137.対決 復讐の令嬢 エウロパ・ガリレイ
「……はぁ、ついに今日か」
ラグナは一人、学園の教室で 窓から空を仰ぎ見ながら一人思う
エリスが捕まり メルクさんが消え、三日 四日 五日…そして六日経った、エリスの刑が確定される日 それが遂に訪れてしまったのだ
あれからメルクさんは音沙汰がない、屋敷にも一度も戻って来なかった
噂じゃ街のあちこちを巡ってるらしいが 戻ってくる気配はない、エリスを牢から出すまで戻って来ないつもりだろう
俺もデティも出来ることはないかとギルダーヴ監獄に赴き エリスの釈放を訴えてみたが、例え大王としての権力を突きつけようとも頑として奴等の態度が変わることはなかった
俺達ではエリスを解放出来ない、ソニアとか言う女を解放するしかエリスを取り戻す方法はないが、そのソニアを解放出来るのはメルクさんだけだ 俺達には何も出来ない
…俺は無力だ、愛する女が冷たい牢の床で寝てるってのに 何も出来ず指を咥えて見てることしか出来ない、俺はエリスを守る為に強くなったんじゃないのか?
だが、俺の得た力は所詮はただの力でしかない、力の大小に関わらず及ばない領域はある、俺がここで癇癪を起こしてあの監獄のこの国も吹っ飛ばしても意味がない
故に出来ることはない、出来ることといえばエリスとメルクさんを信じることだけだ
そう、最初のうちは思っていたが約束の日が迫る都度に俺の脳に去来する思考
俺は何かを間違えたんじゃないのか?
本当は意地でもメルクさんについていくべきだったんじゃないのか?、待機ではなくもっと出来ることがあったんじゃ?
それにメルクさんは俺に何かを託したんじゃないか?、本当は学園で何かやってほしいことがあったんじゃないのか?、俺は真に彼女の意図を汲み取れていたか?
分からん、分からんが漠然として不安だ
「いや、それならそうとちゃんと言う人だよな、それにこうやって冷静さを欠くから俺は外されたんだ」
そうだよな、冷静さが足りていなかった 師範もよく言ってるじゃないか
怒れば怒る程に冷静になれと、熱くなる程に冷たくなれと、荒れ狂うほどに冴え渡れと…怒る程に真剣な状況なら 怒りに身を任せていい訳がないんだ
俺は失敗した、その尻拭いをメルクさんに任せている…その状態を肝に銘じないとな
「ねぇ…ラグナ」
「ん?ああ、デティ どうした?」
すると俺の裾をくいくい引っ張るデティが声をかけてくる、その顔はまぁ不安そうだ
そりゃそうだよな、友達の一人が牢屋にもう一人が行方不明だもんな、俺でさえ不安なんだ 彼女はもっと不安だろうに
「…ラグナ、不安そうだね」
「え?俺?」
と思ったら俺が心配されてた、この子は俺たちの心情を感覚的に理解出来る 俺が不安に思えば思うほどに、その気持ちが伝搬するんだ…
ここ最近俺は迷ってばかりだ、どうするべきか
ここ最近俺は後悔してばかりだ、俺はまだ力が足りないと
それら全てがデティに伝わっていたか…
「ねぇラグナ、エリスちゃんがいなくなったからっておかしくならないでね?」
「ならねぇよ、メルクさんが今動いてくれてんだ…今はあの人に任せよう」
「うん、…私としてはエリスちゃんも心配だけど今のラグナも心配だからね」
情けない話だ、逆に不安にさせるとは…仲間を心の底から信頼も出来ないか俺は、メルクさんがなんとかするってんだ あの人ならなんとか出来る筈だ、これは仲間をどれだけ信頼できるかの試練なんだ
だったら…心の底からメルクさんを信用するんだ
「さて、そろそろ昼だ 飯にするか?」
「うん、と言ってもエリスちゃんがいないからお弁当じゃなくて食堂でだけどね」
「そうだよなあ、悪いな 俺流石にエリスみたいに昼まで作れねぇわ」
食堂…ジャスティフォースに燃やされ消えちまった彼処ももう復興されてるしな、まぁ 簡易的なもので前ほど立派じゃないがな
だから俺達は食堂で飯を食う、エリスのいないここ最近じゃ どうしても俺が飯を作ることになるんだが、俺だと肉メインになっちまうからな 食堂があるときくらいそこで肉以外を食わせてやりたいんだ
「行こっかラグナ、私がついてるからね そんな不安そうな顔しなくてもいいよ」
「…分かったよ、だから撫でるな」
俺の今の顔はそんなに頼りないかね、デティの手を軽く退けて立ち上がると ふと、教室が騒然とざわめいた事に気がつく、ザワザワと…当然俺が立ち上がったからじゃない
「…何の用だよ」
デティを俺の背後にやりながらそちらを…教室の入り口を睨みつける、教室をざわめかせる張本人 俺がここまで警戒する人間なんてのは、この学園に二人しかいない…そのうちの一人が現れたんだ、当然の対応だろ?
「イオ」
「話をしに来た、付き合ってくれるな?ラグナ陛下」
イオ・コペルニクス ノーブルズの中心を担う人物であり、この国の王子 いや次期国王である彼がやや困ったような顔を一瞬見せつつもそう言うのだ
話か…なんのためだ、今日はエリスの刑が決まってしまう日 一秒も無駄な時間を過ごすべきではない、もしかして俺に余計な事をさせないため、時間稼ぎでもしようってか?
「…用件はなんだ、ここじゃダメなことか」
「ダメだ、…君の友人エリスに関する話だ、あまり聞かれたい話ではないだろう」
「そう言って俺をこの学園に釘付けにする為 時間稼ぎしようってんじゃないよな」
「そんなわけあるか…」
直ぐに視線を後ろのデティに向ける、どうだ?嘘ついてるか?と視線で問えばデティはブンブンと首を横に振る、嘘はついてない つまり俺をはめようってわけじゃないのか
…エリスに関することか、何かは分からないが 聞いておくか
「分かった、信用する…ついていくよ」
「有難い、ではこちらに」
はいわかりましたとホイホイついていったところを後ろからバッサリ…なんてことを警戒しつつイオの後ろにつくように歩くが、何かされる気配はない…一応俺たちを付けて来ている人間は5、6人いるが あれは奇襲をするというより単純にイオの護衛をする為に隠れてついて来ているのだろう
ならなぜ護衛が隠れているか…多分、形だけでも無防備を装い 敵意がない事を示したいんだろう、彼も必死だ
「ここだ、ここなら盗み聞きされる心配もない」
「ここってノーブルズしか入っちゃいけない部屋だよな?いいのか入っても」
「私に文句を言う人間はいないし、君達も元はノーブルズ候補だったんだ 問題あるまい」
そう言うもんかね?
