23.孤独の魔女と友愛の廻癒祭
廻癒祭 その成立時期はあまりに古く文献さえ残らぬほど昔から存在する祭りと言われており、魔女スピカ様曰く6000年以上前から続けているとのこと
一年に一度 冬も極まる頃に、次の春 そして次の一年の豊穣と健勝を祈り、魔女様自らが皇都の街の各所を巡り 姿を現し、皇都中に輝ける治癒魔術を振りまき、冬で弱った臣民達は、身も心も元気付けられまた一年国のために頑張ることができる そういうお祭りらしい
魔女スピカ様が民衆の前に姿を表すのは一年でこの一度だけ、と言うこともあり あの魔女様を是非一目と皇都はこの日ごった返すような騒ぎになる、皇都以外にも最寄りの街からこの日の為に移動してくるもの、なんなら他国から見にくる者もいる
一年で一番 皇都が騒がしくなる日、それが廻癒祭なのだ
と、記憶の本棚から取り出した本を閉じ ふぅっと息を吐く
「今日は廻癒祭当日…デティとお祭りを回る約束をしてる日 でしたね」
もはや住み慣れた宿の自室、エリスは一人で黄昏ています…今日はお祭りということもあり 修行は簡易的なもので終わりました、まぁ 簡易的なものと言っても朝早くから体づくりして模擬戦してと 内容はハードでしたが、今更根を上げるほどの内容でもありません
今、エリスを黄昏させる要因は二つあります 一つは廻癒祭の規模です…、みんなでワイワイと楽しむ祭りかと思いきや 準備は5日前から皇都の各所で行われ、まさに皇都全体で大々的に行われる超イベントみたいで ちょっと緊張してます
そしてもう一つが、目の前の花瓶に添えられた 黄色い花です、そう 一週間前にエリスが買ったデティへのプレゼントです
別に受け取りを拒否されたとかではありません、単純にまだ渡せてないのです…そもそも廻癒祭で街中忙しいなら 魔術導皇のデティが暇なわけがありませんでした
結局多忙極めるデティに渡すことが出来ず、今日までこのように花瓶に入れて面倒を見ているのです、一応ししょーが魔術で枯れにくいよう加工してくれましたが…
「エリス…支度出来たか?」
扉が開く音ともに、ししょーの清廉な声が響き思わず肩を跳ねさせる
次いで突き刺さる『また花を眺めてたのか』と咎めるような視線を受け少々申し訳なくなってしまう、きっとエリスが意識してないだけで 四六時中花を眺めてたんだろうなぁ
「す すみません、ししょー!エリスはいつでも大丈夫です」
「ん…」
とだけいうと、いくつか荷物をまとめ始めるししょー、無口だが 怒っているわけではない これはいつも通りだ
そうだ、ししょーと言えば…一週間前 オルクスという男の家にエリスを置いて一人で行った件だ、あの後 帰ってきたら全て話してくれると思ってたんだけど、…結局なにも教えてくれなかった
『すまん、今は言えん…』
とだけ、…エリスは悲しいです ししょーが何かを黙っていることがではないです
ししょーは何か思い悩んでいるように見えました、その苦悩に エリスが力になれない事が、とても辛い
「エリス、今日我々は単なる参加者ではなく 魔女とその弟子として参加することを忘れるな」
「は はい!、大丈夫です!孤独の魔女の名に恥じぬよう 励みます」
「ん、分かってるならいい まぁお前なら心配は要らんだろうが」
エリスとししょーは 今日この廻癒祭の最後で存在を公にされるらしい、今までは正体を隠していればある程度は大丈夫だったけど、これからエリスはどこに行っても魔女レグルスの弟子として扱われる事になる
ししょーの名に泥を塗らないよう 常に意識しなくてはと、頬を手で打ち 気合いを入れ直す
「さ…準備が出来たなら行くぞ」
ししょーは多くを語らず、ただ徐に右手をエリスに差し出してくる
どこへ行くにも、ししょーはエリスの手をとって移動してくれる、たしかに 今は何か隠しているかもしれないけど、エリスはししょーを信じると決めた ししょーがエリスに伏せるなら、それはきっと エリスが知るべき事ではないのだろう
「はい!、ししょー!」
ちなみに、今日はクレアさんもメイナードさんもヴィオラさんも宿には居ない、三人とも既に仕事に出かけている、今日が一年で一番忙しく騎士団が全員駆り出される日だからだ
というのも、魔女スピカ様がお祭りのために皇都中を移動して回るため、護衛として 後スピカ様の移動のためのルート確保として既に皇都の至る所に騎士団が配置されるらしいのだ
護衛するなら最初からくっつけばいいじゃないかと思うが、それではスピカの周りを何百人もウロウロと歩き回ることになる 、とうすると騎士で人の壁が出来てしまい民衆の前に姿を見せる という大前提が崩れてしまうから らしい
「む、もう着いたみたいだな…出迎えに行くぞ、エリス」
ふと、窓の外に目を向ければ 豪華な、それでいて見慣れた魔女専用の絢爛な馬車が入り口に止まっている 、まさか向こうから出向いてくれるとは、ともかく待たせては失礼だ
ししょーと共に軽く服にシワがないか確認した後、慌てて外へと飛び出す
「エリスちゃーん!」
宿の扉を開け放つと同時に向こうの馬車もまた扉が開く
エリスを呼ぶ声が響き、手をブンブン振り回し歓迎の意を全身を持って体現する彼女は、いつにも増して豪奢極まる キラキラで煌びやかな 美しい青空の如きドレスを身に纏っている
幼い彼女が着ても、服に着られている感が出ないのは 恐らくあの服そのものが今の彼女に合わせてデザインされ作られているからだろう
「デティ!、…ああ!?危ないです危ないです!そんなに走ったらドレスが汚れてしまいます!」
「えへへへっ!、エリスちゃんと一緒に廻癒祭に出れるなんて嬉しいなっ!」
あの服は今この時のためだけに作られた服 つまり、値段を聞いたらエリスがひっくり返ってしまうくらい高いに違いない、それを汚したら …え えらいことだ
まぁ、値段云々を抜きにしても デティにはこの記念すべき日を汚れた服で迎えて欲しくないし
というか、デティは私の言葉に聞く耳を持たないくらい興奮しているようで、鼻息荒くエリスの手を握ってくる
「むへへ、私のお父さんもね 初めての廻癒祭で人生の友に出会ったんだーっ って昔言ってたの、だから むふふ 初めての廻癒祭をエリスちゃんと楽しめるのは なんだか運命みたいだなぁって 」
そう、エリスとししょーは今日は デティと共に皇都をめぐることになっているのだ、故に護衛は必要ない なにせ皇都全てに配置されている騎士達の護衛の目はエリス達にも向けられているのだから
しかしそうか、デティのお父さんも廻癒祭に友達との思い出が…、そう言われるとエリスもなんだか嬉しくなってしまう、エリスもデティと人生の友になれるよう 励まなくては
「む、スピカも来たか」
と ししょーの言葉を受けてはたと馬車の方へ目を向ければ、今回はスピカ様が優雅に馬車を降り立ち こちらを優しげに見据えている
魔術導皇と一緒 ということは当然、この廻癒祭の主役たるスピカ様とも行動を共にするということ、そこは流石のエリスも緊張する
