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170.孤独の魔女と自由と夢と


「あわわ、皆さんもう行ってしまっていますか」


師匠達と一旦別れ エリスはあの奈落の底から王城に戻る、がしかし 上に既にラグナ達の姿はない、多分会場に戻ってるのかな


待っててくれてもいいのに…、いや エリスならどうせ付いてくるだろうという信頼故か、でも待っててくれてもいいにのぃ〜!


「エリスちゃん?」


「はっ!」


ふと、ラグナ達と合流する為に王城の廊下を歩いていると 声をかけられる、真面目な声だ…極めて真面目な 不真面目な人の声、もはや誰かなど考える必要もない


「タリアテッレさん?」


「やっほー?」


目を向ける先 廊下の突き当たりにもたれかかりこちらに向けて手を振るのはタリアテッレさん、最強の剣士にして最高の料理人の彼女が何やら神妙な面持ちでこちらを見ている…


「何の用ですか?」


思ったよりも、冷たい言葉が出て来た彼女の価値観は受け入れられない 形ない伝統の為に尽くす…それは悪いことではないが、エリスはそれが人の命と尊厳を蔑ろにしてまで守る程のものではないと思っているから


「何って…、実はさ この宴会明日もやるみたいでね?、このままじゃ明日お出しする料理が足りなくなるから エリスちゃんにもお手伝いしてもらいたいなあと」


「手伝ってって、エリスプロでもなければ料理人ですらないですよ」


「あのアビゲイルが包丁を託す程の人間なら、問題はないよ…、いいから来て」


ううん、こりゃ建前だな…


タリアテッレさんは料理に関わってる時はもっと純朴な目をしていた、気を抜いてリラックスして…、なのに 今のタリアテッレさんはどうだ?

目に光が宿っていない…あれはアリスタルコス家の分家 ポセイドニオスの人間として役目に殉じている時の目だ


エリスと二人きりで話をしたいのか、しかも廊下では出来ないような…そんな話を、なら乗ろう エリスも彼女と話がしたかった、ここではできないような奴を


「わかりました、エリスで良ければ」


「ん…」


タリアテッレさんの案内でエリスは進行方向を変えて、王宮の調理場へと向かう、彼女が何を話すかは知らないが、それでも その意思を聞きこの意志を伝える為にも、やはり彼女との会話は必須だ


…………………………………………………………


それから暫くして、エリスはタリアテッレさんと共に厨房へと入る…


厨房には既にエリスとタリアテッレさん以外の人間はおらず、二人きりでだだっ広い厨房の中 料理に勤しむ


とりあえず明日使う分の下ごしらえだけでも済ませておかないと、エリスはまぁほぼ趣味の範疇だが料理の心得はある、この記憶力を用いて記憶したこの国の料理 その味を細かく再現する


最初はこの国の料理の凄さに圧倒されたものの、もう三年もこの国で生きてるんだ いい加減慣れる、繊細に ひたすら繊細に…下手なポーションよりも綿密に組まれたレシピの通り下拵えを済ませていく


はっきり言って大変だ、物凄い難易度だ…再現するだけでも極限集中に入らないと乱れが出てしまうくらいこの国の料理はレベルが高い


だというのに…


「………………」


チラリとタリアテッレさんを見る、やはり最高の料理人なんて呼ばれるだけあって動き一つ一つに無駄がない、包丁を振り下ろす一動作一つとっても 流麗極まりない、無極の調理とでも言わんばかりの勢いで次々と下拵えを終わらせていく


…やはりあのレベルは再現出来ない、料理に人生をかけないと あれは無理だ


「エリスちゃん そんな堅苦しく料理しなくていいよ」


「え?…でもこれ、明日の宴会で出す料理なんですよね」


「みんながみんなエリスちゃんみたいに全身で料理を受け止め味わってくれるわけじゃない、口に入れてなんとなく美味しければ 他の奴らは大体満足する、美味しさの究明なんてのは料理人の自己満足でしかないんだよ」


えらく卑屈な物言いだな、料理を無駄にする人間は斬って捨てると公言している人の発言とは思えない、もしくはそれが本音か…


基本的に人間の舌は美味いか不味いかしか判断しない、どれだけ美味いかなんて そこまで事細かに考え感じられる人間はごく一部だ、料理人たる彼女はそんな料理の悲哀を理解しているのかもしれない


理解した上で、手を抜けないのも料理人の悲しいところだ


「タリアテッレさんは料理が好きなんですよね」


「…どうだろうね、…これこそが我が人生と声高に叫ぶ自分も居れば、こんな物幾ら上手くなっても無駄だと冷める自分もいる、これを極めたって…私の役目には関係ないからね」


「役目ですか…」


「うん、私はポセイドニオスの子 アリスタルコス家の伝統の継続をその身を賭して補佐する家の人間、私はどうやっても何者にもなれないしならない、 アマルトの踏み台以外の何者にもね、だから 剣も料理も役目に関係ないから程々でいい筈なんだけどねぇ」


