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201.孤独の魔女と転じて窮地


エトワール五年に一度の記念すべき祭典 エイト・ソーサラーズを決定する最終審査会、別名聖夜祭…


ナリアさんの夢を叶える為この国で長く劇団として頑張ってきたエリスとクリストキント達は遂に、この聖夜祭の場に上り詰める事が出来た…のだが


怪盗ルナアール…、シリウスによって操られエリス姫の命を狙う怪盗が暗躍し


太陽のレーシュ…、ヘレナさんを閃光の魔女の弟子と勘違いしたアルカナの大幹部達が蠢動する


この二つの存在によって 祝いの日である聖夜祭はエリスにとって決戦の日となった…、幸いながらルナアールを発見しその正体を見抜くことに成功したエリスだったが……


「しゃぁぁぁあああああ!!!!」


「効きませんよ!そんな闇雲な攻撃!」


ブンブンと振り回されるテレフォンパンチ、されど爆裂な火炎を纏った拳は振るわれるだけで放たれる熱波が周囲を焼き尽くす、その拳と熱波を掻い潜りカウンターに叩き込む拳 それを受けて尚イグニスは構う事なく暴れまわる


…今、エリスは大いなるアルカナの大幹部 No.19 太陽のレーシュの部下であるイグニスとの一騎打ちを演じている


ルナアールを追ってたらいきなり突っ込んできたんだ、既にアルカナ達も動き始めている ルナアールも動いている、既に戦端は開かれているんだ!


「ああくそ!、エリスは早く別の場所に行きたいんですよ!、倒れてくださいよ!!…『風刻槍』!!」


「ぐぅぅぅっ!」


イグニスが振り抜いた拳を掻い潜り、極限集中恩恵 跳躍詠唱で叩き出すのは風刻槍、それをイグニスの腹で炸裂させるが…、ダメだな 分かる、こいつはまだ動く


「きっっっっかねぇぇーーー!!!」


「バチクソ効いてる顔してますよ!」


「効いてねぇーったら効いてねぇー!、『火流爆撃』!!」


くしゃくしゃに握った紙みたいな顔で苦痛に悶えながらも全身の炎を解放しながら全方位への爆撃を行うイグニス、当然 そんな大振りな攻撃は効かない、旋風圏跳で飛び退き、足元の雪をザリザリと飛ばし失速する


「ぐぅぅ…へっへーん!大した事ないなぁー!、お前のへなちょこ魔術なんかいくら食らっても効かないもんねー!」


「大口を…、ですが 確かにタフですね」


はぁ と息を吐く、イグニスと戦い始めて結構な時間が経ってしまった、赤かった空はもう暗く 月が見え始めている、確かにこの戦いはエリスが押している イグニスの脅威はあの炎だけだ、…だが


(くぅ…、思ったよりも時間がかかるな、これ)


さっきから古式魔術をバンバンぶち当ててるのにイグニスは倒れる気配がない、最前線で殴り合いを行うスタイルだからこそのタフネスなのだろうが、…やはり弱くはないな


けれど、エリスの本命はこいつじゃない、ルナアールとレーシュだ、それにルナアールを追った師匠が心配だ、いくら師匠とはいえあの体じゃ戦えない 何かあったら危険だ


出来れば今すぐにでもこいつを昏倒させて置いに行きたいのだが…


「オラオラ!まだまだ行くぞオラァッ!」


「もう来ないでください!」


足の炎を更に噴射させ、独楽のように回転しながら何度も回転蹴りを放ちながら飛んでくるイグニスの連撃を、スウェイで回避していく


こうやって動いている間に時間は経っていく、エリスも消耗していく、あまり消耗しすぎるとレーシュ戦がまた前回の二の舞に…


「ひひっ!」


「っ…!?」


刹那、回し蹴りを放つイグニスが不敵に笑ったのが見えた、しまった…気を抜きすぎたか…!


「甘いんだよぉっ!私が前回で奥の手全部出したと思ったかよぉっ!、行くぜェーッ!超絶必殺ーゥウ!!!」


「しまっ…」


そうだ、エリスが前回の経験を糧に戦うように、イグニスも前回の戦いという経験がある、だからこそだろう エリスの回避の癖を見抜いていたのだ、回し蹴りの連撃の中 咄嗟にイグニスは蹴りをやめ、くるりと回転しながら空中で体を丸め その身に絶大な熱を集めていく


まずい、この魔力量と熱量はとてもまずい、来る 本人が申告した通り 必殺の一撃が…!


回避出来るか!?防げるか!?、分からないが ダメージを負うわけには…!


「逃げようなんて思うなよ!この街諸共みィーーんな吹っ飛ばしてやる!『火流超爆炎灰燼撃』…!」


その身に溜めた炎と魔力が今 エリスの目の前で炸裂し…


「ぷえっ!?」


なかった、イグニスが炎を解放しようとした瞬間 天から降ってきた滝が 水が、イグニスの炎を纏めて消し去ったのだ…、雨ではない まるで意図的に天の上の誰かがバケツひっくり返したみたいに、局所的な落水


これは…


「人もいない 人目もない、最高の戦場じゃありませんか、エリスちゃん」


「リーシャさん!」


「約束通り、救援に来ましたよ」


リーシャさんだ、口にはタバコをふかしながらニタリと笑う彼女が無人の街の屋根の上に陣取っている


約束ってのは、エリスが前した戦力の件だ…、エリスは彼女の素性 帝国軍人であると言う素性を見抜き彼女にこのアルカナ戦の救援を依頼していたのだ、その約束を守ってここまで


「来てくれたんですね!」


「ええまぁ、よっと…魔女排斥派は帝国軍人として見逃せませんし」


屋根から飛び降り、何でもないように着地するその姿は とても小説家には見えないほどアクティブだ、やはり 彼女が帝国軍人であると言うのは真実なのだろうな…、いやまぁエリス自身が言い当てた事ではありますが、こうしてみるとなんか…違和感がすごい


