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前世廻り  作者: riddle
2/6

二章「女王と影」①


 ――目を開ける。

 ――ゆっくりと、横たえていた身体を起こす。

 自分の部屋で眠っていただけなのに、なぜかその行動を恐るおそる、確かめるようにして行っていた。


「んー」


 全身の倦怠感を吐き出すように声を漏らす。ずいぶんと壮大な夢を見ていた気がする。とてつもなく強固で大容量のセキュリティソフトをぶち込んだノートパソコンのように、処々の動作が緩慢で煩わしい。


「メガネ、メガネ……」


 朝の習慣であるメガネ探しを行う。というのも俺の部屋はこの村一番の蔵書量といっても差し支えないくらいに本に埋もれている。読書くらいしか夜ふかしのお共のないこのド田舎では仕方ない。そしてたまにそのまま寝落ちしてしまって、こうして明け方に、布団の横に位置する文庫本の海の中でメガネを捜索するはめになるのだ。一つのところに置くようにすればいいのに、とは妹の言葉。散らかっているように見えて管理されているとは言ってみるものの、この散らかり具合では説得力皆無なのであった。


 ……それにしても、今朝は部屋がやけにいい匂いで満たされている。何というか、女子が腕とかに塗ってるクリームのような清潔そうな匂い。


 …………。


 やけに薄暗いが何時だろうと思い、壁にかかった電波時計に目をやる。12月13日。午前6時35分。気温は2度。早くメガネを見つけないと。今日は期末試験の最終日なのだから。


 …………。


 メガネを探す手がピタリと止まる。そもそも積み上げた文庫本だと思っていたものは同居人が集めていたアンティーク雑貨の棚だったし、その雑貨に記されたロゴを一つ一つ確認できる程度には視力も持ち合わせている。俺は、メガネなんかしていなかった。


「え? あれ?」


 ベッド(布団ですらなかった)の上に膝立ちのまま、俺は覚醒した思考を伴い周囲を見渡す。田舎の木造住宅の二階だと思っていたその場所は、都心の高層マンションの12階、1LDKの手狭な一室だった。しかしそこは、間違いなく都内の私立高校に通う俺にあてがわれた我が家であり……。


「どうしたの、そうかくん?」


 部屋の寝床兼ソファー代わりに使用していたその場所で立ち尽くす俺に、下方向から高いソプラノボイスが聞こえてきた。


「あ、いや、ちょっと寝ぼけてるみたい」


 『寝ぼけてる』と過去形ではなく進行形なのは、未だに頭の混乱が続いているからだ。

 声の主は同居人であり雑貨棚の主であるメアリ。同級生の女の子だ。寝起きでボサついた金髪がカーテンから漏れ出る光を浴びてキラキラと輝き、なかなかに幻想的である。とりあえず彼女については同居の理由も含めて今は後回し。


「悪い、起こしちゃったな。一時間くらいしたら起こすから寝ててくれ」

「んー、いいや、起きる。そのかわり、ちょっとそのまま動かないでね」


 見た目の派手さとは裏腹に柔らかな言動の同居人。おしとやかに見えて実際はサイコパスだったあいつとは大違い……。


「動いちゃだめー」


 メアリは寝床であるこたつより這い出ると、棚下段のボックスに入れているピンクのポーチに手をかけた。俺はちょうど何か大事なことを思い出そうとしていたのだが、無駄に猫なで声のような声色でメアリに制止されてしまって思考まで止まってしまった。寝起きにお前の声は刺激強いよ。


