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前世廻り  作者: riddle
1/6

極刑の輪廻


 はじめまして。riddleと申します


 元々は同人サークルにてサウンドノベルのシナリオライターとして細々と活動していましたが、今回思い切ってこちらでの活動を開始させていただきました


 数年前に別のサイトにて執筆していた作品を書き直し、当該サイトにて投稿していこうと思います

 当方書き手や読み手の方々との交流大好きです! じゃんじゃん感想やアドバイスなどいただければと思います\(◎o◎)/


 更新頻度についてですが、あまり頻繁にはできかねると思います

 気が向いたらたまにのぞいてやってください

 それでは、よろしくお願いします



 ――時刻は夕方。ここは学校の、裏山の中腹くらいだろうか。

 俺は茜色のまだら模様に彩られた森の中を、ひたすらに走り続けていた。

 九月も終わりのこの時期でも、日が昇っている今ならばまだそれなりに気温も高い。俺は汗すら拭うことも忘れ、かろうじて道が確認できる山頂への一本道を駆け抜けている。

 しかしこれは登山ではない。ごらんのとおりの田舎町の生まれなので体力には自信はあるが、後方より追ってくる“彼女”は都会生まれにも関わらず、俺の後ろにぴったりとついてきている。そう、俺は今その少女から逃げているのだ。


「……はあ、はあ」


 高校の同級生同士である俺たちが、放課後に山中で追いかけっこすることにどんな原因が考えられるだろう。ふざけあい? 人間関係のもつれ? 実は俺自身も現在の状況の発端がよく分からないでいるのだが、少なくともそういった理由ではない。ふざけあえるほど俺は彼女に馴染めていないし、ましてや関係がこじれるほど間に誰かを挟んでやりとりもしていない。だって、彼女はついひと月ほど前にこちらへ越してきたばかりの転校生なのだから。


 先月、俺たちの高校に引っ越してきた彼女は、自己紹介において「都会育ちで体力に自信がない」と発言して場を和ませていた。確かに彼女はパッと見では箱入り娘といった印象で、都心の白を基調とした壁紙の部屋でピアノを弾いていそうなイメージが似合う。ピアノを想像したのは雰囲気によるものが大きいが、それを抜きにしてもあの手足の細さは、活動的というよりも静謐さを見るものに与えるだろう。

 なのに、なんだあのフットワークは。でたらめに足を振り上げて息も切れ切れ走る俺に対し、彼女は次の着地点を一つ一つ冷静に観察し、一度の跳躍で最小限の負担、最大限の物理的移動ができるように足を運んでいた。存在感抜群のあの長髪も、気づけばヘアゴムで一つにまとめあげており、顔は汗ひとつかいていない。まるで暗殺者か何かだ。


「……はあ、あ、ああ」


 嘘、だったのだろうか。

 一瞬考え、心がちくりと痛んだ。そのせいで体勢を崩し、森から飛び出した木の幹に右肩を強打してしまったが、それでも追いかけっこは終わらない。

 誰だって裏切られればショックを受ける。しかし今回はそのシチュエーションがあまりにも残酷すぎる。

俺は彼女に追いつく気がないことを感じ取っていた。その得体の知れない事実は、疲れていた俺の頭にこの一か月を思い返させる。


 転校して間もなく、彼女は俺によく話しかけてくるようになった。別に席が近かったわけでもなく、そもそも転校生だからって話し相手に困るようなタイプの奴ではなかった。その爛々と輝いているかのような大きな双眸、微笑む様子は上品で都会育ちらしい気品を感じさせる。典型的な上品で人懐っこい、人気者になるタイプ。それが彼女、きりなだった。


『こんにちは、そうか君』


 だから、わざわざクラスメートとの会話を中断して彼女が俺に話しかけてきたときは焦った。ちなみにそうかとは俺のこと。草に火と書いてそう読む。


『……な、え?』


 その行動の意外性と、面と向かって見た彼女の後光が差してるのではと錯覚するみてくれに、俺は完全に気圧されて言葉を逸した。そして反射的に椅子ごと後ろのロッカーまで後ずさる。そんな俺の小心者具合をよく知るクラスメートたちが一斉に俺を弄るものの、きりなは口に手を当てて微笑むのであった。


『ふふ、面白いね、そうか君』


 その時の彼女の表情は、先ほどまで俺の記憶のアルバムに永久保存されるレベルのものであった。元々子どもっぽくてビビりだった俺はよくクラスメートから弄られるキャラだったのに、きりなは俺の在り方を個性として認めてくれた、そんな気がしたからだ。