連れてこられたのは学園に複数あるノーブルズ専用の居室、開けられた扉の中から見えるのは なんとも豪華な部屋模様、ソファにテーブル 絵画にビリヤード…学び舎とは思えないな
「人払いはしてある、ここなら我らの話も聞かれまい」
「ふぅん、護衛もキチンと引かせたか…律儀な奴だな」
「なっ、…気がついていたのか いや気がついて当然か、君は勇猛なりし戦士達の王だものな」
するとイオは俺たちの向かい側のソファに座る、対する俺たちのソファは イオより若干小さい、王が二人揃っているなら 座り席一つでも揉めるもんだが、今回は譲る 別に大切なことでもないしな
「よっと」
「おっ!ふかふかだぁ!」
俺とデティは揃ってソファに座り込む、流石はノーブルズの部屋のソファ ふかふかだ、尻が沈み込むようだ…、デティも興奮してぽいんぽいんとお尻で飛び跳ねて楽しそうだな
まぁここにメルクさんがいたらまた桁違いなリッチ話が炸裂し、エリスがいたら『デティ?やめなさい』と怒られてたんだろうな……はぁ
「さて、話とはエリス君のことだが…先ずは謝罪させてくれ、如何に敵対関係にあるとは言えうちのエウロパが家の力を使って無理矢理エリスを投獄した件について…」
「え?お前らが命令してやらせたんじゃないのか?」
「ああ、…いや 煽るような事は言ったのは確かだが、今回の件は些か行き過ぎた …と言うよりもこの対立はハナから過熱しすぎたのかもしれない」
イオは静々と頭を深く下げ謝罪する、今まで敵対していた彼にしては酷くしおらしい態度で…いや違うな、俺たちの敵対は飽くまで学園内での小競り合い 謂わばガキの喧嘩だ、ルールはないが超えちゃならん一線はある
エウロパは学園内の対立に学園外の力を持ち出した、チャンバラごっこに真剣持ち出すようなもんだ、事の趨勢に関わらず批難されるのは当然
だから、上に立つ人間としてのけじめをつけに来た と言う事だろうか
「まぁ確かに、エリスをいきなり逮捕するのはちょっとどうかと思ったが」
「…情けない話ではあるが、私はカリストの件もエウロパの件も 一切制御も統率も取れていないのが現状だ、それもひとえに私の力不足故のこと、このまま行けば 収拾がつかなくなる」
「だな、力不足とかはまぁ置いておいてさ、…で?もしかして謝るためだけに呼んだのか?」
「いえ、…話は二つ程あります」
「二つも?」
イオは何やら話辛そうにおほんと咳払いをする、二つ…二つか、一つは予想できるがもう片方は予想ができん
「一つは、エリスの件です あれから私もエウロパにエリスを解放するよう打診したのですが、全く聞く耳を持ちません」
「そうか、この国の次期国王であるイオが言ってもダメか…、余程固く決意した何かがあるんだな」
「はい、彼女はこの一件が終わったら絞首刑でも斬首刑でも受けるとまで言っていました…、何が彼女をそこまで駆り立てるのか分かりませんが」
つまり死ぬ気でエリスを捕まえ ソニアを解放したいってことか?、いよいよわからねぇな
「ですが、どうやらこの一件…既に片が付いているようです」
「は?…もう終わってるのか?、一体いつ」
「四日ほど前です」
結構前だな!?、え!?もう終わってんの!?じゃあなんでメルクさんもエリスも帰ってこないんだよ、まさか二人に何かあったんじゃ…
「…詳しく話を聞かせてくれるか?」
「ええ、その話を聞かせることが一つ目なので…」
というと、イオは 四日前起こったエウロパ邸での一悶着について 話し始めた
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時は遡り四日前 、ギルダーヴ監獄に併設された広大な屋敷、代々このコルスコルピの司法の門を守り続けてきた一族 ガリレイ家のお屋敷がある
その屋敷のランプに火が灯る頃、その屋敷の扉は叩かれた
ガリレイ家はこの国の大貴族だ、この家より偉い存在など 王家しか存在しないほどに絶大な力を持つ家、そこにアポなしで突っ込んでも門前払いを食らうのが関の山だが
今回は違った、なんの連絡もなくいきなり訪れた彼女をガリレイ家は従者達を以ってもてなした、あのガリレイ家がだ 何故か?
それは客人が王家と同等の権威を持つ存在 デルセクト国家同盟群の代表 メルクウリス・ヒュドラルギュルムであったからだ、服装はいつもの制服ではなく国家同盟の盟主としての正装 即ち煌びやかな白のコートを肩からかけたスーツ姿で現れたのだ
国外の存在とは言え大同盟を率いる彼女を無碍には出来ないと 執事長の判断で屋敷に入れたのだ、メルクリウスは従者達から歓待を受けると こう口を開いた
『今日はこの家の御息女に用があってきた』
メルクリウスの言葉に、執事達は目を瞑った
ああ、ついにこの時が来たのかと…
エウロパがメルクリウスの友人を監禁しているのはこの家では周知の事だった、従者達はもちろん エウロパの父である現当主も知っていた、知っていながら止めなかった…エウロパが何を目的としているか理解していたから
だがそれとこれとは別だ、メルクリウスが激怒して この家に殴り込んできたんだ、如何に国外の盟主とは言え その発言権は世界に及ぶ、ガリレイ家一つ取り潰すとなど他愛もないだろう
従者達は次の就職先や身の振り方を考えながら、それでもメルクリウスをエウロパの私室へと案内した
「遂に答えは決まったかしら?」
部屋を訪れたメルクリウスに対し、エウロパは不遜にもそう宣った、部屋には至る所にぬいぐるみや人形が飾られており、彼女自身 ぬいぐるみの山にちょこんと座り、メルクリウスを出迎えたのだ
「ああ、勿論」
革のスーツケースを片手で持ちながらメルクリウスは歩み寄る、従者は退室し 今や部屋にはこの二人しかいない
「それで、ソニアを解放し私に寄越す気になった?」
ソニアを…か、メルクリウスは目を伏せ考える
エリスが拐われてより三日 メルクリウスは各地を奔走した、全てはエリスを助けるため 全てはソニアを解放しない為、この二つは絶対条件でありどちらか片方だけ達成してもなんの意味もない
それ故に、考えるまでもなく この場での答えは決まっていた
「ソニアは 解放出来ん」
「…………そう、そう言うのね お友達よりも使命が大事だって言うんだ」
「違う、どちらも大切だ 使命の重さがあるからこそ我等は自己を改め見たこともない万人の民が為働くことが出来る、使命があるから我等は権威者は我等足り得るのだ そこはガリレイ家の一人娘たるあなたにも分かるはずだ」
「…………」
エウロパは答えない、ここ数日私はエウロパはの事を調べ尽くしてきた 彼女の不可解な行動のタネを知るには、エウロパ自身を知らねばならないからだ
彼女を知る者は少ない あまり屋敷から出ないからだ、だがその僅かな彼女を知っている者に話を聞くといつも決まってこう言う
『ガリレイ家の神童、真面目で大人しく気が回り、賢く聡く才気に満ちた令嬢だ』と、もうべた褒めだ 特に真面目である事を皆が皆讃えていた
真面目なんだエウロパは、本来ならこんな無茶苦茶な事するような人間ではないんだ…しかし、そんな彼女を突き動かしたものがある
それはソニア…ソニア・アレキサンドライト そしてソニアとエウロパを繋ぐ細い糸 ミノスの存在、それがこの事件を起こしたのだ
「そして同時に友人も大切だ、何にも代え難く 不思議なことに友人の為ならなんだってどんな事だって出来てしまう」
「…だから何?、ここでご高説垂れても私は結論を変えないわ 貴方がソニアを渡さないと言うのなら、エリスを永遠に闇に閉じ込める事だって出来る…いえ なんなら処刑だって…ね」
「おや?、友人の大切さは…貴方も理解してくれると思っていたのですが?」
「…はぁ?、生憎だけど…私に友達はいないの」
そう、エウロパに友人はいない エウロパは公平性を保つ司法の家であるがゆえに友人を作らない 、いや作れないのだ
人と関わることはあれど人に心は開かない、ノーブルズの中でもきっとそうなのだろう 、だからこの子は友達の穴を人形で埋めているのかもしれないが…
本当にそうか?
「いいえ、貴方には友達がいたはずです」
「…………いないわ」
「ミノス、それがその人形の名でしたね」
「ッッ!!」
エウロパの顔色が変わる、ミノス…エウロパがいつも手に持つ人形の名であり そして、かつて彼女の従者をしていた女の名前、一致している 偶然の一致?そんなわけはない、この人形と消えたミノスには 繋がりがある…いや、この人形こそが繋がりと呼ぶべきか
「ミノス・アリヤダーバ…かつて貴方の従者にそんな名前の者がいたはずです」
「……貴方それをどこで…」
「ミノスは貴方にとって、侍女であり 姉であり 母であり そして…かけがえのない友人だった、違いますか?」
「………………」
やはりエウロパは答えない、まぁこの辺は私の推理になる、何せミノスが居たと言うことは辛うじて突き止める事はできるのだが、ミノスとエウロパがどんな関係だったかは誰も知らなかったからだ
そう、誰も知らなかったから 分かった、幼い頃のエウロパは評判が立つほど有名なのにその従者との関係はまるで分からないなんてのはおかしな話だ
意図して隠しているとしか思えず そして、友人を作っていけないと言う仕来たりのあるこの家で 関係性を秘匿する程の関係 というと、一つしか思い当たらないからだ
沈黙は答えだぞエウロパ、ミノス・アリヤダーバは貴方の人生でたった一人の友人 いや親友だった
「だが そんなミノスも貴方の手元を離れてしまう、行き先はデルセクトのアレキサンドライト家…ソニアの所だ、理由はまぁ大方想像がつきます 恐らくは借金のカタでしょう、ソニアは国の金融を仕切る女だ、この国にも金貸しをしていたとも聞いている」
この国で出会ったザカライア様が言っていた 『デルフィーノ村改造資金の借金』の話に出てきた事だ、ソニアはザカライア様に止められなければデルフィーノ村に金を貸していた
なら、他の村や貴族に対しても似たような事をしていたとしてもおかしくはない、恐らくこの家も…そして、ソニアの罠にはハマり 借金を返せなくなった所でソニアに金の代わりに従者を送った
それがミノスなのだろう、多分送られたのはミノスだけじゃなく 飽くまで一員だったろうが それでもミノスはソニアの所に送られた
エウロパはソニアの所為でたった一人の友人を失ってしまったんだ
「貴方がソニアに拘るのは ミノス・アリヤダーバが関係している、そうでしょう?」
「……流石は デルセクトの一大事件を解決に導いた女ね、目敏く 鼻がいい、…その通りよ ミノスは…ミノス・アリヤダーバは私の唯一の救いであり、そして親友だった」
それを口にしてから、まるでその口は堰を切ったように話し始めた
