…、それはつまりエリスだけで手前の手元に来いって言ってるようなもんだ、つまり
「狙いはエリスか…!」
『のようね…早くエリスを連れ戻しなさい!何かあってからじゃ遅いわ!』
「そうは言うけど、なんで魔女様達が来れなくなってんだよ、話が違わねーか!?」
『グタグタ言わないの!仕方ないでしょ!だって外に……』
外に…そう言いかけた瞬間の事であった 、突如として地鳴りが響き渡り大通りを囲む家屋達が音を立て瓦解しなにかが向こう側から突っ込んで来たのだ
「うぉっ!?な なんだなんだ!?何事だ!?」
あまりの事態に思わずバランスを崩し足を開いて態勢を整える、何事だ?まるで砲撃でも食らったみたいな衝撃だったぞ…、そう戦慄しながら周囲を探り、突っ込んできた何かに目を向ける
すると、そこには
「ぅがぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
「っと!あぶねっ!」
「ラグナ!?と…ネレイド!」
ラグナとネレイドだ、二人が掴み合い取っ組み合い互いに喰い合うように戦っていた、まさか今の衝撃って二人が氷の家屋をぶっ壊して進んで来た余波だってのか?、なんつー馬鹿力
「ふぅー…あ?、おお!アマルト!無事だったか!」
ネレイドを投げ飛ばし距離をとったラグナは頬に垂れる汗をぬぐって一息つく共にこちらに目を向ける、すげぇやり合いだったがラグナの方は余裕そうだな…
「無事だよ!こっちもなんとか勝てた!」
「そりゃいい、こっちも直ぐに終わらせて向かうから先にエリスを迎えに行ってやってくれ」
「そのつもりだけど…ああそうだ!、ラグナ!ヤベェ!これ罠だ!、さっきの師匠の念話はシリウスが偽装したものだった!、まだ魔女様が動ける状態にないそうだ!」
「なんだとっ!?、…マジか、だとしたらエリスが危ない!魔女様達の援護抜きじゃシリウス相手に殺されちまう!、エリスが殺されたらシリウスをなんとかする方法事態失われちまう!」
ああそっか、それが目的なのか、シリウスだってバカじゃないからエリスがこの作戦の鍵であることくらい理解してるか、だからエリスを分断して先に殺しておこうと…
だったらラグナの言う通りマジでやばいぞ…!、直ぐにエリスを連れ出して離脱しないと!
「頼むアマルト!エリスを助けてやってくれ!」
「そりゃそうだが…、お前は大丈夫なのかよ、見た感じネレイドの奴かなり頭に来てるみたいだが…」
「ぅぅううゔゔゔゔゔ…」
ラグナに投げ飛ばされても構う事なく立ち上がるネレイドの姿は俺の知る物とはまるで違う、頭のリミッターが外れたイかれた化け物って感じだ
だだでさえ強かったのに、今はそれ以上だろう…流石にラグナも苦戦を強いられているのか、あちこちに打撲の痕と土の跡が残っている、やるんなら二人掛かりででも
「まぁ、煽って怒らせたからな、俺が」
「おい!、何やってんだよ!、それでこんなにキレてんのかよ!」
「ああ、案の定怒らせたらすげぇ強くなった」
「お前なぁ、怒らせずに倒せるなら倒せよ…」
「そうはいかねぇよ、これがその辺の奴らが相手だったら俺だって一発で終わらせてたさ、けど…アイツは魔女の弟子なんだ、弟子と弟子が拳を交えたなら不完全燃焼はダメだ、やるなら全力のアイツに勝たなきゃダメだ」
「…それ今じゃなきゃダメか」
「たはは、時間の余裕があると思ってたんだよのその時は、けど…思ったよりも余裕がなさそうだ、だからアマルト お前は先にエリスの方に向かってくれ、メルクさんやメグも終わってる頃だと思うから」
「お前はどうすんだよ」
「終わらせるさ、そう時間はかからない」
「ぅぅぅぅうううう…、う?…お前は…神敵アマルト」
「ッ…!」