だってあの戦いとは無縁のクリストキントの一員で、いつもタバコふかしながら原稿と睨めっこしてるリーシャさんが…


勇ましい顔して、全身から凄まじい魔力を漂わせながらエリスの隣に立ってるんだ、すごい違和感…


「本当に戦えたんですね」


「何?そっちから誘っといて疑ってたの?、これでもね 私帝国のエリート師団の一員なんだよ?、それを捕まえてあーた…戦えたのですって、驚きだわ」


「す すみません」


ってことはやはりさっきの水はリーシャさんの魔術か…


「なんだお前…なんだお前!帝国軍人!?なんで帝国の人間がここにいるんだよ!!」


濡れた犬みたいになったイグニスがプスプスと白い煙を全身から漂わせながら激怒する、せっかくの最大火力技を潰され彼女もお怒りのようだ


「まぁ色々あるんですわこっちにも、真面目に業務に励んでたのに おっかない女の子に脅されてこんな怖い戦場に引っ張り出されて、…何年振りの実戦だと思ってんだか」


「お 脅してないですよ!」


「うるせぇぇぇ!、どーでもいいわそんなこと!、やっっぱり帝国と繋がってやがったな魔女の弟子ぃぃぃぃいいいいい!!!、こうなったら帝国も一緒に私が焼き尽くしてやるぅああ!」


うげ、どうやら彼女の心の炎に火をつけてしまったようだ、見た事ないくらい激怒している…、けど 救援が来たなら心強い、このままイグニスを押し切って…


「エリスちゃん、エリスちゃんは先にルナアールのところに向かいな、ここは私一人で十分だからさ」


「え?…いいんですか?」


「うん、さっき劇場の方を見に行ったら何か騒ぎが起きていた、もしかしたらルナアールかレーシュが出たのかもしれない、もう遊んでる暇はないよ 早く行って!」


「ほ 本当ですか!…、分かりました では、ここは任せます!」


既に劇場の方で騒ぎが、時間をかけすぎたか…!、早く向かわないと手遅れになる!


旋風圏跳を発動させ、ここは イグニスはリーシャさんに任せることにする、彼女がどれだけやるか分からないけれど、任せろと言われたんだ 任せるより他ない


「ではリーシャさん、あとは頼みます…イグニスは炎を使った近接戦を得意とします、気をつけてください」


「あ、やっぱ炎使い?じゃあ私の得意分野じゃん…、大丈夫 完封できっから」


「それは心強い、では…!」


あとは任せたと風で加速し、リーシャさんとイグニスを置いてルナアールが逃げた方向…、劇場の方へ向かう、頼むから まだ間に合ってくれよ…師匠 無事でいてくれよ!!!


「あ!おい!、待てや!逃げんな!お前は私の獲物…」


「おおっと、待て待て 私が『ここは任せた!』って言ってんだから、ここからあんたと私のバトルになるのは鉄板の展開でしょーが」


飛び去るエリスを追おうとするイグニスの前に、リーシャが立ち塞がる…


「ああ?このやろう…邪魔すんなよ、帝国の末端が」


「あらら、痛い所突かれた 言い返せねぇ」


イグニスは目の前の女を見て考える、見るからに戦闘に不向きそうな小説家みたいな格好、タバコの煙纏う髪のなんとだらしない事、そしてメガネ…メガネをしてる奴は弱いと相場で決まってる、だってメガネだから


いくら帝国軍人とはいえピンキリだ、雑魚い奴は雑魚い、どうせ 他国の監視を任された非戦闘員だろう、こんなの相手じゃない …勝てる、とっとと倒してエリスを追おう


そう心に決め、イグニスは笑う…さっき必殺技を邪魔された、その借りもついでに返してやると


「まぁあ、あんたと私じゃ…バトルっていうほどバトルにもならないか」


「はぁ?、でっけー口叩くじゃん…私をそこらの黒服と一緒にすんなよ!、私はイグニス!、レーシュ隊の副隊長!テメェみたいな雑魚相手じゃねぇーんだよ!、『イグニッションバースト』!!」


ゴオッ!とまるでガスに引火したように全身から炎が吹き出るイグニスを前に、なおもリーシャは笑う、久しい実戦だが…心が躍る、やっぱ 偶には身体動かしてネタ探ししないとね


「んじゃあ、私も見せましょうか…元帝国第十師団『人魚のリーシャ・セイレーン』の華麗な戦いってやつを」


…………………………………………………………


ルナアールかレーシュか、リーシャさんの言葉では既に劇場の方で騒ぎが起きているらしい、けれど ふと劇場のある広場の方に耳を傾けても、そんな阿鼻叫喚の地獄のような悲鳴は聞こえてこない


もしレーシュが現れていたなら奴は盛大に暴れるだろうから多分劇場に現れたのはルナアールだと思う…、劇団所属で裏方にいるリーシャさんなら 裏方だけで起こった騒ぎにも気がつけるしね


しかし、分からないな、まだ審査は終わってない、審査が終わってないということはルナアールの目的であるエリス姫はまだ誕生していない、だとするとまだルナアールが盗みたいものはこの世に存在していないことになる


なのに姿を現したのか?エリスが接触したことで計画を変えてきたか、或いは奴にはなにか考えがあるか…、そもそもエリス達に読み違えがあるかとか


考えられる不確定要素は山とある、ここでやきもきしていても意味がないとエリスは全速力で無人の街を駆け抜けて大きく迂回し巨大な劇場の裏手へと回るように走る


「…師匠は大丈夫だろうか、ルナアールなら命までは奪わないと思うが…それでも心配だ、先に行かせた以上 追いつかないと…」


頼むから間に合ってくれと夜道でエリスは一人祈りながらも、考える…劇場の方に現れたのがルナアールだとすると、レーシュは今どこに…


「っ……」


と、その瞬間 エリスは足を止める…風を纏い勢いのついた体は雪を削りながら失速し、そして 立ち止まる…本当は一刻も早く師匠のところに向かいたい気持ちはある、だが


…もう無理だ、エリスはもうルナアールの一件に関われない、ルナアールの想定よりも早い出現とイグニスの唐突な出現というアクシデントの所為で、エリスのタイムスケジュールに狂いが生じてしまったからだ


故に、エリスは何も解決することが出来ずに この時を迎えてしまった、つまり エリスがもう自由に動ける時間は無い、タイムリミットだ


ここからは…


「もう、起きたんですか?…レーシュ」


「んふふふふふ、やぁ おはよう愛しのエリス、君に会いたくて早起きしてしまったよ」


立ち止まったエリスの目の前に立ち塞がるのは、太陽の如きオレンジの髪と黒いコートをはためかせる一人の切れ目の女、…この1ヶ月間 ずっと再戦を望んだ相手


レーシュだ、太陽のレーシュがまるで待ち受けるようにエリスの前に立っていた、…もう動き出したか


「あの、エリス今急いでるんで 後で…っていうわけにはいきませんか?」


「んー、それは出来ない相談かなぁ」


だよな、エリスがどれだけ師匠を心配してもルナアールのところに行きたくても、こいつが現れてしまった以上、エリスはもうどこにも行けない こいつに付きっ切りになる…


悔しいが、あとは祈るしかない…一応 こうなった場合の手は考えて既に打っているが、それでも悪いがやや不足感が否めない、出来るならルナアールをなんとかしてからこいつに会いたかったが…、もう無理か


「態々アグニスとイグニスにワガママ言ってヘレナ姫の暗殺をそっちに押し付けて私はここに来ているんだ、流石にそこまで可愛い部下に負担はかけられないかな」


「アグニスとイグニスに…ってまさか!、今劇場にいるのって」


しまった、アグニスの方だったか!あいつが舞台裏を強襲してヘレナさんを…いやいや、あっちにはマリアニールさんもいる 大丈夫だ、大丈夫…だと思いたい!


