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187.孤独の魔女と幻想の中の怪盗


エトワール名物 蒸し風呂、正式な名称をスチームサウナ、発祥は魔女大国 教国オライオンと言われている


密閉した小屋の中に配置した熱した石とそれに水をかけ発生する水蒸気で部屋全体を温める、そのアチアチの空間の中 タオル一枚で突入して暖を取るという、エトワール 延いては寒冷地帯であるポルデューク大陸の伝統的な文化である


エトワールにあるサウナは別名エトワール式サウナと呼ばれており、小屋の中に熱を発する魔術陣 『赤熱陣』を引き その上に石を置き部屋を温めるという方式を取る


こうする事で熱の加減がしやすく 常に安定した熱気を送り続けることができるらしく、もっぱらポルデュークで最も流行っているのはこのエトワール式だ…



目も眩むような熱気の中、裸一貫で熱に耐え 程よく温まったら外にある雪に突っ込み体を冷やす、温冷交代で得られる快感は格別らしく ポルデューク大陸では貧富の差を問わず みんなこのサウナが好きらしい


裸で小屋で向かい合うという形式上 交渉や話し合いの場として選ばれることも多く、嘘みたいだが外交にもよく用いられるのとこと、カストリア大陸から来たエリスからしてみれば未知の文化だ…


そして、今 エリスは


「ふぅーーーぅーーっっ…」


腰を落ち着け 膝の上に手をつけば、額から伝う汗かはたまた水蒸気か、それが顎先へと流れてポタリと地面へ落ちる…熱い、想像以上だ スチームサウナ


「ふぅー気持ちいいねぇ、エリスさん」


「そうですね、でもなんだか新鮮な感覚です」


あはは と服を脱ぎ去り 胸元から腰までをタオルで覆ったスタイルのリーシャさんがエリスの隣で笑う


エリスは今 リーシャさんの誘いで 仕事をサボってサウナに来ています、建前としては今日は休みであり 劇場の掃除よりも優先すべき事柄があるから、本音は多分 不真面目なものだろうな


いやいい、今はいい 、もうこうやってリーシャさん達と来てしまったんだ、今更ウダウダ言うのは行儀がよくない


「しかし、いやぁ…熱いですね、サウナ、ねぇ師匠」


「うぅ、エリス もう出よう、息が出来ない」


出来るよ、いやまぁ確かに肺に取り込む空気まで熱い所為でいつもとは呼吸の感覚が違うが、それでもまだ入ったばかりですよ と胴体にタオルを巻きつけた師匠の頭を撫でる、それとも 小さい体にはこう言う熱も応えるのかな


「大丈夫ですか?師匠」


「大丈夫ではない、わたしは昔からサウナが苦手なのだ…、これを好むプロキオン達の感覚が理解出来ん」


「あ、サウナって昔からあるんですね」


「…少なくとも、わたし達が若い頃からあるから 八千年くらい前からはあるな、今とは少し形が違うがな」


めちゃくちゃ歴史が深いじゃないですか、いやまぁこう言う寒冷地ではサウナは生活の一部だ、人が人であり 土地が土地である限り、その生活様式とは幾星霜経とうとも変わらない


八千年経っても人が家の中で生きているのと同じで、八千年経っても人の娯楽とは変わらぬものだ


「レグルスちゃん、出たいなら出てもいいですよ?子供は無理しないほうがいいです」


「む…、子供扱いするな!このくらい屁でもない!」


リーシャさんに心配されたのが腹に来たのか、プリッと怒ると共に真っ赤な顔で腕を組みサウナの熱気に耐え始める師匠、まぁ 子供の体以前にサウナが嫌いみたいだな…エリスは好きだけど