素直に告白しているのではない、押し止めていた…ずっとずっと押し止めていたミノスへの想いを一度でも洩らしてしまったら 止まらなくなってしまったのだ
ミノス・アリヤダーバはエウロパよりも10も年上の従者だった、エウロパが小さい頃から共にいて 甲斐甲斐しく世話をしてくれたらしい
服を用意し 食事を用意し、眠れない日は共に寝て 落ち込んでいる時は声をかけ、友達を作ることが許されないエウロパに寄り添い 友として一緒にいてくれたと
歳も離れていた 身分も全然違った、でも友人だった エウロパがそう望んだ、友達であってほしいと口にして懇願したわけじゃない ただそう心で望んだだけ、そしてミノスはそれに答えた
「厳しい教育の日々の中、私を支えてくれたのはミノスなの…彼女と一緒にするお人形遊びだけが、私の唯一の生きがいだったの、それがあるからずっと頑張れたの」
目頭が熱くなり その熱は言葉にも宿る、デティではないが その言葉を聞けば分かる、エウロパはミノスを何よりも大切にしていた
だが、そんな日々にも終わりが訪れる
「…でも、ある日 ソニアがうちの従者五十人を寄越すなら 借金をチャラにしてもいいと持ちかけてきたの、監獄の改築には金がかかった 国には頼れなかった…だからソニアを頼ったのに、それは間違いだったと気がついた時にはもう遅かった」
この国は古きものを尊ぶ素晴らしい文化があるが、その影には膨大な維持費と改築費 修繕費が存在する、もう立て直してしまった方が早いのに それでもコルスコルピ人には今ある物を壊して新しい物を作ると言う発想はない
国だってカツカツだ、金くらい自分で用意できずして何が大貴族かと…ソニアを通じて金を手に入れたのは間違いだった、ソニアは契約の穴を突き どんどん借金を膨らませていった
いつもの常套手段だ、そしてそれに引っかかったガリレイ家は 早くこの借金騒動を収めたいと従者を渡す道を選んだ
当主御付きの執事以外全員差し出す勢いで、この屋敷の従者達は纏めてソニアに渡されてしまったのだ
「…アレキサンドライト家はここよりも裕福だから ミノスだっていい暮らしが出来る、そう割り切っていたの…けど、けど!ソニアの所に行ったミノスから届いた手紙には 凄惨なことばかり書かれていた!」
辛く当たられている なんて、そんな言葉じゃ納めようがない程にソニアは受け取った従者を家畜扱いした
拷問だ、あの女お得意の拷問の材料に従者達を使ったのだ、ガリレイ家に金を貸したのもその為、奴にとってこの一件はその加虐性を満たすための材料調達に過ぎなかったのだ
逃げようと抵抗しようとすれば ガリレイ家の名前を出して また借金がどうのと脅したて、それでも逃げるようなら銃で撃ち抜き人間的当てと称して殺した
ソニアの館で行われた凄惨な事件の様子が、悪夢のようにこれ見よがしに書き連ねてあり
ミノスは叩きつけ書き殴るような文字で最後にこう綴っていた
『たすけにきてくれ』…と
それを見た幼きエウロパはどう思ったろうか、あの優しいミノスがこんな文字を書くなんて信じられない
温厚でいつも笑っているあの人が目を血走らせ息も絶え絶えにこの手紙をなんとかこちらに送ってきた その様がありありと眼に浮かぶ
助けなくては、何が何でも 手紙を折り畳む頃にはそう決意していた、何をしてでもソニアからミノスを取り戻すんだ
「そう…決意したけれど 結局出来たのはソニアにミノスを返してくれと頼み込む返書だけ、本当はデルセクトに殴り込みたかったけれど ガリレイ家はソニアに弱みを握られているし 無理に取り戻せば今度は借金も戻ってくる、あの悪魔を前に私は何も出来なかった 何も出来ずに…やきもき過ごしている内に…、それは起こったわ」
エウロパは語る それ…とは、即ちソニアの失脚 私とエリスによってその悪事が暴かれソニアはその地位を失い アレキサンドライト家が瓦解したあの事件だ
その報は遠く国を超え エウロパの元にも届いた…、あの悪魔が ソニアに天罰が下ったと、柄にもなく飛び上がって喜んだ
ああ、これでミノスも戻ってくる…と、しかし
「どれだけ待ってもミノスは戻ってこない、それどころかアレキサンドライト家から解放される人間は一人もいない、そんな話も聞かない…ねぇ ミノスは何処へ行ったの?ミノスはどこへ消えてしまったの?」
「…………それは…」
「ソニアが失脚してから聞いた話じゃ、ソニアは重度の加虐依存症だったんでしょ?何人も何十人も何百人も拷問で殺したんでしょう!?、…ミノスは その拷問を受けていたんでしょう!?その為にソニアは人を欲しがったんでしょう!?拷問をする人間を得る為に何十人も従者を寄越せなんて言ってきたんでしょ!?、いつまで経ってもミノスが 私の親友が帰ってこないってことは!そう言うことなんでしょっ!?」
「………………」
今度は私が返せない、何も返せない 言い辛い…とても
ソニアは自らの加虐欲求を満たす為に金融業を営んでいた 金儲けはオマケレベルだ
その毒牙にかかった物は皆あの地下の地獄に落とされる、中にはあそこに行くくらいならと死を選ぶ者もいる程に恐ろしいのだ
ミノスはその地獄に落とされた、ガリレイ家から送り出された従者五十人全員だ 全員あそこに落とされたんだ
…何故知っているかって?、そりゃ ソニアの事件を解決した後 彼女によってもたらされた被害を纏めている時目にしたからだ
ズラリと並ぶ被害者一覧の名前の中の…ミノス・アリヤダーバ
実物を眼にしたわけではないが その名前は眼にしていた、だからカリストに言われた時引っかかりを覚えたのだ
チラリと見た名前だが、私のその被害者一覧の名を身に刻んだ、私がもっと早く動いていれば助けられたかもしれない人達だから、私がもっと上手くやればこんな所に名前など載らなかった人達だから 焼き付くほどに記憶した
…私の手から零れ落ちた人間の一人、それがエウロパの親友 ミノス・アリヤダーバなのだ
「…………」
だから言えない、どうなったかは ガリレイ家の保身のため送られた彼らがどんな目にあったか言えば、エウロパはどうなってしまうか
そう躊躇っているとエウロパは立ち上がり私の胸ぐらを掴む
「お願い、お願いだからソニアを私のところに寄越して、ミノスが死んで罪を犯したアイツがのうのうと生きているのが許せないの!、私が然るべき罰を与えるから!だから!…お願い」
エウロパがソニアの解放を望んでいたのは ソニアを信奉しているからではない、むしろ真逆 親友の仇を討つ為にソニアを寄越せと言っていたんだ
ソニアは如何に失脚したとは言え、彼女は王族 処刑するわけにはいかない、監禁と称して小さな城を与えられそこで生きている、今も平然と…それが許せないのだ、エウロパは
「それが…復讐…ですか」
「そうよ、これは私の復讐…もしくは贖い、彼女達を売ってこの家を存続した、ならば彼女達の復讐をするためならば この家一つ!捨てる覚悟で臨むのは当然でしょう!、例え地位を捨てても家を捨てても ソニアだけは…あの女だけは絶対に許さない!!、だから寄越せ!ソニアの身柄を!、あいつを裁けないお前達には任せていられない!!」
「…………」
「これが私の狙いよメルクリウス!これが私の復讐よ!、私の唯一の生き甲斐である復讐を貴方は奪った!たがら…だから返してよ!私の生きる意味を!」
エウロパは叫ぶ、普段声を荒げないからか その怒号は聞くに耐えない物だ、だが 怒りは伝わる…何としてもソニアを手に入れる 復讐するために、その為にエリスを無実の罪で捕らえ 私に取引を持ちかけた
これが、この一件の全て…ならば後は答えを出すだけだ、と言っても答えは決まっている
「ソニアは 渡せません」
「ッ!!!なんで!」
「私は最初 貴方がソニアを解放する物と思っていました、…ですが違うのですね 貴方はソニアに復讐をしようとしている」
「そうよ!だから…」
「だから渡せません、ソニアを裁く権利は我がデルセクトにある 貴方も被害者の一員であることは認めますが、だからと言ってソニアを渡すことは出来ません」
「ぐっ!」
ソニアは我がデルセクトの罪人、それを裁く権利は我々にあり もう判決は出た、その上で他人に私刑を任せることなど出来るはずもない、そんなことが罷り通れば 司法は死ぬ
「ソニアを庇うの!?」
「もう判決は出ました 彼女は今罰を受けています」
「それじゃあ足りないの!、あいつが奪った命の数に見合ってない!、判決が出たから それで終わりなの!?」
「それが司法です、あなたも分かっているでしょう、投獄を命じられた罪人を この国では更に鞭で打つのですか?、判決で出た罰が全てです」
「この…分からず屋」
「分かっているつもりです、貴方の怒りは」
「何も分かってない!!!」
すると私の胸ぐらを掴む手に更に力が篭る、その眼に更に輝きが宿る 復讐の炎が…
「いいから、ソニアを…渡せ…、私が ミノスの 仇を討つ、報いを与える…私が復讐する!!ソニアに!」
「それは貴方の役目ではありません」
「お前はッッ!!!」
刹那、エウロパの手が 私から離れる、それは決裂を意味し 決別を告げる払手、最早言論による懇願はしないと言う 明確な決意が秘められていた
「もういい…もういい!!!、ソニアを庇い立てるなら お前も敵だ、デルセクト全てが敵だ!」
「待ってください、私の話は終わっていません」
「私の方は終わったのよ!全部終わってるの!、貴方を打ちのめし 今度は貴方の身柄でデルセクトに交渉するわ、流石に同盟首長の首となら奴等も交渉に応じざるを得ないでしょう?…」
ゆらりとエウロパは私から距離を取りぬいぐるみの山で作られた玉座へと座る、その身から 迸る程の魔力を滾らせて、臨戦態勢だ…まだ 伝えたいことがあったのだが
「エウロパ 聞きなさい、復讐などしても意味がありません」
「何?復讐なんて何も生まないと言いたいの?、阿ッッッ保くさいわっ!!何も生まれなかろうが関係ないのよ!私はソニアを生かしておけないだけなの!ミノスの苦しみに意味があったことを証明したいの!」
「ソニアが苦しんだのはこの家を守る為、その行為に意味を持たせたいなら、家を捨てる復讐など無意味だと言っているんだ」
「……………………ああ、そう その言葉はミノスの口から聞きたかったわ」
とだけ言うとエウロパは懐から何かを取り出す、剣ではない 武器ではない その手に握られていたのは…三枚の布切れ、いや あの布見覚えが
「エリス達のパンツ!貴様か!下着泥棒!」
「ち ちが…下着を盗みたかったわけじゃないの!貴方達の身につけている者が手に入ればなんでも良かったの!、…それなのに…頼んだらこれが届いて…私は別に下着が欲しかったわけじゃないの」
なるほど、ドルトン達を使って下着を盗んでいた卑しい下着泥棒はこいつか、全く ソニアの一件は同情するがそれはそれだ、返してもらうと…うん?下着でなくとも良かった?
