5、不条理な制裁
那木は不快な気分で独身寮に戻った。
すると、仲間が顔色を変えて那木に話し掛けてきた。
「おいお前、どこほっつき歩いていたんだよ!
お前が出かけている間に大変なことになったぞ!」
「どうしたんだ?」
「どうもこうもお前、前から霧山議員のことについて調べまわっていただろうに。
霧山議員がお前に警察辞めろって言ってきてな。
もしも辞めなければ警察全体を訴えるって・・・」
「どうしてそんな勝手なことができる?」
「勝手も何も、今委員会で会議中だ」
那木は驚きよりも先に怒りを感じた。
「なんで調べて悪い?理由はきちんとあるぞ?」
「強行犯係の奴が知能犯係の調べるようなことをやっていることがか?」
「だが、その理由を話しても奴らは何もしてくれない」
「とにかく、お前のやっていることは越権行為には違いないだろう。
まあ、今はな、会議でどう結論が出るかを待つしかない」
同僚はそう言うと自分の部屋に入って行った。
那木はただ、そこに立っているだけであった。
□■□
綾野は車の中でなにやら新聞を見ていた。
車はどこかのドライブインの駐車場にあった。
「都内竹岡一家殺人、襲撃事件」
古い新聞を見ながら綾野はそう呟いた。
「マスコミの奴らは警察はいくつか証拠をつかんだと書いてあるな」
綾野は持っていた新聞を助手席に投げると、携帯電話を取り出し、どこかへかけた。
「ああ、もしもし。俺、綾野だ」
受話器のマイクから声が漏れる。
『ああ、綾野かい?昨日は夜遅くに電話してきた件だけど』
「何かでてきたか?」
『おう。霧山議員だかなんだかのことだろう?
政治家のことで俺の知らないことはないぜ』
「で、何がでた?」
『なーんだか姿に似合わないモンがいっぱい出てきた。
やっぱり、あの銀行強盗の件、強盗雇っているのはあの狸だ、違いねぇ』
「他には?」
『いやぁ、信じられないなぁ。
弱き者を助け、強き悪を挫く、俺もかっこいいと思っていたんだが、あんたに調べろって言われてがっかりしたよ。
なんと援助金その他が、その銀行強盗によって得られた金だったんだもんなぁ、わからんもんだよ。
どうせ良いことになんか使われない金なんだし、同じ使うなら良いことに使おうとする精神はわからんでもないけど、でも、犯罪は犯罪だもんなぁ』
「ああ、その通りだ。それで、他には何もないのか?」
『いやぁ、それがよ、調べてびっくり、叩いてみるとなんととんでもない埃が出てきたもんだからもう!!
なんとあの狸、殺人もしでかしているんだな。
しかも、自分では手を汚さずに、殺し屋を雇ってやってるもんだ』
「そんな殺人だ?」
『そんなこんなも未解決の事件だよ。
あの、竹岡一家事件。残されたあんちゃんが不憫だよ』
「で、どうやってもみ消したか知ってるか?」
綾野は思っていた通りの展開に少々興奮気味だ。
『そりゃ、当時から政治家だった狸は金に物を言わせて、サツの上層の一人を買収して証拠隠滅だよ』
「そうか。じゃあ、証拠はもうこの世に存在しないってことか?」
『いや、それがそうでもないみたいなんだよ』
「どういうことだ?」
『その、買収されたお偉いさんの行為を見つけた部下がいてな。
そいつがいい奴だと思ったら大間違いで、事件の証拠をこっそりくすねてねな、なかなか賢い奴だよ。
ゆするなんで危険なことをしないで、ある商売人に売った』
「売った?」
『ああ、あんた知らないのか?
何でも賢い奴がいてな、ある筋から警察の見逃した証拠を集め、それをいろんなところで売るんだ。
結構儲かるらしいぜ』
「変な商売もあるもんだ。
で、そいつは今でも証拠を持っているとでも言いたいのか?
もう10年も経っているというのに」
『それがそうなんだよ。
なんでもその証拠、売れ残ってしまったらしくてな。
でも、証拠って未解決のもんって結構長く取っておいても商売になるんで置いてあるって聞いたぜ?