そう、好きだ なんだかんだ言ってエリスはこのサウナを楽しんでいる、ジンジンくる暑さ

肌を伝う汗の感触、こうして座っているだけで気が高揚するような感覚、自分の中の何かと向き合っているような時間についついのめり込んでしまう


が、しかし…


「あの、なんでナリアさんも一緒に入ってるんですか?」


「え?、ダメ?」


キョトンとするナリアさんの胴には他の女性陣同様胸にタオルが巻かれている、いやまぁ一応男性ですし こういうのは男女別で入るものなのでは


「ナリアちゃんはいいんですよ、ナリアちゃんは」


まぁリーシャさんのその気持ちは分からないでもない、彼を男性として見ろ と言うほうが無理な話だ、こうして並んでいると普通に違和感ないし


「というか、ヴェンデルさんは連れてこなくてよかったんですか?彼も一応休みですけど」


「いいんです、昔から言うでしょ?憎まれっ子よくハブられるって」


「言いませんよ」


「彼が居るとちょっと面倒なんでね、話し合いがしたいなら いない方がいいし、何より思春期の彼にはこの空間は刺激が強すぎる」


いや刺激云々以前に入れませんよ、ヴェンデルさんは正真正銘の男なんですから、いやナリアさんも正真正銘の男ですけど…


でもま、ヴェンデルさんには悪いが 話し合いをしたいなら彼はいない方がいい、こう言ってはなんだが 彼は面倒な性格してるしね、アマルトさんみたいに割り切れる性格ならまだしも 彼にはそれはまだ難しそうだし


「さて、じゃあ話そう ここなら腹も割れるしさ、エリスさん達が今やろうとしてる事、教えてくれるかな」


チラリとナリアさんの方を見る、教えてくれるか …か、エリス達がやろうとしている事


それはルナアールの捕縛、その為にナリアさんに協力を願い出ている形だ、色々あってまだクンラートさんには話せていないが、それを見抜いて リーシャさんは接触してきているのだろう


目敏いというか 抜け目ないというか…、さて どうするか、まぁ 隠すほどの事でもないし、話してもいいか


「話せない事?」


「いえ、実は…」


と エリスはリーシャさんに城での一幕を順を追って説明する、エリスが追っているルナアールが三日後に城に盗みに入る事、その対象が原典の悲恋の嘆き姫エリスであり ナリアさん的にも見逃せないという事で、エリス達は二人でルナアールを捕まえるため動くつもりであること


それを聞くなりリーシャさんは髪に手を這わせ、その汗をぬぐい落とすと


「なるほどね」


と一言 髪をかきあげながら口にするリーシャさんの顔つきは、とてもじゃないが小説家には見えない、筆を持って何かを考えている時とは違う思案の仕方に思わずギョッとする、この人 こんな顔も出来るのか


「で?どうするの?、ルナアール…難しい相手でしょう?、いくらナリアちゃんが相手の演技を見抜くことが出来ると言っても、別にそれは特別な力じゃない …同じことが出来る人間は多くいるし、その上で ルナアールはその正体を暴かせず今も怪盗を続けてるわけだしね」


「どうする、と言っても奴の情報が少なすぎて対策の立てようがないんです、だから…」


「だからぶっつけ本番 出たとこ勝負か、悪くないとは思う …けど良くないなぁ」


そうだ、良くない…良くないのは分かっている、だが対策の立てようがないんだ、奴について分かっていることがあまりに少ない


何が出来て 何が出来なくて、何を好み 何を嫌い、何を良しとし 何を避けているか、それも分からない 分からないからこちらから用意できるものは何もないんだ


「侵入経路 侵入方法、脱出経路 脱出方法…入ってから出て行くまで その全てが未知なんです…、対策の立てようなんて」


「エリスさん、いいこと教えてあげようか」


「…?、なんですか?」


「情報が少ないのは相手が意図して与える情報を絞っているから、つまり 相手は情報の露見を何より嫌う、だから神秘の怪盗なんて演じてるの」


「はあ…、だからなんでしょうか」


「エリス、リーシャの言おうとしている事が分からんか?」


「え、師匠まで何を…」


「リーシャが言いたいのは、優雅に湖面を泳ぐ白鳥も、水面じゃあ醜く足をバタつかせている…という事だ」


え?なに?リーシャさんも師匠も何が言いたいんだ?、ルナアールは情報の露見を嫌う?そんなの当たり前だ、だって素性がバレたらすぐさま捕まり…


いや違う、そうじゃない そこじゃない


「つまり、奴はその目立つ格好と行動でエリス達の気を逸らしているだけで、その本質は地道な下準備にある…って事ですね」


「そうだ、だろう?リーシャ」


「いや流石レグルスちゃん、その通りですよ」


そうだ、華やかな舞台の裏はいつだって地道な稽古と転げ回るような忙しさにある、エリス達はルナアールという存在に神秘を見出してしまったが故に 奴の裏の顔を見る事をしなかったのだ


「え?え?、エリスさん 僕分からないよ、どういう事なの?」


「ルナアールは何も超常的な力を操る正体不明の怪人ではなく、裏で地道に怪盗を演じる…エリス達と同じ人間だという事ですよ、奴の盗みは 非常に繊細な計画の上で成り立ってるんです」


