第二章「女王と影」②
俺の態度が急変したのがショックだったのか、その後のSHRからの一時間目の授業中、メアリは時折チラチラとこちらを様子見ていた。普段ならそんな下手な真似はしない。常に余裕を持って取り巻きたちを従え、大名行列の体で教室や購買への移動を行う。俺たちが何かの班分けで同じグループになり会話を交わすようなことになっても、かたや素っ気なく、かたや上目遣いにニヤニヤと笑みを浮かべて話をするだけで……ってあれ、よく考えたらアイツあんまり普段と変わってなくないか?
♪♪
ちょっとした気づきに不本意な憤りを感じていると、滅多に鳴らない俺の携帯が机の中で音色を反響させ始めた。
『題:新品……?
文:昼休み、放送室来て 』
…………。
先ほどのことを気にしていながらこの題である。天然の成せる技……いや、業だ。
Lineではなくメールなのは、この題という心の声をメッセージとして混ぜるというメアリ独特の感覚である。『さっきのこと気になってるけど、君が中古かどうかも同じくらい気になってるよ!』という少しも隠れていない意思の表れである。
まったく……。
今、この直後にメアリに目線を向けて首を横に振れば俺の意思を伝えられるのだが、それで不機嫌になったメアリが暴走したら元も子もない。来るように指定された場所も不安要素満載だが、そこまで教室から離れた所ならイレギュラーな言い訳も強引に通せるかもしれない。そう思い込むことにした。
――ガチャリ。
何か開いた音ではない。これは扉を施錠した音だ。
なに閉まってるんですか放送室の扉さん仕事してくださいよ。
無機物に話しかけるのは楽しい。
「今日の放送当番はこのあたしー」
「越権行為だ!」
昼休み。俺は忠犬よろしく終礼の合図と共に律儀に放送室へと向かった。そして部屋に放り込むなり抱きついてきた有機物に対して大声をあげてしまった。あまりこういう話をしたくないから苛々に任せて口走るが、メアリは他の女子と比べてもかなりの“有”機物だ。有毒と言い換えてもいい。
「放送委員に拘束の権利なんかないだろ」
「包装委員に校則の、ねぇ……」
「え、いや、なに?」
なんだ包装委員って。そんなのいるのアマゾンの倉庫くらいだろ!
「とりあえず放せよ。まだ昼食ってないからあまり抵抗できないんだ」
「デレそう! そうか君がすごくデレそうだ!」
ああ、もう。
「頼むよメアリ。俺たちの関係がバレたらお前を家から追い出すことになるんだぞ」
薄情なくらいにパッと拘束が解かれる。実際金が絡んでいるのだから情の薄いことに違いなない。
「冗談はさておき。ご飯にしよ。ここなら誰の目も気にせずに二人で食べられるよ?」
「や……でも……」
恐らくはそういう狙いなのだろうとは感づいていたが、様々なことが頭をよぎってしまい、素直に頷けないでいる。どうしてこいつは、こんなにも俺のことを気にかけてくれるのか。
そもそもメアリが俺にちょっかいを出すようになってきたきっかけも、実はいまだによく分かっていない。ある日の放課後、最後の授業であった体育が思いのほかしんどくて、ついつい机に寝そべって一時間ほど眠ってしまった。で、起きたら目の前にメアリが立っていて、『見つけたー』と言って微笑んだ。それが始まりだった。
「やっぱり、やめようぜ」
「……」
どうして、なんて本人に聞くのは恥ずかしいから無理だし、メアリの気持ちは嬉しいけど。
「俺はもう、卒業するまで誰かに迷惑をかけたくないから」
うつむきながらつぶやいた俺を、その“誰か”は驚きと悲しみの入り混じった顔で見つめていた。ここで能天気に腕を引っ張られて椅子に座らされていたら、俺は彼女を拒絶してしまっていたかもしれない。そんな選択はしたくなかったから、このまま何も言わずに俺が出ていくのを見送ってほしい。そう思いながら踵を返して部屋を去ろうとして――。
「っ、メアリ?」
「……」
ドアに手をかけた腕を掴まれてしまう。振り返れば、先ほどと変わらぬ表情でこちらを見つめているメアリ。
袖を摘まむとか、か細い声で呼び止めるとか、そういう頼りない制止の仕方を彼女は選ばない。今まで周りから好意を注がれてきたという結果が、彼女が女王と呼ばれるようになった原因の一つとも言えよう。
だから、たとえかける言葉が見つからなくても、自分の所有するモノが手の内から零れ落ちようとするならば、彼女はそれを許さない。黒一メアリという少女はそういう女の子だ。
「……家でならいくらでも話ができる。それじゃダメか?」
「ダメ」
「今までそこは納得してたじゃないか。どうして急に」
「――今朝ね」
そこで初めて、メアリは珍しくそっぽを向きながらぼそぼそと今日の朝のことを語り始めた。
「そうか君が起きる前に、あたし目が覚めたの。
――あ、別に今日だけ、今日だけだからね?」
「う、うん」
なんでそこ念を押したんだろ?