その代わり、ワインみたいに年を重ねると値段も重なるって言ってたけどな』
「10年もののワインってやっぱり高いのか?」
『それなりにね』
「なるほど、十分参考になった。
そこで、そのワインを売っているところを教えて欲しいのだが・・・」
綾野はそう言うと、メモ帳にその場所を書いた。
そして、礼を言うと電話を切った。
綾野は用意していた缶ジュースを開けて飲み出した。
そうしていると、車の窓ガラスを叩く音が聞こえた。
そちらを見ると、小林の顔が見えた。
綾野は窓を開けた。
「待たせたな。ちょっと急用が出来てな。遅くなった」
「別に構わんよ」
綾野はそう言うと、新聞紙を後ろの席に投げ、助手席のロックを外した。
そして、小林が車の中に入ってきた。
「で、話って何だ?」
小林は胸ポケットから煙草を出した。
「実はな、銀行強盗の雇い主が分かったんでな。それを伝えたくて」
「ならば電話でも良かろう」
小林は煙草に火をつけた。
「電話で話すにはちょっと複雑でね。こうやってわざわざ来てもらった」
綾野は開いていた窓を閉めた。
「複雑?どういうことか説明してもらえるんだろうな」
「ああ、取り敢えず、結論から言うと雇い主は“霧山賢四郎”だ」
「なんだと?!」
小林は口から煙草を落としそうになった。
慌てて煙草をくわえ直すと今度は口から煙草を取り、ふうと煙を出した。
「じゃあ、詳しいことを話そう。
ある、政治家事情に詳しい友人の話によると、霧山は盗んだ金で弱きものを援助したり、施設を建てたりしているらしい。
どうしてそういう事をするかは、本人ではないので分からない。
しかし、間もなく証言者が得られると思う。
それで通常は強盗の主犯の容疑者で奴をしょっ引けるだろう。
しかし、霧山の犯している犯罪はこれだけじゃないんだ。
過去に大きな犯罪を犯していて、もみ消している。
だから、仮に今奴を警察に突き出しても無駄だろう」
綾野は手のひらで空気をぱたぱたさせながら言った。
小林はすまんと言って窓を開けて煙を出した。
「まさか、あの霧山が強盗の主犯だったとは・・・
しかし、それよりも気になるのは過去に犯している犯罪だ。
なんだ、その犯罪って?」
「殺人」
「・・・何だって?」
小林は自分の耳を疑った。
「直接は手を下してはいない。ただ、殺し屋を雇って殺した」
綾野はハンドルに寄りかかりながら言った。
「で、被害者は誰だ?その事件とはいつの話だ?」
小林は身を乗り出して聞いてきた。
煙草の臭いが綾野の鼻を突いた。
「10年前の竹岡事件だよ」
「?!」
「なぜ霧山は竹岡を殺したのか分からないがな」
小林は言葉を失った。
ちょうど綾野の車の隣に他の車が止まった。
中に乗っているカップルが不信そうにこちらを見た。
「そうか、それで那木君は霧山を裁きたいがために警察に入り、いろいろと調べていたんだな」
「あんたが辞める前も調べ物をしていたのか?」
「ああ、あれ?言わなかったっけ?」
「聞いてないが」
「すまんすまん。ま、そういうことだ」
小林は携帯用灰皿を出し、煙草の火を消した。
「で、俺にどうしろと言うんだ」
綾野は小林の言葉に、視線を固めた。
何もない宙をじっと、瞬きもせずに見ていた。
「取り敢えず、この件からは手を引いてもらいたい」
小林の方に向き直り、綾野は言った。
「ん、そういう事ならやむを得んな。
どうせ、警察に突き出したところで俺にはプラスにならん。
手を引こう」
小林は素直に応じた。
「なあ、綾野。
今更こういうのもなんだが、俺に協力できることがあれば・・・」
小林がそう言ったとたん、携帯電話のベルの音がその空間を走った。
「ちょっとすまん」
綾野はそう言うと、胸ポケットから電話を出し、応対した。
「もしもし、はい。俺だが・・・」
そう言うと、綾野はにやりと笑った。
「そうか、わかった。今から行く。
何か食いたいものはないか?なんだったら持っていくぞ?
