242.魔女の弟子と退廃の魔の手
「はぁぁぁああああ!!!」
「ぐぅっ!」
振るう 振るう、拳と蹴りを、時折投げも織り交ぜて次々と迫り来る帝国兵を薙ぎ倒し 前へ前へと進んでいく
「居住区画の全住避難完了!」
「よし、ならば大型魔装を投入しろ、敵は一人と侮るなよ、お前達も彼女の強さはよく分かってるだろう!」
住民の居なくなった街の大通り、いつもならば子供達が遊び 奥様が井戸端会議をしているような平和の象徴たる居住区画の大通りが今 戦場へと変わっているのだ
避難勧告をされた住民達は言った
『大いなるアルカナは…、魔女排斥組織達は倒したんだろ!、だったら何故またここが戦場になるんだ!』
普段は帝国府や帝国軍に従順な彼等もこの日ばかりは怒った、いきなり過ぎる 急過ぎる、なんの前触れも説明もなくそれは訪れたのだから
住民達に聞かれても それは機密事項故に応えることは出来ない、だが何かしらの答えを返さねば そう悩みに悩んだ兵士達は住民にこう説明した
『今からここで戦闘を行うのは、帝国の理念 世界秩序に反する存在である』
そう語る兵士が言いにくそうだったのは、本当のことを言えぬ歯痒さか 或いは命の恩人でもある彼女をそう呼んでしまう事への申し訳なさか
されど、どれだけ申し訳なく思っても 悲しく思えども、もう戦端は開かれた
孤独の魔女レグルスの弟子 エリスと、レグルスを抹殺しようとする帝国の 真っ向からのぶつかり合いは始まってしまったのだ
「『火雷招』ッ!」
街道を埋め尽くす帝国兵の海に雷が一閃走れば、その余波と衝撃で人海を無理矢理こじ開ける、とにかく道を作る そうしなければ前に進めないから
「行かせるかぁぁあぁあ!!!」
「むっ!」
目の前に出来た道を進もうと前傾姿勢になったエリスに向けて、背後から槍型カンピオーネを振りかぶり 行かせまいと斬りかかる男の影が伸びる
「はぁっ!」
「ぐぶっ!?」
咄嗟に軸足を中心に体を回転させ回し蹴りにてその男を蹴り飛ばす、しかし それが良くなかった
「今だぁぁ!!」
「一斉にかかれ!拘束しろ!」
「な!?ちょっ!?」
足を振り終えると共に四方八方の兵士達がエリス目掛けて飛んできて、手足に絡みつき 背中に乗りかかり、この体の自由を奪う、完全に拘束されたか!
「エリス殿!もうこれで終わりにしましょう!、貴方の気持ちは分かりますが!何卒ご理解を!」
「出来ません!、エリスは師匠を助けに行きます!、絶対に師匠は殺させません!!」
なんて気炎を燃やせども足が一歩も前に進まない、そうこうしている間にエリスがこじ開けた道が塞がり始める
帝国兵の皆さんが言いたいことはわかる、貴方の師匠を殺すのは申し訳ないが それでも呑み込んでくれ、そう言っているんだ これも世界平和のためなのだから…と
そりゃそうだ、今 師匠はシリウスに体を乗っ取られているという、それはかなり切羽詰まる程に深刻な状況、何が何でも阻止しなくてはいけない この作戦は絶対に失敗できない
だから帝国も放置出来ないのだ、シリウス対帝国の構図の中の不確定要素たるエリスを、エリスは所詮一人の小娘と無視出来る程に弱くは無い、エリスが本気で暴れて レグルス師匠を助けようと動けば 帝国は少なくない被害を負う
故にエリスを排除しようとしているのだろう、或いはエリスが帝国側につけば話は違ったろうが…受けられるわけがない そんな話、物の道理とか理屈とかそう言うのを全て超越して エリスは師匠を傷つける者を許せない
「ぅぐぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!」
「お おい!嘘だろ!、この人数でのし掛かってもまだ動くのかよ!?」
「おい!、もっとだ!もっと大人数で抑えろ!、そんでもって早くカンピオーネで拘束しろ!」
全身の筋肉を隆起させ 数十人纏めて背負って前に進むエリスを止めようと、のし掛かる人間の上からさらに帝国兵が何重にも…、それこそ山のようにエリスの上に降り掛かる
押し潰すつもりか?、さしものエリスもこんな人数抱えては進めない…けど、けれど !