そう言えばドルトンもそんなような態度を取っていたらしいな、つまり エリス達の持ち物ならなんでもよかった?、何故?しかもそれを今…
「本当は貴方の物も欲しかったけれど、大本命のエリスとラグナがあれば十分よ…貴方を倒すくらいね」
「パンツでか?」
「言っていろ!そして後悔しろ!我が呪術を受けて!」
古式呪術 アマルトが中心メンバー四人に一つづつ与えた力
ガニメデは獣への変身、カリストは魅惑の呪い それぞれがそれぞれ絶大な力を持ち私を苦しめたことは記憶に新しいが、ならば当然 エウロパも使えてしかるべき
そして カリスト曰く、エウロパの呪術の才能は二人を凌駕するもの、戦闘になる覚悟はしていたが…私一人か、いや弱音は吐くまい
奴が私を倒してまでソニアに復讐したいならそれを止める、その執念を止める、でなければ その身を犠牲にしてエウロパを守ったミノスが浮かばれん!
「空を穢せし暗澹の殃禍よ、呱呱と落ち 恢恢と覆い 潸然たる我が意を代弁せよ、さぁ起きろ 供物は我が手の中にあり 獲物は我が眼前にある!『五濁伽藍降魔』!」
叫ぶ 声音に魔力が乗り全てを呪う呪言と成り、噴き出て周囲を覆う この私さえも圧倒するほどの気配の詠唱と共にエウロパは腕を振るう、そして舞う三枚の下着…絵面は間抜けだが 油断出来んぞ これは…、凄まじい魔力だ
空を舞う下着は詠唱を受け光り輝くと共に、エウロパの足元の人形へと吸い込まれ 一体化する、光を喰った三つのぬいぐるみ
ラグナの下着はクマのぬいぐるみへ
エリスの下着はウサギのぬいぐるみへ
デティの下着は猫のぬいぐるみへと吸い込まれ 、ぬいぐるみもまた光り輝く…エウロパの絶大な魔力をもまた喰らって
「さぁ?、我が血を受け取り 呪いとなれ…我が尖兵よ」
それと共にエウロパはナイフを取り出し 手に突き刺す、噴き出る血は光り輝くぬいぐるみに降りかかり、その鮮やかな光を汚していき…
「なんだ、どう言う魔術だ…」
「貴方を始末する呪術よ、一人で来たのは間違いだったわね」
エウロパの言葉と共に光り輝くぬいぐるみは、なんと見る見るうちに大きくなり 手に収まる大きさだったそれは 人と同じ大きさの巨大なぬいぐるみとなって…
むくりと 起き上がるのだ、静物たるぬいぐるみがまるで命を得たように ゆっくりと…、これがエウロパの授かった呪術、私の目の前に立ちふさがる三体のぬいぐるみを前に 私もまた戦慄する
戦慄もするさ、だって今私の前に立つクマやウサギの巨大人形…その気配 威圧 立ち振る舞いはまるで
「ぬいぐるみを動かす魔術?、いや そんな単純なものじゃない …これは」
「私の授かった呪いは生体模写の呪い、打った相手と状況を共有する呪いの藁人形 それを更に強化し 『人形をその者と同一の存在』にする呪いよ」
呪いとは 肉体に作用する物である それは知っている、エリスから聞いた話では
『人形と相手の情報を紐付けることにより、人形に釘を刺せば相手にも風穴が開く』そんな呪術もあると言っていた、この呪いはそこから更に派生した呪い
『人形と相手の情報を紐付けることにより、人形をその相手と同じ物に変えるという』呪いなのだろう、血を染み込ませることにより ぬいぐるみを人体に仕立て上げ呪いをぬいぐるみ自体に掛けたんだ
「クマのぬいぐるみはラグナと同じ力を ウサギのぬいぐるみはエリスと同じ知恵を持つ、流石に相手の魔術までは真似できないけど、このぬいぐるみは今貴方の仲間と同じ戦闘能力を持つと言ってもいいわ」
三体のぬいぐるみはエウロパの今のままに私の目の前に立ちふさがる、エウロパの言った通り…三人の所有物とエウロパ自身の血を授かり 条件を満たした呪いは力を得た
今あのぬいぐるみ達はエウロパの血を通じて呪いを発動させ ラグナ達の所有物から情報を受け取り動いているんだろう
「本当にユニークな魔術が多いな呪術は」
「あら、余裕ね 貴方のお友達と同じ戦闘能力を持つぬいぐるみが相手なのよ?、それとも ソニアを解放する気になった?」
「ふっ…たわけた事を」
手を目の前にかざし力を込めれば 淡い光と共に二つの銃が錬成される、我が愛銃 ニグレドとアルベドだ、それを両手に持ち 構える
ソニアを解放することは無い、エウロパに渡すことは無い、エウロパだけじゃ無この世にどれだけソニアを恨む者がいても、それに罰を委ねることは無い
恨みと因果で罰則が決まるなら法は要らない、我らは法律を守り重んじる者として 例えそれがどれだけの大罪人でも牢から出すことは無い!、庇うと言われようが守ると言われようが ソニアの罰はもう決まっているんだから
「自暴自棄になり 親友の命を無駄にしようとするな、今お前がやっていることはミノスの為にならん」
「だから…そう言うお為ごかしはいいって言ってのよ!、口聞けないくらいボコす!、かかれ!我が尖兵!」
「…………」
「来るか!」
エウロパの掛け声に応じて真っ先に動くのはラグナの動きをコピーしたクマのぬいぐるみ…、そのモフモフした体を使い一歩強く踏み込む
綿と布の体が歪むほど強い踏み込み あれは間違いなくラグナと同じ…
そう、思った瞬間には既に クマの姿は私の目の前に迫り
「ぐぅっ!?」
咄嗟に腕をクロスさせ迫る衝撃に備えるが、振るわれるぬいぐるみの拳に私の体は容易く吹き飛ばされどころか 背後の壁をぶっ飛ばし 廊下まで投げ出される
なんと言う威力 なんて膂力だ、中には綿しか詰まってない筈なのに 中まで詰まった大木で殴られたように腕が痺れる
呪術で強化されているのだろう あれをただの動くぬいぐるみとしてみるのは危険だな
「いてて…」
崩れた壁の瓦礫を退けて頭を上げると、私の目の前に二体のぬいぐるみが立つ ラグナの動きをしたクマのぬいぐるみとエリスの動きをしたウサギのぬいぐるみ、可愛らしい姿なのに 今はどうにもそれが恐ろしく見える
「…私の友人の真似はやめてくれないか」
「…………」
「言葉は通じないのか、まぁいい…お前達を倒さないとエウロパと話できないんだ、消えてくれ」
「…………!」
同時に 動き始める二体のぬいぐるみ、二人の動きを模倣しただけあって コンビネーションは抜群だな、バネ脳に足を歪ませ突っ込んでくるクマのぬいぐるみ
その体に筋肉はない、だが人間の持ち得ない弾力がある 弾むように放たれる拳…、それを身を逸らし躱す、恐ろしいのは避けた拳が私の背後の壁を容易く叩き砕いたところか
ウサギもまたクマに続く、野太い足を器用に使いくるりと回りながら何度も回し蹴りを放つ、エリスの蹴りと同じ動きだ ただエリス以上に体重があるからか、本物よりも幾分重たい
だが、避けられる 身を屈めれば避けられる 最初は面を食らった…これは
「なるほどな!二人の動きを模倣するのは完璧と言っていい!だがな!」
二体の猛攻を縫い背後へとすっ飛びながら双銃をぶっ放す、我が狙いは狂い無くぬいぐるみの肩と太腿を居抜き貫通させる
「お前達の動きは完璧だ、だが体格が違う…腕の長さも足の長さも、だからこそ 打点が狂う!」
ラグナもエリスも、長い戦闘の末 その戦術を身につけた歴戦の戦士だ それを違う体で再現しようとするから歪みが生じる、例えばさっきの廻し蹴りも エリスの足より少し長かったせいで動きが少し鈍かった
動きは完璧だからと言って 二人と同じくらい強いわけじゃないんだ
「さて、続けるかね?」
肩と太腿を射抜かれたぬいぐるみに目を向ける…、私の開けた風穴からは血ではなく綿が飛び出ていて…痛がる素振りもない、当たり前だが
なんて考えている間に私の開けた穴が徐々に塞がり また元の形に戻っているじゃないか、再生機能もあるか 面倒な
「無駄よ、私の尖兵は恐怖を感じない そこらのゴーレムと違って学習もする、戦えば戦うほど本人に近づき いずれ超える、究極の贋作なんだから」
