(4) 2-1.大渓谷群エルバ(前)
ほどなく、一行は街を出て、谷に入った。
途中で何度かバイクや車が寄ってきたものの、遠巻きに様子を見るだけで、しばらくすると姿を消していった。
集積所で定期便のコンテナを積載し、谷の通行許可も無事に下り、これで運送業務の体裁が整ったと、エステラは安堵したものだ。
谷の入り口付近は、川沿いで道幅が広い。
左右の崖は、横縞の赤茶色で、植物の姿は少なめだ。
トラックが砂煙を上げて進んでいく。
トラックの居住スペースは、並のトレーラーハウスと、そう大差はない。
配置は前から、ダイニング、キッチン、シャワーに倉庫、一番後ろに仮眠室。運転席スペースとは、壁で区切られており、移動は中央の出入り口からとなる。
今はダイニングに、セシル、サイ犬、レオ爺、エステラがくつろいでいる。
セシルは備え付けのシートに腰掛け、足下ではサイ犬が伏せの状態。
キッチン横のカウンターチェアに、レオ爺が座っている。
エステラがキッチンで飲み物をコップに注いで、カップを二つ持って来た。片方をセシルに差し出す。
「レモン水でいい? 入れちゃった後だけど」
「はい、ありがとうございます」
セシルはハンチング帽を脱いでから、カップを受け取った。亜麻色の髪が、帽子から解放されて、肩の下まで流れる。
エステラは改めてその姿を観察する。
地味な恰好をしているが、礼儀正しい所作からは、教育と育ちの良さが見て取れる。
利発そうな太めの眉に、目はぱっちりとして眼力も強い。将来はかなりの美人になりそうだ。
「このトラック、大きいだけあって、中も広いんですね。快適に過ごせそうです」
「必然的にそうなるのよ。一度出発したら、車の中で数日は過ごすことになるから」
「道中、そんなに時間が掛かるものなんですか?」
「磁気嵐のシーズンに入ると、主要道路が使えなくなるの。迂回路を通らないといけないから、最短でも三日はかかるわ。普段なら、陸路で片道を急いで一日、定期便なら余裕見て二日なんけどね」
「最短ということは、もっとかかる場合も?」
「ルートの状況次第かしら。遅れといっても大抵は一日で済むわ」
「トラブルさえ起きなきゃ、別段難しいこたないぜ」
エステラはふと、前の運転席を見る。そういえば、スタッフを一人失念していた。
「あ、紹介するわ。今運転してるのが、運転手のアリーチェ。アリーチェ、お客様のセシルよ」
セシルが運転席側に顔を出して、挨拶をする。
「初めまして、よろしくお願いします。アリーチェ」
「よろしく」
挨拶を一言で返したのは、どこか眠そうにしている大柄な女性だ。
細身のリムフレーム眼鏡に、黒髪ショートボブ。
上はワイシャツ一枚、下はスリムシーンズ。
手にドライバーグローブをはめている。
視線は前を向いたままで、セシルにはあまり興味を示していないように見える。
「ごめんなさいね。彼女、口べたなのよ。腕は確かだから勘弁して頂戴」
「大丈夫ですよ。どうぞ気楽にしてください。道中、堅苦しいのはよしましょう」
「そうよぉん。『旅は道連れ世は情け』、って言うじゃなぁ~い」
『旅は~』を低音渋く言ったパオラが、前の助手席から、ダイニングに入ってきた。
「ちょっと、いきなり渋い声出さないでよ。びっくりするわ!」
「うふふっ、ときめいちゃったかしらぁん?」
「ないない。……さてと、パオラ。そろそろいい頃合いね。事情を聞かせてもらうわよ。運送会社に小さい女の子が用事って、まさか社会見学にきたわけでもないんでしょう?」
「わ・かっ・て・る・わ・よっ」
「気色悪いから指を振るな。さっさと話せ」
エステラのその声も、低くドスが利いていた。
「うんうんっ。セシルちゃんはバステラに行きたいってぇ~」
「さっき本人も言ってたわね。それで?」
「それでね……そこからは、アタシも後で聞くつもりだったのっ!」
パオラはウインク。人差し指を立てて、ポーズを決めた。