「?…?、つまり?」


「故に…踏み込むのです、奴の領域に」


ルナアールが捕まらない理由、それは単純なことだ エリス達はルナアールに幻影を見せられていたのだ、なんでも出来る 正体不明の謎の怪人の幻影を、それがある限り エリス達はルナアールの虚像ばかりを恐れて 守りに入ってしまう


一塊になって警備を固め魔術陣を敷き詰めて守りに入ってしまう、こちらの動きが相手に指定されているも同然、相手が何するか分かっている勝負なんて勝負にもならない


だが、その幻影を取り払ってしまえばどうだ?、想像して見ろ…ルナアールの仮面の下の顔を、奴は予告カードに書いた時間に必ず盗みに来る 言い換えれば予告カードに書いた時間までには必ず盗みに入らなくてはならないのだ


冷や汗をかきながら 当日までに必死に計画を練り万全の状態で臨もうとする一人の人間の姿を、そこには怪人の作り出す神秘のヴェールはない 一人のコソ泥が足掻く姿だけ…、いけそうな気がしない?なんとか捕まえられそうな気がしない?


そこなんだ、ルナアールが恐れているのは、絶対に捕まらない方法とは即ち 捕まえる側を萎縮させること、奴はエリス達が捕まえる側に幻影を見せて萎縮させる事を目的としていたんだ だから正体の そのほんの一抹さえ掴ませない


だから 奴がエリス達に見せている虚像…これを取り払う必要がある、奴の真なる姿を捉えれば 決してなんとも出来ない相手ではない


「領域に…踏み込む」


「そうです、確かにアイツは凄いやつです その実力の高さから出来ることは多いでしょう、ですが決められた時間に盗み出さなくてはいけない 正体の一切を見抜かれてはいけない そんな多数の条件を抱えていれば出来ることは限られます」


そう言いながら立ち上がれば、体に滴る汗や水滴が地面に落ちる


「でもどうやって」


「奴の侵入経路を予測します」


「でもそれは出来ないって言ってなかった?、情報がないから…」


「ええ、でもそれは謎の怪盗ルナアールと見るから難しく感じるのです、三日後に泥棒が本を盗みにくると言い換えれば…、予測できそうでしょう?」


「そ それはそうだけど、でもルナアールはただの泥棒じゃ…」


「いいえ、奴も所詮コソ泥です やることは変わらない、事前にあの城を調査し 図面を引いてウンウン唸りながら計画書を書いているんです、…そう考えることが重要なんです」


こちらから距離をとってはいけない、奴を捕まえるにはその距離を詰めなければいけない、師匠が言っていた ルナアールを過剰に恐れる心とは即ちそれなのだから


「奴は盗みを劇に例えていました、…奴にとって盗みとは公演なんのです」


「何それ!失敬だなぁ!」


「ええ、無礼千万です 犯罪を演劇に例えるなど、しかし 言い換えれば劇としてみれば奴の行動もある程度予測出来ます、何せこちらには役者と台本作家がいるんですから 奴の書く盗みのプランという名の台本も予測できましょう」


「なるほどね、エリスさん考えましたね」


いや考えたのエリスじゃないよ、けど ここからは推理の時間だ!さぁ頼むぞ台本家!、とリーシャさんの方を見ると


リーシャさんは太腿の上に手を置き、膝をトントンと指で叩き静かに考えると


「もし、私があの城を舞台に怪盗モノを書くなら…、侵入経路は自分で作るかな」


「自分で作る?」


「例えば 表で騒ぎを起こしてそちらに目が向いた瞬間 裏から侵入する、マジックに使われるミスディレクションって奴かな」


ミスディレクション、右手で観客の注意を引き 左手で種を動かす、人間は目に映っている物でも 注意してなければ認識できない、それと同じで どれだけ注意深く警備をしてもあらぬ方向に視点が動いている間は 警備の人間なんていないも同然


思ってみればルナアールも最初 似たような事をしようとしていた、外に人影がいるから 見てきてくれと衛兵に化けてエリス達に声をかけてきたんだ


…もしかしたらあれはルナアールの常套手段なんじゃないか?