「怪我したくなきゃ、離れることをお勧めしますよ…!」
「へ?あ!やべ!」
「『旋風圏跳』!」
瞬時に極限集中へと入り、旋風圏跳を発動させる 風を纏い 風となり、エリスの体は人の山を背負ったまま高速で進んでいく、自らこじ開けた人海の道をぐんぐんと進み 遠慮もなく加速する
その加速についてこれない帝国兵たちは一人 また一人と引き剥がされていき、遂にエリスは兵士達の拘束を逃れ宙を駆け抜ける
このまま一気に居住エリアから脱出しよう、そしてその後師匠がいるところを探して…、探して…どうする
状況は未だ嘗てないくらい悪いのに、未だにどこに向け進んだらいいか判然としない、何を目指して動いたらいいか分からない、ただ漠然と今の状況に反抗しなければならないという気持ちに突き動かされているが 、闇雲に動いても解決なんか出来ない
「ぐっ!?」
突如、居住エリアの外を目指して跳ぶエリスの体が弾かれる、虚空に浮かび上がる半透明の壁に寄って弾き返されたのだ
「なんですか…これ!」
風を慌てて掻き集めて前方を注意深く見る、何があった 何に弾かれた、クラクラする頭を振るい 観察する
地面には蠢く帝国兵の軍団、そして それを押しのけて奥から現れるのは巨大な…巨大な…
「ぐわっ!ぐわっ!ぐわっ!」
巨大な鋼鉄の鵞鳥だ、それが強力無比な魔力障壁を展開しながら歩いてきて…って
「なんですかあれぇーっ!?!?」
いや待て、確かあの鵞鳥…対アルカナ戦の際も投入されていたな、名前は 『ビッグアンセル』だったか?、帝国の主戦力たる兵器…大型魔装だ
一人の天才少女によって生み出された大型魔装の一つであり、第十一師団 帝国特殊機構隊の防御担当だった筈だ、確かメグさんからもらった情報の中にそんな話があった筈
「大型魔装まで出してきました…っと!?」
けたたましい鳴き声を響かせながら魔力障壁を展開するタマゴをボコボコ生み出しながら進軍するビッグアンセルの背後から 高速で飛んでくる砲弾を空中転身で回避する
どうやら、投入された大型魔装は一つではないようだ
「本気でエリスを潰すつもりなんですか…帝国は」
せっかく直したばかりの街並みをガラガラ破壊しながらビッグアンセルの背後から現れる巨影達、犇めく帝国兵も奴らを前に道を開ける
ドシンドシンと石畳を叩き割り進み現れるそれらは鋼鉄の体を肉のように流麗に震わせ、頭を模した部分をエリスに向けて 吠えるように駆動する
「大型魔装達だ!、機構隊が到着したぞ!、各員!巻き込まれないよう援護体制に入れ!」
全師団で最も重厚かつド派手な師団 第十一師団 特殊機構隊、数多くの大型魔装を保有するビックサイズ師団がエリスを討伐するために現れたのだ
同レベルのサイズ感を共有する二十六師団 超重装特殊師団が守りのプロフェッショナルだとするならば、奴らは殲滅戦闘のプロ、軍隊を一つ相手取っても余裕で全滅させられる帝国の虎の子部隊
蜘蛛型の砲台 バトルスパイダー 、雄牛型の戦車フォートレスブルドーザー、豹型の機動魔装ナイトウォーカー、あれやこれやが勢ぞろいし エリスに向けて砲撃を行ってくるのだ
「くっ!、また厄介なのが!」
多連装の砲台を次々とぶっ放すバトルスパイダーの連射を風と共に踊り回避すると、続けざまにナイトウォーカーが魔力刃の牙で噛み付いてくる、飛んでくるその頭を靴で踏みつけ地面に叩きつければ石畳をまるでバターのように切り裂いて咀嚼してしまう
その間にもビッグアンセルは魔力障壁を生み出し エリスの攻撃範囲を狭めていく…、凄まじい制圧力だ、というか
(こいつら、コルスコルピにいた防衛システムと同じ…)
コルスコルピでのアイン達との戦いでエリス達の生命線となり、大いに助けてくれた都市防衛システム達…、それとこいつらは酷似している、いや性能面で言えばこちらの大型魔装の方が遥かに上回っている
やはり、あの防衛システムもカノープス様が開発したのだろう、そして、それをとある人物が改造し 新たなる存在として生まれ変わらせた…
「あはははははは!!、流石だねエリス殿!、帝国の英雄と呼ばれているだけはある!」
「っ…!」
そのとある人物とやらがご丁寧に名乗りをあげるように笑い声をあげて現れる、大型魔装 バトルスパイダーの上に立つ一人の少女が腕を組みながらエリスを睨みつける
あれは…
「だが、私が来たからにはもうお終いだ!、悪いがここでやっつけられろ!、このユゼフィーネ・フレスベルグの手によって!」
だるだるの白コートと瓶の底を切り抜いたかのようなぐるぐるメガネをかけた一人の少女が両手を広げて雄々しく吠える
あれは第十一師団 団長…、別名超絶魔装軍神のユゼフィーネ・フレスベルグ!、次代を担う 魔装開発技師達の未来のホープたる彼女が…、師団長たる彼女が現れたのだ
「師団長…!、もう出てきますか!」
「当たり前だよ、我々には時間がないんだ、とっとと君を片付けて カノープス様の魔女シリウス討伐 その援護に行きたいんだよ!」
ユゼフィーネは語る、カノープス様の魔女シリウス討伐と…つまり、既にカノープス様と師匠の戦いは始まっているのか?、もう事態は動きつつあるのか、なら急がないと…!
師匠が負けるとは思わないが、シリウスに乗っ取られている以上本調子は出せまい、そんな状態で最強の魔女であるカノープス様と戦えば…ええい!
「そこを退いてください!ユゼフィーネさん!、エリスは師匠を助けたいだけなんです!、世界の平和を邪魔するつもりはありません!」
「魔女レグルスを助けること自体が 世界秩序の妨害なんだ!、君には悪いけど…全力でいかせてもらう!」
するとユゼフィーネはバトルスパイダーの上から飛び降りながらそういうのだ、師団長クラスがいきなり本気で来る、その事態に戦慄を受けながらも エリスは止まらない、ユゼフィーネさんだろうが 師団長だろうが、立ちはだかるなら全員倒して進む!