「…………」
女神の如き微笑みを浮かべたままこちらへ歩み寄るスピカ様の所作の美しい事美しい事、何千年と言う時の中で磨かれた其れは 歩み一つとっても優雅極まりなく…あれ?、なんか横の方に逸れて 草むらの方へ歩いて行って…一体何が
「オェーーーーッッ!!」
吐いた、ゲロゲロと色々ブチまけ なんか、…台無しだ、そう言えばスピカ様は乗り物が苦手で酔いやすいと聞いたことがありますが、まさかここまでとは
「お前、乗り物苦手なのに 態々馬車で移動してきたのか」
「うぷっ…廻癒祭は 馬車での移動が通例となります、こ この程度で弱音など…オゲェーッ!」
「行けるのか?そんな調子で」
「もう6000年は繰り返しているので、大丈夫です……あ もう一回来そう」
やり方見直せよ とか言いつつも背中を撫でてあげるレグルスししょーや、特にリアクション無しのデティの反応を見るに 多分これはスピカ様に関わる人間にとっては日常的な物なのだろう
「というか、態々迎えになど来ずとも こちらから城に出向いたものを」
「うっ…ふぅふぅ、いえ 白亜の城では世界各地の貴族を前に廻癒祭開始の儀礼的な挨拶を行う…うぷっ、必要がありました その場にあなたを出席させるのは まだ早いですからね、…あなたの存在を 世間に広めれば貴女は否が応でも魔女として扱われます、きょ 今日は魔女ではなく一人のレグルスとして過ごせる日として 楽しんで欲しいのです」
「そうか、分かった」
魔女レグルスの実在を 世間に公表する、これはスピカ様とレグルスししょーの間で話し合い決定した事項らしい
ししょーは今まで他の魔女に顔を合わせられない という後ろめたさから存在を秘匿していたが 、もはやその必要も無くなったから 隠匿もまた必要なくなったのだろう、それにまたあの偽魔女事件みたいなことがあったら大変だからと 公表を決めたらしい
「ふぅ…落ち着きました、ありがとうございます」
「いやいい、お前の乗り物の弱さは今に始まった事じゃないからな」
「ええ、今更治るものでもありませんからね…、デイビッド」
ある程度気分が落ち着いたのか、体からいつもの優雅なオーラを醸し出しながら指を鳴らせば、合図を待っていたかのように 数人の人物が綺麗な鎧を輝かせ現れる
なんて、他人行儀な紹介をするが 実際、その殆どは顔見知りだ
「ハッ、魔女スピカ様 こちらに…」
「レグルス、彼等が今日 廻癒祭中私達の護衛を引き受けてくれる、我が国切っての精鋭達です、何かあれば 彼等を頼るように」
と言って紹介されたのは、紫色の大剣を背負ったデイビッドさん なんかキラキラした目線を魔女二人に送るメイナードさん そんな彼をギラギラした視線で睨むのはフアラヴィオラさん、そして 大仕事を任されているというのになんか楽観的に笑っているのはクレアさんだ
あ、いや あともう一人二本の剣を携えた女騎士も並んでるけど この人は記憶にない、見たところクレアさんと同じ歳くらいに見えるけど、ここに並べられるということは相当優秀なのだろう
「護衛はつけないんじゃなかったのか?」
「飽くまで大人数を連れ回さないだけです、魔女が何も連れずに皇都を動き回るってのは少々格好がつかないのでね」
護衛をつけるのは格好の問題か、と思わないでもないが 実際本当にそうなのだからしょうがない
スピカ様もレグルス様も、護衛なんて必要ないくらい強い ともすれば一国の軍に襲われても余裕で返り討ちにするくらい強いだろう、だが 強さと体裁というものは比例しない、そしてスピカ様は立場上 体裁を保たなければならない
私は偉い人ですよ? というポーズを一目見て分からせるには、優秀な騎士を侍らせるのが一番だ、嫌な言い方をすると 彼等はスピカ様の権力アピールの為のアクセサリーとも言える
まぁ、有事が来たら 率先して動くので、本当に護衛を兼ねていたりもするのだろうが
「ふぅむ、そんなものか…しかし顔見知りばかりだから、あんまり真新しさがないな、いや 一人見たことないのがいるな、君 名前は何という?」
そうレグルス様に尋ねられると二本の剣を携えた女騎士は、特徴的な桃色の髪を揺らし 一歩前へ出る、その一連の動作は優雅 というよりは洗練されていると言えよう綺麗な動きに思わず息を飲む
「お初にお目にかかります、友愛騎士団 団員のメロウリース・ナーシセスと言います、よろしくお願いします」
と思ったが、洗練されているのは動きだけで なんだか声色はぶっきらぼうだ、まぁ クレアさんに比べれば百倍マシなのだが
「メロウリースは 俺の推薦で今回のメンバーに加えさせてもらった奴でしてね、まだ若いですが なかなかやりますよ」
そう語るのはデイビッドさん、なるほど新入り育成の一環として早いうちから大舞台を という意味合いもあるのだろう
というか、当のメロウリースさんは私達には目もくれず鋭い目でクレアさんの事を睨んでいる、が残念 そんなメロウリースに目もくれず私達の事をボケッと見つめるクレアさんはどこ吹く風だ
「そうだな、まだ若そうだな 肉体的にも 精神的にも」
「たはは…いやまぁ、その 申し訳ない」
「そういえば、まだナタリアは見つかってないのか?」
結局、ナタリアさんはあのまま姿を現さなかったらしい…というか 状況は更に悪化して、今度は騎士団の本部にも姿を現さなくなり、今現在ほぼ行方不明に近い状態と聞いています
「…ええ、廻癒祭には顔出すかと思ってたんですけど、…ここまで姿見せねぇとは、 もしかしたら相当な事情があるのかもしれません、廻癒祭が終わったら 本格的に探してみます」
つまりナタリアさんは今回の廻癒祭には不参加 ということになります、少々寂しいですね
「ほら、談笑はそこまでです 今日はスケジュールがキツキツなのですよ」
と 和気藹々とした語らいも程々に、今日 廻癒祭の予定を一つ一つ挙げていくデイビッドさん
軽く纏めると…
スピカ様とデティの二人は、馬車で予め決められたルートを通り商業区画や民間人の暮らす区画をグルッと一周するらしい、途中都度都度止まりながら 民衆に言葉を投げかけつつ 広場や大通りなど街の各地で魔女様の治癒魔術を振り撒き 激励するというのが大まかな流れだ、其れは前々からちょっと聞かされていたから知っている
ただ、10回ほど小休憩を挟むらしい 、理由はさっきのスピカ様を見てれば分かる 民衆の前で耐えきれなくなってゲェーゲェー吐いてしまえばスピカ様の必死に保っている体裁は瞬く間に崩れ去ることになるだろうからだ
なのでルートはその小休憩するポイントを縫うように敷かれている、小休憩するポイントは10日くらい前から準備が整えられている料亭だったりホテルだったり いずれも人払いがされているらしい
と…こんな感じの説明がされるなり 、さぁ時間がありませんよ とスピカ様に突っつかれ私達は馬車へと押し込まれる、スピカ様とレグルスししょーは魔女専用の馬車 …ムルク村から乗って来た例の馬車だ
