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お題33『色』 タイトル『隻眼のエデン』

 私は想像する、色のある楽園を。
 彼の穏やかな言葉を聞き、イメージを膨らませ一つ、一つのものを形作り、世界を創造していく。
 生命を育む土の色を、柔らかな植物の色を、妖艶な匂いがする花を、甘く熟した果実の色を想像していく。
 植物が様々な形に変化していく姿を私はただ、頭の中で構築し、彼の言葉と共に色のついた粒子で思い浮かべる。それが唯一、私が私でいられる時間になっていく。
 彼は私の眼を所有しており、彼の言葉が私を上質な物語へと誘ってくれる。彼のおかげで私は恋を知り、愛を覚え、そしてついには禁断の密愛を抱いてしまう。
 それでもいい。彼となら、私はどこまでも堕ちていける覚悟がある。彼に貰ったネックレスに思いを込め、私は一つ一つの感覚を失っていく。
 そう、彼が私のたった一つの瞳・隻眼せきがんのエデン――。

 ごぼごぼと炭酸を含んだ泡が一定のリズムで零れる。室内機と室外機の低音が穏やかに響き、仄かなBGMがまどろんでいく。この一定のリズムが心地いい。
「今回の旅行ではどんな写真を撮ったんですか?」
 私が彼に尋ねると、彼は穏やかな声でいった。
「今回はね、夫婦めおと杉と呼ばれる屋久杉を撮りにいったんだ」
 彼はそういって鹿児島にある屋久島という孤島の説明を始めた。昔から杉が有名でジブリ映画にもなったもののけの森があり、観光客の多くは縄文杉を目指すこと、だけど彼は夫婦杉を撮りにいったこと。
「どんな杉なんですか?」
 私は肩に温泉を掛け直していった。
「2000年生きた杉と1500年生きた杉が大きな節で繋がっているんだよ。年齢が上がれば上がるほど、お互いに繋がろうとはしないのだけど、この杉は特殊でね。遥か上空で繋がっているんだ」
 彼はそういって夫婦杉の説明を始める。
 2000年生きた杉が男だけど1500年生きた女の方が背が伸びていること、男が女を繋ぎ止めるように節を延ばしていること。
「どうして彼女の方が背が高いのですかね?」
「きっと彼が支えることに成功したからだよ。彼女はただ上に伸びるだけに専念できるようになったんだ。だから彼の方が太く短い」
 私は彼の言葉を聞き、本で読んだ一つの切り株を想像した。屋久島の杉は地上にまで根がはびこっており、切り株の上に生えたものは1000年単位で生きることができる。それは倒された木によって空いた光を受け止めるからだ。生存競争が激しい杉の世界では皆、貪欲でただ上へまっすぐ伸びることだけを目指している。
「……彼女は幸せ者ですね」私は彼女の心を代弁した。「ただまっすぐに伸びることを許されるなんて、羨ましいです」
「……そうだね」
 彼は穏やかな声でいった。その声は私の心を落ち着かせてくれる。彼の声は風に乗り、私の体を温泉のように温めほぐしてくれる。
 一つの会話が終わると、再び温泉の湧き出る音が強く聴こえるようになった。もちろんこの静寂の時間も嫌いじゃない。普段、耳に神経を集中しているせいか、雑音でも一定のリズムを有しているのであれば、リラックスできるのだ。
 私は盲目で、彼がいなければこういった温泉施設にくることはできない。彼と付き合って一年に一度、豪華な家族風呂に来ることができるのだ。一般の人にとっては普通の施設になるのだろうけど、私にとってはそれが楽園のように感じられる。
「今年も来れてよかったです、先生と一緒に」
「……それはよかった」
 私は整体の仕事をしており資格を取っている。彼と出会ったのは私の職場の整体所だ。彼は私の常連で次第に惹かれあい、恋人となった。
「最近、絵の話は聞かないですが、描いているのですか?」
「もちろん、描いてるよ」
 彼は絵描きを趣味とし、本業は写真家だと聞いている。撮影のために日本各地を回り、ずっしりと重たいカメラに望遠鏡のような長いレンズを繋ぎ合わせ景色を撮っていく。
 私は彼が描いた絵と写真を想像する。きっと彼の絵は色に満ちており、私の心にも花を咲かせるのだろう。見えない絵を想像するだけで私の思いは宙へ浮き、心臓が分離するような感覚を覚える。
「そうなんですね、よかった……」
 私はほっと吐息を漏らした。
 私のためを思ってか、最近の彼は絵よりも写真の話の方が多い。きっと抽象画は説明しにくいからだろう。美術館の音声説明でも年代・技法が多く、作品そのものについての説明は少ない。
「私、気にしていませんよ。奥さんの話題が出ることも」
 私は彼の大きな肩甲骨を伸ばし整体していく。お湯を含み柔らかくなっていく彼の体に快感を覚えていく。
「別にそういうわけじゃないんだよ、もちろん君といる間は君のことを考えたいとは思っているけど……」
 彼は言葉を濁す度にみぞおちの部分が硬くなっていく。それは彼が無理をしていることもあり、体を強張らせていくのだ。
「……いいんです。私、先生と一緒にいれるだけで幸せですから」
 私は後ろから彼を抱いた。みぞおちの部分を軽く捻り筋膜を和らげる。硬くなっていた所を力一杯揉んでもよくはならないからだ。表面の鍵を開けるようにそっと緩めれば、内にある筋肉は回復へと向かう。
「君には敵わないよ」
「私も先生には勝てませんよ。……先生の奥さんにもですけど」
 心に思ったことを正直にいう。
 先生の妻は画家で、お互い美術大学で知り合ったらしい。彼は彼女の才能に自分自身の限界を感じ、写真に移ったとも聞いている。
「奥さんも先生の一部なのですから、私は奥さんのこともきちんと知っておきたいんです」
 私は彼のことを心から先生と呼ぶ。私に生きる力をくれたのは紛れもなく彼だからだ。年が一回り以上離れていることもあって親しみを込めて、そう呼んでいる。
「……次の場所に行こうか」
 そういって彼は私の腕を優しく掴んだ。
 それだけで私の腕は火傷したように熱を帯び、再び心臓へとリンクしていく。