 …………。


「はーいありがとう」


 ポーチから出てきたのは、いわゆるコンデジと呼ばれる小型のデジタルカメラ。電源を入れ、露出とかを少し弄った後、こちらへとレンズを向けてシャッターを切り始めた。

 カシャカシャと、雰囲気だけ醸し出してる電子音が何度か鳴り響いた後、ようやくメアリによる行動規制が解除された。


「……いつものことながら、よく飽きないな」

「まあまだ始めて一年くらいだし」


 一年も、だろと思ってしまうのは俺が写真撮影に興味がないからだろうか。あるいはこうして毎回被写体にされる側だから分からないものなのか。


「それで、ちゃんと目覚めたの?」

「……うん」


 朝っぱらから友人を心配させたくないので嘘をついた。こうして正面からメアリと話している今このときですら、頭の中では“日常”と知覚する俺と“異常”を感じ取る俺がせめぎ合っていて、そのぶれた思考が視界に映るメアリの一点においてのみ重なっている状態だ。


「俺たちさ、どこか地方の村とかに旅行したことあったっけ?」

「ええ、無いよそんなこと。

 ……やっぱりなんか変だよ?」


 大丈夫? とベッドの方に彼女が寄ってくるので、とっさにベッドの端へと後ずさってしまう。その様子を見たメアリは不思議そうな顔をするのだった。


「……ちょ、ちょっと外出てくる」

「うん、あ、朝食はいつもの時間でいい?」

「え、今日母さん用事……あ、いや、うん、それでお願い」


 明らかに変な反応をしてしまったので、色々とごまかして急いでマンションを出た。


 “村の記憶の俺”の家では、朝食は母さんが作ってくれていた……。


 12階から見る東京の街並みは、見慣れたはずなのに感動を覚える。

 迫る年の瀬に一年の出来事を思い起こしつつ、秋の喪失感を覚えてこの世界は間違っていると警鐘する心がある。

 ……俺は、どうしてしまったのだろう。次第に今いるこの世界の方が夢であるかのような感覚に陥る。そう思っても支障ないくらいに、夢に見た田舎のあの世界の記憶も、感覚もリアルに思い起こすことができるのだ。

 そして、その世界で誰か大切な人のことを忘れているかもしれないという欠乏の感覚が胸の内を満たしていた。その村には、確かに誰か忘れてはいけない人がいた。そう思う。


「……でも」


 でも、あるのは記憶だけだ。身体の外側から見たら、それは何も持っていないことと同義。それに詳細に覚えていたつもりだけど、よく考えてみれば住んでいた地名すら思い出せない。もしかしたら先ほどの起きたての時には覚えていたのかもしれないが、今も進行形で田舎の記憶が少しずつ消えていっているような気がする。

 そして何よりも、結局、どれだけリアルな感覚が頭の中にインストールされていたとしても、俺が生きているのは地上12階のこの世界なのだ。あまり気にしてもしょうがないな。


 ふと、鼻孔にトーストの甘く焼けた匂いが入ってきた。いつもの時間と言いつつも、メアリはせっかくの早起きを有効活用する気でいるらしい。

俺は思わず苦笑しつつも、ポケットに手を入れながら温かい部屋へと戻っていった。



 それから間もなくして、俺とメアリは二人で朝食をとり、少し早いけれども家を出て通学路を並んで歩いていた。


「中古じゃないよー、ヴィンテージ」

「それ、意味が違ってくるよな。それでまかり通るならアンティーク雑貨って物は言いようだよなぁ」

「いいの! 中古でもあの使い古された感じが……なんていうか、ヴィンテージなの!」


 話題はメアリが集めている年代物の食器(主にマグカップ)について。とりわけ20世紀初め頃からアメリカで使われていたメーカーのマグに心酔しているらしく、雑貨屋を探しては買ってきて、飾ったり使ったりしている。一番のお気に入りはファイヤーキングというメーカーのものらしいのだが、確かに素人目に見ても重厚感があってオシャレに見える。