そしてエリスとデティは また別の馬車、差し詰め魔術導皇専用の馬車だろうか、魔女の馬車に比べるといささか見劣りするが、それでも一国の主が乗り込むに足る物だ
馬車を分けるのは、飽くまで今回の主役は魔女 魔術導皇は随伴するだけ、だからだそうだ 謂わば魔術導皇はオマケ そしてそれにくっついているエリスはオマケのオマケと言える
そして、先程紹介してくれた護衛は皆 こちら側の馬車についている、理由は単純 魔女に護衛はいらないが エリスとデティにはいるから、そして魔女様の周りをあんまりうろちょろすると 祭りの邪魔になるからだ
街中でいきなり山賊がー!ってことはないが 他国からいろんな人間が来る祭りですからね、いろんな人間 の中には当然悪人に部類される人間もいます 、そういう人達が何はまた何をするわかりません
なにがあるか分からないなら なにがあってもいいようにするのは当然と言えます
そう思いながら窓から外を見ようと体を動かした途端、ちょうど 馬車が動き出す、車輪が小石を弾き 馬が嘶く…うぅん この感覚、スピカ様ほどではありませんがエリスやはり馬車は苦手ですね
「うぅ…」
このアジメクに来てから 馬車での移動は慣れましたが、それでもやはり 思い返してしまうのです
一度目…あの怖いご主人様に連れられ 崖から転落する瞬間
二度目…賊に縛られ 砦へ誘拐された時の事
三度目…ムルク村からアジメクへの移動という名の無間地獄
そのどれもを克明に思い出せてしまうエリスにとって、馬車の中というのは 否が応でもそれらの記憶の呼び水になってしまうのです
「どうしたの?エリスちゃん…大丈夫?」
「大丈夫です、なんでもないですから」
「でも 顔青いよ…もしかして酔ったの?」
そんなにひどい顔をしているのだろうか、毎回こうじゃない、ししょーが側にいればこういう嫌な記憶で気分が悪くなることもないし、ししょーと一緒じゃなくても 五回に一回くらいしかこうはならない
しかし、運の悪いことに エリスは今日 その五回に一回を引いてしまったようだ
「ッ…よしよし、エリスちゃん 」
そう言いながらデティはエリスの隣に座り、背中を撫でてくれる だから酔っている訳じゃないんだけどな…馬車が動き出して数秒で酔う人なんていないだろうに
でも、…やはりデティの手は優しい ししょーの隣にいる時のように心が安らいで行く、やっぱり友達だからかな …
「ありがとうございます、デティ…」
「…………」
なんか、心配させてしまったようで しばらくデティは無言で、エリスの背を撫でていました、馬車が動き始め 廻癒祭の開始を告げるファンファーレが鳴り響いても しばらく 無言で
………………………………………………………………
「ぐぇっ…うぉ…うぇ…」
「だから馬車での移動はやめておけと言ったのに…何千年もこんなこと繰り返してたのか、お前」
我が友スピカは、馬車が動いて数秒で酔っていた…
「話しかけないでください…うぷっ…やば……ごくっ」
「飲むな!」
スピカと廻癒祭を回る事になった 、なぜ私と一緒に と聞いてはみたが、まぁ スピカはあれこれとそれらしい事情を並べてきた、がしかし多分単純に一緒に過ごしたかっただけだと私は考えている
スピカは今日この日まで一人でこの国を背負ってきた、この廻癒祭はその一環だ 国民を勇気づけ元気づけ ついでに人気も獲得する、そうやってまた来年も恙無く国を運営する、そういうお祭りだこれは
今 馬車は商業区画目指して走っている、ここから少し 遠視の魔眼で街の様子を見てみたがいやはや凄まじいものだったよ、皆 魔女様をこの目で拝もうと 人がびっしりだった、まぁ馬車が通る道は騎士が確保してくれてはいるが、中には屋根によじ登って馬車を目にしようとする者もいる始末だ
魔女の存在は絶対、そしてその人気もまた絶大なのだろう
「私は…私の、魔女としての 責務を…果たさねばなりません、…ノーブラネグリジェです」
「ノブレスオブリージュだろ …なんか こう 、乗り物酔いを治す魔術とかないのか」
「あります…けど、詠唱してる最中に吐いちゃうので…んんっ!?」
本人はこの調子だが…、なんで馬車で移動するかなぁ…いや まぁあの魔女様が街をテクテク歩いてたらそれはそれであれだしな、仕方ないといえば仕方ないか
でもここは医療大国アジメク、酔いをなんとかする薬の一つや二つくらいありそうだが…いや、多分使ってこれだな 思えば昔の酔い方はもっと酷かった、溶けるんじゃないかって勢いで吐いてたし …まだ馬車で戻してないってことは もうその薬は使われているんだろう
「ッー……ッッーー!」
「ん?、なんだ」
すると、ふと 疎らな叫び声が耳につく 悲鳴にも似た高く劈くような声 それが一つ…二つ…いやもっとか?、というか これは叫び声ではないな、いや悲鳴ではある がそれは恐怖によるものではなく…
有り体に言うなれば歓声だ、歓喜の絶叫とも呼ぼうか
「うぉぉぉーーっ!魔女様だ!魔女様が降臨なされたーっ!」
「なんと神々しい馬車なのかしら!」
「有難や…有難や…」
一つ二つ 三つ四つ 最初のうちは数えられる程度だった歓声は、一瞬のうちに雷鳴のような爆音となり地を揺らす、歓迎する拍手 歓喜する声 感動による嗚咽、その全てが入り混じりその全てが スピカを讃える
この国の守り神を この世界の英雄を 我らが魔女様に喝采と 栄光をと、友愛の名の下に臣民一人一人が胸の内にある魔女スピカへの感謝と敬愛を声や音として解き放っているのだ
なるほど、気がつかないうちに商業区画 つまり一般人が立入れる区画に入ったようだ、窓の外を見てみれば地面を埋め尽くさんばかりの人人人 壁面に取り付けられた窓の中にも人人人 屋根にもどこにも人人人、この全てが スピカの愛する スピカに忠誠を誓う国民達か
「…………」
すると、歓声を受け 先程までおえおえ言っていたスピカも姿勢を正し、うふふ と軽く微笑みながら外へ手を振る…まったく、気持ち悪さが消えたわけでもあるまいに 自分の国民の前ではいい格好をしたいのか
それとも…
「…皆、元気そうですね」
ポツリと 誰に言うでもなく呟くスピカの顔は …そうだな、間違いなく 女神のそれだった
スピカが八千年間 身を粉にして大国アジメクを治めて来たのは、何も義務感からではない …いやそれもあるのだろうが、きっと スピカは自分の民を愛しているのだろう
いつぞや…無双の魔女が語っていた、『多くを治める者は また多くの者を愛す、それは使命からではなく 愛故に 愛すのだ』とな、アイツは魔女になる前から皇族だったから その手の上に立つ者の話をよくしてくれたな…私にはさっぱりだが
「おぉ…おおおお!、あの馬車に乗られているのは魔女様…!」
「友愛の魔女 スピカ様!」
「スピカ様ー!」
にしてもすごい歓声、馬車の窓から覗くスピカの姿を見て、皆大興奮 大熱狂だ