エステラの目が据わっている。
レオ爺は腕組みしたまま動かない。
「はい! 僕がお話します!」
セシルが空気を読んで、素早く手を上げた。
エステラの機嫌がズンドコ傾斜していく気配を察知したのだ。
「実は正式にお仕事の依頼をしたいんです」
「仕事? この状況で、『手紙をお届け、一通百クレジットで』なんて、ほのぼのした話だったら、パオラのケツを十回は蹴ってやるわよ」
「ちょっとぉっ、ワケあり話なのよっ。茶化さないで、ちゃんと聞きましょうよぉ~」
意外にも普通に諭されて、エステラは姿勢を正した。
「……ごめんなさい。少しふざけすぎたわね。ここからは真面目にいきましょう」
少し身を乗り出して、セシルへ右手を差し出す。
「改めて、ようこそエステラトランスポートへ。私は社長のエステラ。よろしく」
セシルも、自然な仕草で握手に応じる。
「はい。僕はセシル・オードナンス。よろしくお願いします。セシルと呼んでください。こっちのロボット犬はサイといいます」
「サイケンともうします。いご、おみしりおきを」
サイ犬は、きちんとお座りをして頭を下げた。
エステラは眉を潜める。
挨拶の時点で、いきなり、無視できない単語が混ざっていた。
「セシル・オードナンス……オードナンス? ごめんなさい。もしかしてオードナンスグループと関係が?」
「すみません。そういう事になります。ですから、少し難しいお仕事になるかと……」
セシルの肯定を受けて、エステラは心の中で舌打ちした。
それが本当なら『少し難しい』で済むとは思えない。
対面のシートに座り直しながら、大まかな記憶を頭の中から引っ張り出す。
オードナンスグループは、国をまたぐ巨大複合企業だ。
その実態は、一族経営による典型的な財閥といえる。
この星へ植民した当初から存在し、長らく経済を牛耳ってきたため、オードナンス王国と揶揄する者も少なくない。
現在では、最盛期ほどの勢いは無いと評されている。星系のランキングでは、五番手といったところだ。
しかしその実、オードナンスグループの本質的な強さは、強力なコネクションによるものだ。各種団体への発言力は大きく、衰えを見せない。ランキングには出てこない部分である。
業種は様々。軍需、航空宇宙から生活用品までと幅広い。
中でも福祉の部門がよく目立っている。
経済弱者をすくい上げ、積極的に投資する活動は、利益回収が不安定だが、部門設立以来、なぜか一度も止まったことがない。
そこには企業イメージ戦略のためだけとは、言い切れない部分がある。なんらかの主義、思想が根底にあるようだ。
社会福祉が表の面とするなら、裏の面もあり、その界隈では有名だ。
抗争による破壊活動。
そんな黒い噂へとたどり着くのは、難しいことではない。
大部分が身内の小競り合いだが、高確率で泥沼化し、その悲惨さは、死者数の合計が地方都市一つ分に並ぶ……と言われている。
所詮は噂だ。数値は大いに盛られるものである。真実は『あっても微量』。
そして微量の真実といえど、やはり物騒な話である。無視などできない。
レオ爺をちらりと見ると、思った通り難しい顔をしていた。
真実か、それとも騙りか。
目の前にいるのは、育ちの良さそうな子供と、ロボット犬だ。
常識的に考えるなら、オードナンス一族の関係者などと告げられても、戯言以外の何物でもないのだが。
「それで、本題ですが、僕を谷の向こうまで運んで欲しいのです。行き先は谷を抜けてすぐの街、バステアにいる叔父の家までです」
「そこに到着すれば、追っ手も諦めるって考え方でいいのね」
「はい、ですから、そこに着きさえすれば、以後は安全です」
「期限はいつまでかしら」
「それは、サイが知っているはずなのですが……」
ロボット犬に皆の視線が集まる。
金属質の耳が震える。
目元の横一文字アイグラスの中で、僅かに動作音がした。