すると奥から猫のぬいぐるみにお姫様抱っこされたエウロパが姿を見せる、ゴーレム魔術と違う 学習する自立人形か……ふむ
「さぁ尖兵よ、そいつを屈服させなさい」
「……!」
振るわれるクマの拳は先ほどよりも鋭く 隙がなく、私を攻め立てる
決して遅くない、むしろ早い あんな鈍重そうな見た目では考えられないくらい早い、小さな回転を描くように振るわれる拳を体全体を使って避け続けるも その隙を伺うようにして飛んでくるエリスの…ウサギのぬいぐるみの蹴りが我が体を射抜く
「かはっ!?」
弾力のある足による蹴り、それは骨まで響く ボロ雑巾のように地面をのたうち回り 痛みに耐えながらも体勢を戻す
時間をかけるのはまずい、このまま攻められ続ければ奴等は勢いを増していく そうなれば益々手がつけられん、潰すならとっとと潰す せめて片方でも…
いや、諸共消す!
「羽ばたく斜陽 飛び交う炎熱、意思を持つ火炎 穿つ焔火、黒羽は今炎光滾らせ迸る、焼き付けせ 穿ち抜け、我が敵を撃滅せよ『錬成・乱鴉八咫御明灯』」
両手の銃を回転させ構え直すと共に連射する、放たれる炎弾は虚空で焔の翼を広げ 火炎の鳥となり群を成す、いくら強くともぬいぐるみはぬいぐるみ 燃やせば消える、そこに変わりはない
炎の鴉は中空でくるりと身を翻し ぬいぐるみ達に滑空する、その翼は篝火となり、啄めばそれだけで相手を火達磨にする…しかし
「甘いわ…」
呟いたのはエウロパか、それともぬいぐるみ達の心境を代弁したか
クマとウサギは恐る事なく体をバネのように歪ませると共に、飛ぶ 正面へ こちらへ、炎の鳥群を突っ切り真っ直ぐこちらへ
体が燃えようとも 焼けようとも構うまいと、恐れを抱かぬ無機質な尖兵は火達磨になりながらも真っ直ぐ飛び…
「おいおい…ぐっ!?」
突き刺さる クマの拳とウサギの蹴り、炎を纏った衝撃は深々と我が体を射抜き、その勢いに引っ張られ後方へと叩き飛ばされるのだ、まさか 回避どころか防御すら行わんとは
ミシミシと音を立てる肋、焦げ臭い臭いを放つ皮膚、体中を走り回る激痛に喘ぎながら転がるように飛ぶように何度も地面へ叩きつけられながら飛ぶ私の体
「……!」
しかしそれでは終わらせないと、すっ飛ぶ私の体に追いつくクマは更に蹴りを 拳を 打撃を加える、自分で殴り飛ばした相手に追いつき更に殴る、お前らしい戦い方をするよラグナ
「ぐがぁっ…」
最後の一撃 体重と勢いを乗せた渾身の蹴りによって廊下を超え広間まで飛ばされ 地面を滑る、…痛い 素晴らしいまでに痛い
恐れを抱かない兵隊とはかくも恐ろしいか…
「チッ…」
されど立ち上がる、私は意思を表明した エウロパに、意思を伝えたのだ ならばここで打ち倒され譲ることなど出来ない
「………………」
プスプスと黒煙を上げながら私を追ってくる二体の兵、あれをもうぬいぐるみとしては見れんな…
しかしこうして戦ってみてより痛感するのは、ラグナ…君はやはり操られた私と戦っていた時に、まるで本気を出していなかったんだな
きっと、あのクマよりラグナの方が数倍は強い…彼の底力は私でさえ把握しきれないほどだ、そのラグナに劣る模倣品にこうも痛めつけられては、痛み以上に痛み入る、彼との差を
「…ははは、だが負けられんよな 争乱の魔女の弟子と孤独の魔女の弟子…その紛い物如きに負けては、栄光の魔女の弟子 その名が廃る!」
最早なりふり構えん、あんな偽物如き 軽く捻って栄光の魔女の弟子の強さを見せつけてやろうとした己の愚かさを笑う、何を勘違いしていたんだ私は
栄光の魔女…如何なる相手にも全霊を出し、優雅に勝つからこそ栄光の魔女なのだ、ならばその弟子の私も 力の出し惜しみなどして居られんだろう
「まだやるつもりなの?メルクリウス…、私の兵は古式呪術によって力を与えられている、このぬいぐるみは古式呪術そのもの…その強さは貴方も理解しているでしょう」
ぬいぐるみに守れながら奥の廊下からゆったりと現れるエウロパは勝ち誇っている、無様にのたうち回る私をみて勝利を確信しているのだろう…、事実彼女の呪術は強力だ
己の血と相手の所有物だけでここまで完璧に相手の力を引き出せるのは ひとえに彼女に呪術の才能があるからだ
「言いなさい、ソニアを寄越すと 私に裁かせると…」
「それは出来んと何度言えば分かる…」
「何故そこまで庇うの!、貴方だってソニアに酷い目に遭わされたと聞いたわ!、なのになんでそこまでソニアの身を守ろうとするの」
「ソニアを庇っているのではない、ソニアの身柄を守っているのだ…あれを勝手に傷つけられては我が同盟の威信に関わる、それにな エウロパ…」
彼女の願いは過ちではない、親友のために戦おうとする気持ちは痛いほどに分かる、今の私がそうだからだ…、だがな
「お前が全てを犠牲にしてもミノスは何も喜ばん」
「そういう…そういう…!、そういう他人の名を盾にした綺麗事が一番嫌いなのよ!!!、ミノスが喜ばない!?復讐なんか望んでいない!?ンなもん分かってるのよ!、私が単純に許せないだけ!」
「なら然るべき手続きを取れ、それでも司法を守る一族の娘か、…お前も分かるだろ…司法は 法律は…裁判は、全ての人間に対する盾なのだ それは善良な市民であれ罪人であれ変わらない、罪人だけを不当にその盾の外に出すわけにはいかないんだ」
「何故!、何人も殺している人間を殺して何が悪いの!」
「殺すのが悪いのだ、そこはソニアであれお前であれ変わらん!、それを分かっているから怒っているんだろ…ソニアは我々が罰を与える お前が何かする必要はない、何度言えば分かる」
「それが認められないって言ってるのよ」
「…やはり、私はあまり口が達者ではないようだ」
何を言っても伝わらないな、或いはこれがエリスなら ラグナなら、上手く諭す事が出来たんだろうが 私では難しい…
「もういい…もういい!!、ミノスの仇の邪魔をするなら 全部全部壊す!、壊してやる!」
その怒りに呼応して彼女の兵もまた動く…私を黙らせる為に
「やはり、落ち着いて話をするには 君から武器を奪う必要がありそうだ」
「やれるもんならやってみればいいわ、ズタボロのあんたじゃそれも無理でしょ」
「さぁて、どうかな…」
軋む体を無理やり引き起こし 真っ直ぐと屹立する 、銃を構える…銃口を敵に向けるのではない、目の前で交差させ 息を整える
負担は激しい 反動はキツイ、それでも勝利の栄光に変えられない、体内に存在する第一工程ニグレド 第二工程アルベド 、破壊と創造を司りぶつかり合い絶妙な均衡を保つその天秤を
…崩す
「っな、なにそれ…」
エウロパが声を上げる、我が体から沸き立つのは黒の煙…否 破壊されチリとなった周囲の物質が黒塵となって舞っているのだ
破壊と創造の天秤を破壊へ委ねれば、この体そのものが触れただけで万物を破壊するニグレドとなる、白と黒の双銃は 両者共に漆黒の銃砲へと彩れる
「開化転身・フォーム・ニグレド…」
私の体内に存在するニグレドとアルベド、その力を発現させる 形態
破壊を司り 万物を消すフォーム・ニグレドと、創造を司り決して壊れぬ結晶を作り出すフォーム・アルベド、この二つが…私の力 私の全霊
名前がダサいですよとエリスには言われたが今はいい
問題はこの力を使えば、どんなものさえ破壊できるという点にある、どれだけ固くとも どれだけ頑丈でも、硬度や性質に関わらず確実に破壊すると言う点にあるのだ
とてもじゃないが人間には使えない、この力を使って人を塵に変えてしまえば私の中の大切な柱が一本外れてしまう気がするから、これそのものを他人にぶつける事はしない
が、今回は別 何せ相手が人じゃないからな
「黒衣を身に纏い 万物を砂塵へ変える終わりの王、…って感じかしら とんでもない力隠してたのね、魔女の弟子はみんなそんな事ができるの?」