「それでふと、そうか君の方を見てたら、そうか君、寝言で女の子の名前呼んでたの」
「……え、マジで?」
「うん」
それは我が事ながら衝撃的だった。俺は高校に入学したての頃にちょっとした校則違反を犯してしまい、それ以降あまり同級生と関わりを持たないようにしている。先ほど去り際に言った『迷惑をかけたくない』というのはこれに起因することだ。
そんなわけでこの一年半の間、一部のクラスメートを除いて交友関係というものはほとんど構築されていない。ましてや夢の中にでてきてこちらから名前を呼ぶような間柄の子なんて……。
『いま、どんな気持ち?』
…………。
またあの言葉がよぎったが、今はそんな空想よりも、今は目の前の少女にちゃんと向き合うべきだ。
「それで今日は朝からヴィンテージがどうとか言っていたのか?」
「うん」
「俺がその、中古なのかどうかって……ああ、もう、なんだこの言い回し」
「ごめん。気持ち悪いよね。こんなこと気にする女の子って」
いや、まあメアリが独占欲強いっていうのは感じてたからあまり驚かなかったけど。
ただ、なんていうか、まだ学生の俺らには踏み込みづらい領域っていうか……。
「そうだね。あたしも何も他人の過去なんて今まであまり気にしたことなかったんだけど、そうか君のこと考えたら段々もやもやしてきて、つい……」
それは多分、俺たちが衣食住を共にしているからだろう。こうなった原因はメアリの家が日本の旧家とやらの一端で複雑な事情が絡んでいる。あまり本人から詳しく聞けない事柄だけど、おそらくメアリの祖母の血統が関係しているに違いない。彼女自身はその日本人らしからぬ出で立ちを気にしている素振りはないが、さぞや実家では肩身の狭い思いをしてきたのではないか。
「……。俺、別に今まで誰かと付き合ったこととか無いよ」
「ほんと?」
「うん。ていうかそっち系は疎いってネタにしてたのメアリじゃん」
「……正直言うと、そういう時も反応うかがってたの」
そこは正直に言わないでいい!
「部活の先輩に強引に付き合わされたとかも無いの?」
「……メアリ、さすがに引くぞ」
「え……」
どこまで想像の翼広げてるんだこいつは。ジャニオタにでもなったあかつきには破滅の未来しか見えない。まあ俺も大概だが。
「お前は少し我慢とか遠慮を覚えないとダメだよ。そんな四六時中欲求の塊じゃあ大人になったときに誰も相手してくれなくなるぞ?」
「……」
厚かましいがメアリの将来が不安になってきたので、ここは思い切って彼女の悪癖を指摘することにした。朝の教室での意趣返しみたいに思われてしまわないか不安だが。
「何より独占欲が旺盛過ぎ。女王なんて呼ばれるからそういう方に流されたのかもしれないけど、学校を出たらただのわがまま――」
「ぐす」
自制しなければと思って横を向いていたところに、鼻をすすり顔をくしゃくしゃにしたメアリの姿が飛び込んできた。
「……ってちょっ、メアリさん?」
「……帰る」
そう言い残し、俺がしようとしたように返事も聞かずにメアリは放送室を出て行ってしまった。女王具合が半端ないが、そんな彼女を泣かしてしまったことは申し訳なく思う。元々今日は情緒不安定だったのだからもっと言葉に気を付けるべきだった。こういう所が分からないから子どもだって言われるんだろうな。
その後、結局俺は放送室で一人昼食を食べ、教室へと戻った。
メアリはやはり早退していて、俺は午後の授業をいかにして彼女の機嫌を直そうか考えることにした。
――このとき、朝の寝言で俺が叫んでいたという少女について考える余地はなかった。気になっても半ばどうしようもないことだと諦めきっていたからだ。今後、現実に介入でもしてこない限り、もう気にすることもないだろう。
女王のいない教室はまとまりがなく、普段メアリに群れていた奴らは男女に二分していた。それも放課後になれば部活や他クラスの生徒と合流して散り散りになる。これは別に珍しくはないが、メアリがいるとたまにそういった放課後の垣根すら飛び越えて遊びに繰り出す大パレードが発生することがある。それはそのまま彼女のカリスマ性の具現であった。
――大体、あの取り巻きの中にはメアリの昔からの幼馴染もいる。そいつらの方が俺なんかよりよほど話も合うだろう。なのに、何故メアリは俺の家に身を置いているのか。俺を近くに縛り付けておこうと思うのだろうか。