・・・・・・そうか、じゃあ今から」
そう言って、綾野は電話を切った。
「悪いがコバさん、ちょっと用事が出来た。
・・・そう、協力できそうなことは申し訳ないがないよ。
それよりも、情報提供ありがとう。十分助かった。じゃあ」
綾野の言葉に小林は軽く頷いき、車から降りた。
綾野はそれを確認すると車を出した。
小林は黙って見送っていた。
□■□
「どう言う事か、もう一度説明してくれるかな?那木警部」
ここは警視庁の会議室。
普段、一般人の見ることのない、警察の上層部の偉い人物がいっせいに那木を見ていた。
「だから言ってるじゃないですか。
霧山賢四郎議員の資金の出所がいまいち不信なので調べていたんです。
もちろん、知能係の人にも依頼をしてみました。
でも、自分で本来の仕事に差し支えない程度に調べていたんです」
「その根拠は?」
「それはどうしてあの政治家があんなにたくさんの金を持っているのか、施設を建てる使用はどこから来ているのか、援助金はどうやって稼いでいるのか。
計算してみましたが、霧山議員の収入のみでは不可能なんです」
「法人団体から支援を受けているんだろう」
「その件についても調べてみました。
だけど、そのことを証明する事実がどこにもないのです。
となると、どうやって資金を得ているのか、調べる必要があると思います」
那木は怯むことなく言った。
「・・・ま、まあ、その件に関してはその道のプロに我々から言っておこう。
それよりだ、君はそれを隠れ蓑に、霧山議員が殺人をしたのではないかという、事実無根の件について調べているということじゃないか。
勝手に犯人を作ろうなどとは違法だぞ?」
上層部の一員は、那木の正論を濁し、話を違うほうへ持っていった。
「その件に関しましては、事実無根ではありません。
ただ、今、その理由を証明するために調査中です」
まっすぐな瞳で那木は言い切った。
「調査中?それでは困るなぁ。
今その理由を知りたい。
もちろん、そのことを裏付ける証拠とともにね」
上層部の一人が鬼の首を取ったかのように言った。
しかし、那木は引くことをしなかった。
「お言葉ですが警視殿、自分は今まで、霧山議員の殺人に関わったことを証明できる証拠を探し出し、何度となく提出しました。
しかし、どういう訳か、皆紛失してしまうようで、ここに提出できるものはありません。
念のため、証拠提出の際の書類を持って参りました。
この通り、上司から認定の印を貰い受けました」
そう言うと那木は、その書類を彼らに提出した。
しかし、彼らはそれを認めることはしなかった。
「そのことなんだがね、那木警部。
君の上司にこのことを聞いてみたら『知らない』と言うんだ。
となるとどう言う事かな?
まさか自分の有利になるように勝手に君がやったんじゃないのかね?」
「馬鹿な!自分は法を犯してまでそんなことはしません!」
「しかしなぁ、君の出した書類が何よりの証拠」
「・・・・・・・・・・・・」
那木は反論できなかった。
というよりは反論しても無駄だと思った。
「いいかい那木警部。
君は越権行為だけではなく、罪を犯してはいない人間を犯罪人にしようとした。
その行為は警察の人間にとって許しがたい行為だ。
そのような理由で、君を懲戒免職にするつもりだ。
この程度で済むことに感謝するんだな。
それと、余計なことをすればお前を法の裁きにかけるつもりだ、わかったか?
いいな、以上だ」
那木は何も言わなかった。
沈黙がその場を走る。
「分かりました」
ようやく那木が口を開き、会議が終了した。
「どうして、どうして認定しないと嘘をついたんです?!」
那木は自分の上司に食って掛かっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
上司は何も言わなかった。
周りの同僚達もただ見守っているだけであった。
「なぜ?なぜ誰も俺の質問に答えられないんだ?!」
そんな那木に上司がようやく固い口を開けた。
「世の中にはそういう事があるんだ、那木君。
私達はただ、それに従うしかないんだよ」
「そういう事って何ですか?
筋の通った事をしたのに裏切られるって事ですか?
そういうことがないように我々がいるんじゃないですか?