だとしたら、フッ…存外 奴の手の内は多くないかもしれないな


「じゃあどうやって注意を引きますか?」


「んー…、あの城は 城を覆う外壁に一つ門が付いているだけ、となると門の外で騒ぎを起こしても意味はないから 外壁の内側で騒ぎを起こすに限るなぁ、確かあの城には芸術品を搬送する裏扉が付いていたはずだから 侵入するならそこ…と見せかけて そこで騒ぎを起こし絵画保管室の窓から侵入するかな」


「え?リーシャさん…?」


「絵画は湿度調整温度調節が大変だし風通しも良くないといけないから窓も多く付いているし 何より丁度搬入用の裏口と対角線にある、それに その部屋からなら玉座の間が近い、どうせヘレナ姫はそこで待機するだろうしね、とくれば裏口あたりに不審な足跡でも残して人が集まったところで絵画保管室から侵入して 玉座の間に入れば盗みは容易」


なんで そんなに詳しいんだ、いくら作家だからってそんなポンポンルートが浮かぶか?、この人 何者なんだ…


「だから 裏口で足跡が見つかった瞬間絵画保管室に直行すれば ばったりルナアールに会えるかもね」


「り リーシャさん、ディオニシアス城の間取りに詳しいんですね」


「まぁね」


大して取り繕うこともなくニヤっと笑うリーシャさんの目が 濡れた髪の向こうから覗く、なんで詳しいかは言ってくれない感じか…まぁいいや


今はそこではない、ルナアールをどうするかだ


「じゃあさじゃあさ、僕に提案があります」


「はいはいでしょう?ナリアさん」


「何も騒ぎが起きてから直行するんじゃなくて 最初から城の兵隊さん達みんなで絵画保管室で待ち伏せするのはどうかな、それなら確実でしょう?」


「ダメですね、最初から絵画保管室に待機するのは絶対ダメです、ルナアールだって何も考えず忍び込むわけありません、寧ろ細心の注意を払って忍び込みます そこに人がいればそこから忍び込むのをやめるだけ…、そしてその後 ルナアールがどんな手に出るか…全く予想できなくなります」


ルナアールは別にそこからしか忍び込めないわけじゃない、寧ろ絵画保管室に人が集まってると分かったらこれ幸いと別の場所から忍び込むだけだ、飽くまで絵画保管室が侵入に最適ってだけなんだ


「そっか…ごめんなさい、変なこと言って」


「いえいえ、でも…最初からですか」


ふと、ナリアさんの言った言葉に引っかかりを覚える、最初から…そうだ 対策出来るなら最初から対策できるんだ、なら何も迎え撃つ必要はないんじゃないか?


「おや?エリスさん 何か浮かびました?」


「ええ、浮かびました 面白いことが、これなら最悪 ルナアールを捕まえられなくても原典だけは守ることがで出来る筈です」


「ほうほう、その方法は?」


「はい その方法は…」


と 口を開こうとした瞬間…


「あ!、エリスさん!ちょっと!レグルスちゃんが!」


「へ?」


ふとナリアさんが指差すのはレグルス師匠、いや もう尋常じゃないくらい顔を赤くしくるくると目を回している師匠の姿が…


「きゅう…」


「師匠ーっ!!??、大丈夫ですか!師匠!」


「こりゃ目回してるね、そろそろ出ようか」


クラクラと頭を回す師匠を抱えてエリス達は水蒸気を掻き分けサウナの扉を開ける、その瞬間 外の冷気が一気にエリスの体を冷やす


「う…気持ちいい」


外は一面雪景色、ここ エトワールサウナ場は王都からやや離れた雪原に乱立するサウナ小屋群のことを指す、使用する際は その小屋一つを貸し切り料金を払い使用する


使用した後は、自然の雪を使って体を冷やし アチアチになった体を急激に冷凍するのだ


「師匠、しっかりしてください」


「うう…すまーん、エリスー…」


エリス達はタオル姿のまま雪を踏みしめ師匠の頭に雪を乗せる、幸い ナリアさんがすぐに気がついてくれたこともあり、師匠はあっという間に意識を取り戻した


「ふぅー!、気持ちよかったね!エリスさん!」


「そうですね、サウナ…いいものですねこれは、とても新鮮です」


体を冷やし落ち着けば、まぁなんというか 全身が脱力し気が抜ける、この感覚がまた気持ちがいい…、エトワール人がサウナ好きなのもよくわかる、これ常に雪が降るエトワールだけの特権と言えるだろう