本当に好かれているのだな、ムルク村に偽物の魔女としてレオナヒルドが現れた時、あの時も凄い歓迎ぶりだったが これはその比じゃない、まぁスピカのこれは 魔女だからではなくスピカだから なのだろう
「…?、あの隣に座ってる女の人…誰だろう」
「魔女様が隣に座ることを許してるなんて何者…」
うっ、私の苦手な懐疑的な民衆の目だ、外から見れば私は敬愛する魔女様の隣に座る謎の女だもんな…ほんと なんで私を一緒の馬車に乗せたんだ
そう思いスピカの方へ顔を向けるとニマニマ ニマニマと私を見て笑ってる…、私への嘲笑 ではなく、今この瞬間私を独占しているという事実への優越感だろう、レグルスさんの存在と居場所を知っているのは私だけ とでも言いたげな表情…実に腹がたつ
「ふふふ、最初はなし崩しで治めていたこの国も 八千年もすれば我が子のように可愛いものです、…だから この国は 誰にも渡しませんし 誰にも傷つけさせません」
その瞳には 強い意志が感じられた、きっとこの国を傷つけようと言うのなら 私でさえスピカは敵とみなすだろう…
「オルクスから 真意を聞いたそうですね」
「え?、あ ああ…」
オルクス…彼の真意については スピカに語っていないつもりだった、一応 彼にも貸しがあるからな、…が まぁやはりと言うかなんというか スピカにはお見通しのようだ
「オルクスは私を殺し この国を本来あるべき 人の為の国に変えたいそうです、私の前で直接そのような野望を語った事はありませんが、あのギラついた瞳はいつも私の首を見据えていましたよ…ふふふ」
「ああそうだな、魔女がこの世界の発展や進歩を押さえつけているから、この世界の人間はいつまで経っても変わらないと…そう言っていた」
「痛いところをついて来ますね…でもレグルスさん、分かってるでしょう 、私が 私達が人類の進化を阻んでいる理由」
なんとなくな、魔女達が人類文明を雁字搦めにしでいる理由は分かる、間違っているのも分かっている 、そして それを私が否定することが出来ないのもな
「…………」
「私は愛しています、この国の民全てを…勿論オルクスさえも、ただ彼が 私の作り上げた この国を 平穏を崩そうというのなら、私は容赦するつもりはありません」
きっと、オルクスのようなことを考える奴は珍しくないのだろう、そりゃ八千年だ…一人二人じゃきかない人数が スピカを否定し、挑んできたのだろう だが、その全てをスピカは踏み躙って今ここに立っている
例え、自分を否定しようとも 我が子の如く可愛がる国民であることに変わりはない…なら、スピカはきっとそんな彼らの死さえも 無駄にしまいと、自分を押し通しているのだろう
「別に止めるつもりはない、好きにしろ …そもそも我々は最初からそうだったろう、邪魔するなら殺す 立ちはだかるなら殺す 、それが例え親兄弟でも…そうだろ?」
「レグルスさん、…なんか昔みたいに残酷な顔してますよ」
「えっ!?」
その言葉に咄嗟に顔を触る、いやヤバイヤバイ 昔のテンションは流石にエリスに見せられん!
「ふふ、冗談ですよ 昔のレグルスさんはもっと怖かったですからね…っと!」
ばーか と小声で抜かし、馬車を降りてしまうスピカ
気がつけば馬車は 商業区画のど真ん中、巨大な噴水が添えられた 広場へと到着しており、 既に広場には 溢れんばかりの民衆がぐるりと周囲を囲み、スピカの姿を捉えるなり 雷鳴にも似た割れるような大歓声が響き渡る 我らの魔女様が姿を現したとばかりに
なるほど …ここでスピカの激励 とやらが始まるのか
「…皆、この一年よくぞ頑張ってくれました」
あれほどの歓声が、スピカが軽く手を挙げ制しただけでピタリと止む
無音の空間に、スピカの声が響き渡る、それ程の大声で喋っていないというのに まるで地の果て人の果てにまで届くような、その語りは 万を超える民衆一人一人に投げかけられる
「或る者は農耕にて 国の豊かさを守り、或る者は商業にて 国の富を守り、或る者は戦い或る者は養い この場にいる全ての者の働きのおかげで、私は今日もアジメクを守り抜くことが出来ます」
掲げるは錫杖、黄金で作られた輝かんばかりの錫杖は 天の陽光を弾いてから光り煌めく、その暖かな光は 瞬く間に広場を 街を包み込み、抱擁の如く優しく体に纏わりつく…ただの光ではない 魔力を伴った、魔術的な光だ
「其方達に無限の感謝を…、そして 細やかながら褒賞を 与えましょう」
スピカの声に呼応するように煌光は強まり、それと共にスピカの魔力は隆起する
大山 とさえ形容されるほど莫大な魔力を持ったスピカが行使する魔術は、或いは大地震か或いは大噴火にも似たる 言い知れぬ圧倒感を万人に与えることだろう、だが アジメクの民々は知っている
我らが敬愛するスピカ様は 我らを傷つけぬと、そしてこれから起こる 奇跡のような御業の果てに 何が起こるかを、皆粛々とその場に跪き 其れを受け入れる
「癒せ…我が手の中の小さな楽園を 、癒せ…我が眼下の王国を、治し 結び 直し 紡ぎ 冷たき傷害を 悪しき苦しみを、全てを遠ざけ永遠の安寧を施そう『命療平癒之極光』」
それは瞬きの間だったろうか それとも永遠の如く永き時間だったろうか
時さえ忘れるほどの、心地の良い癒しが体を心を魂を包み込み 光と共に体を蝕む全てを打ち払って行く、まるで陽光の中 シーツに包まり眠る未明の春の如き安心感が 全ての人間に平等に押し寄せる
スピカは治癒魔術を極めた達人 という事実は誰しもが知る話だが、なら治癒を極めるとはどういうことなのか、傷を癒すだけなら普通の治癒魔術でも出来る
極めた治癒魔術は死に至る大病を癒せるのか?致命傷さえもいとも容易く治せるのか?、どれも出来るが どれも違う
スピカの治癒魔術は肉体 精神 魂の全てを最高の状態へと持っていき、その上で更に力を与える、肉体の活力は漲り 精神を蝕む闇は瞬く間に消え去り 磨り減った魂は生まれたての無垢な赤子のように新品同然に元どおりだ
言ってみれば10割 回復させるのではなく 15割 癒し尽くす それがスピカの力、究極の治癒だ…まぁ 万能でないことはスピカ自身痛いほど理解しているが、それでも治癒に関しては限りなく万能に近い
「おぉ…おお!、これぞスピカ様の治癒魔術!力がみなぎる!」
「はははは!、これが在るからまた一年頑張れるってもんよ!」
「よっし!、また頑張れるわね」
スピカの治癒魔術を受けた者は、みんな元気になる と言えば聞こえは可愛いかもしれんが、効果の程は絶大だろう
如何なる怪我人も飛び起き どんな老人も杖を捨てて踊り出し 老若男女問わず この一年の健康が約束され歓喜から再び 歓声をあげる、…まぁ 気持ちは分からんでもない、昔 私達はスピカの治癒魔術を受けて戦っていたしな
というか、我々魔女は皆 治癒魔術が使えない というのはスピカがいる以上誰も取得の必要性を見出せなかったからだ、それ程 スピカの治癒は飛び抜けているんだ…私の場合は使いたくても使えなかったんだが