「先生、ここの景色はどうなっていますか?」
「今は紅葉が見頃だよ」
 私は柔らかい楓の葉を想像する。楓は水揚げが悪く切り花としては向かない。きちんと根がなければ葉を維持できないのだ。
 地面から離れることができない楓の葉に私は同じ思いを抱く。
「今僕達が浸かっている部分からまっすぐに行くと、一人用の桶風呂が二つある。その左に大きな楓の木が三本あって、一本は真っ赤に染まっている」
「残り二本はどうなっていますか?」
「仄かな若草色から鮮やかな刈安かりやす色に染まっているよ、真ん中の木は真っ赤ではなくて臙脂えんじ色だね」
 彼の言葉を頼りに私は色を想像する。今まで色について個人的に解釈を施してきたが、彼は私に果物を使って色を教えてくれた。林檎なら赤、桃ならピンク、ぶどうは紫、黄色はパイナップル、橙色はみかん、青は熟していないものという風に教わった。
 それが楽しくて私は色に興味を持ち、色の名前を点字で覚えていった。赤は赤でもたくさんの種類がある。夕日のようなあかね色、紅花で染めた韓紅からくれない色、赤黒い臙脂えんじ色……赤は国によっても代表色が違い、国の文化が色濃く反映されている。私はRGBという色彩を表す数字で色を記憶していく。両親と養護教師から疎まれた私に彼は丹念に色の説明をしてくれる。
「……いいですね。きっと実際に見れたらもっと綺麗なんでしょうね」
 穏やかな日差しを浴びながら、私は彼と一緒に色の旅に出る。彼にはきちんとした家庭があり、私達には昼の時間しか会うことができない。それでもこの限られた時間で私は精一杯に彼の言葉を覚え、彼の体温を感じ取りながら彼との逢瀬を重ねていく。
「ああ、もちろん。でも君の方がずっと綺麗だよ」
 彼はそういいながら柔らかい手で私の体を撫でていく。熱を帯びた楓の葉が私の全身を隈なく巡り、私の血は悲鳴を上げながら沸騰していく。
「先生……」
 私は彼の方に首を回し口付けを待った。背中が彼の体温を吸収し一層鼓動が激しくなる。彼と唇を重ねると落ち着きを取り戻し彼と同化していく。
「先生……もっと私に触って下さい」
 彼に触れられながら私は熟れた果実を想像する。私の体は何色なのだろうか、彼は私の体で満足できているのか、青い果実の頃に出会っていれば、私だけを愛してくれていたのだろうか、それとも――。
 私は想像するしかない。言葉を交わすことができない植物のように私はただ彼を見つめ寄り添い、ただ求められるままに伸びていくだけ。
 ……妻の杉は夫とたった一つの節と繋がるだけで安堵できているのだろうか。
 私は夫婦杉をイメージする。彼と感覚だけで繋がっており、彼の全ての真実を知らず、上に伸びることはできるのだろうか。何も疑わずに自分を支えてくれている彼の全てを肯定していけるのだろうか。
 ……私にはできない。
「先生、お願いですから私に養分を下さい。今のままじゃ私、我慢できないんです」
 私は彼に触れながら懇願する。今の狭い関係では根が絡まり過ぎて根腐れを起こしてしまう。もっと広い鉢に植え替えて欲しい。
 もっと……正直な関係でいたい。優しくなくてもいい、真実の世界を私に見せて欲しい。
「奥さんは夫婦杉を見て何といってました?」彼と一層激しい口付けを交わした後、私は彼に頭を預けていった。「奥さんの描いた絵も教えて下さい。私は全てを知りたいんです」
 もちろん推測だ。彼が妻と旅行に行ったなどというはずもない。だが私は想像する。旅行中の彼と彼女を想像し、彼らの楽園を創造する。
 そこは本当に色が満ちているのか、確信は持てない。だが彼が彼女のことを愛しているのはわかる。彼女がいたからこそ、私は彼に出会えたのだという確信が満ちていく。
 彼の体を触る度に――。
「先生が愛した人を知りたいんです。私はあなたの全てを愛せる自信があります。あなたの嘘も、全部……」
 私は彼の嘘を受け取り、精一杯につるを伸ばす。その嘘には優しさが含まれており光を帯びているからだ。
 だが、それももう、限界を迎えようとしている――。
「夫婦杉はどんな色をしているのですか? 煉瓦れんが色のように赤を帯びた茶色ですか、それとも亜麻あま色のように黄色を帯びた茶色ですか、それとも……」
「……美月みつき
「訊きたいんです。先生の口から、先生の声から……だって、今日でお別れになるのでしょう?」

