畠山家の人々
「渉ちゃん、おかわりは?」
「はい、葉子さん、いただきます」
「わたるちゃん、凛が作ったお煮つけ、おいしい?」
凛は覗き込むように渉を見る。
「うん、おいしいよ」
渉は笑顔で答える。
「やった!」
「ああ、男の子ってやっぱりいいわねー。モリモリ食べてくれて。見ていて気持ちいいわー」
葉子はニコニコしながら、ごはんを装い、渉に手渡す。畠山葉子。凛の母親で長い黒髪が印象的な肝っ玉母さんで、ハキハキとモノを言う。白い割烹着がよく似合う。
「何?葉子、俺だってたくさん食べるぞ!おかわりをくれ」
凛の父親の畠山貴洋は、熊のような体躯を持つ偉丈夫で、3ヶ月前から渉がお世話になっている方舟サクラの副官を務めている。明るく友好的な性格で、妻と娘たちを大切にしている。
「張り合わなくていいの」
葉子さんはため息をつきながらもニコニコしながら、しゃもじで貴洋さんの頭をペチンと叩く。これが、渉が居候させてもらっている畠山家の夫婦だ。仲がよく、こんなふうに時々夫婦漫才を見せてくれる。
「父さま、母さま、お食事中に行儀が悪いですよ」
母である葉子よりさらに長い黒髪を持つ長女の沙羅は、キュウリの漬物をつかんだ箸をピタリと止めて、2人を見た。全体的に容姿は葉子に似ているのだが、座布団の上に姿勢良く正座をする姿は、葉子にはない上品さを漂わせる。
「ああー、またお姉ちゃんが小言いってるー」
凛は、からかうように沙羅に箸の先を向けた。
「凛!お箸を人に向けてはいけない、と言っているでしょ!」
沙羅は箸を置き、凛に向き直った。
「ふーんだ、お姉ちゃんのいばりんぼ!べえだ!」
「もう!お行儀を悪くしてると悪い子になっちゃいますよ!」
「凛は寺子屋で先生のお手伝いするし、なべ爺のおでん作りもお手伝いもしたんだよ。いい子だもん!」
凛は口を尖らす。
「それとこれとは別の話です!」
沙羅は、人差し指を宙に突き出す。興奮すると無意識に出てしまう出てしまう仕草だ。
「おいおい、2人とも食事中だぞ。少し静かにしなさい」
ヒートアップする姉妹喧嘩を、やれやれという顔で貴洋が止め、それに葉子が相槌を打つ。
「そうよー。ねえ、渉ちゃん?」
「え?!ゴホゴホ!」
突然話を振られ、渉は飲み込もうとした煮つけにむせてしまった。
「あらあら、渉ちゃん、大丈夫?」
「は、はい」
葉子が優しく背中をさすってくれる。
渉はお茶をグイッと飲み干した。
沙羅と凛はお互いそっぽを向き、頬を膨らませている。
「ほらほら、沙羅も凛も早く食べて準備をなさいな。沙羅は再現所のお仕事、凛は今日、動物当番でしょ?」
再現所は、方舟サクラの中枢部にあり、沙羅は、操縦や管理といった重要な仕事をするメンバーの1人だ。また、凛は寺子屋という学校施設で学んでいる。寺子屋では、6ー15歳の子どもたちが、主に学問と武術を先生たちから学ぶ。方舟サクラでは、16歳になれば一人前の大人として扱われるので、寺子屋を卒業して、何らかの仕事に就く。
「あ、そうだった!ウサギとニワトリにごはんをあげないと」
先程の不機嫌はどこかに行ってしまい、凛は残っていた朝食をパパッと済ませ、「行ってきまーす!」と寺子屋へ行ってしまった。
一方、沙羅は眉間に少しシワをよせながら、黙々と箸を進め、「ごちそうさまでした」と手を合わせ、洗面所に入ってから、そそくさと出て行った。
「まったく2人にも困ったもんだ。最近ケンカが多くてなあ」
貴洋は頭をポリポリ掻いている。渉はこの家に住むようになってから、何度か2人の口げんかに遭遇していた。
「凛が小さい頃は、お姉ちゃん、お姉ちゃん、って、沙羅について回って、言うことは何でも聞いていたのにねー」と、葉子は懐かしむようにつぶやく。
「凛ももう13歳だし、自分でいろいろ考えるようになっているからな」
「沙羅は、昔からずっと、いい子いい子で育ってきたから、自分とは違うタイプの凛に苛々してしまうのかもねー」
「沙羅さんって小さい頃から、その……あのような感じだったんですか?」
「ふふふ、そうだねー。あのような感じだったよ」
葉子はそう言いながら、貴洋を小突き、ニヤリと笑った。
「その原因を作ったのが、こ・の・ひ・と」
「え、それはどういう……??」
貴洋はシャリシャリと顎髭をいじりながら、
「いや、沙羅は俺らの初めての子どもだったし、加減がわからなくてな……」と柄にもなく顔を赤らめる。
「つまりね、渉ちゃん。この人は沙羅を可愛がりすぎちゃったの。お姫様みたいに」
(お姫様?)