「大体はな、…と言うか悪いな この形態を取った時点でもうこれは消化試合だ、手早く決めさせてもらう」
「関係ないわ、そんなもの 脅しにもならない!」
呼応する尖兵、やや焦げつき 恐ろしい風貌になった二体のぬいぐるみは同じように我が友の動きを模倣して突っ込んでくる、だがもう決まったんだよ 勝敗は
「まず突っ込んでくるのは君だ、ラグナ…君は力を持つ者の責任として誰よりも先に先陣を切り 誰よりも前線で戦い、後ろの者を守ろうとする」
やや上体を後ろに反らせば我が鼻先をクマの拳が通過する、友の動きを模倣するからこそ 動きもまた分かる
「そして続く連撃をつなげるのがエリス…君だ、君は常に仲間のことを目に入れている だからこそこう言う場では常に援護に入る」
一歩 背後に飛べば先程まで私が立っていた場所にウサギが飛び込み 蹴りで地面を砕き抜く、動きも戦い方も おそらくは考え方も似る、だからこの二人はどんな時でも二人でなんとかしようとする
微笑ましいな、ラブコメだ…ただ一つ残念な事があるとするなら
「残念なのは、君達はどこまで行ってもラグナじゃないし エリスでもない、ただの模倣品…別物なのだ!」
舞い散る黒塵が我が体に黒衣の如く纏わりつく、あれはどこまで行っても別の存在だ 動きや考え方が似ても偽物は偽物なのだ
これがラグナなら、仲間を鼓舞し 更なる力を引き出していた…口の聞けないぬいぐるみじゃそれは出来ない
これがエリスなら、秘策を張り巡らせ 逆転の一手を常に考えて動いていただろう…思考のないぬいぐるみじゃそれは出来ない
だからこそ、負けるのだよ
「舞え…」
指を一つ立てれば 、我が意に添い黒の塵は煙のように周囲に漂う、…エウロパは自立で動くぬいぐるみそのものが古式呪術と言ったが、私のこれは魔女に比類する力である究極の錬金機構と同化した事による権能
謂わば、私の一挙手一投足全てが古式魔術になり得るのだ
私を追うように更に踏み込む二体の心無き兵、恐れを抱かぬからこそ分からないのだ、恐怖とは人を絡め取る枷に非ず、危機を知らせる直感の一つなのだ
それが無いからこそ、…分からないのだ
「だ ダメ!突っ込んでは!退いて!」
気が付いたか?、ようやくエウロパが叫ぶが、もう遅い…
「反転錬成・黒塵滅体」
刹那、見える景色はなんだったろうか…言葉で表すならそうだな…
神を崇めるテシュタル教の宗教画の中にある『壊死の世界』と言う絵画がある、世界が滅び 人が全て死に絶えた悍ましき世界を人の想像力で書き出した名画
所謂ヴァニタスと呼ばれる部類に入る絵画には、どんな人間も必ず死に絶えると言う意味を持つ…、恐ろしい絵だ これを見た子供が泣き出してしまうくらいには恐ろしい絵だ
唯一の救いがあるとするなら所詮これは絵画の中の世界、空想の世界なのだ
がしかし
「ひぃっ…」
エウロパの悲鳴が聞こえる、その目の前で繰り広げられる光景に思わず腰が抜ける
それもそうだ、いくらぬいぐるみとは言え 目の前で人の形をしたものが黒い塵に群がられ消滅していくのだから、まるで死体に群がる蛆蠅の様だ
反転錬成、作る錬成とは真逆の破壊する錬成 これを受けたならば例え体を金剛石で構成しようとも瞬く間に塵と消える
分かるだろ、人には使えないんだこれは…こんな恐ろしい魔術は、これを平然と人に対して使えるようになっては、私は人では無く人型の兵器になってしまうから
ああ、ぬいぐるみだとしても気分が悪い
「勝負にはならない、と言ったはずだ」
「っ…!」
尖兵を二体消し去り、遮る物のなくなった私はゆっくりとエウロパに歩み寄る、もう戦いごっこは終わりだと告げるように すると
「…………」
「…お前は」
私の目の前に立ち塞がる猫の人形、デティをコピーした模造品、…コピーは魔術を使えない 魔術が使えないデティに戦う力はない だから先程の戦いに関わってこなかった、が…もう守るものがなくなったエウロパを それでも守るように立ち塞がるのだ
「…いくらコピーでも、そこは同じか…いや、君ならそうするよな デティ」
「…………」
「だがすまない、それでも君はデティじゃないんだ」
手を振るい消し去る、積もった塵の山に息を吹きかけるようにその体は塵へと消える、偽物だが…友人そっくりな者を手に掛けるのは ちょっといい気分では無いな
帰ったらみんなと遊ぼう、何をするかは決めないが 出かけるか或いはカードゲームでもしよう、うん…
「終わりだな」
「わ…私の事も そうやって消すつもり…?」
「バカ言え」
ニグレドの均衡を戻し 破壊の因子を収めれば、私の周りの黒の塵は景色に溶ける、と同時に私の体内に溶かした鉛でも流し込まれるような激痛が走る…破壊の因子は私の内臓も焦がす
創造の因子に直ぐに戻るが 内臓に穴が開く痛みはそのままだ…、はっきり言って叫び声をあげてのたうち回りたいくらい痛いが
それでは格好がつかないからな、痩せ我慢の見栄でも 今は必要だ
「私はお前を殺す事はない、ここに来たのはお前を打倒するためでも無い 話をしに来ただけだ」
「…ソニアは…」
「解放しない、絶対に」
「っ……」
呪術による尖兵はもういない、呪術に使ったエリス達の所有物はぬいぐるみと共に消えた、もう同じ事はできない
もしかしたら私の知らない魔術を使って応戦するかもしれない 私の所持品を奪いまた尖兵を作るかもしれない なんなら屋敷に常駐している護衛を呼ぶ事だってできる
でもしない、意味がないと悟ったから 先程の力を目の当たりにすれば、戦意も挫ける…如何にソニアに対して敵意を燃やそうとも、それとこれとは別なのだ
「ミノス…ミノス…、私は…やっぱり 貴方が居ないと何も出来ない…弱い子よ…」
手に持った人形を…彼女がミノスと名付ける女の子の人形を撫でながら、体を丸め声を掠れさせる、友達の為にそこまで…と 思う事はない、なによりも大切な友だからこそ 命を賭けるのだ、全てを賭して仇を討とうと思えのだ
分かるさ、私もきっと 立場が逆で…エリスあたりを別の人間に殺されたなら、同じことをする、もしかしたら同盟首長の座さえ投げ打つかもしれない、だからその意思そのものを否定する事はできない
でも…でもな
「復讐に意味はないぞ エウロパ」
「またそれ…みんなそう言う、復讐なんか虚しいだけだって そんなことしてもミノスは喜ばないって、…バカね みんな…、復讐しなくてもこんなに虚しいのよ?ミノスはもう喜ぶことも泣くことも出来ないのよ?、なのに死者の名を出して そうすれば私が納得するとでも思ってるのかしら」
「ミノスはお前の身を案じているはずだ」
「だから…だからさぁ!死者の名前を引き合いに出さないで!私の 私だけの友達の名前を出さないで!、あんた聞いたの?ミノスに聞いたの!?ミノスの気持ちを!」
「いや…聞いていない」
「ほら…はは、ほらね 無理なのよ、…ミノスの声がもう一度聞けるならなんだってするのに、それは叶わない…」
「そうか?、…だが 近々手紙が届く筈だ、私が手筈を整えたからな」
「……は?、誰から?」
「ミノスからだ」
「なんで?」
なんでって…、エウロパのまん丸の目が私を見つめる、なんでと言われても そうとしか言いようがない、だって友達なんだろうお前達は
「遺書でも届くの?」
「だから手紙だ、内容は知らんが 頼んでおいた」
「…ちょ ちょっと待ってよ!ミノスは死んだのよね?」
「私がいつ ミノスの死をお前に伝えた、ミノス・アリヤダーバはソニアの苛烈な拷問を受け心身共に絶大な傷を負いはしたが 生きている、他の従者達は大勢死んでしまったがな」
そうだ、ミノス・アリヤダーバは被害者一覧に名前が載っていた…死者一覧にではなく
ソニアの城の地下にある拷問施設、そこを改めた際 辛うじて救出出来た人間の一人だ、拷問の末衰弱死した大勢の人間の中から助けられた一握りの人間の一人だった