「新鮮って、カストリアにはサウナはないの?」


「ここまで寒冷な土地はあまりないですからね、少なくともエリスは見たことありません」


「サウナは…一応あるならあるぞ」


ふと、頭の雪を払いながら口を開くのは師匠だ、へぇ カストリアにもサウナあったんだ、見たことも聞いたこともないが


「魔女大国にはあまりないが、非魔女国家にはある…マレウスにもあるにはあるそうだぞ」


「マレウスにもですか、まぁあそこの雑多な文化体系ならあっても不思議はないですね」


「他にも、サウナみたいな熱気浴以外にも、温泉や風呂と言った入浴も存在するらしい、立ち寄りはしなかったがな」


「温泉…お風呂、確か ヤゴロウさんが言っていた…」


「それだ」


確か お湯の中に体を入れるってやつですよね、エリスはやったことないですけど サウナがこれだけ気持ちいいんだ、お風呂も相当気持ちいいんだろうな…


「入ってみたいです、お風呂に温泉」


「それなら幸運だな、アガスティヤ帝国には多く温泉が存在するらしいぞ?」


「へぇー!、アガスティヤ帝国にあるんですか!、行ってみたいなぁ」


「帝国は文化が進んでるからね、嘘か真か 一家に一台お風呂があるらしいよ、凄いね」


ね? と微笑むナリアさんの隣でワクワクする、ワクワクだ ワクワク、だって 他のどの国にもないお風呂がそこまで波及してるなんて、エリスが行ったどの国とも違う文化が広がっているんだろうな…、今から行くのが楽しみだ


「凄いですよね、リーシャさんはお風呂に入ったことありますか?」


ふと、話を振る形でリーシャさんに声をかけると共に視線を彼女に向ける…、がしかし


「リーシャさん?リーシャさん!」


そこには雪に埋もれて虚ろな目で横たわる彼女の姿が…え?あれ?、なにこれ?


「死んでる?…」


「違うよ、多分繋がってるんじゃないかな、宇宙と」


「死んでないですか?それ」


色のない目は虚を映し、目の前でなにがあろうと耳は捉えず、雪の中倒れ伏す姿は行き倒れ、これが例の宇宙と一体になるとかいうあれか?、これが気持ちいいのか?こうなるのが正解なのか?、分からん


「ふぅ、整った」


「寧ろ場が荒れてます」


「さて、スッキリしたし 着替えて劇場に戻って、それで 纏めようか?ルナアール捕獲作戦の内容をさ」


バッと立ち上がり雪を払う彼女の姿、パウダースノーを振り払い悠然と立つその姿はなんとも勇ましい、というか こうして裸体を見てようやくわかったが、彼女…小説家の割にはあまりに体が鍛え抜かれているようにも見える


力が強い 力が強いと思っていたが、こんなに鍛えてあったのか…リーシャさん


しかし、異様なまでに鍛えられた肉体と何故かディオニシアス城の間取りに明るく、かつ それを一瞬でまとめてルナアールの動きを予測する頭脳、そして時たまに消える不自然な動き


何者なんですか、貴方は…リーシャさん、今更ただの小説家ってんじゃ 通りませんよ…


「ってか纏めるって、リーシャさんどこまで関わる気ですか?」


「そうですよリーシャさん!、作戦立ててくれるのはありがたいですけど…、僕が言えたことじゃありませんか危険ですよ!」


「大丈夫大丈夫、私にも手伝わせてよ…、私も気になるしね ルナアールの正体」


「そんな軽いノリで…」


えへへ とやや申し訳なさそうに言うリーシャさんさんにやや押し切られる形で同行を許可することとなった、というか そもそもナリアさんだけを手伝わせるとはヘレナさんにはいってないしね


よく分からないがリーシャさんが手伝ってくれるなら心強い、この人 どうやら小説家のくせに小説以外の分野の方が役に立つみたいですしね


ともあれ、話とやり方は決まった…、後はルナアールを捕まえるだけ


決戦は三日後の夜、待っていろよルナアール!、湯気立つ拳を握り 立ち上がる…


………………………………………………………………


三日後、それは直ぐに訪れた…、ルナアール捕縛を掲げるエリス サトゥルナリア リーシャの三人はクンラートさんに話を通し この街にルナアールが来ている事とそれを捕まえに行くことを伝えた、すると


『俺達に手伝えることがあったら言っておくんな?、まぁ 手伝えることなんかあんまりないかもしれないが』


と劇場の掃除で忙しいにもかかわらずそう言ってくれた、申し出はありがたいが これ以上人数が増えていい事はあまりない、もう作戦は決まっている なのでその三日間の間だけお休みをもらった、その間は公演も無いしね