ネレイドのガン開きの目がギロリとこちらを向く、ヤッベェ〜すげぇ怖え…それ以上に威圧がすごい、あまりの威圧に胸のビーカーに…魔女の血に手が伸びちまったほどだ
ダメダメ、こいつはこの場じゃ使えない、エリスがシリウスの前にいるなら そこから救出するのに使わないといけないんだから
「お前の相手は…ベンテシキュメが務めていた筈だが…、ッ!ベンテシキュメ!」
するとその瞳が俺の足元のベンテシキュメに向かう、意識を失い剣に手を伸ばした姿勢で倒れるベンテシキュメにだ、それを見たネレイドの顔がますます赤く染まり…
「貴様らぁぁぁぁぁ!!!、絶対に許さん!!よくも私の友達をぉぉぉおおおお!!!」
「アマルトーっ!燃料投下すんなよー!、もっと怒ったじゃんかー!」
「俺に言うなよ!、チッ…しゃあねぇ 今更あんなの相手にする余裕はねぇ、ラグナ!ここ任せるぞ!」
「…ああ、任せろ!直ぐに追いつく!」
ここでネレイドの相手は出来ない、こっちはもう消耗しきりなんだから…、だからここはラグナに任せると言えば彼奴は任せろとばかりに親指を立てる、あんなドス黒いオーラを纏う怒りの化身前にしてもああも笑えるもんかね
ほんと、頼りになる男だよ
「じゃ!、そう言うわけで!」
「逃すかァッ!アマルトォッ!」
「待てよっ!、お前の相手は俺だろうがぁぁぁ!!!」
牙を剥いて俺に襲いかかるネレイドを押さえ込むように飛びかかるラグナにより、二人は再び真正面から取っ組み合いを始める、あの巨大なネレイド相手に力勝負に持ち込めるラグナを褒めるべきか、あのラグナと力比べを出来るネレイドを讃えるべきか
ともあれ俺はその場をラグナに任せて先に向かう、シリウスがこの戦いを誂えてエリスを誘い込んだ以上 このまま好きにはさせられない、直ぐにでもエリスを助けに行かないと
……………………………………………………
「ぐぅうぅぅぅううう!!!」
「このぉっ!」
アマルトを先に行かせるためその場でネレイドに掴みかかり豪腕を用いてその場に押し留めるラグナ、そしてそんなラグナを振り払おうと暴れるネレイドの取っ組み合いは続く
「がぁぁぁぁあああああ!!!」
「くっ!?」
しかし、押さえきれない、体が大きければそれだけ暴れた際の振り幅も大きいのだ、ネレイドが怒りのままに体を大きく振り回せば、それによって生まれる遠心力によりラグナの体が引き剥がされる
今のネレイドに手加減という枷は無い、相手を本気で破壊しにかかってきている、これが本当のネレイドの実力かとラグナは笑う
「ぐぅ!、いてて…」
「ふぅー…ふぅー、ベンテシキュメが…やられた、いやベンテシキュメだけじゃ無い…他の戦闘音も消えている…、まさかローデもトリトンもやられたのか…!」
「へへ、俺の仲間は上手くやってたみたいだなぁ…」
「ぐぅぅう!、許さない…許さない!」
ネレイドは徐々に怒りを自分のものにし始めている、だが未だ怒りの炎は収まらず次々と薪木が足されて勢いが膨れ上がっている、まぁ今更落ち着いてもらっても困るけどよ
「それでこそ…俺も本気でやれるってもんよ!、行くぜ!ネレイド!」
「がぁぁあぁぁああああ!!」
ネレイドが本気でかかって、俺も本気で勝つ、それが大切だ…なんせ俺達は魔女の弟子同士なんだぜ?、本気も出せない状態の他の弟子を一方的にぶちのめすなんて真似…師範の名を汚しているようなもんだ!
「すぅー!」
だから一緒に本気を出そうとラグナは駆け出すと共に大きく息を吸い
「天主天帝…武神光来、我が手の先に敵はあり 我が手の中に未来あり、武を以て守り 武を以て成す、我が五体よ 神を宿せ『二十八武天・釈提桓因神王鎧』!!」
発動させるは古式付与魔術、紅の閃光を纏うと共にラグナの持つ身体能力が全て何段階も上へと昇る、これがラグナの本気…師範から授かった古式付与魔術だ!
