11・ハニートラップ
そのままむすびは前を向いた。
夜に溶け込むような漆黒の下着であった。
子どもじみたものではなく、大人の女性が着るような下着。
貧相な体つきであったが、妖艶な下着のためかむすびが経験豊富な大人の女性に見えた。
妖しげに口角を上げて、むすびがゆっくりとした様子で俺の体に跨った。
「アサト――ボクを抱いてみる気になったか?」
「お前! 自分のしていることが分かってねえだろ。抱く、ってどういう意味か分かっているだろうな」
「勿論、知ってる。抱きついて、胸に顔を埋めることだろ」
直感であるが、むすびは性についての知識が足りない。
きっとこうしている意味の重要性を理解していないはずだ。
だからむすびのような幼女がこんなことを恥ずかしげもなく出来る。
「アサト。もしお前がボクの家来になってくれたら、夜な夜な一緒のベッドで寝てもいい。どうだ? ウンコレイナにはない最大の特典だろうが」
「は、離せっ!」
むすびが両手で俺の頭を掴み、ゆっくりと手繰り寄せる。
むすびのお人形のような顔がどんどんと接近してくれ。
クソッ……俺の体よ動け! このままでは、俺の純情が奪われてしまう!
そうやって必死に体を動かそうとしていたからだろう。
「――っ!」
金縛りが解除され、体を動かすことに成功する。
しかし無我夢中で動かそうとしたからだろう。
勢いのまま――。
俺はむすびと唇を密着させていたのだ。
柔らかいんだな、と思った。
それに良い匂いがする。シャンプーの香り? 花の香り?
いやこれは女の子の匂いであろう。
少量の唾液が口を伝わって交換され、頭がグルグルと回り出してどうにかなってしまいそうだ。
「――ぶわっ!」
俺よ!
何、女の唇を悠長に味わっているんだよ!
俺は急いで、むすびの体を押して突き放した。
「ふ、ふぁーすときす……」
唇に手を当てて、考え込んでいるむすび。
その表情は先ほどのような傲慢なものではなく、女性のような塩らしさがあるように見えた。
「はあはあ……て、てめぇ!」
俺はバタバタと地面を這って、壁に立て掛けてあった聖剣《オルファント》を手に取り鞘から抜く。
「慣れないことをするものだから、集中力が途切れて魔術が解除されてしまったか……ボクもまだまだ修行が足りないな」
床に置いておいた服をもう一度、着衣するむすび。
「な、ななな何をしやがる! 俺のファーストキスを奪いやがって」
「キスをしてきたのはアサトの方からだろ。ボクは額にちょっと口づけするつもりだったのに」
「黙れぇぇぇえええええ!」
もうここが狭い室内だということも頭が吹っ飛んでいた。
俺は聖剣を振りかぶり、むすびに襲いかかる。
「よっと」
しかし混乱した俺の剣筋を捉えられない程、むすびも愚かではないらしい。
軽やかな身のこなしで聖剣の一閃を回避する。
「動くな。俺の聖剣のサビとなりやがれぇぇぇえええ!」
「言っている台詞が噛ませ犬みたいだぞ」
「誰が発情期の犬だぁぁあああ!」
メチャクチャに聖剣を振り回す。
しかしむすびには擦らずに、室内の家具やら置物だけが聖剣によって粉砕されていく。
「これで終わりだぁぁあああ!」
散らかっていく部屋の窓際に追い詰められたむすび。
むすびを両断すべく、額目掛けて聖剣を振り下ろす――。
「ん?」
結果、空気を斬り裂くだけで空振り。
どういうことだ。俺のマンションにはベランダがないから、もう後退なんんて出来ないはずだが。
そう思って、前を向くと――。
「このままじゃ、冷静な話し合いが出来ないみたいだな」
むすびが夜空の中で浮遊していた。
満月とむすびが重なり合っている。
重力に反抗し、むすびが空に浮き俺を見ているのである。
「しかし予言するぞ。きっとアサトはボクの家来になる。これは避けられない運命だ。レイナの盾になるか、ボクの家来になるか、どっちの方がアサトの得になるか。よーく考えておけ」
そう言い残して、むすびは浮遊したままマンションから離れていった。
その現実離れした光景は幻想を感じさせる程であった。
「四夜……むすび……か」
レイナといいむすびといい。
《黄金の双星》――なかなか面倒臭いヤツが揃っている。
俺は俺の目的が達成出来ればいいだけなのに、どうしてこんなことになるのだろうか。
俺は床にへたり込み、むすびが見えなくなった夜空をただ眺めているのであった。




