(9) 4-1.エステラトランスポートトラック
時間が無い。
トラックの下から車を排除して。
その後、ロープを切断して。
パトリシアの車両群を蹴散らして、包囲を突破。
晴れて川沿いへ抜けて、アクセル全開で谷を抜け、届け先に到着。
セシルは笑って、握手の手を差し出し……。
……エステラはそんな一連の想像を、頭の中から、かき消した。
現在、午後一時半。
期限までは、残り三時間半だ。
トラックを飛ばせば、二時間ほどで着く距離だ。
マージンは一時間半……。
まず、トラックの下に食い込んだ車両を排除するのにかかる、時間。
(ジャッキアップして、隙間を作れば……車両を排除できる?)
次に、数多のロープを切断する、時間。
(ロープの強度は、どのくらい?)
最後に、パトリシアの車両群を突破する、時間。
(彼女が大人しく見ているとでも?)
一つ一つ、時が積まれていく。
その後、川沿いを走行するイメージは湧かない。なぜなら、合計時間が、明らかにオーバーしているから。
マージンの一時間半など、雀の涙にしかならない。せいぜいできても、下の車両をどけて終わりだ。
ことここに至り、エステラは空を仰いだ。
もしかしてこれは、王手なのかしら?
「一週間前から、ほんとツいてないっていうか。
定期便の仕事は、積み荷をワームに食われて二度もキャンセル。
この調子じゃ、トラックの修理は、何日かかるか分かんない。
今月の営業は絶望的。
利益ナシの借金そのままで、倒産は目前だわ。
ああぁーーーーー。
もうアレよ。
今、エステラトランスポートが抱える仕事は、たった一つ。
セシル一人を送り届けることだけ。
出し惜しみなんて、意味無いわ。
死ななきゃいいんでしょ。死ななきゃ。
会社の最後に、一花咲かせてみせましょ。
成功の可能性なんてのに、こだわる必要ないじゃない」
一通りまくし立てた後、そこには満面の笑みが浮かんでいた。
「おい、エステラ。俺は、賛成しかねるぜ。お前の考えてるこたぁ、なんとなく分かるんだ……」
「やるわよ、やるったらやる。正直、もう頭きた。はらわた煮えくりかえってんの」
「しかし……、アレを? こんなところで?」
「距離的にはいけるはずよ」
お互い目を合わせる。
レオ爺は瞑目して一拍の後、肯定のうなずきを返した。
「先に行って、準備しとくぜ」
「お願い。あ、アリーチェは拘束しておきましょう」
「好きにして。煮るなり焼くなり」
「じゃ、パオラ、よろしく」
「……うぅ!」
「き・ん・ば・く、ね! 腕がなるわぁ~!」
「言いたいことは色々あるけど、時間が無いわ。しばらく反省しときなさい」
「しょぼん」
パオラがどこからかロープを取り出し、アリーチェをせっせと拘束していく。
「セシルは最低限の荷物だけ持って、付いてらっしゃい!」
「何か方法があるんですね!?」
「無駄口叩く暇があったら準備! パトリシアが次の手を打ってくる前に、始めるわよ!」
エステラはトラック後方へ移動する。
ダイニングを過ぎ、シャワー横の倉庫を開くと、中からやや厚手の服を取り出した。服はツナギのように、上下一体になっている。
手早く服を脱ぎ下着姿になる。
「わわっ、なんですか?」
セシルの驚きに構わず、エステラはツナギに身体を通した。
倉庫の奥から、小型のバッグを取り出し肩に掛ける。
「あなたの分はないから、そうね、この上着でも羽織ってて。私のお古で悪いけど」
セシルに手渡されたのは、少々くたびれた厚手のジャケット。持ってみると案外軽い。
着てみると、すこし埃っぽかった。セシルの淡い期待は、露と消える。甘い香りなどはない。
「で、準備オーケイ?」
「待ってください。サイは連れて行けるんですか?」
「無理ね。諦めなさい」
「えっと、じゃあ、ちょっと待ってください」
セシルは振り返り、サイ犬に向かって手を差し出した。
「緊急コマンド。発、セシル・オードナンス。宛、犀犬。認証を開始せよ」
その音声は、これまでと違い、アナウンサーのように明確なものだった。
お座りしたサイ犬は、横長のアイグラス越しにセシルの顔を見つめる。