アリスタルコス家の悲願 それは学園の継続、それ以外にない つまり彼女の悲願と存在理由もそれ以外ない、彼女はそう言いたいんだろう


アマルトも同じだ、学園継続の為の駒でしかない


生徒も同じだ、学園という箱の意義を成り立たせる為の駒でしかない


自分も同じだ、そんな全てを恙無く進行させる為の駒でしかない、どれだけ剣が上手くなっても どれだけ料理が上手くなっても、それ以外の存在にはなれない…


もしかしたら、彼女の剣の腕も料理の腕も、彼女自身が駒以外の何者かになろうとした努力の残骸なのかもしれない


「じゃあ、今から別の何かになれば…」


なればいい そう言いかけた瞬間、一層強く タリアテッレさんの包丁がまな板に打ち付けられ 音により声が遮られる


「私達はそのように生まれ そのように育てられ そのように生きる、そう決められているんだ…私もアマルトもね」


タリアテッレさんはこちらを見ない、ただ背を向けたまま やや鬼気迫ったように言葉を続ける


外面ではあんなちゃらんぽらんな雰囲気を装っておきながら、その実 芯はこんなにも余裕のない人だったんだな


もしかしたら、彼女もまた…、アマルトさんと同じように伝統の前に夢破れた存在なのかもしれない、詳しくはわからないけどさ…感じるんだ


今のアマルトさんへの嫉妬の念が、彼女の目から


「…ほら、エリスちゃん あれ見て」


といきなりタリアテッレさんが指差すのは、生簀だ


ガラス張りにされた水槽の中には何匹か魚が突っ込まれ回遊しているのが見える、あれがなんだってんだ


「あれは明日の料理で使う魚だよ、明日 料理にされるという理由だけ今尚生かされている、鮮度を保つという理由だけで ある程度の自由を許されている、望まなければあれは直ぐにでも死ぬし 自由も得られない」


「何が言いたいんですか?」


「生簀は魚だけにあるものじゃない、人にだってある…、役目の通りに生かされている人間 その役目から外れれば生きていけない人間、外れれば 生簀から出れば…生きていけないのよ」


「アマルトさんの事を言いたいんですか?」


「その通り…」


するとタリアテッレさんは料理の手を止め、くるりとこちらを向く、その目は いつも以上に鋭く冷たい


「率直に言おう、アマルトの拗れた性根を正してくれてありがとう、後は彼を再びアリスタルコス家の理想に沿う形に矯正するだけでいい、その手伝いもしてもらいたい」


やはり、そういう話か…


結局この人がエリス達にアマルトの件を頼んだの アリスタルコス家の為、延いてはアリスタルコス家に尽くすポセイドニオス家の為、アマルトの心を殺しただの歯車に変える為


エリス達はアマルトの拗れた性根を正し、少なくともある程度の友情は結べたと思う…だから今度は、アマルトの心を殺し歯車にするのを手伝えというのだ


「…………、手伝ってもらいたいと?」


「ええ、アマルトも貴方達の言うことなら聞くでしょう、だから私の言う通りに…」


「嫌です」


「はぁ、でしょうね…」


嫌だね、絶対嫌だ 確かにアマルトさんとエリス達は分かり合えた、だからこそエリスももうアマルトさんの味方だ、彼が嫌がることはしたくない 彼を守るのも友達の仕事だ


そんな答えを分かっていたとばかりにため息をつくタリアテッレさん、けど 諦めたわけではないようだ


「よくよく考えてください?アマルトは結局のところ理事長になる、そこは変わらないし彼もそれを望んでいる、ただいまの彼ではアリスタルコス家の理想である 無機質な理事長になれない、また何かある都度拗れて拗ねて捻くれて…そんなこと繰り返されたらたまらないんですよこちらとしても」


「拗れても拗ねても捻くれても、彼は一段強くなってそれを乗り越えました だからきっとまた同じ乗り越えてくれると思いますし、何より 彼一人で乗り越えられないというのなら、エリス達もそれを手伝います」


「それ以前の問題だと言ってるんです…、アマルトはそもそもその為に育てられているんです、その生き方以外出来ないんです どれだけ頑張ってもどれだけ足掻いてもそれ以外の生き方なんて出来ない…、そういうものなんですよ!」


タリアテッレさんの摑みかかるその手を逆に掴み 受け止める、焦っているな エリスでも受け止められるぞ


…何がその為に生まれただ、それ以外の生き方ができないだ、生まれた瞬間に生き方が定められている人間なんかいない、その人が生きて進んで 出会って別れて 戦って勝って負けて、繰り返して見つけていくのが生き方だ、見えない何かを見つけることこそが生きるということなのだ


それを最初から分かった気になって、それだけしかないと我慢するフリして 諦めているのは生きているとは言わない、死んでいるのと同じだ


「……っ!」


「タリアテッレさん…あれを見てください」


「はぁ?…」


そう言って指すのは生簀、先程の意趣返しとばかりに水槽を見やる


「あそこの魚…明日には調理されることが決められた魚 その為に生かされている魚、きっとその運命は変わらないし そこにまで口出しするつもりはありません、けれど…もし…、もしもの話ですよ?あそこにいる魚が明日料理されることを理解していたら どうなると思いますか?」


「言ってることの意味が全く分からないな、論ずるまでもない 『どうにもならない』だ、決められた生は 運命は覆らない」


「そうですか?、それを覆す方法は一つあると思いますよ」


「…何?」


「もし あの魚が自分を食べようとする人間達の考えに気がついた時、その為に生かされていると知った絶望は計り知れないと思います」


「はっ、魚にそこまでの知能があればね」


「ええ、でも 賢い魚はきっと そんな自分を見下す人間に一泡吹かせる為 自分の未来を覆す為…、泳ぐのをやめてしまうと思うんです」


魚が泳ぐのを…頑張って生きるのをやめれば、魚は死に 料理にはならない、結局自分が死ぬという前提は変わらないが、憎き相手へ せめてもの抵抗として出来るのはそれしかないならば、きっと魚は躊躇わない


「……だから、何さ」


「さっきタリアテッレさんの言った通り、それは魚だけに当てはまるものじゃありません、…人間だって同じ アマルトだって同じだったんです、自分を食おうと舌舐めずりする貴方達に対するせめてもの抵抗が あの腐った態度だったんです」


タリアテッレさんの腕を強く握る、その鋭い目をさらに鋭く睨み返す、アマルトさんが腐った?捻くれた?拗れた?、違う…断じて違う


「彼は腐ったんじゃありません、貴方達が腐らせたんです 貴方達が捻くれさせたんです 拗れさせたんです、彼は強い人です もう腐ることはありません、貴方達が余計なことをしなければね」


