(7) 3-1.ピアノ遺跡
日が昇り、四日目。
エステラの日程では、明日の正午には到着の予定。期限は明日の午後五時だ。
今まで、全般的に目立った被害はない。エステラの安全基準上でも、問題はない。
トラックは相変わらず、ダミーであろう爆破杭に誘導されて、細い道を進んでいく。
ほどなく。
左右の崖が消え、一気に視界が広がった。
目の前にあるのは、すり鉢状のクレーターだ。
目測では判然としないが、一キロを越える程度だろうか。
「着いたわ。ここがピアノ遺跡よ」
「ここが宇宙船が墜落した場所ですか……」
ダイニングの窓から、その光景を眺めていたセシルは、感嘆の息をついた。
事前に調べた情報も、旅客バスで老婆に聞いた話も、どこかおとぎ話のような、ふんわりとしたものだった。
しかし目の前の実在は、説得力が違う。
トラックがゆっくりとハンドルを切る。
すると、クレーターの中央に直径が百メートル程の巨大なドームが見えた。
高さはさほどでもない。
しかし、それはスケール感がおかしいだけで、当然大型トラックより遥かに大きいはずだ。
ドーム表面は、不思議な光沢があり、時折色を変えている。玉虫色といったところか。
「外の人には、おとぎ話に聞こえるでしょうね。遺跡って名前は付いてるけど、エネルギー炉は絶賛稼働中だから。ホント無用の長物だわ。撤去するにもコストに見合わないって、放置され続けてるのよ」
「墜ちたのは入植後、すぐの頃だ。二百年はくだらねぇな」
「構造物の大部分は地下に埋もれているわ。地表に露出しているあのドームも、船体そのものじゃなくて、自己修復の課程で作られた、緩衝装置ね」
「緩衝装置?」
「防壁、バリア、遮蔽。危険な物を外に出さないためのもの。船のエネルギー炉は今も生きていて、しかもシールドの制御が安定していないらしいの。内部では高強度の電磁波……ヤバい放射線が暴れ回っていて、生物どころかその辺の機械すら入れる状態じゃないそうよ。あのドームなかったら、谷にも近寄れないんじゃないかしら?」
「凄まじいですね……」
トラックはすぐ側まで近寄っている。
外側は安全と分かっていても、背筋が寒くなりそうな話だ。
「だが、緩衝装置も完全じゃねぇんだ」
「ええ。ほんの一瞬、『強磁場』だけが漏れてしまう事がある」
「それが磁気嵐の元凶ですか……」
「持続時間こそ短いけど、パワーが大きすぎるのよ。電装部品はまず全滅ね」
「短いってことは、いつでも磁気嵐が出てるわけでは?」
「平均して約三十分に一回だったかしら。でも揺らぎが大きくてね。複雑な計算による予報もあるにはあるけど、それもやっぱり確実じゃないわ」
「危なっかしくて、空路は使えないわけですね」
「あと電波障害は回復するのに時間が掛かるの。その間に次の磁場漏出が起きてしまうから、電波通信はほぼ使えないと思っていいわね」
「ま、調子がいいときは、一切漏らさねぇんだがな。機嫌が悪い時が、磁気嵐のシーズンてわけだ」
「その周期が、なぜあるのかも、よく分かっていないのよ。興味があるなら、論文でも書いてみる?」
「それは老後の楽しみに取っておきますね。今は、ここのオーロラが見てみたいです。まだ一度も見てないんですよ」
「おい、セシル坊? オーロラが出るってのはガセだぜ」
「ガセって、えっ!? 嘘なんですか? そっちの方こそ楽しみにしてたんですよ!?」
「多分磁気嵐って名前からの連想ね。信じてる人は結構居るけど、実際に見た人はいないわよ」
「ええー……」
気落ちするセシルを、暖かく見るエステラとレオ爺。
よくある勘違いである。ことさらにからかうようなものでもない。
「エステラぁ~。お客さんみたいよぉ~」
運転席でパオラの声が上がった。
「客? ……嫌な予感がするわ」
エステラたちが運転席に顔を出すと、左手に一台の車両が追いついてきたのが見えた。
オープン型の中型車両、運転席と助手席にそれぞれ男が、後席真ん中に女が立っている。
赤色の乗馬服を着て、片手に拡声器。もう一方に乗馬用の短いムチ。ボブカットにした焦げ茶の髪が風に煽られている。