まだよく分かっていない顔をしている渉に貴洋は言った。
「まあ、なんだ、初めての子どもだったし、あまりにかわいかったので、ついな……」
「沙羅っていう名前はね、この人の家に伝わる言葉で、お姫様っていう意味なのよ」
葉子は少しからかうように貴洋を見る。
「ま、まあ、その通りだ」
貴洋はさらに顔を赤らめる。
「名前の意味を教えたり、お姫様が出てくる童話を読んであげたり、まあ、お姫様のように可愛がってしまったわけだ」
「そうそう。そうしたら、沙羅は、自分はお姫様なんだって思うようになってね。小さい時はやたらとヒラヒラが付いた、キレイな服を着たがったり、お花で冠を作って、かぶったりしていたねー」
渉は、和装姿の沙羅しか見たことがなかったので、びっくりした。
「そして、ほら、童話のお姫様って、いい子ちゃんが多いでしょ。だから、理想のお姫様を目指せば、上品ないい子ちゃんになっていっちゃうわけ」
「そうだな。さすがにもうお姫様だとは本気で思っちゃいないだろうが、今も理想に近づこうと真面目に努力しているわけだ」
「いや、女の子なんてそう変わらないものだよ。心の底では自分はお姫様なんだーって、今も思っていて、ついでに理想の王子様が迎えに来てくれる、なんて考えてるかもねー」
「な、なに!?王子などまだ許さんぞ!」
「はいはい」と葉子は手をヒラヒラさせている。
(なるほど。そうだったんだ)
渉が沙羅に何となく感じていた近づき難さの理由が少し分かった気がした。
「というわけだから、沙羅は礼儀作法に厳しいんだ。俺たちもあんなふうに時々怒られる」と、貴洋は肩を竦ませた。
「もう少し力を抜けばいいのにねー。凛は私に似て、大雑把なんだから、沙羅はついつい口を出したくなるんでしょ」
クスクス笑いながら、葉子が応える。
「大雑把か。うちは沙羅以外みんなそうだな!ハハハ!」
「そうだね。アッハッハ!」
渉は、2人が一緒に笑う様を優しい気持ちで見ながら、ふと自分の家族について考えた。
今は何も思い出せない渉の本当の家族。しかし、渉が存在するということは、渉を産んだ母親がいて、父親もいるはずだ。もしかすると、兄弟姉妹もいるかもしれない。
(今は思い出せないけれど、僕も以前はこんなふうに家族と喧嘩したり、笑いあったりしていたのだろうか……)
そんな渉のとりとめのない思いは、葉子の質問で中断された。
「ところで、渉ちゃん。また悪い夢をみたんだろう?凛が言っていたよ。うなされていたって」
「はい……」
渉は夢の中で、今までにない強い怒りを感じたことを覚えていたが、この時は黙っていた。
「やはり夢の中身は覚えてないか?」
「はい。すごく残酷で悲しい夢だってことは分かっているんですが……」
渉は、昨晩の夢の内容を思い出そうと頭をひねってみるが、やっぱりダメだった。
「中身が分かれば、記憶の手がかりになるかもしれないんだがな。カモガワコミュニティ以前の事は全く覚えていないんだもんな?」
カモガワコミュニティとは、渉と畠山家・方舟サクラが3ヶ月前に出会った場所で、1000年前に世界を破壊した「大激変」後、24隻の方舟によって救われた人々が建造したコミュニティの一つだ。現在世界には、大小様々なコミュニティが数百存在すると言われている。コミュニティの名は、多くの場合、コミュニティのリーダーとなった人が「大激変」以前に住んでいた場所の名前に由来して命名された。
「はい。カモガワ近くの海を小舟で漂っていたところを親方に発見されて、目を覚ましたのが大体3年前です」