「…私達がアマルトを?…次期理事長を逆に…腐らせた…?」


「アマルトは魚じゃありません、料理されていることに気がついています だからこそ絶望し泳ぐのをやめたんです、貴方達の掌の上から逃げる為に…、だから 彼を自由にしてあげてください、もう伝統や仕来りで彼を縛らないでください」


「何をバカな、彼がもししくじったらどうなる?理想の理事長を作れなかったアリスタルコスはどうなる?彼をそんな理想の姿に育てられたかったポセイドニオスは!私の存在意義はどうなる!私はその為に生きて…」


「知ったことではありません!、貴方の存在意義なんか貴方が勝手に決めればいいでしょう!アマルトを巻き込まないでください!」


突き放す、そりゃ 彼女だってその為に人生を捧げてきたのはわかる、彼女が律儀で真面目で役目に対して何よりも真摯なのは痛いほどわかる


けど、だけども エリスにはそうとしか言えない 、知ったことかとしか言えない、だって彼女とアマルトさんなら、エリスは友達であるアマルトさんの方が大切だから


みんなの意思と生き方と意見を尊重できるほど、エリスは万能ではないから…身内贔屓と罵られても 結局 自分の手の内のものにしかエリスの意思は及ぼせない


「貴方達が余計なことをしなければきっとアマルトさんは上手くやってくれますよ、多分ね?」


「…生簀の外に出て大海へと叩き出された魚が、上手くやっていけるとは思えないけれどね」


「さぁ、案外上手くやるんじゃないんですか?、海には 仲間もいるでしょうしね」


少なくとも八匹くらいはいるし、きっと この先も自分の意思で道を切り開き、仲間を増やしていく、仲間と共にあるなら どんな荒い海も乗り越えていけるはずだ


「仲間…ねぇ」


「大丈夫ですよ、アリスタルコスの理想に沿わずとも、彼は勝手に理事長になって 勝手に学園をより良いものに変えてくれますよ、その結果どのようになるかは分かりませんが、上手くやりますよ 彼ならね」


「随分信頼してますね…、敵だった癖に」


「ええ、だったんですよ 今は違いますから、エリス 一回信頼すると決めたら凄いですよ?、芯まで信用しちゃいますから…では」


タリアテッレさんから手を離し下拵えに戻る、例え 建前で呼ばれた事でも、頼まれた事ならしっかりやらないと


「……学園が存続するなら…それでいい、私が関与しない事で…それがなされるなら、私がいなくても…いいなら…それで」


…後ろからタリアテッレさんの声が聞こえる、茫然自失って感じか、…認めたくなかったのかもしれない


アマルトが自分で自分のやりたいようにやって、結果 学園の為になる、その事実が


彼女の関与など関係なしに、アマルトが良い方向に向かうのが 我慢ならなかったのだ、それはアリスタルコスの意思ではなく タリアテッレさん自身の意思


だって、彼女はその為に存在するから…、ある意味では 彼女の夢や希望のようなものもエリス達は踏みにじったのかもしれない、…ああ、 そう考えると少し


「タリアテッレさん?」


「なんですか…」


「アマルトさんは少なくとも、昔は貴方の事を好いていたようですよ」


「だからなんですか」


「貴方は自分は何者にもなれず何者でもないと言いましたが、アマルトさんにとって貴方は良い姉だったんです、もし 役目がなければ何者かになれないなら、まだ 果たさねばならない姉としての役目が残ってるんじゃないんですか?」


なんて、傲慢な物言いをしてみる…


けどさ、ここで突き放しっぱなしってのも気がひけるし、何より正直この一件をややこしくしてきた原因の一端はタリアテッレさんにもある、彼女が身勝手な自己承認欲求をアマルトにぶつけていたから こんな事になってしまったわけだしさ


タリアテッレさんにもアマルトさんと決着…というより仲直りしてほしい気持ちがある、だから 祈る、彼女が良き姉になれることを


「下拵えもこのくらいでいいでしょう?、ではエリス帰りますね」


「あ…うん、手伝いありがとう…」


特に、何か言うでもなく下拵えを終え布で手を拭きつつ 厨房を後にする


チラリ…と背後のタリアテッレさんを見れば、ううん やはり立ち尽くしてる、言い方かやり方を間違えたか、もっと理論的に中立的に物を言うべきだったかな、エリスはカッとなると形振り構わず物を言ってしまうところがあるなぁ


これもエリスの悪癖か…、ええい 口から出た言葉はもう引っ込まない、彼女を突き放したなら 後はもうエリスにできることはない、アマルトさんとタリアテッレさんでその関係性を決めていくだろう、その決定権は元よりエリスにはないからね


彼女が引き続きアマルトさんを無機質な理事長にして自分の存在理由を示そうとしても、もう何も出来ない 精々アマルトさんを全力で守るくらいだ


「はぁ、でも…やはり考えてしまいますね、エリスのやり方が間違ってなかったか」


厨房を出て ため息をつく、上手く出来た自信がないなぁ…出来れば彼女にはもうアマルトさんの件は諦めて、いい姉として振舞ってほしいけれど


そもそも最低の姉であるエリスがどの口でそんなこと言ってるんだ…


「いいんじゃねぇの?、今まで聞く耳一つ持たずやってきたアイツには 俺同様いい薬だろ」


「ひゃっ!!?」


ふと、厨房の側に持たれるように立つ影が声をかけて…って、アマルトさん?