「あまり一つの概念に執着するのは良くないんだぞ。視野が狭まって悪い習慣がつく」

「あーまた難しいこと言ってるー。そうか君のくせにー」


 俺が小難しいこと言うのはおかしいっていうディスりやめろよ。どんだけガキ扱いしてんだ。


「とにかく俺が古めかしい食器を買うのは当分先になりそうだな」

「えー、一緒に集めようよー」


 たまに二人して出かけることがあるのだが、そういう場合は大抵メアリの趣味の方向で吉祥寺や原宿をぶらつく。ああいうところは何故あんなにも雑貨屋が立ち並んでいるのだろう。そしてオシャレ偏差値40くらいの劣等生である俺みたいな奴には、さして何の興味も湧かないアイテムばかりが並んでいるのだろう。色々扱っているから雑貨屋なのだから、什器の端っこで中古ゲームとか並べてくれてもいいんだぞ。

 そして通りにある店をくまなく見て回っていくので、半ば荷物持ちとなる俺の体感時間はとてつもないことになる。しかもたまにメアリの予算が尽きて夕食まで奢らされる始末。理不尽だ。


「古さとか傷みとかに良さを見出す美徳が分からないんだ」

「それは、ダメージジーンズとかと一緒……だと、思う」


 そ、そうなのか? よくジーンズにわざと穴を開けたりスニーカーの一部を炭で黒ずませて質感出すオシャレがあるっていうのは聞いたことあるけどさ。食器っていうのは前提として衛生的であるべき分野じゃないのか?


「うーん」


 やはり俺にはまだ理解できない領域だ。新商品や最新技術にばかり惹かれる俺と違って、メアリは過去の産物を通して雰囲気と様式を見通し、趣を感じ取っている。さすがは“女王”。

 ……そういえば、登校し始めの頃に感じていた制服の違和感……田舎ではずっと半袖だったのに急に長袖+セーターになったので……は、メアリとの話に夢中になっているうちに薄らいでいった。


「あ、でもはアレはいいと思うよ。最近買ってきたピカピカの青いマグ。アレは中古っぽくなくてさ」

「アレ新品だもん。ヘリテージっていう復刻シリーズなの」


 え、復刻とかあるの。なんだ、製造終了しているから中古を集めているのかと思ってた。なら最初からそのヘリテージのシリーズを揃えれば良いじゃないか。


「うんとね、復刻版は上薬とか使われている原材料が違うんだ。だからヴィンテージとは厚みとか光沢とかがだいぶ違うんだよねー」


 ……なんか高校生が上薬とか光沢とか言ってるぞ。


「まー、そうか君ももう少し大人になったら分かるよ」

「ああ、50年くらい先かもしれないけど」


 そんな話をしていたら“いつもの曲がり角”まで来てしまった。俺は気づいて立ち止まったが、メアリはそのまま曲がっていこうとする。


「――あ」


 学校が見えてようやく足を止める。


「じゃあ、またな」


 俺は、曲がり終えてから気づいた彼女に一言ボソリと声をかけ、そのまま返事も聞かずに校門まで駆け抜けていった。



 一人になって、初めて風の強さを実感する。吐く息が冷たい。

 俺は冷たくて真っ赤になった手を頬に当てて温めようとするが、すぐにその様子が子どもっぽく思えてきてやめた。


「…………」


 下駄箱を通り、南階段を二階まで登ってすぐの扉に手をかける。

 開けた先にはまだ誰もいなかった。そういえば今朝は早起きしてしまったから二人して40分早く登校したのだった。あの曲がり角にさしかかってから頭が切り替わってしまっていた。

 ――あの角を曲がってからの俺たちの行動が、二人の今の関係を如実に表している。

 俺はクラスの弄られキャラ。かたやアイツは学校の“女王”。俺みたいな存在なんて珍しくはないが、メアリはオンリーワンの特徴を持ったナンバーワンの優等生だ。俗な話だが、一にも二にもあのルックスである。確か祖母がフランス人らしく、クォーターとしての魅力を最大限持ち合わせてきたメアリは、とにかく“カワイイ”ことが最大の魅力だ。加えて無自覚に異性を引き付ける天然系の周囲巻き込み型人間で、どんな時でもあいつの周りには人がついてまわる。