それでも彼女の負った傷は深く、療養施設に入って意識を取り戻してからも トラウマから心は壊れ、食事もロクに取らない程に衰弱していた…
私がもう少し早ければ…あんな風に心を壊さずに済んだのにと、命は助ける事はできた だが助けられたのは命だけだ、彼女もまた私の手から溢れてしまった人間の一人なんだ
「生きてるの?ミノスは」
「ああ、最近まで言葉一つ発することがない程に衰弱していたが、君の名前を出したところ ようやく反応を示してな、…今まで手紙を出さなかったのは 君に迷惑をかけたくなかったからだそうだ、謝っていたよ」
「手紙は出したじゃない、あの手紙…助けを求める…手紙……、もしかして」
「あれはソニアが出した偽の手紙だろう、君とミノスが友人関係にあるのは知って 君を誘い出し捕まえるための、罠だったんだろうな」
「確かに…字が全然違った…、けどそれは 必死だったからだと思って…あれ 偽物だったんだ」
私がシオに頼み 同盟に連絡を取ってもらった、どうやら彼はこの国に来る際 いつでも同盟と連絡が取れるように遠距離と連絡が取れる魔術筒…エリスとデティが持つ物と同じアイテムを持ってきていたらしい
私が仕入れたミノスの情報を同盟に伝えたところ直ぐにミノスを発見することが出来た、ミノスに対してエウロパの話を聞いたところ…さっきの話が出てきたんだ
ガリレイ家に借金があり 自分は借金のカタにアレキサンドライト家に向かうことになった事を ミノスは知っていた、エウロパを助ける為に自らを犠牲にするつもりだったのだ
堪え難い加虐を受けても、それでエウロパが助かるならと…耐え続けた、逃げ出したくなってもエウロパの為に耐え続けた、仲間が次々死んでいく中 それでも耐え続けた、自分が耐えれば耐えるほど エウロパの安全な生活を守る事に繋がると信じて
立派な貴族に育ち、コルスコルピを守る 司法の護門となることを願って…
「そうやって、ミノスはお前の身を守る為に 拷問を受け続けていたのだ…」
その全てをエウロパに話す、今まで連絡を取らなかったのは優しいエウロパなら きっと自分を助けにきてしまう、そうなればソニアは喜んでエウロパを捕らえようとするだろう
『友達を助けたかったら お前が代わりに牢に入れ』とな、当然ミノスも解放しない二人揃って痛めつける、ソニアなら…アイツならそのくらいの事はする 外道だからな
「何…それ…じゃあ私、ミノスが勝手に死んだと思い込んで…ミノスの守ろうとしたもの…全部壊そうとして…」
「そうだ、だから言っている 復讐に意味はない」
呆然とするエウロパに突きつける、意味はないんだ復讐に…ミノスは生きている、療養が終われば戻ってくる、なのに戻ってきたらガリレイ家が自分のせいで取り潰されていた、そんな事になれば今度こそミノスは壊れてしまい
そんな事、させるわけにはいかなかった…ソニアの事件の責任は私にもあるんだ、ならばこれ以上ソニアの所為で流れる涙を増やしてはいけないんだ
「あんた…あんたっ!ならなんでそれを早く言わないのよ!」
「い いや、伝えようとしたんだが…上手く伝わらなくて…」
「バカじゃないの!死者のために戦ってる時点で察しなさいよ!」
「他の従者は多くが死んでしまった、その者の為に戦ってるのかと」
「っ!…っっ~!このっ!この…、はぁ 私…人と話すの得意じゃないけど、あんたはもっとね…コミュニケーション もっと上手くなりなさい」
「ぜ…善処します」
上手く伝わなかった 上手く伝えられなかった、てっきり知ってるもんだと思って進めた話も多く 勝手に解釈してしまった部分も多かった
やはりラグナかデティを連れて来るべきだったかな… 私一人でこういうのは難しいと痛感したよ
「…そっか」
するとエウロパは気が抜けたようにその場に座り込み、そのまま倒れ寝転ぶ
今まで突き動かしていたものがなくなり、糸の切れた人形のようにパタリと倒れ天井を仰ぐ
「ミノス生きてるんだ…、帰って来るんだ…生きてるんだ…帰って…ぅ…くぅ…あぁ」
「ああ、帰って来るし ミノスからの証言があればソニアに対して罪状を増やすこともできる」
「ソニアの判決は終わってるんでしょ?」
「ああ、だが また新たに裁判すれば良い 新しく判決を出せばいい、その主導権は我らにあるが …その時は君にも証言をしてもらいたい、司法の門たるガリレイ家の君なら 裁判の証言でも重用されるはずだ」
「それが…私の復讐になるとでも?」
「なるさ、拳で打ち付けるだけが 復讐じゃない、法律の上で生きるなら 法律に則って復讐すべきだ」
「…父様も同じことを言ってたわ…」
そう言うとエウロパは手に持った女の子の人形…ミノスちゃんと名付けられたそれを上に掲げ、その顔を見る
「…これね、ミノスが別れる前に私にくれたものなの…、これがあの人から貰った最後の品 …遺品だ思ってたわ、だからこの人形に誓って ソニアに断罪の鉄槌を与えようと…心に決めていた、…ミノスから貰った思い出の物なのに いつ間にか私はこれを復讐の象徴にしてしまっていたわ」
ミノスへの思いを忘れないように ソニアへの恨みを刻みつける為に、だから人形にミノスの名前をつけて 復讐心の依り代にした…
いつしかミノスの思いを無視して、復讐にだけ心を奪われ 人形を抱くことで怨讐の炎を煽り立てていた…
それを、悔いているのか 呆れているのか、そこは分からんが…今エウロパの人形を抱く手は、いつにも増して優しげだ
「ごめんね…ミノスちゃん…、今までごめんね」
「ミノスは帰ってくる、ソニアの断罪も我らが行う…だからそれで手打ちにしてはくれまいか?、出来るなら 私もエリスに帰ってきて欲しい」
「…いいわよ、もうソニアのことなんか忘れたいわ エリスは直ぐにでも解放する、…でも」
「でも?、まだ何かあるか?」
「貴方にはないわ、でも…エリスを無実の罪で捕らえた事実は変わらない、そこを糾弾されれば ガリレイ家は終わりね、…ミノスの帰ってくる場所を 私は結局自分で潰してしまったのね、バカだわ 私」
エリスに冤罪を着せ 無理矢理権力を使って投獄した、その事実はどうしようもない
ガリレイ家は司法の護り手に相応しくない そう言われれば、返しようがない…このままではこの家の零落は免れないだろう、…だがな
私は小説が好きだ、一番は恋物語が好きだがどんな物語でも基本は好きだ、そう言うのはハッピーエンドが一番だ
そしてハッピーエンドの条件とは、何の憂いもなく皆がその後を過ごせることにある
「何 その辺は我等がなんとかしよう、エリスの一件は誤認での逮捕 と言うことにしよう」
「で でも…檻に入れた事は変わらないのよ?」
「そうだ、だが刑が確定したわけじゃない 今ならまだ仮の留置ということで言い訳も通る、エリスには悪いが 彼女には言い分を飲んでもらうよ」
「でも…でも…」
「気にするな、ミノスが帰ってきたのに帰る場所がないと可哀想だからな」
「でも私は貴方の敵なのよ、対立してる…なのになんでそこまで優しくしてくれるの?」
何を言っているんだか、なぜ優しくするか?決まっている 肩入れしてしまったからだ、ミノスの事を調べ エウロパの事を調べ、先ほどの真摯に友のことを思う姿に心打たれたからだ、だから優しくする 二人の友情に陰りが差さないように
それに言ってしまえば事の発端はソニアの所為、デルセクト同盟の所為なんだ ならその長である私が責任を持つのは当たり前の話だろう
「エウロパ…この一件がその対立と関係ない と言ったのは君からだろう?、なら敵味方は関係ないさ」
「…ぁ…う…、敵わないわね…貴方には」
「ああ、敵うと思ってくれるな、私はデルセクト国家同盟群首長にして栄光の魔女の弟子、メルクリウス・ヒュドラルギュルムだ 悪いが君とは格が違うんだよ」
「…ふふふ、そうね…ありがとう メルクリウス様」
「ああ」
