(5) 2-2.大渓谷群エルバ(中)
一連の契約手続きが終わり、ダイニングでは、エステラ、レオ爺、セシル、サイ犬がくつろいでいた。
パオラは助手席に戻っている。まだ谷は入り口で、ナビ役は手持ちぶさたの様子だ。
「期限は五日、三日で到着……と言うことは、二日の余裕があるんですね」
「正確にはもう少し短いわね。少しスケジュールを計算しましょう」
エステラはタブレット端末を机に置き、メモを起動する。
「今日は午後からの出発、到着日は午後五時が期限ね。だから、正しくは『一日半』の余裕になるかしら」
「二日には満たないと」
やはり細かく計算していくと、余裕は減っていくものだ。
「ところで、この時期に道中三日かかる理由を聞いてもいいですか?」
「ええ。構わないわ」
タブレット端末の地図アプリを起動。画面に、網の目のようなエルバ大渓谷群の俯瞰図が表示される。
「さっき、磁気嵐のシーズンに入ると、主要な道路が使えなくなるって話、したでしょ」
「はい」
「普段は中央のエルバ川沿いを通行するんだけど。大きな道だから、磁気嵐の影響が地表まで降りてくるの。だから、ここは基本的に通行止めね」
「そこで、迂回路の出番というわけですね」
「そういうこと。でも道は細いし、カーブも多くて、速度も出せない。場合によっては落石で道がふさがって、通れない事もあるわ。ルート自体は幾つもあるから、進めなくなることは滅多にないけど」
「もしそうなったら時間をロスしますね」
「一日半の余裕といったら、いつもの便なら充分。でも、人為的な妨害を考えると……。長いか短いか、判断が難しいわね」
「やっぱり道をふさいでくると思いますか?」
「さあ、どこまで手間をかけてくるかしら」
「爆発物の類いは使いづれぇからな。隙間無くってのは難しいだろうよ」
道をふさぐとなれば、まず崖を爆破して崩す方法が思いつく。
しかし爆発物の流通は、その量が厳しく制限されている。
管理組織の監視を逃れての大量持ち込みは、まず不可能だ。
それに岩石を計画通りに爆破粉砕するには、専門の技術が必要不可欠である。短期間にそう多くは設置できない。
多少の時間稼ぎにはなるだろう。しかし、迂回路は網の目のようにあるし、万が一何カ所か同時にふさがったとしても、夜にワームがならしてしまう。エステラたちからしてみれば、さほど重大な障害ではない。
故に「手間に見合うだけの、結果が見込めるとは思えない」というのが、レオ爺とエステラの共通見解である。
「それと、夜に移動が出来ないのは聞いてる?」
「ジャイアントワームでしたか? すみません、名前くらいしか……」
「谷を行くには、重要なことだから覚えておいてね」
「はい。僕も知りたいと思ってたんです」
「ジャイアントワームは、昔から谷に住み着いてる巨大な芋虫よ。口のサイズは大体五メートルから、大きいのだと八メートルくらい。全長は五十メートル以上にもなるわ」
「ええ? そのサイズはちょっと想像できませんね……」
「昼は穴の中で寝ていて、夜になると活動を始める。活動中は地面の震動を敏感に察知して襲ってくるから、夜間の移動は厳禁よ」
「しかし、ワームはなぜ襲ってくるんでしょう」
「動いてるものならなんでも丸呑みするから……食事かしら?」
「話し声とかでもダメなんですか?」
「それは問題ないわね。外に出て地面で激しいダンスでもしたら、分からないけど」
「トラックを動かすのは、完全にアウトだな」
「地面の震動がポイントですか……」
「というわけで、谷の中は昼間しか移動ができないの。これが実際の距離に比べて、時間が多くかかる理由の一つね」
「なかなか厄介な道なんですね……」
「磁気嵐が収まってる時期なら、空路って手もあるんだけど。普通に飛んでるし。あ、でも、ごくたまに予兆無しで、電磁パルスが発生するのよね。これ、飛行機が食らうと、電装部品が全滅してコントロール喪失。地面にキスの直行コースね」
「空路も危険すぎやしませんか?」
「脱出方法は確立してるし、レスキューも優秀だから生還率は高いわよ。まあ、夜間だとワームがいるから、お察しの通り」
「夜間飛行は、やめて置いた方がよさそうです」
「そうね。ま、ルールさえ守れば、そうそう危険はないわ」
「ごめんなさぁ~い。そろそろ、迂回路よん。少し揺れるから気をつけてねぇ~」
トラックは、ドドド……と低い走行音を立て、エルバ川の主要ルートから、脇の迂回路ルートへ入っていく。
さてここからが本番と、皆が思った時だった。
「そこのトラック! 止まりなさい! 繰り返しますわ! そこのトラック! 止まりなさい!」
拡声器を通した割れ気味の声が、トラックに届いた。
細いが、見通しのいい道だ。
前方三百メートルほど、銀色のトレーラーが真横になった状態で、完全に道をふさいでいる。
上に人影が見える。
「エステラーーーーっ!!!! ここで会ったが百年目ですわ! シセルをこちらに……シセルじゃない? え? セシル? セシル……でよろしいんでしたっけ? ええ、なんでもよろしいですわ! とにかく観念しなさいな!!」
時折、後ろを振り返り、どこからか訂正の声を受けているようだ。
「あらぁ~、パトリシアちゃんじゃないのぉ~」
エステラが運転席に顔を出して、舌打ちした。