 それ以降、彼女は俺にとって女神のような存在となった。たった一言で惚れてしまう自身の流されやすさを自覚していたが、俺はきりなに夢中になる以外の感情を圧殺していた。恥ずかしい話だが、俺は今まで異性を異性として好きになった経験がなかった。友人とする、どこのクラスの誰が気になるという話にも相づちと曖昧な反応でかわしてきた俺は、皆に言われるまでもなく幼稚なのだと自覚していた。だから、そういう初めての感情を俺に与え続けてくれる存在のきりなは、俺が成長するという意味でも特別な存在だったのだ。

 そして、俺がそう彼女を認識していたように、次第にきりなも俺のことを特別に見てくれるようになった。端的に言って、俺ときりなは相性が抜群だった……と思う。同じ音楽や漫画に興味を持ち、放課後や帰り道の時間のつぶし方まで細かく似通っていた。まるできりなは俺の趣味、思想、全てを把握しているかのようで、でもそんなことありえないから、単純に運命だと思えて、嬉しかった。


「それも……全部……」


 走りながら、つい考えていたことが口に出てしまう。全部偽りだったなんて、今でも信じたくない。ほんの一時間ほど前の出来事が、稚拙な言葉で言ってふざけすぎていた。あの時から世界が作り変えられてしまったかのようだ。


 ――その時、俺たちはいつものように二人で下校していた。そしていつものように本屋の文庫の新刊を見て回るか、海辺のへりに座って他愛もない話をしながら、視界が青から緋色に染まるまでを過ごすかをするつもりだった。

 しかし今日のきりなは少し思いつめたような、苦しそうな表情を見せた後に、


『今日は、伝えたいことがあるの』


 とだけ言って俺の手を引っ張り、学校裏手のこの山のふもとまで連れてきたのだ。

 内心をいえば、心臓が破裂寸前だった。頬だって真っ赤だっただろうし、その様子を見た彼女のそこも紅潮していた。握りっぱなしの右手はとても熱く、どちらの汗かも分からない。

 少し怖いとさえ思った。俺はこの先の展開について知識に乏しい。興味、なかったから。

 周りも『そうかにはまだ早い』と教えてくれなかったから。


 そうして着いた裏山でも、きりなは立ち止まることなくどんどん歩を進めていき、それが最初に感じた違和感だった。何か歩き方が正確すぎる。どこかその、大事な話をする場所を決めていてそこへ向かっていると考えれば納得できそうだが、今の様子はどちらかというと俺を無理やり引っ張ってどこかへおいてきぼりにしていきそうな、そんな乱暴さがあった。

 そうして疑問を持って間もなく、完全に山道の一本道に入ったところできりなの足が止まった。


『……?』


 俺はいまだに状況を理解できていない。むしろ当初想像していた彼女の“伝えたいこと”が聞けるのではないかと再び心臓の鼓動を早くしていたくらいである。


『本当に何も疑わないでついてきたね、そうか君』

『……え』


 彼女が振り返る。俺は絶句した。


『きり……な……?』


 顔が、違った。それは似た美しさを保っただけの、あの輝く瞳や優しく温かい笑顔を称えていた少女のものではなかった。


 ――いや、違う。そうじゃない。

『そういう目を見てると、すぐにでもやりたくなっちゃう……』


 これが、本当の彼女? 本当の、転校生のきりな?

 そう思った瞬間、俺の目の前を何かが切り裂いた。


『――っぐぁっ!』


 思わずくぐもった声が漏れる。切り裂くなんて派手なものではないけれど、俺の頬から何かがとめどなく漏れ出していた。首元にしたたってくるので慌てて袖でそこを拭うと、そこは見たこともないほどに真っ赤で、湿っていた。