人形を抱きしめ、横たわるエウロパを前に…力を抜く、まぁ 色々苦労したが、これでこの一件は終わりだ
エリスを助けた ミノスは発見できた エウロパは親友の居場所を知れた ソニアは地獄に落とす、これで万事解決だ…はぁ 良かった
これで家に帰れるな、あちこち奔走して情報を集める日々終わりだ…これで帰れる 、みんなのいる家に…
「ね…ねぇ、メルクリウス様?」
「ん?長いだろう?メルクでいいさ 何かな?」
「その…実は…」
…………………………………………………………
「と 言う訳さ、メルクリウス殿とエウロパは和解…エリスは解放されてこの一件は終わったわけだが」
「あ…ああ、よく伝わったよ お前がそこまで饒舌なのは驚いたけどな」
目の前のイオの語り口にやや圧倒されながらも話を聞き終える、つまりあれか メルクさんは一人でエウロパと決着をつけに行き 紆余曲折の果てに和解したということか
いや分かるんだけどさ、イオの説明というか語りというか…擬音とか身振り手振りを使って必死に俺に伝えようとする様がなんか面白くて笑うのを抑えるのに苦労した、だってあんなに変な動きをしながら妙ちきりんな擬音を口走りながらも顔は心底真面目なんだもん
そのギャップにデティは途中から顔を背けてプルプル震えている、相手が話してるんだ 失礼だぞデティ、面白いのは分かるけどさ
「分かってもらえたか、良かった」
「いや分かるには分かったんだけどさ、なんでエリスもメルクさんも帰ってきてないんだよ、もう結構経ったろ?」
「あれからミノスとの連絡の橋渡し役やソニアの犯した罪の聴取…という名目で遊んでいるらしい、エウロパの方からメルクリウスとエリスを誘ったらしい、せっかく一週間休みを取ったのだから 遊んで行けとな、エウロパはひどくエリスを気に入ったようなのでな」
つまり二人とも今エウロパの家で遊んでるってこと?、…いや…いいけどさ 連絡くらいくれよ、俺たちがどんな気持ちで過ごしてたと…
いや、遊びというのも半分の話だろう 今回の一件の後始末にエリス達は奔走していたんだろうな、そう思うことにしよう
「メルクリウスから今回の一件は誤認逮捕 その件についてエリスには謝罪したから不問にしてくれと嘆願があった、とはいえお咎めなしというわけにはいかんからな、エウロパは一時その責任を負うことでこの一件は終わらせることにした」
「それでいいのか?、ただでさえノーブルズはガタガタなんだろ?エウロパにまで不祥事があればもう…」
「仕方ないさ、ノーブルズだけ特別扱いすれば 今の状況ではそれこそノーブルズ自体が崩れかねないからな…」
そうか…、いやまぁガタガタにした張本人が何言ってんだよって話だけどさ、図らずしてノーブルズの一角を削れた、今はもうノーブルズにはイオとアマルトしかいない
この状況になれば流石にアマルトも腰をあげると思うが…それともイオさえも倒さないとアマルトは動かないのか?、…あいつを守る盾ももう残り少ない、そろそろリアクションがあると嬉しいんだが
「アマルトは今のノーブルズの現状をどう思ってるんだ?」
「憂いている…と思いたいが、恐らく楽しんでいるだろうな」
「自分の牙城が崩れかかってるのにか?」
「だからさ、…まぁその話はいいだろう?」
いいのか?それで、…アマルトはこの状況を楽しんでるのか?このままいけばノーブルズは無くなっちまうぞ?、自分の立ち位置を守るために動くかと思ったが…
ううむ、もしかしたら俺達 アマルトにとっていいように動かされてるのかも知れないな、みんなが帰ったらちょっと方針を変えたほうがいいかもな
「それでもう一つの話の方なんだが…」
「ん?、ああそういえば話は二つあったな…で?もう一個の方はなんなんだ?」
「いや、ピエールの件だ」
む、ピエールか…イオにとっては可愛い弟かもしれないが、俺にとってはエリスを踏みつけにして尊厳を踏みにじった張本人だ、大義名分があればミンチにしてやりたいくらいの相手だが…その件で俺に話とは…
「で?ピエールがなんだよ」
「そう怖い顔をしないでくれ」
怖い顔だったか?、そんな自覚はなかったんだが
「バーバラ君が襲撃を受けた件の話だ」
「ああ、エリスがピエールを襲撃するきっかけになった話か」
「…そうだ、その件について 私なりに調査してみたんだ」
おまえがぁ?、お前ピエール庇うじゃん…贔屓目に見る奴の調査結果なんて信用できねぇだろ
「…………」
「信用できないって顔だな」
「まぁな、俺ぁはっきり言ってピエールに対してキレてんだ、それを不当に庇うお前にもある意味じゃ不信を持っている」
「だろうな、だから 信じなくとも良い、ただ私の調査結果を聞いてくれ」
「んー…分かった、聞くだけ聞くよ」
「ありがとう…、それで 聞いてみた話になるが やはり、ピエールはバーバラを襲撃していない」
「…一応、なんでそう思ったか聞いてもいいか?」
「ピエールはあの日 生徒達を招くサロンを開いていた、バーバラが襲撃を受けた際 その下準備をしていた、これは多くの生徒が証言している」
「その証言が信用できる理由は?」
「クライスやミリア嬢が証言している、これでは不足か?」
むぅ、俺たちが組んでる奴らの名前を出してきやがった、ここで本当にクライス達が言ったのか問い詰めることはできるが、悪足掻きだろうな ここでそんなすぐに分かる嘘をつくような奴じゃない
つまり、ピエールはその日 確かにバーバラを襲撃していない、これは間違いない 多くの生徒が証言している
それに、バーバラの話では後ろから襲われたと言っていた、…これでピエールの無実は証明されたと言ってもいい
…となるとエリスは勘違いで襲撃をかけたことになるな、幸いピエール自体に手は出してないから良いものの、手を出していたらエリスは何もしていないピエールを殴ることになるところだった
まぁ、ピエールも疑われるようなことしていたのも悪いんだがな…どっちが先どっちが悪いと言い出したらきりがないんだが
ともあれエリスには、ピエールと話をつけるように言っておこう
「そうか、悪かったな 疑って」
「いや…調査をすると共に私の弟の振る舞いを聞いた、…エリスとバーバラには悪辣なあたりをしていたのだ、一方的な被害者ではないさ…、黙認していた兄にも罪はあるさ」
「エリスにはまた後日ピエールと話させておく、だがまぁピエールがエリスをいじめた件に関してはまた別口で話すとしてだ、じゃあ誰がバーバラを襲ったんだ」
結局問題はそこに帰結する、誰がなんのために なんでバーバラをあそこまで…、理由がなきゃあそこまでの事は出来ん
そう聞くがイオはそこまではわからないと首を横に振る
「バーバラが襲われたのは放課後だと聞く、放課後…あの学園にいたものは少ない、だからこそ目撃証言は少ないのだが…」
「……………………」
イオの話もそこそこに、考え込む…バーバラを襲う理由がある人間 それが犯人だ…なんでバーバラを襲ったんだ
…ダメだ分からん、こういう犯人探しはメルクさんの領分だな あの人頭キレるから、まぁどの道みんなが帰ってこないと難しいな
こうして、エウロパの巻き起こした小さくも大きな事件は俺の知らぬ間に幕を閉じた
エウロパの親友ミノスもデルセクトで療養を終えたら また帰ってくるらしい、体の傷は治っているが、心の傷は如何ともしがたい…エウロパはどうやらしばらく休みを取って彼女に会いに行くようだ
外道によって引き裂かれた友は、再び長い時を経て再会を果たすこととなる…きっと 友がいれば心の傷も乗り越えられるはずだ、次 エウロパが帰って来る頃には彼女は人形を手放していることだろう
…俺、殆ど蚊帳の外だったけどさ いいじゃんか、エリスは帰ってきエウロパも友達と会えた、ハッピーエンドならそれでさ
まぁ、この数日後帰ってきたエリス達に俺とデティのお小言が炸裂したのはいうまでもないんだけどさ