「うっわ、よりによって、あいつ? 業者のプライドってものが無いのかしら」
「強行突破、し・ちゃ・う?」
「ダメよ。別の道を行きましょ。相手をするだけ損だわ」
エステラの指示で、アリーチェがハンドルを切る。
そしてさっさと手前の脇道に入っていった。
「あれあれあれ? ばっ! ちょっと! なんでそこに道があるのよ! ああっ、またドジったわね! リッカルド! リッカルド! 地図を確認しなさいって、何度も言ったじゃない!」
後ろで悲壮な声が響いている。そして、ドカドカと鉄を叩く音。
「今のパトリシアって、どういう人なんです? 知り合いみたいですけど」
セシルも運転席に顔を出した。
「事ある毎に、突っかかってくるのよね。うっとうしいったらないわ」
「ラ・イ・バ・ル・関・係、ねっ!」
「冗談じゃ無いわ。腐れ縁よ。腐れ縁。出来ればさっさと縁切りしたい」
さらにカーブを曲がると、パトリシアの声はもう聞こえなくなった。
「しかしよく頑張ったな、あの嬢ちゃん。トレーラーをあんだけきっちり道に横置きすんのは骨が折れたろうに」
レオ爺が後ろから感想を述べた。
「根性よねぇ~。道幅に完全にハマってたわぁ~」
「脱出困難」
「えっ……それって?」
「道中、二度と彼女に会うことはないでしょうね」
「わびしい」
アリーチェの呟きはトラック車内にしんみりと響いた。
それからは特にトラブルも無く、順調に進んだ。
午後の出発だけあって、日が沈み始めるのは早い。
エステラの指示で、トラックは慎重に道の脇に寄せられる。ワームの通るであろう地帯を入念に避けての駐車だった。
そして、日が沈み、夜になった。
ダイニングに集まった面々は、それぞれの場所で自由にしている。
レオ爺は隅で本を読んでおり、パオラは食事の下ごしらえ。アリーチェの姿は見当たらない。
セシルとエステラは、相も変わらずシートで話している。
「日が沈んだら、やることはないんですか?」
「アリーチェが車体の日常点検をしてる間に、夕食を作って、それからみんなで食事タイム。あとはシャワーを浴びて、就寝かしら」
「それだけなんですか」
「基本的に夜は暇なのよ。ワームのせいでね。外にさえ出なければ自由にしてていいわ」
「へぇ、じゃあ、ダンスでもします?」
「それは男の人に言ったら駄目よ」
「……んん?」
「うふふっ! オトナになったら分かるわよぉ~ん!」
エプロン姿のパオラがすかさず会話に入ってきた。目が生き生きと輝いている。
料理する男の外見は、とてもスマートで魅力的だ。
この落差が不意に決まると、エステラはいつも頭がくらくらする。
「そっちのネタは大好物よね。ホント」
「えー……っと??」
「それはさておき、私、話したかしら。先日ワームに襲われたこと」
「いいえ、初耳です」
「一週間前の夜、運悪くワームに食われそうになったのよ。だからワームを呼び寄せる話は、トラウマっていうか。一応、タブーってことにしてね」
「ごめんなさい……。知らなかったこととはいえ、無神経でした!」
「も~~~、謝らないでぇ~ん。堅苦しいのは、ナ・シ、でしょっ!」
「はい。ありがとうございます。パオラさんは優しいですね」
「んもぉぉぅ~~~!!」
「うるさい」
バシリと、アリーチェが、吠えるパオラの頭を平手で叩いた。
乗降口から入ってきたようだ。
「おかえり、アリーチェ」
「うん。車両点検は完了。ごはんの時間」
「外、大丈夫なんですか?」
「この時間なら、静かにしてれば大丈夫よ」
「ほらほら、一品目が出来たわよぉ~ん。さ、みんな皿を出して、お上がりなさぁい!」
パオラの調理技術は、なかなかのものだった。
サラダにパスタに肉料理。種類も量も充分だ。
「お口に合うかしらぁ~ん?」
「とても美味しいですよ!」
セシルとしても満足だ。特に嫌いなものもない。
それからみんなで舌鼓を打った。もちろん残らず平らげた。
さて、トラックのシャワー室は、二人立てる程度で広くはない。
使用時はダイニングキッチンとの間をカーテンで仕切り、通路を更衣室代わりにする形となる。
つまり、何事かというと、シャワーの時間である。
通路を仕切って準備を終えると、エステラはセシルを呼んだ。
「セシルは私と一緒でいいわよね」
「あ、僕はいいです。そっちで身体を拭きますから」
「そんなの駄目に決まってるじゃない! 女の子ならちゃんとシャワーを浴びなさい!」
及び腰になるセシルだが、エステラに素早く拘束され、更衣スペースへと連行された。
「えあ、いえっ! だから僕はいいんです、いいんですったら!」
エステラが、セシルの服を器用に脱がせていく。
その早業にセシルはついて行けない。気がつけば生まれたままの姿になっていた。
「うわぁぁっ!」
胸に膨らみはなく、下は、付いていた。
「あれ? え? もしかしてセシル、男の子だったの?」
ゆっくりと、セシルの身体にバスタオルを巻き付けるエステラ。
「ごめん。あなたはパオラと一緒に入った方がよさそうね」
「ちょっと! それはないですよ! 後で一人で入ります!」
セシルは慌てて散らばった服を拾い、ダイニングへと逃げていった。
逃げた先では、それぞれの歓声。
「まさか男の子だとはね。不覚だわ……」
エステラは髪をかき上げ、ため息をついた。
オードナンスの一族は、なんともミステリアスだ。