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108.孤独の魔女と悪意立ち込め兆す

ディオスクロア大学園へエリスが入学してから 彼此一ヶ月近い時間が経ちました、五歳の時からずっと旅をして生きてきたエリスには 環境の変化なんてのも慣れたものです、アルクカースのように物騒でなく デルセクトの時と違いちゃんとした寝床でご飯が食べられるので この学園の生活も悪いものではありません


毎日授業を受けて 様々なことを学び己の力として蓄える、最初は師匠から教えてもらえることが全てだと思っていましたが、どうやらそんなことはないようです


魔術科はただ魔術のことだけを教えるだけでなく、魔術薬学や魔術の歴史のような師匠との修行ではやらない事や、他には魔獣の解剖や 魔術理論などの勉強も行います


どれもエリスにとっては初体験のもの、エリスにとって魔術はただ使うものでしたが こうやって勉強すると、魔術は本当に奥が深いものであることが理解できます


今もこうやって寮の部屋で一人魔術の勉強をしています、学園の図書館から本を借りて三日で読破して次の本へ そんな生活を一ヶ月続けています 多分これからも続くと思います


…ただ、例のヴィスペルティリオ大図書館には手が伸びていないのが現状です、休日に向かうつもりだったのですが、これがどうにも休日も忙しく…と言うかまぁ 色々ありまして、向かえていないんです…色々ありましてね



まぁ、隠すつもりもないので言いますが、ピエールです そう、授業開始初日の食堂で会ったあのいけ好かない男です、ええ 言いますとも…いけ好かないです 器は小さくねちっこい男です、彼はどうやら完全にバーバラさんを標的に定め毎日のように嫌がらせをしてくるのです


授業で彼女の席だけ水で濡れていたり、使おうとした備品がなくなっていたり、表立って直接嫌がらせをしてくる事はありませんが確実にピエールの取り巻き達が嫌がらせをしているんです これは間違いありません、遠視の魔眼を使いちょちょいと調べたので間違いありません


バーバラさんに味方する存在としてエリスにも幾らか飛び火してきます、バーバラに関わるなと恫喝されたこともありますし同じような嫌がらせを受けたこともあります


なんでこんなねちっこいやり方なのか…ノーブルズならもっとこう 派手なことしてくると思ってアレクセイさんに尋ねてみると どうやらノーブルズも表立って一般生徒を虐げる事は出来ないようだ


事は数年前 かつてノーブルズに在籍していた大王族の一人 ソニア・アレキサンドライトという生徒が そりゃあもうその特権を使ってあちこちで一般生徒を虐めまくったという過去がある為 ノーブルズにもいくつかの制約が課され 表立って一般生徒を虐げることが出来なくなったのだ


だからピエールは挑発しているんだ、バーバラさんを挑発し向こうから仕掛けてくるのを待っているのだとか、バーバラさんの方から手を出せば 大義名分のもとピエールも動けるからね


しかし逆を言えばこちらから手を出さなければピエールもこんな子供のいたずらみたいな真似しか出来ないのだ、なら挑発に乗らず無視すればいい


バーバラさんもそこは理解しているらしく、どんなことをされても無視一辺倒だ


「ふぁ…ああ~…、ん おはよー エリスぅ」


「おはようございます、バーバラさん」


読んでいた本を閉じてようやく起きたバーバラさんに挨拶する、めためたに早起きなエリスとの生活にも慣れたのか 最近は彼女も早起きだ、とはいえ 着替えて準備する余裕がギリギリあるかくらいの時間なんですけどね


「さ、微睡むのもいいですが 早く着替えて来ましょう、はい 濡れたタオルです、顔を拭いてください」


「んー、ありがと~…」


「はい 桶と水です、口を洗ってください」


「ありがとひょ~もごもご」


「髪整えておきますね」


「んんんぅ~~ぺっ」


「はい、制服です」


「…エリス、アタシ 明日からもっと早起きするね」


「え?」


起きたばかりのバーバラさんがやや深刻そうな顔をして明日から早起きするというのだ、何故…いや、もしかしてこうやって甲斐甲斐しく世話を焼かれるのが嫌だというのか?、まぁ確かにエリスもちょっと世話をしすぎかなと思う事はあるけれど、こう…どうにも放って置けなくて


「すみません、こうやって世話されるの嫌でしたか?」


「んん、いやってわけじゃないよ すごくありがたいと思ってる、けれどこの間聞いたんだよね、ピエールの奴が朝の支度は全部従者にさせてるって…これじゃピエールとまるっきり同じじゃん」


ああ、成る程…確かにこれは従者に朝の支度をさせる貴族と同じだな、このままエリスに甘えるのも バーバラさんを甘やかすのも良くないか、エリスも好きで世話を焼いていただけだし そういう事ならあまり甲斐甲斐しくするのは控えようかな


「分かりました、では明日からはエリスはこういうのは控えますね」


「ありがとうエリス…」


「でも 時間的に間に合わなさそうなら、エリスが起こしますね?それくらいはいいですよね」


「ん…んー、んん…んん~…うん、出来ればエリスの手を借りないで起きたいけれどそれで遅刻したら元も子もないもんね、その時はお願い」


「では、そういうことで…さ 着替えてください、授業に遅れてしまいます」


「んー、分かったー」


いそいそと着替え始めるバーバラさんを尻目に 鞄に本をいくつか入れて、ああそうだ バーバラさんの分も準備を…いや やめておこう


…準備が終わり バーバラさんの支度が終わるまで椅子に座ってそれをジッと見ながら待機する


やや手間取りながら着替え終わり 大急ぎで授業の準備を始めるバーバラさんジッと見ながら待機をする


何か忘れていることがないか 指差し確認するバーバラさんを見て微笑みながらジッと見て待機する


「出来たよ!エリス!準備!」


「分かりました、では行きましょうか」


「うん!」


膝を叩いて立ち上がり、互いに準備万端で部屋を出る、さぁ今日も授業だ


「あ…あれ、例の?」


「バカ、目を合わせちゃダメよ」


「ん?」


ふと、部屋を出た瞬間 寮の廊下で別の生徒の一団とばったり出くわす、名前は知らない だが彼女の方はエリス達を知っているようだ、エリス達を見るなり ササッと避けるように廊下の隅と避けて目を合わせないように壁とにらめっこを始める


