3・魔術を使えない少年
開始と共にレイナは手の平をこちらに向ける。
すると何もない空間に赤色の光で二重円が描かれていくではないか。
二重円の中に五芒星を据え、それを魔術式の〆としたレイナは、
「喰らって消し炭になりなさい!」
と叫ぶと、空間に描かれた魔法円から火球が錬成される。
これぞ第一級火炎系魔術《炎球》である。
その火球が一人で動き出し、どんどん速度を強める形で俺の方へと飛来。
「ちっ!」
俺は舌打ちをしながら、およそ百四十キロ近くの速度で飛んでくる火球が回避する。
行き場を失った火球がステージの床へと着弾し穴を穿つ。
「まだよ!」
こうしている間にも、第二――いや、第三、第四? 何と三つもの《炎球》の魔術式を高速展開。
一斉に三つの火球が殺到してくる。
「手加減なしだな! おい!」
俺はレイナの卓越した魔術に驚嘆しながらも。
円形のステージを縁取るようにして疾駆する。
俺を追尾するようにして、次から次へと床に火球が直撃する。
「ん〜! チョコマカ動いて!」
《炎球》を全て回避され、イライラしているように地団駄を踏むレイナ。
「お前の方こそ、一年生にしては結構魔術式の展開速度が速いじゃないか」
「当たり前じゃない。あんたが一呼吸する間で、十もの魔術式を編んでみせるわ」
――これこそが《魔敵》の必殺技であり、同時に《魔敵》を打倒する魔術である。
よく魔術に関する説明で、『魔術式』は絵、『魔力』はインクだと称されることがある。
つまり魔力という名のインクで、空間や壁、床に魔術式を描くのである。
今回レイナが用いた魔術式は二重円を基本とする、オーソゾックスな魔法円スタイルである。
この魔術式を描くことを魔術用語で『展開』と言い、描ききるまでの時間――つまり『魔術式展開速度』が速ければ速い程、優秀な魔術師と言えるだろう。
この魔術式を描ききる行為が魔術師の『詠唱』とも呼べる。
空想の物語にあるように、長ったらしい旋律を唱えるヤツは、今となっては臆病者が気を落ち着かせるための手段でしかない。
「でも! わたしの実力はこんなもんじゃないわよっ!」
今度はレイナが右手を上げる。
体中から溢れる巨大な魔力の余波にて、突風が巻き起こる。
「な、何だとっ?」
レイナの周囲に四つもの魔術式が同時展開。
しかもその一つ一つの魔術式が違う色をしているっ!
極限状態の中、俺は息を止めてその四つもの魔術式の正体を見極める。
――第一級火炎系魔術《炎球》。第一級雷撃系魔術《電撃鼠》。第一級水害系魔術《水球》。第二級土砂系魔術《土針》。
火球、雷撃、水球、そして地面から生え突撃してくる土製の針。
それらが同時に俺へと襲いかかってくる。
「やってられっかよ!」
俺は跳躍し《土針》を、そのまま横転しながら《炎球》、すぐに立ち上がり疾駆し《電撃鼠》、体勢を低くして《水球》の連続攻撃を全て回避する。
「はあはあ……お前、本当に一年生かよ」
「失礼ね。わたしはちゃんとピチピチの十六歳よ」
俺の方は膝に手を付いて息を切らしている。
一方、これだけの魔力を消費させたレイナは平気な顔をして立っていた。
レイナは魔術式展開速度だけではなく、複数系統に跨った魔術を使いこなす天才だったのだ。
「いい加減、あんたも魔術を使いなさいよ。このままじゃあんた、本当に消し炭になっちゃうわよ?」
レイナが疑問を吐く。
――それは当たり前の疑問、そして忠告であっただろう。
魔術師同士の決闘で魔術を使わないことは自殺行為だ。
しかし――俺には魔術を使えない理由がある。
「俺はな、魔術を使えない」
「はあ?」
「俺は魔術的《無神経》なんだ」
レイナと観客が絶句する。
それもそのはず。
魔術師は魔力を使い魔術式を展開するのだが、この時魔力を体の内から外に出す回路が必要になる。
それが魔術神経と呼ばれるものである。
俺の言う魔術的《無神経》とは生まれながらにして、その回路が備わっていないモノのことを言う。
「そ、そんな……魔術的《無神経》で魔術学園に入学出来るはずないじゃない!」
レイナの叫びも当然のことである。
さらにこの魔術的《無神経》。一億人に一人の確率で生まれてくるらしく、そんな頻繁に見るものでもない。
つまり俺は一億人に一人の不幸を生まれながらにして背負ってしまった、ということだ。
「でも――事実なんだ。もし疑うってなら、健康診断の記録でも見せてやろうか? ちゃんと魔術的《無神経》であることが記されているはずだぜ」
こうやって会話をしている間に息が整ってきた。
レイナの表情に失望。そして深い溜息を吐き、
「呆れた。魔術神経がないのに魔術学園に入学出来るはずがないわ。不正入学ね――わたし、不正って大嫌いなの」
レイナの体から赤色の魔力が飛散する。
「良いわ。冗談抜きで、本当に消し炭にしてあげる」
ツインテールが魔力の風圧で浮き上がっていた。
レイナの背中に三つの重なり合った魔法円が展開。
《炎球》や《水球》といった低級魔術の魔術式ではない。
五芒星が描かれ、神の御名が記され、幾何学的模様を描き、芸術的作品まで昇華した先ほどとは桁違いの複雑な魔術式だ。
魔術式から周囲の酸素を喰らいながら、そこから召還されたモノが姿を現した。
「第八級火炎系魔術《焔魔竜》か」
あまり驚きはしなかった。
レイナの実力から見るに、高位の魔術式を展開出来ても可笑しくないと予測していたからだ。
レイナの背景から出てきたのは、巨大な火炎の竜であった。
その全長はこの決闘場を直径くらいには等しいであろう。
大口を開けると、俺くらいの人間なんて一呑み出来てしまう。
「遺言はある?」
レイナが問う。
「ああ、あるぜ。お前、十六歳なんだからもっと子どもらしいパンツを穿……」
「死になさい!」
全て言い終わらない内に、レイナの指先がこちらに向く。
すると《焔魔竜》が咆吼しながら、こちらへと直行。
その双眸は見ているものを怯ませ、ターゲットはそれだけで死を覚悟するであろう。
「やれやれ……仕方ないか」
魔術師の決闘で『武器を持ち込んではいけない』というルールはない。
しかし誰も武器なんてものは持ち込まないだろう。
魔術という超常現象の前では、中途半端な武器など無意味だからだ。
俺の腰には一本の剣が差してある。
俺はその剣の柄を握り、一気に抜き放ち。
『バカか! あいつ!』
『どんな名剣でも炎を斬り裂けるわけないだろうが!』
『窮地で頭が可笑しくなったか?』
観客からの悲鳴の混じった罵倒。
まあ……それも当然だろうな。剣で空気は斬れない。これは自明の理のはずであった。
だったら俺はその理ごと丸めてぶった斬る。
その剣の名は聖剣《オルファント》――。
《焔魔竜》に対して横薙ぎに聖剣の一刀を放つ。
「――俺の聖剣は魔術を斬り裂く」