そして、三日かけてエリス達は準備を整え…、対ルナアール用の作戦を纏め、その夜 臨むことになった


月下の大怪盗を打ち負かすための、宵闇の決戦に……




静謐なりしエトワールの夜、凍えるような冷気は星光の下で雪となり街を染め上げる


王都アルシャラは今日もまた美しき夜を迎え 輝かしい朝を迎えるのだ、が しかし…今宵ばかりは違う、いつもは清廉な王城ディオニシアスは不気味な喧騒に包まれている


城をグルリと囲む外壁の内側には武装した衛兵が数千人規模で巡回している、これは普段の王城から考えて異常なレベルと言っていい、まるで何者かの襲撃に 怯えているようにも見える


いや、事実怯えているんだ …、宵闇を舞い飛び 高笑いと共に華麗に現れる大怪盗 ルナアール、時に烏と時にハイエナと時に悪魔と例えられるあの存在が 今宵 事もあろうにこの王城へと盗みに入るというのだ


狙うはこの国の人間なら誰もが知る大悲劇 の原典 悲恋の嘆き姫エリスそのもの、これを盗まれたからと言って国が瓦解する事はない 別に誰かが被害を被るという事はない


がしかし、ただの一人のコソ泥がわざわざな予告まで出しておいてそれを阻止できないばかりか取り逃がしたとあれば国の威信はガタ落ちだ、国政にさえ 影響が出るだろう、それだけは なんとしてでも 避けなければならない


「諸君、今 我が国は窮地に立たされている、エトワールという国は長きに渡って魔女様の姿を失って来た、我が国だけが 魔女様の庇護下にない時間を五十年も過ごしたのだ」


遂に訪れた約束の日 約束の時間を前に国王ギルバートは兵士たちに向けて演説を行う、普段温厚で芸術にばかり傾倒する彼が 国王としての姿を見せなければならないくらいには、今 エトワールはやばいのだ


「この時間は埋め難く、今も 隣国アガスティヤ帝国の援助なしには魔女大国としての面子を保てない程だ、…そこに来てこの怪盗騒ぎ、もしこのコソ泥に好きにさせ 『魔女大国の資格なし』とアガスティヤに見切られては 我が国はおしまいだ」


世界的秩序を謳う隣国にして世界最強国家 アガスティヤ帝国はプロキオンが行方不明になった事を何処からか聞きつけて援助を申し出て来たのだ、曰く無双の魔女カノープスが


『我が友の国であるならば、我が友に代わって面倒を見るは道理』


と …それからもう六十年近く経った、ギルバートが戴冠した時には既にアガスティヤにお世話になる立場にあったのだ この国は


帝国の援助がなければ…この国は魔女大国としてやっていけない、それだけ魔女の存在は大きいのだ、もしここでアガスティヤが見切りをつければ エトワールは先細り


いや最悪エトワールを攻め滅ぼすかもしれない、そうなったらエトワールでは太刀打ちできない、ある意味 国家存亡の危機にあるとも言っていいのだと、城の兵士たちに宣言する


「だが、幸い 我々にはプロキオン様の弟子である我が娘 ヘレナがついている、姫でありながら騎士としてある我が娘 姫騎士ヘレナよ」


「はい…」


そう その隣で俯きながら椅子に座るヘレナは小さく可憐に返事をする、そうだ ヘレナ様はある意味この国の希望だ、魔女無き国に魔女の存在を知らしめる弟子


閃光の魔女の代理として国を守護し 魔女の力を受け継ぐ存在、他の大国の魔女が次々弟子を取り 焦り始めたエトワールに現れた救世主…


他の大国の王や導皇が弟子になったように 彼女が弟子である限り、人々はそこに希望を観れる…、そうだ 魔女様はまだ我々を見捨てていないと、いずれ魔女様の教えを受け 魔女様に代わりこの国を治めてくれると 希望を見るのだ


「我等には魔女様の力を授かったヘレナが着いておる、コソ泥程度恐るるに足らんのだ、故に皆 勇壮にそして剛健に職務に励め、ルナアールにエトワールの兵ここにありと見せつけてやれ!」