「オラァッ!」
「ぐがぁぁぁああ!!!」
放たれる拳と拳、両者が対峙してより幾度となく行われた激突、されど此度のそれは今までの物とはそもそもが比べものにもならない
あまりの衝撃に大地は砕け、周囲の家屋が形を崩し、剰え天井を支える氷までもヒビが入りパラパラとカケラを落とすほどの震動、もはやそれは災害と災害の正面衝突である
「付与魔術使った俺と真っ向からぶつかって平気かよ…!」
「ぐがぁぁぁぁああ!!!」
されどその中心にいる二人は驚くべきことに無傷、いや驚くべきはネレイドの力か
古式付与魔術を纏ったラグナの拳は一種の大魔術と同程度の威力を誇る、それを素手一本で止めたどころか傷も負わずに寧ろはじき返してもみせた、もう凄いとか以前に奇跡の範疇だ…
(これが、聖人ホトオリの生まれ変わり…ねぇ)
怒りに狂い暴れるネレイドを見てラグナは考える、恐らくだが今のネレイドは人類と言うカテゴリで見るならば下手すりゃ魔女の領域にいる
じゃあ元々ネレイドのパワーは魔女級だったかと言えばそうじゃない、恐らくあのパワーはネレイドの限界を大きく超える物だろう
そもそも人間って生き物が普段『全力』と呼んでいる物は実は精々が限界の50%くらいでしかない、それ以上を引き出せないのだ、どれだけ鍛えても50が60か70になるだけで100にはならない
それは筋肉というものが発揮する本来の全力全開100%に人間を支える骨格や骨が耐えられないからだ、だから人は脳にリミッターを掛け自滅しないよう50%の力で留めているんだ
だが、今のネレイドは違う…、怒りで脳みそが麻痺してそのリミッターまで外れちまったんだ、人が本来手を出せない領域である100%の世界に…
さっきまで振るわれていた凄まじい怪力でさえ50%でしかなかったんだぜ?、対する今はその二倍の100%、人類トップクラスの身体能力の持ち主が人間でいる限り本来は出せない力まで引き出してるんだ そりゃあ魔女級まで行くよ
アルクカース人の特権 争心解放に似たような事を自力でするか…
(手加減をさせないために煽り散らした結果、限界を超えた力まで引き出しちゃったなんていい笑い話だな、アルクカースに帰ったらみんなに聞かせてやろっと)
正直言えば、ここまで強化はラグナの想定の外にあった、強くなるだろうなと漠然には思っていたがここまで爆発するとは想像も出来ないだろ
そもそも付与魔術と互角に打ち合える人間がいること自体驚きだよ、この時点で俺の素の身体能力を遥かに凌駕していることになる、神に愛されてるってのは本当なんだな
「ぐぅぅ…ぐるるる」
「けど、どうやら俺達には時間がないみたいなんだ、悪いけどこっからは本気で勝ちに行かせてもらう!」
「がぁぁぁぁああああああ!!!」
踏み込む、ただそれだけで大地が沈み周囲の岩が浮かび上がり地震が発生し残った氷が弾けていく、跳躍するのはラグナとネレイド ほぼ同時だ
「いくぜぇぇぇええ!!、ネレイドぉぉぉおおおお!!!」
「ぐがぁぁっ!!!」
最速を行く、赤き閃光と瞬きの巨影は空を駆け抜け激突すると共に轟音を発生させる、それだけではない…それでは終わらない
二つの影は目にも留まらぬ速度で魔女の懺悔室内部を高速で飛び交う、縦横無尽に飛び交う、時に空中で 時に地面で、場所を選ばず何度も何度も熾烈なる激突を繰り返す
一撃で城塞さえ破壊するほどの打撃の応酬、体当たりで山さえ吹き飛ばしそうな二人の激突、それは大地に堕ちると共に走り出し、氷の家々を破壊しながら進んでいく、もはや二人を止められる物はこの場に存在しない
「ッ!取った!」
そんな激突の最中、先に勝機を見出したのはラグナの方だ、蹴りを五発 拳を十発打ち込みそれでも揺るがないネレイドを相手にようやく生み出した隙を見逃さず彼は高速で駆け抜けながら、同じく神速で走るネレイドの懐に向けて拳を握る
圧倒的握力で魔力を押し固め、炎のように燃える拳骨を腰だめに構え…
「熱拳一発ッ!!」
「ッッ!?!?」
ラグナの持つ我流の奥義、アルクトゥルスより授けられた擬似的な魔力覚醒を拳に纏わせ放つ一撃は世界最強の将軍の顔色さえ変えさせるほど、それが真っ直ぐ紅の光芒を残しネレイドの懐に突き刺さり…
「ッ!?」
違う、突き刺さっていない、防がれている 咄嗟にクロスさせた腕でラグナの拳を、いや反応出来た事も驚きだが…これは
「がぁっ!」
「嘘だろ…!効いてねぇのかよ!」
弾かれた、身を震わせ腕を広げたネレイドの怪力に弾き飛ばされ 彼の必殺の奥義たる熱拳一発が完璧に弾かれた、痛くないはずがない 苦しくない筈がない、なのにネレイドは痛がる様子も仰け反る様子もない
もう痛みさえ感じないというのか…!