もう何度も考えている謎をいつものように追及しつつ、俺は夕暮れの下校路を一人歩いていた。年の瀬が近づきつつある町は賑やかしく、その対比として住宅街や路地裏には穏やかな静寂がある。濃いオレンジを塗りたくった外壁と、通りの隅に忍び寄る紺色の夜の気配。俺はこういう静かな夜の訪れを感じられる通りの方が好きだ。風が冷たくて露出している顔などはこわばってしまうものの、手袋とマフラーで覆われた手元、首元はその分温かみを実感できる。
喧騒があるから静寂が際立ち、顔が冷えるから、衣服に覆われた他の部位が温かく思える。二つの相反する事象が互いを強調させる関係。
……メアリにとっての俺も、そういうモノなのだろうか。普段大勢の親友に囲まれているから、たまたま出会った見知らぬ一人で息抜きしている、とか。
別に誰に迷惑をかけているわけでもないのだが、メアリとつるむことで俺自身が勝手に対比を感じてしまうときがある。例えば俺とメアリの、家では話すけれども外では話さないという関係。おかげで家にいるときは忘れていた寂しさ、孤独感みたいなものを学校で思い出してしまうのは俺の常になった。それでもずっと一人でいるよりかはいいかな、なんて最近は思っている。
「……早く帰るか」
コンビニで何かスイーツでも買っていけばメアリの機嫌も直るかもしれない。高校生で一人暮らし、いやルームシェアか、の身には少し痛い出費だが、メアリの笑顔を思い浮かべたら自然と財布が緩んだ。
「こんなもんでいいかな」
コンビニブランドの適当なクレープとプリン、それにメアリの好きなチョコミントのコーヒーを買い込んだ。まだ学校の近くなので、家まではクラスメートの目に気を付けて帰るとしよう。
そう思って陽が落ちた路地裏を歩いていると、かろうじて街灯が当たる道の片隅に、人が立っていた。
「……」
その大学生くらいの青年は、目をつむって路地の壁に寄りかかっていた。
近くを通るまで気が付かなかったのもあるが、その青年の出で立ちは少し異様だった。彼はこんな路地裏に紺色の和服で立っていたのだ。
地元で祭でもあったのかな。それにしてもこんなところで何をしているのだろう。
訝しく思いつつも彼の前を通り過ぎようとして――。
「良い風だな」
声を、かけられた。
「え?」
思わす声が漏れてしまう。今まで見ていた人に急に話しかけられたので驚いてしまった。
「この通りには街中を逸れた風が入り込む。冬らしい澄んだ風がな」
「はあ、そうなんすか」
和服を着こんだ人らしい風流な感覚だと思った。若くしてその境地を体現するとは、メアリのようにどこか名のある家の方なのだろうか。とりあえず話しかけられたのでつい立ち止まってしまう。
よく見ると彼は背後に何か細長いものを置いていた。その身なりからして剣道か何かの帰りと見るのが普通か。それと和服の袖にはわずかに模様が……。
「こういう風は故郷にも流れていた」
ちょっとした近所のあいさつ程度に思っていた会話が、お兄さんの故郷話に突入しようとしていた。うー、大学生ってみんなこんな感じなのか?
「俺の家は、少し山を登ったところにあるんだ。
バルコニーから見る下界の景色は四季によって見方が変わり、そこで本を読ん でいるとこんな風が吹いてくる。俺も兄弟たちもそこで過ごすことが大好き だった」
「……良い場所ですね」
そうなんだ、と、俺のあいづちの際に、初めてお兄さんはその目を開いた。第一印象は誠実で優しそうに思えた。キリッとした目つきは目標を持って生きている証。そして目線が合った瞬間にシニカルに微笑む所作は人当りの良さを感じさせた。
「君にはないのか?」
「俺は、生まれてからずっとここら辺に住んでいるので」
一人暮らしをしているものの、実家は割と近場にある。なので同い年の妹は実家から同じ高校に通っているのだ。
家を出た理由は両親の仲があまり良くないからなのだが、メアリにはその事実を伏せてある。俺が彼女の居候を受け入れたのはそういう境遇に共感してしまったからだ。
などとまたメアリのことを考えていたら、お兄さんは得物を腰に当て、俺とは逆の道へと歩き出していた。お互い特にあいさつもしなかった。
「もう一度、思い返してみるといい。君の故郷のことを」
――と思ったら、少し距離が離れたところで、こちらを振り向くことなくお兄さんは確かにそう言い放った。
…………。
俺と彼との間に面識はなかったはずだ。だから特に深い意味はないのだと思うのだけど。
なぜだろう。その一言を聞いたとき、彼のその後ろ姿に何か得体の知れない闇を見たような気がした。
続