…これがこの学園でのエリスの扱いだ、どうやらピエールが手当たり次第にエリスとバーバラさんに関わるなと恫喝して回っているようで、エリス達に好意的な人間はこの学園から殆ど消え失せつつある


時には教師でさえ エリス達をそういう目で見る、もはやピエールなど関係なく『みんなが悪く言ってるから きっと悪い奴なんだろう』そんなあやふやな評価になりつつあるのだ、大衆の評価とは怖い


「エリス、行こう…」


「そうですね、バーバラさん」


それでも少なくともエリスに対する評価はやや同情的な物もまだ混ざっている、一番酷いのはバーバラさんだ、…別に悪いことなどしていないのにこんな扱いはあんまりだ、責められるべきはピエールだろうに


…ダメだ、こうやって憤るのはピエールの思う壺だ


冷ややかな目で見つめる生徒達を尻目に寮を出て学園へ向かう、バーバラさんは気にしていないのだろうか…いや気にしているだろう、だが彼女は強かにも無表情を保っている、…エリスだけでもこの子の味方でいてあげないと




……寮の外に出れば陽光が差し込め やや暖かな風が吹く、いい天気だ


「エリス君 バーバラ君」


そんな風に青い空を仰いでいると、寮のすぐそばにある建物の物陰から声が聞こえる…、いや 多分彼だ、彼はいつもこうやって物陰に隠れながらエリス達を待っている


「おはようございます、アレクセイさん」


「おはよう、二人とも…」


アレクセイさんだ、彼は物陰からオドオドしながら出てきて周囲を見回し危険がないか確認してからエリス達の所へ来る


彼もまたエリス達に関わったせいで 少なからぬ被害を追っている、一応学園の外に住んでいる為寮で孤立することはなくとも、一人でいるとやはり怖い目には合うみたいだ、だから エリス達といる時以外はこうやってどこかに隠れているらしい


彼にも 窮屈な学園生活を送らせてしまっている


「いやぁ、良かった 今日は誰にも見つからなくて」


「すみませんアレクセイさん、折角の学園生活なのに エリス達のせいで貴方までノーブルズに目をつけられてしまって」


「いやいいよ、僕はそれでも学園の外に家があるからね…針の筵の学園寮に住んでる君達よりは幾分マシだからね」


彼は元々コルスコルピ人らしく、学園の外に住処があるらしい……そう言えば、なんで彼 コルスコルピ人なのにマレウスから出るコルスコルピ行きの渡し船に乗っていたんだ?、国外からの入学者なら あの船に乗り合わせてもおかしくはないが、コルスコルピに元々住んでるなら あの船に乗る必要なくないか?


…何だかんだ彼についてエリス達が知ってることは少ない、分かるの彼がエリス達の味方であることだけだ


「何かあったらエリス達に言ってください、エリスこれでも強いので 」


「知ってるよ、孤独の魔女の弟子だからね君は、そりゃ強いだろうけど まぁ相手も荒事に出ることはないから大丈夫だと思うけれど」


「もし向こうから荒事に出てきたら、アタシ達で纏めてぶっ飛ばしてやろうよ、エリス」


「はい、エリス達に手を出したこと 後悔させてやりましょう」


「頼もしいなぁ、僕は弱っちいから守ってよ?」


「はい、お任せを」


三人肩を並べて歩く、周りからの視線はあまりよくはないが、それでも気にはならない ここにいる二人だけは信頼出来る、信頼出来る人間が二人もいるんだ なら気にすることはあるまい


ねぇ、そうでしょう 師匠



…………………………………………………………………


「…………」


仄暗い店内 バーのカウンターに向かい合い、小さなグラスに注がれた酒を仰ぐ、魔女は酒に酔えないが 別に酔う為だけに酒を飲むものなどいない、一人感傷に浸りたい時 酒は黙って私の話を聞いてくれる


「…エリスと離れて一ヶ月か」


半分ほどに減ったグラスの中身に声をかけるように呟くレグルス、今日で大体エリスと離れて一ヶ月くらいだ、…一ヶ月一度も会わないのは エリスと出会ってから初めてのことだ


エリスはデルセクトで私と長期の離別を経験しているが、私は石になっていたからな 体感二日くらいだ、だからこうしてちゃんと意識するのは初めてのことだ


「…フッ、まさかこの孤独に私の方から音をあげるとはな」


私は八千年間一人で過ごしてきた 一人であることに何の苦痛を抱いたこともない、だというのに 今は一人で飯を食うのが耐えられない、一人で眠るのが耐え難い、エリスという存在は私の中でかくも大きかったかと自覚する毎日だ


弟子が想うだけ師も弟子を想う、弟子が師を必要とするだけ 師も弟子を必要とする、そうやって育て育てられるんだ、お互いに…


「…エリスはうまくやっているだろうか」


最初は遠視の魔眼でエリスの様子を観察していたが、最近それもやっていない、思わずそこに駆けつけてエリスの手伝いをしてしまいそうになる私が何処かいる所為だ、…エリスは大丈夫か 虐められてないだろうか、もしいじめられていると知ったら私はあの学園を吹き飛ばすかもしれない


…私の学園生活はどんなだったか、もう朧げにしか覚えていない、だが逆に言い返せば八千年のどの記憶よりも鮮烈で変え難いものだからこそ 今でも朧げにでも思い出せるだろう


あまり馴染めなかったのは覚えている、それは周りではなく私が周りを寄せ付けず馴染まなかったのが悪いのだが、…それでも 一人私に良くしてくれる生徒がいた、魔女ではなく 単なる一般の生徒だったが、彼女の事は今も思い出せる