「アマルトさん…、居たんですね」


「いつまで待ってもお前が来ないから、ラグナやチビ助が心配してたんでな、直々に迎えに来てやった…ら、何やら割り込み辛い話ししてさ、盗み聞きしてた」


「いい趣味ですね」


「だろ?俺盗み聞き大好き 、人の本音を知れるからな」


壁にもたれかかりニヒルに笑う彼の姿は、やはりタリアテッレさんにそっくりだ…


しかし、聞いてたのか さっきの話…、そう思うと なんだか恥ずかしい


「す すみません、まさか聞いてるとはおもわず」


「全くだぜ、人の事勝手に魚に例えやがって…おまけに明日の飯になる奴にさ、俺明日魚料理食える気がしねぇよ、感情移入しちゃって…でもさ」


そう言うと彼まで軽く拳を前へ突き出し


「嬉しかったぜ、…お前が芯の底からのお人好しだって分かったからさ、俺も 案外人を見る目があるんだな」


「どう言う意味ですかそれ」


「そのままの意味さ、お前はやっぱ俺が思った通りの奴だった」


そっか、それは嬉しいな… 彼の信頼を得られたようで、友から信頼されたようで、とても


「そうですか、じゃあ そう言う事にしておきます、エリスも嬉しいですから」


コツンと 前へ突き出された拳にエリスの拳を軽くぶつけ微笑む、だってなんとなく…形だけでなく、彼とようやく友達になれた気がしたから


「んじゃ、ラグナ達んところに行こうぜ?、あんまり待たせると可哀想だ」


「そうですね、みんなは今どこに?」


「もうパーティも終わってたからさ、家に帰るんだと…んで、俺もお前らの家に上げてもらえることになった」


「いいですね!それ!、泊まってってくださいよ!」


「いいのか?、まぁそう言ってもらえると嬉しいな、俺 いつも学園で寝泊まりしてたし…あの家帰りたくねぇし」


「が 学園にですか?…凄まじいですね」


「だろ?、いやぁ良かったぜ 戦いに勝っても学園が瓦礫になってたら俺野宿するとこだったしさぁ、久々にベットで寝れそうだ」


「床で寝てたんですね…」


二人並んで歩く、アマルトさんと共に…学園に来たばかりの時では考えられなかった姿に、今はある


良かった、折れずに進み続けて 信じ続けて 戦い続けて、本当に良かった…今は、ただそう思う



…………………………………………………………


ラグナ達と合流して、五人揃ってエリス達は街を歩く、もう空は暗くなっており 街も遺跡群から元の街に戻っている、幸い壊れまくったのは遺跡群の方で地下に引っ込んでいたヴィスペルティリオの町々は傷ひとつない


守れて良かった、そう…思っていたのだが、どうやらそれは誤算だったようだ


「これは、酷い有様だな…」


「あー、ちょっと予想はしてたんだけど…やっぱそうか」


「あ…ああ…きゅぅ…」


メルクさんが屋敷の扉をあけて中を確認し唸る…、ラグナも顔を青くして天を仰ぐ、デティに至っては今にも気絶しそうだ…、いやまぁ エリスもですけど


「お前らの家って、散らかってんのな」


その屋敷の中を見たアマルトさんが呟く、散らかっていると…


散らかっているわけがない、エリス達はいつも掃除当番を決めて細かに掃除をしている、散らかってるはずがないが、今は返す言葉がない


だって、今 エリス達の屋敷の中は、タンスはひっくり返り あっちこっちに家具が散乱し、まるで強盗にでも入られた有様だから…


「すげー事になってるな、…これもしかして」


「ああ、恐らく 街が動き 地下に引っ込んだ時だろうな、その時この屋敷も動き まさしくひっくり返ったせいで、こんな事になってしまったのだろうな」


今日の朝 ヴィスペルティリオが対天狼最終防衛機構を起動させたときのことだ、街はくるりと裏返り下から遺跡群が出現した、つまり ひっくり返ってるんだ、文字通りこの屋敷 この街の天地が逆になった


ひっくり返りされた箱の中身がどうなるか、説明するまでもない、エリス達の屋敷は街ごとひっくり返った影響でしっちゃかめっちゃかになってるんだ…、ああ もう疲れてるのに、まだ一仕事あるのか


「これじゃ生活もままならないね…、今日この散らかった部屋で寝るの?」


「何言ってるんですかデティ、今から片付けるんですよ…このまま大掃除開始です」


「えぇー!!!、疲れてるのにぃー!」


「朝までに終わるかこれ…」


「だがこのままでは生活もままなるまい」


朝から課題で戦い アルカナと戦い 魔獣王アインとその軍勢と戦い、そしてさっきまで宴会で遊んでいたんだ、もうクタクタだ ベッドで眠りたいのに、これだ


しかし、グチグチ言っても仕方ない これでは寝れない、やるかないだろう


「ほう!なるほど!、じゃあ俺は帰るわ!掃除が終わったら呼んでく ぐぇっ!?」


「何言ってるんですかアマルトさん、貴方も手伝うんですよ」


そそくさと逃げようとするアマルトさんの首を掴み引き止める、何処へ行こうってんだ今更…手伝うんですよ貴方も


「なんで!」


「泊まるって言ったじゃないですか!お願いしますよ!アマルトさんが手伝ってくれないとこれ終わりませんよぉー!」


「わかった、分かったから泣くな…!!、あとデカイ声も出すな…!近所迷惑っ…!」


どうせご近所さんだって今頃大掃除なんだ、迷惑もクソもないだろう、


どれだけ強力な魔術が使えても エリスの手は二つしかない、エリス達四人じゃ八本しか腕がない、でもアマルトさんに手伝って貰えたら腕は十本 …十 いい数字だ、なんでも出来る気がして来ないか?


