刹那
何だか酷く悲しくなった。
中学3年生の3月上旬、公立高校入試が終わってすぐ、ハルはシグレに告白された。
大して偏差値が高いわけでもなく面接もそれなりに出来るので大丈夫だろう、とたかをくくっていたハルを、想像より少し上に設定された壁が嘲笑った直後だった。
いやいや、私の気持ちも考えてよ……。テストも面接もボロボロな私の気持ちもさ……。
ハルは中学に上がると同時に首都圏からお世辞にも都会とは言えない、それでいて田舎とも言えない中途半端なこの街に越してきた。知り合いがおらず社交性があるわけでもなく、寂しく思っていたところにシグレだけが声を掛けてくれた。ハルは嬉しかった。
シグレとは趣味が合うわけではないが、一緒に居て気持ちが楽だった。他愛もないような話をすることが他の誰とも代わりはないと思えるほどに楽しかった。慣れない街と慣れない家とに疲弊していたハルにとって、シグレは大切な存在だった。それは今も変わらない。
中学2年の8月、シグレの家で夏休みの課題をこなしているときにそれは告げられた。
「ねぇ、ハルは。」
「何ー?」
シグレが震える声で言った。
「私が、同性愛者だって言ったら、どうするの?」
ノートの上で四角いマスを辿っていたシャープペンの動きをピタリと止めた。
「別に、今までと変わりないけど?」
「けど?」
「もし、シグレが私を好きだったら話は違うかも。あぁでもそれは、好きだよって言ってくれた男の子といると、何かドキドキする感じ?であって、友達やめるーとかそんなんじゃない。」
ハルの口から出たのは本心であったが、同性愛者に偏見がないとは言い切れなかった。何も知らないから偏見を持つ。
悪い癖だなと思うとため息が出た。
「ドキドキって何。」
んんん、そこ!?そこつっこむの!?
シグレはたまに変だ。
「自分から告白したことある?」
「ある。」
「その後に相手と二人きりになると、ドキドキしない?」
「するやもしれぬ。」
「それじゃ主よ。」
「ほう。」
この後何事もなかったかのように課題が再開された。
何となく言ってみたかったのだろうと気にも留めず、互いにそのことについて触れなかったので忘れていたも同然だった。
告白の後にシグレは涙目で言った。
「ハルは可愛いからきっとすぐ彼氏が出来ると思うんだ。でも、私は、そんなの、耐えられないよ。だって好きだから。付き合いたい。色んなことしたい。」
シグレは息を大きく吸った。
「ちゃんと返事欲しいんだ。出来れば、月曜日に。」
3日後って早すぎない?まだ面接でしくじりを重ねたことの立ち直りも出来てないよ!?
などと思っている間にも時間は過ぎて今は日曜日の午後だ。
シグレと交わしてきたメールや、LINEを見返し、女同士で付き合うとは何をするのかを調べた。
答えは出せなかった。
月曜日、いつもより20分も早く登校すると教室にはシグレがいた。手入れが行き届いた黒髪がポニーテールに結われている。普段は横に2つ、三つ編みにされている。綺麗だと思った。
ハルは後ろからゆっくりと近づき「ふっ」と耳に息を吹き掛けて驚かせてやろうと企んだが直前で振り返られてしまった。
「おはやう。」
「おはよう!」
出来る限り元気に返した。
「考えてきた?」
「うん。」
「どっち?」
シグレに見つめられてこれから告げる残酷な答えを考え直したくなったが、そんな時間は、ない。
ハルは何回か深呼吸して、言うなと訴えてくるような激しい頭痛を無視した。
ごめんね。
ごめんなさい。
許して。
さっきの挨拶より何倍も元気よく、言う。
「付き合う!」
涙が出そうなほど目頭が熱くなる。
シグレは心底嬉しそうに硬かった表情を綻ばせた。
私は、シグレと居たい。シグレが居てくれたからずっと楽しかった。高校が同じでも違えども離れるだなんて耐えられそうにもないようなことだった。付き合うことでシグレを繋ぎ止められるのならばなんでも良い故の答えだ。
シグレの気持ちなぞ尊重してはいない自分を、酷く最低だと思った。
「ありがとう、ハル!」
今までのなかで一番美しく愛らしいシグレの笑顔を見て、ハルは心臓が押し潰されそうになる。
これから、付き合っているなどと思うようなことはしなければ良い。付き合っているということを私が忘れれば良い。
それが、ハルが幸せになれる唯一の術だった。