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前世廻り  作者: riddle
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第二章「女王と影」⑤


 結局、俺は30分の激闘によってその後の昼休みと午後の授業をほぼ眠って過ごすこととなった。それはもう久しぶりの激しい運動だったので、正直教室に戻ってきたときには既にまぶたがかなり重かったし、昼休みは完全に意識が落ちていた。おかげで昼食を食べ損ねてしまったのだけど、誰かがあんぱんを鞄の上に置いてくれていて、それを放課後にいただいた。お金、返さなきゃな。


 今は重い体を引きずって帰りの道のりを歩いているところだ。なんていうか、身体的な部分もあったけど、精神的にもあんなに高揚したのは久しぶりだった気がする。だからこんなに余計に疲れてしまったのだろう。ついでに明日は筋肉痛かもしれない。これは体育をサボった分が高くついてしまったな。なんか変な奴の名前まで覚えさせられるし……。えっと、向井千里むかい せんりだっけ。まあシュート力だけは俺より上だということは認めよう。


「そういえば、今日は夕飯買っていかなきゃいけないんだ」


 忘れていた。メアリがクラスの奴らと遊びに行くから一人で食べるんだった。

 我が家は彼女が転がり込んできた際に『ごはんはアタシが作る』と申し出てくれたので、基本的に料理はメアリに一任している。なのでメアリがいない日は自炊するか外食か買ってくるかの選択になる。


「今日はもう、コンビニでいいや」


 何も作れる気がしないので、適当にパスタと惣菜を買って帰宅することにした。その道中で繁華街を通ったとき、界隈が少し騒がしいことに気が付いた。

 警官が多い? と思う。街の至る所で通行人に聞き込みを行っていた。多聞に漏れず、俺の方にも声をかけられた。


「通行中に申し訳ないです。今ちょっと時間よろしいでしょうか?」

「……はい」


 若い警官は俺を道端へと誘導し、携帯端末のような物を取り出していくつか質問してきた。簡潔にいうと『この辺で不審な少女を見かけなかったか』という話だった。


「先週から、深夜に高校生くらいの女の子が街中でずっと立っているという通報が多く寄せられていてね。まあ何もないと思うんだけど、被疑者にも被害者にもなりうるから一応聞いて回ってるんですよ」


 たまに敬語が外れるあたり根はフランクな人なのだろう。とても人当りの良さそうな印象のお兄さんだった。あいにく深夜に出かけたりしない善良な高校生だったので有益な情報は提供できず、夜道は気を付けて歩くようにと最後に言われ、警官は街中へと戻っていった。


 深夜にたたずむ女の子、か。


 別に何かしたわけでもないのに、こんなに大勢の警官が街中で聞き込みをしているのって変じゃないだろうか。でもさっきのお兄さんの話し方だと本当に一応のように聞こえたな。どこか由緒正しい家の子が失踪中で、特徴が似ているから非公式に大捜索している、とかそういう非現実的な想像しか思いつかないや。


「メアリにも話してみよ」


 俺が知らないだけで案外学校では話題になっているかもしれない。そう思って俺は家路へとついた。



「あー知ってるよー」


 夜の10時過ぎに帰宅したメアリに先ほどの話をしたところ、やはり彼女たちクラスメートの間でもその少女の噂は話題になっているようだった。


「駅前のロータリーの壁に寄りかかってずっと通行人を見ているんだってー」

「へえ。でも、なんかそれだけ聞くとそんなに不審な感じしないな」


 制服でこの時間までぶらついていると補導されてしまう危険があるので、一度帰宅して私服に着替えてから出かけたようだ。首元の開いたボーダーのセーターは彼女のお気に入りだ。


「うん。でも変な噂があるんだよね」


 やっぱりあるのか。窃盗の常習犯で近隣の小売店から苦情が殺到してると予想。


「なんかね、その子に近寄ると変なことが起きるらしいの」

「……えぇ?」

 予想、大外れなんだけど。そっち方面の怪しいなのか?