「はぁ、とんでもない事に巻き込まれた気がする」


「悪いなアマルト、この借りは必ず返すよ」


「覚えとけよラグナ、絶対返してもらうからな」


「勿論さ、さて!片付けるぞー!みんなー!気張れー!最終決戦だ!」


みんなで頭に鉢巻巻いて最後の後片付けに入る、もうタンスごとひっくり返っているのでこの屋敷に無事な空間は存在しない、だから五人で手分けして片付ける


エリスがどこに何があったか記憶を頼りに図面を引き、皆さんに指示を出す 床に転がっている物全てがどこにあったか、エリスの頭にはちゃんとある


ラグナが倒れているタンスやクローゼットをまるで積み木でも立てるようにひょいひょいと元に戻し、アマルトさんが周りの物を拾って中に片付けていく、アマルトさんの方は存外に几帳面なのか エリスの指示に従いしっかりと収納してくれているのでありがたい


デティは慌てて自室に戻り悲鳴をあげる、どうやら仕事用の書類が地獄を作っているらしく、彼女はしばらくそちらに掛り切りだ、屋敷の事も大切だけどデティの書類は世界の運営に関わる大切なものだしね 仕方ない


メルクさんの姿が見えないと思ったら、床に落ちている本を読みふけっていたのでちょっと怒った、元々掃除が苦手な彼女の部屋は ひっくり返るまでもなく汚れていたので、いい機会だ ここも掃除するしさせる事にする



五人で力を合わせ、それでも時間がかかる作業をコツコツと積み上げる、戦いで疲れた体を動かし チマチマ片付ける、アマルトさんも何だかんだ文句一つ言わず片付けに参加してくれる、やはり根は真面目なのだろう


そして、そんなこんなで片付け続ける事数時間、暗くなっていた外から朝日が覗く頃 ようやく屋敷の中は以前の整然とした空気を漂わせ始める、いや終わる 終わった…片付けが


「終わった〜…」


「これで一眠り出来るな」


「眠るって、もう朝ですよラグナ」


「構わんだろ、どうせ学園があの有様だ 今日は休みだ」


エリス達は揃ってダイニングの椅子やソファにもたれてダレる、疲れた…


「ん?、そういえばアマルトは?」


ふと デティが顔を上げてキョロキョロと顔を動かす、アマルトさんがいないのだ、さっきまで一緒に掃除をしていたのに、もしかして帰ってしまった?いや帰るところないだろ彼…


エリス達も揃ってアマルトさん姿を探していると、ふと ダイニングにいい匂いが漂い始めて…


「おーう、お疲れさん 朝飯作ってやったぜ」


そう言いながらエプロンをつけた彼が盆を左右に持ちながら現れて…って


「料理してたんですか?」


「ああ、ってか俺が腹減ったから勝手に食材使わせてもらったぜ」


「それは別にいいですが…うっ!」


アマルトさんはゆっくりと机の上に料理を並べていく、の だが


問題はその料理の出来栄えだ、素晴らしい 見ただけで分かる 匂いだけで腹が減る、まだ口に入れていないのにもう満足出来る、あの時と同じだ いやあのパーティの時出された料理よりもレベルが高い


多分、パーティの時はエリスを騙すことを目的にしてたから味も抑えめだったのかもしれない、対するこれはどうだ?エリス達を唸らせる事に全霊を出してる、つまりこれがアマルトさんの本気…!


「噂には聞いてたけどアマルトやっぱり料理出来るんだな」


「まぁ、シロートに比べりゃな」


「すごーい!アマルトすごーい!」


「いや本当に凄いぞこれは、確実にアビゲイルを…デルセクト一の料理人を凌駕している、ここまで凄まじい腕を持っていたとは…」


「へへん、まあ 料理も剣もタリアテッレからの指導で色々上達してんのさ、アイツは嫌いだが その辺は感謝してる、おら それよりとっとと食え、俺も食い辛い」


そう言いながら席に着くアマルトさんは机に頬杖をつく、並べられているのはいつもエリスが作るようなサンドイッチやサラダ スープにベーコンと何の変哲も無い物、というよりエリスの朝のメニューと奇しくも同じ物


そりゃそうだ、食材も調味料の家にあったものを使ってるんだから、同じ食材を使って同じメニューを作ったのに、どうしてこんなにもアマルトさんの方が美味しそうなんだ


「い 頂いても?」


「じゃんじゃん食いな」


「では…」


ラグナもメルクさんもデティも、揃ってサンドイッチを手に取る、焼いた卵と野菜 ベーコンが挟まったサンドを徐に口に運び…


「あむ…」


食べる、口に入れる 歯で押しつぶす 咀嚼する、サンドイッチを食べた回数など数えきれない、それくらいエリスの生活に慣れ親しんだポピュラーなメニュー だというに


(う…美味ぁ!?)


目をかっ開き驚愕する、違う 何もかも違う 、同じ食材とメニューなのに全部違う、エリスのものよりも遥かに美味しい、なぜだ 何が違う どうしてこんなにも差がつく


歯で噛んだ瞬間煙のように口内に充満する卵の濃厚な味と野菜の新鮮な食感、相反するそれらがまるでパズルのピースのように合致し合一している


天地開闢の時 万物を創りたもうた神が存在したなら きっと卵と野菜はこうやって食べるのが正解と定めていたに違いない、人類はようやく卵と野菜の正しい活用法を発見したのだ


違う、違うぞそれだけじゃ無い、二つで一つの味を上から塗り潰す波が訪れる、ベーコンだ


肉とは 肉の脂とは、味が濃く濃厚で重い 、食材でありながら他の食材を食ってしまう謂わば共食いの食材、それが 優しく二つの味を覆い 濃厚でありながら爽やかな後味を残す


深いんだ、味の層が このコクの深さの何とも言えぬ有様と来たらどうだ、ただ食材をパンで挟んだだけでは成し得ない、ただサンドしただけじゃ無い アマルトはパンという世界で三つの食材を包んで一つにしたんだ