 遅れて、ようやく顔に激痛が走りだした。

『うあああああああああああ!!』


 情けなくも大声をあげてその場にうずくまる俺。その様子をきりなは何も言わずに黙って見ていた。

 ――痛い。熱い。怖い。身体が震える。

 あまりにも普段感知しない感覚ばかりが押し寄せてきて、俺はただ叫んで紛らわすことしかできなかった。これは、血だ。頬から今もドクドクと流れ出ている。


『……くすくす』


 恐怖の中に、さらに恐ろしい声が聞こえた。それはきりなの、俺を傷つけた女の忍び笑いだった。


『ふふ……おいた、したの?』


 それは先ほどとは違った甘ったるい声。まるで自分の子どもが転んだのを気にかけているかのような、同級生にかけるようなものではない言葉。


『ほら、ほらほら。立って逃げなきゃ。じゃないと、そうか君、死んじゃうよ?』


 俺の肩に手を当て、相変わらずの猫なで声で彼女は俺にそう語りかける。もう、自分が普通ではない状態に置かれていることは理解できた。

 思い切って顔をあげる。そこには――。


『あ、ああ……』


 瞳に、今まで見たことない怪しい光を称えた異常者、きりなの姿が映っていた。


「……はあ、はあ、はあ」


そこから今まで、文字通り立ち止まりもなく物語は走り続けている。

 最初こそ視界の端に見える程度の距離で追いかけてきたきりなと、今では5メートルほどしか間隔がない。何故捕まえようとはせず、追いかけることにばかりこだわるのか。その理由を先ほどの回想の中に見た気がした。


(……きりなは、楽しんでる)


 逃げ出す前に見た彼女の瞳の光。あれは実際初めて見るはずなのに、本能で狩りを楽しもうとする者か、何かをやり遂げようと士気を昂ぶらせた者のそれだと分かった。獲物を逃がそうとするあの発言からして、間違いない。この村にも猟銃を使ったハンティングの娯楽は存在するので容易に想像できた。


 ――ほらほら、立って逃げなきゃ。


 同級生で、下校時も放課後も一緒に過ごしてきた友人。


 ――じゃないと、そうか君、死んじゃうよ?


 しかし、彼女にはもう俺は同列に見えてはいなかった。先ほど山の木々の合間に見えた、赤黒く汚れた丸まった雑巾のような物。おそらく狸か何かの死骸だろう。

それと、同じ……。

 ここに来て、ようやく俺は自身が死ぬかもしれないという恐怖と対面した。全身が崩れ落ちそうになる、心臓をわしづかみにされたような感覚だった。でも……。


「――っ!」


 不思議な意識の去来に戸惑っていると、真後ろに風邪を切る音が聞こえた。振り向けばきりなが背中にまで迫ってきており、ちょうど制服の布地だけを切り裂くようにナイフを放っていた。

 俺が息をのむ姿を見て、クスクスと忍び笑いが聞こえてくる。そしてそれが、まるでこの場所自体が狂っているかのように山々にこだましていくのだった。


 …………。


 俺は走るペースを上げる。先ほどまで乱れていたはずの呼吸は、無意識のうちに整っていた。


 …………。


 また少しきりなと距離を空け、俺は三度きりなとの出会いからを脳内再生していた。しかし今度は過去の確認とか、現在の悲しみとかそういう要件で耽っているのではない。


「日が落ちて来たね」


 どこからかきりなの声がする。そのセリフはいつかの放課後に海辺を二人して歩いていた時にも聞いた。ほら、俺たちってまだこんな何気ない一言まで思い出せるくらい付き合いが浅い。俺は今日だってお前と一緒に下校することにドキドキしていたんだ。それに対してお前は最初から同じ調子だった。優しい笑顔と少し過剰なくらいのスキンシップ、それはひょっとしたら今もあまり変わらないのかもしれない。


「うーん、真っ暗になったら血が見えなくなっちゃう。何より、恐怖と絶望に顔を引きつらせたそうかのベストフェイスが……クスクス」


 ……一通りの回想、感情の発露、を終えたところに、きりなの甘ったるいひそひそ声が聞こえてきた。今にして思えば、あの忍び笑いはなんて……。


「――す」


 なんてイラつくんだろう。

 山の頂上はまだまだ先だ。しかし山頂付近にもはや陽光はなく、今からだと引き返しても途中で完全に日没となることは確定だった。

 それは皮肉にも俺の命の暗黒が迫っているようでもあり、そして俺自体の心の陰りすらも象徴しているかのようだった。


 ――俺は、きりなに殺される。


 恐怖は消えない。しかし初めて死を認識した時から不可思議な感覚が付いて回る。


 ――この感覚、以前にもどこかで……。


 直後、背中に打撃を受けた。


「くっ!」


 息は整ったとはいえ足腰はすでに疲弊しており、後ろから少し押されただけで簡単に店頭してしまった。地面から飛び出た岩や木の幹に顔面から飛び込んでいった俺は多くの打撲と裂傷を負った。しかし、その痛みにのた打ち回ることもせず、すぐに腕に力を込めて体勢を立て直す。