…だからこそ悔やまれる、大いなる厄災がなければ彼女は今頃英雄として名を馳せていただろうに、だが彼女の命があったからこそ……いややめよう、彼女の命と何かを天秤に乗せて考えるのは


「はぁ、センチメンタルとはこういうことを言うのだろうか…もう若くもないのに」


「ええ本当に若くないのにそんな恋を患った少女のような顔をしてみっともないですよレグルスさぁん」


「ッ……!」


声が聞こえる、だが表に出して反応しない 何せ声の主はここにいないのだから…、アンタレスだ 奴が例の地下室から声を飛ばしているのだ、私の脳内に


「驚かせようと思ったのに微動だにしないとかほんとつまらないですねレグルスさぁん」


ふと飲みかけのグラスの中を見ると、揺れる酒の水面にアンタレスの顔が浮かぶ、遠隔で相手に話しかける魔術、多分出不精のアンタレスはこれを使いこの国を統べているのだろうな


「なんだ…」


「ああ返事はいりませんよ私の声はレグルスさぁんにしか聞こえてないのでここで返事したらレグルスさぁんが独り言いう変人になってしまうので私はそれでもいいですがというよりそもそもレグルスさぁんは変人ですものね不潔ですもんねだって貴方昔あのカリスマ女と乳繰りあって…」


「いいから本題を話せ」


「あ…はい」


私が声を発すればバーのマスターがちらりとこちらを見るが、すぐに目を離す どうやら私が酔い潰れてグラスと話し込んでいると思っているようだ、なら都合がいい…酔ったフリをしておこう


「レグルスさぁん…貴方私が前回話した内容 覚えてますか?」


前回…私が以前 一ヶ月程前にアンタレスの地下室 通称『探求の奈落』を訪問した際 聞かされた話だ


これからの話 なんて銘打って聞かされた話は、他愛ない世間話だった 昔と今何が変わったかとか体の調子はどうだとか そんな話だ、全然これからの話じゃない 寧ろ想い出話だったぞあれは


「覚えている、が…意味のある話には思えなかったな」


「私にはあったからいいんですそれよりレグルスさぁん貴方学園に弟子を入学させてるそうじゃないですか」


「ん?、そうだが?」


「何で前回それを言わなかったんですか私に隠してたんですか私言いましたよねこれからの話だってこれからの話なら弟子のことも話してくれないと困りますよ」


「お前が聞かなかったんだろうが、前回はお前がひたすら私に質問しまくってきただけでエリスのことなんか…」


「…………貴方に弟子がいる事は知っていましたけどまさか学園に入学させているとは思いませんでしたよ」


やや不機嫌そうだ、私の弟子を学園に入学させたのはマズかったか?


「すまん、まさかお前が嫌がるとは思わなかったんだ」


「嫌がってはいませんよ私はですが…ただまぁ面倒臭いことになるかもしれませんね」


「面倒くさいこと?」


「まぁあの学園にも色々あるんですよ昔と変わらずね特に今年は…………いや或いはこれも…ブツブツ…収束…運命……或いは……ブツブツ…」


何やら考え込んでしまった、こいつは昔から情報を自分の中で完結させる節がある、何か知っていても自分からは話さない、別に隠すわけじゃないんだ ただみんなも同じことを考えてると思っていた みんなも知ってると思っていたと、妙に我々を信頼してるところがあってな


アンタレス…探求の魔女の名を名乗るだけあり、彼女の探求心とそれを支える思考能力は魔女の中でもトップクラスだ、その飛躍論理についていけるのはカノープスとアルクトゥルスくらいで、私にはこいつが何を考えているのかはさっぱりだ


「なんだ、何を考えている」


「いえこれも或いは丁度良い機会なのかと思いまして」


「丁度いい?…何が丁度いいんだ」


「あの学園の管理権は今私にありますつまりあの学園に在籍する以上弟子のエリスちゃんも私が管理する権利がありますなので…しばらく私に預けてください」


「何をするつもりだ」


「分かってますよレグルスさぁんの考えることは…大方第二段階へ覚醒させる為に社会勉強させようってんでしょだからそのお手伝いをと」


「お前が出向くのか?」


「いえ…まさか…ただまぁ 面白いことになるとは言っておきましょう」


ククク と笑うとアンタレスの顔が酒の水面から消える、何を考えているやら…ただまぁ アイツが私の弟子の育成を手伝ってくれるなら心強い、…しかし何をするつもりだろうか、あいつは結局 何も確たる事は答えなかったな 私がいくら聞いても誤魔化すばかりで、相変わらず何を考えているか分からないな


グラスを軽く揺らしながら軽く微笑むと、私の目の前に水の入ったグラスが置かれる


「ん?」


「お客様、かなり酔っている様子なので ここらで酔い止めを」


…ああ、あんまり独り言を言いすぎたせいで私がかなり酔っているとバーのマスターに思われてしまったようだ、…ここで酔ってないと誤魔化したらそれはそれで面倒なことになりそうだな、…よし ここは酔っ払いのフリを


「わ…わらひは酔っれないぞう、どんどんおしゃけを持ってこい」


「そうは言いますが、顔が真っ赤です」


恥ずかしいからだよ!、…魔女はいくら飲んでも酔いはしないが 恥ずかしければ顔も赤くなるわい!、くそ 黙って退店すればよかった…恥ずかしい


…羞恥の中グラスの水面を再び見る



エリス、うまくやって行けよ 楽しいことばかりではないだろうが、それでも 得るものは必ずあるはずだから


…………………………………………………………


今日の午前の授業は座学だ、魔獣の勉強をするらしい…なのでエリス達は魔術科第一クラスの教室へバーバラさん達と赴き自分達の席へと移動を……


「またこれか」


エリスとバーバラさんは自分の席を見てため息をつく、エリス達の椅子だけ泥まみれだ、このまま座れば 今日一日エリス達の気持ちは最悪のまま過ごすことになるだろう


「…クスクス」


「ザマァないわね」


「不良のくせして優等生ぶるからよ」


教室の隅で 一団が笑っている、アイツらはピエールの手下達だ、日を増すごとにピエールの傘下の人間は増えてきており、エリス達に嫌がらせをする人間も増えている、お陰でエリス達に対する嫌がらせも徐々にエスカレートし始めているんだ