「うわぁ!、このサンドイッチおいしー!」


「確かに、ベーコンも玉子も野菜もうんめぇ…」


「ああ本当に美味い、デルセクトでもこのレベルの料理を出すところは殆ど無い上、値も張る…、アマルト お前もう料理人としてやっていけるぞ」


「やっていかねぇよ、料理人なんて損な生き物 誰がなるかよ、あれは味の探求に命と生涯をかける敬虔な人間がなるもんだ、不真面目な俺にはなれねぇよ」


ラグナ達も感動しているのかいつもより食べる速度が速い、これは魔女の弟子料理上手い枠は取られてしまったかもしれない


けど悔しさは無い、張り合う気持ちさえ湧かない程に アマルトさんの料理は美味い、完敗だ…うまうま


「ってかエリス さっきから黙って、どうしたんだ?」


「ああ、エリスは美食を前にすると無口になるんだ、放っておいてやってくれ」


「そっか…、美味いか?エリス」


「おいじいでず!あまるどざん!」


「怖…」


どこが怖いんですか!美味しいじゃ無いですか!、くぅ 美味い…美味い、生きててよかった 生きててよかった、美味しいよう美味しいよう…


「さて…と、飯食いながらでいい 聞いてくれるアマルト」


「なんだよ畏まって」


エリスがサンドイッチに夢中になる間 ラグナとアマルトさんが話を始める、多分真面目な話だ、エリスも参加しないと…と思いつつもサンドイッチを頬張るのをやめられない


「お前、これからどうするんだ?」


「これからって?、お先の事はてんで分からん身の上でして」


「そんな先のことでも無いさ、でもアマルトは理事長になるんだろ?、その為に何をするのかなぁって」


「んー、さぁ?とりあえずお師匠さんのところで真面目に修行しつつ、学園にこれからも通うつもりだ、受けてなかった授業もこれから真面目に受けて高等学科に行けるくらい勉強して…、だから後四年は学園に通い続けるつもりだ」


「そっか、何だかんだ生き方決まってんじゃ無いか」


「流石にそこまで無計画じゃねぇよ」


学園には最大八年通える、アマルトさんはエリス達の一個上の代で入学してきたから、今は四年生、エリス達が卒業した後も学園に残って勉強を続けるらしい、そのあと どうするかは多分その時決めるんだろうな、フーシュ理事長もまだまだ現役だし


「それでさ、アマルト…お前 学園に住んでるんだよな」


「え?いやまぁそうだけど、雨風凌げる場所がそこ以外なかったんだよ」


「でも、学園があの有様じゃ しばらくは立ち入れないんじゃ無いか?」


「ああ、しばらくは修繕作業だとよ、その出費もどえれぇもんでな、俺はしばらく宿無し銭無しの身分ってことになる」


この国は財政的にあまり余裕のある状態ではないらしい、歴史的文化遺産を守るのには金がいる、そしてこの国にはそれが数多ある…、いくら魔女国家とはいえ金が無限に湧いてくるわけじゃ無い、その上であの学園の被害だ


大貴族アリスタルコス家の嫡男たる彼もしばらくは飢えることになるだろう…、オマケに家にも帰えれない、文字通り宿も金も無い そんな状態に陥ることになる


「じゃあアマルトもここ住めよ」


「は?」


「いいよなメルクさん」


「名案だな」


「いやいや!ちょっと待て!、何故そうなる!ここお前らの家だろ!?」


「ああ、だから構わんといっている、どうせ私達も学園を卒業したらここを引き払うつもりだったんだ、なら 今後もこの国この街に住み続けるお前に明け渡すのも悪く無いと思ってな」


「え?住むだけじゃなくて貰えるの?ここ、気前良すぎじゃない?大丈夫?」


アマルトさんもここに住むのか、うん いい案だと思う


アマルトさんってば猫みたいにあちこちにフラフラしてるし、なんか放っておいたら雨に打たれて風邪とか引きそうだ、流石に拾い食いはしないだろうけど それでもこれから学園の長になろうって男がホームもマニーもレスってますってんじゃ格好がつかないし


なら、エリスたちが場所を提供するのは悪くない、幸い屋敷には空き部屋も多いし 何よりカストリア五人組で生活出来るなんて楽しそうだ


「エリス デティ、いいかな」


「いいですよ、ラグナ エリスは賛成です」


「こんな美味しいサンドイッチを食べさせられたらね、文句言えないよ 私も賛成ー!」


「よし、決まりだな」


「俺は?ラグナ君俺は?、俺には聞かないの?」


「だってお前何の間の言って逃げるじゃん」


「そーそー!、ほんとは寂しがり屋の癖にね!」


「ぐぅ…」


ラグナとデティにぐいと挟まれ赤面するアマルトさんの顔ときたら、なんとも素直ではなく面倒くさい、口ではどうのこうの理屈を述べるがその実 今まで飢えに飢えていた人の温もりに餓えている


だからちょいと強引に近づけばこの通り…


「わかったよ、…じゃあ 言葉に甘える」


ほら、可愛い 素直じゃないだけで 捻くれてはいないからね、彼は彼自身が思っている以上にチョロい


「よーし、じゃあこれからアマルトの部屋に置く家具買いに行こうぜ!」


「今から!?すげータフだなお前!」


「やるなら速い方が良かろう、何 金なら出してやる」


「じゃあ帰りにお菓子買おーう!」


「あ、まだサンドイッチが…」


「まだ食ってんのかよ!」


まだ食べてますよ!、だって美味しいんですもん!


エリスがはぐはぐとサンドイッチを頬張る間にみんなは無慈悲にも玄関先へと向かっていく、本当に元気だなみんな…でもエリスもサンドイッチ食べたら元気出てたぞ、よし!


「待ってくださいよ!みんな!」


席を立ち、玄関へと走る…


扉はすでに開かれ、向こう側から差す光 それが照らすは四人の友


「ああ、待つさ 五人で行かなければ意味がないからな」


外から吹く風に髪を揺らして、慈愛輝く微笑みを向けるメルクさん…


「みんなでお出かけってやっぱ楽しいね!」


にぱっと太陽のように笑うデティは、スカートをくるりと揺らして踊るように両手をあげる


「お前らが付き合わせたんだ、ちゃんと付き合えよな」


なんて素直じゃないことを言いながらも、アマルトさんの顔は何とも楽しそうだ


「ああ、行こう エリス」


玄関を開け 後ろに光を背負うラグナは…彼は、こちらに手を差し伸べる、エリスが旅と戦いの中で得たかけがえのないもの、何もかもを記憶するエリスの頭に永久に残り続ける光景 人々