 私達は体を重ねあった後、一人用の樽風呂に入った。湯が柔らかく自分の寸法にあった絹の服を着ているようだ。
「……美月、大事な話がある」
「はい。ちゃんと聞きますよ」
 私は覚悟をして胸元にあるペンダントを握った。風呂場でもつけてきたのは彼に返すためだ。
「僕のことを恨んで貰って構わない。だから別れてくれないか」
「それは嫌です」私は首を振っていった。「先生のことを恨むつもりはありません。でもきちんと別れますよ」
 私はペンダントを外し先生の方に手渡す。
 彼も限界だったのだろう。彼の手には結婚指輪が嵌められており、指でなぞられた時、ひんやりとした感覚が別れを予感させていた。
 もしかすると彼の妻が私達のことに気づいたのかもしれない。
「そんな、どうして……僕は自分の都合で君を……」
 先生はうろたえるような声でいった。自分から切り出したのに私が別れを告げているようだ。
「私は先生のことが好きです。だから嫌いになんてなれません」きちんと彼に伝わるよう思いを込めていう。「私にとって先生といることは夢のような時間だったんです。色のない私に先生がたくさんのことを教えて下さったんです、だからあなたを苦しめて不幸にはしたくない……」
 彼はきっと家庭と私を両天秤になど掛けていなかったのだろう。純粋に私のことを思って助けてくれていた。私に色の大切さを教えてくれた。
 それでもここまで来てしまったのは私が悪い。彼と一緒の時間を共有し、色の旅に出ようと提案してしまったのだから。
 彼の体を回復に向けることが彼の妻への背徳行為になるのだから――。
「私は……今までの思い出だけで充分です。もう独りでも生きていけるくらいにはたくさんのものを頂きましたから。だから……先生は私のことを忘れて下さい」
「み、美月……」
「愛してます。心から」
 彼の風呂からお湯が漏れた音がした後、私の桶風呂から湯が溢れた。
「駄目ですよ、このまま別れないと……また後悔しますよ?」
「後悔してもいい。その代わり、一つだけ訊いて欲しいことがある」
「先生の妻も整体師で目が見えないということですか?」
「……」
 先生は狭い風呂の中で距離を置こうとする。それでも私は彼の背中に手を伸ばした。
「目で見えなくても私は整体師です。先生の体を奥さんと共有しているのだから、私はわかってしまいます。だから奥さんも……」私は自分の考えを告げた。
 彼の妻が始めから盲目なのかはわからない。けど彼女が盲目だということはわかる。彼の体を通して会話をしてしまっているのだ。
 それは私達にしかできない感覚だけの会話、目や口でするよりもずっと確かなものだ。
「奥さんもあなたの一部です。奥さんが弱ればあなたも弱まります。あなたは優しいから、きっと彼女の気持ちを自分に置き換えてしまう。だから私にはそれも耐えられないんです」
 私が彼を整体する度に、彼女は気が狂ってしまうのだろう。自分が管理していた体が何もせずともよくなっていくのだ。彼女は存在意義を失い、落ち込んでいく姿が浮かんでいく。
「……そうか。知っていたんだね」彼は一間置いていった。「僕はどちらとも大事だ。だから君だけを不幸にしたいわけじゃない。でも……君の気持ちを考えたらずっといえなかった……すまない」
「謝らないで下さい、先生」私は彼の背中を撫でながらいった。「私はこれでいいんです。夫婦杉にだって地中では誰と繋がっているかは目に見えません。それが解かれたって……誰も気にしませんよ」
「じゃあ再び繋がったとしても、君はいいのか?」
「もちろんそれも受け入れます」私は迷うことなくいった。「先生は私の光です。植物は光を浴びる時点で成長を止めることはできません。それがたとえ、地獄の世界へと繋がっているとしても……」
「……そうか」彼はそういうと手に持ったネックレスを再び私の胸へと繋いだ。「僕と一緒に堕ちてくれるか、美月?」
「はい、どこまでも」私は笑顔でいった。「仮にあなたの瞳がなくなったとしてもお付き合いしますよ」
 私達は互いの根を張り合わせながらシルクの湯と一体化していく。
 彼の妻に私の色を奪われてもいい。私の整体という名の色がなくても、私はその世界でも満足できる。彼女が双眼のエデンを手にいれたとしても、私は構わない。
 彼が一緒にいるのなら、モノクロの世界でも、真っ白な世界でも、闇のように黒い世界でも――。
 私は最果ての景色を見るために、彼と共に旅に出る。
 いつの日か、二人で静寂を共有できる盲目のエデンへと――。



 





 

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