「のこりにっすうは、いつかでございます」
「サイ? ちょっと待って、五日?」
「いつかが、きげんでございます」
セシルは思わず呟いた。「なぜ」と。
「そりゃ今日を入れて、五日ってことか?」
「ほんじつを、ふくみます。よっかご、十二じが、きげんです」
「一応は可能な日程ね。期限について、事情を詳しく聞いてもいいかしら」
「すみません。それは話せません。有効期限がある問題とだけ」
「では、なぜ今になって期限を確認したの? もっと前から知っていてもいい情報だと思うけど」
「以前から何度もサイに尋ねてはいたんです。でも、サイは今まで情報を公開しませんでした」
「興味深いわねぇ~。なにか条件でも合ったのかしらぁ~?」
「時間? 何日以降とか。それとも場所? 谷に入ったらとか」
この犬の件には、怪しさがある。
秘密の話は、正直言ってあまり歓迎できない。
そもそもエステラトランスポートはカタギの会社であって、アウトローではない。法を犯すような仕事をやれるはずがない。
「一応確認するけど、違法な話ではないのよね?」
その質問を聞いて、セシルは固くなっていた表情を少し和らげた。
「はい、それなら心配ありません。先ほども言いましたが、僕が会いに行く人は、バステアにいる叔父です。名前はクウェンティン・オードナンス。職業は司法長官なのです」
「それはまた」
「随分と大物が出てきやがったな」
「クウェンティン司法長官ねぇ~。ええ、確かに実在の人物よぉ~」
パオラが気を利かせ、タブレット端末で確認していた。
エステラもパオラから受け取り確認する。
(真実の天秤に、錘を追加ね)
とエステラは思う。信用できるデータベースだ。間違いは無い。
「道中に襲撃されたのは、セシルがクウェンティンさんに会うのを阻止するためなのね?」
「そういうことだと思います。谷の中での事故を狙ってくる、と」
「うち自慢のトラックが、そうそう当たり負けるとは思えないけど。ホント、荒事は勘弁して欲しいわね。定期便のコンテナ、積んで来ちゃったじゃない」
「はい。そこで報酬についてですが」
セシルの言葉に、トラック内部に沈黙が落ちる。
「この度は突然のお話ですし、相当なご無理をお願いすることになると思います。修理費用や積み荷の損害など……、また、詳しくお話しできない部分もありますし、場合によっては守秘義務の契約もさせていただく事になります」
軽く息を吸ってから、セシルは続けた。
「諸経費含めて、一億クレジットをお約束します」
「一億」
エステラは魂が抜けたように、金額を繰り返した。
パオロは鳩が豆鉄砲を食ったように、目を丸くし硬直している。
「契約料として達成の成否にかかわらず三千万、達成後に七千万をお支払いします。どんぶり勘定と感じられるかも知れません。しかし、ふざけているわけではありません。僕はこれが妥当な金額だと考えています」
「ええとはい、分かりました……」
色々と計算する前に、インパクトで押し切られた感がある。一億クレジットと言えば、会社の総資産額に近い。土地、改造トラックと各種設備の資産を合わせて、概ねそのくらいということだ。借金分を合わせたら、現状ではもはや下回る勢いである。
(借金を返して、お釣りが来る)
エステラの頭に浮かんだのは、それだけだった。
「セシルくん。すまんが、少し時間をくれんかね。社長と相談がしたい」
「はい、ゆっくり検討していただいて構いません」
「レオ爺?」
「エステラ。ちょっと前に行くぜ。アリーチェ! 俺と運転交代だ!」
「了解」
どこか我を失っているエステラは、レオ爺に運転席の方へと連れて行かれた。
レオ爺とアリーチェが運転を代わる。
アリーチェはそのままダイニングへと移動し、運転席とダイニングの仕切りを閉じた。
込み入った社内事情の話だ。部外者に聞かせるものではない。
エステラは助手席に座ると、眉を寄せ、口元に片手を当てた。