「学校で聞いたのはー、その子すっごくカワイイらしくてね、何人もナンパしようと声かけたんだけど、話しかけたらすぐに離れていっちゃうんだって」

「ん? それは普通じゃないの?」

「うん、ここは普通。でも声かけた男の人たちはみんな追いかけたりしなかったんだって」


 ああ、まあナンパで声かけるくらいの人たちだから、無碍にされても食らいつくのでは、って話か。よほど強烈に否定されたのかな。


「美恵の知り合いのお兄さんが声かけたらしいんだけど、なんか話しかけたらしばらくその場から動けなくなったみたい」


 美恵というのはうちのクラスの坂出美恵という女子生徒で、メアリといつも行動を共にしている子だ。

 ……。つまり、その声をかけた人たちが後を追えなかったのは、その場で身動きが取れなくなったからだ、と。


「あとはその子の影がすごく大きく見えたっていう情報がいくつかあるみたい」

 それは多分、普段見えている事象が特殊な状況の下で異常に見えたってだけじゃないかな。影なんて光源に対象物が近づけば比例して大きくなるものだし。


 …………。

「その子の話ってさ、誰としてた?」

「うん? 美恵と、ちいちゃんと、彩夏だよ」


 全員女子か。それで金縛りの話はその子の知り合いからの伝聞。なるほど読めたぞ。

 俺はテーブルの紅茶を飲み干し、進めていた英語の宿題を鞄にしまいながら推理し始めた。


「おそらくその子は武術の経験者だな」

「ふむふむ」

「ナンパした男どもはその子に声をかけた瞬間に太ももに蹴りを入れられていたに違いない」


 いわゆる『麻酔』とか俗称で言われている技だ。足の特定の部位に打撃を加えると筋肉が弛緩して力が入らなくなる。その子はそれを知っていて一投足で蹴りを放ち、相手がよろめいている間に退散したのではないだろうか。


「で、女子に蹴られて足引きずっているうちに逃げられたなんて情けないから、坂出さんの知り合いのお兄さんは不可思議な力で動けなかった説をでっちあげたと」


 多分警察も、女の子がそういう風にしてナンパの誘いを断り続けていると知ったから、傷害事件につながりかねないと判断して早めに指導しようとしているのかも。


「なるほどー」


 俺の推測に対して帰ってきた感想はえらく軽いものであった。まあ近場で起きていることとはいえ、関係のない話だしな。とりあえずそういう風にナンパしてくる人たちが夜にうろついているのは間違いないわけだし、メアリにもそこだけは注意しておくとしよう。友人として。


「じゃあその子は何で夜な夜な街中にいるんだろうね」

「家出とか待ち合わせとかじゃん?」

「最近の目撃情報だと服がボロボロで立っていられないくらい弱っていたっていう話もあるみたい」


 そんな頻繁に見かけられていて、しかも弱っている(やはり家出で身寄りがないのか?)のに警察は見逃しているのか?


 ……っていうかこの口ぶり、もしかして。


「メアリ。一応聞くけど今日遊んでた子たちって誰だ?」

「……えっと、言わなきゃダメ?」


 ああ、これはアレだな。『美恵とちいちゃんと彩夏』といたんだな。つまりメアリたちはその少女のことを――。


「だ、だって、可愛そうじゃん。ここら辺は治安良いけどそんなに毎晩うろついていたらいつか危ない目に合うかもしれないし……。服も体もボロボロだったら助けてあげないと」

「危ないのはさっきまで探し回っていたメアリたちにも言えることだよな? 街にいたなら分かると思うけど、今は警察が大人数で捜索してくれているから俺たち学生が首を突っ込まない方がいいぞ」


 そうだけど……とつぶやいてうつむく我がクラスの女王。きっと仲間内で探して助けようと提案したのもメアリなのだろう。クラスで孤独一辺倒だった俺にすら声をかけてくるお人よしなのだから、その行動原理は想像できる。けれど――。


「……少しは、心配する人がいるかもって考えてくれよ」

「――え」


 言ってから、顔が真っ赤になっていくのが分かった。頬とか耳とかがカァっと熱くなっていく。何言ってんの俺。


「そうかくん……」


 メアリの口から洩れるような声色で俺の名前が呼ばれた。呆れているのだろうか。何にせよ今は彼女を直視できない。


 そのまましばしの間、時計の音だけが部屋の中を満たしていた。

……テレビでもつけようかな。俺は弄っていた携帯から少し目線を上げて、テーブルの上のリモコンの位置を確認した。するとそれまで顔を上げていた(こちらを見ていた?)メアリが、今度は顔を真っ赤にしてうつむくのだった。

 こんな空気、先週にもあったよな。

 風呂上りのメアリの姿を思い出してしまい、より一層リモコンまでの距離が遠のいていく。あの時といい今といい、メアリも彼女らしくない表情をするから……こっちまで……。


 俺はテーブルに置いた手をとりあえず引っ込めようとしたのだが――。


「……っ」


 その手の上に何かが重なって、身動きが取れなくなってしまった。

 それは温かく、少し湿っていた。

 ……メアリの右手が、俺の手の上に覆いかぶさっていた。


「……」

「……」


 心臓が早鐘を打ち出し、先ほどあれだけ推理をまくし立てていた俺の思考は灰のように飛散して消え失せた。視界はめまぐるしく動こうとするもその本質を見通すことはできず、彼女を視線に捉えることができない。


「え、えっとね……」


 残る感覚の内、最も冴えていた聴覚も、まるでタイミングを合わせてきたかのように発せられたメアリの上ずった高い声によって混乱し始めた。前々から思っていたが、メアリのその口調は見た目の流麗さに反して破壊力があり過ぎるからやめてほしい、本気で。