「こ これは酷いね」


対するアレクセイさんの椅子は無事だ、彼はエリスと違い明確にバーバラさんに対して味方をしているわけじゃないからか、或いは三人の中で嫌がらせに差を作る事で 仲間割れを促しているからか


「ったく、こんなに汚して…しかし参ったな 今から洗いに行く時間はないわよ」


「問題ありませんよ、こんなもんここで洗えば…『ウォーターシャワー』」


指を軽く鳴らしエリス達の椅子を水で洗う、簡単な現代魔術だ デティから旅の最中少しづつ習ってきたからこのくらいはできる まぁ戦闘でわざわざ使う事はしないが


水で泥を洗い流し 続いて熱を作る『サーマルフィールド』と風を作る『ウインドウショット』、これを魔力制御で完全に律し熱風を生み出し乾燥させる、こういう魔術を生活に活かすのはデルセクトの執事生活で会得した者だ


後は軽く泥であった砂を風でかき集め窓の外へと吹き飛ばす


「器用だねエリス」


「魔術を操る技術だけなら、誰にも負けるつもりはありませんよ」


「なるほど魔力制御が抜きん出ているのか、でも僕的には古式魔術を見せて欲しかったな…」


「泥どころか教室が吹き飛んじゃいますよ」


なんて会話をしながら椅子に座ろうとしていると


「うん、60点かなぁ」


なんて嫌味な声が聞こえてくる、嫌味は嫌味でもピエールじゃなくあれよりもっと傲慢で、それでいて実力に裏打ちされた自信からくる声音


「何か用ですかクライス」


髪を七三で綺麗に分け 制服もきっちり着込む一見礼儀正しそうな男 彼の名はクライス、クライス・ヒッパルコス コルスコルピ出身の魔術科第一クラスの生徒 エリス達と同学年同クラスの人間だ


彼はあのゴーレム試験の際 ゴーレムの魔力を触れただけで遮断し速攻で合格をもらっていた生徒だ


「いやいや、あのエリス君にしては 随分稚拙な魔術だったなと」


「稚拙も何もないでしょう、掃除しただけなんだから」


「私ならもっと効率良く かつスマートに魔術を扱えたよ」


突っかかるように絡んでくる、彼は別にピエール達に加担してエリス達に嫌味を言っているわけではない、これは彼自身の意思で行なっているのだ


「ところでエリス君は今月の頭に発表された魔術理論に目は通したかな、私は当然目を通したんだが 出来れば優秀な君の忌憚なき意見を聞きたいが?」


「…エリスはまだその魔術理論を読んでませんのでなんとも」


「おや驚いた、君 魔術師を目指すという自覚はあるのかい?、我々は学園に通い魔術を修める身だよ?魔術は使うだけでなくもっと勉強をしないと、いくら僕よりちょっと魔力の扱いが上手いからって調子に乗ってはいけないよ」


アレクセイさん曰く 彼は元々周囲では天才として名の通った魔術師だったらしい、向上心を持ち常に勉強する 魔術師としては理想的な勤勉家だが、性格に難がある


というのも彼 自分より優秀な人間の存在を許せないのだ、それが向上心繋がっているからまぁいいのだが、…例の試験でエリスだけ試験を免除されたことを何処かで聞きつけたらしく、事あるごとにエリスに絡んでくる


授業では常にエリスに張り合い 最近ではこうやってネチネチとエリスを下げるような言葉ばかり言ってくる、ちょっと面倒な人だ


「全く君のような人間が何故リリアーナ教授に気に入られてるのかわからないなぁ、まぁノーブルズから目をつけられる問題児だし 学園からいなくなる日も近いかな」


「別にエリスが学園からいなくなっても 物の優劣は変わりませんよ、貴方が努力を怠れば 結果はいつまでも変わりません」


「…い 言うじゃないか、なら今から優劣をつけるかい?表に出て決闘しようじゃないか、大丈夫 校則にもあるだろう、正式な手続きを取れば生徒同士での決闘も許可されてると」


「おやめなさいな、青筋立てるなんて優雅じゃないですわよ」


「なっ!ミリア嬢…いやこれは失敬 私としたことがつい本気になってしまったよ」


「御機嫌ようエリス殿、貴方も朝から騒々しいですわね」


「おはようございます ミリアさん」


「せっかく最高級のコーヒーを飲んで迎えた高級な朝が台無しですわ、まあ貧乏人達には分からないでしょうけれど」


そう言って喧嘩を止めに入るとはミリアさん、名をミリア・プランタジネット …例のゴーレム試験で炉を作りゴーレムを滅却した人物だ


…クライスさんと違い エリス達に辛くは当たらないが…、あんまりいい人でもない というのも彼女 ノーブルズ側の人間なのだ、彼女の家はプランタジネット商工会という商家のトップで かなり金持ち、あれやこれや手を尽くしてノーブルズに入ろうとしているのだ


と言ってもノーブルズは金を持っているだけでは入れない、ましてやプランタジネット家は彼女の父が一代で財を築いた謂わば成金、彼女の成金趣味から分かる通り ノーブルズに入れるだけの人物ではないのだ


何かとつけて高級 高級 最高級と口にする人物で、物の値段で人を見る人間だ


「相変わらず汚い出で立ちですわねバーバラ、貴方がいるだけでこの教室の金額が下がるというもの、出来るなら出て行ってくれません事?」


「うるさいなぁ、金額がついたって誰が買うわけでもないんだから、下がったって構わないでしょ」


「あら下品、いやですわいやですわぁ…」


「おぃっす、みんなやめるっす!喧嘩は良くないっすよ!」


さらに喧嘩を止めに入る…というより この大人数に惹かれて寄ってくる人間がまた一人、大柄で簡素な顔立ちをした男、彼もまたエリスとバーバラさんを何かと敵視する人物故 エリス達が責められていると嬉々として寄ってくるのだ