「行くぞ!、『出でよ!三神!』」
「な なんですか!?」
空へと舞うユゼフィーネ、その腕に取り付けられた白銀のブレスレットが光り輝く時、彼女の二つ名 超絶魔装軍神は顕現する
あのブレスレットは転移魔力機構を小型化させたもの、そいつを使えば現れる ユゼフィーネが手ずから開発した三つの大型魔装達が
虚空を割いて現れるのは天空の王者 『サンダーレッドファルコン』
大地を砕いて転移してくるのは陸地の守護者 『フレイムブルータイガー』
ユゼフィーネの足元にヌルリと現れるのは大海の貴公子『ウイングイエロードルフィン』
一つ一つが他の大型魔装を上回る機動力 馬力 破壊力を持ち合わせるともっぱらの噂の三つの魔装、されどこいつらにユゼフィーネの号令が加われば、更なる力を生み出すのだ
「『三つの力が一つになる時!、究極合身!三位一体!』」
魔術の詠唱にも似たその号令と共に ユゼフィーネの元に集う三つの魔装達、その形をみるみるうちに変形させて、ユゼフィーネをも飲み込み一つの魔装へと姿を変える
その姿を、一目見て讃えるならば こう呼ぼう
「誕生!、超絶魔装軍神・ビッグバンフレスヴェルグ!!」
足元の家々を踏み潰し 誕生したるは鋼鉄の大巨人、遥かに見上げるほどの巨大さと全身から滾る力強さを燦然と見せつけながら降臨するそれを見て…エリスは エリスは…
「えぇ…」
コメントに困る、なんじゃこりゃ…色々めちゃくちゃだろう、なにそれ なんか…、こんなめちゃくちゃなモンまで持ってるって、帝国の戦力って飛んでもないな
というかこの人タヴに負けたんだよな、タヴ強いな…
『フハハハハハハ!どうよ!無敵の体!最強の体!、私ってば強そう!強い!』
ぬははははと笑う鋼鉄巨人の中からユゼフィーネの声が響く、多分中に入ってユゼフィーネが動かしているんだろう、確かにすごい こいつ一体で国一つ相手にできるだろう、サイズ的に言えば師団長どころか帝国一
でもな
「退いてください、今更敵がデカイだけじゃビビらないんですよ、エリスは」
悪いが デカい敵の相手には慣れてんだ、アインソフオウルや大樹ヴィーラントに比べたら、こんなモンまだまだ可愛い鉄のおもちゃだ
『退かない!、君をこれ以上先にはいかせはしない!、師団長の名にかけて!任務は遂行する!』
迫り来る鋼鉄の巨人と大型魔装の群れ、さらにその足元には数えられないくらい大量の帝国兵、それが居住エリアを覆い尽くすように行軍する、エリス一人を殺すために
「…すみません師匠、ちょっと遅れそうです…!」
だから頼みます、師匠 無事でいてください、そう小さく祈りながら エリスは…
「行きます!エリスは!師匠の所にィッ!」
全速の風、縮地の如き跳躍は突風を纏い目の前の巨人 ビッグバンフレスヴェルグに…ユゼフィーネ団長に向けて突っ込む、エリスと師匠の間にある全てを蹴散らす為に
………………………………………………………………
「ひぃーん、報告書終わらないよー」
「へへへ、頑張れ頑張れフリードリヒ」
「辿々しいですね、普段から報告書書いていないのが見え見えですよ、フリードリヒ」
「うるせぇ!」
エリスと別れた後 フリードリヒ達三人はそのままラインハルトの執務室に連行され、この通りアルカナ戦の報告書を仕上げる為扱かれているのだ、と言ってもラインハルトは何処かへ行ってしまったし 報告書を書いているのはフリードリヒただ一人なのだが…
「というか手伝えよお前ら!」
「あたし達はまだ医者から復帰の許可が降りてないし」
「私もです、貴方だけですよフリードリヒ 今動けるのは」
「くぅ…、仕方ねぇか…」
観念したフリードリヒは頬杖をつきながらカリカリとペンを走らせ報告書を仕上げていく、これ俺がやらなきゃダメかな なんか上手いこといって誰かに押し付けられないかなぁ、そうだ 最終的に軍の総指揮取ったのフィリップじゃん、あいつに擦りつけるか?
(いや、今のフィリップにはあんまり負担かけないほうがいいな)
そうだった、最近のフィリップは様子がおかしい、変に思い悩んでいるというか、戦地から帰ってからロクに飯も喉を通ってないみたいだし、精神的に参っているようだった
新兵じゃあるまいに、師団長があんまり情けない顔をするな!なんてラインハルトみたいに無情な鬼になれない俺は フィリップが心配でならなかったのだ
変といえばみんな変だ、レグルス様もメグも変だ、そしてそんな変なメグに連れられてエリスさんもまたどっか行っちまった、おかしな事態にならなきゃいいんだが…
「おう、フリードリヒ ここ字ィ間違えてるぞ」
「あ?お…おう」
「どした?、んな顔して」
「いや…、お前らさ 陛下からされた話覚えてるか、ほら 魔女レグルスが大いなる厄災たるシリウスの肉の器になる可能性があるってやつ」
フリードリヒは何年も前にカノープス様からされた話を思い出す、…そうだ 魔女レグルスが大いなる厄災の原因たる存在へと変貌する可能性があることは、師団長クラスには皆話が通されていた
「ああ、知ってるぜ…」
「あの、私は知らないのですが…え?、魔女レグルス様が 大いなる厄災の原因に?」
え?え?と俺とトルデリーゼの顔を見るジルビア その表情は混乱の極致だ、そうか こいつはまだ師団長になったばかりで、そう言った諸々の話はまだだったのか
「そうか、ジルビアはまだ聞かされてないか」
「はい、いや レグルス様が災禍の種になり得るという話は昔から聞いてはいます、彼女は危険だと…、しかし その詳しい話は一般の兵卒にはされてませんから…」
「まぁおいおい聞かされるとは思うが、端的に言えば 帝国の掲げる『真なる世界秩序』とは、八千年前大いなる厄災を生み出した最悪の存在 シリウスの居ない世界のことを指し、俺達はそれを目指して戦っていたんだよ」
「八千年前の最悪の存在…、ですがそれはもう死んでいるのでは」
「死んでるよ、信じられないけど そいつ死んでも死なないみたいでさ、今もあの世の一歩手前で生者の肉体を奪おうとあれこれしてるらしい」
フリードリヒもこの話をカノープス様とルードヴィヒさんの二人からされなければタチの悪い冗談だと信じなかっただろう、だがカノープス様の目は本気だった それくらいはフリードリヒにも分かったから 理解出来ないながらも信じはした
カノープス様曰く シリウスの力は凄まじく 世界最強と名高いカノープス様さえ単身では勝負にもならないほどの力を持ち、凡ゆる不可能を可能とする 神の座に最も近き存在だと言う、それが現世に蘇れば 今度こそ世界は滅んでしまう それを阻止する為に俺たち帝国がいるらしい