「では、みんな また一年 励むように」
長い髪を翻し、再び馬車に戻ってくる …これが アジメクにおける、スピカからの報酬なのだろう、約束された健康とは万の富をも超える宝とよく言う様に、スピカがいる限りこの国は疫病に悩まされることもない 、そう考えるとこの国は 安心して住める国とも言える
「お疲れさん」
「この程度では疲れませんよ、あと何十箇所も回って同じことをしなければならないのですから」
皇都は広い、ここにいる万にも届く民達でさえ 全体のほんの一部というには余りに少な過ぎる人数と言える、なら 出来うる限り 全員に同じ祝福を与えるには 、やはりそれだけの場所と回数を行わなければならないのだろうな
「さ、出してくださ…うぉぉぉえ…やば 油断したらまた来た」
「さっきまで大丈夫だったろうが!」
とはいえ、やはり馬車が動き出すとキツイようだ、先程までの威厳溢れる態度は 空元気なのだろう、まぁ 伊達に何千年も繰り返してはいまい、私が気を揉まずとも コイツは衆目の前無様な姿など晒すまい
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廻癒祭のメイン、魔女の激励と言う名の祝福は滞りなく行われた、少し移動しては 演説と治癒魔術、少し移動しては演説して治癒魔術、移動の最中顔を真っ青にしながらも民の前で気丈に振る舞い また演説…
繰り返す事 五度、そろそろ限界かも という顔をスピカがし始めた頃 、小休憩の為確保した、一級ホテルが見えてきた
魔女様が小休憩に使う と聞いて、ここのオーナーは喜んで貸切にしてくれたと言う 、そりゃそうあの魔女様が栄えある廻癒祭の為に態々使いたいと言ってくれんだ、アジメク国民なら 歓喜に打ち震えるような光栄だろう
実際、スピカが通されたのは ホテルでも特に値段が高そうなスイートルーム、既に机の上には紅茶が湯気を立たせており 隣に置かれたお茶菓子はどれも高そうだ
魔女様の為にと何日も前から準備してくれたオーナーの頑張る姿がありありと思い浮かぶ
きっと、魔女様が多忙極める廻癒祭の合間に 優雅に優美にここでお茶を嗜みながら一息つく姿を夢想していたのだろう
が、しかし残念 、現実はそうではない
スピカは部屋に招かれるなり 騎士達に部屋の護衛と人払いをさせ
「オェーッッ!、オゲゲーッ!」
桶に首突っ込んでこの調子だ、ちなみに何も出ていない おそらくその前の段階で胃液すらも出尽くしたのだろう
同じく部屋に招かれたデティとエリスが先程から背中を撫でたり 水を持ってきたり等、甲斐甲斐しく世話を焼いているおかげで、幾分回復も早そうだ…
私?私は何もしてない 、ソファに座ってお茶菓子食べてる 、時々スピカが恨めしそうにこちらを見るが 知ったことか
そんなこんなで十分程時間が経った、もうおえおえ言わないにしても流石にスピカもダウンしている、当たり前だ 魔女とて人間、嘔吐すれば体力も無くなるし 体力がなくなれば動けなくなる
こんな弱った姿 愛すべき国民に見せられないと言えば、まぁ見せられないなという感想しか湧かん
「…れ…れ…『レミディセレナーデ』…」
そして軽く治癒魔術を自分にかければそれでもう元通り、失われた体力も 髪の艶も まさに健康的なそれに戻り、さも平然と衣服を整え始める…いくら消耗しても治癒魔術がある限り体力は直ぐに戻せる
おそらくスピカは 廻癒祭を 吐いては治癒魔術で回復 倒れては治癒魔術で回復を繰り返し強行しているのだろう、普通の人間なら無茶と言えるそれも無尽蔵の魔力を持つスピカなら 軽いジョギングのようなもんだ
吐いている最中は詠唱が出来ないから、その辺は自然治癒を待つしかないがな
そうして、再び馬車に戻り 移動 演説 祝福激励 移動 演説 祝福激励 その間に小休憩を挟みこれを繰り返していく、ようやくなんとなくだが廻癒祭の全体像が見えてきた、
基本は移動と休憩を繰り返すだけ単純作業だ、面白みもクソもないな
多分、参加する側の国民達は露店で買い物したり 年に一度の無礼講を楽しんでいるのだろう、主催側はただただ忙しいだけ 楽しいものではないとは分かっていたがな
恙無く、そう 何事もなく廻癒祭は進行していく 、何もなくてつまらないとはいったが、何もないのはスピカやデイビッド達が頑張ってくれているから、何もないのは理想的な進行をしているから そういう事だろう
最初は 何かあったら助けてやろうと思っていたが、それも杞憂に終わり 私は本当にスピカにくっついているだけ する事は一切ない
やることと言ったら馬車で移動している最中、窓から外を見ることくらいか…、凄まじい盛り上がり具合の街は見ていて楽しい、みんなスピカを好いているようで スピカが顔を見せただけでみんな大喜び、なんだかこっちまで嬉しくなる
中にはそんな人気につけ込んで スピカ関連の露店を出している商魂逞しい者も沢山いる、スピカをイメージしたスピカ飴 スピカをイメージしたスピカ焼きとかな、多分許可は取ってないだろうが 無礼講ということで…
まぁ、スピカ焼きという名前はどうかと思うが…
何事もない、このまま何事もなく進んで このパレードの最後辺り 、一番目立つところ 一番盛り上がるところできっと私は国民に向けて紹介されるだろう、今のうちに 壇上に立たされた時のことを想定して、なんかこう…スピカみたいな演説とか考えておいた方が良いだろう
そう思っていたが、スピカが5回目の小休憩のポイントに入るあたりで、事態は急速に動き始めたのだ
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暇だ 退屈だ 、失礼なこととは分かっているが エリスはこの感情を押しとどめる事が出来なかった
エリスは頭では自分をもう大人と考えているが、実際はまだ6歳 物の分別もつかぬ年頃で、体を動かすのがたまらなく楽しい頃だ…
それが、馬車に乗らされ 延々とする事もなく街を回らされるのは些かながら苦痛だろう、とは言えこれは遊びではない 仕事だ、魔女にゆかりある者として こうして廻癒祭に参加しているのだ、つまらなくともその役目に順ずるのは 当然の責務と言える
デティもそれを理解していた、子供だが 自分の名前の頭には既に『魔術導皇』という重たすぎる役職が付いていることを、小さいながらに受け止め 先生と城のみんなの期待に応えるため日々努力している
今日だってそうだ、はっきり言えばこのパレードに魔術導皇が参加する理由はない、あるのは古くから魔術導皇も同行していたという仕来りだけ、なので仕事もなく ずーっと馬車待機
外には楽しそうな人達、楽しそうな露店の数々、それを見て 踊る心までも咎められる者はいない、募るワクワクを 鎮められる者はいない
はっきり言おう、よく耐えた 馬車の中で誘惑に耐え続けた二人を見ていた者がいるとしたら、きっとそう言うはずだ