「そんな事どうだっていいじゃないか!、私はこの1ヶ月間ずぅーっと君に恋い焦がれていたんだよエリス、私に未知の感情を与えてくれる愛しき君よ…、1ヶ月間ずっと君の夢を見ていたんだ…」


「ゆ 夢ですか?」


「ああ、君が私の手足を縛って この手の爪で花占いをするんだ『好き、嫌い、好き、嫌い』って一枚一枚剥がしていく夢なんだ…ああ、結果を聞く前に目覚めてしまったことがなんとも悔しい、そうだ今ここでやってくれないか!さぁエリス!さぁさぁ!剥がしてくれ!爪を!」


「嫌ですよ…」


ズイズイと自分の爪をエリスに差し出すレーシュに辟易する、そもそも10本しかない爪で花占いしたって結果は見えてるだろ…好きから始まったなら、答えはその通りだ


…こいつは傷や破壊 痛みや苦しみが大好きなのだ、それこそが人と人を繋ぐ絆だと本気で信じている、その性分故 いくら痛めつけてもビクともしないのが恐ろしい…


「嫌かい?…そんな、楽しみにしてたのに」


「そんなにして欲しいなら、貴方を倒した後 嫌がる貴方を捕まえていくらでもしてあげますよ」


「本当かい!?それはつまり 私が勝ったら君に同じことをしていいってことだよねぇ!!」


「出来るものならね、でも勝つのはエリスです」


エリスがそう言えばレーシュはそりゃもう心底嬉しいそうにパァっと顔を明るくする、そうだ 勝つのはエリスだ、前回は遅れをとったが今は違う


修行を積み 対策を作り、備えてきたのは全てこいつとの戦いのためだ…、全てはこの決戦で勝利するため


「あっはははははは!、やめてくれやめてくれ どこまで私好みなんだい君は、どこまで私を悦ばせるんだい君は!、ああ!もうこれは運命だ!結婚しよう!エリス!」


「嫌ですって…」


「ならその拒絶の意思を私に刻み込んでくれ!、私もこの愛を君にぶつけるのが楽しみで楽しみでしょうがないんだ!、もう爆発しそうだよぉ!エリス!」


「勝手に爆発してください」


エリスの視線が見下ろすレーシュの視線とぶつかる、ニヤニヤ笑うレーシュの目が見上げるエリスの視線を捉える、二人の目が闘志を宿し 激突し…お互い手が届く距離で静止しながら…


ただただ、お互いが魔力を高めるだけ高めていき 共鳴した雪が浮かび上がり大気が揺れる


今、エリスのエトワールでの最後の戦いが、レーシュとの決戦が


「くはははははは!、さぁ!蜜月の時だ!語り合おう!心を!エリスッッ!!!」


「ええ思い知らせてやりますよ!勝つのはエリスです!、貴方はここで倒しますっ!レーシュッッ!!!」


拳を握り 解き放つは煌王火雷招、その電光石火の一撃を以ってして開幕する


レーシュとの戦いの火蓋が、切られた


…………………………………………………………………………


「なんて事を…」


中央広場の巨大な野外劇場の裏にポツリと設置された小屋、エイト・ソーサラーズ候補者が待機するその小屋は今 一つの巨大な魔術陣に包まれ逃げ場を失っていた


…怪盗ルナアールが態々劇場に衛兵として忍び込み 用意した障壁陣、それは中にいる候補者達を外に逃さず、手早く目的を達するために用意されたものだ


その目的…それは


「さぁ、早くしてくれ …ここにはエイト・ソーサラーズになり得る者たちが集まっている、なら ここで次期エリス姫決めてくれ」


そう、要求するのだ…、もう間違いない 次のルナアールの目的は、とサトゥルナリアが待機場の入り口で陣取るルナアールから視線を隣のヘレナ姫に移すと…


「あの、ヘレナ姫 ルナアールの要求って…」


「す すまない、本当は言うべきだと言うのは理解していたんだけれど、い 言い出せなくて…」


物凄く青い顔をしながら懐に手を伸ばし、取り出すのは例の予告カード…、それを取り出せば 候補者達がこぞってその中を見る…すると


「嘘、なにこれ…!」


「い 嫌よ…なんでこんな」


「まさか…嗚呼、魔女様…」


皆青い顔をする、僕も青い顔をする、だって中には


『今宵決まる次期エリス姫 その命を頂く』と書いてあったのだから…、つまり殺す気なのだ、エリス姫を…、それを今ここで選べってことは 今この場にいる候補者に、死なせる人間を選ばせるってことで…


最悪だ、最悪の予告だ…


「待ってください!ルナアール!貴方は人の命を奪わないと言うルールがあったのでは!?」


「嗚呼、だから エリス姫を殺して 私も死ぬ、エリス姫の悲劇の伝道者がいなくなれば、私はそれでいい…伝える者がいなくなれば 彼女の悲劇を知る者も見る者も居なくなる、私の目的は徹頭徹尾それだけだ」


…そうか、ルアナールの目的はそれだったのか、エリス姫の悲劇 それを失わせる事、だからそれをモチーフにした作品を消し去って原典も消し去ろうとしている、この人は エリス姫の為に戦って、その末に歪んでしまったんだ…


そうか、…エリス姫の悲劇を見世物にするのが許せないのか、ルナアール…いや プロキオン様、貴方はかつての自分の過ちをその命を以ってして正そうとしているんですね…


でも、でも違いますよ、こんなやり方間違ってますよ…


なんとかしないと、そう動き出そうとした瞬間


「わ 私は嫌よ!死にたくない!殺されるくらいならエリス姫の座なんていらない!!」


一人の候補者がパニックを起こして部屋の隅に逃げ出し叫び散らす、皆が見ようとしていなかった事実を突きつけるように、そうだ 今この場でエリス姫に選ばれればそれは即ちルナアールに殺されることを意味するんだ