カノープス様はシリウス復活を阻止するための戦力として帝国の軍備を拡張し、或いは最悪の事態に備えられるように 凡ゆる技術を作り出したとも言う、帝国のあの箱庭型の都市も シリウスによる世界破壊から逃れられるようにと作られた臨時シェルターの試作品だとか
「そんな存在がいたとは、しかし そのシリウスは魔女レグルス様を媒介に復活するのでしょう?、ならば何故陛下はレグルス様をその場で殺さなかったのですか」
「さぁ、そこまでは知らんよ、もしかしたら陛下の見立てとは違ったのかもしれねぇ、とはいえ 俺だって最初は警戒してたんだがな」
「嘘つけ」
本当だよ、だからあの軍事演習でトルデリーゼが全力を出すのを止めたんだ、『本番』は今じゃねぇだろってな
けど…
「まぁ何にしても、結局何にも起こらなかったな、まぁそれが一番だよな…だって」
「エリスか…」
そうだ、エリスだ、あの子がどう動くか どうなるかが正直一番のポイントだ
エリスさんは強い、そこらの師団長クラスならタイマン張っても引かないくらいには強い、特に凄まじいのは有事の際の爆発力とそこから生まれる推進力だ、ヴィーラントを前にした あの時見せた凄まじい勢いで帝国に向かってこられたら…、なんて考えてしまうくらいにはエリスさんは脅威だ
もし 俺達がレグルス様を殺そうとすれば、間違いなくエリスさんと敵対することになる、レグルス様の問題が解決しない限り、俺たち帝国とエリスが敵対する芽は消えない
…エリスさんが怖いから敵対したくないよう、なんて言うつもりはねぇ、だけど 心情としては敵対したくない、あの子はリーシャんの親友で 俺にとっても大事な人物だ
「…これを、エリスさんには話さないので?」
「話せるわけねぇだろ、実は俺達全員 レグルス様を殺す覚悟をして、あの日 謁見の間で出迎えたなんてよ」
「あたしはてっきりあの謁見の間でバトルが始まるもんだと思ってたぜ、あん時は拍子抜けしたけれど…正直戦わなくて正解だったな、エリスとも友達になれなかったしさ」
「そうだな、…ぶっちゃけ何が起こってんのか俺達にもわからねぇが、何もないなら それで……」
そう、フリードリヒが口からそれを零した瞬間、口とは災いの元であるとでも言おうか、それは現実のものとなってしまう
「フリードリヒ 書類は終わったか?」
「あ、やべ…実は全然、ってラインハルト お前…何武装してんだ」
部屋の扉を静かに開けて執務室の荷物を取りに来たラインハルトの姿を見て、フリードリヒは嫌な汗を吹き出させる、ニビルとの戦いで破損したそれを新調した武装を身に纏い、物々しい雰囲気を漂わせているのだ
今さっきまでしていた話が話だけに、嫌な予感を感じて なんのつもりかを問う、するとラインハルトは眉ひとつ動かさずに
「ああ、魔女レグルスの内部にシリウスの意思が生まれ 復活が始まった、今 カノープス様と三将軍が揃って討伐に掛かっている」
「な…はぁっ!?、マジかよ…!」
「マジだ、そしてエリス殿が我々の誘いを断り 魔女レグルスにつくことを選択した、故に今から師団長達で彼女の討伐を行う、あれも魔女の弟子 復活を阻止する我々の障害になり得るからな、だから」
「ラインハルトッッ!!」
ジルビアとトルデリーゼが止めるよりも早く、フリードリヒは立ち上がりラインハルトの織元を掴む、待てよと ちょっと待てよと、講義と怒りの意思を込めて掴みかかるも、ラインハルトはやはり 眉ひとつ動かさない
「どう言うつもりだ、フリードリヒ」
「そりゃこっちのセリフだぜラインハルトよぉ、お前 情はないのかよ、ちょっと前まで一緒にいたやつをよくもまぁそんなにも無情に殺そうと決意出来るな」
「情だなんだと言ってる場合じゃないんだよフリードリヒ、さっきも言ったろ…事態が動いた、レグルスの中に埋め込まれた種が芽を出してしまった、最早あれこれと議論する段階は超えたのだ、ここで躊躇すれば 壊れるのは世界の方だ…、滅びるのは人類だ」
事の大きさを天秤に掛けた時 、世界と個人 どちらを優先すべきかなど迷うこともない、世界が滅べばフリードリヒが大切にするものが何もかもが消え失せることを意味する、そんなことフリードリヒだって分かってるさ、だけど…
「別にエリスさんは人類を滅ぼす手伝いをしようってんじゃないだろうが」
「だが、同じことだ、今のエリスは我ら帝国の足を引っ張り レグルスの殺害を阻止しようとする、それは即ち人類破滅の共助に他ならない」
「そりゃ母ちゃん代わりの人間を殺そうとしてる奴らがいりゃ反発するに決まってんだろうが、…なぁ 魔女レグルスは絶対に殺さないとダメなのか?、或いはあの子となら見つけられるんじゃないか?、魔女レグルスを殺さず エリスの手を組む方法が」
魔女レグルスが今のまま行き続ければ いずれシリウスの種になることはわかっている、だがそこさえ解決して 復活を阻止できれば、レグルス様を殺す必要はなくなる エリスさんと敵対する必要はなくなる、俺達も戦わずに済む…みんなハッピーじゃないか
「最善の手をあの子と探すことさえせずに、枝を切り落とすように可能性を潰し エリスさんを殺そうとするなんて、それこそ愚かだろうが…」
「最善の手?バカバカしい、あるわけないだろう そんな物」
するとラインハルトはフリードリヒの腕を逆に捻り上げ、掴みながら睨み返す 何を甘いことを言っていると
「最善の手をエリスとなら見つけられる?、可能性を潰す?、馬鹿馬鹿しい、陛下が…レグルス様を愛する陛下がその可能性を探さなかったと思うか?、八千年間 着々と親愛なる人物を殺す為の支度をしながら 『或いは』その可能性を模索しなかったと思うか!」
「それは…」
カノープス様はレグルス様を愛している、愛した時間だけで言うのならエリスではまるで敵わない程膨大な時間を愛し続けてきた、そんな陛下が 『愛するレグルス様を殺す』と言う選択をすんなり受け入れたとは思えない
葛藤を続けてきた、ただ漠然とその可能性だけを理解しながら それでもその可能性を潰す為の思考と、最悪の事態が起きた時の対処の為レグルス様を殺す準備を永遠とも言える時間の中続けてきたんだ
その陛下が レグルス様を殺すと言う選択をした以上、レグルス様を救う方法はない という事…
「エリスと手を組むことはできん、お前同様現実が見えていないからな、…ただ 個人の願望の為だけに振る舞えば、最悪の結果を生む…フリードリヒ、思い出せ お前が守るべきものは何かを」
「………………」
エリスさんはレグルス様を救う手に心当たりはあるのか、きっと無いはずだ、エリスさんは今 レグルス様を殺す選択をした俺たちに対する嫌悪感から暴れているだけ、計画性は皆無 それを援助すれば…どうなるか
『どうにもならない』、それはフリードリヒの軍人としての経験と知識から容易に答えが出てくる
