9・トラウマ
――そこは真っ赤な地獄であった。
煉獄のせいで周囲の酸素が薄くなってしまっている。
豪壮な屋敷は一人の男によって半壊してしまい、地面には絨毯を敷くように死体が転がっている。
「兄貴……どうしてこんなことを……?」
頭部から血液を流している少年。
少年は――死体と火炎の中心地で、一人立っている男に対して疑問を吐いた。
――怖いかい? 僕のことが。
一瞬にして、この地獄を生成した男がそんな言葉を吐いた。
少年の力では男には敵わない。
天秤が少しでも傾けば、少年の命の焔は消滅してしまうだろう。
しかし――少年は朦朧とする意識の中で、しっかりと瞳に男の姿を焼き付けていた。
「殺してやる……父さんや、母さんをこんなことにして」
怖くない、といえば嘘になる。
だが、少年の瞳に宿るのはそれ以上の憎悪であった。
――その意気だ。
今にも襲いかからんばかりの猛獣のような瞳を。
何故か――その男は軽く笑みさえ浮かべて受け流した。
――アサトにこれをあげる。
立ち上がれない少年の前に。
男はポイッと一本の剣を放り投げた。
――これは聖剣《オルファント》。
――魔術を斬り裂く不思議な聖剣だ。
――今のアサトはあまりにも弱い。
――だけど強くなって、それで僕を殺しにきな。
少年の意識と共に男の姿も消えていく。
「聖剣……《オルファント》……」
少年は最後の力を振り絞り、手を伸ばして聖剣の柄を握った。
握った瞬間、まるで聖剣が体の一部になってしまうかのような感覚が襲う。
聖剣を手繰り寄せ、抱きながら意識を完全に失う。
――これが少年と聖剣の出逢いであった。
「――! ……お約束の夢オチか」
突如、寝苦しさを感じて目を開ける。
月明かりだけが差し込むワンルームの一室。
ここは魔術特区《イザナミ》内の俺の住居。聖剣で家主を脅して格安に住ませてもらっているのは嘘なので、三六五日中三六五日くらいは生活が苦しい。
……またあの夢を見てしまったみたいだな。
視界に焼き付いた夢の風景は、夜色の天井に刻まれているようであった。
――《四大財閥》の一人、桜乱華なんかと出会ってしまうから。
箪笥の奥に隠していた記憶が無理矢理引っ張り出されたのだ。主婦のヘソクリかよ。
喉が渇いた。悪夢で目が覚めたことだし、水道水の一杯でも飲もうか。
そう思い、体を起きあがらせようとすると、
「……はあ? 動かない?」
まるで見えない何かが上から俺を抑え付けているよう。
ベッドに寝たままの体勢から動かすことが出来ないのだ。
「……もしかして金縛りというヤツ?」
金縛りっていうのは、頭は目覚めているが、体が目覚めていない時に引き起こされる現象の一つだと科学は糞お節介なことを述べている。
しかし……今、俺が動くことが出来ないのはそういうものじゃない気がする。
体は完全に覚醒しているが、拘束されているかのように動かせず――。
「暴れてもらったら困るから、悪いけど動きを封じさせてもらっているぞ」
――と、隣から。正しくは部屋の中央くらいから女の子の声が聞こえた。
俺の首は力を振り絞って右側を向く。
「……泥棒か。残念ながら、今の俺の部屋には腐った大豆しかないぞ」
「喰えるじゃないか。納豆じゃないか――それにボクはぬらりひょんなんかじゃないぞ」
そこには夜に溶け込むような真っ黒な衣装に身を包んだ女がいた。
レイナと同じくらいの身長だろうか。幼さを感じさせる顔付きであるが、発光しているかのように肌は透き通っており、それは一幅の絵画を思わせる。
上と下が繋がったワンピース、スカートの端はヒラヒラと夜風に靡いている。
さらに黒色のシルクハットを被っており、それが妙に女に似合っていた。
「お前、どうやって入ってきやがった」
「窓が開いていたからな」
成る程! 昨晩は暑かったので、窓を開けっ放しにして寝ていたのだ!
視界の片隅でカーテンが夜風に揺られているのが見えるしな。クッソ〜、窓の鍵を締めていれば防げたんだ。防犯意識が足りなかった〜。
「なんて思うはずないだろうが。ここ、五階だぞ」
「五階でもボクにとっては一階みたいなもんだ」
何だよ、その重力に反抗するような言葉。
悪夢を見て、目が覚めたら金縛りに遭っていて、漆黒の服に身を包んだ女が部屋の中にいる。
いくつもの苦境に遭遇してきた俺であるが、流石にこんな状況は人生初めてのことである。
未だクエスチョンマークが渦巻く中。
「ボクの名前は四夜むすび。お前と同じで魔術学園《センター》の一年生として今年入学した。こう言えば分かるよな」
「四夜むすび? 《四大財閥》四夜家の至宝であり、《黄金の双星》の一人でもある?」
「ふふん♪ ボクも有名人だな。流石、ボクだな」
機嫌良さそうに鼻を鳴らす女――いや四夜むすび。
まあ神小町から教授された言葉を、そのまま繰り返しただけだが。
「で、その四夜家の至宝が何しにきた」
「まどろっこしいことは嫌いだから、たんとーちょくにゅうに言うぞ」
四夜むすびは後ろで手を組んで、グルグルと部屋を回る。
そして劇団の人物のように、仰々しく俺に人差し指を突きつけ、
「お前――ボクの家来になれ!」
「はあ?」
どうやら昨日に続いて今日は厄日らしい。
助けを求めようにも――手の届かないところで、聖剣《オルファント》は壁に立て掛けられていた。