それを理解した候補者達はみるみる青くなり…


「私も嫌!、まだ死にたくない!まだ演じたりない!」


「あたしだって嫌よ!、こんな…生贄みたいな役回り死んでもごめんだから!」


「し 死にたくない…死にたくない!、あ あんたいきなさいよ!今年こそエリス姫になるって息巻いてたじゃない!譲るわ!」


「はぁ!?あんた私の事殺そうっての!?悪辣な女…!」


そのパニックは伝搬し、周りの候補者達が揃って生贄を選び始める、自分だけでも助かろうと彼方此方で啀み合いを始める、選ばれれば死ぬ そして選ぶ権利は皆が持っている、故にこれは刃無き言葉の殺し合いだ


「あんたがエリス姫よ!ほらいきなさいよ!」


「ふざけんな!クソ女!お前が行け!」


「この!私はまだ死にたくないの!」


「誰か一人が死ねば助かるんだから!誰か死んでよ!!」


「っ……」


まるで 壺の中に入れられた毒虫の殺し合いだ、お前が行けお前が行けと指を差し合い押し合い引き合い、皆がエリス姫と言う呪いの名を押し付け合う、その様のなんて醜き事か


ルナアールの行動ひとつで、ここまで候補者達が狂わされてしまうなんて…、こんなことになって なんとも思わないのか、ルナアール!


「…満足ですか、ルナアール…!」


「私に満足という感情はない、ただ私は偽りのエリス姫を殺そしの役に殉じているだけだ」


「ふざけないでくださいよ!、人々を狂わせてなんとも思わないのかって聞いてるんですよ!」


「なんとも思わない、早く選べ…さもないと、痛みを伴う方法で選ばせるぞ」


ギラリとその手の剣が煌めけば、周りの候補者達が一斉に息を呑む…、皆が 死を濃厚に意識し、そのパニックはより強烈なものになる


「早く行け!早く!」


「やめて!引っ張らないで!、この お前が死ね!」


「早くしないと他の人達も助からなくなる!」


「嫌だ嫌だ!、死にたくないよぉ!お母さん!」


ダメだ、収集がつかない…こんなのどうすれば…、どうやったらいいんだ、このままじゃ この場で本当の殺し合いが始まってしまう!


何をすればいいか分からず立ち尽くしていると


「静まりなさい!!」


「へ…」


「エフェリーネ様…?」


立ち上がる、静観を保ってきたエフェリーネ様が立ち上がり声を上げる、その声に気圧され 皆が動きを止め


「私が行きます、年老いた私の命はこの中で最も軽い、…それに前年も私がエリス姫を演じています、ルナアールも満足でしょう」


「あ…え…その…」


誰も言えない、エフェリーネ様はこの国の宝だ ここで死なせるなんて出来ないと、でも声はあげない、声を上げた結果 じゃあお前が行けと言われるのが嫌だから、皆自分がエリス姫にはなりたくないから


エリス姫をエフェリーネ様に押し付けて…、自分が助かろうとしている…、それを見て 僕は…


「さぁ、今年も私がエリス姫ですよルナアール…、それでいいでしょう」


「そうか、お前か…ならここで斬り殺し我が長き演目に幕を降ろそう」


沈黙する候補者を横切り 両手を広げながらルナアールに近づくエフェリーネを受け入れるように、ルナアールもまた剣を握り…そして


「…………さぁ」


「これで、終わりだ…私の物語も僕の物語も…これで…」


凶刃が今煌めき、高く高く振り上げられる、今 ルナアールの狂気の物語が、エフェリーネの血を以ってして、終わろうとした


その時……


「ふっっっ…ざけるなぁぁぁあ!!!!」


「っっ!?」


止まる、全員の動きが…、サトゥルナリアがいきなり椅子を地面に叩きつけ、叫んだのだ…見たこともないくらい、激怒しながら 睨みつける、その場にいる全員を


「さ サトゥルナリア…何を」


「何をじゃない!こんなの許せないですよ!」


「許せない?、…ですがここにいる者達が死ぬよりも 私が死んだ方が余程いいのですよ、だから私がエリス姫になるんです」


候補者達も言外に肯定する、自分たちは死にたくない 自分たちは助かりたいと、それを分かってるから エフェリーネ様もエリス姫を甘んじて受け入れるのだ、それが ナリアは…


「それが許せないんですよ!」


「じゃ じゃあどうするのよ!」


「私達がエフェリーネ様を生贄にするのがそんなに許せないの!?」


「そりゃ、たしかに私達だけ助かろうなんて 嫌な考え方かもしれないけれど!、でも誰だって自分の命は可愛くて…」


「そこじゃない!!!」


だが、そこじゃない 断じて無いのだ、候補者達の賤しい保身もエフェリーネ様の痛ましい献身も、思うところはあるだろう だが僕が許せないのはそこじゃ無いんだ!


「じゃあなんなのよ!なんでそんなに怒ってるの!」


「エリス姫の名前を!そんな呪いの名のように扱うのが許せないんですよ!」


「え…」


「エリス姫は役者みんなの憧れでしょう!、それをこんなことになったからって、押し付け避け合い、呪いのように他人に押し付け合う!、それを見ていられない…僕はそれが許せないんです!」


許せない、たしかに命は大切だ だが、エリス姫になるために今までの人生を捧げてきたんだ、なら 例え命がかかってもその役自体を夢そのものを呪いのように扱うのは違うだろう…!


「エフェリーネ様!」


「え?…私?」


「仕方がないから私が受け入れる、そんな事が許されるほどエリス姫の名前は軽いんですか!」


「か 軽くは無いわ、でも 命よりは…」


「いいえ!、違います!…夢は命よりも重い 夢があるから生きていける、夢があるから今日まで生きてきたんでしょう、狂ってると言われるでしょう 道徳的に見れば論外でしょう!、でも…僕達はそうやって生きてきた、役に全てを捧げてきた、なら 最後までそうあるべきだ!」


エリス姫という立場を嫌な物のように扱い、忌むべき物のように押し付け合われるこの空間 この瞬間が、僕には我慢ならない、それと同じくらい仕方なくエリス姫になるというエフェリーネ様の覚悟も 許し難いんだ