「セシル・オードナンスは、適切に認証されました。緊急コマンドの入力を待機しています」
「請求、データチップラヴィニアドキュメント」
「注意。その操作の後、本機は動作を停止します。実行しますか?」
「実行せよ」
「実行します。解放後、本機は動作を停止します」
サイ犬は硬直し、置物のように動かなくなった。
そして、かぱっと、頭部が開く。
卵のようなシールドが幾重にも割れ、その中に一片のデータチップが収まっていた。
「もしかして、それを持っていくのが目的だったの?」
「僕が持って行くのが目的です。ですから、サイが自爆って聞いて、びっくりというか、心臓が止まるかと思いましたよ」
「あら、そうだったのね……危ないところだったわ。じゃあ、このポーチに入れて置きなさい。落とさないようにね」
「ありがとうございます」
セシルはエステラから小さなポーチを受け取り、データチップを慎重に中に入れた。
「荷物はそれだけね?」
「はい! いつでも!」
エステラはさらに後ろへ移動。トラック後部のドアを開いた。
ドアからは小型のコンテナが見える。
「パオラ、レオ爺の合図でトレーラーを切り離し。いいわね」
「合点承知の助よぉ~ん」
ドアをくぐり、連結されたコンテナに手を掛ける。
備えられたドアから、中へと入っていく。
「急いで、パトリシアに勘づかれたら面倒よ」
「はい、いま……っと」
連結器の隙間から地面が見え、セシルは少し足がすくんだが、なんとかコンテナ側のドアをくぐり、中に入る。
内部は、薄暗く狭かった。
点々と小さな光源があり、それなりの視界はある。
白っぽい構造物が、ぎっちりと詰め込まれており、かなり狭苦しい。
その下を、小柄なエステラは屈んだ姿勢で、すいすいと移動していく。
セシルも体格は小さいが、慣れていないからか頭をぶつけそうになる。
「周りを素手であまり触れないようにして、ほら、頑張れ」
エステラはセシルに声を掛けつつ、忙しく動いている。
各所にペンライトの明かりを当てて、念入りに辺りを調べている様子だ。
「なんなんですこれ? バイク……にしては大きい?」
「説明はちゃんとするから、さっさと乗りなさい」
前の方に進むと座席があった。
席は狭く、前後に二つ並んでいる。
「後ろでいいんでしょうか」
「ええ。狭いけど我慢してね」
セシルが後ろのシートに乗り込むと、エステラが手伝い、シートベルトを装着していく。
固定を確認した後、エステラも慣れた調子で前席に滑り込んだ。
「このコンテナトレーラーはちょっと特殊でね」
インカムを装着し、シートベルトを確認しつつ着けていく。
バッグからサングラスを取り出しかける。
一緒に取り出したペーパーメディアの地図で、現在地を確認。折り畳んでバッグと一緒に腿に固定する。
ゴン、と後ろの方で小さな震動。
『エステラ、トラックからトレーラーを切り離した』
エステラのインカムに、レオ爺の声が届く。
トレーラーが移動しているのか、小刻みに揺れ。足下でタイヤが砂を噛む音がしている。
「了解。規定距離で展開シーケンスを開始するわ。クリアランスに注意して。コンテナ解放、そちらのタイミングでどうぞ」
『了解。すでにクリアランスは確保している。コンテナ解放』
ガンゴンゴン、と各所で金属音。
コンテナの外壁が開いていき、隙間からは外の日差しが入ってくる。
内部に折りたたまれた構造物が、バネと歯車とワイヤーによって展開される。
複雑に畳まれていた板状のものが、横へ広がっていく。
二つに折れていた筒状の前部、後部が、まっすぐに伸びる。
パズルのように分割された各部分が、あるべき場所に戻っていく。
セシルはきょろきょろと周りを見渡した。
スマートな機首。
細く長い主翼。
滑らかな胴。
尾翼。
垂直尾翼。
背に発動機とプロペラ。
これは紛れもなく、飛行機そのものだ。
「と、飛ぶんですか!?」
「飛ぶわよ。飛行機だもの」
計器類は、前面パネルにコンパクトにまとめられている。
腿の間には、思いの外細く頼りない操縦桿。
エステラは手元を忙しく動かしながら、左右を確認した。
気がかりだったのは、長い主翼に対して道幅が足りるかどうか。