これが、エリスの世界だ


「はい!、今行きます」


その手を取り、エリスもまた光の方へ ただ歩く…、学園で得た友との記憶を噛み締めながら、エリスはまだまだ進み続ける


何が立ち塞がっても、みんなのためなら みんなとなら、進んでいける


…………………………………………


「ギィ……」


水底…、光さえ届かない闇の底、凡そ生命が活動する条件の一切を満たさない死絶の世界、魔女でさえ見通すことの出来ない まさしく人類にとっての未知未踏の絶域


遥かな昔 或いは遠い未来に於いての呼び名をここで取り出すとするならば


大いなる扉在りし場、今は亡き神殿の跡地、曰く世界が生まれた場所、星根界 アウズンブラ


「ギギィ……」


人の手が及ばぬ無垢なる世界、生き物が生きられない残酷な世界、その闇の中起こり得る筈のない出来事が起こる


「ギギギィィ……」


ボコボコと泡を立てて蠢くのだ、何かが 光の届かぬ世界の中 何もない大地の上で、空間が…否 無色透明な世界そのものが揺らぐ


「ギギギギィィィ……!!!」


八千年間起こり得なかった自体が初めて起こる、生誕してよりの場から一切動くことのなかったそれが、モゾモゾと動き 身悶え 唸り声を上げる


耐えられない と悲鳴をあげるように


「ギギギギィィィィィイイイイイイ!!!!!」


絶叫 、音さえ響かない筈のこの場に怒りの絶叫が木霊して、存在しない筈の頭を無いはずの手で掻き毟る


「エリスエリスエリスエリスエリスエリスゥゥゥウウウウ!!!!、ギャァァァァァァアアアアア!!!!」


隆起し屹立するそれはあまりに巨大であった、何もないこの空間を覆い尽くすに足るそれは一人の少女の名を叫ぶ


許し難き存在 絶対に許せない存在、僕の計画を潰すに留まらず 僕を愚弄し、剰え今度は私を狙えと挑発までしてきた


矮小な人間のくせに!吹けば飛ぶ極小の存在のくせに!、よりにもよって上位種足る魔獣の皇子たるこの僕を超えていくだとぉぉぉおおおお!!!!


「おのれおのれおのれおのれぇぇぇえええ!、許せん!許せん!!!!、このアクロマティックをここまで怒らせたのはこの八千年間君が初めてだよ!エリス!!」


超巨大な液状生命体 、人語を介さない生物でありながら人に合わせて喋ることのできる圧倒的知能を誇る選ばれし存在


名を アクロマティック、五大魔獣が一角 変幻無辺のアクロマティックの本体は己の住処の中、自らの分け身が味わった屈辱を追体験し激怒する


エリス…アクロマティックが分け身を作り、やりたくもない組織活動をしてまで手に入れたチャンスを潰した憎き相手、遥かに格下相手からあそこまでナメられたのは初めてだ


そりゃ あの骸の中に入れていた力の源たるコアは一つだけ、アクロマティックの持つ約千四百近いコアのうちの一つ、つまりアクロマティック本来の力の千分の一にも及ばない力だったが


それでもエリスくらいなら倒せる計算だった、あの街なら滅ぼせる予定だった…エリスさえいなければ、あの女さえいなければ!


「次は本体とやりたいと?、丁度良い!なら動いてやろう!本体で!、そして今度は街ごと覆い尽くしてやる!」


街人は全員飲み込み殺す、エリスの目の前で手足を引き裂き消化して殺す!、だがエリスだけは殺さない 、ずっとずっと!永遠に苦痛だけを与えて生かしてやる!


そうまでしなければこの怒りは収まらない、今すぐ地上に這い出てやる そう地平の彼方まで続く巨大な体をモゾモゾと動かそうとすると


「鎮まりなさいアクロマティック、其方の行進は我等に取って取り返しのつかぬ堰を打つ事となる」


「ぐっっ!?!?」


刹那、響いた女性の声と共に空間を覆い尽くす程巨大なアクロマティックの体が圧縮、手の中に収まる程の立方体へと封じられる、四方向から絶大な力で押さえつけられ形を歪められたのだ


凡そ人には成し得ない大現象、こんなこと出来る存在にアクロマティックは一人…否 一体しか知らない


「マガラニカァァァアアア!!!!邪魔するかぁぁぁ!!!」


「邪魔などと、これは貴方自身の救命…礼を言われはすれど恨まれる筋合いは何処にも」


マガラニカ…、否 正式な名称を龍星落胤テラ・マガラニカ 、サイズだけで言えば世界最大のドラゴンと呼ばれる存在だ


アクロマティックと同じく世界最強の五体の大魔獣にして魔獣王直々に生み出されし皇子皇女の一人、業腹な話ではあるが、力攻めという一点でのみ見れば アクロマティックをさえ大きく凌ぐ怪物が 闇の中より現れる


…筈なのに、見えない あの天だろうが地だろうが覆い尽くす巨大な龍は何処にも現れない、あの巨大な龍が近づけば否が応でも分かるというのに…何も感じない


「何処だ…?何処にいる!」


「ここですよ、我が弟…ほら ここに」


するとフッと目の前に 一人の女が現れる、人間の女…この星根界で人間は絶対に生存出来ない筈なのに、…


いや、違う 今目の前でクスクスと笑う女、あの龍の如き金眼と鱗の如き翠髪を持つ女…まさか


「マガラニカ!貴様…なんで人間の姿なんかとっているんだよ!」


「おや、貴方もまた人の姿を使っていたと記憶していますが…」


「あれは違う!僕が人間の体を使ってただけだ!、僕自身が人間になったわけじゃない!、誰が好き好んであんな下等な生物になるものか!」


「フフフフ、まぁそうでしょうね 貴方ならそう言うでしょう、貴方は人が嫌いですからね…或いは 自分以外の生命が」


ケタケタとクスクスと口元を隠して笑うテラ・マガラニカの態度にアクロマティックは激怒する、されど手も足も出ない、人の姿を持ちながらも奴の星龍としての力は未だ健在、否 衰えも見せておらず アクロマティックは立方体に固められたまま動けない