「みんながなりたく無いなら、僕がなります 僕がエリス姫に!」


「で でもそんなことしたら殺されるよ!」


「…殺されません、エリス姫が死ぬという台本はどこにもありません、僕はアドリブが苦手なんです…台本にない事は、決して演じない」


砕けた椅子の板を手に持ちながらエフェリーネ様を押し退け ルナアールの前に立つ…


「僕がエリス姫です!ルナアール!」


「…ほう、分かった…なら小屋の外に来なさい、そこで 終幕とする」


というと小屋を包んでいた障壁陣が消え去り ルナアールもまた外へと出て行く…、僕がエリス姫という事で納得してくれたようだ


「あ…ああ、サトゥルナリア…なんてことを…」


「すみませんヘレナ様、僕行ってきますね」


ルナアールに続くように 僕もまた小屋を出て…、と その前に振り返り


「すみません皆さん、大きな声出して…、ルナアールは僕がなんとかしますから、聖夜祭を続けてください、そして 劇を演じて観客の皆さんを楽しませて…それで、その後また正式にエリス姫を決めてください、その時は 輝かしき栄光の名前として、皆で決めてください」


「で でも…」


「お願いします、エリス姫は色んな人に夢を与える存在なんです、それを皆さんで守って 続けていってください…、どうか お願いします、エリス姫の名前を守ってください」


頭を下げて、返事を待たずに 小屋を飛び出る、これでいい…夢を守れるなら エリス姫という希望の名前を守れるなら、その命 惜しくはない、惜しくないんだ!夢のためなら!!


「…来たか」


「はい、来ました…」


夜雪の中 一人待つルナアールの前に立つ、今だけは僕はルナアールにとってのエリス姫だ、この命を断とうというのなら…僕は…


「最後に言い残す事はあるか?」


「…ルナアール、貴方はエリス姫の悲劇を消し去りたいんですか?」


「そうだ…」


「でも、劇を消しても 美術品を消しても、エリス姫の悲劇自体は無くなりませんよ」


「……っ」


「こうやって伝え続けて、多くの人達がエリス姫の悲劇と悲しみを知りました、共感する人もいました、消えなかったからこそ 悲劇は多くの人達に感動を与えているんです」


「エリス姫に訪れた悲劇を茶化すような真似…私は許さない!」


「茶化してなどいない!!!」


「っ!?」


僕の咆哮に、ルナアールが怯む…、茶化してる?そんな事あるわけないだろ


「僕達役者はいつだって本気だ!いつだって全力でここにはいない誰かの代弁者として命を尽くしている!、観客も同じだ!その魂で劇を受け止めて魂で感じている!、ふざけて舞台に立つ奴も観客席に座る奴もいない!!、僕達演劇に携わる人間はいつだってなんだって本気なんだ!」


「ほ 本気だと…?」


「そうです!だからエリス姫は消えません!僕達役者の魂が消させません!、僕達はみんなエリス姫を愛しているから!、時を超えて場所を超えて幾億の人達に愛させる為に!僕達役者は戦い続ける!、それが 僕達の使命だから!!」


「ぅ…ぐぅ!、お前が エリス姫に会ったこともない人間が!エリス姫を語るな!!」


「お前よりはわかってるつもりだよ!!!」


「うるさい…うるさいっっ!!、死ね!偽りのエリス姫!!」


「っ!」


振り上げられる ルナアールの剣が、振り下ろし 僕を エリス姫を殺し、この悲劇に幕を下ろす為に、殺させるか エリス姫殺させてたまるか!!


掴んで持ってきた砕け壊れ 木の板となったそれから手を離し地面に落とし足を乗せると共に、叫ぶ


「『衝波陣』!!」


「なっ!?」


板の裏に事前に書いておいた魔術陣から衝撃波が放たれ突如急加速し僕の体を乗せて雪の上を滑ってすっ飛んでいく


それと共にルナアールの剣は空を切る…、逃げてやる エリス姫を守る為に!僕は死なない!今の僕はエリス姫だ!、エリス姫は死なせない!!


「逃げるか!偽りのエリス姫!」


「ええ!、貴方にエリス姫は殺させません!!」


スノーボードのようにそれを乗りこなしながら叫ぶ、僕がこうやって逃げている間はエリス姫は死なないんだ!


「くっ、逃すか!!」


「うっ、速い…!!」


物凄いスピードで雪の上を滑ってるというのに ルナアールは容易く追いついてくる、雪を左右に弾き飛ばし白い煙を舞い上がらせながら猛烈に追ってくる、殺すつもりで


「うっ…このぉっ!」


追いつかれて溜まるか、大丈夫 勝算はある…、以前エリスさんがしたことと同じことをすればいいんだ、つまり夜が明けるまで逃げ切ればいい …逃げ切れるかは分からないけれど


「逃げるな!逃げるなぁッ!」


「逃げますよ!そりゃ!そんな顔で追われたら…ひゃうっ」


鬼のような形相で追いかけてくるルナアール、その顔が既に僕の真後ろまで迫っており、高速で走りながら振るってくるの剣を、大慌てで足元の木板を横にし失速すると共に剣を躱す


大丈夫、避けられる、あいつのスピードは恐ろしいが 全力で走りながらだとそんなに早く剣は震えない、こうやって翻弄し続ければ逃げ切れるはずだ


「この…小癪な!」


「捕まえてみなさい!僕を!」


再び追いかけてくるルナアールを前に衝波陣による推進力でボードを動かし逃げる、ただ逃げるだけじゃまた追いつかれる…、怖いけど 怖いけど!


「ぅぉぉおおおおおお!!!」


木の板の上で身を屈め空気抵抗を少なくしながらジグザグと猛進する、滑るこの地面には雪が降り積もっている、それを煙幕のように舞い上げながら逃げる 逃げる…


「くっ、ちょこまかと!」


それで止まるルナアールではない、的確に雪を貫き真っ直ぐこちらに飛んでくる、って 今度はもっと速いんだけど!?


「はぁぁぁぁっっ!!」


「ひぃぃぃいっっ!?」


ボードに乗り高速で逃げ回りながら飛んでくる剣を避ける、凄まじい速度で追いすがりながら何度も何度も振るわれる剣をボードを左右に傾けながら、時にしゃがみ時に飛んで避ける、我ながらよく動けてるよ!これ劇でやったら拍手喝采だろうなぁ!


「猪口才な、いい加減運命を受け入れろ!」


「嫌だ!、エリス姫はお前なんかに殺されないんだ!!」


「っ…うるさい!」


「っ!」


真横に振るわれる剣をしゃがんで避ければ僕の髪先がはらりと舞って遥か後方に飛んでいく、まずい 僕の動きに慣れ始めている、このままじゃ斬られる…けど!


「ぅぅっっ!ああぁぁぁあ!!!!」


闇雲に形振り構わず加速し、そして …くるりと反転してルナアールの方を見る、完成した!