だから、ちょっとした出来心が生まれるのも仕方ないことだ
五度目の小休憩のポイントは館だ 、別の国のとある貴族が商業区画の一角を買い占め作り上げた別荘を、今回スピカは小休憩のポイントとして間借りしたのだ
周囲には人払いがなされ、無人の館に 蒼白のスピカと呆れ顔のレグルスが駆け込んで行く、前の4回と一緒 この中で行われる惨劇など、見なくとも理解できる
エリスもまた、それに追従しようとした 、師であるレグルスがスピカに付きっきりなら、自分もまたスピカにつくべきだろうと、馬車を降りようとした瞬間
その手を、デティに掴まれたのだ
「エリスちゃん…ちょっとだけさ、抜け出さない?」
悪魔の囁きとともに
エリスは記憶している 全て覚えている、自分が勝手に行動し 師から離れた結果、いい結末を迎えたことなど一度もない事も当然覚えている
ましてや今日は特別な日、いつもみたいに遊びで来ているわけではない、当然 デティとて理解している、理解している上で言っているのだ
「デティ…ですが」
エリスは咎めようとした、それどころではないだろうと 、眉を八の字に歪め 珍しくデティを否定しようとした、が それすらも織り込み済と言わんばかりにエリスの口を前に指を立てる しぃーと言う吐息と共に
「大丈夫、先生もレグルス様も ここからはしばらく出てこないし、私もエリスちゃんもすぐ帰って来れば 問題ないよ」
問題ない と言われればそんな気もしてきてしまうのは、エリス自身 少しくらい祭りを楽しみたいという気持ちがあったからだろう
というか、実は デティ 初めからエリスを連れてちょっとだけ祭りを楽しむつもりだったのだ
父が語ってくれた 少ない思い出話しの一つ 『廻癒祭を抜け出し、終生の友と出会った話』、それにデティは憧れていた 終生の友に出会う事ではない 、終生の友それはエリスだ 、もう見つかっている
憧れているのはこっそり抜け出す方だ、魔術導皇として 生まれてこの方自由な時間など殆どなかったし、あっても 城の外から出る事は許されなかった
父が語った武勇伝じみたそれに デティは希望を見出した、廻癒祭の日なら 自分も外を自由に出歩けるのではと、悪いことと理解はしている バレたら後で怒られる覚悟もしている
だから、若気の至り というのには若過ぎるその提案を エリスに持ちかけた
「…しかし」
エリスは迷った
分かる、これはデティたっての願いだ、普段ワガママを言わない彼女のほんの少しの 喉から絞り出した微かな願いだ、友として叶えてあげたい
分かる これは良くないことだ、役目を投げ出すなど一瞬であっても許されることではない、己を律し 友として止めるべきだろう
別にエリスが付いてるなら危険などない エリスならある程度の危機ならなんとか出来る
そういう問題ではない 抜け出すこと事態良くないのだ
もう二度と迷子にならぬようここらの地理はすでに把握済みだ、そこの街路を右に曲げれば露店が見えるだろう
だが迷子になった時同様人の海に埋もれたら 今度はどう責任を取るつもりだ
友達の自由の為だ
友達の安全の為だ
デティの為…
デティの為…
まるで頭の中で二人のエリスが言い合いをしているかのように考えが目まぐるしく入れ替わる、どっちの言い分も分かる、分かるのだが
「うんしょ うんしょ、行こっ エリスちゃん」
こういう時のデティは強い、エリスが迷っていることを察し かつもうひと押しで自分の都合のいい方に転ぶと打算的に理解し、手を掴み館とは反対の方向へ引っ張っていく
どちらか決断が出来ないなら、どちらか一方の選択肢を消してやれば良い
手を引かれ魔女達の休む館から離れれば離れるほど エリスの中の理性的な叫びは小さくなっていく、代わりにワクワクと胸を打つ鼓動 が大きくなり、口元が緩んでしまう
背徳感とは娯楽における最高のスパイスだ、悪いことをしている そう思えば思うほどに楽しくなってしまうのは、まだエリスが 子供である証だろう
「え エリスは、ししょーから 少しだけ お金を持たされています」
「ん?」
そう言い懐から取り出したるは小さな麻袋、中には銀貨が十数枚 所謂お小遣いというものだ、あまり多いとは言えないが子供が持つには十分な額 それこそ、軽く遊ぶには適した量だ
「あんまり多くありませんから、少しだけ 少しだけなら付き合えます」
「エリスちゃん!うん、じゃあ行こうか!」
少しだけ 少しだけ、まるでその言葉が反響するようにエリスの脳内で木霊する、それはデティに言っているのか はたまた自分に言い聞かせているのか
ともあれ、エリスは崩れ 騎士達の監視を容易に掻い潜り 街路へと抜けるエリスとデティ、ここまで来て仕舞えば 後はこちらのものだろう
「すごい騒ぎだね、エリスちゃん…人いっぱい」
「う…うん」
街路を抜ければ そこは大通りだ、まさに年に一度の祭りを楽しむ為 彼方此方で想い想いの騒ぎ方で楽しんでいるのだろう街の人たちが見えてくる
自由だ 皆自由に過ごしている 、その光景がデティには堪らなく輝いて見えた、何をするにしても どこへいくにしても、自らを阻む壁も縛る鎖もない、真の自由を肌で感じる
一方エリスは、些かながら青い顔だ、やってしまったという感情が 今更ながら去来する、かといって今から帰ろうとも言えない状況、せめて デティだけでも無事に送り届けなければ師レグルスの名誉さえ傷つけかねないと デティの手をギュッと握る
「えへへ、どこに行こっか エリスちゃん」
デティは呑気だ、手を握られご満悦なのか ペカペカと輝かしい笑顔でエリスの方を見る
どこへでも行けるが、どこへ行くかは分からない そんな悩みさえ、今のデティには楽しいのだ
「そうですね、エリスは廻癒祭というものを実際に体感したことがないので、軽く歩いてみますか?」
「さんせーい!」
ぴょんこぴょんこと跳ねるデティを見ていたら、罪悪感とかは湧いてこない むしろいいことをしたな、決断してよかったなとさえ思えてくる、今頃 館ではエリス達がいないことに気がついててんやわやの大騒ぎ、ししょーが顔を真っ赤にして怒ってる…なんてことになってないことを祈るばかりだが
軽く歩いて 大通りを見回れば、まぁすごい騒ぎだ
祭りの熱気 という物は不思議なもので、普段なら面白くもなんともないものでも楽しく感じさせる魔力がある、大食いだの度胸試しだのという普段なら荒唐無稽かつなんの生産性もない行いも、祭りとなれば立派な一大イベントだ
特に、今日は大国一番の大祭り、その熱気もまた一段と大きい
街の至る所で、所謂ばか騒ぎが行われているのだ
「あれは何かな!、私たちも出来るかな!」
「あれは大酒飲みを決める大会みたいなものですね、エリス達には早過ぎます」
「ならあれは?、あっちなら楽しめそうじゃない!」
「あれは…よくわかんないのでやめておきましょう」