エリスさんとレグルス様は俺にとっての恩人だ、親友の そして俺自身の命の恩人…できるなら、敵対したくはない…けれど
「分ったなら出撃の支度をしろ、お前と私の力があればエリスの制圧は容易い、そうだろう」
「………傷が痛む、今日はもう寝たい」
「貴様…!、いや いい、今のお前について来られても迷惑なだけだ、精々毛布に包まっていろ、私が終わらせてくる」
フリードリヒの手を叩き 怒りを露わにしながら荷物を…、己の専用魔装を手にし部屋を出て行く、ラインハルトはエリスさんを殺しに行くつもりだろう、三十人近い師団長と二百万はいる帝国兵達が その武力を全て使いエリスさんを殺しに行くのだ
如何にエリスさんといえど…、生きることは出来ない、彼女は師匠を助けに行く事は叶わない、それはラインハルト達が阻止するだろう
「………くそ」
悪態を吐く事しか出来ない、今更フリードリヒがどれだけだだこね立って、何も変わりゃしない、もう事は動いてしまった、レグルス様が死なない限りこれは終わらない
そしてきっと、エリスさんは諦めないだろう、レグルス様が生きていようが死んでしまおうが、きっと師匠の為に戦い続ける、彼女を止める方法もまた…
「アルカナ倒して大団円で良かったじゃねぇかよ、ああくそ!」
「なぁ、フリードリヒ…どうすんだよ」
「どうもこうもねぇよ、出来ることなんか無いだろ」
「じゃあ見捨てるのかよ」
「それは…」
思い悩む、こうなる事は何処かで分かってたはずなのに いざこの時が来ると悔やんでしまう
或いは、エリスやレグルスと関係を持たず 無関係のままならば、俺たちは何も悩む事なくラインハルトについていけたのかもしれない、こうなったのも全てリーシャが居たからだ
アイツがエリスと親友だったから、俺達も引きずりこまれるようにエリスと関係を持って……
「後のことは…か」
もし、リーシャが生き残っていたら、アイツはどうしただろうか…
リーシャが生きていたら、アイツは俺達にもなんて言っただろうか
…リーシャが生きていたら……
「…………」
ただ一つ分かることがあるとするなら、きっと 間違いではなかったと言うこと
俺とトルデとジルビアが、リーシャに導かれるようにエリスと友の関係になったのは、間違いでは無い、なら…出来ることがあるなら
「はぁ〜分からーん!」
分からん、どれだけセンチに考えてもそう簡単にいい考えなんてのは浮かばない、出来ること?やれること?すべきこと?やるべきこと?全部分からん
帝国のために戦うか 世界を救うか、エリスさんの為に戦うか 友情の為に戦うか
きっと今、フリードリヒは人生の岐路に立たされている、何を選択すべきか ここで間違えたなら、きっと俺は一生後悔するから、だから思い切り悩む
だから…だから
エリスさん、死なないでくれよ、俺が名案を思いつくまでの間に!
「なぁジルビア、フリードリヒが…」
「ああ、ダメな時の顔してるな…」
二進も三進もいかなくなって項垂れるフリードリヒを見て、二人はため息を吐く、だがいい きっとフリードリヒはベストな選択をする、なら私達もそれについて行くだけだ
今は友を信じる、そう聞こえはいいが 三人は今 状況の静観を選んだのだ
…………………………………………………………………
「『煌王火雷招』ッッ!!」
『ぐぉぉぉぉああああああああ!?!?!?』
振り下ろす雷拳は巨人の脳天を撃ち抜く、既に全身の至る箇所を破壊されか辛うじて繋ぎとめられていた巨人の躯体は遂に限界を迎え、あちこちで爆発を巻き起こしながら崩れて行く
『ば バカな!、私のビッグバンフレスヴェルグが!、大型魔装達が!』
崩れゆく軍神の内部で、既に何処の異常事態を伝えるのさえ分からない程重なるエマージェンシーコールを引き裂くユゼフィーネの悲鳴が轟く、膝をついたビッグバンフレスヴェルグの足元には部品を撒き散らしお先に横になる大型魔装とそれに乗り込んでいた第十一師団の面々が倒れている
いやそれだけじゃ無い、エリスを囲んでいた帝国兵を全滅させ、そして申し訳ないが街も一つ、ぶっ壊した
「ユゼフィーネ!、貴方の兵器は凄まじいです!、ですが凄まじ過ぎて貴方自身がその躯体を御しきれていないのが弱点です!、剰えそのサイズ故に周りさえも巻き込む始末…、大きければ良いというわけではないのです!」
つい先程まで行われたユゼフィーネとの激戦を思い返す、確かにユゼフィーネの超絶魔装軍神ビッグバンフレスヴェルグの力は凄まじかった、腕の一振りがさいやくかとして成立するほどなのだから
しかし、しかしだ ビッグバンフレスヴェルグは凄くともユゼフィーネ自身の戦闘能力は大したものじゃなかった、普通に高速で動き回るエリスに翻弄されていたし、それをなんとかする為に闇雲に腕を振り回しただけで味方が吹っ飛び、バランスを崩して尻餅をついたら下の大型魔装達が潰れ…
今ここでぶっ壊れている大型魔装の八割はユゼフィーネ自身で壊したようなものだ、そうしている間にビッグバンフレスヴェルグはエネルギー切れを起こし…この始末だ
それだけの躯体を動かすエネルギーがあるなら もっと小型化しろという話だ、エリスに勝ちたいならな
『忌憚ない意見だ!次があるなら活かしてみせる、何せ私は天才魔装技師のユゼフィ…あああああ!!!!ダメ!もうダメ!爆発するぅぅう!!!』
その言葉を最後に鉄の巨人は爆発四散し中から黒焦げボンバーヘアーのユゼフィーネが飛んでくる、緊急の脱出装置くらいつけておけよ…
「ふぅー、さて 行きますか」
額の汗を拭う、しかし強敵だった…アルカナ幹部の上位ナンバーを遥かに上回る実力者が こんなホイホイ出てくるのか、しかも敵はまだまだいる
このままこの場に留まって 師団長に囲まれでもしたら終わる…、急がないと
「ふぅ ふぅ、師匠 待っていてください」
とはいえどこに行けばいいかも分からずエリスがフラフラ進むのは居住エリアの出口…、取り敢えず外に出向けば何か分かるかもしれないと、記憶を頼りに出口を目指し…
そして
「はぁはぁ、師匠…どこですか」
芝生生い茂る居住エリアの外へと出る、それぞれのエリアを繋ぐ蜘蛛の巣のような回廊へと通じる空の路へと脱出する…
「……………………」
雲より上のマルミドワズ、そこから見渡す 地平の果てまで
もうカノープス様と師匠は戦闘を開始しているような口ぶりだった、ならば戦場はきっと外だ、マルミドワズの外だ、あのカノープス様がマルミドワズを巻き込むような真似はしない筈…
「どこですか、師匠」
手摺に乗り出し、とにかく見渡す 既に空は赤く染まる黄昏時、そんな赤い空の彼方に …見えてくる
大気を揺るがす二つの衝撃波が、それが何度もぶつかり合い 大地を砕いている、それが地平の果てに見える、多分あそこだ あそこに師匠とカノープス様がいるんだ!