「でも安心してください、私自身が人間になったわけではありません…ただ、人の身を模しているだけ」


「だから何故!」


「都合が良いからです、今の私の活動に…そうそう人とは可愛らしきものですよ、私の見てくれが綺麗なだけで寄ってきて 私がちょっとだけ大きく口を開けその中に放り込むだけで泣き叫ぶ、一体どう言う思考回路をしてるのか 未だ判然としない辺りが面白い」


「愚劣な趣味だな、人の身に化けるくらいなら岩の下を這う団子虫にでもなった方がマシだ」


「趣味ではないのですが…」


ふむ と困ったようにため息をつくマガラニカ相手に無性に腹が立つ、と言うかもう話は終わりでいいだろうに


「マガラニカ…僕は今から行かなきゃいけないところがあるんだ、今すぐこの拘束を解け さもないと無理矢理にでもこの捕縛を壊して君を殺すぞ」


「恐ろしい、貴方は苛烈な魔獣でしたが…ここまでではなかった、余程エリスに負けたのが悔しいのですか?」


「な…何故それを…」


「見ていましたよ最初から、当然貴方が無様に命乞いをして消されるところもね、良いものがみれました」


見ていたのか、見ていて傍観を貫いたのか…!、いやそうじゃない 見られていたのかあれを、くそっ!エリスめ!僕に恥をかかせやがって!


「見ていたなら分かるだろ!僕の屈辱が!、今度はこの本体であいつを殺す!殺してやる!、だから邪魔をしてくれるな!」


「八千年間まるで人に興味を示さなかった貴方がそこまでの執着を見せるとは、喜ばしい」


何処がだ、興味がなかったんじゃない 人間という下等生物は僕にとって玩具でしかなかっただけだ、弄び 弄くり回し殺す、この人の及び付かない場所から延々と分け身を飛ばし永遠と人類という種を虐げ遊ぶ、奴らはオモチャだ 暇潰しの為の駄玩具だ


…それが、その為のオモチャが 僕が温めていた計画を潰したんだ、シリウス様からの命令を受け魔女を殺すと言う計画を、八千年待って漸くかかったシリウス様の声を…あいつは!


許せないに決まっている、エリス…アイツは僕の八千年の生で初めての敵となった人間だ、悪意が初めて敵意へ昇華した相手だ、何が何でもアイツを上回って打ちのめして殺してやりたいと初めて思えた憎き相手


ああ、奴の顔が色濃く頭に残る、人間の顔なんて全部同じに見えたのにアイツは別だ アイツは殺す僕が、今から!


「だから早くここから出せぇっっ!!」


「ですがダメです、今貴方に地上を荒らされては堪りませんので…、貴方にはこれから私達の活動を手伝っていただきます、今日はそのお願いにきたのです」


「はあ?お願い?、嫌だね 君の願いなんかクソほどに興味がない」


「エリスと戦う場を約束しましょう、それも最高の場で」


「……ふん?、取引のつもりかな?」


別に約束なんかされなくても僕は一人でエリスに会いに行く、最高だろうが最低だろうが構うことか


「いえ、取引ではありません、ただ私達の用途が決定しただけです、その結果として 魔女の弟子エリスとの決着はその特定の場が望ましいのです」


「用途…、まさか」


「はい、つい先刻 ソティスが目覚めました」


「ソティスが…、そうか」


そうか、ソティスが遂に…と言うことは、漸く僕の長い長い暇潰しも終わったか、なら もう勝手は出来ないな、その上でエリスとの決着も約束してもらえると言うのなら、ここは従うべきだろうな


「分かった従おう、何をすればいい」


「貴方も人に化けて私と共に来て頂きます」


ぅ…嫌だ、物凄く嫌だ 気持ち悪くてぞわぞわする、けど ソティスは限りなく人に近い、否 完全無欠の新人類として作られている、彼女と共に動くにはこの姿では邪魔なだけか…


まぁいい、ならとびきり悪趣味…いや、エリスが嫌がりそうな姿になってやろう、ククク アイツはどんな姿を嫌がるかなぁ、アイツが嫌々と首を振る顔が今から楽しみだ


「それで?どのくらい待てばいい、あんまり待たせるなよ?人が元気でいられる時間は短い、老いて枝のようになったエリスでは 僕を満足させる悲鳴を上げさせられないからね、なるべく早く頼むよ」


「長くて十年以内ですよ、それならエリスも人としての最盛期を保っているでしょう」


十年以内か、エリスは今15だから大体25、人の全盛期は大体28であることを考えると十分だ、ククク…人として脂の乗った時期か


「たった十年なら待つほどの時間でもないね、なら君の言うことを聞いて待ってあげよう」


「ありがとう、我が弟よ」


そうだ、十年だ たった十年待てばいい、十年なんか瞬きの時間だ、直ぐにエリスの元に行き殺すのと対して時間は変わらない…


…そう、直ぐ…直ぐだ…うん、直ぐ…、八千年を生きた僕にとって十年なんか…


「そろそろ十年経ったんじゃないかい?」


「まだ十秒も経ってないですよ?」


そうか、…まだか…、おかしいな 時間の進みってこんなに遅かったか?…おかしいな



アクロマティックは気がつかない、全人類に向けられていた悪意がエリスという一人の少女に収束し、執着とも取れる憎悪を抱き始めた瞬間より 悠久を生きる人外から、別の何かへ変じ始めていたことに


一人の少女に焦がれる怪物は一人震える、再び相見えるその瞬間を夢見て、どう殺そうか どう苦しめようか 第一声はなんと声をかけようか どんな姿で会おうか どんな場面で現れるのが良いか、ただそれだけを考える


ただ、それだけを考えて 時間を過ごす、彼の八千年で最も長い十年は まだ始まったばかりだった

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