「エステラよ。この話、どう思う」
それを横目に、レオ爺はおもむろに切り出した。
「悪い話ではないと思う。女の子を五日以内に運んで、一億クレジット。谷での襲撃なら、ルートを選べば、いくらかはやり過ごせるはずよ。元々定期便の荷物は届けるつもりだったんだから、バステアに行くのは変わりないし」
「ああ。そこは俺も同じ意見なんだがよ……」
「なに? 気になることでもあるの?」
「パオラが持ってきたこのヤマだが……オードナンス一族たぁ、さすがに荒唐無稽すぎるぜ。仮に本当だったとしても、嫌な感じがプンプンしやがる」
金額のインパクトの中、レオ爺は冷静さを保っていた。
「レオ爺が消極的なんて珍しいわね。オードナンスグループの噂は、私だって聞いているわ。私には嫌な感じというより、謎が多くてミステリアスな感じだけど」
「ロマンの話をしてるんじゃねぇよ。悪いことは言わねぇから、この依頼、受けるのは止めといた方がいい。社長の座を譲った身で、横から口出しなんざ、格好悪くてしたかねぇんだがよ」
「じゃあロマン抜きで、現実の話をしましょう。今の私たちは借金まみれで、リスクどうこう言っている状況じゃない。まさに崖っぷちよ」
「この際、会社が潰れるくらい、いいじゃねぇか」
「そんなの、いいわけないわよ……。二代で会社を潰してどうするのよ。これが最後のチャンスかもしれない。レオ爺、あなたいつも言ってたじゃない。女神の後ろ髪は手を伸ばしてつかめ、って」
「つかんだ先は、道化の帽子か、死神の裾かもしれねぇぜ」
「ホント今日は随分とネガティブね。私だって命は大事よ。だから無理はしない。いつもより余裕を大きく持って、もし危なそうだったら、すぐに引き返す。これではダメ?」
レオ爺は、ハンドルを握ったまま、前方を睨み、しばし黙考する。
嫌な予感と言っても、所詮は老人の勘だ。
正直、年齢による衰えも端々で感じている。
自覚はあるのだ。
色々なことに臆病になってきているのが分かる。
「そうさな……おめぇがそこまで言うんなら、それもアリか」
さしあたって、言うべきことは言った。
あとは若者のサポートをするのが、先達たる自分の役目だろう。
「いいの?」
「引き際はしっかり判断しろよ。迷うんじゃねぇぞ」
「もちろん! それくらいの場数は踏んでるつもりだわ」
「よし。なら、あとは仕事の時間だ。そら気合い入れてけ!」
レオ爺とエステラは、片手同士を、バチンと合わせた。
「ありがとう。レオ爺!」
エステラはすっきりした様子で仕切りを開け、ダイニングに戻っていく。
運転席に残ったレオ爺は、空を眺め、一息つく。
「ま、覚悟だけは決めておくか」
そう独りごちた。
「覚悟?」
「ウェイ! アリーチェ!? なんでもねぇよ! いるならいると言え!」
エステラと入れ替わり、アリーチェが運転席に戻ってきていた。
ばつが悪く、乱暴に頭をかかざるを得ない。
「運転交代」
アリーチェは特に触れず、レオ爺を運転席から追い出した。
そして、ダイニング。
セシルの元に戻ったエステラは、再び右手を差し出していた。
「その依頼、正式に受けさせてもらうわ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると信じていました」
立ち上がり、一度頭を下げるセシル。
二人はしっかりと握手を交わした。
セシルの暖かい手を感じながら、エステラは思う。
正直なところ、この仕事を受けるのに、選択の余地は無かったように思う。
エステラトランスポートの窮状。
パオラの行動。
引き返せない期限。
オードナンスの一族に関わる道が、この先、天国地獄どちらに繋がっているのか、神ならぬ身のエステラには分からない。
目の前には、不安も期待も一緒くたに混ぜ込んだ、現実という一杯のスープ。
エステラトランスポートの社長として、飲み込んでいくしかない。