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(3) 1-2.大渓谷の街ビノ(後)

 中小運送会社の事務所など、いつの時代もたいして変わり映えのしないものだ。

 無愛想なオフィスデスクと四つと、キャスター付きのチェアー。

 伝統的な応接セットに、書類棚、金庫、ロッカー、申し訳ていどの観葉植物などのインテリア。

 あとは、作業着やいくつかの道具類を配置したら、概ね普遍的な事務所風景となる。

 今、そんな部屋のデスクの一つで、小柄な若い女が難しい顔をしている。

 小豆色の髪を首の後ろで一つに結び、服装は動きやすそうなパンツスーツ。

 彼女はタブレット端末を顔の前に掲げ、その画面をじっと見つめている。


「台所は火の車、とは。このことね」


 眉間にはしわが寄り、口がへの字に曲がる。

 悩みは非常に深そうだ。一言呟いてからも、小さくうなり続けている。


「そんなに思い詰めても、数字は変わりゃせんぞ。エステラよ」


 すぐ脇に立っていた老人が、声をかけた。

 白髪は短く刈られ、顔にはしわが目立っている。

 作業着の上に使い古したジャンパーを羽織り、体格はがっしりと、背筋も伸びている。

 まだまだ現役と言い出しそうな、働き者の爺さん、といった風采だ。


「レオ爺も見てよ。どう考えてもおかしくない? たった一週間で、借金が五倍よ。五倍」

「そりゃおめぇ、運が悪かったのさ。ジャイアントワームに襲われっちまって、命があるだけめっけもんだ」


 エステラは目をつむり、一週間前に起きた事故を思い出す。


「ナマモノの運搬業務だったわね。大型動物、三匹を二日間眠らせて、谷で一泊のスケジュール」

「ああ。仕事自体は普段通りやりゃ、こなせる話だ」

「……でも、夜に停車してた時だった。突然、後ろのコンテナが大きく揺れはじめて、震動に感づいたワームが一撃粉砕。慌てて飛び起きて、トレーラーごと切り離したから、それ以上の被害は出なかったけど……」

「俺もあれはションベンちびるかと思ったぜ」

「まさか、積み荷の大型動物に投与した麻酔の量を、ミスってるとか。しかも、よりによって夜に起き出すとか。……ホント信じられない。命からがら街に戻ってみたら、『絶滅寸前の稀少動物』だかなんだかで、とんでもない賠償額。一応、ウチの過失じゃないから、いくらか減額されたけど、中小の零細運輸会社なめんなって……。事故調査やらなんやらで、何日も運行差し止められて、地味に痛かったし。保険金も焼け石に水だわ」

「ひでぇ事件だったな……」

「前代未聞の大赤字よ。このままだと来月には、本当に首が回らなくなっちゃうわ」

「まあな……だがよエステラ。スタッフもトラックも、無傷で済んだのは、ある意味幸運だったんだぜ?」

「それは分かってるわよ。だから仕事自体はすぐにでもやれるのよね。事故調査だって、昨日には終わったし。車両の整備だって完璧よ。時間はいくらでもあったし。うん。でも本当、こんな借金、いつもの定期便だけじゃ、絶対追いつかない。一体どんな仕事なら返済できるっていうのかしら……」