「んなっ!?なんだ…諦めたか?」


「諦めませんよ!、今の僕はエリス姫なんだ!、彼女は幕が降りるまで何が何でも諦めないんだ!」


「そうか!ならその幕を閉じてやろう!」


向かってくるルナアールを前にボードを止めて、しゃがむ しゃがんで掴む、ボードを…離さないように、ルナアール いつものお前なら僕が何を企んでるか見抜けそうな物を、そんなに視野が狭まる程にエリス姫を求めるのか お前は…


だが…、と しゃがみながら魔力を高め『ソレ』に流し込む…すると


「っ!?まさか…」


ルナアールの足が止まる、ようやく気がついたか だがもう遅い!


「超特大『衝波陣』!」


僕がただ 何も考えずに雪を舞い上げて逃げ回っていたと思うか?、不規則な動きでちょこまか走ってるだけだと思ったか?、残念 僕は書いていたんだ、このボードが通る線を使って…雪の上に 巨大な衝波陣を、小さな頃からずっと小道具用に描き続けたこれなら ボードを使ってだって書ける!


僕の魔力を受けて鳴動する雪は徐々に光を帯びる、その中心には僕とルナアール…もう逃げられないし 発動した魔術陣は止められない!


「っっーーーー!?!?」


刹那、爆裂する 僕とルナアールの立っている雪が膨れ上がり大爆発を起こし 無人の街に巨大な雪の柱を作り出す、当然 上に立っている僕もルナアールも吹き飛ばされ宙を舞う


「うぅぁあぁぁああああああ!?!?」


叫ぶ 想像の10倍くらい高く飛んだから、でも しっかり掴んでいたから、僕の足にはまだボードがある!


「『衝波陣』っっ!!!」


雪の柱が風に消え、ボードに乗りながら夜空を駆ける、衝撃波は僕に前へ進む力と空を駆ける力を与える


「と 飛んでる!僕飛んでるよ!エリスさんみたいに!」


けど、実際に飛んでるわけじゃない、実態はボードを使って滑空してるだけ しかも超高速で、前へは進んでいるけど みるみるうちに視界は地面へと近づき…そして


「あぐぅっ!?」


地面に着地…じゃないな、これは墜落だ…、地面に打ち付けられロクに受け身も取れず、地面に落ちた衝撃でボードも足の骨も砕ける…うう、痛い


「…っ、ルナアールは…!」


動かない足を無理に動かし周りを見る、あの衝撃波で結構遠くまで来れたけど…、ルナアールはどこへ行ったんだ、出来れば空の彼方まで飛んで行ってくれていたら助かるんだけど…


「見事だ」


「っ!?」


しかし、現実はそう甘くない…、声が降りかかる 倒れる僕の頭の上にルナアールの声が…


「私を相手に駆け引きを行う、その胆力は見事だ…」


「ルナ…アール…」


僕の背後に立ち、その首筋に剣を当てるのは 怪盗ルナアール…、あの衝撃波も乗り切ったのか、こいつ…


「だが、もう鬼ごっこも終わりだ…君の足は砕けた、もう逃げられない」


「まだ、心が砕けていません…何が何でも守ってやる、エリス姫は!」


「っ…君の真っ直ぐな目を見ていると気分が悪くなる、これで 終わりにしよう」


ルナアールが再び剣を掲げる、断頭の一撃を放つ為に、ダメだ 殺される 殺されたらエリス姫が死ぬ、それはダメだ 何としてでも守らないと


芋虫のに這いずって 少しでも逃げようと雪を這う…諦められない 諦められない 諦められない…


「…長い物語だった…あまりに、長かった」


しかし、無情にもナリアの背に向けて剣が今 振り下ろされる……



…………………………………………………………


「ん?、なんだ…待機場の方がやけに騒がしいが」


雪降る夜の中汗を拭う、はぁ と一つ息をつく、体を動かして疲労を感じたのなどいつ以来か、あまりにも久しい感覚に新鮮さを覚えながら小さな黒髪の少女…レグルスは膝に手を置き肩で息をする


「これは驚いた、こんな小さな子供まで居たとは…お前も帝国の人間か?」


と問うてくるのは目の前で紅蓮の焔を侍らせた一人の男、それがこちらを見る、名前は確かアグニス…だったか、何やらよく分からんことを言っているが今は無視しよう



レグルスは今 ヘレナに襲撃をかけたこの男 アグニスなる炎の魔術師を引きつけ無人の街の中この男と戦っている状況にある、幸いわたしの正体には気がついていないようだが…、それでも状況は最悪だ


「答えんか、まぁいい…『クリムゾンウィップ』!」


「チッ…!」


刹那振るわれるアグニスの腕から炎が鞭のようにしなりレグルスに振るわれる、それを短い子供の足で必死に転がり周り回避するが、ただ回避しただけで自分の中に残された体力が目に見えて減っていくのを感じる


こいつをヘレナの所に行かせない為、わたしはこいつと戦闘を行わなくてはならない、けれど 我が身に刻まれた脆退寂静の陣…、相手の力の大部分を封じる陣のせいでまるで力が出てこないのだ


魔力が出ないから魔術も使えない、体力がないからろくすっぽ動けない、本当に小さな子供にまで退化したようなものだ、これじゃあ戦いにならない、故にさっきから逃げの一手しか打てていない


(本来ならこの程度 相手にもならんのだが…!)


加えてエリスは今戦闘中、それに本命はルナアールとレーシュの二人、こいつは謂わばオマケ…救援は望めない、はっきり言おう かなりマズい状態だ


「くぅっ…あっ!」


気を抜いた瞬間雪に足を取られ転倒しゴロゴロと地面を転がれば受け身も取れない、惨めだ…、この短い手足を操るのは想像以上に苦戦する…


「ふんっ、まるでただの子供だな…だが、あまり甘く見るなよ?俺に嘘は通じない…、お前がただの子供でないことなど見抜いている、早く本気を出したらどうだ」


「見せられるなら 見せてやりたいよ…」


「どういうつもりだ?時間稼ぎか?…、だが俺もあまり余裕がないのだ、この件に帝国が関与しているならもはや我等に猶予はない、早く目的を達さねばならんのだ」


オマケにこの男、容赦がない…こんな愛くるしい子供相手になんの躊躇もなくバンバン魔術を打ってきて…くそ!