名はゴレイン、ゴレイン・ルヌーラ…魔術師を目指しているはずなのに 何故いつも体を鍛えている変な人、だが それでも魔術の腕は本物だ、何せあのゴーレムを岩と岩で挟んで粉砕してしまうほどのパワーがあるのだから


ちなみになんで敵視されてるかは知らない、確か…自分より強そうだからとかなんとか聞いた気がするが、…というかそもそも彼がエリス達を敵視しているのかも怪しい どちらかというとライバル視では?、…ただ何せ口を開けば


「みんな 今日も筋肉を鍛えるっすよ」


という、筋肉を鍛えろと 言われずともエリスもバーバラさんも鍛えているし、なんなら魔術師は筋肉を鍛える必要もない、そもそもなんでそこから筋肉を鍛えるという発想に至れるのかも不明だ


「君は馬鹿か?、魔術科に入ったんだから魔術の勉強をしたまえよ、筋肉筋肉ってそんなに体鍛えたいなら今からでも剣術科に転入すればいいんじゃないかな?」


「そうですわ貴方いつも汗臭いんですわよ」


「そりゃ汗臭いっすよ、オラいつもトレーニングしてるだ 今も全身に合計250キロの重りをつけて生活してるだよ」


「君なんで魔術科に入ったのかなぁ!?」


ただ思うのは、この人たちはみんなエリスを敵視・ライバル視という点で繋がっているからか、妙に仲がいい エリスが関係ないところでもなんかいつも三人でいるし


「ああ、いやですわクライス 私達がこの筋肉ダルマと仲がいいと思われたら最悪ですわ」


「全くだ、ゴレインと一緒に見られたら品が落ちるよ」


「クライスもミリアも青瓢箪過ぎるっすよ、ちゃんと食べてるっす?」


「大きなお世話だよ!」

「大きなお世話ですわ!」


「仲良いですね、三人とも」


「仲良くない!」


彼等はエリス達をなんのかんの敵視してはいるがピエール達のように悪辣ではない、そういう点ではまだ可愛らしいのかもしれない、まぁ味方でもないのだが


「ほらアンタ達授業始まるわよ、私語謹んだら」


「くっ…バーバラに注意されるとは不覚」


「そうですわ、エリスならともかくバーバラになど」


「バーバラ!今度筋肉勝負するっすよ!」


「しない」


退散する三人を尻目に教科書を開く、さぁ 今日も授業だ


………………………………………………………………


今日の午前の授業はさっきも言ったが魔獣に関する物だ、魔獣…それは魔術と同じくらい分かっていることが少ない生き物、獣とは一線を画する知能を持魔術にも似た特殊な能力を持ち、人間に仇なす 人類の仇敵


「えー、皆さんの中には魔獣を見たことがない人が、いるかもしれません そもそも魔獣とは生息区域がくっきりと分かれていて、国によって種類や危険度も違い 居ないところにはどんな種類の魔獣もいない」


教壇の上に立って喋っているのは魔術科魔獣専門教師、メアリー先生という方だ、


フックのように曲がった猫背と瓶の底のような分厚い眼鏡にボサボサの髪と野暮ったい姿とは裏腹に、眼鏡の奥に覗く目は鋭く 耳にはガチガチに張り巡らされたピアスが輝いている…


メアリー先生は指示棒で をヒュンヒュンと不親切に高速で動かしながら、背後のボードに貼られた魔獣に関する文献をなぞっていく


「私の授業では魔獣に関する事を教えていく、魔獣の知識が魔術に直結するわけではないけれど魔獣の生態解明は全人類の悲願、奴らのことを少しでも解明できれば数万人という人間の命を救うことに繋がるからね。今現在なんの生産性もない思考しか吐き出さない君達の脳みそも少しは人類のために役立て欲しい」


クラスの空気は一気にどんよりする、この人口が悪い…魔術薬学のレクシオン先生や筆頭教授のリリアーナ教授といい 魔術科の先生みんなこんなのばっかなのか


「凄い先生ですね、いろんな意味で…」


「…メアリー?、おかしいな 僕の知らない先生だ」


ふと、アレクセイさんが口を開く そんな教師知らないぞと首を傾げ訝しむ、いやそんな怪しまなくても…アレクセイさんも情報屋ではない、調べた情報に穴だってあるだろうに


「アレクセイさんも知らない人がいるんですね」


「この学園に入る前に凡その教師陣は調べ上げたつもりだったんだけど、僕もまだまだだね…しかもよりによって魔獣専門の教師を見落とすなんて」


「…?、アレクセイさん魔獣学好きなんですか?」


「えへへ、まぁ…魔術師と同じくらい…いや どちらかというと魔獣の方が好きかな、小さい頃は魔獣図鑑を作るのを夢見てたんだ…まぁ、もうほぼ完璧に近い図鑑が存在しているのを知って諦めたわけだけれど」


そうだったのか、だから魔獣図鑑ではなく魔術師図鑑のようなものを作っていると…、だがどんな知識にも果てはない 完璧など存在しない、やろうと思えばその図鑑を踏み越えてさらなる領域へ踏み出すこともできただろうに…いや、この件についてエリスがどうのこうの言うのは筋違いか


「ううーん、じゃあこの中でも比較的マシそうなクライス君 魔獣がどんなものか立って発表してくれるかな」


「お任せを、先生が喋ることがなくなるまで教え尽くしましょう」


クライスは自慢げに立ち上がると、胸を張ってメアリー先生の指示に従いつらつら喋り始める


「魔獣とはその名の通り魔術を扱う獣のことです、いつからこの世界にいたかは分かっておらず その生態に関しては他の獣と違いその多くが謎に包まれている、雌雄はあれど生殖器は存在せず 体内には必要最低限の内臓しか搭載されていない、また高い知能を持ち 群れを成し時として村を作ることさえある、そして人間に対して異様なまでの敵対心を持ち、種族の違う魔獣同士で結託し 人間の住処に襲撃をかけることもある」


