カタルシス
「・・・きて、おきて?伊織・・・・。」
朝、か。
体が怠い。昨日は飲みすぎた。思考はおかげでぼーっとする。
何時に帰ってきた?
「・・・ん。おはよ。伽耶。」
彼女の長い髪が首を擽る。彼女の手を引いて、自分の胸に収めた。
少し吃驚したらしい彼女が胸の中で笑う。
「ほら。ごはんできたよ?食べよう。」
「・・・ん。あー・・・」
気怠い動作で起き上がる。清々しい筈の朝日が喧嘩を売っているとしか思えなくなる程寝起きが辛い。
彼女は先に布団を抜け、軽い足取りでリビングへ向かっていった。
そんな足音すらも頭に響く。
彼女の後を追った。
「伊織、ビデオ借りてきたの。一緒に見よう?前から見たかったんだ。」
柔らかくそう彼女が微笑む。
まあ偶にはそんな休日も悪くはない。
ああ。と返事をして彼女の手料理に手をつけた。
あっさりとした風味が口内に広がる。
味噌汁はわかめと玉ねぎ、豆腐といった一般的な物だが、どういう訳か彼女の手料理は普通の100倍旨い。
朝食を食べ終わり、伊織はソファーに座っていた。
洗物をおえた伽耶が隣に寄りかかってくる。
すると、伊織の携帯が鳴った。
舌打ちをしてディスプレイを見る。
誰だ。こんな幸せを邪魔する奴は。
犬に喰われちまえ。
「周君?でてあげなよ。」
伽耶がふふ、と笑う。もう一度舌打ちをして通話ボタンを押した。
「・・もしもし。」
『もしもし伊織か?何してた?』
能天気な幼馴染の声にイラッとする。ああ今日は厄日だ。そんでもってこいつには何か奢らせよう。
「伽耶といちゃいちゃ。邪魔すんな独り身。」
伊織はそう悪態をつく。隣で伽耶がくすりと笑った。
「・・・・・伊織・・・・・・・・・・
伽耶ちゃんは・・・・・。」
否、伽耶は笑わない。
言い辛そうに言う幼馴染の声。
ああ。分かってる。
「・・・わかってるさ・・・伽耶が死んだ事くらい・・・
一年たったから・・・もしかしたら、夢だったのかもって思っただけだ。」
伽耶は隣にはいない。
伽耶はもう伊織を起こさない。
伽耶の手料理はない。
伽耶は抱きしめられない。
[よくある不運な事故]で伽耶は死んだ。
あの日から伽耶は笑わない。
あの日から伽耶の好きなホラー映画も見てない。
でも部屋はあの日から変わらない。
相変わらずペアのマグカップは仲良く二つ。
歯ブラシも二つ。
伽耶がおいた悪趣味な人形も、全部。
夢じゃ、なかったか。
生き返ると、思ったんだけど。
ひょっこり顔を出して、起こしてくれると、
嘘だよ、と、
早く起きて、と。
笑ってくれる、と、
「・・・もう、やりきれねえわ・・・・過去なんかじゃないんだよ・・・・」
そう、伊織は呟いた。
未だ自分は戦ってる。
取り残されている。
一年前のあの日に。
君が居なくなったあの日に。
現実が一気に押し寄せる。
伊織は嗚咽を漏らした。
酔いがさめてしまった。
また上等な酒を周に奢らせよう。
そうしたらまた会えるだろうか。
周囲は頑張れという。
伊織を進ませようとする。
それが正義だと。正しいと、皆が言う。
もう十分頑張ったよ。
苦しくて苦しくて何度も死のうと思った。
進みたくなんてない。
君が居ない未来に進むなんて、考えたくない。
君が居なけりゃ、生きてたって仕方ない。
お前らなんかに、分かるかよ。
「・・・・伽耶・・・。」
写真の中の彼女は笑っている、
一年前の笑顔で、笑っている。
君は、何処に居ますか?