「悪く思うな 『ヒートファラン…』」


「ふんっ!」


「がもっ!?」


詠唱の隙をついて雪を投げ飛ばし無防備に開かれた口に雪が入り込む、甘い…そんなに分かりやすく詠唱するやつがあるか、詠唱とは剣だ 細やかに素早く取り回しのが基本だというのに


「ぐっ ぺっぺっ!、この…!」


「あまり子供を甘く見ない方がいいぞ!」


そう言いながら再び投擲するのは またもや雪、雪玉だ それをアグニスの顔めがけ投げつけ…


「効かん!、そんな子供騙しが通用するか!」


防ぐ 手で払い雪玉を防ぐ、防ぐよな そりゃ、同じ手を二回連続で出されれば無意識に手が出る、故に気がつかない、例えそれが囮であったとしても…


「むっ!?なっ!?」


まずあがるのは驚きの声、アグニスが驚愕に彩られた声をあげながらぐらりとバランスを崩しその場に倒れる、彼の体を支える足はどうなったか?、絡まっているのだ 紐が…いや、靴紐が


「これは…靴紐か!さっきの雪玉と一緒に投擲して…!」


「その通り、甘く見たか?」


さっき雪玉を投げるのと一緒にわたしは同時にわたしの足に履かれた靴を投げたのだ、雪を吸って重くなったその靴の紐を掴み、鉄球のように振り回しアグニスの足に投げつけた、するとどうなる?、雪を吸って重くなった紐は見事にアグニスの両足を絡めて擬似的な拘束具として作用する


「力はなくとも経験はそのままなのだよ、お前みたいな若造には…負けんよ!」


倒れたアグニスの体に足を乗せもう一束の足の靴紐を解き一瞬でアグニスの手も絡め取る、力も魔術も失っても これでも魔女なのだ、そこらのやつとは年季が違うんだ


「くっ!?、やはりただの子供ではなかったか…!」


「まぁな、おっと 詠唱はするなよ?雪食わせるぞ」


手足を拘束されたアグニスの上に座り雪玉片手に笑う、ただの子供ではない…だがな、我が弟子はただの子供の頃から こいつのような悪党と鎬を削っていたんだ


今にして思うとあの子本当に凄い子だな、流石我が弟子 後でしっかり褒めてやろう


「…………」


「ん?、どうした?急に静かになって」


「確かに俺はお前を甘く見ていた、だが それはお前も同じだろう…」


「何?…っ!?」


刹那、膨れ上がる アグニスの胸が…大きく大きく息を吸って 蛙のように膨れ上がって行く、な なんだこれは…、いや!聞いたことがある!これは…!


「まさか逆流魔術!?」


逆流魔術、一口に詠唱と言ってもそのやり方は多数ある


エリスの詠唱を飛ばす跳躍詠唱 わたしの超高速で唱える高速詠唱、フォーマルハウトの魔眼魔術も一種の詠唱法だ


そういう特別な詠唱法とはただそれだけで武器になる、故に古来より紛争に身を置いてきた少数民族なんかは 己らの存在を守るためにいくつもの特殊詠唱法を確立させてきた


この逆流詠唱もそのうちの一種、内容は単純 詠唱とは いやそもそも声とは息を吐きながら唱えるもの、だが逆流詠唱はその逆 息を吸いながら詠唱を唱えるのだ


息を吸って詠唱する、裏声よりももっと聞き取りづらくかつ詠唱をしていると見抜き辛いそれは、相手が何を発動させたか そもそも魔術を発動させたかの判別を防ぎ奇襲の成功率をグッとあげるもので……


「ぶふぅーーーーっっっ!!」


「なっ!?!?」


放たれる、大きく息を吸ったそれを吐き出すようにアグニスが口を開け解放する、それは吐息に非ず 激しい業火だ、息を吸って口の中で炎の魔術を作り出しそれを吐き出したのだ


その素早さたるや、弱体化したとはいえこのわたしが反応出来ないほどのもの、まさしく完全なる虚をついた一撃、それは瞬く間に我が体を包み込み 火だるまにする


「ぐっ!?がぁぁぁああああ!!!」


「ふぅ、…この俺が逆流詠唱を ゲホッ…使いことになろうとはな」


体が焼かれる、凄まじい痛みが体を覆う 息をするだけで体内の血液が煮える…、必死に転がって火を消そうとするが、ダメだ…消えん


対するアグニスもただでは済まなかったのか、口元から血を流し咳き込みながら喀血し、火で紐を焼き切り立ち上がる


「油断したか?小娘…、そうだろうな 逆流詠唱を使える人間はもうこの世にいない筈だものな」


「ぐぅ…うぐぅっ…」


その言葉に答える余裕はない、だが確かにそうだ 逆流詠唱という特殊詠唱法はさっきも言ったが少数部族などが用いる技術であることが多い、逆流詠唱もその例にもれないはず…なのに


いや違う、そもそも 逆流詠唱を使う部族はもう…


「俺と…イグニスは、アグニ族の最後の勇士だ…魔女国家の要らぬ節介で絶えたアグニ族の伝統を受け継ぐ最後の勇士が俺たちだ」


燃え盛るレグルスを前にアグニは復讐の炎を燃え上がらせる、アジメクとエラトス その両国の間に存在する部族集落が存在した、それこそがアグニ族達の村…


炎と共にあり炎と共に生き炎と共に死ぬ、そんな誇り高い部族は20年以上前 飢饉に襲われ危うく部族全体が死に絶えるところだった、そんなところをハイエナのように受け入れたのがアジメクだ


あそこが余計な事をしたせいで誇り高き部族は誇りを捨てて魔女大国に吸収され、部族の伝統は死んだ、父も母も友も部族長も生には変えられぬと先祖代々守ってきた伝統と炎を捨てて魔女大国へと消えていった


炎さえあればい炎さえあれば生きて死んでいける、そんな誇り高き部族の伝統が潰えたのだ…とある兄妹にはそれが許せなかった、だから男は部族の名であるアグニを受け取りアグニスと名乗り、アグニ族の誇りをかけて 誇りを奪った相手への復讐を心に誓い 今ここに立つ


アグニ族は誇り高き部族だ、炎を操り 逆流詠唱を使い多くの部族間抗争を生き残り今日まで繁栄してきたというのに!、ただの飢饉で死者が山と出たからなんだというのだ!、最後まで炎を信じていればアグニ族はそんな危機乗り越えられたはずなのに…魔女大国が余計なことさえしなければ……!