「応!!!」


兵士達は力強く剣を掲げ返事をする、姫とこの国の宝と エトワールの威信を守る為に、今この王の言葉に全霊をかけて応える


ズカズカと甲冑を鳴らし皆それぞれの持ち場に着く、蟻一匹通さない包囲をこの城に築く為に


「姫、ご安心を…御身と原点は、宣言通りこのマリアニールが守護しますので」


「ええ…」


兵士のいなくなった玉座の間にて 王と姫、そして それらを守る為に女騎士が剣を抜く


悲劇の騎士マリアニール・トラゴーディア・モリディアーニ…、この国にて最強と言われる騎士 魔女大国最高戦力が一人で玉座の守りにつく、たった一人でだ


先程の兵士全員がここの守りにつくよりも 彼女一人いた方が確実なのは言うまでもない、そんなマリアニールに身を寄せるように 相変わらず俯いたままのヘレナは小さく頷く


「姫?、…先程から俯かれていますが、お加減が悪いのですか?」


「いえ…」


「そう…ですか」


先程から頻りに俯くヘレナの姿を見てややマリアニールは眉を下げるが、直ぐに身を引き慮る、きっと 姫は恐れているんだ ルナアールを


姫はフェロニエールにて ルナアールに辛酸を舐めさせられている、その時襲われもしたと言うではないか、おいたわしや…国と国民のためを思い自ら鎧を着て矢面に立つこの気高き姫を前に 件の盗人はなんと容赦ないことか


斬ろう、最早弁明釈明を聞く必要はない、この場で盗んだ物品の在り処を聞き出したのち 斬り捨て 我が姫の屈辱と恐怖の代償を奴へと支払わせるのだとマリアニールは静かに剣に手を添える


「姫、そういえば原典は…」


「あ、それはここに…」


と言うとヘレナ姫は黒い布に包まれたソレを腕の中から取り出す、これは間違いなく原典 悲恋の嘆き姫エリス それが書かれた原本だ、閃光の魔女プロキオン様が自ら執筆し腐食止めの魔術陣を書き加えた本物の悲恋の嘆き姫…


それが布で包まれた状態でヘレナの手の中にある、本棚に置いておくより こうして手に持っていた方が安全だ


「あの、もしよければ私が持っていましょうか?、姫が持てば ルナアールから襲われるやもしれませぬ」


「いえ、いいんです…マリアニール様は両手で剣を持ってくださいませ…」


「……ん?」


ふと、マリアニールの片眉が上がる、何か今の返答に違和感があったような、まぁいい…確かに片手で原典を抱えたままではうまく戦えない、私は戦いに集中すべきか


「分かりました、しかし…例のエリス君とそれが連れてきた役者達は何処へ?、てっきり今日防備に加わっている物と思っていたのですが、まるで姿が見えませんが」


「さぁ…」


「そうですか…、分かりませんか、まぁ良いでしょう」


そうか、ヘレナ姫も分からないか…、エリス君はルナアール捕縛の手伝いをさせて欲しいと態々王城を訪ね来た と言うのに当日になって姿を見せないとは、何を考えているんだ…約束を反故にするような人間には見えなかったが、まさか期日を間違えているのか?


だとしても今更呼びになどいけない、約束通り来ない方が悪いのだ


「……さて、ルナアール…どこから来たものか」


奴は来る 確実に来る、夜のうちに… そうマリアニールが剣を地面に突き刺しその上に手を置いた瞬間…、事態は急速に起こる


「おい!誰か来てくれ!、城の裏口に!見慣れぬ足跡があるぞ!」


「なんだと!ルナアールか!」


「まずい!侵入したかもしれん!」


「でもどうやって!」


外が騒がしい、どうやらルナアールの痕跡を見つけ そこに兵士達が集中し始めたようだ、裏口とは多分 芸術品…主に彫刻品などを搬入する裏扉の事だろう


ルナアールも間抜けな奴だ、足跡を残すなど…、裏口から入ったとバレれば 兵士達はもちろんそこに殺到し裏口付近を捜索する、千人近い兵士が一度に探せば直ぐに見つかる


ここ大一番で焦ったか?、だが 見つかるのも時間の問題だな…


「ヘレナ姫 ご安心を…、ルナアールはすぐに見つかるでしょう」


「だと……いいんですけれど」


姫を安心させるようにルナアールが声をかければ、相変わらず俯いたままのヘレナ姫は静かにそう答える、それはまるで ルナアールが直ぐには見つからぬことを暗示しているようで、何やら マリアニールは嫌な予感を背中に走らせるのであった


………………………………………………………………


転じて同時刻、城の裏口に兵士達が殺到した頃 誰もいなくなった城の付近 絵画保管室の窓が静かに…開く


「………………」


雪に溶けるような純白のスーツを着た仮面の怪人、否 怪盗ルナアールは事前に仕掛けておいた通りにまんまと兵士を出し抜き城へと侵入する


間抜けなことだ、城の兵士たちはルナアールを恐れ 捕まえることに躍起になっている、何が何でも捕まえようと少しの手がかりも見逃さず 必死になって怪盗の尻尾を掴もうとする