 ……そう、本気……。メアリも多分今、本気で――。


「あたし、」

「――っ、ご、ごめん。外出てくる」


 かろうじてそうとだけ言えて、両手をポケットにしまいこんで玄関を飛び出した。あまりにも急に飛び出したので、思考も追いつかず服も部屋着のロンTだけという格好だった。だから気づいた時には駅の方まで歩いて来ていて、ガチガチと震えながら両手で自らの肩を抱いている状態だった。


「……。馬鹿か、俺は」


 身なりも精神面も頼りないことこの上ない。吐いて出たため息は白く、その行く末を見守ろうとして見上げた空からは滴がポツポツと落ちてきていた。


「しかも雨か……」


 それは、まるで罪の自覚が曖昧な俺を戒めるかのような告戒の雨だった。瞬く間に全身に薄着の衣類が張り付き、身体の震えと叩きつける雨で狂ってしまいそうな気になった。


「そう、か」


 そんな状態でも俺は、先ほどのシチュエーションの中に新しい推理の可能性を見出していた。もしかしたら、あんな風にしてナンパ目的の男共も身動きが封じられたのかもしれない。その子があまりにも魅力的で、一瞬にして五感の大部分と思考回路を焼切るほどに魔力に満ちていて――。


「動けなくって、気づいたら逃げ出していたんだ」


 それは防衛本能だ。自分の領域を守るため、他人の領域を侵さぬための思考の発現。

 俺の学校生活は決して良いものではないけれど、それでも学校でのアイツを見るのは楽しくて、けれどもそこに俺が加われないことが寂しくて。

 だから俺は、俺の幸せは一歩離れたところから感じるものなんだってあの日から言い聞かせていたはずなのに。




 ――そんなことを考えながら本能的に寒さを凌ぐために入った橋の下に、見つけてしまった。



「………………」



 それは、橋下の支柱周りに廃棄された、ごみ袋の山の中に倒れていた。

 顔には雨と泥と、あと赤黒い何かがついていて、情報通り衣服は裂けてみすぼらしく、汚れきっていた。


「………………」


 何より、近くの街灯によって薄暗いながらもはっきりと知覚できるその“赤”。


「……これ、全部、血、なのか?」


 滴る雨水も手伝い足元の広範囲に広がるそれは、よく見れば彼女の腹部より流れ出ていた。その場所を俺は直視できない。


「……えっと、警察、警察に――」


 混乱しながら携帯を取り出そうとして、ポケットから取りこぼしてしまう。それを拾おうとして横たわる少女に近づき、その顔を間近で、見た。




「――――きりな」




 とっさに、言葉を漏らした自らの口を左手で覆う。今、俺は彼女を何と呼んだ?

 つい一瞬前の言葉が思い出せない。まるでその時だけ俺ではない誰かが口を動かしていたかのように。

 そうして混乱から少し回帰すると、今度は自らの右手が彼女の傷口に触れていたことに気が付いた。思わず叫びそうになるところをこらえ、俺はその手を離してまじまじと見る。付着していたのは紛れもなく、血液。


「こんなに出ていたら、助からない」


 そもそもまだ生きていると考える方が不自然だろうか。汚れた顔からのぞく丹精なその顔にはまだ生きているかのような色合いを感じる。でも、それも今まさに尽きようとしているのかもしれない。


「どうしよう……どうしたら……」


 落ち着いて次の最善策を模索しようとすればするほど、次第に状況を理解し始めてきて再び胸が苦しくなる。


 彼女は助からない。おそらく一刻一秒を争う状態であるにも関わらず、そばにいるのが頼りない社会不適合者の俺だから尚更。

 いや、駄目だ。諦めずに考え続けるんだ。絶対にある。“切和を救う方法を、俺は知っている”!



「――――双久、君」



 ――その声は、確かに“俺”の耳に届いた。

 何度も聞いた、何百回と聞いた呼び方だった。

 俺たちは、そうしてようやく目を合わせる。

 同時に携帯がけたたましい音を上げ始めたが、握りしめたままそれに応えようとはしなかった。

 ただ彼女の瞳を見た。それだけで頭の中をかつてない情報量の濁流が駆け巡り、意識がショートしそうになる。

 そして、お互い何も言葉を交わさず、二人の両手は自然と彼女の傷口に触れたまま重なった。


 ――――急激に、意識が遠くなる。


 手足の自由すら聞かなくなり、最後の力を振り絞って携帯を強く握りしめた。


 そこで、俺は彼女の上に覆い重なるようにして倒れこみ、意識を失った。


 瞳が閉じられる刹那、場違いなくらい落ち着いた声色のささやきが聞こえた。




『ねえ、いま、どんな気持ち?』




 その声に恐怖と怒りと安心感を抱いて、俺の意識は深淵へと沈み込んでいった――。





第二章「女王と影」了



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