「…アグニ族の炎は不滅だ、永遠に消えぬ…俺が消させぬ、その為なら子供であれ王であれ魔女であれ我が炎で焼き殺してやる!」


「ぅ…………」


力なく倒れ炎に飲まれるレグルスを前にアグニスは立つ、消えぬ烈火の決意を抱くアグニスの前にレグルスは抵抗も出来ず…、ただただ燃え尽きていくのであった



……すまん、エリス…今回ばかりはまずいかも知れん、今のわたしでは魔術を無効化できない 炎に焼かれれば、それだけで死ぬ…死んでしまうんだ…


…すまん…エリス……、嗚呼体が熱い…体が、体が…………



熱い



…………………………………………………………………………


「ごはぁっ!?」


悲鳴をあげながら家屋の岩の壁に叩きつけられ貫通し、ガラガラと家を崩しながらエリスの体は地面に叩きつけられる、ぐぅ…痛い


「あはははははは!、どうだいエリス 私の気持ちは伝わったかな」


瓦礫の中倒れるエリスを笑いながら 自分が砕き開けた穴を潜って現れる太陽の如き強き輝きを持つ女…レーシュは叫ぶ


レーシュとエリス その戦いが始まってからもう半時間経つというのに、エリスは未だレーシュ相手に決定打を与えられないばかりか、奴に魔力覚醒の一つも使わせる事も出来ずに こうしてボコボコにされているのだ


「あぁー!くっそ!まだまだです!」


エリスの上の瓦礫を蹴り飛ばし起き上がる、口元に違和感を感じて拭えば 鼻血がべっとり、さっき顔面を殴り飛ばされた時に噴いた奴か、くそう…とグシグシ鼻を袖で拭く


…予想通りではあったが レーシュは強い、エリスが魔術を交えて戦っているのにまるで歯が立たない、こいつは魔力覚醒云々以前にそもそもエリスよりも遥かに格上なんだ、分かっちゃいたけど …!


「うふふ、…あぁ〜ん…むちゃむちゃ…れろれろ」


「な 何してるんですか?」


傷だらけの体を起こして構えを取り直していると、何やらレーシュが自分の拳を舐めまくっている、いや 自分の拳についたエリスの鼻血か?それを啜るように舐めて…


「んんぅ〜最高ぅ、エリスの体液が私の体の中で躍動しているよ!、これはもうセックスだ!、今日が私とエリスの初夜だよ!」


「気色悪い、そういうの人前で言わないほうがいいよ」


「君の前だからこそ、はしたなく居られるのさ…、それとも それだけ私の気持ちをその身に受け止めて、まだ私の気持ちが分からないのかい?ふふふ 強情だね」


こいつは…趣味趣向以前にそもそも受け入れ難い、人を傷つけて 人の血を舐めて達するような変態だからだ


だが、そんな変態でも強い、あいつは傷を受け入れる事を躊躇しないノーガード戦法を取っている、だというのにエリスの方が傷だらけなのは 単純にエリスが押されているからだ


「分かってくれないなら オトすまでさ、私のはしたない口説き文句でねぇっ!!!」


「くっ、来なさい!返り討ちにしてやります!」


「それは楽しみ…」


グググッとその場でしゃがむレーシュはそのままバネのように勢いを溜めて…


「だなぁっ!」


飛んできた、まるで矢のように弾かれ影も残さないスピードで、真っ直ぐと真っ直ぐと駆け抜け一瞬で肉薄し腕を大振りに振るうと


「『ベルヌスブレイズネイル』!」


その爪が赤熱し 紅き煌めきを虚空に残しながら振るわれる、まさしく灼熱の爪撃 それが容赦なくエリスに振り下ろされるのだ


「ぐっ!」


「あはっ!これ痛いよぉ!自分で試したから折り紙つきさぁ!」


両手の爪に灼熱を纏わせ何度も何度も繰り出されるそれを、スウェイで避ける 避けながら引き下がる、あまりにも猛烈な攻めに退かざるを得ない、エリスと近接で互角のイグニスを部下に置くこの女の近接戦能力の高さを物語る必要はない


「っ…!くっ」


「そんなに逃げないでくれよエリス、逃げられないようにしたくなるよ!」


咄嗟にしゃがんで爪を避ければ エリスの背後にあった柱を熱で真っ二つに焼き切る、普通爪一つで建物の柱って切れるか!?、このデタラメ女が!


「大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ、荒れ狂う怒号 叫び上げる風切 、その暴威を 代弁する事を ここに誓わん『颶神風刻大槍』!!!」


ガラ空きになったレーシュの胴体に手をグリグリ押し当てながら放つ 全力の風の槍、それはエリスの手から放たれ爆発し、目の前の敵を遥か彼方まで吹き飛ばす


「あはぁぁぁあ!!!、最高だよエリスゥゥゥウ!!!」


しかし…効いてる気配がない、吹き飛び向こう側の家の壁を崩落させる勢いで激突したというのに、レーシュは喜びの声を上げ それこそ狂喜乱舞する


これだ、ずっとこれなんだ…エリスが攻めても攻めても攻めても、叩いても攻撃しても魔術をぶち込んでもアイツはまるで意にも介さないように大喜びで笑ってる、攻撃してるエリスの心の方が折れそうだ


ほら、…あんな零距離で打ち込んだというのに、レーシュは直ぐに瓦礫を押し退け現れる、相川らしいのピンピンぶりで、嫌になるよ


「むっはーー!!、君は私が問いかければそれ以上の心で答えてくれる、全身を貫く君の心の叫び…ゾクゾクするよ!、君は本当に雄弁だね!」


「痛くないんですか…貴方」


「痛いさ!痛いけどこれが君の気持ちなんだろ?、私を拒絶する心以上に誰かを助けたい 誰かのために戦いたい、そんな燃える情念が感じられるんだ、私はそんな君の熱い気持ちを受け止めるのが楽しくて楽しくてたまらないのさ!」


「……まぁ、否定はしません、貴方を倒さないとエリスの大好きな人達の平穏が守られないんです」


「ううぅん、いいね 私と言う難敵を前にしてそれでも誰かを守りたいと慮れる優しさ、或いは度量か蛮勇か、それを貫く君の姿に惚れた!さぁ!倒してくれ!私を!、私も全力で答えるからさ!」


ねっ!と太陽のように笑う彼女の姿はある意味純粋だ、純粋に狂気的だ、そこまでエリスの心を読み取れながら それでもエリスを傷つけヘレナさんを殺し 全てを壊す事をやめようとはしないのだから


こいつは趣味趣向 価値観云々以前に、絶対的な悪なのだ、故にその性質が全て悪い方向に向かっている…、やはり危険だ この女は


「貴方は危険です、危険過ぎます…ここで 倒します!」


「それは口ではなく拳で語ってくれ!」


傷つく体を無理に動かし、レーシュに飛びかかる…、エリスはまだ負けてない、戦いはまだまだこれからだ

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