現状で崖から翼端のマージンは充分あるように見える。
ここからトラック後方へ進むことになるので、道幅は広がっていくはずだ。
機体の展開は完了。各部ロックの信号は正常。目視でも確認しても問題なさそうだ。
キャノピーロック。
操縦系。エレベーター、エルロン、ラダー、スポイラー……パーキングブレーキ……。
補助用推進系。バッテリー、コンデンサー、モーター通電チェック……。
(滑走路面の状況は……色々目をつむるとして……)
狭い谷での離陸など、控えめに言って曲芸、普通の意識では正気の沙汰ではない。
エステラは決断した。
充分、行ける。
「プロペラ格納。プリフライトチェック、全て正常。計器でも目視でも問題なし。行くわよ」
『曳航車、分離するぞ』
背のプロペラが格納される。
小型コンテナを積んだトレーラーの後部が分離し、グライダー曳航車となり動き出す。
グライダーは台車に乗った状態で停止。
曳航車のウインチに巻き取られていたワイヤーが、一定の張力を保ちつつ繰り出ていく。
『見ろよ、後ろの嬢ちゃん達、口開けたまま突っ立ってるぜ』
「そんなに珍しいかしら? ただのモーターグライダーよ?」
『今の時期に、谷で引っ張り出すようなもんじゃねぇことは確かだな!』
「ま、いいわ。もうちょっとだけ、大人しくしててね」
『機体の調子はどうだ?』
「そうね、今のところいい感じよ。計器類は全て正常。あーあ、空に上がったら全部まとめてオシャカになるんでしょうけど!」
「まさか航法システム無しで、飛ぶんですか?」
「そりゃあまあね、そういうことよ? そういえば、さっきのポーチ、口をしっかり閉じておきなさい。一応、谷上空の電磁パルスでも、中の物は保護できるはずだから」
「あれって、そういうグッズだったんですか」
「おしゃれグッズとでも思った?」
「いえ。助かりました、ありがとうございます」
『前回の磁場漏出は、三分前に観測している。次は予報だと、十七分後だな。空には誰もいない、貸し切りだ』
「早めに、できる限り高度を取るわ。高度の分だけ楽が出来る」
『曳航索の長さを確保。一旦停車する』
前方の曳航車が停車する。
『ウインチのクラッチをロック。気負うなよエステラ。最後の詰めはしっかりな』
「じらさないでよ、レオ爺。状況、ゴーよ! ゴー!! パーキングブレーキリリース」
「……なんだか、性格変わってませんか?」
『行くぜ。出発!』
「出発!」
最初はゆっくりと……ワイヤーのテンションが充分掛かってからは、グン、と機体が引っ張られる。
機体下部の台車からグライダーが離れ、機体のメインギア……細い車輪が地面を蹴る。
小刻みな上下振動。
すぐに翼端を保護する補助輪が浮く。
続いて、メインギアが地面を離れた。地面走行時の上下振動が消える。
セシルはきゅっと股間が縮まる思いがした。
まだ心の準備が出来ていない。
セシルが知っている飛行機は、もっと長く滑走するものだ。
十秒にも満たない間に……、気付けば機体は浮いていた。
空気を切り裂くビリビリとした振動が続く。
曳航による強引な加速、高度の上昇。
『そろそろ通信が切れるぞ』
レオ爺からの通信がホワイトノイズに変わる。
「安全高度八〇」
「崖の上が……」
セシルの視界が大きく開けた。
見渡す限りの赤茶けた大地。
ごつごつとした巨大な岩塊と横縞の壁面。
大渓谷が全貌を現していく。
崖の高さを越えてからというもの、計器の一部が、用を成していない。
谷の上は、電波障害が激しすぎる。
とかく電波を利用する機器類は、この空では使えない。
上空の風に、機体が横にスライドし始めるが、ラダー操作で押さえていく。
「高度一五〇……二〇〇」
段々になっている崖。
露出した地層の重なり。
高度上昇が緩やかになってきた。
機体のピッチが水平に近くなり。
「四一〇。離脱」
エステラがレリーズハンドルを二回引いた。
曳航索が機体から離れ、機体振動が収まる。
一瞬、音が消えたような錯覚。
静かだ。
それから、風切り音が、静かに耳に届いてきた。
「さて、上昇気流はどこかしらね」
エステラはすでに用済みとなったインカム外し、うきうきと空を見渡した。