拡声器が割れ気味の声を放った。
『おーーほほほっ! よく来たわねっ! 待ちくたびれてよ!』
パトリシアである。
エステラが、道中二度と会うことはない、と言った人物だ。
さらに周囲から、続々と小型車両が現れる。
あれよという間に、トラックは囲まれてしまった。
「車を変えて、先回りしてたみたいねぇ~」
「あんだけ遠回りさせられてたんだから、そりゃ追い越されもするか……」
少々あなどっていたかもしれない。
『三十分、お茶会に付き合いなさいな! そうしたらここは見逃しますわ!』
それを聞いたレオ爺は、笑みを浮かべる。
「額面通りのお茶会じゃねぇだろうな?」
「これは会談の申し入れよね」
「強行突破?」
相手は軽量級がほとんどで、残りも中量級。力尽くで突破するのは難しくない。
アリーチェの強行突破発言は過激だが、手段の一つとしてはアリだ。
「ううん、一旦停車して。ちょっと考えさせて頂戴」
トラックが停車すると、周りの車両も、少し離れて停車した。
さて、激突せずに済むなら、そちらの方がいいに決まっている。
パトリシアは、果たして約束を守るだろうか?
性格は傲慢で、見栄っ張り。
執念深くて、負けず嫌い。
感情的で怒りっぽく、バカ正直。
バカ正直だから、ここで嘘は付かない、とも思えるが……。
エステラは外部スピーカーのマイクを取る。
『一体、どんな用事かしら?』
『わたくし、わざわざ話し合う機会を作って差し上げましたの。感謝してもよくってよ』
『オーケー。周りの取り巻きを下げさせて。そうしたら申し出を受けてもいいわ』
『分かりましたわ。皆を下がらせましょう』
パトリシアが傍らの男に告げると、周囲の車は散り散りに去って行った。
見えなくなっただけで、クレーター外の道にでも待機しているのだろう。
「話に付き合います? このまま出発できそうですよ?」
「セシル坊、ひでぇこと言うなぁ」
「谷の入り口で一度スルーしちゃったし。ここは付き合うわよ」
そう言うと、エステラはトラックを降りる準備をし始めた。
パトリシアの車に同乗していた男たち二人が、てきぱきと手際よくタープを張っていく。折りたたみの机と椅子、大きめのレジャーシートが敷かれて、ほどなく準備が整った。
「さて、他の方々もおくつろぎになって」
トラックには、アリーチェとレオ爺を残している。
セシルとサイ犬は、外に出てきている。遺跡を見たいという要望からだ。念のため、パオラが護衛しているので、問題はないだろう。
お茶会用の机では、パトリシアが席に着いている。
エステラはパトリシアの対面に座った。
小さいコップにエスプレッソが突き出されたので、砂糖をぶっこんで飲む。
「紅茶は無いの?」
「文句があるなら、飲まなければよろしいのに」
「別に、無いならいいわ。それで、ただコーヒー飲んで、おしまいってわけじゃないんでしょ」
「もちろんですわ」
パトリシアもエスプレッソを飲みきり、真剣な表情でエステラを見る。
「それでは、まずはこちらの見解から。あの子を渡して、この件を終息させたいと考えておりますの」
「当然だけど、受け入れられない。どういう話か分かってる? そっちはクライアントについて、きちんと把握してるんでしょうね?」
「依頼主はラヴィニア・オードナンス。オードナンス一族ですわ。依頼主の情報を漏らすは、本来でしたらタブーですけれど、こちらも迷惑を掛けられて、少々腹が立っておりますの」
「へぇ、脅されでもした?」
「そんなところですわね」
「街を地図上から消す、とか」
「いいえ、『街を全て買い取る』とぬかしやがりましたわ」
「わぁ、豪快ね」
「下手をしたら、街が大混乱に陥るところでしたわ。そこで、わたくしが旗頭として立ち上がって、なんとか収めたわけですけれども」
街のゴロツキが暴走しないように、パトリシアが旗頭としてまとめている、という形なのだろう。
「じゃあ、街中の発砲事件は把握してる?」