「ぐがぁっ!」
「あ、やべ…!」
自らの一撃を防がれて呆然とするラグナの頭に向けて飛んでくるネレイドの掌、それはラグナの頭を掴み、がっしりと固定する…
この期に及んで、これだけ怒りに狂っていても、ネレイドの技量には一点の曇りも見えない、このまま投げ飛ばされたらマズイとラグナは咄嗟に腕を振り上げ
「ごはぁっ!?」
ラグナが抵抗の意思を見せるより早くネレイドはラグナの体を地面に叩きつける、掴んでから投げるまでの速度がさっきまでとは段違いに速い
「ぐぅっ!?」
「ぁがぁぁぁぁああぁ!!!」
叩きつける、一度では済まさず二度も三度も何度も何度もラグナを叩きつける、大地が砕けても構う事なく暴れるようにネレイドはラグナを振り回す、速度が上がるとは即ちネレイドの筋力が上がっているという事であり、速度と筋肉量が増しているということはつまり
威力も破壊力も桁外れに上昇しているということでもある
「げぅ…!げはっ!」
ラグナの血が宙を舞う、それは体から流れたものか口から溢れたものか分からない、まるで海流の只中に放り込まれたかのような猛攻に為す術が無い、さっきまでの強さが嘘のようだ
「ぎぃぃぃ…ぅがぁぅっ!!」
「なっ!?」
トドメとばかりにラグナの体が投げ飛ばされる、ネレイドの足が後ろに振り上げられ ラグナを持った手が地面につくほどの勢いで振り下ろされ、ラグナの体が一直線に投擲された
それは直線上にある全ての建造物を一瞬で塵へと変え、舞い上がった砂埃に大穴が開き、ラグナの体はあっという間に魔女の懺悔室の壁への叩きつけられ、その堅牢な岩壁に巨大なクレーターを一つ作り ようやく止まる
「ぐはぅっ…、すげぇ力…ッ!」
ガラガラと崩れる壁の中蠢くラグナ、今のは効いたとばかりに痛がりながらもそれでも立ち上がろうとする彼の視界が一瞬で暗くなる
いたのだ、目の前にネレイドが、ラグナを投げ飛ばしたその地点からすっ飛んできたネレイドが両足をつけてラグナの元まで…
「カリプソ・ドロップキックッ!!」
「ッッぎぃぃっっ!?!?」
無防備に受けるネレイドの砲弾の如き両足蹴り、金槌で叩かれた胡桃のように全身が砕ける感覚を味わうラグナは、血の滲む歯を食いしばりながら必死に痛みに耐える、叫びそうになる口を意地でも閉じる
「まだ生きている…」
「ぜぇ…ぜぇ…そりゃ当然」
ガラガラとさらに崩れる岩壁の中埋もれるラグナを見下ろすネレイドはゆっくりと地面に足をつき目を赤く輝かせる
圧倒だ、あれほど苦戦していたラグナを相手に今度はネレイドが圧倒してみせる、それだけネレイドという人間は他者に遠慮をして生きてきたのだ、誰かに譲りなるべく自分を出さずに大きな体を縮こまらせて生きてきたのだ
それを痛み入るように感じるラグナは額から流れる血を拭い、体を岩の中から抜け出させる…
「不運だな、恵まれてるってのも…」
「…………お前に何がわかる」
「さぁな、分かりようも無いかもな」
グシグシと顔を擦り滲む血を全て拭うとラグナは再び構えを取り、ニッと歯を見せ笑う
「で?どうしたよ、俺はまだまだピンピンしてるぜ?、追い討ちかけなくていいのか?」
「……お前は倒す、けど…その前にお礼を言わせて」
「え?何が?」
「あなた私に本気出させる為にあんな事言ったんでしょう、私の師匠を貶すような事…、よくよく考えてみたら魔女大国の王であり魔女の弟子である貴方が他国の魔女様だからって悪くいう筈がないよね」
「あ…ははは、バレた感じか…、いや 後で謝罪は入れるつもりだったんだがな、悪かった 嘘でも嫌なこと言ってよ」
どうやらその辺の分別はつくぐらい冷静にはなったようだ、んー?というより多分キレればキレる程自分を顧みるタイプか、その怒りが正当かどうか考えてしまうタイプ…、そして少しでもその怒りに落ち度があると急激に怒りが冷めてしまうタイプの人間だ
心優しい人間とも言えるし損する側人間とも言える
けど、怒りは冷めているが…その力が衰えている気配は全くない、枷の外し方を理解したか
「手加減してしまう悪癖を持つ私に全霊を出させる為だったんだよね、お礼を言うよ」
「礼を言われるほどの事じゃない、決着をつけるなら互いに全身全霊でなけりゃ意味がない…だろ?、後から『あの時この力が出せていれば』と遺恨が残るような戦いにしたくないからな」
「貴方はスポーツマンだね…」
「ははは、けど…だからこそ一つ分からねぇことがあるな」
「え?…」
ラグナの問いかけに目を丸くするネレィトは首をかしげる、まだ何かあったかと…
