第五章 ~『公爵の悲劇と雇われたエネロア』~
公爵は城の暖炉で薪木がパチパチと燃える様を見ながら、頭を抱えていた。
「この薪木は我が公国と同じだ。エスティア王国という炎に呑まれようとしている」
公爵は大きなため息を吐く。彼がここまで追い詰められているのは、新都市アリアドネの存在が原因だった。
「城と城下町さえ無事なら、いつか復権することもできる。そう信じていた……」
だが現実は公爵の思い描いた通りには進まなかった。公国で唯一活気があるはずの城下町は廃れ、新都市アリアドネが周辺で最も活気のある街へと変貌を遂げた。
「城下町から人が消えると、公国の税収が減る……何か手を打たなければ……」
だが公爵に都市開発のノウハウはない。城下町を発展させるようなアイデアは何も思い浮かばなかった。
「エスティア王国の国王さえいなければ……」
城下町を発展させることができないなら、相手の足を引っ張ればいい。公爵はそのために手を打っていた。
「あなたが私の雇い主ね」
暗闇に潜む人影が鈴の鳴るような声を発する。薄暗い室内でも輝いて見える桃色の髪と、頭に浮かんだ狐耳、そして吉祥文様柄の和服を身に纏う少女は公爵が雇った切り札だった。
「来てくれたことに感謝する」
「私を呼び出すほどの用件なのね」
「君でなくてはできない。最強の剣闘士エネロアでなければな」
公爵が雇ったのは闘技場ギャンブルにおいて無敗の女王として君臨する剣闘士エネロアだった。桃色の恐ろしい髪をした彼女は、そのあまりの強さから対戦相手を用意できないほどの実力者だった。
「私の値段は高いわよ」
「分かっている。しかしそれだけの価値がある敵だ。なにせ魔王領最強の一角ライザックを沈めたほどの実力者だからな」
「まさか……」
「そのまさかだ。君に始末して欲しいのはエスティア王国の国王だ」
ライザックを倒した山田がターゲットだと知らされたエネロアは、身に纏う雰囲気を変えて、全身から殺気を放つ。気づくと公爵の手が震えていた。
「決めたわ。あなたを痛めつけることにする」
「はぁ?」
公爵の頭が疑問符でいっぱいになった瞬間、彼の目の前にエネロアが一瞬で移動していた。あまりに早い間合いを詰める動きに付いていけず、彼は体を硬直させる。
「手加減しといてあげるわ」
公爵は迫り来る危険に対応するため魔法の盾を展開する。しかしエネロアは盾を突き破り、公爵の腹部に拳を突き刺す。手加減されていたため吹き飛ぶほどの威力はないが、彼の膝を折るには十分な力がこもっていた。
「魔法の防御でダメージを最小限に抑えたようだけど、私の拳はその程度の力じゃ防げないわ」
「ど、どうして……」
公爵は疑問と苦悶の声を漏らす。雇い主である自分が殴られている現状に理解が追い付いていなかった。
「簡単よ。エスティア王国の国王、山田様は私のものなの」
「は?」
「だから始末するなんて許さない。ただそれだけよ」
公爵は目尻に涙を浮かべて気を失う。打てる手立てがなくなった絶望と腹部の痛みが彼の意識を刈り取ったのだった。