右を見れば 大柄な男達が酒樽に抱きついてゴボゴボと溺れるように酒を飲んでいる、多分 その騒ぎを機に在庫を処分したい店主自ら企画した『廻癒大酒呑み祭り』だ、吐いたら負けの酒呑み勝負、一応お題目としては スピカ様に男らしさを見せつける戦いらしいが肝心のスピカが現在げろげろ吐いていることを彼らは知らない
左を見れば どこからか持ってきた大量の花を、裸の女性に巻きつけて飾っている、あれがなんなんのか どういうものなのか、一切理解出来ないが少なくともエリス達には関係ないものと勝手に納得し目を背ける
みんな楽しそうではあるが、子供二人 着の身着のまま突っ込めるようなものでないのは容易に理解できる
「ならあれは!」
「あれ…は…踊りですか?」
少し開けた広場の真ん中で、数名の楽団が陽気な音楽を奏で それを囲むように皆がくるくると踊っている、格式張ったものではない 熱気に突き動かされるようなふらふらとしたへなちょこダンスだ
そこでやってる酒呑み祭りの参加者らしきものも千鳥足で混ざっているところを見るに、誰かが企画したもの ではなく、音楽を奏でてるうちに勝手に人が集まった類のものだろう
「エリスちゃん!一緒に踊ろうよ!」
「え エリスもですか!?、エリスは踊りなんか踊れま…あ ちょっ!?」
引っ張られ、輪の中に引き込まれる
周りには手を取り踊る男女 酒瓶抱えて踊る男 顔を真っ赤にしてヘロヘロ踊る男、参加者の8割がへべれけという地獄絵図に 似つかわしくない二人の少女が躍り出る
「いいのいいのこういうのは楽しめばいいんだから」
そういうデティの踊りは酷いものだ、体を揺すったり 足をパカパカ鳴らしたり 名付けるならば踊りもどき、だがなんとも楽しそうに笑ってるではないか
デティもひどいがエリスはもっと酷いもし 一度でも手練れのダンサーの動きを見ていたら 一度でも舞踏会の様子でも見ていたら、エリスはその時の記憶を用いて上手く踊っていたのだろうが、残念 エリスは今日この日まで踊りとは無縁の生き方をしてきた女だ
「ッ…!ッッ!、こ こうですか?デティ」
「ぷはっ!、何その動き!変だよエリスちゃん」
手足を直角に はたまた鋭角にし バネのように手足を抉りこむように突く。それはまるで出来の悪い人形劇のようにカクカクと踊るエリスを前に デティは思わず吹き出してしまう
「分かりません!分かりません!、どうすれば正解なのか」
「あはははっ!、私にも分かんないよ!エリスちゃん!」
「だはははは!いいぞ嬢ちゃん達!上手だ上手!」
「楽しそうに踊るのねぇ、私達も混ざろうかしら」
「ン〜、素晴らしい 若い少女の肉体が奏でる律動!躍動!感動!、実に素晴らしい そう素晴らしい!、私も演奏のし甲斐もあるという物です」
いつしかダンスの主役は中央の二人の少女へと移行しており、演奏も エリスとデティの動きに合わせたものへと変わり、陽気な音楽に乗せられ 盛り上がりの最中 二人は踊る
「フッ!フッ!た 楽しいですか!?デティ!」
「んふふふ、うん!とっても!」
時間にして 凡そ2分、あまりにも短されど二人にとっては充分過ぎる時間を過ごし、は上がり 汗は頬を流れ、力の限り踊った二人は 惜しまれながらも踊りの輪を外れる事となる
その後は何をしたろうか
祭りの熱気に当てられた二人は、彼方此方の馬鹿騒ぎを見ているだけで楽しくなってくる、時折遠目で騒ぐ人々を見て 時折露天商を冷やかし 時折露天商からお菓子を買い、その辺で行儀悪く 歩きながら食べる
何がどう楽しいということはない、ただ楽しいのだ 自然と笑みが溢れてくる、エリスもこれだけ肩の力を抜いて笑ったのはいつぶりかと思うほどには、笑った
「んふぅー…満足」
「それは良かった」
露店で売っていたフルーツを蜜に浸したお菓子を食べ終わり、それこそ満足げに微笑むデティと、それを見てなんだかこちらまで満足してくるエリス
祭りも随分楽しんだ、踊ったり歩いたり笑ったり食べたり もうヘトヘトだ、エリスとしたことが時間を忘れる程に楽しんだ、二人は休憩も兼ねて 少し通りから外れた一通りの少ない路地で休憩中だ、もう服が汚れるとかどうでもよく 地面に座り込んでいる始末だ
「やっぱり、抜け出して正解だったなぁ 一生分の思い出を作れたよ!」
「はい、エリスもです…ししょー以外の人と居て ここまで楽しいと思えたのは初めてです」
「エリスちゃんも?、んふふふ 嬉しいなぁ」
「よしっ!、元気一杯!それじゃあそろそろ帰ろうか!」
そう言って立ち上がるのはデティ、流石のデティもそろそろ帰らねばマズイと思い始めたか、しかし問題はない 前回の反省を生かしてエリスはこの街の地理をすでに把握済みだ、最短距離で元の場所に戻るなど造作もない
「ええ、行きましょうか デティ」
「うん!、…わっとと!?」
すると、立ち上がりフラフラと歩き始めたデティが 通行人とぶつかってしまう、いや余所見をして歩いていたらデティが悪いのだが、弾き飛ばされたデティが尻餅をついてしまえば エリスだって叱るよりも心配の感情が勝つ
「大丈夫ですかデティ!」
「チッ、前見て歩けよガキ…ん?デティ?」
すると、ぶつかった通行人 ローブを目深く被った人物が 何かに気がついたように足を止める
まずい、デティはこの国では有名人だ 迂闊に名前を出せば混乱は免れないか、事実通り過ぎようとしたローブの人物は 足を止めこちらに向き直り鋭い眼光を向けて
「…あ」
目が合った、ローブの人物と
見えてしまった ローブの中が
エリスは絶対の記憶を持ち また自分の記憶に絶対の自信を持っている、しかし しかしながらこの時ばかりは、初めて自分の記憶を 自分の目を疑いたくなった
「ん?…なっ!?金髪の…!?」
ローブから覗く 赤い目 黒い髪を隠すように布を被る、彼女の顔を エリスは知っている、名前を 行いを 人間性を、知っている…ここに居るはずのない彼女は 彼女の名は
「れ レオナヒルド!?」
「チィッ!?なんつーところで!、私が出てきたのを知って先回りを…!?」
偽の魔女として投獄され 数ヶ月 、処刑の日取りも決まり この廻癒祭が終わってすぐに、その首が落とされることが確定していた大罪人、エリスにとっての 宿敵が、目の前に居た ローブを着て正体を隠しながら そこに居た
フリーズ、止まった エリスの思考が…あまりにも唐突な邂逅に何かの間違いではないかと疑う心を捨てきれず、愕然としていた
が…遅い 遅すぎた、既に 戦いは始まっていたのだから、これは完全に油断と言えるだろう
「ちょうどいい!探す手間が省けた!」
「なっ!?あっ!?んぐっー!?」
エリスが愕然とするほんの数秒でレオナヒルドは決断した、ここでばったり出くわしたのは運が悪いが 逆に言い換えれば運がいいとも言えると、即座に デティの片腕を掴み上げ もう片方の手でその口を塞ぐ
あれだけ離すまいとしていたデティをあっさり奪われ、ようやく現実を見るエリス なぜここに居るかは分からないが、ここに居るならやることは一つ、デティを取り戻し 今度こそ倒す!