「見つけました!、すぐに行きますよ!師匠!」
躊躇無く エリスは手すりから外へと飛び出し、雲に向けて飛び降りる、そして
「颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を 『旋風圏跳』!」
風を身に纏い、空を駆け抜ける このまま師匠の元へと飛んで行こう、ここにいたら帝国兵に圧殺される!
両手を広げて風を捕まえ滑空するエリス、しかし この大空にさえエリスを阻む意思は存在し
「ッッ!!??」
刹那、動きを止める…その存在に気がついたから、こうして近づいた事で見えてくるそれを確認し、エリスは停止しつつ舌打ちする
「城壁のつもりですか…」
そう言いながらエリスは虚空に向けて手を伸ばす、するとどうだ この手が何もない空間を掴み停止する、見えない壁がある…しかもこのマルミドワズ全体をグルリと囲むように、まるで城壁のように この街を内からも外からも守っている
…魔力障壁だ、しかも信じられないくらいブ厚いそれが既に展開してある…、恐らく師匠とカノープス様の戦闘の余波から街を守るため、そしてエリスをここに釘付けにする為に発生した都市防衛システム
これを抜くのは厳しそうだ、魔女クラスの使い手なら抜けるかもしれないが エリスには厳しいだろう…、つまりエリスはこの街に閉じ込められた事になる
「出口はありませんよね…」
この魔力障壁に抜け穴があるとは思えない…、となると出口は存在しないという事に…
「ふむ…」
いや、ある…転移魔力機構だ、マルミドワズは地上と街を転移魔力機構で繋いでいる、とすれば魔力機構を使えば地上に降下出来る筈だ、少なくともエリスは一度 それを経験している
軍部の中にある大型転移機構…あれを使えば、この魔力障壁を飛び越えて地上に降りられるはずだ、でも それは即ち敵地のど真ん中に突っ込む事になり───
「よし、行こう」
クルリと反転し 飛んでいくのは帝国府…即ち帝国軍の本拠地、そこに向かわなければ師匠に会えないと言うのならそこに行こう
一応他の場所にも魔力機構はありますよ、街と街を繋ぐ転移魔力機構や貿易用魔力機構とか色々ね、でも最短ルートは軍部に突っ込み そこの魔力機構を使う事だ、エリスは一刻も早く師匠のところに行きたいんだ
リスクはあろうよ、けれども 今はリスクなんか気にしている暇はない、一刻も早く エリスは師匠に会いたい、でなければ事態の全容を把握する事はできないから
「ッッーー!!と!」
全速力でこの浮遊都市マルミドワズの隙間 赤い空を駆け抜けて、一層豪華な天空の宮殿へと飛ぶ
「うはは…居ますねぇ」
こうして 遠目から見ても分かるほど、宮殿には帝国兵がワンサカ待機している、そいつらはエリスを目にしても攻撃は仕掛けてこない 飽くまで宮殿を守るつもりなんだろう
…こうしてマルミドワズが魔力障壁で覆われている以上、エリスが目指す場所なんて最初から決まっているしね
仕方ないと思いつつも、入り口に降り立つ、別に壁に穴をぶち開けても良かったけれど…、そこまでし切れない自分がいる、どこか 帝国に対して世話になったという義理を通したいという矛盾した己がいる
バカですよね、もう取り返しつかないくらい帝国兵さんたちぶっ飛ばしてここにいるのに
「よっと、…さぁてと?」
荘厳なる宮殿の入り口である、芸術的なガーデンのど真ん中に着地すれば見えてくるのは光を浴びて黄金にも似た色に発光する大帝宮殿
世界最高の位置に存在する浮遊大宮殿の正面門は美しく整えられ舗装された道の向こうに見える、あれこそ帝国の中心地 …、マルミドワズの アガスティヤの そしてこの魔女世界で最も警備と防備が厳しい地
聳える大帝宮殿を前に、エリスのコートがはためく
「………………」
フッ と軽く口から息が溢れる、想うは逡巡 或いは郷愁か…
長く 長く旅をした、その末に辿り着き 見るのがこんな景色だとは思いもしなかった…
エリスが旅に出る前にいたアジメク、その白亜の城を訪れた時 感じたことがある
それは、出迎えだよ…、師匠を出迎える時にはそりゃあもうワンサカ迎えの人間が城の前に並んでくれたのに、エリス一人が白亜の城を訪れた時は誰も迎えてくれなかった そんな記憶が今甦るんだ
当然だったよ、エリスはあの時何者でもなかった、誰かが城の前まで出てきて ようこそと出迎えてくれる事はない 当然の事だった
しかし、それから十年以上 エリスは旅をして強くなり大きくなり立派になった、だからかな こうして城を訪れたら今度は…
「出迎えご苦労様です」
「………………」
あの時、白亜の城が師匠を出迎えた時と同様 凄まじい数の人間が城の前でエリスを、エリスだけを待つ 出迎えてくれるのだ
「ようこそ、エリス殿 貴方なら、貿易用の転移魔力機構を使わず、最短ルートを目指し ここに来ると予見していましたよ」
そんな出迎えの先頭に立つのは第一師団の団長…、将軍不在の軍を纏める役割を担う男 ラインハルト・グレンデルが後ろに手を組み エリスを見下ろすように待ち構える
その目は、先程会った時には感じなかった敵意がビシビシ伝わってくる
「エリスを殺すつもりですか」
「ええ、貴方が我々の誘いに乗帝国軍に正式に加入して、シリウス討伐戦線に加わってくれるならば…話は違ったのですが」