渉は3年前から過去の記憶を失っていた。漁業組合の親方に引き取られた渉は、訳もわからずカモガワで漁師として働かされた。仕事は大変だったが、食べ物だけは豊富だった(とは言え、魚ばかりだったが)ので、記憶喪失という生き残りに不利な境遇でも、何とか生きていけた。
「記憶がないのは不安だと思うけど、私たちは渉ちゃんに本当に感謝してるのよ。カモガワで凛を救ってくれたんだから。渉ちゃんがいなかったら、どうなっていたか……」
葉子は自分の想像に顔をしかめて、身震いさせた。
渉が一番最初に出会った方舟サクラのメンバーは、凛だった。凛がカモガワで迷子になり、人さらいに捕まりそうになったところを渉が救ったのだった。
「そうだな。渉は畠山家の恩人だ。好きなだけうちにいてくれて構わないからな」とバンバン渉の背中を叩く。
「ゴホゴホ!貴洋さん、ありがとうございます……」
渉は、貴洋の言葉がとでも嬉しかった。記憶を失い、所属していたコミュニティにいられなくなった渉にとって、今ここが唯一の居場所なのだ。
「そうだよ。好きなだけいたらいい。記憶がないのは辛いことがもしれない。だけどね、こういう時こそ、小さなことでもいいから、自分にとって嬉しいことを考えるようにするんだよ。辛い時に辛いことばかり考えていたら、本当に辛くなってしまうからね」
葉子はいつになく真剣な眼差しで語っている。そんな葉子を、様々な感情が入り混じる目で貴洋が優しく見つめている。
(嬉しいこと……か。畠山家のみなさんと出会えたことは、嬉しいことだよな)
「辛いこともあるけど、いずれ過ぎ去るのさ。人生、嬉しいこと、幸せもたくさんある」
「そうそう、そうだぞ。心配するな。記憶はきっと戻る」
「そう……ですよね」
こう言いながら、渉はなくしている記憶が戻ったら、自分は今の自分でいられるのだろうか、という一抹の不安があるのも認めざるを得なかった。
「おっと、そろそろ行かないと」
「今日の寄合は遅くなるんだっけ?」
寄合は、船長や貴洋を含めた3人の副官、そして、各フロア長が参加する会議のことで、世界情勢やビジネスなど様々なことが話し合われる。
「ああ。夕飯は外で済ましてくる」
そう言うと、貴洋は大きな身体をゆったり起こして家を出て行った。
「さあさ、渉ちゃんも準備をして!」
渉は、姿形が十代半ばから後半に見えるが、記憶を失っているので実年齢はわからない。しかし、本人の希望で寺子屋ではなく、大人として、方舟サクラで仕事をすることにした。渉としては、記憶喪失という面倒な人間を受け入れてくれた人たちの役に立ちたかった。しかし、船長の勧めで、とりあえず3ヶ月ほどは特定の仕事ではなく、いろいろなお手伝いをしたり、訓練に参加するということになった。
「今日は市場清掃と訓練だっけ?」
「はい」
「渉ちゃん、強いだって?七海ちゃんや平八くんをバンバン投げ飛ばしていたって聞いたよ」
「いや、あれは身体が反応してしまうだけで、僕は別に別に強くないです……」
渉の失われた記憶の中には間違いなく武術が含まれている。しかも、練達者と言っていい。記憶は失われても、身体が技覚えているので、方舟サクラの若者の若者の中で、特に強いと言われている七海と平八でさえ、組手で苦戦を強いられている。
「ははは!ご謙遜を!はい、お弁当!がんばってくるんだよ!」と笑顔でお弁当を渡してくれる葉子。そんな葉子を見て、渉は、僕の母さんもこんな感じなのかな……と、失われた記憶の中にいる母に想いを馳せた。
「ありがとうございます!」
「いってらっしゃい!」
「いってきます!」
渉は、この当たり前の家族のやりとりに嬉しくなり、足取り軽く、市場に向かって行った。