「俺に貶されただけで怒るくらい自分の師匠が好きなら、なんでお前この状況を良しとしてるんだ?、いるんだろ?シリウスがお前の師匠の後ろに」
「シリウス?」
「あれ?名前知らないのか?、ほら…黒髪で赤い目の」
「ッ…!、いる…!テシュタル様と名乗っている人間がそんな見た目を…」
なるほど、やっぱテシュタルの名を騙っていたか、この国でやっていくならまぁそういう風に偽装する方がやりやすいし、そもそもアイツは神様って名乗っても違和感ない奴だからな
「で、そのシリウスがお前の師匠を好きに動かしてる…これにはお前怒らねぇの?」
「…あれは、私の師匠が望んだ事だから」
「ふーん、そうか…まぁ気持ちは分からないでもないけどよ、でもやっぱそれじゃあ無理だと思うぜ?」
「何が…」
「俺達を…エリスを止めるのは、な」
俺はこの旅と戦いの先頭に立っているのはエリスであると考えている、アイツが覚悟を示すから俺達は同じ分だけ覚悟を示せる、そんなエリスの覚悟とネレイドの覚悟とでは悪いが次元が違う
師匠の手の中で師匠を守ろうとするネレイドと、師匠の手の中から出てでも師匠を止めようとするエリスとではな、だからきっとこいつらはここまで俺たちを止められなかった
現にネレイドはシリウスとリゲルの指示に従うかなんかして、最後まで戦線に出なかった…、それがこの結果を招いたといえばそうだしな
「…ッ」
「師匠を思うなら、やりようがあった事くらいお前だって分かってんだろ」
「好き勝手…好き勝手言って!、何にも知らない癖に!」
ギリッと歯が食いしばられると共に放たれるネレイドの拳、弓を引くような姿勢で振り被る拳を刹那の間に叩き出し、ラグナの肉体へ衝突させる
「ぐっ!!」
「好き勝手言って!私がどれだけ悩んでたかも知らないで!勝手なこと言わないでよ!!」
叩きつける叩きつける叩きつける、何度も何度も拳を叩きつける、狂気的な速度圧倒的威力絶望的乱打、枷が外れ爆発するように暴れるネレイドの拳は雨のようにラグナの体に打ち込まれる
腕をクロスさせ全身の筋肉を硬化させ防御を図るラグナも、防御の下で苦悶の顔を浮かべる程の凄絶なラッシュに再び彼の体が岩に埋もれ始めたその時であった
「私は我が師に従いその意思のままに戦う!、それがあの人の優しさに報い居る唯一の方法だから!、だから例え何があろうとも!その後ろに誰がいようとも!私は師匠に!お母さんに!従うんだ!」
放たれた拳の一つが突如開かれラグナの体を鷲掴みにする、来る!ネレイドの投げ技が!そう感じた瞬間には既にラグナはネレイドに振り回されるように回され天高く掲げられる
「だから私は貴方達に勝つ!全員を殺し!全員を消して!母の願いを叶えるんだ!」
「何を…!?」
そのままネレイドはラグナの体を背中から抱え込むようにガッシリと掴む、腕はホールドされ抵抗出来ず締め落とすような勢いで体を縛ったまま、ネレイドは…後ろへと倒れこむ
「必殺…!」
「え?必殺?」
そう必殺と言うに相応しい一撃をネレイドは持っている、八十八のフィニッシュホールドの中で最強の威力を持つと言われ 彼女の中で封じ手として今まで禁じてきた一つ必殺技が
それはラグナを抱えたまま後ろへと倒れこみ、体を反り返らせ弧を描いてラグナを地面へと送っていく、一切の抵抗も防御も許さない彼女だけに許された必殺技…その名も
「デウス・スープレックス!」
デウス・スープレックス…ネレイドが開発した独自のジャーマン・スープレックスである、背後から手を抑えるように掴み、そのままブリッジの姿勢で相手を地面へ叩きつけホールドするレスリングの大技の一つ
それをネレイドが使えばどうなるか、圧倒的巨躯が描く曲線はまるで山脈の如く相手を高く掲げ、その体重全てをかけて相手を背中から地面に落とせば、地面と共に相手は砕け散るだろう、ネレイドの持つ技の中でも随一の威力を持つそれは目撃した数少ないファン達の間で『ネブタキャニオンフォール』の名で幻とされされてさえいる
使えば相手を殺しかねない大技を、殺す覚悟を決めて放ってきた、ラグナならば死なないだろうという気持ちとこの男はこれくらいしなければ止められないだろうという二つの思考から、ネレイドは必殺の奥義の断行に至る
「ッッ───────」
全身の筋肉を使ってのスープレックス、それはラグナを背中から岩盤に叩きつければ、周囲の大地が神によって耕されたが如くひっくり返る、粉々に砕け散り大穴を開け まるで隕石でも降ってきたかのような衝撃の中心で