流石クライス、エリートを自称するだけありその知識は完璧だ、しかしこうやって聞くと魔獣ってほんと訳の分からない生物だな、他の生き物達とは明確に出来が違うというか


まるで神の作った生命体を模して別の何かが作った生命の贋作のようだ


どうやって増えるかは分からず どこから現れるのかも分からない、師匠は地面から生えてくると言っていたが、何故生えてくるのかも分からない…師匠は何か知っているような口ぶりだったが


「うん、50点」


「なっ!?100点ではなく!?」


「うん、間違ってる箇所が一つと自信満々のその顔が気に入らない、いつから居たかは分からないがその出自は分かっている、この世の全ての魔獣は古の時代存在 それこそ八千年前に存在した魔獣王という存在から生まれたものだよ、その魔獣王自体は魔女によって消し去られたが 彼の落胤は世界に暗い影を落とし続けたのさ」


「魔獣王…そんな存在聞いたことが…」


「アルクカースの方に魔獣王に関する文献はありますよね!」


するとアレクセイさんが目を輝かせながら立ち上がる、もううっきうき 誰かと魔獣について話したくて仕方がないという様子だ


「魔獣王 八千年前大いなる厄災の最中魔女と戦った存在とも言われ、魔獣の中で唯一魔女と同格の強さを持っていたと言われていて アルクカースのデコボコとした荒涼とした地形は魔獣王と魔女アルクトゥルスの戦いの結果という説もあります、生殖器官を持たない魔獣がどうやって魔獣を生んだかは分かりませんが この説が正しければ今現在世界に存在する魔獣は全て魔獣王の特徴を受け継いだものと思われます!」


「気合い入ったのがいるね、やや自己理論が混じってはいるが概ね正解 」


魔獣王…そんなのが居たのか、それも大いなる厄災の時に、もしかしたらその魔獣王もウルキさん達と同じ羅睺十悪星の一人だったのかな…


というか魔獣王ってワードは聞いたことがあるぞ、確かエリスがアルクカースで修行した時の岩山が かつて魔獣王が住処にした山とかそんな感じじゃなかったか?


「まぁいい さて、話を戻そう 魔獣の概要はクライス君の語った通りだ、ただ魔獣と一括りに言っても種族はたくさんあその種族ごとに、冒険者協会の定めた危険度がみんなあるのは知ってるね?、GランクからAランクまで存在し Aランクになれば一国を揺るがしかねない大災害となるのは周知の事と思う」


するとメアリー先生は別の紙を取り出しボードに貼り付ける


「一般的に魔獣の頂点はAランクと言われているが 実際にはその上がいる、殆ど人の領域に現れないことからこの危険度ランクからは除外されているが 、いるのさ上が…それがこれだ」


紙には 五つの魔獣が書かれている、鯨 龍 スライム 鳥 魔人 …とエリスが知るものとは些か違う魔獣の絵だ


「それが『討伐禁忌指定魔獣』…別名『五大魔獣』とも言われる五匹の大魔獣さ 知らないだろ?当然さ、この件について調べることさえ禁忌なのだから」


じゃあエリス達生徒まとめて禁忌破ってんじゃん、そんなもん授業で取り扱うなよ…


「討伐禁忌…その名の通り討伐行為を禁止する魔獣さ、理由は単純 あまりにも強すぎるが故に下手に接触し怒りを買えば恐ろしいことになるからだ、災害と言ってもいい…その強さはAランク魔獣が子犬に思えるほどだそうだ、これに太刀打ちできるのはこの世で魔女だけだろう 或いはこの五大魔獣こそ 魔獣達にとっての魔女なのかもしれないね」


メアリー先生は順番に絵を指示棒で指しながら名前を呼ぶ


天地海全てを支配する巨大鯨『大帝黒鯨 トリエステ』


巨絶海の主、世界最強の龍にして最大の生物『深界龍星 テラ・マガラニカ』


人類文明全てを見下ろす天と星の境界線『空世鳳王 カーマンライン』


正体不明、スライム状の巨大生命体『変幻無遍 アクロマティック』


世界最強の魔獣にして神の後継者『極夜終天 ソティス』


「以上五種類!、…一応魔獣と分類されはするが 結局これらのことは何もわかっていないから明確に区分することはできないが、まぁ 名前くらいは覚えておくといい」


「…実在するんですの?」


ミリアが疑問の声を上げる、確かにエリスもこれはちょっと真に受けられない、だってそんな凄い存在ならもっと有名であってもいいし 何より危険な存在であるとするなら魔女が放っておくはずがない


「いい質問だ!実在する!とは実は明言出来ない、何せ彼等は人類の生存出来る領域に近寄ってこないからね、もしかしたら何かの見間違いで広がったものや 辺境の口伝叙事詩が曲解され生まれた可能性もある、だが いる…って考えた方が楽しくないかい」


楽しくないよ、…けど まぁ人間が魔女という絶対の領域に辿り着けるように、魔獣もまた同じくらいの領域に踏み込む存在がいてもなんら不思議はないんだ、人間だけ特別ってことは絶対にない


「はわぁ、凄くないかい?魔獣って奥が深いんだよエリス …はぁ、一度でいいから見てみたいなぁ、五大魔獣…かっこいいなぁ」


皆が些か怯える中 隣の席のアレクセイさんだけがキラキラとした目でうっとりしている、男の子は…こういうおっきい生き物とか好きなんだろうな、まぁそんな存在が実在するとして もし出会ったら頭から食べられてしまうだろうけれど


「この魔獣がもし人類領域に攻めてきたら大変だろう?、だから魔獣研究は人類にとって急務なんだ、出来るなら全人類の脳みそ全て総動員させて対策を考えたいが 世の愚か者達はこれの危険性を理解していないんだ、だから諸君達にはこの授業を通して少しでも魔獣とその危険度に対して理解を深めてほしい」


そう言って授業は開始された、魔術学というよりやや生物学的な意味合いの強い授業であるため エリスにとってはやや難解で かつあまり必要性を感じない授業であった、まぁ その御伽話のような存在がいるとして もしもの時のために魔獣について理解しておくのは悪いことではあるまい