「シリウスじゃありません、師匠は師匠です 孤独の魔女レグルスです」
もうシリウスだよ と語るラインハルトさんは一人 エリスに歩み寄りながら、高圧的ながらも対話の姿勢を取ろうとしている、問答無用でエリスを消しにかからないあたり 彼にも何か考えがあるのかもしれない
「ラインハルトさん、…エリスは何が何だかさっぱり分かりません、いきなりメグさんに呼び出されて師匠につくか帝国につくかを迫られ、当然の答えを返しただけで 攻撃を仕掛けられ殺されかかっている、説明を願う事は許されますか?」
「メグめ どう言うつもりだ、まぁ 君がそう感じ 我々への怒りを露わにするのも無理はない、我々とて君には恩義を感じているし、中には君と敵対することを心苦しく思い 今回の作戦に参加しない者もいる…」
今回の作戦に参加しない人間…、恐らく見当たらないフリードリヒさんたちだろうか、それともフィリップさんか、何にしてもありがたい
敵が減る という打算的な思い以上に、彼らを殴りたくない、世話になった彼らを
「魔女シリウスが魔女レグルスの体を乗っ取った件は聞いているか?」
「はい、ただこの目で見ていないので 受け入れられませんが…、事実…なんですよね」
「ああ、シリウスの血縁者たるレグルス様は シリウスにとって格好の器なのだ」
それは分かる、血とは最も魔力を流しやすい物質だ、アマルトさんが血を操り剣を作るのも 結局それが一番効率よく強力だからだ
そして、シリウスと同じ血を持つ妹たる師匠の体は シリウスの魂を最も受け入れやすい、分かるさ それくらい、でも
「でも、師匠にはそんな兆候はありませんでした、十年以上連れ添ったエリスが保証します!」
「本当に…そうか?」
「え?…」
「十年連れ添った?、それは君の師匠の人生の何百分の一だ?、君が出会ったその時から レグルス様に異常が起きていたとしたら、君には感知出来ようもないだろう」
それは…確かに、その通りだ…、エリスが出会った師匠が正常な状態であるという保証はどこにある、もし出会ったあの時既にシリウスの毒牙にかかり始めていたとしたら エリスには察知出来るわけがない…、何せエリスは 本来の師匠と断言出来る物が何もないのだから
「でも、他の魔女様達だって異常は…」
「君が今まで出会って来た魔女様達は皆口を揃えて『あの頃のレグルスのままだ』と言ったか?」
「っ!?」
言ってない 誰も言ってない、皆 師匠は変わったという、穏便になったと…昔と変わりすぎだと言っていた、エリスが見て来た魔女様達の異常が どれも過激な方向への暴走だから勘違いしていたが
暴走した結果 穏便な性格になる という逆方向の変化も、絶対にないとは言えないんだ…
「陛下は一つの仮説を立てていた、レグルス様は穏便になったのではない、かつての闘争本能と苛烈なまでの熱量をシリウスの魔術によって削がれて萎えた状態にあったのだとな…」
「……師匠が…」
「そうして、情熱と気力を奪ったレグルス様から 抵抗の意思を奪うために、誰にも勘付かれないよう …それこそレグルス様にも気づかれないよう慎重に、彼女の魂に手を伸ばしていた、性格は変わらず 意識も変わらず 思考も変わらず、ただただ気力だけを奪う…そんな姿に君は見覚えはないのか?」
…ある、ムルク村にいた頃の師匠は今に比べるとやや気力がなかったように感じる
食事に気を使わず ただただ怠惰的にあの小屋の中で隠れるように過ごす、それは隠匿生活と呼ぶにはあまりに退廃的だった、一千年前は外文明に外出に出るくらいには活発だったのに 最近ではそれさえしない程に……
レオナヒルドという敵対者が現れても 攻撃性を見せず穏便に済ませようとしたのは 師匠が丸くなったのではなく、シリウスの影響だったと考えるなら 納得もいく
「…レグルス様はずっと、シリウスの魔の手に犯され続けていたのだ 本人も勘付かないところで…いいや?、本当は本人も気がついていたのに その記憶さえ消されてな」
「記憶…?」
「ああ、何故彼女が隠匿生活を送ったか 他の魔女達の前から消えたか、君は知っているか?」
「……それは、嫌気がさしたからと…」
師匠は何処か 今の世界と自分を切り離している節があった、自分にはこの世界を治める資格がないと、それはきっとシリウスの妹だからという意味で……いや、違う
「もしかして…」
「ああそうだ、レグルス様が独りで生きる道を選んだとしても 消える必要はない、だが彼女は消える道を選んだ、レグルス様はカノープス様の元を去る際 二つの言葉を残した」
ラインハルトさんは語る、八千年前 最も信頼する彼女が残した言葉、それは
「一つは『己の身がいつかシリウスによって上手く使われるか、或いは己もシリウスのようになってしまうかもしれない、だから 人里から消えたい』と…己の存在を危惧した言葉、そしてもう一つは…」
「一つは…?」
「『二度と 臨界魔力覚醒を使わない』という内容の話だった、臨界魔力覚醒を使えば 己の内側にある魔力と融和するが故に、…魂に異常があれば それが全身に伝わることになるからな」
臨界魔力覚醒を二度と使わない?、いや 師匠はそんな禁じているような素振りは無かったぞ、エトワールの時なんか 使えるなら使って見せようか?なんて言いようだった、つまり 師匠はその誓いを忘れて…いや忘れさせられていたということか?