 目の前には関心したような面持ちの捕食者、きりなの姿があった。


「いい……ね、可愛い顔が、台無しなところが」


 それはこっちのセリフだと思ったが、口にはしない。会話をするよりもまず、俺は彼女の状態の変化に注目せざるを得なかったからだ。


「……ん、どうしたの。逃げない、の?」


 右手にナイフを構えて眼前に立つきりなは、尋常ではない汗をかいていた。先ほど制服を切りつけられたときに振り返って見た姿は冷たく冷静な様子だったが、追走をやめた途端に体調が急変していた。よく急に走り出した後に発汗しだすことはあるが、今回はそんな短期間のケースではないし、何より道中のあの安定した走りからは想像できない。何か別の要因で体調が変化したとしか考えられない。


「逃げても、もう色々と手遅れだろ。それに」


 俺はこの時、そのまま彼女の不調の原因について考えることもできた。しかし、それは結局できなかった。


「俺だって“人間”なんだよ」


 三度目の回顧によって、俺のひと月の綺麗な思い出は醜い不快因子へと塗りつぶされた。

スケールの大きな嫌がらせ。悪意に満ちたごっこ遊び。

 人の持つ業の深さを身を持って知った俺は、純情からいとも簡単に脱落した。恋愛に興味はなくとも愛憎という言葉は知っていたし、そういう感情に身をゆだねる人たちの虚しさも理解している。

 しかしまさか、自分がそのような感情に支配されてしまうとは。


「東京じゃあ、こういういじめが主流なのか? あんな息苦しい雑踏で、寝起きしているから、そんな、狂った考えになっちまうんじゃ、ないのか」

「今はSNSとかあるんだから、そんなの田舎でも都心でも関係ないよ。いつの時代も弱者は強者の慰み者ってだけ」


 薄ら笑いを浮かべながら淡々と述べるきりなだが、相変わらず汗と瞳孔の開きは正常ではない。もしかして、こんな見た目してこいつは薬物中毒なのだろうか。



「それで、今どんな気持ち?」



「っ!!」


 俺は大いに動揺した。今更煽られたことに激情したのでは、ない。ただ、きりなのその一言にとてつもない既視感を感じてしまったのだ。それは間違いなく聞き覚えのある言葉で、けれども彼女とのやりとりをほぼ全て覚えている俺の記憶の中には、そんな言葉を投げかけられた思い出は一つもなくて……。


「どんな、気持ち?」


 なおも彼女の詰問は続く。俺は次第に脳みそを乱暴にかき回されているような危険な感覚に陥った。生まれてから今までの喜怒哀楽、様々な記憶と付随する感情が膨らんでは弾けとび、そのたびに脳細胞が絶叫する。そんな絶望的で猟奇的な世界が頭の中に広がっていた。


「…………黙れ」


 かろうじて言葉を絞り出した際に気づく。脳への拷問は舌を噛み切らんとして俺の口内を窒息させんとばかりに鉄の味で満たしていた。その様子を見、その言葉を聞いたきりなはまた狂ったように上機嫌となった。


「恥ずかしいとか悲しいとか思ってる、そうでしょ? そうだよね?」


 既に日は遠くの山々にその残滓を確認できるだけとなっていた。周囲からは控えめな虫の鳴く音と、獲物を探すような猛禽類のさえずりが交響して気味が悪い。


「私ね、こういうこと、もう何十回もしてるの」


 ……。


「今まではパパが何とか庇ってくれていたんだけど、さすがに50人とか超えたら東京にはいられなくなっちゃって。それで最初に越してきたのがここ、で、出会ったのが、君」

 ナイフをくるくると回しながらきりなは自慢げに語って聞かせる。東の空に見える月の光が、その得物を時折鈍く輝かせていた。

 想像はしていたが、彼女の実態は酷いものだった。裕福な家庭で何不自由なく育った者による非道徳的な遊び。おそらくその被害者たちはもう……。


「何か言うことないの?」


 眼前に刃物をちらつかせながら、発言を促される。黒い感情が沸々と湧き上がっていても、その明確な死の代行者を見せつけられると何か言わなければという気持ちになる。しかし頭の中はまだ回転刃が走り回ってるような惨状だ。


