第二章 ~『救い出した褒美』~
アリアを救い出したイリスと共に、山田はエスタウンの中心に位置するエスティア王国城へと移動した。移動手段は徒歩ではなく、アリアが保持している転移魔法の力によるものであった。そんな魔法があるなら、誘拐犯から逃げることも可能なのではと山田は疑問に思ったが、魔法には魔力が必要で、満足に食事や睡眠を取っていないと、魔力不足で使えないのだという。
(ここが城の中か……)
大理石の壁とステンドグラスの窓、床に敷かれた赤い絨毯は踏みつけた感触で高価だと分かる。
エスティア王国城の王の間。姫を救い出した山田は、お礼をしたいとの申し出を受けて、この場所へと案内されたのだ。
玉座には金糸で縫われた燕尾服を着た男が座っている。男は黒髭に触れながら、山田を観察するように見つめていた。
「アリアよ、無事じゃったか」
「はい、お父様」
王は立ち上がると、親子の絆を確かめるようにアリアをがっしりと抱きしめる。彼は涙で目を濡らしながら喜んでいた。
「なにもされなかったのか?」
「何度か殴られましたが、純潔は守り抜きました。これもすべてイリス姉様のおかげです」
「イリス、お主も無事でよかった」
王は随分と涙もろいのか、とうとうポロポロと涙を零す。二人の無事を心から喜んでいるのが見て取れた。
「お父様、アリアを救ったのは私ではありません。そこにいる山田様が、命を賭けて救い出したのです」
「おおっ、お主が!」
王は感謝の気持ちを表現するように、山田のこともぎゅっと抱きしめる。
(暑苦しい……男に抱擁されて喜ぶ趣味は俺にはないのだが……)
「私からも感謝するわね。ありがとう、山田君」
アリアが頭を下げると、黒い髪がはらりと散る。見惚れるような美しい髪だった。
「気にしなくていいさ。アリアも俺のことを救ってくれたしな」
「その借りはすでにパン屋を繁盛させることで返してもらったわ。今回の件は貸しにしておいて」
「おう、いずれ何かの形で返してくれ」
アリアと山田のやり取りを聞いていた王が、二人の関係を訊ねる。異世界から召喚されたことや、パン屋経営を黒字化したことなどを説明した。
「顔見知りというわけじゃな。とはいえ、褒美を与えんとな。お主、何か望みはないのか?」
「俺は助けるべくして助けただけだ。褒美が欲しくて助けたんじゃない」
「なんと謙虚な男だ。気に入った! 気に入ったぞ!」
王が山田の肩をバンバンと叩く。能力値が高いおかげで痛みは感じないが、課金する前の山田なら痛みで悶えていた衝撃である。
「私からもお礼を、そして謝罪をさせてください」
イリスが地面に膝を付き、頭を下げて、土下座する。突然の土下座に、アリアと王は慌てふためく。山田も状況に頭が追いついていなかった。
「私はあなたを誘拐犯呼ばわりし、さらには尋問のため何度も傷つけてしまいました。無実の、それも恩人を害した私は、とても許されない行為をしたと反省しています」
「反省しているのは十分に伝わった。俺は気にしていないから頭を上げてくれ」
「そうはいきません。罪には罰が必要です。私を煮るなり焼くなり好きにしてください」
「煮るなり焼くなりと言っても……」
「覚悟はできています。あなたが望むのなら、奴隷になることも厭いません」
奴隷。それは王国における被支配階級であり、人として生きる権利をすべて主人に捧げることを意味した。
「イリス姉様、馬鹿なことを言わないで。謝罪が必要なら私からも謝るし、山田君もきっとそんなこと望んでないわ」
「そうだぞ、イリスよ。王族が奴隷になるなど馬鹿なことを言うでない」
山田は二人と意見が一致していた。奴隷を作るとはつまり、山田がイリスを養っていくということでもある。
(俺は一生を遊んで暮らしたいんだ。養ってくれるならともかく、扶養する相手を増やす提案なんて断固お断りだ)
そのことを伝えると、三者は三様の反応を示した。
王はイリスを奴隷にすることへの反対意見に喜び、アリアは山田らしいと呆れた笑みを浮かべ、イリスはどう謝罪すれば良いのか分からないと困惑の表情を浮かべていた。
「奴隷が嫌なのであれば、他に願いはないのですか? 私は贖罪のためなら何でもする覚悟です」
「願いか……」
思えば元の世界では外資系投資銀行に入社して多忙の日々を過ごした山田だが、せっかく若返ったのだし、原点に戻るのも悪くないと考えていた。
つまり専業主夫を目指すのである。
今回の相手は一国の姫だ。いきなり結婚してくれと要求しても受け入れてくれるとは思えないが、もしかすると王が資産家の令嬢を紹介してくれるかもしれない。あとは資産を食いつぶして、遊んで暮らせば良い。合法ニート生活の始まりに、山田は胸を躍らせた。
「どんな望みでも仰ってください。私が叶えられることであれば必ず叶えてみせます」
「それなら俺と結婚してくれ」
言ってしまった。口にしてしまった。王とアリアは驚愕で目を丸くしている。想定していた反応だ。一国の姫に求婚したのだ。こうなるのも無理はない。
さて、ここからが勝負である。山田を養ってくれる女性の紹介、専業主夫を許せる広い心を持つお嬢様をどうにかして交渉のテーブルに引き摺り出すのだ。
(数々のディールを乗り越えてきた俺だ。この程度の試練、楽々と乗り越えられるはずだ)
「う、うぅ……」
イリスが紅い瞳から突然涙を零し始める。大粒の涙が赤い絨毯へと吸い込まれていく。
(俺に求婚されたことが泣くほど嫌だったのか。さすがに傷つくぞ、おい)
「何も泣かなくてもいいじゃないか……」
「違うんです。私、嬉しくて……」
(求婚されて泣いて喜ぶなんて、もしかして今の俺はモテ期なのか)
「山田君と言ったかな」
「はぁ……」
王が山田の手を取り、ブンブンと上下に振る。彼は口元を崩して、ニンマリとした笑みを浮かべる。
(なんだか悪い予感が……)
だが山田は察知するのが遅すぎた。王の心に決心の炎が灯る。
「今日から君はワシの息子だ」
「え?」
「そしてワシは王を辞める」
「ど、どういうことだ――」
「君がこの国の王となるのだ。頼んだぞ、王国と娘の未来を!」
専業主夫を希望したはずの山田は、なぜかエスティア王国の国王になっていた。