走馬灯のない人達
既に体は動かなくなっていて、私の意識はふわふわと
自分の身体を彷徨う感じがしていた。
しかし依然として、私はただ無機質な真っ白の天井を眺めていたのであった。
私の身体にはいくつもの管が繋がれていて、それは私の命をすこしでも
長く保たせる為の物だった。
拷問でしかない。私は薄い意識の中、そう思った。
寝かされていて、自由の聞かない私にまだ生きろというのか。
私は自分を囲んでいる家族にそう叫びたかった。
しかし、息苦しい私には最早その行動力がなかった。ただ、ひたすら
呼吸器が私に、生きろ生きろと酸素を送り続ける。
それに従順な私の胸は、嬉しそうに上下動作を繰り返すのだ。
嗚呼、私は死ぬのだ。
だから、いっその事さっさと殺してくれ。
何故、私がここまで死を切望しているのにもかかわらず、血の繋がった
お前たちは私の願いを無視するのか。
こんな事ならば、まだ自由が利く間に伝えておけばよかったのだ。
まさか、ここまで絶望的な状況であることなど知らなかった。
小さな意識のキャパシティには、すでに苦痛で占められていた。
こんな状態では、人生の振り返りも出来ないではないか。
走馬灯。
死に行く、人間に与えられた最後の幸福の一時。
薄れていく意識の中で、自らが体験した全てを振り返り、懐かしみ
そして幸せに死にに行く時間。
それが、現代の医学の進歩によって、その時間は永遠とも呼べるほどに
長く引き伸ばされ、時々過去のことを思い出しては、現在の痛みを
感じて、幸せは瞬く間に消え去っていく。僅かな時間に、全てを体験するからこそ
幸せだったのに、ここまで長くされてしまっては、その恩恵を受けることは愚か
夢と現実に何度も何度も行き来する、まさに地獄のような時間を
今受けている。
決して、人生の全てが楽しかったわけではない。むしろ、苦しみの方が大きかった。
だからといって、最後の最後まで苦しみを味わう必要はないだろう。
何故。
徐々に、身体の感覚が無くなってきた。
意識も朦朧としている。
嗚呼、しかし未だに私の意識は現実にあり。
最後ぐらい、夢の中で、幸せの想い出の中で一生を終えたかった。
クソったれ、どうしてお前らの顔なんか見ながら死にに行かねばならぬのだ。
お前らの悲しい顔が、最後の記憶など死ぬに死にきれない。
笑うのだ、笑ってくれ。
走馬灯を見れない私に、すこしでも死にに行かせてくれ。
後悔はしたくないのだ。
だから……最後ぐらいは……。
わらって……ほしい……。
「ご臨終です」
医者がそう告げると
漸く逝ったか、と
動かない男の周りの人間が誰しもそう思った。
「全く、世話のやける男だった」
ある男がそう言うと、全くその通りだと何人かが頷いたり、ため息をついたりした。
「走馬灯の中で、生き続けられたら溜まったものじゃないですからね」
医者は、同情しながら話を続ける。
「最近は、人の寿命も長くなりましたから、走馬灯の時間の内容も70年分と長くなりました。
それだけ振り返っていれば、数十年の単位での介護が必要になります。
そうなると、あらゆる所に負担がかかりますので、最近は脳に微小の電流を流しながら
記憶を少しずつ消していくのです」
「すると、振り返る記憶がなくなるから、嫌でも死を認識しなければならないって
わけか」
男が納得したように言うと、医者は頷く。
「ええ、ですので走馬灯の時間が短縮される分、圧倒的に早い時間で死なせることが可能です。
但し、走馬灯が無いため意識はこちら側にあるので、周りの方々は演技をしてもらう
必要がありますが……。」
「構わないぜ。ちょっとした金と演技で負担が幾らでも減らせるのならば。」
男は、疫病神が消え去ったかの如く、吐き捨てるように言った。
「しかし、可哀想ねえ。自分が最後に見た光景が、作り物だなんて」
別の女は、少し同情するかのように呟く。
「よく言うぜ、自分が最初に持ちかけておいて。」
「まあ、走馬灯自体が虚像みたいなものですから」
医者が付け加えるように言うと
「……それもそうよね!」
と女が笑いながら言うと、周りもつられて笑い出す。
動かなくなった一人の男を囲みながら、いつまでもいつまでも笑い続けるのであった……。