そんな最上位の彼女と、いわゆるBグループの俺とでは同じクラスであってもほとんど関わりなどない。故に、事実を知られればお互い今の立ち位置を維持できないだろう。今の時代、学校外での電子的コミュニティは噂や悪評の増幅器として機能している。一人の悪意がネットワークを通じて伝播し、あたかもコミュニティ内の総意であるかのように現実へと持ち込まれる。そのことをそれぞれ別々の中学校に通ってきた俺たちは互いに十分理解していた。だから――。


「……そーかくーん」

「わっ!」


 教室の入り口で立ったまま考え事をしていたら、背後に忍び寄っていた女王の影に気づけなかった。思わず情けない声を漏らしてしまう。


「メア……黒一さん!?」

「誰もいないのに名字呼び禁止ー」

 いやしかし。

「わぁ、すごい。今まで家でもこうしたことないのに、学校の教室でこんな……」

「だろ、まずいって!」

「楽しーい」

 楽しくねぇよ!! 同居人に後ろから抱き……羽交い絞めにするのは良くないことです!

「はあ。落ち着く。あったかい」


 ……。

こいつがふざけてこういうことしてきたっていうのは今の言動で分かったけど、不意打ち過ぎて俺には刺激が……。


「…………」


 その態勢のまま、つまり羽交い絞めのまま、あろうことはメアリは考え事を始めたようだ。何とか首をひねって背後を見れば、目をつぶって真剣な表情のメアリの横顔がすぐ近くに。いや、だから……。


「ちか――」

「そうか君ってさ……」


 ふざけ倒してきてからの唐突に聞こえた真面目な声色に、俺は思わず言葉を呑み込んでしまう。この状況でするのか、真面目な話?


「そうか君ってさ、ヴィンテージ?」

「な、」


 何言ってるんだとツッコもうかと思ったが、思えばこいつは自分の趣味の話をするときは全くふざけない。たまたま先ほどの会話で出たワードを持ち出してきただけだけど、何故か俺はごまかすことをためらってしまった。


 …………。


 肩越しに甘ったるい匂いが漂ってくる。これは現在、俺の部屋を満たしている匂いと同じだ。でも不思議なもので、家では割と落ち着くと思っていたこのメアリの香りが、学校で知覚するとどうしようもなく心の鼓動を早める危険な劇薬に感じてしまう。

 教室は相変わらず明かりもつけず薄暗く、外で鳴く鳩の声がより部屋の静寂を際立たせていた。


「ねぇ、どうなの?」

「そ、それは……」


 えっと、ヴィンテージ? 本来の意味はなんだっただろう。確かワインに関する用語だったと思うけど……。何にせよ、さっきの会話では『中古品』みたいなニュアンスで使っていたよな。


「……どうなの?」

「いや、分から、ない」

「なんで?」


 問いと共にこちらへと預ける体重の度合いを強めてくるメアリ。いつもの語尾をだらしなく伸ばす喋りでもないので余計に緊張する。


「ヴィンテージなの?」

「だから――」

「あたしの手元に来る前に、誰かに使われてたの?」

 ――っ。


 メアリは無自覚なのだろうか。自分が今、ある意味必殺の布陣でこちらへ襲いかかってきていることに。そして、およそこの学校で、お前の本気に敵う奴なんかいないということに。かくいう俺も……。



『いま、どんな気持ち?』



「!!」

「きゃっ」


 とっさに抱きしめていたメアリの拘束を振り払ってしまう。一瞬で額に汗がにじみ、呼吸はより荒々しく、胸を上下させた。


「あ、ごめん、ごめんね、今のは冗談で」

「今の声、誰だ?」

「――え?」


 思わず独り言が声になって出てしまった。それは心臓を掴むかのような衝撃的な一言で、恐ろしさと懐かしさが混在する未経験の感覚だった。


「誰、なんだ……」


 カーテンの閉め切られた薄暗い教室の中、俺の心は陽の没した森の中をさまよっているかのようだった。





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