「その件はわたくしの埒外ですわね。街の外から入ってくるものまでは、面倒見きれません」
「ふん……ま、正論ね」
「わたくしとしては、これ以上の混乱は困りますの。早急にあの子を引き渡して、オードナンスとは縁を切ってしまいたいのですわ」
「あらあら、腰が引けてんじゃない? パトリア・ミナルディ。街の総元締めの一人娘ともあろうものが、余所者に脅されて、へいこらしてるってわけ?」
「煽っても無駄ですわよ。見栄で街は守れませんもの」
口では平気なことを言っているが、内心穏やかではないのだろう。パトリシアは片手を押さえ、目元も厳しさを増していた。
(そりゃ、不本意よね。気持ちは、理解は出来るけど)
だからといって、セシルを渡す理由にはならない。
「うわぁ、わははあっ」
突然上がった、おかしな声。
エステラとパトリシアは、思わず横のレジャーシートに顔を向けた。
見れば、太めの男がサイ犬とじゃれあっていた。
逃げ腰のサイ犬を、両手でわしゃわしゃと撫でつつ、にこにこと笑みを浮かべている。つるつるの表面なのに、しっかりじゃれているように見えるのが奇妙である。
セシルはそれを、引きつった笑顔で眺めている。手が止めようかどうしようかと、宙をかいていた。
その横ではパオラが、あらあら~、と頬に手を当てて笑っている。
「ちょっと、何してんの?」
「こらジモ! 自重なさいな!」
「へ、へいっ! すんませ~ん!」
ジモと呼ばれた男が、のろのろとその場を離れていく。
セシルはほっと安堵の息をこぼした。
「ごめんなさい。大の犬好きで、困っておりますの……」
「犬って、ロボット犬よ?」
「節操無くて本当に……。ジモ! 車に戻ってなさいな!」
「へ~い~~~!」
ジモはどたどたと車の方へと走っていった。
「もう一人、運転手がいたかしら? 優男の」
「リッカルドですわね。よく考えたら、紹介した覚えがありませんわ」
「あの二人とは、付き合い長いわよね? かなり前から見ている気がするけど」
「ええ。子供の頃からですわ」
「そんなに!? へぇ、幼なじみなの?」
「出来の悪い弟二人ですわね」
「どう見てもあっちの方が年上よ」
「仕方ありませんわ。頼りになるお兄さまであれば、よろしかったのに」
「そういう力関係なわけね」
その出来の悪い弟であるリッカルドは、トラック運転席の外から、アリーチェに話しかけている。
そして、すげなく無視されている。どうやら芽はなさそうだ。
「さて、紅茶はまた今度。エステラ、引き渡し条件を提示いたしますわ」
パトリシアは何気なく姿勢を正すと、視線を強めて、
「今なら三千万で手を打ちます」
と、条件を告げた。
「却下。その五倍でもダメよ」
「はあ……交渉決裂ですわね。おおかた予想はしていましたけれど」
「これから『クレーターを出て、三十分は手出しせず』でいいかしら? 約束は、守るのよね?」
「ええ。それで構いませんわよ。次に会うときは、覚悟しておくことですわ」
「フフーン。せいぜい逃げ切ってみせるわよ」
エステラは少し愉快な気分になっていた。
なんだかんだで、相手はパトリシアだ。腐れ縁でしつこく、正直面倒な相手だが、言い分はある意味、真正直である。
そうと分かれば存分にやり合えるというものだ。
お茶会は約束通り三十分で終わり、トラックはなにごとも無くピアノ遺跡を抜けた。
パトリシアは不敵な笑みを浮かべて、それを見送った。
ピアノ遺跡は、谷の中央付近に位置している。
ピノ、バステアからの直線距離も大体同じだ。
しかし、ルートでみると、距離はビノが遠く、バステアに近くなる。
ビノ側は道が曲がりくねっており、どうしても遠回りになってしまうためだ。
ピアノ遺跡を過ぎれば、直線が増え、道幅もやや広くなる。
迂回路が少なくなる一方、狭い箇所も限られ、今までのように、簡単には道をふさげなくなるだろう。
結果的に、平均速度は上がる。
エステラの予定は、『五日目の正午に到着』のまま変わってない。
そして、その夜。
定期便コンテナが、ワームに襲われた。
またしても、予定は狂っていく。