…臨界魔力覚醒を使えば魂の異常が爆発して全身に回る、師匠の魂にシリウスの八千年かけて染み込ませた魔力が覚醒と共に全身に伝わる…
確か師匠はニビルと戦った時にそれを使って…、……まさか これもシリウスの計画?、師匠に臨界魔力覚醒を使わせるため、そうならざるを得ない状況を作り出し師匠が臨界魔力覚醒を使ったら今みたいに体を奪うつもりで…その舞台を整えていたのか?
だから、ウルキさんはアルカナに手を貸して…そうか、色々読めて来たぞ、これも何もかも全部 シリウスが仕組んだ先が見事に嵌った結果なんだ、師匠は最初からシリウスとウルキに誘導されて…!
「っ…」
だというのにエリスはなんと呑気だったのか、師匠は大丈夫という無意味な安心感に身を委ねてその結果師匠を危機に陥れて、師匠がシリウスの血縁者であることは知っていた その血が魔術を通し易い要因になると知っていた
判断する材料は全て机の上に揃っていた、それに目を向けなかったのはエリスだ、何処かで深く考えていれば 何かが変わっただろうに…、エリスは…
「…………」
項垂れる、エリスは師匠の危機を前に 気付くことを放棄した、それが今回の件を招いた
エリスごときに何が出来たかは分からないが、それでも……
「シリウスは長い時かけてレグルス様の体を奪うことに注力していた、他の魔女様達の体を奪うのも物のついで、レグルス様こそ本命だろう、そこは分かるな」
「…はい」
「そこを阻止せねばならないのも分かるな」
「……はい」
「故に我等はシリウスの完全なる復活を阻止しなければならない、そこに一切の邪魔を入れるわけにはいかない、エリス殿 貴方にとっては辛く苦しい決断であることは分かる、だが…それでも、レグルス様を殺さなければ 世界の秩序は保たれない、八千年前のように人類は滅びる瀬戸際…或いは今度こそ滅びるかもしれない、それも 分かるな」
「…………はい」
ラインハルトさんの言葉は理路整然としている、メグさんのように地位や金品で釣らず エリスならば理解してくれるだろうという信頼から、包み隠さず話してくれる
師匠とシリウスは今 一心同体、地上に向かって登り始めた地獄の亡者を再び幽世へと落とすには、その梯子を落とすしかない、そして 今シリウスが梯子としているのはエリスの師匠なのだ
シリウスと共に幽世へと落とさなければ、シリウスはまんまと地上に再顕現し 目的を果たし、人類は滅びこの星は跡形もなく消える、それだけは避けなければいけないのは分かる
「ならば今一度問う、エリス殿 我々と共にシリウスの大願阻止に動くか、或いは…今ここで 我々と戦い、レグルス殿の助けに向かうか、どちらだ これが最後だ」
「………………」
これが最後、ここを逃せばもうエリスは後戻り出来なくなる、帝国を完全に敵に回し 彼らと戦う事になる、彼らとてもう思い残すことはないだろう こうして真摯に説明したのだから、容赦する理由はない
…だから考える、いや 考えるまでもないんだけどさ
「…ラインハルトさん」
「なんだ」
「エリスは師匠に弟子入りした時、世界がどうこうとか魔女の弟子になって力をとか…そんなことを考えてなんかいませんでした」
ただ、思い返すのは師匠に弟子入りした時の事
エリスは師匠の弟子になる時 ただ一つの目的を持って弟子入りしたんだ、それは…
「それは、エリスを助けてくれた師匠が、エリスを助けて 弟子に取って良かったと思えるくらい立派で強い人になって、いつか…師匠を、この手で助けたいと 」
「…………」
「すみません、ラインハルトさん エリスがエリスで、孤独の魔女の弟子である以上、その根底は崩せません、エリスやはり 師匠を助けに行きます」
あの時 無謀にも願った思い、いつしか不可能と割り切った目標、それが今 目前に迫ったのなら、今度こそ目を背けるべきではない、エリスは師匠を助ける そこはエリスの根底だ、これを崩して生きていくことなんか出来ない
師匠に助けられたこの命、師匠を助けるために使うならば本望だとラインハルトさんに伝えると、彼はやや眉を顰め
「…方法に思い当たる節はあるのか?」
「ありません、けれど これから見つけます、必ず」
「出来るのか?」
「やります、少なくともエリスは そう信じて前へ進みます」
「…そうか」
その言葉に混じった溜息は、落胆か 或いは決心か、ラインハルトさんはエリスに背を向け 少し距離を取る、この距離こそが 交渉決裂の証であると言わんばかりに
「分かった、貴方ならばそう答えると言う確証はあったが…それでも義理はある、そして 果たしたぞ、その義理を」
その言葉と共にラインハルトさんは静かに腰を落とし構えを取る、背後の軍勢が穂先をエリスに向ける
「交渉は決裂だ、エリス殿 我々は貴方を正式に世界秩序を破壊する外敵として判断する、悪く思うな、その決断は間違いではないのだろうが…我々は受け入れられないのだ」
「構いませんよ、まぁエリスは止まりませんがね、師匠に会いにいくので…退いてくれないなら、かまします…ブチかまします、いいですね」
拳を鳴らしエリスもまた相対する、本気の帝国軍を前その敵として、たった一人で 立ち向かう決意を固める
「ならば…構わんな!、行くぞ 孤独の魔女の弟子エリス!、世界秩序を守護せし帝国として!お前を進ませるわけには行かんッッ!!」
師団長の白コートを脱ぎ捨て吠える鬼は軍勢の雄叫びを背に受けながら エリスに迫る…
さぁ、エリス 踏ん張れよ、これはお前が望んだ結果だ、師匠を助けると言う行いの厳しさは自覚していただろう、そのつもりで今日まで修行してきたんだろう
魔力を高めろ、力を込めろ、足を踏ん張れ 前を見ろ、やることは同じ、進むだけ 前へ前へ、ただそれだけだ!
「お前の旅は!、ここで終わりだ!エリス!」
「いいえ終わりません!、エリスは師匠と一緒に旅を続けて!アジメクに帰るんです!!」
ぶつかり合う相反する意志と意地、師を守るか 世界を守るか、全てを決める戦いが…
エリスにとって、最も長く苦しい 最悪の戦いの火蓋が切って落とされた