ラグナの体は、その上半分が大地に埋まった状態にて、ようやく暴威は収まる
「はぁ…ふぅ、はぁ…」
ブリッジの姿勢でラグナを叩きつけたネレイドは息を整え姿勢も戻し、立ち上がる
ようやく倒せたか、という安堵の吐息が染み渡る、ラグナという男の底知れなさは途轍もない、ネレイドが今まで戦った相手の中で最も強かったと言ってもいい
何度投げても平然と立ち上がり、何度叩いても平気な顔で殴り返してくる、手加減を失ってようやく勝負になる程の相手…、こんなのが世界には居るのか
「ラグナ・アルクカース…貴方は強かった、けど…それでも、私の方が強い」
そうだ、ネレイドは負けられない、師匠の為 仲間の為 国の為ネレイドは負けられない、それが間違っているかなんて問いは必要ない、相手がどれだけ強いかも関係ない
ただ従い、ただ戦い、ただ勝つ…それがネレイドが己に課した使命であり義務なのだから
「お前の仲間もすぐに追いかけ、全員潰す…我が師の元には誰も行かせない…」
ズシズシと足音を立て、覚醒した巨人はその身に圧倒的な闘志を纏わせ氷の宮殿へと向かう、ラグナは倒した、後は残った連中を始末するだけだ
………………………………………………………………
「待てよ、まだ終わってねぇだろ」
「え?」
振り返る、ネレイドは歩みを止めて振り返る
聞こえないはずの声が聞こえる、倒したはずの男の声が聞こえる、ありえない…あり得ないとネレイドは冷や汗を振り切り背後に目を向ける、すると
「何勝ったみたいな空気出してんだよ…、俺ぁまだやれるぜ」
上半身を埋めたままの状態のラグナから声が聞こえる、なんかの間違いかと目をこすってみるがやはりラグナから声がする
まだ意識があるのか、まだ喋れるのか、まだやる気なのか…
「お前…まだ」
「いやぁ、にしても強いなネレイド、一周回って同じ弟子として嬉しい上に心強い、力も強いし何よりタフだ」
「いや、今の貴方には言われたくない…」
「それに引き換え俺は失礼だったよな、せっかくお前に全部出させたのに…俺はお前に全部を出していなかった、ちょっと前までのネレイドみたいに本気で戦ってるつもりになってた」
「え?…」
「だから…俺もやるよ、正真正銘これ以上ないってくらいの全力を、この後の事とかこの先の戦いの事とか、そんな眠たい計算や萎える言い訳は抜きにして…全部の全部、お前にくれてやる」
だから、最後までやろう そう言うラグナの言葉に言い知れない恐怖を感じる
『タチの悪い寝言だろ?』そう感じる程にラグナの言葉は自信に満ち溢れている、ネレイドが本気と思ったその先にまだ力を眠らせていたように、ラグナにもあるというのか…先が、本気の先、限界を超えた力が
「行くぜ…、よく見とけ…こいつが俺の全身全霊」
ラグナの魔力が渦巻き彼の体に収められていく、それは彼が見せた必殺の一撃 熱拳一発によく似た現象のようにも見える、魔力が凝固しより一層強くなる…それが今、ラグナの全身で発生している
これは…と、ネレイドがゴクリと固唾を呑むと共にそれは形を伴う
「魔力覚醒…!」
「え…ッ!?」
魔力を極め 体技を極め 心を極めた者だけがたどり着ける至上の領域、魔女大国最強戦力達が皆至っている絶域、未だネレイドが至れていない神域…その名も魔力覚醒
それを今 目の前にいる男が発動させた、その事実に疑心を持ちながらも疑い切れない、何故なら既にラグナの体から炎のように揺らめく闘気漏れ出て黄金に輝き始めていたから…
「『拳神一如之極意』」
刹那、ラグナの体を埋めていた大地が黄金の輝きを放ち弾け飛ぶ、地面の下に爆弾でも埋められていたかのように 火山でも噴火するかのように、跡形もなく吹き飛んだ地面はラグナの体を解放し、中からそれが姿を現わす
それを見たネレイドは思わず感じる、『孵化した』と…、砕ける大地はラグナを押し込めていた卵の殻のようだ、それを爆ぜさせ外へと出てくるラグナは宛ら雛…いや大鷲か
「これが俺の底だ、これ以上はない…将軍相手にも温存したこの力、お前に使ってやるよ、ネレイド」
「う…あ」
立ち上がる 赤金の闘炎を侍らせるラグナが、その瞳はより一層赤く輝き、髪は静かに揺蕩う、見たことはないが断言出来るこれは間違いなく魔力覚醒であると
魔力覚醒『拳神一如之極意』、これこそがラグナの魔力覚醒、塔のペーとの戦いでその一端を発揮したラグナが一つの極致の名である