………………………………………………………………


「はぁ~楽しい授業だったなぁ~、毎日こんな授業なら幸せなのになぁ~」


「アレクセイさん、本当に魔獣が好きなんですね、エリスはちょっと理解できないです」


授業が終わり休憩時間に突入した、朝から昼まで授業だからお腹は食べ物を欲し 脳は糖分を必要としている、一刻も早く食事をしなくてはと アレクセイさんバーバラさんを連れ立って廊下を歩く


その際もずっと アレクセイさんはこんな感じだ、今までひた隠しにしてきた魔獣魂 あるいはオタク気質が燃えてしまったのか、さっきからずっと魔獣ウンチクをエリスにツラツラ垂れてくるのだ


「知ってるエリス君、魔獣ってとても賢いんだ 解剖した時の臓器は、どの獣よりも人の形に似ているそうだよ」


「気持ちの悪い話ですね」


「そうかい?面白いと思うけれどな、魔獣は原初の時代魔獣と人間が枝分かれしたものなんじゃないかって思っててね、つまり魔獣王やそれよりも前の原種は非常に人に近しい姿をしていたんじゃないかと思うんだ、あと、魔獣って面白くて どれだけ時が経っても形を変えず進化しないみたいなんだよね」


「そうですか…」


「つまり適応進化しないってことであって水棲のものは必要に迫られて水棲になったのではなく、元々水を住処していたことになる。これは他のどの生物にも当てはまらず、あと胃袋はあるけれど胃液は殆ど出ないらしいんだ。つまり魔獣は食事目的で人を食べているわけでは…」


辟易してきた、頭痛いよ…そんなにたくさんの情報を一気に詰め込まれたらエリスひパンクしてしまう。どれだけ聴きたくなくてもエリスの脳は一字一句記録してしまうんだから


「そ そうだ、バーバラさんはどう思いますか?、バーバラさんの住んでるアルクカースにも魔獣がたくさん…」


「あぇ?、ごめん 聞いてなかった」


じゅるりとよだれを拭くバーバラさん、…コイツ…居眠りしてたな、通りで授業中静かだと思ったよ、これからはきちんと起きてるか確認して起こさないと…


「はぁ、…む」


ふと、エリスは足を止める …いや、止めざるを得なかったというべきか 何せ目の前に…


「なんですか 目の前にずらりと並んで」


「ふんっ」


そこそこに広い廊下を占領するように横に並び エリス達の行く手を塞ぐピエール達だ、態々取り巻きと手下を集めて先回りしてここで待ってたのか 暇な奴だ


「ここは通行止めだ、通りたきゃ別の道を使うがいいさ」


「はぁ!?、別の道って…そんな遠回りしてたら飯食う時間なくなっちゃうじゃないの!」


「なら 退かしてみたらいいんじゃないか?、力ずくでさ…君達戦うことしか能のない頭の悪いアルクカース人らしくさ」


なるほど、授業だらけのこの学園唯一の憩いの時間 休憩時間、食事時間を奪いに来たか、別に椅子に泥がかかってようが刃が仕込んでいようが 構わないが、あの美味しいスープが楽しめなくなるのは頂けないな


「テメェ…アタシの祖国を愚弄したな…!」


「やめましょうバーバラさん、無意味です」


殴りかかろうとするバーバラさんの手を止める、ここで殴れば奴らの思う壺だ、前回と違い今回のピエールはもうノーブルズ加入を済ませている、手を出せばそれで終わりだ…だからこうやって挑発しているんだ


「なんだよ、アルクカース人の癖をして戦わないのかい?君達の国だとそういうの腰抜けって呼ぶんだろ?アハハハハ」


「ッッ……!」


「まぁ、手を出しても無駄だけどね 前と違って僕にはもう最強のボディガードがいるからね」


「は?ボディガード?」


来いよ そう言ってピエールが指を鳴らせば 取り巻きの中でも一際大きな大男がズイと前に出る


丁寧に整えられ後ろで髪を纏め 目は糸のように細くともすれば微笑んでいるようにすら見える柔和な顔の下には 学生とは思えない隆々の筋肉で固められた肉体が見える。恐らく最大サイズの制服だろうが、彼の筋肉の前ではなんとも窮屈そうだ


「失礼?、貴方方がバーバラ様とエリス様ですね 私アルバート・フラカストロと申す者でございます」


彼はその表情通り丁寧にぺこりと頭を下げて我々に挨拶をする…アルバート…、聞いたことがある と言ってもアレクセイさんからの情報だが


アルバート・フラカストロ…年齢はディオスクロア大学園入試を受けられる限界年数でもある20 、既にコルスコルピ騎士団に所属するプロの騎士であり 次期騎士団長候補にも名を連ねる天才剣士、既に入学した剣術科では972期生トップどころか同じ生徒に剣術を指南する立場にもいると言う


…学生の身でありながら既にプロの騎士、はっきり言って学園に入学する意味はあまりない がしかしそんな彼が入学してきた理由は一つだろう


「アルバートは僕のボディガードとして入学してきた男なんだ、前回は偶々居なかったけど アルバートの手にかかればお前らなんか赤子の手を捻るが如くさ」


「私としても学友に対して乱暴は働きたくはありませんが、将来の主人に横暴を働かれて黙っている程 不真面目な騎士でもありません、もし…次 貴方方がピエール様に手を出すようならば 私も…抜かせてもらいます、ご安心をちゃんと刃は潰してあるので」


アルバートは腰の剣に手を置きながら 瞼の隙間の瞳は煌めかせる、見ただけで彼の実力は大まかには分かる。言うだけのことはあり実力はかなりのものだ、エリスがアジメクにいた頃のクレアさんより強いだろう、つまり 友愛の騎士でもトップクラスという事だ