どうなんですか?」
那木は納得できなかった。
「悪いことは言わない、今すぐ刑事を辞めるのが利口なやり方だよ。
あと、もうこれ以上首を突っ込まないことだ。
これが君に対し、我々ができる最大のことなんだ」
上司はとても申し訳ないという口調で言った。
那木もそれを感じ取ったのか、ただ黙ってその場を去るのだった。
□■□
綾野は団地の一角にいた。
「確か、この辺だと思うのだが・・・?」
一枚の紙切れを元に、あるものを探していた。
「あ!この棟だ!ここにあの、高級ワインの言っている場所があるんだな」
紙切れをポケットにしまい、もう片方の手に鈍い光を放つ、アルミ製のアタッシュケースを持ち、その棟に入って行った。
「いらっしゃい。あんた、見ない顔だな」
団地の一室にて、無精髭を生やした、恐らく綾野と同じぐらいの年齢の男が綾野を迎えた。
「そのツラからいくと、公安か?マル暴か?」
「いい所をついていると思うがどちらでもない」
綾野はにこりともせず言った。
「あんたの扱っている商品を買いに来た」
「へえ、あんた、警察のものじゃないんだなぁ。
その人相からいくと、サツか悪党だと思ったんだがなぁ。
まあ、いい。それよりもどんな商品が欲しいんだ?」
男は綾野に中に入るように指示した。
綾野もそれに従うように中に入った。
部屋の中はたくさんのダンボールがあった。
一見すると引越ししたてのようにも見えるが、台所のほうには生活の臭いを漂わせる環境が出来ている。
「そこにある箱、蹴飛ばすなよ。大事な商品なんだからな」
男は頭を掻きながら椅子に腰掛けた。
「ここに俺の探しているものがあると聞いてな。
実はかなり年代ものになるのだが、10年前の事件の証拠品が欲しい」
綾野は立ったまま言った。
「ほう、10年前のものねぇ。そりゃ年代ものだわな。
で、何の事件だい?」
男は綾野に「まあ、座れ」と言って聞いた。
綾野は椅子が変色しているのを見て、少しためらったが仕方なく座った。
「竹岡一家事件」
「ああ、知ってるよそれ。
長男以外殺されたって言うあれだろう?
犯人は今をときめく正義のヒーロー、霧山賢四郎国会議員。
すぐに出るよ、それは処分していないからな。
なんせ、当時の現役悪徳警部補がとんでもない値段で俺に売りつけてきたやつだ。
元を取るまで捨てるに捨てられん」
男はそう言うと部屋を埋めるダンボールを漁り出した。
「あったあった、これだよこれ。
何でもこいつは霧山に雇われた殺し屋が保険代わりに撮影した、霧山の犯行を明らかにするビデオテープとその契約書だ。
契約書には実印ではなく、相手の指紋を押印したもんでね。
証拠の価値としては十分。
奴もそれで俺に相当の値段をふっかけたんだ」
そう言いながら男は、そのテープと書類が入っていると思われる封筒を出した。
「では、早速交渉に入るか。あんた、これにいくら出す?」
綾野は確認させろといった。
男もそれに応じるかのように綾野に封筒を渡し、ビデオテープを再生した。
その内容は信じがたいものであった。
綾野は霧山がどうして殺人を依頼したかという理由について苦笑いを浮かべた。
「なんてせこい奴なんだ」
「同感」
綾野の思わず出た言葉に、男も頷いた。
「当時、この証拠を買った後すぐに現役のほかの警官がこいつを買いに来たよ。
でも、こいつを売ってきた奴から事情を聞いたんでしらばっくれて売らなかったんだ。
もしかしたら将来、買いに来る奴がいると思ってな」
男はビデオを巻き戻し、ビデオデッキから取り出した。
そして、綾野から封筒を取り上げた。
「じゃあ、いくらで買うか言ってもらおう」
その言葉に綾野は何も言わずにアタッシュケースを男に渡した。
「それでどうだ」
綾野はケースを開けるようにと促した。
男はケースを開けた、と同時に顔色を変えた。
「おい、マジかよ?」
「少ないか?」
男の言葉に綾野は表情を変えずに言った。
「少ないも何もこいつの値段はせいぜいこの半分・・・いや、もっと少ないぐらいでもいいぜ・・・」
どうやら綾野の用意した金は普通の人間、また、男のような人間も想像しないような金額だったようだ。
「一人の青年の人生を考えれば安いものだ。
で、売ってくれるのか?」
男は、はっ!と綾野の顔を見た。
その表情に血の気はない。
「お、あ、おう。あんたの気が変わらないうちに売るぜ。
あんた、すごい奴だなぁ。せめて、名前だけでも教えてくれよ」
「教えるような名前はないよ」
綾野は商品を受け取ると席を立った。
「いやいや、いい買い物をしたよ」
そう言い残し、綾野は去っていた。