だからこそ、御し易いとルナアールは仮面の下で笑う


仕掛けは三日前に済んでいた、城の兵士に扮してそれとなく 裏口付近の地面に魔術陣を書いておいた、簡単な仕掛けだ


赤熱陣、サウナにも使われるような簡単な術式を地面に書き 時限式で発動するようにした 、それだけだ


魔術陣は徐々に熱を持ち 上の雪を少しだけ溶かし始める、するとどうだ?まるで足跡のようにそこがだけが窪むのだ、光のない宵闇とルナアールを追うのに夢中な兵士達はその窪みをルナアールの足跡といとも容易く勘違いしてしまうだろう


ルナアールなら警備の目を潜り抜けて城に侵入するくらいやってのけるかも知れない、その幻想が視界を曇らせるのだ…


彼らが足跡だと思っていたのが魔術陣だと気づくのは上の雪が溶け切った時、そしてその時すでに ルナアールは目当てのものを盗み終えて闇に消えているだろう


容易い、あまりに容易い仕事だ…、兵士は今完全に裏口に集まっている、絵画保管室から原典を持つヘレナのいる玉座まで駆け抜け盗みを終えるまでに奴等がこちらに駆けつける事は出来ない


ニタリと少し笑った後、怪盗は音を立てず ゆっくりと 注意深く絵画保管室を抜ける、売れば一枚で家が建つほど高価な絵画達には一切目もくれず 真っ直ぐ玉座へ向かう


「…………」


扉を開けて 右を見る 左を見る、よし いないな…これなら行ける と踏んだルナアールが絵画保管室の扉を閉めた瞬間…


「『氷々白息』!!」


「ッッッ……!?」


突如 どこからか吹き抜いた冷気がルナアールの背後の扉、絵画保管室の扉…否 退路を氷漬けにし塞ぐ


「見つけましたよ!ルナアール!!」


誰だ!と声を上げることなくルナアールは周囲に目を走らせる、何処だ?何処に誰がいる、おかしい 誰がいてもいいように細心の注意を払い廊下はきちんと確認したのに…


いや違う、正確には確認したのは右と左 左右に広がる廊下だけだ…確認していない箇所が一つある


「上か!」


「その通り!」


バッ!と音を立てて天井から影が降り注ぐ…、人影だ


どうやら ルナアールが確認しない場所 普通人間がいない場所である天井に張り付いていた人間がいたようだ、その天井に張り付いていた 見覚えのある人影は着地すると共に素早く構えを取り


「久しいですね、ルナアール!!」


「君は…確か、孤独の魔女の弟子…!」


孤独の魔女の弟子 三ヶ月前出会った少女だ、それが 闇の中でルナアールを前に笑っている、まさか追ってきていたとは…!


「貴方ならここから入ってきてくれるって信じてましたよ」


「よもや、私が手の内を読まれようとは…、どうやら君は 私が想定するよりも敏かったようだ」


事前にルナアールの行動を読んで、天井にぶら下がり続けたのだろう、このように侵入経路が読まれたのは初めてだ、流石は孤独の魔女の弟子といったところか


おかげで今 ルナアールは計画の変更を余儀なくされた、ここまでやられたのは初めてだ…がしかし


「それで、どうする?私を止めるかな?、三ヶ月前のことを忘れたかい?君の師匠…どうなったか見ていないのかな?」


「覚えているからこそ!こうしてあなたの前に現れたんです!、ブッちのめしますからね!覚悟しておいてください!」


ルナアールはエリスの叫びを受けて小さく笑いつつ考える、即座にこの少女を戦闘不能に追い込み ヘレナの下まで駆け抜け盗む…、兵士が駆けつけるよりも早く?


出来る、可能だ 計画に支障は出たが許容範囲内、この少女では私の障害になり得ない


「分かった、では 君の望み通りにしてあげよう」


腰の細剣を抜き 目を細める、孤独の魔女の弟子よ 君が私の相手をするというのなら、応じよう…そして見せつけよう、我が輝きを…光の瞬く間だけね


「かかって来なさい」


暗闇の廊下の中 エリスとルナアールは相対する、他の誰もいない 二人っきりの宵闇の舞踏が 今 幕を開ける


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