こんなものとバーバラさんが戦えば 勝負にもならないだろうな…


「その主人がこんな横暴を働くのは容認するんですね」


「ええ、彼は王族ですので」


「従うだけが従者ではありませんよ」


「なんとでも」


アルバートは柔和な雰囲気には似合わず中々強情のようだ。彼を説得してピエールを諌めるというのは無理そうだな。しかたない 彼らを退かすのは無理そうだ。いやまぁ旋風圏跳で飛び越えればいいけれど そうすれば確実に揉め事になる。ここはいう通りにしておいたほうがいいだろう


「バーバラさん祖国を愚弄されて怒る気持ちはわかりますが…ここは抑えて、別の道を使いましょう」


「…チッ」


「あははは!、いい気分だよ本当…僕に逆らわなければこんなことにはならなかっただろうにね、ほら とっとと尻尾巻いて引き返しなよ…腰抜け」


「この…!」


咄嗟にバーバラさんの手を抑える、殴りかかるな…バーバラさんが拳を握った瞬間アルバートが剣を抜こうとした、あのまま向かって行ったら ピエールに手が届く前にアルバートにやられていたぞ…


「臆病者の友達を持ってよかったじゃないか腰抜け!とんだ笑い者だ!、みんなも笑ってやりなよ こんなピエロ中々見られないよ」


掴んだバーバラさんの手を引っ張って引き返す、そんなエリス達の背中にピエールやピエール達の取り巻きの馬鹿にするような声が雨のようにエリス達に降り注ぎ、罵倒されるエリス達を他の関係ない生徒が見て またエリス達を遠ざける悪循環


それでもこちらから何かアクションを起こすのは絶対に避けなければならない


「くそっ!、アイツ!クソ腹立つ!」


「しょ…しょうがないよ 相手は王族だしね、生徒も教師も法さえも彼らの味方だ、手を出さずに引き返したのは正しいよ」


エリスの後ろに隠れていたアレクセイさんが声を震わせながらフォローする、男なら前へ出てなんとかしろとは言わない、彼は完全にエリス達に巻き込まれている状況なんだ これ以上負担はかけられない


「エリス!悔しくないの!アンタも臆病者って言われてんのよ!」


「愚か者よりはマシです、悔しい気持ちはありますが 手を出せば後悔するのはエリス達の方です」


「分かんない…アタシアンタのその感覚がわからない、いつも顔色一つ変えないで冷静ぶって…滅多に笑わなければ怒りもしない、感情がないんじゃないの!」


ピエール達から離れたあたりでバーバラさんが怒りのままにエリスの手を振り払い、怒鳴り怒りをエリスにぶつける


……怒らないか…いや、怒りはしているんだ 腹わたが煮えくりかえる気持ちはある、だが それをぶつけたらどうなるか…


マレウスでエリスが暴走した時、魔女殺しに対して怒りのまま戦った結果、恐ろしいことになった…あの記憶があると どうにも怒りを表に出すのを躊躇ってしまう、怒るのを控えれば 無感情に見えてしまうものか


「すみません…」


「そういうところが…、ッ…ごめん!言いすぎた…エリスは何も関係ないのに…アタシの所為で巻き込まれてるのに…、こんな…酷いこと言って」


バーバラさんははたと己の言ったことに気がつき顔をしかめる、自分は怒りに任せてなんて事をと、それがあまりにショックだったのか ふらりと力無き壁に凭れ掛かり俯く


「…アタシの味方は…エリスだけなの、…だから…ごめん 許して」


「いえ、大丈夫ですから そんな落ち込まれるとエリスも悲しいです」


「ごめん…」


…しおらしい、周囲の冷たい目と日々加速するピエールの嫌がらせ、バーバラさんも参ってきているようだ、このまま続けば彼女は三年間持たないかもしれない


だがどうする、この状況を打破しなければいけないのはわかっているが、いつものように誰かをぶちのめして解決する問題でもない。教師も奴らの味方 というか今この学園でエリス達の味方は皆無と言ってもいい、どうすればいいんだ


「…この状況 なんとかしないといけませんけれど、アレクセイさん、何か妙案はありませんか?」


「あったら言ってるよ、…ピエールが幅を利かせているのは彼が偉いからだ、対抗するには権力しかないけれど 生憎僕達にはなんの権利もない」


そうだな…、ノーブルズの誰かを味方に出来れば話も違うだろうが ピエールはあれでも魔女大国の第二王子、そこら辺の王侯貴族では太刀打ちできない …出来るのは同格の権力を持つ者、この学園ではピエールの兄のイオと…アマルトしかいない


「…難しいですね」


「難しい問題さ、だからみんなノーブルズ達には逆らわないのさ」


「はぁ、アタシがあそこで出てったのが間違いなのかな」


「いいえ、間違いではありませんよ、いくら偉くても 咎められるべき点は変わりません、そこを咎めたバーバラさんは、本来讃えられるべき人なんですから…やや乱暴でしたが」


バーバラさんも参っている。あまりこの状況を放置するのは良くないな、ピエールは日々取り巻きと子分を増やして勢力を拡大させ、より一層エリス達を孤立させている。嫌がらせがもっと過激になるのは目に見えている


放っておけば諦めると思ったが、…何か方法を考えないと


「ともあれ、このままお腹空いたままじゃ午後の授業に支障をきたす、とりあえずご飯 食べに行こうよ」


「そうですね、バーバラさん 行きましょう」


「うん……あんまりご飯って気分じゃないけれどね」


エリスに対して 唯一の味方 唯一の友に対して当たってしまった事実に些かショックを受けているバーバラさんの手を引いて歩き出す


「おい、バーバラがまた大声出してたぜ」


「あいつ早く退学にならないかなあ」


「そういえば他の奴らが面白い事やってるみたいだし、俺達も憂さ晴らしになんかしてみるか?、どうせ抵抗できやしねぇよ」


囁く声が耳をつく、どれもこれもエリス達に向けられた悪意の言葉、バーバラさんの心を考えない言葉、自分が多数派であると言う絶対的安心感から来る害意


一か月だ、たった一か月で エリスの学園生活にはすでに 重い暗雲がのしかかっていた

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