なんてことはない、魔女アルクトゥルスが課した魔力覚醒の修行は既に完遂されていたのだ、それでも彼はこれを今まで実戦で使ったことは一度としてない…あの将軍アーデルトラウトとの戦いでも使わなかった
その理由はいくつかある、そもそもこれは長続きするものでもないし消耗も激しいし使わないなら使わないに越したことは無い形態だ、けど…その際たる理由は一つ
これは彼にとっての『底』であるからだ、これを出した以上の事はラグナには出来ない、これを出してしまったらこれより先はない、師範の教えである『先に底を見せた方の負け』という言葉に従い彼はこの覚醒を最後の奥の手として密かに隠し続けていたのだ
ただ、そんな覚悟さえも捨てさせるほどにネレイドはラグナに全霊を示した、これ以上ないくらいの底を見せ続けた、ラグナが見せるよう仕向けたのだ、だというのにこっちは奥の手隠したまま終わりってのはフェアじゃない
そうだ、ラグナがネレイド相手に全霊を出させたのも ここまで懇切丁寧に彼女と戦ったのも全て『フェアでありたい』からだ、仲間ではなく敵として相対する魔女の弟子であるネレイドと決着をつけるなら、フェアに全霊で決着をつけたい…
そんな傲慢から来る行いだ、そして彼はその傲慢を押し通すだけの力がある
何故なら彼は、最強の魔女の弟子なのだから
「悪いな、今まで隠してて…でもちゃんと出したんだし、これでチャラでいいよな」
「お…お前」
ワナワナと震えるネレイドは慄く、ラグナの姿を見て恐怖する
魂が押し固められ外部に排出された魔力は赤金の炎となって彼の周囲を漂う、炎とは苛烈の象徴であるにも関わらず、彼の帯びる炎はなんとも静かだ
まるで篝火のように周囲を照らす静かな炎…、それが今ネレイドは堪らなく怖い、生物としての炎への根源的恐怖を催させるラグナの姿にネレイドの足が止まる
「来ないならこっちから行くぜ?…なぁ!」
「ッ!?」
ラグナが動いたかと思えば既に目の前にいた、まるで縮地…ただの一歩が今のネレイドには見えない、けど
今更闘うことをやめられないネレイドは歯を食いしばり 手を握りしめラグナに襲いかかる
「う…ぅがぁああああああ!!!」
それは拳の嵐である、枷を外しリミッターが解除されたネレイドの拳の暴威がラグナに襲いかかる、付与魔術を使っても防戦一方だったラグナを苦しめた連打を至近距離で捉えるラグナは…
「フッ…」
一呼吸で全てを躱す、軽いステップと上半身の動きだけでネレイドの連撃を避けてみせる、見えているんだ…ネレイドの動きが、完全に見切っているのが ネレイドの動きを
それは
(見える、ネレイドの全てが…)
今のラグナの視点を言語化するならば、それは『流れ』である
魔眼の到達点 未来を見る『流視の魔眼』と同一でありながら別方向に特化した視線、それはネレイドの動きをより鮮明にラグナの脳に伝え情報をより細かく精査する
流れの発生地点から行き着く先がラグナには見えている、ネレイドがどこから拳を放ち何処を狙っているか見えている、魔力の流れと筋肉の流れ それはネレイドという人間の本質を観て理解することが出来る
それが拳神一如之極意の力だ、アルクトゥルスが授けた教え その本質である『思考して戦え』という性質をラグナが確かに受け継いだからこその流れの支配
ラグナの目には今ネレイドどころか全ての流れが見えているのだ、戦場の流れさえも理解する究極の視線はネレイドの稚拙な攻めを理解し炎の揺らめきのように軽く避ける
「拳骨の打ち方がなってねぇな…ネレイド」
「くっ!?当たらない…!」
そして、流視の魔眼と違う点があるとするなら…その流れを見るという力は拳神一如之極意の一部分でしかない、ということだろう
この力の本質、それは…流れを支配している というところにある
「フッ」
「え!?」
刹那、ネレイドのバランスが崩れワタワタと動きが止まる、ラグナが軽く手を翳しただけでネレイドの生み出していた攻めの流れが崩れ力が霧散してしまったのだ
相手の流れを理解し支配するからこそ、それを無効化することも出来る それは宛ら相手の攻めを侵略し覆い尽くす烈火の如く
「よく見て、よく感じろ、ネレイド…お前だってこのくらいのこと、出来る筈なんだから」
「くぅっ…!」
拳を握るラグナの姿を目に移しネレイドは歯を食い縛る、悔しさに食い縛る
あまりの理不尽に、あまりの不条理に、どれだけ力を尽くしても超えることさえ叶わないラグナという男の苛烈な強さに、涙を流す…あれだけ鍛錬しても足りないというのか、師匠の誇りを守ることが叶わないというのか
無力とは、かくも悲しきものなのか…!