 レオ爺は腕を組んで言った。


「割のいい仕事(ヤマ)っつったら……、パオラ頼みってとこだな」


 眉を潜めて、レオ爺を見るエステラ。


「あいつに任せてるって思うと、さらに不安が増すのよ……」

「スタイルはアレだが、セールスの腕は確かさ。なかなか鼻が効くんだぜ。付き合い自体は、そう長かねぇが、何度か助けられたろ。信用できるヤツさ。多分な」

「そりゃね。そうなんだけど、さー……」


 エステラはデスク上にタブレット端末を放り置き、そのまま突っ伏した。


「せめてね。磁気嵐のシーズンじゃなきゃ、バステラへの超特急便で、数を増やせたかも……」

「焼け石に水だな。愚痴なら元凶の宇宙船に言ってやんな。聞きゃしねぇと思うがね」

「はぁー、もはやわれらに打つべき手段もなかりせば。あとはしかばねを晒すのみだわ」

「ぼやくなぼやくな。いい年した女が、だらしねぇなぁ」


 呆れ顔のレオ爺は、片手で頭をかき、改めて今後のことを思う。

 実際のところ、破産したからといって、本当に『しかばねを晒す』わけはない。

 自然な流れなら、そのまま別の会社に吸収されて、社員も引き続き雇用されるだろう。

 エステラは、社長職を辞することになるだろうが、再起の芽は残る。

 自分が起業し設立した会社だが、歳を重ねた今ではもう、スタッフの方が大切な存在になっている。

 社名自体に、さほどの未練はない。

 現社長であるエステラと、社員達の行く末さえ保証されれば、レオ爺の心情としては、別段問題ないのだった。

 ……そして、そんなレオ爺の思いを、エステラも一応は察している。

 だが、納得はしていない。レオ爺から受け継いだ会社を、ここでむざむざと潰したくなどない。

 エステラにも二代目社長としての意地があるし、会社自体に愛着もある。

 出来るなら、最後まで足掻きたいのだ。


 ほどなく。

 思案を続けるエステラとレオ爺の元にノックの音が届いた。


「どうぞ、入ってください」


 エステラは顔を上げ、さっと表情を引き締める。

 いくら重い悩みがあっても、社長としての体裁は整えねばやってられない。

 間を置かず事務所のドアが開く。

 入ってきたのは、ダンディズム漂う立派な紳士。

 彼は品の良い笑みを浮かべた後、


「たっだぁいま、帰りかえりましたぁ~」


 と、特徴のあるオネエ言葉を発した。


「あらおかえり。パオロ」

「パ・オ・ラよっ! そっちで呼んじゃダメなのぉ~!」


 パオラ(と名前を訂正したパオロ)は、批難の言葉を紡ぎながら、流れるような所作で入り口脇のポールハンガーにハットを掛ける。

 そして、軽快なステップで腰を振った。


「っとぉ、のんびりしてる場合じゃ無いのよん! セシルちゃん、入って入ってぇ~!」


 パオラの手招きで、後ろからセシルとサイ犬が入ってきた。


「え、なに? どうしたの、その女の子は」

「この子、追われてるのよぉ~! 今すぐトラックを出して頂戴っ! お願ぁ~いっ!」

「追われてるって、パオラ……。もう、こんな時に厄介事は勘弁してよ?」

「仕方ねぇなぁ。やるか、エステラ」

「気乗りしないんだけど。はぁ、ここで言い合ってるより動いた方がいいか。レオ爺、トラックの方は、頼んだわ」

「おう、先にエンジン回してくるぜ」


 レオ爺は机の引き出しから鍵を取り出し、ガレージの方へと向かった。


「パオラ! 前のでっかい借りはこれでチャラ! 事情はちゃんと説明して貰うわよ! トラック動かすのだってタダじゃないんだから!」


 文句を言いつつ、エステラは迅速に動いた。

 奥のロッカーから頑丈そうトランクを取り出し、ガレージに繋がる扉へ。

 パオラも、ロッカー横に置いてあった中型のトランクを担いで行く。

 セシルとサイ犬が、その後に続く。

 ガレージに入ると、中は薄暗かった。明るさに慣れた目では、周囲がよく見えない。

 辺りには、低いエンジン音が響いている。


「定期便のコンテナは積んでいけるかしら、谷の通行許可は明日のを繰り上げて……」

「あらぁ、谷に入っちゃうのぉ~?」

「パオラもそのつもりだったんでしょ? 一旦避難するだけよ。ついでに荷物も届けられたら一石二鳥だし」

「もしかしてバステラまで行くんですか!?」

「たぶんそうなるわね。で、セシルって言ったかしら、あなたもそれで構わない?」

「ええ! 僕の目的地もバステラです! そこまで行けば追っ手も諦めます!」


 ガレージの正面扉が開く。

 左手より、外の強い日差しが入り、セシルは眩しさに目を細めた。

 そして、右前方すぐに、巨大な鉄塊が居座っている。

 六輪の大型車両。

 高さは四メートル以上、全長は八メートルほどか。

 後ろ半分以上は、居住スペースのようだ。

 ぱっと見では、大きいキャンピングカーのようにも見える。

 しかしそれは、『装甲済みの』、と但し書きが付く。

 外側には、分割された装甲が要所に備えられ、前面も網状のシールドが張ってある。

 タイヤは堅く頑丈そうで、割合大きめだ。悪路を走るためだろう。

 車高、サスペンションのストロークが長く、やや背伸びをしているようにも見える。

 後ろにトレーラーを引いており、今は縦長の小型コンテナが一つだけ載せられている。

 トラック自体に、大きな損傷は見られない。

 ハードな仕事道具としての、キズや汚れはあるものの、なかなかに綺麗なものだ。


「どう? エステラトランスポート自慢の、フルカスタムトラックよ」

「すごい! 大きいですね! 格好いいです!」

「ありがと」


 エステラの返答は、そっけないが、心中まんざらでもなかった。

 会社が所有するこのトラックには、随分と手間と金をかけている。褒められて悪い気はしない。


「細けぇことは、後にしろ! さっさと出るぞ!」


 トラック助手席側の窓から、レオ爺が顔を出している。


「は~い、急いで急いでぇ~」


 トラック側面の乗降口から、セシルとサイ犬、パオラが乗り込んでいく。

 エステラは、自分のトランクをトラックの中へ引き上げながら考える。

 パオラがセシルを連れてきて、会社をよく分からない荒事に巻き込んだのは、正直言って腹立たしい。どう考えても迷惑でしかない。

 だからといって、『取り合う必要無し』と放り出すのも、やはりあり得ない。

 パオラへの『大きな借り』は、実のところ建前八割だ。

 そんなものが無くても、説明を一時保留してもいいくらいには、深い付き合いである。

 もちろん、無条件にとはいかないが。

 議論するのは、目の前の状況が落ち着いてからだ。


「さてと、頭を切り替えましょうか」


 全員がトラックに乗り込み、乗降口のドアが閉じられた。

 ガレージの外は、さらに風が強くなり、視界が砂埃で少しベージュに煙っている。

 エステラトランスポートの大型トラックが、唸りを上げて発進する。

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