「颶風よ この声を聞き届け給う!」
「ハッ!タネは割れてんだよ!『フレイムタービュランス!』」
即座に魔術で飛びかかろうとする、レオナヒルドはデティの拘束で両手を使っている、普通なら抵抗できない が…相手は魔術師、口さえフリーならいくらでも抵抗など出来る
エリスよりも早く魔術を発動させ、いつぞや見せた炎の雨が エリスに襲いかかる
「その ぬぁっ!?」
咄嗟に転げまわり避ける、あの魔術の威力は分かっているし レオナヒルドの魔術師としての実力の高さも理解している、が あの時とは違う エリスも強くなっている
実戦を想定した模擬戦、それを経験したエリスは 避ける時左右にではなく 出来る限り距離を詰めるように前へ飛ぶ、魔術師はみんな距離を詰められることを嫌うからだ
が、実戦経験で勝負するには 些かながら時間が足りなかった
「遅い遅い!『ゲイルオンスロート』!!」
「ッッ!?くぁっ!?」
距離を詰めようと飛んだ瞬間 レオナヒルドから放たれた烈風がエリスを吹き飛ばし、路地の奥へと突き飛ばしていく、地面に打ち付けられ 打撲を作りながら転がっていく
「いひひひ、ここで縊り殺してもいいけど 今はそんなに時間がないんだ…、ちょうどいい土産も出来た 、今回の失態は このガキでチャラにする、あばよ!」
「んむむむーっっ!」
「…デティ…!」
地面に叩きつけられてもなお、構うことなく起き上がるも 既にデティを捕らえたレオナヒルドは遥か遠くへ逃げ去っている、…くそっ 強くなったと思ったのに 一切歯が立たなかった…まだ 足りないのだろうか
しかし、そんな後悔も懺悔も今は必要ない、必要なのは 覚悟…デティを何が何でも取り返さねばという覚悟 このためにエリスは強くなったのだから、切れた唇から流れる血を拭い 起き上がると…
ふと、背中に違和感を感じる…背後に誰か 立って…
「えっ!?」
路地の裏、太陽が届かぬ闇の中からぬぅっと手が伸び エリスの体を掴み 引き寄せられる、その力はあまりに強く、あまりに早く 抵抗さえ許されず、瞬く間にエリスの体は路地にいる何者かに捕らえられる
「は 離してください!エリスはデティを追わないと…んむ!?」
エリスも捕まったら誰がデティを助けるのかと暴れるが、そんな抵抗も虚しく 腕を掴まれ体を抑えられ、詠唱するための口さえ手で覆われ息さえ許されない…
「んーっ…んんー!!」
殺される
去来する最悪の予想が 冷たく首筋を這う、息の出来ない苦しみの中 踠き暴れる、最後まで諦めてなるものかと 暴れ 暴れ、そして 垣間見えた…
エリスを万力のような力で押さえつける者の顔が、今エリスを追い詰めている敵の顔が
…ああ、二度目だ 今日で二度目、自分の目を疑うのは…いや衝撃はさっきのレオナヒルド以上か?、何せ エリスはこの顔を知っているから…
今まで、どこで何をしていたのか知らない、ともすれば怪しいと思いつつも どこか楽観していたその人物の顔…、必死な顔でエリスを抑え込む彼女の顔は
「…………チッ!大人しくしろっての」
いや、どこをどう見ても ナタリアさん…ナタリア・ナスタチウムにしか見えないのだから
………………………………………………………
レオナヒルド脱獄 この一報が届いたのは 、スピカが館に小休憩に入ってより 数分後の事だった…
「チッ…よりによって今日かよ」
小休憩用の館のダイニングに集められたごく少数の騎士達…魔女の護衛を任されていたデイビッドたち一行はその一報に悪態を吐く、そう 選りに選ってだ、今日という日は 一年で最もめでたい日でもあり 最もアジメクが無防備になる日と言っても良い
「そりゃ今日でしょ、城はガラガラ おっかない騎士は皇都中にバラけてる、外に出ればお祭り騒ぎで それに乗じれば容易に外に出れます、絶好の脱獄日和では」
クレアの物を考えない口の聞き方に思わず苦笑いを浮かべるメイナードとヴィオラ、だが反論はしない その通りだからだ
さらに追記するなれば、騎士達は魔女の通る道の確保に努めているため それ以外の場所は一切見張っていない、外に出さえすれば レオナヒルドはザルに水を流すが如く容易に皇都から逃げてしまうだろう
「でも出ようとして出れるような場所が牢屋に使われているわけありません、事実レオナヒルドは厳重に拘束されていたはずです、スプーン一本さえ持たせてもらえない状況下で 日取りを選んで脱獄など現実的ではありません」
続いて口を開くのはメロウリース、クレアに負けてたまるかと対抗して反論する、優秀な彼女だ 当然口だけの反論ではない 、牢屋とは出れないから牢屋なのだ
ホテルじゃないのだからよしこの日に出ようと出れるわけがない、…ならなぜ出れたのか 考えるまでもない
「簡単だ、脱獄を手引きした者がいる という事だろう」
それは誰が言ったか、騎士団ではない…なら この場において騎士でない人物は二人しかいない、そしてそのもう一人は 部屋の奥で桶とキスするので忙しいから、実質 一人
「レグルス様…」
盗み聞くつもりはなかったが、神妙な面持ちで 真剣な空気で 騎士達が揃って会議をしているのだ、いやでも耳を立ててしまうという物
「レオナヒルドのバックには まだ組織や黒幕がいた、それは確定事項なのだろう? なら…ソイツらが手を回したと考えるべきだ」
ともすれば皆、誰かが脱獄を手引きしたという可能性は考えていただろう、少なくともデイビッドは 薄々勘付いていそうだったが…、いやクレアとメロウリースは あっそうか!という閃きの顔をしている、まだまだ若いな
「……まぁ、そうだろうな それしか考えられませんからね、やるならこの時期に仕掛けてきてもおかしくないか、だが 丁度いい」
浮かべるのは苛立ちではない 不敵な笑みだ、はっきり言って現在の状況は最悪だ レオナヒルドは小物だが戦闘能力は高い もし市街でヤケになって暴れればそれだけで甚大な被害が出る、それでも笑う 丁度いいと
いやしかし、レオナヒルドが野放しというのは手放しに喜べない、もしかしたらエリスを逆恨みして襲いにくるかもしれな……あれ?、そう言えばエリスがいない、いやデティもいない?ど どこへ
「ちょっと団長代行!、丁度いいって何がですか、カッコつけて笑ってないで教えてくださいよ」
「落ち着けよクレア、俺たちが一度掴み損ねた黒幕が もう一回尻尾を晒してくれたんだぜ?、今度こそ掴めば レオナヒルドのバックにたどり着けるかもしれない、おい!レオナヒルドが脱獄した牢屋 その近辺で怪しい奴を見なかった直ぐに聞き込みを開始しろ、ついでに今すぐレオナヒルド捜索部隊を編成して…」
「あ あの…」
デイビッドが片手間に、報告を届けてくれた兵卒に命令するが、どうにも兵卒の様子がおかしい 顔面蒼白、脂汗は流れ 口はパクパクと開閉され 、まるで まだ報告があるかのようだ
「なんだよ、今は一刻を争うんだ 早くしろ」
「そ それが実は レオナヒルドの脱獄を手引きしたと見られる、目撃情報がありまして…レオナヒルド脱獄とほぼ同時期に、地下牢へ出入りした者が…いまして」
「目撃情報があんのかよ!早い言えよ!、誰だ…やばい奴なのか?」
要領を得ない兵卒の言葉に、思わず詰め寄るデイビッド、しかし それに嫌な予感を感じたのは きっとレグルスだけではないだろう、この場にいる誰もが その名を聞く事に、本能的な忌避を感じていた…ともすればデイビッドも …
しかし 無情にも、その名は告げられる
「な ナタリアさんです!、ナタリア・ナスタチウムが レオナヒルドの脱獄を手引きしたものとみられます!」
「……は?」
響き渡る 悲痛な事実に、レグルスは 一人…苦々しい顔で 事件の前兆を捉えていた
何かが 始まったのだと