「歯ァ食いしばれ!、一気に行くぞ!」
ラグナは拳を握り体を動かす、流れの支配とはつまり自らの流れもまた操ることが出来る、武とは即ち流れにある、闇雲に打ち出される拳よりも合理に則り流れるように放たれる拳の方が強いと彼は教えられた、だからその通りに放つ
時に激流の如く攻め、時に清流の如く攻める、川の流れのように大きな流れを小さく小さくまとめ収束し集約し凝縮する
それは岩さえ穿つ水流
それは平野を燃やし火流
それは万里を突き通す風流
それは遍くを砕く岩流
それは至上の教えにして全てを戴く無縫化身流
「無縫化身流、奥義…!」
流れが今、一点を貫く…
勝利への道筋へと…!!
「風天 終壊烈神拳ッッ!!!」
集約された炎の拳は風を纏いより巨大になり、ネレイドの懐を貫く
アルクトゥルスが授けた十大奥義、その第一である風天 終壊烈神拳…、魔力覚醒を行ってようやく使える魔女の技はネレイドの全てを砕く、彼女の中に存在する前へと進もうとする流れ、それさえも的確に破壊し叩き砕き…
「ぐっ…うぅっ!!」
抵抗も許さず、終わらせる
弾け飛ぶ、ネレイドが飛んで行った先にある全てが、氷の街を一直線に飛んでいき向こう側の壁に叩きつけられたネレイド、その間に合ったもの その向こう側にあった全てが弾け飛び爆ぜ散る
これが魔力覚醒、エリスに続き二人目の魔力覚醒を行い第二段階到達者となったラグナの真の実力
「がっ…ぐっ…ふぅ…う……」
手を伸ばす、ネレイドは手を伸ばす…、きっと他の神将もこんな風に最後まで諦めなかったのだろう、ならそれを率いる私が諦めていいはずがない…諦めていい筈がないのに
──遠い、ラグナの背があまりに遠い、すぐそこにあると思っていたのに…今はもうこんなに遠い
これが実力の差、これが魔女の弟子最強の人物…
(私は…私は…師匠の…お母さんの…教えを…ぉ…)
「ネレイド、お前はきっと直ぐにここまで来る、そん時はまたやろうや…、俺達弟子の戦いはきっと、ずっと続いていくんだからな」
取り敢えず今回は俺の勝ちだとラグナは意識を失ったネレイドに背を向け、魔力覚醒を解除する
「エリス…直ぐ助けに行くからな」
これで神将は全員倒した、後はエリスを連れ戻すだけだ、何が起きてんのかさっぱりだが…、今はとにかく動かないと!
こうして、魔女の弟子と神将の総力戦は魔女の弟子達の勝利に終わった、四人の神の将は大地に伏して彼らに道を譲ることになった
だが、まだ戦いは終わらない…
神将ではない男が、最後の砦として立ち塞がっていたからだ
………………………………………………………………
「ほう?、光を出すペンで空中に魔術陣を…面白い芸を持つものよ」
くつくつと笑う老父は杖をつきながら笑う、魔女の懺悔室の中央に存在する星見城ノースポールを模した氷の宮殿、その内部に存在する冷気漂う青の回廊の真ん中で…、目の前に立つ敵対者に向け不敵な笑みを浮かべるのはゲオルグ…
この国に於けるNo.2である枢機卿を務め 世界に栄えある七魔賢の一人でもあるゲオルグ、それと相対するのは
「はぁ…はぁ…はぁ」
「だが、芸は芸…所詮は芸事よ」
「芸術ナメちゃいけませんよ!」
プンスカと怒りながらも全身に夥しい量の傷を負ったサトゥルナリアは叫ぶ、エリスを先に向かせるためゲオルグとの戦いに臨む彼は その実力差にやや辟易していた
七魔賢の一人でもあるゲオルグと魔女の弟子になったばかりで経験の浅いサトゥルナリアでは実力に天と地ほども開きがあったからだ
ある意味、この魔女の懺悔室で行われる戦いの中で最も絶望的な戦いと言えるだろう
「それで?、今度は何をする…演者よ」
「勝ちます!最初からそう言ってるでしょ!、僕だって…魔女の弟子なんですから!」
ペンを構え勇ましく吠えるナリア、彼とて外にいる仲間達と同様 魔女の弟子なんだ、ここは負けちゃいけない場面だってことくらい理解している
だからこそ、一歩も引かない
勝ち目もなく、されど負けてはいけない 引いてはいけない、そんな絶望的な戦いにサトゥルナリアは一人で臨む
この戦いは悲劇と終わるか、それとも……