「……お前は歪んでいる」

「知ってる。他には」

「……人殺しはどのような理由であっても肯定されるべきことでは」

「何? まさか道徳観念とか垂れようっていうの? 世間知らずの童貞のくせに」

「……っ、俺は!」


 今とっさに言おうとしたこと。それは数時間前までは全く逆の感情を持っていたことで、そして最も根源的で素直な言葉。


「俺は、なに?」


 再びきりなの挙動が慌ただしくなった。瞳孔は開かれ、激しく興奮しているのが見てとれる。単に感情の起伏に波があると見るのが妥当なのだろうが、何かおかしい。追いかけっこをやめたときと、今。共通点はなんなのだろう。


「言って」


 ナイフが首筋へと移動する。その軌跡は明確な死線を辿っている。

 まつ毛が触れ合いそうな距離で、きりなは俺に言葉の続きを促す。意図が分からない。こちらはもう正常な思考なんて断片的にしかできないのだから、追及は困難だ。


「俺は……」


 諦めて言葉を紡ぎ始める。

 ――転校してきて最初の印象は“高嶺の花”だった。こんな田舎の村に場違いな立ち居振る舞いの少女がやってきた。関わる前から既に遠目に見ていたし、女子と友達になるというプロセスがよく分からなかった。


「お前を……」


 だから話しかけられて、関係ができたときは世界が変わったかのように思えた。見える景色に新しい色が灯ったような気がして、本当にうれしかった。

 だからこそ、俺は今、お前を……。


「殺してやりたい」


 口にした瞬間、それは劇薬であるかのように全身を駆け巡った。

!!

!!!!

!!!!!!!

 初めて生まれた殺意という感情。それは愛憎のなれの果て。人の深淵にして終焉の絶対悪。

お前によって恋愛を知らなかった俺は死に、その恋愛すらも奪われ殺意を得た俺は空虚な怪物へと姿を変える。

 けれども何故だろう。湧き上がり、ついに噴出し始めた黒い感情を自覚しながらも、その有様に壮絶な既視感を抱いてしまう。もはや俺が今まで人生だと思っていた記憶自体が妄想で、きりなが口にしたような猟奇的な犯行の数々こそが俺の人生の本体であったかのような、そんな不釣り合いな既得感。


「殺す」


 適当な岩を拾って血がにじむほど強く握りしめる。凶器を持つことによって明確な敵の死のイメージが想像可能となり、殺意は余計に脳内を跳ね回る。


「殺す」


 壊れたように同じ言葉を繰り返しながら、後ずさるきりなとの距離を詰めていく。俺を見下していたきりながそうして後退していく様は俺の気持ちを逆なでして仕方なかった。


「殺す!」


 ――ついに、ためらいもなく俺は凶器を振り上げる。




「……おつかれ」




 俺の感情がピークに達し、同様にきりなの緊張も極限に達した瞬間、そんな言葉を彼女は俺にかぶせてきた。


 ――そして。


「…………あ」


 何かが切れたような感覚の後、一瞬世界から色が消えたような感覚を味わう。

 きりなの表情は分からない。“その動作”の後、目をつぶってしまったから。そしてその綺麗な顔に醜い赤が飛散して汚してしまったから。


「…………」


 ようやく色と音を取り戻した俺の世界に飛び込んできたのは、ほの暗い周囲に節操なく舞い散る赤い液体と、それを受けてもなおその場に微動だにせず立ち尽くすきりなの姿。それはまるで懺悔の姿のように見えたが、こうして快楽殺人を果たしていながらそんなことありえない。多分もう、頭に血がいっていないんだ。

 間もなくして視界が下がる。ベシャリという音と共に俺は湿った地面へと倒れこんだ。


「…………」


 もはや俺に思考はなかった。頸動脈を深々とやられてしまってはもうどうにもならない。

 だから、これから記すことは、全て無機質な、状況描写。

 きりなが立ち尽くしている。変わらず口を引き結んだまま。

周囲が輝いていた。きりなにかかったもの、木々に飛び散ったもの、今俺が沈んでいる血だまり。それが内側から鈍く輝いていた。

そして、これは思考ではなく感覚で抱いたことなので、こう記すしかない。どうしてそう感じたのかは、多分誰にも分からない。

――不気味に思っていた森はとても幻想的で、そこに立ち尽くすきりなは、血まみれであっても、とても美しく、愛おしく思えた。



一章「極刑の輪廻」了


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